『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)
内容
章節
タイトル
備考
序にかえて
1
原爆に生き残って
1-1
運命の八月六日
1-2
廃墟の中で
1-3
一牧師のビジョン
2
和解の旅
1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル
2-1
ピース・センターの構想
2-2
第一印象
2-3
メンジスト教会ミッション・ボードと私
2-4
本格的巡回始る
2-5
ピース・センター独自の途を歩む
2-6
被爆地ヒロシマをどうするか
2-7
平和請願運動
2-8
平和請願運動潰される
2-9
真珠湾記念日とヒロシマ・デー
2-10
東京裁判と死刑執行への反応
3
嵐の中の平和行脚
1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル
3-1
朝鮮戦争下のアメリカへ
3-2
講演の新内容を求めて
3-3
ニューヨーク入り
3-4
カズン氏は極めて多忙である
3-5
ヒロシマ・ピース・センター理事会
3-6
今回の巡回旅行の特色
3-7
嵐の中の平和運動
4
原爆乙女アメリカに往く
1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル
4-1
日本における原爆乙女治療始る
4-2
米国での治療運動始る
4-3
資金はどのようにして集められたか
4-4
ニューヨークの受容態勢
4-5
ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング
4-6
原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか
〇ヒューストン市の1週間
〇原爆悲劇に対する読みが深くなった
〇国際時局に対する読みも深くなった
〇募金活動の実情
〇協力を申し出る4つの病院
〇一日本人医師の批判とその影響
4-7
ピース・センターはどこへ行く
4-8
平和の営み
5
「傷痕」の伴をして
1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル
5-1
「傷痕」ダイジェスト
5-2
講演後の質問応答
5-3
核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている
5-4
「傷痕」のどこに感動したか
5-5
被爆者治療問題の隘路
5-6
被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない
5-7
アメリカ講演旅行の総括
国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」
回
発言者
演題
1回(19811207)A 地域の平和と共通の安全保障を考える
(会場) 高輪プリンスホテル
オロフ・パルメ(前スウェーデン首相)
独立委員会の仕事と共通の安全保障について
ラジニ・コタリ(インド)
専門家の研究と大衆運動を基盤にして
大石武一(国際軍縮促進議員連盟会長)
国際連合の精神と日本の役割
坂本義和
軍縮の新たな展望
永井陽之助
新たな「平和の構造」を求めて
宮崎繁樹
核兵器の違法性と非核地帯
アリ・アラタス(インドネシア)
東南アジア諸国連合の緩衝的役割の可能性
トー・カー・フーン(マレーシア)
ASEAN諸国と日本への期待
ジャン=マリ・ダリエ(フランス)
EC諸国の歩みと平和への道
関寛治
世界の軍事化の要因と新しいネットワーク 広島大学の研究プロジェクトから
アルフォンソ・ガルシア=ロブレス(メキシコ)
非核地帯条約の成立過程について
ヨセフ・チランキエヴィッチ(ポーランド)
非核地帯構想とポーランドの平和について
〔討議〕
アジアの非核問題と日本
(発言者) オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア)、田英夫(参議院議員)、秦豊(参議院議員)、永井陽之助
(19811208)B 被爆地・広島で平和を考える
(会場)広島平和記念館 広島会議
今堀誠二
広島・長崎の被爆研究の成果をもとに
荒木武
原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに
本島等
核廃絶を訴える被爆者の心を伝えたい
〔被爆体験者の訴え〕
栗原貞子
2編の詩に寄せて
深堀義昭(長崎県被爆者手帳友の会事務局長)
被爆者の実態を知ってほしい
松重美人
爆心地を撮影したカメラマンとして
秋月辰一郎(長崎・聖フランシスコ病院院長)
医者として体験した被爆の姿
オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア)
“ヒロシマ”体験は非核運動の原点だ
ガルシア=ロブレス(メキシコ)
国家元首に広島訪問を義務づけたい
森滝市郎
“広島以前”と“広島以後”で人類史は変った
庄野直美
シェルター論や放射線の遺伝問題にふれて
軍縮問題にみるネコとネズミ論争
宍戸ヒロシ(山口県・大島教会牧師)
ネズミの軍縮会議にネコが議長である
オロフ・パルメ
二匹の猫と国連の役割について
ゲオルギ・アルバトフ
恐しいのは敵ではなく”無関心”だ
オロフ・パルメ
この深い衝撃と感銘を世界につたえたい
2回(19821029-31)C 核時代の平和をもとめて
(会場)国連大学
矢野暢
地域的安全保障とアジア
ライモ・バウルネン
核の悪魔にいかに対処するか
スミトロ将軍(インドネシア)
安全保障への地域的アプローチ
安川壮(元駐米大使)
アジア・太平洋における日本の役割
エドムンド・オスマンチク(ポーランド)
地域安全保障に関するラパツキー案について
フランク・バーナビイ
超大国の軍事政策と新たな防衛政策
大西昭
軍備競争の軽減と経済的影響
栗野鳳(広島大学教授・平和科学研究センター)
“平和的生存権”と日本
ブレークウェイ
普遍的な運動の努力を惜しまずに
〔討議〕パルメ委員会報告をめぐって
武者小路公秀
国連大学の性格について
〔討議〕平和研究機関としての国連大学の可能性
3回(19840415-17)
4回『1985』
出典:『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著 、国際連合大学 発行、東京大学出版会発売、19840324)
国連大学広島誘致期成同盟会
年月日
事項
1969年
ウ・タント国連事務総長、年次総会で、「真に国際的な性格を有し、国連憲章が定める平和と進歩のための諸目的に合致した国際連合大学」の設立を提案。国連総会はこのような大学の実現可能性を検討するため、ユネスコと緊密に協力して調査を行う専門家委員会を任命。https://jp.unu.edu/
19720818
山田広島市長、ベルギー・ブリュッセル大学で開催された第15回先生会連邦大会の最終日本会議で「国連大学の広島設置」を提案。23か国代表の全員賛成で決議。
19720916
広島県・広島市・広島大・経済界が広島商工会議所で「国連大学広島誘致期成同盟会」結成大会。永野厳雄県知事を会長に選ぶ。
19720726
広島市議会、国連大学誘致に関し決議。(「平和の推進」)
197209
国連大学の設立を検討する委員会、国連経済社会理事会に報告書を提出。https://jp.unu.edu/
197212
国連総会、国連大学の設立を認める。https://jp.unu.edu/
197312
国連総会、国連大学の設立委員会が提出した大学憲章と決議案を採択。https://jp.unu.edu/
19750120
初代国連大学理事会および学長のジェイムス・M・ヘスター博士の就任式、東京の暫定本部施設で開催。https://jp.unu.edu/
197509
東京の本部施設および 寄付基金設立に向けて寄付金1億ドルが日本政府の好意により提供され、国連大学の研究活動スタート。https://jp.unu.edu/
19780605?
国連大学広島誘致期成同盟会、誘致の構想まとまらず運動中断。
世界平和連帯都市市長会議 1982年6月24日発足
2001年8月5日、「世界平和連帯都市市長会議」から「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更。
平和問題調査会=広島市長の諮問機関。1981年5月14日設置。
回
開催年月日
議題など
01
19810514
①委員長の選出②会の名称、構成メンバー、事務局の決定③昭和56年会議開催計画等について説明④基本的問題と事業計画一軍縮シンポジウムの開催/市民講座・特別講演会の開催/国際的平和研究機関の誘致
02
19810724
パルメ委員会の東京招致及び広島ワークショップについて
03
19810907
①パルメ委員会及びワークショップの開催について一東京、広島での準備状況
04
19811130
①パルメ委員会を迎え、ジャパンワークショップ東京、広島セッション開催の事前検討について
05
19820128
①パルメ委員会ジャパンワークショップの結果報告並びに今後の対策について
06
19820223
①第2回国連軍縮特別総会への対応策について―ワーキンダ・グループの検討結果報告
07
19820517
①第2回国連軍縮特別総会に対する広島・長崎両市の対応について
08
19820702
①第2回国連軍縮特別総会の報告②パルメ委員会最終報告書に基づいた平和、安全保障と軍縮に関する東京セミナーについて
09
19821001
①平和と安全保障と軍縮に関する東京セミナーの開催について一パルメ委員会報告を受けて
10
19840217
①国連大学主催東京セミナーについて②広島市が行う平和推進活動について
11
19820218
①第1回世界平和連帯都市市長会議(広島市・長崎市主催)について②東京セミナーについて
12
19870319
①第1回世界平和連帯都市市長会議の報告②昭和61年は国際平和年に当たり、この取組みとして、国際平和サミット、平和シンポジウム等の実施計画を説明。
13
19880318
①国際平和年事業の報告②被爆42周年への取組み③世界平和都市連帯推進事業④国連大学・国連大学協力関係プロジェクト
14
19880216
①国連大学学長及び各委員紹介②昭和62年度実施事業報告③昭和63年度平和推進事業説明④6か国首脳会議帰国報告⑤第3回国連軍縮特別総会(広島・長崎両市長出席)へ向けての提言
15
19890217
①昭和63年度実施事業②平成元年度実施事業③第3回国連軍縮特別総会への出席④国連軍縮広島講演会の開催⑤第9回核戦争防止国際医師会議世界大会の開催⑥第2回世界平和連帯都市市長会議⑦平和・軍縮研究機関の設置構想案
16
19900222
①平成元年度主要平和関連事業実施状況②平成2年度主要平和関連事業計画案の概要③「平和に関する国際的な研究機関」の設置について
17
19911112
①広島市の平和の取組み②新委員を含む委員の自己紹介及び意見交換。
18
19921204
①広島市の平和の取組み概要②国連軍縮広島会議の報告③第3回世界平和連帯都市市長会議の検討④アジアにおける広島の役割⑤被爆50周年記念事業
19
19931202
①「広島市の平和行政」について①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録について③「第3回世界平和連帯都市市長会議」の報告④広島市の平和の取組み概要
20
19941219
①被爆50周年を迎えての広島市の平和への取組み①米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館における特別展③国際司法裁判所における核兵器使用の違法性の審理①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録⑤|世界平和連帯都市市長会議アジア太平洋地域会議⑤広島市の平和の取組み概要
21
19950329
①アメリカ社会における核廃絶の認識を高める方途について
22
19960321
①被爆50周年以後の平和行政について。広島市平和問題調査会は、この会合を以て解散した。
『広島平和文化センター20年誌』(19970331刊)
核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)
被爆40周年の1985年2月、日本原水協をはじめ世界12力国の反核・平和運動組織(アメリカ、イギリス、オランダ、スウェーデン、東ドイツ、イタリア、キューバ、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、アルジェリア、日本)が、広島につどい協議し、「核兵器全面禁止・廃絶のためにヒロシマ・ナガサキからのアピール」を発表しました。
日本原水協は、「アピール」支持署名の日本国民の過半数を目標にとりくみました。
さらに、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実相をつたえ、核戦争の阻止、核兵器廃絶の世論をたかめ「アピール」支持署名を広げるために、世界各地に被爆者を含む遊説代表団を送る活動をすすめました。
遊説団の訪問先は、1985年4月にフィリピン、6月オランダ、7~8月イギリス、アイスランド、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、10月スイス、11月イタリア、そして86年1月にオランダ、ベルギー、2月にラオスとのべ12力国におよびました。
遊説代表団員の総数は、121名。25班にわかれて訪れた都市は約250、大小集会に約300回参加し、のべ1000回近くマスコミで報道されました。
出典:『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録 Hibakusha Peace Tour(原水爆禁止日本協議会、19860806)』
被爆者国際遊説団名簿
遊説先
氏名
所属
●フィリピン 19850406~15
大久保忠一
埼玉県熊谷原水協・埼玉民医連
岡広
三重県・日本AALA連帯委員会
緒方義孝
全港建労働組合神戸地本
河原直孝
国公労連
久保美津子
被爆者(広島)広島新婦人
児玉三智子
被爆者(広島)千葉県船橋市南診療所
斉藤君子
新婦人神奈川県本部
津川計子
日本民医連東神戸病院
土居賢一
全司法労組
浜島勇
原水協担当常任理事・日高教
宮田昌幸
全商連・宮田印刷
酒井伊津子
通訳
辻山昭三
事務局
安田和也
草地康子
●オランダ 19850625~0708
A班
小島光雄
中谷恒男
村上経行
被爆者(広島)
萩原信宏
和田美昭
篠原敏美
酒井伊津子
B班
林正道
伊谷周一
被爆者(広島丿鳥取県原水協
津田光男
坂入博子
秋元恵子
宮沢彰一
高草木博
●イギリス・アイスランド 19850801~11
佐藤裕
本間三郎
木村昭六
栗栖主税
被爆者(広島)
大森幹男
広島原水協
信政ちえ子
広島原水協
有光登一
被爆者(広島)愛媛県原爆被害者の会
仁木義雄
長谷部栄祐
渡辺孝三
被爆者(広島)奈良県原爆被害者の会
中島宏
被爆者(広島)香川県被爆者の会
出島艶子
被爆者(広島)東友会
中沢憲一
柏木文代
柏木文代
岡村利男
被爆者(広島)高知県被爆者の会
渡辺政成
田中重光
被爆者(長崎)全動労長崎支部
深町君江
志賀さゆり
通訳
トモヨ・マクドナルド
辻光枝
●アメリカ合衆国 19850724~0813
中西部◆
浅野哲人
被爆者(広島)大阪しろきた市民生協
安藤広司
被爆者(広島)長野県原水爆被災者の会
佐藤岑夫
三重県原水協
大山済世
通訳
南東部◆
三輪博志
被爆者(長崎)
福本宏支
被爆者(長崎)徳島県原爆被害者の会
藤岡忠治
藤野雅美
通訳
中部大西洋岸◆
丸岡文麿
被爆者(広島)京都原水協
森本テル
被爆者(長崎)
石黒三沙子
朝戸理恵子
事務局
北東部◆
栗栖洋
被爆者(広島)高校教諭
高井栄
被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会
中田鉄太郎
酒井伊津子
ニューヨーク◆
土田康
被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会
伊藤吉紀
セッコ・サーロー
在米被爆者(広島)
ハラシマ・トシコ
通訳
西海岸◆ 19850724~0812
奥野栄
被爆者(長崎)
堀田シズエ
被爆者(広島)・埼玉
桜木早苗
堀田義裕
南西部◆
吉崎幸恵
被爆者(長崎)福岡市原爆被害者の会
田邊俊三郎
被爆者(広島)東友会
門倉武則
谷捷子通訳
●スイス・西ドイツ 19851019~31
山口勇子
被爆者(広島)日本原水協代表理事
早川耐子
被爆者(広島)
花井透
中尾元重
高草木博
事務局
下田文子
通訳
●NGO会議・ベルギー・オランダ 19860118~30
佐藤裕
浜島勇
渡辺千恵子
被爆者(長崎)
渡辺順子
(渡辺同行者)
村田忠彦
被爆者(広島)
堀口士郎
米田実
山川新一郎
炭谷巴之助
松下賢次
川添政彦
升井登女尾
城ゆき
高草木博
事務局
下田文子
キエ・ホアン
通訳
●イタリア 19851012~19
中南部◆
石井あや子
市岡正憲
被爆者(広島)
熊久保朝正
辻山昭三
北部◆
米沢進
被爆者(広島)広島県原水協
世良豊子
被爆者(広島)
皆川恵史
広島市原水協
上野幸子
通訳
●オーストラリア 19850801~06、ニュージーランド 19850807~13
A班◆
鶴岡正雄
屋敷一字
広島医療生協
佐々木優秋
呉原水協
安賀昇
川后宏
堺谷一郎
反納清史
被爆者(長崎)
高橋マサ子
被爆者(広島)埼玉県原爆被害者協議会
亀井和子
通訳
B班◆
寺本敏夫
高倉金一郎
嶺本治代
村井明美
住田哲
溝浦勝
被爆者(長崎)
米田進
被爆者(広島)
菅頭康夫
土田弥生
通訳
●ラオス
片桐隆三
被爆者(広島)
辻山昭三
事務局
第1部 国際連合訪問の状況(日程順)
1976年11月
25日
ワシントン到着
26日
日本大使館を表敬訪問
米国務省軍縮局を訪問
国立公文書館を訪問
ウイリアム・ペン・ハウスで平和の集いを開催
27日
アーリントン墓地参拝
米国科学者連盟事務所を訪問
ウイルミントン到着
ウイルミントン大学学長主催夕食会に出席
28日
ウイルミントン市長主催朝食会に出席
ヒロシマ・ナガサキ記念文庫を訪問
ニューヨーク到着
29日
日本代表部を訪問
国連広報担当事務次長補を訪問
クリスチャン・センターを訪問
オーストラリア代表部を訪問
30日
カナダ代表部を訪問
フランス代表部を訪問
アメリカ代表部を訪問
1976年12月
1日
ワルトハイム国連事務総長と会見
イギリス代表部を訪問
内外新聞記者団と会見
イスラエル代表部を訪問
アメラシンゲ国連総会議長と会見
ニューヨーク市長を表敬訪問
赤谷次長補主催のレセプションに出席
ノーマン・カズンズ氏と懇談
2日
ソビエト代表部を訪問
インド代表部を訪問
東ドイツ代表部を訪問
西ドイツ代表部を訪問
日本協会主催のレセプションに出席
3日
ニュージーランド代表部を訪問
ノルウェー代表部を訪問
国連第1委員会(軍縮)を傍聴
4日
訪問10日目に休養日
5日
ロサンゼルス空港到着
広島・長崎両県人会主祭歓迎夕食会に出席、在米被爆者と懇談
6日
ロサンゼルス市長を訪問
大内会長ら、被爆者と医療相談
ロサンゼルス市議会を訪問
日本総領事官を訪問
シティー・ビュー病院を訪問
ロス郡医師会の昼食会に出席
日系老人ホームを視察
7日
ロサンゼルス郡参事会で発言
内外記者会見で両市長共同声明
トーマス・野口事務所を訪問
ロサンゼルス発
サンフランシスコ着
広島・長崎両県人会主催歓迎会に出席
8日
サンフランシスコ市長を訪問
オークランド=ベイ地区を見学広島・長崎両市長主催夕食会開催
9日
サンフランシスコ発、東京へ
10日
東京羽田着
12日
荒木広島市長、慰霊碑に帰国報告
13日
諸谷長崎市長、記念像に帰国報告
出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(著者:広島市・長崎市編、 刊 19770331 )
『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』広島市・長崎市編 、刊、19770331)
部
事項
国連訪問を終えて
1
国際連合訪問の状況(日程順)<詳細リンク >
2
国連事務総長への要請・要望事項および原爆被害の実態に関する資料
3
国際連合訪問の経緯
概要
1975年8月1日~1976年11月25日
編集後記
ビキニ環礁核実験場 Bikini Atoll Nuclear Test Site
https://whc.unesco.org/en/list/1339
マーシャル諸島共和国初の世界遺産。第2次世界大戦後にはじまった冷戦に伴い、アメリカ合衆国は、太平洋沖マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験再開を決定した。周辺住民を移住させ、1946年から1958年まで、初の水素爆弾実験(1952年)を含む67回の核実験を実施した。その威力を示す重要で明白な証拠が、1946年の実験で礁湖に沈んだ船と、水素爆弾「ブラボー」の実験でできた巨大なブラボー・クレーターである。一連の実験は広島型原爆の7000回分に匹敵し、環礁の地質や自然環境、人びとの健康などに重大な影響を及ぼした。これによりビキニ環礁は、「核の時代」の幕開けの象徴となった。
Date of Inscription: 2010 Criteria: (iv)(vi)
資料
本
隠るべき所なし ビキニ環礁原爆実験記録(ブラッドリー著、佐藤亮一訳、講談社、19490830)
日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」
2016(平成28)年4月に、4市のストーリー「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」が、日本遺産に認定。
投稿ナビゲーション
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