福島のヒバクシャ<作業中>
関連資料
県内被爆者数 | 53人(2021年3月末現在) | |
被爆者対策 | ||
被爆者団体 | 福島県原爆被害者協議会 1958年4月13日 | |
1985年6月16日再建総会 | ||
出典:『日本被団協50年史』 | ||
地域新聞 | 8月6日社説 | |
福島民報 | ||
福島民友新聞 | ||
被爆証言関係団体 | 福島県原爆被害者協議会(19871208、19881108、19950915) 原水爆を考える[福島県]原町市民の会(19830716) |
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止
石川県のヒバクシャ<作業中>
関連資料
県内被爆者数 | 64人(2021年3月末現在) | |
被爆者対策 | ||
被爆者団体 | 石川県原爆被災者の友の会 | |
8月6日社説 | ||
北國新聞 | ||
被爆証言関係団体 | 石川県原爆被災者の友の会(681333、691333、860325、950730) | |
止
長野県のヒバクシャ<作業中>
関連資料
県内被爆者数 | 90人(2021年3月末現在) | |
被爆者対策 | ||
被爆者団体 | 長野県原水爆被災者の会(長友会) | |
信濃毎日新聞 | 8月6日社説 | |
19850806 | 被爆40年核廃絶へたゆみなく | |
19860801 | 遺憾な原水禁運動の再分裂 | |
19860806 | 米ソは核軍縮の重責を果たせ | |
19880805 | 核軍縮を前進させるために | |
19890815 | 戦争責任の自覚を不戦の志へ | |
19900805 | 広い国際視野を反核の心に | |
19910806 | 核兵器の拡散を許すまい | |
19920806 | 「核のない世界」はまだ遠い | |
19950805 | 東南アジアの非核化めざせ | |
19950806 | 原爆の歴史を共有しようー確かな平和へ歩む | |
19960806 | 「原発ノー」が突きつける意味 | |
被爆証言関係団体 | 長野県原水爆被災者の会(長友会)(19650720、19710205、19760730、19810805、19960205) 原水爆禁止長野県協議会(長野県原水協)(19760715) 長野県高森町教育委員会(19951025、19971215、19991106、20011208、20021010、20031010、20041010、20051020) |
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止
山梨のヒバクシャ<作業中>
関連資料
県内被爆者数 | 57人(2021年3月末現在) | |
被爆者対策 | ||
被爆者団体 | 山梨県原水爆被害者の会(甲友会) | |
山梨日日新聞 | 8月6日社説 | |
被爆証言関係団体 | 山梨県原水爆被害者の会(甲友会)(700533、740722、850721、950633) 甲府市地域振興課(941201) |
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止
年表:群馬のヒバクシャ<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1955 | ||
1109 | 群馬県内在住被爆者検診を群馬大学附属病院で実施。県内より35名受診(「炎の詩」851130) | |
1206 | 原水爆禁止日本協議会被爆者救援委員会、広島・長崎を除く各地の被災者(約8万人)を対象に被災者の無料健康診断を開始。資金には、中国からの寄付金を充当。群馬・長野・神奈川がモデル・ケース。6・7両日、群馬大学附属病院で。 | |
1217 | 群馬県内被爆者組織結成式を前橋市北曲輪町公民館で開催。17名参加。第1回総会とする。(「炎の詩」851130) | |
1956 | ||
0415 | 東京の原爆被災者の会(事務局長松尾明人)、東京で、原爆被災者の集いを開催(東京・群馬・神奈川などから約100人参加)。都築博士による講演。被災者対策の充実・促進などを申し合わせ。 | |
0503 | 群馬県原爆被災者の会、前橋市教育会館で発会式を開催。会員37名のうち27名出席。(前年12月17日の会合を第1回とし、第2回総会とする)。(「炎の詩」851130) | |
1957 | ||
0721 | 群馬県原爆被災者の会、第3回総会を前橋市教育会館で開催。会員数46名。(「炎の詩」851130) | |
0825 | 群馬県原爆被災者の会、第2回検診を県内7か所の病院で実施。(「炎の詩」851130) | |
1105? | 群馬大学工学部山県登助教授、広島市と群馬県内の児童の尿中のセシウムの比較研究を計画。 | |
1958 | ||
0402 | 群馬大工学部、広島市の被爆学童と群馬県の学童の尿を比較研究。日本化学学会で、残留放射能濃度に大差がなかったとの結果を発表。 | |
0713 | 群馬県原爆被災者の会、第4回総会を高崎市国立高崎病院講堂で開催。島田高崎病院内科部長の公園と健康相談。(「炎の詩」851130) | |
11 | 群馬県原爆被災者の会、第1回実態調査を実施。84名中64名が回答。(「炎の詩」851130) | |
1959 | ||
0402 | 日本化学学会、東京大学で開催。-5日。群馬大工学部分析化学教室、広島市と群馬県内の学童の尿検査の結果、残留放射能の濃度に大差がなかったと発表。 | |
0724 | 自民党群馬県連、26日開催予定の原水爆禁止群馬県大会をボイコットするとの声明書を各市町村に配布。 | |
0911 | 群馬県原爆被災者の会、第1回支部長会議を開催。(「炎の詩」851130) | |
0924 | 群馬県原爆被災者の会、第5回総会を伊勢崎市広瀬川温泉で開催。(「被団協連絡」№.16)(「炎の詩」851130) | |
1008 | 群馬県原爆被災者の会の代表5人、神田知事と懇談。対策を陳情。(「炎の詩」851130) | |
1009 | 中曽根代議士、群馬県原爆被災者の会高崎支部総会で挨拶。(「炎の詩」851130) | |
1960 | ||
0723 | 群馬県原爆被災者の会、第6回総会を伊香保温泉で開催。-24日。会員数101名。(「被団協連絡」№.29 | |
1961 | ||
0125 | 群馬県原爆被災者の会、「群被協ニュース第1号」発行。(「炎の詩」第2集) | |
1966 | ||
0820 | 群馬県原爆被災者の会、第10回総会。~21日。原水禁運動の統一をよびかけるアピールを発表。本会は、被爆者組織としての独自性と中立性を保つことを再確認する。(「炎の詩」第2集) | |
1967 | ||
0826 | 群馬県原爆被災者の会、第11回総会。~27日。県下を3地区に分け、援護法制定県内行脚を行う。(「炎の詩」第2集) | |
1968 | ||
0824 | 群馬県原爆被災者の会、第12回総会。~25日。県内7自治体(沼田市・渋川市・前橋市・中之条町・桐生市・高崎市・群馬県)の援護法促進決議を得て、援護法制定に全力を傾けることを決める。(「炎の詩」第2集) | |
1974 | ||
0930 | 中国新聞「原爆投下直前飛行場へ-あわや空中被爆-群馬の元大佐が体験記-広島の知人に送る」 | |
1979 | ||
0315? | 群馬県、県内在住被爆者を対象に、5月から人間ドックによる検診実施 | |
0801 | 群馬県原爆被災者の会、県と共同で県内被爆者実態調査を実施。(「炎の詩」第2集 | |
0825 | 群馬県原爆被災者の会、第22回総会。~26日。被爆35周年事業として「群馬県原爆犠牲者慰霊碑」の建立を決める。 | |
1980 | ||
0125 | 群馬県被団協など9団体、群馬県原水爆禁止市民懇談会を結成. | |
0406 | 群馬の原水懇、埼玉県の丸木美術館などを見学.30名参加. | |
0612 | 群馬市民懇、被爆35周年・広島・長崎原爆写真展を県内5郡市で開催(~7月21日).写真は広島平和文化センターより借用したもの. | |
0823 | 群馬県被団協(群友会)、第23回総会. | |
1981 | ||
0822 | 群馬県関係原爆犠牲者慰霊碑(前橋市・嶺公園)、除幕式。終了後,東村で宿泊総会。66人参加. | |
1010 | 日本被団協中央相談所、関東・甲信越ブロックの講習会を群馬県伊香保で開催(~11日).30名参加. | |
1982 | ||
0330 | 群馬県議会、「核兵器全廃と軍備縮小、原子力の平和利用についての意見書」を採択。「原子力」の併記は全国初。 | |
0501 | 群馬県被団協など、群馬県民会館で核兵器禁止国民法廷を開催. | |
1118 | 千葉県・佐原市原爆被害者の会、研修会を群馬県磯部温泉で開催 | |
1983 | ||
0820 | 群馬県被団協、慰霊祭を前橋市嶺公園で開催.夜,総会. | |
1984 | ||
0811 | 群馬県被団協、群馬県原爆犠牲者慰霊式を前橋市嶺公園の原爆碑前で開催. | |
0818 | ~19 群馬県原爆被災者の会第27回総会 | |
1985 | ||
0714 | 日青協の平和統一行動、群馬・愛知・兵庫など、全国20県以上で開催。反核集会・平和行進など実施。 | |
1986 | ||
0305 | 群馬県高崎市議会、非核都市宣言を可決. | |
1987 | ||
0828 | 「全国高校生平和集会」(8月8日、長崎市で開催)に参加しようとした群馬県内の高校生に、校長が圧力をかけ参加を取りやめさせたことが判明。 | |
1988 | ||
0806 | 群馬県被団協、慰霊祭を前橋市嶺公園・慰霊碑前で開催. | |
0827 | 新友会(新潟)・群友会(群馬)、合同総会を新潟県村上市の瀬波温泉で開催(~28日) | |
1989 | ||
0324 | 群馬県議会、非核宣言を議決。 | |
0327 | 群馬県前橋市議会、非核宣言を議決。 | |
0529 | 群馬県被団協(群友会)、県知事に補助金の大幅増額や「被爆者の森」建設の負担金補助などを要望。 | |
0806 | 群馬県被団協、追悼慰霊祭を前橋市・嶺公園原爆碑前で挙行。終了後、定期総会を開催。 | |
1990 | ||
0127 | 日本被団協、関東甲信越ブロック会議(第50回)を群馬県伊香保温泉で開催。-28日。 | |
0812 | 群馬県被団協、追悼慰霊祭を前橋市・嶺公園原爆碑前で挙行。 | |
0908 | 群馬県被団協(群友会)伊勢崎支部長・石関竹雄、死去。 | |
1029 | 群馬県被団協、第4回健康大学を伊香保温泉で開催。-29日。34名が参加。 | |
1991 | ||
0518 | 群馬県被団協(群友会)、第34回定期総会を開催。-19日。 | |
0805 | 「被爆46周年原水爆禁止世界大会子供の広場」、広島市の本川小学校で開催。ヒロシマ学習に訪れている山形・群馬・新潟などの小学生と保護者ら約400人が参加。 | |
0811 | 群馬県原爆被災者の会、被爆46周年慰霊式を前橋市嶺公園「原爆碑」前で挙行。式後、群友会遺族会を結成。 | |
1992 | ||
0802 | 群馬県被団協、慰霊式を前橋市嶺公園「原爆碑」前で挙行。 | |
1205 | 日本被団協中央相談所、関東・甲信越ブロック講習会を群馬県伊香保で開催。84人が参加。-6日。 | |
1993 | ||
0808 | 群馬県被団協、慰霊式を前橋市嶺公園「原爆碑」前で挙行。100人余が参列。 | |
1994 | ||
0808 | 群馬県被団協、慰霊式を前橋市嶺公園「原爆碑」前で挙行。 | |
0829 | 第15回群馬県原爆犠牲者慰霊式、前橋市嶺公園内の「原爆碑」前で挙行。120人が参列。 | |
1995 | ||
0808 | 群馬県臨時議会、中国の核実験に抗議しフランスの核実験再開中止を求める意見書を全会一致で可決。 | |
0827 | 群馬県原爆被災者の会、第16回原爆犠牲者慰霊式を前橋市嶺町の嶺公園原爆碑前で挙行。約100人が出席。 | |
1997 | ||
0806 | 群馬県の遺族代表として広島市の平和記念式典に参列した高橋篤、今年5月に死亡した父芳房が生前に作詞し歌った「あの日忘れまじ」の録音テープを原爆慰霊碑前で流す。 | |
0919 | 群馬県高崎市、「長崎原爆被災展と平和美術展」を開催。 | |
1999 | ||
0403 | ジャン・リュルサのタペストリー「世界の歌」展、高崎市の群馬県立近代美術館で開催。-5月9日。 | |
0829 | 群馬県被団協、第20回県原爆犠牲者慰霊式を挙行。60万円の公費補助。 | |
2015 | ||
1026 | 群馬県庁舎で「原爆と人間展」~28日。 原水協通信 on the web (antiatom.org) | |
原水爆禁止群馬県協議会の主催。原水協による県庁内での開催は初めて。群馬県議会議員 酒井ひろあきの『からっ風日和』 (goo.ne.jp) | ||
2016 | ||
04 | 須藤叔彦群友会会長、原水協・原水禁・被爆二世の個人と懇談(「日本原水協活動交流ニュース」20160415) | |
原水協通信 on the web (antiatom.org) | ||
2017 | ||
0813 | 群馬県原爆被災者の会など、被爆72年原爆犠牲者慰霊式を前橋市嶺町の嶺公園原爆碑前で挙行。 | |
止
群馬のヒバクシャ<作業中>
基本情報
県内被爆者数 | 98人(2021年3月末現在) | |
被爆者対策 | ||
被爆者団体 | 群馬県原爆被災者の会 | |
1956年5月3日設立 | ||
原爆報道(地域紙) | 8月6日社説 | |
反核団体 | ||
群馬県原爆被災者の会(群友会)(19710115、751110、780210、851130、940331) | ||
止
年表:富山のヒバクシャ<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1954 | ||
0516 | 第2回全国PTA大会(富山市)、原子兵器生産使用禁止を決議。 | |
1955 | ||
0305? | 山本伊精(富山県在住)、原爆症との診断を受ける。呉で兵役に服し広島で約2カ月間死体かたづけと焼け跡整理に従事。(毎日新聞) | |
0801 | 原水爆禁止富山県民大会、富山市公会堂で開催。約2500名が参加。「被爆者にたいする救援活動をつよめること」などを討議。 | |
1124 | 吉川清、原水爆禁止運動富山県協議会結成大会(於高岡市公会堂)に山田アヤとともに参加。 | |
1956 | ||
0225 | 富山県原水協では県厚生部長の協力もえて原爆被害者の調査を全県下の市町村当局に依頼し進めているが現在十三市町村から回答があったのに、被害者はわずかに三名しか発見されず、原水協は首をかしげている。というのは二十五年の国勢調査では富山県下に一三四名の被害者がいることになっており関係者の周辺でも五、六名の被害者がいることがわかっているのに、市町村の調査で何故三名しかあらわれないのか不思議だというわけ。 出典:原水爆禁止広島協議会機関紙ひろしま』(1956年2月25日) | |
1957 | ||
1109 | 富山県原爆被害者の会、結成。(「被団協連絡」NO.2) | |
1960 | ||
05 | 富山県被爆者福祉協会、結成. | |
1977 | ||
0611 | このほど富山県福岡町で被爆者援護のカンパ活動開始。今年で10年目。 | |
0728 | 富山県原水協・原水禁解散し、「原水爆禁止富山県民連合」(仮称)の結成世話人会、富山市内で開催。 | |
1980 | ||
0718 | 富山県の社会福祉協議会、広島市に被爆者援護見舞金を寄付。 | |
0809? | 富山県の福岡町、原爆被災者の福祉向上にと長崎市に寄金。 | |
1983 | ||
0512 | 山県東礪波郡の利賀中学校生徒ら、修学旅行で来広し平和学習。 | |
07 | 5月に修学旅行で来広し平和学習をした富山県の利賀中学校生徒に、広島市の一市民から、励ましの手紙届く。 | |
1984 | ||
0225 | 日本被団協、被爆者要求調査票をこの日現在で1263枚集める(長崎=782,千葉=262,東京=78,大阪=57,静岡=45,富山=12) | |
0524 | 富山県の精神薄弱者更生施設「野積園」の園生ら、修学旅行で長崎市を訪れ、原爆資料館など見学。 | |
1985 | ||
0802 | 広島市立舟入高校演劇部、「国際青年年記念・富山国際高校演劇祭」で原爆をテーマにした演劇「銀輪のうた」を上演。 | |
1986 | ||
0504 | 富山県立富山高校などの演劇部、カナダの「B・C芸術祭」に参加。核戦争をテーマにした演劇「寿歌」(北村想原作)を上演。 | |
1987 | ||
0730 | 日本原水協などによる国民平和大行進、島根県側からリレーされ、三次市を出発(6 月11日、富山市を出発)。 | |
1989 | ||
0716 | 核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会結成総会 | |
0913 | 核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会会報第1号 | |
198909核医師の会ニュース.pdf (toyama-hankakuishi.net) | ||
1990 | ||
0804 | 木下恵介監督の作品を上映する映画観賞会「木下恵介-その人と映画」、富山県で開催(5日まで)。原爆をテーマにした「この子を残して」などを上映。 | |
1994 | ||
0317 | 富山県立富山女子高校の修学旅行一行、長崎市内で市内の合唱団が渡辺千恵子の思いを歌でつづった「平和の旅へ」を聞く。 | |
1995 | ||
0803 | 日本原水協などの「原水爆禁止国民平和大行進」の東京-広島コース、富山-広島コース、広島市の平和記念公園に到着。約600人が参加して国民平和大行進集結・「平和の波」開始集会を開催。 | |
1023 | 日本被団協中央相談所、東海・北陸ブロック被爆者相談事業講習会を富山市内で開催。-24日。130人が参加。 | |
1996 | ||
0317 | 修学旅行で長崎市を訪れている富山県立富山女子高校2年生代表、故渡辺千恵子の半生を描いた手づくりの絵本を千恵子の兄・広志に届ける。 | |
1997 | ||
0306 | 「核兵器のない世界を-ヒロシマ・ナガサキ核実験被害究明の国際シンポジウム」、富山県高岡市で開催。約250人が参加。 | |
1107 | 富山県大島町の中央公民館で「原爆と人間展」。-15日。約500人が参観。 | |
1998 | ||
0729 | 日本原水協などによる「国民平和大行進」富山ルートの行進団、広島市の平和公園に到着。一行は、6月4日に富山県朝日町を出発。 | |
1999 | ||
0803 | 東京と富山をスタートした「原水爆禁止国民平和大行進」、広島市に到着。 | |
1210 | 富山県高岡市の竹中製作所、長崎市から大修復を請け負っている平和祈念像の手首の点検を、同市職員から受ける。 | |
2020 | ||
07 | 富山県被爆者協議会(小島貴雄会長)、広島・長崎ヒバクシャ証言集『想い』を発刊(日本共産党富山県委員会 (jcpweb.net)) | |
富山県原爆被害者団体協議会(911233、931233) 96 紀親会だより No.11 富山県被爆者協議会編 富山県被爆者協議会 広島館 970201 紀親会だより No.12 富山県被爆者協議会 富山県被爆者協議会 広島館。 980201 紀親会だより No.13 富山県被爆者協議会 富山県被爆者協議会 広島館。 紀親会だより No.14 98090511 こんにちはおおしま9月号 富山県射水郡大島町役場 広島市社会局原爆被害対策部蔵。 |
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止
年表:岩手のヒバクシャ(作業中)
主な出典:『日本被団協50年史』(略号:50年史) | ||
年月日 | 事項 | 備考 |
1955 | ||
0803 | 原水爆禁止世界大会岩手県代表団、結団式を県議会合同会議室で開催。斉藤義雄の妻佐智子、「被爆者の家族の代表」として代表13人の一人に加わる。(「核兵器全面禁止の日まで」19850120) | |
0811 | 盛岡市の斉藤義雄、アカハタの「国民のこえ」欄に寄稿。 | |
1113 | 『原爆を禁止する日まで-原水爆禁止世界大会岩手県報告書 』(原水爆禁止世界大会岩手県準備会編・刊) | |
1127 | 第1回原水爆禁止世界大会岩手県報告会、日赤岩手県支部で開催。安井郁・原成子・飯田芳枝(広島の被爆者)も参加。安井発言「被爆者救援資金を各県に分配する為にも被爆者救援組織が必要」(「核兵器全面禁止の日まで」) | |
1956 | ||
0121 | 原水爆禁止岩手県協議会、結成。代表委員に広島の被爆者及川儀右エ門(盛岡短大教授)が加わる。(「核兵器全面禁止の日まで」) | |
02 | 「岩手県原水協では、まず原爆被害者の調査を市町村長を通じて行っているが、現在六名の被爆者が発見されている。このうち一名は原爆症で入院加療中であり、原水協では中国からおくられた救援金のうちから入院患者に五千円、その他の被害者に千円づつの見舞金をおくった。」(『原水爆禁止広島協議会機関紙ひろしま』(1956年2月25日)) | |
0324 | 丸木・赤松「原爆の図」、盛岡市で展覧。-26日。(「核兵器全面禁止の日まで」) | |
0810 | 岩手在住の被爆者斉藤政一、長崎市で開催された被爆者全国大会に参加。(「私の被爆者運動」19860310) | |
62042301 岩手県原爆被害者団体協議会第六回定期総会議案 岩手県原爆被害者団体協議会編 620427 被爆者は願う 岩手県原爆被害者団体協議会 65030101 いわての被爆者は願う第二集 岩手県原爆被害者団体協議会 69012501 教師の戦争体験の記録 岩手県一関国民教育研究会(編)、労働旬報社 78073302 ニンゲンヲカエセ国連に使して(国連軍縮特別総会要請行動の報告) 高橋伊三郎、原水爆禁止岩手県協議会(発行) 82030104 平和を願って-原爆展感想文集 ヒロシマ・ナガサキ原爆展岩泉町実行委員会(編)[岩手県] 85012002 核兵器全面禁止の日まで-岩手県原水協三十年の歩み 上田仲雄、原水爆禁止岩手県協議会(発行) 91033103 園井恵子資料集-原爆が奪った未完の大女優 岩手県松尾村 95032501 岩手の被爆者は願う 岩手県原爆被害者団体協議会 9703? 原爆被害者からの伝言 岩手県原爆被害者団体協議会 |
||
止
沖縄のヒバクシャ<作業中>
関連資料
県内被爆者数 | 99人(2021年3月末現在) | |
被爆者対策 | ||
被爆者団体 | 沖縄県原爆被爆者協議会 | |
8月6日社説 | ||
沖縄タイムス | ||
琉球新報 | ||
被爆証言関係団体 | 沖縄県原爆被爆者協議会(711333、810515) | |
止
富山のヒバクシャ<作業中>
関連資料
県内被爆者数 | 41人(2021年3月末現在) | |
被爆者対策 | ||
被爆者団体 | 富山県原爆被害者団体協議会 | |
8月6日社説 | ||
北日本新聞 | ||
富山新聞 | ||
被爆証言関係団体 | 富山県原爆被害者団体協議会(911233、931233) | |
止