「04 できごと」カテゴリーアーカイブ

生きているヒロシマ

『生きているヒロシマ』(中島健蔵<著者代表>、田中嗣三<発行者>発行所<広島県観光協会>、19490510)

目次

タイトル
005 まえがき 生きているヒロシマ 中島健蔵
009 戦前ヒロシマの珍らしい航空写真
010 ヒロシマ小史 山室太柁雄
011 140年前のヒロシマ絵図と広島城
013 地上から撮ったヒロシマの原子雲
014 原子沙漠(爆撃当時の爆心地附近)
016 被害区域地図と破壊状況各種
018 繁華街の跡
019 破壊状況を示す4枚の写真
020 元の産業奨励館と爆破後の同館
020 元の相生橋と破壊された同橋
021 以前の泉邸と焼かれた泉邸
022 爆心地から同距離に於ける破壊状況を示す3枚の写真
023 爆心地から異った距離に於ける3ッの破壊物
024 段原町附近の民家の屋根
025 ヒロシマ病院で手当てを受け荷車で帰る負傷婦人
026 植物も例外ではなかった!(松、竹、橙、ヒヒラギ等の火傷)
028 活躍した科学陣
028 軍国日本の最後(無残に吹き飛ばされた兵器廠・大本営・城)
030 3年目のヒロシマはどうなっていたか?(城跡、蓮池、孤児たち、平和の樹、建築、繁華街、街頭所見、店舗その他)
042 3年後の同じ場所を比較対照する
044 中国新聞屋上から鳥瞰したヒロシマ市街の新旧対照写真
046 ヒロシマを訪ねた天皇
047 平和祭
048 その後の子供の世界
049 本川小学校の生徒たち
050 無心に遊ぶ子供
051 たそがれの孤独な幼児
052 五日市孤児収容所の生活
 053 僧侶になった5人の孤児
054 爆心地附近のその後
056 復活した二つの教会
058 ハーシーの「ヒロシマ」の中に出てくる6人の登場人物訪問記録
060 珍らしい原爆被害の現象9種
062 われわれが訪問した6人の犠牲者とその話
064 赤十字病院のその後
064 被害を受けた看護婦さん
064 有名な第1号患者
065 施療状況
065 壁に突きささった窓硝子の破片
066 ヒロシマの民主化
071 ヒロシマは本当に復興したのか?
072 みじめな住宅 72
073 舟の住居
073 川縁の壕舎
073 大本営跡のアベック
074 たちあがるヒロシマの青春男女
074 英文学習
074 広島聖心女学院
 077 海浜の娘たち
078 平和都市ヒロシマは日本でも最良の観光地帯である!
078 海に浮ぶ厳島神社
080  日本最古の踊り
082 厳島の奇妙な行事
085 観光列車
087 三段峡の奇景と典型的な日本農家
089 茶ノ湯に招かれた占領軍家族
090 ヒロシマ農村風物誌
 092 七塚村の大牧場
 093 吉田口の梨畑
094  三次町の鵜飼
095  帝釈峡の風景
 096 帝釈峡の鍾乳洞と美しい石灰岸壁
 096  怪物さんしょう魚
 097 川底の奇現象
097  道後山スキー場
098  福山駅と福山城
 098 優良酒の産地と醸造実況
100  以前の要塞地帯を探る
100  呉軍港はどうなっているか?
105  江田島の現在
106 瀬戸内海風景
 110 倉橋島の魚猟
 114  日本軍隊防備の跡
 115 怒り島
 115  緬羊
 116  大崎島の蜜柑畑
 117  軍艦伊勢の末路
 118  新造船平和丸
 120  尾道から瀬戸内海を望む
 122 生口島の寺院と宝物
124  捕鯨船の建造(因ノ島)
 125  塩田
 126  鞆港風景
 127  家なき吉和村の人々
128  尾道港の夕景
「Living Hiroshima : scenes of A-bomb explosion with 378 photographs including scenery of Inland Sea」

原爆と写真

『原爆と写真』(徳山喜雄、御茶の水書房、20050715)

目次

はじめに
キノコ雲と空爆写真
生身の一人一人への視線
忘却と想起の間で
土門拳
「魔性の爪跡」を記録/叫び、怒りながら撮影/かなぐり捨てた中立性
東松照明
「白いうなじ」と疎外感/被爆者は核時代のキリスト
大石芳野
「かれらのいま」に対時/半世紀の風貌を撮る
江成常夫
見えなくなったものの視覚化/遠かったヒロシマヘの道
キノコ雲の下で起こったこと
松重美人
原爆禍を伝える最初の一枚/なんと惨たらしい光景か/加害と被害
山端庸介
被爆翌日の長崎に入る/廃嘘をさまよう少年/冷徹に任務を遂行/重慶爆撃にも従軍/被爆者と人間天皇を撮って
松本栄一 アサヒグラフで初公開
林重男 「道楽」をせずに、忠実に記録
原爆棄民を追う
伊藤孝司
なぜ韓国・朝鮮人の被爆者が多いのか/身の丈の目線で淡々と/被響が警認める不条理
山本将文
「恨」を象徴する一枚/スナップショットを超えるために
鈴木賢士
「韓国のヒロシマ」という意味/被爆した屍まで差別された/「定年カメラマン」と称して
核の風下の人々
豊崎博光
おしゃべりするマグロ/水爆実験で流浪の民にされた人たち
徳山喜雄
冷戦崩壊後の危険な「核」の行方/核弾頭を搭載したミサイルを眼前にして
森住卓
「残虐な写真」を撮る勇気と確信/日本の被爆者と向き合えなかった
広河隆一
原発事故で消えた村を記録/自ら救援組織を立ち上げる
おわりに
参考文献
写真家紹介

原爆=写真論 「網膜の戦争」をめぐって

『原爆=写真論 「網膜の戦争」をめぐって』(鈴木雅文、窓社、20050620)

目次

原爆=写真論
初発「原爆写真」の位相 山田精三と山端庸介
まなざしをめぐる〈神話〉8
基点としての一枚の写真 10
見ること/知ることを困難とした無告の光景 13
『黒い雨』の欠陥をめぐって 16
〈ことば〉への像の叛乱 19
撮影者を反照する「記録」 22
原爆写真には二つの「語りえぬもの」が溶融している 26
始まりのない終わりの始まり 30
原爆写真の現場性 32
戦後「原爆写真」の円環 土門拳と東松照明
「擬死」からの覚醒 37
ジェノサイド以降の〈野蛮〉 39
歓待された写真集、『ヒロシマ』 41
賞賛と翼賛の関係 44
なんという「非転向」だろう! 46
『ヒロシマ』から十年を経た原爆写真の「現在」 49
問われるべき「息苦しさ」の意味 52
落涙の理由とその帰結 54
自縛する反物語 58
『ヒロシマ』から『〈11時02分〉NAGASAKI』へ 62
現代「原爆写真」の展開 石黒健治と土田ヒロミ
薄れゆく「記憶」 66
見えがたいままに見届けようとする試み 68
非物語へ架橋する『広島HIROSHIMA NOW』 70
像と〈ことば〉の臨界 73
表現者から報告者へ 76
「見えないヒロシマ」の方ヘ 79
「引用」という想像力 81
方法を挑発する『ヒロシマ・コレクション』 84
「私写真」から遠く放たれて 88
来たるべき〈野蛮〉のために 90
リーフェンシュタール覚書
彷徨する眼球 開高健「闇、三部作」考
識閾の木霊〈ことば〉と〈まなざし〉の病理
写真をめぐる、欄外的独言

 

トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録

『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』(ジョー・オダネル写真 ジェニファー・オルドリッチ聞き書き 平岡豊子訳 、小学館、19950610)

目次

見出し 備考
010 戦争は終わった!そして日本へ。
014 「君の任務は上陸の模様をカメラにおさめることだ」 1945年9月
016 水平線に蟻のような黒い点々が現れ始めた。 佐世保
018 あたりの空気はこげ臭く、空は淡い灰色にもやっていた。
024  その晩、招待を受けて市長宅を訪れた。
028 おもしろそうなものを見つけてはシャッターを切った。
030 「墜落した飛行士も気の毒な死者のひとりですよ」 八幡地区
036 福岡に海兵隊の新しい司令部ができることになった。 福岡
044  奇妙な老人の言葉を忘れずに。
064 なんとか現像してみよう。
065 雨の夜の惨事。 佐世保
066 海岸線はまだかなりの数の砲台が。 広島
068 死の町広島を歩く。 広島
072 ジープを捨てボーイにまたがる。 長崎
075 長崎の爆心地に立つ。
085 瓦礫の中に人骨が。
086 仮設病院の祈り。
090 彼らはリンゴの芯まで食べつくした。
092 子供たちの幸せな日。
096 少年ヘ気を付けの姿勢で、じっと前をみつづけた。
104 廃虚と化したカテドラル。
106 帰国命令。 福岡。1946年3月
109 あとがき

 

 

広島、1945 生きていた広島

『広島、1945 生きていた広島』(南々社編集部編著、南々社、20120806)

目次

No. 内容(写真解説など)
01 まえがき―生きていた広島
04 8・6以前の広島(大正中期~昭和20年)
06 商都として
中島地区(現平和記念公園)
本通
紙屋町・八丁堀・新天地
市内点描
学都として
軍都として
銃後の支え
学徒動
8・6以後の広島(昭和20年8月6日~12月末)
被爆の実相
一瞬で死の街に
救援・救護・捜索
弔う
復旧・復興への兆し
日常の回復
被爆調査
写真撮影者・所蔵先・提供先

 

 

長崎原爆写真集 決定版

『長崎原爆写真集 決定版』(小松健一、新藤健一編、「反核・写真運動」監修、勉誠出版、20150809)

内容<工事中>

002 はじめに 「反核・写真運動」運営委員会
008 凡例
009 決定版 長崎原爆写真集
232 対談「原爆を撮った男たち」の証言 松本栄一 林重男 (聞き手・小松健一)
242 解説「長崎の原爆を撮った男」 新藤健一
255 あとがき 小松健一・新藤健一
257 撮影者一覧

 

広島原爆写真集 決定版

『広島原爆写真集 決定版』(小松健一、新藤健一編、「反核・写真運動」監修、勉誠出版、20150806)

内容<工事中>

002 はじめに 「反核・写真運動」運営委員会
008 凡例
009 決定版 広島原爆写真集
010
011
012
013
014
015
016
017
018
019
020 御幸橋西詰 (撮影:松重美人)
021
022 御幸橋西詰 (撮影:松重美人)
023
024 広島市翠町 (撮影:松重美人)
025
026 (撮影:松重三男)
224 対談「原爆を撮った男たち」の証言 松本栄一 林重男 (聞き手・小松健一)
234 解説「広島の原爆を撮った男」 新藤健一
243 あとがき 小松健一・新藤健一
245 撮影者一覧
247 編者プロフィール

 

 

年表:原爆展(1999年)

年表:原爆展(1999年)

記事
01 07 長崎県平和・労働センター、ロシア・サンクトペテルブルグ(旧レニングラード)市の国立歴史博物館に長崎原爆資料の常設展示コーナーを設置することを計画。
01 20 マレーシアの中国系住民団体「タイピン華人協会」、ベラク州タイピンで「戦争と原爆展」を開催。-21日。広島平和教育研究所が資料を提供。
02 25 生協ひろしま、日本被団協制作の写真集「原爆と人間展」のスリランカ・マレーシア・フィリピン・シンガポール4カ国への発送式を広島市の本部で開催。26日、郵送。
03 19 広島県原水禁、「反核平和のための朝鮮被爆者協会」から、8月にも平壌で原爆展を開催する意向を李実根広島県朝鮮人被爆者協議会会長を通じ受け取る。
04 13 米アメリカン大学の学生クラブ「ヒロシマ・ナガサキ平和協会」、原爆パネル展を同大キャンパス内で開催。昨年に続き2回目。
04 30 近藤幸四郎広島被爆者団体連絡会議事務局長、李実根県朝鮮人被爆者協会会会長ら3人、今夏北朝鮮で開く「原爆展」について協議するため現地に向け出発。6日帰国。8月13-18日、平壌の人民大学習堂で開催することが決まる。
05 10 広島市と米ハワイ・ホノルル市、姉妹都市提携40周年記念式典をホノルル市役所で開催。秋葉広島市長・平野市議会議長ら9人の代表団が参列。交流写真展開幕。-7月9日。
07 03 広島・長崎両県の原水禁や在日本朝鮮人被爆者連絡協議会など5団体、平壌(ピョンヤン)原爆写真展協力団体代表団の結団式を広島市内で開催。
07 10 コープぎふ、「99年平和フェスティバル」を岐阜市内で開催。「原爆と人間展」パネルを展示。
07 12 山口県・下関原爆被害者の会、JR下関駅構内で開催を計画していた原爆展を、JR側が使用を断ったため断念。
07 12 広島市、宇都宮市役所で原爆展を開催。-18日。
07 16 「アニメ版・はとよひろしまの空を」(大川悦生原作、大川弘子・大川富美文)、ポプラ社より発行。
07 20 広島原爆資料館、ヒロシマ原爆展を広島県本郷町の広島空港内で開催。-8月19日。
07 21 東広島市原爆被害者の会、役員会を開催。市福祉センター・松翠苑にある原爆資料展示室を市の中心地に移設する署名活動に取り組むことを決める。
07 22 広島市安佐南区の東野公民館、地区住民の被爆者や家族ら20人の証言を集めた「ロビー平和展」を開催。-8月5日。
07 22 長崎県被爆者手帳友の会、「空白の20時間-原爆被爆惨状絵図」展を福岡市内で開催。-26日。
07 22? 広島市「佐伯区平和を語る実行委員会」、原爆パネル展「原爆と人間展」を楽々園公民館で開催。-25日。
07 23? 「ドクター・ジュノー研究会」など、「マルセル・ジュノーの足跡展」を広島市内で開催。-8月22日。
07 26 山口県・下関原爆被害者の会、原爆展を下関市内で開催。-8月1日。
07 26 企画展「平和都市法50年の歩み―理念を未来へ」、広島市役所一階の市民ロビーで開催。-8月15日。
07 27 東京都町田市の町田公民館、「原爆と人間展」のパネルを展示。-8月8日。(「東友」)
07 28 笠岡市非核平和都市宣言啓発実行委員会、原爆写真展を市内で開催。昨年に続き2回目。
07 28 新潟県巻町、「原爆と人間展」を開催。-8月6日。
07 28 広島市立中央図書館、被爆7年後に当時の子どもたちが書いた原爆詩の原稿を集めた「心に響く、原爆の子の詩(うた)」展を開催。-8月15日。
07 29 埼玉県被団協など、平和のための埼玉戦争展を浦和市内で開催。-8月2日。2万5000人が見学。
07 30 広島市南観音公民館で観音地域「原爆と人間展」。-8月2日。(「広島民報」)
07 30 東京都世田谷区の同友会など、「せたがや原爆と人間展」を区内で開催。-8月5日。2000人が参観。(「東友」)
07 31 広島市、水戸市で原爆展を開催。-8月8日。
08 01 長崎・ヒバクシャ医療国際協力会など、カザフスタン共和国セミパラチンスク市の核実験場などを題材にした写真展を原爆資料館で開催。-9月30日。
08 01 広島原爆資料館、「ヒロシマ原爆写真パネル展」をJR広島駅で開催。-9日。
08 01 広島市仁保公民館、「仁保島発平和のメッセージ展・1945年ごろのくらし展」を開催。-15日。
08 02 広島原爆資料館、「あの夏、ヒロシマの声・音」をテーマにした「原爆の絵」を展示。
08 02 広島原爆資料館、「プランゲ文庫展 勝次から見る占領下の日本-プレスコードと広島」を開催。-31日。
08 02 鳥取市役所ロビーで「原爆と人間展」。-9日。
08 02 広島原爆資料館東館で市民の描いた原爆の絵「あの夏、ヒロシマの音」を開催。
08 03 ピース21下関実行委員会、「99下関平和のための戦争展」を開催。-6日。18回目。
08 03 東広島市役所ロビーで原爆資料展。-9日。
08 06 インド・ナグプール市で平和展。-9日。ふくしま生協と愛知平和委員会がインド平和・軍縮・環境保護研究所に贈った「原爆と人間展」パネルを展示。
08 06 広島原爆資料館、ヒロシマ原爆写真パネル展をJR広島駅南口地下イベント広場で開催。1日限り。
08 06 市民グループ「ナマステINDIA」など、被爆証言の集いと原爆パネル展をインド南部・ケーララ州の町で開催。-7日。
08 07 「99山口・平和のための戦争展」、山口市民会館で開催。-9日。期間中約400人が入場。
08 07 長崎原爆資料館、「ながさき原爆の写真展」を平和公園で開催。-10日。
08 07? 長崎県職員組合長崎支部、第9回県職員原爆展を県庁内で開催。-9日。
08 08? 写真展「高知の被爆者」、高知市内で開催。岡村啓佐が1995年から撮影を始めた作品から65点を展示。-15日。
08 11 岡山市原爆被爆者会、天満屋で原爆展を開催。-16日。1万5000人が参観。
08 11 広島市、横浜市で原爆展を開催。-16日。
08 13 「反核平和のための朝鮮被爆者協会」、原爆展を平壌・人民大学習堂で開催。開催セレモニーに約300人が参加。-18日。
08 14 島根県「安来市・能義郡原爆被爆者協議会」、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展-核兵器のない世界へ」を安来市内で開催。-16日。
08 14 広島・長崎両市、原爆展を英国中部のリーズ市の王立武器博物館で開催。14日、広島市在住の主婦・植田規子、被爆体験を話す。-10月3日。
08 15? 岡山市原爆被害者の会、「原爆平和展」を同市・天満屋で開催。-16日。
08 17 99平和のための広島の戦争展、広島県民文化センターで開催。-20日。期間中1300人が参観。
08 18? 広島市馬木公民館、原爆を題材にした絵画展「8月6日の記憶」を開催。-9月4日。
08 18? 広島のグループ「モンゴル・ツェツェグ」、5月末ウランバートルで開いた原爆展で募集した折り紙を使った切り絵の作品展「生きつづけて モンゴルから広島へ-子どもたちのメッセージ展」を広島市内で開催。-22日。
08 19 宮崎安男原水禁国民会議副議長ら北朝鮮の原爆写真展開催に協力するため訪朝していた代表団、帰国。13-18日に平壌で開催された原爆展に2000人以上が参加。
08 20 宮崎安男原水禁国民会議副議長ら北朝鮮の原爆写真展開催に協力するため訪朝していた代表団、広島市役所で帰国の記者会見。在朝被爆者が1020人で平均年齢72歳という現地の被爆者団体の調査結果を明らかにする。
08 20 北朝鮮の原爆写真展開催に協力するため訪朝していた代表団のうち、長崎県からの参加者、長崎市役所で帰国の記者会見。
08 22 広島・長崎両市、原爆展をカザフスタン共和国セミパラチンスク市国立ニゾロフ博物館で開催。-9月2日。
08 23 「99平和のための戦争展かながわ」、横浜市で開催。-29日。
08 30 横尾・長崎市収入役、カザフスタン・セミパラチンスク市で開催された「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の開会式の模様を記者会見で報告。
09 05 広島・長崎両市、原爆展をカザフスタン共和国の旧首都アルマイトで開催。-9月15日。
09 09 長崎県原水禁・長崎地区労、8月に北朝鮮で開催された原爆写真展の報告集会を、長崎市内で開催。約200人が参加。
09 17 広島県原水禁など、「ピョンヤン原爆写真展報告集会」を広島原爆資料館で開催。約200人が参加。
09 26 宮城県被団協、「原爆展」を仙台市内で開催。45万円の公費補助。
10 23 広島・長崎両市、原爆展をスイス・ジュネーブ市の旧オペラハウスで開催。-10月30日。約4000人が入場。1995年度から6カ国12都市目の開催。
10 25 長崎原水協、森住卓(フォトジャーナリスト)のカザフスタン・セミパラチンスク核実験場周辺の被ばく者を撮影した写真展を長崎市内路上で開催。-26日。
10 27 森下一徹ら「世界のヒバクシャ」写真展を広める会、写真展「世界のヒバクシャ」を広島原爆資料館で開催。-11月5日。
11 07 福岡市原爆被害者の会、「原爆と人間展」を福岡市内で開催。
11 07 福岡市原爆被害者の会、「原爆と人間」展を市内で開催。
11 27 埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)川口鳩ケ谷支部、「原爆と人間展」を川口市内で開催。-28日。400人近くが参観。
12 05 東京マイコープなど、「原爆と人間展」をパプア・ニューギニアの首都ポートモレスビーにあるパプアニューギニア大学で開催。-11日。
12 13 中国人民平和軍縮協会の訪問団5人、広島市入り。15日、秋葉市長と会見し、中国での初の原爆展開催に向け協議を進めることを確認。

 

年表:原爆展(1998年)

年表:原爆展(1998年)

記事
01 13? 生協ひろしま、日本被団協が作成した写真パネル「原爆と人間展」をイタリアのボローニャ市のアドリアティカ生協に寄贈。
01 22 「つたえようヒロシマ・ナガサキ」事務局、「原爆と人間展推進ニュース」第1号を発行。
01 24? スイス・ジュネーブの国際赤十字赤新月博物館で、地元の写真家が広島・長崎の被爆者などを撮影した写真展「レ・ヒバクシャ」を開催。-4月20日。
01 29 広島・長崎両市がインド・ムンバイ(旧ボンベイ)のネールセンターで開催する原爆展のオープニング・セレモニー。州知事など300人が出席。英BBCなど28社が取材。
01 30 広島・長崎両市、原爆展「ヒロシマ・ナガサキ・ネバーアゲイン」をインド・ムンバイ(旧ボンベイ)のネールセンターで開催。-2月19日。(「平和文化」no.128)
02 03 畑口広島原爆資料館館長、インドでの原爆展について帰国報告。
02 04 生協ひろしま、日本被団協が作製した写真パネル「原爆と人間展」をイタリア・フィレンツェの生協に贈る。パネル寄贈は今回で4カ所目。
02 07? 広島女学院大学4年生・蘭(あららぎ)ゆかり、マレーシアで開催された「戦争の恐怖展」会場で中国系住民を中心に実施したアンケート調査の結果を卒論にまとめる。
02 12 ボルトガル・リスボンで開催される国際博覧会(万博)のプレイベント「今世紀の奇跡展」に、広島原爆資料館所蔵の被爆服が展示される。-5月21日。(「平和文化」no.130)
02 14 シンポジウム「平和憲法に生命を与える」、広島市・カトリック会館で開催。約130人が参加。故森滝市郎の2女春子が昨年11月にインドで反核を訴えた体験を報告。
02 17 スペイン・バレンシア美術館で「ヒロシマ展」の開会式。広島市の呼びかけで欧州を巡回する計画であったが、昨年5月のスペイン・バルセロナでの開催以降、次期開催地で決まらないでいたもの。
02 17 生協ひろしま、「平和博物館」の開設準備をしているイギリス・ブラッドフォード市の市民団体「平和にチャンスをトラスト」に被爆パネルを寄贈。
02 21 米国カリフォルニア州サンタバーバラ市の反核団体「核時代平和財団」のクリーガー所長、広島市を訪れ、原爆展の招請を平岡市長に申し入れ。
02 27 村井志摩子、自作のヒロシマ劇の公演と原爆被害のパネル展をチェコの地方都市リトミネジンツェの劇場で実施。
03 06 ポーランドで原爆展始まる。広島の平和団体「ワールドフレンドシップセンター」などが資料提供。
03 25 広島・長崎両市、原爆展をインドの首都ニューデリーで開催。-4月13日。(4月半ばに延期となる)
04 07 新潟県原爆被害者の会など、チェルノブイリ原発事故被災者への医療救援を訴える公演に合わせ、「原爆と人間展」を長岡市で開催。-8日。
04 09 広島・長崎両市がインド・ニューデリーで開催予定の原爆展の展示パネルのうち、インドのCTBTなど核政策に関連する3枚が、インド政府当局の命令で撤去させられていたことが判明。
04 10 インド・ニューデリーで「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の開会式。平岡広島市長・小泉勝長崎原爆資料館長が出席。(「平和文化」no.129)
04 11 平岡広島市長、インドの国防大臣や前首相らと会見。国防省、日本も核保有国に圧力をかけるよう強調。
04 11 平岡広島市長、インド・ニューデリーのインド国際センターで、「希望のヒロシマ」と題して講演。約100人が参加。
04 12 インドの主要紙インディアン・エクスプレス紙、ニューデリーで始まった原爆展について、「広島市長に苦い思いをさせた」と報道。
04 14 平岡広島市長、インドで開催中の「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」から帰国、報告会見を広島国際会議場で開催。「核武装を考え直すきっかけを与えた」などと語る。
04 15 読売新聞[広島欄]「ヒロシマの願い実現へ継続を」(広島総局・福島勝彦)
04 15 「ひろしま・カンボジア市民交流会」、プノンペンに「ひろしまハウス」を建設するための募金集めのため、「ひろしまハウスin広島」展を広島市内で開催。-5月5日。広島アジア大会でカンボジア選手団を支援した市民運動から生まれた企画。
04 18 広島市の呼びかけで欧州を巡回する「ヒロシマ展」、イタリア・アオスタ市で開幕。スペインの2市に続く3回目の巡回展。-6月30日。(「平和文化」no.130)
04 18 朝日新聞「時時刻刻:広島・ナガサキ両市がインドで原爆展、政府も市民も揺さぶった」(広島支局・斎賀孝治)
04 22 米ワシントン大学の学生サークル「ヒロシマ・ナガサキ平和協会」、学内でパネル展示「核兵器と人間性」を開催。-23日。
04 24 読売新聞[広島版]「視点・直言:原爆展のパネル”撤去”、非核へ市民レベル連帯を」
05 02 宮城県原爆被害者の会、「原爆と人間展」を仙台市で開催。-4日。
05 02 広島・長崎両市企画の原爆展「ヒロシマ・ナガサキ・ネバーアゲーン」(コモ市・市文化協会主催)、イタリア北部のコモ市で開催。-29日。両市による海外での原爆展はこれが7回目。畑口広島原爆資料館長らが出席。
05 07 朝日新聞(広島版)連載「インドの論理-原爆展の周辺から」(-12日。5回)
05 18 米・スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ機の特別展示、閉幕。2001年末、ダレス国際空港に完全修復した形で永久保存される予定。
05 20 東友会(東京都原爆被害者団体協議会)など、「つたえようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展」を成功させるつどいを都内で開催。(「東友」)
06 02 神奈川県原爆被災者の会、「原爆と人間展」を横浜市で開催。-9日。
06 04 神奈川県原爆被災者の会・県生協連など、「原爆と人間展」を横浜市内で開催。-8日。期間中3万人が来場。
06 09 平岡広島市長、今秋米ボストンで「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開催予定があること、スイス・ジュネーブから同展開催の希望が寄せられていることを、市議会で明らかにする。
06 11 「ピース・ボート」、6月下旬にインド・パキスタンでの「ノーモア・ヒバクシャ」写真展開催に先立ち、広島市内で街頭展を開催。-12日。
06 12 「ピースボート」のメンバー、インドとパキスタンで開催する「ノーモア・ヒバクシャ」写真展の会場で上映するため、平岡広島市長のメッセージをビデオ収録。
06 15 広島県原水禁の「インド・パキスタン緊急派遣団」、成田を出発。インド・パキスタン両国内7カ所で原爆展や平和集会に参加。-27日。
06 16 広島県原水禁の「インド・パキスタン緊急派遣団」、インド・ニューデリー市の国立デリー大学(約50人が参加)と市内の繁華街で反核を訴える市民集会を開催。
06 20 日本のNGO「ピースボート」、パキスタンのラホール市で「ノーモア・ヒバクシャ」写真展を開催。-24日。
06 20 東友会(東京都原爆被害者団体協議会)など、「つたえようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展」を大崎O美術館で開催。-30日。期間中2940人が参観(「東友」)。3000人が参観。
06 21 日本民主青年同盟と新日本スポーツ連盟、「原爆と人間展」をフランス・マルセイユで開催。
06 21 パキスタン第二の都市ラホールで、日本の「ピースボート」主催の反核写真展。-24日。
06 26 日本のNGO「ピースボート」、インドのニューデリー市で「ノーモア・ヒバクシャ」写真展を開催。-7月1日。
07 01 広島修道大学の学生、学内で原爆写真展を開催。-15日。会場でのアンケートに93人が回答。1割が「原爆投下に賛成」。(22日のまとめ)
07 01 専門職に従事する女性達でつくる国際組織「BPW」の大阪クラブ、被爆者が自らの体験を描いた絵を23の言語で紹介したインターネット用ホームページを広島市に寄贈。
07 02 広島県原水禁、インド南部・マドライ市の平和団体から原爆展開催への協力要請を受ける。
07 03 広島県原水禁、インド南部のマドライ市の平和団体に原爆写真パネルや資料の一部を発送。
07 04 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を仙台市戦災復興記念館で開催。-12日。(「平和文化」no.130)
07 15 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を盛岡市民文化ホールで開催。-19日。(「平和文化」no.130)
07 15 東京都三鷹市、「原爆と人間展」の巡回展示を開始。-9月2日。(「東友」)
07 16 広島市安佐北区高陽地区の4公民館、平和展示企画「あのとき閃光を見た高陽の空に」を開催。-31日。
07 17 長崎県・福江市、「原爆と人間展」を福江文化会館で開催。-20日。同市の平和行政の一環。
07 17 杉本雅親長崎県被爆二世の会会長、インド・パキスタン調査団の報告会の席上、両国に原爆写真を贈ることを提案。
07 17 広島市西区鈴が峰地区の住民らでつくる「広島カザフスタン友好の会」、「ヒロ・セミプロジェクト」を発足させる。来年8月に向け、「カザフ原爆展」の開催を計画。
07 23 東京都三鷹市、巡回平和展「原爆と人間」を市コミュニティーセンターで開催。
07 23 三重県原爆被災者の会(三友会)、県内の66市町村(全体の96%)が日本被団協制作の「原爆と人間展」写真パネルを購入し、この夏原爆写真展の開催を計画していることを明らかにする。
07 24 (現地時間)国際的な教職員組織「教育インターナショナル」(EI)、総会を米国ワシントンDCで開催。日教組、被爆写真パネルを展示。-29日。
07 24 北海道被爆者協会など、「原爆と人間展」を札幌市内で開催。-27日。約1300人が参観。
07 28 広島原爆資料館、ヒロシマ原爆展を広島県・本郷町の広島空港で開催 。-8月20日。
07 30 「原爆と人間展」、秋田市内で開催。-8月2日。1100人以上が参観。
07 30 秋田県原爆被害者団体協議会・原水爆禁止秋田市協議会など、「原爆と人間」展を秋田市内で開催。-8月2日。(「原水協通信」)
08 01 インド・カルカッタの女性団体「マイトレー」、日本から贈られた原爆の資料を催しの会場に展示。
08 01 広島市原爆資料館、ヒロシマ原爆展をJR広島駅で開催。-9日。
08 01 ピースボート大阪、インド・パキスタン原爆写真展の報告会を大阪市内で開催。
08 01 広島市安佐南区・東野公民館、地域の被爆者10人の証言を基に「平和展」を開催。
08 01 原水爆禁止鳥取市協議会、「原爆と人間展」を市内で開催。-2日。1000人が観覧。
08 01 毎日新聞「ウイークエンド・リポート:印パ原爆写真展に参加して-「ピースボート」の2学生」
08 02 昨年の「マレーシア原爆展」の実行委員会のメンバー浜辺行正(長崎市在住)、今年の原爆展の打ち合わせのためマレーシアを訪問。5日、長崎市役所で帰国報告。
08 02? 三次市・平和人権センター、「被爆資料でみる原爆展」を開催。-27日。
08 03 東広島市原爆資料保存推進協議会、原爆展を市役所ロビーで開催。-10日。
08 03? 広島平和文化センター、印パ核実験後から7月末までにインドや周辺の国の市民団体からの依頼を受け、原爆写真7件を送付。
08 04 広島県、JR新宿駅南口にある広島県の東京アンテナショップ「広島ゆめてらす」で原爆写真展を開催。-10日。
08 04 「原爆と人間展」、愛媛県松山市の愛媛新聞社1階ロビーで開催。-6日。
08 05 広島市舟入原爆被害者の会、地元の住吉神社の夏祭りで、原爆写真展などを開催。
08 05 長崎県職組長崎支部など、第8回長崎県職員原爆展を県庁で開催。-7日。
08 05 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を山形市中央公民館で開催。-15日。(「平和文化」no.130)
08 06 広島県府中市教育委員会、「戦争と平和展」を府中市文化センターで開催。
08 06 広島国際青少年協会、原爆写真展を、広島市の姉妹都市ドイツ・ハノーバー市で開催。-18日。
08 07 長崎原爆資料館、「原爆被災写真展」を平和公園内で開催。-10日。
08 11 「98山口・平和のための戦争展」、山口市民会館で開催。核兵器被害などを展示。-13日。
08 11 愛媛県・大西町非核平和都市宣言推進実行委員会、平和原爆写真展を星の浦海浜公園で開催。今年で4回目。
08 12 福井市原爆被害者福友会、「原爆と人間展」を市役所1階市民ホールで開催。-19日。1800人が参観。
08 14 全国被爆二世教職員の会など、「原爆展」をマレーシアの首都クアラルンプールで開催。-16日。
08 15? 東広島市の向陽中学校と板城小学校の生徒・児童、米国・タフツ大で開催が計画されている原爆展に飾るため千羽鶴を折る。
08 18 「98平和のための広島の戦争展」、広島市の県民文化センターで開催。-21日。
08 19? 岡山県矢掛町、「平和を願う原爆資料展」を役場1階で開催。-21日。
08 20 広島国際青少年協会・中国新聞社、写真展「ひろしま今昔物語-被爆の日から今日まで」を、広島市の姉妹都市ドイツ・ハノーバー市で開催。-9月12日。
08 20 ピースボート、「ノーモア被爆者写真展」を米カリフォルニア大学バークリー校で開催。-22日。
08 21 兵庫県神戸市原爆被害者の会、「原爆と人間展」を神戸市内で開催。-25日。8000人以上が参観。
08 21 大分県被団協、「平和のための戦争展」で「原爆と人間展」パネルを展示。約500人が参観。-23日。
09 04? 日教組・広島平和教育研究所、広島・長崎の原爆被害の実態を記録した写真ポスターを世界32カ国計55の教育団体に発送。
09 16 「千羽鶴ピースプロジェクト」のメンバー、来月から米タフツ大学で開催される原爆展に展示するための千羽鶴を広島市に託す。
09 17 インドで原爆展開催を計画している平和活動家トーマス・マシュー、広島平和文化センターを訪れ、協力を依頼。
09 18 インドで原爆展開催を計画している平和活動家トーマス・マシュー、坪井直・近藤幸四郎ら原爆被爆者団体代表を訪れ懇談。。
10 07 柳井俊二外務事務次官、11月にパキスタンで原爆展を開催することを広島市で開いた被爆者との懇談会の席上で明らかにする。
10 13 カザフスタン・セミパラチンスク市長、来年8月に広島・長崎の原爆展を計画し、両市に協力を要請。
10 15 米ボストンのタフツ大学、原爆展「広島/長崎-死の灰」を開催。-1999年1月3日。開会セレモニーで大牟田広島平和文化センター理事長が挨拶。約250人が参加。
10 22 大牟田広島平和文化センター理事長、米ボストンのタフツ大学で開催された原爆展「広島/長崎-死の灰」への参加から帰国。
10 23 平和祈念事業基金・元軍人軍属短期在職者協力協会など、「平和祈念展-戦争の時代を生きる」を島原市内で開催。-28日。長崎原爆資料館や県被爆者手帳友の会が提供した原爆の絵なども展示。
10 26 広島市、「国による原爆展の開催」(初)などを盛り込んだ来年度の主要事業に関する国への要望項目をまとめる。
10 27 長崎県原水協、パネル展「原爆と人間展」を長崎市内で開催。
10 28 インドの首都ニューデリーで原爆写真展。
10 31 広島県被団協・県原水協など、「原爆と人間展」を広島市内で開催。-11月3日。
10 33 連合など主催の原爆資料展、インド・ニューデリーで開幕。12月中旬のパキスタン・カラチまで6都市8会場を巡回展示の予定。
12 03 昨年5月に開催されたスペイン・バルセロナでの原爆展の実行委員会事務局長・丸島彰、平岡市長に入場者が記帳した署名簿を寄贈。
12 09 明治大学4年生・井上誠、インド・ムンバイで原爆写真展を開催し、祖母の広島での被爆体験を話す。-16日。
12 16 パキスタン日本文化協会、原爆展をイスラマバード中心部のホテル内で開催。在パキスタン日本大使館が後援。-18日。
12 20? オーストラリア在住のイバニエス・原智子、同国で原爆展の開催を企画し、広島に滞在し資料提供を呼びかける。