『教科書を国民の手に 原爆・戦争記述を中心とした「教科書」分析とその運動と』(広島平和教育研究所・広島県教職員組合、1977?)
内容
■教科書が子どもの手にわたるまで-密室検定と職権採択 | ||
■原爆・戦争の記述を中心として社会科教科書を考える―昭和52年版小学校教科書の検定過程を通して | ||
■教科書を国民の手に―教科書裁判のたたかい | ||
『教科書を国民の手に 原爆・戦争記述を中心とした「教科書」分析とその運動と』(広島平和教育研究所・広島県教職員組合、1977?)
内容
■教科書が子どもの手にわたるまで-密室検定と職権採択 | ||
■原爆・戦争の記述を中心として社会科教科書を考える―昭和52年版小学校教科書の検定過程を通して | ||
■教科書を国民の手に―教科書裁判のたたかい | ||
『高校生の原水爆・平和等意識調査』(広高教組平和教育推進委員会、広島県高等学校教職員組合、19850701 )
目次
第1部 | 〔第一部〕高校生の原水爆等に関する意識および知識の調査一その推移と平和教育一 | ||
■1985.1.調査 | |||
■15年間の推移(1971~85) | |||
Ⅰ ヒロシマに関する意識 | |||
Ⅱ 被爆者の人権に関する意識 | |||
Ⅲ 核に関する意識 | |||
Ⅳ 戦争・平和に関する意識 | |||
Ⅴ 平和教育に関する意識 | |||
補 核などに関する意識 | |||
付 ’83,教師,保護者との比較 | |||
第2部 | 広島・高校生平和意識調査-1985.1 悉皆調査 | ||
Ⅰ 平和教育に関する意識 | |||
Ⅱ 8.6体験に関する意識 | |||
Ⅲ 平和(情勢)に関する意識 | |||
Ⅳ 学年別・地区別分析 |
『この子らに語りつぐもの-広島原爆被爆教職員の手記 第1集』(広島県原爆被爆教職員の会、広島県高校原爆被爆教職員の会編・刊、19771220 )
目次
備考 | |||
はじめに | 石田明 | ||
広島県原爆被爆教職員の会会長 | |||
貴重な手記 | 森下弘 | ||
広島県高校原爆被爆教職員の会長 | |||
本谷正輝 | 戦災日記 原爆から終戦まで | ||
空フミコ | 私の被爆体験と生きる道 | ||
稲生雅之 | 1945年8月6日と私 | ||
山田和邦 | 運命の瞬間を生きてきて | ||
山本博哉 | 私の原爆体験記 | ||
萱原威 | 明日に生きる | ||
伊藤博幸 | 死人で埋まった広島の川 | ||
藤岡裕子 | 被爆30余年、私の残すもの | ||
坪井直 | とどろき | ||
智谷秋宣 | 一瞬にくずれた広島城 | ||
池亀春男 | 原爆投下の日をふりかえる | ||
山根和規 | 和代へ、父より | ||
山本廣志 | わたしの体験記 | ||
松井昭三 | すべてが無になったヒロシマ | ||
植野浩 | あとがき |
『ヒロシマからの報告 平和・教育・被爆者問題を考える』(山田浩・関寛治・永井秀明・石田明・庄野直美編、労働教育センター、19760731)
目次
はしがき | 山田浩 | ||
1部 | 今日の平和問題とヒロシマ-報告 | 熊田重克 | |
ヒロシマの「心」と課題/診療白書」が明らかにしたこと/原爆後遺症と被爆二世問題/「ヒロシマ・ナガサキ」を理解しない政府/「ヒロシマの国際化」を抑止するもの/核軍拡競争と「核抑止論」 /核軍拡競争はなぜつづくか /ヒロシマに立って「平和」を論じる | |||
ヒロシマから平和を考える-討論 | |||
山田浩・関寛治・熊田重克 | |||
米ソの冷戦と核戦略の展開 /アメリカの“核戦略”の転換と後退/軍拡とデタントの理論問題/ヒロシマに平和をつくりあげる// | |||
2部 | ヒロシマの平和教育とその展望 | ||
永井秀明・大槻和夫・藤井敏彦・空辰男 | |||
はじめに | |||
平和教育の足どり | |||
ヒロシマの平和教育の歩みと学校教育の現状-報告 | 空辰男 | ||
戦後の原爆教育 /再起された原爆教育/文部省の「平和教育」/広島市の1つの教育実践 | |||
討論 | |||
教科書から原爆をハズしたい /平和教育は広島の子らをどう変えたか/子どもたちが主体になって | |||
平和教育の目的と内容-報告 | 永井秀明 | ||
平和教育の目的 /平和教育の内容 | |||
討論 | |||
平和教育の視点と焦点/平和教育実践ニつの側面 | |||
家庭や子どもの状況と平和教育-報告 | 大槻和夫 | ||
広島の子どもたちの原爆認識 /受験体制下の子どもと平和教育/子どもの文化と平和教育/家庭の現状と平和教育/家庭・地域における平和教育 | |||
討論 | |||
「家庭の場」がそこなわれていく /重視したい「地域のつながり」 | |||
地域課題の発掘視点と平和教育運動-報告 | 永井秀明 | ||
戦争体験の掘り起こしと教材化(原点教材)/郷土の歴史と自然の掘り起こし、教材化/安保体制の把握と教材化/ | |||
国際連帯と平和教育-報告 | 藤井敏彦 | ||
平和教育における国際連帯教育の位置 /真の国際連帯とは何か/国際連帯教育を前進させ深めるために/ヒロシマと国際連帯/ | |||
ヒロシマの平和教育-総合討論 | |||
永井秀明・大槻和夫・藤井敏彦・空辰男 | |||
戦争体験と郷土史の発掘 /沖縄・被爆体験・原水禁運動/ヒロシマの国際化と地域化の結合 | |||
3部 | 核時代の被爆者問題 | ||
庄野直美・石田明・伊東壮・高橋昭博 | |||
「ヒロシマ」の意味するもの-討論 | |||
片仮名のヒロシマにこめられて/ヒロシマがもつ原体験/原爆投下と真珠湾攻撃/ヒロシマの風化は何に原因するか/原水爆禁止運動が広がったこと/ヒロシマの国際化と被爆者の役割 | |||
原爆による物と体の被害-報告 | 庄野直美 | ||
原爆についての基礎知識 /広島・長崎原爆における死傷者数/熱線・爆風・放射線による被害の実相/原爆の医学的影響-原爆症について/ | |||
被害の実態-報告 | 伊東壮 | ||
原爆による生活と心の被害-報告 | |||
社会的側面のもつニつの意味/狭い意味の原爆被害/ 原爆被害の総合化/ | |||
被爆者援護の諸問題-報告 | 庄野直美 | ||
被爆者援護の歴史と救援運動 | |||
被爆者援護の諸問題-報告 | 伊東壮 | ||
政府の援護対策と援護法 | |||
被爆者問題と「ヒロシマの心」-討論 | |||
庄野直美・石田明・伊東壮・高橋昭博 | |||
古くして新しい被爆者観 /外国人被爆者問題の周辺/「石田原爆訴訟」の今日的意味 /被爆者援護法と原水禁運動/「ヒロシマの世界化」を推進するもの | |||
あとがき | 庄野直美 | ||
『平和を叫ぼう!-”ひろしま”についての自主教材として(試案)』(2訂版)(広島県平和教育教材英語部門編集委員会・広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所出版部、19730701)
<「あとがき」=1971年1月>
『ナガサキの原爆読本』(ナガサキの原爆読本・平和教育資料編集委員会編、ナガサキの原爆読本刊、19720630)
雲になってきえた 初級用 | |
原子野のこえ 上級用 | |
三たび許すまじ 中学用 |
松永照正
20080127没 | まつなが・てるまさ | 享年81 | 国際文化会館(現原爆資料館)館長。著書『ナガサキよ世界へ』(松永照正著刊、19890628) |
『ナガサキよ世界へ 元原爆資料館長の回想』(松永照正著刊、19890628)目次
章節項 | 見出し | 備考 | |
発刊に寄せて | 本島等(長崎市長) | ||
はじめに | |||
1 | 海外で核兵器廃絶をアピール | ||
2 | 原爆資料館を訪れた印象深い内外の人々 | ||
3 | 長崎原爆資料館(長崎国際文化会館)の紹介 | ||
4 | 長崎市民へのメッセージ | ||
あとがき |
『ながさきの平和教育Ⅲ 原爆を教えつづけて』(平和教育資料編集委員会 編、長崎平和教育研究会、19770731)
目次
■ | 「ながさきの平和教育Ⅲ」発刊の意義 | 平和教育資料編集委員会 | |
■ | 原爆を教えつづけて | ||
一ナガサキーその被爆三十二年 二初期の平和教育運動 三原爆を教えつづけて 四その内容と方法の発展 五原爆継承の課題として |
|||
研究実践篇 | |||
■ | 平和教育の実践(教育研究の年次レポートから) | ||
Ⅰ | 22次教育研究(昭和47年) | ||
◆ | 民主的教育運動としての定着 | ||
1原爆をどう教えたか | |||
2六・二九佐世保大空襲と平和教育 | |||
Ⅱ | 23次教育研究(昭和48年) | ||
◆地域へ根ざす真の平和教育へ | |||
◆平和教育の持続と発展を | |||
1生徒会活動を中心にした平和教育 | |||
2「とびうおのぼうやはびょうきです」を扱って | |||
Ⅲ | 24次教育研究(昭和49年) | ||
◆原爆問題の現代的意義をふまえて | |||
◆多面的でより豊かな平和教育の創造を | |||
1平和教育をどうすすめているか | |||
2平和教育の組織的なとりくみとカリキュラム | |||
3郷土史の発掘と平和教育の観点 | |||
Ⅳ | 25次教育研究(昭和50年) | ||
◆前進する自主編成活動 年間カリキュラム編成への意欲 | |||
1被爆三十年目のとりくみと年間計画試案 | |||
2平和教育年間カリキュラム試案 | |||
Ⅴ | 26次教育研究(昭和51年) | ||
◆底辺を拡げるための新しい組織づくりを求めて | |||
1国語科においての平和教育 | |||
2 | |||
「平和と教育」部会をとおしての実践 | |||
資料篇 | |||
Ⅰ | 「平和教育世界会議」参加者の記録 | ||
1「原爆あれから三十年」世界会議に参加して | |||
2世界に広がる平和教育 | |||
3非暴力活動について深められた分科会 | |||
4アメリカにおける反核運動と在米被爆者 | |||
5被爆体験に対する米国市民の反応 | |||
6宗教平和カリキュラム分科会(付ボックスカーと直珠湾) | |||
Ⅱ | 戦争と原爆を考えよう | ||
Ⅲ | 三.一ビキニと第五福竜丸 | ||
Ⅳ | 原爆読本を用いての年間計画(試案) | ||
Ⅴ | 原爆・平和教育に関する年表 | ||
◆長崎平和教育研究会規約 |
『ながさきの平和教育Ⅰ 原爆を教えつづけて』(長崎原爆被爆教師の会平和教育資料編集委員会編・刊、19710720 )
目次
■ | 「ひろしま」「ながさき」を教えつづけることの誓いと訴え | ||
■ | ながさきの平和教育 | 坂口 便 | |
一 夾竹桃の花咲くころ 二 「沈黙の壁をやぶって」以前 三 「沈黙の壁をやぶって」以後 四 これからなさねばならぬこと 五 ながさきの平和教育 |
|||
■ | ながさきの原爆 | 大嶋 隆三郎 | |
まえがき 一 原子爆弾の投下 二 原爆投下の惨状 三 ツメあとはまだ深く 四 平和への祈願 |
|||
■ | 平和教育の実践記録 | ||
一 滑石小でのとりくみ | 今田 斐男 | ||
1 小学二年の実践(国語・道徳・図工) | 清水 聡 | ||
2 小学四年の実践(国語・社会・文集) | 今田 斐男 | ||
3 小学五年の実践(社会) | 山川 剛 | ||
二 小学六年・戦争をどう教えたか | 貞方 一将 | ||
三中学一~三年・社会科の実践 | 末永 浩 | ||
四 中学一年・「原爆記念日」の実践 | 吉里 良輔 | ||
五 中学一年・国語科の実践 | 西浦上中学校 | ||
六 中学二年・社会科学習における実践 | 浦口 安巳 | ||
七 中学・学活の中で | 田吉 義明 | ||
八 中学・「原爆教育の日」の指導 | 橋本 正勝 | ||
九 広島市大手町中との交歓会 | 山里中学校 | ||
■ | 平和教育の指導資科 | ||
一 おとうさん・おかあさんの子どものころ | 今田 斐男 | ||
二 父と母の昭和二十年前後 | 松永 とき子他 | ||
三 死線をさ迷って | 斉藤 昌彦 | ||
四 平和教育分料会の中で(20次県教研) | 編者 | ||
五 英語科でどうとりくむか | 田吉 義明 | ||
六 美術教育をどうとらえるか | 吉田 克二 | ||
七 「夏休みの友」での八月九日 | 編者 | ||
■ | 平和教育の定着化と問題点 | 田吉 義明 | |
■ | 原爆関係の参考資料 | ||
一 原爆関係年表 | |||
二 原爆と平和教育に関する本 | |||
三 原爆資料室展示目録 | |||
四 原爆遺跡・塔碑所在地図 |
『沈黙の壁をやぶって』(長崎県教職員組合長崎総支部・長崎市原爆被爆教師の会編、労働旬報社、19700809)
目次
章節 | |||
はじめに | |||
序 | 七○年代教育創造の糧に | 宮之原貞光(日教組委貝長) | |
序章 | 今こそ沈黙の壁をやぶって | 坂口 便 | |
1章 | 長崎の原爆 | 編者 | |
その前夜 光と雲 幽鬼の群れ 屍の列車 看護るものなく 燔祭の炎の中に 児童・生徒・教師 | |||
2章 | 被爆教師の体験と証言 | ||
生き残り三人の記録 | 城山小学校 | ||
城山殉難記 | 荒川秀男 | ||
追憶の涙の中から | 江頭千代子 | ||
医者がいない、薬がない | 宮本スミエ | ||
「二六人の教師が憤死」 | 山里小学校 | ||
土壕の奥に生きて | 林英之 | ||
熱い骨・原爆の歌 | 瀬戸口千枝 | ||
母の愛情すら奪う | 川口勇 | ||
生きながら焼けた友 | 築城昭平 | ||
トンネル工場 | まつお びん | ||
屍体整理班 | 三輪博志 | ||
3章 | 原爆と子どもたち | ||
子どもの記録 | 林勝己 | ||
「原爆に関する調査」の集計から | 編者 | ||
調査を実施して 広島と長崎と 原爆はなぜおとされたか 原爆を誰が教えるか 原爆に対する子どもの感じ方 | |||
4章 | 原爆学級の記録-世界でただ一つの悲しい学級 | ||
4-1 | 原子爆弾はまだ生きている | ||
4-2 | 原爆学級の編成 | ||
4-3 | 研究発表「被爆児の心身発達について」 | 城山小学校 | |
4-4 | 原爆学級のその後 | ||
4-4-1 | 四番目の犠牲者 | ||
4-4-2 | 原爆教室の父 | ||
4-5 | 被爆二世の問題 | ||
資料 | 被爆児の心身発達について(昭和28年2月26日) | 長崎市立城山小学校 | |
目次 | |||
1.発表までの経緯 | |||
2.被爆児の心身発達について | |||
3.一年実験学級年長組の被爆児と対照児 | |||
4.特殊児童の指導の実際 | |||
【付】 | 原爆の児を偲びて―故橋本長利さんの霊に捧ぐ | ||
5章 | 平和教育の原点 | ||
(1)芽生えは出ている 編者 | |||
(2)スラノド台本「原爆許すまじ」 | 佐世保・平和と教育を守る高校教師の会 | ||
(3)原爆体験記の英訳について | 編者 | ||
(4)一つの教室実践 | 三輪博志 | ||
(5)教え子に明るい未来を | 中西俊造 | ||
6章 | 原爆体験の継承と国民教育への展望 -長崎の屈折した体験の中から | ||
鎌田定夫(長崎県教研講師・長崎造船大学教員) | |||
6-1 | 原点としての“原爆”とその風化・潜伏 | ||
6-2 | 風化に抗して新しい創造へ -子どもと教師・父母の葛藤のなかから | ||
6-2-1 | 教研活動のなかでの反省と確認(小・中) | ||
6-2-2 | 新しい民主的学園建設の試み(高・大) | ||
6-3 | 被爆者たちの連帯のなかで | ||
終章 | 長崎の教師はこう訴える-被爆25年間の屈辱と怒り、そして70年代の教師はいま何をなすべきか | ||
田中義明 (長崎市立江平中学校教諭) | |||
あとがき-この芽を枯らすことなく | 宮崎勇二(長崎県教職員組合執行委員長) | ||