『長崎における被爆者に関する調査資料』(第二回原水爆禁止世界大会長崎実行委員会、1956年8月1日)
内容<作業中>
1 | 被害状況 | |
2 | 長崎市原爆被災者調 | |
3 | 障害者の精密健診状況 | |
4 | 障害者の治療状況及びその対策 | |
5 | 被爆者の救援対策 | |
6 | 被爆者の生活状況 | |
止
『長崎における被爆者に関する調査資料』(第二回原水爆禁止世界大会長崎実行委員会、1956年8月1日)
内容<作業中>
1 | 被害状況 | |
2 | 長崎市原爆被災者調 | |
3 | 障害者の精密健診状況 | |
4 | 障害者の治療状況及びその対策 | |
5 | 被爆者の救援対策 | |
6 | 被爆者の生活状況 | |
止
絵葉書:長崎-平和の泉<核禁会議長崎>
『原子雲を越えて-各国首脳との核停交渉記録』(上田貞治著、全国日本学士会、19720331)
内容
発刊のことば(斉藤源太 全国日本学士会理事長) | ||
推薦のことば(湯川秀樹 理学博士) | ||
推薦のことば(大西良慶 清水寺貫主) | ||
はじめに(上田貞治) | ||
1 | 英国の水爆実験に対する抗議 1 | |
1.“核実験は人類への挑戦 神の名において抗議する” 1 2.納得できない弁明“戦争を防止するための実験” 4 |
||
2 | 東西首脳会談の提唱 9 | |
1.ネール首相と会見 市内見物に同行 9 2.核停に協力を約束 古美術に造形深いネール首相12 3.いれられた私の願い ネール首相が米ソへ呼びかけ 16 4.呼びかけに答えて 酷寒の大地に春の雪解け 19 5.スカルノ大統領と会見 核停の協力を訴える 22 |
||
3 | トルーマン元大統領へ公開質問状提出 27 | |
1.“原爆投下人道上無視できず 良心の苛責を感じないか” 27 2.さっそく自筆の返書 34 |
||
4 | 米英ソついに核実験を停止 38 | |
1.首脳に通じた願い 信頼できる軍縮条約への努力 38 2.プラサド大統領来日 菩提樹を東大寺に境内に植樹 41 3.“核兵器は人類を脅かす ”ナセル大統領の返書 45 4.世界連邦の建設を説く アイゼンハワー大統領に 48 |
||
5 | 揺れる原水禁禁止世界大会 52 | |
1.“毎日が死との対決” 原爆婦人の悲痛な叫び 52 2.原水爆禁止のきめ手 必要な世界連邦の建設 55 3.米ソへ世界連邦を説く ケネディ大統領から返書 59 |
||
6 | 平和を願う10代の声 63 | |
1.大人の責任は重大 各国少年少女と“平和の文通” 63 2.呉こだま会の活躍 “世界の子供は手をつなごう” 66 3.“祈るだけではだめ 世界平和の会をつくろう” 69 |
||
7 | 日米安全保障条約の改正 73 | |
1.フランスが原爆実験 首脳会談ついにお流れ 73 2.連日激しい反対運動 アイクの訪日延期要請 76 3.ネール首相辞意ひるがえす ソ連2年ぶりに核実験再開 80 |
||
8 | 世界連邦への道 84 | |
1.湯川博士を訪問 時代に合わなくなった国連 84 2.国連を改組して 世界の廃藩置県を 86 3.世界連邦建設案提案 6500万人が宣言参加 91 |
||
9 | 触れあう心 95 | |
1.各国首脳から年賀状 ざっくばらんな米国指導者 95 2.直ちに北爆停止を ジョンソン大統領へ公開状 102 3.“ベトナムから手を引くべきだ” ケネディ上院議員から返事 107 4.身にしむ平和の願い ローマ法王に単独謁見 110 |
||
10 | 米ソ調停案の提出 115 | |
1.地球は泣いている ソ連核実験の再開を声明 115 2.ライシャワー大使 調停案に賛意を表わす 118 3.アデナウアー首相 ドイツ再統一を協調 122 |
||
11 | 核実験停止条約案の提出 126 | |
1.米ソ案の中をとった 核停条約案を提出 126 2.“重い箱”をとりいれた提案に 大きな反響起こる 129 3.現地査察年5回案を提出して 米ソ首脳に年内に締結するよう打電 134 4.真剣な米ソ首脳の直接交渉 年5回案に近づく 137 5.ケネディ大統領へ強く訴える モスクワ放送局から返事 141 |
||
12 | 部分的核実験停止条約の調印 146 | |
2.ついに核停条約調印 参加を拒否するドゴール大統領 149 3.原爆患者は訴える 古切手集めに協力 153 4.原爆開発を知らなかった両司令官 ケネディ大統領の暗殺 158 |
||
付録 | ||
1 | 条約案 163 | |
1.世界平和に関する米ソ協定案 163 2.世界平和に関する米ソ協定修正案 164 3.部分的核実験停止条約案 164 4.部分的核実験停止条約修正案 166 5.地下核実験停止条約案 167 |
||
2 | 主なできごと 168 | |
止
『原爆に挑む 生きる者のねがい』(石田正一、咢堂会大阪本部、19530321)<作業中>
章 | タイトル | |
はしがき | ||
1 | 原子力時代の兵器 | |
1. | ||
2. | ||
3. | ||
4、日本ヒロシマの原爆の真相 | ||
5. | ||
2 | 原子力時代の政治 | |
1. | ||
2. | ||
3. | ||
3 | 世界政府運動の現勢 | |
1.もり上がる世界政府運動 | ||
2.世界連邦アジア会議の報告 | ||
4 | むすび | |
1.世界政府は必ず出来る | ||
付録「世界憲法報草案」 | ||
止
『炎と影 被爆者二十周年の手記』(長崎被爆者の手記編集委員会、原水爆禁止長崎県協議会刊、19650729)
内容
頁 | 著者「タイトル」 | ||
1 | 編集委員会「はしがき」 | ||
2 | 杉本篤(原水爆禁止長崎県協議会会長)「発刊のことば」 | ||
目次 4 | |||
長崎の原子爆弾による被害状況 6 | |||
長崎被災地図 7 | |||
長崎の平和運動と原水協 8 | |||
被爆者の手記 14 | |||
14 | 高橋誠「原爆への怒り 」 | ||
16 | 重村スミエ 「敢然として闘かわねば 」 | ||
18 | 松村松太郎 「原爆を地上からなくせ」 | ||
21 | 太田実「あの日あの時」 | ||
23 | 広田タズ子 「被爆のおもいで 」 | ||
24 | 浦田喜信「被爆によせる思い出の記」 | ||
26 | 江頭千代子「城山 」 | ||
30 | 宮嶋幾太郎 「黒い雲」 | ||
31 | 坂本フミエ 「原爆への思い」 | ||
35 | 大島義喬「その後二十年たっても」 | ||
40 | 青木久枝 「あれから二十年 」、 | ||
41 | 松尾ワカ 「一人ぼっちになつて」、 | ||
43 | 柿忠男「柿の木の訴え 」、 | ||
44 | 故半田カメヨ「原水爆はやめて 」、 | ||
45 | 竜ミネ「被爆者が笑える日を 」 | ||
46 | 病いにつきまとわれて 葉山利行「」 | ||
47 | 病いをかかえて N・S「」 | ||
51 | 故田島武男 「病床より 」 | ||
53 | 山田恭次 「不安な心」、 | ||
54 | 田崎敏子「私につながる人びと 」、 | ||
56 | 熊和子 「平和を! 」、 | ||
57 | 佐々野松一 「私の家族と捕虜 」、 | ||
60 | 山口仙二「平和を願う 」 | ||
56 | 萩元正「被爆者は叫ぶ」 | ||
67 | 渡辺千恵子「怒りは永遠に 」 | ||
73 | 山下仙造 「化物はくるな」 | ||
74 | 前川三郎 「西町原爆被災者の会とともに」 | ||
79 | 外国人の被爆者 | ||
原爆と文化 | |||
詩 | |||
80 | 泉じろう「くりかえすな 」 | ||
81 | 槇博 「親子」 | ||
83 | 峡草天「写真の中の友 」 | ||
85 | 谷口久四郎 「原爆長崎」 | ||
86 | 小林靖子 「短歌・俳句 」 | ||
87 | 尾あつゆき 「連作 松」 | ||
91 | 上野誠 「版画 原爆と長崎 」 | ||
97 | 別府藤「短篇 狂女」 | ||
98 | 医療と援護について | ||
100 | 原爆症と遺伝 | ||
102 | 被爆者のアンケート調査 | ||
106 | あとがき | ||
止
原水爆禁止世界大会各地(長崎・関西・東京・鎌倉)の大会(<1955年>8月10日~15日)
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
長崎大会 | 8月10日 勝山小学校公堂<ママ> | |
約2000人(県評傘下の労働者と市民) | ||
関西大会 | 8月13日午前10時~ 中之島公会堂 | |
1500人の代議員 | ||
夜 公会堂2000人、中之島公園5000人 | ||
被害者の訴えに満場泣く | ||
原爆被害者代表20名 | ||
森滝市郎(広島準備会委員長) | ||
安部静子 | ||
劉寧一(中国総工会副主席)ほか | ||
午前の議事終了 | ||
各界代表が意見発表 | ||
午後1時半再開 | ||
出口栄ニ(大本教代表) | ||
桑原武夫(京大教授) | ||
港野きよ子 | ||
西脇安 | ||
海外代表挨拶 | ||
兵庫県青野ガ原基地代表の訴え | ||
広島宣言(アッピール)再確認 | ||
3時20分第一部終了 | ||
第二部 外国代表を中に日本古典芸術の鑑賞 | ||
6時過ぎ閉会 | ||
東京大会 | 8月15日午後5時~ 東京都体育館 | |
原水爆禁止世界大会東京準備会主催 | ||
3万余名(午後6時の主催者発表) | ||
鎌倉海の平和祭 | ||
付録 | 1. 広島県下原爆被害者の実態(広島地域婦人団体連合協議会調査) | |
2. 原水爆禁止世界大会参加外国人名簿 | ||
あとがき | ||
1955年10月23日 浅井正弘(原水爆禁止世界大会情宣部、同大会(広島)共同デスク 責任者) | ||
発売所:日本労働組合総評議会情報宣伝部 | ||
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||
止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月8日)本会議
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
本会議 | <広島公会堂> | ||
午前9時開会 | |||
議長席にソスノウスキ(ポーランド代表) | |||
運営委員長から大会宣言起草小委員指名11氏 安井郁、平野義太郎、中野好夫、森滝市郎、高野実、椎尾弁匡、西脇安、坂田昌一、清水慶子、田辺耕一郎、福島要一、 |
|||
第2日の各分散会の討議集約の報告 | |||
第一分散会の報告 横手小委員長 | |||
第二分散会の報告 浜田手小委員長 | |||
第三分散会の報告 安部小委員長 | |||
第四分散会の報告 山下小委員長 | |||
第五分散会の報告 小宮山小委員長 | |||
第六分散会の報告 今中山小委員長 | |||
第六分散会の報告に対する討論 | |||
安井郁事務総長の総括報告 | |||
-正午休憩-午後二時再開 | |||
外国代表の挨拶
|
|||
外国代表に記念品贈呈
|
|||
国際科学者会議にメッセージ
|
|||
歴史的な大会宣言を採択
|
|||
閉会
午後4時47分閉会 |
|||
止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第六分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
第六分散会 | <広大付属小学校講堂> | ||
議長(櫛田ふき女子) | |||
(広島の被害者) | |||
(長崎の被爆者・29歳の婦人) | |||
議長 | |||
植木仙次郎(平和懇談会) | |||
平田(埼玉医師) | |||
村上やすよ(広島民生委員連盟) | |||
(広島学生協議会) | |||
(富山県代表) | |||
居原キクエ(長崎「原爆乙女の会」教師) | |||
( 大阪代表・市会議員) | |||
(滋賀県代表・臨時学校教員) | |||
(原爆乙女の会の教師) | |||
(福島県代表) | |||
(〇〇) | |||
午後の部 | |||
午後2時再開 | |||
議長:大石(高知) | |||
西脇阪大助教授 | 講演 | ||
運営委 | 午前中の討議のとりまとめ発表 | ||
原水爆禁止の叫びを扶け合いのためでなくこれを大きく結集するため 第1 第2 第3 | |||
外国代表挨拶 | |||
S・ Bシャー夫妻(ガンジー使徒会) | |||
ヴェラユデン(インド代表) | |||
(ポーランド代表) | |||
W・ゴラン(オーストラリア代表) | |||
朴光海(在日朝鮮代表) | |||
原水爆禁対策問題 | |||
(長野県代表) | |||
( 戸畑市長) | |||
(東京西部代表) | |||
(東京南部代表) | |||
(東京中部代表、文京区議) | |||
岡本(京都代表) | |||
金子(高知代表) | |||
基地拡張反対について | |||
田辺よし子(山梨代表) | |||
(千葉代表) | |||
(東京三多摩砂川町代表) | |||
(沖縄代表) | |||
(愛知代表) | |||
(岩国代表) | |||
国際緊張緩和の方法について | |||
(富山代表) | |||
原爆身体障害者に対する第三会場よりの要請の資金カンパ、分科会設置、 青森代表の全国の地方自治体で署名決議を行う要請、を全会一致確認。 | |||
大山郁夫の国際緊張緩和についての講演 | |||
午後6時5分閉会 | |||
止
原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第五分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
第五分散会 | <藤田ビル> 78 | ||
原爆被害者約20名を含め250名が出席。地元広島準備会主催の原爆被害者との懇談会。会場内で5ブロックにわかれ、被害者を囲んで話しあい。
原爆投下当時の地獄のような情景、治療面・生活面でも放置、ABCCが治療をせずに全くモルモット扱いをしていることに対するはげしい憎しみ。 吉川清さんがABCCの日本人職員の給料が厚生省からでている話をきいた岩手県の婦人の話。「私の主人は原子病で医療扶助で治療を受けているのですが、治療費がかさむから扶助をうちきるといわれた。今の話をきいて国民を犠牲にするいきどおらざるをえない」とかたり、今日は主人の代りに出席したのだとのこと。 どの代表もみな被害者からきいた実相に、医者や学者からきいたときよりもずっと原爆の恐しさを感じ、心の底から原子兵器の禁止をしなくては、苦しい生活をしている原爆被害者に愛の手をさしのべなくては、と思った。 昨年2月に発病し、12月ついに12歳で死亡した愛児儀江さんの写真を抱いた岩本さんの姿は目立ったが、京都大学で仏文学を教えているジョン・ピエール・オーンイコールヌ氏(仏人)も熱心に懇談していた。 子宮ガンの検査のためマスイをかけられて無断に一部を切りとられた婦人のはなしには一同、にえたぎるような怒りを禁じえなかった。 |
|||
9時50分から議事、吉江千賀子(婦人平和協会)、吉田資治(産別)、小宮市太郎(福岡市議)の各氏を議長団に送出。 | |||
被害者懇談会での感想が各グループ代表から発表 | |||
瓜生(尼崎代表) | |||
山崎(京都代表) | |||
杉本(三重代表) | |||
秋谷(全農林代表) | |||
奥山(山形代表) | |||
二岡(京都代表) | |||
宮野(東京三多摩代表) | |||
浅井(熊本代表) | |||
(広島婦人団体連絡協議会代表) | |||
(沖縄奄美青年) | |||
砂川(東京三多摩代表) | |||
山口(東京西部代表) | |||
池田(焼津代表) | |||
下条(福岡代表) | |||
秋山(全農林代表) | |||
古末(国民救援会代表) | |||
(島根代表・原水協) | |||
鮎川(山梨代表) | |||
島本(広島代表) | |||
議長 | 午前中色々の階層の人から熱心な討議ああった。初めての人もいるが、その人を皆で援助するようにして、皆で話しあいを統一させていきましょう。 | ||
(大阪代表) | |||
斎藤(東京文京区林町南町内会) | |||
(岩手代表) | |||
松沼(福岡代表) | |||
(北海道釧路代表) | |||
(富山代表) | |||
中島(東京三多摩代表) | |||
オーンイコールヌ(京大教授) | |||
議長 | 生々しい体験を外国代表の方に聞いていただく。 | ||
岩本夫人 | |||
岡崎しず子 | |||
議長(付言) | 彼女は口唇の整形手術をやってあれだけの形にもどった。 | ||
横川の松井 | |||
田辺(広島準備会) | |||
吉川清 | |||
(質問) | 放射能禍の遺伝について | ||
瀬戸(日赤産婦人科医師) | |||
堀井(愛媛平和運動連絡協議会) | |||
議長 | 具体的な方策について述べてほしい。 | ||
(富山代表) | |||
(江戸川代表) | |||
上山(長野代表) | |||
田中(北海道代表) | |||
浅井(熊本代表) | |||
村上(広島代表) | |||
広島府中市長 | |||
鳥取代表 | |||
伊沢(富山代表) | |||
岩本 | |||
吉川 | |||
草間(東大助教授) | |||
質問 | ABCCの撤去についてどう考えるか? | ||
草間(答) | 日本人の手で治療を行う | ||
広島代表 | |||
次いで朝鮮代表の発言 | |||
議長 | 今迄の討論のまとめ | ||
(1)国際緊張を和らげる | |||
(2)被爆者の救済を具体的に進める―その人達の登録や、社会保障を政府に要望せよ、この被爆の惨状を世界に知らせること | |||
(3)今後の運動の進め方として次のことがいわれた。 | |||
帰ったら部落の隅々まで報告し、運動の組織をつくる。 | |||
誰もが自由にこうした会議に参加していけるように運動を進める。 | |||
官民公同の運動を進めよう | |||
ABCCを一日も早く撤去せよ。 | |||
第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 | |||
止