『第五福龍丸事件』(焼津市、19761101 )
目次
章 |
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見出し |
備考 |
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挨拶(焼津市長 服部毅―) |
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発刊によせて(焼津漁業協同組合長 滝ロ佐々ヱ門) |
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序(編集委員長 北山宏明) |
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1 |
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事件の概要 |
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乗組員名簿 |
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第五福竜丸事件年譜 |
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2 |
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被災時の諸問題 |
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1 |
被災時の位置 |
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その時の状況について乗組員談 |
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2 |
帰港後の様子と被災時の諸問題 |
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3 |
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乗組員の被害について |
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1 |
焼津市対策本部日誌3月14日より3月28日まで |
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2 |
衛生課の事件日誌 |
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3 |
初診時所見とその経過(焼津病院外科医長 大井俊亮) |
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4 |
被災患者上京入院及び退院帰省につき打合せ事項 |
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通達と譲渡証 |
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患者との意見交換 |
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4 |
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乗組員の病状 |
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1 |
3月1日より9月23日まで |
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2 |
故久保山愛吉氏の臨床経過 |
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3 |
各医師の発表 |
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東邦医大教授(森田久男博士の発表) |
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主治医の立場から (東大病院沖中内科教室医博 三好和男) |
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東大名誉教授都築博士 米国務省訪問見解表明 |
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5 |
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船体と管理 |
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1 |
生いたちと概要 |
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2 |
帰港直後の状況 |
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3 |
船体等の管理と補償問題 |
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4 |
船体の監視と売買 |
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監視日誌 |
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5 |
船体の移動と東京への回航 |
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6 |
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魚への影響及び補償(第五福竜丸関係) |
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1 |
主として直接的被害について |
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2 |
ビキニ事件の補償問題 |
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3 |
久保山愛吉氏慰謝料問題について |
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4 |
乗組員の慰謝料問題について |
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7 |
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事件と漁業対策(一般補償関係) |
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1 |
対策本部設置 |
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2 |
組合長会議 |
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3 |
日かつ連、要望書手交 |
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日かつ運が総額20億円の補償要求 |
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片付かぬビキニ補償 |
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交渉妥結とその後の対策 |
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ビキニ被災―年補償金決らず |
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補償問題の対米折衝経緯 |
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ビキニ問題その後 |
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8 |
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手記及び追悼文 |
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1 |
久保山愛吉氏の手記 |
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2 |
愛吉氏と家族との交信 |
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未亡人すゞさんの手記 |
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3 |
患者の手記 |
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4 |
久保山さんの死に思う 熊取敏之博士 |
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5 |
故久保山愛吉君を悼む |
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9 |
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“死の灰”について |
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調査団 |
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死の灰の分析と第1回発表 |
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筧博士の報告書 |
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第2、第3回の分析発表 |
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相つぐ漁船の被害 |
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マーシャル水域における漁船等の被害対策 |
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最終結果の分析発表 |
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静岡大、大阪大、金沢大の分析結果 |
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日本全土を掩う放射能 |
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調査船〃俊鶴丸〃 |
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附 |
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a |
その後の乗組員の様子 |
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b |
当時を顧みて(近藤久一郎) |
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c |
第五福竜丸の思い出 (宮崎作次) |
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d |
回想(見崎吉男) |
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参考文献 |
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編集委員名簿 |
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資料写真 |
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『原水協通信』(2020年)(原水爆禁止日本協議会機関紙)
宇吹所蔵分
号 |
発行年月 |
備考 |
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910 |
2019 |
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911 |
20200106 |
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広島版 |
年末見舞金を届けました |
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「旧陸軍被服支廠」の全面保存・活用を申入れ |
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緊急企画 旧陸軍被服支廠を見て学ぶ会 |
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西区で訪問署名 |
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2020年・ヒバク75年 核兵器廃絶へ大きなうねりを! |
912 |
20200206 |
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913 |
20200306 |
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914 |
20200406 |
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915 |
20200506 |
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916 |
20200606 |
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917 |
20200706 |
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918 |
20200806 |
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919 |
20200906 |
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920 |
20201006 |
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921 |
20201106 |
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922 |
20201206 |
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923 |
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924 |
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925 |
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『原水爆禁止運動』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
目次
第*回大会 |
タイトル<初出掲載誌紙> |
プロローグ |
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原水禁運動の発足 |
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杉並アピール |
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見殺しにされた被爆者 |
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被爆者救援運動の発足 |
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1 |
三千二百万人の国民運動の進展 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』187号(195509)> |
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八月六日の回想 |
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発言の本音 |
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被爆者の生活と意見 |
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科学者の責任 |
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救援運動の出発 |
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基地闘争への賛否 |
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ヒロシマ・アピール |
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歴史学研究会の問題点 |
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歴史をになうもの |
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2 |
被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』200号(195610)> |
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世界を動かしたヒロシマ |
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世界の連帯 |
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進む戦争準備 |
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沖縄問題 |
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再軍備への告発 |
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被爆者救援運動との結合 |
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原子力の平和利用と大衆 |
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大衆運動の進め方への反省 |
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3 |
地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』211号(195709)> |
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台所までもち込まれた運動 |
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専門家の告発 |
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歴史家は何をすべきか |
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六大陸にひろがった原水禁運動 |
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原水爆戦争体制との対決をうち出す |
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会議は空転する |
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全学連の誤謬 |
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大会決定の成果と不安 |
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問題点のかずかず |
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組織と理論に重大な欠陥 |
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4 |
日本の非核武装化にたちむかうために |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』223号(195709)> |
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岸内閣を助けた原水協 |
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ICBMの評価を誤る |
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欧米で核兵器反対運動高まる |
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平和行進 |
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原爆の加害国化する日本 |
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統一戦線 |
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日本の核武装 |
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空転する討論 |
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中国・朝鮮への差別 |
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運動の進め方への反省 |
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難航した国際会議 |
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実験禁止から核武装反対へ |
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原水協を全国民のものに |
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5 |
原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 |
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<初出掲載誌紙:『歴史評論』110号(195910)> |
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原水禁運動のマニフェスト |
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一千万人の平和行進 |
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自民党の妨害工作 |
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安保改定と原水禁運動 |
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大会からの脱退者 |
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左右の日和見主義者 |
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6 |
戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』246号(196010)> |
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二千二百万人の平和行進 |
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平和の敵は誰か |
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平和運動における二大潮流 |
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人類の導きの星 |
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日本と沖縄での戦いの報告 |
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大会の混乱と成果 |
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軍備全廃か冷戦終結か |
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7 |
帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』257号(196109)> |
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謀略工作 |
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平和運動における西欧方式とAA方式 |
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AA地域別会議流れる |
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本会議でのかけひき |
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大会決議のおもてうら |
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原水爆時代の平和理論 |
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大衆の平和運動 |
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両派の自己批判と運動の進展 |
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8 |
社・共両党の激突と大衆の統一への願い |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』269号(196210)> |
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矛盾の中で |
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総評まかり通る |
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あらゆる核実験に抗議する問題 |
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核戦争の元凶は誰か |
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幅広い運動か、反帝政治闘争か |
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原水協の「内乱」と統一のエネルギー |
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9 |
国民運動の崩壊と再生への四つの芽 |
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<『思想の科学』19号(196310)> |
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宗平協―国民運動をはぐくむもの |
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地方原水協の活動 |
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原水協、国民を無視 |
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大会準備のなかでー国民運動にそむくもの |
|
大会のうらおもて―国民運動の崩壊劇 |
|
大会懇談会の諸報告―国民運動の新しい芽 |
|
すべての地域と職場に原水協をつくろう |
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10 |
毛沢東理論からみた日本原水協批判 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』299号(196504)> |
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原水禁運動と私 |
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毛沢東の平和理論の問題点 |
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中ソ対立と原水禁運動 |
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民族解放運動との接点 |
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資本主義国の平和運動の意義 |
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統一戦線への整風運動 |
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日本の平和運動の性格 |
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広島の平和運動の性格 |
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原水協はその基本原則で再統一を |
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核兵器のない世界をめざして |
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<『聖教新聞』1973年2月21日~28日> |
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日本の安全はどうして守るのか |
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平和運動のゆくえ |
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新しい平和の条件 |
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国際連合の将来 |
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あとがき |
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『たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史』(亀井文夫著 谷川義雄編、岩波書店、19890821 )
目次
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頁 |
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Ⅰ |
ドキュメンタリーをめざして |
001 |
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わんぱく時代/ソビエト留学/上海事変の記録/戦う兵隊/記録映画を考える/記録映画と真実と/ |
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Ⅱ |
わが戦争と平和 |
073 |
|
信濃風土記 /シナリオ小林一茶/コミンテルンと雑魚一匹/日本の悲劇/来なかったのは軍艦だけ/ |
|
Ⅲ |
戦後を記録する |
137 |
|
軍事基地日本 |
138 |
|
原爆への視線 |
146 |
|
世界は恐怖する |
155 |
|
部落差別は生きている |
176 |
Ⅳ |
生物みなトモダチ |
185 |
|
ギャラリー東洋人にて |
186 |
|
みんな生きなければならない |
197 |
|
編者あとがき(谷川義雄) |
215 |
|
亀井文夫監督作品目録 |
225 |
第14回原爆禁止世界大会(1968年)日本代表団の決議
被爆者救援活動を強化するための決議
アメリカの広島・長崎への原爆投下は、一瞬にして30数万の人命をうばい、その後23年、被爆者は今なお、死の不安に脅かされ、生活と医療に苦しみつづけています。
原爆の生きた証人である被爆者をまもり、その切実な要求を実現することは、原水爆禁止運動の重要な課題です。
アメリカと日本政府が、核アレルギーからの脱却などといって、核兵器への警戒をゆるめ、核軍事同盟強化に公然とのりだしている今日、被爆者救援活動を強化することは、ますます必要となっています。
この1年間に、被爆者救援活動は飛躍的に強まり、被爆者の身近な諸要求に対する施策を自治体からかちとる活動も大きく前進しました。さらに、援護法制定の運動に多数の地方自治体を動かし、原水爆禁止運動の発展と被爆者自身の積極的な行動によって多くの成果をかちとりました。
このような高まりにおされ、佐藤内閣は、「原子爆弾被爆者の特別措置に関する法律」を本年9月から実施しようとしています。この法律は、医療法を援護法へと発展させるかのごとき形をよそおいながら、認定患者を中心とするきわめて限られた一部の被爆者に適用されるにすぎず、わたしたちが要求してきた被爆者援護法とは全くほど遠いものです。
わたしたちは、この特別措置法のゴマかしの本質を広く国民の前に明らかにし、国家補償の責任にもとづく生活と医療の全面的保障を内容とする真の被爆者援護法制定のために、いっそう奮闘しなければなりません。同時に、特別措置法が少しでも被爆者に有利に施行されるよう、原爆医療審議会の公開と民主的運営などのためにたたかう必要があります。
また、被爆二世に対する調査と健康管理が行なわれることがとくに重要です。
わたしたちは、日本国民の力で被爆者救援をおこなうために、1500万円募金とともに、被爆者の大衆的世話活動、地方自治体自身に救援の施策を実施させることなどにとりくみ、各都道府県ごとに6・9行動をはじめとする諸活動を強化してきました。こうして集められた救援金は、被爆者にたいするあたたかい励ましとなっていますが、被爆者のおかれているきわめて困難な状態からみるならぱ、なお不十分であり、自治体の救援施策もなお、被爆者の要求とはほど遠いものです。
わたしたちは、救援行動の新らしい目標に向かって一段と活動を強化しなければなりません。当面、6・9行動推進特別月間の成功のために全力をあげてがんばりましょう。
加害者が被害者を調査し、核戦争準備に役立てているABCCの撤去と資料の公開のためのたたかいを、ベトナム人民との連帯の実感のなかで、さらに強めましょう。
被爆の実相を国民に明らかにするうえで、貴重な資料である原爆映画について、政府はプライバシー尊重という欺まん的な口実のもとに、もっとも重要な人体にたいする影響の部分をカットし、原爆投下の犯罪を国民の目からおおいかくそうとしています。ただちに広範な抗議行動をおこし、全面公開をかちとるとともに、フィルムのすべてを米軍没収以前の所有者に返還させることが重要です。
こうした活動をおしすすめるなかで、原水爆禁止運動の正しい路線のうえにさらに広範な被爆者を結集し、都道府県の被爆者組織を民主的に強化し、被爆者運動と原水爆禁止運動との団結をいっそう固めて前進しましょう。
右決議します。
1968年8月5日・東京にて
原水爆禁止広島・長崎大会報告決定集(広島・長崎大会全国準備委員会編・刊、1964年)
No.1目次
頁 |
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2 |
内外の平和の友に心から歓迎の挨拶を送る(森滝市郎) |
3 |
〈大会案内〉行事日程と会議のプログラム |
5 |
被災3県連アピール(全文) |
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原水爆禁止運動の正常化のための広島・長崎・静岡3県連絡会議の訴え |
6 |
外国代表の名簿 |
|
イギリス インド インドネシア セイロン ラテンアメリカ労働組合書記局
モロッコ アメリカ アルジェリア フランス モンゴル チェコスロバキア
イギリス アルゼンチン オーストラリア 世界平和評議会 ブルガリア
ドイツ連邦共和国 ナイジェリア スーダン コロンビア ユーゴスラヴィア
ソマリーランド コンゴ ソ連 トルコ レバノン イタリア フィンランド
世界民主婦人連盟(WIDF) カナダ キプロス ドイツ民主共和国
世界教員組合連盟(WFTU) アンゴラ シリア ヨルダン
国際法律家協会(IJA) 国際学連 |
8 |
被爆地を結ぶ平和大行進 被爆者代表先頭に焼津を出発 |
8 |
8月6日を前にして 広島県原水協アピール |
10 |
平和行進団を迎えて 関西平和集会に2万人参加(7.29) |
11 |
被爆者は訴える〈広島の証言〉 |
|
藤原さんの場合 |
|
世界平和の人柱 19年間、私は誰にも語らなかった(谷口ハツエ) |
14 |
ことしになって28人が死亡 あいつぐ犠牲者 広島原爆病院「原爆白書」を発表 |
15 |
〈解説〉諸外国における平和運動 |
|
<大会スローガン> |
|
諸外国の労働組合における平和運動の現状 |
17 |
広島・長崎世界平和巡礼団に参加して(キリンビール労組広島工場支部書記長 藤本悟) |
19 |
シュバイツアー博士からメッセージ |
27 |
キューリー平和賞を広島市民へおくる |
20 |
広島・長崎大会「階層別会議基調報告」 |
28 |
大会支持者名簿(国内) |
原水爆禁止広島・長崎大会報告決定集(広島・長崎大会全国準備委員会編・刊、1964年8月25日)
No.2目次
頁 |
|
1 |
まえがき |
4 |
原水爆禁止・被爆者救援・核武装阻止・軍備全廃を世界に訴える広島・長崎大会の基調 |
14 |
平和行進 |
15 |
北部コース・西部コース
平和行進に参加して 甲賀一之 |
17 |
国際会議 |
20 |
原水禁広島・長蜻大会国際会議における主催者報告 |
22 |
べトナム・ラオスの軍事危機に関する緊急決議 |
22 |
国際共同行動への呼びかけ |
23 |
国際会議で採択された決議 |
23 |
地下核実験禁止に関する決議 |
23 |
核兵器の拡散に反対し、非核武装地帯の設置を要求する決議 |
24 |
原水爆被災者の救援に関する決議 |
24 |
日本の核武装に反対する決議 |
24 |
核戦争阻止と民族独立闘争に関する決議 |
24 |
フランスの核実験に反対する決議 |
25 |
東京地裁の原爆判決に関する決議 |
25 |
キューバに関する決議 |
25 |
コロンボ提案に関する決議 |
26 |
諸外国渚団体代表の演説 |
26 |
世界平和評議会・チャンドラ代表 |
27 |
世界労連・バディジャ代表 |
29 |
ソ連・ジューコフ代表 |
30 |
カナダ平和協議会・エンディコット代表 |
30 |
米国・健全なる核政策委員会・ホーマー・ジャック代表 |
32 |
英国・シェファー代表 |
32 |
イタリア・メンカラリーア代表 |
33 |
世界民婦連・パンタリオン代表 |
34 |
西ドイツ・シュルテ代表 |
35 |
国際民生法律家協会・カルバジャール代表 |
35 |
オーストラリア・ヘッファーナン代表 |
35 |
フランス労働総同盟・マサビエ代表 |
36 |
世界民主青年同盟・ババゲール代表 |
36 |
ラテン・アメリカ労働総同盟・トレド代表 |
36 |
モンゴリア・チミド代表 |
37 |
世界教員組合連合・ダズイー代表 |
37 |
フィンランド・ウオミネン代表 |
37 |
キプロス平和委員会・レミス代表 |
38 |
コロンビア・ムニヨス代表 |
39 |
高橋昭博 被爆者を代表して |
40 |
神崎清 日本の原爆文学・関連する二つの提案 |
43 |
前野良 日本の原水禁運動と憲法の非核武装中心の現代的意義 |
45 |
高橋正雄現代の原罪からの救済 |
47 |
学者・文化人会議 |
48 |
基調報告 |
49 |
行田良雄 資料・平和と教育(報告的問題提起) |
52 |
金井利博 原水爆被害白書を国連へ提出する件 |
|
|
54 |
広島大会 |
54 |
開会総会 |
55 |
メッセージ |
56 |
J・D・バナール教授 /バートランド・ラッセル卿 |
58 |
青木勉治 議長団あいさつ |
58 |
来賓あいさつ |
58 |
浜井信三 |
59 |
高橋正雄 |
59 |
岩井章 |
60 |
河上丈太郎 |
61 |
森滝市郎 基調演説 |
64 |
阿部静子 被爆者の訴え |
65 |
亀甲康吉 沖縄代表報告 |
67 |
階層別会議 |
67 |
農山漁村 第一会場 |
67 |
働く婦人 第二会場 |
71 |
主婦 第二十四会場 |
70 |
教育・研究者 第六会場 /第七会場/第十二会場 |
71 |
宗教者 第八会場 |
73 |
文化関係者 第十三会場 |
75 |
青年 第十六会場 |
72 |
学生 第十会場 |
74 |
自治体 第十四会場 |
|
労働者 |
|
第三会場 68/第四会場 68/第五会場 69/第九会場 71/第十一会場 72/第十五会場 74/第十七会場 75/第十八会場 76/第十九会場 77/第二十会場 77/第二十一会場 78/第二十二会場 78/第二十三会場 79/第二十五会場 80/第二十六会場 80/第二十七会場 81/第二十八会場 81/第二十九会場 82/第三十会場 82/第三十一会場 83 |
84 |
被爆者との懇談会 |
84 |
報告書 |
85 |
被爆者援護の現状とその要求 |
|
懇談会 第一会場 88/第二会場 88/第三会場 89/第四会場 90/第五会場 91/第六会場 91 |
|
|
93 |
記念式典 |
94 |
追悼慰霊祭 |
|
|
95 |
閉会総会 |
96 |
外国代表のあいさつ |
96 |
世界民婦連・パンタレオン代表 |
96 |
ガーナ・ピーター代表 |
96 |
階層別会議のまとめ |
97 |
広島アピール |
98 |
大会決議 |
99 |
被爆者救援に関する決議 |
99 |
地下核実験即時中止と全面核停の実施を要求する決議 |
100 |
日本の核武装を阻止し、アジア・太平洋の非核武装地帯設置をめざす決議 |
100 |
ベトナム・ラオス紛争の平和解決を要求する決議 |
100 |
統一行動強化に関する決議 |
101 |
原水禁運動の推進に関する確認 |
|
閉会のことば 102 |
|
|
103 |
長崎大会 |
104 |
長崎アピール |
105 |
小林ひろ 一人ひとりの胸をたたいて |
105 |
成田知己 人間としての心の叫びを行動に |
106 |
全国代表者会議 |
|
|
108 |
参考資料 神崎清 原体験を把握せよ |
『ヒロシマの声を聞こう-原爆の碑と遺跡が語るもの』(「原爆碑・遺跡案内」編集委員会編・刊、19900801 )
目次
頁 |
碑・遺跡 |
|
|
発刊にあたって |
|
04 |
(序)広島の碑や遺跡がわたしたちに語りかけるもの |
08 |
原爆ドームと爆心地 |
核兵器廃絶のシンボル |
10 |
原爆の子の像 |
子どもたちの建てたモニュメント |
12 |
原爆供養塔 |
7万人の遺骨が眠る |
14 |
慈仙寺跡の墓石 |
爆風の威力示す |
16 |
平和乃観音像と復元地図 |
消された街への思慕 |
18 |
広島平和都市記念碑 |
平和公園の中心 |
20 |
天神町北組と材木町の碑 |
名のない死者への思い |
22 |
峠三吉の詩碑 |
にんげんをかえせ |
24 |
全損保労組の記念碑 |
あの日を問い続ける |
26 |
ジュノー博士記念碑 |
医薬品15トンで救援 |
28 |
広島市立高女の慰霊碑 |
「校歌」を歌いながら死んだ少女たち |
30 |
嵐の中の母子像 |
核兵器から子供を守って |
32 |
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑 |
私たちの死をむだにしないで |
34 |
県立二中と広島市商の慰霊碑 |
可憐なる学徒はいとし |
36 |
義勇隊の碑 |
一瞬に消えた部落中の働き手 |
38 |
韓国人原爆犠牲者慰霊碑 |
祖国を奪われ異郷の地で被爆 |
40 |
本川小学校 |
爆心地にいちばん近い学校 |
42 |
原爆犠牲ヒロシマの碑 |
原爆瓦に託す高校生の誓い |
44 |
原民喜詩碑 |
生きのびてこのありさまを |
46 |
広島城跡の地下壕・大本営・ユーカリ |
広島全滅の第1報は13歳の少女 |
48 |
陸軍病院跡の被爆榎 |
子どもたちに守られてきた |
50 |
縮景園 |
遺骨を抱いた傷だらけの名園 |
52 |
昔のおもかげを残す京橋 |
被爆者が殺到した橋 |
54 |
比治山陸軍基地と放射能線影響研究所 |
戦争・被爆の惨状を語り続ける |
56 |
陸軍被服支廠の倉庫跡 |
爆風にひん曲がった鉄扉 |
58 |
さくら隊原爆殉難の碑 |
全滅した劇団 |
60 |
広島赤十字・原爆病院 |
その日1万人を治療した |
62 |
似島 |
被爆者の眠る島 |
64 |
(案内地図) |
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表紙・カット |
四国五郎 |
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写真 |
池上利秋 |
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校閲・編集 |
金子一士・高橋信雄・武田寛・村中好穂 |
原水爆禁止少年少女のつどい 第1回 1974年8月6日
開催状況
回 |
年月日 |
備考 |
01 |
19740806 |
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『原水爆禁止少年少女のつどい感想文-1974年広島=似島での記録』(原水爆禁止日本協議会、19750806) |
02 |
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03 |
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04 |
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05 |
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06 |
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3団体(広島市教職員組合・広島県新婦人の会・広島県子どもを守る会)で実行委員会を作り運営を開始。 |
07 |
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08 |
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09 |
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旧暁部隊の方々から被爆者救護体験を聞く。 |
10 |
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11 |
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12 |
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13 |
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14 |
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15 |
1988 |
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『似島 廣島とヒロシマを考える』(原水爆禁止似島少年少女のつどい実行委員会< 事務局=広島市教職員組合内>、19880701) |
16 |
1989 |
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17 |
1990 |
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18 |
1991 |
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19 |
1992 |
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20 |
1993 |
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21 |
1994 |
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22 |
1995 |
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23 |
1996 |
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24 |
1997 |
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25 |
19980805 |
宇吹参加 |
26 |
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『「原水禁」論議の問題点 社会風潮調査資料31』(内閣官房内閣調査室、196501)
目次
章節 |
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要旨 |
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はしがき |
1 |
ソ連による核実験再開の衝撃 |
1-1 |
「平和運動」の混乱 |
1-2 |
核実験への微妙な反応 |
1-3 |
核実験支持の動き |
1-4 |
動揺する人びと |
1-5 |
核実験再開の余波 |
2 |
「いかなる国の・・・」から中ソ対立へ |
2-1 |
科学者京都会議 |
2-2 |
社会民主主義勢力の動向 |
2-3 |
中ソ対立の表面化 |
3 |
中共の核実験をひかえて |
3-1 |
中共の核実験をひかえて |
3-2 |
一般国民への影響 |
3-3 |
核実験後の反応 |
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あとがき |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。