鳥取県原爆被害者協議会
<作業中>
1958年8月3日
『朝日新聞』(一九五五年八月五日)
日赤鳥取県支部では四日午後日赤鳥取病院で「原爆から十年」の座談会を開いた。出席者は同院原爆症担当の北村内科医長はじめ相良鳥取県衛生部長、原爆症患者十数人で、次の申合せをした。
広島を中心とした中国五県には被爆者が相当数散在しているので、日赤各支部が中心となって連絡協議会を設け、これらの人たちを登録し、常時健康診断できるような態勢にする。県衛生部にも連絡機関を設けて協力する。鳥取県では六日の原爆記念日からこの登録をはじめ、近く中国五県に呼びかける。
56 05 08? 鳥取県婦人連合会、原爆被害者に見舞金(1円募金による8万4000円)を贈る。(朝日新聞)
『アカハタ』(一九五六年六月四日)
「[伯西地区通信員発]国鉄労組地方本部では同地本管内の国鉄職員で原爆被災者が相当数あるためこれらの生活と健康をまもるための保障措置を当局に要求することになり、被災者名簿を準備していたがこのほど後藤、今市両支部をのぞく五支部から四十二名の被災者名簿が提出された。同地本ではこの名簿を基礎にちかく当局と本格的な交渉をすすめることになっている。」
鳥取県原爆被害者協議会『原爆と地獄第二集』(一九八六年)
浜田且己「本県原被協発足を回顧する」
54 08 04 森田利男(島根県鹿足郡)、再生不良性貧血症のため日赤広島病院で死亡(朝日新聞)。 012 A 0806