広島県高等学校原爆被爆教職員の会 設立年月日:19700729
広島県高等学校原爆被爆教職員の会 設立年月日:19700729
広島平和教育研究所 設立:1972年6月1日
設立宣言
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉
ヒロシマを忘却することは許されない。
それは、原爆の犠牲となった多くの人びとへの贖罪と鎮魂の意味からだけではない。全人類が無知と偏見、戦争の恐怖から免れ、平和のうちに生存し抜くことは、核時代を生きるわれわれの至上の課題であり、ヒロシマはその原点だからである。
人間の心に平和のとりでを築くことは、教育の力にまつところが大きく、ヒロシマは核時代の教育を問い直す原点である。教育を通して、ヒロシマを後の世代に継承し、人類共通のものにすることは、世界平和に貢献する人類史的責務である。
われわれは、このことを深く自覚し、平和教育に関する科学的究明を行なうとともに、広く世界の平和教育を推進することをめざして、ここに「広島平和教育研究所」を設立する。
機関誌:
全国平和教育シンポジューム開催概要
回 | 年月日 | 会場 | メモ |
1 | 19731013~14 | 広島女学院中学校 | <基調報告>石田明 、 <基調提案>藤井敏彦 |
2 | 19740601~02 | <基調報告>石田明、<記念講演>星野安三郎 | |
3 | 19750614~15 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、<記念講演>早乙女勝元 |
4 | 19760612~13 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
5 | 19770611~12 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
6 | |||
7 | 19790602~03 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
8 | 19800920~21 | 広島市 | <基調報告>石田明、<記念講演>藤原彰 |
9 | 19810620~21 | 広島市 | <挨拶>森田俊男、<基調報告>石田明、<記念講演>沼田稲治郎 |
10 | 19820918~19 | 広島市 | <基調報告>石田明、<記念講演>栗野鳳 |
11 | 19830618~19 | <基調報告>空辰男、<記念講演>太田堯 | |
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23 | 19950624~25 | 広島市立幟町中学校 | |
24 | 19960622~23 | 広島市立本川小学校 | |
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29 | 20010623 | 広島女学院大学 | |
30 | 20020915-16 | 広島修道大学 | |
200309 |
『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )
目次
部章 | ||
1 | メディアの世界で | |
1- | 衰弱する言論 | |
1– | “書き屋”の弁 | |
吉川幸次郎氏 人間生活こそ文明 | ||
1— | 唯一の一面コラム | |
天風録 | ||
1—- | 新聞界の苦悩 | |
1—– | 「為人民服務」はどこへ | |
2 | 朝鮮半島へのまなざし | |
2-1 | 韓国の被爆者たち | |
2-2 | 私の”朝鮮体験” | |
3 | 原爆・平和をめぐって | |
3- | 原水禁運動の混乱と後遺症 | |
分裂と主導権争い 一九六一年の平和運動 | ||
一九六二年・平和理論の課題 | ||
被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』 | ||
今も消えぬ原爆のせん光 二十四年目の被爆者たち | ||
広島市の平和行政の展開 | ||
新しい生き方を | ||
痛烈な異議申し立て こうの史代『夕凪の街桜の国」(双葉社) | ||
被爆五十周年の広島 | ||
核兵器を禁止する国際法を | ||
世界各国で「原爆展」を | ||
二十一世紀におけるヒロシマの役割 | ||
ヒロシマからアジアへ 平和をつくる市民運動 | ||
癒しの空間 効率主義に抗して | ||
調査と医療支援の一体化 NGO「ヒロ・セミ」の活動 | ||
日本・カザフスタンの人々の連帯を強め核兵器廃絶の世論を | ||
事前説明が不充分か?不満を訴える被害者 | ||
前進する被曝者医療 第五次医療支援訪問を終えて | ||
カザフの聞き取り調査に対する所感 | ||
生き抜く人々 | ||
カザフの高麗人 | ||
広島と長崎の教訓を忘れるな | ||
私と原子力光と影を見つめて | ||
大胆な原子力政策の転換を ヒロシマからのメッセージ | ||
「ヒロシマ再考」ノート | ||
おわりに |
『人間の心ヒロシマの心』(秋葉忠利、三友社出版、19881223)
目次
章節=頁 | タイトル | |
はしがき | ||
Ⅰ | 広島・長崎の経験を人類の祈りの基盤に〈基調講演〉 | 大江健三郎 |
Ⅱ | 被爆体験の意味と平和運動 | |
028 | なぜ広島でシンポジウムか〈主催者挨拶〉 | 柿木昇治 |
030 | 「ヒロシマの心」を世界の心に〈開会挨拶〉 | 荒木武 |
033 | 高い理想、そして具体的な出発〈オーガナイザー挨拶〉 | 秋葉忠利 |
035 | 何を誰にどう伝えるのか-そして何のために | 秋葉忠利 |
Ⅲ | 被爆体験の人類史的意味 | |
060 | 「被爆の証人」として生きる | 高橋昭博 |
072 | あらたな意味をもつ被爆体験の継承 | 宇吹暁 |
079 | あたらしい被爆者像を求めて | 舟橋喜恵 |
092 | 被爆後の年月を通して考える〈パネルディスカッション1〉 | |
Ⅳ | 広島のメッセージを実現するために | |
116 | 教育の現場で平和を考える | 片山美代子 |
127 | 仏教徒としての被爆体験と平和の願い | 光寺重信 |
144 | 核廃絶の可能性を求めて | 安江良介 |
153 | 心理学者と平和の問題 | ジョン・J・フューレディ |
158 | 「広島のこころ」を蘇らせるために〈パネルディスカッション2〉 | |
193 | 平和シンポジウム趣意書 | |
196 | 平和シンポジウム感想歌集から | |
198 | パネリスト紹介 | |
203 | 広島ターミナルホテルあいさつ | |
204 | 協力者一覧 | |
205 | フロアからの発言者プロフィル(発言順) | |
原田東岷 | ||
竹内千代 | ||
上神千波弥 | ||
江崎寿賀子 | ||
原伸幸 | ||
熊田信道 | ||
空フミコ | ||
中川幹朗 | ||
山本誠 | ||
延本充弘 | ||
井上敬喜 | ||
ローレンス・ウィイグ | ||
永井秀明 | ||
あとがき |
『 真珠と桜 「ヒロシマ」から見たアメリカの心』(秋葉忠利、朝日新聞社、19860720)
目次
章(頁) | タイトル | メモ |
はしがき | ||
Ⅰ | 怒涛 | |
009 | アキバ・プロジェクト ローカル・ジャーナリストを広島へ | |
(『ヒロシマ』森下弘)あなたの目で確かに見つめなさい | ||
039 | 平和の使徒 アメリカ人の原爆観 | |
(アメリカ合衆国国家)赤いロケットの焔/空中に炸裂する爆弾/それは星条旗が翻っている証(しるし) | ||
058 | 卑劣な日本人 悪の原点=パール・ハーバー | |
(能『葵上』)今の恨みはありし報い 瞋恚の炎は身を焦がす 思い知らずや 思ひ知れ | ||
079 | 一人ひとりの顔 記者たちの広島体験 | |
(『法句経』友松円諦)われらはここ 市の領域に近し… このことわりを知る 人々にこそ かくしていさかひは止まん | ||
Ⅱ | 源流 | |
097 | 鎖を断つ プロジェクト実現まで | |
118 | 他人の痛み 私の見た平和運動 | |
136 | 道端の焼夷弾 私の戦争体験 | |
156 | カラオケに耳を覆う 文化の壁は越えられるか | |
179 | プラウド・オブ・ユア・サン アメリカで父になる | |
Ⅲ | 分水 | |
201 | ビッガー・ザン・ユー カウボーイ社会アメリカ | |
225 | 医者と患者の関係 エキスパートの支配 | |
243 | ワシントン・シンドローム 忘れられる過去 | |
265 | 死を歓迎する心 被爆者は『生ける屍』か | |
281 | 二重被爆者神話 アメリカ社会の無力感 | |
303 | 現実と想像力 平和への意志 | |
327 | あとがき |
『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )
目次
章 | ||
プロローグ | ||
Ⅰ | 生いたち | |
婦人運動の先駆者、母邦子 | ||
父のこと | ||
キリスト教の家 | ||
寄宿舎生活 | ||
タゴールとの出会い | ||
「中条百合子<宮本百合子>さんについて」 | ||
Ⅱ | 行動する心理学者として | |
アメリカ留学 | ||
女子教育者として | ||
「友和会設立」 | ||
暗い時代へ | ||
「空襲・疎開・敗戦」 | ||
Ⅲ | 平和を求めて | |
復興への息吹の中で | ||
呉市助役として | ||
戦後初の婦人議員に | ||
極東裁判の印象 | ||
新憲法発布 | ||
緑風会へ | ||
世界平和者会議ヘ | ||
ローマ法王に戦犯の減刑請願 | ||
全インド婦人会議 | ||
全面講和か片面講和か | ||
売春防止法制定にむけて | ||
“鉄のカーテン”をくぐる | ||
モスクワへの道 | ||
モスクワでのこと | ||
モスクワ経済会議 | ||
グロムイコ会見 | ||
モスクワ見聞記 | ||
シベリアのラーゲル訪問 | ||
日中第一次貿易協定を結ぶ | ||
新しい中国の内側 | ||
スイスの赤十字へ | ||
高良とみ帰国歓迎会 | ||
日本婦人団体連合会結成 | ||
在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ | ||
アジア・アフリカの婦人と共に | ||
「妻として母として」 -内側から見た高良とみ |
高良留美子 | |
解説 | 柘植恭子 | |
高良とみ年譜 |
橋本秀夫の仕事ぶり 建築家橋本秀夫遺稿集
= The works of Hideo Hashimoto
橋本秀夫遺稿集編集委員会編・刊 20090701
目次
まえがき | ||
秀夫と連れそって | 橋本ノブエ | |
橋本秀夫氏の資料について | 菊楽忍 | |
第1部 論文集 | ||
広島城 | ||
廻り番付と広島城 広島城城割に就て 「度量之絵図」に学ぶいろは四十八櫓 広島城再建「基礎と瓦」 広島城と石垣 広島城と石垣(郡山) 石塁工事普請符牒(石垣文様)について 広島城遺構三之丸校倉(多家神社宝蔵) 多家神社宝蔵と廻り番付について 広島城の生活用水と樋門 広島城修築と天災考 |
||
レンガ建築 | ||
広島の近代文化遺産 煉化石あらかると ヒロシマの被爆建造物は語る レンガあらかると 広島の明治建築 広島の近代文化遺産 旧広島陸軍兵器支廠の研究 古いアルバムに拾った平和の尊さ 広島陸軍兵器支廠火薬庫大爆発に想う 明治1号館有難う 旧陸軍兵器支廠1号館の解体によせて 広島の明治建築 旧陸軍糧秣支廠の研究 広島市郷土資料館見学記 旧広島陸軍糧秣支廠 上等赤煉化石造「広島市郷土資料館」の周辺 宇品陸軍糧秣支廠倉庫(宇品日通倉庫) 蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と文化 広島の明治建築 夢を贈る中世のお城 亀山発電所 広島電気軌道(株) 広島県物産陳列館 臨時広島軍用水道(牛田水源地) |
||
郷土史と文化財 | ||
六号潜水艇と人間佐久間 旧広島水上警察署 旧広島地方気象台 蘇った日本外史 拓本が語る厳島神社五重塔 広島の近代文化遺産 後楽のこころ 広島の秘境 湯之山明神旧湯治場 悟をひらいた苔 もう一つの八岐の大蛇 鑪と吉水園 広島 加計町のバロック『吉水亭』 呉市に咲いた花「蔵本通り」 新日山安國寺 不動院梵鐘楼に就て 不動院鐘楼実測に依る時代的班別について |
||
第2部 砲台巡り | ||
著者御紹介 広島大学名誉教授 日本民俗建築学会会長 | 佐藤重夫 | |
まえがき 広島湾要塞の築城 第1章 室浜砲台 第2章 鷹の巣砲台 第3章 大那沙美砲台 第4章 岸根砲台 第5章 鶴原砲台 第6章 三高山砲台 第7章 大君砲台 第8章 早瀬堡塁砲台(早瀬第1~第2砲台) 第9章 休石砲台 第10章 高鳥砲台 第11章 大久野島堡塁砲台 第12章 忠海芸備砲兵大隊 第13章 大空山砲台 第14章 小島砲台 砲台建築仕法通則 沿革年表 |
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コラム | ||
特集 彫刻と建築 街の表札 黄金の汗に輝く 広島大会 広島 ネズミのくれた小判『海田の宿 千葉邸』 旧街道ウォッチング「命びろいの三角の家垂」 古釘のうた 日本のバロック建築 『世紀末のドイツ建築』小幡一著 学校は心のふるさと 学校特集 球児とカンカン帽子 心の叙勲 古釘のうた 小さな平和 古釘のうら 床下のベートーベン(鴬張り) |
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私の推薦する作品
・生まれかわった芸備線向原駅 |
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私の推薦する作品 ・筆の里工房 ・株式会社日食広島支店 ・三良坂リバティーホール ・広島市安芸区スポーツセンター |
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旧街道ウォッチング「最敬礼!!」 | ||
番付と人生観 | ||
街路地と陽光 | ||
心の故郷 懐かしい学窓 | ||
長官山に咲いた金唐紙 | ||
お庭を喰った美術館 | ||
あとがき | ||
橋本さんへの手紙 | 松林俊 一 | |
『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」維持委員会編・刊、19830221 )
目次
◆『八月六日』 | 峠三吉 | |
◆『あの時…』 | 小林岩吉 | |
◆『水ヲ下サイ』 | 原民喜 | |
◆建立除幕によせて | ||
ごあいさつ | 石田明 | |
ごあいさつ | 河野浩樹 | |
ごあいさつ | 荒木武 | |
若者の願いはばたけ | 森下弘 | |
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 | 森滝市郎 | |
原爆瓦が語るもの | 佐久間澄 | |
君たちは知ったのです | 宮崎安男 | |
ヒロシマの碑建立に思う | 藤本幸作 | |
『高校生の平和アピール』の意味するもの | 松崎徹 | |
高校生の平和アピール・行動提起 | ||
原爆瓦の叫び今こそ | 大亀信行 | |
小さなともしびから大きな炎へ | 吉川徹忍 | |
青春のエネルギーに囲まれて | 土肥穣治 | |
◆ちかいのことば | ||
小学生のちかい (福山市立旭丘小学校 児童会代表) | 斉藤力 | |
中学生のちかい(広島市立翠町中学校 生徒会代表) | 林文子 | |
若者のちかい(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール) | 山口小百合 | |
◆碑・制作を終えて | ||
『ヒロシマの碑』の思想 | 横山英 | |
モニュマンの空高く | 芥川永 | |
平和を願う心の目を | 吉田正浪 | |
『ヒロシマの碑』に思う | 林重男 | |
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して | 深川宗俊 | |
『原爆瓦』を追う映画を | 田辺昭太郎 | |
◆建設のあしどり | ||
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし | ||
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 | ||
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌) | ||
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 | ||
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで | ||
平和学習のシンボルとして | 沢野重男 | |
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 | ||
◆ヒロシマの碑プロフィール | ||
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り | ||
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 | ||
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 | 深川宗俊 | |
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 | 丸山亜季 | |
◆附属資料 | ||
1 | 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英) | |
2 | 除幕式関係・各社報道記事(紙面) | |
3 | ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり | |
4 | 広島市長『平和宣言』 | |
5 | 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 | |
6 | 平和の歌 歌曲集 |
2020年1月(日録)
日 | 事項 |
01 | コンビニで4紙購入。 |
03 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆遺跡一覧(広島市内)」 |
04 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市庁舎被爆石等譲与(1985年~)」、「被爆建造物を考える会」、 |
05 | ヒロシマ遺文への投稿=「「被爆建物等継承方策検討委員会」、「被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(目次)」、 |
06 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島陸軍兵器補給廠第11兵器庫」、「広島大学霞キャンパス開発史」、「広島県産業奨励館(原爆ドーム)」、「フォト・ドキュメント:被爆遺跡医学部11号館の消滅」 |
07 | ヒロシマ遺文への投稿=「記された「兵器補給廠と原爆被災」」、「広島平和記念資料館平和データベースの中の「原爆ドーム」」、「広島平和記念都市建設法と平和への歩み(宇吹)」。 |
09 | 大晦日のBS1の録画を視聴。「巨大戦艦・大和~乗組員が見つめた生と死」・「戦艦武蔵の最後」。いずれも再放送。 |
09 | 人物(WHO)関係の新聞切り抜きの整理。 |
10 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和記念公園レストハウス」 |
11 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市戦災復興事業誌(目次)」、「原爆ドーム保存運動」、「原爆ドーム保存工事記念碑」、「平和記念施設あり方懇談会(レジメ)」、「広島陸軍被服支廠」、 |
12 | Twitterデビュー=ツイッターのアカウントを設定。 |
13 | ヒロシマ遺文への投稿=「日本銀行広島支店」、「帝国銀行広島支店」。 |
14 | ヒロシマ遺文への投稿=「楠忠之オーラル・ヒストリー 目次」。投稿「原爆遺跡保存運動懇談会(略年表)」の補訂作業。 |
15 | ヒロシマ遺文への投稿=「中国軍管区司令部防空作戦室」、「本川国民学校校舎」、「袋町国民学校」、 |
15 | 呉市内の市立図書館が明日から2月6日まで休館との情報あり。地元の昭和図書館で5冊借り出す。 |
16 | ヒロシマ遺文への投稿=「元広島文理科大学(旧広島大学理学部一号館)の保存を考える会(会員)」 |
17 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの被爆建造物は語る(目次)」、「いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言(目次)」、「元広島文理科大学本館(旧広大理学部1号館)保存運動の経過」、「広島大学跡地保存利用についての国・県・市の動向」 |
18 | 13:00~16:30呉市観光ボランティアガイド養成講座。講義=ボランティアに役立つこにゅにケーション(笑顔とあいさつ)講師:クリエイトコミュニケーション代表。観光ボランティア体験談(呉観光ボランティアの会=会員数62名。28年度年間案内件数2359件)など。 |
19 | 13:00~16:30 呉市観光ボランティアガイド養成講座。現地実習(この世界の片隅にロケ地等) |
19 | 『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
19 | 『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
20 | ヒロシマ遺文への投稿=「日本文化人会議」、「雑誌『平和』」、「内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ」、「広島市平和式典における吉田茂式辞(代読)」、「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」 |
21 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」、「広島市平和記念式典(1953年)における内閣総理大臣のメッセージ」、「広島平和記念式典における内閣総理大臣(1997年)挨拶」、「広島市平和式典(2001年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2007年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶」。 |
22 | 広島市公文書館『広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って―関係者による座談会』(19870806刊)読了。 |
22 | ヒロシマ遺文への投稿=「波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂」、「こうの史代」 |
24 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念資料館メールマガジン」。 |
25 | 平和教育関係の資料整理。 |
26 | ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )」、「核禁会議30年史」 |
27 | 一日、激しい風雨。自宅2階の倉庫押し入れに押し込んでいた資料の整理。一番量の多い漫画は南側の部屋に移動。 |
27 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの再検討。原水禁運動関係の充実を目指す。ヒロシマ遺文への投稿=「核禁会議二十年史」、「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」 |
28 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会(1977~84年)」、「原水爆禁止日本協議会」 |
29 | ヒロシマ遺文への投稿=「「原水禁」論議の問題点(内閣官房内閣調査室)」、「天皇陛下と広島」 |
30 | ヒロシマ遺文への投稿=「2020年1月(日録)」、「原爆瓦は語りつづける」、「建築家橋本秀夫遺稿集」 |
31 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの階層を大幅に変更。第1層目を10件とする。 |
31 | ヒロシマ遺文への投稿=「父は沖縄で死んだ」、「高良とみ自伝」。 |