『失った日から-原爆・引揚・教育・戦中の暮し体験記 』(広島県退職婦人教職員の会戦争体験記編集委員会、19861022)
内容
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発刊に寄せて |
空辰男(広島県教職員組合 執行委員長) |
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はじめに |
森本喜代子(広島県退職婦人教職員の会 会長) |
Ⅰ |
抑留そして引揚げ-敗戦の混乱の中で- |
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失った日から 高松キヌヨ /夫は現地召集で北満の戦場へ 藤本ツヤ子 /満州の修羅場に病癒えず 阪田セツエ / 引揚者の姉 久保井ミツル / 飢えと乾きと恐怖と 江口昌子 / 三十八度線を越えて 永井安子 / 国語教師として四年半 樋田美和 / 海岸線を引潮にそって 金子雪美 / 出産前零下二十度の海辺を 村上愛美 / 行きます の一言を残して 中岡梅代 / 別離の悲しみ 亀山芳枝 / 身も心も朽ち果てて 浜岡千代子 |
Ⅱ |
火傷の熱き教え子なりき-被爆体験・救援活動の記録- |
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番号になってしまった骨たち 樫木静子 /青春を襲ったケロイドに死を 半田孝江 /かぼちゃ の味 藤野美奈子 /ひとりだけの火葬 吉川哲子 /4 瞼に焼けつく郊外での体験 吉川昌子 /うじが連なって出てきた 藤川トシ子 /教室内は生地獄 吉宗英子 /火傷の熱き教え子なりき 八尾井弘子 /何処で命つきたか 甲斐美重子 /祖母から孫へ 下岡好枝 /一滴の涙もこぼれなかった 井岡清子 76 / なにひとつ語らず 渡辺ツユ子 |
Ⅲ |
君を縊ったその綱の端を-戦時下の学校教育- |
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負けないと信じて 小林恵美子 / 栄養補給を山羊乳で 宮本イズミ / 東の空が真っ赤だ 森本喜代子 / 厳寒も素足で-教師一年生 山口妙子 / 養護教諭として 平林艶子 / 教師として出征兵士の妻として 奥とわ / 空襲のあいまを縫って学校へ 岡野聖子 / 前線もなく銃後もなく 秦三枝 /戦争と増産作業と疎開児と 立石ハルエ /右向け右! 豊獄満起子 / 一堂に会して竹槍訓練 広沢綾子 /戦争さ中を教員生活 長岡キヨコ /毒ガス島へ教え子を 奥田澄江 / 砂にしみ込む水のように 阿川智子 /騙されていた教育 前田典子 /戦中のこと 久保美智子 /勝つことを神国を信じ込まされ 宮崎瞳 / 青春のすべてを費やして知った 野曽原登美恵 /戦時下の生活 三上末美 /奉安殿は未婚の女子の守る所 佐伯静子 124 / 戦争まっただ中の学生生活 高垣ミエ子 /ススメススメヘイタイススメ 高橋郁子 / |
Ⅳ |
楽しかるべき日々を失って-学童集団疎開- |
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飲まず食わずで七十余軒 |
井岡清子 |
Ⅴ |
欲しがりません勝つまでは-戦時下の暮し- |
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Ⅵ |
お父さん!帰って来て!-家族の想い- |
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Ⅶ |
降りそそぐ焼夷弾の下で-空襲の日々- |
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呉市大空襲の夜 |
渡辺美智子 |
Ⅷ |
わが青春死線を越えて-従軍看護婦の軌跡- |
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あとがき |
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『ヒロシマ その惨禍 未来への証言』(広島平和教育研究所、広島平和教育研究所出版部 、 19840803)
目次
章節項 |
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発刊によせて |
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序章 |
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Ⅰ章 |
ヒロシマをたずねる |
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1 |
原爆ドームと平和記念公園 |
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(1)軍都広島 (2)平和都市広島 (3)広島平和記念公園 (4)原爆ドーム |
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2 |
原爆モニユメント |
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(1)広鳥平和都市記念碑(原爆慰霊碑)
(1)人的被害の「空白」 (2)碑文の由来と「碑文論争」
(2)原爆供養塔
(3)原爆犠牲国民学枚教師と子どもの碑
(4)県立広島第二中学校職員生徒慰霊碑
(5)韓国人原爆犠牲者慰霊碑
(6)義勇隊の碑
(7)原爆の子の像
(8)峠三吉詩碑
(9)原爆犠牲ヒロシマの碑
(10)マルセル・ジュノー博士記念碑
(11)嵐の中の母子像
(12)ローマ法王平和アピールの碑
(13)平和の灯 |
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3 |
原爆被災資料 |
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(1)広島平和記念資料館(原爆資料館)(2)広島平和記念館 |
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2章 |
原爆は何をもたらしたか |
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1 |
原子爆弾 |
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(1)原子爆弾の関発 (2)原子爆弾の構造 (3)原爆の威力と放射線 (4)原爆投下の理由 (5)原爆投下 |
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2 |
原子爆弾による被害 |
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(1)熱線による被害 (2)爆風による被害 (3)放射線による被害
(4)原爆後障害 (1)ケロイド (2)血液障害 (3)眼の障害 (4)胎内被爆 (5)悪性腫瘍 (6)遣伝的影響 |
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3 |
原爆被害の特質一その非人道性 |
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(1)人的被害 (2)建物被害 (3)その非人道性 |
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3章 |
被爆者は何を体験したか |
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1 |
劫火に追われて |
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1-1 |
原爆地獄 死出の行列 |
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(1)戸坂分院 (2)可部地区分院群 (3)江波分院 (4)庄原分院 (5)大田分院 (6)宇品分院 (7)広島第二陸軍病院 |
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1-2 |
それは「人間の死」ではなかった |
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2 |
被爆者は、いま |
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2-1 |
肉体的・精神的・社会的条件の破壊 |
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(1)『苦しむことだけで生きてきた人生じゃった』(中川さんの最合)
(2)『どうにもならにやあ自殺した方がえエ』(坂井さんの戦後)
(3)『妹は私が殺した…』(惨苦の思いを残して死んだ山田さんの場合)
(4)精神病院への入院(吉川さんとその家族の場合) |
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2-2 |
被爆の実相と原爆医療法 |
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(1)直技被爆者 (2)入市被爆者 (3)胎内被爆者 (4)被爆者の遺伝的影響 |
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2-3 |
被爆者は、日本人だけではない |
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2-4 |
被爆者の要求と国民的課題 |
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(1)被爆者の救護と医療 (2)原爆医療法と特別措置法 (3)被爆者の実態 (4)被爆者の要求と課題 |
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4章 |
核兵器・核戦略・核戦 |
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4-1 |
今日の核兵器 |
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(1)核兵器貯蔵量 (2)戦略核兵器 (3)戦術核兵器(戦場核兵器)(4)戦域核兵器 |
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4-2 |
核戦略と世界 |
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(1)核実験 (2)核戦略の推移 (3)核兵器の対峙状況 (4)核戦争の危機 |
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4-3 |
核戦争と被害予測 |
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(1)1メガトン核爆弾の威力 (2)戦域核戦争による被害 (3)世界核戦争のシナリオ (4)予測される被害 短期的影響 (5)予測される被害 長期的影響 |
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5章 |
1.平和教育の意義と課題 2.平和教育の構造 3.平和教育の目的 4.平和教育の内容 5.平和教育の方法 6.平和教育運動 |
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むすびにかえて |
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資料 |
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1 |
広島原爆による人的被害関係文献資料 |
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2 |
大戦末期の戦時法令等 |
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3 |
広島平和記念資料館(原爆資科館)入館状況 |
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4 |
つるの折り方 |
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5 |
平和教育映画フィルム・ライブラリー |
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『続・ひろしまたたかう婦人教職員』(ひろしまたたかう婦人教職員編集委員会、ヒロシマ平和教育研究所出版部、19830701)
目次
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1章 |
平和のにないてとして |
1-Ⅰ |
生命の尊厳を基調に |
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私の被爆体験と生きる道/平和教育にとりくむ婦人教職員 |
1-Ⅱ |
オキナワで学ぶ |
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交流団六日間のうごき/沖縄の婦人教職員たちのたたかい/子どもたちもまきこんだ沖縄戦/基地の中の沖縄と子どもたち/沖縄の歴史と離島問題 |
1-Ⅲ |
平和・教育・文化交流で訪朝 |
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平和と友好にみちた共和国での十日間/民族の統一をねがって |
1-Ⅳ |
平和・友好と反核にむけて |
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世界平和友好祭に婦人代表として参加/国連軍縮特別総会百万人集会に参加 |
2章 |
民主教育を守るために |
2-Ⅰ |
74年国民春闘にとりくむ |
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74年春闘の要求と婦人教職員のたたかい/政府・警察が一体となって不当弾圧/不当弾圧と処分に抗して |
2-Ⅱ |
主任制度反対のたたかい |
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学校管理規則改悪阻止にむけて/したたかさを学んだ2年間/手当支給・主任制拡大阻止のとりくみ/福山地区支部養護教員部のたたかい |
2-Ⅲ |
定数法抜本改正のたたかい |
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広島でのたたかい・婦人教職員を中心に/四〇人学級は子どもの願い |
3章 |
自主教研などへのとりくみ |
3-Ⅰ |
婦人教職員の自主教研運動 |
3-Ⅱ |
女子教育問題へのとりくみ |
|
婦人部教研で女子教育をとりあげる/自主教研に女子教育が位置づく |
3-Ⅲ |
公害学習とリジンなどの不使用運動 |
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リジン不使用運動のとりくみ/臭素酸カリウム禁止のとりくみ |
3-Ⅳ |
母と女教師の会の運動 |
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中ブロ母と女教師の会活動/広島県母と女教師の会活動 |
4章 |
婦人の労働権確立のために |
4-Ⅰ |
国際婦人年とそのとりくみ |
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中国ブロック国際婦人年学習会/「行動計画」に対する県内のとりくみ/婦人差別撤廃条約の批准にむけて |
4-Ⅱ |
諸権利を守るとりくみ |
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産前・産後休暇などのとりくみ/婦人労働学級のとりくみ |
4-Ⅲ |
社会保障拡大のとりくみ |
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共済組合の保障拡大のとりくみ/互助組合の保障拡大のとりくみ |
5章 |
これからも歩み続けるために |
5-1 |
養護教員部のとりくみと課題 |
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養護教諭の本務をめぐって/保健主事廃止と子どもの健康を守るとりくみ |
5-2 |
事務職員部のとりくみと課題 |
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母性保護をめぐって/賃金・職務内容・研修権をめぐって |
5-3 |
栄養職員部のとりくみと課題 |
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賃金・研修権・母性保護をめぐって/学校給食抜本改善のとりくみ |
付章 |
婦人活動のおもなうごき―略年表 |
資料編 |
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『ひろしまたたかう婦人教師』(広島教育会館、19720310)
目次
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1章 |
軍国主義下の婦人教師 |
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1-1 |
運命の日 |
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校舎の下敷からぬけだして/泥と血とウジと/生きているのがすまない/教壇に立って |
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1-2 |
生命を守るたたかい |
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おかわり/疎開地での婦人教師 |
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2 |
新憲法下の婦人教師 |
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2-1 |
戦後を生きぬいて |
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男女同一賃金のたたかい/定員・教育予算増のたたかい/母性保護の権利確#、のたたかい/一教師の死に献ぐ/産休代員完全配置のたたかい |
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2-2 |
人権を守るたたかい |
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日直廃止・警備員制度確立のたたかい/婦人教師への差別人事/へき辺地での婦人教師 |
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2-3 |
組織確立のたたかい |
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たちあがる婦人教師/婦人の役員専従者を確保/組織攻撃とのたたかい |
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3 |
平和と独立・民主教育を進める婦人教師 |
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3-1 |
平和を守るにないてとして |
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軍事某地をめぐって/平和を守り原水爆を禁止する運動/安保阻止のたたかい/沖縄と広島の交流 |
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3-2 |
民主教育を守るために |
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勤評反対のたたかい/学テ反対のたたかい/実力行使のたたかいの中で |
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3-3 |
自主的教研活動へのとりくみ |
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平和教育の創造を/人権を守り育てる教育/自主的な家庭科教育の研究 |
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3-4 |
団結してすすむ母親運動 |
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母親運動のあゆみ/母親運動の意義と婦人教師の果たす役割/広島県の母親運動/県下各地での母親運動 |
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4 |
これからも歩みつづけるために |
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4-1 |
諸権利を守る運動と組織化 |
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婦人の働く権利を守る/退職婦人教職員の組織化/婦人労働者とともに |
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4-2 |
たたかいをふりかえって |
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終戦後の教育と教師集団/婦人解放と諸権利の拡大/養護・幼稚園部をめぐって/地域の嘆求とともに |
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付章 |
婦人部のおもなうごきき |
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一九四五~一九七〇年までの年表/関係諸法の抜粋/教職員の諸権利とその一覧表 |
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『人類の未来への証言 シリーズ・日本の教師③』(全国原爆被爆教職員連絡会編、労働旬報社、19800806)
目次
部 |
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教え子に残す貴重な遺産として |
石田明 |
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1 |
いま、子どもたちに語りつぐ |
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全校生徒を前に、初めての被爆体験報告 |
久田照和(福岡 ) |
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半身の苦痛を戦争反対の強い叫びにして |
空フミコ(広島 ) |
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苦痛と惨禍を心の中から抜き出す |
井木邦彦(福岡 ) |
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軍人勅論の暗誦テストの最中に |
黒岩貞義(福岡) |
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2 |
原爆被爆と人間のきずな |
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自分につながる人間の発見 |
角増渉 (広島) |
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わが青春の友 |
田中米雄(大阪 ) |
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被爆家庭の戦後史 |
松尾嘉人( 長崎 ) |
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城山小学校殉難記 |
荒川秀男(長崎 ) |
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3 |
明日を生きる |
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告発するわが「てのひら」 |
永坂昭( 東京) |
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母子五人で生きてきた道 |
萱原威(広島) |
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私の中に生きてきた爪跡 |
藤岡裕子(広島 ) |
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生への執着 |
佐藤茂(北海道) |
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戦争をくり返さないための刻印 |
築城昭平(長崎) |
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4 |
平和教育を掲げて |
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小さな有名人ー先生・広島・原爆を結ぶ |
里見香世子(東京 ) |
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被爆教師として生きる |
吉崎温(長崎 ) |
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私の仕事 |
松井昭三(広島) |
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『平和教育入門』(広島平和教育研究所編、広島平和教育研究所出版部刊、19820601)
目次
章 |
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はじめに |
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1章 |
平和教育の目的 |
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問01 |
平和教育の重要性が叫ばれていますが、その理由を説明してください。 |
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問02 |
平和教育のなかで、「ヒロシマ・ナガサキ」の原爆学習が重要視されているのは、なぜですか。 |
|
問03 |
平和教育は特設のかたちでおこなわれていますが、教科指導や生活指導のなかではやれないのですか。 |
|
問04 |
文部省や教育委員会は、平和教育に積極的に取りくんでいるとは思えませんが、なぜですか。 |
|
問05 |
平和教育では、なぜ戦争体験を語りつぐことが大切にされているのですか。また、平和教育は、戦争を防ぐ力になるのですか。 |
|
問06 |
平和教育とは、どのような教育で、どのような子どもを育てていくのですか。 |
|
問07 |
同和教青と平和教育の関係について、述べてください。 |
|
2章 |
第二次大戦と核戦争の危機 |
|
問08 |
戦争は、なぜおこるのですか。また、平和とはどのようなものですか。 |
|
問09 |
第二次世界大戦は、たいへん悲惨な戦争であったといわれますが、具体的に説明してください。 |
|
問10 |
第二次世界大戦は、日本にとってはさけることのできなかった戦争であったとか、正当な戦争であったという人たちがいますが、本当ですか。 |
|
問11 |
「原爆は大きな被害を与えたけれども、それによって早く平和がもたらされたのだから、原爆投下はしかたがなかったことだ」という主張は、正しいのですか。 |
|
問12 |
第二次世界大戦で日本国民は、なぜ戦争に反対し、戦争をやめさせることがてきなかったのですか。 |
|
問13 |
いま核戦争がはじまると、地球は減亡するといわれていますが、具体的に説明してください。また、今日、地球を減亡させるほどの核兵器がつくりだされた原因について述べてください。 |
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問14 |
第二次大戦後も、核兵器が使用される危機が、何度かあったといわれていますが、その具体的内容と、使用されなかった埋由について述べてください。 |
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問15 |
核戦争は防げるのでしょうか。核兵器廃絶のすじみちについて述べてください。 |
|
問16 |
国連が平和のために果してきた役割について、具体的に説明してください。 |
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3章 |
日本国憲法と自衛隊・軍事基地 |
|
問17 |
日本国憲法はアメリカにおしつけられたものであるから、自主憲法をつくろうという主張がありますが、説明してください。 |
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問18 |
日本国憲法では、どのような方法で平和を守ろうとしているのですか。 |
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問19 |
自衛隊の存在と憲法の関係について、説明してください。 |
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問20 |
平和憲法下に成長した自衛隊は、他国の軍隊とは違うのではありませんか。自衛隊の足どりと現在の装備や戦力について、具体的に示してください。 |
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問21 |
日本に米軍基地があるのはなぜですか。米軍基地によって日本の安全が本当に守られているのでしょうか。 |
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問22 |
岩国などの米軍基地には、核兵器がもちこまれているといわれていますが、本当ですか。 |
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4章 |
体制づくりと実践例 |
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問23 |
平和教育は、いつごろから、どのように取りくまれたのですか。 |
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問24 |
平和教有を実践するためには、どのような職場体制を考えていかなければならないでしょうか。 |
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問25 |
平和教青は、いつ、どこでどのようにすすめればよいのでしょうか。 |
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問26 |
戦争体験のない教師が、平和教有に取りくめるでしょうか。 |
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問27 |
小学校低学年での、平和教青実践例をお示しください |
|
問28 |
小学校中学年での、平和教育実践例をお示しください |
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問29 |
小学校高学年での、平和教育実践例をお示しください。 |
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問30 |
中学校での、平和教育実践例をお示しください。 |
|
問31 |
高等学校での、平和教育実践例をお示しください。 |
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資料編:「平和宣言」広島市長 |
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あとがき 寺岡昭壮(広島平和教育研究所事務局長) |
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『ヒロシマへの旅 平和学習のしおり』(広島平和教育研究所・広島県原爆被爆教職員の会編、広島平和教育研究所出版部、19800120)
内容
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(1)広島駅に降り立って |
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北口一帯は昔の東練兵場
あの日の広島/臨時の救護所となった東練兵場一帯
二葉山から七つの川を望む
死人の流れる川 |
(2)比治山展望台に登って |
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山頂にあるABCC
ABCCの開設/ABCCと被爆者
展望台から望む宇品港と似島
戦争と宇品港/戦争と似島/被爆者と似島 |
(3)爆心地とその付近を訪ねて |
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原爆ドームとそのあたり 12
爆心地・島病院跡/原爆ドームと保存運動/T字型をした相生橋
西練兵場だった広島城付近 14
一瞬にくずれた広島城/被爆の証人・老エノ |
(4)原爆資料館と記念館の見学 |
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資料館での原爆学習
原爆の構造/熱線/爆風/放射線/死者数もわからないヒロシマの悲劇/原爆症
記念館での平和学習
今日の核兵器/核兵器禁止運動 |
(5)平和公園内の碑を訪ねて |
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ヒロシマの碑とその心
占領下時代の碑/占領後の碑
平和公園とその周辺の碑
原爆慰霊碑/原爆の子の像/原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑
平和公園とその周辺の碑案内地図 |
(6)原爆病院のお見舞 |
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原爆病院と被爆者/日赤病院の破壊跡と養護ホーム
被爆者はいま
被爆者の実態/原爆医療法と特別措置法
被爆者の三つの願い |
(7)ヒロシマヘの旅を終えて |
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そのまとめと今後への発展 |
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『教科書を国民の手に 原爆・戦争記述を中心とした「教科書」分析とその運動と』(広島平和教育研究所・広島県教職員組合、1977?)
内容
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■教科書が子どもの手にわたるまで-密室検定と職権採択 |
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■原爆・戦争の記述を中心として社会科教科書を考える―昭和52年版小学校教科書の検定過程を通して |
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■教科書を国民の手に―教科書裁判のたたかい |
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『高校生の原水爆・平和等意識調査』(広高教組平和教育推進委員会、広島県高等学校教職員組合、19850701 )
目次
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第1部 |
〔第一部〕高校生の原水爆等に関する意識および知識の調査一その推移と平和教育一 |
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■1985.1.調査 |
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■15年間の推移(1971~85) |
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Ⅰ ヒロシマに関する意識 |
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Ⅱ 被爆者の人権に関する意識 |
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Ⅲ 核に関する意識 |
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Ⅳ 戦争・平和に関する意識 |
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Ⅴ 平和教育に関する意識 |
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補 核などに関する意識 |
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付 ’83,教師,保護者との比較 |
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第2部 |
広島・高校生平和意識調査-1985.1 悉皆調査 |
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Ⅰ 平和教育に関する意識 |
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Ⅱ 8.6体験に関する意識 |
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Ⅲ 平和(情勢)に関する意識 |
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Ⅳ 学年別・地区別分析 |
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『この子らに語りつぐもの-広島原爆被爆教職員の手記 第1集』(広島県原爆被爆教職員の会、広島県高校原爆被爆教職員の会編・刊、19771220 )
目次
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備考 |
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はじめに |
石田明 |
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|
広島県原爆被爆教職員の会会長 |
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貴重な手記 |
森下弘 |
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広島県高校原爆被爆教職員の会長 |
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本谷正輝 |
戦災日記 原爆から終戦まで |
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空フミコ |
私の被爆体験と生きる道 |
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稲生雅之 |
1945年8月6日と私 |
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山田和邦 |
運命の瞬間を生きてきて |
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山本博哉 |
私の原爆体験記 |
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萱原威 |
明日に生きる |
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伊藤博幸 |
死人で埋まった広島の川 |
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藤岡裕子 |
被爆30余年、私の残すもの |
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|
坪井直 |
とどろき |
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|
智谷秋宣 |
一瞬にくずれた広島城 |
|
|
池亀春男 |
原爆投下の日をふりかえる |
|
|
山根和規 |
和代へ、父より |
|
|
山本廣志 |
わたしの体験記 |
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|
松井昭三 |
すべてが無になったヒロシマ |
|
|
植野浩 |
あとがき |
|
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。