年表:原爆展(1958~64年)
年 |
月 |
日 |
記事 |
58 |
03 |
03 |
アジア・アフリカ連帯会議常設事務局、カイロで核兵器反対展示会を開催。広島・長崎の被害写真など展示(アカハタ)。 |
58 |
04 |
17 |
ブリュッセル万国博開幕。日本館の中央に広島の原爆の被害を示す写真を展示。 |
59 |
07 |
03 |
広島大学教養部学友会、学内で「八・六原爆展示会」を開催。-5日。 |
59 |
07 |
23? |
原水爆禁止世界大会現地本部、大会参加者向けに原爆写真の展示と市内見学バスの臨時運行を計画。 |
62 |
05 |
21 |
広島市、二十一世紀世界平和博覧会(米シアトル市で四月二十一日から開催中)に被爆写真六十枚なとの出品決める。六月二十日発送を目標に準備進める。 |
64 |
02 |
03 |
米ボルダー市コロラド州立大学で二十一世紀世界展広島原爆展開く。八日まで。 |
年表:原爆展(1956年)
月 |
日 |
記事 |
01 |
25 |
広島市当局、市議会産業委員会で、原子力平和利用展開催中は原爆資料館の資料を公民館に移す意向を表明。被爆者、遺品を移すのは心外だと反発。 |
02 |
02 |
丸木・赤松夫妻、「原爆の図」を日本アンデパンダン展に出品。全10部完成(アカハタ)。 |
02 |
11 |
神奈川県平塚市・地区労・医師会など、見附台体育館で丸木・赤松「原爆の図」展を開催(3日間)。約1万5000名が参観。原爆展の市主催は、英国コヴェントリー市についで2番目(アカハタ)。 |
03 |
23 |
天皇、東京日本橋高島屋で開催中のニューヨーク近代美術館など主催「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展を見学。その際、広島原爆被災の少年の写真にカバーがかぶせられる。(毎日新聞) |
03 |
24 |
「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展に出品中の長崎原爆被災写真5枚について、米側責任者スタイケンが撤去を申し入れ。(朝日新聞) |
03 |
26 |
丸木・赤松「原爆の図」展、ローマで開幕。(アカハタ)。 |
04 |
09 |
山口仙二長崎原爆青年会長、国際文化会館のケロイド模型の取り外しを指示した渡辺長崎県秘書課長補佐に7項目の公開質問状を提出。(長崎日々) |
04 |
15? |
ハーベルマン(オランダの彫刻家)による丸木・赤松「原爆の図」の世界一周展覧行脚の呼びかけに対しスイスのベルン博物館・ニューヨーク・ボストン両博物館などから公開希望の申し入れ。 |
04 |
16 |
丸木・赤松後援会、「原爆の図世界行脚歓送懇談会を」東京お茶の水で開催。月末に訪中の予定(アカハタ)。 |
05 |
01 |
アカハタ、「「原爆の図」展の成果-神奈川平塚地区委員会の総括」を掲載(-3日、3回)。 |
05 |
12 |
丸木・赤松夫妻、中国人民保衛世界平和委員会の招きで訪中するため羽田を出発(アカハタ)。 |
05 |
26 |
広島原子力平和利用博覧会、開会式を挙行。 |
05 |
27 |
広島原子力利用博覧会(広島県・市など主催)、広島市平和記念公園の平和記念館・原爆資料館で開催(6月17日まで、約11万人入場)。藤居原・水協事務局次長、平和利用に先だって原爆症に対する治療・予防の研究を第一目標に置いて欲しいと談話。 |
07 |
06 |
原子力平和利用博覧会(アメリカ広報庁・福岡県市・西日本新聞社共催)、福岡市で開幕。(長崎日々) |
08 |
04 |
長崎市原爆資料保存会、4月義宮来県以来国際文化会館の陳列から除かれていたケロイド模型を陳列することなどを決定。(長崎日々)[天皇] |
08 |
31 |
丸木・赤松夫妻、平壌に到着(アカハタ)。 |
12 |
23 |
丸木位里、帰国(アカハタ)。 |
年表:原爆展(1954~55年)
年 |
月 |
日 |
記事 |
54 |
01 |
09? |
山口県防府地区労、丸木・赤松の原爆図展を開催(54.1.21中国新聞)。 |
54 |
04 |
08 |
福井芳郎「広島原爆画展」、中国新聞社ホールで開幕。 |
54 |
04 |
13 |
世界平和者会議広島大会参加の海外代表、中国新聞社2階ホールで開催中の福井芳郎原爆画展を参観。 |
54 |
08 |
06 |
市立長崎博物館で原爆記念文筆展開幕(~10日)。(長崎日々) |
54 |
08 |
12 |
東京新宿・伊勢丹で「原子力展覧会」開幕(-12日)。広島・長崎の原爆被災写真・資料も展示。 |
54 |
09 |
24 |
広島・長崎両市の関係者、広島市役所で原爆資料展開催について協議。11月に日赤本社講堂を借り受け開催することを決定。 |
54 |
10 |
02 |
広島市、宇野長崎市社会課長を迎えて、原爆資料展について協議。ABCC、逓信・日赤・県立の各病院に資料の貸出を要請することなどを決定。 |
54 |
10 |
09 |
浜井広島市長、ロバート・ホームズABCC所長から原爆展のための資料提供要請に快諾の返答を受ける。 |
54 |
10 |
13 |
広島市原対協治療部会、原爆障害者の治療促進・原爆資料展への資料提供を決定。 |
54 |
10 |
14 |
広島市、来広した佐藤日赤本社報道室長・岸田日本民主文化協会理事長をまじえて、原爆展について協議。 |
54 |
11 |
01 |
長崎市議会全員協議会、東京で開催予定の原爆資料公開展の長崎市負担額119万3000円を承認。(長崎日々) |
54 |
11 |
05 |
広島市、原爆展の概要をまとめる。 |
54 |
11 |
17 |
ロバート・ホームズABCC所長、初公開の原爆資料(男児の出生率が減少する)などを原爆展のため広島市に寄贈。 |
54 |
11 |
25 |
広島・長崎原爆資料公開展(日赤本社・広島市・長崎市共催)、東京日赤本社で開催(12月3日まで)。被災資料・写真など408点展示。ABCCの調査資料も展示。 |
54 |
11 |
26 |
日赤、原爆資料展の開催に合わせ、在京被爆者の健康相談所開設。 |
55 |
03 |
08 |
丸木・赤松「原爆の図」展、英国コヴェントリで開幕(3.13朝日新聞) |
55 |
07 |
10 |
丸木・赤松「原爆の図」展、ロンドン市美術館で開幕。(1955.8.1) |
55 |
08 |
06 |
広島平和記念資料館[広島原爆資料館]、完工し、原爆資料展示会を開催。 |
55 |
08 |
17 |
広島県・山県郡加計町青年団、中央青年会館で原爆資料展を、また常禅寺で庄野直允の講演会を開催。 |
年表:原爆展(1953年)
月 |
日 |
記事 |
01 |
? |
丸木・赤松夫妻の「原爆の図」、国際平和賞を受賞。 |
01 |
02 |
秩父農業高校、原爆展を開催(アカハタ)。 |
01 |
15 |
長崎市教委ほか21団体、赤松俊子・丸木位里「原爆の図展」を長崎市労働会館で開催(~18日)。15日、3000名が入場。18日までに1万名を突破。会期を19日まで延期(長崎日々)。 |
03 |
18 |
長崎原爆の図展実行委員会、赤松俊子・丸木位里を招き、労働会館で長崎平和を守る会の結成大会を開催。(長崎日々3.13) |
04 |
10 |
YMCA奉仕グループの河本一郎らの努力により釧路市労働会館で原爆展。以後、北海道各地に巡回(1953.7.4朝日新聞)。 |
07 |
10 |
山口大学講堂で原爆図展。3日間。 |
07 |
10 |
山口大学講堂で原爆図展開催(3日間)。(アカハタ)。 |
08 |
07 |
中国新聞社、「ノー・モア・ヒロシマズ原爆画展」を東京日本橋白木屋で開催(-12日)。福井芳郎の記録画を展示。 |
08 |
09 |
広島市・朝日ホールで丸木・赤松「原爆の図」展を開催(-13日)。(朝日新聞) |
08 |
15 |
呉市公民館で「原爆の図」展覧会(17日まで).市民の10%約2万人が観覧 |
年表:原爆展(1952年)
月 |
日 |
記事 |
01 |
19 |
長崎県など、大阪市近鉄阿倍野百貨店で「長崎県観光と物産博覧会」を開催(-2月2日)。 |
02 |
09 |
長崎県など、京都駅前丸物百貨店で長崎観光物産展を開幕。 |
02 |
25 |
長崎市立山里小学校、自主教育研究会に合わせて「永井博士と浦上の子ら」遺品展を開催。 |
05 |
23? |
外務・文部両省、6月26日からニューヨークで開催される国際児童図書展覧会に「原爆の子」(岩波書店)など18点を出品することを決める。 |
07 |
30 |
東京都平和会議・世界政府協会・キリスト者平和の会、「大原爆展」を渋谷公会堂で開催。-8月2日。 |
07 |
30 |
東京都平和会議・世界政府協会・キリスト者平和の会、東京都渋谷公会堂で大原爆展を開催(-8月2日)。(アカハタ) |
08 |
06 |
武蔵野市平和懇談会、井の頭公園で「大原爆展」を開催。-10日。 |
08 |
15 |
立川平和懇談会、赤松・丸木「原爆の図」5部作と東京都立大学の学生有志が集めた写真資料をもとに原爆展を開催。3日間。入場者総数は9907名(子供を加えると1万2000名以上)。(「平和のために-原爆展感想文より」52090901) |
09 |
28 |
アカハタ、S・Yの詩「ピカドンを許さない-ある原爆展の会場にて」を掲載。 |
10 |
07 |
アカハタ、映画「原爆の図」(今井正作品・新星映画社)を紹介。 |
11 |
16 |
原爆画展、佐世保市公会堂で開幕(4日間)。 |
12 |
28 |
三菱造船労組長崎支部など、原爆図展実行委員会を開催。1958年1月15日から開催予定。 |
『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(朝日新聞社文化企画局大阪企画部(編・刊、199409)
目次
頁 |
|
|
|
口絵写真 |
|
020 |
19940927-1030 |
熊本県立美術館 |
|
19950551-0612 |
大丸ミュージアム・梅田 |
|
19950812-0924 |
郡山市立美術館 |
|
19951007-1203 |
広島市現代美術館 |
021 |
ごあいさつ |
主催者 |
024 |
霊魂よ眠れ |
新藤兼人 |
033 |
コレクションテーマ[ヒロシマ] |
|
|
|
|
087 |
ヒロシマ―半世紀への黙示 |
|
|
|
|
114 |
コレクション、テーマ「ヒロシマ」について |
竹澤雄三(広島市現代美術館学芸課長) |
120 |
21世紀への黙示―ヒロシマ |
小泉晋弥(郡山市立美術館主任学芸員) |
127 |
原爆写真とは何か―次代の人類のヴィジョンのために |
平木収(写真論) |
133 |
戦争を風化させないために―フォトCD[ヒロシマ・1945] |
後藤和雄(朝日新聞写真データベース委員会幹事) |
135 |
市民が描いた原爆の絵 |
小泉晋弥 |
136 |
作家略歴 |
|
140 |
出品目録 |
|
|
|
|
『ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録 』(佐々木雄一郎写真、毎日新聞広島支局編 、毎日新聞広島支局、19770701 )
内容
撮影年月日 |
備考 |
|
|
荒木武 |
|
194509 |
爆心 |
|
1948 |
原爆ドーム |
|
<以下要入力> |
|
|
|
|
|
ヒロシマの歩み<年表> |
|
|
ヒロシマと生きて |
佐々木雄一郎 |
|
ヒロシマに思う |
山本皓三 |
|
編集後記 |
河野通宏 |
|
編集委員 |
|
|
『ヒロシマ25年 写真記録』(佐々木雄一郎、朝日新聞社、19700730)
頁 |
No. |
|
備考 |
2 |
|
佐々木雄一郎 |
|
3 |
|
8本の線と1個の点 |
|
4 |
1 |
自宅付近の焼け跡 |
|
|
2 |
市電の残骸 |
|
|
3 |
義兄本田勘六宅の焼け跡 |
|
|
4 |
次兄佐々木末爾宅の焼け跡 |
|
7 |
|
原子砂漠 |
|
|
5 |
原子砂漠 |
|
8 |
6 |
爆心地 |
|
10 |
7 |
爆心地1 |
|
11 |
7 |
爆心地2 |
|
12 |
8 |
鉄分の噴き出した墓石 |
|
|
9 |
ピカドン墓 |
|
13 |
10 |
屋根のぬけ落ちた産業奨励館 |
|
14 |
11 |
爆心地下の白骨 |
|
15 |
|
閃光 |
|
15 |
12 |
石段の人影 |
|
16 |
13 |
ガスタンクの影 |
|
18 |
14 |
護国神社入口の狛犬1 |
|
|
15 |
護国神社入口の狛犬2 |
|
|
16 |
護国神社入口の狛犬3 |
|
|
17 |
避雷針の基礎の影 |
|
|
18 |
竹の火傷 |
|
|
19 |
広島城のユーカリ1 |
|
|
20 |
広島城のユーカリ2 |
|
23 |
|
爆風 |
|
|
21 |
|
|
|
|
21 御幸橋の欄干…23
22 相生橋風景… 25
23 爆心地島病院の跡…26
24 日赤病院のガラス破片…26
25 ねじれた鉄窓… 27
26/28 家屋の破損1~3…28/29
29 鉄梯子の曲った煙突 |
|
30 |
|
焼け跡 |
|
|
30 |
街の焼け跡 1~20 |
|
43 |
|
人間をかえせ |
|
|
50 |
50 孤独な老人…43
51 はたらく原爆孤児…44
52/54 原爆浮浪児 1~3…46/48
55 孤児と修道尼…49
56 お祈りをする孤児…49
57 似島学園の女の子…50
58 先生と孤児…51
59 バラックの老夫婦…53
60 日向ぼっこの孤老 |
|
55 |
|
惨劇の証人 |
|
|
|
61 早暁の原爆ドーム…55
62/76 原爆ドーム 1~15…56/68
77 原爆ドームの碑…68 |
|
69 |
|
廃嘘のヤドカリ |
|
|
|
78 バラックと子ども…69
79 石とトタンの家…70
80 防空壕の住居…71
81 兵営跡の市営住宅…72
82 新居と畑…72
83 バラック住い…73
84 バラックと子ども…73
85 基町のスラム…73
86/91 立ちのき 1~6…74/78 |
|
79 |
|
怒りと祈りと |
|
|
|
92 ハトと噴水…79
93 ドームと洗たく女…80
94 写生する子どもたち…81
95 はねつきをする少女…82
96 置去りにされた石仏…82
97 工事場の群像…83
98 紙芝居屋と子ども…83
99 慰霊碑に詣でる被爆娘…84
100 読経する老人…85
101 消えていくバラック…86
102 工事場の人骨…87
103 工事の遅れた公会堂…88
104 公園建造物全景…89
105 遠足に来た生徒たち…90
106 雪の中の参詣…90
107 雨の中の参詣…90
108 ある対話…90
109 若い自衛隊員…90
110 休暇の黒人兵…90
111 暮色の公園…91
112 供養塔暮景…92
113 新春の供養塔…93
114 原爆の子の像…93
115 供養塔そばの自衛隊員…94
116/17 原爆資料館1~2…94/95
118 詩碑と少女…97
119 平和記念公園遠望…99
120 盛夏の平和記念公園…100 |
|
101 |
|
消えぬ爪あと |
|
|
|
121 街を行く被爆者…101
122 原爆第1号のケロイド…102
123 原爆1号の店…103
124 ドームと第1号…103
125 はたらく被爆者…104
126 デパート屋上の被爆者…104
127 街に出てきた原爆乙女…105
128 発言する原爆乙女…105
129 川遊びの被爆少女…106
130 討議する被爆者代表…108
131 広島原爆病院…108
132 原爆病院の病室…111
133 原爆病院標本室…112
134/135 原爆病院病理室 1~2…112
136 原爆病院の回診風景…113
137 結び合う手…114 |
|
115 |
|
涙と叫びの夏 |
|
|
|
138 8月6日の慰霊碑…115
139 第1回平和祭…116
140 平和塔と人骨…117
141 第3回平和祭…118
142 第6回平和記念式典…119
143 過去帳奉納…120
144/151 第8回~第22回平和記念式典…121/125
152 8月6日の流燈会…126
153 ドーム前の流燈…127
154 折鶴の会の平和集会…128
155/161 8月6日の供養塔 1~7…129/133
162 涙の老女…134
163 少年と線香…134
164 動員学徒犠牲者の会…135
165 慰霊祭のあと…135
166 原水禁広島平和大会…136
167 第1回原水禁世界大会…137
168 核禁会議のタイマツ行進…137
169 平和大行進…139
170 遺影を胸に…140
171 林立する旗…141
172 ヘルメットに囲まれて…141
173 原爆病院前の平和行進…142
174 海を渡ってきた行進者…142
175 広島反戦集会…143
176 国際放射線影響学会…144
177 胎内被爆者・被爆二世を守る会結成大会…144
178 原水爆禁止科学者会議…144
179 慰霊碑前の抗議すわりこみ…144
180 第2回世界仏教徒会議…145
181 ある花束…146 |
|
147 |
|
死者をたずねて |
|
|
|
182 原爆っ子の成人式…147
183 供養塔に眠る無縁仏…148
184 遺骨の引渡し…149
185 むなしく眠る遺骨…149
186 学徒死没者の碑…150
187 検視調書名簿…150
188 名簿を追って…151
189 探し疲れて… …151
190 あったッ!…152
191 供養塔納骨名簿…152
192 確認…153
193 喜び…153
194 祭壇上の遺骨…154
195 遺骨引渡し…154
196 悲しみ…155
197 被爆者実態調査票…156
198 被爆者調書…156
199 爆心地の復元…156 |
|
157 |
|
来訪者の顔 |
|
|
|
200 ジョセフィン・ベーカー…157
201 皇太子殿下…158
202 ザビエル順礼団…159
203 西部劇俳優ケニー・ダンカン…159
204 天皇・皇后両陛下…159
205 ヘレン・トローベル…160
206 宇野重吉…160
207 ルーズベルト夫人…160
208 ディマジオとモンロー…161
209 パルゴーザ・カルメーロ・ブラジル大使夫妻…162
210 高松宮ご夫妻… 163
211 高松宮妃…163
212 鳩山首相夫妻…164
213 原水禁世界大会ソ連代表…164
214 原水禁世界大会中国代表…164
215 ネール首相… 165
216 オーベルン・キルヘン少女合唱団…165
217 皇太子殿下ご夫妻…166
218 ハイネマン西ドイツ大統領夫妻…166
219/225 自衛隊1~7…167/172 |
|
173 |
|
不死鳥のごとく |
|
|
|
226/275 よみがえる街々1~50…173/202
276 宇品港の引揚げ船…203
277 宇品港の外米輸入船…203
278 宇品港桟橋…204
279 ソ連観光船入港…204 |
|
205 |
|
焦土の祭典 |
|
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280 消防出初め式…205
281 相撲興行…206
282 庭球卓球競技大会…207
283 こどもまつり…207
284 広島カーブ結団式…207
285 第6回広島国体…208
286 秋祭(天神祭)…208
287 ファションショー…209
288 広島まつり…209
289 立太子式…210
290 競輪…211
291 亥の子祭…211
292 とうか祭…212
293 市民球場びらき…212
294 博覧会…213
295 X’masフェスティバル213
296 聖火リレー…214
297/309 第21回~第41回メーデー…215/222 |
|
223 |
|
声なき墓標の群れ |
|
|
|
広島県地方木材KKの慰霊碑 |
|
225 |
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慰霊碑 |
|
|
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311 雑草の中の供養塔…225
312 瓦礫の中の供養塔…226
313 広島郵便局の供養塔…226
314 広島土木出張所の供養塔…227
315 爆心地横死者の供養塔…227
316 さまざまなる供養塔…228
317 集められた供養塔…229
318 県立広島二中の供養塔…230
319 放置された供養塔…230
320 県立広島二中慰霊碑の裏面…231
321 広島二中慰霊碑の表面…231
322 広島市役所の慰霊碑除幕式…232
323 牛田町児童公園の供養塔…232
325 五日市町の慰霊碑…233
326 左官町の慰霊碑…233
327 宇品造船所の供養塔…233
328 広島女学院慰霊碑の表面…234
329 広島女学院慰霊碑の裏面…234
330 崇徳中学校の供養塔…235
331 広陵学園の慰霊碑…235
332 進徳高等女学院の慰霊碑…235
333 広鳥市高等女学校の慰霊碑…235
334 広島市造船工業学校ならびに広島市立商業学校卒業生原爆戦残者の慰霊碑…237
335 原爆の子の像の碑文…238
336 移動演劇さくら隊原爆殉難碑…238
337 慰霊碑守りの未亡人…238 |
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239 |
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墓標 |
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338/351 墓標1~14…239/246 |
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247 |
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供物 |
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247 |
352 |
タイ国海軍使節団の捧げた花輪 |
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248 |
353 |
皇太子殿下の捧げた花輪 |
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249 |
354 |
ネール・インド首相の花輪 |
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249 |
355 |
世界連邦外国代表一行の花輪 |
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249 |
356 |
ジョンソン駐日アメリカ特命全権大使の花軸 |
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249 |
357 |
スポポダ・チェコスロバキア大統領の花輪 |
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250 |
358 |
修学旅行生の献花 |
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250 |
359 |
修学旅行生の捧げた折鶴 |
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250 |
360 |
小学校児童の献花 |
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251 |
361 |
センをぬいて供えられた酒 |
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252 |
362 |
供養塔前の供物 |
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252 |
363 |
慰霊碑前の菊の花と硬貨 |
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253 |
364 |
新婚旅行者が捧げたブーケ |
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253 |
365 |
万博粉砕の千羽鶴 |
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255 |
366 |
ヒロンマ1970年 |
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258 |
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広島被爆地図 |
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260 |
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ヒロシマの持続 大江健三郎 |
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268 |
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ヒロシマ年表 庄野直美・編… |
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279 |
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あとがき |
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『母と子でみる 原爆を撮った男たち』(反核・写真運動、草の根出版会、19870806)
目次
章 |
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1 |
原爆の実相を伝える |
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はじめに-真の平和をめざして |
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広島・長崎の原爆 |
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原爆カメラマン |
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日照計 |
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アトミック・フィールド |
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2 |
原爆を撮った男たち(上) |
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尾糠政美 |
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尾木正己 |
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鴉田藤太郎 |
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川原四儀 |
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川本俊雄 |
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岸田貢宜 |
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岸本吉太 |
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北勲 |
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木村権一 |
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黒石勝 |
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空博行 |
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斎藤誠二 |
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林寿麿 |
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深田敏夫 |
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松重三男 |
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松重美人 |
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森本太一 |
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山田精三 |
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川端庸介<長崎> |
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3 |
原爆を撮った男たち(下) |
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松本栄一<長崎・広島> |
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菊池俊吉<広島> |
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林重男<広島・長崎> |
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4 |
原爆カメラマンの証言 |
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どうして原爆写真を撮ったか |
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林重男・松重美人・松本栄一・相原秀次・菊池俊吉 |
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広島原爆被災写真撮影者が語る被爆の実態 |
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(河村盛明・三宅利明)、松重美人・松重三男・深田敏夫・林重男・黒石勝・岸田貢宣・尾糠政美・尾木正己 |
● |
戦中・戦後のカメラマン |
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写真家をめざしたころ |
菊池俊吉 |
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幻のグラフ雑誌 |
多川精一 |
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軍隊を終えカメラマンに |
林重男 |
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敗戦とアメリカ |
林重男 |
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「国際医師の会」で被爆体験を訴える |
松重美人 |
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平和へのかけ橋 |
「反核・写真運動」事務局 |
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フィルムの話 |
林重男 |
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「反核・写真運動」-あとがきにかえて |
「反核・写真運動」事務局 |
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『世界写真家平和シンポジウム・写真展報告書 核の半世紀―目撃者は語る』(広島平和文化センター、19941216)
目次
頁 |
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発刊に当たって |
平岡敬(広島市長、財団法人広島平和文化センター会長) |
001 |
出席者のプロフィール |
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003 |
全体スケジュール |
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004 |
写真展の概要 |
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005 |
原爆被害概況説明の概要 |
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007 |
宇吹暁 |
原爆の社会的影響 |
011 |
練石和男 |
医学的影響「原爆放射線の健康影響」 |
013 |
山岡ミチコ |
被爆者の証言「米国で27回の手術を受ける」 |
018 |
高橋昭博 |
被爆者の証言「私の被爆体験とヒロシマの心」 |
022 |
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世界写真家平和シンポジウムの概要 |
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1 日時 |
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2 会場 |
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3 テーマ |
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4 内容 |
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5 主催 |
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6 協力 |
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7 後援 |
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8 参考 |
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023 |
平岡敬 |
開会あいさつ |
024 |
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シンポジウムの発言内容 |
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勝部領樹 |
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025 |
ジョー・オダネル |
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028 |
ユーリ・イワノビッチ・クイディン |
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30 |
勝部 |
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30 |
キャロル・ギャラガー |
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32 |
勝部 |
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33 |
ロバート・デルトレダシー |
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35 |
勝部 |
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35 |
アンドレアス・ロベ |
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37 |
勝部 |
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37 |
大石芳野 |
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53 |
プロフィール |
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098 |
写真展における展示写真 |
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109 |
新聞記事[原文] |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。