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広島大学新聞(創刊~9号)

広島大学新聞(創刊~9号)

号数 発行年月日 主要記事見出し
発行者:広島文理科大学新聞部
創刊 19470215 創刊を祝う(長田新(学長))
広島学生連合会結成-早速震災地救援活動
無から有へ-原子爆弾その後
広島文化運動の展望
2 19470405 広島学生連合ついに誕生-盛上がる学生の熱意をこの一線に
広島学生連合規約
不適格教授をめぐり学生再び動く-教・倫の立場
ペスタロッチー運動の回顧(長田新(学長))
3 19480115 総合大学目差して運動展開-要望される県民の協力
深い御造詣-御進講の両教授は語る
ようこそ陛下広島へ
全国学生運動の統一なる-広島学生自治連発足
我観-窮処守高(長田新(学長))
中国地区ワークショップ-広師で開催
4 19480225  平和日本建設の道(長谷信夫)
国立広島総合大学の設立-その構想と実現(長田新(学長))
邁進せん平和国家建設へ-広島学徒大会開かる
国立総合大学は何故広島に必要か?
5 19480515 ペスタロッチー運動の回顧(承前)(長田新)
決定は6月中か-其の後の総合大学問題
論説:大学の自治と学問の自由
新教育の方向(今堀誠二)
イールズ氏来広
授業料値上げを排撃-国立大学学生自治連起つ
6 19481210 本年度学士院賞-藤原教授受賞
CIEイールズ博士来広-つぶさに各校を視察
活発に動く自治連-広島の場合
払えない授業料-値上げ反対の波全国に及ぶ
論説:文教政策と学生の態度
7 19481210  本学から4教授を推薦-日本学術会議
論説:学生運動の在り方
石門心学会広島支部発会式における高松宮殿下の御言葉
学生厥起大会-県庁にデモ
6、7両日本学で講演-英連邦軍教育顧問-ブランデン氏
廃墟に返り咲く文化-学園文化祭終る
民科文理大班発足
自治会の在り方-来広のタイバー氏語る
総大に夜間部を-夜間部学生起つ
A級に編入か-その後の総大問題
高松宮さま-学生代表と御懇談
広高生百余名-本学教授会にデモ
米国人文科学顧問団来広-中・四国大学高専代表と会議
文部省大学法試案を廻って各方面に波瀾-本学の態度
学生新聞の在り方(糸川成辰)
回想:学生運動1ケ年の回顧
8 19490125  民科啓蒙講座開設
広島総大設立予算全額県民負担-全額国庫負担にせよ-県民学生の猛反対
学友会刷新成るか-授業料不払を解く
論説:1949年と闘う
中国研究所広島支部発会
第1回学術会議に3名当選-第1部長田・古賀両教授、第4部三村教授
YMCAの動き
9 19490309  論説:総長選挙と今後の問題
三者協議会誕生か-其の後の学友会刷新
学内のセクト主義を破れ
マルキシズムと学生-社会心理学的調査
総大総長-初代総長は長田現学長か-決定権は文部省に
100 19601210
発行者:広島大学新聞会
著者 タイトル
論説委員会 □巻頭言□ 学生新聞と中立
特集・教育の危機を考える
長田 新 国民教育の大道

創刊号

記録の会

1979年4月『記録』を創刊。編集=記録の会、発行=記録社、発売元=すずさわ書店

発行状況

発行年月日(著者) 備考(タイトルなど)
01 19790401
記録の会 月刊誌『記録』発刊にあたって
土本典昭 水俣―映画記録者として
大峯雄輔 ロボトミー―人間管理の究極なるもの
本多勝一 ルポルタージュの方法①
松浦総三 日本のルポルタージュついて―覚え書き(上)
松井やより 鎖国と友好―わたしの中国滞在・往来記①
上坪隆 非業の死を語りつづける―九州で取材して
栗原貞子 反核意識の再構築を―第1回原爆問題総合研究会の記録
岡邦俊 キャロル①
白基□(飛揚訳) 民族の分断と人権(上)
コラム 微罪で全裸にされ
TVドキュメント‘79『原爆の子・百合子』
よみがえれ国際人民相互の信頼と連帯
箙田鶴子『他者への旅』
松本竣介の大回顧展
無知の告白―『朝鮮通信使』のこと
身障児から教えられる関係
02 19790501
大牟田稔 二枚の認定書―被爆者母娘をめぐる生と死
03
04
05
06
07 19790701
丸木位里・丸木俊・石川保夫・長岡弘芳
民衆をいかに絵できろくするか―丸木位里・丸木俊夫妻を囲む座談会
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17 19800801
吉川土竜・吉川敏 広島日記―ある銀行員の原爆投下前後の日記から
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20 19801101

講座―八・六の意味するもの(広島女学院大学)

講座―八・六の意味するもの(広島女学院大学)開始:1967年夏

資料

小黒薫『ヒロシマの意味』(日本評論社、19730625)

目次

講師 タイトル(実施年) 備考
四竈一郎 八・六の意味するもの1(1967年) 元日本基督教団広島教会牧師
浜井信三 八・六の意味するもの2(1967年) 元広島市長、故人
原田東岷 八・六の意味するもの3(1967年) 外科病院長、広島市在住
橋本栄一 八・六の意味するもの4(1967年) 広島女学院高校教諭
栗原貞子 八・六の意味するもの5―大田洋子とG・アンデルスを軸に(1968年) 詩人、広島在住
小黒薫 八・六の意味するもの6(1968年) 広島女学院大学教授
関屋正彦 キリスト教と非暴力 日本FOR前書記長、聖公会司祭(仙台)
小倉馨 ヒロシマ-この二十五年(1970年) 広島平和記念資料館館長
松元寛 八・六、広島の意味するもの(1971年) 広島大学文学部助教授
金信煥 朝鮮人と原爆 (1972年) 在日大韓基督協会広島教会牧師
森昭夫 私の解放の闘いにとっての八・六(1972年) 広大原医研助手
小黒薫 ヒロシマの生と死(1971年) 広島女学院大学教授
ドリス・ハートマン 投下の決定は正しかったか(1971年) 米人宣教師、広島県古市伝道所
アール・レイノルズ 広島はいまもわが故郷 広島を中心として平和運動に活動、現在は在米
編 者 あとがき

新人国記(1)

『新人国記(1)静岡県/富山県/広島県/岩手県/長崎県/愛知県』(朝日新聞社、19820930)

目次(広島県・長崎県部分)

広島県 文・斉藤忠臣 写真・青井捷夫
「反核」の思い深く
原爆に怒りの絵筆
愛を説く「語り部」
ヒロシマを伝える
紙つぶてに心託す
映像の底流に
舞台人生を息長く
「美の世界」に執念
結束力と腕一本と
勝負師の世界彩る
王朝の世界に没入
戦争の痛恨彫刻に
多彩タレント群像
同質兄弟と野人と
未被爆者に訴える

 

長崎県

資料’82反核

資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する( 「ひろしまをよむ」会編、 溪水社刊、1983年7月15日)

目次

まえがき
<共同検証82反核>
1 新味に欠ける原爆出版
2 消極的な大手出版社
3 新刊しのぐ重版・再刊
4 手記・体験記に多様性
5 「読む」から「見る」へ
6 すそのを支える童話
7 無難さ目立つ教科書
8 雑誌-欠落した原点
9 新聞連載-不十分な総括
10 新聞社説-もの足りぬ分析
<82出版物リスト>
1 単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ
2 単行本-防衛・原発・学術・再刊
3 童話-絵本・平和教育
4 教科書-国語科82年採択
5 雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊
6 新聞-連載・社説
おわりに
「ひろしまをよむ」会(石踊一則、内田恵美子、宇吹暁、木村逸司、島津邦弘、田原幻吉、丹藤順生、藤原浩修、松林俊一)協力・ピカ資料研究所

ヒロシマの「史点」―占領下の原爆文献考(目次)

ヒロシマの「史点」 占領下の原爆文献考<『中国新聞』19860630~0812、30回連載、担当:冨沢佐一郎記者)。

目次

No. 見出し(文献名) 見出し
1 石うすの歌 初の被爆テーマ小説 小学国語のテキストに
2 終戦経緯報告書 国が被害データ発公表
3 絶後の記録 被爆直後の壮絶なルポ
4 ちちははの鐘  自分の理念盛った三吉
5 回顧五年原爆広島の記録  「8・6」の思い込める
6 原子爆弾傷  「ガス」の部分伏せ字に
7 原爆体験記  根拠薄い初刊本発禁説
8 月刊中国  1年後廃虚の街を特集
9 原子爆弾と世界恐慌  知られていない小冊子
10 原爆の子  素朴な表現で反響呼ぶ
11 科学朝日  投下操縦士の証言掲載
12 原子爆弾(同盟通信版)  GHQ意識 外電で構成
13 原子爆弾の法律観  国際法の精神転換迫る
14  御楯隊しのぶ学徒の声
15 ヒロシマを忘れるな  禁止訴え署名呼びかけ
16 原子力の軍事的利用  極秘に印刷された2冊
17 反戦詩歌集  人類の愚挙へ怒りの声
18 ピカドン  絵で告発した最初の本
19 生ましめん哉  最も早い時期の有名詩
20 原子爆弾の効果 兵器としての威力誇示
21 ヒロシマ日記  米国で出版され逆輸入
22 あの当時  両親慕う孤児の思い
23 天よりの大いなる声  1年半も出版ためらう
24 原爆体験記(京都大学版)  学生が危機感抱き編集
25 ヒロシマ  悲惨さを世界に初紹介
26 夏の花  体験記の枠超えた傑作
27 屍の街  初版本は5節分を削除
28 さんげ  被爆の非情短歌で告発
29 原爆詩集  峠三吉の唯一の作品集
30 まとめ  ”神話”の洗い直し急げ
プレスコード神話、強すぎた自己規制、収集保存に努力を
「メモ(抜粋)この企画は、30年間にわたって原爆文献を収集、調査してきた「 ピカ資料研究所」( 田原幻吉(ピカ資料研究所代表))の資料を中心に構成した」>

 

広島原爆被災撮影者の会

広島原爆被災撮影者の会

設立準備会?:19780715

関係資料

 資料名 備考
広島原爆被災写真撮影者名簿
  22名の住所、電話番号、
初会合(宇吹メモ)
   1978.9.14 於広島YMCA
 本
『広島壊滅のとき―被爆カメラマン写真集』 (広島原爆被災撮影者の会、198108)
 『被爆の遺言 被災カメラマン写真集』(広島原爆被災撮影者の会、19850801)
 『中国新聞』(20050801、編集委員 西本雅実)
 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?gallery=20110613141546676_ja

フェイスブックより(2013年)

フェイスブックより(2013年)

輜重兵第五聯隊馬碑(基町、1928年建立)と馬魂碑(比治山、1937年建立)ー開幕まえのひろしま菓子博会場周辺と比治山を散策中撮影 4月18日

馬魂碑2馬魂碑1
HIBAKU+PIANO+PEACECONCERT+from+HIROSHIMA

原爆ドームの壁の調査 6月17日

20130617
車が進入禁止となった広島平和大通りー原爆資料館南側から東方を望む 8月6日
20130806a
花輪撤去作業中の原爆慰霊碑前

献花台東側(写真右。撤去済)=広島市長 広島市議会議長 遺族代表・こども代表 遺族代表(市内代表1名、都道府県代表2名) 被爆者代表(市内代表2名)、被爆者代表(県内代表2名)、長崎市民代表(市長、市議会議長、被爆者代表) 国際連合総会議長 国際連合事務総長 姉妹・友好都市代表
献花台西側(写真左。まだある)=内閣総理大臣 衆議院副議長 参議院議長 外務大臣 厚生労働大臣 広島県知事 広島県議会議長 各国来賓代表 平和首長会議代表

 20130806b
第59回広島平和美術展

問:原爆記念日の行事ではなかったの? 答:会場が取れなかったから。 8月27日

4平和公園20130827
鷺?(背景は本川橋・平和公園)  2013年9月6日
 20130906
 オランダの芸術家が作製した「連鶴」。
幅15cm、長さ150mの一枚の紙で折られている。 長崎原爆資料館
2013年9月10日
 20130910
救護所メモリアル
新興善国民学校跡。かつて市内最大の被爆者収容所  場所:長崎市立図書館  2013年9月11日
 20130911
 東本願寺長崎教会・原子爆弾災死者収骨所
真宗大谷派長崎教務所。道に迷って偶然出会う。
場所:長崎市筑後町 2013年9月12日
 20130912
広島市役所旧庁舎の被爆石ー歩道と車道の間に設置 場所:広島市大手町 2013年9月23日 ・
 20130923
原爆瓦を貼った玄関(広島YMCA)の柱  場所:広島市中区八丁堀 2013年9月27日柱に埋め込まれた金属板の文章
*鎮魂 1981年12月6日 広島県高校生平和ゼミナール
*私たちは、世界平和を願い 原爆瓦を後世に伝えます
1981年12月12月26日 広島YMCA
 20130927
Site of Former Chugoku Military Police Headquarters
中国軍管区司令部跡地の銘板(宝ビルの県庁側壁面) 場所:広島市中区基町12-8 2013年10月14日 ・The atomic bomb dropped on Hiroshima August 6,1945 devastated the city and its people with a force beyond any known before. U.S. Air Force and U.S. Navy airmen interned as POWs at the Chugoku Military Police Headquarters which was located at this site, near the epicenter, were among the victims of this holocaust. This plaque is placed in memory of these brave and honorable men. May this humble memorial be a perpetual reminder of the savagery of war.1998.7.29
 20131014
 広島市立中央図書館 2013年11月14日 ・
 20131114
耐震強度調査の始まった原爆資料館 2013年12月11日
 20131211
広島市まんが図書館(右建物)と御便殿跡に建造された構造物(左奥)
ーまんが図書館で中沢啓治の「はだしのゲン」を閲覧
2013年12月13日
 20131213
2013年12月15日 ・三良坂平和美術館。向って左手にある三良坂コミュニティセンター内の山代巴記念室も見学。 場所:広島県三次市。
 20131215

 

フェイスブックより(2012年)

宇吹フェイスブックより

松本徳彦(公益社団日本写真家協会専務理事)「東方社から文化社へ」ー 場所: 広島県立美術館 2012年5月22日
松本徳彦20120522
広島クレド11階より基町を望む 2012年8月15日
20120815
原爆ドームの全体を撮影しようと動き回ったらこの場所にたどりついた。ー 場所: 広島市中区平和公園 2012年9月2日
原爆ドーム20120902
三ツ蔵(呉の重要文化財 旧澤原家住宅見学会) 2012年10月12日
 三ツ蔵20121012
旧高烏砲台兵舎 2012年10月18日
 旧高烏砲台兵舎 2012年10月18日
  世界の子どもの平和像 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区北砂1-5-4)玄関前 2012年10月19日
世界の子どもの平和像20121019
 岡本太郎作「歓心」 持田製薬株式会社(東京都新宿区四谷1-7)玄関前 2012年10月20日
 岡本太郎2012年10月20日

旧広島市民球場跡地に設置された工事壁の透明窓に映った原爆ドーム 2012年11月9日

原爆ドーム20121109