『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )
目次
部章 |
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1 |
メディアの世界で |
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1- |
衰弱する言論 |
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1– |
“書き屋”の弁 |
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吉川幸次郎氏 人間生活こそ文明 |
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1— |
唯一の一面コラム |
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天風録 |
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1—- |
新聞界の苦悩 |
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1—– |
「為人民服務」はどこへ |
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2 |
朝鮮半島へのまなざし |
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2-1 |
韓国の被爆者たち |
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2-2 |
私の”朝鮮体験” |
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3 |
原爆・平和をめぐって |
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3- |
原水禁運動の混乱と後遺症 |
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分裂と主導権争い 一九六一年の平和運動 |
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一九六二年・平和理論の課題 |
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被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』 |
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今も消えぬ原爆のせん光 二十四年目の被爆者たち |
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広島市の平和行政の展開 |
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新しい生き方を |
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痛烈な異議申し立て こうの史代『夕凪の街桜の国」(双葉社) |
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被爆五十周年の広島 |
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核兵器を禁止する国際法を |
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世界各国で「原爆展」を |
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二十一世紀におけるヒロシマの役割 |
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ヒロシマからアジアへ 平和をつくる市民運動 |
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癒しの空間 効率主義に抗して |
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調査と医療支援の一体化 NGO「ヒロ・セミ」の活動 |
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日本・カザフスタンの人々の連帯を強め核兵器廃絶の世論を |
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事前説明が不充分か?不満を訴える被害者 |
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前進する被曝者医療 第五次医療支援訪問を終えて |
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カザフの聞き取り調査に対する所感 |
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生き抜く人々 |
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カザフの高麗人 |
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広島と長崎の教訓を忘れるな |
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私と原子力光と影を見つめて |
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大胆な原子力政策の転換を ヒロシマからのメッセージ |
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「ヒロシマ再考」ノート |
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おわりに |
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『人間の心ヒロシマの心』(秋葉忠利、三友社出版、19881223)
目次
章節=頁 |
タイトル |
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はしがき |
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Ⅰ |
広島・長崎の経験を人類の祈りの基盤に〈基調講演〉 |
大江健三郎 |
Ⅱ |
被爆体験の意味と平和運動 |
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028 |
なぜ広島でシンポジウムか〈主催者挨拶〉 |
柿木昇治 |
030 |
「ヒロシマの心」を世界の心に〈開会挨拶〉 |
荒木武 |
033 |
高い理想、そして具体的な出発〈オーガナイザー挨拶〉 |
秋葉忠利 |
035 |
何を誰にどう伝えるのか-そして何のために |
秋葉忠利 |
Ⅲ |
被爆体験の人類史的意味 |
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060 |
「被爆の証人」として生きる |
高橋昭博 |
072 |
あらたな意味をもつ被爆体験の継承 |
宇吹暁 |
079 |
あたらしい被爆者像を求めて |
舟橋喜恵 |
092 |
被爆後の年月を通して考える〈パネルディスカッション1〉 |
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Ⅳ |
広島のメッセージを実現するために |
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116 |
教育の現場で平和を考える |
片山美代子 |
127 |
仏教徒としての被爆体験と平和の願い |
光寺重信 |
144 |
核廃絶の可能性を求めて |
安江良介 |
153 |
心理学者と平和の問題 |
ジョン・J・フューレディ |
158 |
「広島のこころ」を蘇らせるために〈パネルディスカッション2〉 |
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193 |
平和シンポジウム趣意書 |
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196 |
平和シンポジウム感想歌集から |
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198 |
パネリスト紹介 |
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203 |
広島ターミナルホテルあいさつ |
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204 |
協力者一覧 |
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205 |
フロアからの発言者プロフィル(発言順) |
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原田東岷 |
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竹内千代 |
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上神千波弥 |
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江崎寿賀子 |
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原伸幸 |
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熊田信道 |
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空フミコ |
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中川幹朗 |
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山本誠 |
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延本充弘 |
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井上敬喜 |
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ローレンス・ウィイグ |
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永井秀明 |
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あとがき |
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『 真珠と桜 「ヒロシマ」から見たアメリカの心』(秋葉忠利、朝日新聞社、19860720)
目次
章(頁) |
タイトル |
メモ |
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はしがき |
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Ⅰ |
怒涛 |
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009 |
アキバ・プロジェクト ローカル・ジャーナリストを広島へ |
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(『ヒロシマ』森下弘)あなたの目で確かに見つめなさい |
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039 |
平和の使徒 アメリカ人の原爆観 |
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(アメリカ合衆国国家)赤いロケットの焔/空中に炸裂する爆弾/それは星条旗が翻っている証(しるし) |
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058 |
卑劣な日本人 悪の原点=パール・ハーバー |
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(能『葵上』)今の恨みはありし報い 瞋恚の炎は身を焦がす 思い知らずや 思ひ知れ |
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079 |
一人ひとりの顔 記者たちの広島体験 |
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(『法句経』友松円諦)われらはここ 市の領域に近し… このことわりを知る 人々にこそ かくしていさかひは止まん |
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Ⅱ |
源流 |
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097 |
鎖を断つ プロジェクト実現まで |
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118 |
他人の痛み 私の見た平和運動 |
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136 |
道端の焼夷弾 私の戦争体験 |
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156 |
カラオケに耳を覆う 文化の壁は越えられるか |
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179 |
プラウド・オブ・ユア・サン アメリカで父になる |
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Ⅲ |
分水 |
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201 |
ビッガー・ザン・ユー カウボーイ社会アメリカ |
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225 |
医者と患者の関係 エキスパートの支配 |
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243 |
ワシントン・シンドローム 忘れられる過去 |
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265 |
死を歓迎する心 被爆者は『生ける屍』か |
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281 |
二重被爆者神話 アメリカ社会の無力感 |
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303 |
現実と想像力 平和への意志 |
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327 |
あとがき |
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『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )
目次
章 |
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プロローグ |
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Ⅰ |
生いたち |
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婦人運動の先駆者、母邦子 |
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父のこと |
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キリスト教の家 |
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寄宿舎生活 |
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タゴールとの出会い |
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「中条百合子<宮本百合子>さんについて」 |
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Ⅱ |
行動する心理学者として |
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アメリカ留学 |
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女子教育者として |
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「友和会設立」 |
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暗い時代へ |
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「空襲・疎開・敗戦」 |
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Ⅲ |
平和を求めて |
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復興への息吹の中で |
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呉市助役として |
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戦後初の婦人議員に |
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極東裁判の印象 |
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新憲法発布 |
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緑風会へ |
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世界平和者会議ヘ |
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ローマ法王に戦犯の減刑請願 |
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全インド婦人会議 |
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全面講和か片面講和か |
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売春防止法制定にむけて |
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“鉄のカーテン”をくぐる |
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モスクワへの道 |
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モスクワでのこと |
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モスクワ経済会議 |
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グロムイコ会見 |
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モスクワ見聞記 |
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シベリアのラーゲル訪問 |
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日中第一次貿易協定を結ぶ |
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新しい中国の内側 |
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スイスの赤十字へ |
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高良とみ帰国歓迎会 |
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日本婦人団体連合会結成 |
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在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ |
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アジア・アフリカの婦人と共に |
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「妻として母として」
-内側から見た高良とみ |
高良留美子 |
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解説 |
柘植恭子 |
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高良とみ年譜 |
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橋本秀夫の仕事ぶり 建築家橋本秀夫遺稿集
= The works of Hideo Hashimoto
橋本秀夫遺稿集編集委員会編・刊 20090701
目次
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まえがき |
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秀夫と連れそって |
橋本ノブエ |
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橋本秀夫氏の資料について |
菊楽忍 |
第1部 論文集 |
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広島城 |
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廻り番付と広島城
広島城城割に就て
「度量之絵図」に学ぶいろは四十八櫓
広島城再建「基礎と瓦」
広島城と石垣
広島城と石垣(郡山)
石塁工事普請符牒(石垣文様)について
広島城遺構三之丸校倉(多家神社宝蔵)
多家神社宝蔵と廻り番付について
広島城の生活用水と樋門
広島城修築と天災考 |
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レンガ建築 |
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広島の近代文化遺産 煉化石あらかると
ヒロシマの被爆建造物は語る レンガあらかると
広島の明治建築 広島の近代文化遺産 旧広島陸軍兵器支廠の研究
古いアルバムに拾った平和の尊さ 広島陸軍兵器支廠火薬庫大爆発に想う
明治1号館有難う 旧陸軍兵器支廠1号館の解体によせて
広島の明治建築 旧陸軍糧秣支廠の研究
広島市郷土資料館見学記
旧広島陸軍糧秣支廠
上等赤煉化石造「広島市郷土資料館」の周辺
宇品陸軍糧秣支廠倉庫(宇品日通倉庫)
蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と文化
広島の明治建築 夢を贈る中世のお城
亀山発電所
広島電気軌道(株)
広島県物産陳列館
臨時広島軍用水道(牛田水源地) |
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郷土史と文化財 |
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六号潜水艇と人間佐久間
旧広島水上警察署
旧広島地方気象台
蘇った日本外史
拓本が語る厳島神社五重塔
広島の近代文化遺産 後楽のこころ
広島の秘境 湯之山明神旧湯治場
悟をひらいた苔
もう一つの八岐の大蛇
鑪と吉水園
広島 加計町のバロック『吉水亭』
呉市に咲いた花「蔵本通り」
新日山安國寺 不動院梵鐘楼に就て
不動院鐘楼実測に依る時代的班別について |
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第2部 砲台巡り |
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著者御紹介 広島大学名誉教授 日本民俗建築学会会長 |
佐藤重夫 |
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まえがき
広島湾要塞の築城
第1章 室浜砲台
第2章 鷹の巣砲台
第3章 大那沙美砲台
第4章 岸根砲台
第5章 鶴原砲台
第6章 三高山砲台
第7章 大君砲台
第8章 早瀬堡塁砲台(早瀬第1~第2砲台)
第9章 休石砲台
第10章 高鳥砲台
第11章 大久野島堡塁砲台
第12章 忠海芸備砲兵大隊
第13章 大空山砲台
第14章 小島砲台
砲台建築仕法通則
沿革年表 |
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コラム |
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特集 彫刻と建築 街の表札
黄金の汗に輝く 広島大会
広島 ネズミのくれた小判『海田の宿 千葉邸』
旧街道ウォッチング「命びろいの三角の家垂」
古釘のうた 日本のバロック建築
『世紀末のドイツ建築』小幡一著
学校は心のふるさと 学校特集 球児とカンカン帽子
心の叙勲
古釘のうた 小さな平和
古釘のうら 床下のベートーベン(鴬張り) |
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私の推薦する作品
・生まれかわった芸備線向原駅
・唯信寺本堂
・私立学校教職員共済組合広島会館(広島ガーデンパレス)
・広島富士見郵便局局舎 |
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私の推薦する作品 ・筆の里工房
・株式会社日食広島支店
・三良坂リバティーホール
・広島市安芸区スポーツセンター |
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旧街道ウォッチング「最敬礼!!」 |
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番付と人生観 |
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街路地と陽光 |
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心の故郷 懐かしい学窓 |
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長官山に咲いた金唐紙 |
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お庭を喰った美術館 |
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あとがき |
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橋本さんへの手紙 |
松林俊 一 |
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『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」維持委員会編・刊、19830221 )
目次
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◆『八月六日』 |
峠三吉 |
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◆『あの時…』 |
小林岩吉 |
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◆『水ヲ下サイ』 |
原民喜 |
◆建立除幕によせて |
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ごあいさつ |
石田明 |
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ごあいさつ |
河野浩樹 |
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ごあいさつ |
荒木武 |
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若者の願いはばたけ |
森下弘 |
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ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 |
森滝市郎 |
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原爆瓦が語るもの |
佐久間澄 |
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君たちは知ったのです |
宮崎安男 |
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ヒロシマの碑建立に思う |
藤本幸作 |
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『高校生の平和アピール』の意味するもの |
松崎徹 |
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高校生の平和アピール・行動提起 |
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原爆瓦の叫び今こそ |
大亀信行 |
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小さなともしびから大きな炎へ |
吉川徹忍 |
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青春のエネルギーに囲まれて |
土肥穣治 |
◆ちかいのことば |
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小学生のちかい (福山市立旭丘小学校 児童会代表) |
斉藤力 |
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中学生のちかい(広島市立翠町中学校 生徒会代表) |
林文子 |
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若者のちかい(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール) |
山口小百合 |
◆碑・制作を終えて |
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『ヒロシマの碑』の思想 |
横山英 |
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モニュマンの空高く |
芥川永 |
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平和を願う心の目を |
吉田正浪 |
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『ヒロシマの碑』に思う |
林重男 |
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私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して |
深川宗俊 |
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『原爆瓦』を追う映画を |
田辺昭太郎 |
◆建設のあしどり |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌) |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 |
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◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで |
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平和学習のシンボルとして |
沢野重男 |
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全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 |
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◆ヒロシマの碑プロフィール |
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◆募金に添えて送られてきた全国からの便り |
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◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 |
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◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 |
深川宗俊 |
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 |
丸山亜季 |
◆附属資料 |
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1 |
原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英) |
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2 |
除幕式関係・各社報道記事(紙面) |
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3 |
ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり |
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4 |
広島市長『平和宣言』 |
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5 |
一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 |
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6 |
平和の歌 歌曲集 |
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2020年1月(日録)
日 |
事項 |
01 |
コンビニで4紙購入。 |
03 |
ヒロシマ遺文への投稿=「原爆遺跡一覧(広島市内)」 |
04 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島市庁舎被爆石等譲与(1985年~)」、「被爆建造物を考える会」、 |
05 |
ヒロシマ遺文への投稿=「「被爆建物等継承方策検討委員会」、「被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(目次)」、 |
06 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島陸軍兵器補給廠第11兵器庫」、「広島大学霞キャンパス開発史」、「広島県産業奨励館(原爆ドーム)」、「フォト・ドキュメント:被爆遺跡医学部11号館の消滅」 |
07 |
ヒロシマ遺文への投稿=「記された「兵器補給廠と原爆被災」」、「広島平和記念資料館平和データベースの中の「原爆ドーム」」、「広島平和記念都市建設法と平和への歩み(宇吹)」。 |
09 |
大晦日のBS1の録画を視聴。「巨大戦艦・大和~乗組員が見つめた生と死」・「戦艦武蔵の最後」。いずれも再放送。 |
09 |
人物(WHO)関係の新聞切り抜きの整理。 |
10 |
ヒロシマ遺文への投稿=「平和記念公園レストハウス」 |
11 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島市戦災復興事業誌(目次)」、「原爆ドーム保存運動」、「原爆ドーム保存工事記念碑」、「平和記念施設あり方懇談会(レジメ)」、「広島陸軍被服支廠」、 |
12 |
Twitterデビュー=ツイッターのアカウントを設定。 |
13 |
ヒロシマ遺文への投稿=「日本銀行広島支店」、「帝国銀行広島支店」。 |
14 |
ヒロシマ遺文への投稿=「楠忠之オーラル・ヒストリー 目次」。投稿「原爆遺跡保存運動懇談会(略年表)」の補訂作業。 |
15 |
ヒロシマ遺文への投稿=「中国軍管区司令部防空作戦室」、「本川国民学校校舎」、「袋町国民学校」、 |
15 |
呉市内の市立図書館が明日から2月6日まで休館との情報あり。地元の昭和図書館で5冊借り出す。 |
16 |
ヒロシマ遺文への投稿=「元広島文理科大学(旧広島大学理学部一号館)の保存を考える会(会員)」 |
17 |
ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの被爆建造物は語る(目次)」、「いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言(目次)」、「元広島文理科大学本館(旧広大理学部1号館)保存運動の経過」、「広島大学跡地保存利用についての国・県・市の動向」 |
18 |
13:00~16:30呉市観光ボランティアガイド養成講座。講義=ボランティアに役立つこにゅにケーション(笑顔とあいさつ)講師:クリエイトコミュニケーション代表。観光ボランティア体験談(呉観光ボランティアの会=会員数62名。28年度年間案内件数2359件)など。 |
19 |
13:00~16:30 呉市観光ボランティアガイド養成講座。現地実習(この世界の片隅にロケ地等) |
19 |
『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
19 |
『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
20 |
ヒロシマ遺文への投稿=「日本文化人会議」、「雑誌『平和』」、「内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ」、「広島市平和式典における吉田茂式辞(代読)」、「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」 |
21 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」、「広島市平和記念式典(1953年)における内閣総理大臣のメッセージ」、「広島平和記念式典における内閣総理大臣(1997年)挨拶」、「広島市平和式典(2001年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2007年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶」。 |
22 |
広島市公文書館『広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って―関係者による座談会』(19870806刊)読了。 |
22 |
ヒロシマ遺文への投稿=「波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂」、「こうの史代」 |
24 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念資料館メールマガジン」。 |
25 |
平和教育関係の資料整理。 |
26 |
ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )」、「核禁会議30年史」 |
27 |
一日、激しい風雨。自宅2階の倉庫押し入れに押し込んでいた資料の整理。一番量の多い漫画は南側の部屋に移動。 |
27 |
ヒロシマ遺文のカテゴリーの再検討。原水禁運動関係の充実を目指す。ヒロシマ遺文への投稿=「核禁会議二十年史」、「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」 |
28 |
ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会(1977~84年)」、「原水爆禁止日本協議会」 |
29 |
ヒロシマ遺文への投稿=「「原水禁」論議の問題点(内閣官房内閣調査室)」、「天皇陛下と広島」 |
30 |
ヒロシマ遺文への投稿=「2020年1月(日録)」、「原爆瓦は語りつづける」、「建築家橋本秀夫遺稿集」 |
31 |
ヒロシマ遺文のカテゴリーの階層を大幅に変更。第1層目を10件とする。 |
31 |
ヒロシマ遺文への投稿=「父は沖縄で死んだ」、「高良とみ自伝」。 |
『天皇陛下と広島―昭和の御代に感謝のまごころを』(「天皇陛下と広島」編纂部、天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会、19870211刊)
目次
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御真影 |
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大御歌(御製碑) |
グラビア |
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戦後広島県巡幸(昭和22年) |
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植樹祭(昭和46年) |
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産業御視察(昭和26年) |
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天皇陛下御在位60年奉祝大パレード(昭和61年11月10日・東京) |
出版に寄せて |
山崎芳樹( 広島商工会議所 会頭) |
序文 |
天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会 |
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第1章 |
ああ御在位六十年-民族の生命の復活と蘇生 |
|
偉大な悲劇 法隆寺玉虫厨子の意味 山背大兄王の哀しみ 五内為ニ裂ク 名誉を思わず利益を思わず 鎮魂の旅 |
第2章 |
戦後広島県巡幸史(昭和二十二年十二月五日~八日) |
広島県巡幸概観 |
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巡幸に込められた陛下の御決意 広島県巡幸への県民の願い 行幸を心待ちにする県民の声 |
大竹市・宮島町 |
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国立大竹病院 三菱化成大竹工場 宮島桟橋 宮島で御静養 |
広島市 |
|
廿日市 広島戦災児育成所 広島県水産試験場 爆心地御通過 広島市民奉迎場 授産共同作業場 広島市立袋町小学校と第五中学校 県立広島第一中学校 広島市役所 広島県庁 広島駅 |
呉市 |
|
呉駅 呉市役所 呉市民奉迎場 |
三原市 |
|
浮城分室(御在所) 帝国人絹糸三原工場 東洋繊維三原工場 三菱重工三原車両製作所 |
尾道市・向島町 |
|
戦災引揚者応急住宅 向島西村津部田 尾道水道 尾道市役所 |
福山市・神辺町 |
|
千田村 神辺小学校 福山市救護院、母子寮 福山城址公園 |
第3章 |
天皇陛下ありがとうございます-県民から寄せられた感謝の声- |
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山崎芳樹 |
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増岡博之 |
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川村智治郎「陛下と私」 |
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中川秀直 |
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粟屋敏信 |
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児玉秀一「忘れ得ぬ思い出」 |
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佐々木有 |
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奥原次郎 |
|
石田成夫 |
|
松浦多聞 |
|
内海巌 |
|
桜井正弥 |
|
赤木蒸治 |
|
佐竹利彦 |
|
松下一男 |
|
森安忠 |
|
戸田一郎 |
|
西村敏藏 |
|
中島一史 |
|
谷口寿太郎(元五日市町長) |
|
加賀美正孝 |
|
桜井創造(広島特定郵便局長会理事) |
|
山田五巳(畑賀地区社会福祉協議会会長) |
|
織田金次郎(大竹市日本の伝統を守る会会長) |
|
献歌 |
|
奉祝記念映画「天皇陛下-御在位六十年をことほぐ-」感想文 |
あとがき |
原水爆禁止日本協議会 設立:1955年9月19日
資料
|
|
|
日本原水協通信 |
|
19580201 |
No.5()~ |
宇吹蔵=目次のコピー |
19581005 |
No.15() |
宇吹蔵=目次のコピー |
原水協通信 |
|
19590605 |
No.2 |
|
19590715 |
No.6()通巻83 |
|
19590905 |
No.7()通巻84 |
|
19590995 |
No.8()通巻85 |
|
19590995 |
No.9()通巻86 |
|
19591005 |
No.10()通巻87 |
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19591015 |
No.11()通巻88 |
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19610825 |
No.19()通巻141 |
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19610825 |
No.15()通巻164 |
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19620715 |
No.16()通巻165 |
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19630315 |
No.5()通巻177 |
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19630515 |
No.9()通巻181 |
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19630815 |
No.15()通巻187 |
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19630901 |
No.16()通巻188 |
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19640115 |
No.2()通巻197 |
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19680701 |
No.11()通巻197 |
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19751101 |
別冊 |
特集:第21回原水爆禁止世界大会国際予備会議・特別報告 |
原水爆禁止日本国民会議(原水禁)
結成大会:1965年2月1日
『原水爆禁止世界大会広島長崎大会報告決定集NO.1、NO.2』(19640825)
『原水禁ニュース』(19650301)~
『被爆20周年原水爆禁止世界大会報告決定集』(19650920)~
宇吹所蔵資料 『被爆**周年原水爆禁止世界大会報告決定集』
発行年月日 |
被爆**周年 |
備考 |
19740901 |
29 |
B5判 106頁 |
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19820831 |
37 |
A5判 137頁 |
19830831 |
38 |
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1988 |
43 |
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1989 |
44 |
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1990 |
45 |
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1991 |
46 |
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1992 |
47 |
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1993 |
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1994 |
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1995 |
50 |
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1997 |
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1998 |
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1999 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。