『グラウンド・ゼロからの再生 被爆60周年・証言集』(長崎県平和運動センター単産被爆者協議会連絡会議、20050809)
内容
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004 |
被爆60周年証言集の発刊にあたって-長崎県平和運動センター単産被爆者協議会連絡会議・議長 川野浩一 4
被爆連の運動をふり返って-長崎県平和運動センター単産被爆者協議会連絡会議・顧問 築城昭平 6 |
008 |
悲運の長崎、一九四五年八月九日 8 |
025 |
被爆証言 25 |
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長崎県職員組合被爆者連絡協議会 |
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戦争とはなんと悲しくむごいことか 池田早苗 27
原爆を作る人々に/福田須磨子 30
黄色い太陽 太田洋一 31
あの日に思う 小柳大勇 35
戦争は人類最悪の犯罪だ 川野浩一 41
防空壕から出てみると 森重子 46
長崎県職員原爆慰霊碑 49 |
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長崎県原爆被爆教職員の会 |
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旧新興善小学校が撤去されるにあたって思うこと
(聞き手 羽田麗子) 岩永静枝 51
私と九の日座り込み 浦川幸子 53
私の被爆体験 金田モト 57
戦争に荷担した教師のくりごと 白木千代子 62
今伝えておきたいこと 城臺美彌子 67
あの日の想い出より 嵩安子 76
自らを問う 三岳寛之 79
祈念像「あの夏の日」 83 |
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NTT労組長崎被爆者・二世協議会 |
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私の被爆体験 秋本三郎 85
核と人類は共存できない 奥村英二 88
暗黒の少年時代に戻らせてはならない 土井昭義 94
電気通信労働者原爆慰霊碑 98 |
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国鉄労働組合原爆被爆者対策協議会 |
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亡き家族への供養、それは平和だ 岩松博泰 100
救援列車第一号の機関士として 光武冨士男 106
国鉄原爆死没者慰霊之碑 109 |
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放射線影響研究所労働組合被爆者協議会 |
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原爆の思い出を語る 六倉武 111 |
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長崎県郵政退職者の会 |
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あの閃光の影に 竹内喜吉 115
私の被爆と慰霊碑建立 與賀田進 119
一に検診、二に検診の被爆者 米田次雄 121
郵政職員原爆殉難者慰霊碑 124 |
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農林水産省長崎県退職者の会島原支部 |
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戦争の愚かさ、原爆の悲惨さを後世に伝えたい 馬場田時宗 125 |
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長崎県建設産業労働組合 |
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「水をください」忘れえぬ記憶
(聞き手 光富義美)松尾君夫 128
建設労働者職人原爆殉難者慰霊不戦平和之塔 134 |
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部落解放同盟長崎県連合会 |
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妹の骨は、やはりあった 長門充 135
家が倒れてくる夢 橋本アキヨ 138
原爆犠牲者之慰霊塔と涙痕之碑 141 |
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佐世保市役所職員組合退職者協議会 |
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私の「八月九日」 篠崎順 142
「反核・平和はぐくむ」像 146 |
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座談会[進行]川副忠子 147 |
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第一部 被爆者 梅本テル子/築城昭平/土井昭義/森崎斡/山川剛(出席者順不同)
原爆の惨禍を二度とふたたび繰り返さないために 148 |
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第二部 被爆二・三世、青年・女性、高校生 池田章子/小川綾華/崎山昇/山田詩郎/若松慎也(出席者順不同)
希望と連帯と行動が世界を変える 162 |
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173 |
被爆連30年のあゆみ |
195 |
ヒバクシャとの連帯に向けて |
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1 被爆二世問題の解決のために 全国被爆二世団体連絡協議会・会長 平野伸人 196
2 在外被爆者問題 在外被爆者支援連絡会・共同代表 平野伸人 197
3 世界の核被害者 フォトジャーナリスト 豊崎博光 199 |
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203 |
資料 |
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1 長崎の歴史 205
2 被爆の実相 213
3 核兵器開発の歴史と核軍縮への取り組み 218
4 放射線影響研究所の歴史 226 |
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コラム |
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1 空襲 40
2 「反核丸の日座り込み」の歩み 56
3 長崎で被爆した外国人の概数 66
4 軍需産業都市・長崎 82
5 疎開 87
6 核燃料サイクル 93
7 被爆くすのき 97
8 八月九日の救援列車 104
9 消えた原爆記録映画 108
10 原爆被害の全体像 123
11 原子爆弾災害調査 137
12 戦時標語 140
13 プレスコード 145
14 宣伝単(ビラ) 204
15 浦上四番崩れ 210 |
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あとがき
参考文献
挿絵・版画
「被爆60周年証言記録集」編集委員 |
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止
『広島県労働年鑑 1952』(廣島縣労働部労政課)
章節 |
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1 |
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2 |
労働情勢の推移 |
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2-1 |
外観 |
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2-2 |
破防法ストまでの動き |
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2-3 |
破防法反対を中心とする春期攻勢 |
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1破防法案国会上程迄の斗争 |
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2第23回メーデー |
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3破防法等国会上程後の斗争 |
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2-4 |
夏期斗争と平和斗争 |
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1夏期斗争 |
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2平和斗争 |
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2-5 |
総選挙斗争 |
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2-6 |
秋季ベースアップ斗争 |
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2-7 |
越年斗争 |
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2-8 |
組織をめぐる動き |
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2-9 |
企業人員整理反対斗争 |
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<メモ>
1952は謄写版
1952の発行者: 廣島縣労働部労政課
1954の発行者: 廣島縣勞働部勞政課
1955のタイトル関連情報: 労仂白書
1955の発行者: 広島県民生労働部
1956以降の発行者: 広島県民生労働部労政課
止
広島県母親大会のあゆみ〈作業中〉
年月日 |
会場 |
記念講演者 |
講演 |
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19640726 |
広島市段原小学校 |
河崎なつ(代)帯刀貞代 |
手をむすぶおかあさん |
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19650718 |
広島市国泰寺中学校 |
石井あや子 |
ベトナムの婦人とともに |
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1966 |
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高橋碩一 |
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1967 |
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山本あや |
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1968 |
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住井すゑ |
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1969 |
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阿部和子 |
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1970 |
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嶋津千利世 |
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1971 |
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高橋碩一 |
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1972 |
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柴田悦子 |
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1973 |
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金持伸子 |
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1974 |
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米田佐代子 |
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1975 |
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宅和純 |
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1976 |
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スライドベトナムラオス友情の旅 |
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1977 |
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藤原富造 |
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1978 |
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滝いく子 |
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1979 |
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早乙女勝元 |
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20190922 |
呉市広まちづくりセンター |
八法亭みややっこ |
落語で語る暮らしに生きる憲法 |
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2020 |
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コロナ禍のため中止 |
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20210905 |
広島市安佐南区民文化センター |
小松泰信 |
コロナ後の暮らしを展望する―職の安心・安全、そしてSDGs |
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20220904 |
広島市東区民文化センター |
中澤晶子 |
あなたに手渡す―未来への「ワタクシゴト」 |
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止
広島県母親連絡会 19600110設立
略年表:広島の母親運動
年月日 |
集会名 |
会場 |
記念講演者「演題」 |
19550607 |
<日本母親大会(第1回)> |
東京 |
<6月7日~9日> |
19550710 |
<世界母親大会> |
スイス |
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19560122 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
中野清一「母親と女教師のみなさまへ」 |
19560825 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
帯刀貞代「日本の女性運動史をめぐって」 |
19570728 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
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19580727 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
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19591126 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
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19600110 |
広島県母親連絡会 |
広島市 |
結成 |
19600421 |
国際婦人会議 |
デンマーク |
宇根内良子(代表団長) |
19600724 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
宇根内良子「国際婦人会議に出席して」 |
19610730 |
広島県母と女教師の会 |
福山市 |
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19620624 |
広島県母親の集い |
広島市 |
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19630728 |
広島県母親の集い |
広島市 |
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19640607 |
|
広島市 |
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19640726 |
広島県母親大会 |
広島市 |
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19640718 |
広島県母親大会 |
広島市 |
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—-<未入力> |
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19750720 |
広島県母親大会 |
広島市 |
宅和純「平和の灯を求めて」 |
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以上の出典:『ひろしまの母親たち』(広島県母親連絡会、19750720) |
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—-<未入力> |
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2019 |
広島県母親大会 |
呉市 |
八法亭みややつこ(弁護士・噺家)「落語で語る暮らしに活きる憲法」
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ヨーク・フォーラム=軍拡競争の終結と軍縮のための国際フォーラム 1976年3月28日~4月1日 場所:イギリス・ヨーク大学
出典:『ヨーク宣言と原水爆禁止運動の新たな局面-「軍拡競争の終結と軍縮の為の国際フォーラム」の報告』(ヨーク・フォーラム日本代表団、1976?)
目次
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はしがき |
田沼肇(日本代表団代表委員) |
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1 |
ヨーク宣言・宣言付属文書 |
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2 |
日本代表団総括 |
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3 |
ヨーク・フォーラムに対する日本代表団報告 |
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4 |
分科会のまとめ |
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5 |
軍縮分野におけるGO・NGO関係の樹立について ―核廃絶への具体的第一歩 |
佐藤行通(日本原水協担当常任理事) |
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6 |
代表団活動日誌 |
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7 |
ヨーク・フォーラム、ユーゴ、ルーマニアの旅-日本代表団の報告と感想 |
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8 |
日本原水協 日本平和委員会 ユーゴ友好親善訪問代表団報告 |
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9 |
日本原水協 日本平和委員会 ルーマニア友好親善訪問代表団報告 |
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10 |
日本代表団名簿 |
[広島関係者なし] |
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広島・ナガサキ原爆資料公開展
会場 |
日本赤十字社本社講堂(東京) |
期間 |
1954年11月25日~12月3日 |
主催 |
日本赤十字社、広島市、長崎市。 |
後援 |
厚生省、文部省、農林省、東京都、広島県、長崎県。 |
協賛 |
日本新聞協会、日本放送協会、民間放送連盟、全国社会福祉協議会連合会、中央共同募金会、原水爆禁止署名運動全国協議会 |
役員 |
相談役 池田勇人(衆議員議員広島)<以下未入力> |
委員 |
葛西嘉資(本社副社長)<以下未入力> |
幹事 |
丹羽諦順(広島市厚生局長)<以下未入力> |
展示物 |
<以下未入力> |
開場式 |
「名誉副総裁秩父宮妃殿下がテープを切られ、内外人の観覧者がつめかけ、連日満員の盛況であった」 |
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「会期中には、日赤中央病院長都築博士の講演や健康相談なども行われ好評を博した」 |
出典:『日本赤十字社社史稿 第6巻』
赤十字国際委員会主催国際専門家会議 1954年4月6日~13日 会場:赤十字国際委員会本部会議室(スイス・ジュネーブ)
年月日 |
事項 |
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19530929 |
同日付書簡(赤十字国際委員会副会長ー>日本赤十字社島津社長)[専門家会議への代表者の派遣要請]。「同様の書信をベルギー、フランス、インド、寝るウェー、ポーランド、イギリス、アメリカ、ソ連の赤十字社へも発信」「会議予定事項 1.無防備の人民の保護を強化するために空襲に関する規定を明確にし、また決定するための調査の必要についての一般的予備討議、2.人道上の要求と戦争の現実とを考慮した上で空襲(無人操縦機による爆撃も含む」)に関して適用されている、またさるべき既定の調査」 |
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日本赤十字社、都築正男(原爆症)と榎本重治(国際法)を推薦。 |
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195402 |
この月の開催予定が4月に延期 |
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19540331 |
都築・榎本、羽田空港を出発、ジュネーブに直行。 |
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19540406 |
赤十字国際委員会本部会議室で開催。参会者:12か国16人。すべて個人の資格で意見を表明。東ドイツ、ポーランド、ソ連からの出席者なし。「日本代表都築博士からは、原子爆弾の使用や水素爆弾の事件が人体におよぼす被害についての報告がおこなわれ、唯一の被害者である日本の訴えは参会者の胸を強く打った」 |
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19540413 |
専門家会議としてコミュニケ(「世界の人民を原子戦争から守るためには兵器の破壊力を制限することが第一条件である」など}を発表し、赤十字国際委員会に報告。 |
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1954 |
第23回赤十字社連盟理事会で日本赤十字社から原水爆実験禁止の提案。 |
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<以下未入力> |
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出典:『日本赤十字社社史稿 第6巻』
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