『平和のともしび 原爆第一号患者の手記』(吉川清、京都印書館、19490815)目次
頁 | 事項 |
口絵 | 上図:著者の両腕と背のケロイド(松笠やうのもの) |
下図:ライフ誌上に掲載された一文 | |
「ライフ」特派員より著者に送られた書簡 | |
病床にある著者と妻。英文はタイム誌上に掲げられた一文 | |
永久に平和記念館として保存される旧産業奨励館 | |
1 | 序 (富田勝己 <京都府立医科大学外科教室> ) |
5 | 目次 |
図:避難場所、休憩場所 | |
1 | 思ひ出の八月六日 |
4 | 悲しき経験 |
11 | 命は助つたが |
15 | 生の欲望 |
「大粒の雨」、「西原国民学校」 | |
21 | 遂に失神 |
「祇園青年会館」 | |
25 | その夜の救護所 |
「祇園神社」 | |
29 | 可部町勝圓寺にて |
29 | 父を亡ふ |
「可部の警察署の診療所」、「勝圓寺の御堂」 | |
33 | 八月十五日を迎ふ |
37 | 顕著な原爆症状 |
42 | 絶望より微かな希望へ |
52 | 焼土廣島の見開 |
59 | 復員列車をみる |
63 | 友情に泣く |
三次町より川内村へ | |
70 | 無医村に迎へる冬 |
赤十字病院に入院 | |
75 | 三度廣島へ |
79 | 闘病生活つづく |
87 | 山根さんの人間的魅力 |
91 | 再び思ひ出の八月六日 |
97 | 平和の黙祷 |
100 | 死の淵を彷徨 |
103 | 春を迎へて |
105 | 平和の礎石に |
111 | 実験臺上へ |
116 | 「ライフ」特派員と會ふ |
122 | 跋 (伊藤嘉夫 広島赤十字病院皮膚科医学博士 ) |
後記( 吉川清) | |
帯 | |
口絵 |
京都印書館=1944年(昭和19年) 人文書院と立命館出版部ほか京都の出版社数社が企業整備により統合し誕生した出版社。http://www.jimbunshoin.co.jp/company/c285.html