「04 できごと」カテゴリーアーカイブ

広島歴史教育者協議会

1962年10月?日設立

資料「広島歴史教育者協議会機関紙 歴史と教育」総目録

タイトル 発行年月日など
歴史と教育(機関紙) (No.1)196210~(No.14)19671001
広島歴教協月例会報 (No.1)196402
ひろしま歴教協通信 (No.1)19670501~(No.19)19701216
広島県歴教協広島支部ニュース(再刊) (No.1)19720910~(No.9)19730613
歴史と教育(機関紙) (No.15)19750203~(No.14)19671001
歴教協広島支部ニュース (No.4)19750224~

 

 

 

概観広島市史(浜井信三市長 序)

概観広島市史
広島市史編修委員会、広島市役所、1955年1月25日


何ごとによらず、その歴史を明らかにすることは、極めて重要なことであります。
わが広島市には、大正年代に発行された広島市史四巻がありますが、それは、本市の市史編纂事業としてははじめてのことでありましたので、先人の多大な労作にも拘らず、今日から見れば、その内容、形式ともに再検討を要するものが多々残されておりました。それに、この市史はさきにも申しましたように大正年代までの広島の歴史を記録したものでありまして、それ以後のことは早晩追録されなければならない破目になっていたのであります。
しかるに、顧みますと、この市史ができて昭和年代に入り、本市が飛躍的な発展を遂げ、続いて太平洋戦争を経て、昭和二○年八月六日、人類史上未曾有の原子爆弾によって、市街の大半が潰滅し、戦後再び廃墟の中に、新たな都市建設が始められるまでの約四○年間市の歴史は、まことに変転極まりないものでありまして、この間の史実を整理記録して、これを後世に遺すことは、いまこそ、その絶好の機会であり、それはまた今日の市民である吾々の責務でもありますので昭和二六年、私の市長再選を機会に、新しい市史の編纂事業に着手した次第であります。
もっとも過去において、第一七代市長藤田若水氏(昭和一四年~一八年)は、その在任中に新しい市史の編纂を企図せられ、少数の職員の手で、その準備を進められましたが、完成を見るに至らず、その資料などもいまは散逸して残っておりませんので、今回の市史編纂については、その組織、方法等、全然新たな出発点に立ってこれを行うことといたしました。
すなわち、組織としては、広島大学教授を中心とする、市内学識経験者をもって、広島市史編修委員会を設け、これに事務局を併置し、委員会自身の責任において、新たな市史を編修することとし、内容も既存の市史に拘泥することなく、往古より昭和二五年末に至る間の史実を収録することとして、昭和二六年秋から本格的に事業を開始して今日に至っております。しかるに、戦災により史的資料の多くは焼亡或いは散逸して、事業は意想外の困難を来し、これが完成までには、なお若干の日時を要しますので、とりあえす今日までに整理された資料に基づいて、広島市の歴史の概要を単冊にまとめて発行することにいたました。それがこの「概観広島市史」であります。
今日これを世に出すことができましたのも、ひとえに広島市史編集委員各位の並々ならぬ御努力と広島市民各位ならびに各方面の熱心な御援助の賜でありまして、衷心感謝に堪えません。
私は、本書が広島市紹介の良い手引となり、またより良い市史完成への礎石となりますよう心から祈る次第であります。

一九五五年一月  広島市長 浜井信三

 

広島市史編修委員会

広島市史編修委員会   1951年2月15日正式発足

略年表

月日 事項
1950 1213 第1回広島市史編修委員会
1951 0215 広島市史編修委員会。委員長を魚澄惣五郎に決定。委員会規則を可決し、正式に発足。
1953 0721 原爆戦災時の市役所関係者の会合。
0728 原爆戦災時の市議会関係者の会合。
0730 原爆戦災時の陸軍諸部隊関係者の会合。
1955 0125 「概観広島市史」刊行。
0310 「広島市史年表」刊行。
1956 0125 広島市史編修委員会、一応解散。
0401 渡辺忠雄広島市長と魚澄惣五郎との間で、市史編修の委託契約を締結。
1958 0301 「第2巻-政治史編」刊行。
1227 「第4巻-文化風俗史編」刊行。
1959 0331 「第6巻-資料編その1」刊行。
0831 「第3巻-社会経済史編」刊行。
1960 0202 広島市史編修委員会。「広島原爆戦災誌」の編纂には、できるだけ早い機会に着手すべきで、資料の収集・体験記や感想文なども広範囲にわたって集めるべきで、その体験者は年とともに減少しているから早急に着手を要するとの意向が強く打ち出された。
0331 「第7巻-資料編その2」刊行。
1961 0228 「第1巻-総説編」刊行。
1962 0331 「第5巻-年表・索引・地図・編纂沿革」刊行。

出典:「第5巻-年表・索引・地図・編纂沿革」

 

メーデー(広島)年表

ヒロシマのメーデー年表

事項
22 05 01 総同盟因島労働組合により広島県内初のメーデー。(出典『日本共産党広島県党史略年表 第1次 1988~72』<以下「共産年表」と略記>)
46 05 01 戦後第1回メーデー。広島・呉・三原・尾道・福山・因島・府中・竹原で挙行。<「共産年表」>
49 05 01 第20回メーデー。「共産党のスローガン」の中に「原子兵器」への言及なし。
50 04 24 第21回統一メーデー前夜祭、東京芝のスポーツセンターで開催。「原子兵器の無条件禁止」を含む平和決議を採択。
50 05 01 第21回統一メーデー。ニューヨーク統一メーデー委員会のメッセージが紹介される。同メーデーのスローガンには「ヒロシマはご免」が含まれる。広島では「戦争反対,平和擁護」を声明。
51 05 01 第22回メーデーは分裂。平和広場に、広船、建設、通産、自労など8組合、共産党、日農、朝鮮人団体参加1000名。再軍備反対、全面講和と全占領軍の即時撤退など8スローガンで集会。「共産年表」
52 05 01 講和後初のメーデー.県下で4万人参加.広島では松川裁判の公正を求める緊急動議可決.会場に原爆の惨状を描いた絵や写真 100枚近くを展示.
55 08 05 長崎地区労、原爆犠牲者追悼映画会を稲佐淵郷公園で開催(~9日)。映画「原爆の子」・「無限の瞳」・「1955年福岡メーデー」を上映。
57 04 17 広島中央メーデー実行委員会,「原爆被害者を救済し,第3回原水爆禁止世界大会を成功させよう」などの地方スローガンを決定(朝日新聞).
57 05 01 広島県中央メーデー,広島市平和記念公園で開催.原爆犠牲者救援などのサブスローガンを採択.
60 05 01 広島県中央統一メーデー、広島市平和公園で開催。戦後最大の150単産、2万5000人参加。アイク訪日反対を全国にさきがけて決議。アイク訪日反対運動のキッカケをつくる。呉地区メーデー、黄幡基地撤去のスローガンを決議。その後呉市議会、県議会も決議。<「共産年表」>
62 05 01 「第三十三回中央メーデーで核実験禁止を決議。広島市では慰霊碑に黙とう。米へ抗議文。
77 05 01 第48回メーデー。
78 04 22 広島市、メーデー主催団体に平和公園の芝生を傷めないよう協力呼びかけ。
78 05 01 第49回メーデー。広島市平和記念公園で、中央統一メーデー開催。「核廃絶」など盛りこんだ大会宣言採択。
80 05 01 第51回メーデー開催。広島市では核兵器完全禁止など決議。
81 05 01 広島市などでメーデー。憲法改悪阻止・被爆者援護法制定など訴え。
82 05 01 第53回メーデー、開催。「核兵器完全禁止・全面軍縮の実現」などメーン、スーガンに。
83 05 01 「第54回メーデー」広島市の平和記念公園などで開催。核兵器完全禁止、被爆者援護法制定などの決議を採択。
84 05 01 広島市の平和記念公園でメーデーの集会開催。原爆慰霊碑の默とうをささげて開会。「被爆者援護法早期制定」など盛り込んだ宣言を採択。(県内29会場で約7万人参加。)
85 04 30 メーデー記念スポーツ大会(於東京)で「恒久平和のシンボルとして点火する灯を広島市平和記念公園の「平和の灯」より採火。
85 05 01 長崎地区労・地区同盟、それぞれメーデー集会開催(分裂メーデー、各、約1万人参加)。いずれも、核兵器の禁止、被爆者援護法制定などのスローガン。
85 05 01 広島県中央統一メーデー、広島市の平和記念公園で開催(25000人参加)「核兵器廃絶」などを盛り込んだメーデー宣言を採択。
86 05 01 第57回メーデー、開催。広島市の平和記念公園の中央集会では、原爆犠牲者の霊に黙とう、核兵器完全禁止を盛り込んだメーデー宣言を採択(約 26000人参加)。
87 05 01 第58回メーデー集会、広島市の中央公園で開催(約26,000人参加)。冒頭、原爆犠牲者のめい福を祈り黙とう。核実験禁止など訴える宣言を採択。
88 05 01 広島県中央統一メーデー、広島平和記念公園で開催(約28000人参加)。原爆慰霊碑   に献花、黙とう。
88 05 01 長崎県労評、長崎市でメーデー集会開催(約2万人参加)。核軍縮などを訴え。
89 05 01 広島県中央統一メーデー集会、広島市中央公園で開催(約1万5千人参加)。開会時に原爆犠牲者に黙とう。
90 05 01 連合広島の県中央メーデー、広島市で開催(約2万3000人参加)。被爆者援護法の早期制定を決議。
90 05 01 広島県労連の県中央メーデー、広島市で開催(約2000人参加)。被爆者援護法の年内制定を決議。
91 05 01 広島県で、連合広島・県労連・県共闘の分裂メーデー開催。連合広島の集会では、原爆犠牲者らに黙とうし、被爆者援護法の早期制定などを求める決議を採択。県労連、原爆犠牲者に黙とうし、掃海艇派遣について被爆地として容認できないとコメント。
95 05 01 第66回メーデー。連合広島、原爆ドームの世界遺産化を独自スローガンに掲げる。
 2018  0428  第89回広島県中央メーデー。主催:連合広島など。場所:広島市内。参加者7100人。<『朝日新聞』>
 0501  広島県中央メーデー。主催:広島県労連など。場所:広島市内。参加者約800人。
 2019
 2020
 2021
2022 0429 連合広島、広島県中央メーデーをワークピア広島で開催。
0501 広島県中央メーデー実行委員会(県労連など55団体)、メーデー。参加者約400人。会場:ハノーバー庭園(広島市)。

 

核兵器禁止条約(前文抄)

核兵器禁止条約 Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons  New York, 7 July 2017

Not yet in force in accordance with article 15(1) this Treaty shall enter into force 90 days after the fiftieth instrument of ratification, acceptance, approval or accession has been deposited.
Status Signatories : 58. Parties : 8
Text Certified true copy
CN.475.2017.TREATIES-XXVI-9 of 9 August 2017 (Opening for signature) and CN.476.2017.TREATIES-XXVI-9 of 9 August 2017 (Issuance of Certified True Copies).
Note The Treaty was adopted on 7 July 2017 by the United Nations conference to negotiate a legally  binding instrument to prohibit nuclear weapons, leading towards their total elimination, held in New York from 27 to 31 March and 15 June to 7 July 2017. In accordance with its article 13, the Treaty shall be open for signature to all States at United Nations Headquarters in New York as from 20 September 2017.
出典:https://treaties.un.org/pages/ViewDetails.aspx?src=TREATY&mtdsg_no=XXVI-9&chapter=26&clang=_en

 

(前文の抄録<hibakusha>)
Mindful of the unacceptable suffering of and harm caused to the victims of the use of nuclear weapons (hibakusha), as well as of those affected by the testing of nuclear weapons,

Stressing the role of public conscience in the furthering of the principles of humanity as evidenced by the call for the total elimination of nuclear weapons, and recognizing the efforts to that end undertaken by the United Nations, the International Red Cross and Red Crescent Movement, other international and regional organizations, non-governmental organizations, religious leaders, parliamentarians, academics and the hibakusha,

核兵器禁止条約の採択についての日本政府の見解
【記者】今月7日に,国連で核兵器禁止条約が採択されました。政府としての受け止めをお願いします。
【岸田外務大臣】採択されたこと,承知をしております。この条約の背景には,核軍縮の進展の遅さに対する非核兵器国による不満,あるいは早急に実質的な前進を得たいという願いがあると受け止めています。こうした思いについては,我が国も強く共有をしております。我が国の基本的な考え方は従来から申し上げているように,二つの大切な認識に基づいて,核兵器国と非核兵器国の協力の下に,現実的・実践的な取組を積み重ねていくというものであります。
今回採択された条約は,こうした我が国の「核兵器のない世界」を目指す我が国の考え方とアプローチを異にしている,このように考えています。我が国としましては,核兵器国と非核兵器国の対立が深刻化する中にあって,是非,両者の信頼関係の再構築が最大の課題であると考えています。そういった考えに基づいて現実的・実践的な取組をリードしていきたい,このように考えています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaiken4_000533.html

広島県原爆被害者団体協議会

広島県原爆被害者団体協議会
1956年5月27日設立

1555年8月、広島で開催された原水爆禁止世界大会直後、広島市内には,原爆乙女の会(シオン会)・原爆被害者の会・原爆の子友の会の先駆的3組織のほかに,広島子供を守る会,未亡人会(原爆被害者グループ),大会直前に原爆被害者の会から別れた八・六友の会と原爆被害者の会本部,および大会の期間中に組織された電気通信関係原爆犠牲者遺族会の8組織が存在した。世界大会直後から,これらの被害者組織の一本化が試みられたが,性格の異なる諸組織の統合には,多くの困難が存在した。10数回の会合ののち,1956年1月22日に広島市原爆被害者連絡協議会世話人会の発足にこぎつけた。

広島県原爆被害者大会(1956年3月18日)・国会請願(3月20日)の開催が,広島における既存の原爆被害者組織の大同団結と新たな被害者組織づくりの重要な契機となった。原爆被害者大会実行委員会は,1956年4月8日,事務局に県内各地から30人が参加して代表者会議を開催,次のような決議を行った。

県内の原爆被害者の組織は,被害者大会までに,大竹市(1955年8月6日結成)・甲奴郡(9月1日)・芦品郡(10月11日)・深安郡・神石郡・三次地区(1956年3月15日)などに結成されており,大会後の3月29日には,賀茂郡原爆被害者の会が結成された。

原爆被害者大会実行委員会は,4月8日につづいて5月13日にも代表者会議を開催,5月21日には,事務局長藤居平一の名で,5月27日の広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協と略称)結成総会の案内状を発送した。広島YMCA講堂で開かれた結成総会には,県内の被害者団体代表120人のほか,長崎8人,愛媛1人の代表が参加した。総会は,経過報告,規約案の審議ののち,次のような運動方針を決定した。

総会は,藤居平一(原爆被害者大会実行委員会事務局長・広島原水協事務局次長)・井上昇(広島県東部被害者連絡協議会)・日野義隆(大竹市被害者同志会)の3人を代表委員に,また,藤居を事務局長に選出した。

原爆被害者の会会則

原爆被害者の会会則
1952.8.10
<会則>
一、この会は原爆被害者の会といい、原爆の被害者によってつくられます。
二、会員には被害者で趣旨に賛成の人なら誰でも入ることが出来ます。
三、会の事務所は広島市細工町原爆ドーム裏吉川記念品店におきます。
四、会は被害者が団結して多くの人々との協力のもとに、治療生活その他の問題を解決し、あはせて再びこの様な惨事のくりかへされないよう平和のために努力することを目的とします。
五、この会は目的実現のために次の事業を行います。
①原爆傷害者の治療援助を当局に要求し、その他種々の便宜をつくり出す。
②原爆による生活困窮者の就職、生活援助を会員相互の協力によって行う。
③各種の方法により平和のための事業を計画する。
④その他の目的実現のため、会の決定したこと。
六、会は、総会、幹事会、協力会を持ち運営していきます。
七、会の趣旨に賛成し、協力する意志のある団体並びに個人によって協力会をつくります。
八、会の役員は会員の中から会長1名、副会長1名、幹事若干名を選びます。幹事会は事務局を設けます。
九、会の財政は会費、寄付、事業収入でまかないます。
<組織>
1.会員組織
一、会員の会費は月20円、かわりに機関紙を無料配布します。
二、会員はそれぞれの地区で支部をつくることが出来ます。
三、現在の幹事会のメンバーは次の通りです。
吉川清(会代表者)、佐伯晴代、内山正一、上松時枝、峠三吉
当分の間、会長、副会長を決定せず、幹事の合議により運営していきます。
四、事務局は活動に応じて各部を設け、幹事会の決定を実行します。
2.協力会員組織
一、原爆被害者でなく、会の趣旨に賛成、協力する人は協力会員になっていただきます。会費は半年150円、かわりに機関紙を無料配布します。
二、協力会員の協力方法として次の様なことが望まれます。
①一定金額の定期的な資金援助、或は一時的な資金援助
②被害者の就職、内職あっせんの協力
③被害者のその他の生活要求に対する協力
④被害者の平和運動を発展させるための協力
⑤その他、会の決定した計画に対する人的物的な援助、協力
三、協力会員は各地、或は各職種別の協力会をつくることが出来ます。
四、現在の東京協力会の世話人は次の通りです。(イロハ順)
石田一松、大田洋子、神近市子、武谷三男、倉田本、布施辰治、赤松俊子
3.原爆の手記編纂委員会
一、この委員会は独立した組織ですが、会とは密接な関係にあり、相互協力の関係にあります。
二、この委員会は原爆の手記その他を通じて被害者の実態、その要求、或いは原爆の実態、本質を明らかにしていく仕事を行います。
<事業>
1.医療
原爆の惨禍は尚あとをたたず、現在でも原爆症により病床にふし、或は死亡していく人達がいます。又、生活に追われて傷害を治療することも出来ず、苦しんでいる人も数多くあります。これらの医療問題を解決するために、私達は国家予算による無料での診察治療の実施を要求しています。このため実態調査を行い、これを基礎にして陳情書を作り政府並びに国会に陳情する考えでいます。当面の対策としては次の諸活動を行ひます。
一、原爆傷害者の実態調査を行う。
二、市民病院での無料診断実施を要求する。
三、緊急に治療の必要ある患者のカルテをつくり、県並びに市にその治療費の全額負担を要求する。
2.生活
原爆被害者は一般にいって殆どが生活困窮者です。一日わづか7,80円の内職で毎日の生活費にもことかく人達がいます。適当な職がなくて困っている傷害者もいます。生活を転換しようにもその間の生活費がないため、弱い体を無理な労働に使っている婦人もいます。又周囲の冷たい態度に泣きながら、誰か親身になっていろいろな相談の出来る人はないかと求めている人もいます。私達はこれらの生活問題を解決するために、軍事費支出をやめて、その予算で社会保障制度を確立する必要があると考えます。これはただ被害者だけでなくすべての貧困者の問題ですから、そういう人達と共に運動していきたいと思っています。当面の対策としては次の諸活動を行います。
一、出来る限りの就職、内職のあっせんを行う。
二、資金を集め、生活転換その他の理由で必要とする生活資金の貸出しを行う。
三、法律的な保護が受けられるにもかかわらず、それが出来ない時は会が交渉する。
四、衣類その他の生活用品に困窮している人達には寄付を仰いで分配する。
五、その他の問題について相談しあい、相互に助けあう。
3.平和運動
原爆の惨禍は体験した私達が一番よく知っています。二度とこの様な悲劇がくりかへされない様、私達は平和のために出来る限りの努力をしなければなりません。
多くのまじめに平和を求める人々と手をとりあって地道な平和運動を進めようと考えています。
一、原爆写真展の貸出
二、手記編纂委員会に協力し、手記、記録、訴えなどをひろめる。(以下略)
三、その他
4.その他
一、クラブや文化サークルなどをつくり、互いに話合ったり勉強出来る機会をつくる。
二、図書室をつくる。
三、機関紙を発行する。

原爆被害者の会

原爆被害者の会 (1952年8月10日設立)

原爆被害者の会設立の経緯

峠三吉が中心となって活動していた原爆の詩編纂委員会(1952年9月,詩集 原子雲の下より』を発行)が原稿募集を終えた1952(昭和27)年6月末,同委員会は吉川清の訪問をうけた。これを契機に委員会のメンバー,とくに峠三吉・山代巴・川手健・野村英一の4人は,原爆乙女・原爆孤児といった限定された原爆被害者のみでなく,一般被害者の組織化の必要を感じ,吉川とともに被害者の会の準備をはじめた。
7月10日,ロケのために末広中であった新藤兼人・乙羽信子など映画「原爆の子」のスタッフを呼んで開いた懇談会の席上,会結成の提案を行い,組織づくりの第一歩をふみだした。また,8月6日には平和公園の原爆慰霊碑前で会員募集と資金カンパを訴えた。
結成式は,1952年8月10日,広島市の知恩会館でおこない,会則・事業計画を決定,幹事として吉川清・佐伯晴代・内山正一・上松時枝・峠三吉の5人を選出した。結成時の会員は数十人にすぎなかったが,同年12月14日の第1回総会において組織強化の方針を決定し,大衆団体としての体裁を整えた。結成から半年後の1953(昭和28)年3月頃には,300人の会員を擁するまでlこなっている(川手健「半年の足跡」,『原爆に生ぎて原爆被害者の手記』所収)。
関連資料

原爆被害者の会会則 1952.8.10
中野懇談会の被爆者招請(1952年11月22日)
原爆被害者の会 「米国に対する損害賠償請求提訴の件について」 1953.4.5
原爆被害者の手記編纂委員会編『原爆に生きて-原爆被害者の手記-』(三一書房、1953年6月25日発行)
 原爆被害者の会の原爆裁判への対応
『芽生え』NO.2(原爆被害者の会事務局、1954年1月18日)

 

日本の原水爆禁止運動と被爆者の証言活動について(宇吹報告)

日本の原水爆禁止運動と被爆者の証言活動について
1989年2月28日  宇吹暁
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・Ⅰ 原爆被害の思想化 ・
・Ⅱ 原水爆禁止運動と原爆被害・
・Ⅲ 証言活動の歩み ・
・Ⅳ 被爆者証言の意義 ・
・・・・・・・・・・・・・・・・

Ⅰ 原爆被害の思想化

資料1)「終戦詔書」 1945.8.14

敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

資料2)アメリカ人記者の質問への東久迩宮首相返書(「朝日新聞」1945.9.16)

米国民よ、どうか真珠湾を忘れて下さらないか。われわれ日本人も原子爆弾による惨害を忘れよう。そして全く新しい、平和的国家として出発しよう。米国は勝ち日本は敗けた。戦争は終った。互いににくしみを去ろう。これは私の組閣当初からの主張である。

資料3)広島原爆体験者の反応(アメリカ戦略爆撃調査団のインタビューに対する回答 1945.12)

(主婦・29歳)原爆でやられてから、私は今こそ軍需工場へ働きに行くべきだと思った。原爆はひどかった。だれもが怪我をしているのを見ているので何の悪い影響を蒙らなかったのは百人に一人にすぎないように思える。息子はたとえ大きくなっても原爆のことは忘れないだろうと言っている。
(主婦・34歳)私は、アメリカらしいやり方だと思った。私はいつもアメリカは鬼畜だと思っていたので、彼らがあのような野蛮な行為をしたことを責めはしない。彼らは、焼夷弾や通常爆弾と同じように落とすことができた。原爆のようなものを落とすことができるのは鬼畜だけだ。
(女学生・16歳)四か月も経つのに、まだ火傷が治っていない人たちがいる。子供はみな回復したが、大人たちの多くはまだ回復していない。彼らはアメリカ人を心底軽蔑しているので、もし幽霊がいるとしたら、なぜアメリカ人に取り付かないのか、と言っている。

資料4)広島市の陳情団とGHQ情報・企画担当マンソン大佐との合意内容(「中国新聞」1945.12.6)

終戦を速めたのは実に原子爆弾の威力であってこの洗礼を受けたのが不幸広島市で従って広島市が今回の戦災を被ったことは世界平和をもたらす第一歩であると同時にこれに寄与するところ誠に大なるものがあると思考されるので、復興については絶対にその特異性を認め他の戦災都市よりも優先的に復興をはかりたい。

資料5)広島市議会議長のマッカーサーに対するメッセージ要請書    The NEW YORK TIMES 1947.8.6

平和祭は、8月6日が平和に到達した日であるとともに、広島市民が世界平和に貢献する決意を新たにする日として記憶される日付であるという考えにもとづき開催されるものです。

資料6)平和祭に対するマッカーサーのメッセージ(「広島市勢要覧 昭和22年版」)

あの運命の日の諸々は、凡ての民族の凡ての人々に対する警告として役立つ。それは戦争の破壊性を助長する為に、自然力を使用することは益々進歩して、遂には人類を絶滅し、現代世界の物質的構造物を破壊する様な手段が手近に得られる迄発達するだろうと云う警告である。これが広島の教訓である。

資料7)広島市原爆犠牲者遺族援護に関する陳情書
(広島市長・広島市議会議長 1951.11.24)

当時広島市は全市要塞化し市民及県下より動員されたものはすべて老幼男女の区別なく軍命令により義勇隊員として軍都広島市の守備に任じて戦場にあった旧軍人と同じ立場に置かれていた。(中略)
一、原爆により死没した義勇隊員の遺族に対して旧軍人軍属と同様の国家補償を与えられたいこと
二、学徒動員により死没した学徒の遺族に対して前項同様国家補償を与えられたいこと
三、前二項の犠牲者の霊を靖国神社に合祀すること

資料8)広島平和都市記念碑碑文(1952.7.22文案完成、8.6碑除幕)

安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
(英文)Let all the souls here rest in peace
For we shall not repeat the evils

資料9)雑賀忠義(碑文作成者)の考え(「中国新聞」1952.11.11)

広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちを繰返さないと霊前に誓う-これは全人類の過去・現在・未来に通じる広島市民の感情であり、良心の叫びである。「広島市民が過ちを繰返さぬといっても外国人から落とされた爆弾ではないか。だから繰返さぬではなく繰返させぬであり、広島市民の過ちではない」とは世界市民に通じないことばだ。そんなせせこましい立ち場に立つときは過ちは繰返さぬことは不可能になり霊前でものをいう資格はない。

資料10)原爆被害者の会会則(1957.8.10)

一、この会は原爆被害者の会といい、原爆の被害者によってつくられます。
四、会は被害者が団結して多くの人々との協力のもとに、治療生活その他の問題を解決し、あわせて再びこの様な惨事のくりかえされないよう平和のために努力することを目的とします。
五、この会は目的実現のために次の事業を行います。
① 原爆傷害者の治療援助を当局に要求し、その他種々の便宜をつくり出す。
② 原爆による生活困窮者の就職、生活援助を会員相互の協力によって行う。
③ 各種の方法により平和のための事業を計画する。
④ その他目的実現のため、会の決定したこと。

資料11)原爆被害者数をめぐって

1945.11.30現在 広島県警察部調査 306,545 (戦災者)
1950.10.1現在 ABCC調査 158,597 (広島市に「現在」したもの)(283,508)(広島・長崎両市合計)
1951.5 広島市調査  57,902 (死没者、1952.8慰霊碑奉納)
1972.9.30現在 広島市内被爆二世 66,627 (住民基本台帳より)
 1978.3.31現在  外国人被爆者手帳所持者 4,353 (推定) 広島被爆 3,989 長崎被爆 364 広島市内居住 1,860

広島市原爆被爆者動態調査事業報告1988.8

内死亡 内生存
被爆当時広島市内居住被爆者 284,758 123,010 154,292
被爆当時広島市外居住被爆者  149,231 48,522 97,056
不詳 28,935 17,949 3,169
合計 462,924 189,481  254,517
1945末までに死亡  77,576
原爆医療法施行前に死亡 94,894
1957.4.1~調査時死亡 88,601
死亡時期不詳  5,986

 

新聞記事デ-タベースと原爆情報

新聞記事デ-タベースと原爆情報(抄読会レジメの抄録)

     1992.1.13 宇吹 暁

Ⅰ)新聞記事デ-タベースの現状把握の必要性

.1991年5月29日、秦野裕子氏入院。新聞切抜き作業を代行してみて、かなり重労働であることを知る。切抜きを止めることができるなら、止めたいと考えるようになる。

経緯(敬称略)[1988年9月~91年11月]

Y M D T(年月日時間) 事項
88 09 02 14:30  中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。初会合
 09 16 13: 標準化部会第1回分科会。合同庁舎。
88 11 22 13:30  第2回標準化部会。中国経済クラブ。
88 12 22 15:   標準化部会分科会第2回会議。中国経済クラブ。
89 01 18 13:30 中国地区デ-タベース推進協議会主催「図書館情報デ-タベースに関する講演会」。講師:熊田淳美(国会図書館)。
89 01 27 13: 第3回標準化部会分科会。中国経済クラブ。
91 02 25 10:30  抄読会(宇吹)。「原爆文献・手記関連デ-タベースの紹介」。
91 07 08 10:00 池内よりパソコン通信の打ち出しを貰う。
91 07 15 09:30 池内からNEC-C&CVANの朝日新聞「被爆者」を打ち出したものを貰う。
91 07 20 11:15 池内よりNECデ-タベースの打ち出しを貰う。
91 08 17 09:50 有定久雄(原対協)来所。新聞切抜きについて話す。カナによる記事見出しの電算化は意味が無い。
91 08 28 08:20 池内から朝日新聞デ-タベースなどの打ち出しが届けられていた。
91 09 25 13:30 田坂(中国新聞デ-タベース部)来所。瀬戸内図書館連絡協議会委員の就任依頼。今年度中に3回ほど会議を開催の予定。パソコンネットワークについて3時過ぎまで話す。中国新聞のデ-タベースのモニターになることを勧められる。
 91 09 27 11:30 田坂(中国新聞)より中国新聞社記事デ-タベース・モニターの申込書など関係資料が速達で届く。
91 09 30 10:00 抄読会。池内。中国新聞社記事デ-タベースのモニターの件について相談する。内線は使わず専用回線を引いた方が良い。
91 09 30 16:30 中国新聞デ-タベース部。池内・松浦と中国新聞記事デ-タベースの見学。6時半まで。使い勝手は良い。モニターの件、予算措置が出来てから申し込みたい旨伝える。
91 11 18 13:20 池内とOAシステムプラザ広島店でオムロンのモデム(27800円)とマイトーク(19800円)を購入。5万弱。
91 11 18 17:00 中国新聞社へ記事デ-タベース・モニター申込書と瀬戸内圏郷土資料整備連絡協議会委員就任承諾書を発送。
91 11 18 24:00 自宅のPC,中国新聞社記事デ-タベースとつながる。
91 11 19 20:00 中国新聞社デ-タベースで「新空港」AND「イノシシ」を検索。
91 11 22 17:40 有定来所。中国新聞データベースの資料を届けてくれる。

Ⅰ)主な新聞記事デ-タベース

朝日新聞記事デ-タベース(1985年~)
読売新聞記事デ-タベース(1986年9月~)
毎日新聞記事デ-タベース
共同通信連動記事デ-タベース
中国新聞記事デ-タベース(1990年7月~)

Ⅱ)朝日新聞記事デ-タベース
1)概要
【朝日新聞記事情報】
朝日新聞東京本社発行の最終版記事と地方版の一部地域を含む記事[注]を提供致します。昭和60年1月からの蓄積量は年間約150,000件に達します。
政治・経済・情報通信・労働・文化・宗教・化学科学・社会・福士・世相風俗・事件・事故等、収録されている記事は広範囲です。検索は思いついた言葉で検索出来る自由語検索で記事中の名詞の殆どがキーワードとなります。更に、約1000語の分類語を用意しており、希望情報の分類コードを入力することによって不要な情報を排除し、検索時間の短縮が計れます。
< 朝日新聞記事情報サービス >
1.朝日新聞  87年分(85.01.01~87.12.31)
2.朝日新聞  88年分(88.01.01~88.12.31)
3.朝日地方版 88年分(88.06.01~88.12.31)
4.朝日新聞  89年分(89.01.01~89.12.31)
5.朝日地方版 89年分(89.01.01~89.12.31)
6.朝日新聞  90年分(90.01.01~90.12.31)
7.朝日地方版 90年分(90.01.01~90.12.31)
8.朝日新聞  91年版(91.01.01~91.12.31)
9.朝日地方版 91年版(91.01.01~91.12.31)
[注]地方版は、大阪・名古屋・西部各本社のニュース面のほか、関東1都6県、関西2府2県の地方版記事を採録。

2)朝日新聞の検索例1
【1】
記事コード T880816M04–02
見出し-- よみがえるか「死の島」ビキニ 米政府の浄化・再生調査開始
年月日-- 880816
本文---                   880816(火),朝刊
かつての米国による原水爆実験の地であり、現在も「死の島」となっているミクロネシア・マーシャル諸島のビキニ環礁がようやくよみがえろうとしている。「浄化・再生に関する調査」がこのほど始まった。計画通りいくと、7年後の1995年には残存放射能処理作業が完了する見通し。いまなお疎開生活を強いられている旧ビキニ島民たちにとって、約半世紀ぶりに悲願の帰島の夢が実現することになる。(土井全二郎編集委員)[以下略]

分類語-- 547,54,5,944,94,9,
国名--- C5117,C51,C5,C4101,C41,C4,
自由語漢字 島,ビキニ,米政府,浄化・再生調査開始,米国,原水爆実験,ミクロネシア・マーシャル諸島,ビキニ環礁,浄化・再生,関,調査,7年後,1995年,残存放射能処理作業,見通し,疎開生活,旧ビキニ島民,半世紀,悲願,帰島,夢,土井全二郎編集委員,ビキニ島,エニュー島,資材運搬船用,船着き場,電力施設づくり,米議会,委託,科学者グループ,ビキニ環礁再生委員会,
自由語カナ シマ,ビキニ,ベイ,ベイセイフ,セイフ,カイシ,ジョウカ,ジョウカサイセイ,ジョウカサイセイチョウサ,サイセイ,サイセイチョウサ,チョウサ,ベイ,ゲンスイバク,ゲンスイバクジッケン,ジッケン,ミクロネシア,ミクロネシアマーシャル,ミクロネシアマーシャルショトウ,マーシャル,マーシャルショトウ,ビキニ,ビキニカンショウ,カンショウ,ジョウカ,ジョウカサイセイ,サイセイ,カン,チョウサ,7ネン,1995ネン,ザンソンホウシャノウ,ザンソンホウシャノウショリ,ザンソンホウシャノウショリサギョウ,ホウシャノウ,ホウシャノウショリ,ホウシャノウショリサギョウ,ショリ,ショリサギョウ,サギョウ,ミトオシ,ソカイ,ソカイセイカツ,セイカツ,キュウビキニ,キュウビキニトウミン,ビキニ,ビキニトウミン,トウミン,ハンセイキ,ヒガン,キトウ,ユメ,ドイ,ドイゼンジロウ,ドイゼンジロウヘンシュウイイン,ゼンジロウ,ゼンジロウヘンシュウイイン,ヘンシュウイイン,ビキニ,ビキニトウ,エニュー,エニュートウ,シザイ,シザイウンパンセン,ウンパンセン,フナツキバ,デンリョク,デンリョクシセツ,デンリョクシセツヅクリ,シセツ,シセツヅクリ,ベイ,ベイギカイ,ギカイ,イタク,カガクシャ,カガクシャグループ,グループ,ビキニ,ビキニカンショウ,ビキニカンショウサイセイ,ビキニカンショウサイセイイインカイ,カンショウ,

3)朝日新聞の検索例2
<<< 朝日新聞記事情報サービス(88年地方版) >>>
コマンド? S CL=942
01 16件 CL=942
コマンド? D
項目名? DT
項目名? TI
項目名?
【1】年月日-- 881127
見出し-- 修学旅行で広島訪問、被爆者の体験談聞く 柏中央高の2年生[以下略]

4)朝日新聞の検索例3
朝日新聞の記事分類コード別記事件数
地方版
CODE 件名 85-87 88 89 90 91 88L 89L 90L 91L

54 原子力 1406 821 938 802 1018 104 133 105 199
540 原子力一般 420 226 140 105 98 16 27 12 17
541 原子力開発 136 72 139 51 64 4 7 2 2
542 核燃料 164 162 180 116 132 28 22 10 10
543 原子炉 220 255 391 258 436 33 60 38 46
544 原子力船 30 46 76 94 43 6 8 21 24
545 平和利用 138 80 13 13 10 0 3 0 0
546 原子力事故 781 274 296 264 548 21 39 35 101
547 放射線 365 124 131 180 101 22 31 11 23
925 核実験 228 73 73 42 86 0 1 0 4
926 核実験停止 240 31 33 11 32 0 0 0 0
927 核武装 1309 487 412 272 741 45 62 35 31
928 軍縮 2059 560 486 375 414 5 2 2 4
930 平和運動一般 222 163 211 169 475 101 80 69 430
931 反核軍縮運動 614 205 294 173 111 118 106 112 116
932 原水禁運動 94 46 50 56 43 8 6 3 14
940 被爆一般 19 7 10 10 7 2 0 1 3
941 広島長崎 216 121 287 261 236 33 42 87 72
942 被爆者 146 58 188 213 173 16 15 28 39
943 原水爆作品 43 26 34 27 75 20 17 15 37
944 核実験被害 19 11 9 19 21 1 2 0 2
9611 国連軍縮委 0 9 0 1 2 0 0 0 0
96616国際原子力機関 76 38 0 26 170 0 0 1 0

Ⅳ)読売新聞記事デ-タベース概要
【読売新聞記事情報】
読売新聞東京本社発行の昭和61年9月以降の最終版記事全てを提供致します。
1日の記事件数約250件、年間蓄積量は約70,000件に達します。
検索は、記事中の名詞をキーワードにする自由語検索、記事中にない言葉でも内容を
示す言葉であればキーワードに出来る中間概念検索、記事分類コードでのテーマ別検索
、掲載年月日検索、朝刊・夕刊等での紙誌名別検索、記事ページ検索、各数値データ検
索等多彩で豊富となっております。

Ⅴ)中国新聞記事デ-タベース
1991年の総記事数 12万7276件
1)中国新聞デ-タベースの検索例1
キ-ワード「原爆」の月別件数 「被爆者」の月別件数
1990年
7月 292件
8月 446
9月 141
10月 150
11月 132
12月 139
1991年 1878件  873件
1月 138 76
2月 127 63
3月 110 49
4月 135 54
5月 120 66
6月 143 80
7月 229 130
8月 369 159
9月 106 39
10月 118 55
11月 125 30
12月 158 72
2)中国新聞デ-タベースの検索例2
主要なキ-ワードの1991年中の件数
平和 5442件
国連 3172件
核 2148件
原発 659件
ヒロシマ 937件
核兵器   914件
被爆 850件
原子力 737件
広島大学 665件
平和記念公園 462件
放射線 367件
放射線 367件
放射能 360件
原子力機関 283件
核実験 247件
非核 234件
反核 225件
原爆資料館 212件
原爆慰霊 202件
原水禁 200件
原子力発電所 197件
原爆投下 190件
原爆慰霊碑   190件
核軍縮  172件
原子炉 171件
被爆地 170件
核戦争 164件
被爆体験 160件
平和大通り 152件
核兵器廃絶 150件
原爆病院 142件
原爆ドーム 141件
核拡散 138件
平和都市 135件
被曝 133件
平和文化センター 131件
被爆者援護法   128件
平和公園     124件
核拡散防止 121件
核開発 118件
原爆被害者    114件
原爆被爆者    113件
平和運動 112件
原爆犠牲者     105件
平和祈念式 103件
放射線影響 102件
平和教育 100件
放射線影響研究所 98件
平和記念館 98件
原爆死没者     96件
国連軍縮 94件
核戦争防止 89件
核廃絶 85件
原爆放射能 85件
放射能医学 84件
原爆放射能医学 83件
放射能汚染 82件
放射能医学研究所 79件
平和宣言 74件
反核市民 72件
原水爆 66件
原爆犠牲者慰霊 56件
原爆被害 55件
被曝者   53件
3)中国新聞デ-タベースの検索例3[以下略]

WELCOME TO C&C-VAN
<<< PC-VAN >>>
*** ご利用実績 ***
92/01/12 17:34:51
ID: (宇吹 暁 様)
下記料金には、消費税は含まれておりません。
従量制
番号  年/月 課金時間   料金(円)
2. 91/12 3:00:52 5,205
1. 92/01 3:17:55 8,912
*** 月間利用実績(明細) ***
月/日 LOG-IN 月/日 LOG-OUT 内  訳  時間/件数  料金(円)
12/10 23:04:08 12/10 23:08:56    -     00:02:06 14
23:12:27 23:18:52    -     00:04:50 32
12/11 21:06:02 12/11 21:16:13    -     00:06:14 41
(*)    00:01:28 9
110円/ 3分(スポーツ  ) 00:01:01 37
12/13 23:31:56 12/13 23:42:06    -     00:06:28 43
30円/ 3分(天気予報  ) 00:01:44 17
23:53:21 23:57:39    -     00:00:23 2
12/14 21:01:03 12/14 21:30:15    -     00:08:33 57
30円/ 3分(DB接続基本) 00:14:10 141
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:02:26 170
12/15 22:02:41 12/15 22:08:43    -     00:01:14 8
30円/ 3分(DB接続基本) 00:00:12 2
22:10:33 22:37:20    -     00:21:07 140
(*)    00:02:50 18
22:43:35 22:45:43    -     00:01:33 10
30円/ 3分(DB接続基本) 00:00:25 4
22:47:06 22:49:46    -     00:00:58 6
110円/ 3分(スポーツ  ) 00:01:27 53
12/17 22:37:59 12/17 22:58:29    -     00:02:24 16
12/17 30円/ 3分(DB接続基本) 00:02:54 29
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:09:13 645
23:10:36 23:25:09    -     00:01:15 8
30円/ 3分(DB接続基本) 00:02:54 29
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:10:15 717
12/22 14:39:48 12/22 15:13:38    -     00:06:46 45
30円/ 3分(DB接続基本) 00:04:31 45
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:18:29 1,293
17:11:05 17:25:40    -     00:01:08 7
30円/ 3分(DB接続基本) 00:02:50 28
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:10:30 735
12/23 8:06:33 12/23 8:08:53    -     00:00:10 1
12/29 23:44:56 12/30 0:00:18    -     00:12:38 84
30円/ 3分(DB接続基本) 00:00:13 2
12/31 9:14:35 12/31 9:30:17    -     00:04:49 32
12/31 30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:05 10
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:09:39 675
1/01 0:27:02 1/01 0:37:38    -     00:06:14 41
30円/ 3分(DB接続基本) 00:00:12 2
0:39:02 0:50:02    -     00:09:58 66
1/03 12:11:52 1/03 12:20:37    -     00:06:05 40
30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:17 12
1/03 210円/ 3分(読売新聞記事) 00:01:12 84
12:22:08 12:26:40    -     00:03:33 23
110円/ 3分(skier ) 00:00:49 29
1/05 16:55:36 1/05 17:21:01    -     00:13:20 88
30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:29 14
210円/ 3分(読売新聞記事) 00:07:35 530
19:48:49 19:54:16    -     00:03:53 25
(*)    00:01:21 9
19:57:47 20:03:21    -     00:03:21 22
1/07 20:44:56 1/07 20:47:04    -     00:00:41 4
110円/ 3分(スポーツ  ) 00:01:07 40
20:48:40 20:53:56    -     00:05:03 33
1/08 23:35:40 1/08 23:45:35    -     00:00:34 3
30円/ 3分(DB接続基本) 00:02:18 23
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:06:35 460
1/08 23:48:24 1/08 23:52:03    -     00:01:59 13
1/09 21:21:38 1/09 21:51:02    -     00:03:03 20
30円/ 3分(DB接続基本) 00:05:07 51
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:14:48 1,036
210円/ 3分(読売新聞記事) 00:03:57 276
22:30:23 22:39:11    -     00:02:54 19
30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:33 15
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:04:13 295
1/11 8:52:54 1/11 9:47:14    -     00:19:56 132
30円/ 3分(DB接続基本) 00:07:09 71
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:15:00 1,050
210円/ 3分(読売新聞記事) 00:10:25 729
21:24:54 22:01:03    -     00:11:16 75
630円/ 3分(日外アシスト) 00:16:20 3,430
30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:42 17
1/11 210円/ 3分(読売新聞記事) 00:01:56 135

1991年朝日・読売・中国各紙のキ-ワード別記事数比較[未整理]

朝日 読売 中国
原爆 958件 1879
ゲンバク 605件 250
被爆者 8519件 873
ヒバクシャ 269件 107
核兵器 914
カクヘイキ 870件 878
放射線 367
ホウシャセン  225件 144
核実験  247
カクジッケン 151件 49
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(1.ヒヨウジユン 2.シヨウサイ )
?1
*NICHIGAI-ASSIST* BOOK 92.01.11
# 1
標 題    記者たちの日米戦争 木村栄文著
角川書店 ’91.12.8
197p 19cm(B6) ¥1,400(本体¥1,359)
備 考    ISBN4-04-883304-9 【B9133224】

[中略]

# 18
標題     戦争批判―日本人が映画で原爆に触れると(小野耕世の“文化”巷談 )
著者     小野 耕世
出典     公明 352 ’91.5 p100~101
抄録     海外からの記者たちの質問は、「長崎をけしからんというが、真珠湾はどうなんだ」という質問ばかりです。
情報提供者:日外アソシエーツ【M0908526】
# 19
標題     「8月の狂詩曲」の黒沢明さん―潔癖なヒューマニズムが戦争と原爆を描き出す(表紙の人・坂田栄一郎のオフカメラ)
出典     AERA 4(19) ’91.4.30・5.7 p91
情報提供者:日外アソシエーツ【M0908021】
# 20
標題     黒沢明監督までが集中砲火を浴びた日本人の「相互許し合い」感覚の欠如(世界の読み方〔467〕)
著者     竹村 健一
出典     週刊ポスト 23(16) ’91.4.19 p80~81
情報提供者:日外アソシエーツ【M0901515】
# 21
標題     映画『八月の狂詩曲(ラプソディ)』を公開するアカデミー特別名誉賞受賞監督・黒沢明―原爆による戦争はまだ終わっていないということを“じわっ”と表現したかった(人物四季報)(インタビュー)
著者     黒沢 明
出典     SAPIO 3(7) ’91.4.11 p42~43
情報提供者:日外アソシエーツ【M0900301】
# 22
標題     山木戸道郎―毒ガスは原爆をこえる(グラビア・現代インサイド)
出典     現代 25(4) ’91.4
情報提供者:日外アソシエーツ【M0896194】