【資料】天皇「ヒロシマ巡幸」 1947.12.7
[広島市民広場での]御言葉
[『天皇と廣島』(小野勝、広島文化社、1949)所収]
この度は皆の熱心なる歓迎を受けて嬉しく思う。
本日は親しく広島市の復興の跡を見て満足に思う。広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。
我々はこの犠牲を無駄にすることなく平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない。
THE NEW YORK TIMES 1947.12.8
Hirohito Rules Out New ‘Pearl Harbor’
by The United Press
HIROSHIMA, Japan, Dec. 7 –Emperor Hirohito pledged today that Japan never again would pursue policies that might lead to another “Pearl Harbor” as he addressed 40,000 persons at this atom-bombed city on the sixth anniversary of the attack on Hawaii.
In an unprecedented and unexpected speech, the Emperor said the Japanese people “must work to contribute to world peace and rebuild the country.”
He expressed the deepest personal sorrow at the atomic disaster that had befallen Hiroshima, but said Japan faced the future hopefully
Emperor Hirohito stood alone and unattended on a raised openair platform in the center of the atomic bomb. Australian military police aided in controlling the crowds.
年資料:ヒロシマ-1945(昭和20)年
月日
資料名
0630
米穀配給台帳による広島市の原爆被爆前人口
0724
原爆投下に関するアーノルド将軍用メモ
0725
原爆投下命令書
0807
広島県知事論告
0807
広島警備担任船舶司令官「広島警備命令」
0807
広島警備担任船舶司令官布告文
0808
広島市爆撃問題に対する反響
0808P
WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の「70年生物不毛説」報道(1)
0809P
WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の「70年生物不毛説」報道(2)
0809P
WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の「70年生物不毛説」報道(3)
0809P
NEW YORK TIMES紙の「70年生物不毛説」報道
0809
日本政府の新型爆弾対策委員会
0809P
ベルン情報-外務省による海外の反響の収集-
0809P
東郷外務大臣「米機ノ新型爆弾ニ依ル攻撃ニ対スル抗議ノ件」
0810
米機の新型爆弾攻撃に対する日本政府の抗議文
0810P
山科清剖検記録
0811
スマイス報告
0813P
戸田古一郎「広島空襲被害報告」
0814
終戦詔書
0821P
中国軍管区部隊命令
0828
原爆被害の長期研究計画に関するオーターソン・メモ
0829P
ストックホルム情報-外務省による海外の反響の収集-
0829P
都築正男の原爆被害調査(『朝日新聞』)
0831-
外国記者の現地被害報道一覧
0831P
外国記者の現地被害報道-THE NEW YORK TIMES
0901
奈良県立医学専門学校 「原子爆弾ニ依ル白血球減少症ノ報告」
0903P
広島市の被害に関する言上書(案)
0903P
災害後の食糧配給事情
0903P
学校の罹災状況
0903P
比治山迷児収容所概要
0905P
外国記者の現地被害報道-THE NEW YORK TIMES
0906P
原爆被害の総合調査を求める声(1)『朝日新聞(大阪版)』
0907P
原爆被害の総合調査を求める声(2)『朝日新聞』
0909P
徳川義親の原爆被害観(抄) (「朝日新聞」(大阪版))
0910
GHQの言論指令「言論及び新聞の自由」
0912
ファーレル米軍准将広島調査結果声明
0912P
『朝日新聞』社説「被害調査も科学的なれ」[抄]
0914P
広島県農業会長弔辞
0914P
ベルン情報-外務省による海外の反響の収集-
0914P
リスボン情報-外務省による海外の反響の収集-
0915P
ストックホルム情報-外務省による海外の反響の収集-
0915P
MAGIC-アメリカ軍が入手した日本政府の動向-
0916P
アメリカ人記者の質問への東久迩宮首相返書(「朝日新聞」)
0917P
リスボン情報-外務省による海外の反響の収集-
0918
朝日新聞24時間発行停止の指令
0918P
MAGIC-アメリカ軍が入手した日本政府の動向-
0919
GHQの言論指令「新聞規則」
0920P
リスボン情報-外務省による海外の反響の収集-
0920P
MAGIC-アメリカ軍が入手した日本政府の動向-
1001
奈良県立医学専門学校 「原子爆弾ニ依ル白血球減少症ノ報告(続報)」
P
竹内喜三郎(豊田地方事務所長)日記 1945.8.6~10.3
1130
原子爆弾ニ依ル広島戦災医学的調査報告
1206P
広島市の陳情団とGHQ情報・企画担当マンソン大佐との合意内容
1210
第一復員省大屋中佐の原爆被害報告
12P
広島原爆体験者の反応(アメリカ戦略爆撃調査団のインタビューに対する回答)
P
広島で死亡した米軍捕虜名簿
NEW YORK TIMESに見る日本の原爆報道
軍の調査報告一覧
国会論議の中の原爆被害
1945年9月~52年7月
第88回臨時帝国議会(昭和20年9月4日-9月5日)、稔彦王内閣(8月17日成立)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
20.09.04
*88 衆
01 02 04
決議案(皇軍将兵竝国民勤勞戦士ニ対スル感謝敬弔ニ關スル件)(金光庸夫外119名提出)
[趣旨弁明]高橋守平
[全会一致可決]。原子爆弾
20.09.04
*88 衆
01 03
[小川郷太郎・森田福市・古田喜三太・田中勝之 の4議員への]弔詞贈呈
島田俊雄助
[森田・古田・田中議員は原子爆弾のため死亡]
20.09.04
*88 貴
01 02 03
聖旨奉體ニ關スル決議案[公爵島津忠重外7名発議]
[趣旨説明]若槻礼次郎
[全会一致可決]。「戦慄スベキ爆弾」、広島・長崎
20.09.04
*88 貴
01 03 04
帰還将兵ニ對スル感謝決議案(公爵島津忠重外6名発議)
[趣旨説明]島津忠重
[全会一致可決]原子爆弾
20.09.06
*88 衆
02 05 08
[9月5日]大東亞戰争ヲ不利ナル終結ニ導キタル原因竝其ノ責任ノ所在ヲ明白ニスル爲政府ノ執ルベキ措置ニ関スル質問主意書[及び]答辨書
[質問主意書、9月4日付]芦田均、[答弁書、9月5日付]
原子爆弾
20.09.06
*88 衆
02 09 13
[9月5日]國務大臣ノ演説
稔彦王
原子爆弾、広島、長崎
20.09.06
*88 衆
02 13 17
[9月5日]國務大臣ノ演説ニ對スル質疑
東郷実
「原子爆弾ノ被害等ニ付キマシテハ更ニ詳細ニ発表 シ・・・」
20.09.06
*88 衆
02 17 18
[9月5日]承詔必謹決議案(町田忠治外122名提出)
[趣旨弁明]町田忠治
[全会一致可決]。「殆ド人類史上ニ似類ナキ悽絶ナル爆弾」
20.09.06
*88 貴
02 01 04
[9月5日]國務大臣ノ演説ニ關スル件
内閣總理大臣稔彦王
原子爆弾、広島、長崎
第89回臨時帝国議会(昭和20年11月27日-12月18日)、幣原内閣(10月9日成立)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
20.12.14
*89 衆
13 201 204
[12月14日]戰災復興促進決議案(一宮房治郎外50名提出)
[趣旨弁明]眞鍋儀十、[賛成演説]河野密
[全会一致可決]。広島、長崎ノ原子爆弾
21.04.10 第22回衆議院議員選挙
第90回臨時帝国議会(昭和21年6月20日-10月11日)、第1次吉田内閣(5月22日成立)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
21.07.12
*90 衆
15 243 247
[7月11日]戰災復興促進決議案(山口喜久一郎外11名提出)
[趣旨弁明]逢澤寛、[討論]武田キヨ<自由党>、今村等<社会党>
[全会一致採択]。広島・長崎。[7月12日官報号外]
21.07.17
*90 衆特都
03 19 20
特別都市計畫法案(政府提出、貴族院送付)
[質問]西村久之、[答弁]阿部美樹志(戦災復興院総裁)
広島・長崎、「一週間目二週間目デ死ンデシマフト云フヤウナ悲惨ナル状況」。[衆議院特別都市計画法案委員会議録]
21.07.19
*90 衆特都
04 25
特別都市計畫法案(政府提出、貴族院提出)
[質問]西村久之、[答弁]渡邊齊二郎
広島・長崎
21.07.29
*90 衆特都
06 35
特別都市計畫法案
[賛成討論]森崎了三
[全会一致採択]。広島・長崎
21.07.31
*90 衆
22 332
[7月30日]特別都市計画法案
[審議経過報告並びに結果報告]林田正治(特別都市計画法委員会委員長)
広島・長崎
21.08.23
*90 衆建議
06 52 54
平和運動促進ニ関スル建議案
[提案趣旨説明]最上英子
[可決]原子爆弾ノ威力ヲ公開
21.08.23
*90 衆請願
08 150 151
広島市ニ世界平和塔建設ノ請願
[紹介議員]武田キヨ、菅原エン、山口好一、[趣旨説明]坂東幸太郎、[答弁]井出成三、
[参考送付決定]、広島
21.08.23
*90 衆請願
08 151 152
広島市並長崎市ノ復興促進ニ関スル請願
[趣旨説明]本田英作、上林山榮作、[答弁]中田政美、
[採決]、広島・長崎
21.10.12
*90 衆
55 915
請願878件
[採択]。廣島市並長崎市ノ復興促進ニ關スル請願
21.10.12
*90 衆
55 17
特別報告第243号
[請願委員長]小笠原八十美
[第55号付録]、廣島市並長崎市ノ復興促進ニ關 スル請願
第91回臨時帝国議会(昭和21年11月26日-12月25日)
第92回通常帝国議会(昭和21年12月28日-22年3月31日解散)
22.04.20 第1回参議院議員選挙
22.04.25 第23回衆議院議員選挙
第1回特別国会(昭和22年5月20日-12月9日)、片山内閣(5月24日成立)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
22.11.21
001 衆財
37 237 238
非戦災者特別税法案(内閣提出)
[質問]北村徳太郎、[答弁]栗栖赳夫
広島・長崎の焼け残った家
22.12.08
001 衆
50 341 352
請願
[採択]、広島市及び長崎市の復興助成の請願
22.12.08
001 衆財付
51 09
広島市及び長崎市の復興助成の請願に関する報告書(12月8日付)
[請願者]長崎市長大橋博外1名
第2回通常国会(昭和22年12月10日-23年7月5日)、芦田内閣(3月10日成立)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
23.07.02
002 参厚
22 01 02
社会事業振興に関する小委員長報告
[請願の審議経過・結果報告]姫井伊介
[決定]。模範社会事業都市建設に関する請願
23.07.05
002 参
59 946 947
請願
[厚生委員会の審議経過報告]塚本重蔵
[採択]。模範社会事業都市建設に関する請願
第3回臨時国会(昭和23年10月11日-11月30日)、第2次吉田内閣(10月15日成立)
第4回通常国会(昭和23年12月1日-12月23日解散)
24.01.23 第24回衆議院議員選挙
第5回特別国会(昭和24年2月11日-5月31日)、第3次吉田内閣(2月16日成立)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
24.03.26
005 衆
04 20 22
[3月25日]世界連邦建設運動と日本国会の参加
[自由討議]菊池義郎
原子力の惨害
24.04.26
005 衆議
25 03 04
広島市を平和都市に指定する件
[発言]石田博英
原子爆弾の惨害
24.04.27
005 衆議
26 04
広島市を指定都市にする件
[発言]石田博英、中村寅太、神山茂夫
長崎の扱い
24.04.29
005 衆
23 288
[4月28日]ハワイ並びに北南米在留同胞及び日系市民の対日援助に対する感謝決議案
[趣旨弁明]松本瀧蔵
[満場一致可決]
24.05.10
005 衆議
31 04 06
広島平和都市建設法案及び長崎国際文化都市建設法案の取扱いに関する件
[経過説明]石田博英、[質疑]土井直作、浅沼稲次郎、神山茂夫、林百郎、大池眞事務局長。
委員会審査省略を決定
24.05.11
005 衆
26 373 378
[4月10日]広島平和記念都市建設法案(山本久雄外14名提出)・長崎国際文化都市建設法案(若松虎雄外16名提出)
[提案理由説明]山本久雄、若松虎雄、[討論]坂本実、佐竹新市、北村徳太郎、江崎一治、逢澤寛、小平忠
[全会一致採択]、[参議院の委員会の審査省略を要求]
第6回臨時国会(昭和24年10月25日-12月3日)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
24.10.25
006 衆
01 06 07
[広島平和記念都市建設法・長崎国際文化都市建設法の賛成投票の結果の確定通知(8月4日付)]
[内閣総理大臣]吉田茂
24.10.25
006 参
01 05 06
[広島平和記念都市建設法・長崎国際文化都市建設法の賛否投票の結果の確定通知(8月4日付)]
[内閣総理大臣]吉田茂
24.11.30
006 参
21 269 271
[11月29日]ユネスコ運動に関する決議案(徳川頼貞外24名発議)
[提案理由説明]徳川頼貞[討論]久松定武、金子洋文
[全会一致可決]、原子爆弾、広島・長崎
24.11.30
006 衆考特
10 01 13
湯川秀樹君表彰の件・永井隆君表彰の件
[参考人]仁科芳雄、亀山直人、武谷三男、[質疑
]福井勇、小林進、木村榮、浦口鉄男、神山茂夫。
24.12.01
006 衆考特
11 01 19
永井隆君表彰の件
[参考人]小島徳雄、中島健蔵、石川數雄、[質疑]井出光治、内藤隆、岡延右衛門、小林進、菅家喜六、木村榮、小玉治行、浦口鉄男、安部俊吾、江崎一治、
「この子を残して」、原子爆弾、原子病 「亡びぬものを」、原子爆弾調査、原子病患者の手記
24.12.03
006 衆考特
12 01 04
湯川秀樹君表彰の件委員会報告に関する件
[質疑]浦口鉄男、木村榮、福井勇
[可決]
第7回通常国会(昭和24年12月4日-25年5月2日)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
24.12.15
007 衆考特
02 01 09
永井隆君表彰の件
[参考人]田川房太郎、[質疑]岡延右衛門、内藤隆、横田甚太郎、梨木作次郎
永井隆の人物・病状・生活の現況
24.12.23
007 衆考特
04 01 04
永井隆君表彰の件調査報告書に関する件
[討論]吉田甚太郎<共産党>
[多数決採択]
25.06.04 第2回参議院議員選挙
第8回臨時国会(昭和25年7月12日-7月31日)
第9回臨時国会(昭和25年11月21日-12月9日)
第10回通常国会(昭和25年12月10日-26年6月5日)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
26.05.25
010 衆外
18 12
平和に関する請願(今野武雄紹介第2350号)
[趣旨説明]砂間一良
東京都北多摩郡清瀬村上宮教会清瀬療園平和懇談会(佐藤己未夫外134名署名)、「日本人として人類最初の原子爆弾をこおむり、その惨禍を身をもって味わいました」
第11回臨時国会(昭和26年8月16日-8月18日)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
26.08.19
011 参
03 38 40
[8月18日]国務大臣の演説に関する件
[質問]岩間正男、[答弁]吉田茂
平和運動への弾圧、広島・長崎を再び繰返さない
第12回臨時国会(昭和26年10月10日-11月30日)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
26.10.25
012 衆平安
09 05 13
平和條約の締結について承認を求めるの件、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障條約の締結について承認を求めるの件
[討論]守島伍郎<自由党>、小川半次<民主党> 、西村栄一<社会党>、田島ひで<共産党>、中村寅太<農民協同党>、黒田寿男<労働者農民党>、佐竹晴記<社会民主党>
[平和条約及び日米安全保障條約特別委員会会議録][多数可決]。田島=「あの原爆の生地獄は日本国民だけが体験した」
26.11.17
012 参平安
21 28 29
平和条約の締結について承認を求めるの件・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約の締結について承認を求めるの件
[討論]堀眞琴<労農党>
[平和条約及び日米安全保障條約特別委員会会議録][多数可決]、原子爆弾の損失の補償
26.11.18
012 参
20 256 259
平和条約の締結について承認を求めるの件・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約の締結について承認を求めるの件
[討論]堀眞琴
[多数可決]、原子爆弾の損失の補償
26.11.18
012 参
20 263 269
連合国財産補償法案
[大蔵委員会の審議経過・結果報告]平沼彌太郎、[討論]菊川孝夫<社会党>、岩間正男<共産党>
[過半数可決]、原爆被害の補償、広島・長崎の原爆攻撃
26.11.26
012 参厚
12 02 04
広島市の原爆犠牲者遺族援護に関する請願
[請願趣旨説明]山下義信、[質疑]河崎ナツ
11月24日付託。[採択]、動員学徒、義勇隊、徴用工、「原爆の子」
26.11.28
012 参
24 37 38
請願71件
[厚生委員会の審議経過・結果報告]梅津錦一
[採択]。広島市の原爆犠牲者遺族援護に関する請願
第13回通常国会(昭和26年12月10日-27年7月31日)
年・月・日
国 会
号 頁
件 名
発 言 者
備 考
27.01.26
013 参
07 55 56
国務大臣の演説に関する件
[質問]岡本愛祐<緑風会>、[答弁]吉田茂
広島市の原爆記念館
27.01.30
013 衆予
04 07
昭和27年度一般会計予算外
[質疑]尾崎末吉、[答弁]池田勇人
戦争犠牲者援護(軍人遺家族、傷痍軍人、在外財産、原子爆弾その他の戦災)
27.02.05
013 衆予
09 07 13
昭和27年度一般会計予算外
[質疑]岡良一、風早八十二、[答弁]吉武惠市、池田勇人
原爆孤児、広島の原爆の犠牲者、義勇軍
27.03.25
013 衆厚公
01 01 21
戦傷病者戦没者遺族等援護法案について
[公述人]末高信、[質問]苅田アサノ
原爆地の被害者
27.03.26
013 衆厚公
02 01 08
戦傷病者戦没者遺族等援護法案について
[公述人]大井秀雄、任都栗司、[質問]高橋等、青柳一郎
広島・長崎の原爆犠牲者となった学徒、広島原爆犠牲者遺家族援護連盟、靖国神社合祀、国民義勇隊、徴用工、女子挺身隊員、弔慰金、見舞金
27.04.03
013 衆厚
20 04 10
戦傷病者戦没者遺族等援護法案(内閣提出第66号)
[討論]苅田アサノ、青野武一
[多数可決]、原爆によって不可抗力に一家の支柱を失った人々、戦災者の補償、[附帯決議(原爆には触れず)]
27.04.03
013 衆
29 514 515
戦傷病者戦没者遺族等援護法案
[討論]苅田アサノ
[多数採決]。広島・長崎の原爆の子ら
27.04.14
013 参厚
15 01 03
戦傷病者戦没者遺族等援護法案
[提案理由]吉武惠市、[衆議院小委員長の修正個所説明]高橋等
27.04.24
013 参厚
16 01 02
請願
[採択]、原爆犠牲者遺族の援護に関する請願。学徒隊員、女子挺身隊員、徴用工、国民義勇隊員、防空従事者
27.04.24
013 参厚
16 05 10
戦傷病者戦没者遺族等援護法案
[引揚問題及び遺族援護に関する小委員長報告]山下義信、[討論]河崎ナツ、山下義信
[修正可決]。徴用工・動員学徒・徴用船員・女子挺身隊・勤労報国隊・義勇隊
27.06.05
013 参建
49 05 06
広島・長崎都市建設事業促進に関する請願
[説明]楠瀬常猪
[採択]
27.06.20
013 衆厚
43 17 18
請願490件
広島市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願、広島・長崎両市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願は採択されず
27.07.28
013 参厚
34 01
請願56件
[採択]、原爆犠牲者等援護に関する請願
編年資料:ヒロシマ-1946年
月日
資料名
0402
1946年1月26日付終戦連絡中央事務局報告書第408号(1ノ3)ニ関スル提報方ノ件
(警保局公安発乙第20号)
0626
マンハッタン調査団「広島・長崎への原爆攻撃」[抄]
0801
広島市の原子爆弾被害状況調査依頼
0807
広島市の平和復興祭
0823
平和運動促進に関する建議
0823
広島市に世界平和塔建設の請願
0823
広島市並に長崎市の復興促進の請願
08
羅府新報(米ロスアンゼルスの邦字新聞)記事目録(原爆被害関係)1946.1-8
10
本土作戦記録・第二総軍[抄](第一復員局)
1118
被爆者の長期研究に関する大統領指令
マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(PRESS RELEASE)一覧(1945-46)
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広島市の原子爆弾被害状況調査依頼 1946.8.1
昭和21年8月1日
広島市長 木原七郎
******長殿
原子爆弾による被害状況調査に関すること
昨年8月6日原子爆弾の犠牲となりました本市は当時とりあへず其の被害状況の大略を調査致しましたが地域的被害並に爾後の推移状況等移動性の調査は更に統計的に調査し殊に被爆による人的被害の状況其の後の推移及び之が子孫に及ぼす影響如何等を医学的見地より調査研究して世界最初の原子爆弾記録を調整したいと思ひますので何卒御協力をお願い致します。就きましては誠にお迷惑ですが左記に依り貴(町村)該当者に付き同封調査票により御調査の上お取纏め御回送下さる様御願申上げます。
記 1.調査期日 昭和21年8月10日
2.調査の対象 貴(町村)現住者中昨年8月6日被爆当時広島市内に世帯を有し当時市内に現在せし者(傷害の有無に拘らず全員)
3.調査事項 別紙調査票の通り
4.御提出期限 昭和21年8月25日
5.御提出先 広島市国泰寺町39 広島市役所調査課
全日本学生新聞連盟 1949年に結成
連盟通信(全日本学生新聞連盟発行)記事目録
No,56
発行年月日
頁
見出し(平和、反原爆関連)
56
19500501
03
ストックホルム平和決議を支持
66
19500802
4-7
反戦平和特集
18
慶応高校で平和投票禁止
67
19500818
06
”Sアピール特集” 広島原爆記念日にS署名聖火発表 各国でも大々的に記念
10
弾圧下行われた反戦平和大会=広島
68
19500902
14
”こんなにうれしい、こんなかなしいことはありません” 涙で語れぬ赤松さん 原爆三部作完成記念
16
「原爆展」終る、9万の観客に深い感銘
<未入力>
206
19550830
1~63
原水爆禁止世界大会特集にあたって
所蔵機関:法政大学大原社会問題研究所
1962年10月?日設立
資料「広島歴史教育者協議会機関紙 歴史と教育」総目録
タイトル
発行年月日など
歴史と教育(機関紙)
(No.1)196210~(No.14)19671001
広島歴教協月例会報
(No.1)196402
ひろしま歴教協通信
(No.1)19670501~(No.19)19701216
広島県歴教協広島支部ニュース(再刊)
(No.1)19720910~(No.9)19730613
歴史と教育(機関紙)
(No.15)19750203~(No.14)19671001
歴教協広島支部ニュース
(No.4)19750224~
概観広島市史
広島市史編修委員会、広島市役所、1955年1月25日
序
何ごとによらず、その歴史を明らかにすることは、極めて重要なことであります。
わが広島市には、大正年代に発行された広島市史四巻がありますが、それは、本市の市史編纂事業としてははじめてのことでありましたので、先人の多大な労作にも拘らず、今日から見れば、その内容、形式ともに再検討を要するものが多々残されておりました。それに、この市史はさきにも申しましたように大正年代までの広島の歴史を記録したものでありまして、それ以後のことは早晩追録されなければならない破目になっていたのであります。
しかるに、顧みますと、この市史ができて昭和年代に入り、本市が飛躍的な発展を遂げ、続いて太平洋戦争を経て、昭和二○年八月六日、人類史上未曾有の原子爆弾によって、市街の大半が潰滅し、戦後再び廃墟の中に、新たな都市建設が始められるまでの約四○年間市の歴史は、まことに変転極まりないものでありまして、この間の史実を整理記録して、これを後世に遺すことは、いまこそ、その絶好の機会であり、それはまた今日の市民である吾々の責務でもありますので昭和二六年、私の市長再選を機会に、新しい市史の編纂事業に着手した次第であります。
もっとも過去において、第一七代市長藤田若水氏(昭和一四年~一八年)は、その在任中に新しい市史の編纂を企図せられ、少数の職員の手で、その準備を進められましたが、完成を見るに至らず、その資料などもいまは散逸して残っておりませんので、今回の市史編纂については、その組織、方法等、全然新たな出発点に立ってこれを行うことといたしました。
すなわち、組織としては、広島大学教授を中心とする、市内学識経験者をもって、広島市史編修委員会を設け、これに事務局を併置し、委員会自身の責任において、新たな市史を編修することとし、内容も既存の市史に拘泥することなく、往古より昭和二五年末に至る間の史実を収録することとして、昭和二六年秋から本格的に事業を開始して今日に至っております。しかるに、戦災により史的資料の多くは焼亡或いは散逸して、事業は意想外の困難を来し、これが完成までには、なお若干の日時を要しますので、とりあえす今日までに整理された資料に基づいて、広島市の歴史の概要を単冊にまとめて発行することにいたました。それがこの「概観広島市史」であります。
今日これを世に出すことができましたのも、ひとえに広島市史編集委員各位の並々ならぬ御努力と広島市民各位ならびに各方面の熱心な御援助の賜でありまして、衷心感謝に堪えません。
私は、本書が広島市紹介の良い手引となり、またより良い市史完成への礎石となりますよう心から祈る次第であります。
一九五五年一月 広島市長 浜井信三
広島市史編修委員会 1951年2月15日正式発足
略年表
年
月日
事項
1950
1213
第1回広島市史編修委員会
1951
0215
広島市史編修委員会。委員長を魚澄惣五郎に決定。委員会規則を可決し、正式に発足。
1953
0721
原爆戦災時の市役所関係者の会合。
0728
原爆戦災時の市議会関係者の会合。
0730
原爆戦災時の陸軍諸部隊関係者の会合。
1955
0125
「概観広島市史」刊行。
0310
「広島市史年表」刊行。
1956
0125
広島市史編修委員会、一応解散。
0401
渡辺忠雄広島市長と魚澄惣五郎との間で、市史編修の委託契約を締結。
1958
0301
「第2巻-政治史編」刊行。
1227
「第4巻-文化風俗史編」刊行。
1959
0331
「第6巻-資料編その1」刊行。
0831
「第3巻-社会経済史編」刊行。
1960
0202
広島市史編修委員会。「広島原爆戦災誌」の編纂には、できるだけ早い機会に着手すべきで、資料の収集・体験記や感想文なども広範囲にわたって集めるべきで、その体験者は年とともに減少しているから早急に着手を要するとの意向が強く打ち出された。
0331
「第7巻-資料編その2」刊行。
1961
0228
「第1巻-総説編」刊行。
1962
0331
「第5巻-年表・索引・地図・編纂沿革」刊行。
出典:「第5巻-年表・索引・地図・編纂沿革」
ヒロシマのメーデー年表
年
月
日
事項
22
05
01
総同盟因島労働組合により広島県内初のメーデー。(出典『日本共産党広島県党史略年表 第1次 1988~72』<以下「共産年表」と略記>)
46
05
01
戦後第1回メーデー。広島・呉・三原・尾道・福山・因島・府中・竹原で挙行。<「共産年表」>
49
05
01
第20回メーデー。「共産党のスローガン」の中に「原子兵器」への言及なし。
50
04
24
第21回統一メーデー前夜祭、東京芝のスポーツセンターで開催。「原子兵器の無条件禁止」を含む平和決議を採択。
50
05
01
第21回統一メーデー。ニューヨーク統一メーデー委員会のメッセージが紹介される。同メーデーのスローガンには「ヒロシマはご免」が含まれる。広島では「戦争反対,平和擁護」を声明。
51
05
01
第22回メーデーは分裂。平和広場に、広船、建設、通産、自労など8組合、共産党、日農、朝鮮人団体参加1000名。再軍備反対、全面講和と全占領軍の即時撤退など8スローガンで集会。「共産年表」
52
05
01
講和後初のメーデー.県下で4万人参加.広島では松川裁判の公正を求める緊急動議可決.会場に原爆の惨状を描いた絵や写真 100枚近くを展示.
55
08
05
長崎地区労、原爆犠牲者追悼映画会を稲佐淵郷公園で開催(~9日)。映画「原爆の子」・「無限の瞳」・「1955年福岡メーデー」を上映。
57
04
17
広島中央メーデー実行委員会,「原爆被害者を救済し,第3回原水爆禁止世界大会を成功させよう」などの地方スローガンを決定(朝日新聞).
57
05
01
広島県中央メーデー,広島市平和記念公園で開催.原爆犠牲者救援などのサブスローガンを採択.
60
05
01
広島県中央統一メーデー、広島市平和公園で開催。戦後最大の150単産、2万5000人参加。アイク訪日反対を全国にさきがけて決議。アイク訪日反対運動のキッカケをつくる。呉地区メーデー、黄幡基地撤去のスローガンを決議。その後呉市議会、県議会も決議。<「共産年表」>
62
05
01
「第三十三回中央メーデーで核実験禁止を決議。広島市では慰霊碑に黙とう。米へ抗議文。
77
05
01
第48回メーデー。
78
04
22
広島市、メーデー主催団体に平和公園の芝生を傷めないよう協力呼びかけ。
78
05
01
第49回メーデー。広島市平和記念公園で、中央統一メーデー開催。「核廃絶」など盛りこんだ大会宣言採択。
80
05
01
第51回メーデー開催。広島市では核兵器完全禁止など決議。
81
05
01
広島市などでメーデー。憲法改悪阻止・被爆者援護法制定など訴え。
82
05
01
第53回メーデー、開催。「核兵器完全禁止・全面軍縮の実現」などメーン、スーガンに。
83
05
01
「第54回メーデー」広島市の平和記念公園などで開催。核兵器完全禁止、被爆者援護法制定などの決議を採択。
84
05
01
広島市の平和記念公園でメーデーの集会開催。原爆慰霊碑の默とうをささげて開会。「被爆者援護法早期制定」など盛り込んだ宣言を採択。(県内29会場で約7万人参加。)
85
04
30
メーデー記念スポーツ大会(於東京)で「恒久平和のシンボルとして点火する灯を広島市平和記念公園の「平和の灯」より採火。
85
05
01
長崎地区労・地区同盟、それぞれメーデー集会開催(分裂メーデー、各、約1万人参加)。いずれも、核兵器の禁止、被爆者援護法制定などのスローガン。
85
05
01
広島県中央統一メーデー、広島市の平和記念公園で開催(25000人参加)「核兵器廃絶」などを盛り込んだメーデー宣言を採択。
86
05
01
第57回メーデー、開催。広島市の平和記念公園の中央集会では、原爆犠牲者の霊に黙とう、核兵器完全禁止を盛り込んだメーデー宣言を採択(約 26000人参加)。
87
05
01
第58回メーデー集会、広島市の中央公園で開催(約26,000人参加)。冒頭、原爆犠牲者のめい福を祈り黙とう。核実験禁止など訴える宣言を採択。
88
05
01
広島県中央統一メーデー、広島平和記念公園で開催(約28000人参加)。原爆慰霊碑 に献花、黙とう。
88
05
01
長崎県労評、長崎市でメーデー集会開催(約2万人参加)。核軍縮などを訴え。
89
05
01
広島県中央統一メーデー集会、広島市中央公園で開催(約1万5千人参加)。開会時に原爆犠牲者に黙とう。
90
05
01
連合広島の県中央メーデー、広島市で開催(約2万3000人参加)。被爆者援護法の早期制定を決議。
90
05
01
広島県労連の県中央メーデー、広島市で開催(約2000人参加)。被爆者援護法の年内制定を決議。
91
05
01
広島県で、連合広島・県労連・県共闘の分裂メーデー開催。連合広島の集会では、原爆犠牲者らに黙とうし、被爆者援護法の早期制定などを求める決議を採択。県労連、原爆犠牲者に黙とうし、掃海艇派遣について被爆地として容認できないとコメント。
95
05
01
第66回メーデー。連合広島、原爆ドームの世界遺産化を独自スローガンに掲げる。
2018
0428
第89回広島県中央メーデー。主催:連合広島など。場所:広島市内。参加者7100人。<『朝日新聞』>
0501
広島県中央メーデー。主催:広島県労連など。場所:広島市内。参加者約800人。
2019
2020
2021
2022
0429
連合広島、広島県中央メーデーをワークピア広島で開催。
0501
広島県中央メーデー実行委員会(県労連など55団体)、メーデー。参加者約400人。会場:ハノーバー庭園(広島市)。
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