『『ヒロシマ原爆の記録』でどう教えるか―ひろしまをすべての子らに―(試案)』
(広島県原爆被爆教師の会、197106) 所蔵:ピカ研
内容
章節 |
タイトル |
備考 |
|
ヒロシマ 原爆の記録 |
|
01 |
指導のねらい |
|
02 |
指導にあたっての留意点 |
|
|
指導展開例(中学校) |
|
|
|
|
|
あとがき(この指導を機に発展させたいもの) |
|
|
図書の紹介 |
|
|
|
|
|
この映画は、1970年7月広島市民の参加と支持のもとに、広島市および地元報道機関の協力により制作された。 |
|
企画・監修・広島原爆映画製作委員会 |
|
制作:株式会社日本映画新社 |
|
共同構成・小笠原基生、松川八州雄 |
|
語り手:宇野重吉 |
|
ドキュメンタリー映画、16ミリ白黒(一部カラー)上映時間29分 |
|
|
|
|
<ナレーション台本>ヒロシマ原爆の記録 |
|
イモヅル(広島地区高部協機関誌)8号(1978年度)
(広島地区高校生部落問題研究協議会、197905)
目次
『現代教育科学 No.173 特集:戦後教育における「原爆問題」の欠落』(明治図書、19720301) 所蔵:ピカ研
著者 |
タイトル |
備考 |
石田明 |
戦後教育における「原爆問題」の欠落(50枚) |
|
|
■社会科教科書で「原爆」はどう扱われてきたか |
|
空辰男 |
小学校社会科教科書での「原爆」の扱い |
|
真野久 |
中学校社会科教科書での「原爆」の扱い |
|
磯本恒信 |
「原爆問題」と「部落問題」 |
|
|
■被爆体験は教師の生き方にどうかかわってきたか |
|
箱田浩 |
風化現象はどこから起きるか |
|
今田斐男 |
教師の平和に対する意識の確認を |
|
永坂昭 |
子どもらにピカを浴びさせない |
|
|
■副読本「ひろしま」はどう教えられているか |
|
米田進 |
小学校における「ひろしま」の実践 |
|
藤原義治 |
中学校における「ひろしま」の実践 |
|
|
■地下核実験「アムトチカ島」は教室でどう話し合われたか |
|
三上敏夫 |
学級会の話し合い活動の中で |
|
山岡照 |
国語科・ロングホームルームの中で |
|
|
■「」を授業でどう扱ったか |
|
押上武文 |
文学の授業での「原爆」教育 |
|
野口良子 |
「同和」教育との関連での「原爆」教育 |
|
|
|
|
『夏の生活』(広島県夏休み帳編集委員会、広島教育会館出版部、1977) 所蔵:ピカ研
学年 |
科目 |
備考 |
1 |
国語科 |
峠三吉「仮繃帯所にて」 |
|
社会科 |
原爆=戦争=平和を考えよう |
|
音楽科 |
原爆ゆるすまじ |
|
数学科 |
|
|
英語科 |
|
|
技術家庭科(男子用) |
|
|
技術家庭科(女子用) |
|
2 |
国語科 |
八島藤子「私は広島を証言する」 |
|
社会科 |
原爆=戦争=平和を考えよう |
|
英語科(New Prince用) |
”Give back my father”(峠三吉) |
|
英語科(New Horizon用) |
”Give back my father”(峠三吉) |
|
数学科 |
|
|
音楽科 |
|
|
理科 |
|
3 |
国語科 |
峠三吉「八月六日」 |
|
英語科(New Horizon用) |
“A Little Boy”(Takehiko Fujimoto) |
|
英語科(New Prince用) |
1.English Diary<例>ひとつの事件・問題などを例として |
|
数学科 |
|
|
音楽科 |
|
|
技術家庭科(男子用) |
|
|
技術家庭科(女子用) |
|
|
|
|
別冊 |
原爆を考えよう |
46年度夏の生活 |
別冊 |
今日の核時代を考える |
52年度夏の生活 |
別冊 |
今日の核兵器と被爆者問題を考える |
53年度夏の生活 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『なつやすみ(52年度)』(広島県夏休み帳編集委員会(編)広島教育会館出版部(発行)、1977) 所蔵:ピカ研
『なつやすみ(46年度)』(広島県夏休み帳編集委員会(編)広島教育会館出版部(発行)、1971) 所蔵:ピカ研
『きょうど「ひろしま」』 広島県社会科資料研究会編、中国書店(発行所)19620405 所蔵者:ピカ研
発行日 |
監修者 |
備考 |
19620405 |
金子廉 |
広島大学東雲分校 |
|
三上嘉明 |
19700405(15版) |
金子廉 |
以降の奥付初版発行日は「19571201」 |
19740401(18版) |
金子廉 |
19750401(19版) |
金子廉 |
19770401(20版) |
金子廉 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『わたしたちの広島市』(広島市小学校社会科研究会(編集・執筆、金子廉(監修)、19600401)
|
初版19600415 |
19720401発行 |
19750401発行 |
中国書店発行 |
児童図書出版社(取扱) |
宇吹蔵 |
ピカ研蔵 |
『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』
「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会(編・刊)1983/02/21
目次
◆『八月六日』 峠三吉 1
◆『あの時…』 小林岩吉 2
◆『水ヲ下サイ』 原民喜 4
◆建立除幕によせて 5
石田明/河野浩樹/荒木武 7
若者の願いはばたけ 森下弘 11
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 森滝市郎 12
原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13
君たちは知ったのです 宮崎安男 14
ヒロシマの碑建立に思う 藤本幸作 15
『高校生の平和アピール』の意味するもの 松崎徹 16
高校生の平和アピール・行動提起 17
原爆瓦の叫び今こそ 大亀信行 18
小さなともしびから大きな炎へ 吉川徹忍 19
青春のエネルギーに囲まれて 土肥穣治 20
◆ちかいのことば 21
小学生のちかい・斉藤力(福山市立旭丘小学校 児童会代表)23
中学生のちかい・林文子(広島市立翠町中学校 生徒会代表)24
若者のちかい・山口小百合(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール)25
◆碑・制作を終えて 27
『ヒロシマの碑』の思想 横山英 28
モニュマンの空高く 芥川永 30
平和を願う心の目を 吉田正浪 31
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して 深川宗俊 34
『原爆瓦』を追う映画を 田辺昭太郎 38
◆建設のあしどり 山下希昭 39
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし 41
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 62
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌)63
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 69
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで 71
平和学習のシンボルとして 沢野重男 72
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 73
◆ヒロシマの碑プロフィール 77
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り 91
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 123
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 深川宗俊 131
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 丸山亜季 146
◆附属資料 147
1 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英)149
2 除幕式関係・各社報道記事(紙面)151
3 ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり 157
4 広島市長『平和宣言』 166
5 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 188
6 平和の歌 歌曲集 232
『原爆瓦-世界史をつくる十代たち』
(山口勇子著,出版元:平和文化、発売元:汐文社、1982/07/07)
頁 |
タイトル |
備考 |
12 |
瓦が再現してみせた原爆 |
|
|
実験-原爆を再現する 12
瓦が気体になった 12
ぼくたちの原爆 16
ヒロシマナガサキを「体験」する 17
熱量計算-三・〇×一〇の一二乗カロリー 19
核兵器廃絶の若い仲間 20
にのしま |
|
25 |
「その日はいつか」の詩にあるように |
|
|
ヒロシマの風景 27
そしてわたしのヒロシマ 29
ほんとうのところを見極めて欲しい |
|
34 |
高枚生集会の高まり |
|
|
原爆瓦までの道のり 34
歩み始めた高校生たち 35
高まり見せた高校生集会 37
「史樹ちゃんはわたしたちです」 |
|
46 |
平和ゼミナールで育つ高校生たち |
|
|
無名戦士の碑 46
平和ゼミナールの授業 48
その日にこそ平和と民主主義を学ぶ 52
ヒロシマに生きる |
|
56 |
ヒロシマの子どもたち |
|
|
拠点 56
八木満喜男のこと |
|
62 |
初めて瓦を掘りあてたとき |
|
|
片手落ちの広島 62
「あった!」 63
頭と心と体で学ぶフィールドワーク 66
突然の新聞記事 |
|
71 |
瓦のように溶かされたくない |
|
|
アピール・ヒロシマの川を考えよう 71
初めての対市交渉 71
みんなの手で一枚でも多く 75
瓦のように溶かされたくない |
|
79 |
各地に旅立つ原爆瓦 |
|
|
輪の広がり 79
世界につながる瓦発堀 81
「この瓦でヒロシマの願いを広めてください!」 82
瓦を守れ |
|
93 |
はがき作戦 |
|
|
荒木広島市長殿 93
再び瓦発掘ヘ 95
市の計画 97
急速に盛り上がる瓦保存運動 |
|
100 |
ボタンを見つけた |
|
|
四種のボタンが語る戦争と原爆 100
「だからなくさなければ、わたしらがやらなくては……」 102
「原爆さえなかったら……」 104
自分の手でつかみとったもの |
|
108 |
「昭和の歴史」研究グループ |
|
|
特別講座-学習から自分の生き方を考える 108
ヒロシマのもう一面 110
青春のひとみを支えるもの 113
米軍機ファントム墜落 114
安保によって米兵は裁かれない! 115
女性である前に人間であれ |
|
120 |
受ける平和からつくりだす平和へ |
|
|
ヒロシマ-一九八一・八・六 120
ええことばかりいって 121
“新天地”長崎ヘ 122
第八回八・六高校生集会 123
受ける平和からつくりだす平和ヘ 124
白いチョゴリの被爆者 126
吸収したものの重さ 127
「ぼくの弟も食べ物がなくなって死にました」 128
ずっと続く道 |
|
131 |
長崎研修旅行で得たもの |
|
|
平和ヘの初旅 131
この怖さをいっぱいに広げよう 133
ヒロシマナガサキの瓦で友情と平和を 135
平和ゼミの感覚だけで考えてはいけない 137
若者は若者らしい方法で |
|
141 |
ノエルベーカーの手紙運動 |
|
|
ノエルベーカー卿との再会 141
ノエルベーカーの手紙 142
ノエルベーカー卿に瓦を渡した |
|
156 |
原爆の証を消してはいけない |
|
|
第三回対市交渉 156
こっちの力を大きくすることだ |
|
163 |
げんばくがわらをほりました |
|
|
すすむ発掘作業と交流 P63
現実と理想が一体化されない不安 164
げんばくがわらをほりました 166
一〇フィートフィルムカンパ 170
お供養して下さい |
|
174 |
平和への願いが市を動かした |
|
|
「ぼくはかわらをすててはいけないと思います」 174
平和への願いが市を動かした 176
最後の原爆瓦発掘 |
|
182 |
原爆瓦モニュメントの土台の重さ |
|
|
かわらおばさん 182
あの平和公園はきれいすぎる 183
安田女子高校社会科学研究部の場合 185
出会いのすばらしさ 190
原爆瓦前史-故田辺勝さんのこと |
|
196 |
アリス・ハーズ賞受賞 196
アリス・ハーズ賞 196
生にむかって先頭に立ってください 197
生命が未来をもつように 199
実践を通じて学ぶこと 201
高校生平和ゼミの意義深さ |
|
206 |
原爆瓦のモニュメント建設へ |
|
|
建設募金一番乗り 206
原爆の子の像 207
第二の原爆の子の像建設にむけて 209
平和のためのモニュメント 214
街頭行動ヘ 216
世界の歩みの中の原爆瓦発掘 218 |
|
220 |
各地の高校生平和ゼミ“出航” |
|
|
被爆体験継承の役目を担って 220
神奈川でも 221
長崎でも 223
呉でも 223
埼玉でも |
|
236 |
平和の記念碑を |
|
|
相つぐ募金と手紙 236
小学生たちの奮闘 238
ヒロシマの心を世界に 244
第五回平和ゼミナール 5
別れと出発の季節 247
もどらぬ風 249
平和教育“戦士”の新しい門出 251
平和は待つものではない、つくりだすものだ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
254 |
あとがき 1982年5月23日・東京行動の日に |
|
|
|
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。