原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)
中国新聞連載
年月日 |
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19680307(上) |
今堀誠二 |
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特質無視のウ報告 資料の不足で迫力欠く 原爆被災資料広島研究会への期待 |
19680308(中) |
山崎与三郎(原爆資料保存会幹事) |
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原爆資料の重要性 体験と実証で平和を 年とともに困難さ増す |
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19680308(下) |
田原伯(原爆文献研究家) |
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個人の体験からの発言 分類・整理が急務 独力で一万点を集める |
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気違い扱いの十年 |
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10年余り前、それまでの務めをやめて、ただ原爆資料の収集に全生活を当てたので私は「原キチ」と呼ばれ、変り者扱いにされてきた。 |
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現在約一万点の原爆資料を集めることができた。 |
資料不備な図書館 |
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全国の古本屋捜し |
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整理・研究が日課 |
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収集三原則と分類 |
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これは田原氏の談話をまとめたものである。 |
ヒロシマ研究の会満1周年記念映画会(案内ビラ)
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1968年6月16日 於:広島YMCA 映画:「ひろしま」、「生きていてよかった」 |
ピカ資料研究所所蔵 |
ピカ暦(ぴかごよみ)19680806
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
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<以下未完> |
章 |
節 |
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Ⅴ |
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崩れぬ平和をかえせ |
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あるブルジョアの一家 |
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三吉の少年時代 |
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原爆の日より |
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広島日鋼争議 |
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平和大会と「われらの詩」 |
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朝鮮戦争への抵抗 |
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砲声下の原爆詩集 |
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平和運動の組織化へ |
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美しい生涯と原爆症 |
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生きている峠三吉 |
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Ⅵ |
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朝鮮戦争に抗して |
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1 |
原爆禁止運動の烽火 |
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|
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について |
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2 |
ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ |
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広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 |
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3 |
流星光底長蛇を逸す |
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|
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 |
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4 |
冬の旅を行く |
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Ⅶ |
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人命は冷戦より尊い |
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1 |
原水協のうまれるまで |
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ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 |
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2 |
輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 |
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|
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 |
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3 |
原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 |
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|
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 |
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4 |
フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 |
|
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|
|
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 |
|
|
|
5 |
東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 |
|
|
|
|
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 |
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6 |
東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 |
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|
|
|
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 |
|
|
|
7 |
世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 |
|
|
|
|
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 |
|
|
Ⅷ |
|
新紀元は始まる |
|
|
|
|
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる |
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|
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|
|
あとがき |
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|
|
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
|
|
|
|
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 |
|
|
|
|
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 |
|
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|
|
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 |
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|
|
|
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
|
|
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
|
以下未完 |
章 |
節 |
|
登場人物 |
備考 |
Ⅰ |
|
ピカドンに死なず |
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|
幽鬼の町ヒロシマ |
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|
今堀誠二 |
山口県の西北海岸、一兵士。 |
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|
古賀八重子 |
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|
少国民の最後 |
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|
「菩提樹」をうたう少女 |
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|
敗戦を飾る犠牲者の美 |
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|
世界の良心は告発する |
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ピカドンに屈せず |
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|
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 |
Ⅱ |
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占領軍に屈せず |
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1 |
第二の誕生 |
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|
「生ましめん哉」 |
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|
栗原氏と「中国文化」 |
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|
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 |
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プレスコード下の最初の刊行物 |
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|
『中国文化』創刊号 |
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ヒロシマは歴史の証人 |
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2 |
ざんげの道 |
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悲嘆の日記「さんげ」 |
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トマトをめぐる母子の悲歌 |
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守られた非合法出版物 |
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死の商人のざんげ |
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地球を動かす支点 |
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警告ビラは回収された |
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3 |
無欲の顔 |
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村にきたジープ |
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原爆について語るな |
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作家の眼がとらえた「屍の街」 |
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無欲顔貌 |
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|
人間の精神はボロになった |
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|
平和をかえして下さい |
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いまだ癒えぬ傷あと |
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4 |
原爆エレジー |
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原子野に咲いた「夏の花」 |
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|
壊された詩碑 |
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|
忘れかけたあの日の記憶 |
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「長崎の鐘」 |
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原爆エレジーの流行 |
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5 |
よみがえった記録映画 |
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映像になった記録 |
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占領軍の撮影禁止 |
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生きていたプリント |
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公開された被爆写真 |
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6 |
科学者の道 |
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廃墟に芽ばえた国民の科学 |
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災害調査はじまる |
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奇病の発生第二期症状 |
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病理へ振るうメス |
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全滅した劇団「桜隊」 |
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都築氏の活躍 |
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世界最初の原爆症講演会 |
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原爆症救護病院 |
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山津波にのまれた京大班 |
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災害調査研究特別委員会 |
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きびしい原爆の秘密保持 |
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撤去された研究施設 |
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原爆はGHQのタブー |
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|
終戦の日に始った原爆戦争の準備 |
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恐るべき後遺症 |
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原爆症とは何か |
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被爆者はABCCのモルモットか |
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原爆禁止は科学者の道 |
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Ⅲ |
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ノー・モア・ヒロシマ |
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1 |
原爆は戦争ではない |
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広島に向った青い眼の記者 |
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死臭と敵意の中で |
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ヒロシマからの報告 |
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人類よ!広島をくり返すな |
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原爆患者の存在を抹殺 |
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勝利した官製ニュース |
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二つの原爆処理方式 |
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科学者の「十字軍」 |
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2 |
人道主義と反戦主義 |
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|
全米を震撼させた実話小説 |
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|
「ヒロシマ」の主人公たち |
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|
人道主義の原爆否定 |
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同情はごめんだ |
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|
アメリカの盲点 |
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|
世界連邦主義 |
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ピース・センターと精神養子 |
|
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|
原爆乙女の厚生 |
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|
憤激をかったルーズベルト夫人 |
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|
原爆乙女は立証する |
|
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3 |
平和祭 |
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|
広島平和復興祭 |
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|
46・7年の世界の動き |
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|
マ元帥の教書と「平和宣言」 |
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|
原爆をとりあげたアメリカの新聞 |
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8・6をカーニバルにするな |
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世界でもたれたヒロシマ・デー |
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貧弱だった「原爆否定の研究室」 |
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|
平和こそ女性の幸福の源 |
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原爆外交と広島の復興 |
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大衆から浮いた平和祭 |
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4 |
偏見を乗り越えて |
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|
東洋にかけるアメリカの橋 |
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|
クエーカーの絶対平和主義 |
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シュモー氏の「広島の家」 |
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|
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ |
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神よ平和を来らし給え |
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|
むずかしい平和住宅の運営 |
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ブ夫人の公民館 |
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|
平和運動を離れた「広島の家」 |
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|
平和精神をうらづけるものは何か |
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シュ氏のピントの甘さ |
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ブ夫人への一票は原爆防止の一票 |
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Ⅳ |
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過ちは繰返しませぬ |
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|
殴殺されたアメリカ兵 |
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恩讐を越えた供養塔 |
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原爆で死んだ異国の人 |
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|
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから |
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|
あとがき |
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『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
章 |
節 |
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Ⅴ |
|
崩れぬ平和をかえせ |
|
|
|
|
あるブルジョアの一家 |
|
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|
|
三吉の少年時代 |
|
|
|
|
原爆の日より |
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|
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|
広島日鋼争議 |
|
|
|
|
平和大会と「われらの詩」 |
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|
|
朝鮮戦争への抵抗 |
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|
砲声下の原爆詩集 |
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|
|
平和運動の組織化へ |
|
|
|
|
美しい生涯と原爆症 |
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|
|
|
生きている峠三吉 |
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Ⅵ |
|
朝鮮戦争に抗して |
|
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|
1 |
原爆禁止運動の烽火 |
|
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|
|
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について |
|
|
|
2 |
ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ |
|
|
|
|
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 |
|
|
|
3 |
流星光底長蛇を逸す |
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|
|
|
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 |
|
|
|
4 |
冬の旅を行く |
|
|
Ⅶ |
|
人命は冷戦より尊い |
|
|
|
1 |
原水協のうまれるまで |
|
|
|
|
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 |
|
|
|
2 |
輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 |
|
|
|
|
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 |
|
|
|
3 |
原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 |
|
|
|
|
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 |
|
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|
4 |
フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 |
|
|
|
|
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 |
|
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|
5 |
東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 |
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|
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 |
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6 |
東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 |
|
|
|
|
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 |
|
|
|
7 |
世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 |
|
|
|
|
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 |
|
|
Ⅷ |
|
新紀元は始まる |
|
|
|
|
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる |
|
|
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|
|
|
|
あとがき |
|
|
|
|
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
|
|
|
|
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 |
|
|
|
|
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 |
|
|
|
|
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 |
|
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|
|
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
|
|
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
章 |
節 |
|
登場人物 |
備考 |
Ⅰ |
|
ピカドンに死なず |
|
|
幽鬼の町ヒロシマ |
|
|
|
今堀誠二 |
山口県の西北海岸、一兵士。 |
|
|
|
古賀八重子 |
|
|
|
少国民の最後 |
|
|
「菩提樹」をうたう少女 |
|
|
敗戦を飾る犠牲者の美 |
|
|
世界の良心は告発する |
|
|
ピカドンに屈せず |
|
|
|
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 |
Ⅱ |
|
占領軍に屈せず |
|
|
|
1 |
第二の誕生 |
|
|
|
|
「生ましめん哉」 |
|
|
|
栗原氏と「中国文化」 |
|
|
|
|
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 |
|
|
プレスコード下の最初の刊行物 |
|
|
|
|
『中国文化』創刊号 |
|
|
|
|
|
|
|
ヒロシマは歴史の証人 |
|
|
2 |
ざんげの道 |
|
|
|
|
悲嘆の日記「さんげ」 |
|
|
|
トマトをめぐる母子の悲歌 |
|
|
|
守られた非合法出版物 |
|
|
|
死の商人のざんげ |
|
|
|
地球を動かす支点 |
|
|
|
警告ビラは回収された |
|
|
3 |
無欲の顔 |
|
|
|
|
村にきたジープ |
|
|
|
原爆について語るな |
|
|
|
作家の眼がとらえた「屍の街」 |
|
|
|
無欲顔貌 |
|
|
|
人間の精神はボロになった |
|
|
|
平和をかえして下さい |
|
|
|
いまだ癒えぬ傷あと |
|
|
4 |
原爆エレジー |
|
|
|
|
原子野に咲いた「夏の花」 |
|
|
|
壊された詩碑 |
|
|
|
忘れかけたあの日の記憶 |
|
|
|
「長崎の鐘」 |
|
|
|
原爆エレジーの流行 |
|
|
5 |
よみがえった記録映画 |
|
|
|
映像になった記録 |
|
|
|
占領軍の撮影禁止 |
|
|
|
生きていたプリント |
|
|
|
公開された被爆写真 |
|
|
6 |
科学者の道 |
|
|
|
|
廃墟に芽ばえた国民の科学 |
|
|
|
災害調査はじまる |
|
|
|
奇病の発生第二期症状 |
|
|
|
病理へ振るうメス |
|
|
|
全滅した劇団「桜隊」 |
|
|
|
都築氏の活躍 |
|
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世界最初の原爆症講演会 |
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原爆症救護病院 |
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山津波にのまれた京大班 |
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災害調査研究特別委員会 |
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きびしい原爆の秘密保持 |
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撤去された研究施設 |
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原爆はGHQのタブー |
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終戦の日に始った原爆戦争の準備 |
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恐るべき後遺症 |
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原爆症とは何か |
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被爆者はABCCのモルモットか |
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原爆禁止は科学者の道 |
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Ⅲ |
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ノー・モア・ヒロシマ |
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1 |
原爆は戦争ではない |
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広島に向った青い眼の記者 |
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死臭と敵意の中で |
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ヒロシマからの報告 |
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人類よ!広島をくり返すな |
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原爆患者の存在を抹殺 |
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勝利した官製ニュース |
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二つの原爆処理方式 |
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科学者の「十字軍」 |
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2 |
人道主義と反戦主義 |
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全米を震撼させた実話小説 |
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「ヒロシマ」の主人公たち |
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人道主義の原爆否定 |
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同情はごめんだ |
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アメリカの盲点 |
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世界連邦主義 |
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ピース・センターと精神養子 |
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原爆乙女の厚生 |
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憤激をかったルーズベルト夫人 |
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原爆乙女は立証する |
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3 |
平和祭 |
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広島平和復興祭 |
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46・7年の世界の動き |
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マ元帥の教書と「平和宣言」 |
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原爆をとりあげたアメリカの新聞 |
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8・6をカーニバルにするな |
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世界でもたれたヒロシマ・デー |
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貧弱だった「原爆否定の研究室」 |
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平和こそ女性の幸福の源 |
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原爆外交と広島の復興 |
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大衆から浮いた平和祭 |
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4 |
偏見を乗り越えて |
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東洋にかけるアメリカの橋 |
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クエーカーの絶対平和主義 |
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シュモー氏の「広島の家」 |
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私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ |
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神よ平和を来らし給え |
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むずかしい平和住宅の運営 |
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ブ夫人の公民館 |
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平和運動を離れた「広島の家」 |
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平和精神をうらづけるものは何か |
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シュ氏のピントの甘さ |
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ブ夫人への一票は原爆防止の一票 |
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Ⅳ |
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過ちは繰返しませぬ |
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殴殺されたアメリカ兵 |
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恩讐を越えた供養塔 |
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原爆で死んだ異国の人 |
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安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから |
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あとがき |
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かけはし(YMCA国際平和研究所通信)
号 |
発行年 |
備考 |
1 |
19840701 |
P(ピカ資料研究所所蔵) |
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相原和光 |
生命の自由を私たちの手に |
2 |
19841001 |
P |
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今堀誠二 |
YMCA国際平和研究所の緊急の任務 |
3 |
19850101 |
P |
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栗野鳳 |
全人類的課題にどうとりくむか |
4 |
19850401 |
P |
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福田垂穂 |
青年による平和のネットワークを―国際青年年のはじめに |
5 |
19850701 |
P |
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河村盛明 |
ひろがる平和都市連帯 |
『広島大学の50年』(広島大学50年史編集専門委員会・広島大学50年史編集室編、広島大学、19991105)
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備考 |
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刊行のことば |
原田康夫(広島大学長) |
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広島大学歌・ |
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目次<東広島キャンパス航空写真> |
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光をもとめて-廃墟からの出発 |
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1 |
広島大学の源流 |
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2 |
原爆被害と復興 |
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3 |
広島大学の開学 |
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4 |
大学院・専攻科の発足 |
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5 |
分散キャンパスの整理 |
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6 |
校舎・施設の新築 |
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光のなかで-青春の広島大学 |
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7 |
入試・入学-キャンパスに桜 |
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8 |
女子学生・社会人学生-学生の多様化 |
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9 |
一般教育・教養的教育-問われ続ける「教養」 |
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10 |
授業の風景-頭と身体を使って |
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11 |
オリエンテーション-ようこそ広大へ |
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12 |
スポーツ-体育会とレジャー |
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13 |
文化系サークル-学生生活の彩り |
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14 |
学生自治-「ダンコウ」って何ですか? |
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15 |
平和-ヒロシマを考える |
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16 |
衣-角帽から茶髪へ |
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17 |
食-安いのが一番 |
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18 |
住-四畳半からフローリング・エアコン付きへ |
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19 |
大学祭-「独立をわれらの国に」から「PLEASURE」へ |
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20 |
学生街-集う・飲む・歌う |
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21 |
留学生-ヒロシマで学ぶ、ヒロシマが学ぶ |
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22 |
卒業・就職・同窓会 |
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光とともに-発展する広島大学 |
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23 |
総合科学部-新しいパラダイムの創出 |
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24 |
文学部-人間の根源をたずねて |
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25 |
教育学部-教育の総合的研究をめざして |
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26 |
学校教育学部-教育実践に心をよせて |
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27 |
政経学部から法学部、経済学部へ
-地域に根ざした社会科学をめざして |
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28 |
理学部-自然の真理を求めて |
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29 |
医学部-医療の新しいかたちを求めて |
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30 |
歯学部-歯学の新たな展開をめざして |
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31 |
工学部-科学技術の開発をめざして |
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32 |
水畜産学部から生物生産学部へ-食糧を科学する |
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33 |
大学院の再編-新たな学問領域の開拓 |
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34 |
理論物理学研究所・原爆放射能医学研究所 |
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35 |
附属図書館-知の集積 |
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36 |
附属学校-研究と教育の結節点 |
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37 |
事務組織-大学を支えてきた職員たち |
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光あふれて-挑戦する広島大学 |
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38 |
改革の季節 |
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39 |
統合移転の計画 |
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40 |
西条への移転 |
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41 |
部局を越えた共同教育研究施設 |
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42 |
研究基盤の充実 |
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43 |
学術研究の成果 |
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44 |
地域社会とともに |
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45 |
地域の教育を支える |
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46 |
産業界との連携 |
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47 |
国際学術交流 |
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48 |
国際化への対応 |
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49 |
進む情報化 |
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50 |
社会への発信 |
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卒業生10万人 |
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年表 |
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年 |
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1874 |
創立前史 |
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1950 |
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森戸辰男(初代学長) |
1963 |
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皇至道(第2代学長) |
1966 |
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川村智治郎(第3代学長) |
1969 |
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飯島宗一(第4代学長) |
1977 |
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竹山晴夫(第5代学長) |
1981 |
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頼実正弘(第6代学長) |
1985 |
|
沖原豊(第7代学長) |
1989 |
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田中隆荘(第8代学長) |
1993 |
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原田康夫(第9代学長) |
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出典一覧 |
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編集後記 |
頼祺一(編集専門委員会委員長) |
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広島大学50年史編集専門委員会 |
<・・・宇吹暁・・・> |
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広島大学50年史編集室 |
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『消えたペン-新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編 、汐文社、19880718)
目次
頁 |
項目 |
備考 |
003 |
はじめに |
中国新聞労働組合不戦の碑実行委員会 |
009 |
炎熱のもとで取材したこと |
大佐古一郎 |
019 |
<記録>新聞労働者の1945・8・6 |
|
相川愛子さん(21) 相原利夫さん(23) 有馬軍治さん(25) 井川勝雄さん(28) 伊藤音三郎さん(29) 石井道子さん(32) 石井諒一さん(36) 出雲初一さん(39) 今田レツさん(42) 今出良秋さん(44) 上田照子さん(46) 後チサ子さん(50) 小野一明さん(53) 落窪ミカさん(55) 神田留次郎さん(57) 本原フサヨさん(59) 北山一男さん(63) 串本誉さん(65) 桑原玉江さん(67) 小迫周蔵さん・美律枝さん(68) 小谷増夫さん(70) 河野秀三さん(72) 佐伯カメさん(84) 佐上美代子さん(77) 佐々木猪勢治さん(80) 佐瀬実さん(84) 坂本定造さん(86) 下本キクエさん(88) 下江達重さん(91) 新城朝子さん(96) 杉野勝吉さん(97) 高田久子さん(100) 竹前省三さん(102) 千葉恭子さん(105) 寺尾政之さん(107) 寺本簫三さん(108) 戸田正記さん(111) 伴谷ヤスヨさん(112) 中井ヨシヱさん(114) 中野勝正さん(115) 仲伏一之さん(118) 中村正男さん(121) 難波くみ子さん(124) 西村静一さん(126) 馬場謙一郎さん(128) 橋本令一さん(130) 桧山八重子さん(132) 平本ウメ子さん(134) 深川庄三郎さん(136) 福井ミツヱさん(137) 藤勇哲さん(140) 法安雅次さん(143) 細川儀一さん(146) 前田英子さん(148) 三木芳郎さん(150) 三田久ニさん(152) 三好友太郎さん(155) 水原智識さん(157) 宮武松三郎さん(161) 宮本軍一さん(163) 宮本澄香さん(165) 宮本藤吉さん(166) 望月慶三さん(168) 矢田茂さん(170) 保田博さん(173) 山井治吉さん(176) 山根喜美子さん(179) 山本利さん(181) 横田怐治さん(185) 横山隆ニさん(186) 吉田芳夫さん(189) 若林ツネヨさん(190) |
192 |
藤間侃治(合同新聞=現山陽新聞) |
196 |
<座談会>「不戦の碑」運動と犠牲者遺族取材を通して |
204 |
戦時編集局の八月六日 |
ト部清隆 |
209 |
逝ってしまった先輩たち |
兼井亨 |
214 |
原爆と私 |
下住忠 |
218 |
涙でうるんだファインダー |
松重美人 |
224 |
おわりに |
浅井幹夫(中国新聞労働組合執行委員長) |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。