年中行事一覧(5月)
日 |
年1* |
年2** |
年中行事・事件 |
備考 |
1 |
1889 |
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メーデー |
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1886年5月1日アメリカの労働者(約35万人)が「1日8時間労働」を要求してストライキ。国際組織(第2インタナショナル)が1989年、5月1日を8時間労働制を求める国際デモンストレーションの人決め、各国に広がる。日本では1920年5月2日、東京・上野公園での開催が初。 |
|
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2018 |
第89回広島県中央メーデー |
主催:連合広島など。会場会場:広島市。参加者:約7100人。 |
|
|
2018 |
広島県中央メーデー集会。 |
主催:広島県労連など。会場:広島市。参加者:約800人。 |
3 |
1948 |
|
憲法記念日 |
1947年5月3日に日本国憲法施行。1948年に公布・施行された祝日法によって制定。 |
|
|
2018 |
5.3ヒロシマ憲法集会 |
場所:広島市・ハノーバー庭園。参加者約1800人(主催者発表) |
3 |
1977 |
|
ひろしまフラワーフェスティバル |
「ひろしまFF」と略称。3~5日の3日間、広島市の平和大通りを会場に開催。 |
|
2009 |
|
折りづるひろば・折りづるみこし連 |
広島女学院大学の学生が「ひろしまFF」の中で設けるブースで折り鶴を集める。折りづるみこしでパレードに参加。2018年が10回目。 |
5 |
1958 |
|
原爆の子の像(除幕式) |
|
|
|
2018 |
原爆の子の像碑前イベント |
広島女学院大学の学生が集めた折りづる1万8000羽を像に奉呈。 |
6 |
|
2018 |
原水爆禁止国民平和大行進(東京―広島コース)出発集会 |
場所:東京都・夢の島公園・第5福竜丸展示館前。参加者約800人。 |
16 |
|
|
広島市の原爆死没者名簿の「風通し」 |
場所:広島市平和公園原爆慰霊碑前。 |
22 |
|
|
広島市平和宣言文案を考える懇談会 |
場所:市役所。 |
27 |
2016 |
|
オバマ米国大統領の広島訪問 |
|
|
|
2018 |
訪問の意義を考えるトークイベント |
2018.5.25 於:広島市内・カフェ「ハチドリ舎」。 |
|
1985 |
|
広島国際アニメーションフェスティバル |
隔年開催で2018年は17回目。 |
28 |
|
2018 |
選考審査の結果・上映日公表。上映日:8月23日~27日。会場:JMSアステールプラザ。http://hiroanim.org/index.php |
*発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 |
年中行事一覧(4月)
日 |
年1* |
年2** |
年中行事・事件 |
備考 |
07 |
1945 |
|
戦艦大和爆沈。 |
米軍の攻撃により鹿児島県沖・東シナ海で。 |
|
|
2018 |
|
戦艦大和戦没者之碑前で追悼式。戦艦大和会主催。場所:呉市・長迫公園。参列者:約300人。 |
07 |
1975 |
|
ヒロシマ国際アマチュア映画祭 |
『広島県大百科事典』に紹介項目。 |
14 |
2016 |
|
熊本地震 |
|
15 |
1986 |
|
広島平和文化センター「ヒロシマの証言~被爆者は語る」収録開始。 |
|
16 |
2016 |
|
熊本地震 |
|
26 |
1986 |
|
旧ソ連チェルノブイリ原発事故 |
|
|
|
2018 |
原爆慰霊碑前座り込み |
広島県原水禁・県平和運動センター主催、場所:広島市・平和公園。約80人が参加。『中国新聞』2018.4.27 |
27 |
|
1991 |
ピース・ラン’91<広島―東京コース>広島平和公園スタート。 |
2年おきに実施し今回が3回目。 |
|
|
|
|
|
*発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 |
年中行事一覧(3月)
日 |
年1* |
年2** |
年中行事・事件 |
備考 |
01 |
1919 |
|
「3・1運動」(韓国) |
日本からの独立を求めるデモ |
|
|
2018 |
「3・1運動」記念式典 |
西大門刑務所歴史館(ソウル市内刑務所跡)主催。文在寅(ムン・ジェイン韓国大統領)が演説。同地での開催は初。 |
01 |
1954 |
|
第五福竜丸水爆被災事件 |
「 3・1ビキニデー2018」(投稿) |
01 |
|
|
|
|
08 |
|
|
国際女性デー |
1904年にアメリカ、ニューヨークでの婦人参政権を要求したデモが起源、1975年に国連が制定。 |
08 |
1948 |
|
国際婦人デー広島大会 |
場所:中国配電ビル講堂。広島大会としては初。 |
|
|
2018 |
2018国際女性デーひろしま実行委員会主催講演会 |
講師:藤森俊希(日本被団協事務局次長)。2018年3月11日、広島市男女共同参画推進センターで開催。参加者約150人。 |
10 |
1945 |
|
東京大空襲 |
|
|
|
2018 |
「慰霊碑・哀しみ東京大空襲」での法要。 |
2018年3月9日開催。。碑は2005年に建立(東京都台東区内)。 |
10 |
|
2018 |
東京大空襲を語り継ぐつどい |
東京大空襲・戦災資料センター主催。講師:窪島誠一郎無言館館主。 |
10 |
|
2018 |
東京大空襲犠牲者追悼集会(31回目) |
東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会主催。場所:東京都台東区・言問橋たもとの碑前。参加者:120人。 |
11 |
2011 |
|
東日本大震災 |
死者1万5895人、行方不明者2539人、震災関連死3647人。 |
11 |
2011 |
|
東京電力福島第一原発事故 |
|
11 |
|
2018 |
フクシマを忘れない! さよなら原発ヒロシマ集会 |
同実行委員会主催。場所:原爆ドーム前。参加者:約300人。 |
|
|
2018 |
東日本大震災7周年追悼式 |
政府主催。会場:東京都千代田区・国立劇場、参列者:秋篠宮夫妻・安部首相・遺族など約820人。 |
11 |
1951 |
|
原民喜死亡 |
|
13 |
|
2018 |
原民喜「碑前祭」の中で被爆柳案内板除幕。 |
広島市中区橋本町京橋川河岸緑地。 |
13 |
1968 |
|
ソンミ村虐殺事件 |
(ベトナム中部クアンガイ省) |
|
|
|
ソンミ村虐殺50年追悼式典 |
|
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|
|
ベトナム戦争中の1968年、無抵抗の民間人504人が米軍部隊に殺害される。同村と交流を続ける元ベトナム従軍米兵も出席。ベトナムの非営利団体「ソンミ平和基金」が、広島・長崎を参考にした平和公園の建設計画を発表。(しんぶん赤旗20180317) |
21 |
1975 |
|
神戸市議会核積載艦艇拒否決議 |
|
|
|
2018 |
非核「神戸方式」決議43周年記念のつどい |
記念講演講師:安斎育郎立命館大学名誉教授。場所:神戸市内。参加者340人。 |
21 |
1982 |
1991 |
3・21平和のためのヒロシマ行動 |
1991年=9回目。 |
23 |
1989 |
|
ヒロシマ賞(広島市主催) |
第1回=三宅一生 |
29 |
1985 |
|
ヒロシマ国際平和マラソン(広島青年会議所など主催) |
1990年3月18日=第10回 |
31 |
|
1990 |
少年少女ヒロシマの旅(日本生協連主催) |
1990年3月31日4~4月2日=第3回 |
*発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 |
年中行事一覧(2月)
日 |
年1* |
年2** |
年中行事・事件 |
備考 |
|
|
|
|
|
11 |
1967 |
|
建国記念の日(国民の祝日) |
|
11 |
1978 |
1992 |
広島県高校生平和ゼミナール |
第1回(1978年)。1992.2.08(第15回) |
11 |
|
2018 |
ヒロシマ革新懇デー「日米「軍事同盟」の光と闇」 |
記念講演:孫埼享(元外務省国際情報局長・防衛大学校教授)場所:生協けんこうプラザ。連絡先:平和・民主・革新の日本をめざす広島の会。 |
13 |
|
|
広島・長崎宗教者平和会議 |
広島・長崎で交互に開催。5回(13日、長崎)、6回(13日、広島 |
18~ |
1937 |
|
重慶爆撃 |
|
19 |
|
|
フランクリン・D・ルーズベルト大統領「大統領令9066号」に署名。 |
「軍が必要がある場合(国防上)に強制的に『外国人』を隔離する」ことが可能となる。 |
*発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 |
日録(2018年1月)
日 |
事項 |
1日 |
ヒロシマ遺文開設。作成のため利用するWordPressの基礎を理解するために約1週間かかる。 |
1~ |
ヒロシマ遺文の カテゴリー(目次のようなもの)の構築へ挑戦。とりあえず過去に作成・公開していたデジタルデータを投稿。 |
20 |
木村逸司さんの中国文化賞を祝う会。 |
25 |
第25回広島平和記念資料館展示検討会議(最終回) |
25 |
広島原爆被爆からの日数26470日(「地球平和監視時計」情報) |
25 |
地球滅亡まであと2分(米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」発表の「終末時計」情報) |
25 |
平和公園取材(原爆慰霊碑など撮影) |
26 |
「投稿」原稿作成途中でWikipediaが充実してきていることを知る。一般的な項目は、Wikipediaの紹介に譲り、ヒロシマ遺文では、自分史との関連で取り上げることとする。 |
27 |
広島市内千田町・大手町取材(原爆慰霊碑・被爆建造物など撮影) |
28 |
スマホ(VAIO)購入。明日からフェイスブックやヒロシマ遺文への画像投稿作業が容易になることを期待。 |
29~ |
1月分の新聞(3紙)の切り抜きと整理。最近1年間に受贈した本の整理。 |
日録(2018年2月)
日 |
事項 |
02 |
「01月忌(一覧)」、「 02月忌(一覧)」を作成。 |
03 ~ |
過去のデジタルデータを順次投稿。 |
07 |
~8日。 広島平和文化センター編『平和事典』(1985年)を読む。目次(広島平和記念資料館「平和データベース」からダウンロード)に読んだ項目の執筆者を記入。 |
09 |
「「平和事典」執筆者」を投稿。 |
|
|
日録(2018年3月)
日 |
事項 |
05 |
「03月忌」に「内田恵美子」を投稿。 |
09 |
「02月忌(一覧)」「03月忌(一覧)」を投稿。 |
17 |
似島(広島市南区)原爆碑・原爆遺跡調査。 |
日録(2018年4月)
日 |
事項 |
02 |
実家と自宅で花を撮影。「ヒロシマ遺文」に投稿。 |
0 2 |
~3日。『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版、2010.12.20刊)を読む。 |
05 |
「ヒロシマ遺文」 に、「秦野裕子」を「人物」に投稿、「講座ヒロシマ20020929戦後政治と原爆被害者の動向-原爆死没者追悼と政府の対応」を「その他」に投稿 |
06 |
「ヒロシマ遺文」 に,「戦争と平和の旅1993年1月25日~30日」を投稿 |
08 |
「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 1995.1.17」見学。 |
14 |
My little concert(私のコンサート)<被爆ピアノによる演奏・伴奏>鑑賞。会場:旧日本銀行広島支店。 |
20 |
「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム=ピースおおさか」見学 |
20 |
「阪急古書のまち」で記念切手「広島平和記念都市建設(バラを持つ女性)」(1949年8月6日発行)購入。 |
27 |
『灰墟の光 甦るヒロシマ』(ロベルト・ユンク著、原田義人訳、文芸春秋、1961年2月10日刊)を読み始める。 |
日録(2018年5月)
日 |
事項 |
1 |
新聞切り抜きと記事の分類整理。 |
9 |
ヒロシマ遺文 の「出来事―年表(テーマ別)」に「メーデー(広島)年表」を投稿 |
10 |
~12日。広島県史編さん室勤務時の資料を整理。 |
14 |
NNNドキュメント「南京事件Ⅱ~歴史修正を検証せよ」を視聴。0 |
18 |
原爆放射線医科学研究所 附属被ばく資料調査解析部を訪問。 |
20 |
「風のように炎のように-峠三吉追悼集」の詳細目次を作成にヒロシマ遺文に投稿 |
22 |
ヒロシマ遺文 の「出来事」に「編年資料:ヒロシマ」(1945年~1960年分)を投稿。過去に収集した資料のタイトルを年ごとに目録化したもの。 |
23 |
『日本労働年鑑 大原デジタルライブラリー』(大原社会問題研究所)を読み始める。http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/index.html |
25 |
フェニックス広島号の冒険(アール・レイノルズ著) を読む。 |
26 |
森滝日記の新聞連載のデータを整理。 |
28 |
「特別調査一件(広島県総務部地方課) 」を読む。 |
日録(2018年6月)
日 |
事項 |
1 |
ヒロシマ遺文への投稿。「広島県労働年鑑」を読む。5月分の新聞切り抜き作業。 |
1 |
フタバ図書(県内各店舗)で被爆70年史の予約を開始。販売時期:7月28日。 |
2 |
夜の散歩中、実家の川沿でホタル3匹確認。 |
2 |
「平和記念式典」関係資料の整理。ヒロシマ遺文への投稿。 |
3 |
『中国新聞』14~17面に大学徹底研究「広島県の大学へ行こう」(企画特集・PRのページ)。これによると、県内には「ヒロシマ」を学べる大学がない。私の見落としか? |
6 |
~8日。ヒロシマ遺文への投稿。「原爆報道」 |
9 |
ヒロシマ遺文への投稿。「国連」。「科学者会議」。「自治研」など。 |
10 |
ヒロシマ遺文への投稿。「国際シンポ」など。 |
11 |
ヒロシマ遺文への投稿。「ヒバクシャ―ともに生きる」など |
12 |
呉市立図書館へ。早朝、ネットで予約した「地域社会福祉史入門」(田代国次郎著)を受け取るため。窓口では、すでに昭和図書館に移動中なので、こちらには無い、昭和図書館に届くのは11時以降とのこと。 |
12 |
ヒロシマ遺文への投稿。「ヒバクシャ―ともに生きる」など。 |
13 |
町内のコンビニへ。米朝首脳会談を一面で掲載している新聞を購入。 |
15 |
ヒロシマ遺文に福祉関連の事項を投稿。 |
16 |
ヒロシマ遺文にNPT再検討会議関連の事項を投稿。 |
18 |
ヒロシマ遺文に「広島・長崎の証言の会」、「NPT再検討会議」などを投稿。 |
19 |
ヒロシマ遺文に投稿。「平和記念式典」など。 |
20 |
ヒロシマ遺文に投稿。「核兵器禁止条約・平和式典参加状況表など。 |
21 |
原爆資料館。福島学芸員と広島情報の発信情報につき意見交換。『患者と福祉』、『平和のために市民の対話をすすめる会・会誌』を閲覧。 |
21 |
広島平和会館。前田耕一郎広島県被団協事務局長と会ヒロシマ関係資料の収集・保存体制につき意見交換。 |
21 |
広島市公文書館。安藤福平氏と私の所蔵するヒロシマ関係資料につき意見交換。 |
22 |
ヒロシマ遺文に投稿。「若い広島の会」 |
23 |
ヒロシマ遺文に投稿。「昭和天皇実録」「忘れてはならない4つの日」 |
24 |
ヒロシマ遺文に投稿。「原水爆禁止大会・平和集会(2017年)」 |
27 |
「 12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題講演会」(2017年12月2日 広島市総合福祉センター)の講演要旨をまとめ、原爆被害者相談員の会事務局に送付。 |
28 |
ヒロシマ遺文の「回顧:年中行事・事件」用のデータ整理。6月分の新聞切り抜きと分類整理。 |
29 |
~30日。ヒロシマ遺文の「祈り―月忌(一覧)」の整備。 |
30 |
『呉海軍工廠の形成』(千田武志著)を語る会。呉阪急ホテル。 |
|
|
日録(2018年7月)
日 |
事項 |
01 |
12時15分、町内放送の呼びかけで1分間の黙とう(呉空襲犠牲者慰霊・恒久平和祈念の日) |
01 |
~2日。 カテゴリー(このサイトでは目次に相当)の再検討 |
02 |
雨の合間を縫って「7月の草花」 を撮影。投稿。 |
03 |
受贈した本の整理 |
04 |
台風7号の暴風で倒れた倉庫のヘチマなどの支柱を補強。 |
05 |
カテゴリー「組織」の再検討。組織のエクセルデータ(600件超)の重複削除などの整備に着手。 |
06 |
夜から豪雨~8日。呉―焼山を結ぶ幹線道路(平谷線)が不通となり焼山町は孤立状態。避難指示が発令されたが自宅で過ごす。 |
09 |
午前6時過ぎ町内放送。幹線道路(平谷線)が開通し、広電バスが運行開始とのこと。 |
11 |
WHOデータの死亡月別への再整理。「月忌」データとして利用するため。 |
13 |
WHOデータの死亡月別への再整理、終了。 |
14 |
7月6日以降の新聞切り抜き。 |
|
|
日録(2018年8月)
日 |
事項 |
04 |
合同授業「ヒロシマ」(関西学院大学・広島女学院大学)に参加。 |
06 |
広島市平和記念式典に参列。 |
06 |
「広島への原爆投下からの日数 26663日」(出典:原爆資料館「地球平和監視時計」) |
09 |
11:02 町内放送の呼びかけで黙とう(長崎原爆の日) |
11 |
ひろしま盆ダンス。旧広島市民球場跡。 |
12 |
「この世界の片隅に」マンガ原画展(呉市立美術館、7月22日~9月9日)。入船山記念館。 |
12 |
自宅のネットの速度を上げるためルーターを新調。 |
15 |
12:00 町内放送の呼びかけで黙とう(終戦記念日)。 |
16 |
慰霊碑関係資料・被爆建物関係資料の整理に着手。 |
21 |
ヒロシマ遺文に投稿。「原爆被爆者対策前史資料集」の一部。 |
25 |
第24回平和のための広島の戦争展。会場:県民文化センター(広島市)。 |
25 |
広島市映像文化ライブラリー「映画『平和記念都市ひろしま』とその時代」。 |
25 |
パソコンソフト「読取革命」(11620円)を購入。 |
26 |
「読取革命」を自宅のパソコンにインストールし、使用方法の確認。 |
27 |
眼科医院。6年前の白内障手術後の状態は良く、目・視力等は正常とのこと。点眼の薬を処方される。 |
28 |
ヒロシマ遺文のカテゴリーの体系の再検討。~30日、大幅変更。 |
31 |
過去の『ヒロシマ通信』のデータや女学院勤務期に作成したデータの確認作業。ヒロシマ遺文に掲載したい事項多数あり。 |
日録(2018年9月)
日 |
事項 |
01 |
過去の『ヒロシマ通信』のデジタルデータをヒロシマ遺文に掲載するための準備作業。 |
03 |
今年になってからの葉書・手紙類の整理。 |
04 |
過去の葉書・手紙類の整理。~7日。 |
08 |
エクセルデータWHO(人物)の整備作業と「月忌」(ヒロシマ遺文)への投稿。 |
09 |
ヒロシマ遺文「月忌」への追加作業。 |
10 |
広島大学文書館発行の所蔵目録を参考に、ヒロシマ遺文「月忌」への追加作業。~12日。 |
13 |
所蔵する追悼集を参考にヒロシマ遺文「月忌」への追加作業。~13日。 |
16 |
ヒロシマ遺文のカテゴリーの再検討とそれに基づく新聞切り抜きの分類整理。~17日。 |
18 |
たまたまNHKで放映されていたBSプレミアム『二十四時間の情事』を観る。広島の風景を繰り返し。 |
19 |
呉市民劇場.こまつ座公演「マンザナ、わが町」。呉市文化ホール。日系アメリカ人強制収容所問題の顛末がわかりやすく描かれていた。 |
21 |
天皇夫妻、広島県呉市の天応地区を見舞う。家族からヘリコプターで降り立った二河球場から被災地に向かう天皇に出会った様子を聞く。 |
22 |
広島県立図書館で「若い広島の会第1号」を部分コピー。県立文書館で今堀誠二資料目録の閲覧。 |
日録(2018年10月)
日 |
事項 |
4 |
修学院離宮から詩仙堂に向かう途次、 圓光寺(京都市左京区一条寺)の門前を通る(同寺には、広島で被爆した南方特別留学生の墓あり)。参照:サイド・オマール |
12 |
『戦後ヒロシマの記録と記憶』出版記念パーティー。会場:広島市内。 |
13 |
「広島への原爆投下からの日数 26731日」(出典:原爆資料館「地球平和監視時計」) |
13 |
大 学生10人を引率して平和公園フィールドワーク。 |
21 |
グリーンヒル郷原「秋の収穫祭」。<売上の一部は「原爆ドーム保存募金」に寄付されます>とのキャッチコピーに惹かれ<「ヒロシマPEACE」バナナ>を購入。 |
29 |
鹿児島県原爆犠牲者慰霊平和祈念碑(鹿児島県鹿児島市照国町城山公園内 探勝園)を取材。 |
日録(2018年11月)
日 |
事項 |
04 |
世界遺産関係記事の新聞切り抜きを整理。~5日。 |
06 |
『広島財界今昔物語』を斜め読み。 |
08 |
広島市現代美術館。特別展「丸木位里・俊 ―《原爆の図》をよむ」コレクション展「2018-Ⅲ コレクション・ハイライト+特集「顔のような」」。『原爆の図』(1953年 新星映画社 17分 白黒 16㎜)( 監督/今井 正、青山通春 撮影/浦島 進 解説/赤木蘭子)。図録を購入。 |
11 |
自宅書庫から追悼集・遺稿集などを抜き出す。 |
14 |
「世界の子どもの平和像・京都」( 京都府教育会館前)を撮影。 |
15 |
滋賀県大津市取材。<三井寺観音堂(西国第14番)=「天台寺門宗総本山園城寺(三井寺)で毎年八月六日原爆犠牲者慰霊追悼」(出典:『日本被団協50年史 本巻』416頁)> |
15 |
京都府原爆被災者の会「京都府原爆死没者慰霊碑」(京都東山霊山観音教会)を撮影。 |
19 |
実家書庫から追悼集・遺稿集などを抜き出す。 |
20 |
母屋北側の書庫の本の整理。抜き出した追悼集・遺稿集などを自宅に持ち帰る |
22 |
追悼集・遺稿集をもとに、デジタルファイル”WHO”の校訂作業。 |
23 |
桜が丘母屋の母の書斎から豊田清史・火玄関係の刊本を自宅に持ち帰る。追悼集・遺稿集をもとに、デジタルファイル”WHO”の校訂作業。 |
24 |
追悼集・遺稿集をもとに、デジタルファイル”WHO”の校訂作業。自宅の書斎に「月忌」順に配列。 |
25 |
桜が丘の母の書斎から短歌の本を自宅に持ち帰る。 |
27 |
WHO(人物)関係資料の整理。~29日 |
30 |
原爆資料および情報ネットワーク委員会関係のデジタル資料をやっと見つけ出す。一部を「ヒロシマ遺文」に投稿。 |
日録(2018年12月)
日 |
事項 |
01 |
TOP頁の更新 |
02 |
カテゴリー「原爆資料」の再検討。 |
03 |
「12月忌(一覧)」を校訂し、投稿。 |
04 |
「ヒロシマ遺文」のカテゴリー「原爆資料」の再検討。 |
05 |
「ヒロシマ遺文」のカテゴリー「ヒバクシャ」の再検討。「広島県旧陸軍被服支廠保存・活用懇話会」関係データを投稿。 |
06 |
一日雨。「ヒロシマ遺文」の投稿「宇吹所蔵目録(広島市関係)」の充実作業。 |
08 |
新日本婦人の会呉支部「第3回戦争体験を聞く会」。場所:呉市生涯学習センター(つばき会館)。<新日本婦人の会呉支部「第3回戦争体験を聞く会」案内ビラの情報=7月23日~29日開催予定のヒロシマ・ナガサキ原爆と人間パネル展は市役所ロビーが豪雨災害避難場所となったため中止。> |
14 |
桜が丘の書庫の整理。資料の配置を大幅に変更。 |
16 |
過去の年賀はがきの整理。併せてWHO(人物)関係資料・データの更新作業。 |
27 |
TOP頁の更新 |
29 |
容量拡大のためサーバーを変更。 |
旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案
(1993.2.1 宇吹 暁委員)
ヒロシマ・ピース・プラザ(広島県平和館)とし、非核自治体宣言に基づく行政施策の中心施設と位置づけ、県民やアジアを中心とした世界の平和情報の受信と発信の機能を持たせる。
[具体的機能]
Ⅰ.広島県近・現代史資料館としての機能
☆原爆被害の実態解明
*原爆被害は、建物疎開作業や救護活動への動員により、県内全般にひ ろがっている。しかし、これらの実態解明は、広島市の努力には限界が あり、県として独自に取り組む意義が存在する。
☆広島県と戦争に関する資料の収集・整理
*広島県編「広島県戦災史」の編さん過程で、県内には多数の軍事関係 の行政資料が残っていることが確認できた。県立文書館と連携をとりな がら、明治以降の兵事資料を中心に収集・保存・整理を行う。
*兵役・戦闘・空襲・銃後に関連する資料は、呉や福山の空襲を記録す る会などにより、展覧会用に一時的に収集されたことはあるが、恒久的 な保存措置は取られていない。県として協力を呼びかけることにより、 多数の団体・個人資料が発掘できるものと思われる。
*「軍都広島」の実態を明らかにするため、防衛庁防衛研修所・13師 団(海田)・入船山記念館(呉)・参考資料館(江田島)・毒ガス資料 館(大久野島)などで収集されている資料の映像化による収集と総括的 なデ-タベースの構築を行う。
Ⅱ.国際交流機能
*海外からの広島訪問者に広島県を紹介する窓口
*海外からの短期の技術研修者・放射線医療研修者の宿泊施設
*留学生と日本の青少年との交流の場
広島県旧陸軍被服支廠保存・活用懇話会
設置:1992(平成4)年8月4日
動向
月 |
日 |
事項 |
1992年 |
03 |
05 |
竹下広島県知事、県議会で旧陸軍被服支廠の保存に前向きの答弁。また、放射線被曝者医療国際協力推進協議会の事業に原爆被爆の実相や「ヒロシマの心」を伝える内容を盛り込む意向を表明。 |
06 |
01? |
広島市の旧陸軍被服支廠の保存・再生案、市民グループによりまとめられる。 |
06 |
29 |
広島市内の市民グループ、被爆した旧陸軍被服支廠の保存・再生案の提案書「赤れんが生きかえれ」を所有者の県に提出。 |
08 |
04 |
広島県、旧陸軍被服支廠保存・活用懇話会を設置。 |
09 |
18 |
広島県、旧陸軍被服支廠保存活用方策懇話会の初会合を開催。現地も視察。 |
11 |
16 |
橋本秀夫広島県建築士会副会長、旧陸軍被服支廠を調査。取り壊しを控え調査を要望。 |
11 |
19 |
原爆遺跡保存運動懇談会、旧陸軍被服支廠の保存・活用方法について、被爆の実相を伝える工夫をするよう広島県知事らに要望書を提出。 |
1993年 |
01 |
12? |
広島県建築物調査・改修協同組合、旧陸軍被服支廠の耐久度調査結果を発表。改修や補強で再利用はOK。 |
02 |
01 |
広島県の「旧陸軍被服支廠保存・活用方策検討委員会」、第3回会合(最終)を開催。 |
04 |
16? |
広島県の「旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会」、会合の意見を報告書にまとめる。 |
08 |
10 |
広島県、被爆建物「旧陸軍被服支廠」の保存活用のための検討委員会を設置することを決め、委員13人の名前を公表。18日、初会合。 |
08 |
18 |
広島県、被爆建物「旧陸軍被服支廠」の保存活用方策検討委員会の初会合を開催。 |
10 |
25? |
土橋春人、旧陸軍被服支廠を明治38年に移した写真を広島市公文書館へ寄贈。 |
1994 |
01 |
31 |
広島県の「被爆50周年記念事業検討委員会」、第3回会合を開催。旧陸軍被服支廠の保存策がまとまらず、年内に報告書をまとめることになる。 |
03 |
03 |
広島県知事、県議会の答弁で被爆50周年の記念事業への取り組みとして旧陸軍被服支廠の活用、戦後50年誌の発刊などをあげる。 |
07 |
19 |
広島県の旧陸軍被服支廠の建物の活用検討委員会、第4回目の会合を開催。 |
12 |
05 |
広島県の戦後50周年記念事業検討委員会、旧陸軍被服支廠の保存・活用策について瀬戸内海文化博物館と音楽芸術センターとするなどの案をまとめる。 |
12 |
12 |
広島県の橋口収戦後50周年記念事業検討委員会座長、旧陸軍被服支廠の保存・活用策についての報告書を藤田県知事に提出。 |
1995年 |
03 |
22 |
原爆遺跡保存運動懇談会、県に旧陸軍被服支廠を被爆資料展示施設として活用を求める要望書を広島県に提出。 |
03 |
31 |
広島大学学生寮「薫風寮」、大学移転に伴い閉鎖。同建物は旧陸軍被服支廠で被爆建物。 |
05 |
03 |
広島市の被爆建物である旧陸軍被服支廠で火事。1階の一部約200平方メートルが焼ける。 |
09 |
13 |
広島県の瀬戸内海文化博物館策定会議の初会合。旧陸軍被服支廠の活用を検討。 |
1996年 |
04 |
03? |
広島県の「瀬戸内内海文化博物館」(被爆建物の旧陸軍被服支廠を利用)構想策定会議、平成7年度中の構想の策定を1年延期。 |
1997年 |
02 |
19? |
広島県、被爆建物「旧陸軍被服支廠」を「瀬戸内海文化博物館」として活用する構想の再検討を計画。耐震補強に巨額の経費が必要なことが判明したため。 |
03 |
27 |
広島県、旧陸軍被服支廠(広島市南区の被爆建物)を活用した瀬戸内文化博物館の基本イメージを発表。 |
12 |
26 |
広島県、被爆建物の旧陸軍被服支廠を「瀬戸内海文化博物館(仮称)」として活用する計画を、県財政の悪化を理由に当分凍結することを明らかにする。 |
1998年 |
02 |
16 |
広島県、1998年度予算案を発表。被爆建物の旧陸軍被服支廠を保存・活用する「瀬戸内文化博物館」計画を休止。 |
08 |
06 |
野外現代美術展「ヒロシマ・アート・ドキュメント98」、広島市の旧陸軍被服支廠などで開催。-20日。 |
千羽鶴-原爆の子の像の記録(豊田清史、昭森社、19580806)目次
|
|
1 |
起き上った子どもたち |
2 |
千羽鶴の折紙も空し |
3 |
「こけしの会」から「平和をきずく会」へ |
4 |
少し勉強して出血する |
5 |
非人間への抗議の証 |
6 |
全国の友達の激励に支えられて |
7 |
私たちは論議よりも実践をする |
8 |
級友の手で文集『こけし』を発刊 |
9 |
恵美子さんの臨終 |
10 |
百万の子どものねがい、制作は菊池先生 |
11 |
世界の子どもが手をつなごう |
12 |
クリスマス島の水爆実験に抗議する |
13 |
いためつけられる墓碑 |
14 |
星の一つが見つめている |
15 |
大人の批判もうけて |
16 |
広島の死の事実を |
17 |
世紀の握手、Xマスの集い |
18 |
〈原爆の子〉の祈念像 |
|
〈附録〉「平和をきずく児童・生徒の会」のあしあと |
|
あとに |
|
補記 |
〈附録〉「平和をきずく児童・生徒の会」のあしあと
年 |
月日 |
事項 |
1955(昭和30) |
1025 |
佐々木禎子さんが原爆症でたおれた。12人目。 |
|
1110 |
|
|
1225 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
原爆被災者数(1950年)と被爆者数の推移<都道府県別>
*1950年国勢調査の付帯調査としてABCCが実施した原爆被災生存者調査の結果判明した数。**各年度末の被爆者健康手帳所持者数
|
1950広島* |
1950長崎* |
1950両市計* |
1975年度** |
1995年度** |
2017年度** |
北海道 |
581 |
105 |
686 |
592 |
638 |
292 |
青森県 |
103 |
15 |
118 |
85 |
113 |
50 |
岩手県 |
145 |
24 |
169 |
110 |
116 |
27 |
宮城県 |
256 |
27 |
283 |
234 |
273 |
130 |
秋田県 |
131 |
18 |
149 |
48 |
74 |
19 |
山形県 |
163 |
12 |
175 |
104 |
101 |
18 |
福島県 |
264 |
25 |
289 |
147 |
161 |
62 |
茨城県 |
360 |
29 |
389 |
369 |
600 |
344 |
栃木県 |
247 |
31 |
278 |
273 |
351 |
176 |
群馬県 |
242 |
17 |
259 |
215 |
268 |
118 |
埼玉県 |
372 |
54 |
426 |
1499 |
2607 |
1728 |
千葉県 |
611 |
67 |
678 |
2174 |
3722 |
2213 |
東京都 |
2936 |
766 |
3702 |
9158 |
9791 |
5203 |
神奈川県 |
925 |
215 |
1140 |
4459 |
6166 |
3886 |
新潟県 |
262 |
29 |
291 |
193 |
225 |
92 |
富山県 |
97 |
26 |
123 |
132 |
137 |
52 |
石川県 |
170 |
32 |
202 |
186 |
189 |
82 |
福井県 |
190 |
31 |
221 |
178 |
165 |
57 |
山梨県 |
152 |
11 |
163 |
107 |
130 |
72 |
長野県 |
264 |
30 |
294 |
196 |
227 |
106 |
岐阜県 |
331 |
39 |
370 |
543 |
722 |
338 |
静岡県 |
438 |
65 |
503 |
786 |
1062 |
534 |
愛知県 |
940 |
120 |
1060 |
2862 |
3610 |
1957 |
三重県 |
431 |
40 |
471 |
619 |
796 |
336 |
滋賀県 |
360 |
72 |
432 |
317 |
536 |
311 |
京都府 |
821 |
143 |
964 |
1422 |
1707 |
927 |
大阪府 |
2362 |
634 |
2996 |
9184 |
10795 |
5083 |
兵庫県 |
2025 |
475 |
2500 |
5045 |
6033 |
3204 |
奈良県 |
240 |
60 |
300 |
542 |
985 |
553 |
和歌山県 |
386 |
53 |
439 |
467 |
509 |
207 |
鳥取県 |
586 |
19 |
605 |
622 |
779 |
255 |
島根県 |
1667 |
67 |
1734 |
2119 |
2626 |
918 |
岡山県 |
1840 |
88 |
1928 |
3289 |
3385 |
1417 |
広島県 |
125167 |
318 |
125485 |
179761 |
147695 |
19836 |
山口県 |
4245 |
331 |
4576 |
7008 |
6387 |
2602 |
徳島県 |
377 |
123 |
500 |
426 |
520 |
139 |
香川県 |
702 |
113 |
815 |
812 |
796 |
298 |
愛媛県 |
1410 |
209 |
1619 |
1842 |
1664 |
666 |
高知県 |
442 |
127 |
569 |
333 |
395 |
141 |
福岡県 |
1854 |
2530 |
4384 |
8597 |
10527 |
5892 |
佐賀県 |
304 |
1685 |
1989 |
2157 |
2190 |
943 |
長崎県 |
1031 |
111287 |
112318 |
109650 |
86913 |
11385 |
熊本県 |
498 |
1843 |
2341 |
2286 |
2372 |
999 |
大分県 |
667 |
870 |
1537 |
1028 |
1236 |
547 |
宮崎県 |
427 |
692 |
1119 |
732 |
1024 |
398 |
鹿児島県 |
575 |
1334 |
1909 |
1013 |
1749 |
652 |
沖縄県 |
0 |
0 |
0 |
340 |
353 |
146 |
広島市 |
0 |
0 |
0 |
114542 |
96929 |
50384 |
長崎市 |
0 |
0 |
0 |
82705 |
59850 |
29064 |
全国 |
158597 |
124901 |
283498 |
364261 |
323420 |
154859 |
|
1950広島* |
1950長崎* |
1950両市計* |
1975年度** |
1995年度** |
2017年度** |
日本原爆論大系 全7巻(日本図書センター、1999.06.25刊)
巻 |
タイトル |
1 |
なぜ日本に投下されたか |
2 |
被爆者の戦後史 |
3 |
原爆被害は国境を越える |
4 |
核兵器禁止への道Ⅰ |
5 |
核兵器禁止への道Ⅱ |
6 |
核兵器禁止への道Ⅲ |
7 |
歴史認識としての原爆 |
巻 |
章 |
著者 |
タイトル |
1 |
なぜ日本に投下されたか |
|
1 |
原爆投下はどう受け止められたか |
|
|
仁科芳雄 |
原子爆弾 |
|
|
長田新 |
「原爆の子」序 |
|
|
塩月正雄・岡本彰祐・山本杉・草野信男・浦松佐美太郎 |
世界に訴へる日本原爆医学 |
|
2 |
なぜ日本に投下されたか |
|
|
長田新 |
原子爆弾はなぜ投下されたか |
|
|
荒井信一 |
「原爆投下への道」〈抄〉 |
|
3 |
原爆はどう報道されたか |
|
|
松浦総三 |
原爆、空爆報道への統制 |
|
|
堀場清子 |
「禁じられた原爆体験」〈抄〉 |
2 |
被爆者の戦後史 |
|
|
|
1 |
原爆は人間に何をもたらしたか |
|
|
川手健 |
半年の足跡 |
|
|
伊東壯 |
厚生省被爆者調査に欠落したもの |
|
|
伊東壯 |
原爆被害者の現状と“否定”意識 |
|
|
ロバート・J・リフトン |
生存者 |
|
|
石田忠 |
反原爆の〈立場〉 |
|
2 |
被爆者は戦後をどう生きたか |
|
|
|
|
|
|
伊東壯 |
厚生省被爆者調査に欠落したもの |
|
|
伊東壯 |
原爆被害者の現状と“否定”意識 |
|
|
石田忠 |
反原爆の〈立場〉 |
|
3 |
|
「きのこ会」を見つめ続けて |
|
|
山代巴 |
わたしの報告 |
|
|
大牟田稔 |
「八月の沈黙」 |
|
|
大牟田稔 |
「原爆の刻印」背に半世紀 |
|
4 |
ヒロシマ・ナガサキからの訴え |
|
|
鎌田定夫 |
ナガサキ・七〇年代の記録と証言運動 |
|
|
松元寛 |
ヒロシマとナガサキ-その意味を考える視角 |
3 |
原爆被害は国境を越える |
|
1 |
|
原爆被害の裏側 |
|
|
金井利博 |
核権力と自由 |
|
2 |
南米・北米のヒバクシャ |
|
|
藤原茂 |
ボンバ・アトミカ-南米に生きる被爆者たち |
|
3 |
もう一つのヒロシマ・ナガサキ |
|
|
李実根 |
被爆朝鮮人問題と「朝被協」 |
|
4 |
在韓被爆者は訴える |
|
|
平岡敬 |
国家と被爆者 |
|
|
原爆被爆者対策基本問題懇談会 |
原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について |
|
5 |
強制連行された中国人被爆者 |
|
|
|
|
|
6 |
被爆者補償 |
|
|
田村和之 |
在外被爆者への被爆者法の適用 |
4 |
核兵器禁止への道Ⅰ |
|
1 |
占領下の核兵器禁止運動 |
|
|
今堀誠二 |
朝鮮戦争に抗して〈抄〉 |
|
2 |
ビキニ被災事件の衝撃 |
|
|
|
|
|
3 |
原水爆禁止運動の高揚と分裂 |
|
|
自由民主党広島県議会議員会 |
原水爆禁止世界大会の正常会を望む |
|
|
黒田秀俊 |
原水協にまつわる黒い影 |
|
|
今堀誠二 |
国民運動の崩壊と再生への四つの芽 |
|
4 |
運動の統一と運動のあり方をめぐる論争 |
|
|
金子満広 |
原水禁運動-よみがえった原点 |
|
|
松江澄 |
民主主義の徹底をとおして新しい社へ〈抄〉 |
|
|
高橋昭博 |
原水禁運動の「統一」について |
|
5 |
|
NGO被爆問題シンポジウム |
|
|
|
|
5 |
核兵器禁止への道Ⅱ |
|
1 |
国連軍縮特別総会に向けて |
|
|
|
|
|
2 |
文学者の反核声明をめぐって |
|
|
|
|
|
3 |
核絶対否定か核兵器絶対否定か |
|
|
森滝市郎 |
被爆三十一周年原水爆禁止世界大会国際会議主催者代表演説 |
|
|
三宅泰雄、安斎育郎、本谷勲 |
三科学者、大いに語る |
|
4 |
原水爆禁止運動は再分裂へ |
|
|
|
|
|
5 |
核抑止か核兵器廃絶か |
|
|
|
|
|
6 |
核不拡散条約をめぐって |
|
|
|
|
|
7 |
核の傘・非核三原則をめぐって |
|
|
|
|
6 |
核兵器禁止への道Ⅲ |
|
1 |
沖縄の核 |
|
|
|
|
|
2 |
非核自治体運動とは何か |
|
|
西田勝 |
日本における非核自治体運動の現状と今後の課題 |
|
|
西田勝 |
非核自治体は世界を変える |
|
|
自由民主党 |
非核都市宣言について |
|
|
今堀誠二 |
世界平和連帯都市市長会議の意義と課題 |
|
|
鎌田定夫 |
核廃絶へ都市と市民の連帯を |
|
|
林茂夫 |
非核都市宣言の理念と目的 |
|
3 |
戦略防衛構想をめぐって |
|
|
安斎育郎 |
SDIで核廃絶は可能か |
|
4 |
中距離核戦力をめぐって |
|
|
|
|
|
5 |
日本政府の核政策をめぐって |
|
|
|
|
|
6 |
核不拡散条約の延長問題 |
|
|
|
|
|
7 |
包括的核実験禁止条約をめぐって |
|
|
|
|
|
8 |
核使用は国際法違反か |
|
|
平岡敬 |
国際司法裁判所における広島市長の陳述 |
|
9 |
東西冷戦終結後の課題 |
|
|
土山秀夫 |
被爆地から核兵器廃絶への道を問う |
|
|
庄野直美 |
北東アジア非核化条約を実現せよ |
|
10 |
印パ両国の核実験をどうみるか |
|
|
|
|
|
11 |
核時代の文化と芸術 |
|
|
芝田進午 |
核時代の文化的展望II-世界の地理的-文化ビジョン |
|
|
芝田進午 |
核時代の文化的展望III-大国中心主義をこえて |
|
|
芝田進午 |
核時代の芸術的展望-“反核芸術”-“反核芸術”論序説 |
7 |
歴史認識としての原爆 |
|
1 |
広島・長崎はどう語られてきたか-5年ごとのプレイバック |
|
|
庄野直美 |
ヒロシマ25年 |
|
|
岡本三夫 |
アメリカ合衆国・一九八五年八月 |
|
2 |
慰霊碑の碑文論争 |
|
|
浜井信三 |
「過ちは繰返しません」 |
|
|
山田節男 |
「原爆慰霊碑改築の是非!」広島市長 山田節男氏に訊く |
|
|
朝尾義光・吉川清・宮本正夫・中村良三 |
「原爆慰霊碑改築の是非!」座談会-1 |
|
|
森弘助治・浜本万三・佐竹信朗・田淵実夫・田辺耕一郎 |
「原爆慰霊碑改築の是非!」座談会-2 |
|
|
荒木武 |
第二回国連軍縮特別総会における荒木武・広島市長の演説 |
|
3 |
被害と加害をめぐって |
|
|
今堀誠二 |
ヒロシマ・ナガサキと中国 |
|
|
栗原貞子 |
「地による昭和史」 |
|
|
平岡敬 |
アジアとヒロシマ |
|
|
本島等 |
広島よ、おごるなかれ |
|
|
広島県原爆被害者団体協議会 |
本島論文に対する抗議文 |
|
|
本島等・袖井林二郎・松元寛・河野一郎 |
原爆ドーム世界遺産化で考える |
|
|
高橋昭博 |
複眼で見よう原爆被害と戦争加害 |
|
4 |
スミソニアン原爆展問題 |
|
|
マーティン・ハーウィット・油井大三郎 |
スミソニアン原爆展示はなぜ阻止されたか |
|
|
斉藤道雄 |
「原爆神話の五〇年」〈抄〉 |
|
|
米山リサ |
越境する戦争の記憶 |
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米谷ふみ子 |
ヒロシマと真珠湾 |
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直野章子 |
「ヒロシマ・アメリカ」〈抄〉 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。