Voices from Hiroshima
a symposium November 28-29, 1990
Student Center Ballroom Annex Centra l Connecticut State University
New Britain, Connecticut
資料
宇吹暁 『アメリカ(コネチカット州・ニューヨーク)旅行の記録 1990.11.27-12.3(5泊8日)』 | |
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Voices from Hiroshima
a symposium November 28-29, 1990
Student Center Ballroom Annex Centra l Connecticut State University
New Britain, Connecticut
資料
宇吹暁 『アメリカ(コネチカット州・ニューヨーク)旅行の記録 1990.11.27-12.3(5泊8日)』 | |
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平和の時計塔
建立年月日:1967(昭和42)年10月28日
場所:広島市中区中島町・平和公園
[正面]
平和の時計塔
PEACE CLOCK TOWER
核原子力の出現により、人類はいま生か、死か、破滅か、繁栄かの岐路に立っている。
ひろい世界を同じ心で一つに結ぶ、全世界のライオンズ会員が平和実現のために果す役割は大きい。
原爆ドームの永久保存に呼応し、人類が初の原爆の洗礼を受けた時刻、8時15分に、毎日全世界に向けこの時計塔のチャイムが「ノーモアヒロシマ」を強く訴え、人類の高級平和実現の一日も早からんことを祈り、この時計塔を建設し、市に贈るものである。昭和四十二年十月二十八日
チャーター伝達十周年を記念し
広島鯉城ライオンズクラブ
資料
「ライオンズを探せ!@広島県・広島 村上薫元国際会長のテーマを伝えるピープル・アット・ピースの碑」(『LION 日本語版 2015年10月号』https://www.thelion-mag.jp/emag/201510/index_h5.html) | |
『企画展:原爆白書運動と広島大学』(被ばく学創生研究会編、広島大学文書館、20160701)
目次
章 | |
1 | 金井利博 |
金井利博と原爆白書運動 | |
原民喜の詩碑建立 | |
原民喜の遺書と受けとった梶山季之 | |
原爆白書作成の訴えと運動 | |
広がる原爆白書運動 | |
2 | 国連へのはたらきかけ |
国際連合への働きかけと被爆フィルム返還 | |
3 | 原爆白書運動 |
「原水爆被災白書」をすすめる様々な動き | |
原爆被災資料広島研究会と『原爆被災資料総目録』 | |
原爆被災資料総目録の発行 恩給をつぎ込んで | |
4 | 協力者 今堀誠二 |
金井との関係 『原水爆時代』 | |
協力者 今堀誠二と談和会 | |
5 | 金井学校 平岡敬と大牟田稔 |
金井学校の二人 平岡敬と大牟田稔 | |
被爆者調査報道 「リフトン取材」 | |
被爆20年特集記事「炎の系譜」 | |
平岡敬 韓国の被爆者取材 | |
大牟田稔 中国新聞社に入社して | |
大牟田稔 沖縄取材 | |
きのこ会と大牟田 | |
平岡と大牟田 | |
6 | 広島大学原爆放射能医学研究所と湯崎稔 |
湯崎稔と爆心地復元運動 | |
爆心地復元運動の成果 | |
原爆爆心地復元運動 | |
原水爆被災資料センター設立から原医研資料センターへ | |
7 | 『核権力』の執筆 志なかばの死とその後 |
病の中で、訴えつづけた雄大な構想 難民研究所を最後に | |
追悼文 今堀誠二「ヒロシマと金井利博」(『中国新聞』19740622) | |
国連報告から被爆の実相まとめへ | |
8 | 湯崎資料の遺産 |
原医研の保管資料 復元運動のその後 | |
9 | 講演「金井利博と原爆白書運動」 |
参考資料
原爆白書運動と広島大学(企画展)
https://home.hiroshima-u.ac.jp/hua/event/genbakuhakusyo.html
核・被ばく学創成研究会(代表 小池聖一)・広島大学文書館は、平成27年7月3日~6日(旧日本銀行広島支店 1階ロビー)、9日~15日(広島大学中央図書館 地域・国際交流プラザ)の期間、広島大学原爆放射線医科学研究所、広島大学平和科学研究センターとの共催、中国新聞社の後援で、企画展「原爆白書運動と広島大学」を開催いたしました。
原爆白書運動とは、核戦争を防止するため、原爆被災の全体像と被爆体験を科学的に調査し、その記録を永久に残すともに国連を通じて全世界に公表するよう、日本政府に求めた運動です。運動の中心人物であった金井利博の足跡を中心に、今堀誠二、湯崎稔らの取り組みを紹介しました。
本企画展は、文部科学省科学研究費補助金 基盤研究B「広島における核・被ばく学研究基盤の拡充に関する研究」(26280123)の研究成果の一部です。
7月3日~6日には1270人、4日の小池文書館長の講演会には57人、9日~15日には15777人(ゲート通過換算)のご来場がありました。ありがとうございました。
核兵器廃絶をめざすヒロシマの会
2001年3月20日設立
Hiroshima Alliance for Nuclear Weapons Abolition (HANWA)
【共同代表】 岡本三夫 河合護郎 森瀧春子
【事務局】
〒730-0802
広島市中区本川町二丁目6番11号 第7ウエノヤビル 5F
広島県生活協同組合連合会内
https://www.e-hanwa.org/date/2001/03
年表:核兵器廃絶をめざすヒロシマの会
年月日 | 事項 | 備考 |
2001 | ||
0320 | 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会発足 | |
0806 | 「核のない21世紀を!広島国際対話集会の夕べ」 | |
1114 | ブッシュ米大統領にCTBT発効促進会議欠席への抗議文を送付。 | |
2002 | ||
0911 | 米中枢同時テロから1年。原爆資料館で集会。 | |
1215 | 会員3人、イラクへの「市民平和使節団」員として広島を出発。 | |
2022 | ||
0122 | 核兵器禁止条約発効から1年。原爆ドーム前で10人が横断幕。 | |
0308 | 原爆ドーム前でロシアのウクライナ侵攻と核兵器による威嚇に抗議する集い。 | |
0806 | 『8・6国際対話集会~反核の夕べ 2022 核戦争をいかに防ぐか ヒロシマで考える』 | |
講演「核戦争をいかに防ぐか ヒロシマで考える」 | ||
止
社史が語る原爆・ヒロシマ(『赤旗(中国四国版)』連載 2002.1.6~8.9)
広島電鉄
01 | 0106 | あの日の姿 | 路面電車も被爆した |
02 | 0108 | 女学生の体験 | 黄色い炎が顔をなめ |
03 | 0109 | 1945年「あの日」 | 4000度の熱線あびる |
04 | 0110 | 広電本社崩れる | 鬼哭啾々 朝の惨状 |
05 | 0111 | 電車の被爆(上) | 女性車掌が「助けて」 |
06 | 0114 | 電車の被爆(下) | 運転手は黒焦げに |
07 | 0115 | 復旧への努力 | 「おっ、電車が動くんか」 |
08 | 0116 | 運転手の証言 | 行方不明の同僚を捜して |
09 | 0117 | 平和のとりくみ | 会社あげて被爆体験継承 |
10 | 0118 | 幻の卒業生 | 学業のかたわら運転も |
中国電力
01 | 0128 | 暗黒の一夜 | 惨状は前後を絶する |
02 | 0129 | 戦時下の電力事業 | 国策会社として出発 |
03 | 0130 | 被爆直前 | 動員学徒らと仕事に |
04 | 0131 | 壊滅のとき(上) | 一瞬、真っ暗になって |
05 | 0201 | 壊滅のとき(下) | サッシが背中貫いて |
06 | 0204 | 動員学徒の死 | お母さん!痛いよう |
07 | 0205 | 原爆第一報 | 血みどろになりながら |
08 | 0206 | 希望の灯 | 復興はまず電気から |
09 | 0207 | 戦後復興担った人 | 点灯に無上の喜び |
10 | 0228 | 元社員の思い | 私たちが見た被爆の怖さ |
中国新聞
01 | 0225 | 被爆カメラマン(上) | ファインダーは涙で |
02 | 0226 | 被爆カメラマン(下) | 「あの日」は数枚だけ |
03 | 0227 | 本社壊滅 | 従業員三分の一が犠牲に |
04 | 0228 | 社員の伝言 | 戦争は再びあってはならぬ |
05 | 0301 | 記者の追憶(上) | 中国新聞も終わりか |
06 | 0304 | 記者の追憶(下) | 焼け跡に赤いかんざし |
07 | 0305 | 8月9日付発行 | 代行印刷を指示、奔走 |
08 | 0306 | プレス・コード | 原爆写真掲載に呼び出し |
09 | 0307 | 消えたペン | 遺族訪ねた告発と鎮魂の書 |
10 | 0308 | 不戦の誓い | 戦争のためのペン持たず |
日赤病院
01 | 0325 | 塔のある病院 | 廃虚の中のオアシス |
02 | 0326 | 不眠不休の救護 | 押し寄せる被爆者 |
03 | 0327 | 元看護婦の証言(上) | 変わり果てた街で |
04 | 0328 | 元看護婦の証言(下) | 遺体見送る被爆者の目 |
05 | 0329 | 生きる希望 | 全身を焼かれても |
06 | 0401 | 奇跡の生還 | 6年間の入院生活 |
07 | 0402 | 原爆患者一号 | 今に生きる被爆体験 |
08 | 0403 | ジュノー博士 | 遺志を引き継いで |
09 | 0404 | 「保存運動」 | 追体験の場残して |
10 | 0405 | 「いのちの塔」 | 生へのたたかい記録 |
福屋百貨店
01 | 0513 | 白亜の殿堂 | 骨組み、外郭残し全焼 |
02 | 0514 | 国民統制の時代 | ”雑炊食堂”に行列 |
03 | 0515 | 火事嵐 | 道を隔て移る猛火 |
04 | 0516 | 動員学徒の「脱出記」 | 指一本の明かり頼りに |
05 | 0517 | 燃え盛る市内 | 避難先から見た惨状 |
06 | 0520 | 被爆後の混乱 | 自然鎮火を待つだけ |
07 | 0522 | 再興を誓う人々 | 手がかりは福屋から |
08 | 0523 | 酒の立ち飲み | うっ積を晴らす憩い |
09 | 0524 | 弾圧のもと平和集会 | 原爆使用に危機感 |
10 | 0525 | 現在これから | 地元に根ざし続けて |
金正堂書店
01 | 0603 | 星野村 火 | 57年後も燃え続ける |
02 | 0604 | 星野村 碑 | 平和への思い内外に |
03 | 0605 | 創業のころ | 本屋の「のれん分け」 |
04 | 0606 | 発展と衰退 | 文京都市の文化ささえて |
05 | 0607 | 革屋町壊滅 | 涙の中から復興へ |
06 | 0610 | おいの体験(上) | 宇品への車中で被爆 |
07 | 0611 | おいの体験(中) | 叔父求め歩き続ける |
08 | 0612 | おいの体験(下) | 灰を吹きつけると炎が・・・ |
09 | 0613 | 23年の管理 | 惨状知る火、絶やしてはならぬ |
10 | 0614 | 恒久平和願う「火」 | 全国9ヵ所に「分火」 |
旧国鉄
01 | 0624 | 苦い記憶 | 57年前の「あの日」今も |
02 | 0625 | 長い腕 | 貨物列車に回れ右 |
03 | 0626 | ガラスの嵐 | 壁になった友人・・・ |
04 | 0627 | 広島駅の被爆 | 「バケツ」一杯ノ水デモト |
05 | 0628 | 無言の語り部 | 父は「ピカドンで死んだ」 |
06 | 0701 | 脱線転覆 | ”大事故を起こしたか” |
07 | 0702 | 山陽本線の復旧 | ”死体の川”の上で |
08 | 0703 | 救援隊の涙 | 紙で作った人形が・・・ |
09 | 0704 | 救援列車 | トマトが食べたい |
10 | 0705 | この怒りを | 国鉄労働者289人の碑 |
島病院
01 | 0729 | 爆心直下 | 瞬時に命を奪われた |
02 | 0730 | 一枚の写真 | 再び顔そろうことはない |
03 | 0731 | 黒焦げの遺体 | 「これは婦長さんです」 |
04 | 0801 | 救護活動 | 助け求める声、声、声 |
05 | 0802 | 病院のある街で | 肉親の死 遺骨もなく |
06 | 0805 | 35枚の絵 | 鉛筆画に残すわが町 |
07 | 0806 | 旧天神町住民の証言(上) | これが「死の世界」か |
08 | 0807 | 旧天神町住民の証言(下) | 「いとこの死」が原点 |
09 | 0808 | 再建 | 平和と貧しきものにささぐ |
10 | 0809 | 連載終了にあたって | 充実した原爆報道へ |
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宇吹 暁(うぶき さとる)「被爆体験の継承をめざして」(「しんぶん赤旗」中国四国総局、新日本出版社、2003年1月20日)pp133-141
原爆報道
被爆体験は、被爆後直後からこれまで、報道・手記・文学・映画・演劇などさまざまな形で継承されてきた。中でも、多数の人々の被爆体験を伝えてきたのは、報道と手記である。
朝日新聞(東京本社版)は、一九四五年八月一〇日付の紙面に「閃光 熱い痛い感じ」との見出しで体験者の談話を掲載、同月一二日には、浅井・松尾・岸田特派員発の現地報告「一瞬に広島変貌」を載せた。また、三〇日には「海底のやうな光-原子爆弾の空襲に遭って」との見出しで、広島で被爆した作家大田洋子の体験記を掲載している。新聞だけでなくラジオやテレビも、多くの被爆者の声を紹介してきた。NHKラジオ(広島県域)では、四九年八月九日の「原爆一号[吉川清]に聞く」、同テレビでは、五八年二月二八日の「原爆被災者は訴う」が、記録(広島放送局放送部資料班『広島ハンドブック(八三年作成)』)で確認できる早期のものである。
講和条約の発効以後、毎年八月前後には新聞各紙が、数回から十数回の企画・連載を組むようになった。一九五二年には、朝日新聞(広島版)が「原爆白書」(七月二九日から五回)を掲載するが、これは条約発効前後に広島で胎動を始めた被爆者の組織作りや平和運動などを取り上げたものであった。原爆関連の企画・連載には、「原爆症」や「復興」といった単一のテーマを取り上げたもの以外に、その年の原爆問題をめぐるさまざまな動きを紹介する「原爆問題年報」的なものがあるが、朝日のこの「原爆白書」企画は、確認できるこうした形式の最も早い例である。また、中国新聞が、「原爆モニュメント遍歴」(五二年七月二九日から八回)を掲載している。これは、「原爆で断ち切られた人間の生命を永久に結び付ける象徴」として原爆慰霊碑を紹介したものであった。
中国新聞は、この後、原爆問題をテーマとした大型連載を精力的におこなった。中には、「原爆十年-広島市政秘話」(一九五五年七月一五日から七四回)、「フェニックス広島号の冒険」(第一部・第二部、六一年一〇月一〇日から一三四回)という大型のものもあった。また、同社は、被爆二〇周年を迎えた一九六五年には、七月八日から「ヒロシマ二十年 世界にこの声を」(三〇回)、「あの日と私」(二〇回)、「炎の系譜」(三〇回)、「広島の記録」(九〇回)、「廃墟からの道 広島復興裏面史」(夕刊、三〇回)の連載を開始した。この年には、他社も積極的に原爆問題を取り上げたが、中国新聞社の力の入れようは群を抜くもので、高い評価を受け、同年の日本新聞協会賞を受賞した。
一九七〇年代に入ると、原爆企画は、マスコミ各社が当然のこととして取り上げ、その内容をめぐって競争するという活況を呈した。被爆者を対象とした本格的な世論調査が、六八年の中国新聞社を皮切りに、中国放送、NHK中国本部などで行われた。また、七四年五月にはNHK中国本部が市民に、「絵による証言」の提供を呼びかけ、大きな反響を呼んだ。手記の募集もしばしばおこなわれた。『被爆体験・私の訴えたいこと』(NHK中国本部、七七年)、『いつまでも絶えることなく』(NHK広島放送局、八六年)、『手記・被爆者たちの四〇年』(朝日新聞大阪社会部、八六年)は、マスコミの呼びかけに応じた被爆者の手記を特集したものである。これらは、マスコミが、被爆者の実態解明や被爆体験継承の担い手として大きな役割を果たしたことを示すものである。こうした原爆報道の歩みは、規模こそ広島に比べれば小さいものの、長崎においても見ることができる。中でも、長崎新聞の記事『私の被爆ノート』は、九六年二月一六日から二〇〇二年七月一一日まで連載された三〇〇回に及ぶ大型連載であった。
日本共産党の機関紙「赤旗」も毎年八月の原爆記念日前後に被爆体験継承をテーマとした連載を掲載している。一九六三年の「ここに生きる 一八度目の“あの日”を迎えた被爆者」(八月五日~八日、三回)が、同紙の縮刷版で確認できる初めてのものである。以後、「被爆者はたたかっている 被爆二十周年を迎える広島と長崎」(六五年七月~八月、一〇回)、「被爆者は訴える」(六六年七月、六回)、「広島からの手紙」(六七年七月、五回)、「被爆者は訴える」(六八年七月~八月、七回)、「被爆者とともに 援護運動この一年の歩みから」(六九年七月~八月、七回)、「“原爆”から二五年 この人をたずねて」(七〇年七月~八月、六回)と続き、今日に至っている。
新聞・ラジオ・テレビで紹介された被爆者の証言は、膨大な量になることは明らかである。これまでにも、原爆被災資料広島研究会(一九六八年結成)などにより整理が、試みられたことはあったが、中断したままである。
原爆手記
現在でも、報道機関による被爆体験継承の試みは存在している。しかし、各紙が競うように行ったのは、一九七〇年代までである。原爆手記の出版が、これと入れ替わるように活発になった。原爆手記は、九五年までの出版物に限っても、三万七七九三件の手記を掲載する三五四二点が存在するが、これらの大半は、七〇年代以降に現れたものである。これらを出版主体別にまとめれば、第1表のようになる。
第1表 原爆手記掲載書誌及び手記の分類別件数
分類 | 書誌数 | 手記数 | 割合(%) | |
1被爆当時の組織 | 348 | 6836 | 18.1 | |
2被爆者団体 | 462 | 15312 | 40.5 | |
3被爆者関係施設・団体 | 339 | 4100 | 10.9 | |
4平和教育関係団体 | 287 | 3386 | 9.1 | |
5原水爆禁止・反核団体 | 207 | 962 | 2.6 | |
6社会団体 | 323 | 2085 | 5.6 | |
7その他 | 1576 | 5112 | 13.5 |
注)割合=全手記数に占める割合
分類別では、「被爆者団体」によるものが最も多く、手記数は全体の四〇%に及んでいる。このほか、原爆被爆者養護施設(分類「被爆者関係施設・団体」)、平和教育の一環として学校や公民館(「平和教育関係団体」)、原水禁団体(「原水爆禁止・反核団体」)、婦人団体(「社会団体」)などによっても出版された。これらのほとんどは、広く読まれることを期待して出版されたものであり、日本の反核運動の高揚に大きな役割を果たしてきた。しかし、広島の社会的な被害実態の解明に役立つものは少ない。これらの手記では、官公庁・学校、工場など個別の名称が省かれているものが多いからである。
米国戦略爆撃調査団の調査によれば、広島には、中国地方総監府・中国海運局・広島控訴院・広島鉄道管理部・広島逓信局・広島財務局などの官公署をはじめ、広島中央放送局・日銀・勧銀・日通などの支店が置かれていた。また、市内およびその近郊には、三菱重工業・東洋工業・日本製鋼などの大企業をはじめ、六千をこえる工場が存在していたという。また、職種別の被雇用者の状況は第2表のようなものであった。
第2表 広島地域の職種別被雇用者数
職 種 |
平均被雇用者(人) |
比率(%) |
工場 | 83671 | 64.1 |
官公庁 | 13049 | 10.0 |
運輸 | 12288 | 9.3 |
商業 | 9141 | 7.0 |
専門職 | 3252 | 2.5 |
その他 | 9425 | 7.2 |
合計 | 130826 | 100.0 |
出典:合衆国戦略爆撃調査団「広島市に対する空襲の効果」
第1表の分類の「その他」の多くは私家版である。「被爆当時に存在した組織」と合わせた手記数は、全体のほぼ四分の一に及んでいる。これらは、限られた関係者に配布されたものがほとんどであり、反核運動に及ぼした影響は被爆者団体などによる手記ほどではなかったと思われる。しかし、分類「被爆当時に存在した組織」に含まれる「官公庁」、「学校」、「事業所」関連の手記は、いずれも社会的な被害実態を明らかにするための貴重な素材である。
「被爆当時に存在した組織」の分類に属し、広島の手記を含むものは全部で二五六点存在する。この内、最も早い例は、被爆から一年後の一九四六年八月一日に出版された『泉第1集-みたまの前に捧ぐる』(広島興産文化部編、広島興産株式会社)である。この書は、広島興産の前身である広島航空機に動員され犠牲となった広島一中や県立第一高女の生徒への追悼文集であり、一五人の手記を収録している。この後、『広島貯金支局戦災復旧事務史』・『東洋工業株式会社三十年史』・『原爆記-千代紙の小箱』(星野春雄、広島女子高等師範学校物理学教室原爆五周年刊行会)・『中国菓業名鑑-広島県之巻』・『追悼法会』(広島車掌区)が、占領期間中に発行された。また、独立後には、学校・官公庁関係のものや、被爆者の救護のあたった広島県内の医師会や三菱重工業株式会社広島造船所関係のものが多数出版されている(拙著『原爆手記掲載図書・雑誌総目録』、日外アソシエーツ、一九九九年)。
「社史が語る戦争・原爆」
本書に収録された新聞連載は、交通(広島電鉄・旧国鉄)・エネルギー(中国電力)・商業(福屋百貨店)・情報(中国新聞)・医療(日赤病院)の各分野の広島における基幹組織と「島病院」・「金正堂書店」の八社を取り上げている。前の六社が報道で紹介されるのは、今回が初めてではなく、これまでにもしばしば新聞報道や出版物で紹介されてきた。本連載では、「社史」という埋もれがちな文献を手がかりとし、それに現存する被爆者の証言を加え、被爆状況と関係者の平和への取り組みを簡潔にまとめているところにその特色がある。「当時のことを鮮明に証言できる被爆者が数少なくなってきていることを痛感」しながらも、これらの記事は、なお、現在でも被爆者からの聞き取りが可能であることを証明した。日本で生まれ、反核運動に大きな役割を果たしてきた「原爆報道」の伝統を受け継ぐ企画ということができよう。
「島病院」と「金正堂書店」では、遺稿集や県外資料を使用し、要領よくまとめられている。これらは、前者が、広島の原爆爆心地、後者が福岡県星野村に戦後燃え続けていた「広島原爆の火」が採火された場所という特異な存在ではある。しかし、両者は、ともに、被爆当時の広島に存在した多数の病院・商店などの一つである。この記事は、こうした組織の被害状況とその戦後の歩みが、見落としがちな資料をもとに明らかになる可能性を示してくれた。
被爆体験は、日本における反核運動のエネルギーの源泉であった。一九六〇年代半ばには、原爆被災白書作製が提唱された。この時期から、原爆被災資料広島研究会による原爆被災資料の所在確認作業、広島・長崎両市の原爆資料館をはじめとする公共機関による資料の収集・保存事業、一〇フィート運動による原爆映画の製作、マスコミ各社の原爆企画報道、被爆者団体を中心とした原爆手記の出版など、被爆体験継承の試みがさまざまな形でなされている。また、八〇年代以降、被爆体験の証言活動を中心とした被爆者運動が、日本の平和運動の中心的役割を果たしている。しかし、現在なお、原爆被災白書はまとめられておらず、また、核兵器の廃絶は実現されていない。
被爆体験の直接の担い手である被爆者は年々確実に減少している。また、当時の記憶が次第に不鮮明になることも、避けることはできない。さらに、われわれ残された原爆報道や被爆手記などに含まれる証言は、間接的であり、被爆者の生の証言にかわることはできない。今後も被爆体験を継承し続けるためには、多くの労力と英知を必要とするであろう。「中国四国版」という、限定された紙面で展開された今回の試みが、まずは長崎に、次いで全国に広がり、更には他社へも広がってゆくことが期待される。
書誌
本・パンフレット
書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 |
広島市現代美術館年報1994-1998 | 広島市現代美術館 | 200003 | |
やんばる君 | 中野慶(作)・山本祐司(画) | 童心社 | 20000615 |
雑誌論文
著者 | タイトル | 雑誌名(発行者) | 発行年月日 |
書誌2009
本・パンフレット
書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 |
ヒロシマ 消えた鳥屋町 | 寺西 正子 | 溪水社 | 20090211 |
瓦礫の果てに紅い花 ヒロシマに美術館をプレゼントした男の物語 | 長谷川智恵子 | WAVE出版 | 20090224 |
なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか | Chim↑Pom・阿部謙一:編 | 河出書房新社 | 20090325 |
戦争と家族 広島原爆被害研究 | 新田 光子 | 昭和堂 | 20090330 |
この世界の片隅に(下) | こうの史代 | 双葉社 | 20090428 |
日本被団協史 ふたたび被爆者をつくるな 本巻 | 日本原水爆被害者団体協議会編 | あけび書房 | 20090501 |
日本被団協史 ふたたび被爆者をつくるな 別卷 | 日本原水爆被害者団体協議会編 | あけび書房 | 20090501 |
ヒロシマのいのちの水 | 指田 和 文 野村 たかあき 絵 | 文研出版 | 20090530 |
沖縄戦 強制された「集団自決」 | 林博史 | 吉川弘文館 | 20090620 |
康子十九歳 戦渦の日記 | 門田 隆将 | 文藝春秋 | 20090710 |
ヒロシマを生き抜く 上 | ロバート・J.リフトン 著 桝井 迪夫 他訳 湯浅 信之 他訳 | 岩波書店 | 20090716 |
ヒロシマを生き抜く 下 | ロバート・J.リフトン 著 桝井 迪夫 他訳 湯浅 信之 他訳 | 岩波書店 | 20090716 |
「空白の十年」被爆者の苦闘 | 広島県原爆被害者団体協議会 | 20090801 | |
10代がつくる平和新聞 ひろしま国 | 中国新聞社編 | 明石書店 | 20090806 |
オバマ大統領がヒロシマに献花する日 相互献花外交が歴史和解の道をひらく | 松尾文夫 | 小学館 | 20090808 |
百二十八枚の広島 昭和二十年代->三十年代 | 明田弘司 | 南々社 | 20090808 |
アジアのアーカイブズと日本 記録を守り記憶を伝える | 安藤正人 | 岩田書院 | 200910 |
広島県の歴史 | 岸田裕之編 | 山川出版社 | 20091115 |
戦後日本の平和教育の社会学的研究 | 村上登司文 | 学術出版会 | 20091130 |
核は廃絶できるか-核拡散10年の動向と論調 | 水本和実 | 法律文化社 | 20091205 |
ノーベル平和賞の虚構 | 浜田和幸 | 宝島社 | 20091223 |
雑誌論文
著者 | タイトル | 雑誌名(発行者) | 発行年月日 |
書誌2008
本・パンフレット
書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 |
この世界の片隅に(上) | こうの史代 | 双葉社 | 200 80212 |
赦し 長崎市長本島等伝 | 横田信行 | 長崎文献社 | 20080220 |
シンポジウム 今日の「核抑止」と日本の進路 2007.12.8報告集 | 非核の政府を求める会 | 20080220 | |
グランド・ゼロから 災害都市再創造のケーススタディ | ジョアン・オクマン編 | 鹿島出版会 | 20080225 |
草創期の広島ユネスコ運動 短命に終わった運動の足跡をたどる | 宇野豪 | 20080325 | |
戦争と民衆-戦争体験を問い直す | 三谷孝編 | 旬報社 | 20080410 |
ウラン兵器なき世界をめざして ICBUWの挑戦 | NO DU ヒロシマ・プロジェクト/ICBUW(編) | 合同出版 | 20080415 |
夕凪の街 桜の国(文庫) | こうの史代 | 双葉社 | 20080420 |
韓国原爆被害者苦痛の歴史 広島・長崎の記憶と証言 | 鄭根埴編 | 明石書店 | 20080520 |
原子爆弾とキリスト教 広島・長崎は「しょうがない」か? | 栗林輝夫 | 日本基督教団出版局 | 20080525 |
被爆博覧会 | 田端展 | 文芸社 | 20080715 |
ぼくの家はここにあった 爆心地~ヒロシマの記録~ | 田辺雅章 | 朝日新聞出版 | 20080730 |
断て!暴力 検証 長崎市長射殺事件 | 長崎新聞社報道部 | 長崎新聞社 | 20080801 |
原爆で死んだ米兵秘史 | 森 重昭 | 光文社 | 20080811 |
この世界の片隅に(中) | こうの史代 | 双葉社 | 20080811 |
雑誌論文
著者 | タイトル | 雑誌名(発行者) | 発行年月日 |
書誌2007
本・パンフレット
書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 |
動員学徒「慟哭の証言」 | 広島県動員学徒等犠牲者の会 | 20070131 | |
図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える | 広島平和記念資料館編 | 岩波書店 | 20070327 |
つながってひろがって 被爆者のおもいを受けつぐ学生たち | 仏教大学社会福祉学科黒岩アフターゼミ/ | クリエイツかもがわ | 20070331 |
広島大学五十年史 通史編 | 広島大学50年史編集委員会・広島大学文書館編 | 広島大学 | 20070331 |
被爆動員学徒の生きた時代 広島の被爆者運動 | 小畑弘道 | たけしま出版 | 20070420 |
夏のことば ヒロシマ・ナガサキ・れくいえむ | 伊藤明彦 | 文芸春秋企画出版部 | 20070430 |
シンポジウム 核兵器廃絶の展望を探る | 非核の政府を求める会 | 200704 | |
ミサコの被爆ピアノ | 松谷みよ子(文)木内達朗(絵) | 講談社 | 20070702 |
東アジアの終戦記念日 敗北と勝利のあいだ | 佐藤卓巳・孫安石編 | 筑摩書房 | 20070710 |
小説 夕凪の街 桜の国 | 国井 桂 | 双葉社 | 20070720 |
ヒバクシャの心の傷を追って | 中沢正夫 | 岩波書店 | 20070727 |
「仲みどり」をさがす旅 | 青木笙子 | 河出書房新社 | 20070730 |
「ヒロシマ以後」の広島に生まれて | 平井和子 | ひろしま女性学研究所 | 20070806 |
ヒロシマ・ナガサキ 岩波DVDブック Peace Archives | 安斎育郎編、宇吹暁など執筆 | 岩波書店 | 20070807 |
国際シンポジウム「逆風の中、再び核軍縮を進めよう-中央アジアの経験を東アジアへ」 報告書 | 広島市立大学広島平和研究所 | 200709 | |
没後33年記念事業 時代を先取りした作家 梶山季之をいま見直す | 梶山季之記念事業実行委員会 | 中国新聞社 | 20071110 |
敗戦の記憶 身体・文化・物語 1945-1970 | 五十嵐恵邦 | 中央公論新社 | 20071220 |
雑誌論文
著者 | タイトル | 雑誌名(発行者) | 発行年月日 |
書誌2006
本・パンフレット
書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 |
戦後社会運動史論-1950年代を中心に- | 広川禎秀・山田敬男編 | 大月書店 | 20060120 |
“戦争と科学”の諸相-原爆と科学者をめぐる2つのシンポジウムの記録 | 広島大学総合科学部/編 市川浩/責任編集 山崎正勝/責任編集 | 丸善 | |
長崎医科大学と原爆-被爆60周年記念誌- | 長崎大学医歯学総合研究科付属原爆後障害医療研究施設・長崎医学同窓会 | 20060315 | |
基幹共同研究「戦争体験の記録と語りに関する資料論的研究」 平成18年度第2回研究会 報告・討論要旨集 | 国立歴史民俗博物館 | 20060401 | |
近きに在りて 第49号 横山英先生追悼特集 | 広島中国近代史研究会(汲古書院) | 20060530 | |
ヒロシマと音楽 | 「ヒロシマと音楽」委員会編 | 汐文社 | 20060710 |
広島から世界の平和について考える | 広島大学文書館/編 原爆放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター/[編] 平和科学研究センター/[編] | 現代史料出版 | 20060725 |
編集・発行者: 小栗康治(広郷土史研究会員)<昭和図書館蔵> | 200607 | ||
劫火の記憶-福山市原爆被害者の会50年の歩み | 福山市原爆被害者の会 | 20060801 | |
広島 爆心地中島 | 原爆遺跡保存運動懇談会編 | 新日本出版社 | 20060806 |
戦争の記憶と和解 | 池尾靖志/編著 五十嵐美穂子/[ほか著] | 晃洋書房 | 20060815 |
呉海軍病院史 | 呉海軍病院史編集委員会 | 20061001 | |
いまに問うヒバクシャと戦後補償 | グローバルヒバクシャ研究会/編 高橋博子/責任編集 竹峰誠一郎/責任編集 | 凱風社 | 20061020 |
時代を生きて 文集・鎌田定夫 | 「時代を生きて」刊行会 | 20061125 | |
戦後日本と戦争死者慰霊 シズメとフルイのダイナミズム | 西村明 | 有志舎 | 20061225 |
雑誌論文
著者 | タイトル | 雑誌名(発行者) | 発行年月日 |