平和を―被爆から75年を行きぬいて

『平和を―被爆から75年を行きぬいて』(長崎原爆被災者協議会、20200809)

内容

著者 タイトルなど
[口絵] 写真でみる被災協のあゆみ
001 浜谷正晴 [特別寄稿]被爆七十五年被爆者運動に思う
1 忘れえぬあの夏の日
長崎7人
2 戦中・戦後を生きる
長崎12人
濱谷正晴 原爆と人間アーカイブに残る深堀悟迫真の証言
3 被爆者運動
長崎6人
4 戦争放棄・核兵器なくせ
長崎7人
5 被爆者・家族の思いをつなぐ
長崎11人
6 戦争、被爆体験・記憶を語りつなごう
長崎7人
資料編 長崎被災協のあゆみなど

 

 

写真記録  原爆棄民 韓国・朝鮮人被爆者の証言

『写真記録  原爆棄民 韓国・朝鮮人被爆者の証言 』(伊藤孝司、ほるぷ出版、19871015 )

目次

001 植民地・強制連行
朴昌煥 郡役所まで三菱が迎えに来ました 4
朴守龍 「朝鮮人が放火した」、ひどい大震災の流言 6
陳祐生 閃光がしてゴォーと爆風が来ました 8
李福南 9
裵又星 百姓しとるのに米の飯も食えんので下関へ渡ったとです 13
金判根 リヤカーを引いて古物商をしていました 14
梁基成 徴用令を受けて広島へ、日本人が恐ろしかったです 15
李哲鎬 三菱からは1か月分の給料だけしかもらっていない 15
鄭基障 日本の無条件降伏にみんなで泣きました 16
李永憲 行き先も知らされず、警察に連行されて日本へ 16
金應善 兵隊よりも、徴用で広島に行くほうを選んだのです 17
鄭永寿 19
尹永寿 だまされてパンパン屋に売られたんですよ 20
張泰熙 新聞でヒットラーの記事を見たとたん、ピカッと 26
朴?奎 教育勅語を暗記できないとバケツを下げて立たされました 27
呉鳳寿 土地も、言葉も取り上げた総督府 28
朱碩 日本人は酒を飲んでは放歌高吟し、女の人は外へ出るのもはばかられるほどでした 30
成洙南 挺身隊へ行くのをさけるため16歳で結婚させられました 32
金福連 主人も、娘も死んでしまいました 33
徐正雨 軍艦島では何度も自殺しようと思ったかわからんとです 34
金順相 雪が降ってもパンツ、腰巻きひとつで働かせられたとです 36
韓基俊 36
朴永分 「ひとりじゃ逃げる」言うて家族も呼ばれたんじゃ 39
崔月光 被爆のことはそりゃ口じゃ言わりゃせん 39
黄應八 船で日本に密航し、各地を転々としながら 40
金連順 勤労動員で野球の張本さんのお姉さんたちと作業していて 42
車基淳 42
李寿東 炭坑と戦争と原爆、3つの地獄を 45
鄭元達 みんなから「朝鮮人の刑事が来た」と言われました 47
尹参鉱 「朝鮮豚」とか言われながらも日本人と一緒に遊びました 47
金仁祚 二女、三女、そして長女、次々に死に、口の所にハエがたかり 48
金鍾具 飯場では豆粕やコーリャン、きびの飯で腹がへって 48
金敏経 徴用令が来て、目の前がまっ暗になりました 49
金在甲 浦上天主堂の坂で軍馬もろとも 50
張世澤 浦上刑務所で爆死した親方兄弟を捜して 53
白昌基 首に縄をくくられ、牛に引きずり回された朝鮮青年達の光景が脳裏に焼きついて 55
辛福守 わが子が燃えるのを、ただ見ているだけの地獄でした 55
李一守 建物疎開の勤労奉仕に出て原爆にあいました 58
甲喜植 一週間、防空壕に寝たきりで 59
金容福 韓国人ばかり働かせ、バカにするのです 63
065 被爆
玉牙伊 足も指がちぎれ、頭もおかしゅうなっとったけん、痛うもなか 69
崔英順 工場が崩れて2階にいたのに1階になってしまいました 71
李守龍 背中にいっぱいウジ虫がわき、火傷の痛みもひどかった 71
林玉仙 10歳で被爆、手足がしだいに萎縮して 72
金南出 もう死んだと思うたが、手足が動くので目をあけてみると 73
朴化玉 長崎港の船の上で閃光を 74
安永千 1か月ほど死体の臭いがしみついていました 76
金命今 魚の皮はいで地面に投げたような姿で兄弟は「自分の子がわからんかね」言うんです 78
鄭登明 顔と手に大火傷を負い、40年間ケロイドで苦しむ 81
裵玉連 息子を抱いて3階から飛び降りました 82
朴海鐘 ドーンという音でびっくりして飛び出すと、浦上の方が一面火を吹いていました 83
権億相 気を失って気がついたら24時間すぎていました 86
蘇閏生 原爆はすべてを変えてしまいました 88
姜和順 右腕をこれ以上悪くならないようにと切断しました 89
宗錞敏 ボンネットをのぞき込んでいると突然ピカッと 90
許南根 爆風のため転んで釘が右足に 90
朴水煥 高島炭坑と住吉トンネル工場で 91
金在鉉 天皇陛下のためと言われて徴用されて 92
金正玉 閃光を見た瞬間、目がくらんで気絶、火ぶくれに 92
安珉 飛行機が飛んできてシャツに黒いシミが 92
朴孟蓮 電車は満員だったのに、閃光を見たのです 93
宋年順 なかなか死ねずに、8月末まで畑に野ざらしでした 95
金基錫 お母さん、よく原爆の痛みに耐えて、生きていました 96
金判煕 宇品港から500人乗りぐらいの船で帰国しました 98
張乙生 「助けてぇ、助けてぇ」と言いながら、妻は息をひきとりました 100
姜岳只 原爆で5人の子どものうちふたり死んだ 101
金貞賢 身体はペラペラして真っ白い肉だけが見えました 102
崔乙龍どうもがまんができず、自分の小便を受けて飲んだんです 103
姜寿元 独立運動で投獄、広島刑務所で原爆に 104
金貞順 私は片目が飛び出し、従妹は行方知れずに 06
辛泳洙 自分の顔に手を当ててみると、目も鼻も口もとけて 109
朴泳[ユン] 兄貴の嫁ごは火葬して、骨は川の中に流したと 111
卞明奎 長女はどこかで生きていると思っています 112
車貞述 3回も戦争に巻きこまれて 114
姜小龍 9人兄弟のうち、3人だけが生き残って 114
鄭翼俊 死んだ息子を一日中背負っていました 115
黄在明 兵隊さんがおぶってくれて川にとびこみ助かった 116
朴且点 人間なのか、お化けなのか、とても口では言い表せません 117
金正子 「水ばください」「水ば飲まして」と着物の袖を 119
金宗丸 首とか手とかバラバラになって、内蔵がベラッと出とるんです 120
千今絡 「あんた、生きとったね」が、みんなのあいさつでした 123
金沢文子 魚を一匹分けてくれと言っても、絶対にくれなんだ 124
朴基煕 真っ黒焦げの骨があるだけで、誰が誰だか全然わからん 125
崔李澈 大腿骨無腐性壊死…たえず激痛が襲ってくる 126
徐允心 身体中にガラスがいっぱい刺さって、3日間何も食べずに 127
金相根 火傷し、頭が3倍くらい膨れていました 128
金達莫 息子は、まるで焼き魚のように…10日後に死にました 129
劉世銀 焼けていなかったのは手の平だけだった父 131
鄭翼判 「朝鮮人は早く朝鮮へ帰れ、帰れ」と言われ 132
135 帰国・在日
李順伊 小さな船で死ぬ思いをして釜山に帰って来たんです 137
李允載 娘たちが腰痛を訴えるのでかわいそうです。親が原爆を受けたことが原因ではないかと 138
李陽善 徴用で働いた報酬も受け取っていません。日本政府と三菱は早く補償すべきです 139
卞今順 原爆病院に入院してもう16年になります 141
韓明丁 もし今後、治療できなければ早く死にたいです 142
柳沢蓮 朝鮮語はわからず、友達にいじめられ「日本に帰ろう」と泣いた 142
鄭斗鎮 妻も死に、やぶれかぶれの気持ちで帰国しました 145
蘆長寿 弟は、帰国船が台風で沈没し、弟は行方不明になりました 146
李実根 反戦ビラまき、非合法生活、そして朝鮮人被爆者運動に奔走しています 149
朴玉順 差別や抑圧に屈せずに 150
李必伊 日本で治療したい、生活は苦しい 152
白敬伊 いちばん望んでいるのは息子を日本で治療させることです 152
李貞秀 胃を手術して取り、楽じゃないです。ほんとに働きずくめの一生ですよ 156
李順出 姉は1960年に、兄は61年に、そして父は63年に死にました。みんな同じ病気でした 157
全相鶴 渡日治療で6か月いたら、政府の約束だとむりやり出されました 158
姜文煕 肉親の眠る広島を去ることができず 159
金判伊 広島と韓国で2回も爆撃を受け、もう戦争はこりごり 160
李大奎 ヤミ市、密造酒、とばく…とにかく生きるためには何でもやった 161
鄭長寿 私は病気の袋みたいで、いっそ死んでしまったら痛みもなくなるのではと思います 164
尹桂花 日本人であれ、韓国人であれ、心の痛みは同じです 164
李種善 願うことは、私と子どもの病気が治ること 164
尹成相 家内と赤ん坊、弟の骨が大橋の道路の下に 166
李壽英 身体がかゆく変になれそうで、こすると水のようなものが出ます 167
金永宅 2度と戦争の起こらぬよう願いたい 167
郭貴勳 日本人の医者が「韓国人のために負けた」と言うのです 167
金分順 帰国しても働けず、義母に追い出される始末です 168
金義祚 原爆の被害者は世界平和の人柱です 169
姜桂浩 娘、息子と死に、妻は気がおかしくなり 170
尹貞順 夫は日本での生活を一切口にしないまま死んだ 171
金永根 故郷についても物乞いをし、ごはんをもらって歩きました 172
厳粉連 被爆者を放置して、どんな世界平和があるのでしょうか 175
李三守 日本人の被爆者と同じ扱いをしてほしい 178
崔貿先 夫と離ればなれになり、母子3人で帰国 179
朴海潤 農繁期がきても軽い仕事しかできません 180
鄭翼俊 死んだ子供を一日中、背負って 180
李貞守 日本が戦争をしなかったら、こんなにならなくてすんだんのです 180
李奇相 這うて便所へ行くと「アイゴー、アイゴー」という声が 182
車小道 母は隣家の下敷きになり死んでしまいました 184
朴守福 こんな重たい十字架を負っているより、いっそ死の道をと 184
金伊述 私はこの地獄が恐ろしうて 186
林福順 韓国の被爆者は、あの日のヒロシマを背負っているのです 188
金玉連 足の痛みがひどく、右大腿部より切断しました 190
鄭正玉 娘が生まれ喜んだのもつかのま、精神がおかしいのです 190
李舜伊 韓国に帰りましたが治療もできず、火傷に味噌をつけたりして 191
金漢相 農業、運転手、そして警備員 191
韓鳳愚 ヤミ舟を雇って帰国、両親はもう死んだと思っていたので涙流して喜びました 192
金福姫 夫は私のケロイドのことは知らずに結婚し「だまされた、だまされた」と口ぐせのように言っていました 194
白麟基 韓国に原爆病院を建設して下さい 195
白鳳鶴 うちゃ、生きとってもええことはひとつもないよ。生きとるのいやじゃ 197
安永根 204呉玉振 204姜錫作 204林[イ]生
205朴南淳 205姜貞順 205尹基先 205黄徳禮 205李碩圖 205金喆基 205姜基達 205姜五龍 205
金九鳳 206李賓? 206申徳培 206趙判石 206李宝鉉 2O6安永宣 206申基殖 206金甲順 206
朴鐘来 207李炳[ ] 207朴甲述 207李点柱 207李勝子 207曺澄子 207
姜点龍 208都宗義 208郭順[ヨン] 208尹永益 208金根秀 208呉尚粉 208
李宗仙 209鄭好任 209韓基淑 209宗栄彬 209沈快興 209
尹春鉱 210黄秋子 210李寿元 210朴連順 210朴奉変 210
213 韓国・朝鮮人被爆者―その歴史と存在の意味(鎌田定夫)
231 原爆棄民・関係年表
235 作詩●追悼(鎌田定夫)

 

広島原爆障害研究会

広島原爆障害研究会 設立日:1956年11月

研究会メンバー

名前 所属 分野
井上省三 Inoue,Shozo 広島赤十字病院 内科
小川修三 Ogawa,Shuzo 広島大学理学部 理論物理
於保源作 Obo,Gensaku 広島市 内科
佐久間澄 Sakuma,Kiyoshi 広島大学理学部 理論物理
重藤文夫 Shigeto,Fumio 広島赤十字病院 内科
品川睦明 Shinagawa,Mutsuaki 広島大学理学部 分析化学
庄野直美 Shono,Naomi 広島女学院大学 理論物理
杉原芳夫 Sugihara,Yoshio 広島大学医学部 病理
瀬戸紀守 Seto,Norimori 広島市 産婦人科
原田東岷 Harada,Tomin 広島市 外科
広瀬文男 Hiroshe,Fumio 広島大学医学部 病理
広藤道男 Hirofuji,Michio 広島市 内科
細川利郎 Hosokawa,Toshiro 広島赤十字病院 内科
槙殿順 Makidono,Jun 広島市 放射線科
山本司 Yamamoto,Tsukasa 広島原爆病院 病理
以上は1957年12月末のメンバー
以下は1958年7月のメンバー表で新たに加えられたメンバー
Masuda,Yoshiya
Mizuno,Moriso
Nishida,Sekio
Nakayama,Hiromi
Tabuchi,Akira

大阪市原爆被害者の会(発行資料一覧)

大阪市原爆被害者の会(発行資料一覧)

 発行年月日  資料名  メモ  所蔵
所蔵:P=ピカ資料研究所、H=原爆資料館、U=宇吹
19671010 <婦人部ニュース>No.1
19690806  『被爆婦人の集い』 <第1集> PH
『被爆婦人の集い』 (大阪市原爆被害者の会婦人部発行)以下同じ
196912 <婦人部ニュース>No.33 P
 19700710  『被爆婦人の集い』  <第2集>   25年を生き抜いて  PHU
19710619  『被爆婦人の集い』 第3集  PHU
 19720718  『被爆婦人の集い』第4集 PHU
19730705  『被爆婦人の集い』 第5集 5周年記念号  HU
19740526  平和への澪標 被爆者運動十年の歩み  HU
発行:大阪市原爆被害者の会十周年記念大会実行委員会
19750717  『被爆婦人の集い』 第6集   HU
被爆30周年・ニュース100号記念
1976 世界の夫人と手をつなぎ 核兵器のない平和を創るために(大阪市原爆被害者の会婦人部編) U
 19760801  友情の人文字MINE-被爆二世の死を越えて―第2版―  (大阪市原爆被害者の会婦人部編)  H
19770510  平和への遺産 被爆者相談活動8年間の事例をまとめて  HU
 大阪市原爆被害者の会・原爆被害者相談室編
19771126  被爆婦人の集い 十周年記念誌   HU
   大阪市原爆被害者の会婦人部編・刊
 19790429 平和への澪標 続-十五周年記念  H
19791227 平和への遺産シリーズNo.2 五〇〇米に生きる 核兵器のない真の平和のために 三浦一江(著) H
 19800425  平和への遺産シリーズNo.1 遺産づくり運動 ヒロシマ・ナガサキを語り継ぐために 大阪市原爆被害者の会 HU
19801017 世界の婦人の力で核兵器のない真の平和を! 国際婦人の10年-1980年・世界会議 NGO<平和と軍縮>フォーラム・報告 大阪市原爆被害者の会婦人部 H
19801129 女の悲しみをのりこえて 平和への遺産シリーズNo.3  醜貌 HU
野中フミ子 (著)大阪市原爆被害者の会
19810301 平和への遺産シリーズNo.4  人間をかえせ わが家を返せ HU
滝宮俊三 (著)大阪市原爆被害者の会
19820215 HIBAKUSHA-ひとり北欧を翔ぶ H
高木静子(著)大阪市原爆被害者の会
19820308 世界の婦人の力で核兵器のない真の平和を! 国際婦人の10年-1980年・世界会議 NGO<平和と軍縮>フォーラム・報告 大阪市原爆被害者の会婦人部 H
19821027 被爆婦人の集い 15周年記念誌 大阪市原爆被害者の会婦人会 HU
19830308 1983年 ヒバクシャ文化の集い 大阪市原爆被害者の会 HU
19830416 平和への遺産シリーズNo.5  原爆被爆者相談 非核平和の国家補償をめざして 大阪市原爆被害者の会 HU
19830615 平和への遺産シリーズNo.6  直樹よ甦れ ヒロシマの母は慟哭する HU
三上五月 (著)大阪市原爆被害者の会
19840527 平和への遺産シリーズNo.7  非核への澪標 ヒロシマの兵士たちの証言 H
森田栄(著 )大阪市原爆被害者の会
19850727 平和への遺産シリーズNo.9 人間をかえせ 被爆40周年原爆死没者の記録 大阪市原爆被害者の会 U
19870718 原爆被爆者の人権回復-松井先生講演記録編 大阪市原爆被害者の会 HU
19881112 平和への遺産シリーズNo.11 母をかえせ私たちを返せ 被爆婦人の集い二十周年記念誌 大阪市原爆被害者の会婦人部 HU
19890729 ベルギー原爆国際法廷で私たちはこう証言した 大阪市原爆被害者の会婦人部 U
19900301 澪標をかかげて 非核平和に生きる 創立25周年記念 大阪市原爆被害者の会 U
19910519 被爆者 被爆45周年 大阪市原爆被害者の会 U
19910803 被爆46周年原爆犠牲者慰霊祭 大阪市原爆被害者の会 U
19920927 平和への遺産シリーズNo.14 私たちは歩みつづける 被爆婦人の集い25周年記念誌 大阪市原爆被害者の会婦人部 U
19950330 IBAKUSHA援護交流の集い 被爆50周年記念 H
大阪市原爆被害者の会婦人部
19960301 被爆50周年夏の記録 大阪市原爆被害者の会 H
19970310 ノーモアヒバクシャの集い 1996年 大阪市原爆被害者の会 H
19990806 ノーモアヒバクシャの集い 1998年 第3集 大阪市原爆被害者の会 H
20000401 ノーモアヒバクシャの集い 1999年 第4集 大阪市原爆被害者の会 H
20001118 平和への遺産シリーズNo.16 大阪市原爆被害者の会 U
20040211 被爆の記録 大阪市原爆被害者の会 H
20090806 平和への遺産シリーズNo.16 ヒロシマを超えて 非核平和に生きる H
髙木静子 (著 ) 大阪市原爆被害者の会

 

 

広島で死亡した米軍捕虜名簿

広島で死亡した米軍捕虜名簿
EVENING TRIBUNE(San Diego)紙の報道
1977.12.6
17 U.S. POWs included on A-bomb list
TOKYO(UPI)- At least 17 American prisoners of war were killed in atomic bombing of Hiroshima in the last days of World War Ⅱ, according to a newly discovered Japanese document.
The list of Americans who died in history’s first atmic bombing Aug. 5,1945,(Aug.6 in Japan) was found by a scholar in a batch of Foreign ministry records declassified last year.
The list was released yesterday,two days before the 35th anniversary of the Japanese attack on Pearl Harbor that brought the United States into the war.
Sixteen of the men were from the U.S. Navy and the Army Air Corps,the forerunner of the U.S. Air Force. A 17th man was identified only as a U.S.Navy lieutenant whose name was not known to his captors.
The men were crewmen of five different American planes shot down over western and southern Japan in the closing days of the war.
There have been several reports in recent years from survivors of the Hiroshima bombing that Americans and other Allied prisoners were killed when the 20-kiloton bomb called “Little Boy” exploded over the city. The U.S.Defense Department has always declined comment.
The list was found last summer by Satoru Ubuki,31,an employee of Hiroshima University’s Rsearch Institite for Nuclear Medicine and Biology.
The document says the remains of all 17 were turned over to U.S.military authorities in December 1945 after the United States began its seven-year occupation of Japan.
In each case the place of death is listed as “Hiroshima City”and the cause of death was “atomic bomb.”
All but three of the men are listed as having been killed the day the bomb fell.Another died Aug.8,and two more lingered until Aug.19.
Hiroshima officials have contended for several years that around 50 american,British and Dutch prisoners of war were killed in the atomic explosion.
A U.S.military survey shortly after the war fixed the Hiroshima death toll at 78,150. But in August of this year, the U.N.Non-Governmental Organization estimated the loss of life at 140,000.
The following names appear on the newly discovered list. In some cases,ranks,ages or serial numbers are unknown.
[名簿略]

白いチョゴリの被爆者

『白いチョゴリの被爆者』 (広島県朝鮮人被爆者協議会編、労働旬報社、1979年7月15日)
広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)は1975年8月2日発足.本書には広島で被爆した18名の朝鮮人被爆者の証言を収録.他に、朝被協による朝鮮人被爆者実態調査結果も発表.

目次

肉声を聞く(松本清張)
スニのための鎮魂歌(許南麒)
なぜこんな体になったか忘れんでほしい(李永淳)
1 強制連行で炭鉱夫に
いわれた次の日にはもう家族と別れ/膝をまげ首までまげて穴を掘りました
2 怪我人の列が一日中続いとった
3 原爆スラムにバラックをたてて
劫火のなかに息子の焼かれるのをみて-戦争は私の家族何人を奪おうというのでしょう(辛福守)
1 『皇国臣民』につくりあげられて
”おしっこ”がいえずにおもらしする子供たち/日本に淡い期待をいだいてきたが
2 燃える体に学生服のボタンが三つ並んでいました
屍の間でかろうじて息をして/死なんぞ-子供二人につづいて夫も
3 重なる惨劇-黒人兵に射殺された弟一家と兄の死と
4生命あるかぎり
 犬のように殺されてたまるか-連行・逃亡・拷問のはてに(鄭順南)
1 ”鮮人”は豚以下だそうです
畑にトラックでのりつけ連行することも/幾度かの逃亡失敗/豚に食わせる砂糖があってもおまえにはやらん
2 川もぎっしり死体で埋められてました
3 日本人のあなたに考えてほしい
 Ⅳ  地獄絵のなかの差別-貴様!!朝鮮人のくせにギャアギャアいうな!(呉鳳寿)
 1 土地をとられて小作させてもらい
2 どこでも一番危ない仕事は朝鮮人
3 こんな目に遭うても-忘れられないあの言葉
4 一冊の本になるほどの苦難の末に
食べ物で二人の子を失い/朝鮮を二度と植民地にしない子に育った
  Ⅴ 売春婦に売られて(金末順)
1 だまされて日本の遊かくへ
2 やっとつかんだ幸せを原爆に奪われて
日本人はわしらを人間と思うとらんかった(南貴浩)
1 生きているのが不思議なくらいいじめられた
2 生き残ったのは部落の一割
3 朝鮮人は朝鮮へかえれといいよる-さんざこきつかっておいて
 四六年間”楽しいこと”は一つもないです(鄭寿祚)
1 一○歳で子守に出されました
2 人間かお化けか
3 植民地なんかなかったら
一人が泣いて四人を助けるつもりで/故郷へ帰って両親の墓まいりするまで生きたい
一瞬の黒い熱い大波におおわれて(呉乙鶴)
 1 被爆-空中から卵型みたいなのがピカッ
2 産まれる子供が次つぎと
3 私が非常に訴えたいこと
4 朝鮮人は死んでも灰も届けられない
雨が降っても学校に傘もってくるな-朝鮮ブタ朝鮮ブタとさげすまれ(権重判)
1 炭鉱を脱走した一七歳年上の主人と結婚
2 人間がイワシのように並べられ-爆風で白いかたまりの被爆者も
3 苦しみの倍加-子供への民族差別
一家六人をかかえてヤミ米買い出し/学校でも就職でも
だれのためになんのために-どうしてもいっておきたい就職差別(文七権)
1 まるで強盗でした-ウュノムの仕うち
2 おまえは鮮人だから-日本での屈辱
3 追われて広島へ-被爆の苦痛
4 希望の子供らまで就職差別され-戦後も消えぬ苦しみと怒り
ⅩⅠ おまえらみたいな奴 三厘でいくらでも手に入るんだ-逃亡生活・徴兵拒否のはてに(朴在寿)
1 貧困と差別のなかで
2 逃亡生活
一年余の徴兵拒否の逃避行/徴兵検査-父連行の脅迫で
3 人間が木炭のように
4 日本人以下に扱われる理由はないのです
ⅩⅡ ”新日本人”と口先ではいいながら(黄義錫)
1 消えない思い出
2 戦争のために
朝鮮人は劣等人間だからつき合えばバカになる/ていよく日本政府の番犬につかわれて
3 どの人も裸同然でした
4 日本のためにのみ働かされてきたのに
ⅩⅢ 広島の街が大地に叩きつけられたように(柳昌洙)
1 太陽が黒くみえた
2 心のやすらぎがほしいんよね
3 子孫が二の舞をふんでは死にきれん
ⅩⅣ 歴史の底で死んだ母(鄭文玉)
1 どの家庭も食べ物をあさる生活
卑屈な運命をたどる旅立ち/夢を破られた父との再会
2 日本が手を上げるならもっと早ければ
3 せめて人権だけでも-新憲法下でも変わらない仕うち
4 いまも暗い歴史を背負い
ⅩⅤ 子供らに希望を語りつづけて-朝鮮人被爆教師として(朱碩)
1 故郷も生活を荒らしまくられて
2 死の行列はあとからあとからつづき
3 反戦・平和・民族教育の灯を守るために
4 父母たちはなぜ被爆したか、なぜ原爆は落とされたのかを教えて
ⅩⅥ 土地・言葉・故郷・八人の肉親を奪われて
1 全財産を奪われて
2 血のようなくやし涙-妻も兄も八人の肉親を失い
けん命に生きる人間のすべてを奪った原爆/なぜ最も善良なものが最も過酷な運命を
3 放置された被爆者のために
ⅩⅦ 顔をみて”つける薬はない”と無視しました-事実を互いの民族がみつめあってこそ(閔基鎬)
1 一日も胸をはって生きられなかった少年の日日
2 原爆と空襲のなかで
気づかずに積みあげた死体の脇に寝て/むごい体験
3 日朝のほんとうの交流をつくるために
ⅩⅧ この世に生まれた価値を失わないために
ⅩⅨ 被爆朝鮮人問題と「朝被協」(李実根)
1 被爆朝鮮人の由来
一 在日朝鮮人の形成
二 軍都ヒロシマ-朝鮮人ヒバクシャ
2「朝被協」の結成と活動
一 その結成と足跡
二 在広朝鮮人被爆者の実態調査
あとがき
表紙絵・文中カット四国五郎

 

平和キャラバン

平和キャラバン 1971年、山口大学ユネスコクラブ(被爆者福祉会館『ゆだ苑』内)が第1回を実施。

出典:『第十回平和キャラバン総括集』(山口大学ユネスコクラブ、1981年?)目次

第1部 第10回平和キャラバン総括―歴史を再検討しつつ―
1. 趣意書
2. 第10回平和キャラバンの足どり
3. 各企画紹介
(1)被爆者懇談会
(2)自治体交渉
(3)6・9行動
(4)行進
(5)施設訪門
4. 平和キャラバン、第10回迄の歩みと今後の発展方向
5. 各企画総括
(1)自治体交渉被
(2)爆者懇談会
(3)施設訪門
第2部 基本懇答申をのりこえて~状況とユネスコクラブの運動の方向~
第1章 基本懇答申の経緯と内容
第2章 被爆者援護法の根本精神と答申批判
第3章 基本懇答申に反映される社会情勢
第4章 地域の申に援護法精神を~ユネスコクラブの今後に向けて~
※哀悼の意を表します
※第10回平和キャラバン会計報告
※協力団体
※県内被爆者を支える『ゆだ苑』にご協力を

 

社会福祉ひろしま(号外)

『社会福祉ひろしま(号外)』(広島県社会福祉協議会)19671208

目次

原爆被爆者と社会福祉
小川政亮 被爆者援護法と社会保障
平岡敬 被爆者の生活と感情
志水清 原爆被爆者の医療制度の現状と問題点
永田守男 随想 科学者と原爆
向井佐歳 〈福祉の言葉〉
宮本 編集後記
編集後記=「…▼新聞「社会福祉ひろしま」の号外として、本会初めての雑誌の発行を試みた。現代福祉国家論の虚構を弾劾してゆく基点に思想としての「ヒロシマ」を擁立したいと思う。被爆地広島における貧困と植民地的繁栄の断絶、被爆者の生活保障の筋道は、われわれに社会事業対象へアプローチする上での新しい視覚を要求しているのではないだろうか?…」

紹介:ヒロシマの小さな流れ

8月6日、広島に集中する平和運動の流れは、大会決議の発表で頂点に達し、以降、引き潮のように霧散します。「ヒロシマ」と「広島」の格差を象徴しているようです。しかし、それを埋める小さなながれもあります。次に紹介するグループは、その流れです。(いづれも広島市内=順不同)
グループ名 連絡責任者 連絡場所
原水爆禁止広島母の会 前田富子 八丁堀***
憩いの家 田辺耕一郎 宇品
広島折鶴の会 河本一郎 的場
八・六友の会 吉川清 江波
談和会 今堀誠二 千田町広島大学教養部内
平和と学問を守る大学人の会 佐久間澄 同上理学部内
被災白書を進める市民の会 永田守男 胡町中国新聞社文化部内
きのこ会 長岡千鶴乃 宝町婦人会館内
広島原爆資料保存会 横田工 中島町平和記念資料館内
広島キリスト者平和の会 橋本栄一 八丁堀広島YMCA内
宗教者平和協議会 相原和光 同上
ヒロシマ研究の会 小林省三 同上
広島研究の会 大牟田
「平和の灯」奉賛会 藤田定一 金屋町労働会館内
ワールド・フレンドシップ・センター 原田東岷 南観音
山下会 近藤幸子 己斐上
胎内被爆者、被爆二世を守る会 上幟町1-3・平和センター
原爆被害友の会 升川貴志栄 山根
平和のために対話を!市民の会 庄野直美 牛田町広島女学院大学内

 

被爆二世 その語られなかった日々と明日

『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社、1972年7月15日)

目次

 そうてい・カット 四国五郎
今中次麿
この子らのあすに何があるか/ひき継がれる“核の爪跡”
あすにむかって-被爆二世とその周辺
1 “帰らぬ鶴”を越えて<瀬戸真美さんの場合>
被爆二世であることの自覚/四つのときからの会員/玄海灘を越えて/多くの人に知らっもらいたい/真美さんの夢
2 歩みはじめた二十歳<川口裕子さんの場合>
私は平凡な女の子/主体的な歩み/活動家一年生/若ものたちとともに/大地に種をまく勇気を
3 看護婦をえらんだ姉<向井秀子さんの場合>
陸上競技の選手/お母さんの被爆/弟の発病/弟の死/看護婦の道をえらんで
4 十三日目の二次被爆が…<栗栖みどりさんの場合>
午前六時までもちこたえれば/いっしょに仕事をしたい・遊びたい/あの人に悪いけど、死にたい/原爆投下後十三日目の放射能が……/母の思い
5 もう少し遅く生まれていれば<山下恵子さんの場合>
クラスの中心人物/たった一つの弱音/壁と壁を破るもの
6 母親の心の軌跡<名越史樹君と操さんの場合>
原爆の生き証人/ランドセルも背負えないで/フミキ、シッカリ、カンドケ/『ぼく生きたかった』の出版/マスコミにとりあげられる苦痛/ベトナムの子らと
7 四十五万円の希望<沖縄の被爆者>
復帰にともなう生活危機/米軍を恐れながら/絶望を深める検診/沖縄の被爆二世/この距離をどう埋めるか
 原水禁運動と被爆二世
1  黙殺しつづけた行政
『ヒロシマの証言』の所信/行政姿勢の反映?
2 「守る会」生まれる
守る会の目的と方針/被爆者差別は核武装への奉仕/日本中の子どもの問題/目的は一致しながら/『広島はたたかう』
3 被爆二世の健康調査
五人に一人が異常あり/救援に役立つ調査を
4  一貫する行政の姿勢
広島県・市へ申し入れ/調査に踏みきらぬ行政当局/母の怒り、市民の怒り/守る会から対策会ヘ
5 母親たち 110
山下会の歩み/被爆二世と結婚/屈折した経験/手記づくり運動\ヒロシマの母とベトナムの母
6 要求で起ち上がった労働者
国労被爆協の取組/全電通の調査活動/被爆教師の会/新しい共同の動きⅢ 医学と被爆者
医学と被爆者
1  原爆と医学 杉原芳夫
医学の根底-政治/障害の隠蔽-ABCC/原爆症とは何か-科学的認識論/胎内被爆-非人道的調査/遣伝的障害-突然変異/被爆二世-白血病/差別の根源-核戦争政策
2  核戦略体制下のABCC
二十五年ぶり来広の真意は/原爆投下直後の救護体制/日本側救護を禁圧したプレス・コード/調査研究資料を押収したアメリカ調査団/日本料学者の努力とそれへの圧迫/ABCCの調査活動/被害者より加害者がはばをきかす/ABCCの真の目的/核戦争対策/ABCCは米政府機関/米本国へ送られた被爆者の臓器/アメリカの防衛と安全のための「契約」/無条件完全返還を
3  ABCCに癒着する広大原医研
三つの研究機関/遺体についての協定/ABCCへの死亡連絡/原医研のなりたち/原爆医学標本センター/原医研と被爆二世/ABCCとの関係/被爆者の背番号/下請け機関であることをやめよ
 国、地方自治体と被爆二世
1  “特別援護はしない”―厚生省-
「学術の進歩に合わせて考慮する」/その行政上の矛盾/急務にこたえよ
2 “医科学的証明がない”―広島県・市-
被爆地の自治体でありながら…/県も市と同歩調/後退する陳情書
3  先進的にとりくむ京都府など
京都の被爆者/被爆二世対策の実施/北海道でも/川崎市でも
4  長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊
被爆二世の死/国への要望/対策にのりだした長崎市/ある被爆活動家の意見/沈黙は差別を助長する/長崎「青年と被爆二世の会」の発足/鎮魂のうたとして/“死を待つ行政”をのりこえて
 朝鮮人被爆者・被爆二世
1 差別の中を生きぬく
朴竜時さん一家の場合-一家の苦難/差別にくじけずに 金秀鉉さん一家の場合-生きかえってからの苦しみ/被爆者の子どもの人生/骨身にしみる憤り/快活な二世たち
2  二十七年間の空白
差別と貧困ヘの告発/広島の朝鮮人被爆者/はかどらぬ朝鮮人被爆者の救援/北朝鮮の被爆者たち/日本の責任
むすびにかえて
あとがき <本書は、日本ジャーナリスト会議広島支部(昭和42年結成)の学習会のなかから生まれた

シンポジウム:原爆被害と援護問題

シンポジウム:原爆被害と援護問題

日時:1983年8月7日
場所:広島市社会福祉センター
主催:「原爆被害と援護問題」シンポジウム世話人会BK840430

田村和之 開会のあいさつ
 小川政亮 被爆者援護の法理
 湯崎稔 原爆被害者援護問題への課題 ー「基本懇」答申の問題をめぐって一
 河合幸尾 被爆者援護と社会保障
若林節美 被爆者行政の現状と限界

 

年表:世界のヒバクシャ(1998年)

 

Y M D NEWS1
98 01 04? 長崎大学医学部、海外の被曝者への遠隔医療支援を目的にした「国際ヒバクシャ医療情報ネットワークシステム」構築に向けた取り組みを計画。
98 01 05? 米国が最近公表した公文書に、1954年に太平洋ビキニ環礁で実施した実験が人体実験であったことを示唆する文書が含まれていることが判明。さらに、広島・長崎のデータと比較していたことも判明。
98 01 06 ロシア紙ラボーチャヤ・トリブーナ、ソ連時代に空軍パイロットとその家族約7000人が、カザフスタン・セミパラチンスク核実験場付近に集団移住させられ、白血病などによる死者が続出していると報道。
98 01 06? 「平和博物館を創る会」・日本被団協、写真集「核の20世紀-訴える世界のヒバクシャ」を出版。
98 01 07 広島県原水協・県被団協、米国が1954年の水爆実験の際、島民と広島・長崎の被爆者のデータを比較研究していた問題で、クリントン米大統領宛に抗議文を送付。
98 01 18 「チェルボナ・カリーナの会」、「つどい」を広島国際会議場で開催。ベラルーシの医師ラジュク・ドミトリーが現地の実態を報告、広島市内の共同作業所「元気工房」のメンバーが新曲「種たちと踊って」を披露。約100人が参加。
98 01 23? 第五福竜丸のエンジンが3月に東京都に寄贈され、都立第五福竜丸展示館に永久保存されることが決まる。
98 01 24 広島市鈴が峰公民館が昨年夏派遣した親善訪問団のメンバーら、「広島カザフスタン友好会」を結成。
98 01 24 「ジュノーの会」・「原爆被害者相談員の会」、「広島からチェルノブイリへ-ヒバクシャ交流報告会」を広島YMCAで開催。
98 02 06 ウクライナの医師3人、チェルノブイリ原発事故被災者救援の医学研修のため、長崎原爆病院を訪問。
98 02 08? 長崎県佐世保東商業高校生徒会、「チェルノブイリ支援キャンペーン」で集まった約30万円をチェルノブイリ支援運動九州に送金。
98 02 09 南米やアジア14か国の保健福祉担当者の研修団一行14人、広島市を訪問。4日間、放射線影響研究所などで研修の予定。
98 02 09? フランスの有力週刊誌「ヌーベル・オプセルバトゥール」最新号、1966-67年のムルロアでの核実験で島民ら1200人が被曝していたという記事を掲載。
98 02 13 東京都、第5福竜丸のエンジンを引き取り、夢の島の都立第五福竜丸展示館の来月中旬から展示することを決める。20日、和歌山市で出発式。
98 03 01 日本宗教者平和協議会、故久保山愛吉の墓前祭を焼津市・弘徳院で挙行。
98 03 01 広島県原水協禁、「タヒチは今、ロラン・オルダムさんの話を聞く会-3・1ビキニデー広島の集い」を広島市内で開催。約20人が参加。
98 03 02 第2回永井隆平和記念・長崎賞を授賞するカザフスタン共和国医学アカデミー名誉所長サイム・バルフハノフ、長崎市役所を表敬訪問。
98 03 02 マラト・ウラザリン・マイトハノヴィチ・セミパラチンスク医科大学副学長、広島市井口台中学校で生徒約450人を前に核実験被害などについて講演。
98 03 03 長崎・ヒバクシャ医療国際協力会、永井隆平和記念・長崎賞の第2回授賞式を長崎市内で開催。カザフスタン共和国医学アカデミー名誉所長サイム・バルフハノフが受賞。
98 03 03 広島市国際交流協会・鈴が峰公民館など、講演会「被ばく地セミパラチンスクの現状」を広島国際会議場で開催。マラト・ウラザリン・セミパラチンスク医科大学副学長が講演。
98 03 03 第5福竜丸のエンジン、神奈川県三浦市に里帰りし、旧三崎魚市場で展示が始まる。-18日。
98 03 04 長崎大学医学部、カザフスタン共和国のセミパラチンスク医科大学と「国際ヒバクシャ学術情報交換システム」構築のための覚書を交わす。
98 03 04? 従軍米兵の支援組織「湾岸戦争財源センター」など3団体、劣化ウラン弾に汚染された米兵の被害を「40万人にも達する」との報告書を公表。
98 03 07 第五福竜丸展示館、映画「第五福竜丸」の上映会を開催。新藤兼人監督も参加。
98 03 13 放影研、1954年3月の米によるビキニ核実験の人体研究問題についてABCCが関与した証拠は見つからなかったとの調査報告結果を広島県被団協(金子一志理事長)に伝える。
98 03 17 広島大学原医研でチェルノブイリ原発事故被災者の治療について研修中のウクライナとキエフの医師3人、広島市を訪問し研修経過を報告。
98 03 19 第五福竜丸のエンジンの贈呈式、東京都庁で挙行。同船は、1954年の米国ビキニ水爆実験で被爆したもので、エンジンは、今秋から江東区・夢の島の都立第五福竜丸展示館で展示の予定。
98 03 29? 米エネルギー省が2月に発表した報告書で、ハンフォード核施設で放射性廃棄物が地下水を汚染し、地域住民への影響が懸念されていることが判明。
98 03 30 ニュージーランド政府、40年前のイギリスの核実験に参加した兵士に、その任務に起因する障害への全面的な戦争年金受給を行うよう法改正をおこなったことを発表。(「原水協通信」5月号)
98 04 07 新潟県原爆被害者の会など、チェルノブイリ原発事故被災者への医療救援を訴える公演に合わせ、「原爆と人間展」を長岡市で開催。-8日。
98 04 09? キルヒナー・ドイツ・ブレーメン大学教授の調査で、英国核燃料会社(セラフィールド所在)周辺のハトが放射能に汚染されていることが確認される。
98 04 11? 米エネルギー省、ワシントン州リッチランドにあるハンフォード核施設の風下住民1万4000人を対象とした医療検査を今年に開始することを決定。
98 04 12 「チェルボナ・カリーナの会」、民族舞踊団「チェルボナ・カリーナ」を招き、広島市内でコンサートを開催。同団は、チェルノブイリ原発事故で避難したウクライナの子どもたちで組織。
98 04 13 ウクライナの民族音楽団「チェルボナ・カリーナ」のメンバー14人、広島市の原爆資料館を見学。
98 04 15 NHK教育テレビ、「ETV特集:湾岸戦争症候群」を放映。劣化ウラン弾に絞って原因をさぐる。
98 04 18 日本原水協など、核実験被害調査団を米ネバダ州などに派遣。広島からABCCで看護婦をしていた南京子が参加。-30日。
98 04 18 広島市内の映画館シネツイン、チェルノブイリ原発事故で汚染した村を描いた映画「ナージャの村」を上映。-24日。
98 04 19 原水爆禁止世界大会実行委員会が派遣したネバダ核実験被害地調査団、米ラスベガスで草の根の平和運動家らと交流。
98 04 21 本橋成一の写真展「ナージャの村」(チェルノブイリ原発事故で汚染した村)、三越広島店で開催。
98 04 22 放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)、理事会を広島市内で開催。本年度事業(予算5100万円)を承認。
98 04 22 セルジュク・ウクライナ保健相、チェルノブイリ原発事故により現在までの12年間に、事故処理関係者約35万人のうち1万2519人が死亡したことを明らかにする。
98 04 26 クチマ・ウクライナ大統領、タス通信のインタビューの中で、チェルノブイリ原発閉鎖の方針を確認した上で、閉鎖時期は国際社会の支援次第と語る。
98 04 26 「チェルボナ・カリーナの会」と障害者作業所「元気工房」のメンバー約30人、広島市の原爆ドーム前でチェルノブイリ原発事故12周年にあたり、犠牲者を追悼する集いを開く。
98 04 26 長崎・ヒバクシャ医療国際協力会、レオニード・イリーン著「チェルノブイリ虚偽と真実」の日本語版を発行。
98 04 26 広島県の尾道・三原・福山の市民らでつくる「脱びんごネット尾道」、「わたしたちはチェルノブイリを忘れない」の集いを尾道市内で開催。
98 04 27 米ワシントン大学の学生サークル「ヒロシマ・ナガサキ平和協会」、中山高光(長崎被爆者)とネルソン・アンジャイン(米国の水爆実験被曝者)を招き、学内でフォーラムを開催。約50人が参加。
98 04 28 ノルウェー紙ダーグブラデット、1950-60年代に、ノルウェーと米国の研究者が、知的障害者などを対象に放射線の人体実験を秘密裏に実施していたと報道。
98 04 28 日本原水協などが派遣した核実験被害調査団、調査を終え、米国ワシントンで調査の概要を発表。ネバダ核実験場風下地区住民など合計37人から聞き取りを実施。
98 04 29? 広島青年会議所(JC)、「身近な国際協力・カザフの子ども達救援」キャンペーンを開始。一昨年・昨年に続き3回目で、市民に書き損じたはがき、未使用のテレホンカードの提供を呼びかける。
98 05 01 デメロ国連緊急援助調整官とロシア・ウクライナ・ベラルーシの各国国連大使、国連本部で記者会見し、チェルノブイリ原発事故の被害者に対する支援を訴える。
98 05 02 チェルノブイリ原発事故の放射能汚染問題を調査しているフランスの民間調査機関「放射能調査情報センター」、アルプス山脈で高レベルの放射能を検出したとする報告書を発表。
98 05 03 広島青年会議所(JC)、「フラワーフェスティバル」会場で、カザフスタンの核被害を伝えるパネル展を開催。-5日。
98 05 03? 原子力資料情報室(高木仁三郎代表)、チェルノブイリ原発事故の処理処理者の多くが健康状態の悪化に苦しんでいる実態を示す資料を入手。
98 05 07 南京子、日本原水協などの米国核実験被害調査団の任務を終え、広島市役所で報告の記者会見。
98 05 10 日本原水協など、カザフスタンに核実験被害者調査団18人を派遣。-22日。広島県被団協の村田忠彦常任理事ら被爆者2人、長崎県原水協から三輪博志らが参加。
98 05 12 ミシュラ・インド首相秘書官、3つの核実験のうち、水爆装置の威力が他に比べ大きなものであったと語る。
98 05 13 インドのUNI通信、実験場から約8キロ離れた村の住民の核実験目撃証言を報道。「砂塵ますで濃い霧のよう」。
98 05 17 インドの英字紙ステーツマン、インド・ラジャスタン州ポカラン核実験場付近の村の住民10人以上が、鼻血や吐き気、皮膚炎、下痢などの症状を訴えていると報道。
98 05 19 中国新聞「ズーム:核実験・核施設重いツケ(米)-「風下住民」進まぬ救済」
98 05 25 読売新聞(広島版)「インタビュー・この人に聞く:甲斐等「ジュノーの会」代表」
98 05 30 朝日新聞「テーブル・トーク:写真家・本橋成一さん-「ナージャの村」でいのちの原点見た」
98 06 05 橋本和正広島市職労書記次長、カザフスタン核実験場などの調査の際出会った写真家ユーリ・クイジンの写真集「カザフスタン核惨事」を平岡広島市長に届ける。
98 06 06 日本原水協などが派遣したネバダとカザフスタン核実験被害者の調査団の報告会が広島市内で開催される。
98 06 07 今村展隆広島大学原医研講師、大量の放射線を浴びたチェルノブイリ原発の事故処理従事者の白血病発症率が高率であるという調査結果を原子爆弾後障害研究会で発表。
98 06 11? 米エネルギー省、1962-63年にかけて実施した核実験の映像記録の機密扱いを解き公開。
98 06 14 外務省、1950年代後半から1964年までの外交文書を公開(第14回)。1956・57年の米英の太平洋での核実験に対する賠償請求や57年の岸・ネール会談での核実験に関するやりとりの資料を含む。
98 06 15? 長崎市在住の被爆者・三輪博志、原水協が派遣したカザフスタン共和国の核実験被害調査を終え、現地の状況を報告。
98 06 18 読売新聞「豪先住民に核の「傷跡」-1950年代に英の実験で被爆主張」
98 06 18 広島の被爆者武田靖彦、広島県原水禁の「インド・パキスタン緊急調査団」の一員として、インド・ラジャスタン州ポカラン実験場の南約10キロのケトライ村で被爆体験を証言。約300人の村民が参加。
98 06 20 朝日新聞「被爆者印パを行く:核実験場の隣の村[インド・ラジャスタン州ケトライ村]-高さ1キロの「砂の壁」見た-壁に亀裂、鼻血、皮膚炎・・・」
98 06 22 中国新聞「ルポ:インド核実験場隣接の村-核実験ツメ跡深く(山根徹三)」
98 07 11? 旧チェルノブイリ原爆付近で軍事技術研修中に被曝したモンゴル人バヤラー、ジュノーの会の招きで来日し、広島大学原医研で入院検査。
98 07 13 ビシネフスキー・ロシア連邦核放射能安全監督局議長、南ウラルの企業「マヤーク」が投棄した放射性廃棄物が地球規模の汚染につながる恐れがあると警告。
98 07 14 ルカシェンコ・ベラルーシ大統領、欧州諸国が同国民のビザ発給に差別的な措置を取っているとし、対抗措置としてチェルノブイリ被災児童への援助の拒否を検討していると語る。
98 07 17 「広島カザフスタン友好の会」、「カザフスタン大学生と核を語る交流会」を広島国際会議場で開催。20人が参加。高木昌彦元大阪大学医学部講師夫妻らも参加。
98 07 17 広島市西区鈴が峰地区の住民らでつくる「広島カザフスタン友好の会」、「ヒロ・セミプロジェクト」を発足させる。来年8月に向け、「カザフ原爆展」の開催を計画。
98 07 18 「広島カザフスタン友好の会」の招きで広島市を訪れているカザフスタンの大学生、鈴が峰公民館で中・高校生と交流。約40人が参加。
98 07 20 東京ピースサイクルのメンバー、広島・長崎に向け「夢の島第五福竜丸」前を出発。
98 07 24 ドイツ・ビュルツブルグ大学で「シーボルト賞」の授与式。受賞者の長瀧重信長崎大学名誉教授、「広島・長崎とチェルノブイリからの教訓」と題して講演。
98 07 29 ウクライナ非常事態省、チェルノブイリ原発事故の影響で、現在もなお、ウラル以西のヨーロッパ総面積の4分の3がセシウム137に汚染されているとの調査報告を発表。
98 07 30 フランス国防省、地下核実験を実施してきたフランス領ポリネシアにおける放射能による健康被害調査の報告書を公表。
98 08 02 毎日新聞「インド核実験・現地ルポ」
98 08 02 カナダ北西部・グレートベア湖北方のウラン採掘原爆跡周辺の先住民デネー人一行7人、「第9条の会ヒロシマ」の受け入れで、広島入り。3日、原爆資料館を見学。4日、被爆者から体験を聞く。8日間。
98 08 02? 今村展昭広島大学原医研講師の調査で、チェルノブイリ事故処理従事者の白血病発症率が非被爆者の40倍以上であることが判明。
98 08 03 原水爆禁止1998年世界大会・国際会議(第2日)。リトアニアの医師や米国のウラン採掘労働者が放射能被害の実相を報告。
98 08 04 放射線被曝者医療の研修のため来崎したカザフスタンのユリー・プログロ医師ら旧ソ連の医師団6人、長崎県庁を表敬訪問。
98 08 05 ボワネ・フランス環境相、国防省が7月30日に公表したフランス領ポリネシアにおける放射能による健康被害調査の報告書を、調査不十分と発言。
98 08 07? セミパラチンスク放射線医学研究所のボリス・グシェフ、核実験による被曝者はこの36年間に120万人に達し、死亡者は16万人と語る。
98 08 08 長崎大学医学部と長崎ヒバクシャ医療国際協力会、「原研公開セミナー」を大学内で開催。約60人が参加。チェルノブイリ原発事故被害やカザフスタンの核実験被害について講演。
98 08 08 読売新聞2面特集「20世紀・どんな時代だったのか:ヒバク-世界に広がる恐怖」
98 08 12 崔日出韓国原爆被害者協会会長と豊永恵三郎韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長、広島県庁の放射線被曝者医療国際協力推進協議会事務局に韓国人医師の研修受け入れを要請。
98 08 15 毎日新聞「ウイークエンド・インタビュー:草の根レベルの連帯こそが世界を変える-NGO「アジアボランティアセンター」代表平田哲さん-温暖化と核・二重苦のマーシャル諸島」
98 08 15? 金沢の市民団体、手記集「チェルノブイリは続く・・・」を出版。
98 08 18? ビキニで被曝したマグロ漁船「第五福竜丸」のエンジンの修理や補強に5000万円以上かかるとの見通しが東京都の調査で判明。
98 09 01 外務省、市民団体「チェルノブイリ支援・広島医療協議会」に政府開発援助(ODA)予算のNGO(非政府組織)事業補助金約500万円を支給する方針を決定。
98 09 06 公明新聞(日曜版)「チェルノブイリ原発事故から12年余-悲劇のツメ跡今なお深く-広河隆一氏に聞く」
98 09 18 「第2回国際環境・放射線・健康学会」、カザフスタンのセミパラチンスク医科大学で開催。-18日。鎌田七男広島大学原医研所長、高木静子大阪市原爆被害者の会事務局長などが参加。
98 09 26 米反核団体「シュンダハイ・ネットワーク」・「アトミック・ベテランズ(原爆復員兵士連盟)」などのメンバー約30人、臨界前核実験に対する抗議行動をネバダ核実験場前で実施。
98 09 28 岡山県阿哲郡哲多町のボランティア団体「チェルノの子供たちを救う会・哲多」、ベラルーシ共和国の児童2人を受け入れる。10月29日まで会員宅に滞在。今回が3回目の受け入れ。
98 09 29 米紙テネシアン、全米11州にある計13カ所の核兵器工場と研究施設の労働者や周辺住民の間で、免疫系統の異常や神経障害などの健康被害が広がっていると報道。
98 09 30 日本癌学会、横浜市で開催。-日。山本晋史大阪市立大学医学部助手ら、チェルノブイリ原発事故汚染地域の住民に膀胱癌が急増しているとの調査結果を発表。
98 10 05? ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(下崎末満世話人代表)、セミパラ国際会議・現地報告会を広島大学医学部で開催。
98 10 08? 池田高良長崎大学前医学部長・山下俊一教授・井石哲哉県医師会長の3人、カザフスタン共和国・セミパラチンスク医科大学から名誉博士号を受ける。
98 10 12 広島大学原医研、国際シンポジウム「高エネルギー放射線による生物影響」を広島国際会議場で開催。-14日。田中公夫同研究所助手、広島原爆で発生した低エネルギー中性子線の影響について報告。
98 10 13 カザフスタン・セミパラチンスク市長、来年8月に広島・長崎の原爆展を計画し、両市に協力を要請。
98 10 18 毎日新聞(広島版)「セミパラチンスク核被害者の現状-支援に携わる山田さんに聞く」
98 11 14 日本救急医療学会、チェルノブイリ原発事故などの経験をもとに、放射線災害に対する国内の被ばく医療の問題点を話し合うパネルディスカッションを高松市で開催。
98 11 14 ジュノーの会と原爆被害者相談員の会、ウクライナのチェルノブイリ原発事故被害者を訪れた旅の報告会を広島YMCAで開催。約30人が参加。
98 11 24 武見敬三外務政務次官、日本政府が来年4月か5月にカザフスタン共和国・セミパラチンスク旧核実験場周辺の被曝者を救済する技術・医療協力を推進するための国際セミナーを日本で開催する方針を、国連軍縮長崎会議の挨拶の中で明らかにする。
98 11 29 「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」、「セミパラチンスク現地調査報告会」を広島国際センターで開催。約150人が参加。
98 11 29? 米・ブルッキングズ研究所の調査で1940年代から70年代始めまで、米当局が核開発の一環として、計2万3000人以上の米国人に対して放射能人体実験を実施していたことが判明。
98 12 04 毎日新聞「ひと:小池健一-チェルノブイリ原発事故禍の白血病児に衛星を使った「遠隔治療」を試みる信州大医学部助教授」
98 12 30 米のシンクタンク・ブルッキングズ研究所の調査で、1945~63年の米の大気圏核実験により最高80万人ががんを発病して死亡したか、今後死亡する可能性があることが判明。