原子爆弾後障害研究会(第1回)
1959年6月13日-14日 於広島市平和記念館
挨拶
広島市長 浜井 信三
主催者を代表致しまして一言御挨拶申上げます。
本日茲に広島県・市並に広島原爆障害対策協議会共催のもとに原子爆弾後障害研究会を開催致しましたところ,御多忙中にも拘らず厚生省尾村局長,塩田先生をはじめ医学界の各先生方並に来賓各位多数の御臨席を頂きましたことは誠に感謝に堪えないところでございます。一昨年四月,原爆医療法制定以来多数の被害者の方々が健康診断及び治療等の恩典に浴し,原爆障害の将来に明かるい見透しを持つことが出来るようになりましたことは誠に喜びに堪えないところでございますが,被爆後十年を経ました今日尚原爆後障害に悩んで居る人々が多いのでありまして,原爆の惨禍は今尚存して居るのでございまして,現在原爆障害対策に就きまして二つの問題があると考えるのでございます。その一つは原爆障害者の生活援護の問題でありましてその点につきましては今後皆様方の御理解と御援助によりまして何とか解決の道を見出すべく努力を続けて参りたいと存じます。今一つの問題は原爆障害についての医療的研究と治療の問題でございます。その意味に於きまして被爆者は勿論,行政の衝に当ります県・市といたしましても本研究会に期待するところ極めて大であると思うのでございます。幸い,関 係者の皆様方の絶大な御支援と御協力とによりまして,本日此の研究会を開催する運びに到りましたことは誠に喜びにたえません。私達関係者は此の研究会が今後の原爆障害者の医療に新生面を拓き,今尚この障害に悩んで居る人々に明かるい希望を与えるきっかかけとなりますように念願致してやみません。最後に,本研究会開催に当りまして厚生省をはじめ各方面から寄せられました特別の御好意に対して厚く感謝致しますと共に今後一層の御指導,御鞭撻を腸りますよう重ねてお願い致しまして御挨拶と致します。
挨拶
厚生省公衆衛生局長 尾村 偉久
本日は県・市・原対協三者の主催で我々厚生省はじめ長崎関係等後援申上げまして,本研究会が会の大きさこそささやかでございますが,非常に斯界でも質的に貴重な意義のある研究会が本日発足致しまして非常におめでたいことでございます。心より主催者に対しまして敬意を表する次第でございます。14年前に多数の原爆による死没の犠牲者を出し,更に二十数万,約三十万に及ぶ負傷原爆被爆者の生存者が居られるわけで,その蔭には10年以上,公の点では国の政策に於ても必ずしもうまく行っておらず,地元のそれぞれの団体の御協力によりまして細々とこれらの救済が続けられておったのでございます。非常な熱誠ある御努力によりまして,32年から原爆医療法が施行されまして,国費を以ての或る程度の医療の道が開かれて更に原爆医療に対する審議会が設けられまして,斯界の権威者を網羅してこの医療を全うするための御協議や審議が続けられて軌道にのせるべく進んでいるのでありますが,しかし何といたしましても之等の被爆生存者の方々に対する国なり国民の願いは最もよい,適切な治療を速かに施して早くなおして頂き,立派な一般の社会人として100%の生活を続けて頂き たいというところにあるのであります。ただ何といたしましてもこの病気が或はこの負傷が世界でも初めてのことでございまして,それ以前にすでに我が国はもとより世界各国で確立された治療法なり医学的のまとまった意見というものが必しもなかった。むしろ過去十四年間にそれぞれ地元の関係の方々或いは市全体のこれに関係をもたれた方々が経験によりましてつみ重ねられて来られたことが現在においてもそれが一つの治療に対する最も高ろ意見であろうと,かように思われるのであります。むしろまだ治っておらない,これらの多数の被爆者の方々の適切な医療をやるには過去の個々に積まれた意見をこのさいにお互に示し合ってその綜合の中からまた新たな点をみいだす。或いは今後もお互いに研究しながら生じて行く方向につきまして相互に認識し合って速かな進歩を来すということはこれからは国内の被爆者にとって一番必要なことであると同時に,これが将来の原子力の平和利用に基きましての色んな障害が予想されるのでありますが,それらに対しましてもこのような会に於けるまとまった意見というものは斯界にも非常に貢献することは疑いないと信ずるわけであります。さような意味で, お集まりの方々は恐らく2~300人の関係の学者の方々であろうと思うのでありますが,此の学会の結果如何によっては学会それ自身を権威し,或いは協議会というようなところが,大いにお世話をされてそれぞれの学者の発表を充分うまく利用されて非常な力をいたされておる。さらにもう一つは一番被害をうけられた市の土地,地元のしかも爆心地に近い地でこの研究会が行われるということは恐らくやはりこの会場の下でも相当の犠牲者の方々がここで死なれておられる。かようなことも非常な特徴でございまして,更に全国にわたりまして家族を含めて数十万以上の直接のこの治療がどうなるかということについて関心をもたれている方々が,この二日間の小さい乍らも学会を非常に注目しておられる,とこう信ずるのであります。これは従来の一般の学会とは非常な性質も違い,その大きさは小さくとも質的に非常な重要性をもち又,今後もますます発展すべき含みをもっている学会であろうしさような意味で本日,スムースに発会出来ましたことを大いにお祝い申上げると同時に我々と致しましても国が今後原爆被災者に対する医療行政をやるのに,この発会の成果は直ちに,利用出来,利用という と具合が悪いですが,反映して適切な行政に裏付をするということがあとに続いているのであります。さような意味でも厚生省といたしましても,大いにこれは関心をもつと同時に御協力申上げなければいかんわけであります。さような意味でお祝いを申上げると同時にみなさま方の熱心なノーリツ的な御検討を心からお願い致します。よい成果を被害者のためにお出し下さるようにお願い致しましてお祝いの言葉と致します。
挨拶
原爆後障害研究会名誉会長 塩田 広重
(略)
祝辞
広島医学会々頭 田坂 三友
(略)
経過報告
準備委員会副委員長・原対協副会長 松坂 義正
ここに本日及ぴ明日にわたり、原子爆弾後障害研究会の開催に至りました経過の概要を御報告申上げます。
御承知の如く,我が広島市におきましては,昭和28年1月県・市当局,医科大学,在広官公立病院,県・市医師会,及び本市各層有識者によって,広島原爆障害対策協議会を設立し,爾来原爆症に関する治療研究,及び障害者に対する治療の国費支弁獲得に努力致して参りました。ついで原爆症研究に対する公的の会日,昭和28年11月,国立予防衛生研究所に原爆症調査研究協議会を,広島・長崎に於ける関係者及び中央の諸家により構成設置され,29年5月,第五福龍丸ビキニ問題発生により同年10月,前の協議会を発展的に解消されて厚生省に原爆被害対策調査研究連絡協議会の第5部会として,広島・長崎部会となり,其の間数回現地でシンポジウム又は学術報告などを開催され,昨年広島県医師会特別委員会に於てもシンポジウムを開催いたされていたのであります。
一方被爆地としての県・市当局,原対協は,障害者医療費等の国費支弁につきしばしば政府や国会に陳情しておりましたところ,政府は昭和32年3月原爆医療法として国会に提案し,その可決により同年4月より被爆者の健康管理及び治療は,国の施策により行なわれることに相なり,爾来医療法の施行2年余に及びましたが障害者がその恩恵に浴するところ少なしとしないのであります。
他面,被爆者の健康管理の向上,治療法の究明j,援護などの諸問題,等々の研究は一日も怠り得ざる重要なる基礎であり,これらについて諸家の研究にまつ所尠からずと信ずるものがあります。被爆地広島・長崎においてもその研究の学会を開催して解明に努力してはおりましたが,かつて原爆医療法を推進して頂いた参議院議員在任中山下義信氏が、厚生省当局に対しこの研究治療等は学会のゆるがせにすぺからざる事を以てその開催の緊要なることを強く献言いたされ,厚生省当局に於かれても,かねての宿願でもあったので,原爆医療審議会に其の議を諮問し,その賛同を得られ,且つ諸般の協力を約束されよって広島県・市に其の開催を要望されたのであります。
茲に県・市は多額の予算を計上し原対協と共に本会開催の運びとなり地元に於ては本年3月関係者が一丸となり準備委員会を組織して諸般の用意をいたし,本日より開催することと相成った次第であります。
本会開催にあたりまして諸先生方が遠路のところ多数御参加,御講演いただくことは準備委員会として光栄とするところであります。以上,概要を御報告申上げます。
尚準備委員会に於きましては,本研究会の会長を,広島大学医学部長渡辺漸教授をお願いしているところであります。皆様の拍手を以て御賛成を願います。
更に今回の研究会に厚生省原爆医療審議会々長塩田先生を名誉会長に御堆載致したいと存じます。満場の拍手を以て御賛成を願います。
挨拶
原爆後障害研究会長 渡辺 漸
本研究会の開会に当りまして一言御あいさつ申上げたいと思います。こういうふうな原爆の被爆による障害についての研究会は従来も開会されたことがないわけではございません,例えば日本血液学会或いは広島医学会などにおいてそれぞれ相当の時間をさいてこのことを論じたことはございますけれども,二日間にわたってそのことのみに専心して研究のデータを発表する,そして永くつづけて原爆被爆者の福祉に貢献しよう,というようなことはなかったのであります。その意味において唯原爆に起因するところの障害者そういうことの医学的の調査研究,それだけを目的とする学会としての意義は非常に深いのであります。大体原爆の投下にみられる医学的の調査研究のデータを発表致しまして,且、それについて,討議を交わして被爆者の福祉によき貢献をなすということが,この研究会の目的であることは申すまでもございません。しかしながら私は医療を必要とするという程度に至るまでにはっきりと臨床的の症候をそなえてきた,そういう医学的の障害或いは医学的の障害を蒙った人,それのみが我々の調査研究の対象ではないことを特に強調いたしたいのであります。即ち,被爆者の病理のみ ならず,その健康管理についても我々は重要に努力しなければならないのでございます。かくして被爆者の健康管理は完全に行われるのでございまして,被爆者の健康の擁護ということが最も大切な命題であって,ひいてはこのことが後障害の発現の防止にも寄与するものと信じております。被爆者にすでに発現している後障害の治療をすることが大体,医療法制定の主旨でございますが,単に治療のみでなく健康の保持乃至は発病の阻止という点までずっと一貫した措置がとられなければならないのでございまして,こういうような,はなればなれにその措置がとられるということでは,不充分でございます。従ってそのためには原爆被爆者に見られるいかなる自覚的障害も,又生理的にさえみえるその因習に対する反応の態度も一々刻明に記載され、且つ提示される必要があるのでございます。今日我々の知識では原爆被爆者にみられる障害のあるものを,被爆と関連のないもの或いは少ないものとして見逃しておるかも知れませんが,我々はこうしたことをはっきり記憶しておく必要があると思います。そしてその集積されたものの解析と総合によってはじめてかかる障害が如何なる理由で原爆の放射能との 因果関係があるかをはっきりと認識して行けるのであります。どうかここにお集まりの皆様方も,そうした態度でこの問題にとりくんでいただき,原爆被爆者の健康が之以上に障害されないように適切な対策が樹立されることを望んでやみません。そして本研究会が被爆者自身の幸福のために医学的に役立つことを第一に且最も重要な目標としてテーマを掲げられんことを切に望むものであります。終りに遠路はるばるおいで下さいました講師の方々,多忙な時間を割いて参加下さいました参会者の各位に,厚く御礼を申上げ本研究会の今日の成立までに尽力された方,準備委員の方々に深い敬意を表する次第でございます。プログラムの時間が非常にぎっしりつまっておりますので,どうか講演なさる方々だけでなく,更に御参加の方々も御意見をお聞かせねがうことも非常に重要な問題でございますので,そういう討論の時間を犯さないように尊重してやって下さるように演者の方々にも御願い致すとともに,皆様方の隔意ない御討議,御意見をおきかせ下さるようお願いする次第でございます。
閉会の辞
原爆後障害研究会長 渡辺 漸
一言閉会に当って御あいさつ申上げたいと思います。只今,主催者である県知事或いは広島市長も居られませんので,私から代りまして御あいさつ申上げたいと存じます。昨日及び本日の二日間に皆様方に色々と御話をねがいましたが,此の学会の成果と致しましては,やはりこの二日間に皆様方が原爆の後遺障害というものの全ぼうを略把握された,そういうことが最も有益なる収穫であったのではないかと考えます。但し只今も或いは二日間のその間にも皆様方,色々と御話しになったのでありますが,原爆被爆者においては,やはり,一見何でもないようにみえておっても,その予備力というものは非常に低下しておるのでその取扱いには慎重な注意を要するということが,最も大切なことでありまして,殊に今日治療の方面に於きましても,ここにシンポジウムに参加された方々が,ていねいに色々な治療法についてお示しになりましたけれども私はこういう治療法の施行に当っては,やはり薄氷をふむ思いでやって頂きたいということを痛感するものでございます。あまり治療にねっしんの余りに,そういう治療法を乱用されるということは被爆者にとってはむしろ有害でこそあれ決して益のないこ とでありまして,どうかそういう治療に当っては,いやが上にも慎重になすって頂きたいということを私も臨床医家ではございませんけれども特に,ここに御参集の指定医の皆々様,並びに他の方々におねがい致しておく次第でございます。この会は非常に予期以上の成果を挙げ得ましたが,これはわざわざ遠路参加して頂きました講師の方々,又昨日今日に此の会に参加するためにおいで頂きました,一般の参加者の方々の御協力によるもので,深く感謝する次第でございます。こういう成果はやはりこのままにしておいてはいけないので,これを記録に致しまして,出来るだけ早い機会に皆様のお手元に届くように,又,必要に応じましてはそういうものを実費頒布か何かの形式で頒布いたしまして,少なくとも今日いらっしゃる方々の御目にとまるように,又利用出来るような形にいたしたい所存でございます。それから,この学会は,やはり中々そういうデータが集まるのが難しいとは申しますものの,やはりたえず我々勉強して行かなければならないのでございまして,ひきつづき来年も,こういう研究会を催したいのでございますが,それは御迷惑でございましょうけども広島と肩を並ベ,或いはうれ いを共にしているところの長崎において開催していただくように我々はおねがい致したく存ずる次第でございまして,又ほかの方々の御意見でも,そうしたらいいだろう,ということでございますし,長崎の方々には,これには多分の負担を感じられるかしれませんけれども,どうかそういう負担を原爆被爆者に免じてお担い下さいますよう,重ねて私から御願い申上げる次第でございます。これを以て閉会の御あいさつとさせて頂きます。
「04 できごと」カテゴリーアーカイブ
広島原爆戦災誌(全5巻)
広島市(編・刊)
1971年8月6日~12月8日
書名コード | 書名 |
71080601 | 第1巻-第1編 総説 |
71090601 | 第2巻-第2編 各説・第1章広島市内各地区の被爆状況 |
71100601 | 第3巻-第2編 各説・第2章広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況 |
71110601 | 第4巻-第2編 各説 第3章広島市内各学校の被爆状況、 第4章広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況、 第5章関連市町村の状況. |
71120801 | 第5巻-資料編 |
1- | 第1編 総説 |
1-0 | 序章 広島市の概要 |
1-1-1 | 第一章 第二次世界大戦下の広島市 |
1-1-2- | 第二章 原子爆弾の惨禍 |
1-1-2-1 | 第一節 投下・炸裂 |
1-1-2-2 | 第二節 威力と障害 |
1-1-2-3 | 第三節 人的・物的被害 |
1-1-3- | 第三章 救護活動 |
1-1-3-1 | 第一節 救護状況概要 |
1-1-3-2 | 第二節 広島陸軍船舶部隊の活動 |
1-1-3-2-1 | 第一項 陸軍船舶司令部隷下の諸部隊 |
1-1-3-2-2 | 第二項 陸軍船舶司令部 |
1-1-3-2-3 | 第三項 陸軍船舶練習部 |
1-1-3-2-3-1 | 1.陸軍船舶練習部本部、 |
1-1-3-2-3-2 | 2.陸軍船舶練習部第十教育隊 |
1-1-3-2-4 | 第四項 教育船舶兵団司令部 |
1-1-3-2-5 | 第五項 陸軍船舶砲兵団司令部 |
1-1-3-2-5-1 | 1.陸軍船舶砲兵団衛生教育隊、 |
1-1-3-2-5-2 | 2.陸軍船舶砲兵団第一聯隊第一中隊 |
1-1-3-2-6 | 第六項 暁第一六○九部隊芙蓉隊明石隊 |
1-1-3-3 | 第三節 陸軍軍需輸送統制部の活動 |
1-1-3-4 | 第四節 呉海軍鎮守府の活動 |
1-1-3-4-1 | 第一項 呉海軍鎮守府 |
1-1-3-4-2 | 第二項 賀茂海軍衛生学校 |
1-1-3-5 | 第五節 広島陸軍病院の活動 |
1-1-3-5-1 | 第一項 陸軍病院の概要 |
1-1-3-5-2 | 第二項 広島第一陸軍病院 |
1-1-3-5-3 | 第三項 広島第二陸軍病院 |
1-1-3-5-4 | 第四項 大野陸軍病院 |
1-1-3-6 | 第六節 歩兵第三二一聯隊の活動 |
1-1-3-7 | 第七節 市内各病院の活動 |
1-1-3-7-1 | 第一項 広島赤十字病院 |
1-1-3-7-2 | 第二項 広島逓信病院 |
1-1-3-7-3 | 第三項 三菱重工業株式会社構内病院・構内診療所 |
1-1-3-7-4 | 第四項 広島陸軍共済病院 |
1-1-3-7-5 | 第五項 県立広島病院 |
1-1-3-8 | 第八節 県下医療救護班の活動 |
1-1-3-9 | 第九節 県地方事務所職員・警察官・警防団の活動 |
1-1-3-10 | 第十節 県外その他からの救援 |
1-1-4 | 第四章 被爆直後の広島 |
1-1-4-1 | 第一節 焼野原の生活 |
1-1-4-2 | 第二節 復旧への努力 |
1-z | 主要付図・一覧表 |
1-z-01 | 一、広島新開地干拓図 |
1-z-02 | 二、広島市大避難実施要領 |
1-z-03 | 三、広島市内陸軍諸部隊の概要 |
1-z-04-1 | 在広主要部隊配置図 |
1-z-04-2 | 広島市軍用通信網 |
1-z-04-3 | 在広部隊一覧表 |
1-z-04 | 四、残留放射能による障害調査概要 |
1-z-05 | 五、原子爆弾による人的被害数(推定)表 |
1-z-06 | 六、重要建物被災状況表 |
1-z-07 | 七、県内医療救護班応援状況表 |
1-z-08 | 八、県下警防団出動状況表 |
1-z-09 | 九、県外医療救護班応援状況表 |
1-z-10 | 一○、被爆後の人口復帰状況 |
1-z-11 | 一一、被爆後の建物復興状況 |
2- | 第2編 各説 |
2-1- | 第1章広島市内各地区の被爆状況 |
2-1-01 | 第一節 序説 |
2-1-02 | 第二節 国泰寺地区 |
2-1-03 | 第三節 中島地区 |
2-1-04 | 第四節 本川地区 |
2-1-05 | 第五節 基町地区 |
2-1-06 | 第六節 白島・二葉の里地区 |
2-1-07 | 第七節 牛田地区 |
2-1-08 | 第八節 戸坂地区 |
2-1-09 | 第九節 幟町地区 |
2-1-10 | 第一〇節 荒神地区 |
2-1-11 | 第一一節 大洲地区 |
2-1-12 | 第一二節 尾長地区 |
2-1-13 | 第一三節 矢賀地区 |
2-1-14 | 第一四節 中山地区 |
2-1-15 | 第一五節 段原地区 |
2-1-16 | 第一六節 比治山地区 |
2-1-17 | 第一七節 皆実地区 |
2-1-18 | 第一八節 仁保地区 |
2-1-19 | 第一九節 大河地区 |
2-1-20 | 第二〇節 青崎地区 |
2-1-21 | 第二一節 宇品地区 |
2-1-22 | 第二二節 似島地区 |
2-1-23 | 第二三節 竹屋地区 |
2-1-24 | 第二四節 千田地区 |
2-1-25 | 第二五節 吉島地区 |
2-1-26 | 第二六節 神崎地区 |
2-1-27 | 第二七節 舟入地区 |
2-1-28 | 第二八節 江波地区 |
2-1-29 | 第二九節 広瀬地区 |
2-1-30 | 第三○節 天満・中広地区 |
2-1-31 | 第三一節 観音地区 |
2-1-32 | 第三二節 福島・南三篠地区 |
2-1-33 | 第三三節 三篠地区 |
2-1-34 | 第三四節 己斐地区 |
2-1-35 | 第三五節 草津・庚午地区 |
2-1-36 | 第三六節 古田地区 |
2-1-37 | 第三七節 井口地区 |
2-1-z | 主要一覧表・記録 |
2-1-z-1 | 一、広島市内主要橋梁の被害状況表 |
2-1-z-2 | 二、広島市常会議員河口祉三メモ帖 |
2-1-z-3 | 三、元広県産業奨励館(原爆ドーム)の概要 |
2-1-z-4 | 四、広島市本川聯合町内会日誌 |
2-2 | 第2章広島市内主要官公庁・事業所の被爆状況 |
2-2-1 | 第一節 序説 |
2-2-2 | 第二節 官公庁 |
2-2-2-1 | 第一項 中国地方総監府 |
2-2-2-2 | 第二項 広島県庁 |
2-2-2-3 | 第三項 広島県警察部 |
2-2-2-3- | 広島県警察部(広島県防空本部)/東警察署・西警察署・宇品警察署・及び東・西両消防署 |
2-2-2-4 | 第四項 広島市役所 |
2-2-2-5 | 第五項 広島鉄道局 |
2-2-2-6 | 第六項 広島通信局関係各機関 |
2-2-2-7 | 第七項 広島管区気象台 |
2-2-2-8 | 第八項 広島地方専売局 |
2-2-2-9 | 第九項 広島財務局及び広島税務署 |
2-2-2-10 | 第一○項 広島控訴院 |
2-2-2-11 | 第一一項 広島控訴院検事局 |
2-2-2-12 | 第一二項 広島地方裁判所・広島区裁判所 |
2-2-2-13 | 第一三項 広島地方裁判所検事局及び広島区裁判所検事局 |
2-2-2-14 | 第一四項 広島刑務所 |
2-2-3 | 第三節 銀行・会社・その他団体 |
2-2-3- | (銀行) |
2-2-3-01 | 第一項 日本銀行広島支店 |
2-2-3-02 | 第二項 株式会社芸備銀行 |
2-2-3-03 | 第三項 株式会社 日本勧業銀行広島支店 |
2-2-3-04 | 第四項 株式会社日本貯蓄銀行広島支店 |
2-2-3-05 | 第五項 株式会社帝国銀行広島支店 |
2-2-3-06 | 第六項 株式会社安田銀行広島支店 |
2-2-3-07 | 第七項 株式会社三菱銀行広島支店 |
2-2-3-08 | 第八項 株式会社住友銀行広島支店 |
2-2-3-09 | 第九項 株式会社三和銀行広島支店 |
2-2-3- | (会社・その他団体) |
2-2-3-10 | 第一○項 広島中央放送局 |
2-2-3-11 | 第一一項 合名会社中国新聞社 |
2-2-3-12 | 第一二項 広島県食糧営団 |
2-2-3-13 | 第一三項 広島電鉄株式会社 |
2-2-3-14 | 第一四項 広島瓦斯株式会社 |
2-2-3-15 | 第一五項 中国配電株式会社 |
2-2-3-16 | 第一六項 株式会社福屋百貨店 |
2-2-3-17 | 第一七項 三菱重工業株式会社広島機械製作所及ぴ広島造船所 手記 (二重被爆の記録) ヒロシマ・ナガサキ 山口彊―死と灰の町― |
2-2-3-18 | 第一八項 東洋工業株式会社 |
2-2-3-19 | 第一九項 株式会社日本製鋼所広島製作所 |
2-2-3-20 | 第二○項 中国塗料株式会社 |
2-2-3-21 | 第二一項 藤野綿業株式会社 |
2-2-3-22 | 第二二項 株式会社熊平製作所 |
2-d | 主要一覧表・記録 |
2-d-1 | 一、広島市役所関係各施設被害状況表 |
2-d-2 | 二、八月六日の気象状況(広島地方気象台記録) |
2-3 | 第3章広島市内各学校の被爆状況 |
2-3-1 | 第一節 序説 |
2-3-1-d-1 | 広島市学童疎開実施表 |
2-3-1-d-2 | 集団疎開児童の記―竹屋国民学校の場合 |
2-3-1-d-3 | 広島市内各学校の建物疎開作業出動状況 |
2-3-1-d-4 | 広島市内各学校被災状況表(動員学徒を含む) |
2-3-2 | 第二節 各国民学校 |
2-3-2-1 | 第一項 広島市本川国民学校 |
2-3-2-2 | 第二項 同袋町国民学校 |
2-3-2-3 | 第三項 同幟町国民学校 |
2-3-2-4 | 第四項 同中島国民学校 |
2-3-2-5 | 第五項 同大手町国民学校 |
2-3-2-6 | 第六項 同広瀬国民学校 |
2-3-2-7 | 第七項 同神崎国民学校 |
2-3-2-8 | 第八項 同天満国民学校 |
2-3-2-9 | 第九項 同観音国民学校 |
2-3-2-10 | 第一○項 同竹屋国民学校 |
2-3-2-11 | 第一一項 同白島国民学校 |
2-3-2-12 | 第一二項 同千田国民学校 |
2-3-2-13 | 第一三項 同段原国民学校 |
2-3-2-14 | 第一四項 同三篠国民学校 |
2-3-2-15 | 第一五項 同舟入国民学校 |
2-3-2-16 | 第一六項 同皆実国民学校 |
2-3-2-17 | 第一七項 同荒神町国民学校 |
2-3-2-18 | 第一八項 同大芝国民学校 |
2-3-2-19 | 第一九項 同牛田国民学校 |
2-3-2-20 | 第二○項 同尾長国民学校 |
2-3-2-21 | 第二一項 同比治山国民学校 |
2-3-2-22 | 第二二項 同己斐国民学校 |
2-3-2-23 | 第二三項 同大河国民学校 |
2-3-2-24 | 第二四項 同矢賀国民学校 |
2-3-2-25 | 第二五項 同江波国民学校 |
2-3-2-26 | 第二六項 同宇品国民学校 |
2-3-2-27 | 第二七項 同古田国民学校 |
2-3-2-28 | 第二八項 同仁保国民学校 |
2-3-2-29 | 第二九項 同楠那国民学校 |
2-3-2-30 | 第三○項 同草津国民学校 |
2-3-2-31 | 第三一項同青崎国民学校 |
2-3-2-32 | 第三二項 同似島国民学校 |
2-3-2-33 | 第三三項 広島市立第一国民学校 |
2-3-2-34 | 第三四項 同第二国民学校 |
2-3-2-35 | 第三五項 同第三国民学校 |
2-3-2-36 | 第三六項 県立広島師範学校男子部附属国民学校 |
2-3-2-37 | 第三七項 広島陸軍偕行社附属済美国民学校 |
2-3-2-38 | 第三八項 光道国民学校(註・広島高等師範学校附属国民学校は、大学の項に併記する。) |
2-3-3 | 第三節 各中等学校 |
2-3-3-01 | 第一項 広島県立広島第一中学校 |
2-3-3-02 | 第二項 同広島第二中学校 |
2-3-3-03 | 第三項 県立広島師範学校 |
2-3-3-04 | 第四項 広島県立広島工業学校 |
2-3-3-05 | 第五項 広島県立広島商業学校 |
2-3-3-06 | 第六項 広島県立広島第一高等女学校 |
2-3-3-07 | 第七項 広島県立広島第二高等女学校 |
2-3-3-08 | 第八項 広島県聾学校 |
2-3-3-09 | 第九項 広島県盲学校 |
2-3-3-10 | 第一○項 広島市立中学校 |
2-3-3-11 | 第一一項 広島市立第一工業学校 |
2-3-3-12 | 第一二項 広島市立第二工業学校 |
2-3-3-13 | 第一三項 広島市立造船工業学校 |
2-3-3-14 | 第一四項 広島市立第二商業学校 |
2-3-3-15 | 第一五項 広島市立第一高等女学校 |
2-3-3-16 | 第一六項 広島市立第二高等女学校 |
2-3-3-17 | 第一七項 修道中学校・修道第二中学校・修道学校 |
2-3-3-18 | 第一八項 山陽中学校・山陽商業学校・山陽工業学校・山陽中学校附設広島中学校 |
2-3-3-19 | 第一九項 崇徳中学校 |
2-3-3-20 | 第二○項 広陵中学校 |
2-3-3-21 | 第二一項 松本工業学校 |
2-3-3-22 | 第二二項 安田高等女学校 |
2-3-3-23 | 第三三項 進徳高等女学校 |
2-3-3-24 | 第二四項 広島女学院高等女学校 |
2-3-3-25 | 第二五項 比治山高等女学校 |
2-3-3-26 | 第二六項 広島女子商業学校 |
2-3-3-27 | 第二七項 安芸高等女学校 |
2-3-3-28 | 第二八項 西高等女学校 |
2-3-4 | 第四節 専門学校・高等学校・大学 |
2-3-4-1 | 第一項 広島女学院専門学校 |
2-3-4-2 | 第二項 広島女子専門学校 |
2-3-4-3 | 第三項 広島工業専門学校 |
2-3-4-4 | 第四項 広島医学専門学校 |
2-3-4-5 | 第五項 広島女子高等師範学校・附属山中高等女学校 |
2-3-4-6 | 第六項 広島高等学校 |
2-3-4-7 | 第七項 広島文理科大学・広島高等師範学校・附属中学校・附属国民学校 |
2-4 | 第4章広島市内主要神社・寺院・教会の被爆状況 |
2-4-1 | 第一節 序説 |
2-4-2 | 第二節 神社(広島護国神社ほか一五社) |
2-4-2-1 | ①広島護国神社 |
2-4-2-2 | ②白神社 |
2-4-2-3 | ③天満宮(現在・天満神社) |
2-4-2-4 | ④空鞘神社 |
2-4-2-5 | ⑤広瀬神社 |
2-4-2-6 | ⑥胡子神社 |
2-4-2-7 | ⑦住吉神社 |
2-4-2-8 | ⑧三篠神社 |
2-4-2-9 | ⑨比治山神社 |
2-4-2-10 | ⑩饒津神社 |
2-4-2-11 | ⑪鶴羽根神社 |
2-4-2-12 | ⑫碇神社 |
2-4-2-13 | ⑬東照宮 |
2-4-2-14 | ⑭早稲田神社 |
2-4-2-15 | ⑮旭山神社 |
2-4-2-16 | ⑯神田神社 |
2-4-3- | 第三節 寺院(慈仙寺ほか一五寺) |
2-4-3-17 | ⑰慈仙寺 |
2-4-3-18 | ⑱浄宝寺 |
2-4-3-19 | ⑲浄圓寺 |
2-4-3-20 | ⑳妙法寺 |
2-4-3-21 | (21)誓願寺 |
2-4-3-22 | (22)国泰寺 |
2-4-3-23 | (23)本覚寺 |
2-4-3-24 | (24)円隆寺 |
2-4-3-25 | (25)本願寺派広島別院 |
2-4-3-26 | (26)多聞院 |
2-4-3-27 | (27)唯信寺 |
2-4-3-28 | (28)瑞川寺 |
2-4-3-29 | (29)三瀧寺 |
2-4-3-30 | (30)法雲寺 |
2-4-3-31 | (31)不動院 |
2-4-3-32 | (32)千暁寺 |
2-4-4 | 第四節 教会(日本基督教団広島流川教会ほか二教会) |
2-4-4-33 | (33)日本基督教団広島流川教会 |
2-4-4-34 | (34)幟町天主公教会(現在・世界平和記念聖堂) |
2-4-4-35 | (35)日本基督教団広島教会 |
2-5 | 第5章関連市町村の状況 |
2-5-1 | 第一節 序説 |
2-5-2 | 第二節 各市町村 |
2-5-2-1 | 第一項 呉市 |
2-5-2-2 | 第二項 大竹市 |
2-5-2-3 | 第三項 三次市 |
2-5-2-4 | 第四項 庄原市 |
2-5-2-5 | 第五項 因島市 |
2-5-2-6 | 第六項 佐伯郡五日市町 |
2-5-2-7 | 第七項 同廿日市町 |
2-5-2-8 | 第八項 同沖美町 |
2-5-2-9 | 第九項 同宮島町 |
2-5-2-10 | 第一○項 同大野町 |
2-5-2-11 | 第一一項 同湯来町 |
2-5-2-12 | 第一二項 同能美町 |
2-5-2-13 | 第一三項 同大柿町 |
2-5-2-14 | 第一四項 安佐郡祇園町 |
2-5-2-15 | 第一五項 同安古市町 |
2-5-2-16 | 第一六項 同佐東町 |
2-5-2-17 | 第一七項 同安佐町 |
2-5-2-18 | 第一八項 同沼田町 |
2-5-2-19 | 第一九項 同可部町 |
2-5-2-20 | 第二○項 同高陽町 |
2-5-2-21 | 第二一項 安芸郡府中町 |
2-5-2-22 | 第二二項 同船越町 |
2-5-2-23 | 第二三項 同安芸町 |
2-5-2-24 | 第二四項 同海田町 |
2-5-2-25 | 第二五項 同坂町 |
2-5-2-26 | 第二六項 同瀬野川町 |
2-5-2-27 | 第二七項 同矢野町 |
2-5-2-28 | 第二八項 同熊野町 |
2-5-2-29 | 第二九項 同熊野跡村 |
2-5-2-30 | 第三○項 同江田島町 |
2-5-2-31 | 第三一項 同音戸町 |
2-5-2-32 | 第三二項 同倉橋町 |
2-5-2-33 | 第三三項 高田郡白木町 |
2-5-2-34 | 第三四項 同向原町 |
2-5-2-35 | 第三五項 同吉田町 |
2-5-2-36 | 第三六項 同甲田町 |
2-5-2-37 | 第三七項 賀茂郡志和町 |
2-5-2-38 | 第三八項 同黒瀬町 |
2-5-2-39 | 第三九項 同八本松町 |
2-5-2-40 | 第四○項 同西条町 |
2-5-2-41 | 第四一項 山県郡戸河内 |
2-5-2-42 | 第四二項 同加計町 |
2-5-2-43 | 第四三項 甲奴郡上下町 |
2-5-2-d | 主要付図・一覧表 |
2-5-3-d-01 | 一、広島市学童疎開実施表 |
2-5-3-d-02 | 二、集団疎開児童の記 |
2-5-3-d-03 | 三、広島市内各学校の建物疎開作業出動状況 |
2-5-3-d-04 | 四、広島市内各学校被災状況表(動員学徒を含む) |
2-5-3-d-05 | 五、建物疎開作業に出動した地域国民義勇隊の被爆状況表 |
2-5-3-d-06 | 六、避難者郡町村州内訳表 |
2-5-3-d-07 | 資料提供者氏名表/参考図書一覧表 |
d- | 資料編 |
d-01 | 1.(イ)広島市永年防空計画、 |
(ロ)昭和十六年度広島市防空計画 | |
d-02 | 2.広島県下に於ける空襲被害状況表 |
広島県警察部新畑十力警部補(当時)により作成されたもので、昭和十九年二月二日午前十時十五分ごろ、B29一機が御調郡原田村山林中に、焼夷弾一二発を投下したのを最初とし、昭和二十年八月十四日午後八時四十分ごろ、B12一機が、呉市中心に飛来し、宣伝ビラ約二万枚を撒布したことまでを、その被害程度と共に記述した一覧表である。昭和二十二年頃広島県警察部発行 | |
d-03 | 3.防空日誌(矢賀警防分団) |
d-04 | 4.炎のなかに |
当時、動員学徒として、第二総軍双び中国軍管区司令部に出動していて被爆した生存者の「原爆で逝った級友の二十五回忌によせて」作られた体験記集で、猛火迫る司令部の地下壕指揮連絡室から、広島全滅の第一報を九州の第十六方面軍(福岡)など、三か所に、電話報告したことなど、貴重な証言が多く、また炸裂下、軍の中枢機関の惨状を如実に伝えている。一九六九年八月六日旧比治山高女第五期生の会発行 | |
d-05 | 5.被爆者救援活動の手記集(暁部隊) |
被爆直後の暁部隊の活動記録で、本誌刊行にあたり提供された当時の将兵三九人の体騒記集である。 | |
d-06 | 6.(県政)雑記帖被爆直後、豊田郡地方事務所長から広島県人事課長(食糧対策委員)に就任し、県の被爆救援対策・復旧対策などにあたった竹内喜三郎の事務覚書で、八月七日から九月二十一日まで、大混乱時における食糧対策を中心とした県行政の克明な記録である。 |
d-07 | 7.比治山国民学校迷子収容所・五日市戦災児育成所 |
当時、収容所の教師として活躍した斗桝訓導の手記 | |
d-08 | 8.広島原子爆弾被害調査報告(気象関係) |
広島管区気象台の発行 | |
d-09 | 9.原子爆弾に依る電気工作物の被害調査 |
d-10 | 10.8・10広島陸軍兵器補給部ニ於テ新型爆弾ニ関スル研究会(大野茂[海軍技術中佐]) |
d-11 | 11.軍関係災害調査報告文書集 |
d-12 | 12.原子爆弾傷研究綴(広島第一陸軍病院) |
d-13 | 13.被爆広島の写真記録者たち(川西恒夫) |
編集後記 |
11.軍関係災害調査報告文書集
年月日 | 資料名 | 編著者 |
450806 | 中野探照灯台広島爆撃目撃状況 | 呉海軍警備隊 |
450810 | 八月六日広島空襲被害状況並ニ対策(第二報)[呉鎮機密第142-10-33(8月10日送付)] | 呉鎮守府衛生部 |
450814 | 八月六日広島市空襲戦訓(第三報)[呉鎮機密第142-10-33-2(8月14日送付)] | 呉鎮守府衛生部 |
450814? | 八月六日広島市空襲戦訓(第四報)[呉鎮機密第142-10-33-3] | 呉鎮守府衛生部 |
450810? | 陸、海軍合同特殊爆弾研究会決定事項(要項抜粋)[呉鎮機密第142-10-34] | 呉鎮守府衛生部 |
450810 | 八月六日広島空襲ニ対スル研究会議事概要 | 呉工廠 |
450813 | 八・六広島市被害状況 | 中国軍管区司令部 |
4509 | 広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)[(付録被害地写真帖)] | 呉鎮守府 |
450902 | 衛生速報第二号 | 中国軍管区軍医部 |
450912 | 衛生速報第三号 | 中国軍管区軍医部 |
450912 | 衛生速報第四号 | 中国軍管区軍医部 |
450912 | 衛生速報第五号 | 中国軍管区軍医部 |
450912 | 衛生速報第六号 | 中国軍管区軍医部 |
451022 | 衛生速報第九号[原子爆弾症ニ関スル研究] | 中国軍管区軍医部 |
12.原子爆弾傷研究綴(広島第一陸軍病院)
八月六日広島市戦災ニ関スル経験並所感 | 都野大尉、増田少尉、石井少尉 | |
原子爆弾症報告 | 江波分院 藤田少尉 | |
原子爆弾症報告 | 江波分院 柳少尉 | |
原子爆弾傷ニ就テ | 広島第一陸軍病院櫛ケ浜分院 |
13.被爆広島の写真記録者たち(川西恒夫)
加納竜一、菊池俊吉、林重男、木村権一、尾糠政美、川原四儀、山田精三、松重美人、宮武甫、松本栄一、岸田貢宣、松重三男、川本俊雄、林寿麿、岸本吉太、深田敏夫、空博行、北勲、黒石勝、斉藤誠二、佐々木雄一郎、
スミソニアン特別展計画中止についての広島市長コメント
スミソニアン協会特別展計画中止についての広島市長コメント(1995年1月31日)
[広島市資料]
スミソニアン航空宇宙博物館が当初の意図に反して、特別展の規模を縮小し≪米国戦勝50年≫一色に修正したことは、極めて遺憾である。
世界がなお、核の脅威にさらされている今日、戦勝国の論理で原爆を投下した工ノラ・ゲイ号を展示する時代ではない。
広島・長崎両市には、今回の被爆資料貸し出しによって米国を責め、非難する意図はまったくなかった。ただ、核兵器がもたらした残虐な実態を米国の人々に知ってもらうことによって、核兵器のない世界を築く世論を高めたい、と願っていただけに、残念さは一層強い。
広島市としては、今回のスミソニアン側の決定とは関係なく、≪被爆50年≫にあたって米国で討論の場を設けるなど、独自な催しを展開することによって、米国民に核兵器廃絶にかけるヒロシマの思いを訴えかけていくつもりである。
平成7年1月31日
広島市長 平岡 敬
スミソニアン「原爆展」計画をめぐる8名のアメリカ研究者グループの館長あて申入書
スミソニアン航空宇宙博物館「原爆展」計画をめぐって8名のアメリカ研究者グループの申入書
1994年11月17日
あて先:国立航空宇宙博物館館長 マーティン・ハーウィット
差出人:バートン・バーンスタイン、ケイ・バード、キャロル・ガラハー、ジョゼフ・ガースン、ロバート・J・リフトン、グレッグ・ミッチェル、ロバート・ミュージル、ローレンス・S・ウィットナー
「終幕:原爆と第二次世界大戦終結」展に関する勧告
1)原爆使用および、それが第二次世界大戦終結に必要であったがどうかに関する50年間にわたる論争を明確にふまえること。
2)原爆投下以前に日本は敗北に近づいていたことの証拠を認めること。
3)原爆使用について留保を示した歴史的人物たちの重要な発言を含めること。
4)日本への焼夷弾爆弾がもたらした破壊に関して正確な評価を取り入れること。
5)広島とそこに居住する市民を標的とすることは正当であり主に軍事的な目的があったという印象を修正すること。
6)アメリカが日本に侵攻した場合に予想されたアメリカ人死傷者に関する記述を修正すること。
7)日系アメリカ人の強制収容所について明記すること。
8)第400セクション「グランド・ゼロ」から削除された部分を復活させること。
9)被爆者の扱いを修正すること。
10)原爆投下に対して当時まき起こった宗教的、道徳的、政治的な反対運動に関する歴史的な記録を盛り込むこと。
11)原爆投下が後世に残した事柄について適切な扱いを行うこと(第500セクション)
出典:原水爆禁止日本協議会『国際情報資料1』(1994年12月28日)
スミソニアン特別展に関する米国上院議長あて広島市長書簡
スミソニアン協会特別展に関する米国上院決議につき上院議長あて広島市長書簡(1994年10月20日)
[広島市資料]
米国上院議長
アルバート・ゴア様
拝啓 時下益々御清祥のことと存じあげます。
この度、私たちは、アメリカ合衆州国上院が来年5月から開催が予定されているスミソニアン協会・国立航空宇宙博物館の展示会「最後の幕:原爆と第2次世界大戦の終結」に関し、「原爆を投下したエノラ・ゲイは第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、日米両国民の命を救った。展示が、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきではない。」との決議を満場一致で採択したことを知りました。
私たち広島市民は、原爆投下を肯定し、ひいては戦争を正当化するこのような考え方に強い怒りと悲しみを感ぜざるを得ません。いずれの国の国民も決して核兵器や戦争は求めていないと確信しているからです。戦後50年を経て、私たちが成すべきことは、歴史に学ぶ視点を持ち、全人類の共存と繁栄を願い、その実現に向けて努力することであります。
私たちは過去の戦争の是非を議論するのではなく、いかにして核兵器が存在する時代の戦争をなくすべきかを議論することに意義があると考えております。そのためには、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実態を世界の人々が知り、核兵器の持つ非人道性を認識することが大切です。
核時代に生きていることを身をもって知っている私たちは、その最初の体験を世界の人々に知って欲しいと思っております。この展示会が、私たちの意図を汲み取り、よりよき未来社会の形成に向けて、大きな役割を果たされんことを切望しております。
敬具
1994年10月20日
広島市長 平岡 敬
スミソニアン原爆展に関する決議(アメリカ合衆国上院)
アメリカ合衆国上院
スミソニアン原爆展に関する決議
1994年9月23日
アメリカ合衆国上院決議
来る国立航空宇宙博物館エノラ・ゲイ展示におけるアメリカ軍兵士の適切な記述に関して、上院の意見を表明する。
一.エノラ・ゲイは、第2次世界大戦を慈悲深く終わらせるのに役立ち、日米両国民の命を救った。
一.国立航空宇宙博物館エノラ・ゲイ展示の現在の企画書は、修正主義的で、多くの従軍兵士にとって侮辱的である。
一.連邦法は、「スミソニアン協会は、アメリカ合衆国における、自由で、平和で、独立した社会及び文化を、創造し、発展させ、維持するために、アメリカ軍によってなされた貢献を記念し、展示するものである。」と謳っている。
一.連邦法は、「アメリカ軍兵士の勇気ある行為、献身的な軍務は、アメリカの現在、未来の世代への鼓吹として、描かれるべきである。」とも、謳っている。
一.国立航空宇宙博物館は、交戦におけるアメリカの役割を記念するため、連邦法のもとに、時代の適切な文脈で、歴史を記述する義務をもっている。
従って、ここに、次のとおり上院の意見を決議する。
エノラ・ゲイに関する国立航空宇宙博物館による展示はすべて、第2次世界大戦中、忠実に、無私にアメリカ合衆国に仕えた兵士に対して、適切な記述をすべきであり、自由のために命を捧げた人々の記憶を非難し、攻撃すべきではない。
2013年夏・反核ヒロシマ(メモ)
2013年10月14日メモ(宇吹)
第8回平和市長会議総会(この総会で平和首長会議と名称変更)
テーマ 「核兵器のない世界」の実現を目指して-「ヒロシマ・ナガサキの心」を世界に-
8月3日~6日 参加者数 157都市 251人 各国政府11か国 13人 自治体組織・NGO等18団体 41人 合計 305人
広島戦災供養会原爆死没者慰霊行事
8月6日 06:15~
平成25年(2013年)平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)
8月6日 08:00~08:57 約5万人
70カ国と欧州連合(EU)の代表(核兵器保有5カ国では、中国を除く4カ国代表)
合唱団(約360名)吹奏楽団(約240名)
原爆死没者名簿=名簿には過去一年に亡くなった被爆者と新たに確認された死亡者5859人の名前を追加、総数は28万6818人。被爆者健康手帳所持者=3月末現在、20万1779人。
広島286,818+長崎162,083=計448,901人
原水爆禁止2013年世界大会
8月6日 原水爆禁止2013年世界大会・広島
広島県立総合体育館グリーンアリーナ 2,200人
8月9日10:30~13:00 原水爆禁止2013年世界大会・長崎の閉会総会
長崎市民会館体育館・文化ホール 7,000人
被爆68周年原水禁世界大会
7月28日 被爆68周年原水禁世界大会・福島大会 福島市 約1200人
8月4日 被爆68周年原水禁世界大会・広島大会 広島グリーンアリーナ 3,500人
8月6日 まとめ 中国新聞ホール 約700人
8月7日 被爆68周年原水禁世界大会・長崎大会開会総会 長崎ブリックホール 1600人
8月9日 被爆68周年原水禁世界大会・長崎大会閉会総会
長崎県立総合体育館メインアリーナ 2000人
核禁
8月5日 核禁広島全国集会 リーガロイヤルホテル広島
8月8日 2013核兵器禁止平和建設国民会議長崎集会
生協連
8月5日 2013虹のひろば 広島県立総合体育館1,100人(52生協、県外600人、県内500人)
広島県生協連では2003年より、ピースアクション(日生協提唱)のスタート集会の位置づけで「ピースフォーラム」を毎年開催しています。あわせて、ピースリレー結団式を同時開催していますhttp://hiroshima.kenren-coop.jp/activity/heiwa/heiwa20060710_01.html
8月6日 ピースナイター2013 広島市マツダスタジアム 28,400人
主催団体:生協ひろしま・広島東洋カープ・中国新聞社・広島平和文化センター・広島電鉄
連合
8月5日 連合2013平和広島集会 広島市中区の上野学園ホール 約2,000人
8月8日 連合2013平和長崎集会 長崎県立総合体育館メインアリーナ 約3,300名
連合主催、原水禁・核禁会議共催、後援8団体(長崎県、長崎市など)
2005年~2012年 核兵器廃絶20**平和ヒロシマ大会(連合・原水禁・核禁会議3団体主催)
日本会議広島
8月6日 第5回 8.6広島平和ミーティング「ヒロシマ反核平和の終焉」
リーガロイヤルホテル広島 1200名 講師:佐藤正久防衛政務官、森本敏前防衛相
広島原爆被災撮影者の会の初会合(宇吹メモ)
広島原爆被災撮影者の会の初会合(宇吹メモ)
1978.9.14 於YMCA
(佐々木)東京に行っている広島の撮影分は、入れるというより記録に残しておくだけにしないと。
(松重)それらを入れないと、集大成にならないのではないか。ほとんど出版されているのではないか。
(佐々木)出版物掲載分も記録として残してはどうか。木村さんのは(大和人絹内撮影)ほとんど東京へ行っているのではないか。それを入れるとなると、いろいろ問題が出てくる。個人と写したものと、軍や警察が写したものを一緒にするとトラブルが起きはしないか。
(木村)主人も死んでいるし、撮影を指示した医師も死んでいて、当時のことがわからなくなっている。当時の看護婦さんなどは生きている。
(佐々木)行動記録が今は一番大切ではないか。今後写真が出てきた場合、推定の根拠になる。死なれた人のは、もうわからなくなってしまう。6×6で何枚、キャビネで何枚などという記録が大事。
川本さんの写真――N.G.ピンボケなどのネガが残っている。最初写したものは、米軍が全部持って帰った。それではもう一度撮れとの警察の指示で写したものが残っている。
大和人絹の中には相原さんは行っていない。日赤と逓信病院のみ。大和人絹の中は木村さんのものだけで済ましている。軍と警察のものだけがわからない。
(尾糠)憲兵隊に提出。ネガを提出したかどうかわからない。
(佐々木)川本さんも尾糠さんと同じコースを歩いている。
(尾糠)終戦後すべての写真を焼いた。写真班の横に穴を掘ってうめた。
(佐々木)東京空襲のも警視庁のものだけ残っている。東京のもの、ライカで30本ぐらい写している。
(松重)川本さんの写真、現像ミスも含めれば4~50枚残っているのでは。見たものだけでもそれくらいある。
(佐々木)
(松重)出版物のも写したものにまちがいなければ、複写してでも残してはどうか。
(佐々木)それはいいが、あいまいなものまで加えると目録の価値がなくなる。木村さんは自分の責任でとったもの以外は、自分で写したものとは言われなかった。軍と警察以外のものは、ほぼ検討がつく。
(松重)今日来ておられない人のネガ、枚数の確認と行動記録をつくることが必要。
(川原)6日は罹災者へ食料をもていったと言っていた。7日から写したものと思われる。軍人と一緒に巡ったそうだ。
(木村)宇品が解散になるまで、やめさせてもらえなかった。
(佐々木)9月15日頃までと聞いた。
(川原)相原さんが(調べるため)問い合わせた件についてもすべて返事を主人の代理で書いた思えがある。あの手紙が借りれれば書けると思うんだが。
(佐々木)相原さんがどこかに出すつもりがなければ、借りれると思うが。
川原さんが我々にもっと心を開いてくれたらなあ。
(川原)あの頃は市役所とのいきちがいがあったので、何もしゃべらなくなった。
(佐々木)相原さんは、S44、ぼくが東京へ行くまでは何も知らなかった。
(入室)(山本よしえ)中国新聞写真部に松重君と一緒にいた。
(佐々木)川原さんがついて行ったのは憲兵隊の人と一緒だったと言っていた。
(尾糠)私も憲兵隊と一緒に行った。
(川原)次の日(終戦日)行かれないからと憲兵隊の人にカメラを貸したら、もう返してもらえなくなった。
(佐々木)江波へも行っている。どうやって行ったのか、宇品から船で行ったのかも知れない。
(川原)楠木を写したものは、ゆがんだので写し直した。ゆがんだものが相原さんのところにあり、まっすぐなったのが残っている。
(松重)藤井さんは撮影しているか。
(川原)藤井さんは出ていないと聞いているが、会って話した時には、自分も出たと言っておられた。
(松重)来年どうしても出版しなければならないということはないが、みんないつ死ぬかわからないから早くしておきたい。
(深田)林(タクマ)さんは、自分のは大したことは何(ママ)から、と言っておられたが、早く行っていないと、もう高齢だから。
(松重)川本さんのは、息子が私に任せると言っているが、足どりをまとめておかなくては。
(佐々木)息子さんではわからないのではないか。私も警察関係の人々にずい分聞いたがわからなくなった。
(松重)いよいよ本職の新聞記者にやってもらわなくてはどうにもならないのではないか。今、原災研は150~60万ある。
(岸田)キャビネで揃えたらどうか。費用の点は自分でやっておくことにし、やれない人は私のところでもやるから。
(佐々木)36mmはベタ焼きの方がよい。
(岸田)虫目がねで見るようなですよ。
(山本)出版するのなら写真のサイズを考えておかないと。
中国新聞屋上から、同僚(谷川君)と一緒に移した。合計4枚出てきた。あとは整理してみないとわからない。
(佐々木)わかるものは、もう作業しましょうや。
(川原)当時のことは何も知らないから、私は遠慮さしてください。
(佐々木)尾糠さんは川原さんの行動を知っていないか。
(尾糠)わからない。写真を見ればわかるものがある。
(佐々木)藤井さんが元気な時聞いたら、現像焼付みな別々の人間がやったのだから、だれが写したかわかりはしないよと言っておられた。それがほんとのことだろうと思う。
(松重)キャビネに統一して。
(佐々木)35mmもか。
(松重)そうだ。
(山本)(岸田)利用にはキャビネが良い。
(松重)カード添付写真はキャビネ版とする。行動記録はいつにするか。
(岸田)11月末までにやったらどうか。
(松重)行動記録、11月末までに〆切ったらどうか。
(松重)<ネガ再製について>
市平和文化センターから手紙。田中にやらせるからオリジナルネガを貸して欲しいとの要請があった。それについての私案をつくった。8・6前に依頼があった。
(岸田)<貸出しの場合撮影者の同意をうる>は個人ではなく撮影者の会にしたらどうか。
(山本)撮影者の会を通してやったらどうか。
(岸田)撮影者の会としての権威をもたなくては。
(佐々木)個人で協力しない人もいる。それをどう考えるか。職員が個人でやって、充分責任をもっていない。
(深田)島本
(川原)〃
(入室)(黒石)
(岸田)佐々木さんは佐々木さんの意志ですればよい。
(松重)字句については、また考えてみる。
(佐々木)出版などで依頼があった場合どうか。
(岸田)個人へ来たら、撮影者の会へ連絡することにする。代表者・会則をつくる必要がある。
(松重)原爆写真は公共性が強いから、金銭面は慎重でなくてはならぬ。文化センターは永久保存用ネガと貸出用ネガをつくろうとしている。
(佐々木)文化センターは、いる写真といらない写真を別けようとしている。公文書館は全部を保存しようとしている。
(松重)文化センターは、貸出用ネガがあれば良い。
(松重 三)借りに来たが(キャビネ)何のあいさつもない。
(山本)原稿なら原稿料がでるのだから写真に対しても謝礼があって当然。
(松重)これは森本タイジさんの写真です。
(佐々木)もうこれで集まって話すよりも、あとは通信でやったらどうか。
(黒石)会費をとったらどうか。
(佐々木)1000円づつ集めたらどうか。2000円。
次回11月末までに通信でやる。
(川原)記録の会の写真は返ってくるか。
(松重)あれは言いますよ。
15:35 終了
被爆問題国際シンポジウム広島準備委員会第1回社会科学委員会(広島)議事録(文責 宇吹)
第1回社会科学委員会(広島)議事録(文責 宇吹)
(被爆問題国際シンポジウム広島準備委員会)
第1回社会科学委員会(広島)議事録
1977.4.30 午後1:30~ 於YMCA
[出席者]宇吹暁、大西典茂、北西允、山本鎮雄、湯崎稔
議題
1. 日本準備委主催 第1回・第2回社会科学委員会の報告
湯崎世話人より概要の報告、内容は別添資料のとおり
2.「総合報告書」のItemsの検討
各委員に予め『市長国連レポート』を第0次案とし、これに関する修正・加筆の意見を送付してもらうよう事務局より依頼してあったが、寄せられた意見がなかったので、出席者で3月9日国際準備会に提出されたItemsをもとに討論をおこなった。その大要はつぎのとおりである。
作業文書Ⅲ(社会科学)
1. アプローチと原爆被害の全体像
2. 原爆投下をめぐる政治的諸問題
3. 原爆による社会の破壊
4. 原爆による生活の破壊
4-1家族の破壊
4-2労働力の損壊
4-3病気と貧困の悪循環
5. 原爆による精神的崩壊
6. 被爆者の運動
〇2.はどういう意図か。項目の中で2.が異質な感じがする。6.と一緒に論じた方がよいのではないか。
〇被害の実態にしぼってはどうか。政治的諸問題を扱うとすれば、さまざまな解釈があるので慎重を要する。報告書としては、2.の項目を立てない方がよい。
〇外国人被爆者の問題もとりあげるべきだ。
〇4.の項目内容は個人レベルの問題という感じが強いが、これが3.とどう結びつくのか。
〇これを機会に、広島における被爆者の実態を示す諸資料を集めたいので関係者をあげて欲しい。
<名前のあがった関係機関・個人>
市役所労政課、原対協、吉田治平、田中一郎、相原和光、温品道義、藤居平一、山口夕[ママ]子、中野清一
3.その他
〇湯崎世話人より、第3回社会科学委員会(東京)への出席要請および生活史調査(広島)の世話人決定の要請があったが、未定。
<文責 宇吹>
公的機関・団体の原爆資料(非医学的資料)
公的機関・団体の原爆資料(非医学的資料)
原爆資料の所蔵機関と主な資料
1992年2月17日 広島大学原医研 宇吹 暁
これは、広島県総務部県史編さん室・広島県戦災史編集委員会・広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センタ-の業務の中で、存在が確認された資料の目録である。調査の期間は、約20年間にわたるので、所蔵場所に変更のある資料が多くあるものと推定される。
広島市内
広島大学原爆放射能医学研究所
志水清資料
原医研2代所長の旧蔵資料。
久保良敏資料
元広島大学教授の原爆被害者の心理学的影響に関する研究資料(調査表など)を含む。
原爆爆心地復元関係資料
地図・調査票・聞き取りテープなど。
原爆原爆医療審議会資料(部外秘)
原医研籍の審議会委員より寄贈を受けたもの。
米国陸軍病理学研究所返還資料(写真)
1973年5月返還。被爆直後の原爆被災写真3973件(医学関係も含む)。
原爆文献
原爆被災記録・体験記・手記を中心とする約9,000件(単行本6,000冊、逐次刊行物7,000冊)。所蔵目録を3冊発行。
新聞切抜き
1967年以降の原爆被爆関係記事を中心とした約12万件。切抜き対象は、1967~73年は主に中国新聞、1974年以降は、中国・朝日・毎日・読売・長崎の5紙。
平和会館資料(複製)
文書綴55件約3,900点、一点資料1 ,300件。
渡辺漸所蔵資料(複製)
原医研初代所長の論文別冊のほか「文部省研究報告集録」・「国連科学委員会報告」を含む約160点。
1981年12月借用。
陸軍軍医学校など『原子爆弾ニ依ル広島戦災医学的調査報告』
山科清より寄贈。
広島地方気象台
当番日誌(昭和20年)
放射線影響研究所
MEDICAL EFFECTS OF ATOMIC BOMBS
合同調査団の調査報告書。
広島県衛生部公衆衛生課
原爆手帳交付申請書綴(昭和32~45年)約8,700人分。
広島県立文書館
原爆関係資料(複製)
『広島県史原爆資料編』(1972年)、『原爆三十年』(1976年)、『広島県戦災史』(1988年)編さんのため収集したもの。広島県民生部援護課
傷病恩給(援護課)
紙箱29冊。「原爆死軍人」、「病床日誌」などの文書を含む。
動員学徒死没者名簿(昭和27年12月)
職域義勇隊死没者名簿
地域義勇隊死没者名簿
広島県警察本部刑事部捜査一課
原爆死亡者イロハ名簿(広島東警察署)
広島県企画部統計課
昭和35年分国勢調査(付広島県長崎県原爆被爆者実態調査翌年繰越分)
広島県議会図書室
広島県議会会議録
広島市衛生局原爆被害対策部
原爆手帳交付申請書綴(昭和32~46年)
約11万8,000点。
広島市立公文書館
都築正男資料
東京帝国大学医学部教授の旧蔵資料。資料の概要は『広島新史資料編Ⅰ都築資料』で知ることができる。
広島市の行政資料および合併町村役場文書
基本的資料は『広島新史』編集に利用された。
広島市秘書室国際交流課
諸外国書簡綴(広島平和協会)
平和宣言に対する諸外国からの返書
広島市平和記念資料館
呉鎮守府調査団資料(神津幸直旧蔵資料
原子爆弾による人的被害及び1か年後の状況調査綴(調査課)
被爆による建物被害状況等調査綴
中国軍管区軍医部衛生速報
広島市立中央図書館
原爆文献
『広島市立図書館蔵広島資料目録』(1979年)。
広島平和文化センタ-
原子爆弾に依る被害状況調査一件(調査課)
原爆関係資料提供依頼(昭和23年1月)についての回答
58の事業所・学校からの回答。
米国戦略爆撃調査団収集資料(複製)
罹災者名簿類
85冊34,703人分。
証言ビデオ
1985年度より毎年50人づつ収録。
原爆文献
『広島平和文化センタ-図書室蔵書目録』(1985年)。
広島原爆障害対策協議会
川田兼三郎文書
原爆投下当時広島県属警部補として県衛生課に勤務していた川田の作成した資料。
新聞切抜き
1950年から1985年の原爆被爆関係記事28,473件。
広島市立広島舟入高等学校
昭和20年8月6日罹災関係経過日誌
似島学園
学園日誌(昭和21年8月26日~)
修道高等学校
昭和20年8月原爆被災記録参考書類
安田女子高等学校
原爆死没者名簿
比治山女子高等学校
教務日誌(昭和20年)
広島県内
廿日市市
戦没者遺族名簿
廿日市市(宮内公民館)
罹災者収容名簿
大竹市
義勇隊学徒隊関係綴
大竹市(玖波支所)
戦災関係参考一件(「集団罹災者名簿」などを含む綴)
呉市
原爆被害者実態調査綴(教育委員会社会教育課 昭和30年)
呉市(郷原支所)
戦災一件(昭和20年)
呉市(警固屋支所
特設警備隊員名簿(昭和20年)
尾道市
原爆被爆者手帳交付台帳
尾道市(医師会
救援医療班編成表
尾道市(福祉事務所)
被爆手帳交付台帳
福山市(山野郷土資料館)
戦没者名簿(山野遺族会 昭和25年)
福山市(福山城)
原爆死没者関係書類綴(昭和27年)
三次市
被爆者調査書綴(被爆者であって手帳の未交付者の調査 昭和43年調査)
庄原市
被爆者健康手帳交付申請書交付台帳
府中市
被爆者健康手帳申請書綴(昭和40年5月~)
府中市(協和村)
原爆被害者実態(昭和30年)
安芸郡熊野町
被爆者健康手帳台帳
安芸郡江田島町
原爆戦死の軍人軍属並びに義勇隊学徒動員女子挺身隊等公務原爆犠牲者名簿
安芸郡坂町
罹災患者名簿
安芸郡倉橋町
原爆被害者台帳
安芸郡府中町
死亡診断書綴
佐伯郡吉和村
原爆手帳交付申請書控(昭和32年7月)
佐伯郡宮島町
被爆者手帳申請書類
佐伯郡佐伯町
広島原爆死者調査票綴
賀茂郡高屋町
罹災者受入控簿
賀茂郡高屋町(造賀支所)
罹災疎開一件
賀茂郡黒瀬町
終戦以降公報綴(下黒瀬村役場)
賀茂郡大和町
戦災者引揚者援護台帳
賀茂郡豊栄町
原爆被災者一件(昭和33年)
山県郡加計町
原爆被害者会文書綴(昭和35年)
山県郡加計町(安野村)
広島戦災者名簿(昭和20年)
山県郡加計町(筒賀村)
疎開復員引揚者・帰郷軍人健康診断票綴(昭和20年)
高田郡高宮町
原爆関係死亡調査
豊田郡豊浜村
戦災者給与金書類綴
豊田郡本郷町(上北方第一公民館)
戦災罹災者一件(昭和20年)
御調郡久井町
戦災者引揚者台帳(昭和21-22年)
御調郡向島町
戦災並外地引揚者名簿
世羅郡甲山町
被爆者健康手帳交付名簿
世羅郡世羅西町
被爆者健康手帳所持者名簿
神石郡三和町
原爆(昭和36-40年)
神石郡豊松村
戦時罹災一件(昭和20年
双三郡布野村
被爆者名簿
比婆郡口和町
被爆者手帳交付関係書類
比婆郡高野町
被爆者関係書類(昭和35-36年)
比婆郡西城町
原爆被爆者一件書類
比婆郡東城町
被爆手帳交付関係書類
国内
国立公文書館
広島市爆撃問題ニ対スル反響ニ就テ(第一報)
厚生省援護局調査課
引揚援護局中国駐在事務所旧蔵資料。「死亡者連名簿」など約260綴。
防衛庁防衛研究所
第二総軍隷下部隊主要職員表
中国軍管内部隊人員調査表(昭和20年10月15日)
第二総軍命令等(昭和20年8月9日~10月10日)
畑俊六「第二総軍終戦記」
佐伯文郎「戦災処理の概要」昭和30年3月
昭和20年8月有末調査団の広島特殊団調査史料
第二総軍・第二復員司令部復員報告綴
元船舶参謀篠原優「暁部隊始末記」昭和36年8月
長岡半太郎博士「原子核分裂を兵器に利用する批判」昭和19年12月
外務省外交資料館
米軍捕虜名簿
中国軍管区司令部が作成したもので、原爆に被爆した米軍捕虜の名前を含む。
国立国会図書館
GHQ/SCAP文書(マイクロフィッシュ) 原爆検閲関係の資料を含む。
米国戦略爆撃調査団報告書(マイクロフィルム)
経済安定本部戦争被害調査資料
経済安定本部企画部調査課「戦争被害調査資料集 」
原子爆弾被害調査基礎資料
広島・長崎に於ける原子爆弾に依る物的被害算定方法(原稿)
広島市原爆被害図
長崎市原爆被害図
広島・長崎に於ける原子爆弾に依る物的被害(原稿)
仁科記念文庫
仁科芳雄ノート-原子爆弾-
小川新
草津国民義勇隊資料
米国議会図書館
参考資料 戦災者名簿一覧
これは、市町村役場資料・厚生省資料・市町村史などにより、所在の確認できた戦災者に関する名簿類の一覧である。
名簿は、昭和二〇年当時の市町村別と軍関係(部隊別)に大別して収録した。
各名簿は、作成者・「名簿名」・作成時・(収録史誌)の順に記載した。作成者に、「広島一陸」・「広島二陸」とあるのは、それぞれ「広島第一陸軍病院」・「広島第二陸軍病院」の略である。
福山市
(福山市)厚生課「戦災ニ関スル綴」昭和二〇年八月八日(「福山市史下巻」)
(福山市)「死没者名簿」 (「続福山空襲の記録」)
安芸郡
戸坂村役場「戦災者調査票」昭和二二年九月現在
(戸坂村)「戦災死没者」 (「戸坂町誌」)
広島一陸戸坂分院「死亡者連名簿」
広島一陸戸坂分院「入院患者名簿」
広島一陸戸坂分院「遺骨交付名簿」
(温品村)「死亡診断書綴」
(府中町)「戦没者名簿」(「安芸府中町史 補遺編」)
(府中町)「町内会別原爆死没者氏名一覧表」(「安芸府中町史 補遺編」)
(府中町)「戦死者調」
(府中町)「未亡人調査表」
府中町役場「死亡診断書綴」昭和二〇年(「安芸府中町史通史編」)
瀬野村役場「戦時災害(水害)並疎開一件」昭和二〇年
(瀬野村)「復員並援護一件」昭和二一年起
瀬野村役場「復員軍人・戦災者・外地引揚者名簿綴」昭和二一年七月現在
(瀬野村)「遺族名簿」
(瀬野村)「陸軍・海軍復員者調査表」(「瀬野川町史」)
昭和村役場「火葬認可稟議簿」昭和二〇年
(坂村)「罹災患者名簿 収容所小屋浦」昭和二〇年八月
(坂村)「罹災患者名簿 収容所坂国民学校」昭和二〇年八月一二日調
(坂村)「患者名簿 横浜収容所」八月一一日収容
(坂村)「収容患者名簿 横浜ノ部」八月一一日
坂村役場「罹災者名簿」昭和二〇年
坂村役場「遺骨名簿」昭和二〇年一一月
坂村役場「戦災給与金関係綴」昭和二〇年一一月起
(坂村)「原爆関係戦没者調査票」昭和二七年一月調
坂町役場「原爆患者死亡者関係簿」昭和二七年七月
佐伯郡
河内村役場「復員者並引揚者名簿」昭和二二年
八幡村「罹災者収容名簿」
(観音村)村長「戦災患者名簿」昭和二〇年八月(「五日市町史(中巻)」)
廿日市町役場「罹災者名簿」
(廿日市町)「戦没軍人・傷痍軍人関係書類」昭和二〇年~
(廿日市)「戦没者遺族調査簿」 (「廿日市町史」)
平良村「死亡診断書綴」
原村「広島原爆調査一件」
宮内村援護係「戦災者給与金交付簿」((宮内村)「戦災一件」昭和二〇~所収)
宮内村「埋火葬送届綴」昭和二〇年
宮内村「復員者戦災者名簿」昭和二二年
宮内村「戦没者名簿」
宮内村銃後奉公会「戦死者名簿」昭和一九年作成
宮内村「戦没軍人・軍人・公務員名簿」昭和二六年
地御前村「罹災者名簿 広島市観音町」
地御前村「罹災者名簿」昭和二〇年八月一四日現在
(地御前村)「海外引揚者戦災者調査票」昭和二二年七月一八日現在
地御前村役場「戦時災害見舞金弔慰金支給原簿」昭和二〇年一〇月二三日
地御前村役場「戦災罹災者台帳」
(地御前村)「戦傷病死者・出征軍人・傷痍軍人遺家族名簿」
地御前村「見舞金受領書」
地御前村役場「広島市戦災死者遺骨交付不能者名簿」昭和二一年七月三一日調
地御前村役場「戦時災害第二十二条第二十三条申請者簿」昭和二〇年一〇月二三日
(地御前村)「戦災者引揚者軍関係者等ニ関スル調査票」
(地御前村役場「援護関係書類」昭和二一年中所収)
(地御前村)「傷痍軍人名簿・軍人遺族名簿・未帰還者軍人調査表」
(地御前村)「戦災者収容名簿」
(大竹市)「戦没者遺族台帳」(「大竹市史史料編第三巻」)
(大竹警察署)「大竹警察署管内収容患者名簿 玖波国民学校収容患者の分」
玖波町役場「戦没者氏名簿」昭和二〇年八月
玖波町役場「広島市戦災ニ因ル死亡者」昭和二〇年八月六日
玖波町役場「義勇隊戦死者追弔会一件」昭和二〇年一〇月三日
大竹警察署「集団罹災者名簿 小方国民学校」八月一一日受入
大竹警察署「集団罹災者名簿 大竹国民学校」八月一一日受入
大竹警察署「集団罹災者名簿 大竹町ノ部」八月一二日受入
大竹警察署「集団罹災者名簿 木野村ノ部」八月一一日受入
安佐郡
(祇園町)「戦禍にたおれた人」(「祇園町誌」)
川内村役場「変死者検視調書」昭和二〇年八月
川内村役場「戦災死者名簿」昭和二〇年八月六日
広島県地域国民義勇隊川内村義勇戦闘隊「国民義勇隊員として出動中原子爆弾により負傷し又は疾病にかかりこれにより死亡した者の調」
八木村・緑井役場「変死者検視調書」昭和二〇年度(「佐東町史」)
(戸山村)「戦災負傷者名簿」(「沼田住民手記」)
佐伯郡久地村「復員者名簿」
(久地村)世話部係「復員者人名簿」昭和二一年三月調
広島一陸久地病棟「死亡者連名簿」
(鈴張村)「陸軍海軍復員者調査票」昭和一〇~二〇年
鈴張村「戦死者戦病者名簿」
鈴張村役場「引揚者調」
広島一陸鈴張病棟「死亡者連名簿」
広島一陸鈴張病棟「遺骨引渡簿」
安佐郡飯室村「復員軍人軍属名簿」昭和二一年一月末現在調(「安佐町史」)
広島一陸飯室分院「死亡者連名簿」
広島一陸飯室分院「入院患者名簿」
広島一陸飯室分院「遺骨交付名簿」
広島一陸飯室分院「遺骨引渡簿」
広島一陸飯室分院「遺留品引渡簿」
広島一陸亀山病棟「死亡者連名簿」
広島一陸亀山分院「遺骨交付名簿」
広島一陸亀山分院「遺骨受領証綴」
広島一陸亀山分院「遺物品受領証綴」
可部町大林「戦没者名簿」昭和三〇年四月一五日
佐伯郡大林村役場「疎開者戦災者名簿」昭和二〇年一二月一四日現在
安佐郡大林村役場「戦災者名簿」昭和二〇年八月起
大林村役場「罹災者名簿」昭和二〇年八月六日
(大林村)「戦災者名簿」昭和二一年度
広島一陸大林分病棟「死亡者連名簿」
広島一陸大林分院「死亡証書控綴」
広島一陸大林分院「入院患者名簿」
広島一陸大林分院「遺骨交付名簿」
広島一陸大林分院「遺留品授受簿」
広島一陸三入病棟「死亡者連名簿」
広島一陸三入病棟「入院患者名簿」
(可部町)「過去帳記載の原爆死没者数」(「被爆四十年追悼の記」)
広島一陸可部分院「死亡者連名簿」
広島一陸可部分院「戦災患者名簿」
狩小川村「罹災者受入状況報告綴」(「高陽町史」)
山県郡
(加計町)「戦死病没公報綴」
加計町役場「戦死戦没者名簿」
加計町役場「戦災者引揚者名簿台帳」
加計町役場「戦災者引揚民名簿及配給台帳 新転入の部」
(加計町)「戦争犠牲者名簿」(「加計町史史料下巻」)
殿賀村役場「傷痍軍人台帳」
殿賀国保組合「疎開復員引揚者名簿・帰郷軍人健康診断票綴」昭和二〇年
(「加計町史下巻」)
広島一陸筒賀分院「死亡者連名簿」
広島一陸筒賀分院「入院患者名簿」
広島一陸戸河内分院「入院患者名簿」
(八幡村)「従軍者名簿」(「八幡村史」)
(雄鹿原村)「戦争犠牲者連名簿」(「雄鹿原村史再版」)
(中野村)「日支事変並に大東亜戦争従軍者」(「中野村史」)
(大朝町)「戦没者名簿」 (「大朝町史下巻」)
(安野村)「招魂祭祭神並ニ遺族名簿」昭和一七年四月七日
(安野村「招魂祭一件」昭和九年所収)
安野村役場「支那事変戦病没傷痍疾病者一件」自昭和一二年度
安野村「戦没者遺族台帳」昭和一四年
(安野村)「戦災見舞金等要支給報告(昭和二十年八月分)」
(安野村「戦時災害保護一件」昭和二〇年)
安野村「広島戦災者名簿 昭和二十年八月六日戦災」
山県郡安野村役場「未帰還者名簿」
恩賜財団同胞援護会安野村分会「給与台帳」昭和二一年
高田郡
(刈田村)「刈田地区大東亜戦争従軍者」(「八千代町郷土誌」)
(刈田村)「戦没者氏名」(「平和の礎」)
(根野村)「大東亜戦争従軍者」(「八千代町郷土誌」)
(根野村)「戦没者氏名」(「平和の礎」)
(横田村・本村・北村・生桑村)「軍人軍属殉国者一覧」(「美土里の歴史と伝説」)
(川根村・来原村・船佐村)「戦没者名簿」(「高宮町史」)
(甲立町・小田村)「戦没者名簿」(「甲田町誌」)
広島二陸向原分院「死亡者連名簿」
広島二陸向原分院「入院患者名簿」
広島二陸向原分院「入院患者イロハ名簿」
広島二陸三田分院「死亡者連名簿」
賀茂郡
(原村)「(戦没者名簿)」(「原村史上巻」)
下黒瀬村役場「公報綴」終戦以降
下黒瀬村「各種名簿綴」
(下黒瀬村)大倫遺家族会「各戦役戦病死者名簿」
郷原村役場「戦災罹災者名簿」昭和二〇年一一月調
郷原村役場「疎開者名簿」
更正会郷原分会「海外引揚者名簿」昭和二三年四月
竹原町役場兵時課「皇后陛下御下賜品・戦死病没者調・軍人遺族記章授与願報告一件綴」 昭和一七年一月~
(西高屋村)「罹災者・引揚者名簿」
豊田郡
(豊栄村)「原爆死没者(百六名)」(「あ〃豊栄百六の叫び」)
(椹梨村・豊田村・大草村)「戦病没者」(「大和町誌」)
(椹梨村・豊田村・大草村)「応召者」(「大和町誌」)
(豊浜村)帝国在郷軍人会分会「戦病没者並遺族名簿」
豊浜村役場「傷痍軍人台帳」
豊浜村役場「戦災者給与金書類綴」昭和二〇年八月起
豊浜村役場「戦災者名簿」昭和二〇年一〇月一日調
豊浜村役場「復員者名簿」
(豊浜村)「戦没者名簿」
(豊浜村)「昭和二十年十月一日村葬執行英霊一覧表」
(豊浜村)「昭和二十年十二月二十七日村葬執行英霊一覧表」
(豊浜村役場「戦没者関係書類綴」昭和二一年所収)
(豊浜村)「昭和二十一年十月八日村葬執行英霊一覧表」
(豊浜村役場「戦死者関係書類綴」昭和二一年所収)
御調郡
御調郡久井町役場「応召軍人台帳・復員台帳 元羽和泉関係」
(久井村)援護係「復員台帳」昭和二一年
久井町役場「戦没者調査票」
久井町「戦没者並に遺族名簿」昭和三一年五月
向島西村役場「戦災者並外地引揚者一件」昭和二一年
向島西村役場「戦災者並外地引揚者名簿」
(向島西村)厚生係「海軍関係戦没者名簿」
世羅郡
(上山村)「戦没者」(「三和町誌」)
神田村役場「戦災者・引揚者援護台帳 萩原・福田之部」
神田村役場「戦災者・引揚者援護台帳 下徳良・蔵宗之部」
(神田村)「戦病没者」(「大和町誌」)
(神田村)「応召者」(「大和町誌」)
「岡竹隊・大原隊隊員名簿」(「世羅部隊誌」)
沼隈郡
(瀬戸村)「支那事変功績者調査書」(「福山市史下巻」)
沼隈郡神村長「疎開者調査ノ件報告」(福山税務署長宛)昭和二一年一月二〇日
(神村役場「戦時災害及罹災者関係綴」昭和二〇年四月所収)
(神村)「戦災者引揚者世帯票」 (「福山市史下巻」)
(本郷村)「軍人援護恩賞関係綴」(「福山市史下巻」)
(今津町)「支那事変功績者調査書」(「福山市史下巻」)
(今津町)「兵事綴」(「福山市史下巻」)
(松永町)「戦死者」(「松永町誌」)
(鞆町)「戦死者名簿」(「福山市史下巻」)
芦品郡
(藤尾村・常金丸村・戸手村・新市村・網引村)「明治以降戦没者名簿」(「新市町誌」)
「芦品部隊戦没者名簿」(「閃光は消えず-被爆した芦品部隊と警防団」)
神石郡
「戦病没者」(「神石郡誌続編」)
豊松村銃後奉公会「軍人援護台帳」昭和一五年以降
豊松村役場「死没者関係書綴」昭和一九年~昭和二〇年
豊松村役場「戦災者弔慰見舞金交付調書」
(豊松村役場「戦時罹災一件」昭和二〇年四月所収)
(豊松村役場)「罹災者及引揚者調査書」
(豊松村役場「戦時罹災一件」昭和二〇年四月所収)
豊松村役場「死没者関係書綴」昭和二一年~
豊松村役場「復員軍人・軍属調査書綴」
豊松村役場「戦没者遺族名簿」昭和二七年一〇月一〇日
(豊松村役場「戦没軍人軍属一件綴」昭和二七年度所収)
豊松村役場「戦死病没者・戦争犠牲者名簿」昭和二八年四月二〇日
(豊松村役場「戦没軍人軍属一件綴」昭和二七年度所収)
甲奴郡
(上川村)「戦没者芳名」(「甲奴町郷土誌(第二集上川地区編)」)
(甲奴村)「各戦役戦没者」(「甲奴町郷土誌(第一集甲奴地区編)」)
双三郡
(板木村)「戦没者」(「三和町誌」)
広島二陸三次分院「死亡者連名簿」
広島二陸三次分院「在室患者イロハ名簿」
広島二陸三次分院「病症増進通報録」
広島二陸三次分院「遺骨授受証綴」
「三次分院の犠牲者名簿」(「鎮魂-原爆投下直後の三次における救援活動」)
(三良坂村)「戦没者名簿」(「三良坂町誌」)
「三良坂町原爆死没者名簿」(「百日紅」)
比婆郡
「比婆部隊被爆者(死亡)名簿」(「庄原原爆の記録 第二集」)
広島一陸庄原分院「死亡者連名簿」
広島一陸庄原分院「収容患者名簿」
広島一陸庄原分院「遺骨交付名簿」
広島一陸庄原分院「遺骨授受簿」
広島一陸庄原分院「遺骨受領証綴」
広島一陸庄原分院「患者遺留品授受簿」
広島一陸庄原分院「遺骨遺留品引渡簿」
広島一陸庄原分院「遺留品受領証」
広島二陸東城分院「死亡者連名簿」
広島二陸東城分院「在室患者名簿イロハ」
広島一陸山之内病棟「死亡者連名簿」
広島一陸山之内病棟「収容患者名簿」
広島一陸山之内病棟「入院患者名簿」
広島一陸山之内病棟「遺骨交付名簿」
広島一陸山之内病棟「遺骨授受簿」
広島一陸山之内病棟「患者遺留品授受簿」
広島一陸山之内病棟「遺骨遺留品引渡簿」
広島一陸山之内病棟「遺留品受領証」
「戦没者芳名録 於広島第一陸軍病院庄原分院山内西病棟」(「庄原原爆の記録第二集」)
軍関係(厚生省援護局資料)
第二総軍司令部「戦没者名簿」
第二総軍司令部「死没者ニ関スル綴」
第二総軍司令部「死亡診断書調整資料」
第二総軍司令部「昭和二十年八月六日遺骨遺留品名簿」
第二総軍「人事(恩典)に関する綴」
(第二総軍司令部)「昭和二十年八月六日における第二総軍司令部防衛通信班人名表」
中国軍管区司令部「原子爆弾関係死亡者連名簿」
留守業務班「慰霊祭前ニ於ケル死没者連名簿」
中軍司「慰霊祭後ニ於ケル死没者連名簿」
中国軍管区司令部留守業務班「連隊区別死亡者連名簿」
中国軍管区司令部「死亡者連名簿」
中国軍管区司令部「死亡證言者死亡證書綴」
軍管区司令部「死亡證書」
中国軍管区司令部「功績列次名簿」
留守業務班「死没佐尉官功績ニ関スル綴」
留守業務班「死没准士官下士官功績ニ関スル綴」
留守業務班「死没兵功績ニ関スル綴」
中国軍管区司令部「功績上申者名簿」
中国軍管区司令部「遺骨交付名簿」
中国軍管区司令部「残留遺骨・遺留品・公報未送・弔慰金未払・未済者処理状況」
中国軍管区司令部「遺留品受渡簿」
中国軍管区司令部留守班「中国軍管区各部生死不明者連名簿」
留守業務班「死没者関係雑書綴」
留守業務班「死没者状況報告書」
留守班「死没者恩給証拠書類調整資料」
中国第一〇四部隊「死没者連名簿」
中国第一〇四部隊「戦没者連名簿」
中国第一〇四部隊「戦没者イロハ名簿」
中国軍管区歩兵第一補充隊「戦死(傷)者名簿」
中国第一〇四部隊「健在者・入院者・戦死者・生死不明者名簿綴」
中国軍管区歩兵第一補充隊「佐尉官死没者功績名簿」
中国軍管区歩兵第一補充隊「殊勲者・兵功績列次名簿」
中国軍管区歩兵第一補充隊「功績名簿(甲)」
中国軍管区歩兵第一補充隊「准士官・下士官死没者功績名簿」
中国一〇四・一一一部隊関係「死亡證書」
中国百十部隊「広島連隊区管内生死不明者名簿」
中国一一〇部隊「行方不明者連名簿」
中国第一一一部隊「広島連隊区戦没者名簿」
中国第一一一部隊「連隊区不明戦没者名簿」
広島連隊区司令部中国第一一一部隊「死亡者イロハ名簿」
中国軍管区砲兵補充隊「将校死没者功績上申名簿」
中国一一一部隊「遺留品名簿」
中国第一一四部隊「死没者連名簿」
中国一一四部隊「死没者功績上申スベキ名簿」
中国第一二一部隊「死没者連名簿」
中国第一二一部隊「戦(傷)死者連名簿」
中国軍管区通信補充隊(中国第一二一部隊)「死没者名簿」
中国第一二一部隊「死亡證書」
中国第一三九部隊「死亡者連名簿」
中国第一三九部隊(旧西部十部隊)「戦災死没者及生死不明者名簿」
中国第一三九部隊「戦死者連名簿」
中国第一三九部隊「負傷者連名簿」
中国第一三九部隊「生死不明者連名簿」
中国第四七部隊「原爆戦災者名簿」
中国第二七八四部隊第二百五特設警備工兵隊「死没者連名簿」
中国軍管区第二百五特設警備工兵隊「死没佐尉官功績名簿」
第二〇五特設警備工兵隊(中国第二七八四部隊)「生死不明者連名簿」
中国第七一六一部隊特設警備第二五一大隊「死没者連名簿」
特設警備第二五一大隊「戦災死亡者連名簿」
特設警備第二五一大隊「戦死者(原籍不明分)功績名簿」
中国第三二〇三七部隊(第一特警)「死没者連名簿」
中国第三二〇三八部隊(広島第二特設警備隊)「戦災死亡者連名簿」
中国第三二〇五二部隊(賀東部隊)「戦災死亡者連名簿」
中国第三二〇五二部隊「患者人名簿」
中国第三二〇五三部隊(豊北部隊)「戦災死亡者連名簿」
中国第三二〇五七部隊(世羅部隊)「戦災死亡者連名簿」
中国第三二〇五七部隊「原爆戦災者名簿」
中国第三二〇五九部隊(芦品部隊)「戦災死亡者連名簿」
中国第三二〇六〇部隊(甲神部隊)「死没者連名簿」
中国第三二〇六二部隊(比婆部隊)「戦災死亡者連名簿」
広島第一陸軍病院「死没者名簿」
広島第一陸軍病院「死没者連名簿」
広島一陸江波分院「死亡者連名簿」
広島第一陸軍病院「死亡證書綴」
第一陸軍病院「戦死判任分官・同等待遇者事実・死亡證明書」
第一陸軍病院「事実・死亡證明書綴」
第一陸軍病院「軍属関係死亡證書」
広島第一陸軍病院「死亡證書綴(教育隊関係)」
一陸関係「入院患者名簿」
広島第一陸軍病院「昭和二十年八月六日現在(推定)在院患者名簿」
広島陸軍病院「在院患者名簿」
広島第一陸軍病院本院「在室患者名簿」
広島第一陸軍病院「戦死兵功績列次名簿」
広島第一陸軍病院「戦死准士官・下士官功績列次名簿」
広島第一陸軍病院「戦死佐尉官功績名簿」
広島第一陸軍病院「戦死兵功績名簿」
広島第一陸軍病院「功績名簿」
広島第一陸軍病院「戦死庸人・工員功績名簿」
広島第一陸軍病院「戦死庸人・工員功績列次名簿」
広島第一陸軍病院「戦死判任文官同等待遇功績名簿」
広一陸「功績上申者名簿」
医事科「入院患者・死没者功績資料綴」
広島第一陸軍病院「遺骨受領簿」
広島第一陸軍病院「遺骨授受簿」
広島第一陸軍病院「遺留品授受證綴」
広島第一陸軍病院「教育隊遺留品受領証綴」
一陸教育隊「遺留品送付簿」
広島第一陸軍病院「入院患者職員遺骨名簿」
一陸「遺留品授受證早見表」
広島第一陸軍病院「死没者(生死不明者)書類ニ関スル綴」(広一陸病)医事科「死没者生死不明者ニ関スル書類綴」
一陸「二条報告」
一陸医事科「死没者に関する照会綴」
一陸「死没者名簿調整原稿」
一陸「軍属身分証明書」
広島一陸江波分院「死亡者連名簿」
陸病江波分院「遺骨授受簿」
江波分院「遺骨未交付者名簿」
江波分院「遺骨交付名簿」
江波分院「死体及遺物引渡簿」
(宇品病院)患者係「昭和二十一年地方世話部移管遺骨ニ関スル綴」
広島第一陸軍病院宇品分院「入院患者名簿」
広島第一陸軍病院宇品分院「イロハ患者名簿」
宇品分院「遺骨名簿」
宇品分院「遺骨交付名簿」
広島第一陸軍病院宇品分院「遺留品授受證綴」
赤十字関係分「死亡診断書及証明書綴」
日赤病院「入院患者名簿」
国立広島病院医事科「昭和二十年八月六日以降広島第二陸軍病院勤務原子爆弾ニ依ル死亡者連名簿」
広島第二陸軍病院本院「昭和二十年八月室別(死亡者名簿)職員表」
広島第二陸軍病院「二陸勤務者死亡調査表」
広島第二陸軍病院「昭和二十年八月以降病院職員死亡證書綴」広島第二陸軍病院「昭和二十年八月以降入院患者死亡證書」
広島第二陸軍病院「死亡証書綴(教育隊関係)」
第二陸軍病院「在院患者名簿」
広島第二陸軍病院本部「八月六日本部ニテ収容患者名簿」
広島第二陸軍病院「部隊別患者名簿」
広島第二陸軍病院「部隊別収容患者名簿」
広島第二陸病「遺骨申送書」
広二陸「昭和二十年八月以降空襲ニ於ケル職員・患者被害状況」
赤穂師団司令部「昭和二十年十一月発来翰書類綴」
赤穂第二八三二九部隊「人事ニ関スル綴」
赤穂第二八三三〇部隊「死没者連名簿」
赤穂第二八三三〇部隊「遺骨連名簿」
赤穂第二八三三〇部隊「遺留品名簿」
赤穂第二八三三六部隊「戦死者名簿」
赤穂第二八三三六部隊「負傷者名簿」
赤穂第二八三三六部隊「生死不明者名簿」
赤穂第二八三三六部隊「負傷者名簿」
第二三一師団関係「戦死兵功績列次名簿」
独立混成第百二十四旅団通信隊「戦死兵功績列次名簿」
中部第二八三七四部隊「イロハ名簿」
(広島兵器補給廠)「昭和二十年八月六日現在広島兵器補給廠勤務中隊第一中隊隊員名簿」
船通補「原爆死亡者ニ関スル綴」
船舶通信隊補充隊「死没者名簿」
船舶通信隊補充隊「昭和二十年八月六日在隊者人名録」
世話課「司令部関係処理未済者一覧表綴」
厚生省中部復員連絡局広島支部「昭和二十二年十二月原爆関係死亡者認定票綴」
広島県民生労働部世話課「原爆関係未請求者名簿」