「04 できごと」カテゴリーアーカイブ

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1949年)

 『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

報道篇(1949年)

見出し 掲載紙 掲載月日
八月六日を“世界平和デー”に  中国 0128
 海越えて米婦人“愛の小包”  朝日  0131
 原爆広島の復興、外人に忠言を聞く  朝日  0206
 原爆の街ヒロシマ  毎日  0209
 原爆患者の被災実演を撮影  朝日  0316
 「原爆の日」を祝日に“ヒロシマ”の著者にも  毎日  0320
 原爆都の皇太子さま   中国  0407
 ノーモア・ヒロシマズ運動   中国 0419
 原爆罹災者の署名運動   中国  0515
 全人類を愛で結べ   中国  0604
 きのう晴れの着工  朝日  0604
 原爆孤児と仲良く半日  毎日  0609
 原爆の広島救えと9萬ドル  朝日  0618
 鳴れ世界の果まで   中国  0623
 悲願広島の家   朝日  0702
 原爆傷害研究所近く着工  ?  7020
 賛成が圧倒  中国  0709
 平和を祈る一票  毎日  0709
あす公式に開所式  中国 0713
 八月六日を広島の日に  毎日  0719
 6・7・8の三日間広島で平和祭  毎日  0804
 世界各地へ記念ポスター   中国 0804
 高らかに平和の鐘  毎日  0807
広島・長崎にノッポ人出現か 中国  0822
 原爆死者二十萬突破  中国  0830
米眼科医二名が来広  朝日 0908
 平和生む最後の一撃  朝日  0926
 吉川氏夫妻を激励慰問金を贈る  毎日  1001
 四年後のヒロシマ  ? 1001
 原爆研究所陣容を強化   毎日  1009
平和への道標   毎日  1015
 原爆の眼への影響  中国  1103
 広島平和センター  中国  1119
 広島で原爆都市青年交歓会  毎日  1121
 初の国際学生会議  中国  1122
  広島、長崎に新しい原子病  毎日   1122
原爆体験記を紹介  朝日 1123
 広島に集まる同情の眼  舞に  1228

 

 

 

 

 

見出し

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1948年)

 『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

報道篇(1948年)

見出し 掲載紙 掲載月日
 原爆都一番乗り、瑞西から婦人記者  中国  0121
 アトム広島にアメリカの花  毎日  0124
 アトム広島に孤児の家  毎日  0205
 北米の仏教徒から贈物  毎日  0211
 原爆の被害者研究所   毎日  0215
原爆地に新しき村 朝日 0301
 グ司令長官来広  中国  0302
 明年“平和博”   毎日  0303
児童文化会館の建設進む 毎日 0305
 アトム広島復興の春  毎日  0325
 ベル博士らの祝福を浴びて  前例のない施設  中国  0504
爆心に悲願の公園  中国  0520
 営々の“村造り”二年  朝日  0703
 両市に原爆医学研究所新築   朝日  0706
 回り来る平和三周年  毎日  0801
 四度びめぐり来る思い出の日  中国  0801
 世界平和確立は市民の責任  朝日  0805
 海を渡りくる激励文  毎日  0806
 平和きっと広島から  中国  0807
 平和宣言  中国  0807
 「アトム都、広島の追憶式典」  朝日  0807
 さよなら原爆症  中国  0808
 大人気のスピード復興  中国  0824
 平和記念公園の応募要項きまる  中国  0824
 広島市民へのメッセージ(ヘレン・ケラー)  毎日  1014
 ヒロシマ新地園、一ヵ月に外客五百名  中国  1207
 素晴らしきかな平和都市  中国  1207
来広の外人に原子焼の贈物 中国 1207

 

 

 

 

 

見出し

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1947年)

『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

報道篇(1947年)

見出し 掲載紙 掲載月日
 広島・長崎の再建  毎日  0103
 広島・長崎の居住害なし  毎日  0119
 米記者団一行の広島訪問感想記  中国  0220
 原子爆弾で奇形児生る  毎日  0328
 自然の恵みを生かせ  中国  0430
 広島の焼跡に颯爽?登場  中国  0430
 爆心に祈る孤児にうるむ愛の瞳  中国  0501
 米国版「広島の声」  中国  0515
 ベル博士と本川校結ぶ愛情  中国  0516
 UP特派員の広島訪問記  中国  0519
 人間は一撃で死んだ  中国 0605
 原爆症診断に都築博士来広  中国 0624
夏草原子爆弾模様 朝日  0628
 爆心地に「仲よしくらぶ」  中国 0630
 広島こそ平和のメッカ  中国  0729
  高らか平和の鐘  毎日 0629
原子医学は世界一  中国  0801
 ピカッと来た途端に産ぶ声  朝日  0801
 市街の八割三分復興  朝日  0801
 あれから三年アトム広島変遷記 中国  0802
 平和のメッセージ  朝日  0802
 母の愛か奇跡の生  中国  0803
 原爆患者を慰問  中国  0803
 平和の書「ヒロシマ」後日物語り  中国  0803
 平和な悲願の旅路  中国  0804
 広島へマ元帥の特使  朝日  0804
 世界語「ピカドン」  中国  0805
 空から見た広島  毎日  0805
 原爆のヒロシマの体験録音で全米に放送  朝日  0805
 きょう原爆二周年  毎日  0806
 高鳴る平和の鐘  朝日  0807
 安らけし平和の日  中国  0807
 マ元帥メッセージ  中国  0807
 文明の魁に広島市長宣言  毎日  0807
 正一君をたずねて幾千里  朝日  0807
 我が家の焼跡巡禮  朝日  0807
 落とすなかれ三発目  中国  0809
 広島、長崎の原爆影響調査  中国  0903
 「原爆の乙女」が再生の航路  朝日 0904
 広島、長崎の幼児発音調査  中国  0906
 原子都と観光瀬戸内海  中国  0908
 似島に原爆千人塚  中国  0920
 轟け平和の鐘  中国  0924
 つゆ草の遺伝変種発見  中国  0926
米に新しき友  毎日  0928
 広島こそ世界のメッカ  中国  0928
 吹き飛んだ二〇キロ  中国  1004
 アチラの友達から広島の学童へ贈物  中国  1005
  広島児童文化会館地鎮祭  中国  1005
 原爆から二年、脚光を浴びる似島  中国  1014
原爆千人塚除幕式 中国 1014
 沙漠に学童の天国  中国  1122
 実験室に新しき生  中国  1129
広島で平和の世界会議  朝日  1207
  アトム洗禮の神父遍歴の旅から還る  朝日  1208
 お土産はアトム教会 朝日  1208
 原爆の都にわれらの天皇 世界に伝わる“天皇と広島”  中国  1208
 原爆地に千萬ドルの贈物  毎日  1215
 ヒロシマに原爆研究所  毎日  1217

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1946年)

『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

報道篇(1946年)

見出し 掲載紙 掲載月日
ただ一弾で焼野原 爆発音で誤り伝える二弾投下 文字通りピカドン 中国  0106
 “不妊症婦人”が妊娠 朝日  0120
 圧力波で千里の突風 中国  0122
 米軍総指令部 広島の被害を発表 毎日  0204
 生きている原子爆弾 広島郊外で放射能を発見 毎日  0206
 原子症状いまはなし 多くは恐怖による神経症 毎日  0206
市電近く全通  被爆後半歳・広島の復興 既に263の町内会誕生 築く”山陽屈指の貫禄”  毎日   0206
”神父も槌を揮う”  教会再建の一点景   毎日    0206
 [無見出し]<人員復帰状況>  中国   0206
 新型爆弾症 言葉を忘れたM君 これは健忘性失語症   中国  0211
 「爆弾症」その後の状況はこうだ   中国  0213
 米大統領演説 「広島」は世界の出発点 原始時代に生きる教育の途  毎日  0513
青空教室  廃材の机、石の腰掛 原子沙漠にヨイコの学習  毎日  0515
 爆弾症に医学の挑戦 都築博士中間報告 海水浴は持って以っての外 日光さけて地味に暮せ 中国 0522
原子症は再発? 広島と長崎に新しい話題 毎日 0524
 広島は平和のシンボル 帰国後の援助も惜まず モ顧問別離の挨拶  中国  0616
 細胞や血液に新影響 原子爆弾と取組む2教授  朝日  0617
 世に告ぐ新生「広島」 ”復興祭”をパリ放送局が現地録音 毎日 0703
 団子に原子沙漠の草 広島市民のカロリー補給 朝日  0706
 遺す原子弾戸籍 影響を遺伝的に研究 広島で10万人を登録 中国  0725
爆心に平和の霊地 復興に力強い宗教運動  毎日  0806
 「沙漠」から「住める街」に けふ広島原子爆弾1周年  朝日 0806
雑草の「原爆植物園」 広高師藤田教授が保存に努力  朝日  0806
 原子爆弾研究にわが学界総力を結集 中国 0808
 霊よ安かれ・茂る夏草に祈り  朝日  0808
 原爆の影響で児童の体力低下 大部分は神経症状 中国  0831
 天晴れ広島戦災五童心 中国  1117
 火傷手術いまチャンス 安定期に入ったピカドン症 中国  1221
 後世に伝う「原子戸籍」建物の部 一瞬9割崩る 槌音朗々 5割は復興  中国 1226

 

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1945年)

『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

報道篇(1945年)

見出し 掲載紙 掲載月日
敵、広島に新型爆弾 朝日 0811
落下傘つき、空中で炸裂
ピカッ!物陰に
新型爆弾
鈍音熱線大轟音
悪魔の爆弾英民衆も非難
広島の戦訓
壕には爆風除け
正に火薬二萬噸に匹敵
危険は閃光の一瞬
聖断を拝し大東亜戦争を集結
詔書
最大の凶器原子爆弾
従来の作戦を一変す
英米で共同研究
原子爆弾投下機操縦者の話
死亡なお続出
原子爆弾現地調査報告書
原子爆弾、あの日の戦慄
残された原子爆弾の恐怖
惨、累々たる死骸
半径二キロまで全壊焼
死者なおも続出
頭髪も全部ぬける
「原子爆弾」その後
広島の被害世界一
妊婦には影響なし
嘘だ、七十五年説
原子爆弾防御法米研究所で発見
「原子爆弾」奇譚
原子爆弾の恐怖と対処策
地震学者のみた原子爆弾
根こそぎ倒れた国泰寺の樟
症状は回復してもこの冬無理は禁物
空中で組立て広島爆撃
街の話題
妊娠は当分駄目
原子爆弾と広島の復興

爆弾篇(1945年)

見出し 掲載紙 掲載月日
英で着手、米で生産 毎日 0815
動力の世界に革新 毎日 0815
五百トン爆弾と同じ作用 朝日 0816
浅田博士に聴く(1) 朝日 0821
理博、阪大教授、産業科学研究所員、超電波の権威
浅田博士に聴く (2) 朝日 0822
浅田博士に聴く(3) 朝日 0823
浅田博士に聴く(4) 朝日 0824
浅田博士に聴く(5) 朝日 0826
浅田博士に聴く(6) 朝日 0827
原子爆弾の神秘を声明 19460330

体験篇(1945年)

見出し 掲載紙 掲載月日
原子弾を浴びて 朝日 0831
つきぬ情の一筋 中国 19460215
名作「原爆の回顧」 朝日 19470808
原爆孤児が綴る新版「父帰る」 中国 19470821
私らは大きくなった 朝日 19480808

 

ヒロシマ基礎講座

「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催。20080712~)

テーマ 講師 年月日
01 ヒロシマはどう伝えうるか-原爆・平和報道の過去・現在・未来 宇吹暁 20080712
広島女学院大学教授
02 浅井基文
広島市立大学広島平和研究所長
03 伝えることと、記録することのはざまで~原爆小頭症の取材を続ける中で思うこと~ 平尾直政 RCC企画部長
04 広島の思想はなぜ国際政治を動かせないのか、動かすために我々はいかにすべきか 広岩近広 20081025
毎日新聞専門編集委員
05 ブッシュ核戦略の挫折と米新政権の課題 太田昌克 20081122
共同通信記者
06 日本核武装の幻想 そしてナガサキの平和運動 土山秀夫 20090124
核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表
07 報道されなかったイラク戦争 ~映像で見るイラク~ 西谷文和 20090328
フリージャーナリスト、「イラクの子どもを救う会」代表
08 ひろしま―呉―イワクニ。トライアングルの視点 小野増平 20090418
広島経済大教授、元中国新聞編集局長
緊急フォーラム:アメリカの核政策~オバマ大統領のプラハ演説が意味するもの 20090425
哲野イサク(広島在住・ウェブジャーナリスト、大島寛(広島修道大教授)、佐渡紀子(広島修道大准教授)
22 詩人と医学者、歴史家が語り合う「ヒロシマからフクシマまでの道」 20110723
アーサー・ビナード、鎌田七男

 

 

 

 

 

被爆70年-市民が育んだヒロシマ

『被爆70年-市民が育んだヒロシマ』(広島自治体問題研究所、20150728)

内容

編 頁 タイトル 著者
01 はじめに
 村上博(広島自治体問題研究所理事長)
第1編 ヒロシマの市民活動
06 原爆遺跡保存運動懇談会のあゆみ 高橋信雄
16 『木の葉のように焼かれて』を平和運動の推進に 新日本婦人の会広島県本部
20 広島高校生平和ゼミナールの40年 澤野重男
28 70年目の「ヒロシマ」を考える 大越和郎
34 原爆被害者相談員の会の活動をふり返る 三村正弘
42 広島の被爆訴訟支援の到達点 青木克明
51 劇団 月曜会 今昔 岩井里子
55 21年目を迎える「平和のための戦争展」~見る戦争展から、育てる戦争展へ~ 利元克巳
第2編 「ヒロシマ六法」(解説) 田村和之
71 法律・条例集
広島平和記念都市建設法(1949年制定)
広島市基本構想(2009年策定)
被爆者援護法(1994年制定)
87 編集後記
橋本和正(広島自治体問題研究所事務局長)

原爆被害者援護法案要綱(1956.8)

原爆被害者援護法案要綱 1956.8

原爆被害者援護法案要綱 (日本被団協案)
第一 方針
一、国費により、原爆被害者の医療と必要な生活の保障を行うこととする
原爆被害者とは、原爆障害者及び原爆死没者ならびにそれ等の者の同一世帯員(主として当該障害者叉は死没者の収入によって生計を維持し、叉はその者と生計を共にした者、若しくはしている者)をいう。
原爆被害者については、次のような特異性が認められるので、これが医療と必要なる生活の保障は、すべて国庫負担によることが妥当と考えられる。
(一)科学的にみて
1、原爆障害者とは放射性物質のアルファー、ベーター、ガンマー線による持続的な細胞内原子機能機能の根本的破壊、ならびに爆発時における熱傷と爆風による広範な被害である。
2、原爆死没とは右のような原因により、死んだ者と今後予想せられる死亡をいう。
(二)医学的にみて
1、原爆障害者については、その治療は、長期を要し、かつ困難である。又被害者は多数にわたり、かつ後障害及び遺伝的影響を残すとされるから、その研究、治療は、総合的で規模も大掛りであることを必要とする。
2、原爆死没者については、的確な治療及び対策が講ぜられぬまゝ死没したものである。
(三)経済的にみて
1、原爆障害者については、その症状が前記のように特異であり、治療に永い期間と多額の費用を必要とするので、個々の患者にとって自らの治療の負担に耐え得ない。
2、原爆障害及び原爆死没者の同一世帯員については、原爆による被害が広範長期にわたり且大量殺りくであった為に自他共に生計維持の方途に苦しんだのである。従ってその障害者若しくは死没者か当該世帯の生計の中心者に該当する場合、叉は将来生計の中心者として期待される場合においては、その者の同一世帯員の生活は国家の責任において保障されることを必要とする。
(四)政治的にみて
原爆被害者は国の責任におい遂行した戦争による犠牲であり、原爆という当時においては予想を絶する特殊兵器によるものであるから、無防備無準備のまゝに受け、また警備にも適切を欠ぐという、全く個人の責任範囲外の被害であるから、これが治療と生活については国の責任で行はれるべきである。
二、その他、今日、国の責任において原子力科学及びその実用化の推進を取り上げているのであるから、これに随伴するであらう放射能被害の予防、治療、その他にも貴重な貢献をすることと思はれる。
第二 要領
一、国費で治療を行う者の範囲は、昭和二十年八月広島市及び長崎市における原爆障害者(当時胎内にいた者を含む。)とする。
二、本法による治療を行う者の決定は、先ず、被爆者の登録を行い、次いでこれらの者の内から、具体的に治療を行う者の認定をするという二段の手続きをとること。
登録対象は現に原爆症患者である者及び、将来原爆症の発生する可能性のあるもの、すなわち、被爆当時叉はその直后に被爆地域に在ったものとし、登録及び認定は、都道府県知事とする。
登録は、本人叉は第三者の申請によることゝし、次に治療を行う者の認定に当っては、厚生大臣の定める基準により諮問機関の議を経て決定するものとする。
三、治療を行う期間は転帰までとする。
四、治療を行う機関は厚生大臣の指定する医療機関とすること。
また、必要に応じて一時救護所を設けることができるようにすること。
五、医療機関の治療方針及び治療報酬は健康保険の例により、それによることができない時は厚生大臣が定めることとすること。
六、障害者に対しては障害年金を支給するか、若しくは、治療または療養を要する者の中、生活に支障を来たすため、これを受けることの困難な者に対しては治療手当または療養手当を支給すること。
七、障害者を安んじて治療叉は療養させるため都道府県知事が必要と認めたときは同一世帯員に対して援護することができるようにすること。
八、原爆死没者に弔慰金を支給し、その遺族に遺族年金を支給すること。
九、原爆障害者の調査と原爆障害の治療の研究機関を設立する。
十、被爆者の健康管理を行うこと、
本人の意に反しない範囲で登録の対象者である被爆者の健康状態を調査し、健康状態に関して指導と予防措置を講ずることゝし、これが実施は都道府県をして当らしめ費用は国が全額負担する。
十一、次の様な義務規定を設けること。
1、治療を受ける者及び健康管理を受ける者について、症状に関して、又、住居の変更に関して、当該機関に対する届出義務を化する。
2、治療の委託を受けた医療機関について、治療の経過等に関して当該機関に対する報告義務を課する。
3、右の届出、報告の時期様式等は省令に委任する。
十二、治療状況の報告を行った医療機関に対して要した実費を支給すること

原爆被害:時時刻刻(8月16日~31日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月16日~31日)

時刻 事 項
16 「本日早朝より海兵団、潜水学校等を歴訪、食糧援助方を依頼。直に県に引返し貨車の手配を了し、夕方より再び大竹に向ふ。夜列車遅延の為大竹駅前に野宿す。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
16 「一、広島市ノ復興対策ニツキ左ノ通リ示サレタリ」(広島県「戦災記録」)
16 09:00 「一、本日九時内政課長 会計課長 桐原警部ハ県庁移転候補地タル海田市町日本製鋼 東洋工業会社下見ノ為メ出向 十一時五十分帰来左ノ通報告アリタリ」(広島県「戦災記録」)
16 14:00 「一、本日十四時廿日市病院ニ於テ近親者ニヨリテ大塚総監ノ仮葬儀行ハル 状況上参列辞退ノ旨申添アリ」(広島県「戦災記録」)
16 14:00 「一、十四時長官黒田属帯同総監府ノ会議ニ出向」(広島県「戦災記録」)
17 「二総作命甲号外第二号 第二総軍命令 八月十五日 広島」(広島県「戦災記録」)
17 佐伯郡、戦災対策本部を設置し、原爆被災者を救援・救護。郡内の公共施設・民家への収容者約2万人に達す。
17 「本日早朝より海兵団兵員の援助を得て食糧の貨車積を開始、午後4千俵の積込を終る。午後再び潜水校、陸燃等を訪問、残余の食糧積込を手配す。夜県庁に引返して泊る。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
17 09:30 「一、九時半 長官黒田属帯同 呉鎮呉市役所呉警察署訪問」(広島県「戦災記録」)
17 10:00 「一、十時 会計課長外三名県庁舎移転間題打合ノ為東洋工業株式会社ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
17 13:30 「一、十三時四十分 第二総軍岡崎参謀長 長官ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
17 15:00 「一、十五時 東洋工業株式会社事務所三階(全部)ヲ県庁舎トシテ貸付ノ件重役会議ノ結果承諾ノ旨同社総務部長来庁回答シタリ」(広島県「戦災記録」)
18 09:30 「九、三○ 長官村上属帯同 中国軍管区司令部ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
18 10:00 「午前10時より県庁部課長会議。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
18 11:00 「一一、○○ 部課長会議」(広島県「戦災記録」)
18 13:00 「午後1時より地方事務所市長会議。午後9時過帰宅す。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
18 13:00 「一三、○○ 内務省福田事務官事務打合ノ為来県」(広島県「戦災記録」)
18 13:00 「一三、○○ 市長地方事務所長会議」(広島県「戦災記録」)
18 14:00 「一四、○○ 都市計画委員会」(広島県「戦災記録」)
19 14:00 「日赤病院長長官ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
19 15:00 「緊急町村会同開催の手配をなす。午後3時より臨涛館にて陸軍兵器補給廠との懇談会あり。夜隣組常会開催さる」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
20 「午前5時発列車にて出広。本日県庁を向洋東洋工業に移す。午後1時より同所に於て長官開庁の挨拶あり。本日広島県人事課長兼食糧課長を命ぜらる。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
20 09:00 「長官 経済第一部長 警察部長 黒田属 東洋工場へ 各部全部東警察署ヨリ東洋工業ニ移転ス」(広島県「戦災記録」)
20 12:00 「中国軍管区部隊命令 8月20日12時 広島 一、広島地区司令官ハ戦災救護ノ為指揮シアル衛生機関ヲ任務終了次第撤収シ之カ派遣人員ハ夫々原隊ニ復帰セシムベシ 二、前項衛生機関ノ撤収部隊人員及同年月日ヲ其ノ都度報告スヘシ」(『中国軍作命甲綴』)
21 「本日より日本製鋼所の寮に入る。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
21 米国ロスアラモス研究所で、プルトニウム事故。作業員1人が被曝死。警備員1人が急性症状。
21 12:00 「中国軍作命丁第4号 中国軍管区部隊命令 8月21日1200 広島 一、広島第一陸軍病院長ハ速カニ宇品付近ニ分院ヲ設置シ船舶部隊ニ収容シアル軍戦傷患者ノ収療ニ任スベシ 二、施設ハ船舶司令部ト協議ノ上成ル可ク船舶部隊ノ既設ノモノヲ使用スヘシ 三、広島第二陸軍病院長ハ前項分院設置ニ対シ援助スヘシ 三、広島地区司令官ハ第1項、第2項部隊ヲ併セ指揮スベシ 四、広島第一陸軍病院宇品分院ノ編成表ハ別紙ノ如シ 」(『中国軍作命甲綴』)
22 長崎県、大工・左官等技能者約300名・一般労務者500名からなる「長崎県緊急建設本部」設置、長崎市内各所の災害復興を図る。
22 防空総本部技師鳥居捨蔵、広島原爆現地調査結果を報告。
23 「中国軍参電第94号 昭和20年8月23日 [件名]救護要員派遣ノ件 [宛名]山口・鳥取・浜田陸病長 [署名者]軍管区司令官 中国軍作命丁第5号要旨 山口・鳥取・浜田陸軍病院長ハ軍医1、日赤救護班1ヲ8月25日広島第二陸軍病院向原分院(芸備線沿線)ニ派遣シ診療業務ヲ援助セラルヘシ」(『中国軍作命甲綴』)
23 「岡山県庁より横山事務官外7名応援の為来庁。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
23 毎日新聞, 原爆爆心地域70年生物不毛説を伝える. 翌日, 朝日・読売報知,75年生物不毛説を報道.
23? 広島市の原爆被災状況、死者6万人以上・負傷者10万人以上に達す。
23? 中国地方総監府および広島県庁関係原爆死没者・負傷者氏名発表。
24 ジュノーら赤十字国際委員会の日本派遣員、各地の捕虜収容所に向け東京を出発。広島県向島造船所へはビルフィンガーが向かう。
24 「総監府連絡会議。長官厳島神社及速谷神社へ終戦報告の為参拝。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
24 仲みどり、東大病院で死亡(毎日新聞)。
24 08:00 「中国軍作命丁第6号 中国軍管区部隊命令 8月24日0800 広島市 一、福岡第二陸軍病院派遣救護班(西田大尉以下230名)原隊ニ復帰スヘシ 中国軍管区司令官 谷 寿夫」(『中国軍作命甲綴』)
24 10:00 「中国軍作命丁第7号 中国軍管区部隊命令 8月24日1000 広島市 一、鳥取救護班(美田少尉以下7名)ハ8月25日出発原所属ニ復帰スヘシ 中国軍管区司令官 谷 寿夫」(『中国軍作命甲綴』)
25 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、大森収容所で米飛行士の捕虜と接触(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
25 東京帝国大学医学部臨時教授会で厚生省亀山次官から原爆被害調査依頼があったことが報告される。予算は防空委託研究費。(「DDT革命」)
25 11:00 「午前11時より県参事会。午後1時より県政協力会議」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
25 13:00 「中国軍作命丁第8号 中国軍管区部隊命令 8月25日1300 広島市 一、中国軍管区工兵補充隊ハ8月22日中国軍作命甲第29号ニ基キ広島第一陸軍病院江波分院及広島赤十字病院ニ派遣中ノ兵力ヲ引続キ8月27日迄派遣シ前任務ヲ続行セラルヘシ 二、細部ニ関シテハ参謀長ヲシテ指示セシム 中国軍管区司令官 谷 寿夫」(『中国軍作命甲綴』)
26 「会議室に於て県下警察署長会議開催。<その席上に於て偶々内務省より電報示達の機密文書の焼却指示を為す。焉ぞ図らん、後日之が禍して追放の処分に遇はんとは 嗚呼>」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
27 東京大学伝染病研究所員栗本珍彦他2名、広島で調査開始。(日本産業経済新聞)
27 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、相模湾停泊中の米軍艦サン・ディエゴ艦上で米軍と接触、米軍とともに大森収容所を解放(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
27 井街軍医少尉、中国軍管区司令部軍医部長駒田少將の使者として京都大学を訪問。医学部に対し、原子爆弾被爆者の災害の徹底調査と早急なる対策樹立のために研究員の派遣を要請。(菊池論文)
27 13:00 「午後1時より東署楼上に於て戦災復旧対策官公署連絡会議開催。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
27? 長崎県建設工事本部、被災家屋の応急修理に着手する計画。
28 オーターソン大佐(マッカーサーの軍医顧問)、ガイ・B・デニット代将(太平洋米軍総司令部軍医総監)宛のメモ「原爆の障害が引き起こす影響に関する研究」を記す(『災害との遭遇』)。
28 厚生省の専門家、広島県衛生課や逓信病院で原爆被災者の健康について調査。
28 「児玉中国地方総監着任。長官と共に之を出迎ふ。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
29 「中立国利益代表長官を訪問。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
29 広島市、全市連合町内会へ第1回衣料品配給。
29 九大医学部沢田内科班、原爆による負傷者の救護とその影響研究のため長崎入り。
29? 大阪大学附属病院、収容した原爆被災者の病症状経過を発表。長井同大医学部助教授、広島現地報告を発表(朝日新聞)。
30 「長崎県知事代理人が来学し、原子爆弾による死亡者についての研究が依頼された」(「五十年史(九州大学医学部)」)
30 ファーレル将軍、第8軍司令官とともに横浜に到着(マンハッタン・プロジェクト『広島・長崎への原爆の投下』。
30 東大医学部教授都築正男ら調査団、来広。(朝日・毎日新聞)
30 「中国軍管区慰霊祭執行。長官に随行して参列。其序を以て長官邸焼跡を見廻る」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
30 赤十字国際委員会のビルフィンガー、広島に到着(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
31 天皇、広島・長崎の惨状視察と救護関係者激励のため侍従を派遣することを明らかにする。
31? 日本政府、駐日スイス公使に、広島に対する原子爆弾攻撃で連合軍捕虜は一名も死傷者が無かったと通告。