世界平和連帯都市市長会議 1982年6月24日発足
2001年8月5日、「世界平和連帯都市市長会議」から「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更。
世界平和連帯都市市長会議 1982年6月24日発足
2001年8月5日、「世界平和連帯都市市長会議」から「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更。
平和問題調査会=広島市長の諮問機関。1981年5月14日設置。
回 | 開催年月日 | 議題など |
01 | 19810514 | ①委員長の選出②会の名称、構成メンバー、事務局の決定③昭和56年会議開催計画等について説明④基本的問題と事業計画一軍縮シンポジウムの開催/市民講座・特別講演会の開催/国際的平和研究機関の誘致 |
02 | 19810724 | パルメ委員会の東京招致及び広島ワークショップについて |
03 | 19810907 | ①パルメ委員会及びワークショップの開催について一東京、広島での準備状況 |
04 | 19811130 | ①パルメ委員会を迎え、ジャパンワークショップ東京、広島セッション開催の事前検討について |
05 | 19820128 | ①パルメ委員会ジャパンワークショップの結果報告並びに今後の対策について |
06 | 19820223 | ①第2回国連軍縮特別総会への対応策について―ワーキンダ・グループの検討結果報告 |
07 | 19820517 | ①第2回国連軍縮特別総会に対する広島・長崎両市の対応について |
08 | 19820702 | ①第2回国連軍縮特別総会の報告②パルメ委員会最終報告書に基づいた平和、安全保障と軍縮に関する東京セミナーについて |
09 | 19821001 | ①平和と安全保障と軍縮に関する東京セミナーの開催について一パルメ委員会報告を受けて |
10 | 19840217 | ①国連大学主催東京セミナーについて②広島市が行う平和推進活動について |
11 | 19820218 | ①第1回世界平和連帯都市市長会議(広島市・長崎市主催)について②東京セミナーについて |
12 | 19870319 | ①第1回世界平和連帯都市市長会議の報告②昭和61年は国際平和年に当たり、この取組みとして、国際平和サミット、平和シンポジウム等の実施計画を説明。 |
13 | 19880318 | ①国際平和年事業の報告②被爆42周年への取組み③世界平和都市連帯推進事業④国連大学・国連大学協力関係プロジェクト |
14 | 19880216 | ①国連大学学長及び各委員紹介②昭和62年度実施事業報告③昭和63年度平和推進事業説明④6か国首脳会議帰国報告⑤第3回国連軍縮特別総会(広島・長崎両市長出席)へ向けての提言 |
15 | 19890217 | ①昭和63年度実施事業②平成元年度実施事業③第3回国連軍縮特別総会への出席④国連軍縮広島講演会の開催⑤第9回核戦争防止国際医師会議世界大会の開催⑥第2回世界平和連帯都市市長会議⑦平和・軍縮研究機関の設置構想案 |
16 | 19900222 | ①平成元年度主要平和関連事業実施状況②平成2年度主要平和関連事業計画案の概要③「平和に関する国際的な研究機関」の設置について |
17 | 19911112 | ①広島市の平和の取組み②新委員を含む委員の自己紹介及び意見交換。 |
18 | 19921204 | ①広島市の平和の取組み概要②国連軍縮広島会議の報告③第3回世界平和連帯都市市長会議の検討④アジアにおける広島の役割⑤被爆50周年記念事業 |
19 | 19931202 | ①「広島市の平和行政」について①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録について③「第3回世界平和連帯都市市長会議」の報告④広島市の平和の取組み概要 |
20 | 19941219 | ①被爆50周年を迎えての広島市の平和への取組み①米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館における特別展③国際司法裁判所における核兵器使用の違法性の審理①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録⑤|世界平和連帯都市市長会議アジア太平洋地域会議⑤広島市の平和の取組み概要 |
21 | 19950329 | ①アメリカ社会における核廃絶の認識を高める方途について |
22 | 19960321 | ①被爆50周年以後の平和行政について。広島市平和問題調査会は、この会合を以て解散した。 |
『広島平和文化センター20年誌』(19970331刊) |
核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)
被爆40周年の1985年2月、日本原水協をはじめ世界12力国の反核・平和運動組織(アメリカ、イギリス、オランダ、スウェーデン、東ドイツ、イタリア、キューバ、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、アルジェリア、日本)が、広島につどい協議し、「核兵器全面禁止・廃絶のためにヒロシマ・ナガサキからのアピール」を発表しました。 日本原水協は、「アピール」支持署名の日本国民の過半数を目標にとりくみました。 さらに、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実相をつたえ、核戦争の阻止、核兵器廃絶の世論をたかめ「アピール」支持署名を広げるために、世界各地に被爆者を含む遊説代表団を送る活動をすすめました。 遊説団の訪問先は、1985年4月にフィリピン、6月オランダ、7~8月イギリス、アイスランド、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、10月スイス、11月イタリア、そして86年1月にオランダ、ベルギー、2月にラオスとのべ12力国におよびました。 遊説代表団員の総数は、121名。25班にわかれて訪れた都市は約250、大小集会に約300回参加し、のべ1000回近くマスコミで報道されました。 |
出典:『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録 Hibakusha Peace Tour(原水爆禁止日本協議会、19860806)』 |
被爆者国際遊説団名簿
遊説先 | 氏名 | 所属 |
●フィリピン 19850406~15 | ||
大久保忠一 | 埼玉県熊谷原水協・埼玉民医連 | |
岡広 | 三重県・日本AALA連帯委員会 | |
緒方義孝 | 全港建労働組合神戸地本 | |
河原直孝 | 国公労連 | |
久保美津子 | 被爆者(広島)広島新婦人 | |
児玉三智子 | 被爆者(広島)千葉県船橋市南診療所 | |
斉藤君子 | 新婦人神奈川県本部 | |
津川計子 | 日本民医連東神戸病院 | |
土居賢一 | 全司法労組 | |
浜島勇 | 原水協担当常任理事・日高教 | |
宮田昌幸 | 全商連・宮田印刷 | |
酒井伊津子 | 通訳 | |
辻山昭三 | 事務局 | |
安田和也 | ||
草地康子 | ||
●オランダ 19850625~0708 | ||
A班 | ||
小島光雄 | ||
中谷恒男 | ||
村上経行 | 被爆者(広島) | |
萩原信宏 | ||
和田美昭 | ||
篠原敏美 | ||
酒井伊津子 | ||
B班 | ||
林正道 | ||
伊谷周一 | 被爆者(広島丿鳥取県原水協 | |
津田光男 | ||
坂入博子 | ||
秋元恵子 | ||
宮沢彰一 | ||
高草木博 | ||
●イギリス・アイスランド 19850801~11 | ||
佐藤裕 | ||
本間三郎 | ||
木村昭六 | ||
栗栖主税 | 被爆者(広島) | |
大森幹男 | 広島原水協 | |
信政ちえ子 | 広島原水協 | |
有光登一 | 被爆者(広島)愛媛県原爆被害者の会 | |
仁木義雄 | ||
長谷部栄祐 | ||
渡辺孝三 | 被爆者(広島)奈良県原爆被害者の会 | |
中島宏 | 被爆者(広島)香川県被爆者の会 | |
出島艶子 | 被爆者(広島)東友会 | |
中沢憲一 | ||
柏木文代 | ||
柏木文代 | ||
岡村利男 | 被爆者(広島)高知県被爆者の会 | |
渡辺政成 | ||
田中重光 | 被爆者(長崎)全動労長崎支部 | |
深町君江 | ||
志賀さゆり | 通訳 | |
トモヨ・マクドナルド | ||
辻光枝 | ||
●アメリカ合衆国 19850724~0813 | ||
中西部◆ | ||
浅野哲人 | 被爆者(広島)大阪しろきた市民生協 | |
安藤広司 | 被爆者(広島)長野県原水爆被災者の会 | |
佐藤岑夫 | 三重県原水協 | |
大山済世 | 通訳 | |
南東部◆ | ||
三輪博志 | 被爆者(長崎) | |
福本宏支 | 被爆者(長崎)徳島県原爆被害者の会 | |
藤岡忠治 | ||
藤野雅美 | 通訳 | |
中部大西洋岸◆ | ||
丸岡文麿 | 被爆者(広島)京都原水協 | |
森本テル | 被爆者(長崎) | |
石黒三沙子 | ||
朝戸理恵子 | 事務局 | |
北東部◆ | ||
栗栖洋 | 被爆者(広島)高校教諭 | |
高井栄 | 被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会 | |
中田鉄太郎 | ||
酒井伊津子 | ||
ニューヨーク◆ | ||
土田康 | 被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会 | |
伊藤吉紀 | ||
セッコ・サーロー | 在米被爆者(広島) | |
ハラシマ・トシコ | 通訳 | |
西海岸◆ 19850724~0812 | ||
奥野栄 | 被爆者(長崎) | |
堀田シズエ | 被爆者(広島)・埼玉 | |
桜木早苗 | ||
堀田義裕 | ||
南西部◆ | ||
吉崎幸恵 | 被爆者(長崎)福岡市原爆被害者の会 | |
田邊俊三郎 | 被爆者(広島)東友会 | |
門倉武則 | ||
谷捷子通訳 | ||
●スイス・西ドイツ 19851019~31 | ||
山口勇子 | 被爆者(広島)日本原水協代表理事 | |
早川耐子 | 被爆者(広島) | |
花井透 | ||
中尾元重 | ||
高草木博 | 事務局 | |
下田文子 | 通訳 | |
●NGO会議・ベルギー・オランダ 19860118~30 | ||
佐藤裕 | ||
浜島勇 | ||
渡辺千恵子 | 被爆者(長崎) | |
渡辺順子 | (渡辺同行者) | |
村田忠彦 | 被爆者(広島) | |
堀口士郎 | ||
米田実 | ||
山川新一郎 | ||
炭谷巴之助 | ||
松下賢次 | ||
川添政彦 | ||
升井登女尾 | ||
城ゆき | ||
高草木博 | 事務局 | |
下田文子 | ||
キエ・ホアン | 通訳 | |
●イタリア 19851012~19 | ||
中南部◆ | ||
石井あや子 | ||
市岡正憲 | 被爆者(広島) | |
熊久保朝正 | ||
辻山昭三 | ||
北部◆ | ||
米沢進 | 被爆者(広島)広島県原水協 | |
世良豊子 | 被爆者(広島) | |
皆川恵史 | 広島市原水協 | |
上野幸子 | 通訳 | |
●オーストラリア 19850801~06、ニュージーランド 19850807~13 | ||
A班◆ | ||
鶴岡正雄 | ||
屋敷一字 | 広島医療生協 | |
佐々木優秋 | 呉原水協 | |
安賀昇 | ||
川后宏 | ||
堺谷一郎 | ||
反納清史 | 被爆者(長崎) | |
高橋マサ子 | 被爆者(広島)埼玉県原爆被害者協議会 | |
亀井和子 | 通訳 | |
B班◆ | ||
寺本敏夫 | ||
高倉金一郎 | ||
嶺本治代 | ||
村井明美 | ||
住田哲 | ||
溝浦勝 | 被爆者(長崎) | |
米田進 | 被爆者(広島) | |
菅頭康夫 | ||
土田弥生 | 通訳 | |
●ラオス | ||
片桐隆三 | 被爆者(広島) | |
辻山昭三 | 事務局 |
第1部 国際連合訪問の状況(日程順)
1976年11月 | |
25日 | ワシントン到着 |
26日 | 日本大使館を表敬訪問 米国務省軍縮局を訪問 国立公文書館を訪問 ウイリアム・ペン・ハウスで平和の集いを開催 |
27日 | アーリントン墓地参拝 米国科学者連盟事務所を訪問 ウイルミントン到着 ウイルミントン大学学長主催夕食会に出席 |
28日 | ウイルミントン市長主催朝食会に出席 ヒロシマ・ナガサキ記念文庫を訪問 ニューヨーク到着 |
29日 | 日本代表部を訪問 国連広報担当事務次長補を訪問 クリスチャン・センターを訪問 オーストラリア代表部を訪問 |
30日 | カナダ代表部を訪問 フランス代表部を訪問 アメリカ代表部を訪問 |
1976年12月 | |
1日 | ワルトハイム国連事務総長と会見 イギリス代表部を訪問 内外新聞記者団と会見 イスラエル代表部を訪問 アメラシンゲ国連総会議長と会見 ニューヨーク市長を表敬訪問 赤谷次長補主催のレセプションに出席 ノーマン・カズンズ氏と懇談 |
2日 | ソビエト代表部を訪問 インド代表部を訪問 東ドイツ代表部を訪問 西ドイツ代表部を訪問 日本協会主催のレセプションに出席 |
3日 | ニュージーランド代表部を訪問 ノルウェー代表部を訪問 国連第1委員会(軍縮)を傍聴 |
4日 | 訪問10日目に休養日 |
5日 | ロサンゼルス空港到着 広島・長崎両県人会主祭歓迎夕食会に出席、在米被爆者と懇談 |
6日 | ロサンゼルス市長を訪問 大内会長ら、被爆者と医療相談 ロサンゼルス市議会を訪問 日本総領事官を訪問 シティー・ビュー病院を訪問 ロス郡医師会の昼食会に出席 日系老人ホームを視察 |
7日 | ロサンゼルス郡参事会で発言 内外記者会見で両市長共同声明 トーマス・野口事務所を訪問 ロサンゼルス発 サンフランシスコ着 広島・長崎両県人会主催歓迎会に出席 |
8日 | サンフランシスコ市長を訪問 オークランド=ベイ地区を見学広島・長崎両市長主催夕食会開催 |
9日 | サンフランシスコ発、東京へ |
10日 | 東京羽田着 |
12日 | 荒木広島市長、慰霊碑に帰国報告 |
13日 | 諸谷長崎市長、記念像に帰国報告 |
出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(著者:広島市・長崎市編、 刊 19770331 )
『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』広島市・長崎市編 、刊、19770331)
部 | 事項 | |
国連訪問を終えて | ||
1 | 国際連合訪問の状況(日程順)<詳細リンク> | |
2 | 国連事務総長への要請・要望事項および原爆被害の実態に関する資料 | |
3 | 国際連合訪問の経緯 | |
概要 | ||
1975年8月1日~1976年11月25日 | ||
編集後記 |
ビキニ環礁核実験場 Bikini Atoll Nuclear Test Site
https://whc.unesco.org/en/list/1339
マーシャル諸島共和国初の世界遺産。第2次世界大戦後にはじまった冷戦に伴い、アメリカ合衆国は、太平洋沖マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験再開を決定した。周辺住民を移住させ、1946年から1958年まで、初の水素爆弾実験(1952年)を含む67回の核実験を実施した。その威力を示す重要で明白な証拠が、1946年の実験で礁湖に沈んだ船と、水素爆弾「ブラボー」の実験でできた巨大なブラボー・クレーターである。一連の実験は広島型原爆の7000回分に匹敵し、環礁の地質や自然環境、人びとの健康などに重大な影響を及ぼした。これによりビキニ環礁は、「核の時代」の幕開けの象徴となった。
Date of Inscription: 2010 Criteria: (iv)(vi)
資料
本 | ||
隠るべき所なし ビキニ環礁原爆実験記録(ブラッドリー著、佐藤亮一訳、講談社、19490830) | ||
日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」
2016(平成28)年4月に、4市のストーリー「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」が、日本遺産に認定。
認定ストーリー『鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~』
PDFファイル:報道発表資料
『世界連邦アジア会議報告書』(世界連邦アジア会議広島準備委員会事務局 19530201)
目次
挨拶 | ||
広島宣言 | ||
世界連邦アジア会議広島決議 | ||
世界連邦アジア会議日程議題 | ||
出席者名簿 | ||
世界連邦アジア会議開かる | ||
広島到着 | ||
開会式 | ||
総会議 | ||
歓迎晩餐会 | ||
第二日総会議 | ||
宮島観光 | ||
各委員会開催 | ||
第四日総会議 | ||
市中見物 | ||
離広 | ||
広島へ感謝 | ||
アジア会議開催の経緯 | ||
と広島準備委員会経過 | ||
アジア会議を顧みて |
1
2
岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)
「拝啓 人類と文明の為一書を敬呈することを御許し下さいませ。
私は昭和21年6月から2年有半に亘り東京に於ける極東国際軍事裁判に主任弁護人の一人として参加していました。其間終始私の念頭にありましたことは、戦勝国側の極めて重大な国際法違反が勝てるが故に何等その責任を問われない不公正でありました。然し私は、講和条約が発効した暁には、戦勝国側の指導者から広島・長崎に対する原爆投下については、悔恨の情を披瀝されるであらうと心ひそかに期待しつづけてきたものであります。
然るに、それより既に1ケ年を経た今日に於て、未だかかる言葉の片鱗だに聞くことを得ないのであります。
これが基督教を以て普遍的な宗教となし、ヒューマニズムを以て民主主義の基調とする米国・英国の態度であることは遺憾の極みであります。私は当時から講和条約が発効した後においては、尠くとも広島及び長崎に対する原爆の投下についてはこの責任を民事不法行為の面において採りあげて原爆投下の決定に参与した指導者及び国家に対して不法行為の管轄裁判所に対し提訴致し度いと念願し、これを親友にも語ってまいりました。(後略)」
月日 | 事項 |
1953年 | |
01 | 16、17両日広島市在住弁護士46名長崎市在住弁護士18名に「主要関係研究事項」を付して原爆損害民訴提起の可能提唱の書面を郵送。又同じ頃弁護士、学者、宗教家等の知友その他64名に同一書面を郵送 |
0120 | 印度最大の新聞タイムズ・オブ・インディアの東京特派員(前本社副編輯長) N・G・ナンポリア氏来訪、岡本提唱の内容及び進行の予定について3時間に渉って質問、即夜徹夜して長文の記事原稿をタイプし空輸 |
0124 | 朝日新聞大阪本社社会部記者平野一郎氏来訪相当質問して取材 |
0128 | 朝日新聞7面中央に別枠で岡本提唱の記事掲載、又BKニュース放送 |
0130 | UP通信員藤本博氏来訪。印度ではタイムズ・オブ・インディアその他の新聞の記事によってセンセーションを起しているので取材に来たという。同時にUP東京支局から電話で質問があった。 |
0131 | 人類愛善新聞記者長掛芳介氏来訪 |
0201 | 英文毎日に岡本提唱及び其の論拠を報じた |
0221 | 1月31日付広島市内発行の法廷新聞は第1面を埋める記事を掲げ広島弁護士会はこの問題で2月11日臨時総会開催を報じた |
0203 | UP藤本博氏来訪。 |
0203 | 毎日新聞7面に「原爆投下に賠償請求」と題して広島、長崎弁護士会では岡本提唱がきっかけとなって右損害賠償請求訴訟の具体的研究にのりだしたことを報じ た。 |
0204 | 英文毎日は広島弁護士会総会開催その他の反響を報じた |
0118~0201 | 原爆被害者その他から感謝激励の電信書面葉書来る。自宅への電報配達人は感謝激励の言葉を添えて送達紙を手渡した。被害者の手紙は一つ一つ泣かされる。 |
0206 | 原爆損害民訴の主要法律関係研究事項について一応卑見を原爆民訴或問と題して簡単な問答体に書き上げた書面を広島弁護士会員全部その他に郵送 |
0207 | 中国新聞によれば長崎弁護士会も立上り2月10日全員協議会を開く |
0209 | ナンポリア氏の令兄から記事掲載のタイムズ・オブ・インディアを届けらる。見出しには「日本弁護士原爆訴訟を計画す。トルーマン氏は被告名簿の一人」 とあり正確な好意ある立場での報道である。 |
0211 | 産経によれば10日開催の長崎弁護士会全員協議会では広島弁護士会と連絡提携し21日開催の日本弁護士連合会(常任理事会)に本問題の研究と善処方を要望する正式議案を提出することを可決した |
0212 | 原爆民訴或問を長崎弁護士会員全部その他に郵送 |
0308 | 岡本、広島弁護士会の招請により広島に出張。特別委員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談、又広島市庁及び原爆被害者の会訪問 |
0329 | 広島原爆被害者の会は幹事会開催原爆民訴の原告になる用意がある旨決議し、これを広島弁護士会に申入れた。 |
0427 | 岡本、長崎弁護士会に出張。同会員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談 |
平和擁護広島大会
1949年10月2日
原子兵器の禁止 広島市民から全世界に打電
国際平和闘争デーの10月2日、原爆都市広島では(既報)10数団体の共同主催で「平和ようご広島大会」が、流川広島女学院講堂にて参加者300名でひらかれた。大会は午後2時民科代表中川氏の司会で始まり議長団には今堀文理大助教授(学術団体)、小西民婦協支部長、高橋自由法曹団弁護士、松江地労委員長、郷土詩人峠三吉氏が選出された。
郷土作家畑耕一氏、自由法曹団を代表した高橋武夫氏の講演に続き、松江地労会長より長田文理大学長、浜井広島市長、広島出身牧師赤岩栄氏のメッセージが読み上げられた。続いて戦争の悲劇を中心にした詩の朗読が広島詩人協会上野氏によってよまれ各団体よりの戦争反対の意見発表がなされた。菅原安芸高女校長(仏教会)、民婦代表村上さん、広島高師学生米倉君、市内段原小学校5年山根君、朝鮮人代表金英哲氏、今堀文理大助教授、安井広島市連合未亡人会長からそれぞれ戦争はいやです永久にこの世から戦争をなくしませうと切々と訴えれば参加者の中よりYさん(27)-広島市観音町-が本大会に発表される平和のための宣言に必ず原爆をうけた広島市民の声として原爆兵器の廃止を入れ全世界にこれを発表して下さい、との緊急動議が出され参加者拍手のうちに可決、続いて議長団より指名された宣言起草委員によって全世界に向って平和のための宣言が発表された。午後5時大会は第二部の映画「ドン底」の上映に移った。
平和擁護広島大会宣言
自由と平和を保証した日本の民主主義革命は最近極めて危険な状態を示してきました。好戦的なファシストたちは、またもや戦争によって利益を得ようとしはじめ、そのための障害となる政治・経済の分野は勿論、科学、芸術、思想、教育などにおいて、さらにそれは日常生活の瑣細な一点に至るまで、総ての民主主義的なものに対して狂暴な圧迫を加えつゝあります。このことは自由と平和を愛好してやまなかったわれわれがかつてのファシズムの被害者としての経験から身をもって知るところの現実であります。ことに民主主義革命の先頭に立ちその主体的役割を果しつゝある労働者階級の諸運動に対しては、最近血を見るほどの暴虐ぶりを示しております。政令、規則、条例などの公布による思想、集会、言論、結社、団体行動の自由に対する明白な蹂躙、全国到る所で惹起する労働争議並びに民主団体に対する警官隊を動員して無謀な弾圧など、憲法によって保証された基本的人権圧殺の事実は、まさにその集中的な現れであります。こうした今日の日本の現実からは、われわれが希ってやまない自由も平和も民族の独立も期待出来ません。さらにこのことは厳粛な世界史の方向にも逆行し人類に課せ られた論理をも無視したものであります。われわれが自然のような強さと深い憂いをもって平和のための一文を草したのもここに由来するものであります。
われわれはこのような矛盾に満ちた現実の中から自由と平和を闘いとるために民主主義革命の先頭をゆく労働者階級との結ぴつきを飛躍的に強化し農民、家庭婦人、青年、学生、中小商工業者たちとも親しく手をとり合い、知識人をもひろく結集して、平和のための一大防壁を築くと共に、今日の国際平和闘争デーを闘いつゝある全世界の平和を愛好する人々の総てと手を握り”戦争ならびにファシズム反対、平和擁護”のための世界的規模における闘いを推し進めねばなりません。
思いまするに、われわれが平和の象徴である広島の地から、こうした平和のための一文を掲げ、人民各層に呼びかけねばならなかったこのこと自体が自由、平和、民族の独立の危機!今日の現実が含む一切の矛盾!人類の生存にとって大きな不幸を招く危険!それらを極めて身近かに象徴していると思います。
われわれは以上のような趣旨によって、人民各層が一人残らず、これに参加し、実に強力な結集と統一との秩序ある広汎な組織を希望いたしますと同時に、われわれはその先頭に立って闘うことを宣言します。
最後に人類史上の最初に原子爆弾の惨禍を経験した広島市民として「原子爆弾の廃棄」を要求します。
1949年10月2日
国際平和闘争デー 平和擁護広島大会
出典:『ひろしま民報』第19号(1949年10月10日)
![]() |
![]() |
広島県立文書館の特別展の展示より | |
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|