「04 できごと」カテゴリーアーカイブ

SSDⅡ(第2回軍縮特別総会)

SSDⅠ(第2回軍縮特別総会)1982年6月7日~7月10日、ニューヨーク

外交青書27_1983_1
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1983/s58-contents.htm

(2)第2回国連軍縮特別総会
第2回軍縮特総は,6月7日からニュー・ヨークの国連本部において開催され,7月10日全会一致で結論文書を採択して閉会した。
同特総には,我が国の鈴木総理大臣,櫻内外務大臣,レーガン米大統領,サッチャー英首相,シュミット西独首相,シェイソン仏外相,グロムイコ=ソ連外相,黄華中国外相ら各国首脳が参加したほか,非政府団体及び平和軍縮研究機関の代表にも発言の機会が与えられ,我が国からも6名の代表が発言した。
同特総は,作業部会を設置して,(イ)第1回軍縮特総の決定及び勧告の履行状況の再検討,(ロ)包括的軍縮プログラムの検討及び採択,(ハ)軍縮のための国際世論を動員するための措置等につき審議を行った。その結果,前二者については合意は得られなかったが,最後の問題に関しては,世界軍縮キャンペーン,軍縮フェローシップ計画について合意文書が作成された。
同特総において鈴木総理大臣は,「軍縮を通じる平和の三原則」を中心とする演説を行った(資料編参照)。その中で主要な軍縮問題としては,(イ)戦略兵器削減交渉及び中距離核戦力交渉の促進,(ロ)核実験全面禁止条約の成立促進,(ハ)核不拡散条約への加盟促進,(ニ)平和的目的原子力施設の安全保障の確保,(ホ)化学兵器禁止条約の早期成立,(へ)通常兵器の保有及び国際移転の現状把握が取り上げられた。また,我が国は,(イ)国連軍縮フェローシップ計画参加者の広島・長崎訪問,(ロ)検証分野における国連の役割強化,(ハ)我が国の原爆に関する資料の国連への備え付け,(ニ)軍縮促進のための国連平和維持機能の強化・拡充に関しそれぞれ作業文書を提出した。

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出典:http://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/libraries/research_guide/themes/disarmament/

第2回軍縮特別総会
A/RES/S-10/2による第2回軍縮特別総会(通算12回目の国連特別総会)は1982年6月7日から7月10日にかけ、ニューヨークで開催されました。
A/RES/33/71HおよびA/RES/35/47によって設置された準備委員会の作業文書は、文書記号A/AC.206/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/AC.206/SR.-の形で発行されました。準備委員会の総会に対する最終報告書はA/S-12/1(GAOR, 12th spec. sess., Suppl. No. 1)として発行されています。
総会決定S-12/21によって設置された第12回国連特別総会アドホック委員会の作業文書は、文書記号A/S-12/AC.1/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/S-12/AC.1/SR.-の形で発行されました。アドホック委員会の最終報告書はA/S-12/32として発行されています。
同特別総会の作業文書は文書記号A/S-12/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/S-12/PV.-の形で発行されました。総会決定S-12/24により、アドホック委員会の報告書(A/S-12/32)は、第2回軍縮特別総会の最終文書(Concluding Document)として承認されています。

 

 

SSDⅠ(第1回軍縮特別総会)

SSDⅠ(第1回軍縮特別総会)1978年5月23日~6月30日、ニューヨーク

出典:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/un_cd/gun_un/gaiyo.html

国連における軍縮・不拡散への取り組み
平成25年2月
1.国際連合による議論
国際連合は、1945年の創立以来、国連憲章第11条(国連総会が、軍縮について審議し、加盟国もしくは安全保障理事会に勧告を行うことを規定)等に基づき、軍縮問題についても積極的に取り組んできた。
冷戦時代は、非同盟運動諸国(NAM)のイニシアチブによって、1978年、1982年、1988年と計3 回の国連軍縮特別総会が開催されるなどの動きはあったものの、全体としては国連を通じた具体的な軍縮・不拡散上の成果は限定的であり、むしろ二国間又は地域的な枠組みを通じて主要な軍縮の合意が形成されてきた。
他方、国連は基本的に総会における議論及び決議の採択という形で軍縮・不拡散に関与してきている。これらの議論や決議は、その時々の国際情勢、安全保障環境の中で国際社会の軍縮・不拡散問題についての関心や考えを反映したものであり、中長期的にみれば、これらの問題についての国際世論の形成に大きな役割を果たしてきた。
冷戦終焉後は、国連軍備登録制度の設置(1991年)、包括的核実験禁止条約(CTBT)の国連総会における採択(1996年)、国連小型武器行動計画の採択(2001年)等、国連総会の場を通じて軍縮・不拡散の具体的な成果が上げられている。また、安全保障理事会も1992年1月に軍縮・不拡散の重要性を強調する議長声明を発出したほか、2001年の米同時多発テロ以降のテロ組織等非国家主体に対する大量破壊兵器拡散への懸念の高まりを受けて、2004年4月には不拡散に関する安保理決議第1540号を採択し、さらに、2009年9月に行われた核不拡散・核軍縮に関する安保理首脳会合において安保理決議第1887号を採択した。また、2006年以降、安保理は北朝鮮及びイランといった個別の核問題について、制裁措置を含む決議を採択しており、国際的な不拡散体制の強化に安保理が果たす役割は、近年急速に増大している。

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出典:外交青書21_1977
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1977_1/s52-2-4-2.htm#ab1

6. 軍縮特別総会
(1) 第31回国連総会では「全面完全軍縮」の議題の下に,ユーゴースラヴィア等非同盟主要国が提唱し,わが国を含む75カ国が共同提案した軍縮特別総会の開催に関する決議が採択された。これにより78年5月ないし6月に国連創設以来初めて専ら軍縮問題の審議にあてられる特別総会が開催されることとなった。
(2) 軍縮特別総会開催の構想そのものは,1946年12月の第1回国連総会再開会合で採択された決議に始まるが,一方,非同盟諸国は,1961年の第1回首脳会議において世界軍縮会議もしくは軍縮特別総会の開催を呼びかけて以来,特別総会の開催を度々提唱してきた。76年,スリ・ランカで開催された第5回非同盟首脳会議で採択された政治宣言においても,1978年までに軍縮特別総会の開催を要求する趣旨が謳われており,第31回総会に提出された決議案もこれを受けたものである。
(3) 採択された決議に基づき,総会議長により指名された54カ国から構成される準備委員会が設立され(わが国もアジア・グループの一員としてメンバーとなり,副議長国となった),今後特別総会開催までに77年3月,5月,9月の3回にわたり同委員会の会合が開催され,特別総会の議題及び手続規則を決定する予定である。

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外交青書22_1978
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1978/s53-2-4-2.htm

3. 軍縮特別総会開催準備状況
(1) 78年5月に開催される国連軍縮特別総会のための準備委員会(54カ国で構成。わが国は副議長国)は,77年中に3回会合(3月,5月及び9月)し,次の決定を含む報告書を作成して第32回総会に提出した。
(イ) 特別総会開催期日
78年5月23日~6月28日。
(ロ) 特別総会開催場所
国連本部(ニューヨーク)。
(ハ) 代表レベル
できる限り高いレベル。
(ニ) 仮議題
(a) 軍縮交渉の成果と現状の再検討。
(b) 軍縮宣言及び行動計画の採択。
(c) 軍縮交渉のための国際的機構の役割の再検討。
(2) また第31回国連総会で採択された決議は,各国政府に対し,4月15日までに軍縮特別総会に関する見解を国連事務総長に提出するよう要請していたが,77年末までに,国連加盟国のうち合計59カ国がその見解を提出した。
わが国は,軍縮特別総会においては,次の項目が優先的に取り上げられるべきであるとの見解を4月15日付で国連事務総長に提出した。
(イ) 核軍備競争の停止と核兵器の削減。
(ロ) 核実験の全面的禁止。
(ハ) 化学兵器の禁止。
(ニ) 通常兵器の国際的移転。
(ホ) 軍事費削減問題。
(3) 第32回国連総会は、準備委員会の報告書を承認し,更に同委員会に作業を継続するよう要請する決議を採択した(わが国を含む55カ国の共同提案)。
78年の2月及び4月には,上記決議に基づく第4回と第5回の準備委員会を開催し,特別総会において審議,採択されるべき最終文書の起草作業を行う予定である。

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外交青書23_1979
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1979/s54-2-4-2.htm#1_1

(1) 国連軍縮特別総会
(イ) 概   説
国連史上初の軍縮特別総会は,1978年5月23日から7月1日までニュー・ヨークにおいて開催された。この特別総会には,従来軍縮交渉に参加していなかつた中国,フランスを含む145カ国が参加し,今後の軍縮審議,交渉の指針となる最終文書が,投票に付されることなく全会一致で採択されたほか,軍縮審議,交渉機構にも種々の改善が加えられた。
(ロ) 一般討論演説
5月24日から6月9日まで行われた一般討論演説においては,元首4名,首相16名,副首相4名,外相49名を含む126カ国の代表が演説を行った。
わが国は,園田外務大臣が5月30日に一般討論演説を行った。
演説において園田外務大臣は,平和憲法に立脚し,今後の国際社会における先覚者たるべく,軍事大国への道を排し,平和に徹し続けるわが国の決意を披瀝し,またわが国が非核三原則を堅持していることを宣明するとともに,核兵器国に対し,その責任を自覚し核軍縮を促進するよう強く要請した。さらに,軍縮の分野では,核兵器の廃絶を目標とした核軍縮の促進が,今日,最も高い優先度を置かれるべき課題であることを強調するとともに,この目標を達成するためには,まず核軍備競争を停止し,次に核軍備の削減を進めるとの方向で実行可能な措置を一歩一歩積み重ねて行くことが最も肝要である旨指摘した。そして,かかる観点から,米ソ戦略兵器制限交渉の早期妥結,包括的核実験禁止条約の早期締結などを強く訴えた。
(ハ) 最終文書
特別総会において採択された最終文書は,「序文」,「宣言」,「行動計画」,「機構」の4部から構成される。軍縮に関する一般原則を規定した「宣言」は,軍縮の究極的な目標が効果的な国際管理下での全面完全軍縮であり,この目標への前進のためには諸国の安全を守る必要性を考慮に入れ,軍備競争の停止と真の軍縮措置に関する協定の締結,及びその履行が必要であるとし,更にそのような措置の中では,核軍縮と核戦争の防止が最も優先度が高い旨規定している。
「行動計画」は,上記原則に沿って,今後,諸国家が着手すべき軍縮分野における諸措置を挙げ,今後の軍縮分野における努力の諸目標を示している。
(ニ) 軍縮審議交渉機構の改革
軍縮の審議,交渉機構の分野では,最終文書の「機構」が示すように特別総会において次のような改善,強化がなされた。
(a) 全ての国連加盟国が参加する審議機関としての国連軍縮委員会(UNDC)の復活(同委員会は65年以来休眠状態にあつた)。
(b) ジュネーヴ軍縮委員会については,主として次の改善が行なわれ,79年1月より新たに軍縮委員会(CD)として発足。
(i) 新軍縮委は米,英,ソ,仏,中の全ての核兵器国に開放されるとともに(従来軍縮委の加盟国であつたが実際上参加していなかつたフランスが参加を決定。中国は当面参加しないとみられている),わが国を含む旧軍縮委の加盟27カ国に加え,次の8非核兵器国が新たに構成国となった。アルジェリア,オーストラリア,ベルギー,キューバ,インドネシア,ケニア,スリ・ランカ,ヴェネズエラ。
(ii) 米ソ共同議長制を廃止し,議長を全ての構成国間で月毎の輪番制にする。
(c) 国連第1委員会は,従来,軍縮問題のほか,政治,安全保障,科学技術問題を審議してきたが,今後は,軍縮及びそれに関連する国際安全保障問題のみを取り扱う。
(d) 国連事務総長に助言するための軍縮諮問委員会の設置。
(2) 第33回国連総会
軍縮特別総会を受けて行なわれた第33回国連総会の軍縮討議においては,核軍縮の促進を中心として,軍縮特別総会で採択された最終文書の行動計画に盛られた諸分野につき審議され,40の軍縮関係決議が採択された。
なお,わが国は,包括的核実験禁止条約の早期締結を求める決議及び同条約が締結されるまでの間,全ての国に核実験を慎むよう要請する決議など,7つの決議の共同提案国となった。

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出典:http://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/libraries/research_guide/themes/disarmament/

A/RES/31/189Bによる第1回軍縮特別総会(通算10回目の国連特別総会)は1978年5月23日から6月30日にかけ、ニューヨークで開催されました。
A/RES/31/189Bによって設置された準備委員会の作業文書は、文書記号A/AC.187/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/AC.187/SR.-で発行されました。準備委員会の総会に対する最終報告書は、A/S-10/1(GAOR, 10th spec. sess., Suppl. No. 1)として発行されています。
総会決定S-10/21によって設置された第10回特別総会アドホック委員会の作業文書は、文書記号A/S-10/AC.1/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/S-10/AC.1/SR.-の形で発行されました。アドホック委員会の最終報告書はA/S-10/23として発行されています。
同特別総会の作業文書は文書記号A/S-10/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/S-10/PV.-の形で発行されました。第1回軍縮総会の最終文書(A/RES/S-10/2)には宣言、行動計画および国際軍縮機構に関するセクションが含まれています。

 

 

平和キャラバン

平和キャラバン 1971年、山口大学ユネスコクラブ(被爆者福祉会館『ゆだ苑』内)が第1回を実施。

出典:『第十回平和キャラバン総括集』(山口大学ユネスコクラブ、1981年?)目次

第1部 第10回平和キャラバン総括―歴史を再検討しつつ―
1. 趣意書
2. 第10回平和キャラバンの足どり
3. 各企画紹介
(1)被爆者懇談会
(2)自治体交渉
(3)6・9行動
(4)行進
(5)施設訪門
4. 平和キャラバン、第10回迄の歩みと今後の発展方向
5. 各企画総括
(1)自治体交渉被
(2)爆者懇談会
(3)施設訪門
第2部 基本懇答申をのりこえて~状況とユネスコクラブの運動の方向~
第1章 基本懇答申の経緯と内容
第2章 被爆者援護法の根本精神と答申批判
第3章 基本懇答申に反映される社会情勢
第4章 地域の申に援護法精神を~ユネスコクラブの今後に向けて~
※哀悼の意を表します
※第10回平和キャラバン会計報告
※協力団体
※県内被爆者を支える『ゆだ苑』にご協力を

 

原爆と文学の会

原爆と文学の会

山口勇子=米、ハノイを爆撃。連日のニュースに目はくぎづけになる。でき得る限りの方法で、なにかをしなければ、といういら立つ思いの中から『原爆と文学』は生まれでた。
増岡敏和=今年の3月、山口勇子が東京に在住することになって、いきなりわたしのところに電話がかかってきた。そして文学における原爆のたたかいをすすめる話になり、『原爆と文学』を創刊する話に発展した。
出典:「あとがき」(機関誌『原爆と文学』創刊号1972年07月25日刊)

『原爆と文学』

発行年月日 備考
所蔵:G=広島原爆資料館、U=宇吹
01 1972/07/25 G、創刊号 U
02 1973/06/01 G
03 1974/06/15 G
04 1975/07/10 G、U
05 1977/08/01 G
06 1995/03/01 G、U、1995年版
07 1996/02/27 G、U
08 1997/03/01 G、U
09 1998/03/01 G
10 1999/03/01 G、U
11 2000/03/01 G、U
12 2001/03/01 G、U
13 2002/03/01 G
14 2003/03/01 G
15 2004/03/01 G、U
16 2005/03/01 G
17 2006/03/01 G
18 2007/03/01 G、2007年版

 

 

ヒバクシャ-ともに生きる第32号

『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20150806

目次

栗原淑江 今、「自分史」を書くということ~被爆70年をふりかえって~
1.はじめに―「被爆者の自分史」の20年
「自分史つうしん ヒバクシャ」を20年間240か月、240号(2013年1月)まで発行。のべ940編、実数は、被爆者95人、二世・三世10人、支援者66人。

 

 

ヒバクシャ-ともに生きる第33号

『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20160806

目次

三村正弘  巻頭言
田村和之 最高裁で勝訴-在韓被爆者医療費裁判~最高裁判決の意味、残された課題~
高東征二 「黒い雨」地域拡大の運動に参加して
望月照己 世界遺産・原爆ドームの近くにかき船は、いらない!
渡邊美和 原発事故から五年四ヵ月~福島原発ひろしま訴訟~
山地恭子 在韓被爆者渡日治療広島委員会活動終了の節目に
村田 朱 12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題講演会の報告
村上須賀子 「被爆体験の継承~ヒロシマMSWの生活史から~」

 

ヒバクシャ-ともに生きる第34号

『ヒバクシャ-ともに生きる第34号』原爆被害者相談員の会、20170806

目次

三村正弘 巻頭言
山下正寿 ビキニ事件を検証する
古寺愛子 原爆症認定申請を支援して
中野陽子 長崎原爆学級について
宇田茂樹 長崎原爆・被爆稲を育てて感じていること
渡辺淳子 “究極の偶然”リオオリンピック1分間の黙祷を目指して
古寺愛子 第35回 8・6原爆被害者証言のつどい報告
村田 朱 12・11被爆者問題講演会の報告
直野章子 講演録「被爆者を引き受ける―七一年目の広島で」
三村正弘 福島第一原発被災地の視察と交流・研修(概要)
中村有紀子 貧困研究会 第九回研究大会 シンポジウム報告
山地恭子 福島に生きるソーシャルワーカー~被災者として~
望月みはる 福島、原発避難区域の現地調査
三村正弘 浜通り医療生協組織部訪問
古寺愛子 『生きる』5集出版記念パーティー

 

ヒバクシャ-ともに生きる第5号

『ヒバクシャ-ともに生きる第5号』原爆被害者相談員の会、19861211

目次

 鈴木 勉 はじめに
第二回・平和的生存のためのボランティア講座
被団協調査
 原爆被害者相談員の会事務局 日本被団協調査のとりくみをふりかえって
証言活動
  久保浦寛人 証言のつどい五年の歩みから
一九八六年度証言活動一覧
活動報告
 広瀬 勝 原爆遺跡めぐりに参加して
 加藤礼子 中国を訪問して

 

ヒバクシャ-ともに生きる第4号

『ヒバクシャ-ともに生きる第4号』原爆被害者相談員の会、19851211

目次

 鈴木 勉 はじめに
 河合幸尾 四年間の相談活動をふり返って ―私的な感想
座談会 被爆者相談活動の現状と課題をさぐる―待つ相談から出かける相談をめざして 出席者:三村正弘、一泰治、若林節美、江崎須賀子、山田寿美子、小嶋章吾、中村義明、(司会進行)塚本弥生
 久保浦寛人 原爆被害者のつどい一年のあゆみ
一九八五年度証言活動一覧
第一回世界平和連帯都市市長会議 被爆者との懇談会参加者の報告から (久保浦寛人、加藤礼子、加藤英雄 、 桑原千代子 、 川相廣子、土井久男、米田美津子、宮田幸子、片桐チヨ子)
舟橋喜恵 被爆者から学ぶもの《被爆者へのメッセージ》より
江崎須賀子 原爆小頭症患者・木田さん(仮名)宅への訪問相談活動報告
研究会活動
 松崎 徹 被爆体験の継承とは何か 受け継ぐものの立場から
小嶋章吾 二つの原爆被害者調査について