『世界連邦アジア会議報告書』(世界連邦アジア会議広島準備委員会事務局 19530201)
目次
挨拶 | ||
広島宣言 | ||
世界連邦アジア会議広島決議 | ||
世界連邦アジア会議日程議題 | ||
出席者名簿 | ||
世界連邦アジア会議開かる | ||
広島到着 | ||
開会式 | ||
総会議 | ||
歓迎晩餐会 | ||
第二日総会議 | ||
宮島観光 | ||
各委員会開催 | ||
第四日総会議 | ||
市中見物 | ||
離広 | ||
広島へ感謝 | ||
アジア会議開催の経緯 | ||
と広島準備委員会経過 | ||
アジア会議を顧みて |
1
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『世界連邦アジア会議報告書』(世界連邦アジア会議広島準備委員会事務局 19530201)
目次
挨拶 | ||
広島宣言 | ||
世界連邦アジア会議広島決議 | ||
世界連邦アジア会議日程議題 | ||
出席者名簿 | ||
世界連邦アジア会議開かる | ||
広島到着 | ||
開会式 | ||
総会議 | ||
歓迎晩餐会 | ||
第二日総会議 | ||
宮島観光 | ||
各委員会開催 | ||
第四日総会議 | ||
市中見物 | ||
離広 | ||
広島へ感謝 | ||
アジア会議開催の経緯 | ||
と広島準備委員会経過 | ||
アジア会議を顧みて |
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岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)
「拝啓 人類と文明の為一書を敬呈することを御許し下さいませ。
私は昭和21年6月から2年有半に亘り東京に於ける極東国際軍事裁判に主任弁護人の一人として参加していました。其間終始私の念頭にありましたことは、戦勝国側の極めて重大な国際法違反が勝てるが故に何等その責任を問われない不公正でありました。然し私は、講和条約が発効した暁には、戦勝国側の指導者から広島・長崎に対する原爆投下については、悔恨の情を披瀝されるであらうと心ひそかに期待しつづけてきたものであります。
然るに、それより既に1ケ年を経た今日に於て、未だかかる言葉の片鱗だに聞くことを得ないのであります。
これが基督教を以て普遍的な宗教となし、ヒューマニズムを以て民主主義の基調とする米国・英国の態度であることは遺憾の極みであります。私は当時から講和条約が発効した後においては、尠くとも広島及び長崎に対する原爆の投下についてはこの責任を民事不法行為の面において採りあげて原爆投下の決定に参与した指導者及び国家に対して不法行為の管轄裁判所に対し提訴致し度いと念願し、これを親友にも語ってまいりました。(後略)」
月日 | 事項 |
1953年 | |
01 | 16、17両日広島市在住弁護士46名長崎市在住弁護士18名に「主要関係研究事項」を付して原爆損害民訴提起の可能提唱の書面を郵送。又同じ頃弁護士、学者、宗教家等の知友その他64名に同一書面を郵送 |
0120 | 印度最大の新聞タイムズ・オブ・インディアの東京特派員(前本社副編輯長) N・G・ナンポリア氏来訪、岡本提唱の内容及び進行の予定について3時間に渉って質問、即夜徹夜して長文の記事原稿をタイプし空輸 |
0124 | 朝日新聞大阪本社社会部記者平野一郎氏来訪相当質問して取材 |
0128 | 朝日新聞7面中央に別枠で岡本提唱の記事掲載、又BKニュース放送 |
0130 | UP通信員藤本博氏来訪。印度ではタイムズ・オブ・インディアその他の新聞の記事によってセンセーションを起しているので取材に来たという。同時にUP東京支局から電話で質問があった。 |
0131 | 人類愛善新聞記者長掛芳介氏来訪 |
0201 | 英文毎日に岡本提唱及び其の論拠を報じた |
0221 | 1月31日付広島市内発行の法廷新聞は第1面を埋める記事を掲げ広島弁護士会はこの問題で2月11日臨時総会開催を報じた |
0203 | UP藤本博氏来訪。 |
0203 | 毎日新聞7面に「原爆投下に賠償請求」と題して広島、長崎弁護士会では岡本提唱がきっかけとなって右損害賠償請求訴訟の具体的研究にのりだしたことを報じ た。 |
0204 | 英文毎日は広島弁護士会総会開催その他の反響を報じた |
0118~0201 | 原爆被害者その他から感謝激励の電信書面葉書来る。自宅への電報配達人は感謝激励の言葉を添えて送達紙を手渡した。被害者の手紙は一つ一つ泣かされる。 |
0206 | 原爆損害民訴の主要法律関係研究事項について一応卑見を原爆民訴或問と題して簡単な問答体に書き上げた書面を広島弁護士会員全部その他に郵送 |
0207 | 中国新聞によれば長崎弁護士会も立上り2月10日全員協議会を開く |
0209 | ナンポリア氏の令兄から記事掲載のタイムズ・オブ・インディアを届けらる。見出しには「日本弁護士原爆訴訟を計画す。トルーマン氏は被告名簿の一人」 とあり正確な好意ある立場での報道である。 |
0211 | 産経によれば10日開催の長崎弁護士会全員協議会では広島弁護士会と連絡提携し21日開催の日本弁護士連合会(常任理事会)に本問題の研究と善処方を要望する正式議案を提出することを可決した |
0212 | 原爆民訴或問を長崎弁護士会員全部その他に郵送 |
0308 | 岡本、広島弁護士会の招請により広島に出張。特別委員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談、又広島市庁及び原爆被害者の会訪問 |
0329 | 広島原爆被害者の会は幹事会開催原爆民訴の原告になる用意がある旨決議し、これを広島弁護士会に申入れた。 |
0427 | 岡本、長崎弁護士会に出張。同会員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談 |
平和擁護広島大会
1949年10月2日
原子兵器の禁止 広島市民から全世界に打電
国際平和闘争デーの10月2日、原爆都市広島では(既報)10数団体の共同主催で「平和ようご広島大会」が、流川広島女学院講堂にて参加者300名でひらかれた。大会は午後2時民科代表中川氏の司会で始まり議長団には今堀文理大助教授(学術団体)、小西民婦協支部長、高橋自由法曹団弁護士、松江地労委員長、郷土詩人峠三吉氏が選出された。
郷土作家畑耕一氏、自由法曹団を代表した高橋武夫氏の講演に続き、松江地労会長より長田文理大学長、浜井広島市長、広島出身牧師赤岩栄氏のメッセージが読み上げられた。続いて戦争の悲劇を中心にした詩の朗読が広島詩人協会上野氏によってよまれ各団体よりの戦争反対の意見発表がなされた。菅原安芸高女校長(仏教会)、民婦代表村上さん、広島高師学生米倉君、市内段原小学校5年山根君、朝鮮人代表金英哲氏、今堀文理大助教授、安井広島市連合未亡人会長からそれぞれ戦争はいやです永久にこの世から戦争をなくしませうと切々と訴えれば参加者の中よりYさん(27)-広島市観音町-が本大会に発表される平和のための宣言に必ず原爆をうけた広島市民の声として原爆兵器の廃止を入れ全世界にこれを発表して下さい、との緊急動議が出され参加者拍手のうちに可決、続いて議長団より指名された宣言起草委員によって全世界に向って平和のための宣言が発表された。午後5時大会は第二部の映画「ドン底」の上映に移った。
平和擁護広島大会宣言
自由と平和を保証した日本の民主主義革命は最近極めて危険な状態を示してきました。好戦的なファシストたちは、またもや戦争によって利益を得ようとしはじめ、そのための障害となる政治・経済の分野は勿論、科学、芸術、思想、教育などにおいて、さらにそれは日常生活の瑣細な一点に至るまで、総ての民主主義的なものに対して狂暴な圧迫を加えつゝあります。このことは自由と平和を愛好してやまなかったわれわれがかつてのファシズムの被害者としての経験から身をもって知るところの現実であります。ことに民主主義革命の先頭に立ちその主体的役割を果しつゝある労働者階級の諸運動に対しては、最近血を見るほどの暴虐ぶりを示しております。政令、規則、条例などの公布による思想、集会、言論、結社、団体行動の自由に対する明白な蹂躙、全国到る所で惹起する労働争議並びに民主団体に対する警官隊を動員して無謀な弾圧など、憲法によって保証された基本的人権圧殺の事実は、まさにその集中的な現れであります。こうした今日の日本の現実からは、われわれが希ってやまない自由も平和も民族の独立も期待出来ません。さらにこのことは厳粛な世界史の方向にも逆行し人類に課せ られた論理をも無視したものであります。われわれが自然のような強さと深い憂いをもって平和のための一文を草したのもここに由来するものであります。
われわれはこのような矛盾に満ちた現実の中から自由と平和を闘いとるために民主主義革命の先頭をゆく労働者階級との結ぴつきを飛躍的に強化し農民、家庭婦人、青年、学生、中小商工業者たちとも親しく手をとり合い、知識人をもひろく結集して、平和のための一大防壁を築くと共に、今日の国際平和闘争デーを闘いつゝある全世界の平和を愛好する人々の総てと手を握り”戦争ならびにファシズム反対、平和擁護”のための世界的規模における闘いを推し進めねばなりません。
思いまするに、われわれが平和の象徴である広島の地から、こうした平和のための一文を掲げ、人民各層に呼びかけねばならなかったこのこと自体が自由、平和、民族の独立の危機!今日の現実が含む一切の矛盾!人類の生存にとって大きな不幸を招く危険!それらを極めて身近かに象徴していると思います。
われわれは以上のような趣旨によって、人民各層が一人残らず、これに参加し、実に強力な結集と統一との秩序ある広汎な組織を希望いたしますと同時に、われわれはその先頭に立って闘うことを宣言します。
最後に人類史上の最初に原子爆弾の惨禍を経験した広島市民として「原子爆弾の廃棄」を要求します。
1949年10月2日
国際平和闘争デー 平和擁護広島大会
出典:『ひろしま民報』第19号(1949年10月10日)
広島県立文書館の特別展の展示より | |
広島市における原爆障害者対策に関する調査概要(参議院社会労働委員会調査室、1956年1月)
目次
章節 | 見出し | 備考 |
1 | 参議院社会労働委員の現地調査 | |
1-1 | 視察委員 | 参議院議員 :谷口弥三郎・山下義信 |
1-2 | 視察日程概況 | 1月6日~7日 |
1-3 | 調査項目 | |
2 | 原爆障害者治療対策の概要 | |
2-1 | 原爆障害者の調査 | |
2-2 | 原爆障害者の一斉診察 | |
2-3 | 原爆障害者治療対策協議会の発足 | |
2-4 | 治療活動の開始 | |
2-5 | 治療資金の確保 | |
2-6 | 原爆障害者実態調査状況 | |
2-7 | 診察状況 | |
2-8 | 治療状況 | |
3 | 原爆被爆者の健康管理問題 | |
3-1 | 被爆生存者の数 | |
3-2 | 原爆後遺症による死亡者 | |
3-3 | 健康管理の必要 | |
4 | 原爆障害者の生活保護関係 | |
4-1 | 生活保護法の適用を受けている世帯と原爆との関係に関する調査報告 | |
4-2 | 調査結果概況 | |
4-3 | 保護費支給状況 | |
4-4 | 身体障害者手帖の交付を受けているもの | |
(参考)原爆被爆生存者数 | ||
5 | 原爆犠牲者に対する遺族援護法適用状況 | |
5-1 | 援護法、恩給法事務進捗状況 | |
5-2 | 原爆犠牲者年金等要求について原爆死没者者援護に関する陳情経過 | |
5-3 | 原爆犠牲者(軍人を除く)弔慰金支給状況表 | |
6 | 原爆影響研究所(ABCC)の概況 | 7日午前10時両委員はABCCを訪問 |
6-1 | 名称 | |
6-2 | 設置の経過 | |
6-3 | 性格 | |
6-4 | 目的 | |
6-5 | 調査の状況 | |
6-6 | 治療方面について | |
6-7 | 職員 | 米国側職員50名、日本側淑員800名 |
6-8 | ABCCに対する日本政府の協力 | |
ABCC所長宛山下議員発書翰(1956年1月20日) | ||
7 | 原爆傷害対策問題に関する懇談会における主要な要望 | |
8 | 地元の陳情 | |
8-1 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法改正に関する要望 | |
8-2 | 原爆障害者治療費等に関する要望 | |
9 | 原爆障害者に対する治療法確立のための国の財政措置 | |
9-1 | 放射能被害調査研究委託費 | |
9-2 | 昭和29年度における広島、長崎両県被爆者の治療法を確立するための調査研究委託事業実施の概要 |
『資料調査通信』(広島大学付属原爆放射能医学研究所資料調査室、第1号(1981年8月号)-第94号(1991年5・6月号)
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (1)1945年10月~12月 | 1 | 2 | |
1 | 8 | 被爆問題年表 | 1981年8月 | 3 | 10 | |
1 | 8 | 文献・図書資料 | 1981年8月受け入れ分 | 11 | 15 | |
2 | 9 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (2)1946年 | 1 | 5 | |
2 | 9 | メモ | ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」とビキニ原爆実験 | 5 | 0 | |
2 | 9 | 被爆問題年表 | 1981年9月 | 6 | 9 | |
2 | 9 | 文献・図書資料 | 1981年9月受け入れ分 | 10 | 14 | |
3 | 1 | 10 | 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 | 収集資料一覧 単行本の部 | 3 | 12 |
3 | 1 | 10 | 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 | 収集資料一覧 逐次刊行物の部 | 12 | 22 |
3 | 10 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (3)1947-1953年 | 1 | 9 | |
3 | 10 | メモ | パールハーバーとヒロシマ | 9 | 0 | |
3 | 10 | 被爆問題年表 | 1981年10月 | 10 | 15 | |
3 | 10 | トピック | 国連軍縮週間 | 15 | 16 | |
3 | 10 | 文献・図書資料 | 1981年10月受け入れ分 | 17 | 20 | |
4 | 11 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (4)1954-1958年6月 | 1 | 8 | |
4 | 11 | 被爆問題年表 | 1981年11月 | 9 | 14 | |
4 | 11 | 文献・図書資料 | 1981年11月受け入れ分 | 15 | 18 | |
5 | 12 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(1)「まどうてくれ」 | 1 | 8 | |
5 | 12 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (5)1958年7月-1959年 | 9 | 11 | |
5 | 12 | メモ | 原爆被爆者の死亡発表 | 11 | 11 | |
5 | 12 | 被爆問題年表 | 1981年12月 | 12 | 18 | |
5 | 12 | トピック | ―「老人保健法」案と原爆医療法― | 18 | 19 | |
5 | 12 | 文献・図書資料 | 1981年12月受け入れ分 | 20 | 22 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
6 | 1 | 1 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(2)原水爆禁止大会 | 1 | 21 |
6 | 1 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (6)1960年 | 1 | 2 | |
6 | 1 | 被爆問題年表 | 1982年1月 | 3 | 8 | |
6 | 1 | 連載記事一覧 | 1981年 | 9 | 12 | |
6 | 1 | 文献・図書資料 | 1982年1月受け入れ分 | 13 | 22 | |
7 | 3 | 2 | まどうてくれ | 藤居メモ(1)1955年11月ー1956年3月 | 1 | 21 |
7 | B | 2 | 原爆障害症研究文献目録 | ―渡辺 漸氏より借用分― | 1 | 21 |
7 | 1 | 2 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(3)原爆被害者の救援と組織 | 1 | 17 |
7 | 2 | 2 | まどうてくれ | 資料 | 18 | 40 |
7 | 2 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (7)1961-1964年 | 1 | 4 | |
7 | 2 | 被爆問題年表 | 1982年2月 | 5 | 12 | |
7 | 2 | 文献・図書資料 | 1982年2月受け入れ分 | 13 | 16 | |
8 | 1 | 3 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(4)広島県被団協 | 1 | 14 |
8 | 2 | 3 | まどうてくれ | 資料 | 14 | 58 |
8 | 3 | 3 | まどうてくれ | 藤居メモ (2)1956年3月~7月 | 1 | 31 |
8 | 3 | 被爆問題年表 | 1982年3月 | 1 | 13 | |
8 | 3 | 被爆問題年表 | 1982年4月 | 14 | 25 | |
8 | 3 | 「反核・軍縮の決議・意見書・宣言を採択した地方議会一覧」 | 26 | 33 | ||
8 | 3 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (8)1965-1971年 | 34 | 43 | |
8 | 3 | 文献・図書資料 | 1982年3・4月受け入れ分 | 44 | 52 | |
9 | 1 | 5 | まどうてくれ | 資料特集 1956年8月6日 第3回原水爆禁止広島大会,他 | 1 | 21 |
9 | 2 | 5 | まどうてくれ | 資料特集 くずれぬ平和を 8.6広島大会被害者大会議事録[抄] | 1 | 19 |
9 | 3 | 5 | まどうてくれ | 資料特集 第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | 1 | 19 |
9 | 5 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (9)1972-1976年(連載終わり) | 1 | 5 | |
9 | 5 | 被爆問題年表 | 1982年5月 | 6 | 21 | |
9 | 5 | トピック | 5月13日の宮沢官房長官の衆院外務委での答弁について | 21 | 21 | |
9 | 5 | 文献・図書資料 | 1982年5月受け入れ分 | 22 | 24 | |
10 | 6 | 国会論議の中の原爆被害 | (1)第55回特別国会 1967年2月15日~7月21日 | 1 | 5 | |
10 | 6 | 被爆問題年表 | 1982年6月 | 6 | 21 | |
10 | 6 | 連載記事一覧 | 1982年上半期 | 22 | 25 | |
10 | 6 | 文献・図書資料 | 1982年6月受け入れ分 | 26 | 34 | |
11 | 7 | 国会論議の中の原爆被害 | (2)第56回~第60回国会 1967年7月12日~1968年12月21日 | 1 | 8 | |
11 | 7 | 被爆問題年表 | 1982年7月 | 9 | 20 | |
11 | 7 | 文献・図書資料 | 1982年7月受け入れ分 | 21 | 26 | |
12 | 8 | 国会論議の中の原爆被害 | (3)第61・62第国会 1968年12月27日~1969年12月2日 | 1 | 8 | |
12 | 8 | 被爆問題年表 | 1982年8月 | 9 | 25 | |
12 | 8 | 文献・図書資料 | 1982年8月受け入れ分 | 26 | 37 | |
13 | 9 | 国会論議の中の原爆被害 | (4)第63・64回国会 1970年1月14日~12月18日 | 1 | 5 | |
13 | 9 | 被爆問題年表 | 1982年9月 | 6 | 11 | |
13 | 9 | トピック | ―「週間明星」の“事実誤認記事”について― | 12 | 13 | |
13 | 9 | 文献・図書資料 | 1982年9月受け入れ分 | 14 | 24 | |
14 | 10 | 国会論議の中の原爆被害 | (5)第65-67回国会 1970年12月26日~1971年12月17日 | 1 | 6 | |
14 | 10 | メモ | ―「被爆二世の遺族から体験を聞く会」とは? | 16 | 16 | |
14 | 10 | 被爆問題年表 | 1982年10月 | 7 | 16 | |
14 | 10 | 文献・図書資料 | 1982年10月受け入れ分 | 17 | 21 | |
15 | 11 | 国会論議の中の原爆被害 | (6)第68-70回国会 1971年12月29日~1972年11月13日 | 1 | 6 | |
15 | 11 | 被爆問題年表 | 1982年11月 | 7 | 14 | |
15 | 11 | 文献・図書資料 | 1982年11月受け入れ分 | 15 | 22 | |
16 | 12 | 国会論議の中の原爆被害 | (7)第71-74回国会 1972年12月22日~1974年12月25日 | 1 | 10 | |
16 | 12 | トピック | ―「被爆者対策予算」について― | 17 | 17 | |
16 | 12 | 被爆問題年表 | 1982年12月 | 11 | 17 | |
16 | 12 | 連載記事一覧 | 1982年下半期 | 18 | 20 | |
16 | 12 | 文献・図書資料 | 1982年12月受け入れ分 | 21 | 29 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
17 | 1 | 国会論議の中の原爆被害 | (8)第75-78回国会 1974年12月27日~1976年11月4日 | 1 | 9 | |
17 | 1 | トピック | ―「広島・長崎訪問者について」― | 14 | 14 | |
17 | 1 | 被爆問題年表 | 1983年1月 | 10 | 13 | |
17 | 1 | 1982年新聞報道による「広島・長崎訪問者一覧」(外国人のみ) | 14 | 15 | ||
17 | 1 | 文献・図書資料 | 1983年1月受け入れ分 | 16 | 22 | |
18 | 2 | 国会論議の中の原爆被害 | (9)第79-83回国会 1976年12月24日~1977年12月10日 | 1 | 6 | |
18 | 2 | 被爆問題年表 | 1983年2月 | 7 | 13 | |
18 | 2 | 文献・図書資料 | 1983年2月受け入れ分 | 14 | 18 | |
19 | 3 | 国会論議の中の原爆被害 | (10)第84-86回国会 1977年12月19日~1978年12月12日 | 1 | 9 | |
19 | 3 | 被爆問題年表 | 1983年3月 | 10 | 17 | |
19 | 3 | 文献・図書資料 | 1983年3月受け入れ分 | 18 | 28 | |
20 | 4 | 国会論議の中の原爆被害 | (補)第54回国会以前 | 1 | 11 | |
20 | 4 | トピック | ―ひろしまフラワーフェスティバルと自衛隊パレード― | 18 | 18 | |
20 | 4 | 被爆問題年表 | 1984年4月 | 12 | 17 | |
20 | 4 | 文献・図書資料 | 1983年4月受け入れ分 | 19 | 26 | |
21 | 5 | 特集: | 被爆後1年間の広島~慰霊行事表 | 1 | 9 | |
21 | 5 | 新聞によるミニ原爆映画史 | No.1映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1967.5~1968.1 | 10 | 14 | |
21 | 5 | 被爆問題年表 | 1983年5月 | 15 | 22 | |
21 | 5 | 文献・図書資料 | 1983年5月受け入れ分 | 23 | 40 | |
22 | 6 | 新聞によるミニ原爆映画史 | No.2 映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1968年 | 8 | 11 | |
22 | 6 | 特集: | 報道・原爆被爆者の死 | 1 | 7 | |
22 | 6 | 被爆問題年表 | 1983年6月 | 12 | 22 | |
22 | 6 | 文献・図書資料 | 1983年6月受け入れ分 | 23 | 34 | |
23 | 7 | 国会論議の中の原爆被害 | (11)第25-41回国会 1956年11月12日~1962年9月2日 | 1 | 12 | |
23 | 7 | 被爆問題年表 | 11983年7月 | 13 | 29 | |
23 | 7 | 文献・図書資料 | 1983年7月受け入れ分 | 30 | 40 | |
24 | 8 | 国会論議の中の原爆被害 | (12)第42-54回国会 1962年12月8日~1966年12月27日(連載終わり) | 1 | 13 | |
24 | 8 | 文献・図書資料 | 1983年8月受け入れ分 | 14 | 31 | |
24 | 8 | 新聞によるミニ原爆映画史 | No.3 1969年2月~1982年10月 | 32 | 39 | |
24 | 8 | 被爆問題年表 | 1983年8月 | 40 | 65 | |
25 | 2 | 9 | まどうてくれ | 資料特集 1956年8~9月 | 1 | 27 |
25 | 1 | 9 | まどうてくれ | 藤居メモ(3)1956年8~9月 | 1 | 27 |
25 | 9 | 被爆問題年表 | 1983年9月 | 1 | 9 | |
25 | 9 | 文献・図書資料 | 1983年9月受け入れ分 | 10 | 24 | |
26 | 1 | 10 | まどうてくれ | 資料特集 1956年10~12月 | 1 | 57 |
26 | 10 | 被爆問題年表 | 1983年10月 | 1 | 10 | |
26 | 10 | トピック | ―「レーガン招請運動」 反核で盛り上がる西欧の裏側で― | 11 | 15 | |
26 | 10 | 文献・図書資料 | 1983年10月受け入れ分 | 16 | 26 | |
27 | 1 | 11 | まどうてくれ | 藤居メモ(4)1957年1~2月 | 1 | 24 |
27 | 2 | 11 | まどうてくれ | (4)1957年1月~2月 資料つづき | 25 | 54 |
27 | 11 | 被爆問題年表 | 1983年11月 | 1 | 9 | |
27 | 11 | 文献・図書資料 | 1983年11月受け入れ分 | 10 | 21 | |
28 | 12 | 被爆問題年表 | 1983年12月 | 1 | 7 | |
28 | 12 | 連載記事一覧 | 1983年 | 8 | 14 | |
28 | 12 | 文献・図書資料 | 1983年12月受け入れ分 | 15 | 27 | |
28 | 1 | 12 | まどうてくれ | 藤居メモ及び関連資料(5)1957年3~5月 | 1 | 30 |
28 | 2 | 12 | まどうてくれ | 藤井メモ及び関連資料 「「(5)1957年3月~5月 | 30 | 65 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
29 | 1 | 1 | まどうてくれ | 資料特集 第3回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | 1 | 34 |
29 | 1 | 被爆問題年表 | 1984年1月 | 1 | 5 | |
29 | 1 | 文献・図書資料 | 1984年1月受け入れ分 | 6 | 18 | |
30 | 2 | 被爆問題年表 | 1984年2月 | 1 | 8 | |
30 | 2 | 文献・図書資料 | 1984年2月受け入れ分 | 9 | 18 | |
31 | 3 | 文献・図書資料 | 1984年3月受け入れ分 | 1 | 3 | |
31 | 3 | 被爆問題年表 | 1984年3月 | 4 | 12 | |
31 | 3 | ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 | ①1955~1964年 | 13 | 19 | |
32 | 1 | 4 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (1)1945~1953年 | 1 | 15 |
32 | 4 | 文献・図書資料 | 1984年4月受け入れ分 | 1 | 11 | |
32 | 4 | 被爆問題年表 | 1984年4月 | 12 | 20 | |
32 | 4 | ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 | ②1965~1974年 | 21 | 25 | |
33 | 5 | 文献・図書資料 | 1984年4月受け入れ分 | 1 | 5 | |
33 | 5 | 被爆問題年表 | 1984年5月 | 6 | 17 | |
33 | 5 | ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 | ③1975~1984年(連載終り) | 18 | 26 | |
34 | 6 | 被爆問題年表 | 1984年6月 | 1 | 12 | |
34 | 6 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (2)1954~1956年 | 13 | 24 | |
35 | 1 | 7 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (3)1957~1962年 | 1 | 22 |
35 | 7 | 文献・図書資料 | 1984年6月受け入れ分 | 1 | 19 | |
35 | 7 | 被爆問題年表 | 1984年7月 | 20 | 35 | |
36 | 1 | 8 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (4)1963~1965年 | 1 | 22 |
36 | 8 | 被爆問題年表 | 1984年8月 | 1 | 22 | |
37 | 1 | 10 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (5)1966~1969年 | 1 | 22 |
37 | 9 | 被爆問題年表 | 1984年9月 | 1 | 8 | |
37 | 9 | 被爆問題年表 | 1984年10月 | 9 | 18 | |
38 | 1 | 11 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (6)1970~1971年 | 1 | 26 |
38 | 2 | 11 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (7)1972~1974年 | 1 | 29 |
38 | 11 | 被爆問題年表 | 1984年11月 | 1 | 9 | |
38 | 11 | ―新聞報道による「全国平和教育シンポジウム」の歩み | 10 | 11 | ||
38 | 11 | 「「新聞報道による「全国平和教育シンポジウム」一覧 | 第1回(1973年)~第12回(1984年) | 12 | 16 | |
39 | 1 | 12 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (8)1975~1976年 | 1 | 27 |
39 | 12 | 被爆問題年表 | 1984年12月 | 1 | 10 | |
39 | 12 | 連載記事一覧 | 1984年 | 11 | 32 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
40 | 1 | 2 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (9)1977~1978年 | 1 | 22 |
40 | 1 | 被爆問題年表 | 1985年1月 | 1 | 7 | |
40 | 1 | 被爆問題年表 | 1985年2月 | 8 | 15 | |
41 | 3 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (10)1979~1980年 | 1 | 23 | |
41 | 3 | 被爆問題年表 | 1985年3月 | 1 | 11 | |
42 | 1 | 4 | 文献・図書資料 | 1984年7月~12月受け入れ分 図書の部 | 3 | 37 |
42 | 2 | 4 | 文献・図書資料 | 1984年7月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 | 38 | 69 |
42 | 3 | 4 | 被爆問題年表 | 1985年4月 | 70 | 81 |
42 | 3 | 4 | トピック | ―「被爆証人捜し」1972(昭和47年)~ (「被爆証人捜し」一覧 P.84~) | 82 | 86 |
43 | 1 | 5 | 資料:原爆報道 社説一覧 | 中国新聞(1945年~1984年) | 1 | 28 |
43 | 2 | 5 | 資料:原爆報道 社説一覧 | 朝日・毎日・読売(1945~1984年) | 1 | 50 |
43 | 3 | 5 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (11)補遺 (1945ー1984年) | 1 | 19 |
43 | 5 | 被爆問題年表 | 1985年5月 | 1 | 12 | |
44 | 6 | 被爆問題年表 | 1985年6月 | 1 | 16 | |
45 | 6 | 被爆問題年表 | 1985年7月 | 1 | 20 | |
46 | 8 | 被爆問題年表 | 1985年8月 | 1 | 32 | |
46 | 8 | 被爆問題年表 | 1985年7月補遺 | 33 | 33 | |
46 | 8 | 被爆40年 原爆報道 | ローカル紙の8・6社説 | 34 | 35 | |
46 | 8 | 被爆40年 原爆報道 | ローカル紙の8・6連載 | 36 | 39 | |
46 | 8 | トピック | 反核意見広告(掲載紙・掲載日・頁・広告主) | 40 | 40 | |
47 | 9 | 被爆問題年表 | 1985年9月 | 1 | 9 | |
47 | 9 | 資料:原爆報道 | 政党紙連載一覧 | 10 | 21 | |
48 | 10 | 被爆問題年表 | 1985年10月 | 1 | 14 | |
49 | 1 | 11 | 被爆問題年表 | 1985年11月 | 1 | 8 |
49 | 1 | 11 | 被爆問題年表 | 1985年12月 | 9 | 16 |
49 | 2 | 11 | 連載記事一覧 | 1985年 | 17 | 57 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
50 | 1 | 1 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | 長崎編(1945ー1984) | 1 | 48 |
50 | 1 | 被爆問題年表 | 1986年1月 | 1 | 7 | |
50 | 1 | 資料調査通信索引 | (1~50号) (別紙リーフレット) | 1 | 2 | |
50 | 1 | 原爆関連テレビ番組一覧 | 1985年 | 8 | 18 | |
51 | 2 | 被爆問題年表 | 1986年2月 | 1 | 6 | |
51 | 2 | 被爆問題年表 | 1986年3月 | 7 | 14 | |
51 | 2 | 原爆関係新聞社説・投書一覧 | 「「中国・朝日・毎日・読売・長崎「「1985年 | 15 | 24 | |
52 | 4 | 被爆問題年表 | 1986年4月 | 1 | 8 | |
52 | 4 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (9)1977-1983年 | 9 | 13 | |
52 | 4 | 原爆関連テレビ番組一覧 | (1982-1984年) 原医研ビデオ所蔵分 | 14 | 18 | |
53 | 5 | 被爆問題年表 | 1986年5月 | 1 | 10 | |
53 | 5 | トピック | 原爆供養塔の遺骨をめぐって | 11 | 11 | |
53 | 5 | トピック | 新聞による年表―原爆供養塔の遺骨引き渡し(1968ー1985年) | 12 | 16 | |
54 | 6 | 被爆問題年表 | 1986年6月 | 1 | 9 | |
54 | 6 | 被爆後1年間の長崎-慰霊行事表 | 10 | 12 | ||
54 | 6 | 被爆後1年間の長崎-慰霊行事表 | 弔辞と1945-1952年の関係記事 | 13 | 23 | |
55 | 7 | 被爆問題年表 | 1986年7月 | 1 | 15 | |
55 | 7 | 被爆者対策史 | 年表 1945(昭和20)年 | 16 | 22 | |
56 | 8 | 被爆問題年表 | 1986年8月 | 1 | 25 | |
57 | 9 | 被爆問題年表 | 1986年9月 | 1 | 6 | |
57 | 9 | 被爆者対策史 | 年表 (2)1946-1948年 | 7 | 18 | |
58 | 10 | 被爆問題年表 | 1986年10月 | 1 | 8 | |
58 | 10 | 被爆者対策史 | 年表 (3)1949-1950年 | 9 | 16 | |
59 | 11 | 被爆問題年表 | 1986年11月 | 1 | 7 | |
59 | 11 | 被爆問題年表 | 1986年12月 | 8 | 13 | |
59 | 11 | 連載記事一覧 | 1986年 | 14 | 29 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
60 | 1 | 被爆問題年表 | 1987年1月 | 1 | 5 | |
60 | 1 | 被爆問題年表 | 1987年2月 | 6 | 11 | |
60 | 1 | 被爆者対策史 | 年表 (4)1951-1952年 | 12 | 20 | |
61 | 3 | 被爆問題年表 | 1987年3月 | 1 | 7 | |
61 | 3 | トピック | 新聞報道による「広島長崎訪問者一覧」 (1983ー1986年) | 8 | 18 | |
62 | 4 | 被爆問題年表 | 1987年4月 | 1 | 6 | |
62 | 4 | 原爆関係新聞社説・投書一覧 | 「「中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞「「1986年 | 7 | 13 | |
62 | 4 | ローカル紙の8.6社説 | 1986年 | 14 | 15 | |
63 | 5 | 被爆問題年表 | 1987年5月 | 1 | 9 | |
63 | 5 | 被爆問題年表 | 1987年6月 | 10 | 19 | |
63 | 5 | トピック | 厚生省の被爆者実態調査結果の報道(1965・1975・1985年調査分) | 20 | 23 | |
64 | 7 | 被爆問題年表 | 1987年7月 | 1 | 14 | |
65 | 8 | 被爆問題年表 | 1987年8月 | 1 | 20 | |
65 | 8 | ローカル紙の8.6社説 | 1987年 | 21 | 22 | |
66 | 9 | 被爆問題年表 | 1987年9月 | 1 | 5 | |
66 | 9 | 被爆者対策史 | 年表 (5)1953年 | 6 | 14 | |
66 | 9 | 被爆者対策史 | 年表 掲載号一覧 | 15 | 15 | |
66 | 1 | 9 | 文献・図書資料 | 1985年1月~12月受入れ分 図書の部 | 1 | 41 |
66 | 2 | 9 | 文献・図書資料 | 1985年1月~12月受け入れ分 図書の部 | 42 | 65 |
66 | 3 | 9 | 文献・図書資料 | 1985年1月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 | 66 | 86 |
67 | 10 | 被爆問題年表 | 1987年10月 | 1 | 8 | |
67 | 10 | 被爆問題年表 | 1987年11月 | 9 | 14 | |
67 | 10 | 被爆者対策史 | 資料(1)八者協に見る被爆者研究への要望 | 15 | 25 | |
68 | 12 | 被爆問題年表 | 1987年12月 | 1 | 7 | |
68 | 12 | 連載記事一覧 | 1987年 Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 | 8 | 14 | |
68 | 12 | 連載記事一覧 | 1987年 Ⅱ.ローカル紙 | 15 | 17 | |
68 | 12 | 連載記事一覧 | 1987年 Ⅲ.政党紙 | 18 | 20 | |
68 | 1 | 12 | 被爆者対策史 | 資料 (2)原爆症研究の再開 A.予研年報にみるABCC略史 | 1 | 31 |
68 | 2 | 12 | 被爆者対策史 | 資料(2) B.都築正男資料にみる文部省原子爆弾災害調査研究班の発足 | 32 | 50 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
69 | 1 | 被爆問題年表 | 1988年1月 | 1 | 4 | |
69 | 1 | 被爆問題年表 | 1988年2月 | 5 | 10 | |
69 | 1 | 原爆関係社説・投書一覧 | ―中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞―1987年 | 11 | 17 | |
70 | 3 | 被爆者対策史 | 年表 (6)1954年 | 1 | 16 | |
70 | 3 | 被爆者対策史 | 年表 掲載号一覧 | 16 | 16 | |
70 | 3 | 被爆問題年表 | 1988年3月 | 17 | 23 | |
71 | 4 | 被爆問題年表 | 1988年4月 | 1 | 8 | |
71 | 4 | 被爆問題年表 | 1988年5月 | 9 | 17 | |
71 | 1 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受入れ分 | 1 | 39 |
71 | 2 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受け入れ分 図書の部 | 40 | 75 |
71 | 3 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受け入れ分 図書の部 | 76 | 115 |
71 | 4 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 | 16 | 145 |
72 | 6 | 被爆問題年表 | 1988年6月 | 1 | 10 | |
72 | 6 | 被爆問題年表 | 1988年7月 | 11 | 21 | |
73 | 8 | 被爆者対策史 | 年表 (7)1955年 | 1 | 14 | |
73 | 8 | 被爆問題年表 | 1988年8月 | 15 | 35 | |
74 | 9 | 被爆問題年表 | 1988年9月 | 1 | 6 | |
74 | 9 | 被爆問題年表 | 1988年10月 | 7 | 13 | |
74 | 1 | 9 | 被爆者対策史 | -資料(3)- 「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向 1978~1988 | 1 | 42 |
75 | 11 | 被爆問題年表 | 1988年11月 | 1 | 7 | |
75 | 11 | 被爆問題年表 | 1988年12月 | 8 | 15 | |
75 | 11 | 連載記事一覧 | ―中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞―1988年 | 16 | 27 | |
75 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅱ.ローカル紙 1987年 | 25 | 31 | |
75 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅲ.政党紙 1987年 | 32 | 37 | |
75 | 11 | 訂正 | 資料調査通信1988年9・10月号分 | 38 | 38 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
76 | 1 | 被爆問題年表 | 1989年1月 | 1 | 6 | |
76 | 1 | 原爆関係新聞社説一覧 | 1988年 Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞― | 7 | 8 | |
77 | 2 | 原爆関係社説一覧 | 1988年 Ⅱ.ローカル紙 | 9 | 9 | |
76 | 1 | 原爆関係新聞投書一覧 | 1988年 中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 | 10 | 15 | |
77 | 2 | 被爆問題年表 | 1989年2月 | 1 | 8 | |
77 | 3 | 被爆問題年表 | 1989年3月 | 9 | 17 | |
78 | 4 | 被爆者対策史 | 年表 (8)1956年 | 1 | 30 | |
78 | 4 | 被爆者対策史 | 年表 掲載号一覧 | 31 | 31 | |
78 | 4 | 被爆問題年表 | 1989年4月 | 32 | 37 | |
79 | 5 | 被爆問題年表 | 1989年5月 | 1 | 11 | |
79 | 1 | 5 | 文献・図書資料 | 1987年1月~12月受入れ分 図書の部 | 1 | 40 |
79 | 2 | 5 | 文献・図書資料 | 1987年1月~12月受入れ分 図書の部 | 41 | 87 |
79 | 3 | 5 | 文献・図書資料 | 1987年1月~12月受入れ分 逐次刊行物の部 | 88 | 117 |
80 | 6 | 被爆問題年表 | 1989年 6月 | 1 | 9 | |
80 | 1 | 6 | 文献・図書資料 | 1988年1月~12月受入れ分 図書の部 | 1 | 52 |
80 | 2 | 6 | 文献・図書資料 | 1988年1月~12月受入れ分 逐次刊行物の部 | 53 | 76 |
81 | 7 | 被爆問題年表 | 1989年7月 | 1 | 13 | |
81 | 8 | 被爆問題年表 | 1989年8月 | 14 | 34 | |
82 | 9 | 被爆問題年表 | 1989年9月 | 1 | 7 | |
82 | 10 | 被爆問題年表 | 1989年10月 | 8 | 17 | |
82 | 10 | トピック | 第9回核戦争防止国際医師会議(IPPNW)世界大会 ―特集記事一覧― | 18 | 22 | |
82 | 1 | 10 | 原爆手記掲載書・誌目録 | 1946(昭和21年)~1974(昭和49年) | 1 | 36 |
82 | 2 | 10 | 原爆手記掲載書・誌目録 | 1975(昭和50年)~1984(昭和59年) | 37 | 77 |
82 | 3 | 10 | 原爆手記掲載書・誌目録 | 1985(昭和60年)~1989(平成 1年) | 78 | 104 |
83 | 11 | 被爆問題年表 | 1989年11月 | 1 | 8 | |
83 | 11 | 被爆問題年表 | 1989年12月 | 9 | 15 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 1989年 | 16 | 38 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅱ.ローカル紙 1989年 | 39 | 43 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅱ.ローカル紙 補遺(1986~1988) | 44 | 45 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅲ.政党紙 1989年 | 46 | 49 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
84 | 1 | 被爆問題年表 | 1990年1月 | 1 | 6 | |
84 | 1 | 原爆関係新聞社説・投書一覧 | 1989年 | 7 | 14 | |
85 | 2 | 被爆問題年表 | 1990年2月 | 1 | 5 | |
85 | 2 | 被爆問題年表 | 1990年3月 | 6 | 12 | |
85 | 2 | 被爆問題年表 | 1990年4月 | 13 | 19 | |
85 | 2 | 特集 | 新聞記事による被爆韓国人・被爆問題年表 (1)1989年 | 20 | 24 | |
86 | 5 | 被爆問題年表 | 1990年5月 | 1 | 8 | |
86 | 5 | 被爆問題年表 | 1990年6月 | 9 | 18 | |
86 | 5 | 特集 | 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(2)1988年 | 19 | 21 | |
87 | 7 | 被爆問題年表 | 1990年7月 | 1 | 14 | |
87 | 7 | 特集 | 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(3)1982年-1987年 | 15 | 28 | |
88 | 8 | 被爆問題年表 | 1990年8月 | 1 | 25 | |
88 | 9 | 被爆問題年表 | 1990年9月 | 26 | 31 | |
89 | 10 | 被爆問題年表 | 1990年10月 | 1 | 9 | |
89 | 11 | 被爆問題年表 | 1990年11月 | 10 | 17 | |
90 | 12 | 被爆問題年表 | 1990年12月 | 1 | 7 | |
90 | 12 | 被爆問題年表 | 1990年補遺 | 8 | 10 | |
90 | 12 | 1990年連載記事一覧 | 11 | 34 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
91 | 1 | 被爆問題年表 | 1991年1月 | 1 | 7 | |
91 | 1 | 1990年原爆関係新聞社説・投書一覧 | 8 | 18 | ||
92 | 2 | 被爆問題年表 | 1991年2月 | 1 | 8 | |
92 | 3 | 被爆問題年表 | 1991年3月 | 9 | 15 | |
92 | 3 | トピック | 新聞報道による「広島・長崎訪問者一覧」 | 16 | 30 | |
93 | 4 | 被爆問題年表 | 1991年4月 | 1 | 10 | |
93 | 4 | トピック | ソ連大統領の長崎訪問 | 11 | 15 | |
94 | 5 | 被爆問題年表 | 1991年5月 | 1 | 10 | |
94 | 6 | 被爆問題年表 | 1991年6月 | 11 | 19 |
Y.SCOTT Matsumoto,Ph.D.「原爆の被爆者に及ぼした社会的影響 広島・長崎」(『原爆傷害調査委員会 業績報告書』 TECHNICAL REPORT 12-69)April 1969承認
(以下抜粋)
本報告は、1967年1月18-21日、New Jersey 州 Princeton 市において開かれたニューヨーク科学アカデミー主催の会議 ”Interdisciplinary Communication Program” に発表するために準備した覚え書きをまとめたもの。
緒言
*過去年間にわたって継続している両市におけるマスコミの影響と効果
*1946年以来の両市のおもなできごと<継続的に絶えず大きく報道され、その結果、被爆者の不安をいっそう増大>を簡単にのべてみる
1945-67年のおもなできごと
年 | できごと |
1945 | 70年間一切の生物の棲息不可能。都築の診察開始。米国陸海軍合同調査団結成 |
1946 | Henshaw, Brues, Block, Neel, Ullrichからなる調査団の広島。長崎訪問 |
1947 | 3月、Neelが広島赤十字病院に事務所を開設、ABCCの活動が実際に始まる。12月、天皇の広島訪問。 |
1948 | 特記すべきことなし。 |
1949 | |
1966 | 映画「ヒロシマ1966」 |
1967 | 映画「愛と死の記録」、映画「千曲川絶唱」(3月封切) |
解説および考察
表 | ||
1 | ||
2 | ||
3 | ||
4 | ||
5 | 成人健康調査における医療社会ケースワーク:被爆区分・都市別、第3診察周期、1962-64 | |
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8 | ||
9 |
要約
**健康・寿命・結婚・転住、その他の社会的要因に関する統計を提示したが、これらの統計資料は、一般にいわれている被爆者の自殺、結婚における傾向についての概念を裏づけず、時には否定する結果を示した。
国立予防衛生研究所 1957年5月21日設立
年報目次(抄)
年度 | 章節 | 見出し | 備考(抄録) |
1947 | 1 | 沿革 | |
1-1 | 誕生 | ||
1-2 | 設立の趣旨及び機能 | ||
1-3 | 予研の将来 | ||
1-4 | 運営方針 | ||
1948 | 原子爆弾影響の医学的調査に関する米国Atomic Bomb Casualty Commision (ABCC)との協同研究 | ||
1949 | Ⅶ | 原子爆弾影響研究所 | |
1950 | Ⅳ | 原子爆弾影響研究所その他における協力 | |
1951 | Ⅵ | 原子爆弾影響研究 | |
1952 | ⅩⅤ | 広島・長崎支所 | |
1953 | ⅩⅤ | 広島・長崎支所 | |
1953 | ⅩⅥ | 原爆症調査研究協議会 | |
1954 | ⅩⅣ | 放射能研究委員会 | |
1954 | ⅩⅥ | 広島・長崎支所 | |
1954 | ⅩⅦ | 原爆症調査研究協議会 | |
1955 | ⅩⅣ | 放射能研究委員会 | |
1955 | ⅩⅥ | 広島・長崎支所 | |
1956 | ⅩⅣ | 放射能研究委員会 | |
1956 | ⅩⅥ | 広島・長崎支所 | |
1957 | ⅩⅤ | 放射能研究委員会 | |
1957 | ⅩⅦ | 広島・長崎支所 | |
1958 | ⅩⅤ | 放射能研究委員会 | |
1958 | ⅩⅦ | 広島・長崎支所 | |
1959 | ⅩⅤ | 放射能研究委員会 | |
1959 | ⅩⅦ | 広島・長崎支所 | |
1960 | ⅩⅦ | 広島・長崎支所 | |
1961 | ⅩⅧ | 広島・長崎支所 | |
1962 | ⅩⅧ | 広島・長崎支所 | |
1963 | ⅩⅨ | 広島・長崎支所 | |
1964 | ⅩⅨ | 広島・長崎支所 | |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
20.09.04 | *88 衆 | 01 02 04 | 決議案(皇軍将兵竝国民勤勞戦士ニ対スル感謝敬弔ニ關スル件)(金光庸夫外119名提出) | [趣旨弁明]高橋守平 | [全会一致可決]。原子爆弾 |
20.09.04 | *88 衆 | 01 03 | [小川郷太郎・森田福市・古田喜三太・田中勝之 の4議員への]弔詞贈呈 | 島田俊雄助 | [森田・古田・田中議員は原子爆弾のため死亡] |
20.09.04 | *88 貴 | 01 02 03 | 聖旨奉體ニ關スル決議案[公爵島津忠重外7名発議] | [趣旨説明]若槻礼次郎 | [全会一致可決]。「戦慄スベキ爆弾」、広島・長崎 |
20.09.04 | *88 貴 | 01 03 04 | 帰還将兵ニ對スル感謝決議案(公爵島津忠重外6名発議) | [趣旨説明]島津忠重 | [全会一致可決]原子爆弾 |
20.09.06 | *88 衆 | 02 05 08 | [9月5日]大東亞戰争ヲ不利ナル終結ニ導キタル原因竝其ノ責任ノ所在ヲ明白ニスル爲政府ノ執ルベキ措置ニ関スル質問主意書[及び]答辨書 | [質問主意書、9月4日付]芦田均、[答弁書、9月5日付] | 原子爆弾 |
20.09.06 | *88 衆 | 02 09 13 | [9月5日]國務大臣ノ演説 | 稔彦王 | 原子爆弾、広島、長崎 |
20.09.06 | *88 衆 | 02 13 17 | [9月5日]國務大臣ノ演説ニ對スル質疑 | 東郷実 | 「原子爆弾ノ被害等ニ付キマシテハ更ニ詳細ニ発表 シ・・・」 |
20.09.06 | *88 衆 | 02 17 18 | [9月5日]承詔必謹決議案(町田忠治外122名提出) | [趣旨弁明]町田忠治 | [全会一致可決]。「殆ド人類史上ニ似類ナキ悽絶ナル爆弾」 |
20.09.06 | *88 貴 | 02 01 04 | [9月5日]國務大臣ノ演説ニ關スル件 | 内閣總理大臣稔彦王 | 原子爆弾、広島、長崎 |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
20.12.14 | *89 衆 | 13 201 204 | [12月14日]戰災復興促進決議案(一宮房治郎外50名提出) | [趣旨弁明]眞鍋儀十、[賛成演説]河野密 | [全会一致可決]。広島、長崎ノ原子爆弾 |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
21.07.12 | *90 衆 | 15 243 247 | [7月11日]戰災復興促進決議案(山口喜久一郎外11名提出) | [趣旨弁明]逢澤寛、[討論]武田キヨ<自由党>、今村等<社会党> | [全会一致採択]。広島・長崎。[7月12日官報号外] |
21.07.17 | *90 衆特都 | 03 19 20 | 特別都市計畫法案(政府提出、貴族院送付) | [質問]西村久之、[答弁]阿部美樹志(戦災復興院総裁) | 広島・長崎、「一週間目二週間目デ死ンデシマフト云フヤウナ悲惨ナル状況」。[衆議院特別都市計画法案委員会議録] |
21.07.19 | *90 衆特都 | 04 25 | 特別都市計畫法案(政府提出、貴族院提出) | [質問]西村久之、[答弁]渡邊齊二郎 | 広島・長崎 |
21.07.29 | *90 衆特都 | 06 35 | 特別都市計畫法案 | [賛成討論]森崎了三 | [全会一致採択]。広島・長崎 |
21.07.31 | *90 衆 | 22 332 | [7月30日]特別都市計画法案 | [審議経過報告並びに結果報告]林田正治(特別都市計画法委員会委員長) | 広島・長崎 |
21.08.23 | *90 衆建議 | 06 52 54 | 平和運動促進ニ関スル建議案 | [提案趣旨説明]最上英子 | [可決]原子爆弾ノ威力ヲ公開 |
21.08.23 | *90 衆請願 | 08 150 151 | 広島市ニ世界平和塔建設ノ請願 | [紹介議員]武田キヨ、菅原エン、山口好一、[趣旨説明]坂東幸太郎、[答弁]井出成三、 | [参考送付決定]、広島 |
21.08.23 | *90 衆請願 | 08 151 152 | 広島市並長崎市ノ復興促進ニ関スル請願 | [趣旨説明]本田英作、上林山榮作、[答弁]中田政美、 | [採決]、広島・長崎 |
21.10.12 | *90 衆 | 55 915 | 請願878件 | [採択]。廣島市並長崎市ノ復興促進ニ關スル請願 | |
21.10.12 | *90 衆 | 55 17 | 特別報告第243号 | [請願委員長]小笠原八十美 | [第55号付録]、廣島市並長崎市ノ復興促進ニ關 スル請願 |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
22.11.21 | 001 衆財 | 37 237 238 | 非戦災者特別税法案(内閣提出) | [質問]北村徳太郎、[答弁]栗栖赳夫 | 広島・長崎の焼け残った家 |
22.12.08 | 001 衆 | 50 341 352 | 請願 | [採択]、広島市及び長崎市の復興助成の請願 | |
22.12.08 | 001 衆財付 | 51 09 | 広島市及び長崎市の復興助成の請願に関する報告書(12月8日付) | [請願者]長崎市長大橋博外1名 |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
23.07.02 | 002 参厚 | 22 01 02 | 社会事業振興に関する小委員長報告 | [請願の審議経過・結果報告]姫井伊介 | [決定]。模範社会事業都市建設に関する請願 |
23.07.05 | 002 参 | 59 946 947 | 請願 | [厚生委員会の審議経過報告]塚本重蔵 | [採択]。模範社会事業都市建設に関する請願 |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
24.03.26 | 005 衆 | 04 20 22 | [3月25日]世界連邦建設運動と日本国会の参加 | [自由討議]菊池義郎 | 原子力の惨害 |
24.04.26 | 005 衆議 | 25 03 04 | 広島市を平和都市に指定する件 | [発言]石田博英 | 原子爆弾の惨害 |
24.04.27 | 005 衆議 | 26 04 | 広島市を指定都市にする件 | [発言]石田博英、中村寅太、神山茂夫 | 長崎の扱い |
24.04.29 | 005 衆 | 23 288 | [4月28日]ハワイ並びに北南米在留同胞及び日系市民の対日援助に対する感謝決議案 | [趣旨弁明]松本瀧蔵 | [満場一致可決] |
24.05.10 | 005 衆議 | 31 04 06 | 広島平和都市建設法案及び長崎国際文化都市建設法案の取扱いに関する件 | [経過説明]石田博英、[質疑]土井直作、浅沼稲次郎、神山茂夫、林百郎、大池眞事務局長。 | 委員会審査省略を決定 |
24.05.11 | 005 衆 | 26 373 378 | [4月10日]広島平和記念都市建設法案(山本久雄外14名提出)・長崎国際文化都市建設法案(若松虎雄外16名提出) | [提案理由説明]山本久雄、若松虎雄、[討論]坂本実、佐竹新市、北村徳太郎、江崎一治、逢澤寛、小平忠 | [全会一致採択]、[参議院の委員会の審査省略を要求] |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
24.10.25 | 006 衆 | 01 06 07 | [広島平和記念都市建設法・長崎国際文化都市建設法の賛成投票の結果の確定通知(8月4日付)] | [内閣総理大臣]吉田茂 | |
24.10.25 | 006 参 | 01 05 06 | [広島平和記念都市建設法・長崎国際文化都市建設法の賛否投票の結果の確定通知(8月4日付)] | [内閣総理大臣]吉田茂 | |
24.11.30 | 006 参 | 21 269 271 | [11月29日]ユネスコ運動に関する決議案(徳川頼貞外24名発議) | [提案理由説明]徳川頼貞[討論]久松定武、金子洋文 | [全会一致可決]、原子爆弾、広島・長崎 |
24.11.30 | 006 衆考特 | 10 01 13 | 湯川秀樹君表彰の件・永井隆君表彰の件 | [参考人]仁科芳雄、亀山直人、武谷三男、[質疑 ]福井勇、小林進、木村榮、浦口鉄男、神山茂夫。 |
|
24.12.01 | 006 衆考特 | 11 01 19 | 永井隆君表彰の件 | [参考人]小島徳雄、中島健蔵、石川數雄、[質疑]井出光治、内藤隆、岡延右衛門、小林進、菅家喜六、木村榮、小玉治行、浦口鉄男、安部俊吾、江崎一治、 | 「この子を残して」、原子爆弾、原子病 「亡びぬものを」、原子爆弾調査、原子病患者の手記 |
24.12.03 | 006 衆考特 | 12 01 04 | 湯川秀樹君表彰の件委員会報告に関する件 | [質疑]浦口鉄男、木村榮、福井勇 | [可決] |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
24.12.15 | 007 衆考特 | 02 01 09 | 永井隆君表彰の件 | [参考人]田川房太郎、[質疑]岡延右衛門、内藤隆、横田甚太郎、梨木作次郎 | 永井隆の人物・病状・生活の現況 |
24.12.23 | 007 衆考特 | 04 01 04 | 永井隆君表彰の件調査報告書に関する件 | [討論]吉田甚太郎<共産党> | [多数決採択] |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
26.05.25 | 010 衆外 | 18 12 | 平和に関する請願(今野武雄紹介第2350号) | [趣旨説明]砂間一良 | 東京都北多摩郡清瀬村上宮教会清瀬療園平和懇談会(佐藤己未夫外134名署名)、「日本人として人類最初の原子爆弾をこおむり、その惨禍を身をもって味わいました」 |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
26.08.19 | 011 参 | 03 38 40 | [8月18日]国務大臣の演説に関する件 | [質問]岩間正男、[答弁]吉田茂 | 平和運動への弾圧、広島・長崎を再び繰返さない |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
26.10.25 | 012 衆平安 | 09 05 13 | 平和條約の締結について承認を求めるの件、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障條約の締結について承認を求めるの件 | [討論]守島伍郎<自由党>、小川半次<民主党> 、西村栄一<社会党>、田島ひで<共産党>、中村寅太<農民協同党>、黒田寿男<労働者農民党>、佐竹晴記<社会民主党> | [平和条約及び日米安全保障條約特別委員会会議録][多数可決]。田島=「あの原爆の生地獄は日本国民だけが体験した」 |
26.11.17 | 012 参平安 | 21 28 29 | 平和条約の締結について承認を求めるの件・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約の締結について承認を求めるの件 | [討論]堀眞琴<労農党> | [平和条約及び日米安全保障條約特別委員会会議録][多数可決]、原子爆弾の損失の補償 |
26.11.18 | 012 参 | 20 256 259 | 平和条約の締結について承認を求めるの件・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約の締結について承認を求めるの件 | [討論]堀眞琴 | [多数可決]、原子爆弾の損失の補償 |
26.11.18 | 012 参 | 20 263 269 | 連合国財産補償法案 | [大蔵委員会の審議経過・結果報告]平沼彌太郎、[討論]菊川孝夫<社会党>、岩間正男<共産党> | [過半数可決]、原爆被害の補償、広島・長崎の原爆攻撃 |
26.11.26 | 012 参厚 | 12 02 04 | 広島市の原爆犠牲者遺族援護に関する請願 | [請願趣旨説明]山下義信、[質疑]河崎ナツ | 11月24日付託。[採択]、動員学徒、義勇隊、徴用工、「原爆の子」 |
26.11.28 | 012 参 | 24 37 38 | 請願71件 | [厚生委員会の審議経過・結果報告]梅津錦一 | [採択]。広島市の原爆犠牲者遺族援護に関する請願 |
年・月・日 | 国 会 | 号 頁 | 件 名 | 発 言 者 | 備 考 |
27.01.26 | 013 参 | 07 55 56 | 国務大臣の演説に関する件 | [質問]岡本愛祐<緑風会>、[答弁]吉田茂 | 広島市の原爆記念館 |
27.01.30 | 013 衆予 | 04 07 | 昭和27年度一般会計予算外 | [質疑]尾崎末吉、[答弁]池田勇人 | 戦争犠牲者援護(軍人遺家族、傷痍軍人、在外財産、原子爆弾その他の戦災) |
27.02.05 | 013 衆予 | 09 07 13 | 昭和27年度一般会計予算外 | [質疑]岡良一、風早八十二、[答弁]吉武惠市、池田勇人 | 原爆孤児、広島の原爆の犠牲者、義勇軍 |
27.03.25 | 013 衆厚公 | 01 01 21 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案について | [公述人]末高信、[質問]苅田アサノ | 原爆地の被害者 |
27.03.26 | 013 衆厚公 | 02 01 08 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案について | [公述人]大井秀雄、任都栗司、[質問]高橋等、青柳一郎 | 広島・長崎の原爆犠牲者となった学徒、広島原爆犠牲者遺家族援護連盟、靖国神社合祀、国民義勇隊、徴用工、女子挺身隊員、弔慰金、見舞金 |
27.04.03 | 013 衆厚 | 20 04 10 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案(内閣提出第66号) | [討論]苅田アサノ、青野武一 | [多数可決]、原爆によって不可抗力に一家の支柱を失った人々、戦災者の補償、[附帯決議(原爆には触れず)] |
27.04.03 | 013 衆 | 29 514 515 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案 | [討論]苅田アサノ | [多数採決]。広島・長崎の原爆の子ら |
27.04.14 | 013 参厚 | 15 01 03 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案 | [提案理由]吉武惠市、[衆議院小委員長の修正個所説明]高橋等 | |
27.04.24 | 013 参厚 | 16 01 02 | 請願 | [採択]、原爆犠牲者遺族の援護に関する請願。学徒隊員、女子挺身隊員、徴用工、国民義勇隊員、防空従事者 | |
27.04.24 | 013 参厚 | 16 05 10 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案 | [引揚問題及び遺族援護に関する小委員長報告]山下義信、[討論]河崎ナツ、山下義信 | [修正可決]。徴用工・動員学徒・徴用船員・女子挺身隊・勤労報国隊・義勇隊 |
27.06.05 | 013 参建 | 49 05 06 | 広島・長崎都市建設事業促進に関する請願 | [説明]楠瀬常猪 | [採択] |
27.06.20 | 013 衆厚 | 43 17 18 | 請願490件 | 広島市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願、広島・長崎両市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願は採択されず | |
27.07.28 | 013 参厚 | 34 01 | 請願56件 | [採択]、原爆犠牲者等援護に関する請願 |
第19回通常国会(1953(昭28)1210-19540615)
0317 | 昭和28年度一般会計予算補正(第3号)・昭和29年度特別会計予算補正(特第1号) | [質疑]西村直己、川崎秀二、佐藤観次郎、今澄勇、[答弁]岡崎勝男、保利茂、山口伝、清井正、 | 衆予 | 広島・長崎の原爆死者の損害賠償、原子医学の設立、 |
0317 | 放射能の害による食品衛生等の問題 | [質疑]柳田秀一、[答弁]草葉隆圓、楠本正康、 | 衆厚 | 原爆の症状、広島・長崎被爆者治療 |
0317 | [第五福龍丸の問題について緊急質問] | [質疑]松沢兼人、藤原道子、相馬助治、佐多忠隆、湯山勇、中田吉雄、[答弁]岡崎勝男、木村篤太郎、 | 参予 | 原爆被害、ABCC、 |
0318 | 日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定の批准について承認を求めるの件ほか3件 | [質疑]穂積七郎、並木芳雄、戸叶里子、大橋忠一、須磨彌吉郎、福田昌子、福井勇、北冷吉、松前重義、[答弁]岡崎勝男、下田武三、土屋隼、 | 衆外 | ABCC、広島・長崎の原子力被害、都築博士へのアメリカ政府の圧力、 |
0318 | 社会保障制度に関する調査の件(ビキニ環礁付近における漁船被爆事件) | [質疑]藤原道子、湯山勇、竹中勝男、高野一夫、[答弁]草葉隆圓 | 参厚 | 原子放射能の治療、広島の原子爆弾の結果、 |
0319 | 昭和28年度一般会計予算補正(第3号)・昭和29年度特別会計予算補正(特第1号) | [質疑]佐藤観次郎、川島金次、館俊三、[答弁]緒方竹虎、岡崎勝男、福井勇、小瀧彬、 | 衆予 | 広島・長崎の犠牲者 |
0319 | 国立学校設置法の一部を改正する法律案 | [参考人]藤岡由夫、[質疑]高田なほ子、相馬助治、須藤五郎、田中啓一、高橋道男、 | 参文 | 広島・長崎の洗礼、原子爆弾についての知識、 |
0320 | 厚生行政に関する件(ビキニ環礁における日本漁船の被爆問題) | [質疑]岡良一、高橋等、柳田秀一、滝井義高、長谷川保、[答弁]草葉隆圓、楠本正康、尾崎嘉篤、木村筆雄、 | 衆厚 | 永井博士、白血病、ABCC、モルモット |
0322 | [ビキニ島環礁実験の被害について緊急質問] | [質疑]加藤勘十、並木芳雄、穂積七郎、戸叶里子、大橋忠一、[答弁]土屋隼、下田武三、 | 衆外 | ABCC、モルモット、 |
0322 | ビキニ環礁付近における爆発実験による日本漁船の被害事件 | [参考人]都築正男、[質疑]岡良一、柳田秀一、滝井義高、長谷川保、松前重義、島上善五郎、[答弁]肥沼寛一、岡井正男、小瀧彬、久下勝次、 | 衆厚 | 原子爆弾症、原子爆弾災害調査研究班、ABCC |
0323 | 原子力問題に関する件 | [質疑]荒木正三郎、高田なほ子、須藤五郎、永井純一郎、相馬助治、安倍キミ子、[答弁]福井勇、稲田清助、 | 参文 | 原子爆弾災害研究所、ABCC、文部省の研究費 |
0323 | 昭和28年度一般会計予算補正(第3号) | [質疑]相馬助治、[答弁]緒方竹虎、、大達茂雄、 | 参予 | 原子能被害に対する治療等研究 |
0324 | [緊急質問] | [質疑]福田昌子、加藤勘十、並木芳雄、穂積七郎、佐々木盛雄、[答弁]岡崎勝男、土屋隼 | 衆外 | ABCC、アイゼンバッド、 |
0324 | ビキニ環礁付近における爆発実験による漁業損害に関する件 | [質疑]鈴木善幸、赤路友蔵、遠藤三郎、田中幾三郎、夏堀源三郎、松田鐵蔵、淡谷悠蔵、辻文雄、小高喜郎、山中日露史、[答弁]小瀧彬、清井正、楠本正康、砂本周一、 | 衆水 | 原爆投下は国際法違反、原爆裁判(岡本尚一)、広島・長崎原爆被害、 |
0325 | ビキニ環礁付近における爆発実験による日本漁船被害事件 | [質疑]岡良一、柳田秀一、滝井義高、長谷川保、[答弁]岡崎勝男、楠本正康、中山マサ、小山進次郎、岡井正男、中川融、高辻正己、 | 衆厚 | 原爆症調査研究協議会、 |
0330 | 社会保障制度に関する調査の件(ビキニ被爆事件に関する件) | [参考人]朝永振一郎、武谷三男、中泉正徳、[質疑]高野一夫、千田正、高田なほ子、藤原道子、有馬英二、須藤五郎、 | 参連合 | 原子爆弾、広島・長崎の灰、長崎西山地区、広島・長崎の白血球減少症対策、原爆症研究資料の横取り、[厚生・外務・文部・水産連合委員会会議録] |
0402 | ビキニ環礁付近における爆発実験による日本漁船の被害事件 | [質疑]長谷川保、福田昌子、[答弁]楠本正康、曽田長宗、 | 衆厚 | 原爆症調査研究協議会、ABCC |
0416 | 北太平洋マ-シャル群島付近における危険区域に関する件 | [参考人]安井郁、大平善梧、[質疑]並木芳雄、戸叶里子、福田昌子、細迫兼光、 | 衆外 | 広島・長崎の原爆投下への抗議 |
0420 | [ビキニ被爆事件に関する緊急質問] | [質疑]小林信一、野原覺、松平忠久、[答弁]福井勇 | 衆文 | 広島調査資料返還要求 |
0422 | 昭和29年度特別会計予算補正(特第1号) | [質疑]山下義信、[答弁]吉田茂、 | 参予 | 4千有余名の広島市の傷害者への国の措置 |
0423 | 昭和29年度特別会計予算補正 | [質疑]相馬助治、[答弁]緒方竹虎、小瀧彬、 | 参予 | ビキニ環礁で行われた水素爆弾の実験の問題、放射能症の治療、広島・長崎の先例、 |
0428 | 原子力問題に関する学術研究について、参考人より意見聴取の件 | [参考人]木村健二郎、杉本朝雄、西脇安、美甘義夫、中泉正徳、[質疑]辻原弘市、小林信一、福井勇、野原覺、長谷川峻、前田栄之助、世耕弘一、高津正道 | 衆文 | 広島・長崎の基礎資料の活用、学術会議原子爆弾災害調査特別委員会、広島・長崎の灰、原子爆弾症、ABCCへの反感 |
0525 | 放射能を含む降灰の国民健康に及ぼす影響の対策に関する緊急質問 | [質問]松前重義、[答弁]草葉隆圓、保利茂、福井勇、 | 衆 | 恒久的調査研究機関の設置、原爆症調査研究協議会の拡充強化、農業技術研究所による長崎の原爆被災調査、 |
0717 | 放射能の害による食品衛生等の問題 | [質疑]柳田秀一、[答弁]草葉隆圓、楠本正康、 | 衆厚 | 原子病、広島の実例、 |
0915 | 国際情勢に関する件 | [質疑]大橋忠一、[答弁]岡崎勝男、 | 衆外 | 岡崎発言、広島・長崎に原爆攻撃を受けた日本人の民族感情 |
0916 | 国際情勢に関する件 | [質疑]並木芳雄、福田篤泰、須磨彌吉郎、福田昌子、穂積七郎、戸叶里子、[答弁]安藤正純、 | 衆外 | ABCC、原爆症治療発表のさしとめ、 |
1002 | ビキニ環礁付近における爆発実験による被害補償に関する件 | [質疑]柳田秀一、岡良一、福田昌子、滝井義高、有田二郎、[答弁]草葉隆圓、安藤正純、楠本正康 | 衆厚 | 久保山愛吉の死、ABCC、モルモット、 |
1005 | 地方財政に関する件 | [参考人]浜井信三、田川務、[質疑]北山愛郎、西村力弥、門司亮、藤田義光、[答弁]塚田十一郎、鈴木俊一、 | 衆地 | 「昭和29年9月、原爆障害者治療対策の概況」、ABCCへの反感、広島市原爆障害者治療対策協議会、NHK主催寄付募集運動、治療費、健康管理、生活扶助、医療扶助、 |
1007 | 広島と長崎の原爆の被害を受けた原爆障害者に対する治療の対策 | [質疑]北山愛郎、[答弁]浅香忠雄、 | 衆地 | 原爆障害者に対する治療の対策、ABCC、原爆症調査研究協議会、他の戦災傷病者との関係、 |
1125 | ビキニ環礁付近における爆発実験による被害問題 | [質疑]萩元たけ子、[答弁]楠本正康 | 衆厚 | 広島・長崎の被爆者数は約30万人、 |
国会会議録の中のヒロシマ・ナガサキ(第12~18回)
第12回臨時国会(1951(昭26)1010-1130)
1025 | 平和條約の締結について承認を求めるの件、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障條約の締結について承認を求めるの件 | [討論]守島伍郎<自由党>、小川半次<民主党>、西村栄一<社会党>、田島ひで<共産党>、中村寅太<農民協同党>、黒田寿男<労働者農民党>、佐竹晴記<社会民主党> | 衆平安 | [多数可決]。田島=「あの原爆の生地獄は日本国民だけが体験した」。 |
1117 | 平和条約の締結について承認を求めるの件・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約の締結について承認を求めるの件 | [討論]堀眞琴<労農党> | 参平安 | [多数可決]、[平和条約及び日米安全保障條約特別委員会会議録]、原子爆弾の損失の補償、 |
1118 | 平和条約の締結について承認を求めるの件・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約の締結について承認を求めるの件 | [討論]堀眞琴 | 参 | [多数可決]、原子爆弾の損失の補償 |
1118 | 連合国財産補償法案 | [大蔵委員会の審議経過・結果報告]平沼彌太郎、[討論]菊川孝夫<社会党>、岩間正男<共産党> | 参 | [過半数可決]、原爆被害の補償、広島・長崎の原爆攻撃。 |
1126 | 広島市の原爆犠牲者遺族援護に関する請願 | [請願趣旨説明]山下義信、[質疑]河崎ナツ | 参厚 | 11月24日付託。[採択]、動員学徒、義勇隊、徴用工、「原爆の子」、 |
1128 | 請願71件 | [厚生委員会の審議経過・結果報告]梅津錦一 | 参 | [採択]。広島市の原爆犠牲者遺族援護に関する請願 |
第13回通常国会(1951(昭26)1210-19520731)
0126 | 国務大臣の演説に関する件 | [質問]岡本愛祐<緑風会>、[答弁]吉田茂 | 参 | 広島市の原爆記念館 |
0130 | 昭和27年度一般会計予算外 | [質疑]尾崎末吉、[答弁]池田勇人、 | 衆予 | 戦争犠牲者援護(軍人遺家族、傷痍軍人、在外財産、原子爆弾その他の戦災) |
0205 | 昭和27年度一般会計予算外 | [質疑]岡良一、風早八十二、[答弁]吉武惠市、池田勇人、 | 衆予 | 原爆孤児、広島の原爆の犠牲者、義勇軍、 |
0325 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案について | [公述人]末高信、[質問]苅田アサノ | 衆厚 | [厚生委員会公聴会議録]、原爆地の被害者 |
0326 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案について | [公述人]大井秀雄、任都栗司、[質問]高橋等、青柳一郎、 | 衆厚 | [厚生委員会公聴会議録]、広島・長崎の原爆犠牲者となった学徒、広島原爆犠牲者遺家族援護連盟、靖国神社合祀、国民義勇隊、徴用工、女子挺身隊員、弔慰金、見舞金、 |
0403 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案(内閣提出第66号) | [討論]苅田アサノ、青野武一、 | 衆厚 | [多数可決]、原爆によって不可抗力に一家の支柱を失った人々、戦災者の補償、[附帯決議(原爆には触れず)] |
0403 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案 | [討論]苅田アサノ | 衆 | [多数採決]。広島・長崎の原爆の子ら。 |
0414 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案 | [提案理由]吉武惠市、[衆議院小委員長の修正個所説明]高橋等 | 参厚 | |
0424 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法案 | [引揚問題及び遺族援護に関する小委員長報告]山下義信、[討論]河崎ナツ、山下義信。 | 参厚 | [修正可決]。徴用工・動員学徒・徴用船員・女子挺身隊・勤労報国隊・義勇隊。 |
0424 | 請願 | 参厚 | [採択]、原爆犠牲者遺族の援護に関する請願。学徒隊員、女子挺身隊員、徴用工、国民義勇隊員、防空従事者、 | |
0605 | 広島・長崎都市建設事業促進に関する請願 | [説明]楠瀬常猪 | 参建 | [採択] |
0620 | 請願490件 | 衆厚 | 広島市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願、広島・長崎両市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願は採択されず。 | |
0728 | 請願56件 | 参厚 | [採択]、原爆犠牲者等援護に関する請願。 | |
0730 | 請願222件 | [厚生委員会の審議経過・結果報告]梅津錦一 | 参 | [採択]。原爆犠牲者遺族の援護に関する請願、原爆犠牲者等の援護に関する請願。 |
第14回通常国会(1952(昭27)0826-0828解散)
第25回衆議院議員選挙
第15回特別国会(1952(昭27)1024-19520314解散)、第4次吉田内閣(10月30日成立)
第26回衆議院議員選挙
第3回参議院議員選挙
第16回特別国会(1953(昭28)0518-0810)、第5次吉田内閣(5月21日成立)
0721 | 恩給法の一部を改正する法律案 | [討論]赤澤正道<改進党> | 衆内 | [多数修正可決]、原子爆弾の犠牲、 |
0730 | 請願107件 | 衆建 | [採択]。広島長崎両特別都市建設事業の完成促進等に関する請願 | |
0730? | 広島・長崎両特別都市建設事業促進に関する請願に関する報告書(7月30日付) | [建設委員長]久野忠治 | 衆建 | [第16号付録]、「市財政窮乏の際、原子爆弾による障害者に対する治療援助につき考慮されたい」 |
0807 | 軍人恩給復活に関する請願外1118請願 | 衆 | [採択]、広島長崎両特別都市建設事業の完成促進等に関する請願。 | |
0806 | 北海道準地方費道上美生中札内停車場線中中札内橋の永久橋架橋替に関する請願外58件 | [建設委員会の審議結果報告]石川清一 | 参 | [採択]、広島長崎両特別都市建設事業の完成促進等に関する請願。「併せて原子爆弾障害者の治療に対する適切なる国家の救じゅつ援助を講ぜられたい」 |
第17回臨時国会(1953(昭28)1029-1107)
第18回臨時国会(1953(昭28)1130-1208)
1203 | 昭和28年度一般会計予算補正外 | [質疑]青野武一、[答弁]山縣勝見 | 衆予 | 広島市の原爆傷害者調査、原爆で顔のくずれた人、原爆患者治療、原爆投下責任者の審判、 |