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「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向1979年

「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向1979年

M D NEWS1
01 12 被爆問題市民団体懇談会、被爆者援護法要求2000万署名国民大運動を記者発表.
01 21 広島県被団協、広島市内で第1回街頭署名行動.第2回は2月25日,第3回は3月25日に実施.
01 22 日本被団協、2000万署名への協力を求めるアピールを発表.
01 29 社会保障制度審議会、原爆二法を再検討する専門機関の設置するよう厚生大臣に答申.
02 17 東友会、渋谷駅頭で署名宣伝行動を実施.
02 19 日本被団協、2月国会要請行動を市民団体の応援を得て実施(~20日).303名参加.
03 11 石川県被団協、臨時総会.
03 17 新潟県被団協、新潟市で街頭署名.394名の署名を集める.
03 17 新潟県議会、原子爆弾被爆者援護法の制定に関する意見書を採択.
03 19 栃木県被団協、定期総会を日光で開催(~20日).
03 19 被爆問題市民団体懇談会、初の国会陳情行動を実施.
03 25 愛媛県被団協、第11回原爆死没者墓前祭を開催.
03 28 米国スリーマイル・アイランド原子力発電所で事故.
04 01 広島県被団協事務局次長高橋昭博、広島原爆資料館館長に就任.
05   肥田舜太郎・谷口稜曄、日本原水協の訪独団に加わって西ドイツの16都市をまわる.
05 02 被爆問題市民団体懇談会、会合を開き,2000万署名運動の到達点の分析と今後の運動の進め方を協議.
05 08 日本被団協、5月行動を実施(~9日).
05 16 市川房枝・中野好夫など21人、「5・16合意文書=原水爆禁止運動の前進のために」を発表.
05 24 愛友会、県内被爆者行脚を開始(~6月4日).
05 26 長崎被災協、第16回定例評議委員会.
06 06 日本被団協、機関紙「被団協」(1976年5月31日創刊)第6号を発行(以後月刊となる).
06 08 原爆被爆者対策基本問題懇談会、第1回会合.メンバー=大河内一男,緒方彰,茅誠司,久保田きぬ子,田中二郎,西村熊雄,御園生圭輔
06 09 日本被団協中央相談所、第2回定期総会.
06 09 大学生協東京地連、被爆者援護法と原水禁運動についての学習会を開催.
06 09 愛媛県松山各界連絡会議、伊方の原発調査をおこなう.
06 10 日本被団協、第24回定期総会を開催.
06 12 被爆問題市民団体懇談会、開催.
06 15 日本被団協、中国ブロック会議を鳥取県で開催.
06 17 東京被団協、第22回総会.
06 17 静岡県被団協、第21回定期総会と創立20周年記念式典を開催.
06 29 原水爆禁止1979年世界大会実行委員会、発足.
07 04 原爆被爆者基本問題懇談会、第2回会合.
07 06 日本被団協代表委員行宗一、日本科学者会議第14回定期総会で来賓として挨拶.
07 07 平和のつどいを都留文科大学で開催.
07 13 日本弁護士連合会人権部会、被爆者問題特別委員会を設置.
07 19 山梨県の被爆者など、御坂町でちょうちん行列をおこない,その中で被爆の実相と援護法を訴えるスライドを上映.30人参加.
07 24 原爆被爆者基本問題懇談会、第3回会合.
07 31 原水爆禁止1979世界大会(~8月9日).、
07 静岡県被爆者の会など、広島・長崎原爆写真展を清水市で開催.
08   アキバ記者、初めて広島を取材.
08   愛媛県原爆被害者の会松山支部、市内居住の被爆者とその子弟に対する実態調査を実施(~9月).670人に調査表を送り162人分回収.
08   東友会事務局長田川時彦、ヒロシマ・ナガサキの被爆写真パネルとともに東欧へ平和を訴える旅.
08 01 世界大会国際会議,「被爆者の実相の普及,被爆者の援護連帯,援護法実現」をテーマとした第2分科会を開催(~2日).
08 05 日本被団協、東ドイツ平和評議会から「砂時計」と題する少女像を寄贈される.国際連帯の初の実りとして事務局に保管.
08 05 世界大会・広島で「被爆者援護連帯をめざして」の討論集会を広島市・見真講堂で開催.800人参加.
08 06 北陸放送、石川県被団協の動向を中心に4つの番組を放送.石川県では画期的事件.
08 08 長崎被災協、全国の被爆者と語り合う「交流の夕べ」を開催.30人参加.
08 08 世界大会・長崎で「被爆の実相の普及・被爆者援護法実現のための集会を開催.「国民への訴え」を発表.長崎市民体育館に1260人参加.
08 09 佐賀県被団協、被爆体験を語る会を佐賀市内の観光ホテルで開催.40人の被爆者が参加.同会としては初めての試み.
09   茨木市原爆被害者の会、原爆展を開催.2日間で1万人近くが入場.
09   静岡被爆者の会焼津支部(志友会)、原水爆展を市内繁華街で開催.
09 02 安芸地区被団協、創立23周年大会を矢野町公民館で開催.550名参加.
09 08 日本被団協、代表理事会を開催(~9日).基本懇の意見聴取にそなえるための対策委員会を設置.
09 15 山口県被団協など、基本懇メンバー緒方彰をゆだ苑に招いて懇談.
09 21 神奈川県藤沢市議会、援護法制定促進を決議.
09 23 原水爆禁止運動の統一をめざす静岡県民準備会、久保山愛吉「追悼のつどい」を焼津市で開催.
09 25 神奈川県茅ケ崎市議会、援護法制定促進を決議.
09 29 「三宅泰雄科学論集」全4巻の完結を祝う会を日本青年館で開催.
09 29 茨木市原爆被害者の会、原爆展を開催(~30日).1万人が入場.
09 29 核兵器禁止を願う科学者フォーラムなど、NGO被爆問題シンポジウム2周年記念合同研究会を日本青年館で開催.100人参加.
09 30 神奈川県大和市議会、援護法制定促進を決議.
10   愛知県被団協豊橋支部、豊橋まつり(20~21日)の協賛行事として空襲を記録する会や生協などと「平和都市をめざす豊橋市民展」を開催.
10   ヒロシマ・ナガサキ原爆展,宮城県内を巡回.
10 08 佐賀県被団協、長崎原爆写真展を佐賀市内のデパートで開催.写真展は県内初.
10 11 原爆被爆者基本問題懇談会、第4回会合.
10 18 静岡県原水爆被害者の会浜松支部、原爆写真展を市内のデパートで開催(~24日).3500人が入場.この写真展は5月から県内10市1町で開催されたものの最終展示会.12回の入場者は2万6781人.
10 20 東京被団協、研修・交流集会を神奈川県大山で開催(~21日).27人参加.
10 23 神奈川県議会、被爆者援護法制定促進の意見書を採択.
10 26 鳥取県被団協、県被爆者対策課・医療関係者との3者懇談会を倉吉保健所で開く.14人参加.
10 28 千葉県原爆被爆者友愛会、原爆犠牲者慰霊碑を千葉市猪鼻公園内に建立.
11 02 ヒロシマ・ナガサキ原爆展岩手県実行委員会など、原爆展を盛岡市など5市で開催(のべ28日間).入場者27991人.
11 08 東独記録映画班、広島入り.「ヒロシマ」を撮影.
11 15 安芸地区被団連13人、長崎を訪問.
11 17 日本被団協、第128回代表理事会を開催(~18日).援護法要求骨子の改定版を作成することを決定.
11 17 日本弁護士連合会、第22回人権擁護大会を福岡市で開催(~18日).国家補償原理の被爆者援護法制定促進の決議を採択.
11 23 日本YWCA、第20回全国総会(~25日).被爆者援護法制定推進などの方針を決定.
11 27 被爆問題市民団体懇談会、会合.
12   日本弁護士連合会、被爆者援護法に関する報告書を作成.
12 02 石川県原爆被災者の会松任支部など、原爆写真・体験画展を市民会館で開催(~4日).入場者900人.
12 04 原水爆禁止1979年実行委員会、国家補償の精神にもとづく被爆者援護法の早期実現を大平首相などに要請.
12 06 原爆被爆者対策基本問題懇談会、第5回会合.広島市長荒木武・日本被団協伊東壮・広島県被団協森滝市郎・伊藤サカエ・長崎県被災協葉山利行から意見を聴取.
12 08 東友会など、浅草で援護法制定2000万人街頭署名を実施.
12 12 北大西洋条約機構(NATO)合同理事会、核装備強化のため新型ミサイル・パーシング2の配備を決定.
12 15 日本弁護士連合会被爆者援護法に関する調査研究委員会、報告書を発表.
12 19 原水爆禁止1979年世界大会実行委員会、被爆者援護法制定をめざす国民集会を赤坂の都市センターで開催.500人参加.
12 31 神奈川県原爆被災者の会、2000万人署名の自主目標7万を突破.

「被団協」新聞に見る 被爆者運動の動向1976~78

「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向1976~78

作業中

Y M D NEWS1
76 01 24 山梨県原水爆被害者の会など、ヒロシマ原爆の記録展を甲府市内・岡島デパートで開催(~28日).25000人が入場.2200の援護法署名が集まる.
76 03 04 愛知県被団協、県内被爆者行脚を実施(~16日).1967年から実施.
76 04 14 日本被団協、厚生大臣に被爆者の健康管理に万全を期すよう要望書を提出.
76 04 24 茨城県原爆被害者協議会、第2回総会を開催.
76 05 11 広島地裁の石田原爆訴訟、結審.
76 05 20 参議院社会労働委員会、野党4党提案の被爆者援護法案を審議.継続審議となる.
77     三友会松阪支部結成.、
77     日本被団協、美術家平和会議と原爆犠牲者肖像画事業を開始.
77     三重県原水爆被災者の会(三友会)、結成.
77 03 14 NGO被爆問題シンポジウム長崎準備委員会、結成.
77 06   日本弁護士連合会、被爆者問題調査報告書を作成.
77 06   日本弁護士連合会、被爆者問題調査報告書を発表.
78     長野県松本市で市民が描いた原爆の絵展.
78 03 15 日本被団協、全国行脚(第3回)(~4月).
78 03 30 最高裁、孫裁判で判決.
78 03 30 社団法人日本被団協被爆者中央相談所、認可される.
78 05 23 日本被団協、国連軍縮特別総会(5月23日~7月1日)に代表38名を派遣.
78 07   中央相談所、被爆者のしおりを作成.
78 07 10 日本被団協など5団体、広く呼びかけて核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会実行委員会を結成.
78 07 15 長崎「原爆問題」研究普及協議会、結成.
78 08   神奈川県被団協、被爆者相談センターを開設.
78 08 05 日本被団協、被爆の実相の普及・援護法実現のための集会を見真講堂で開催.1000人参加.
78 08 06 78核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会(~9日).これを機に被団協・日青協・地婦連・生協連・宗教NGOの連携が生まれる.
78 09   日本被団協中央相談所、相談事業講習会を広島市で開催.
78 10   鳥取県被団協、各支部に相談役を配置.
78 10   日本被団協中央相談所、東海ブロックの第1回講習会を開催.
78 10 24 日本被団協、国連軍縮週間の初日に外務省首脳との懇談をおこなう.席上,省内会議で援護法がの話が出たことが明らかにされる.
78 11   弁護士・法学者など、被爆者援護法研究会を結成.
78 11 14 被爆問題市民団体懇談会、被団協・日青協・地婦連・生協連・宗教NGOに主婦連・婦人有権者同盟・矯風会・WILPF・看護協会・YWCAを加えて発足.
78 11 14 日本被団協など、被爆問題市民懇談会を結成.
78 11 14 被爆問題市民団体懇談会、発足.
78 11 23 日本被団協、第7回被爆者援護法制定研究集会.100人参加.終了後被爆者中央相談所の創立祝賀会.
78 11 24 朝日新聞社、原子爆弾の記録展を長野市の長野東急デパートで開催(~29日).
78 12 10 日本被団協、第121回代表理事会.
78 12 17 日本被団協専門委員高橋健、日本青年団協議会常任理事会の学習会で被爆者援護法の意義について講演.
78 12 21 長野県被団協など、原爆の記録展を松本市の信濃ギャラリーで開催(~25日).

 

「被団協」新聞に見る 被爆者運動の動向

 「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向

作業中

日本原爆被害者団体協議会の機関紙「被団協」は、同協議会結成後1976年5月1日に「全国各地の被爆者組織や被爆者と日本被団協をつなぐ」(「創刊にあたって」)ことを目的として創刊された。同紙は、その後、79年6月号(第6号)より月刊化し今日に至っている。同紙は、タブロイド版4面ないし8面の小さなものであるが、原爆被爆者の動向あるいは原爆被害を基盤として国内外で展開された諸運動に関する情報量は、一般紙のそれを大きく上回っている。

ここに紹介するのは、「被団協」の紙面から可能な限り事項を拾い出して作成した年表である。同紙から拾える事項は、それ以前にもさかのぼることができるが、情報量の価値からみて、省略した。「被団協」が月刊化した79年6月は、ちょうど厚生大臣の委嘱により原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇と略称)が設置された時期と重なる。その点からみれば、この年表は、基本懇以後の原爆被害をめぐる諸動向を被爆者運動の立場からの整理として読むことができる。

 

1976(昭和51)年~1978(昭和53)年 1979(昭和54)年
1980(昭和55)年 1981(昭和56)年 1982(昭和57)年

(追記)

政府の被爆者対策は、被爆30周年(1975年)後、予算面では大きな前進を示した。その背景には、米国返還資料展(73年~)・市民の手で原爆の絵を展(75年~)などの盛況に見られた原爆被害に対する世論の関心の高まり、74年12月以降の野党共同の被爆者援護法案の国会提出攻勢(保革伯仲を背景とした)、石田・孫訴訟の原告勝利判決(76年7月・78年3月)などを指摘することができる(宇吹「予算からみた原爆被爆者対策の変遷」・ヒバクシャ-ともに生きる・所収)。一方、日本の被爆者運動も、1977年のNGO被爆問題シンポジウムや翌78年の第1回国連軍縮特別総会および原水爆禁止1978年世界大会を契機に大きな盛り上がりを見せた。こうした社会状況の中で、設置されたのが基本懇である。

追加

 

1983(昭和58)年 1984(昭和59)年 1985(昭和60)年 1986(昭和61)年
1987(昭和62)年 1988(昭和63)年 1989(平成元)年 1990(平成2)年
1991(平成3)年 1992(平成4)年 1993(平成5)年 1994(平成6)年
1995(平成7)年 1996(平成8)年 1997(平成9)年 1998(平成10)年
1999(平成11)年

 

三重県原水爆被害者の会

三重県原水爆被害者の会

1977年9月11日

『アカハタ』(一九五六年五月十二日)

「[津市通信員発]三重県平和委員会はさきごろ常任委員会をひらいてつぎのことをきめた。

▽六月上旬広島原爆被災者二名をまねいて伊勢、松阪、四日市、尾鷲、上野、桑名各市で懇談会を開く▽いま伊勢、松阪、尾鷲、津各市ですすめられている原水爆被災者救援募金運動を八月六日の世界平和行動デーを目標に全県下にひろげる▽「原爆の図」世界行脚後援募金運動を全県下でおこなう▽・・・」

 

『アカハタ』(一九五六年八月八日)

「三重県松阪市の平和を守る会では七月二十日から九回にわたり松阪駅前、信用ビル前の街頭で原水爆禁止、被爆者救援の寄金をよびかけ、昨年の八倍約四万二千円をあつめた。」

 

『アカハタ』(一九五六年八月八日)

「三重県四日市市の中部婦人会(会長小林けい子さん)は、二日午後、約九百名の会員がもちよった新古衣類約八千点を広島市水主町共助会をつうじて原爆被災者におくった。

 

『中国新聞』(一九五六年八月九日)

「”被爆困窮者に差し上げて下さい”との手紙とともに三重県四日市中部婦人会(会長小林けい子さん)から、中古衣類十三コウリ、約八千点が八日広島市水主町三二一、温品康子さん(四五)=広島原爆被害者の会会長温品道義氏夫人=のもとへ送られてきた。

これは康子さんら被害者代表二名が三重県平和を守る会の要請で去年六月、三重県を訪れ、原爆被害者の体験、悲惨な生活状況を訴えて回ったところ、これに心打たれた四日市中部婦人会の人々が中心となり半月余りの間に全県下から約八千点余りの中古衣類を集めたもの。・・・」

24 三重
三重県原爆被災者の会(19950701、20001130、20050601)

三重県戦後50年体験文集発行委員会(199607?)

愛知県原水爆被災者の会

愛知県原水爆被災者の会 1957年2月日<作業中

56 12    黒川良康・増田小太郎・豊島一之・中村信之・宮地勝義(愛知県在住の被爆者)、第1回「原水爆被災者の集い」を開催。(「愛友会30年のあゆみ」880202)

 

23 愛知
愛知県原水爆被災者の会(愛友会)(20030528、20070527、20110906、20120106、20140406)
愛知県原水爆被災者の会婦人部(850815、860815、870715、880806、 890720、900720、910720)
愛知県原水爆被災者の会豊橋支部(豊睦会)(901202)
名古屋市北区被爆者懇談会(651233、660501)
一宮市原爆被災者の会(830806)
愛友会犬山支部(199604)

名古屋YMCAひろしま・ながさきを伝える会(830720)
「被爆者の手記」出版西区の会[名古屋](920802)
「原爆、忘れまじ」を世界に広める会[名古屋](920301)
愛知自分史の会(20081130)

岐阜県原爆被爆者の会

岐阜県原爆被爆者福祉会、1961年結成

作業中

 

Y M D NEWS1
51 11 08 岐阜大学農学部で文化祭。-11日。自治会主催の原爆展が開催される。(「連盟通信」第116号)
61 13 岐阜県原爆被爆者福祉会、結成.
78 04 18 岐阜県恵那市の中学生、修学旅行で来広。ヒロシマ学習。
78 05 10 修学旅行で来広した岐阜県の中学生、感想文集を発行。
78 05 12 岐阜県恵那市の中学生、修学旅行で来広。
78 08 17? 岐阜県の中学生、広島への修学旅行で学んだ平和学習成果をまとめ文集発行。
79 08 06 岐阜県恵那市の小学校で「平和デー」を設け、平和学習。
79 08 08 岐阜県の女性グループ、長崎市訪れ、平和祈念像に千羽ヅルをささげる。
82 02 22 日本青年団協議会、軍縮・反核を求める署名運動の推進のためフォーク・コンサートを伊勢市で開催。(その後、岐阜・愛知・長崎・広島などで開催)。
82 03 24 岐阜県議会、「核兵器および軍縮問題に関する要望事項」を採択。
82 06 06 愛知・岐阜・三重・静岡の東海ブロック4県の県評青年・婦人協議会主催「6・6反核・平和集会」、名古屋市で開催。
84 03 28 岐阜市の藍川中学校生徒、来広し平和学習。
84 08 01 広島市の舟入高校演劇部、全国高校演劇コンクール(於岐阜県)で、原爆をテーマにした「おさん幻想」を上演。(優秀賞受賞)。
84 08 04 岐阜県高教組恵那支部の教師ら原水禁世界大会平和祈念式に高校生(3名)を派遣。
84 08 10 岐阜県教委などが県立恵那北高校生徒らの広島市での平和学習を中止させたことが判明。
85 05 28 岐阜県立益田南高校の生徒ら修学旅行で来広、平和学習。生徒ら、被爆者にと寄金。
85 06 16? 岐阜市の作曲家藤掛広幸、原爆をテーマにした鎮魂曲の作曲のため来広し、被爆体験など聴取。
86 08 04 広島市役所旧庁舎の被爆石を贈られた岐阜県の展示館、被爆石に供えられたお金を広島市に寄付。
87 07 29 岐阜県恵那郡の石の展示館、同館に展示している被爆石の前に置かれた浄財(約16万円)を、広島市に寄贈。
87 11 17 岐阜市の富田女子高校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和学習。平和集会・被爆体験聴取など。
88 04 15 岐阜県のランナ-ら、被爆地広島・長崎市を結ぶ「広島-長崎国際ウルトラマラソン」の準備のため長崎市を訪問、同市長に協力を要請。
89 08 05? 岐阜県の主婦田中ツヤ子、反核平和人形2400体を広島市の被爆者竹内千代に送付。人形は原水禁大会参加者らに配布。
90 01 14 臼井一二・岐阜県原爆被爆者福祉会会長、死去。76歳。
90 06 09 岐阜県立益田高校生徒、修学旅行で来広し、平和学習。被爆者支援募金(4万円余)を県被団協に寄贈。
90 07 08 日本被団協中央相談所、「被爆者健康・生活相談会」を岐阜県で開催。700人以上が参加。
90 07 18? セラミックスペーパーで折った千羽づるが、岐阜県土岐市から広島市の小学校に届く。
90 07 31 岐阜県各務原市の市長、来広し、市民の折った折りづる42万羽を「原爆の子の像」に供える。6月の同市の「平和の日」の定着を図るため、市民に折りづる作成を呼びかけたもの。
90 08 01 岐阜県土岐市の小学生ら、来広し、セラミックスペーパーで折った千羽づる1200羽を広島市に寄贈。一部を「原爆の子の像」に供える。
91 05 19 岐阜県在住被爆者約80名、岐阜県原爆被爆者の会の再建総会を開催。
91 08 09 岐阜県の博石館(旧広島市役所庁舎の被爆敷石を展示)、入館者が寄せた浄財14万円を広島市に寄付。同館では1986年から被爆敷石を展示。[被爆石]
93 02 01 日本被団協中央相談所、東海・北陸ブロック相談事業講習会を岐阜県・下呂温泉で開催。-2日。80名が参加。
93 08 03 広島市の旧庁舎被爆敷石を展示している博石館(岐阜県恵那郡蛭川村)、広島市に約17万円を寄付。
93 08 13 岐阜県可児郡御嵩町・同町教育委員会、「世界の恒久平和を願って-平和記念展」を同町中央公民館で開催。-15日。被爆資料など展示。
94 11 09 パリのユネスコ本部敷地の建造物に使用される広島の被爆石(旧元安橋の欄干)、広島市の保管場所から運び出される。岐阜県の工場で加工後、年明けにユネスコ本部に送られる予定。[原爆遺跡]
95 05 02? 岐阜県在住のドイツ人芸術家ステファン・クーラー、8月6日に広島市の元安川に岐阜の伝統工芸品である和傘1000本を浮かべる芸術イベントを計画。
95 08 01 岐阜県原爆被害者の会(岐朋会)、原爆絵画のパネル展を岐阜市民ギャラリーで開催。-2日。
95 08 06 岐阜県原爆被害者の会(岐朋会)、慰霊祭を岐阜市内で開催。約70人が参列。
95 08 15 岐阜平和美術展、岐阜県美術館で開催。-20日。
95 09 14? 岐阜県のシンガーソングライター南修治、フランスの核実験に抗議する「ムルロアの環」を作曲。
96 01 30? 陶芸家の回顧展「<地←→人>鯉江良二展」、岐阜県美術館で開催。-2月25日。広島・長崎を念頭においた「証言」シリーズも展示。
96 11 09 岐阜県被団協・岐朋会東濃西部支部、広島・長崎の被爆者が描いた絵画・写真展を開催。-10日。
97 02 16 岐阜県被団協、被爆者相談会を下呂温泉で開催。40人が参加。斉藤紀福島生協病院院長が講演。
98 01 08 岐阜県の小学校教諭、文部省の米国派遣事業で派遣された米国の小学校の生徒から託された千羽鶴を、原爆の子の像に供える。
98 07 19 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議、第28回大会を岐阜市内で開催。-20日。
98 11 15 岐阜県被団協、相談会を開催。-16日。40人が参加。
99 07 10 コープぎふ、「99年平和フェスティバル」を岐阜市内で開催。「原爆と人間展」パネルを展示。
a0 02 20 岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)、平成11年度第2回相談会を岐阜市内で開催。53人が参加。
a0 08 14? 岐阜県御嵩町・中山道みたけ館、「本の中の原爆展」を開催。-27日。(中日新聞)
a0 10 06 日本弁護士連合会、第43回人権擁護大会を岐阜市で開催。原発の段階的廃止などを求める決議を採択。
a0 11 09 日本被団協、東海北陸ブロック講習会を岐阜県で開催。155人が参加。

岐阜新聞

年月日 タイトル 紙名
850806 原爆投下40年目の視座 岐阜日日新聞
860806 運動の枠を超えた反核へ 岐阜日日新聞
910807 平和に貢献できる道は 広島・長崎の被爆から46年
950806 新たな平和運動形成をー核廃絶への道はなお遠い 岐阜日日新聞
960806 なし 岐阜日日新聞

 

岐阜県原爆被爆者の会(19950801、19960928、19970410)

静岡県原水爆被害者の会

静岡県原水爆被害者の会<作業中>

結成総会 1959年7月26日

 

第五福龍丸乗組員(二三人)の組織化

 

『朝日新聞(夕刊)』(一九五五年八月三日)

[焼津発]ビキニ退院患者二十二人で結成されている”福龍会”は、来る六日から広島市で開かれる原水爆禁止世界大会への出席問題につき二日話合った結果、元第五福龍丸漁業長見崎吉男さん(二九)=焼津市鰯ケ島=を患者代表として送ることを決めた。

『朝日新聞』(一九五五年八月四日)

見崎の大会参加は取りやめ

 

ビキニ水爆実験被災者と原水爆禁止運動の出会い

 

55 08  17 静岡県の広島大会参加者ら30人と県評・母親大会準備会の代表ら、会合を開き、原水爆被災者救援運動を起こす、この会を原水爆禁止静岡県連絡協議会として存続す

るなどを決定(アカハタ)。 122 06   H 0826

 

杉山秀夫『核兵器廃絶の日まで』(一九八五年)三五-三六頁

昭和三十二年の第三回原水爆禁止世界大会に高教組の代表として参加出来た。

第四回の世界大会の参加のときは、自ら被爆者であることを名乗り、県評の目にとまり、県内に被爆者組織をつくる発起人を引受けたのである。この時、県評は既に百人以上の被爆者名簿を入手していた。

その中から数名の発起人を選び、三十四年三月十五日に、被爆者十七名(広島十二名、長崎一名、ビキニ四名)が集まり、第一回準備会を開き、結成へむけて大きくすべりだしていった。そして四月には日本被団協と県原水協の協力のもと、県内五四五名被爆者の内、名簿の明かな者二九七名(ビキニ被災十一名を含む)に対して実態調査を行い、五月末迄に一五七通の解答を得た。

富山県被爆者協議会

富山県被爆者協議会(紀親会)<作業中

富山県原爆被害者の会

1957年11月9日

『原水爆禁止広島協議会機関紙ひろしま』(一九五六年二月二五日)

富山県原水協では県厚生部長の協力もえて原爆被害者の調査を全県下の市町村当局に依頼し進めているが現在十三市町村から回答があったのに、被害者はわずかに三名しか発見されず、原水協は首をかしげている。というのは二十五年の国勢調査では富山県下に一三四名の被害者がいることになっており関係者の周辺でも五、六名の被害者がいることがわかっているのに、市町村の調査で何故三名しかあらわれないのか不思議だというわけ。

Y M D NEWS1
54 05 16 第2回全国PTA大会(富山市)、原子兵器生産使用禁止を決議。
55 03 05? 山本伊精(富山県在住)、原爆症との診断を受ける。呉で兵役に服し広島で約2カ月間死体かたづけと焼け跡整理に従事。(毎日新聞)
55 08 01 原水爆禁止富山県民大会、富山市公会堂で開催。約2500名が参加。「被爆者にたいする救援活動をつよめること」などを討議。
55 11 24 吉川清、原水爆禁止運動富山県協議会結成大会(於高岡市公会堂)に山田アヤとともに参加。
57 11 09 富山県原爆被害者の会、結成。(「被団協連絡」NO.2)
60 05 富山県被爆者福祉協会、結成.
77 06 11? このほど富山県福岡町で被爆者援護のカンパ活動開始。今年で10年目。
77 07 28 富山県原水協・原水禁解散し、「原水爆禁止富山県民連合」(仮称)の結成世話人会、富山市内で開催。
80 07 18 富山県の社会福祉協議会、広島市に被爆者援護見舞金を寄付。
80 08 09? 富山県の福岡町、原爆被災者の福祉向上にと長崎市に寄金。
83 05 12 富山県東礪波郡の利賀中学校生徒ら、修学旅行で来広し平和学習。
83 07 99 5月に修学旅行で来広し平和学習をした富山県の利賀中学校生徒に、広島市の一市民から、励ましの手紙届く。
84 02 25 日本被団協、被爆者要求調査票をこの日現在で1263枚集める(長崎=782,千葉=262,東京=78,大阪=57,静岡=45,富山=12).
84 05 24 富山県の精神薄弱者更生施設「野積園」の園生ら、修学旅行で長崎市を訪れ、原爆資料館など見学。
84 09 30 日本被団協中央相談所、東海北陸ブロック相談事業講習会を富山県宇奈月温泉で開催(~10月1日).80人参加.
85 08 02 広島市立舟入高校演劇部、「国際青年年記念・富山国際高校演劇祭」で原爆をテーマにした演劇「銀輪のうた」を上演。
86 05 04 富山県立富山高校などの演劇部、カナダの「B・C芸術祭」に参加。核戦争をテーマにした演劇「寿歌」(北村想原作)を上演。
87 07 30 日本原水協などによる国民平和大行進、島根県側からリレーされ、三次市を出発(6 月11日、富山市を出発)。
90 08 04 木下恵介監督の作品を上映する映画観賞会「木下恵介-その人と映画」、富山県で開催(5日まで)。原爆をテーマにした「この子を残して」などを上映。
94 03 17 富山県立富山女子高校の修学旅行一行、長崎市内で市内の合唱団が渡辺千恵子の思いを歌でつづった「平和の旅へ」を聞く。
95 08 03 日本原水協などの「原水爆禁止国民平和大行進」の東京-広島コース、富山-広島コース、広島市の平和記念公園に到着。約600人が参加して国民平和大行進集結・「平和の波」開始集会を開催。
95 10 23 日本被団協中央相談所、東海・北陸ブロック被爆者相談事業講習会を富山市内で開催。-24日。130人が参加。
96 03 17 修学旅行で長崎市を訪れている富山県立富山女子高校2年生代表、故渡辺千恵子の半生を描いた手づくりの絵本を千恵子の兄・広志に届ける。
97 03 06 「核兵器のない世界を-ヒロシマ・ナガサキ核実験被害究明の国際シンポジウム」、富山県高岡市で開催。約250人が参加。
97 11 07 富山県大島町の中央公民館で「原爆と人間展」。-15日。約500人が参観。
98 07 29 日本原水協などによる「国民平和大行進」富山ルートの行進団、広島市の平和公園に到着。一行は、6月4日に富山県朝日町を出発。
99 08 03 東京と富山をスタートした「原水爆禁止国民平和大行進」、広島市に到着。
99 12 10 富山県高岡市の竹中製作所、長崎市から大修復を請け負っている平和祈念像の手首の点検を、同市職員から受ける。

 

神奈川県原爆被災者の会

神奈川県原爆被災者の会

作業中

原爆被災者神奈川友の会 神奈川での被害者の団体は、第一回世界大会が契機となって組織された。大会に参加した神奈川県代表は、一九五五年秋、県内から一三人の被爆者を横浜市の国民救援会に集めた。この時の参加者で「友の会」が結成された。

書名コード 書名 編著者
65103303 被爆者は訴える-被爆二十周年原水爆禁止世界大会の報告 原水禁藤沢市民会議[神奈川県]
76033301 神奈川被爆者30年のあゆみ第1集 神奈川県原爆被災者の会(編)
81042901 いのちある限り-被爆者運動35年のあゆみ 神奈川県原爆被災者の会(編)
84043302 証言集・かながわ第1集-被爆40周年記念 神奈川県原爆被災者の会(編)
85010501 原子力読本-高校生の平和学習のために 神奈川県高教組原子力読本編集委員会(編)、東研出版
85063303 ヒロシマ・ナガサキ、そしていま-この40年 神奈川県原爆被災者の会(編)
89030103 広島平和学習レポート-1988.10.25~28修学旅行資料集 神奈川県立東金沢高等学校第九期生旅行委員会(編)
89042602 原子力読本part2-チェルノブイリは警告する 神奈川県高教組「原子力読本」編集委員会、東研出版
89072012 平和BOOK-高校生のための平和の歩き方 神奈川県高等学校教職員組合編
90073301 証言集・かながわ第2集-被爆45周年記念 神奈川県原爆被災者の会(編)
91052701 溶けてしまった街-ヒロシマ・ナガサキ 母と子の原爆展実行委員会[神奈川県]
92033301 被爆証言集-1992- 神奈川県逗子市被爆者の会(つばき会)
93073304 広島・長崎からの証言 神奈川県逗子市被爆者の会
94040102 広島の町から-被爆50周年 神奈川県原爆被災者の会藤沢支部
95071501 続・いのちある限り-被爆50周年記念 神奈川県原爆被災者の会

 

Y M D NEWS1
51 09 01 横浜市従業員労働組合、神奈川体育館で「第1回市従平和文化祭」を開催。-5日。行事の一つに原爆絵画展(赤松・丸木協作原爆の図第1部-第5部)。(大原社研資料)
54 06 18 全国知事会議、首相官邸で開催。神奈川県知事ら、原水爆被害への補償を要望。
55 12 06 原水爆禁止日本協議会被爆者救援委員会、広島・長崎を除く各地の被災者(約8万人)を対象に被災者の無料健康診断を開始。資金には、中国からの寄付金を充当。群馬・長野・神奈川がモデル・ケース。6・7両日、群馬大学附属病院で。
55 原爆被災者神奈川友の会、横浜市で結成。吉田(国民救援会)のよびかけで13名の被爆者が参加。(「神奈川被爆者30年のあゆみ」760333、「いのちある限り」810429)
56 02 11 神奈川県平塚市・地区労・医師会など、見附台体育館で丸木・赤松「原爆の図」展を開催(3日間)。約1万5000名が参観。原爆展の市主催は、英国コヴェントリー市についで2番目(アカハタ)。
56 04 15 東京の原爆被災者の会(事務局長松尾明人)、東京で、原爆被災者の集いを開催(東京・群馬・神奈川などから約100人参加)。都築博士による講演。被災者対策の充実・促進などを申し合わせ。
56 05 01 アカハタ、「「原爆の図」展の成果-神奈川平塚地区委員会の総括」を掲載(-3日、3回)。
56 08 05 鎌倉市主催第5回海の平和祭、中央海岸で開催。神奈川県地評・全朝連・国鉄などから約2万5000人が参加。許広平女史など原水爆禁止世界大会海外代表15名も参加。(長崎日々)
56 08 10 神奈川在住の被爆者伊藤直哉、長崎市で開催された被団協結成大会に参加(「神奈川被爆者30年のあゆみ」760333)
56 08 23 藤居日本被団協事務局長、松尾明人東京被災者の会事務局長、田原達雄東京理事、椎原勝(伊藤直哉神奈川理事代理)と東京の今後について話し合う。「日本被害者協第1号」)
57 06 10 都築正男博士、日赤神奈川県支部で開かれた日本原水協第1回幹事会で講演。このまま核実験が続けば十数年でストロンチウム90が人体許容量に達すると報告。
57 10 11 日本被団協、代表委員会・常任理事会を開催。杉本・小佐々・入江(福岡)・藤居・森滝・伊藤(神奈川)・桑原(愛媛)・辻本・香田が出席。(「被団協連絡」NO.1)。「当面の運動方針」・「組織活動上の当面の重点」・「財政問題」などを討議。
57 10 21 神奈川の広島被爆者、大津市の三井寺で自殺。
58 02 15 核兵器禁止高校生連絡協議会、核兵器禁止高校生集会を東京神田・教育会館で開催。都内・神奈川・埼玉から約300人が参加。
59 07 30 神奈川県自民党県議団、第5回原水爆禁止世界大会に県疑団代表として6人を参加させることを決定。
59 07 31 藤枝自民党副幹事長、原水爆禁止世界大会に神奈川・長野など8県から自民党所属の県疑団が参加することを明らかにする。
60 02 13 神奈川県、原水協に対し補助金打ち切りを通告。
61 06 10 日本被団協、東北ブロック会議を盛岡市で開催。~11日(「岩手の被爆者は願う」)。神奈川より佐々木修二が出席(「続・いのちある限り」)。
63 12 12 原爆被爆者援護法制定国会請願大会開く。参院会館で。全国代表150人参加。神奈川友の会の代表も参加。(「続・いのちある限り」)
65 10 03 川崎稲田地区折鶴の会(神奈川)結成。(「続・いのちある限り」)
65 12 21 原水禁日本国民会議全国活動者会議開く。神奈川県湯河原で。二十二日まで。「非核武装宣言要求三千万人国民平和投票運動」を来年の最重点に。ことしは約七十ニ万票集まる。
66 01 神奈川県原爆被災者の会、結成.
66 01 23 神奈川県原爆被爆者座談会(県立勤労会館)県下各地より23名参加。「原爆被爆者神奈川の会」(友の会)を改称し、「神奈川県原爆被災者の会」結成する。(会長)伊藤直成、(事務局長)井上与志男、(運営委員)新谷昌之(横浜)、森川定実(川崎)、田中輝夫(川崎)、楠林光数(相模原)、黒川万千代(藤沢)を選出。(「続・いのちある限り」)
66 02 24 神奈川県原爆被災者の会、24項目の対県要求書を提出。(「続・いのちある限り」)
66 03 01 三・一ビキニデー、原水爆禁止、被爆者救援、ベトナム戦争終結のための中央集会。原水禁国民会議(社会党・総評系)主催。神奈川県横須賀市で。八百人参加。①ベトナム問題の早期平和解決②日本の非核武装宣言の実現などアピール
66 04 07 神奈川県原爆被災者の会、「神奈川県被爆者ニュース」第一号発行。(「続・いのちある限り」)
66 04 17 神奈川県下原爆被爆者懇談会(横浜開港記念会館)。東大教授草野信男講演。(「続・いのちある限り」)
66 04 24 神奈川県・川崎市折鶴の会結成。(市議会々議室)。会長森川定実、事務局長中村晃を選出。(「続・いのちある限り」)
66 04 30 関東甲信越ブロック会議(栃木県塩原)。井上神奈川県原爆被災者の会事務局長、同ブロック代表理事に選出。(「続・いのちある限り」)
66 06 05 「被爆者をはげます集い」(神奈川県・横浜開港記念会館)600人参加。(「続・いのちある限り」)
66 06 23 神奈川県被災者の会、県と交渉。健康診断実施医療機関病院8、保健所10。特別扱爆者の一般疾病医療指定医療機関は県下のすべての健保医を指定。精密検査受診者交通費の支給は被災者の会に委託を確認。(「続・いのちある限り」)
66 08 05 第12回原水禁世界大会(広島)に神奈川の被爆者十名参加。(「続・いのちある限り」)
66 10 08 「相模原被爆者をはげます集い」(市民会館)(「続・いのちある限り」)(神奈川)
66 11 22 神奈川県被災者の会、「原爆医療講演会」(平沼レストハウス)。広島大学の杉原芳夫が講演。(「続・いのちある限り」)
66 12 14 県議会「神奈川県被爆者援護強化促進決議案」を可決。昭和42年度より県被災者の会補助金(助成金)年20万円支給決まる。(「続・いのちある限り」)
67 01 06 鎌倉市被爆者の会結成。会長高見勇氏(「続・いのちある限り」)(神奈川)
67 03 14 日本被団協、援護法制定3月中央行動(5日間)。バスデモ、数奇屋橋に座り込み。神奈川より142名参加。(「続・いのちある限り」)
67 04 30 横須賀市被爆者の会(なぎさ会)結成(文化会館)。会長根本正雄。(「続・いのちある限り」)(神奈川)
67 07 02 藤沢市原爆被災者の会(白藤会)結成。会長土田康。(「続・いのちある限り」)(神奈川)
67 09 05 茅ケ崎市被爆者の会結成。会長佐藤英明(「続・いのちある限り」)(神奈川)
67 09 24 第一回神奈川県原爆死没者合同慰霊察(開港記念会館)(「続・いのちある限り」)
67 09 24 神奈川県原爆被災者の会、第2回総会、会の規約決定、各支部より運営委員選出。、(「続・いのちある限り」)
67 10 15 日本被団協、援護法制定被爆者全国行脚開始。神奈川、「行脚成功をめざす集会」(平沼レスト・ハウス)、県内東海道、県央、三浦半島、川崎の4コース出発。(「続・いのちある限り」)
67 11 04 神奈川県内被爆者行脚集結行進(野毛山-伊勢佐木町-県庁)(「続・いのちある限り」)
68 10 04 神奈川県藤沢市在住の黒川万千代、原爆症治療のため密入国した孫貴達と広島県立第二高女に在学中、同級生であったと日本原水協に連絡。
70 04 神奈川県原爆慰霊碑(神奈川県鎌倉市・大船観音)
70 04 29 神奈川県被団協、鎌倉市大船観音境内に慰霊碑を建立.
70 04 29 神奈川県被団協、鎌倉市大船観音境内に慰霊碑を建立.
75 08 08 尾島良平・神奈川県原爆被災者の会会長、体験記「ピカドン体験記」を「ヒロシマ・原爆の記録展」を開催中の東京・日本橋の三越本店に届ける。
78 08 神奈川県被団協、被爆者相談センターを開設.
79 09 21 神奈川県藤沢市議会、援護法制定促進を決議.
79 09 25 神奈川県茅ケ崎市議会、援護法制定促進を決議.
79 09 30 神奈川県大和市議会、援護法制定促進を決議.
79 10 20 東京被団協、研修・交流集会を神奈川県大山で開催(~21日).27人参加.
79 10 23 神奈川県議会、被爆者援護法制定促進の意見書を採択.
79 12 31 神奈川県原爆被災者の会、2000万人署名の自主目標7万を突破.
80 01 04 神奈川県相模原市で昨年8月に開かれた原水爆禁止平和祈念集会を撮影した8ミリ映画、長崎市で上映。
80 04 13 神奈川県の県内行脚団、慰霊碑前から出発.
80 04 13 神奈川県被団協、大船観音原爆慰霊碑前で県内網の目行進の出発式.50名参加.
80 07 23 神奈川県・川崎市折鶴の会、結成15周年記念行事として川崎労音と協力し交響曲「炎の歌」演奏会を開催.
80 07 28? 神奈川県在住の被爆者、被爆体験をもとにした自伝的小説発表。
80 08 03 神奈川県相模原市で、市民グループによる原水爆禁止平和記念集会開催。
80 08 17 神奈川県被団協、慰霊祭を鎌倉市・大船観音で開催.
81 03 26 神奈川県・茅ケ崎市被爆者の会など、茅ケ崎市公民館で原爆展を開催.(~31日).のべ9000人が参観.
81 05 21 神奈川県在住の画家、広島原爆病院に自作の絵画寄贈。
81 05 27 神奈川県原水爆被災者の会など、「母と子の原爆展」を開催.横浜・川崎・横須賀・相模原など7都市10か所で7月末まで.
81 06 02 神奈川県原爆被災者の会、核持込みを糾弾し,米空母ミッドウェー入港に反対する決起集会を横須賀で開催.40名が参加.
81 06 06 神奈川県被団協、原爆を裁く国民法廷を横浜市戸塚区の公会堂で全国に先駆けて上演.800人が参加.
81 09 23 神奈川県・鎌倉市・大船観音境内慰霊碑前で慰霊祭
81 10 03 神奈川県立金井高校生徒、修学旅行で来広し平和学習(4日まで)。
81 11 21 神奈川県被団協、泊り込み研究会を開催.「ヒロシマ・ナガサキの被爆体験を語り継ぐ運動推進委員会」を県および各地区に作ることを確認.
82 01 27? 神奈川県のゴルフ場経営会社、核戦争時の避難用核シェルターの建設を計画。
82 01 29 神奈川県被団協など、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験を語り,受け継ぐ運動-神奈川県推進委員会を発足させる.
82 02 神奈川県被団協、県内全被爆者に県のニュースと署名簿を発送.
82 03 17 神奈川・鶴見の語りつぐ会、国民法廷を開催.
82 04 25 、神奈川・川崎多摩で国民法廷を開催.
82 05 08 、神奈川・平和と民主主義のつどいで国民法廷を開催.
82 05 23 、神奈川・相模原で国民法廷を開催.
82 06 06 、神奈川・相模で国民法廷開催.
82 08 18 広島原爆資料館高橋館長と交流を続ける神奈川県の青年、来広し同館を見学。
82 09 11 日本被団協、神奈川県で代表理事会を開き、運動方針など決定(12日まで)。
82 09 11 日本被団協、第149回代表理事会を神奈川県箱根町で開催(~12日).「被爆者援護法の即時制定を迫る国民運動(要綱)」を決定.
82 10 30 神奈川県原爆被害者の会、被爆者援護法討論集会を開催.50人参加.
82 10 30 神奈川県被団協など、援護法討論集会を開催.
82 11 14 神奈川県原爆被災者の会、研修会を開催(~15日).15日,要求書を県に提出.
83 神奈川県厚木市被爆者の会、被爆者家庭訪問を実施.
83 01 22 神奈川の母と子の原爆展実行委員会、3年目の原爆展を公立中学校区ごとに開催することを決定.
83 08 05 非核平和宣言都市平和団体連絡会(東京・神奈川の平和運動グループ)、中曽根首相、核保有国首脳に核廃絶要請書を提出。
83 08 09 神奈川県庁埼玉県庁で、長崎原爆投下時刻に職員ら、默とう。
83 08 21 神奈川県の小学生、被爆者援護にと中国新聞社に寄金。
83 09 09 ’83映像コンクール(神奈川県川崎市共催)で中国放送製作の核問題特集番組「ノーモア・ニュークス」、優秀賞受賞。
83 11 26 神奈川県原爆被災者の会、研修会を伊勢原市で開催(~27日).70名参加.
84 03 25 神奈川県原水協など「核巡航ミサイル・トマホークくるな3.25ヨコスカ大集会」を開催。(約2,000人参加)
84 04 23 神奈川県川崎市の洗足学園大学不属高校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ平和学習、平和公園で“平和のつどい”を開催。
84 04 29 「トマホークはいらない母と子よこすか平和の行動」(新日本婦人の会神奈川県本部など主催)。横須賀市で開催。(約5000人参加)
84 04 30 神奈川県被団協、総会.
84 05 19 神奈川県の反核市民団体「非核神奈川県をめざす県民連絡会」、「ラロック証言」のジーン・ラロック米退役少将を招請。同氏は、反核シンポに出席。
84 07 05 神奈川県議会「神奈川県非核兵器県宣言」を採択。
84 07 05 神奈川県議会、神奈川県非核兵器宣言を可決.
84 07 07 高知県議会、「非核平和高知県宣言」を採択。5日の神奈川県に次いで4番目。宣言文に「地球上に広島・長崎の惨禍を再び繰り返してはならない」。
84 09 21 在日ソ連大使、8月31日に届けた「神奈川非核兵器県宣言」に対する本国政府の返書を神奈川県知事に届ける。
84 11 27 神奈川県原爆被災者の会、研修会を箱根で開催(~28日).「基本要求」を学習.70名参加.
84 12 08 神奈川県知事、非核三原則堅持など求めた意見書を外相に提出。
85 01 99 神奈川県の教師グループ、高校生向け副読本「原子力読本=高校生の平和学習のために」を刊行。(札幌市での日教組教研会で報告)
85 03 22 神奈川県、スペインでの「第二回非核地帯宣言自治体世界会議」(3/28‐)に理事ら2名を派遣することを決定。
85 03 25 ミンポジウム「アジア・太平洋地域におれる平和と自立」(神奈川県、国連大学など共催)、横浜市で開催。
85 03 26 第2回非核自治体国際会議、スペイン、コルドバ市で開催(10カ国99都市が参加)(28日まで)。日本から、神奈川県、川崎市安芸郡府中町など自治体代表が参加。被爆40年を記念し、8月4日‐10日に「非核宣言自治体の行動週間」を展開す
85 03 99 横浜市のエスペランチストのグループ、神奈川県の非核宣言をエスペラント語訳し、各国のエスペランチストに送付。
85 04 01 広島県被爆教職員の会、来広した神奈川県議会の社会党議員団に原爆がわらを寄贈。
85 05 13? 神奈川県在住の児童文学者今西祐行(被爆者)、広島市で被爆スケッチ画展を開催(15日まで)。
85 07 12? 被爆記録映画を贈り続けてきた神奈川県の主婦グループ「“にんげんをかえせ”を海外へ贈る会」(1983年11月結成) 、活動報告書を発行し、解散。
85 07 14? 神奈川県原爆被災者の会、会員の証言集「この40年」(B5、72ヘーシ)を発行。
85 08 04? 神奈川県原爆被災者の会、被爆体験記集「証言集かながわ」、刊行。
85 09 22 神奈川県原爆被災者の会、鎌倉市で、平和記念式を開催( 約 480人参列) 。同県知事・市長ら、参列。
85 09 22 被爆40周年平和祈念塔(神奈川県鎌倉市・大船観音)
85 10 29 神奈川県・英のウェストヨークシャー郡、核兵器廃絶を求める共同声明を発表。
86 ?? 神奈川県川崎市の平和教育学級、謀略・秘密戦の拠点、陸軍登戸研究所を掘り起こす。1995年、明治大学で保存運動が始まる。
86 03 22 広島県議会、「核兵器廃絶に関する広島県宣言」を、全会一致で採択( 都道府県では、神奈川・長野などに次いで 6番目) 。
86 07 16 神奈川県の私立法政女子高校生徒、来広し、平和学習。広島県高校生平和ゼミナールのメンバーと交流。
86 08 01 神奈川県大和市の会社員、同市長からの平和メッセージを広島市に届ける(6月25日に大和市を徒歩で出発) 。
86 11 12? 神奈川県の私立旭丘高校、被爆地長崎での平和学習成果をまとめた冊子「ナガサキの心を訪ねて-私たちは50字メッセージで訴える」を作成。
87 02 21 神奈川県民のいのちとくらしを守る共同行動委員会、核積載の可能性の高い米艦船をリストアップした「非核コード」を作成。
87 06 04 神奈川県の画家矢田健爾、広島原爆病院に自作の絵画を寄贈。
87 08 06 神奈川県藤沢市、平和ツアーとして、同市内の小・中学生30人を広島市に派遣。広島県佐伯郡廿日市小学校での平和交流会などに出席。
87 10 31? 神奈川県立大師高校生徒、修学旅行で来広し、平和学習。生徒らによる平和アピールを発表。
88 02 16 神奈川県藤沢市の小・中学生の広島平和ツアー体験をまとめた報告書「平和のみちしるべ」(B5、89ページ)、広島市に届く。
88 04 02 東友会、88年度合宿学習会を神奈川県湯河原温泉で開催(~3日).61人参加.
88 05 11 社会党・原水禁、核燃料輸送の危険を訴える核燃料輸送追跡バスツアー(神奈川県-島根県)を実施。輸送車から高放射能を測定したと発表。
88 08 05 神奈川県大和市の八田三郎、大和市から徒歩で、「世界平和」・「核兵器廃絶」を訴え、長崎市に到着(6月11日に大和市を出発)。
88 08 28 神奈川県原爆被災者の会、横須賀基地前で座り込み.40人参加.
88 08 29 神奈川県知事・横須賀市長ら、核搭載の可能性が高い米艦の横須賀入港・母港化について、非核を明確にすることなどを外務省に申し入れ。
88 09 25 神奈川県被団協、慰霊祭を鎌倉市岡本・大船観音境内で開催.
89 ?? 「日吉台地下壕保存の会」発足。神奈川県横浜市の慶応大学日吉校舎の下にある連合艦隊司令部地下壕の保存をめざす。
89 03 11 神奈川県三浦市の市民劇団「海」、1954年の米核実験で被災した第13光栄丸をテーマにした劇「食べてうまいよ、三崎のまぐろ 第13光栄丸・ビキニ被ばくす」を上演。
89 08 18 ピースボイス高校生使節団(40人)、米ニューヨークの国連本部を訪れ、1万人分の平和メッセージを提出。広島・神奈川・埼玉の高校生らが参加。
89 09 24 神奈川県被団協、追悼慰霊祭を鎌倉市大船観音境内・原爆慰霊碑前で挙行。
89 10 09 米海軍ミッドウェー元艦長による核持ち込み発言で、神奈川県など、外務省に事実関係究明などを求める要請文を提出。
89 12 26? 神奈川県在住の山田澄江、被爆死した婚約者への思いをつづった詩集「愛」を自費出版。
90 07 10? 「原爆の火」を燃やし続けている福岡県星野村、「政治に利用される」との理由で、「神奈川県原爆被災者の会」の同「火」の分火要請を拒否。
90 07 29 神奈川県被団協、追悼慰霊祭を鎌倉市大船観音・慰霊碑前で挙行。
90 07 29 神奈川県原爆被災者の会、鎌倉市に、「原爆の火の塔」を建立し、除幕式開催(約300人出席)。福岡県八女郡の原爆の火より分火。
90 08 05 福岡県でともされ続けている「原爆の火」、神奈川県原爆被災者の会に分火され、鎌倉市の「原爆の火の塔」に点火。
90 11 08 非核自治体国際会議、英のグラスゴー市で開催(12日まで)。神奈川県被団協会長土田康子、開会式で被爆実相を証言。
90 11 16 「安保・核・基地ノー・90日本平和大会」、神奈川で開催。のべ50名の被爆者が参加。
91 04 28 神奈川県原爆被災者の会、定期総会を開催。
91 08 02 神奈川県在住の画家今口賢一(被爆者)、故郷広島市の西区民文化センタ-で個展を開催(7日まで)。原爆体験を描いた100点を出品。
91 08 05 神奈川県藤沢市の市民平和運動グループ「平和の輪をひろげる百日間」の小・中学生ら(約40人)、来広し、原爆慰霊碑に黙とう。
91 08 11 神奈川県原水協、横須賀基地への空母インディペンデンス配備反対集会を横須賀市内で開催。約100人が参加。
91 09 11 広島県被団協、米空母インディペンデンスの横須賀入港に対する抗議行動に取り組んでいる神奈川県被爆者の会に、連帯のメッセージを送付。
91 09 29 神奈川県被団協、追悼慰霊祭を鎌倉市大船観音・慰霊碑前で挙行。
91 12 13 西田勝(非核自治体全国草の根ネットワーク世話人)、広島市で懇談会を開催。92年10月神奈川県で開催予定の第6回非核自治体国際会議に向け、広島で「非核自治体全国草の根集会」を開催するための打ち合せ。
92 06 22? 石浜みかる(神奈川県藤沢市在住)、治安維持法違反の罪で服役中の広島刑務所で被爆した父の被爆体験をもとに描いた小説「あの戦争のなかにぼくもいた」(国土社刊)を出版。
92 06 27 神奈川新聞社、県原水協などの抗議により8月9日長崎原爆忌に予定していた米海軍厚木基地内での「アルフィー」の野外コンサートを中止すると発表。
92 08 02 藤井節弥(長崎とビキニで被爆)の追悼式、自殺場所の神奈川県横須賀市の観音崎で初めて挙行。
92 09 27 神奈川県被団協、追悼慰霊祭を鎌倉市大船観音・慰霊碑前で挙行。
93 08 05 神奈川県横浜市の特別養護老人ホームの施設長、入居者1人とともに長崎市を訪問。
93 08 23 神奈川県の公立学校新人教員306人を乗せた「洋上研修かながわふれあいの船」、広島港の船上で高橋昭博広島平和文化センター事業部長の被爆体験談を聞き、平和公園を訪問。
94 03 29 神奈川県の女性2人、焼津市から自転車で反核行脚で広島市入り。
94 06 08 「日本非核宣言自治体協議会」(会長:葉山峻神奈川県藤沢市長)、核兵器使用についての政府陳述書案に対する要請書を羽田首相と柿沢外相あてに送付。
94 07 18 神奈川・静岡・高知3県の原水協、10月にマーシャル諸島に救援船を派遣する計画をまとめる。
94 08 08 神奈川県横浜市の特別養護老人ホームの敷本五郎施設長ら、平和行脚で長崎市を訪問。今年で9回目。
94 08 16? 神奈川県在住の絵本画家西村繁男、広島被爆を中心とした22枚の作品を完成。来春、福音館書店から刊行の予定。
94 11 20 高知・神奈川・静岡3県の原水協と日本原水協、米国の水爆実験の影響から放射能障害が多発している南太平洋のマーシャル諸島共和国に「核実験被害告発・救援調査団」(23人)を派遣。12月4日までの2週間の予定。
95 02 22? 神奈川県藤沢市、被爆50周年を機に市内での非核三原則などを定めた「核兵器廃絶平和推進条例案」を22日から開かれる市議会に提出する方針を決める。
95 06 20 神奈川県相模原市の画家今口賢一、東京都町田市で個展を開催。-22日。自らの被爆体験を描いた絵も展示。
95 08 02 長崎とビキニで被爆し自殺したマグロ漁船員藤井節弥を追悼する第4回観音崎・非核平和誓いのつどい、神奈川県横須賀市の観音崎で開催。約50人が参加。
95 08 05 朝日新聞、全国の自治体を対象とした「被爆二世」の援護施策についての調査結果を公表。医療給付や健康診断を制度化しているのは東京・神奈川・京都など9都道府県。
95 08 07 神奈川県藤沢市と広島県廿日市市の小中学生の交流会、廿日市小学校で開催。8回目。山下三郎廿日市市長が子供らに被爆体験を話す。
95 08 16 日本非核宣言自治体協議会(事務局・神奈川県藤沢市)、加盟266県市町村にフランスの核実験中止を求める署名を呼びかける。
95 08 27 「ヨコスカ平和船団」、中国とフランスの核実験に抗議して神奈川県横須賀港で会場デモ。
95 10 02 北海道・神奈川県・埼玉県・佐賀県・長崎県・広島県の知事ら、フランスの2回目の核実験に抗議の意志表示。
95 11 13 神奈川県平塚市原爆被害者の会の元会長・大浜直、死去。72歳。
95 12 03 神奈川県主催映像コンクールの表彰式。広島のアマチュア映像作家・川本昭人の作品「妻の貌(かお)」がグランプリを獲得。
96 02 22 広島で被爆死した女優・園井恵子をしのぶ集い、神奈川県鎌倉市で開催。
96 03 15 神奈川県相模原市の会社員村上一朗ら、フランスの核実験に抗議して昨年9月から5カ月間東京の同国大使館前に座り込んだ写真記録展「フランス大使館前の人々」を都内で開催。1週間。
96 04 14 日本被団協、関東甲信越ブロック会議を神奈川県箱根町で開催。-15日。
96 08 04 東京都内のフランス・中国大使館前で核実験のたびに座り込みを続けた神奈川県内の青年2人、広島市の平和公園で抗議行動を記録した青空写真展を開催。
96 08 05 神奈川県厚木市の玉川アルプホルンクラブの7人、広島市の原爆ドーム前で演奏。
96 12 12? 神奈川県小田原市の私立女子高校・旭丘高校2年G組、長崎への修学旅行の学習成果を文化祭で発表し文集にまとめる。
96 12 23 東京や神奈川の平和運動家ら10人、米海軍横須賀基地に、広島市の「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子の一生を描いた英語版を寄贈。
97 03 02 日本被団協中央相談所、関東甲信越ブロック講習会を神奈川県熱海市で開催。-3日。70数人が参加。
97 08 08 神奈川県横浜市の特別養護老人ホーム「あだちホーム」の一行10人、爆心地公園に千羽鶴を捧げる。
97 08 21 神奈川県逗子市の「ピースメッセンジャー」一行20人、長崎原爆資料館を訪問。
97 10 24 神奈川県内の高校を中退した「のむぎオープン・コミュニティー・スクール」のメンバー23人、平和学習で訪れた広島市の平和公園で平和太鼓を演奏。
97 11 04? 広島市出身で神奈川県相模原市在住の画家・今口賢一、被爆画「ヒロシマの川」を完成。
97 11 23 「平和資料協同組合」(服部学代表)、設立総会を神奈川県立かながわ労働プラザで開催。70人が参加。
97 12 10 元神奈川県原爆被災者の会会長・土田康、死去。81歳。
98 03 03 第5福竜丸のエンジン、神奈川県三浦市に里帰りし、旧三崎魚市場で展示が始まる。-18日。
98 03 20 「科学技術と社会に関する国際会議組織委員会」、シンポジウムを広島国際会議場で開催。中山茂神奈川大学教授(広島の被爆者)の講演、グレッグ・ハーケン米スミソニアン博物館学芸員などによるシンポジウムなど。
98 03 27 神奈川県高校生平和ゼミナールの再建1周年を記念して、高校生の平和集会「『世界高校生平和宣言』をつくろう!」を三浦海岸で開催。-28日。全国11都道府県から60人が参加。(「原水協通信」5月号)
98 03 33 神奈川県川崎市在住の田辺美奈子、「はだしのゲン」のロシア語版を自費出版。
98 06 02 神奈川県原爆被災者の会、「原爆と人間展」を横浜市で開催。-9日。
98 06 04 神奈川県原爆被災者の会・県生協連など、「原爆と人間展」を横浜市内で開催。-8日。期間中3万人が来場。
98 11 19 神奈川県被団協、医療講習会・役員研修会を湯河原で開催。-20日。70人が参加。
99 04 18 エレーナ・ブルラコーワ・ソ連科学アカデミー生物化学研究所教授、仙台市で講演。「チェルノブイリ救援募金」などの招きで来日。以後、青森・東京・横浜・神奈川・千葉・広島(26日)でも講演予定。
99 08 09 長崎原爆資料館と神奈川県の慶応大学湘南藤沢キャンパスをマルチメディアを使い平和学習フォーラムを開催。2年前から実施。
99 08 19 テレビ電話会議システムで交流している広島県世羅町・津久志小学校と神奈川県相模湖町・千木良小学校の6年生、広島市の平和公園で平和学習を実施。松原美代子の被爆体験を聴取。
99 08 31 核兵器廃絶を訴えて東京-神奈川間を走る99反核平和マラソン。-8月1日。
99 09 26 神奈川県被団協、1999年追悼のつどいを開催。75万円の公費補助。
99 10 02 浜友の会(神奈川県横浜市の被爆者の会)、神奈川新聞社と同社厚生文化事業団の「地域社会事業賞」を受賞。
99 10 05 中国新聞「キリスト信仰受難の歴史-広島で獄中被爆した父-神奈川の作家・石浜さんが記録」
99 11 12 沢田神奈川県横須賀市長、艦船の放射能漏れ事故を想定した防災マニュアル策定に当たり、米側の情報提供を求めるよう外務省に要請。
99 11 24 神奈川県被団協、被爆者医療講習会を湯河原で開催。60人が参加。
99 11 30 在日米海軍司令部(神奈川県横須賀市)と米海軍佐世保基地、長崎新聞社の取材に対し、佐世保港での米原子力艦船の事故対策について、「佐世保市側から要請があれば合同で防災会議を開く用意があると語る。

神奈川新聞社説

年月日 タイトル
850806 核廃絶へ挙国一致の運動を
860806 それぞれが多様な反核運動を
880806 再びめぐってきたヒロシマ
890805 「8月15日」の原風景に誓う
890806 改めて核兵器ノ-を誓おう
900805 庶民が伝える広島の決意
910806 新時代にこそ広島の誓い
940806 50回忌迎え被爆の思い新たに
950806 被爆50年、新たに平和を誓おう
960806 「核廃絶」の流れ、さらに強固に