『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
 |
| <以下未完> |
| 章 |
節 |
|
|
|
| Ⅴ |
|
崩れぬ平和をかえせ |
|
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|
|
あるブルジョアの一家 |
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|
三吉の少年時代 |
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原爆の日より |
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|
広島日鋼争議 |
|
|
|
|
平和大会と「われらの詩」 |
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|
|
朝鮮戦争への抵抗 |
|
|
|
|
砲声下の原爆詩集 |
|
|
|
|
平和運動の組織化へ |
|
|
|
|
美しい生涯と原爆症 |
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|
生きている峠三吉 |
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| Ⅵ |
|
朝鮮戦争に抗して |
|
|
|
1 |
原爆禁止運動の烽火 |
|
|
|
|
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について |
|
|
|
2 |
ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ |
|
|
|
|
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 |
|
|
|
3 |
流星光底長蛇を逸す |
|
|
|
|
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 |
|
|
|
4 |
冬の旅を行く |
|
|
| Ⅶ |
|
人命は冷戦より尊い |
|
|
|
1 |
原水協のうまれるまで |
|
|
|
|
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 |
|
|
|
2 |
輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 |
|
|
|
|
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 |
|
|
|
3 |
原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 |
|
|
|
|
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 |
|
|
|
4 |
フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 |
|
|
|
|
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 |
|
|
|
5 |
東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 |
|
|
|
|
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 |
|
|
|
6 |
東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 |
|
|
|
|
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 |
|
|
|
7 |
世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 |
|
|
|
|
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 |
|
|
| Ⅷ |
|
新紀元は始まる |
|
|
|
|
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる |
|
|
|
|
|
|
|
| あとがき |
|
|
|
|
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
|
|
|
|
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 |
|
|
|
|
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 |
|
|
|
|
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 |
|
|
|
|
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
|
|
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
 |
| 以下未完 |
| 章 |
節 |
|
登場人物 |
備考 |
| Ⅰ |
|
ピカドンに死なず |
|
|
幽鬼の町ヒロシマ |
|
|
|
今堀誠二 |
山口県の西北海岸、一兵士。 |
|
|
|
古賀八重子 |
|
|
|
少国民の最後 |
|
|
「菩提樹」をうたう少女 |
|
|
敗戦を飾る犠牲者の美 |
|
|
世界の良心は告発する |
|
|
ピカドンに屈せず |
|
|
|
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 |
| Ⅱ |
|
占領軍に屈せず |
|
|
|
1 |
第二の誕生 |
|
|
|
|
「生ましめん哉」 |
|
|
|
栗原氏と「中国文化」 |
|
|
|
|
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 |
|
|
プレスコード下の最初の刊行物 |
|
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|
|
『中国文化』創刊号 |
|
|
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|
|
|
|
ヒロシマは歴史の証人 |
|
|
2 |
ざんげの道 |
|
|
|
|
悲嘆の日記「さんげ」 |
|
|
|
トマトをめぐる母子の悲歌 |
|
|
|
守られた非合法出版物 |
|
|
|
死の商人のざんげ |
|
|
|
地球を動かす支点 |
|
|
|
警告ビラは回収された |
|
|
3 |
無欲の顔 |
|
|
|
|
村にきたジープ |
|
|
|
原爆について語るな |
|
|
|
作家の眼がとらえた「屍の街」 |
|
|
|
無欲顔貌 |
|
|
|
人間の精神はボロになった |
|
|
|
平和をかえして下さい |
|
|
|
いまだ癒えぬ傷あと |
|
|
4 |
原爆エレジー |
|
|
|
|
原子野に咲いた「夏の花」 |
|
|
|
壊された詩碑 |
|
|
|
忘れかけたあの日の記憶 |
|
|
|
「長崎の鐘」 |
|
|
|
原爆エレジーの流行 |
|
|
5 |
よみがえった記録映画 |
|
|
|
映像になった記録 |
|
|
|
占領軍の撮影禁止 |
|
|
|
生きていたプリント |
|
|
|
公開された被爆写真 |
|
|
6 |
科学者の道 |
|
|
|
|
廃墟に芽ばえた国民の科学 |
|
|
|
災害調査はじまる |
|
|
|
奇病の発生第二期症状 |
|
|
|
病理へ振るうメス |
|
|
|
全滅した劇団「桜隊」 |
|
|
|
都築氏の活躍 |
|
|
|
世界最初の原爆症講演会 |
|
|
|
原爆症救護病院 |
|
|
|
山津波にのまれた京大班 |
|
|
|
災害調査研究特別委員会 |
|
|
|
きびしい原爆の秘密保持 |
|
|
|
撤去された研究施設 |
|
|
|
原爆はGHQのタブー |
|
|
|
終戦の日に始った原爆戦争の準備 |
|
|
|
恐るべき後遺症 |
|
|
|
原爆症とは何か |
|
|
|
被爆者はABCCのモルモットか |
|
|
|
原爆禁止は科学者の道 |
|
|
|
|
|
| Ⅲ |
|
ノー・モア・ヒロシマ |
|
|
1 |
原爆は戦争ではない |
|
|
|
広島に向った青い眼の記者 |
|
|
|
死臭と敵意の中で |
|
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|
ヒロシマからの報告 |
|
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|
人類よ!広島をくり返すな |
|
|
|
原爆患者の存在を抹殺 |
|
|
|
勝利した官製ニュース |
|
|
|
二つの原爆処理方式 |
|
|
|
科学者の「十字軍」 |
|
|
|
|
|
|
2 |
人道主義と反戦主義 |
|
|
|
全米を震撼させた実話小説 |
|
|
|
「ヒロシマ」の主人公たち |
|
|
|
人道主義の原爆否定 |
|
|
|
同情はごめんだ |
|
|
|
アメリカの盲点 |
|
|
|
世界連邦主義 |
|
|
|
ピース・センターと精神養子 |
|
|
|
原爆乙女の厚生 |
|
|
|
憤激をかったルーズベルト夫人 |
|
|
|
原爆乙女は立証する |
|
|
3 |
平和祭 |
|
|
|
広島平和復興祭 |
|
|
|
46・7年の世界の動き |
|
|
|
マ元帥の教書と「平和宣言」 |
|
|
|
原爆をとりあげたアメリカの新聞 |
|
|
8・6をカーニバルにするな |
|
|
世界でもたれたヒロシマ・デー |
|
|
貧弱だった「原爆否定の研究室」 |
|
|
平和こそ女性の幸福の源 |
|
|
原爆外交と広島の復興 |
|
|
大衆から浮いた平和祭 |
|
|
|
|
4 |
偏見を乗り越えて |
|
|
|
東洋にかけるアメリカの橋 |
|
|
クエーカーの絶対平和主義 |
|
|
シュモー氏の「広島の家」 |
|
|
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ |
|
|
神よ平和を来らし給え |
|
|
むずかしい平和住宅の運営 |
|
|
ブ夫人の公民館 |
|
|
平和運動を離れた「広島の家」 |
|
|
平和精神をうらづけるものは何か |
|
|
シュ氏のピントの甘さ |
|
|
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 |
|
|
|
|
| Ⅳ |
|
過ちは繰返しませぬ |
|
|
|
殴殺されたアメリカ兵 |
|
|
恩讐を越えた供養塔 |
|
|
原爆で死んだ異国の人 |
|
|
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから |
|
|
|
|
|
あとがき |
|
|
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
| 章 |
節 |
|
|
|
| Ⅴ |
|
崩れぬ平和をかえせ |
|
|
|
|
あるブルジョアの一家 |
|
|
|
|
三吉の少年時代 |
|
|
|
|
原爆の日より |
|
|
|
|
広島日鋼争議 |
|
|
|
|
平和大会と「われらの詩」 |
|
|
|
|
朝鮮戦争への抵抗 |
|
|
|
|
砲声下の原爆詩集 |
|
|
|
|
平和運動の組織化へ |
|
|
|
|
美しい生涯と原爆症 |
|
|
|
|
生きている峠三吉 |
|
|
| Ⅵ |
|
朝鮮戦争に抗して |
|
|
|
1 |
原爆禁止運動の烽火 |
|
|
|
|
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について |
|
|
|
2 |
ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ |
|
|
|
|
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 |
|
|
|
3 |
流星光底長蛇を逸す |
|
|
|
|
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 |
|
|
|
4 |
冬の旅を行く |
|
|
| Ⅶ |
|
人命は冷戦より尊い |
|
|
|
1 |
原水協のうまれるまで |
|
|
|
|
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 |
|
|
|
2 |
輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 |
|
|
|
|
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 |
|
|
|
3 |
原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 |
|
|
|
|
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 |
|
|
|
4 |
フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 |
|
|
|
|
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 |
|
|
|
5 |
東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 |
|
|
|
|
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 |
|
|
|
6 |
東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 |
|
|
|
|
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 |
|
|
|
7 |
世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 |
|
|
|
|
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 |
|
|
| Ⅷ |
|
新紀元は始まる |
|
|
|
|
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる |
|
|
|
|
|
|
|
| あとがき |
|
|
|
|
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
|
|
|
|
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 |
|
|
|
|
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 |
|
|
|
|
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 |
|
|
|
|
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
|
|
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
| 章 |
節 |
|
登場人物 |
備考 |
| Ⅰ |
|
ピカドンに死なず |
|
|
幽鬼の町ヒロシマ |
|
|
|
今堀誠二 |
山口県の西北海岸、一兵士。 |
|
|
|
古賀八重子 |
|
|
|
少国民の最後 |
|
|
「菩提樹」をうたう少女 |
|
|
敗戦を飾る犠牲者の美 |
|
|
世界の良心は告発する |
|
|
ピカドンに屈せず |
|
|
|
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 |
| Ⅱ |
|
占領軍に屈せず |
|
|
|
1 |
第二の誕生 |
|
|
|
|
「生ましめん哉」 |
|
|
|
栗原氏と「中国文化」 |
|
|
|
|
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 |
|
|
プレスコード下の最初の刊行物 |
|
|
|
|
『中国文化』創刊号 |
|
|
|
|
|
|
|
ヒロシマは歴史の証人 |
|
|
2 |
ざんげの道 |
|
|
|
|
悲嘆の日記「さんげ」 |
|
|
|
トマトをめぐる母子の悲歌 |
|
|
|
守られた非合法出版物 |
|
|
|
死の商人のざんげ |
|
|
|
地球を動かす支点 |
|
|
|
警告ビラは回収された |
|
|
3 |
無欲の顔 |
|
|
|
|
村にきたジープ |
|
|
|
原爆について語るな |
|
|
|
作家の眼がとらえた「屍の街」 |
|
|
|
無欲顔貌 |
|
|
|
人間の精神はボロになった |
|
|
|
平和をかえして下さい |
|
|
|
いまだ癒えぬ傷あと |
|
|
4 |
原爆エレジー |
|
|
|
|
原子野に咲いた「夏の花」 |
|
|
|
壊された詩碑 |
|
|
|
忘れかけたあの日の記憶 |
|
|
|
「長崎の鐘」 |
|
|
|
原爆エレジーの流行 |
|
|
5 |
よみがえった記録映画 |
|
|
|
映像になった記録 |
|
|
|
占領軍の撮影禁止 |
|
|
|
生きていたプリント |
|
|
|
公開された被爆写真 |
|
|
6 |
科学者の道 |
|
|
|
|
廃墟に芽ばえた国民の科学 |
|
|
|
災害調査はじまる |
|
|
|
奇病の発生第二期症状 |
|
|
|
病理へ振るうメス |
|
|
|
全滅した劇団「桜隊」 |
|
|
|
都築氏の活躍 |
|
|
|
世界最初の原爆症講演会 |
|
|
|
原爆症救護病院 |
|
|
|
山津波にのまれた京大班 |
|
|
|
災害調査研究特別委員会 |
|
|
|
きびしい原爆の秘密保持 |
|
|
|
撤去された研究施設 |
|
|
|
原爆はGHQのタブー |
|
|
|
終戦の日に始った原爆戦争の準備 |
|
|
|
恐るべき後遺症 |
|
|
|
原爆症とは何か |
|
|
|
被爆者はABCCのモルモットか |
|
|
|
原爆禁止は科学者の道 |
|
|
|
|
|
| Ⅲ |
|
ノー・モア・ヒロシマ |
|
|
1 |
原爆は戦争ではない |
|
|
|
広島に向った青い眼の記者 |
|
|
|
死臭と敵意の中で |
|
|
|
ヒロシマからの報告 |
|
|
|
人類よ!広島をくり返すな |
|
|
|
原爆患者の存在を抹殺 |
|
|
|
勝利した官製ニュース |
|
|
|
二つの原爆処理方式 |
|
|
|
科学者の「十字軍」 |
|
|
|
|
|
|
2 |
人道主義と反戦主義 |
|
|
|
全米を震撼させた実話小説 |
|
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|
「ヒロシマ」の主人公たち |
|
|
|
人道主義の原爆否定 |
|
|
|
同情はごめんだ |
|
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|
アメリカの盲点 |
|
|
|
世界連邦主義 |
|
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|
ピース・センターと精神養子 |
|
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|
原爆乙女の厚生 |
|
|
|
憤激をかったルーズベルト夫人 |
|
|
|
原爆乙女は立証する |
|
|
3 |
平和祭 |
|
|
|
広島平和復興祭 |
|
|
|
46・7年の世界の動き |
|
|
|
マ元帥の教書と「平和宣言」 |
|
|
|
原爆をとりあげたアメリカの新聞 |
|
|
8・6をカーニバルにするな |
|
|
世界でもたれたヒロシマ・デー |
|
|
貧弱だった「原爆否定の研究室」 |
|
|
平和こそ女性の幸福の源 |
|
|
原爆外交と広島の復興 |
|
|
大衆から浮いた平和祭 |
|
|
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|
4 |
偏見を乗り越えて |
|
|
|
東洋にかけるアメリカの橋 |
|
|
クエーカーの絶対平和主義 |
|
|
シュモー氏の「広島の家」 |
|
|
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ |
|
|
神よ平和を来らし給え |
|
|
むずかしい平和住宅の運営 |
|
|
ブ夫人の公民館 |
|
|
平和運動を離れた「広島の家」 |
|
|
平和精神をうらづけるものは何か |
|
|
シュ氏のピントの甘さ |
|
|
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 |
|
|
|
|
| Ⅳ |
|
過ちは繰返しませぬ |
|
|
|
殴殺されたアメリカ兵 |
|
|
恩讐を越えた供養塔 |
|
|
原爆で死んだ異国の人 |
|
|
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから |
|
|
|
|
|
あとがき |
|
|
かけはし(YMCA国際平和研究所通信)
| 号 |
発行年 |
備考 |
| 1 |
19840701 |
P(ピカ資料研究所所蔵) |
|
相原和光 |
生命の自由を私たちの手に |
| 2 |
19841001 |
P |
|
今堀誠二 |
YMCA国際平和研究所の緊急の任務 |
| 3 |
19850101 |
P |
|
栗野鳳 |
全人類的課題にどうとりくむか |
| 4 |
19850401 |
P |
|
福田垂穂 |
青年による平和のネットワークを―国際青年年のはじめに |
| 5 |
19850701 |
P |
|
河村盛明 |
ひろがる平和都市連帯 |
『広島大学の50年』(広島大学50年史編集専門委員会・広島大学50年史編集室編、広島大学、19991105)
|
|
備考 |
|
刊行のことば |
原田康夫(広島大学長) |
|
広島大学歌・ |
|
|
目次<東広島キャンパス航空写真> |
|
|
|
| 光をもとめて-廃墟からの出発 |
|
| 1 |
広島大学の源流 |
|
| 2 |
原爆被害と復興 |
|
| 3 |
広島大学の開学 |
|
| 4 |
大学院・専攻科の発足 |
|
| 5 |
分散キャンパスの整理 |
|
| 6 |
校舎・施設の新築 |
|
| 光のなかで-青春の広島大学 |
|
| 7 |
入試・入学-キャンパスに桜 |
|
| 8 |
女子学生・社会人学生-学生の多様化 |
|
| 9 |
一般教育・教養的教育-問われ続ける「教養」 |
|
| 10 |
授業の風景-頭と身体を使って |
|
| 11 |
オリエンテーション-ようこそ広大へ |
|
| 12 |
スポーツ-体育会とレジャー |
|
| 13 |
文化系サークル-学生生活の彩り |
|
| 14 |
学生自治-「ダンコウ」って何ですか? |
|
| 15 |
平和-ヒロシマを考える |
|
| 16 |
衣-角帽から茶髪へ |
|
| 17 |
食-安いのが一番 |
|
| 18 |
住-四畳半からフローリング・エアコン付きへ |
|
| 19 |
大学祭-「独立をわれらの国に」から「PLEASURE」へ |
|
| 20 |
学生街-集う・飲む・歌う |
|
| 21 |
留学生-ヒロシマで学ぶ、ヒロシマが学ぶ |
|
| 22 |
卒業・就職・同窓会 |
|
| 光とともに-発展する広島大学 |
|
| 23 |
総合科学部-新しいパラダイムの創出 |
|
| 24 |
文学部-人間の根源をたずねて |
|
| 25 |
教育学部-教育の総合的研究をめざして |
|
| 26 |
学校教育学部-教育実践に心をよせて |
|
| 27 |
政経学部から法学部、経済学部へ
-地域に根ざした社会科学をめざして |
|
| 28 |
理学部-自然の真理を求めて |
|
| 29 |
医学部-医療の新しいかたちを求めて |
|
| 30 |
歯学部-歯学の新たな展開をめざして |
|
| 31 |
工学部-科学技術の開発をめざして |
|
| 32 |
水畜産学部から生物生産学部へ-食糧を科学する |
|
| 33 |
大学院の再編-新たな学問領域の開拓 |
|
| 34 |
理論物理学研究所・原爆放射能医学研究所 |
|
| 35 |
附属図書館-知の集積 |
|
| 36 |
附属学校-研究と教育の結節点 |
|
| 37 |
事務組織-大学を支えてきた職員たち |
|
| 光あふれて-挑戦する広島大学 |
|
| 38 |
改革の季節 |
|
| 39 |
統合移転の計画 |
|
| 40 |
西条への移転 |
|
| 41 |
部局を越えた共同教育研究施設 |
|
| 42 |
研究基盤の充実 |
|
| 43 |
学術研究の成果 |
|
| 44 |
地域社会とともに |
|
| 45 |
地域の教育を支える |
|
| 46 |
産業界との連携 |
|
| 47 |
国際学術交流 |
|
| 48 |
国際化への対応 |
|
| 49 |
進む情報化 |
|
| 50 |
社会への発信 |
|
|
卒業生10万人 |
|
| 年表 |
|
| 年 |
|
|
| 1874 |
創立前史 |
|
| 1950 |
|
森戸辰男(初代学長) |
| 1963 |
|
皇至道(第2代学長) |
| 1966 |
|
川村智治郎(第3代学長) |
| 1969 |
|
飯島宗一(第4代学長) |
| 1977 |
|
竹山晴夫(第5代学長) |
| 1981 |
|
頼実正弘(第6代学長) |
| 1985 |
|
沖原豊(第7代学長) |
| 1989 |
|
田中隆荘(第8代学長) |
| 1993 |
|
原田康夫(第9代学長) |
|
|
|
|
出典一覧 |
|
|
編集後記 |
頼祺一(編集専門委員会委員長) |
|
広島大学50年史編集専門委員会 |
<・・・宇吹暁・・・> |
|
広島大学50年史編集室 |
|
『消えたペン-新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編 、汐文社、19880718)
目次
| 頁 |
項目 |
備考 |
| 003 |
はじめに |
中国新聞労働組合不戦の碑実行委員会 |
| 009 |
炎熱のもとで取材したこと |
大佐古一郎 |
| 019 |
<記録>新聞労働者の1945・8・6 |
|
相川愛子さん(21) 相原利夫さん(23) 有馬軍治さん(25) 井川勝雄さん(28) 伊藤音三郎さん(29) 石井道子さん(32) 石井諒一さん(36) 出雲初一さん(39) 今田レツさん(42) 今出良秋さん(44) 上田照子さん(46) 後チサ子さん(50) 小野一明さん(53) 落窪ミカさん(55) 神田留次郎さん(57) 本原フサヨさん(59) 北山一男さん(63) 串本誉さん(65) 桑原玉江さん(67) 小迫周蔵さん・美律枝さん(68) 小谷増夫さん(70) 河野秀三さん(72) 佐伯カメさん(84) 佐上美代子さん(77) 佐々木猪勢治さん(80) 佐瀬実さん(84) 坂本定造さん(86) 下本キクエさん(88) 下江達重さん(91) 新城朝子さん(96) 杉野勝吉さん(97) 高田久子さん(100) 竹前省三さん(102) 千葉恭子さん(105) 寺尾政之さん(107) 寺本簫三さん(108) 戸田正記さん(111) 伴谷ヤスヨさん(112) 中井ヨシヱさん(114) 中野勝正さん(115) 仲伏一之さん(118) 中村正男さん(121) 難波くみ子さん(124) 西村静一さん(126) 馬場謙一郎さん(128) 橋本令一さん(130) 桧山八重子さん(132) 平本ウメ子さん(134) 深川庄三郎さん(136) 福井ミツヱさん(137) 藤勇哲さん(140) 法安雅次さん(143) 細川儀一さん(146) 前田英子さん(148) 三木芳郎さん(150) 三田久ニさん(152) 三好友太郎さん(155) 水原智識さん(157) 宮武松三郎さん(161) 宮本軍一さん(163) 宮本澄香さん(165) 宮本藤吉さん(166) 望月慶三さん(168) 矢田茂さん(170) 保田博さん(173) 山井治吉さん(176) 山根喜美子さん(179) 山本利さん(181) 横田怐治さん(185) 横山隆ニさん(186) 吉田芳夫さん(189) 若林ツネヨさん(190) |
| 192 |
藤間侃治(合同新聞=現山陽新聞) |
| 196 |
<座談会>「不戦の碑」運動と犠牲者遺族取材を通して |
| 204 |
戦時編集局の八月六日 |
ト部清隆 |
| 209 |
逝ってしまった先輩たち |
兼井亨 |
| 214 |
原爆と私 |
下住忠 |
| 218 |
涙でうるんだファインダー |
松重美人 |
| 224 |
おわりに |
浅井幹夫(中国新聞労働組合執行委員長) |
『ひろしま今昔-’80広島市政指定都市記念』(広島市公文書館編、広島市、19800904)
目次
| 章 |
項目 |
備考 |
|
ごあいさつ(荒木武) |
|
| ポスター・公文書・写真にみる広島90年 |
|
| 1 |
明治の広島と市制誕生 |
|
| 2 |
軍都のはじまり |
|
| 3 |
都市の発達 |
|
| 4 |
教育の発展 |
|
| 5 |
不況の波と大戦の足音 |
|
| 6 |
戦時体制の進展 |
|
| 7 |
国民精神総動員 |
|
| 8 |
大戦の勃発 |
|
| 9 |
敗戦への道 |
|
| 10 |
広島の昭和20年 |
|
| 11 |
被爆後の市民生活 |
|
| 12 |
ヒロシマの声 |
|
| 13 |
復興にむかって |
|
| 14 |
建設のひびき |
|
| 15 |
広島の発展 |
|
| 市民による広島市の新しい美の発見 |
|
|
選者評 |
|
|
広島のあゆみ(年表) |
|
|
広島市の行政区画 |
|
| 160 |
あとがき(小堺吉光) |
|
『ひろしま 市制90周年記念』(広島市長室広報課、1979/04/01)
目次
| 頁 |
項目 |
備考 |
| 03 |
市制90年を迎えて |
荒木武(広島市長) |
| 04 |
平和のあゆみ |
|
| 06 |
座談会-あすの広島を考える |
荒木武・今堀誠二・大牟田稔 |
| 10 |
市民50人の提言 |
|
| 14 |
市制90周年・広島のあゆみ |
|
| 21 |
間近にせまる政令指定都市広島 |
|
| 23 |
広島の都市像-国際平和文化都市 |
|
| 24 |
計画の基本的な考え方 人口・市民所得 |
|
| 25 |
土地利用構想 施策体系 |
|
| 26 |
世界平和をめざすまちづくり |
|
|
自然を守り、生かすまちづくり 27
安全で、快適なまちづくり 28
健康で、幸せに暮らせるまちづくり 33 |
|
| 36 |
広島案内図 |
|
|
豊かな人間性をはぐくむまちづくり 38
安定した生活のできるまちづくり 43
市民の連帯感と強度愛にささえられたまちづくり 47 |
|
| 48 |
平和・姉妹都市 |
|
|
育て広島っ子たち 50
広島とスポーツ 52
スポーツ施設 53
広島の祭りと行事 54
広島の文化財・工芸品 55
広島の特産・味 56
広島の伝承-広島の民話 57
広島人気質・広島の民族 59 |
|
| 60 |
対談-広島人とは |
松元寛・小久保均 |
|
広島の方言 62
広島のおもな観光地 64 |
|
| 66 |
【資料】市の木=クスノキ、市の花=キョウチクトウ |
|
| 67 |
【資料】広島市歌、ひろしま平和の歌 |
|
|
|
|
『街と暮らしの50年-被爆50周年 図説戦後広島市史』(高橋衛監修 被爆50年記念史編修研究会、広島市総務局公文書館、19960331 )
| 頁 |
|
執筆等 |
|
刊行によせて |
(高橋衛) |
| 第1部 写真でみる50年 |
|
| 003 |
1995年 平和宣言 |
(平岡敬) |
| 006 |
広島の戦後は8月6日に始まった |
|
| 017 |
被災調査と放射線障害 |
|
| 019 |
占領軍と広島 |
|
| 027 |
お母さん僕はここに立っています |
|
| 029 |
槌音が響き、街はよみがえる |
|
| 033 |
家が建ち、笑顔がもどる |
|
| 035 |
活気みなぎる駅前ヤミ市 |
|
| 041 |
空から見た復興、昭和22年 |
|
| 043 |
広島 2年目の夏 |
|
| 048 |
街並みがよみがえる |
|
| 051 |
街を考える |
|
| 053 |
街並みを変える |
|
| 059 |
一人もれなく投票だ |
|
| 061 |
平和をデザインする |
|
| 065 |
太田川改修工事 |
|
| 069 |
市民の暮らしと住宅の戦後史 |
|
| 073 |
復興した街 |
|
| 075 |
郊外の都市化 |
|
| 077 |
変わり行く都市空間 |
|
| 079 |
新しい住・商空間 |
|
| 081 |
戦後史のなかのランドマーク建築 |
|
| 083 |
市民の台所をささえる |
|
| 085 |
届かなかったはしご車 |
|
| 089 |
都市圏の拡大と水道事業 |
|
| 091 |
ごみ非常事態宣言をこえて |
|
| 095 |
市財政やりくりの記録 |
|
| 097 |
政令指定都市への移行 |
|
| 099 |
産業の復興 |
|
| 101 |
朝鮮戦争特需から造船ブームへ |
|
| 103 |
復興を実感した広島博 |
|
| 105 |
自動車工業の戦後 |
|
| 107 |
あこがれのマイカー |
|
| 109 |
高速経済成長と特産工業 |
|
| 111 |
造船不況から航空機生産へ |
|
| 113 |
統計でみる生活の一面 |
|
| 115 |
農村のくらし |
|
| 119 |
海辺のくらし |
|
| 121 |
まちのくらし |
|
| 139 |
原爆ドームのある風景 |
|
| 141 |
祭りと市民 |
|
| 145 |
子どもの笑顔に未来が見えた |
|
| 157 |
狭められた子どもの空間 |
|
| 159 |
ぼくらのまいにち |
|
| 165 |
戦後スポーツのスタート |
|
| 167 |
たのしい運動会 |
|
| 169 |
東京五輪から市民スポーツへ |
|
| 171 |
輝かしき学校運動部 |
|
| 173 |
カープを見つめるひとびと |
|
| 177 |
広島アジ競技大会 |
|
| 181 |
原爆を描く |
|
| 183 |
美術館 |
|
| 185 |
美術展と美術賞 |
|
| 187 |
原子雲の下の文学 |
|
| 191 |
演劇半世紀のドラマ |
|
| 195 |
市民と音楽 |
|
| 199 |
チケット50年 |
|
| 203 |
地域のなかの公民館 |
|
| 205 |
映像のなかの広島 |
|
| 207 |
姉妹都市の歴史 |
|
| 209 |
カメラ少年の8・6 |
|
| 211 |
原爆犠牲者の追悼 |
|
| 213 |
被爆者援護 |
|
| 217 |
もえあがる反核運動 |
|
| 219 |
広がる反核の波 |
|
| 221 |
広島を訪れた外国人 |
|
| 223 |
被爆体験を知らせる |
|
| 225 |
体験を伝える |
|
| 227 |
継承運動が広がる |
|
| 229 |
被爆建物さまざまなその後 |
|
| 231 |
新聞社会面のヒロシマ |
|
| 233 |
切手の中の原爆 |
|
| 235 |
町の中の「平和」 |
|
| 239 |
平和記念式典のあゆみ |
|
| 241 |
50年目の8月6日 |
|
|
|
|
| 第2部 50年おもなできごと |
247~ |
|
|
|
| 1945 |
8月6日のカメラマンたち/戦禍につづく冷風禍一枕崎台風/被爆直後の新聞報道 <残っていた戦時中の防火水槽 > |
| 1946 |
復興審議会の設立と役割/本通商店街のあのころ一中山良一の遺稿から/食糧メーデー <雑草を食べて飢えをしのぐ > |
| 1947 |
町内会・部落会・隣組の廃止一政令15号と市民生活一/初の公選市長・浜井市政の発足/「原爆十景」の選定 < 机がほしい、窓ガラスがほしい! > |
| 1948 |
児童文化会館の建設/サマータイム/広島で生まれたエスキーテニス <戦後初のプロ野球試合 > |
| 1949 |
フロイド・シュモーと「ヒロシマ・ハウス」の建設/ノーマン・カズンズと国際精神 養子連動/海外布住者からの復興援助 <市民を悩ませた衛生害虫 > |
| 1950 |
天気図がはじめて新聞に掲載される/開かれなかった平和祭/評判が悪かった平和祭/原爆ドームの史跡指定決議 <紙しばいが免許制になる > |
| 1951 |
文化行事が盛んになる/第6回国民体育大会の開催 < 盗まれた平和の鐘> |
| 1952 |
原爆死没者慰霊碑と碑文/戦後広島の演劇と広島民衆劇場 <バタンコの登場 > |
| 1953 |
原爆文学論争 <ラ・パンセ像の出現> |
| 1954 |
ビキニ事件と原水爆禁止運動/被爆体験記の刊行が活発化 <中国大動物園の盛況> |
| 1955 |
文化施設の落成/戸坂・中由・井口3村の編入合併 <本通りのオーニング倒壊> |
| 1956 |
「原爆の子の像」の建立/原爆乙女の渡米治療 <テレビ劇場の登場> |
| 1957 |
百メートル道路と供木運動/交通事故の激増とノークラクション運動/バスセンターの開業 <第1回春季赤ちゃんコンテスト > |
| 1958 |
広島復興大博覧会の開催 <平和公園でホタル狩り > |
| 1959 |
ごみ焼却場の建設が始まる/ホノルル市との姉妹都市縁組 < 放水路工事で魚ピチピチ > |
| 1960 |
原爆ドームの存廃論議/フェニックス号、広島に帰る <ユースホステルの開所 > |
| 1961 |
広島空港の開港/「20歳の直言」募集始まる/戦後最大規模のメーデー <レジャーブーム到来> |
| 1962 |
「交通地獄から「交通戦争」へ/「二都物語」の波紋 <広島市の動物園 > |
| 1963 |
38年豪雪と過疎化の波/失業対策事業の45年 <ヘルスセンターの隆盛 > |
| 1964 |
山陽本線の電化/原水禁運動の分裂と新しい展開 <東京オリンピックの聖火リレー> |
| 1965 |
-66 三篠川の氾濫/陸上自衛隊の観閲行進/広島民衆駅の落成と開業/的場町河岸の強制立ち退き執行 <しぐさの社会史> |
| 1967 |
-68 「原爆スラム」の火災と再開発/原爆ドームの保存工事完成/「原爆白書」運動と原爆被災資料広島研究会 <ミニスカートの大流行> |
| 1969 |
-70 大学紛争と広大統合移転/原爆記録映画を市民の手で <大阪万博の大盛況 > |
| 1971 |
-72 昭和40年代の広島市の公害/安佐動物公園の開園 <ポケベルの登場> |
| 1973 |
-74 広域合併の推進/米国からの被爆資料の返還 <歩行者天国} |
| 1975 |
-76 ごみ非常事態宣言/広島市植物公園の開園 <マンガブーム再び> |
| 1977 |
-78 ひろしまフラワーフェスティバル/広島市西部開発事業の展開 <市民菜園が大人気 > |
| 1979 |
文化行政の展開 <アメリカの「船上デパート」寄港> |
| 1980 |
-81 政令指定都市広島の区名の決定/反核運動の新しい波10フィート連動/被爆瓦の発掘と「ヒロシマの碑」建立運動 <ドルトムント路面電車が広島に > |
| 1982 |
-83 反核20万人集会/相生橋の架けかえ工事/段原再開発の工事が始まる <週休2日制始まる> |
| 1984 |
-85 原爆死没者慰霊碑の改築/第1回ワールドカップ・マラソン広島大会/第1回国際アニメーションフェスティバル広島大会 <ハレー彗星を観る> |
| 1986 |
-87 旧国鉄宇品線の廃止/アストラムラインの建設 < 平和記念ポストが平和記念公園に> |
| 1988 |
-89 築城400年を迎えた広島城/海と島の博覧会開幕 <広島市現代美術館の開館 > |
| 1990 |
-91 アニメと反核/台風19号の襲来 <「カラオケ花見」の自粛を > |
| 1992 |
-93 米スミソニアン原爆展問題/新広島空港の開港毎 <サメ騒動 > |
| 1994 |
広島アジア競技大会の開催/広島市立大学の開学 <カラカラ天気に泣く> |
| 1995 |
広島市の被爆50周年記念事業 <ヒロシマエバヤマザクラ> |
|
|
|
| 特論 |
|
| 323 |
1.占領下の広島 |
中川剛 |
| 325 |
2.プレス・コードとヒロシマ |
好村富士彦 |
| 327 |
3.講和条約と広島 |
宇吹暁 |
| 329 |
4.広島の復興をどうみるか |
石丸紀興 |
| 331 |
5.60年安保と広島 |
宇吹暁 |
| 333 |
6.戦後建築の変遷過程 |
杉本俊多 |
| 335 |
7.生活者からの都市づくり 阪神大震災から被爆後50年を考える |
船場正富 |
| 337 |
8.戦後市政の特質 |
中川剛 |
| 339 |
9.高度経済成長と市民生活 |
高橋衛 |
| 341 |
10.広島の美術50年 |
金田晋 |
| 343 |
11.広島と音楽 |
広島と音楽 |
| 345 |
12.市民の活動にみる 広島のアイデンティティ |
嶋陸奥彦 |
| 347 |
13.教室不足のなかの戦後教育 |
菅井直也 |
| 349 |
14.戦後の社会教育 |
新見豊 |
| 351 |
15.レジャーとスポーツの現在 |
新井貞光 |
| 353 |
16.被爆者援護とこの50年 |
宇吹暁 |
| 355 |
17.次の半世紀へ継承を考える |
石田信夫 |
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| 357 |
グラビア・50年目の広島 |
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| 379 |
写真図版リスト |
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| 382 |
あとがき |
(松林俊一) |
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再版(20010731) |
ヒロシマの音楽「一本の鉛筆があれば…」CD付 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。