ヒロシマ研究の会満1周年記念映画会(案内ビラ)
1968年6月16日 於:広島YMCA 映画:「ひろしま」、「生きていてよかった」 |
ピカ資料研究所所蔵 |
ヒロシマ研究の会満1周年記念映画会(案内ビラ)
1968年6月16日 於:広島YMCA 映画:「ひろしま」、「生きていてよかった」 |
ピカ資料研究所所蔵 |
ピカ暦(ぴかごよみ)19680806
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
<以下未完> | ||||
章 | 節 | |||
Ⅴ | 崩れぬ平和をかえせ | |||
あるブルジョアの一家 | ||||
三吉の少年時代 | ||||
原爆の日より | ||||
広島日鋼争議 | ||||
平和大会と「われらの詩」 | ||||
朝鮮戦争への抵抗 | ||||
砲声下の原爆詩集 | ||||
平和運動の組織化へ | ||||
美しい生涯と原爆症 | ||||
生きている峠三吉 | ||||
Ⅵ | 朝鮮戦争に抗して | |||
1 | 原爆禁止運動の烽火 | |||
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について | ||||
2 | ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ | |||
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 | ||||
3 | 流星光底長蛇を逸す | |||
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 | ||||
4 | 冬の旅を行く | |||
Ⅶ | 人命は冷戦より尊い | |||
1 | 原水協のうまれるまで | |||
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 | ||||
2 | 輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 | |||
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 | ||||
3 | 原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 | |||
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 | ||||
4 | フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 | |||
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 | ||||
5 | 東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 | |||
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 | ||||
6 | 東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 | |||
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 | ||||
7 | 世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 | |||
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 | ||||
Ⅷ | 新紀元は始まる | |||
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる | ||||
あとがき | ||||
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。 下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
||||
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 | ||||
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 | ||||
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 | ||||
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
以下未完 | ||||
章 | 節 | 登場人物 | 備考 | |
Ⅰ | ピカドンに死なず | |||
幽鬼の町ヒロシマ | ||||
今堀誠二 | 山口県の西北海岸、一兵士。 | |||
古賀八重子 | ||||
少国民の最後 | ||||
「菩提樹」をうたう少女 | ||||
敗戦を飾る犠牲者の美 | ||||
世界の良心は告発する | ||||
ピカドンに屈せず | ||||
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 | ||||
Ⅱ | 占領軍に屈せず | |||
1 | 第二の誕生 | |||
「生ましめん哉」 | ||||
栗原氏と「中国文化」 | ||||
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 | ||||
プレスコード下の最初の刊行物 | ||||
『中国文化』創刊号 | ||||
ヒロシマは歴史の証人 | ||||
2 | ざんげの道 | |||
悲嘆の日記「さんげ」 | ||||
トマトをめぐる母子の悲歌 | ||||
守られた非合法出版物 | ||||
死の商人のざんげ | ||||
地球を動かす支点 | ||||
警告ビラは回収された | ||||
3 | 無欲の顔 | |||
村にきたジープ | ||||
原爆について語るな | ||||
作家の眼がとらえた「屍の街」 | ||||
無欲顔貌 | ||||
人間の精神はボロになった | ||||
平和をかえして下さい | ||||
いまだ癒えぬ傷あと | ||||
4 | 原爆エレジー | |||
原子野に咲いた「夏の花」 | ||||
壊された詩碑 | ||||
忘れかけたあの日の記憶 | ||||
「長崎の鐘」 | ||||
原爆エレジーの流行 | ||||
5 | よみがえった記録映画 | |||
映像になった記録 | ||||
占領軍の撮影禁止 | ||||
生きていたプリント | ||||
公開された被爆写真 | ||||
6 | 科学者の道 | |||
廃墟に芽ばえた国民の科学 | ||||
災害調査はじまる | ||||
奇病の発生第二期症状 | ||||
病理へ振るうメス | ||||
全滅した劇団「桜隊」 | ||||
都築氏の活躍 | ||||
世界最初の原爆症講演会 | ||||
原爆症救護病院 | ||||
山津波にのまれた京大班 | ||||
災害調査研究特別委員会 | ||||
きびしい原爆の秘密保持 | ||||
撤去された研究施設 | ||||
原爆はGHQのタブー | ||||
終戦の日に始った原爆戦争の準備 | ||||
恐るべき後遺症 | ||||
原爆症とは何か | ||||
被爆者はABCCのモルモットか | ||||
原爆禁止は科学者の道 | ||||
Ⅲ | ノー・モア・ヒロシマ | |||
1 | 原爆は戦争ではない | |||
広島に向った青い眼の記者 | ||||
死臭と敵意の中で | ||||
ヒロシマからの報告 | ||||
人類よ!広島をくり返すな | ||||
原爆患者の存在を抹殺 | ||||
勝利した官製ニュース | ||||
二つの原爆処理方式 | ||||
科学者の「十字軍」 | ||||
2 | 人道主義と反戦主義 | |||
全米を震撼させた実話小説 | ||||
「ヒロシマ」の主人公たち | ||||
人道主義の原爆否定 | ||||
同情はごめんだ | ||||
アメリカの盲点 | ||||
世界連邦主義 | ||||
ピース・センターと精神養子 | ||||
原爆乙女の厚生 | ||||
憤激をかったルーズベルト夫人 | ||||
原爆乙女は立証する | ||||
3 | 平和祭 | |||
広島平和復興祭 | ||||
46・7年の世界の動き | ||||
マ元帥の教書と「平和宣言」 | ||||
原爆をとりあげたアメリカの新聞 | ||||
8・6をカーニバルにするな | ||||
世界でもたれたヒロシマ・デー | ||||
貧弱だった「原爆否定の研究室」 | ||||
平和こそ女性の幸福の源 | ||||
原爆外交と広島の復興 | ||||
大衆から浮いた平和祭 | ||||
4 | 偏見を乗り越えて | |||
東洋にかけるアメリカの橋 | ||||
クエーカーの絶対平和主義 | ||||
シュモー氏の「広島の家」 | ||||
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ | ||||
神よ平和を来らし給え | ||||
むずかしい平和住宅の運営 | ||||
ブ夫人の公民館 | ||||
平和運動を離れた「広島の家」 | ||||
平和精神をうらづけるものは何か | ||||
シュ氏のピントの甘さ | ||||
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 | ||||
Ⅳ | 過ちは繰返しませぬ | |||
殴殺されたアメリカ兵 | ||||
恩讐を越えた供養塔 | ||||
原爆で死んだ異国の人 | ||||
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから | ||||
あとがき |
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
章 | 節 | |||
Ⅴ | 崩れぬ平和をかえせ | |||
あるブルジョアの一家 | ||||
三吉の少年時代 | ||||
原爆の日より | ||||
広島日鋼争議 | ||||
平和大会と「われらの詩」 | ||||
朝鮮戦争への抵抗 | ||||
砲声下の原爆詩集 | ||||
平和運動の組織化へ | ||||
美しい生涯と原爆症 | ||||
生きている峠三吉 | ||||
Ⅵ | 朝鮮戦争に抗して | |||
1 | 原爆禁止運動の烽火 | |||
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について | ||||
2 | ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ | |||
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 | ||||
3 | 流星光底長蛇を逸す | |||
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 | ||||
4 | 冬の旅を行く | |||
Ⅶ | 人命は冷戦より尊い | |||
1 | 原水協のうまれるまで | |||
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 | ||||
2 | 輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 | |||
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 | ||||
3 | 原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 | |||
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 | ||||
4 | フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 | |||
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 | ||||
5 | 東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 | |||
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 | ||||
6 | 東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 | |||
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 | ||||
7 | 世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 | |||
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 | ||||
Ⅷ | 新紀元は始まる | |||
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる | ||||
あとがき | ||||
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。 下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
||||
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 | ||||
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 | ||||
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 | ||||
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
章 | 節 | 登場人物 | 備考 | |
Ⅰ | ピカドンに死なず | |||
幽鬼の町ヒロシマ | ||||
今堀誠二 | 山口県の西北海岸、一兵士。 | |||
古賀八重子 | ||||
少国民の最後 | ||||
「菩提樹」をうたう少女 | ||||
敗戦を飾る犠牲者の美 | ||||
世界の良心は告発する | ||||
ピカドンに屈せず | ||||
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 | ||||
Ⅱ | 占領軍に屈せず | |||
1 | 第二の誕生 | |||
「生ましめん哉」 | ||||
栗原氏と「中国文化」 | ||||
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 | ||||
プレスコード下の最初の刊行物 | ||||
『中国文化』創刊号 | ||||
ヒロシマは歴史の証人 | ||||
2 | ざんげの道 | |||
悲嘆の日記「さんげ」 | ||||
トマトをめぐる母子の悲歌 | ||||
守られた非合法出版物 | ||||
死の商人のざんげ | ||||
地球を動かす支点 | ||||
警告ビラは回収された | ||||
3 | 無欲の顔 | |||
村にきたジープ | ||||
原爆について語るな | ||||
作家の眼がとらえた「屍の街」 | ||||
無欲顔貌 | ||||
人間の精神はボロになった | ||||
平和をかえして下さい | ||||
いまだ癒えぬ傷あと | ||||
4 | 原爆エレジー | |||
原子野に咲いた「夏の花」 | ||||
壊された詩碑 | ||||
忘れかけたあの日の記憶 | ||||
「長崎の鐘」 | ||||
原爆エレジーの流行 | ||||
5 | よみがえった記録映画 | |||
映像になった記録 | ||||
占領軍の撮影禁止 | ||||
生きていたプリント | ||||
公開された被爆写真 | ||||
6 | 科学者の道 | |||
廃墟に芽ばえた国民の科学 | ||||
災害調査はじまる | ||||
奇病の発生第二期症状 | ||||
病理へ振るうメス | ||||
全滅した劇団「桜隊」 | ||||
都築氏の活躍 | ||||
世界最初の原爆症講演会 | ||||
原爆症救護病院 | ||||
山津波にのまれた京大班 | ||||
災害調査研究特別委員会 | ||||
きびしい原爆の秘密保持 | ||||
撤去された研究施設 | ||||
原爆はGHQのタブー | ||||
終戦の日に始った原爆戦争の準備 | ||||
恐るべき後遺症 | ||||
原爆症とは何か | ||||
被爆者はABCCのモルモットか | ||||
原爆禁止は科学者の道 | ||||
Ⅲ | ノー・モア・ヒロシマ | |||
1 | 原爆は戦争ではない | |||
広島に向った青い眼の記者 | ||||
死臭と敵意の中で | ||||
ヒロシマからの報告 | ||||
人類よ!広島をくり返すな | ||||
原爆患者の存在を抹殺 | ||||
勝利した官製ニュース | ||||
二つの原爆処理方式 | ||||
科学者の「十字軍」 | ||||
2 | 人道主義と反戦主義 | |||
全米を震撼させた実話小説 | ||||
「ヒロシマ」の主人公たち | ||||
人道主義の原爆否定 | ||||
同情はごめんだ | ||||
アメリカの盲点 | ||||
世界連邦主義 | ||||
ピース・センターと精神養子 | ||||
原爆乙女の厚生 | ||||
憤激をかったルーズベルト夫人 | ||||
原爆乙女は立証する | ||||
3 | 平和祭 | |||
広島平和復興祭 | ||||
46・7年の世界の動き | ||||
マ元帥の教書と「平和宣言」 | ||||
原爆をとりあげたアメリカの新聞 | ||||
8・6をカーニバルにするな | ||||
世界でもたれたヒロシマ・デー | ||||
貧弱だった「原爆否定の研究室」 | ||||
平和こそ女性の幸福の源 | ||||
原爆外交と広島の復興 | ||||
大衆から浮いた平和祭 | ||||
4 | 偏見を乗り越えて | |||
東洋にかけるアメリカの橋 | ||||
クエーカーの絶対平和主義 | ||||
シュモー氏の「広島の家」 | ||||
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ | ||||
神よ平和を来らし給え | ||||
むずかしい平和住宅の運営 | ||||
ブ夫人の公民館 | ||||
平和運動を離れた「広島の家」 | ||||
平和精神をうらづけるものは何か | ||||
シュ氏のピントの甘さ | ||||
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 | ||||
Ⅳ | 過ちは繰返しませぬ | |||
殴殺されたアメリカ兵 | ||||
恩讐を越えた供養塔 | ||||
原爆で死んだ異国の人 | ||||
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから | ||||
あとがき |
かけはし(YMCA国際平和研究所通信)
号 | 発行年 | 備考 |
1 | 19840701 | P(ピカ資料研究所所蔵) |
相原和光 | 生命の自由を私たちの手に | |
2 | 19841001 | P |
今堀誠二 | YMCA国際平和研究所の緊急の任務 | |
3 | 19850101 | P |
栗野鳳 | 全人類的課題にどうとりくむか | |
4 | 19850401 | P |
福田垂穂 | 青年による平和のネットワークを―国際青年年のはじめに | |
5 | 19850701 | P |
河村盛明 | ひろがる平和都市連帯 |
『広島大学の50年』(広島大学50年史編集専門委員会・広島大学50年史編集室編、広島大学、19991105)
備考 | ||
刊行のことば | 原田康夫(広島大学長) | |
広島大学歌・ | ||
目次<東広島キャンパス航空写真> | ||
光をもとめて-廃墟からの出発 | ||
1 | 広島大学の源流 | |
2 | 原爆被害と復興 | |
3 | 広島大学の開学 | |
4 | 大学院・専攻科の発足 | |
5 | 分散キャンパスの整理 | |
6 | 校舎・施設の新築 | |
光のなかで-青春の広島大学 | ||
7 | 入試・入学-キャンパスに桜 | |
8 | 女子学生・社会人学生-学生の多様化 | |
9 | 一般教育・教養的教育-問われ続ける「教養」 | |
10 | 授業の風景-頭と身体を使って | |
11 | オリエンテーション-ようこそ広大へ | |
12 | スポーツ-体育会とレジャー | |
13 | 文化系サークル-学生生活の彩り | |
14 | 学生自治-「ダンコウ」って何ですか? | |
15 | 平和-ヒロシマを考える | |
16 | 衣-角帽から茶髪へ | |
17 | 食-安いのが一番 | |
18 | 住-四畳半からフローリング・エアコン付きへ | |
19 | 大学祭-「独立をわれらの国に」から「PLEASURE」へ | |
20 | 学生街-集う・飲む・歌う | |
21 | 留学生-ヒロシマで学ぶ、ヒロシマが学ぶ | |
22 | 卒業・就職・同窓会 | |
光とともに-発展する広島大学 | ||
23 | 総合科学部-新しいパラダイムの創出 | |
24 | 文学部-人間の根源をたずねて | |
25 | 教育学部-教育の総合的研究をめざして | |
26 | 学校教育学部-教育実践に心をよせて | |
27 | 政経学部から法学部、経済学部へ -地域に根ざした社会科学をめざして |
|
28 | 理学部-自然の真理を求めて | |
29 | 医学部-医療の新しいかたちを求めて | |
30 | 歯学部-歯学の新たな展開をめざして | |
31 | 工学部-科学技術の開発をめざして | |
32 | 水畜産学部から生物生産学部へ-食糧を科学する | |
33 | 大学院の再編-新たな学問領域の開拓 | |
34 | 理論物理学研究所・原爆放射能医学研究所 | |
35 | 附属図書館-知の集積 | |
36 | 附属学校-研究と教育の結節点 | |
37 | 事務組織-大学を支えてきた職員たち | |
光あふれて-挑戦する広島大学 | ||
38 | 改革の季節 | |
39 | 統合移転の計画 | |
40 | 西条への移転 | |
41 | 部局を越えた共同教育研究施設 | |
42 | 研究基盤の充実 | |
43 | 学術研究の成果 | |
44 | 地域社会とともに | |
45 | 地域の教育を支える | |
46 | 産業界との連携 | |
47 | 国際学術交流 | |
48 | 国際化への対応 | |
49 | 進む情報化 | |
50 | 社会への発信 | |
卒業生10万人 | ||
年表 | ||
年 | ||
1874 | 創立前史 | |
1950 | 森戸辰男(初代学長) | |
1963 | 皇至道(第2代学長) | |
1966 | 川村智治郎(第3代学長) | |
1969 | 飯島宗一(第4代学長) | |
1977 | 竹山晴夫(第5代学長) | |
1981 | 頼実正弘(第6代学長) | |
1985 | 沖原豊(第7代学長) | |
1989 | 田中隆荘(第8代学長) | |
1993 | 原田康夫(第9代学長) | |
出典一覧 | ||
編集後記 | 頼祺一(編集専門委員会委員長) | |
広島大学50年史編集専門委員会 | <・・・宇吹暁・・・> | |
広島大学50年史編集室 |
『消えたペン-新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編 、汐文社、19880718)
目次
頁 | 項目 | 備考 |
003 | はじめに | 中国新聞労働組合不戦の碑実行委員会 |
009 | 炎熱のもとで取材したこと | 大佐古一郎 |
019 | <記録>新聞労働者の1945・8・6 | |
相川愛子さん(21) 相原利夫さん(23) 有馬軍治さん(25) 井川勝雄さん(28) 伊藤音三郎さん(29) 石井道子さん(32) 石井諒一さん(36) 出雲初一さん(39) 今田レツさん(42) 今出良秋さん(44) 上田照子さん(46) 後チサ子さん(50) 小野一明さん(53) 落窪ミカさん(55) 神田留次郎さん(57) 本原フサヨさん(59) 北山一男さん(63) 串本誉さん(65) 桑原玉江さん(67) 小迫周蔵さん・美律枝さん(68) 小谷増夫さん(70) 河野秀三さん(72) 佐伯カメさん(84) 佐上美代子さん(77) 佐々木猪勢治さん(80) 佐瀬実さん(84) 坂本定造さん(86) 下本キクエさん(88) 下江達重さん(91) 新城朝子さん(96) 杉野勝吉さん(97) 高田久子さん(100) 竹前省三さん(102) 千葉恭子さん(105) 寺尾政之さん(107) 寺本簫三さん(108) 戸田正記さん(111) 伴谷ヤスヨさん(112) 中井ヨシヱさん(114) 中野勝正さん(115) 仲伏一之さん(118) 中村正男さん(121) 難波くみ子さん(124) 西村静一さん(126) 馬場謙一郎さん(128) 橋本令一さん(130) 桧山八重子さん(132) 平本ウメ子さん(134) 深川庄三郎さん(136) 福井ミツヱさん(137) 藤勇哲さん(140) 法安雅次さん(143) 細川儀一さん(146) 前田英子さん(148) 三木芳郎さん(150) 三田久ニさん(152) 三好友太郎さん(155) 水原智識さん(157) 宮武松三郎さん(161) 宮本軍一さん(163) 宮本澄香さん(165) 宮本藤吉さん(166) 望月慶三さん(168) 矢田茂さん(170) 保田博さん(173) 山井治吉さん(176) 山根喜美子さん(179) 山本利さん(181) 横田怐治さん(185) 横山隆ニさん(186) 吉田芳夫さん(189) 若林ツネヨさん(190) | ||
192 | 藤間侃治(合同新聞=現山陽新聞) | |
196 | <座談会>「不戦の碑」運動と犠牲者遺族取材を通して | |
204 | 戦時編集局の八月六日 | ト部清隆 |
209 | 逝ってしまった先輩たち | 兼井亨 |
214 | 原爆と私 | 下住忠 |
218 | 涙でうるんだファインダー | 松重美人 |
224 | おわりに | 浅井幹夫(中国新聞労働組合執行委員長) |
『ひろしま今昔-’80広島市政指定都市記念』(広島市公文書館編、広島市、19800904)
目次
章 | 項目 | 備考 |
ごあいさつ(荒木武) | ||
ポスター・公文書・写真にみる広島90年 | ||
1 | 明治の広島と市制誕生 | |
2 | 軍都のはじまり | |
3 | 都市の発達 | |
4 | 教育の発展 | |
5 | 不況の波と大戦の足音 | |
6 | 戦時体制の進展 | |
7 | 国民精神総動員 | |
8 | 大戦の勃発 | |
9 | 敗戦への道 | |
10 | 広島の昭和20年 | |
11 | 被爆後の市民生活 | |
12 | ヒロシマの声 | |
13 | 復興にむかって | |
14 | 建設のひびき | |
15 | 広島の発展 | |
市民による広島市の新しい美の発見 | ||
選者評 | ||
広島のあゆみ(年表) | ||
広島市の行政区画 | ||
160 | あとがき(小堺吉光) |