「24三重県」カテゴリーアーカイブ

三重県原水爆被害者の会

三重県原水爆被害者の会

1977年9月11日

『アカハタ』(一九五六年五月十二日)

「[津市通信員発]三重県平和委員会はさきごろ常任委員会をひらいてつぎのことをきめた。

▽六月上旬広島原爆被災者二名をまねいて伊勢、松阪、四日市、尾鷲、上野、桑名各市で懇談会を開く▽いま伊勢、松阪、尾鷲、津各市ですすめられている原水爆被災者救援募金運動を八月六日の世界平和行動デーを目標に全県下にひろげる▽「原爆の図」世界行脚後援募金運動を全県下でおこなう▽・・・」

 

『アカハタ』(一九五六年八月八日)

「三重県松阪市の平和を守る会では七月二十日から九回にわたり松阪駅前、信用ビル前の街頭で原水爆禁止、被爆者救援の寄金をよびかけ、昨年の八倍約四万二千円をあつめた。」

 

『アカハタ』(一九五六年八月八日)

「三重県四日市市の中部婦人会(会長小林けい子さん)は、二日午後、約九百名の会員がもちよった新古衣類約八千点を広島市水主町共助会をつうじて原爆被災者におくった。

 

『中国新聞』(一九五六年八月九日)

「”被爆困窮者に差し上げて下さい”との手紙とともに三重県四日市中部婦人会(会長小林けい子さん)から、中古衣類十三コウリ、約八千点が八日広島市水主町三二一、温品康子さん(四五)=広島原爆被害者の会会長温品道義氏夫人=のもとへ送られてきた。

これは康子さんら被害者代表二名が三重県平和を守る会の要請で去年六月、三重県を訪れ、原爆被害者の体験、悲惨な生活状況を訴えて回ったところ、これに心打たれた四日市中部婦人会の人々が中心となり半月余りの間に全県下から約八千点余りの中古衣類を集めたもの。・・・」

24 三重
三重県原爆被災者の会(19950701、20001130、20050601)

三重県戦後50年体験文集発行委員会(199607?)