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1998年7月のうごき

1998年7月のうごき

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01 郭貴勲元韓国原爆被害者協会会長、帰国後も被爆者援護法にもとづく健康管理手当の支給継続を求める要望書を大阪府に提出。同元会長は、5月下旬に来日し大阪府内の病院で治療を受け、5日に帰国予定。
01 広島修道大学の学生、学内で原爆写真展を開催。-15日。会場でのアンケートに93人が回答。1割が「原爆投下に賛成」。(22日のまとめ)
01 広島市映像文化ライブラリー、「平和祈念特集98」として原爆や平和問題を扱った映画の上映を開始。-8月30日。
01 国民平和大行進、長崎市の平和公園を出発。8月3日に広島に到着の予定。
01 原水禁国民会議、被爆53周年原水爆禁止世界大会の骨子を発表。印パの核実験強行を受け、反核のうねりをどう再生するか、を最大のテーマに掲げる。
01 専門職に従事する女性達でつくる国際組織「BPW」の大阪クラブ、被爆者が自らの体験を描いた絵を23の言語で紹介したインターネット用ホームページを広島市に寄贈。
01 長崎市、県被爆者手帳友の会が要請していた平和公園へのキング牧師の胸像の建設について不許可とすることを伝達。
01 パキスタンの核科学者カーン、政治亡命を申請している米国で、同国がインドに核攻撃を計画していたと述べる。
01? 広島県原爆被害者団体協議会(伊藤サカエ理事長)、今秋から「原爆体験証言者養成講座」を計画。
01? 長崎県教育委員会と県教職員組合、日曜日となった今年の8月6日を登校日とするかどうか校長の判断とすることで合意。
02 広島県原水禁、インド南部・マドライ市の平和団体から原爆展開催への協力要請を受ける。
02 長崎原爆被災者協議会など被爆者5団体、金子長崎県知事を訪れ、被爆者援護法の改正、被爆地域の不均衡是正などを国に働きかけるよう要望。
02 藤田雄山広島県知事、インド・パキスタンの核実験を受け、核軍縮・核兵器廃絶に向け、より積極的に取り組むよう求める書簡をアナン国連事務総長に送付。
02 国際平和会議、イタリア・コモ市で開催。現地のNGO主催。-4日。日本から上川広島市助役らが出席。
02? 長崎YMCAに、インド南部のクーナーYMCAから核実験についての返書が届く。
03 広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(8者協)、「原爆死没者追悼平和祈念館整備などによる原爆死没者に対する弔意事業の充実強化」などを政府や国会に陳情。
03 長崎市、第3回平和宣言文起草委員会を開催。米国の「核の傘」によらない平和の構築を日本政府に求めることなどを盛り込んだ宣言文の事務局案を提示。
03 広島県原水禁、インド南部のマドライ市の平和団体に原爆写真パネルや資料の一部を発送。
03 故・木村一治東北大学名誉教授が描いた原爆ドームの墨絵を同夫人が広島原爆資料館に寄贈。
03 市民団体「ひろしま将来世代フォーラム」(河合護郎代表)、インド・パキスタンの核実験に抗議し、子どもたちの目線で核兵器廃絶を訴える公開市民フォーラム「危ない!地球が!印パの核実験にヒロシマは強く訴える」を広島国際会議場で開催。
03 「広島原爆被災撮影者の会」、記録写真集「被爆の遺言」をインド・パキスタンに送る運動を始める。
03 連合広島・連合本部、インドとパキスタンに調査団を派遣。
03 長崎県・佐世保市議会、インド・パキスタンの核実験抗議についての請願を採択。
03 中国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタンの5カ国首脳会議、カザフスタンのアルマトイで開催。会議後の5カ国外相の声明で、中央アジアを非核地帯化する構想に積極的な評価を表明、専門家レベルで検討を進めることにする。
03 長崎市教育委員会、同市小学校長会で、日曜日に当たる今年の8月9日をできるだけ登校日にするよう呼びかける。
03 ドディック・セルビア共和国首相、広島市の原爆資料館を見学。
03? 故・木村一治が広島・長崎に投下された原子爆弾の調査経過などを記した日記が見つかる。3日、広島市に寄贈。
03? 米のエドワード・テラー博士、「日本への原爆は威嚇投下で十分だった」と毎日新聞記者に語る。
04 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を仙台市戦災復興記念館で開催。-12日。
04 長崎平和研究所・長崎平和文化研究所、公開シンポジウム「核兵器廃絶への道をどう切り開くか」を長崎原爆資料館で開催。約80人が参加。
04 広島市立己斐上小学校、全校児童の平和集会を開催。童話「まちんと」のスライド上映や朗読劇など。
05? 広島県呉市の中家志乃、原爆をテーマに作詞作曲した「折り鶴の唄」の音楽テープを自費制作。
06 厚生省、1995年度に実施した原爆被爆者実態調査の結果を明らかにする。「寝たきり」・「ほとんど寝たきり」の人は計1万5702人で回答者の9.1%。95年実施の一般高齢者を対象とした国民生活基礎調査3.9%の2.3倍。
06 田中煕巳日本被団協事務局次長、広島市の於保源作医師が1957年1-7月に市北部の被爆者3946人を対象に被爆後3か月間の行動を調査したデータを解析し、爆心地に投下直後に移動した人の4割に急性症状が発症していたとの結果をまとめる。
06 広島県原水協、大森政輔内閣法制局長官が「核兵器の使用は憲法上可能」と国会答弁したことに対する抗議の街頭活動を広島市内で実施。15人が参加。
07 広島市、原爆供養塔に納められている引き取り手の見つからない851柱の納骨名簿を全国の自治体に発送。
07 高山康信、厚生省保健医療局企画課長に就任。(「被団協」)
07 長崎の被爆者・渡辺司ら、被爆体験を一人芝居で演じる朗読劇「命ありて」を東京都小平市で公演。8日には、立川市で公演。
07 中沢啓治と「日本短波放送」の関係者、「はだしのゲン」のCD-ROM化計画を公表。来年2月完成予定。
07 佐々木猛也「核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会」副会長、6月27・28日にローマで開催された国際反核法律家協会総会への参加を終え、広島市役所で帰国報告。
07 平岡広島市長、柳井俊二外務省事務次官に2000年サミットの広島開催を要請。
08 原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」の入園者ら、被爆当時広島市内を走っていた路面電車を借り切って広島市内を見学。
08 岡まさはる記念長崎平和資料館で緊急集会「佐世保平和資料展で何があったか」を開催。広島原爆で入市被爆した岩村秀雄元佐世保空襲犠牲者遺族会会長が写真撤去の経緯とその後の動きを報告。
08 英国政府、「戦略防衛見直し」を発表。兵器用核物質の保有量を公表し、戦略原潜搭載の核弾頭数を約3分の1削減する方針を明らかにする。
09 広島市立大学広島平和研究所、開設記念シンポジウム「世界における軍縮問題-21世紀に向けて」を広島国際会議場で開催。パネリストはクレポン米ヘンリー・スチムソン・センター所長、ロードゴール・ノルウェー国際問題研究所所長ら4人。約400人が参加。
09 タブロフ国連安全保障理事会議長(ロシア)、インドとパキスタンが6月に採択した核拡散防止決議を受け入れるよう強く要請する声明を発表。
09 長崎県原水禁、県平和・労働センター、「反核9の日座り込み」を長崎市平和公園で実施。通算215回目。約60人が参加。
09 伊藤長崎市長、インド・パキスタン両国や核保有5か国などに対し、近く「核兵器全面禁止条約」の早期締結を文書で呼びかけることを明らかにする。
09 G8提唱のインド・パキスタンの核実験問題と核拡散防止体制を協議する作業部会(タクスフォース、局長・次官補級事務レベル)の第1回会合、英ロンドンで開催。
09 「広島折鶴の会」の小学生2人、インドの市民団体に送る折鶴約500羽を「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」の代表に託す。
09 クレポン米国ヘンリー・スチムソン・センター所長ら、広島平和研究所の開設記念シンポジウムのパネリスト一行、広島市の原爆資料館を見学。
09? 橋本秀夫(広島市在住、呉レンガ建造物研究会理事)、「明治の建築遺産・広島レンガ建築探訪記」を自費出版。
09? 広島平和教育研究所、中学生向け夏休み用副本「ピースハンドブック」を発行。
09? 広島市の医師・原田東岷、バーバラ・レイノルズ夫人とノーマン・カズンズの活動記録「平和の瞬間」の英訳版「MOMENTS OF PEACE」を出版。
09? 広島市の私立保育園「広島光明学園」、核戦争による人類の危機までの残り時間を示す「終末時計」の実物大の模型「核の時計」を園舎に掲げる。
10 外務省、インド・パキスタン両国の新聞記者を8月の広島・長崎の原爆記念日に合わせて招待する計画を明らかにする。
10 愛知県豊橋市の桜丘高校の生徒と教師8人、自転車で長崎市に到着。19日から同校などで開催する「第10回愛知サマーセミナー」で紹介する伊藤市長のメッセージを受け取る。
10 日米協会が募集した「日米高校生エッセイコンテスト」の入賞者、米国・ワシントン州の高校生が広島市の原爆資料館を見学。
10 「原子力安全規制行政セミナー」に参加中のインドネシア・タイなどの原子力行政担当者8人、広島市を訪れ原爆資料館を見学。
10? 日本政府、核兵器保有国の核軍縮促進に力点を置く国連決議案をことし10月半ばをめどに提出する方針を固める。
10? 芝田進午広島大学名誉教授、米国の反核団体「ヒロシマ・ナガサキ平和委員会」代表ルイーズ・ラミレスから「ルイス・マンフォード賞」授賞式での演説文(5月16日)を受け取る。
11 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」代表江口保を偲ぶ会、東京都内で開催。約180人が参加。
11 広島の証言の会、総会を開催。10人が参加。「証言講座」の実施や総合雑誌の発行を決める。
11 アジア太平洋都市サミット、福岡市内で開催。世界23都市の代表が参加。長崎市の助役が長崎で平和学習をするよう訴える。
11 長崎市・長崎平和推進協会、被爆地長崎の小中学生が沖縄戦の悲惨さなどを学ぶ平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」の事前研修を実施。-12日。
11? 旧チェルノブイリ原爆付近で軍事技術研修中に被曝したモンゴル人バヤラー、ジュノーの会の招きで来日し、広島大学原医研で入院検査。
13 ビシネフスキー・ロシア連邦核放射能安全監督局議長、南ウラルの企業「マヤーク」が投棄した放射性廃棄物が地球規模の汚染につながる恐れがあると警告。
13 カルドゾ・ブラジル大統領、包括的核実験禁止条約(CTBT)批准書と核拡散防止条約(NTP)加入書に調印。
14 ルカシェンコ・ベラルーシ大統領、欧州諸国が同国民のビザ発給に差別的な措置を取っているとし、対抗措置としてチェルノブイリ被災児童への援助の拒否を検討していると語る。
14 広島市、8月6日に首相・厚相らが出席する「被爆者代表から意見を聞く会」に向け、被爆者7団体の要望内容を調整する会を開く。
14 国が広島市に建設する原爆死没者追悼平和祈念館の広島検討会議、広島市役所で開催。市が、開設準備検討会が6月にまとめた最終報告の素案を説明。
14 地人会、朗読劇「この子たちの夏・1945ヒロシマ・ナガサキ」を長崎市内で上演。
14 京都精華大学の教員ら、ちばてつやら漫画家29人と美術学生の反核風刺まんがなどを集めた「核の迷路-反核の声は無力か」展を同大学内で開催。-26日。
14? 広島平和教育研究所、平和公園内の「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の死没者名簿に新たな死亡者を記入するため遺族からの申し出を呼びかける。
14? 鶴文乃、自作の原爆童話「ところてんの歌」の英訳版を自費出版。
14? 森本マリア(広島市在住)、原爆体験をテーマにした紙芝居「音が消えた時」を完成。21作目の作品。
15 広島市平和公園の原爆供養塔に眠る遺骨のうち、名前がわかりながら引き取り手のない遺骨851柱の納骨名簿の掲示が、全国の市町村役場などで始まる。
15 広島市内の「ニュー双葉美容室」、広島赤十字・原爆病院で美容奉仕。
15 長崎市仏教連合会、戦争犠牲者と原爆殉難者の追悼慰霊大法要を長崎市・大光寺で挙行。約150人が参列。
15 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を盛岡市民文化ホールで開催。-19日。
15 東京都三鷹市、「原爆と人間展」の巡回展示を開始。-9月2日。(「東友」)
15 放影研、広島県被爆二世団体連絡協議会と同研究所が計画する被爆二世調査について話し合い。
15 放射線影響研究所、広島県被爆二世団体連絡協議会との約半年ぶりの協議を同研究所で開催。
15 インド・カルカッタの映画監督・作家・科学者・スポーツ選手ら著名人、8月6日に反核行動を展開するため「8・6委員会」を結成。17日、広島市、原爆に関する写真パネルと原爆記録映画のビデオを送る。
15 福山市多治米小学校、原爆被爆者の体験を聞く「平和集会」を開催。
15 「東京都平和祈念館建設委員会」、青島知事に検討結果の報告書を提出。(「東友」)
15? 日本最高齢114歳で、広島県倉橋町の特別養護老人ホームに入所中の滝井アサ、広島県に被爆者手帳の交付を申請するための準備を進める。
15? 広島の原爆遺跡保存運動懇談会、原爆ドームなどを描いた「絵はがき」を作製。
15? 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームの絵を竹屋公民館に展示。-8月15日。
16 長崎市、平和宣言文の第4回起草委員会を開催。
16 広島市安佐北区高陽地区の4公民館、平和展示企画「あのとき閃光を見た高陽の空に」を開催。-31日。
16 徳山被爆者の会(山口県)、本年度総会を徳山市内で開催。40人が参加。
16 連合がインド・パキスタンに派遣した代表団員の一人・杉本雅親(長崎県被爆二世の会会長、全電通被爆協会副会長)、長崎市役所で帰国報告。
16? 長谷川潤の作品を中心とした写真展「ヒロシマのドームから世界のドームへ」、広島市内で開催。-17日。
16? 市民団体「ピースボート」、インドとパキスタンを訪問した際に実施した核兵器に関するアンケートの結果をまとめる。インドで30%、パキスタンで63%が「自国に核兵器が必要」と回答。
17 在韓被爆者渡日治療広島委員会の招きで5月7日から広島市内の病院に入院治療中の李分伊ら、53年ぶりに母校の広島市立尾長小学校を訪問。
17 「広島カザフスタン友好の会」、「カザフスタン大学生と核を語る交流会」を広島国際会議場で開催。20人が参加。高木昌彦元大阪大学医学部講師夫妻らも参加。
17 長崎県・福江市、「原爆と人間展」を福江文化会館で開催。-20日。同市の平和行政の一環。
17 杉本雅親長崎県被爆二世の会会長、インド・パキスタン調査団の報告会の席上、両国に原爆写真を贈ることを提案。
17 広島平和研究所、当面の研究テーマを決定。①核廃絶を目指す軍縮のプロセス、②北東アジアにおける緊張緩和、信頼醸成、軍縮、③国連の平和維持活動(PKO)と人道援助、④軍縮データベースの検討、の4つ。
17 原水爆禁止1998年世界大会実行委員会、8月2日からの大会に出席する海外代表を発表。「中国人民平和軍縮協会」は日程上の理由から参加見送りを伝える。
17 広島市西区鈴が峰地区の住民らでつくる「広島カザフスタン友好の会」、「ヒロ・セミプロジェクト」を発足させる。来年8月に向け、「カザフ原爆展」の開催を計画。
17 広島市立長束小学校、平和集会を開催。パソコンのメールで全国の小学校と交流している4年生が「全国こども千羽づる大作戦」の取り組みを報告。
17 広島県・廿日市市立金剛寺小学校、平和集会を開催。
17 広島県、来年度予算の概算要求に向けた県の主要事業要望をまとめる。2000年に日本での開催が予定されているサミットの広島誘致など78項目。
17 広島原爆資料館、子供向け企画展「子どもたちの戦場-集団疎開、おとうさんおかあさんと離れて」を開催。-9月30日。(「ひろしま市民と市政」)
17? 広島市立袋町小学校、被爆校舎の一部を保存し、資料室として整備するため、戦前・戦中の資料提供を呼びかける。
18 生活協同組合「おおさかパルコープ」、広島・長崎の原爆犠牲者の慰霊と恒久平和への願いを込めた「灯ろう流し」を大阪市・土佐堀川で実施。4回目。
18 大阪市原爆被害者の会、追悼の集いを大阪中之島野外音楽堂で挙行。約400人が参列。
18 自治労長崎被爆二世の会、結成総会を長崎市内で開催。約50人が出席。
18 「ながさき平和大集会」、長崎原爆資料館で開催。故永井隆の長男・誠一が「父と母の思い出」ど題して講演。約350人が参加。
18 新潟県新津市の非核市民の会、同市役所前の非核平和モニュメント「核の時計」の針を14分前から9分前に進める。(「社会新報」)
18 「広島カザフスタン友好の会」の招きで広島市を訪れているカザフスタンの大学生、鈴が峰公民館で中・高校生と交流。約40人が参加。
18 「つたえようヒロシマ・ナガサキ-21世紀にかける虹のつどい」、東京・日本青年館中ホールで開催。100人が参加。
18 広島県大竹市立玖波小学校、平和集会を開催。
18? 広島市、今年の平和記念式典に米など核保有5か国やインド・パキスタンの駐日大使に出席を呼びかける。
18? 広島県・沼隈町の千年中学校、インド・パキスタンの人達へ核実験反対のメッセージを伝えるため「ピースキルト」の制作に取り組む。
19 徐栄子、長崎市の旧長崎刑務所浦上刑務支所で被爆死した夫・尹福東の追悼式を日本人支援者らとともに平和公園で挙行。
19 河本一郎・吉川生美、映画「原爆の子」の監督新藤兼人と広島市内で再開。
20 静岡県被団協の副会長などをつとめた高野真、死亡。
20 東京ピースサイクルのメンバー、広島・長崎に向け「夢の島第五福竜丸」前を出発。
20 岡正治を偲ぶ会、岡まさはる記念長崎平和資料館で開催。約30人が参加。
20? 東京都・国立市の女性ら、沼田鈴子著「青桐の下で-「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり」を英訳・出版。
21 原爆死没者追悼平和祈念館の開設準備検討会、東京都内で開催。国の最終報告案をおおむね了承し、実質的な審議を終える。
21 長崎市、長崎刑務所浦上刑務支所に収容中被爆死した尹福東の妻・徐栄子ら在韓被爆者6人に被爆者健康手帳を交付。
21 島根県原爆被爆者協議会と島根県、相談員研修会を大田市で開催。30人が参加。
21 長崎原爆被災者協議会の「被爆者の店」、いえ行を民間業者に委託して再開。
21 「広島ピース・アニメの会」、インド・パキスタンの核実験をテーマにしたフリートーキングの会を広島YMCAで開催。
21 長崎県教委、県内の公立小中学校の登校日設定状況をまとめる。110校(17.5%)が8月9日を登校日に、509校(81.0%)がその前後を登校日に設定。長崎市内では、86校(95.6%)が登校日とする。
21 秋篠宮夫妻、第13回「海の祭典」に出席のため広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝。
22 広島県のまとめで、全国の被爆者健康手帳所持者が31万1704人(3月末現在)であることが判明。年間の減少は5929人で過去最多。
22 広島県高田郡向原町の岡部盛雄、平和公園清掃のための竹ぼうき150本を広島市に寄贈。
22 広島の在韓被爆者支援団体「ムグンファの会」、3月に日韓の大学生らを対象に実施したアンケート調査の結果をまとめる。「原爆投下に至った責任」について、日韓とも70%以上が「日米両国」を1位にあげる。
22 中沢啓治原作、木島恭脚本・演出「はだしのゲン」、東京・俳優座劇場で公演。-26日。
22 インド・パキスタンを平和行脚した武田靖彦、広島市の原爆資料館で、大阪の高校生に、被爆と行脚の体験を語る。
22 長崎県被爆者手帳友の会川棚支部、一人芝居「命ありて」を公演している渡辺司に助成金15万円を贈る。
22 「核兵器廃絶をめざし、すべての核実験に反対する長崎ネットワーク」、東京のインド・パキスタン両国大使館前で抗議行動を実施。
22 恵の丘長崎原爆ホームと川平小学校、長崎市の爆心地公園で平和祈願巡礼を実施。
22 連合広島、執行委員会を開催。8月5日に広島市内で開く連合平和ヒロシマ集会にインド・パキスタンの労働団体代表を招くことを明らかにする。
22 広島市佐伯区公民館などで、コミュニティセンターネットワーク事業「芸術の中の平和学習-ピース・セミナー8・6」開始。-30日。四国五郎(画家)・沖田孝司(ビオラ奏者)・井出三千男(写真家)・大和喜久男(映画研究家)らが講師。
22? 長崎県・南高南有馬町議会が議員提案のインド・パキスタン核実験抗議案を否決していたことが判明。
23 原爆被害者相談所、被爆者健康手帳を取得するため証人を捜している3人を公表。
23 大阪府、郭貴勲韓国原爆被害者協会元会長が健康管理手当を帰国後も支給するよう求めた問題で、支給打ち切りを通告。
23 原爆松谷裁判ネットワーク、初めての最高裁要請行動を実施。4万6330人分の署名を提出。(「被団協」)
23 広島市、インド大使が8月6日の平和式典に出席することを伝えてきたことを明らかにする。
23 長崎市、「平和宣言」の起草委員会小委員会を開催し、文案を固める。核保有国への怒りを協調し、「核の傘」にも言及。
23 東京都三鷹市、巡回平和展「原爆と人間」を市コミュニティーセンターで開催。
23 原子燃料政策研究会(向坊隆会長)、インド・パキスタンの核実験を受けたシンポジウム「どうする南西アジアと世界の秩序」を東京都内で開催。明石康広島平和研究所長が司会。
23 三重県原爆被災者の会(三友会)、県内の66市町村(全体の96%)が日本被団協制作の「原爆と人間展」写真パネルを購入し、この夏原爆写真展の開催を計画していることを明らかにする。
23 広島市女性団体連絡会議、インドとパキスタンを含む核保有7か国と日本政府に核廃絶要請はがき4万枚を送る運動を開始。広島市内で1万200枚のはがき(1500組)を配布。
23 大阪府立松原高校の生徒ら約30人、インド・パキスタンの核実験に抗議して広島の原爆ドーム前で座り込み。
23 日本生協連提唱の「98市民平和行進」、広島へ向けて長崎市の平和公園を出発。約250人が参加。
23 「長崎の原爆展示をただす市民の会」、長崎市の平和宣言について、原爆とは関係ない過去の行為に言及しないことなどを求める申入書を市に提出。
23 広島原爆資料館、小学校4-6年を対象とした「98ピース・サマースクール」を似島臨海少年自然の家などで開催。-25日。(「ひろしま市民と市政」)
23 米・仏の女子学生ら4人、広島市の平和公園で平和学習。
24 「フラワーシップ全国大会」の実行委員長ら、広島市での開催に先立ち、広島赤十字・原爆病院を慰問。
24 広島市、8月6日の平和記念式典で「平和の鐘」をつく遺族代表など式典の概要を発表。
24 (現地時間)国際的な教職員組織「教育インターナショナル」(EI)、総会を米国ワシントンDCで開催。日教組、被爆写真パネルを展示。-29日。
24 北海道被爆者協会など、「原爆と人間展」を札幌市内で開催。-27日。約1300人が参観。
24 ドイツ・ビュルツブルグ大学で「シーボルト賞」の授与式。受賞者の長瀧重信長崎大学名誉教授、「広島・長崎とチェルノブイリからの教訓」と題して講演。
24 広島市立中央図書館・広島ユネスコ協会、「原爆ドームを描く」展を、同図書館で開催。-8月9日。
24 「響祭(ひびきまつり)」、広島市の不動院金堂で開催。呉市の講釈師・緩急車雲助(本名:久保浩之)が講談「黒い弁当箱」を上演。
24 長崎平和推進協会など、「長崎平和音楽祭」を長崎市内で開催。約1000人が参加。長崎平和推進協会の愛称が「ピースウイング長崎」に決まったことが披露される。
24 南米南部共同市場(メルコスル)加盟のブラジルなど7か国と準加盟2か国、アルゼンチン南端のウシュアイアで首脳会議を開催。一帯を核兵器など大量破壊兵器のない「平和地帯」とすることを宣言。
24 パキスタンが日本政府に対し、核実験を凍結することを文書で約束していたことが判明。
24 香川県議会、インド・パキスタンの核実験に抗議し、すべての国の核実験と核兵器開発の即時中止を求める決議を採択。
24 長崎原爆資料館、運営協議会を開催。同市がインド・パキスタンの核実験についての展示を追加したことを報告。
24? 新日本婦人の会広島県本部、被爆者の手記集「木の葉のように焼かれて」第32集を発行。
24? 平岡広島市長がインド・パキスタンの核実験に対して送った両国首相宛の抗議文への返書が届く。
25 マニラで東南アジア諸国連合(ASEAN)の外相会議を開催。インド・パキスタンの核実験に遺憾の意を表明した共同声明を採択。
25 非核自治体全国草の根ネットワーク、「フォーラム・平和博物館-歴史をどう伝えるか」を東京都内で開催。
25 広島平和教育研究所、平和公園を中心に被爆建造物写生大会を開催。約50人が参加。
26 「福島地区原爆被害者慰霊祭」、広島市内で挙行。約30人が参列。
26 東友会、結成40周年・第34回東京都原爆犠牲者慰霊祭と「1998年度追悼のつどい」を品川区・東海寺で挙行。約200人が参列。(「東友」)
26 広島大学教職員組合霞支部、平和記念公園一帯で原爆遺跡・碑めぐりツアーを実施。13人が参加。
26 「ひろしまと人と樹の会」など、原爆被爆直後多くの人が逃げ込んだ広島市牛田の通称「ピカドン竹やぶ」で被爆死者のための追悼コンサートを開催。約40人が参加。
26 「ピースウエーブコンサート98」、広島国際会議場で開催。4回目。約1500人が参加。
26 石川県在住のアメリカ人劇団主宰者ウエスタハウト、スミソニアン航空宇宙博物館の依頼で原爆の子の像のモデル「サダコ」のミュージカルを作るため広島を訪れ取材。
26 日本被団協のアメリカ遊説団一行5人、成田を出発(「被団協」)。-8月12日。
26 日本原水協などによる「98国民平和大行進」、岡山県から広島県福山市入り。引き継ぎ式に約200人が参加。
26 公明党広島県本部、「第18回広島平和市民集会」を広島サンプラザで開催。浜四津敏子公明代表、核廃絶へ日本が主導権を取るべきと、挨拶の中で述べる。広島県本部が「平和提言」を発表。
26 広島県生協連合会などによる「98市民平和行進」、岡山県から広島県福山市入り。約150人が参加。
26 広島市・竹屋公民館の原爆慰霊碑語り部ボランティア講座の1期生9人、平和大通りなど20カ所をガイド。20人が参加。
26 広島市平和公園の「原爆の子の像」の碑前祭、挙行。市内10中学校でつくる実行委員会主催で10回目。小・中・高校生約400人が参加。
26 長崎地区同盟の組合員ら、長崎市平和公園の平和の泉を清掃。約50人が参加。
26? 厚生省、健康管理手当の再申請手続きの簡素化や被爆者健康手帳の更新期限(3年)の延長方針などを関係機関に伝える。
27 長崎県の独自の被爆者対策費が600万円で、4000万円の広島県と比較し極端に少ないことが判明。
27 広島市職員・消防団員・市民ボランティアなど約230人、平和公園と原爆ドームの間を流れる元安川の河川敷や河岸を清掃。8月6日の灯ろう流しのために、市美化・減量化対策室が呼びかけたもので、今年で2回目。
27 中国新聞(夕刊)連載「献水」(-8月1日、6回)
27 原水禁などによる「被爆53周年原水爆禁止・非核平和行進」、岡山県から広島県福山市に入る。
27 東南アジア諸国連合(ASEAN)と日米など計21か国・機構の外相による地域フォーラム(ARF)、フィリピン・マニラで開催。インドと・パキスタンの核実験に遺憾の意を表明する(名指しは避ける)議長声明を発表し閉幕。
27 「インド・パキスタンと平和交流をすすめる広島市民の会」、両国の平和グループに、10月に日本を訪問するよう招待状を送付。
27 広島県、ジャヤンタ・ダナパラ国連軍縮担当事務次長から藤田県知事宛に届いた「藤田知事の要望を最大限の配慮をする」などとする親書の内容を明らかにする。
27? 元米海軍将校の長男夫妻、被爆直後の広島の惨状などを精密に記録した写真のネガフィルム63カットを広島市の原爆資料館に寄贈。
27? 「広島・長崎の火」を永遠に灯す会、東京・上野公園・東照宮内の同モニュメントの下(タイムカプセル)に平和のメッセージを納める「100年後の人々への手紙運動」を呼びかける。
28 米カリフォルニア州在住の被爆二世みやち治美、広島市を訪問。
28 広島市公文書館に、同市が1950年に初めて募った「原爆体験記」の原稿全165編があることが判明。
28 広島原爆資料館、ヒロシマ原爆展を広島県・本郷町の広島空港で開催 。-8月20日。
28 「ヒロシマ・ハンドベル・リンガーズ」など、「広島平和祈念ハンドベル・コンサート」を広島市平和公園原爆慰霊碑前で開催。29日には、広島国際会議場で、30日には厳島神社でも。
28 全電通広島県本部と自治労広島県本部が、それぞれの被爆者協議会・被爆二世協議会を一本化していたことが判明。
28 長崎県議会総務委員会、核実験の即時中止と核兵器廃絶を求める決議文を、県議会本会議に提出するため、29日の議会運営委員会に申し入れることを決める。
28 米・ボルティモア市で核軍縮を考える集会。日本から4人の被爆者が参加。
28 連合長崎、インド・パキスタンの労働団体代表5人が「98連合平和ナガサキ集会」に参加すると発表。
28 地理教育研究会の広島大会、広島市内で開催。-31日。全国から約80人が参加。28日、「21世紀の平和教育を考える」をテーマにパネル討議。
29 ウクライナ非常事態省、チェルノブイリ原発事故の影響で、現在もなお、ウラル以西のヨーロッパ総面積の4分の3がセシウム137に汚染されているとの調査報告を発表。
29 広島市の旧中国憲兵隊司令部に収容中被爆死した元米兵捕虜を慰霊する銘板が同司令部跡に建てられたビル前に完成し、除幕式。広島市内在住の森重昭が建立。
29 広島県青年女性平和友好祭実行委員会の「反核平和の火リレー」(第17回)の最終走者、広島市の平和公園に到着。17回目。
29 「ながさき8・9平和展」、県立美術館で開催。-8月2日。
29 日本原水協などによる「国民平和大行進」富山ルートの行進団、広島市の平和公園に到着。一行は、6月4日に富山県朝日町を出発。
29 大庭里美「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」代表ら、匿名の脅迫文を公表。最近1か月の間に同会員10人以上の家に同様の手紙が届いていた。
29 東広島市被爆資料保存推進協議会、「平和学習バス」を実施。14回目。同市内小・中・養護学校29校の代表58人が広島市の平和公園を見学。吉川生美から被爆体験を聞く。
29 本島等前長崎市長、「原爆投下は仕方がなかった」と共同通信のインタビューで語る。
29 南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議出席のためコロンボを訪問しているバジパイ・インド、シャリフ・パキスタン両国首相、両国の核実験実施後、初めて二国間協議を行う。昨年9月から中断していた外務次官協議を再開することで合意。
29? 「非核の政府を求める広島の会」、県と県内の全市町村を対象に行った平和行政に関するアンケートの結果をまとめる。県と82市町村から回答。「8月6日を登校日にして平和学習をしている」自治体は38件(45.8%)。
30 フランス国防省、地下核実験を実施してきたフランス領ポリネシアにおける放射能による健康被害調査の報告書を公表。
30 平岡広島市長、「神田山やすらぎ園」など3つの原爆養護老人ホームと広島赤十字・原爆病院を慰問。
30 長崎市、「原爆死没者名簿」の虫干しを実施。
30 広島市、国から小渕首相の平和式典への出席についての打診を受ける。
30 広島市、8月6日の「被爆者代表から要望を聞く会」への要望をまとめる集まりを開く。被爆者7団体の代表が参加し、今年は、7団体すべてが出席する意向を表明。
30 秋田県原爆被害者団体協議会・原水爆禁止秋田市協議会など、「原爆と人間」展を秋田市内で開催。-8月2日。(「原水協通信」)
30 「原爆と人間展」、秋田市内で開催。-8月2日。1100人以上が参観。
30 美術家平和会議、第46回平和美術展を東京都美術館で開催。原爆死没者の肖像画25点を展示。-8月11日。
30 呉市出身でパリ在住の彫刻家宮内寛治、「HIROSHIMA」など2作品を広島県・廿日市市に寄贈。
30 インドの労組幹部、東広島市を出発する日本原水協などによる「国民平和大行進」に参加。
30 広島市安佐南区・倉掛公民館、平和学習会を開催。小学校低学年とその保護者など約50人が参加。
30 広島原爆資料館、「お話と音楽物語でつづる集団疎開」を開催。企画展「子どもたちの戦場」の関連イベント。
30? 旧制広島高校の同窓生、「生徒動員日誌」を刊行。
30? 広島市の内科医・碓井静照、核廃絶を訴える英文エッセー「OBSERVATIONS」と日本語版「語り継ぐ夏」を出版。
30? 兵庫県在住で長崎の被爆者・森崎勇、兵庫県・西宮親子劇場の会で被爆体験を語る。原水爆禁止西宮協議会・西宮市など主催。
31 今年6月20日に114才で日本最高齢になった滝井アサ、入園先の広島県倉橋町にある特別養護老人ホームたちばな苑で死亡。原爆手帳の申請の準備を同苑が進めていた。
31 長崎市、被爆53周年原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の実施要綱を発表。小渕首相らも参列。
31 長崎市、平和式典で読み上げる平和宣言の骨子を発表。「核の傘」からの脱却を求める。
31 「平和の灯奉賛会」の50人、広島市平和公園の「平和の池」を清掃。
31 広島市公衆衛生推進協議会、平和公園の一斉清掃を実施。約1600人が参加。
31 広島市の旧猿楽町の元住民らでつくる「矢倉会」、合同慰霊法要を県民文化センターで挙行。田辺雅章が作成したハイビジョン作品「原爆ドームと消えた街並み」が上映される。66人が参加。
31 長崎電鉄8月9日の会、電鉄原爆殉難者慰霊祭を挙行。約50人が参列。
31 「ピースラン98」、岡山県笠岡市に向けて広島市の平和公園を出発。205人のランナーが継走。
31 福岡市在住の吟詠家・岩谷桜雅、長崎の被爆者・片岡ツヨを題材とした漢詩を片岡に寄贈。
31 劇団はぐるま座、朗読劇「夏の約束」を広島市内で上演。1985年の初演以来、8月6日に上演していたが、今年始めて繰り上げ上演。
31 広島市の中村太矩次、53年前の8月6日を描いた連作の水彩画11枚を完成。近く原爆資料館に寄贈予定。
31 スリランカ・コロンボで開催されていた第10回南アジア地域協力連合(SAARC)サミット、世界的な核廃絶をめざすべきとするコロンボ宣言を採択して閉幕。
31 広島市農協の安佐南地区婦人会、市内電車2両を借り切り、小学生を対象とした被爆体験を聞く会を実施。85人が参加。
31? 広島赤十字・原爆病院にある円鍔勝三の木像「調べ」の中に原爆の爆風で入ったと思われるガラス片があることが、X線撮影で判明。

原爆報道2018

報じられたヒバクシャ

タイトル  掲載紙  掲載日
被爆体験者も公募対象 中国新聞 20180131
[概要]長崎市は平和祈念式典で「平和への誓い」を読む被爆者代表の応募資格から「被爆者手帳を持っていること」との要件をなくす。

連載

タイトル  掲載紙  掲載期間  回数 備考
 生きて 大内塗職人 小笠原貞雄さん(1926年~)  中国  1~
 [概要] [記事見出し]

 

 

書誌2018

本・パンフレット

書名・雑誌名 著者 発行所 発行年月日
呉海軍工廠の形成 千田武志 錦正社 20180210
荒勝文策と原子物理学の黎明 政池明 京都大学学術出版会 20180331
<第3編補論>久保田明子「『キツネの足跡』を追いかける―京都大学所蔵荒勝文策関連資料について」
平成29年度第1回広島大学平和科学研究センター主催国際シンポジウム「原爆体験・戦争の記憶の継承~託す平和遺産」 No.33 Editor: Institute for Peace Science, Hiroshima University  201804
 開催日時:2017年8月2日、会場: 広島大学東千田キャンパス。
沖縄からの本土爆撃 林博史  吉川弘文館  20180601
戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR. ユンク宛書簡(上巻・下巻) 若尾祐司・小倉桂子 編 名古屋大学出版会 20180710
訳者:川口悠子、西井麻里奈、 菊楽忍、横山雄一、 菊楽肇、若尾祐司、 竹本真希子
 広島市被爆70年史  あの日まで そして、あの日から 1945年8月6日  被爆70年史編修研究会編  広島市刊  20180728
生命もてここに証す 東友会60年のあゆみ 東友会 東友会 20181116
被爆者の人生を支えたもの―臨床心理士によるインタビューから― 被爆者の心の調査プロジェクト編 渓水社 20181128
プロジェクトメンバー=一丸藤太郎、大澤多美子、倉永恭子、財満義輝、中嶋みどり、森田裕司
戦後社会運動史論③軍事大国化と新自由主義の時代の社会運動 広川禎秀・山田敬男編 大月書店 20181214
執筆者:広川、山田、上野輝将、三輪泰史、大森実、石月静恵、西尾康広、櫻澤誠、森下徹

雑誌論文

著者 タイトル 雑誌名(発行者) 発行月日
大亀信行 原爆瓦<20倍の世界> ヒロシマの子育て・教育  第303号(広島教育研究所) 01
著者=広島高校生平和ゼミナール世話人
藤本純子 ヒロシマ 岩国の隣 ヒロシマの子育て・教育  第304号(広島教育研究所) 02
平野裕次 被爆した南方特別留学生と戦後の日本社会―1950年代半ばから1960年代半ばまでの時期を中心として 史学研究 第299号 0301
木本安彦 自閉症・情緒障害児学級生徒が調べた被爆樹木 ヒロシマの子育て・教育  第306号(広島教育研究所) 04
ならコープ組織部 ならコープ「ヒロシマの旅」 ヒバクシャ―ともに生きる― 第35号 0806
志村  家族3人が原爆で奪われた 戦争起こすなの願い 年金裁判 陳述書に書いた志村さん  年金者しんぶん 第344号(全日本年金者組合中央本部)  0815

 

ローマ法王平和アピール碑

ローマ法王平和アピール碑 1983年2月25日 場所:広島市(広島平和記念公園・広島平和記念館)

資料

「ライオンズを探せ!@広島県・広島 村上薫元国際会長のテーマを伝えるピープル・アット・ピースの碑」(『LION 日本語版 2015年10月号』https://www.thelion-mag.jp/emag/201510/index_h5.html)

文献

 

 

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)小史

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

建立年月日 場所 備考
19520806 平和公園(広島市中区中島町)

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

平和記念公園には、戦前、中島本町、天神町、材木町、元柳町が存在し、店舗や住宅約700軒が密集していた。この地域は、原爆爆心地からほぼ500メートル圏内に位置しており、原爆攻撃により壊滅した。戦後、広島市は、この場所を、公園(中島公園)とすることを計画した。広島市は、1949年4月20日、この公園を平和記念公園として建設することとし、設計図を全国に公募した。7月18日に募集を締め切ったが、応募作品は145点におよんだ。この中から選ばれたのは、丹下健三ら4人の共同作品であった。
この公園は、広島平和記念都市建設法の公布(1949年8月6日)にともない、その裏づけのもとに建設されることとなった。49年10月3日、東京で平和文化都市建設協議会の第1回会合が開催されたが、そこでは平和の理想を象徴する平和記念施設として、①記念公園(平和公園)、②記念館、③記念街路(平和緑道)が建設されることとなった。
①は、本川と元安川に抱かれた三角州の頂点に位置する中島公園(=平和広場、3万2、200坪)とその東側対岸の4、800坪(旧広島県産業奨励館敷地)と、その東北に接続する旧広島城跡を中心とする中央公園(=市民広場、22万坪)を総合した公園とされた(その後、中央公園部分は平和公園から外される)。③は、中島公園南端を基点として、東西に伸びる延長約4、000メートル、幅員100メートルの街路であった(後に「平和大通り(百メートル道路)」と呼ばれる)。また、②は、中島公園およびその東側対岸に設置するものとし、その内容としては、つぎのようなものが考えられていた。
(a)平和会館 2、500人収容の会議室及び事務室、原爆関係資料陳列室等。
(b)平和アーチ 張間120メートル、高60メートル、頂点に五つの鐘を吊す。
(c)慰霊堂 原爆犠牲者の遺骨並びに銘を納める。
(d)原爆遺跡 原爆により破壊された旧産業奨励館の建物を補強し保存する。
(大島六七男「復興の足どり」)
1951年2月21日、東京で第4回広島平和記念都市建設専門委員会が開催された。この席上、浜井広島市長は、「今夏で7回忌を迎える原爆都市の慰霊塔関係の設立を急ぎたい」との意向を述べた。しかし、建設省は、広島市の納骨堂を含む「慰霊塔」案は、墓地であり、公園法の建前から認められないと、難色を示した。そこで広島市は、遺骨の代わりに名簿を奉納することとし、8月6日までの式典に間に合うように碑を建立することを決定した(「中国新聞」51年2月22日)。しかし、碑は、51年の8月6日には間に合わず、52年3月末着工した。
碑の設計者は、丹下健三であった。コンクリート素打の工法で埴輪をデフォルメした設計で、当初案の巨大な「平和アーチ」は、正面から見た底辺4.7メートル、高さ3.67メートル、横から見た上辺8.29メートル、下辺5.26メートルのはにわ型に縮小・変更された。原爆死没者名簿を奉納するため、碑の中央に黒い御影石製の矩形の箱が配置された。そして、この箱の正面には、雑賀忠義が作成した碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(雑賀の英訳:Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil.)が、刻み込まれた。この碑は、建立当時から「原爆慰霊碑(原爆死没者慰霊碑)」と呼ばれたが、碑の正式名称は、「広島平和都市記念碑」である。工費は、300万円であった。
広島市は、1984年1月、碑改築の方針を発表した。その理由として、コンクリートの石灰分が表面に吹き出して中の鉄筋の腐食が進み、碑にひびが入ることが明らかになったこと、原爆死没者名簿が32冊入っているが、あと数冊の余裕しか残っていないことの二つがあげられた。改築工事は、同年7月23日から始められ、翌85年3月26日、新慰霊碑(旧慰霊碑と同型で材質はコンクリートからみかげ石に変更)の除幕式が行なわれた。

 

第25回国連軍縮会議in広島(2015年)

賢人グループ会合に引き続き、8月26日(水)から28日(金)にかけて「第25回国連軍縮会議in広島」が開催され、23か国・5国際機関から83人が会議に参加しました。
国連軍縮会議は、アジア・太平洋地域において軍縮問題に対する意識を高め、軍縮・安全保障に関する対話を行うことを目的として、国連が平成元年(1989年)から開催しており、広島市では19年ぶり4回目の開催となりました。
今回の会議では、広島市からの提案により、被爆の実相を伝えるプログラムや、賢人グループ会合のメンバーが参加するオープニングハイレベルセッション、国内外の若者が平和について発表し合う世界学生平和会議が会議プログラムに組み込まれました。出典:「平和文化」NO.190

 

平和と学問を守る大学人の会

平和と学問を守る大学人の会
会の結成
1953(昭和28)年2月21日,広島県内の大学に教職を持つ有志約50人は,平和と学問を守る大学人の会(略称・大学人会)を結成した。結成の背景について同会会報創刊号(1953年6月1日)は次のように述べている。
昨年の破防法問題の時には,広島の大学人は結局これを見送ったのであったが,見送りながらも刻々民主々義の基盤が侵蝕され,平和が危機に曝されて行く事実を見逃すことはでぎなかったのである。さらに昨年末から本年にかけて問題となった科学技術庁案は,侵略の魔手が直接研究の現場にまで迫ってきていることを気づかせたのである。そして,このことはかって支那事変から太平洋戦争の時代にかけて,軍事科学の偏重のために人文・社会の研究は勿論,自然科学といえども,基礎的研究は経済的に圧迫されて事実上閉塞し,さらに軍国主義思想が学問の自由を破壊したという,まだ去って間もない過去の苦しい経験を,まざまざと思い起させたのである。この反省が,今度こそはわれわれ自身の手によって学問の自由を確保し,平和を擁護しなければならないという自覚を促し,その自覚がわれわれを,今,ここに結集させているのである。春秋の筆法を以てすれば,破防法に始まる悪法が--さらに遡ってサンフランシスコ条約以来の反平和的情勢が,われわれ広島の大学人会を結成させたものである。
大学人会の目的は,「平和を擁護し良心と学問自由を守ること」(規約第2条)とし,事業として,1.共同研究会の開催,2.公開講演会・公開討論会・座談会等の開催,3.本会と目的を同じくする諸団体との連絡提携などが定められた(規約第3条)。発足以後,3月末には会員数は90入に達し,5月末現在では100人を超した。
大学人会の発足当初の活動は,地味なものであったが,この会は,のちの広島の社会運動,とりわけ原水爆禁止運動・安保闘争の中で重要な役割を果すこととなる。
大学人の会の研究活動
平和と学問を守る大学人の会は,同会研究論集として『原爆と広島』(1954年12月10日),『広島の農村』(1955年7月20日)を発行し,高い評価を受けていたが,これらは同会の共同研究の成果というよりも,個人的労作を編集したものであった。1956(昭和31)年には会の共同研究を推進することを決め,石井金一郎を中心に検討がなされた。その結果,次のような計画がまとめられ,6月12日の常任委員会で承認された。
1.広島の平和運動の過去と現状及び将来の展望(世話役=今中次麿・石井)-運動実践家を囲んで運動の実態を聞く会と,研究参加会員によるその運動の評価の研究会とを交互にもって,研究をすすめる。平和運動としては原水爆禁止運動・平和憲法擁護運動・平和文学の運動等々を含めた広い運動を対象とする。
2.原子力問題(伊藤満・庄野博允)=肩のこらない軽い気持で参加できる研究会にする。原子力をめぐる各方両の問題を一つづつとりあげて懇談を行うことから出発する。自然科学部門の人と社会科学部門の人との共同研究の場にしたい。
3.日本における学問の自由=欧州の学問の自由の歴史・日本の学問の自由の歴史・大学自治の問題,現在われわれが直面している問題等々を問題としたい。
(「広島大学人会会報」NO.16)
このほか,平和文学(または国民文学)の問題を取りあげることも検討されたが,結局見送ることになった。
平和運動の研究班は,8月17日に大原亨(広島県労議長)・松江澄(平和擁護委)・棗田金治(広大自治会)から労組・学生団体の平和運動について,同月20日に円辺耕一郎・藤居平一(広島県原水協)・山口勇子(広島子供を守る会)・松江澄から原水爆禁止運動について,また,23日には米田栄作・望月久・島陽二(詩人)・佐々木豊・志木寥波(歌人)・小林健三・土谷厳郎(平和問題談話会)・桑原英昭(人類愛善会)・河本一郎(FOR友和会)・金井利博(中国新聞社記者)から宗教・文化関係の話を聞く会を開いた。この3回の懇談会の記録は,同年12月に石井金一郎により『広島の平和運動(平和運動研究班(中間報告)」としてまとめられた。同書は,「広島の平和運動研究資料一」と銘打たれていたが,1957(昭和32)年中に「同二」として『原爆被害者の歩み』(庄野博允執筆)が、また「同三」として『原爆被害者救援の動き』(佐久間澄執筆)がそれぞれ発行された。
なお,原子力の班は,討議の資料として原子力に関する自然科学・社会科学各方面にわたる国内文献目録の作成と原子力問題についての歴史年表の作成を計画,前者については,1957(昭和32)年3月に「原子力問題研究資料1原子力関係文献目録』(佐久間澄編)として発行している。

世界のヒバクシャ(概要)

世界のヒバクシャ

 

国・地域 アメリカ、 イギリス、 旧ソ連、 フランス、 中国、 インド、 パキスタン、  日本

世界の被曝地域一覧

マスコミ マスコミのキャンペーン
被害者組織 全米原爆復員兵協会(1979年8月)、 全米放射線被害者協会(1984年10月12日)

原水爆禁止世界大会の参加者に見る世界の ヒバクシャ団体

救援・連帯 市民団体による調査・救援活動
世界大会へ参加した海外のヒバクシャ、 ミクロネシア・マーシャル諸島の米核実験被曝者の参加状況
世界のヒバクシャの連帯
調査・研究 放射線影響研究所、広島大学、長崎大学、原爆後障害研究会
国際協力 笹川財団放射線被曝者医療国際協力推進協議会 、長崎・ヒバクシャ医療国際協力会
文献 世界のヒバクシャ全般
地図 世界の被曝地域、
年表 1969~76年、1977~79年、1980~82年、1983~85年、1986~87年、1988年、1989年、1990年、1991年、1992年、1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998

 

原子爆弾後障害研究会(第1回)

原子爆弾後障害研究会(第1回)
1959年6月13日-14日 於広島市平和記念館
挨拶
広島市長 浜井 信三
主催者を代表致しまして一言御挨拶申上げます。
本日茲に広島県・市並に広島原爆障害対策協議会共催のもとに原子爆弾後障害研究会を開催致しましたところ,御多忙中にも拘らず厚生省尾村局長,塩田先生をはじめ医学界の各先生方並に来賓各位多数の御臨席を頂きましたことは誠に感謝に堪えないところでございます。一昨年四月,原爆医療法制定以来多数の被害者の方々が健康診断及び治療等の恩典に浴し,原爆障害の将来に明かるい見透しを持つことが出来るようになりましたことは誠に喜びに堪えないところでございますが,被爆後十年を経ました今日尚原爆後障害に悩んで居る人々が多いのでありまして,原爆の惨禍は今尚存して居るのでございまして,現在原爆障害対策に就きまして二つの問題があると考えるのでございます。その一つは原爆障害者の生活援護の問題でありましてその点につきましては今後皆様方の御理解と御援助によりまして何とか解決の道を見出すべく努力を続けて参りたいと存じます。今一つの問題は原爆障害についての医療的研究と治療の問題でございます。その意味に於きまして被爆者は勿論,行政の衝に当ります県・市といたしましても本研究会に期待するところ極めて大であると思うのでございます。幸い,関 係者の皆様方の絶大な御支援と御協力とによりまして,本日此の研究会を開催する運びに到りましたことは誠に喜びにたえません。私達関係者は此の研究会が今後の原爆障害者の医療に新生面を拓き,今尚この障害に悩んで居る人々に明かるい希望を与えるきっかかけとなりますように念願致してやみません。最後に,本研究会開催に当りまして厚生省をはじめ各方面から寄せられました特別の御好意に対して厚く感謝致しますと共に今後一層の御指導,御鞭撻を腸りますよう重ねてお願い致しまして御挨拶と致します。
挨拶
厚生省公衆衛生局長 尾村 偉久
本日は県・市・原対協三者の主催で我々厚生省はじめ長崎関係等後援申上げまして,本研究会が会の大きさこそささやかでございますが,非常に斯界でも質的に貴重な意義のある研究会が本日発足致しまして非常におめでたいことでございます。心より主催者に対しまして敬意を表する次第でございます。14年前に多数の原爆による死没の犠牲者を出し,更に二十数万,約三十万に及ぶ負傷原爆被爆者の生存者が居られるわけで,その蔭には10年以上,公の点では国の政策に於ても必ずしもうまく行っておらず,地元のそれぞれの団体の御協力によりまして細々とこれらの救済が続けられておったのでございます。非常な熱誠ある御努力によりまして,32年から原爆医療法が施行されまして,国費を以ての或る程度の医療の道が開かれて更に原爆医療に対する審議会が設けられまして,斯界の権威者を網羅してこの医療を全うするための御協議や審議が続けられて軌道にのせるべく進んでいるのでありますが,しかし何といたしましても之等の被爆生存者の方々に対する国なり国民の願いは最もよい,適切な治療を速かに施して早くなおして頂き,立派な一般の社会人として100%の生活を続けて頂き たいというところにあるのであります。ただ何といたしましてもこの病気が或はこの負傷が世界でも初めてのことでございまして,それ以前にすでに我が国はもとより世界各国で確立された治療法なり医学的のまとまった意見というものが必しもなかった。むしろ過去十四年間にそれぞれ地元の関係の方々或いは市全体のこれに関係をもたれた方々が経験によりましてつみ重ねられて来られたことが現在においてもそれが一つの治療に対する最も高ろ意見であろうと,かように思われるのであります。むしろまだ治っておらない,これらの多数の被爆者の方々の適切な医療をやるには過去の個々に積まれた意見をこのさいにお互に示し合ってその綜合の中からまた新たな点をみいだす。或いは今後もお互いに研究しながら生じて行く方向につきまして相互に認識し合って速かな進歩を来すということはこれからは国内の被爆者にとって一番必要なことであると同時に,これが将来の原子力の平和利用に基きましての色んな障害が予想されるのでありますが,それらに対しましてもこのような会に於けるまとまった意見というものは斯界にも非常に貢献することは疑いないと信ずるわけであります。さような意味で, お集まりの方々は恐らく2~300人の関係の学者の方々であろうと思うのでありますが,此の学会の結果如何によっては学会それ自身を権威し,或いは協議会というようなところが,大いにお世話をされてそれぞれの学者の発表を充分うまく利用されて非常な力をいたされておる。さらにもう一つは一番被害をうけられた市の土地,地元のしかも爆心地に近い地でこの研究会が行われるということは恐らくやはりこの会場の下でも相当の犠牲者の方々がここで死なれておられる。かようなことも非常な特徴でございまして,更に全国にわたりまして家族を含めて数十万以上の直接のこの治療がどうなるかということについて関心をもたれている方々が,この二日間の小さい乍らも学会を非常に注目しておられる,とこう信ずるのであります。これは従来の一般の学会とは非常な性質も違い,その大きさは小さくとも質的に非常な重要性をもち又,今後もますます発展すべき含みをもっている学会であろうしさような意味で本日,スムースに発会出来ましたことを大いにお祝い申上げると同時に我々と致しましても国が今後原爆被災者に対する医療行政をやるのに,この発会の成果は直ちに,利用出来,利用という と具合が悪いですが,反映して適切な行政に裏付をするということがあとに続いているのであります。さような意味でも厚生省といたしましても,大いにこれは関心をもつと同時に御協力申上げなければいかんわけであります。さような意味でお祝いを申上げると同時にみなさま方の熱心なノーリツ的な御検討を心からお願い致します。よい成果を被害者のためにお出し下さるようにお願い致しましてお祝いの言葉と致します。
挨拶
原爆後障害研究会名誉会長 塩田 広重
(略)
祝辞
広島医学会々頭 田坂 三友
(略)
経過報告
準備委員会副委員長・原対協副会長 松坂 義正
ここに本日及ぴ明日にわたり、原子爆弾後障害研究会の開催に至りました経過の概要を御報告申上げます。
御承知の如く,我が広島市におきましては,昭和28年1月県・市当局,医科大学,在広官公立病院,県・市医師会,及び本市各層有識者によって,広島原爆障害対策協議会を設立し,爾来原爆症に関する治療研究,及び障害者に対する治療の国費支弁獲得に努力致して参りました。ついで原爆症研究に対する公的の会日,昭和28年11月,国立予防衛生研究所に原爆症調査研究協議会を,広島・長崎に於ける関係者及び中央の諸家により構成設置され,29年5月,第五福龍丸ビキニ問題発生により同年10月,前の協議会を発展的に解消されて厚生省に原爆被害対策調査研究連絡協議会の第5部会として,広島・長崎部会となり,其の間数回現地でシンポジウム又は学術報告などを開催され,昨年広島県医師会特別委員会に於てもシンポジウムを開催いたされていたのであります。
一方被爆地としての県・市当局,原対協は,障害者医療費等の国費支弁につきしばしば政府や国会に陳情しておりましたところ,政府は昭和32年3月原爆医療法として国会に提案し,その可決により同年4月より被爆者の健康管理及び治療は,国の施策により行なわれることに相なり,爾来医療法の施行2年余に及びましたが障害者がその恩恵に浴するところ少なしとしないのであります。
他面,被爆者の健康管理の向上,治療法の究明j,援護などの諸問題,等々の研究は一日も怠り得ざる重要なる基礎であり,これらについて諸家の研究にまつ所尠からずと信ずるものがあります。被爆地広島・長崎においてもその研究の学会を開催して解明に努力してはおりましたが,かつて原爆医療法を推進して頂いた参議院議員在任中山下義信氏が、厚生省当局に対しこの研究治療等は学会のゆるがせにすぺからざる事を以てその開催の緊要なることを強く献言いたされ,厚生省当局に於かれても,かねての宿願でもあったので,原爆医療審議会に其の議を諮問し,その賛同を得られ,且つ諸般の協力を約束されよって広島県・市に其の開催を要望されたのであります。
茲に県・市は多額の予算を計上し原対協と共に本会開催の運びとなり地元に於ては本年3月関係者が一丸となり準備委員会を組織して諸般の用意をいたし,本日より開催することと相成った次第であります。
本会開催にあたりまして諸先生方が遠路のところ多数御参加,御講演いただくことは準備委員会として光栄とするところであります。以上,概要を御報告申上げます。
尚準備委員会に於きましては,本研究会の会長を,広島大学医学部長渡辺漸教授をお願いしているところであります。皆様の拍手を以て御賛成を願います。
更に今回の研究会に厚生省原爆医療審議会々長塩田先生を名誉会長に御堆載致したいと存じます。満場の拍手を以て御賛成を願います。
挨拶
原爆後障害研究会長 渡辺 漸
本研究会の開会に当りまして一言御あいさつ申上げたいと思います。こういうふうな原爆の被爆による障害についての研究会は従来も開会されたことがないわけではございません,例えば日本血液学会或いは広島医学会などにおいてそれぞれ相当の時間をさいてこのことを論じたことはございますけれども,二日間にわたってそのことのみに専心して研究のデータを発表する,そして永くつづけて原爆被爆者の福祉に貢献しよう,というようなことはなかったのであります。その意味において唯原爆に起因するところの障害者そういうことの医学的の調査研究,それだけを目的とする学会としての意義は非常に深いのであります。大体原爆の投下にみられる医学的の調査研究のデータを発表致しまして,且、それについて,討議を交わして被爆者の福祉によき貢献をなすということが,この研究会の目的であることは申すまでもございません。しかしながら私は医療を必要とするという程度に至るまでにはっきりと臨床的の症候をそなえてきた,そういう医学的の障害或いは医学的の障害を蒙った人,それのみが我々の調査研究の対象ではないことを特に強調いたしたいのであります。即ち,被爆者の病理のみ ならず,その健康管理についても我々は重要に努力しなければならないのでございます。かくして被爆者の健康管理は完全に行われるのでございまして,被爆者の健康の擁護ということが最も大切な命題であって,ひいてはこのことが後障害の発現の防止にも寄与するものと信じております。被爆者にすでに発現している後障害の治療をすることが大体,医療法制定の主旨でございますが,単に治療のみでなく健康の保持乃至は発病の阻止という点までずっと一貫した措置がとられなければならないのでございまして,こういうような,はなればなれにその措置がとられるということでは,不充分でございます。従ってそのためには原爆被爆者に見られるいかなる自覚的障害も,又生理的にさえみえるその因習に対する反応の態度も一々刻明に記載され、且つ提示される必要があるのでございます。今日我々の知識では原爆被爆者にみられる障害のあるものを,被爆と関連のないもの或いは少ないものとして見逃しておるかも知れませんが,我々はこうしたことをはっきり記憶しておく必要があると思います。そしてその集積されたものの解析と総合によってはじめてかかる障害が如何なる理由で原爆の放射能との 因果関係があるかをはっきりと認識して行けるのであります。どうかここにお集まりの皆様方も,そうした態度でこの問題にとりくんでいただき,原爆被爆者の健康が之以上に障害されないように適切な対策が樹立されることを望んでやみません。そして本研究会が被爆者自身の幸福のために医学的に役立つことを第一に且最も重要な目標としてテーマを掲げられんことを切に望むものであります。終りに遠路はるばるおいで下さいました講師の方々,多忙な時間を割いて参加下さいました参会者の各位に,厚く御礼を申上げ本研究会の今日の成立までに尽力された方,準備委員の方々に深い敬意を表する次第でございます。プログラムの時間が非常にぎっしりつまっておりますので,どうか講演なさる方々だけでなく,更に御参加の方々も御意見をお聞かせねがうことも非常に重要な問題でございますので,そういう討論の時間を犯さないように尊重してやって下さるように演者の方々にも御願い致すとともに,皆様方の隔意ない御討議,御意見をおきかせ下さるようお願いする次第でございます。
閉会の辞
原爆後障害研究会長 渡辺 漸
一言閉会に当って御あいさつ申上げたいと思います。只今,主催者である県知事或いは広島市長も居られませんので,私から代りまして御あいさつ申上げたいと存じます。昨日及び本日の二日間に皆様方に色々と御話をねがいましたが,此の学会の成果と致しましては,やはりこの二日間に皆様方が原爆の後遺障害というものの全ぼうを略把握された,そういうことが最も有益なる収穫であったのではないかと考えます。但し只今も或いは二日間のその間にも皆様方,色々と御話しになったのでありますが,原爆被爆者においては,やはり,一見何でもないようにみえておっても,その予備力というものは非常に低下しておるのでその取扱いには慎重な注意を要するということが,最も大切なことでありまして,殊に今日治療の方面に於きましても,ここにシンポジウムに参加された方々が,ていねいに色々な治療法についてお示しになりましたけれども私はこういう治療法の施行に当っては,やはり薄氷をふむ思いでやって頂きたいということを痛感するものでございます。あまり治療にねっしんの余りに,そういう治療法を乱用されるということは被爆者にとってはむしろ有害でこそあれ決して益のないこ とでありまして,どうかそういう治療に当っては,いやが上にも慎重になすって頂きたいということを私も臨床医家ではございませんけれども特に,ここに御参集の指定医の皆々様,並びに他の方々におねがい致しておく次第でございます。この会は非常に予期以上の成果を挙げ得ましたが,これはわざわざ遠路参加して頂きました講師の方々,又昨日今日に此の会に参加するためにおいで頂きました,一般の参加者の方々の御協力によるもので,深く感謝する次第でございます。こういう成果はやはりこのままにしておいてはいけないので,これを記録に致しまして,出来るだけ早い機会に皆様のお手元に届くように,又,必要に応じましてはそういうものを実費頒布か何かの形式で頒布いたしまして,少なくとも今日いらっしゃる方々の御目にとまるように,又利用出来るような形にいたしたい所存でございます。それから,この学会は,やはり中々そういうデータが集まるのが難しいとは申しますものの,やはりたえず我々勉強して行かなければならないのでございまして,ひきつづき来年も,こういう研究会を催したいのでございますが,それは御迷惑でございましょうけども広島と肩を並ベ,或いはうれ いを共にしているところの長崎において開催していただくように我々はおねがい致したく存ずる次第でございまして,又ほかの方々の御意見でも,そうしたらいいだろう,ということでございますし,長崎の方々には,これには多分の負担を感じられるかしれませんけれども,どうかそういう負担を原爆被爆者に免じてお担い下さいますよう,重ねて私から御願い申上げる次第でございます。これを以て閉会の御あいさつとさせて頂きます。

広島原爆戦災誌(全5巻)

広島市(編・刊)
1971年8月6日~12月8日

 

書名コード 書名
71080601 第1巻-第1編 総説
71090601 第2巻-第2編 各説・第1章広島市内各地区の被爆状況
71100601 第3巻-第2編 各説・第2章広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況
71110601 第4巻-第2編 各説
第3章広島市内各学校の被爆状況、
第4章広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況、
第5章関連市町村の状況.
71120801 第5巻-資料編

 

1- 第1編 総説
1-0 序章 広島市の概要
1-1-1 第一章 第二次世界大戦下の広島市
1-1-2- 第二章 原子爆弾の惨禍
1-1-2-1 第一節 投下・炸裂
1-1-2-2 第二節 威力と障害
1-1-2-3 第三節 人的・物的被害
1-1-3- 第三章 救護活動
1-1-3-1 第一節 救護状況概要
1-1-3-2 第二節 広島陸軍船舶部隊の活動
1-1-3-2-1 第一項 陸軍船舶司令部隷下の諸部隊
1-1-3-2-2 第二項 陸軍船舶司令部
1-1-3-2-3 第三項 陸軍船舶練習部
1-1-3-2-3-1 1.陸軍船舶練習部本部、
1-1-3-2-3-2 2.陸軍船舶練習部第十教育隊
1-1-3-2-4 第四項 教育船舶兵団司令部
1-1-3-2-5 第五項 陸軍船舶砲兵団司令部
1-1-3-2-5-1 1.陸軍船舶砲兵団衛生教育隊、
1-1-3-2-5-2 2.陸軍船舶砲兵団第一聯隊第一中隊
1-1-3-2-6 第六項 暁第一六○九部隊芙蓉隊明石隊
1-1-3-3 第三節 陸軍軍需輸送統制部の活動
1-1-3-4 第四節 呉海軍鎮守府の活動
1-1-3-4-1 第一項 呉海軍鎮守府
1-1-3-4-2 第二項 賀茂海軍衛生学校
1-1-3-5 第五節 広島陸軍病院の活動
1-1-3-5-1 第一項 陸軍病院の概要
1-1-3-5-2 第二項 広島第一陸軍病院
1-1-3-5-3 第三項 広島第二陸軍病院
1-1-3-5-4 第四項 大野陸軍病院
1-1-3-6 第六節 歩兵第三二一聯隊の活動
1-1-3-7 第七節 市内各病院の活動
1-1-3-7-1 第一項 広島赤十字病院
1-1-3-7-2 第二項 広島逓信病院
1-1-3-7-3 第三項 三菱重工業株式会社構内病院・構内診療所
1-1-3-7-4 第四項 広島陸軍共済病院
1-1-3-7-5 第五項 県立広島病院
1-1-3-8 第八節 県下医療救護班の活動
1-1-3-9 第九節 県地方事務所職員・警察官・警防団の活動
1-1-3-10 第十節 県外その他からの救援
1-1-4 第四章 被爆直後の広島
1-1-4-1 第一節 焼野原の生活
1-1-4-2 第二節 復旧への努力
1-z 主要付図・一覧表
1-z-01 一、広島新開地干拓図
1-z-02 二、広島市大避難実施要領
1-z-03 三、広島市内陸軍諸部隊の概要
1-z-04-1 在広主要部隊配置図
1-z-04-2 広島市軍用通信網
1-z-04-3 在広部隊一覧表
1-z-04 四、残留放射能による障害調査概要
1-z-05 五、原子爆弾による人的被害数(推定)表
1-z-06 六、重要建物被災状況表
1-z-07 七、県内医療救護班応援状況表
1-z-08 八、県下警防団出動状況表
1-z-09 九、県外医療救護班応援状況表
1-z-10 一○、被爆後の人口復帰状況
1-z-11 一一、被爆後の建物復興状況
2- 第2編 各説
2-1- 第1章広島市内各地区の被爆状況
2-1-01 第一節 序説
2-1-02 第二節 国泰寺地区
2-1-03 第三節 中島地区
2-1-04 第四節 本川地区
2-1-05 第五節 基町地区
2-1-06 第六節 白島・二葉の里地区
2-1-07 第七節 牛田地区
2-1-08 第八節 戸坂地区
2-1-09 第九節 幟町地区
2-1-10 第一〇節 荒神地区
2-1-11 第一一節 大洲地区
2-1-12 第一二節 尾長地区
2-1-13 第一三節 矢賀地区
2-1-14 第一四節 中山地区
2-1-15 第一五節 段原地区
2-1-16 第一六節 比治山地区
2-1-17 第一七節 皆実地区
2-1-18 第一八節 仁保地区
2-1-19 第一九節 大河地区
2-1-20 第二〇節 青崎地区
2-1-21 第二一節 宇品地区
2-1-22 第二二節 似島地区
2-1-23 第二三節 竹屋地区
2-1-24 第二四節 千田地区
2-1-25 第二五節 吉島地区
2-1-26 第二六節 神崎地区
2-1-27 第二七節 舟入地区
2-1-28 第二八節 江波地区
2-1-29 第二九節 広瀬地区
2-1-30 第三○節 天満・中広地区
2-1-31 第三一節 観音地区
2-1-32 第三二節 福島・南三篠地区
2-1-33 第三三節 三篠地区
2-1-34 第三四節 己斐地区
2-1-35 第三五節 草津・庚午地区
2-1-36 第三六節 古田地区
2-1-37 第三七節 井口地区
2-1-z 主要一覧表・記録
2-1-z-1 一、広島市内主要橋梁の被害状況表
2-1-z-2 二、広島市常会議員河口祉三メモ帖
2-1-z-3 三、元広県産業奨励館(原爆ドーム)の概要
2-1-z-4 四、広島市本川聯合町内会日誌
2-2 第2章広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況
2-2-1 第一節 序説
2-2-2 第二節 官公庁
2-2-2-1 第一項 中国地方総監府
2-2-2-2 第二項 広島県庁
2-2-2-3 第三項 広島県警察部
2-2-2-3- 広島県警察部(広島県防空本部)/東警察署・西警察署・宇品警察署・及び東・西両消防署
2-2-2-4 第四項 広島市役所
2-2-2-5 第五項 広島鉄道局
2-2-2-6 第六項 広島通信局関係各機関
2-2-2-7 第七項 広島管区気象台
2-2-2-8 第八項 広島地方専売局
2-2-2-9 第九項 広島財務局及び広島税務署
2-2-2-10 第一○項 広島控訴院
2-2-2-11 第一一項 広島控訴院検事局
2-2-2-12 第一二項 広島地方裁判所・広島区裁判所
2-2-2-13 第一三項 広島地方裁判所検事局及び広島区裁判所検事局
2-2-2-14 第一四項 広島刑務所
2-2-3 第三節 銀行・会社・その他団体
2-2-3- (銀行)
2-2-3-01 第一項 日本銀行広島支店
2-2-3-02 第二項 株式会社芸備銀行
2-2-3-03 第三項 株式会社 日本勧業銀行広島支店
2-2-3-04 第四項 株式会社日本貯蓄銀行広島支店
2-2-3-05 第五項 株式会社帝国銀行広島支店
2-2-3-06 第六項 株式会社安田銀行広島支店
2-2-3-07 第七項 株式会社三菱銀行広島支店
2-2-3-08 第八項 株式会社住友銀行広島支店
2-2-3-09 第九項 株式会社三和銀行広島支店
2-2-3- (会社・その他団体)
2-2-3-10 第一○項 広島中央放送局
2-2-3-11 第一一項 合名会社中国新聞社
2-2-3-12 第一二項 広島県食糧営団
2-2-3-13 第一三項 広島電鉄株式会社
2-2-3-14 第一四項 広島瓦斯株式会社
2-2-3-15 第一五項 中国配電株式会社
2-2-3-16 第一六項 株式会社福屋百貨店
2-2-3-17 第一七項 三菱重工業株式会社広島機械製作所及ぴ広島造船所 手記 (二重被爆の記録) ヒロシマ・ナガサキ 山口彊―死と灰の町―
2-2-3-18 第一八項 東洋工業株式会社
2-2-3-19 第一九項 株式会社日本製鋼所広島製作所
2-2-3-20 第二○項 中国塗料株式会社
2-2-3-21 第二一項 藤野綿業株式会社
2-2-3-22 第二二項 株式会社熊平製作所
2-d 主要一覧表・記録
2-d-1 一、広島市役所関係各施設被害状況表
2-d-2 二、八月六日の気象状況(広島地方気象台記録)
2-3 第3章広島市内各学校の被爆状況
2-3-1 第一節 序説
2-3-1-d-1 広島市学童疎開実施表
2-3-1-d-2 集団疎開児童の記―竹屋国民学校の場合
2-3-1-d-3 広島市内各学校の建物疎開作業出動状況
2-3-1-d-4 広島市内各学校被災状況表(動員学徒を含む)
2-3-2 第二節 各国民学校
2-3-2-1 第一項 広島市本川国民学校
2-3-2-2 第二項 同袋町国民学校
2-3-2-3 第三項 同幟町国民学校
2-3-2-4 第四項 同中島国民学校
2-3-2-5 第五項 同大手町国民学校
2-3-2-6 第六項 同広瀬国民学校
2-3-2-7 第七項 同神崎国民学校
2-3-2-8 第八項 同天満国民学校
2-3-2-9 第九項 同観音国民学校
2-3-2-10 第一○項 同竹屋国民学校
2-3-2-11 第一一項 同白島国民学校
2-3-2-12 第一二項 同千田国民学校
2-3-2-13 第一三項 同段原国民学校
2-3-2-14 第一四項 同三篠国民学校
2-3-2-15 第一五項 同舟入国民学校
2-3-2-16 第一六項 同皆実国民学校
2-3-2-17 第一七項 同荒神町国民学校
2-3-2-18 第一八項 同大芝国民学校
2-3-2-19 第一九項 同牛田国民学校
2-3-2-20 第二○項 同尾長国民学校
2-3-2-21 第二一項 同比治山国民学校
2-3-2-22 第二二項 同己斐国民学校
2-3-2-23 第二三項 同大河国民学校
2-3-2-24 第二四項 同矢賀国民学校
2-3-2-25 第二五項 同江波国民学校
2-3-2-26 第二六項 同宇品国民学校
2-3-2-27 第二七項 同古田国民学校
2-3-2-28 第二八項 同仁保国民学校
2-3-2-29 第二九項 同楠那国民学校
2-3-2-30 第三○項 同草津国民学校
2-3-2-31 第三一項同青崎国民学校
2-3-2-32 第三二項 同似島国民学校
2-3-2-33 第三三項 広島市立第一国民学校
2-3-2-34 第三四項 同第二国民学校
2-3-2-35 第三五項 同第三国民学校
2-3-2-36 第三六項 県立広島師範学校男子部附属国民学校
2-3-2-37 第三七項 広島陸軍偕行社附属済美国民学校
2-3-2-38 第三八項 光道国民学校(註・広島高等師範学校附属国民学校は、大学の項に併記する。)
2-3-3 第三節 各中等学校
2-3-3-01 第一項 広島県立広島第一中学校
2-3-3-02 第二項 同広島第二中学校
2-3-3-03 第三項 県立広島師範学校
2-3-3-04 第四項 広島県立広島工業学校
2-3-3-05 第五項 広島県立広島商業学校
2-3-3-06 第六項 広島県立広島第一高等女学校
2-3-3-07 第七項 広島県立広島第二高等女学校
2-3-3-08 第八項 広島県聾学校
2-3-3-09 第九項 広島県盲学校
2-3-3-10 第一○項 広島市立中学校
2-3-3-11 第一一項 広島市立第一工業学校
2-3-3-12 第一二項 広島市立第二工業学校
2-3-3-13 第一三項 広島市立造船工業学校
2-3-3-14 第一四項 広島市立第二商業学校
2-3-3-15 第一五項 広島市立第一高等女学校
2-3-3-16 第一六項 広島市立第二高等女学校
2-3-3-17 第一七項 修道中学校・修道第二中学校・修道学校
2-3-3-18 第一八項 山陽中学校・山陽商業学校・山陽工業学校・山陽中学校附設広島中学校
2-3-3-19 第一九項 崇徳中学校
2-3-3-20 第二○項 広陵中学校
2-3-3-21 第二一項 松本工業学校
2-3-3-22 第二二項 安田高等女学校
2-3-3-23 第三三項 進徳高等女学校
2-3-3-24 第二四項 広島女学院高等女学校
2-3-3-25 第二五項 比治山高等女学校
2-3-3-26 第二六項 広島女子商業学校
2-3-3-27 第二七項 安芸高等女学校
2-3-3-28 第二八項 西高等女学校
2-3-4 第四節 専門学校・高等学校・大学
2-3-4-1 第一項 広島女学院専門学校
2-3-4-2 第二項 広島女子専門学校
2-3-4-3 第三項 広島工業専門学校
2-3-4-4 第四項 広島医学専門学校
2-3-4-5 第五項 広島女子高等師範学校・附属山中高等女学校
2-3-4-6 第六項 広島高等学校
2-3-4-7 第七項 広島文理科大学・広島高等師範学校・附属中学校・附属国民学校
2-4 第4章広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況
2-4-1 第一節 序説
2-4-2 第二節 神社(広島護国神社ほか一五社)
2-4-2-1 ①広島護国神社
2-4-2-2 ②白神社
2-4-2-3 ③天満宮(現在・天満神社)
2-4-2-4 ④空鞘神社
2-4-2-5 ⑤広瀬神社
2-4-2-6 ⑥胡子神社
2-4-2-7 ⑦住吉神社
2-4-2-8 ⑧三篠神社
2-4-2-9 ⑨比治山神社
2-4-2-10 ⑩饒津神社
2-4-2-11 ⑪鶴羽根神社
2-4-2-12 ⑫碇神社
2-4-2-13 ⑬東照宮
2-4-2-14 ⑭早稲田神社
2-4-2-15 ⑮旭山神社
2-4-2-16 ⑯神田神社
2-4-3- 第三節 寺院(慈仙寺ほか一五寺)
2-4-3-17 ⑰慈仙寺
2-4-3-18 ⑱浄宝寺
2-4-3-19 ⑲浄圓寺
2-4-3-20 ⑳妙法寺
2-4-3-21 (21)誓願寺
2-4-3-22 (22)国泰寺
2-4-3-23 (23)本覚寺
2-4-3-24 (24)円隆寺
2-4-3-25 (25)本願寺派広島別院
2-4-3-26 (26)多聞院
2-4-3-27 (27)唯信寺
2-4-3-28 (28)瑞川寺
2-4-3-29 (29)三瀧寺
2-4-3-30 (30)法雲寺
2-4-3-31 (31)不動院
2-4-3-32 (32)千暁寺
2-4-4 第四節 教会(日本基督教団広島流川教会ほか二教会)
2-4-4-33 (33)日本基督教団広島流川教会
2-4-4-34 (34)幟町天主公教会(現在・世界平和記念聖堂)
2-4-4-35 (35)日本基督教団広島教会
2-5 第5章関連市町村の状況
2-5-1 第一節 序説
2-5-2 第二節 各市町村
2-5-2-1 第一項 呉市
2-5-2-2 第二項 大竹市
2-5-2-3 第三項 三次市
2-5-2-4 第四項 庄原市
2-5-2-5 第五項 因島市
2-5-2-6 第六項 佐伯郡五日市町
2-5-2-7 第七項 同廿日市町
2-5-2-8 第八項 同沖美町
2-5-2-9 第九項 同宮島町
2-5-2-10 第一○項 同大野町
2-5-2-11 第一一項 同湯来町
2-5-2-12 第一二項 同能美町
2-5-2-13 第一三項 同大柿町
2-5-2-14 第一四項 安佐郡祇園町
2-5-2-15 第一五項 同安古市町
2-5-2-16 第一六項 同佐東町
2-5-2-17 第一七項 同安佐町
2-5-2-18 第一八項 同沼田町
2-5-2-19 第一九項 同可部町
2-5-2-20 第二○項 同高陽町
2-5-2-21 第二一項 安芸郡府中町
2-5-2-22 第二二項 同船越町
2-5-2-23 第二三項 同安芸町
2-5-2-24 第二四項 同海田町
2-5-2-25 第二五項 同坂町
2-5-2-26 第二六項 同瀬野川町
2-5-2-27 第二七項 同矢野町
2-5-2-28 第二八項 同熊野町
2-5-2-29 第二九項 同熊野跡村
2-5-2-30 第三○項 同江田島町
2-5-2-31 第三一項 同音戸町
2-5-2-32 第三二項 同倉橋町
2-5-2-33 第三三項 高田郡白木町
2-5-2-34 第三四項 同向原町
2-5-2-35 第三五項 同吉田町
2-5-2-36 第三六項 同甲田町
2-5-2-37 第三七項 賀茂郡志和町
2-5-2-38 第三八項 同黒瀬町
2-5-2-39 第三九項 同八本松町
2-5-2-40 第四○項 同西条町
2-5-2-41 第四一項 山県郡戸河内
2-5-2-42 第四二項 同加計町
2-5-2-43 第四三項 甲奴郡上下町
2-5-2-d 主要付図・一覧表
2-5-3-d-01 一、広島市学童疎開実施表
2-5-3-d-02 二、集団疎開児童の記
2-5-3-d-03 三、広島市内各学校の建物疎開作業出動状況
2-5-3-d-04 四、広島市内各学校被災状況表(動員学徒を含む)
2-5-3-d-05 五、建物疎開作業に出動した地域国民義勇隊の被爆状況表
2-5-3-d-06 六、避難者郡町村州内訳表
2-5-3-d-07 資料提供者氏名表/参考図書一覧表
d- 資料編
d-01 1.(イ)広島市永年防空計画、
(ロ)昭和十六年度広島市防空計画
d-02 2.広島県下に於ける空襲被害状況表
広島県警察部新畑十力警部補(当時)により作成されたもので、昭和十九年二月二日午前十時十五分ごろ、B29一機が御調郡原田村山林中に、焼夷弾一二発を投下したのを最初とし、昭和二十年八月十四日午後八時四十分ごろ、B12一機が、呉市中心に飛来し、宣伝ビラ約二万枚を撒布したことまでを、その被害程度と共に記述した一覧表である。昭和二十二年頃広島県警察部発行
d-03 3.防空日誌(矢賀警防分団)
d-04 4.炎のなかに
当時、動員学徒として、第二総軍双び中国軍管区司令部に出動していて被爆した生存者の「原爆で逝った級友の二十五回忌によせて」作られた体験記集で、猛火迫る司令部の地下壕指揮連絡室から、広島全滅の第一報を九州の第十六方面軍(福岡)など、三か所に、電話報告したことなど、貴重な証言が多く、また炸裂下、軍の中枢機関の惨状を如実に伝えている。一九六九年八月六日旧比治山高女第五期生の会発行
d-05 5.被爆者救援活動の手記集(暁部隊)
被爆直後の暁部隊の活動記録で、本誌刊行にあたり提供された当時の将兵三九人の体騒記集である。
d-06 6.(県政)雑記帖被爆直後、豊田郡地方事務所長から広島県人事課長(食糧対策委員)に就任し、県の被爆救援対策・復旧対策などにあたった竹内喜三郎の事務覚書で、八月七日から九月二十一日まで、大混乱時における食糧対策を中心とした県行政の克明な記録である。
d-07 7.比治山国民学校迷子収容所・五日市戦災児育成所
当時、収容所の教師として活躍した斗桝訓導の手記
d-08 8.広島原子爆弾被害調査報告(気象関係)
広島管区気象台の発行
d-09 9.原子爆弾に依る電気工作物の被害調査
d-10 10.8・10広島陸軍兵器補給部ニ於テ新型爆弾ニ関スル研究会(大野茂[海軍技術中佐])
d-11 11.軍関係災害調査報告文書集
d-12 12.原子爆弾傷研究綴(広島第一陸軍病院)
d-13 13.被爆広島の写真記録者たち(川西恒夫)
編集後記

11.軍関係災害調査報告文書集

年月日 資料名 編著者
450806 中野探照灯台広島爆撃目撃状況 呉海軍警備隊
450810 八月六日広島空襲被害状況並ニ対策(第二報)[呉鎮機密第142-10-33(8月10日送付)] 呉鎮守府衛生部
450814 八月六日広島市空襲戦訓(第三報)[呉鎮機密第142-10-33-2(8月14日送付)] 呉鎮守府衛生部
450814? 八月六日広島市空襲戦訓(第四報)[呉鎮機密第142-10-33-3] 呉鎮守府衛生部
450810? 陸、海軍合同特殊爆弾研究会決定事項(要項抜粋)[呉鎮機密第142-10-34] 呉鎮守府衛生部
450810 八月六日広島空襲ニ対スル研究会議事概要 呉工廠
450813 八・六広島市被害状況 中国軍管区司令部
4509 広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)[(付録被害地写真帖)] 呉鎮守府
450902 衛生速報第二号 中国軍管区軍医部
450912 衛生速報第三号 中国軍管区軍医部
450912 衛生速報第四号 中国軍管区軍医部
450912 衛生速報第五号 中国軍管区軍医部
450912 衛生速報第六号 中国軍管区軍医部
451022 衛生速報第九号[原子爆弾症ニ関スル研究] 中国軍管区軍医部

12.原子爆弾傷研究綴(広島第一陸軍病院)

八月六日広島市戦災ニ関スル経験並所感 都野大尉、増田少尉、石井少尉
原子爆弾症報告 江波分院 藤田少尉
原子爆弾症報告 江波分院 柳少尉
原子爆弾傷ニ就テ 広島第一陸軍病院櫛ケ浜分院

13.被爆広島の写真記録者たち(川西恒夫)

加納竜一、菊池俊吉、林重男、木村権一、尾糠政美、川原四儀、山田精三、松重美人、宮武甫、松本栄一、岸田貢宣、松重三男、川本俊雄、林寿麿、岸本吉太、深田敏夫、空博行、北勲、黒石勝、斉藤誠二、佐々木雄一郎、