『広島県労働年鑑 1952』(廣島縣労働部労政課)
章節 |
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1 |
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2 |
労働情勢の推移 |
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2-1 |
外観 |
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2-2 |
破防法ストまでの動き |
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2-3 |
破防法反対を中心とする春期攻勢 |
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1破防法案国会上程迄の斗争 |
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2第23回メーデー |
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3破防法等国会上程後の斗争 |
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2-4 |
夏期斗争と平和斗争 |
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1夏期斗争 |
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2平和斗争 |
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2-5 |
総選挙斗争 |
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2-6 |
秋季ベースアップ斗争 |
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2-7 |
越年斗争 |
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2-8 |
組織をめぐる動き |
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2-9 |
企業人員整理反対斗争 |
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<メモ>
1952は謄写版
1952の発行者: 廣島縣労働部労政課
1954の発行者: 廣島縣勞働部勞政課
1955のタイトル関連情報: 労仂白書
1955の発行者: 広島県民生労働部
1956以降の発行者: 広島県民生労働部労政課
止
広島県母親大会のあゆみ〈作業中〉
年月日 |
会場 |
記念講演者 |
講演 |
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19640726 |
広島市段原小学校 |
河崎なつ(代)帯刀貞代 |
手をむすぶおかあさん |
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19650718 |
広島市国泰寺中学校 |
石井あや子 |
ベトナムの婦人とともに |
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1966 |
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高橋碩一 |
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1967 |
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山本あや |
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1968 |
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住井すゑ |
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1969 |
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阿部和子 |
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1970 |
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嶋津千利世 |
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1971 |
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高橋碩一 |
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1972 |
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柴田悦子 |
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1973 |
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金持伸子 |
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1974 |
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米田佐代子 |
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1975 |
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宅和純 |
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1976 |
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スライドベトナムラオス友情の旅 |
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1977 |
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藤原富造 |
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1978 |
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滝いく子 |
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1979 |
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早乙女勝元 |
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20190922 |
呉市広まちづくりセンター |
八法亭みややっこ |
落語で語る暮らしに生きる憲法 |
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2020 |
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コロナ禍のため中止 |
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20210905 |
広島市安佐南区民文化センター |
小松泰信 |
コロナ後の暮らしを展望する―職の安心・安全、そしてSDGs |
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20220904 |
広島市東区民文化センター |
中澤晶子 |
あなたに手渡す―未来への「ワタクシゴト」 |
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止
広島県母親連絡会 19600110設立
略年表:広島の母親運動
年月日 |
集会名 |
会場 |
記念講演者「演題」 |
19550607 |
<日本母親大会(第1回)> |
東京 |
<6月7日~9日> |
19550710 |
<世界母親大会> |
スイス |
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19560122 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
中野清一「母親と女教師のみなさまへ」 |
19560825 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
帯刀貞代「日本の女性運動史をめぐって」 |
19570728 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
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19580727 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
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19591126 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
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19600110 |
広島県母親連絡会 |
広島市 |
結成 |
19600421 |
国際婦人会議 |
デンマーク |
宇根内良子(代表団長) |
19600724 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
宇根内良子「国際婦人会議に出席して」 |
19610730 |
広島県母と女教師の会 |
福山市 |
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19620624 |
広島県母親の集い |
広島市 |
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19630728 |
広島県母親の集い |
広島市 |
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19640607 |
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広島市 |
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19640726 |
広島県母親大会 |
広島市 |
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19640718 |
広島県母親大会 |
広島市 |
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—-<未入力> |
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19750720 |
広島県母親大会 |
広島市 |
宅和純「平和の灯を求めて」 |
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以上の出典:『ひろしまの母親たち』(広島県母親連絡会、19750720) |
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—-<未入力> |
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2019 |
広島県母親大会 |
呉市 |
八法亭みややつこ(弁護士・噺家)「落語で語る暮らしに活きる憲法」
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ヨーク・フォーラム=軍拡競争の終結と軍縮のための国際フォーラム 1976年3月28日~4月1日 場所:イギリス・ヨーク大学
出典:『ヨーク宣言と原水爆禁止運動の新たな局面-「軍拡競争の終結と軍縮の為の国際フォーラム」の報告』(ヨーク・フォーラム日本代表団、1976?)
目次
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はしがき |
田沼肇(日本代表団代表委員) |
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1 |
ヨーク宣言・宣言付属文書 |
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2 |
日本代表団総括 |
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3 |
ヨーク・フォーラムに対する日本代表団報告 |
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4 |
分科会のまとめ |
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5 |
軍縮分野におけるGO・NGO関係の樹立について ―核廃絶への具体的第一歩 |
佐藤行通(日本原水協担当常任理事) |
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6 |
代表団活動日誌 |
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7 |
ヨーク・フォーラム、ユーゴ、ルーマニアの旅-日本代表団の報告と感想 |
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8 |
日本原水協 日本平和委員会 ユーゴ友好親善訪問代表団報告 |
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9 |
日本原水協 日本平和委員会 ルーマニア友好親善訪問代表団報告 |
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10 |
日本代表団名簿 |
[広島関係者なし] |
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広島・ナガサキ原爆資料公開展
会場 |
日本赤十字社本社講堂(東京) |
期間 |
1954年11月25日~12月3日 |
主催 |
日本赤十字社、広島市、長崎市。 |
後援 |
厚生省、文部省、農林省、東京都、広島県、長崎県。 |
協賛 |
日本新聞協会、日本放送協会、民間放送連盟、全国社会福祉協議会連合会、中央共同募金会、原水爆禁止署名運動全国協議会 |
役員 |
相談役 池田勇人(衆議員議員広島)<以下未入力> |
委員 |
葛西嘉資(本社副社長)<以下未入力> |
幹事 |
丹羽諦順(広島市厚生局長)<以下未入力> |
展示物 |
<以下未入力> |
開場式 |
「名誉副総裁秩父宮妃殿下がテープを切られ、内外人の観覧者がつめかけ、連日満員の盛況であった」 |
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「会期中には、日赤中央病院長都築博士の講演や健康相談なども行われ好評を博した」 |
出典:『日本赤十字社社史稿 第6巻』
赤十字国際委員会主催国際専門家会議 1954年4月6日~13日 会場:赤十字国際委員会本部会議室(スイス・ジュネーブ)
年月日 |
事項 |
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19530929 |
同日付書簡(赤十字国際委員会副会長ー>日本赤十字社島津社長)[専門家会議への代表者の派遣要請]。「同様の書信をベルギー、フランス、インド、寝るウェー、ポーランド、イギリス、アメリカ、ソ連の赤十字社へも発信」「会議予定事項 1.無防備の人民の保護を強化するために空襲に関する規定を明確にし、また決定するための調査の必要についての一般的予備討議、2.人道上の要求と戦争の現実とを考慮した上で空襲(無人操縦機による爆撃も含む」)に関して適用されている、またさるべき既定の調査」 |
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日本赤十字社、都築正男(原爆症)と榎本重治(国際法)を推薦。 |
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195402 |
この月の開催予定が4月に延期 |
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19540331 |
都築・榎本、羽田空港を出発、ジュネーブに直行。 |
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19540406 |
赤十字国際委員会本部会議室で開催。参会者:12か国16人。すべて個人の資格で意見を表明。東ドイツ、ポーランド、ソ連からの出席者なし。「日本代表都築博士からは、原子爆弾の使用や水素爆弾の事件が人体におよぼす被害についての報告がおこなわれ、唯一の被害者である日本の訴えは参会者の胸を強く打った」 |
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19540413 |
専門家会議としてコミュニケ(「世界の人民を原子戦争から守るためには兵器の破壊力を制限することが第一条件である」など}を発表し、赤十字国際委員会に報告。 |
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1954 |
第23回赤十字社連盟理事会で日本赤十字社から原水爆実験禁止の提案。 |
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<以下未入力> |
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出典:『日本赤十字社社史稿 第6巻』
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