「原水爆禁止世界大会(1955~63年)」カテゴリーアーカイブ

原水爆禁止世界大会(第1回)本会議

原水爆禁止世界大会(第1回)
本会議 1955年8月6日 広島公会堂
午前十時十四分-十二時
開会の挨拶(野々宮はつえ)
議長団選出
議長団代表挨拶(浜井信三)
大会運営委員選出
歓迎のことば(渡辺忠雄)
外国代表紹介
日本準備会代表挨拶(椎尾弁匡)
一般報告(安井郁)
各界の祝辞(鳩山一郎、東久迩稔彦)
外国代表挨拶
宗教界代表=チャラバテイ(全世界宗教界代表者会議代表)
米国代表

午後二時十分-六時
外国代表挨拶
政党、民主団体代表の挨拶
母親大会代表=私も長崎で夫と母を亡くし、二人の子を残されました。
自治体代表の挨拶
被爆者代表の挨拶
高橋昭博
山口みさ子(25)
久保山すず
各国・各団体メッセージ
ニューヨークの原爆十周年記念集会へのメッセージの提案と可決
基調報告(武谷三男、平野義太郎)
[原水爆被害について(草野信男、本田きみ子、田辺耕一郎)は、なされず]

(『原爆許すまじ-原水爆禁止世界大会の記録』)
資料)浜井信三「議長団代表挨拶」(1955.8.6)
なお、さいごに原水爆禁止運動と戦争反対の運動との関係につきまして、参考までに私、御紹介を申し上げたいと思いますことは、例の「ノー・モア・ヒロシマズ」という標語であります。これはアメリカのアルフレッド・パーカー氏がはじめてもちいたものでありますが、この原語は「ノー・モア・ウオア、ノー・モア・ヒロシマズ」の対句となっていたのでありますが、それがいつとはなしに、あとの方だけがいわれるようになったのであります。私たちもこの対句の形でなければならないと確信しております。

資料)東久迩稔彦「祝辞」(1955.8.6)
わが国は十年前に戦争に敗れ、広島、長崎とあいついで極悪非道な原子爆弾の攻撃を受けた。原爆は人類のもっとも恥ずべきものです。全人類に向い、原水爆禁止と世界平和を叫び、犠牲者の霊を少しでも慰めたい。

一九五五年八月六日午後二時-
本川小学校の3教室
広島教職員組合主催「原爆被害者を囲む懇談会」於天満小学校
体験者八名聴衆者四〇〇名程度
『関西共同デスク速報』
吉川清、峠三吉夫人、原爆乙女三人など一一人
『広島機関紙クラブ共同デスク』

七時四十分「歓迎と祈りの国民大会」於平和広場

学生「被爆者との懇談会」於修道高校

原水爆禁止運動(今堀)

『原水爆禁止運動』(今堀誠二、潮出版社、19740625)

目次

第*回大会 タイトル<初出掲載誌紙>
プロローグ
原水禁運動の発足
杉並アピール
見殺しにされた被爆者
被爆者救援運動の発足
三千二百万人の国民運動の進展
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』187号(195509)>
八月六日の回想
発言の本音
被爆者の生活と意見
科学者の責任
救援運動の出発
基地闘争への賛否
ヒロシマ・アピール
歴史学研究会の問題点
歴史をになうもの
被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』200号(195610)>
世界を動かしたヒロシマ
世界の連帯
進む戦争準備
沖縄問題
再軍備への告発
被爆者救援運動との結合
原子力の平和利用と大衆
大衆運動の進め方への反省
地方原水協の強化と中央および国際組織の空転
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』211号(195709)>
台所までもち込まれた運動
専門家の告発
歴史家は何をすべきか
六大陸にひろがった原水禁運動
原水爆戦争体制との対決をうち出す
会議は空転する
全学連の誤謬
大会決定の成果と不安
問題点のかずかず
組織と理論に重大な欠陥
 日本の非核武装化にたちむかうために
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』223号(195709)>
岸内閣を助けた原水協
ICBMの評価を誤る
欧米で核兵器反対運動高まる
平和行進
原爆の加害国化する日本
統一戦線
日本の核武装
空転する討論
中国・朝鮮への差別
運動の進め方への反省
難航した国際会議
実験禁止から核武装反対へ
原水協を全国民のものに
 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義
<初出掲載誌紙:『歴史評論』110号(195910)>
原水禁運動のマニフェスト
一千万人の平和行進
自民党の妨害工作
安保改定と原水禁運動
大会からの脱退者
左右の日和見主義者
 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』246号(196010)>
二千二百万人の平和行進
平和の敵は誰か
平和運動における二大潮流
人類の導きの星
日本と沖縄での戦いの報告
大会の混乱と成果
軍備全廃か冷戦終結か
 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論
 <初出掲載誌紙:『歴史学研究』257号(196109)>
謀略工作
平和運動における西欧方式とAA方式
AA地域別会議流れる
本会議でのかけひき
大会決議のおもてうら
原水爆時代の平和理論
大衆の平和運動
両派の自己批判と運動の進展
 8  社・共両党の激突と大衆の統一への願い
 <初出掲載誌紙:『歴史学研究』269号(196210)>
矛盾の中で
総評まかり通る
あらゆる核実験に抗議する問題
核戦争の元凶は誰か
幅広い運動か、反帝政治闘争か
原水協の「内乱」と統一のエネルギー
国民運動の崩壊と再生への四つの芽
<『思想の科学』19号(196310)>
宗平協―国民運動をはぐくむもの
地方原水協の活動
原水協、国民を無視
大会準備のなかでー国民運動にそむくもの
大会のうらおもて―国民運動の崩壊劇
大会懇談会の諸報告―国民運動の新しい芽
すべての地域と職場に原水協をつくろう
10 毛沢東理論からみた日本原水協批判
 <初出掲載誌紙:『歴史学研究』299号(196504)>
 原水禁運動と私
 毛沢東の平和理論の問題点
 中ソ対立と原水禁運動
 民族解放運動との接点
 資本主義国の平和運動の意義
 統一戦線への整風運動
 日本の平和運動の性格
 広島の平和運動の性格
 原水協はその基本原則で再統一を
 核兵器のない世界をめざして
<『聖教新聞』1973年2月21日~28日>
 日本の安全はどうして守るのか
 平和運動のゆくえ
 新しい平和の条件
国際連合の将来
 あとがき

被爆者救援活動を強化するための決議

第14回原爆禁止世界大会(1968年)日本代表団の決議
被爆者救援活動を強化するための決議
アメリカの広島・長崎への原爆投下は、一瞬にして30数万の人命をうばい、その後23年、被爆者は今なお、死の不安に脅かされ、生活と医療に苦しみつづけています。
原爆の生きた証人である被爆者をまもり、その切実な要求を実現することは、原水爆禁止運動の重要な課題です。
アメリカと日本政府が、核アレルギーからの脱却などといって、核兵器への警戒をゆるめ、核軍事同盟強化に公然とのりだしている今日、被爆者救援活動を強化することは、ますます必要となっています。
この1年間に、被爆者救援活動は飛躍的に強まり、被爆者の身近な諸要求に対する施策を自治体からかちとる活動も大きく前進しました。さらに、援護法制定の運動に多数の地方自治体を動かし、原水爆禁止運動の発展と被爆者自身の積極的な行動によって多くの成果をかちとりました。
このような高まりにおされ、佐藤内閣は、「原子爆弾被爆者の特別措置に関する法律」を本年9月から実施しようとしています。この法律は、医療法を援護法へと発展させるかのごとき形をよそおいながら、認定患者を中心とするきわめて限られた一部の被爆者に適用されるにすぎず、わたしたちが要求してきた被爆者援護法とは全くほど遠いものです。
わたしたちは、この特別措置法のゴマかしの本質を広く国民の前に明らかにし、国家補償の責任にもとづく生活と医療の全面的保障を内容とする真の被爆者援護法制定のために、いっそう奮闘しなければなりません。同時に、特別措置法が少しでも被爆者に有利に施行されるよう、原爆医療審議会の公開と民主的運営などのためにたたかう必要があります。
また、被爆二世に対する調査と健康管理が行なわれることがとくに重要です。
わたしたちは、日本国民の力で被爆者救援をおこなうために、1500万円募金とともに、被爆者の大衆的世話活動、地方自治体自身に救援の施策を実施させることなどにとりくみ、各都道府県ごとに6・9行動をはじめとする諸活動を強化してきました。こうして集められた救援金は、被爆者にたいするあたたかい励ましとなっていますが、被爆者のおかれているきわめて困難な状態からみるならぱ、なお不十分であり、自治体の救援施策もなお、被爆者の要求とはほど遠いものです。
わたしたちは、救援行動の新らしい目標に向かって一段と活動を強化しなければなりません。当面、6・9行動推進特別月間の成功のために全力をあげてがんばりましょう。
加害者が被害者を調査し、核戦争準備に役立てているABCCの撤去と資料の公開のためのたたかいを、ベトナム人民との連帯の実感のなかで、さらに強めましょう。
被爆の実相を国民に明らかにするうえで、貴重な資料である原爆映画について、政府はプライバシー尊重という欺まん的な口実のもとに、もっとも重要な人体にたいする影響の部分をカットし、原爆投下の犯罪を国民の目からおおいかくそうとしています。ただちに広範な抗議行動をおこし、全面公開をかちとるとともに、フィルムのすべてを米軍没収以前の所有者に返還させることが重要です。
こうした活動をおしすすめるなかで、原水爆禁止運動の正しい路線のうえにさらに広範な被爆者を結集し、都道府県の被爆者組織を民主的に強化し、被爆者運動と原水爆禁止運動との団結をいっそう固めて前進しましょう。
右決議します。
1968年8月5日・東京にて

原水爆被害白書-かくされた真実

『原水爆被害白書-かくされた真実』 原水爆禁止日本協議会専門委員会(編)、日本評論新社、19610731

目次

序< 湯川秀樹>
序<安井郁>
1945年8月6日< 石井金一郎、田沼肇>
原水爆被害の実態 その1<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫>
1 原爆投下の瞬間
2 原爆による死亡者と傷害者
(1)広島原爆でどれだけの人が死んだか
(2)長崎原爆でどれだけの人が死んだか
(3)原爆による傷害者
3 恐るべき放射線障害
(1)放射能とはなにか
(2)瞬間放射線による被害
(3)残留放射線による被害
(4)被爆放射線量についての総括
原水爆被害の実態 その2<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫>
 1 いつまでつづく放射能害
(1)急性期症状-急性原爆症
(2)慢性原爆症-原爆症とはなにか
(3)原爆症問題の変遷と原爆症の拡大
(4)慢性原爆症の現況
(5)被爆者の体内に残されている変化
 2 放射線と遺伝
 3 もし原子戦争がおこったら
(1)アメリカ議会公聴会の記録
(2)すでに人類は原水爆の被害者になっている
被爆者の意識<山手茂>
 1 被爆者問題をどうとらえるか
被爆者の社会意識
(1)被爆者の生活意識
(2)原水爆禁止の意識と行動
(3)被爆者の政治意識
被爆者の生活<山手茂>
 1 被爆者の家庭生活
(1)破壊された被爆者の家庭
(2)原爆孤児
(3)被爆母子家庭
(4)原爆孤老
(5)被爆した主婦
(6)結婚問題
 2 被爆者の職業生活
(1)職業生活の悪条件
(2)被爆者の就職問題
(3)被爆被保護世帯
(4)失業対策事業に働らく被爆者
(5)被爆労働者
(6)被爆零細自営業者
(7)被爆農民
(8)未解放部落の被爆者
写真ページ
写真/東松照明
レイアウト/杉浦康平
被爆者と社会保障< 伊東壮、大江志乃夫>
 1 政府の援護対策
 (1)被爆者はなにを望んでいるか
(2)政府の援護対策とその特徴
 2 被爆者医療法の成立
(1)被爆者医療法案の国会提出
(2)被爆者医療法案の国会審議
(3)被爆者医療法の欠陥
 3 新被爆者医療法とその問題点
(1)被爆者医療法の「改正」
(2)新被爆者医療法の内容
(3)新被爆者医療法の問題点
(4)「被爆者援護法」の要求と社会保障
原水爆禁止と被爆者救援運動< 石井金一郎、吉田嘉清>
 1 被爆者の要求と原水爆禁止
被爆者と日本の社会
原水爆禁止と被爆者救援運動
附録< 杉原芳夫、佐久間澄>
  原爆被爆者の放射線照射による遅発性影響についてABCCに反論し,あわせて原爆症対策の科学的基礎を考察する
1/被爆線量について
2/調査標本について
3/遺伝について
4/白内障について
5/白血病について
6/ガンについて
7/児童の成長と発育について
8/胎内被爆児童における小頭症について
9/加齢の促進について
 10/成人における一般医学的見地からみた影響について
 11/その他の影響について、
 むすび
資料 原水爆禁止世界大会の宣言・決議・勧告
  あとがき<要旨>
*出発点となったのは,第4回原水爆禁止世界大会―1958年―で被爆者救援問題をとりあげた分科会の満場一致の決議
*決議にもとづき原水爆禁止日本協議会は,原水爆被害者調査をおこなうことを決定。
*調査委員会のもとに調査団をつくり,物理的・医学的被害の調査,被爆者の意識調査,被爆者組織の調査の3分野にわたり実施。
調査概要
*調査票による調査
***広島・長崎両県下で,爆心からの距離別と地域区分別に,市内は町単位,町村では町村単位に典型地域を抽出し,約500例を被爆者健康手帳交付台帳から無差別抽出して,被爆放射線量と意識の調査を実施
*被爆者の生活史の個別調査
*被爆者組識の調査
*調査の中間報告
* 原水爆禁止日本協議会“Atomic Bomb Damage in Hiroshima and Nagasaki” 1958年8月,
*日本原水爆被害者団体協議会『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』1958年8月,
*石井金一郎「厂生きていてよかった」か』『中央公論』1958年8月号
調査委員長 森滝市郎(日本原水協代表委員)
調査団長 石井金一郎(日本原水協専門委員)
調査団員
広島の研究者グループ:佐久間澄・杉原芳夫・庄野直美・北西允・大江志乃夫・山手茂,
長崎の研究者グループ:中西市郎.川崎文治・茂木六郎・林重太・前田豊昭・天野卓郎
第1稿の執筆者名
第1章     石井金一郎,田沼  肇
第2章・第3章 佐久間澄,庄野直美,杉原芳夫
第4章・第5章 山手茂
第6章     伊東壮,大江志乃夫
第7章     石井金一郎,吉田嘉清
附録論文    杉原芳夫,佐久間澄
 謝辞(個人)黒田秀俊,藤居平一,小佐々八郎,伊藤満,草野信男,石井森太郎,山村茂雄,市村志郎,板倉静夫,竹内武志,日本評論新社:林勝郎,飯岡邦輔
  謝辞(団体)日本原水協,日本被団協。「最後に,中国人民保衛世界平和委員会など中華人民共和国7団体による被爆者救援の国際的なあたたかい援助が,この事業を成功させるために,大きな力添えになったことを報告し,中国人民の厚い友情に改めて謝意を表します」
編集責任者:石井金一郎(日本原水協専門委員),吉田嘉清(日本原水協事務局次長),田沼肇(日本原水協専門委員会幹事)
事項索引
図表索引

 

 

 

 

8・6学生平和会議(1956年8月5~7日)

8・6学生平和会議

主催:広島大学学生自治会

1956年8月5~7日

第1日(5日)

午前9時半~午後5時半 広島児童文化会館

広島大学・広島女子短大、北海道・東北・東京・京都・四国・九州など全国80の大学・高校から約500人が参加。

開会宣言=棗田金治(広島大学文学部)

実行委員長あいさつ=児玉健次(広島大学文学部)

「原爆許すまじ」全員合唱

平和問題シンポジューム

講演

長田新日本教育学会会長

佐久間澄広島大学教授

柳田謙十郎戦没学生記念会理事長

今中次麿広島大学教授

重藤文夫広島赤十字病院院長

討論

午後6時~

高校生代表者会議

映画会=原爆記録映画「生きていてよかった」観賞

レセプション 於紙屋町ガスビル

第2日(6日)

午前8時~ 広島市平和記念式典参列

午前10時~ 修道高等学校講堂

原爆被害者実情報告会=吉川清・原成子・温品道義など7名。

午後1時~

大学部会(於広島市平和記念館)

北海道・東北・東京・京都・四国・九州などから約300名参加。

高校部会(修道高等学校)

四国・鳥取などからの参加者を含め100名参加。

代表30名による原爆症患者の慰問=日赤・市民病院・県病院

午後6時~

被害者を囲む会(学生会館)

柳田謙十郎氏を囲む高校座談会(教育会館)

女子学生懇談会(東保健所ホール)

第3日(7日)

午前9時~午後4時 広島市中央公民館

総会

大会宣言

人類の上に初めての原爆が投下されて十一周年目に世界の平和運動とはっきりとした連帯の下に進められた、始めての日本学生の平和会議が開催されました。この会議に集った学生代表は平和を望むすべての人々、とりわけ日本の学生の平和への希望と期待とに応え、原子戦争を企だてている力をうち砕くためにいかにすべきかについて、自由かつ真剣に討議しました。私達は平和をめぐる世界情勢を検討することを通じて、社会体制の相違にもかゝわらず両体制の共存は可能であり、戦争は不可避ではないという点ですべての参加者の意見の一致を見、平和についての強い確信をうるにいたりました。

私達はこの様な期待のもとに開催される第二回原爆禁止世界大会に心からの支持と援助を送ります。

第一回原爆禁止世界大会以后の此の一年間に国際緊張を緩和し、冷たい戦争を中止させる動きは増々活発になり、現在東西陣営の間での軍縮について、歩みよりが次々と行なわれております。軍備の増大は今迄諸国民に対して貧困と不安をもたらしただけでした。軍拡競争はたヾ戦争に向かって進むにすぎません。最大の軍備である原水爆兵器が出現した現在、戦争の危険ははかりしれない程大きなものとなり、将来もし原水爆戦争がおこるならば世界中がヒロシマ、ナガサキ、ビキニとなって人類は死滅してしまうでしょう。

しかし長い間の国際緊張に代って第一回原水爆禁止世界大会以後のこの一年間、国際緊張を緩和し冷たい戦争を中止させる動きはますます活発となり現在大国の間での軍縮についての歩みよりがつぎつぎと行なわれております。和解のための共通の努力があれば大国の間にある色々な障害は必ず解決されるでしょう。この見通しを実現するのは私達の努力いかんにかゝっております。けれどもこの様な世界の国際緊張緩和の動きに逆行する動きが私達の祖国日本に於て依然続行されております。沖繩問顧にみられる様に、日本がアジアにおける国際緊張の増大の焦点となっております。原水爆戦争の基地は拡大され軍国主義復活の傾向が明らかになり、世界の平和に対する主要な障害となっております。私達は国際緊張増大に反対する立場からその様な平和の障害を取り除く為に活動を続けて行かなくてはなりません。

この様な国際緊張緩和の運動に於て、成功をおさめることこそ原爆被害者の私達の期待にこたえる第一の道であります。この道にそって被害者の国家保障を勝ち取る運動を強力に押し進めて行かればなりません。平和はすべての学生の中心的課題であり、学問と学園を守り発展させることは平和なくしてはありません。

平和運動を正しく展開して行くことによって私達は日本の若き知性と良心と云う名に恥じない立派な学生であることが出来ます。私達は第二回原水爆禁止世界大会を全面的に支持し大会の成果を日本の国民とりわけ学生のものとする為に全カをかたむけるでありましょう。私達は第二回世界大会の成果を全世界のすべての学生の運動に発展させて行くことによって日本の学生の平和への名誉ある義務を果して行くでしょう。

本日の会議によってうち立てられた平和運動の正しい方向によって、私達日本の学生は原水爆が禁止され、その貯蔵が廃棄され全般的な軍縮が達成されて人類の上に恒久平和の確固とした保証が行なわれる日迄広く全世界の願いを同じくする人々としっかりと手を携えて前進して行くでしょう。

輝かしい世界恒久平和への望みは私達の努力にかゝっています。

一九五六年八月六日 広島にて

 

決議

1.軍縮、原水爆実験禁止を世界全学連へアッピールする。

2.大国間の軍縮協定、原水爆実験禁止協定の即時締結を国連に要請する。

3.日ソ国交回復について日本政府に要請する。

4.日本政府に対して、軍縮と原水爆禁止運動の先頭に立って努力するよう要請する。

5.日本の再軍備は世界の動きに逆行するものであるから憲法擁護について日本政府、自民党に要請する。

6.沖縄返還問題について米政府と沖縄政府へ決議文を送る。

7.砂川土地接収に反対するむね日本政府に呼びかける。

8.原水爆被災者の救援について治療、家族の生活の完全な国家保障を政府に要請する。

長崎大会代表選出

 

 

原水爆禁止世界大会広島準備会の構成 (1955年6月)

原水爆禁止世界大会広島準備会の構成 1955年6月

2024-03-05-10-21-08-01a
2024-03-05-10-21-08-01b
会長 浜井信三(前広島市長)
副会長 松本鶴子(県婦協委員長)、
檜高憲三(県PTA連会長)、
大原亨(県労会議議長)
事務局長 森瀧市郎(原水協広島協議会)
事務局次長 川北浄(広島県教組)、
桑原英照(世界連邦広島県協議会)
財政委員長 坂田修一(前広島市助役)
財政副委員長 藤居平一(広島市民生委員連盟理事)
常任委員 伊藤満(平和と学問を守る大学人の会)、
温品道義(原爆被害者の会)、
江戸千代士(広島地区労議長)、
栗栖光代(広島市連合未亡人会)
本間大英(国鉄労組)、
丸古清(人類愛善会)、
竹岡静夫(県労会議事務局長)、
末長豊子(県婦連事務局主事)、
佐久間澄(世界平和集会)、
松江澄(平和擁護委員会)、
奈良常五郎(広島YMCA)、
四竈一郎(鷹橋キリスト教会)、
村上操(婦人民主クラブ)、
瀧谷寛一(県PTA連合会)、
迫千代子(婦人新聞)、
小谷鶴次(広大国際問題研究会)、
田辺正治(県労会議副議長)、
田辺耕一郎(広島文学協会)、
外、県民労、県青連、学生等各団体代表
日本準備会常任 森瀧市郎、川北浄、桑原英照、田辺耕一郎、本間大英
及び財政委員会代表1名

出典:『原水爆禁止世界大会広島ニュース』第1号(1955年6月15日)