アピールの記録
出典『核の傘に覆われた世界 現代人の思想19』(久野収編、平凡社、1967年8月20日)
アピール名 |
年月日 |
主体 |
備考 |
アムステルダム反戦会議での演説 |
19320827 |
ロマン・ロラン |
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平和三原則について |
19540423 |
日本学術会議第17回総会(国内声明) |
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ラッセル・アインシュタイン宣言 |
19550709 |
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第1回原水爆禁止広島世界大会宣言 |
19550808 |
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ゲッチンゲン宣言 |
19570412 |
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新安保条約批准に反対する声明 素粒子論懇談会 |
19600406 |
素粒子論懇談会 |
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地上の平和(回章) |
19630411 |
ヨハネ23世 |
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原爆実験についての中国政府声明 |
19641016 |
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ベトナム問題に関して日本政府に要望する |
19650420 |
我妻栄ほか91名 |
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日米共同宣言 |
19650522 |
「ベトナムに平和を!」市民・文化団体連合 |
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ヴェトナム戦争と平和運動の責務 |
19650710 |
J・D・バナール |
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アメリカ人民に宛てた南ベトナム解放民族戦線のメッセージ |
19650728 |
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第3回科学者京都会議声明 |
19660702 |
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徹底抗戦の声明 |
19660717 |
ホー・チ・ミン |
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《ベトナムに平和を!日米市民会議》へのメッセージ |
19660811 |
ドイッチャー |
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ベトナム戦争と反戦の原理 |
19661015 |
J・P・サルトル |
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佐藤首相の南ベトナム訪問計画に関する日本政府への要望書 |
19670722 |
我妻栄ほか25名 |
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「平和の船」を送ろう |
19670717 |
久野収、小田実ほか47名 |
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広島市政白書
広島市政白書 |
編・発行 |
発行年月日 |
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(第1次) |
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197412 |
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(第2次)住民参画の広島市政を実現するために |
広島市職員労働組合・広島自治体問題研究会(編集)広島市職員労働組合(発行) |
19781010 |
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14.平和教育、17.被爆者問題 |
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(第3次)広島・ヒロシマ |
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19831021 |
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(第4次) |
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19861225 |
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(第5次)10年のあゆみ・これからの広島 |
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19901227 |
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(第6次)くらしといのち 輝く広島に |
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19950324 |
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(第7次)ひろしまの明日のために |
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19990110 |
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出典:『広島自治体問題研究所20年の歩み―21世紀の地方自治をひらく』 |
創立20周年記念 「ヒバクシャと現代」 地域と科学者第8号
創立20周年記念 ヒバクシャと現代[1981年2月1日開催のシンポジウムをもとにまとめる]
目次
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大森正信 |
巻頭言 |
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1.被爆者の実態―生活と援護の諸問題 |
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江崎須賀子 |
被爆者の実態と生活史 |
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舟橋喜恵 |
被爆者の生活史調査の意義―石田忠氏の場合― |
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宇吹暁 |
原爆被災資料をめぐって |
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田村和之 |
「被爆者援護法」の検討 |
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2.被爆者と医学―その歴史と今後の課題 |
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斎藤紀 |
被爆者と医師 |
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鎌田七男 |
現場kの人体影響とその研究の歩み |
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3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究 |
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星正治 |
広島・長崎の原爆放射線量の見直し―第4回(最終)日米ワークショップより |
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永井秀明 |
現代核科学と科学者 |
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山田浩 |
広島大学平和科学研究センターの歴史と今後の加害―平和研究の制度化推進のために |
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佐中忠司 |
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創立20周年 地域にねざす科学者の運動―日本科学者会議広島県支部の創立10周年から20周年への歩み |
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3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究 |
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『地域と科学者第3号』(日本科学者会議広島県支部機関誌)
支部創立10周年特集
〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係 |
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出席者 |
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佐久間澄 |
広大名誉教授 |
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横山英 |
広大文学部 |
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北西允 |
広大経済学部 |
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中村義知 |
広大政経学部 |
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今中比呂志 |
広大総合科学部 |
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大森正信 |
事務局、司会 |
1 |
「大学人の会」の生い立ち |
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2 |
活躍された人々 |
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3 |
活動の内容 |
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4 |
困難の台頭 |
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5 |
’69年安保のころ |
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6 |
日本科学者会議とのつながり |
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7 |
広教組との関係 |
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8 |
「大学人の会」のそのほかの活動 |
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9 |
「大学人の会」の今後 |
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放送はヒロシマをどう伝えてきたか
<NHK広島放送局制作、総合(広島県内)テレビ1998年7月17日~18日>紹介された番組一覧
第1回 被爆と向きあう |
time |
年月日 |
局 |
番組名 |
0 |
460811 |
NHK |
広島平和復興祭(ラジオ) |
|
480806 |
NHK |
平和祭(ラジオ全国中継) |
|
6008 |
NHK |
日本の素顔「黄色い手帳」 |
11 |
651128 |
NHK |
ドキュメンタリー「耳鳴り~ある被爆者の生涯」 |
21 |
691009 |
HTV |
「碑(~広島二中一年生全滅の記録)」 |
29 |
910806 |
RCC |
「おとう・・・小頭児の45年」 |
38 |
670804 |
NHK |
現代の映像「軒先の閃光 よみがえった爆心の町」 |
|
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NHK |
原爆の絵 |
48 |
96 |
NHK |
「昭和20年 被爆の言葉」 |
53 |
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(解説)大牟田稔 |
104 |
840805 |
NHK |
NHK特集「世界の科学者は予見する 核戦争後の地球」 |
122 |
950806 |
NHK |
NHKスペシャル「調査報告 地球核汚染 ヒロシマからの報告」 |
129 |
960806 |
NHK |
NHKスペシャル「核兵器はこうして裁かれた 攻防・国際司法裁判所」 |
138 |
950611 |
NHK |
NHKスペシャル「アメリカの中の原爆論争-スミソニアン展示の波紋」 |
147 |
970804 |
NHK |
「インターネット核討論-地球法廷・広島からの訴え」 |
149 |
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(解説)明石康 |
新聞連載1948
・年月日は連載の開始の日付を示す。
・版は地方版を示す。
48 |
07 |
29 |
7 |
25年後の完成ヒロシマ |
ひろしま |
夕刊 |
48 |
07 |
31 |
5 |
1年目と3年目-ヒロシマの姿 |
ひろしま |
夕刊 |
48 |
08 |
02 |
3 |
ヒロシマさかりば歩き |
中国 |
|
新聞連載1947
・年月日は連載の開始の日付を示す。
・版は地方版を示す。
47 |
08 |
03 |
2 |
世界の書ヒロシマ後日物語 |
中国 |
|
47 |
08 |
05 |
5 |
広島の再建を語る-座談会 |
中国 |
|
新聞連載1946
・年月日は連載の開始の日付を示す。
・版は地方版を示す。
46 |
07 |
13 |
21 |
ひろしま新「旧蹟」-ムカシの姿と比べてみませう |
ひろしま |
夕刊 |
46 |
08 |
01 |
7 |
新生一年-原子沙漠に灯は点る |
中国 |
|
46 |
08 |
02 |
9 |
ユートピア広島の建設 |
中国 |
|
46 |
08 |
09 |
4 |
新生第二年へ-本社編輯局同人座談会 |
中国 |
|
新聞連載1945
・年月日は連載の開始の日付を示す。
・版は地方版を示す。
年 |
月 |
日 |
回 |
タイトル |
紙名 |
版 |
45 |
08 |
20 |
7 |
原子爆弾-浅田博士に聴く |
朝日 |
大阪 |
45 |
09 |
11 |
3 |
原子爆弾の解剖-都築博士を囲む座談会 |
中国 |
|
45 |
09 |
14 |
5 |
原子爆弾報告書 |
朝日 |
大阪版 |
45 |
11 |
10 |
20 |
復興する町内会 |
中国 |
広島平和をきずく児童・生徒の会日記
(1955年10月-1957年3月)
年月日 |
事項 |
19551025 |
佐々木禎子さん原爆症でたおれた。 |
19551110 |
幟町中の級友、全国中学校長大会で平和を訴え、「原爆の子の像」を作るビラをお願いした。 |
19551225 |
禎子さんの級友が「こけしの会」をつくる。 |
19560128 |
広島市小中高校が一つになり「平和をきずく児童生徒の会」を結成、宣言文を読む。会則を決め役員を選挙する。 |
19560325 |
「原爆の子の像」を建てる全国運動をおこし、趣意書を全国のお友達にくばる。 |
19560425 |
会の委員、街頭募金第1回を行う。 |
19560701 |
イギリス・ハンガリヤ等外国からも激励文が来はじめる。 |
19560806 |
会の代表、原水禁広島大会へ参加、世界の子供が平和への手をつなぐ運動をおこす。 |
19560809 |
委員長中村君、長崎世界大会に出席、外国代表に会のメッセージを手渡した。 |
19561010 |
像の制作者選考にとりかかり、大人の美術家に相談する。 |
19561015 |
像の制作者、東京芸大教授菊池一雄先生に決定。 |
19561020 |
アメリカ文化センター・フツイ館長、ノーマン・カズンズ氏をたずね、アメリカの友達とも文通することをお願いした。 |
19561128 |
菊池先生来広、制作計画をたてられる。 |
19561231 |
像の募金を締切る。 |
19570227 |
総会を開き会計報告をし、反省会をする。 |
19570310 |
像の模型出来上り菊池先生来広。 |
出典:『平和』第5号(広島平和をきずく児童・生徒の会、1957年8月5日)
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