絵葉書:長崎-平和の泉<核禁会議長崎>
「核兵器禁止平和建設国民会議」カテゴリーアーカイブ
民社新聞(民主社会党機関紙)原水禁関係記事一覧 ~1964年
民社新聞(民主社会党機関紙)原水禁関係記事一覧 ~1964年
週刊<作業中>
年月日 | 号数 | 記事見出し | 備考 |
1960年 | |||
0801 | 【原水爆禁止運動全国討論集会】 | 東京・主婦会館 | |
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|||
0805 | 43 | 人道的立場で 新原水禁運動を展開 討論集会で決める | |
1961年 | |||
0730 | 【原水爆禁止全国討論集会】 | 広島商工会議所 | |
0804 | 91 | ||
0815 | 【核兵器禁止・平和建設国民大会】 | 東京都体育館 | |
0818 | 93 | 拘束されぬ運動を 原水爆禁止全国討論集会 広島 | |
0915 | 96 | ||
0922 | 97 | ||
1124 | 106 | ||
1962年 | |||
0601 | 128 | ||
0805 | 【核兵器禁止・平和建設広島大会】 | 広島市公会堂 | |
0810 | 137 | ||
0824 | 136 | ||
1207 | 152 | ||
1963年 | |||
0531 | 173 | ||
0607 | 174 | ||
0614 | 175 | ||
0805 | 【第3回核禁国民大会】 | 広島・見真講堂 | |
0816 | 184 | ||
1964年 | |||
0802 | 【第4回核禁国民大会】 | 広島市公会堂 | |
0807 | 230 | ||
0807 | 230 | ||
0807 | 230 | 「平和の灯」点火の一瞬 夜空にあかあかと 感動全身つらぬく | |
止
年表:核禁会議の主な動き(1961年11月15日~)
年表:核禁会議の主な動き(1961年11月15日~)<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1961 | ||
1115 | 8月15日に開かれた「核兵器禁止・平和建設国民運動の組織化に関する決議」に基づいて、東京・神宮外苑の日本青年館に5000人が参加して核兵器禁止・平和建設国民会議(略称・核禁会議)の結成大会が開かれ、正式に核禁会議がスタート。 | |
1229 | 核禁会議と長崎全労の名でカンパ金47万1400円、長崎県下の100名の入院患者などに贈呈。 | |
1962 | ||
0805 | 核兵器禁止・平和建設大会。主催:広島核禁会議。広島アピール。 | |
1963 | ||
0805 | ~06 第3回核禁国民大会。広島市平和公園慰霊碑前。見真講堂。参加者2000人。決議「原水禁よ広島から帰れ」。 | |
0916 | 宗教者平和使節団、ローマ法王と謁見。 | |
1203 | 幹部会。1964年の原爆記念日を目標に広島に「平和の灯建設に着手することを決定。総工費700万円。設計は丹下健三・東京大学工学部助教授に要請することを決定。 | |
1964 | ||
0424 | 理事会。”平和の灯”建設カンパ活動について協議。5千万円カンパを確認。”鍬入れ式”など当面の日程を協議。 | |
0526 | 「平和の灯」起工式挙行。広島の平和記念公園広場に全国の代表と地元被爆者代表200人参加。 | |
0801 | 「平和の灯」、広島市平和公園に点灯。 | |
0802 | 第4回国民大会、広島で開催。 | |
1027 | 中国核実験反対世界平和祈願大集会。”平和の灯”前。 | |
1965 | ||
0801 | 被爆20周年記念の核禁”平和の灯”全国大会。 | |
1966 | ||
1967 | ||
1968 | ||
1969 | ||
1970 | ||
1971 | ||
1972 | ||
1973 | ||
1974 | ||
1975 | ||
1976 | ||
1977 | ||
1978 | ||
1979 | ||
出典:『核兵器廃絶の叫び 核禁会議二十年史』
止
核禁会議二十年史
『核兵器廃絶の叫び-核禁会議二十年史』(核兵器禁止平和建設国民会議、19820615)
目次
章節 | タイトル |
題字(磯村英一) | |
発刊のことば-核禁会議は躍進する(磯村英一) | |
1 | 核禁会議の誕生 |
1-1 | 結成までのいきさつ |
1-2 | 内外注視の中の結成大会 |
<資料>結成大会で採択された宣言・決議・活動方針・組織方針 | |
2 | 核兵器廃絶をめざして |
2-1 | 核実験阻止の抗議行動 |
2-2 | 部分核停協定などの促進 |
2-3 | 核兵器禁止国民大会の開催 |
2-4 | 核禁運動の大同団結の呼びかけ |
2-5 | シンポジウムと地方核禁討論集会 |
2-6 | 行進・キャラバンなど世論喚起 |
2-7 | 非核3原則の堅持を訴える |
3 | 国際世論に訴えて |
3-1 | 核兵器禁止宗教者平和使節団の派遣 |
3-2 | 第1回アジア核禁会議の開催 |
アジア核禁会議開催委員氏名 | |
アジア核禁会議実行委員氏名 | |
3-3 | 国連軍縮特別総会に向けて |
3-4 | 東京サミットに核廃絶を申入れ |
3-5 | 釜山で「韓国・原爆資料展」開催 |
4 | 被爆者に愛の手を |
4-1 | 被爆者救援カンパ活動の展開 |
4-2 | 被爆者の健康管理に役立つ医療器具の贈呈 |
4-3 | 韓国被爆者の救援と診療センターの建設 |
4-4 | 被爆者援護法の制定実現に努力 |
<資料>「原子爆弾被爆者援護対策の基本的要綱」 | |
5 | 平和への願い |
5-1 | 「平和の灯(ともしび)」の建設 |
5-2 | 「平和の泉」の建設 |
5-3 | 「平和の森」の建設 |
5-4 | “万羽鶴”に願いをこめて |
5-5 | 「人間環境宣言」で要望 |
5-6 | 被爆20周年・核禁会議の決意 |
5-7 | 原子力の平和利用をめざして |
5-8 | 核軍縮国際センターの設立へ |
6 | 核兵器をめぐるここ10年の情勢と核禁会議の基本姿勢座 |
座談会 | 核禁会議結成前後「あのころ・あのこと」(松下正寿・伊藤郁男・山本道・一木香告樹) |
資料集 | 核禁会議理事団体・歴代役員並びに規約 |
被爆者救援金配分内容=各県別カンパ額 | |
年表 | |
あとがき |
核禁会議30年史
『核兵器廃絶と恒久平和を求めて-核禁会議30年史』(核兵器禁止平和建設国民会議、19940101)
目次
章節 | タイトル | 備考 |
題字 | 磯村英一書 91歳 | |
発刊のことば-21世紀に向って強く前進 | 磯村英一 | |
30年史の発刊に寄せて | ||
1 | 核禁会議の誕生 | |
1-1 | 結成までのいきさつ | |
1-2 | 内外注視の中の結成大会 | |
<資料>結成大会で採択された宣言・決議・活動方針・組織方針 | ||
2 | 核兵器廃絶をめざして | |
2-1 | 核実験阻止の抗議行動 | |
2-2 | 部分核停協定などの促進 | |
2-3 | 核兵器禁止国民大会の開催 | |
2-4 | 核禁運動の大同団結の呼びかけ | |
2-5 | シンポジウムと地方核禁討論集会 | |
2-6 | 行進・キャラバンなど世論喚起 | |
2-7 | 非核3原則の堅持を訴える | |
3 | 国際世論に訴えて | |
3-1 | 核兵器禁止宗教者平和使節団の派遣 | |
3-2 | 第1回アジア核禁会議の開催 | |
3-3 | 国連軍縮特別総会に向けて | |
3-4 | サミットに核廃絶を申入れ | |
3-5 | 釜山で「韓国・原爆資料展」開催 | |
4 | 被爆者に愛の手を | |
4-1 | 被爆者救援カンパ活動の展開 | |
4-2 | 被爆者の健康管理の促進と医療器具の贈呈 | |
4-3 | 韓国被爆者の救援と診療センターの建設 | |
4-4 | 被爆者援護法の制定実現に努力 | |
<資料>「原子爆弾被爆者援護対策の基本的要綱」 | ||
5 | 平和への願い | |
5-1 | 「平和の灯(ともしび)」の建設 | |
5-2 | 「平和の泉」の建設 | |
5-3 | 「平和の森」の建設 | |
5-4 | “万羽鶴”に願いをこめて | |
5-5 | 「人間環境宣言」で要望 | |
5-6 | 「ノーモア広島・長崎」への決意 | |
5-7 | 原子力の平和利用をめざして | |
5-8 | 核軍縮国際センターの設立を提唱 | |
6 | 核兵器をめぐるここ10年の情勢と核禁会議の基本姿勢 | |
座談会 核禁会議結成前後「あのころ・あのこと」(松下正寿・伊藤郁男・山本道・一木香告樹) | ||
資料集 核禁会議理事団体・歴代役員並びに規約 | ||
被爆者救援金配分内容=各県別カンパ額 | ||
年表 | ||
あとがき |
核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )
核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )
年月日 | タイトル | 備考 |
本 | ||
19610906 | 核兵器禁止と平和建設のために | 核兵器禁止平和建設国民会議 |
197804 | 在韓被爆者 | 核兵器禁止平和建設国民会議 |
[目次]1.被爆の背景、2.在韓被爆者の社会的背景、3.陜川郡における被爆者実態調査、4.韓国被爆者の身体的障害と健康状況、5.韓国被爆者救援活動、6.韓国陜川原爆被害者診療所に対する慶尚南道と陜川郡の支援状況。 | ||
19820615 | 核兵器廃絶の叫び-核禁会議二十年史 | 核兵器禁止平和建設国民会議 |
199401 | 核兵器廃絶と恒久平和を求めて : 核禁会議三十年史 | 核兵器禁止平和建設国民会議 |
波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂
『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄
章節 | |||
出版に寄せて | |||
はじめに | |||
1 | 小さい頃と両親のこと | ||
2 | 小学校時代のこと | ||
3 | 青年団活動 | ||
4 | 大東亜戦争のこと | ||
4-12 | 原爆と終戦 | ||
5 | 音戸町体育協会のこと | ||
6 | 全力つくした町議会議員 | ||
6-1 | 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員> | ||
6-2 | 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力 | ||
6-3 | 町立保育所の設立を実現 | ||
6-4 | 音戸高等学校誘致に死力をつくす | ||
7 | 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意 | ||
7-1 | 労働運動に入るきっかけ | ||
7-2 | 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京 | ||
7-6 | 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅 | ||
7-7 | 中国労災病院呉誘致に一役買う | ||
7-9 | 呉造船独立と労働組合 | ||
7-10 | 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に | ||
7-12 | 労働組合長に就任 | ||
7-13 | 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施 | ||
7-16 | 組合特自の共済規定の実現 | ||
7-17 | 家族会の結成と家族相談室の設立 | ||
7-19 | 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現 | ||
7-20 | 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される | ||
7-22 | 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施 | ||
8 | 広島全労議長として活躍 | ||
8-1 | 造船総連、総同盟等の上部役員 | ||
8-2 | 広島全労議長に就任 | ||
8-3 | 県関係の各種委員に任命される | ||
8-4 | 日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として | ||
8-4-1 | 出発に郷里で見送り壮行会 | ||
8-4-2 | いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと | ||
8-4-3 | 労働組合が国旗と組合旗を尊重 | ||
8-4-4 | 徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内 | ||
8-4-5 | 組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる | ||
8-4-6 | 日系人のこと | ||
8-4-7 | 手土産と家庭訪問 | ||
8-4-8 | 余話 | ||
8-5 | 最賃法裁判で基準局賃金課長を激励 | ||
8-7-1 | |||
8-6 | 憲法調査会の公述人として意見陳述 | ||
8-7 | 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決 | ||
8-8 | 労済、労住、労福協の結成 | ||
8-8-1 | 植木仙次郎氏8-5の功績 | ||
8-8-2 | 広島県労働者共済生活協同組合の設立 | ||
8-8-3 | 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月 | ||
8-8-4 | 広島県労働者福祉対策協議会結成 | ||
8-8-5 | 結成周年記念式典の思い出 | ||
8-8-6 | 焼山政畝団地造成の思い出 | ||
8-8-7 | 音戸波多見竹田浜埋立団地に | ||
8-9 | 労働争議の斡旋、調停、指導 | ||
8-9-1 | 西美電気西光精機(現テンパール工業) | ||
8-9-2 | 府中町静養院の争議 | ||
8-9-3 | ニコニコバスの争議 | ||
8-9-4 | 日東製網の争議解決に努力 | ||
8-9-5 | 佐竹新労結成は暴力を排除して | ||
8-9-6 | 激しかった当時の労働争議 | ||
8-9-7 | 国鉄、電産のスト、労使に苦言 | ||
8-9-8 | 地労委としての私の基本的考えと携わった事件 | ||
8-9-9 | |||
8-9-10 | メーデー改善を訴える | ||
8-9-11 | 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる | ||
8-9-12 | 同盟会議結成の準備と全労議長退任 | ||
9 | 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績 | ||
10 | PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身 | ||
11 | 生涯民社党を貫く | ||
12 | 思い出深い選挙活動 | ||
まえがき | |||
12-1 | 衆議院議員前田栄之助先生を支えて | ||
12-2 | 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退 | ||
12-3 | 永野巖雄先生とのかかわり | ||
12-4 | 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う | ||
12-5 | 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙 | ||
12-6 | 浜田光人先生、衆院選擁立について | ||
12-7 | 保野健治郎先生の選挙 | ||
12-7-1 | 呉市長選擁立に社公民三党の話合い | ||
12-7-2 | 二回目の市長選は未曽有の激戦 | ||
12-7-3 | 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける | ||
12-8 | 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選 | ||
12-9 | 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う | ||
12-10 | 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援 | ||
12-11 | 盟友玉野晃君と県会議員選挙 | ||
12-12 | 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾 | ||
12-13 | 次期県議候補に柳田稔氏を説得 | ||
12-14 | 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員 | ||
12-15 | 呉市議選につくした私の役割 | ||
12-15-1 | 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利 | ||
12-15-2 | 出崎文三氏をわが社社員で市議へ | ||
12-15-3 | 榊原伍市議との交友 | ||
12-15-4 | 横田勝信市議とのこと | ||
12-15-5 | 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う | ||
12-15-6 | 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議 | ||
12-15-7 | 成功しなかった市議選 | ||
12-16 | 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する | ||
12-17 | 音戸町長選(平成五年)を思う | ||
12-18 | 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任 | ||
12-19 | 民社党候補者探しは私の役目として努力 | ||
13 | 会社設立し理想に向って | ||
13-1 | IHIを中途退職して外で行動 | ||
13-2 | 株式会社くれせん設立 | ||
14 | 家庭、家族のこと | ||
15 | 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して | ||
むすびに | |||
金本邦夫略年譜 |