「04 できごと」カテゴリーアーカイブ

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1946年)

『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

報道篇(1946年)

見出し 掲載紙 掲載月日
ただ一弾で焼野原 爆発音で誤り伝える二弾投下 文字通りピカドン 中国  0106
 “不妊症婦人”が妊娠 朝日  0120
 圧力波で千里の突風 中国  0122
 米軍総指令部 広島の被害を発表 毎日  0204
 生きている原子爆弾 広島郊外で放射能を発見 毎日  0206
 原子症状いまはなし 多くは恐怖による神経症 毎日  0206
市電近く全通  被爆後半歳・広島の復興 既に263の町内会誕生 築く”山陽屈指の貫禄”  毎日   0206
”神父も槌を揮う”  教会再建の一点景   毎日    0206
 [無見出し]<人員復帰状況>  中国   0206
 新型爆弾症 言葉を忘れたM君 これは健忘性失語症   中国  0211
 「爆弾症」その後の状況はこうだ   中国  0213
 米大統領演説 「広島」は世界の出発点 原始時代に生きる教育の途  毎日  0513
青空教室  廃材の机、石の腰掛 原子沙漠にヨイコの学習  毎日  0515
 爆弾症に医学の挑戦 都築博士中間報告 海水浴は持って以っての外 日光さけて地味に暮せ 中国 0522
原子症は再発? 広島と長崎に新しい話題 毎日 0524
 広島は平和のシンボル 帰国後の援助も惜まず モ顧問別離の挨拶  中国  0616
 細胞や血液に新影響 原子爆弾と取組む2教授  朝日  0617
 世に告ぐ新生「広島」 ”復興祭”をパリ放送局が現地録音 毎日 0703
 団子に原子沙漠の草 広島市民のカロリー補給 朝日  0706
 遺す原子弾戸籍 影響を遺伝的に研究 広島で10万人を登録 中国  0725
爆心に平和の霊地 復興に力強い宗教運動  毎日  0806
 「沙漠」から「住める街」に けふ広島原子爆弾1周年  朝日 0806
雑草の「原爆植物園」 広高師藤田教授が保存に努力  朝日  0806
 原子爆弾研究にわが学界総力を結集 中国 0808
 霊よ安かれ・茂る夏草に祈り  朝日  0808
 原爆の影響で児童の体力低下 大部分は神経症状 中国  0831
 天晴れ広島戦災五童心 中国  1117
 火傷手術いまチャンス 安定期に入ったピカドン症 中国  1221
 後世に伝う「原子戸籍」建物の部 一瞬9割崩る 槌音朗々 5割は復興  中国 1226

 

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1945年)

『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

報道篇(1945年)

見出し 掲載紙 掲載月日
敵、広島に新型爆弾 朝日 0811
落下傘つき、空中で炸裂
ピカッ!物陰に
新型爆弾
鈍音熱線大轟音
悪魔の爆弾英民衆も非難
広島の戦訓
壕には爆風除け
正に火薬二萬噸に匹敵
危険は閃光の一瞬
聖断を拝し大東亜戦争を集結
詔書
最大の凶器原子爆弾
従来の作戦を一変す
英米で共同研究
原子爆弾投下機操縦者の話
死亡なお続出
原子爆弾現地調査報告書
原子爆弾、あの日の戦慄
残された原子爆弾の恐怖
惨、累々たる死骸
半径二キロまで全壊焼
死者なおも続出
頭髪も全部ぬける
「原子爆弾」その後
広島の被害世界一
妊婦には影響なし
嘘だ、七十五年説
原子爆弾防御法米研究所で発見
「原子爆弾」奇譚
原子爆弾の恐怖と対処策
地震学者のみた原子爆弾
根こそぎ倒れた国泰寺の樟
症状は回復してもこの冬無理は禁物
空中で組立て広島爆撃
街の話題
妊娠は当分駄目
原子爆弾と広島の復興

爆弾篇(1945年)

見出し 掲載紙 掲載月日
英で着手、米で生産 毎日 0815
動力の世界に革新 毎日 0815
五百トン爆弾と同じ作用 朝日 0816
浅田博士に聴く(1) 朝日 0821
理博、阪大教授、産業科学研究所員、超電波の権威
浅田博士に聴く (2) 朝日 0822
浅田博士に聴く(3) 朝日 0823
浅田博士に聴く(4) 朝日 0824
浅田博士に聴く(5) 朝日 0826
浅田博士に聴く(6) 朝日 0827
原子爆弾の神秘を声明 19460330

体験篇(1945年)

見出し 掲載紙 掲載月日
原子弾を浴びて 朝日 0831
つきぬ情の一筋 中国 19460215
名作「原爆の回顧」 朝日 19470808
原爆孤児が綴る新版「父帰る」 中国 19470821
私らは大きくなった 朝日 19480808

 

ヒロシマ基礎講座

「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催。20080712~)

テーマ 講師 年月日
01 ヒロシマはどう伝えうるか-原爆・平和報道の過去・現在・未来 宇吹暁 20080712
広島女学院大学教授
02 浅井基文
広島市立大学広島平和研究所長
03 伝えることと、記録することのはざまで~原爆小頭症の取材を続ける中で思うこと~ 平尾直政 RCC企画部長
04 広島の思想はなぜ国際政治を動かせないのか、動かすために我々はいかにすべきか 広岩近広 20081025
毎日新聞専門編集委員
05 ブッシュ核戦略の挫折と米新政権の課題 太田昌克 20081122
共同通信記者
06 日本核武装の幻想 そしてナガサキの平和運動 土山秀夫 20090124
核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表
07 報道されなかったイラク戦争 ~映像で見るイラク~ 西谷文和 20090328
フリージャーナリスト、「イラクの子どもを救う会」代表
08 ひろしま―呉―イワクニ。トライアングルの視点 小野増平 20090418
広島経済大教授、元中国新聞編集局長
緊急フォーラム:アメリカの核政策~オバマ大統領のプラハ演説が意味するもの 20090425
哲野イサク(広島在住・ウェブジャーナリスト、大島寛(広島修道大教授)、佐渡紀子(広島修道大准教授)
22 詩人と医学者、歴史家が語り合う「ヒロシマからフクシマまでの道」 20110723
アーサー・ビナード、鎌田七男

 

 

 

 

 

被爆70年-市民が育んだヒロシマ

『被爆70年-市民が育んだヒロシマ』(広島自治体問題研究所、20150728)

内容

編 頁 タイトル 著者
01 はじめに
 村上博(広島自治体問題研究所理事長)
第1編 ヒロシマの市民活動
06 原爆遺跡保存運動懇談会のあゆみ 高橋信雄
16 『木の葉のように焼かれて』を平和運動の推進に 新日本婦人の会広島県本部
20 広島高校生平和ゼミナールの40年 澤野重男
28 70年目の「ヒロシマ」を考える 大越和郎
34 原爆被害者相談員の会の活動をふり返る 三村正弘
42 広島の被爆訴訟支援の到達点 青木克明
51 劇団 月曜会 今昔 岩井里子
55 21年目を迎える「平和のための戦争展」~見る戦争展から、育てる戦争展へ~ 利元克巳
第2編 「ヒロシマ六法」(解説) 田村和之
71 法律・条例集
広島平和記念都市建設法(1949年制定)
広島市基本構想(2009年策定)
被爆者援護法(1994年制定)
87 編集後記
橋本和正(広島自治体問題研究所事務局長)

原爆被害者援護法案要綱(1956.8)

原爆被害者援護法案要綱 1956.8

原爆被害者援護法案要綱 (日本被団協案)
第一 方針
一、国費により、原爆被害者の医療と必要な生活の保障を行うこととする
原爆被害者とは、原爆障害者及び原爆死没者ならびにそれ等の者の同一世帯員(主として当該障害者叉は死没者の収入によって生計を維持し、叉はその者と生計を共にした者、若しくはしている者)をいう。
原爆被害者については、次のような特異性が認められるので、これが医療と必要なる生活の保障は、すべて国庫負担によることが妥当と考えられる。
(一)科学的にみて
1、原爆障害者とは放射性物質のアルファー、ベーター、ガンマー線による持続的な細胞内原子機能機能の根本的破壊、ならびに爆発時における熱傷と爆風による広範な被害である。
2、原爆死没とは右のような原因により、死んだ者と今後予想せられる死亡をいう。
(二)医学的にみて
1、原爆障害者については、その治療は、長期を要し、かつ困難である。又被害者は多数にわたり、かつ後障害及び遺伝的影響を残すとされるから、その研究、治療は、総合的で規模も大掛りであることを必要とする。
2、原爆死没者については、的確な治療及び対策が講ぜられぬまゝ死没したものである。
(三)経済的にみて
1、原爆障害者については、その症状が前記のように特異であり、治療に永い期間と多額の費用を必要とするので、個々の患者にとって自らの治療の負担に耐え得ない。
2、原爆障害及び原爆死没者の同一世帯員については、原爆による被害が広範長期にわたり且大量殺りくであった為に自他共に生計維持の方途に苦しんだのである。従ってその障害者若しくは死没者か当該世帯の生計の中心者に該当する場合、叉は将来生計の中心者として期待される場合においては、その者の同一世帯員の生活は国家の責任において保障されることを必要とする。
(四)政治的にみて
原爆被害者は国の責任におい遂行した戦争による犠牲であり、原爆という当時においては予想を絶する特殊兵器によるものであるから、無防備無準備のまゝに受け、また警備にも適切を欠ぐという、全く個人の責任範囲外の被害であるから、これが治療と生活については国の責任で行はれるべきである。
二、その他、今日、国の責任において原子力科学及びその実用化の推進を取り上げているのであるから、これに随伴するであらう放射能被害の予防、治療、その他にも貴重な貢献をすることと思はれる。
第二 要領
一、国費で治療を行う者の範囲は、昭和二十年八月広島市及び長崎市における原爆障害者(当時胎内にいた者を含む。)とする。
二、本法による治療を行う者の決定は、先ず、被爆者の登録を行い、次いでこれらの者の内から、具体的に治療を行う者の認定をするという二段の手続きをとること。
登録対象は現に原爆症患者である者及び、将来原爆症の発生する可能性のあるもの、すなわち、被爆当時叉はその直后に被爆地域に在ったものとし、登録及び認定は、都道府県知事とする。
登録は、本人叉は第三者の申請によることゝし、次に治療を行う者の認定に当っては、厚生大臣の定める基準により諮問機関の議を経て決定するものとする。
三、治療を行う期間は転帰までとする。
四、治療を行う機関は厚生大臣の指定する医療機関とすること。
また、必要に応じて一時救護所を設けることができるようにすること。
五、医療機関の治療方針及び治療報酬は健康保険の例により、それによることができない時は厚生大臣が定めることとすること。
六、障害者に対しては障害年金を支給するか、若しくは、治療または療養を要する者の中、生活に支障を来たすため、これを受けることの困難な者に対しては治療手当または療養手当を支給すること。
七、障害者を安んじて治療叉は療養させるため都道府県知事が必要と認めたときは同一世帯員に対して援護することができるようにすること。
八、原爆死没者に弔慰金を支給し、その遺族に遺族年金を支給すること。
九、原爆障害者の調査と原爆障害の治療の研究機関を設立する。
十、被爆者の健康管理を行うこと、
本人の意に反しない範囲で登録の対象者である被爆者の健康状態を調査し、健康状態に関して指導と予防措置を講ずることゝし、これが実施は都道府県をして当らしめ費用は国が全額負担する。
十一、次の様な義務規定を設けること。
1、治療を受ける者及び健康管理を受ける者について、症状に関して、又、住居の変更に関して、当該機関に対する届出義務を化する。
2、治療の委託を受けた医療機関について、治療の経過等に関して当該機関に対する報告義務を課する。
3、右の届出、報告の時期様式等は省令に委任する。
十二、治療状況の報告を行った医療機関に対して要した実費を支給すること

原爆被害:時時刻刻(8月16日~31日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月16日~31日)

時刻 事 項
16 「本日早朝より海兵団、潜水学校等を歴訪、食糧援助方を依頼。直に県に引返し貨車の手配を了し、夕方より再び大竹に向ふ。夜列車遅延の為大竹駅前に野宿す。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
16 「一、広島市ノ復興対策ニツキ左ノ通リ示サレタリ」(広島県「戦災記録」)
16 09:00 「一、本日九時内政課長 会計課長 桐原警部ハ県庁移転候補地タル海田市町日本製鋼 東洋工業会社下見ノ為メ出向 十一時五十分帰来左ノ通報告アリタリ」(広島県「戦災記録」)
16 14:00 「一、本日十四時廿日市病院ニ於テ近親者ニヨリテ大塚総監ノ仮葬儀行ハル 状況上参列辞退ノ旨申添アリ」(広島県「戦災記録」)
16 14:00 「一、十四時長官黒田属帯同総監府ノ会議ニ出向」(広島県「戦災記録」)
17 「二総作命甲号外第二号 第二総軍命令 八月十五日 広島」(広島県「戦災記録」)
17 佐伯郡、戦災対策本部を設置し、原爆被災者を救援・救護。郡内の公共施設・民家への収容者約2万人に達す。
17 「本日早朝より海兵団兵員の援助を得て食糧の貨車積を開始、午後4千俵の積込を終る。午後再び潜水校、陸燃等を訪問、残余の食糧積込を手配す。夜県庁に引返して泊る。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
17 09:30 「一、九時半 長官黒田属帯同 呉鎮呉市役所呉警察署訪問」(広島県「戦災記録」)
17 10:00 「一、十時 会計課長外三名県庁舎移転間題打合ノ為東洋工業株式会社ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
17 13:30 「一、十三時四十分 第二総軍岡崎参謀長 長官ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
17 15:00 「一、十五時 東洋工業株式会社事務所三階(全部)ヲ県庁舎トシテ貸付ノ件重役会議ノ結果承諾ノ旨同社総務部長来庁回答シタリ」(広島県「戦災記録」)
18 09:30 「九、三○ 長官村上属帯同 中国軍管区司令部ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
18 10:00 「午前10時より県庁部課長会議。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
18 11:00 「一一、○○ 部課長会議」(広島県「戦災記録」)
18 13:00 「午後1時より地方事務所市長会議。午後9時過帰宅す。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
18 13:00 「一三、○○ 内務省福田事務官事務打合ノ為来県」(広島県「戦災記録」)
18 13:00 「一三、○○ 市長地方事務所長会議」(広島県「戦災記録」)
18 14:00 「一四、○○ 都市計画委員会」(広島県「戦災記録」)
19 14:00 「日赤病院長長官ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
19 15:00 「緊急町村会同開催の手配をなす。午後3時より臨涛館にて陸軍兵器補給廠との懇談会あり。夜隣組常会開催さる」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
20 「午前5時発列車にて出広。本日県庁を向洋東洋工業に移す。午後1時より同所に於て長官開庁の挨拶あり。本日広島県人事課長兼食糧課長を命ぜらる。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
20 09:00 「長官 経済第一部長 警察部長 黒田属 東洋工場へ 各部全部東警察署ヨリ東洋工業ニ移転ス」(広島県「戦災記録」)
20 12:00 「中国軍管区部隊命令 8月20日12時 広島 一、広島地区司令官ハ戦災救護ノ為指揮シアル衛生機関ヲ任務終了次第撤収シ之カ派遣人員ハ夫々原隊ニ復帰セシムベシ 二、前項衛生機関ノ撤収部隊人員及同年月日ヲ其ノ都度報告スヘシ」(『中国軍作命甲綴』)
21 「本日より日本製鋼所の寮に入る。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
21 米国ロスアラモス研究所で、プルトニウム事故。作業員1人が被曝死。警備員1人が急性症状。
21 12:00 「中国軍作命丁第4号 中国軍管区部隊命令 8月21日1200 広島 一、広島第一陸軍病院長ハ速カニ宇品付近ニ分院ヲ設置シ船舶部隊ニ収容シアル軍戦傷患者ノ収療ニ任スベシ 二、施設ハ船舶司令部ト協議ノ上成ル可ク船舶部隊ノ既設ノモノヲ使用スヘシ 三、広島第二陸軍病院長ハ前項分院設置ニ対シ援助スヘシ 三、広島地区司令官ハ第1項、第2項部隊ヲ併セ指揮スベシ 四、広島第一陸軍病院宇品分院ノ編成表ハ別紙ノ如シ 」(『中国軍作命甲綴』)
22 長崎県、大工・左官等技能者約300名・一般労務者500名からなる「長崎県緊急建設本部」設置、長崎市内各所の災害復興を図る。
22 防空総本部技師鳥居捨蔵、広島原爆現地調査結果を報告。
23 「中国軍参電第94号 昭和20年8月23日 [件名]救護要員派遣ノ件 [宛名]山口・鳥取・浜田陸病長 [署名者]軍管区司令官 中国軍作命丁第5号要旨 山口・鳥取・浜田陸軍病院長ハ軍医1、日赤救護班1ヲ8月25日広島第二陸軍病院向原分院(芸備線沿線)ニ派遣シ診療業務ヲ援助セラルヘシ」(『中国軍作命甲綴』)
23 「岡山県庁より横山事務官外7名応援の為来庁。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
23 毎日新聞, 原爆爆心地域70年生物不毛説を伝える. 翌日, 朝日・読売報知,75年生物不毛説を報道.
23? 広島市の原爆被災状況、死者6万人以上・負傷者10万人以上に達す。
23? 中国地方総監府および広島県庁関係原爆死没者・負傷者氏名発表。
24 ジュノーら赤十字国際委員会の日本派遣員、各地の捕虜収容所に向け東京を出発。広島県向島造船所へはビルフィンガーが向かう。
24 「総監府連絡会議。長官厳島神社及速谷神社へ終戦報告の為参拝。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
24 仲みどり、東大病院で死亡(毎日新聞)。
24 08:00 「中国軍作命丁第6号 中国軍管区部隊命令 8月24日0800 広島市 一、福岡第二陸軍病院派遣救護班(西田大尉以下230名)原隊ニ復帰スヘシ 中国軍管区司令官 谷 寿夫」(『中国軍作命甲綴』)
24 10:00 「中国軍作命丁第7号 中国軍管区部隊命令 8月24日1000 広島市 一、鳥取救護班(美田少尉以下7名)ハ8月25日出発原所属ニ復帰スヘシ 中国軍管区司令官 谷 寿夫」(『中国軍作命甲綴』)
25 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、大森収容所で米飛行士の捕虜と接触(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
25 東京帝国大学医学部臨時教授会で厚生省亀山次官から原爆被害調査依頼があったことが報告される。予算は防空委託研究費。(「DDT革命」)
25 11:00 「午前11時より県参事会。午後1時より県政協力会議」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
25 13:00 「中国軍作命丁第8号 中国軍管区部隊命令 8月25日1300 広島市 一、中国軍管区工兵補充隊ハ8月22日中国軍作命甲第29号ニ基キ広島第一陸軍病院江波分院及広島赤十字病院ニ派遣中ノ兵力ヲ引続キ8月27日迄派遣シ前任務ヲ続行セラルヘシ 二、細部ニ関シテハ参謀長ヲシテ指示セシム 中国軍管区司令官 谷 寿夫」(『中国軍作命甲綴』)
26 「会議室に於て県下警察署長会議開催。<その席上に於て偶々内務省より電報示達の機密文書の焼却指示を為す。焉ぞ図らん、後日之が禍して追放の処分に遇はんとは 嗚呼>」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
27 東京大学伝染病研究所員栗本珍彦他2名、広島で調査開始。(日本産業経済新聞)
27 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、相模湾停泊中の米軍艦サン・ディエゴ艦上で米軍と接触、米軍とともに大森収容所を解放(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
27 井街軍医少尉、中国軍管区司令部軍医部長駒田少將の使者として京都大学を訪問。医学部に対し、原子爆弾被爆者の災害の徹底調査と早急なる対策樹立のために研究員の派遣を要請。(菊池論文)
27 13:00 「午後1時より東署楼上に於て戦災復旧対策官公署連絡会議開催。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
27? 長崎県建設工事本部、被災家屋の応急修理に着手する計画。
28 オーターソン大佐(マッカーサーの軍医顧問)、ガイ・B・デニット代将(太平洋米軍総司令部軍医総監)宛のメモ「原爆の障害が引き起こす影響に関する研究」を記す(『災害との遭遇』)。
28 厚生省の専門家、広島県衛生課や逓信病院で原爆被災者の健康について調査。
28 「児玉中国地方総監着任。長官と共に之を出迎ふ。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
29 「中立国利益代表長官を訪問。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
29 広島市、全市連合町内会へ第1回衣料品配給。
29 九大医学部沢田内科班、原爆による負傷者の救護とその影響研究のため長崎入り。
29? 大阪大学附属病院、収容した原爆被災者の病症状経過を発表。長井同大医学部助教授、広島現地報告を発表(朝日新聞)。
30 「長崎県知事代理人が来学し、原子爆弾による死亡者についての研究が依頼された」(「五十年史(九州大学医学部)」)
30 ファーレル将軍、第8軍司令官とともに横浜に到着(マンハッタン・プロジェクト『広島・長崎への原爆の投下』。
30 東大医学部教授都築正男ら調査団、来広。(朝日・毎日新聞)
30 「中国軍管区慰霊祭執行。長官に随行して参列。其序を以て長官邸焼跡を見廻る」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
30 赤十字国際委員会のビルフィンガー、広島に到着(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
31 天皇、広島・長崎の惨状視察と救護関係者激励のため侍従を派遣することを明らかにする。
31? 日本政府、駐日スイス公使に、広島に対する原子爆弾攻撃で連合軍捕虜は一名も死傷者が無かったと通告。

 

原爆被害:時時刻刻(8月15日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月15日)

時刻 事 項
15 08:00 「一、本日午前八時長官ヨリ左記会報アリタリ 1十一時ヨリ部課長会議開催 部課長ノ外市内東西宇品警察署長集合ノコト 2十三時本庁本部ニ勤務ノ全員集合ノコト」(広島県「戦災記録」)
15 11:00 「一、十一時ヨリ部課長会議行ハル」(広島県「戦災記録」)
15 12:00 天皇の終戦詔書放送さる.
15 12:00 「一、十二時ラジオ放送ニヨリ聖旨アリ 米英ソ支ニ対シソノ要求受諾セリ 万事休ス-万感交々至リ熱涙滂沱タルヲ如何セン 吾尊皇国一生ヲ享ケ茲ニ多年幾度カ死線ヲ彷徨シテ死スルヲ得ス 八月六日又九死ニ一生ヲ得 天未ダ借スニ余命ヲ以テスルヲ感謝シ更ニ決死奏公ヲ熱願シアリシトコロ コトココ二至ル 死所ヲ得サリシヲ亦如何セン鳴呼!!」(広島県「戦災記録」)
15 14:00 「一、本日十四時全庁員参集 長官ヨリ 1詔書奉読 2内閣総理大臣謹話 3長官訓示-特ニ大和民族ノ誇〔ト〕気迫ヲ失フ勿レト訓示アリタリ 言々切々肺腑ヲ衝ク」(広島県「戦災記録」)
15 14:00 「一、吉田高等女学校生徒一二五名 引率教員三名 午後二特到着直テニ左記配処ニ就ク (各収容所)江波二○ 神崎二○ 舟入二○ 本川二○ 逓信 一○ 己斐二○ 袋町一五」(広島県「戦災記録」)
15 r <調査報告書>広島災害調査班長島田中佐「状況報告(総軍軍医部長宛)」
15? r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第9号」
15 「一、地区司令部主催連絡会議」(広島県「戦災記録」)
15 「[畑]元帥は15日帰任し、陛下の和平に対する鞏固なる団結と至厳なる軍紀を確保して大御心に副ひ奉らんことを期すべしとの主旨を伝達し、直ちに両方面軍参謀長を招致して此の主旨の徹底方を命令せり。」(『本土作戦記録・第二総軍』)
15 「15日西練兵場(概ネ爆心付近)空気中ニ同ジク5倍強度ノ放射能ヲ認ム 第二総軍幕舎付近ニ於テハ増加ヲ認メ得ズ」(陸軍省広調班速報9)
15 「管内兵事主任会同あり。生口島の各国民学校より御真影を奉還す。正午戦争終結に関す御詔勅発せられ、ラヂオを通じ玉音を拝す。感慨無量涙滂沱たり。直に広島に上り県の対処方針を糾す為県庁に出頭。其足にて直ちに大竹に赴き海兵団より糧食融通方手配す。夜下野署長宅に泊る」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
15 新聞, 原爆被災の詳細を一斉に報道.
15 「二総作命甲号外第二号 第二総軍命令 八月十五日 広島」(広島県「戦災記録」17日の項)

原爆被害:時時刻刻(8月14日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月14日)

時刻 事 項
14 07:00 「700島田中佐宇品船司ニ到リ連絡ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
14 08:00 「中国軍作命甲第21号 中国軍管区部隊命令 8月14日0800 広島 中部軍管区防疫部派遣班(村江中尉以下16名)ハ広島到着ト共ニ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』)
14 10:30 「一、十時三十分長官河田警部帯同市内救護状況視察ノ為メ出張セラレタリ 零時十分帰来衛生課長招致左ノ如キ指示アリタリ」(広島県「戦災記録」)
14 10:50 「臨時閣議開催の後10時50分より全閣僚、枢密院議長、両総長お召しを受け、御前会議が開催せられた」「午後1時より更に閣議開催せられ、詔勅案を審議し、これを奉呈したが同11時御詔勅発布せられた」(「東郷外相口述筆記」)。
14 14:30 「一、十四時三十分長官ハ会計課長帯同産報道場ニ出向カル 舎ノ状況下見ノタメナリ 十七時帰来総監府(副総監、副参事官)宿舎申込ノタメ全部ハ入レナイガ一部ノ移転ハ可能ト認ム」(広島県「戦災記録」)
14 15:30 「中国軍作命甲第23号 中国軍管区部隊命令 8月14日1530 広島 一、独立電気第3中隊ノ1小隊、大阪第二陸軍病院派遣救護班ハ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 二、広島第二陸軍病院長ハ救護班1ケ(長以下約10名)ヲ差出シ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 三、広島地区司令官ハ第1項、第2項部隊ヲ併セ指揮スベシ 四、指揮転移ノ時機ハ8月15日零時トス 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』)
14 23:00 東郷外務大臣「「ポツダム」宣言の条項受諾の件」(在瑞西・加瀬公使、在瑞典・岡本公使宛)
14 r <調査報告書>呉廠砲実部西田亀久夫(海軍技術大尉)・坂巻喬(海軍技術大尉)「長崎市空襲被害概況調査報告」
14 r <調査報告書>技術院松前参技官「新型爆弾ニヨル広島市被害状況調査報告」
14 r <調査報告書>呉鎮守府衛生部「8月6日広島空襲戦訓(第3報)」、「第4報」
14 「午後調味料蔬菜等の配給に当る。仲々徹底せず。知事閣下の命により戦災患者の給与に付特別の考慮を払ふ。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
14 「御園生教官一行福田教授等来島ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
14 理化学研究所仁科芳雄・阪大浅田博士、広島現地調査結果発表。使用された爆弾は原子爆弾であり、被爆中心地は放射性物質が広く撤布されており、身体に悪影響を及ぼすため長期滞在は危険である。(読売報知新聞)
14 朝日新聞、「敵の非道を撃つ」との社説を掲げ、アメリカの原子爆弾投下を非難。
14 長崎県知事「空襲被害状況並ニ災害応急対策ニ関スル件第8報」(「長崎原爆戦災誌」5)
14 「一、本日ノ本部宿直員左ノ通」(広島県「戦災記録」)
14 「海医校小松、太田両中佐帰還ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
14 「一、義勇隊本部長ヨリ左ノ通告知アリタリ」(広島県「戦災記録」)
14 「御園生少佐(陸医校)以下4名放射線研究班並ニ福田教授以下3名ノ火傷調査班派遣セラル」(陸軍省広島災害調査班状況報告)
14 「海医校小松中佐来島ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
14 「中国軍作命甲第22号 中国軍管区部隊命令 8月14日[不明] 広島 一、岡山地区赴援隊ハ通信班及救護班ヲ残置シ主力ヲ以テ原所属ニ復帰スベシ 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』)
14 「御園生少佐以下9名8月14日朝似島到着」(陸軍省広調班速報9)
14 「8月14日、似島ニ於テ焼却セル屍体ノ骨ニツキ放射能ヲ検シ最高自然状態ニ於ケル放射能ノ強度ニ比シ約10倍強度ノ放射能ヲ存スルヲ認ム」(陸軍省広調班速報9)

 

原爆被害:時時刻刻(8月13日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月13日)

時刻 事 項
13 08:30 「午前8時半最高戦争指導会議構成員の会合が首相官邸地下室で開催」(「東郷外相口述筆記」)。「9時前に首相官邸に、首相、陸相、海相及び両総長6人だけの会議が開かれ意見の交換がある、両総長は参内のため9時より10時半まで中断されたが、さらに15時まで前後約5時間にわたり、くりかえし議論が蒸しかえされ」(下村海南著「終戦記」)
13 08:30 「中国軍作命甲第20号 中国軍管区部隊命令 8月13日0830 広島 一、第225師団工兵隊(1中隊欠)ハ広島到着ト共ニ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 二、広島地区司令官ハ前項部隊ヲ併セ指揮シ主トシテ広島市内橋梁ノ復旧ヲ実施スベシ 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』)
13 09:00 「一、午前九時長官河田警部帯同ニテ市内ノ救護状況視察セラレタリ 帰来後関係課長ヲ招致左ノ通リ指示アリタリ」(広島県「戦災記録」)
13 13:30 「一、本日十三時三十分ヨリ戦災対策委員会ヲ本庁ニ於テ開催セラレタリ」(広島県「戦災記録」)
13 16:00 「[閣議が]16時に至り漸く開会された。昨日の懇談につづき4国回答に対し首相は円卓を囲める席次を、左より順次指名して閣僚の腹蔵なき開陳を求めた。・・・閣議はまとまらずに散会する事となった」(下村海南著「終戦記」)
13 r <調査報告書>陸軍軍医大佐戸田古一郎[西部軍派遣調査隊]「広島空襲被害報告」
13 r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第7号」、「第8号」
13 r <調査報告書>中国軍管区司令部「8・6広島市被害状況」
13 「海医校病理教官来訪当所ノ業務ニ協力シアリ」(陸軍省広調班速報8)
13 「13日畑元帥に至急上京の招電あり。」(『本土作戦記録・第二総軍』)
13 「目下広島市内ニ赤痢散発シ当似島ニ於テモ現在患者約500名中30名疑似患者アリ 至急防疫処置ヲ実施中ナリ」(陸軍省広調班速報8)
13 仲みどり(移動演劇団桜隊の女優)、広島で被爆後、東大都築外科に入院(8.31毎日新聞)。
13 「西部軍ニ教育出張中ノ戸田教官以下教官5名8月11日広島ニ到着目下広島陸病第一(可部)ニアリ 被教育者30名ヲ有ス 現地教育(資料提供)ノ後一両日中ニ帰還ノ筈ナリ」(陸軍省広調班速報8)
13 「海医校太田教官(病院)来島ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
13 「一、次ノ通報告アリタリ 八月十三日 知事  内務 厚生 農 商 軍需 文部 各次官宛」(広島県「戦災記録」)
13 「一、本日ノ宿直員主左ノ通」(広島県「戦災記録」)
13 「市内各所の配給所を視察。末端の配給仲々徹底せず。今尚副食の配給を受けざるものあり。明日より毎朝配給責任者会同を催すことに決定。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
13 「一、第二総軍戦闘司令部ヨリ左ノ通連絡アリタリ 連絡 戦闘司令所 本日ノ戦闘司令所防衛会報ハ取止メ県庁ニ於テ一三時ヨリ実施ノ会議ニ於テ打合セヲ実施スル予定」(広島県「戦災記録」)
13 「火傷患者ノ温浴療法ヲ開始ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)