『原水爆禁止2013年世界大会』(原水爆禁止日本協議会、2013/05/02)<パンフ34頁>
内容
1 | 核の被害をたどる | |
2 | 北朝鮮の核問題 | |
3 | 世界の非核平和 | |
4 | 日本の非核平和 | |
5 | 被爆者とともに | |
6 | 言ぱっと核兵 | |
7 | 世界大会に向けて-国民平和大行進 | |
8 | 世界大会に向けて-ショメイと原爆展 | |
9 | さあ!2013年世界大会へ |
『原水爆禁止2013年世界大会』(原水爆禁止日本協議会、2013/05/02)<パンフ34頁>
内容
1 | 核の被害をたどる | |
2 | 北朝鮮の核問題 | |
3 | 世界の非核平和 | |
4 | 日本の非核平和 | |
5 | 被爆者とともに | |
6 | 言ぱっと核兵 | |
7 | 世界大会に向けて-国民平和大行進 | |
8 | 世界大会に向けて-ショメイと原爆展 | |
9 | さあ!2013年世界大会へ |
『ドキュメント1945→1985 核兵器のない世界を No more Hirosima Nagasaki 写真記録』(被爆40年と原水爆禁止運動編集委員会編、原水爆禁止日本協議会、19870130 )
章 | 見出し |
[カラー]物証(東松照明) | |
1 | 1945年広島・長崎 |
2 | 平和擁護の国際世論と1950年ストックホルム・アピール |
3 | 1954年3・1ビキニ水爆被災事件と原水爆禁止署名運動 |
4 | 1955年原水爆禁止世界大会―広島・長崎のよびかけを世界に |
生きているヒロシマ (土門拳) | |
5 | 原水爆禁止国民平和行進 |
6 | 原水爆禁止運動と60年安保闘争 |
ドキュメント1961-ナガサキ (東松照明) | |
7 | 日本の核基地化許すな-米原潜・米原子力空母寄港反対、核持込み反対のたたかい 核も基地もない沖縄をかえせ |
8 | 原水爆禁止運動の統一と団結の前進 |
9 | ベトナムに広島・長崎をくりかえさせるな |
10 | ビキニ水爆被災の証人 第五福竜丸保存運動 |
11 | 被爆者とともに-被爆者援護・連帯 |
被爆者( 森下一徹) | |
12 | 核兵器廃絶 原水爆禁止運動の国民的統一をめざして |
1977年原水爆禁止世界大会-国民署名運動と国連軍縮特別総会 | |
13 | 高まる反核平和運動と世論 |
14 | 日本を核戦場にするな-人間の鎖と草の根運動 |
15 | 核戦争阻止 核兵器廃絶のために-「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動 |
[カラー]1985年夏(丹野章) | |
写真記録・人間のドラマをひきつぐもの | |
写真撮影者・提供者名、写真応募者、協力団体、参考資料 | |
年表・被爆四十年と原水爆禁止運動 | |
解説=1945年広島・長崎 | |
刊行にあたって (原水爆禁止日本協議会) | |
原水爆禁止日本協議会出版物
年月日 | 資料名 | 備考 | 所蔵 |
1955 | |||
1956 | |||
1957 | |||
0101 | 第三回原水爆禁止世界大会の構想(原水爆禁止シリーズ1) | G | |
0710 | 人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 | G | |
0725 | 人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊 | G | |
? | 人類の危機と原水爆禁止運動 第3回世界大会討議資料 第4分科追補 | G | |
1958 | |||
0201 | 日本原水協通信 | ||
No.5(0201)、No.6()、No.6()、No.7()、No.8()、No.9(0501)、No.10()、No.11()、No.12(0710)、No.13(0826)、No.14()、No.15(1002)、 | |||
0603 | 原水爆死か平和か-第四回世界大会はその鍵をにぎっている | G | |
0625 | 死の灰の谷間 日本-放射能と原爆被害の実相 | G | |
0813 | 原子爆弾被爆者健康診断実施要領-原子爆弾後障害症治療指針 | G | |
1959 | |||
0426 | 日本原水協第十回全國理事会決定事項 | G | |
0605 | 原水協通信No.2(0605)、 | ||
0610 | ヒロシマの声を世界へ 第5回原水爆禁止世界大会討議資料 | G | |
0715 | 原水協通信No.6(0715) | ||
0801 | 原水爆禁止世界大会案内 第5回 | G | |
0905 | 原水協通信No.7(0905) | ||
0915 | 原水協通信No.8(0915) | ||
0925 | 原水協通信No.9(0925) | ||
1005 | 原水協通信No.10(1005) | ||
1015 | 原水協通信No.11(1015) | ||
1960 | |||
1961 | |||
0101 | Hiroshima-Nagasaki : Document 1961 The Japan Council against Atomic and Hydrogen Bombs ; 原水爆禁止日本協議会 The Japan Council against Atomic and Hydrogen Bombs ; | G | |
0731 | 原水爆被害白書-かくされた真実 | G | |
原水爆禁止日本協議会専門委員会編 ・日本評論新社刊 | |||
0825 | 原水協通信No.19(0825) | ||
1962 | |||
0626 | 原水協通信No.15(0626) | ||
第8回原水爆禁止世界大会のために(その1) | |||
0715 | 原水協通信No.16 | ||
第8回原水爆禁止世界大会のために(その2) | |||
1963 | |||
0315 | 原水協通信No.5 | ||
0515 | 原水協通信No.9 | ||
0803 | 議事要録 1 第9回原水爆禁止世界大会 | G | |
0815 | 原水協通信No.15 | ||
第9回原水爆禁止世界大会特集(その1) | |||
0817 | 議事要録 2 第9回原水爆禁止世界大会 | G | |
0901 | 原水協通信No.16 | ||
第9回原水爆禁止世界大会特集(その2) | |||
1964 | |||
0115 | 原水協通信No.2 | ||
0530 | 討議資料 第10回世界大会 | G | |
1965 | |||
03/01 | 被爆者救援運動の手引き 101の問答 | G | |
1965/06/15 | 原水爆禁止]世界大会の成功のために 第11回 その意義と役割、運動の問題点 | G | |
1966/02/10 | 日本原水協の歴史と伝統 | G | |
1967/06/20 | 討議資料 第13回世界大会 | G | |
1967/06/25 | 被爆者とともに | G | |
1968/09/23 | 第五福竜丸-ビキニ事件と原水爆禁止運動 | G | |
1969/06/15 | 原水爆禁止世界大会成功のために 第15回 討議資料 | G | |
1970/01/01 | 核兵器使用禁止条約(案)の討議に参加しよう-支持・普及のために | G | |
1970/03/15 | ヒロシマにて-九〇〇人の訪問 | G | |
原水爆禁止日本協議会編 ・平和書房刊 | |||
1970/07/10 | 6・9行動-広島-長崎をくりかえさせるな | G | |
1971/01/01 | 原水爆禁止世界大会の記録 第17回 – 1 | G | |
1971/01/01 | 原水爆禁止世界大会の記録 第17回 – 2 | G | |
1971/05/01 | なくせ核兵器-ヒロシマ・ナガサキは告発する いま沖縄・インドシナで 71年第17回原水爆禁止世界大会討議資料 | G | |
1971/07/30 | 炎の中を生きて 私の戦争体験記 原爆被爆者の手記 | G | |
原水爆禁止日本協議会編・日本青年出版社刊 | |||
1971/10/23 | 被爆者救援運動の手引 101問答 | G | |
1972/06/30 | 原水爆禁止世界大会討議資料 第18回 | G | |
原水爆禁止日本協議会情宣部編・原水爆禁止日本協議会刊 | |||
1974/08/01 | 原水爆禁止世界大会記録 第20回 – 1 | G | |
1974/08/21 | 原水爆禁止世界大会記録 第20回 – 2 | G | |
1975/01/01 | 三〇年の原水爆禁止のたたかいと全世界にひろがるノーモア・ヒロシマ・ナガサキの声 | G | |
1975/03/01 | 原水爆禁止世界大会宣言・決議集 第1回-第20回 1955年-1974年 | G | |
1975/08/01 | 原水爆禁止世界大会大会の記録 1 第21回 広島・長崎被爆三〇周年 | G | |
1975/08/01 | 原水爆禁止世界大会大会の記録 2 第21回 広島・長崎被爆三〇周年 | G | |
1976/01/01 | 世界大会の記録 1976 – 1 第二十二回原水爆禁止世界大会 広島・長崎の声を全世界に | G | |
1976/01/01 | 世界大会の記録 1976 – 2 第二十二回原水爆禁止世界大会 広島・長崎の声を全世界に | G | |
1976/01/01 | 第二十二回原水爆禁止世界大会の決議実践と国際シンポジウムの成功めざして | G | |
1976/01/17 | 被爆三〇年の運動の歴史的到達点に立って 一大国民運動を前進させよう | G | |
1977/01/20 | 77年3・1ビキニデー成功のために 被災23周年 | G | |
1977/01/25 | 被爆者の訴えを世界の人びとに | G | |
1977/03/30 | 中央集会・第五福竜丸のつどい | G | |
1977/06/10 | 一日も早い核兵器廃絶のために ヒロシマ・ナガサキのよびかけは全世界にひろがる 原水爆禁止統一世界大会成功のために | G | |
1977/12/20 | ジュネーブ報告=議事抄録 | G | |
1978/02/09 | 広島・長崎のよびかけ 核兵器完全禁止三五〇〇万署名運動のために | G | |
1978/07/01 | 原水爆禁止世界大会成功のために 1978年 討議資料 | G | |
1978/08/01 | 国連軍縮特別総会 | G | |
1979/01/01 | 原水爆禁止一九七九年世界大会への参加のための討議資料 | G | |
1979/02/01 | 被災25周年3・1ビキニデーの成功と国民的統一のために | G | |
1979/06/15 | 1979年統一世界大会の成功をめざして 討議資料 | G | |
1979/06/20 | 80年代をめざす原水爆禁止運動 | G | |
1980/02/01 | 八〇年代原水爆禁止運動前進のために | G | |
1980/07/06 | 原水爆禁止世界大会成功のために 1980年 討議資料 | G | |
1980/08/01 | 原水爆禁止世界大会と行動の記録 1980 第2分冊 | G | |
1980/08/01 | 原水爆禁止世界大会と行動の記録 1980 第1分冊 | G | |
1980/09/19 | 原水爆禁止日本協議会結成25年記念パンフ | G | |
1984/05/25 | 核戦争を許さない | G | |
1996/08/06 | 広島の目をもって 原子戦争、核の恐喝と道義的理想 | G | |
ジョセフ・ガーソン著 原水爆禁止日本協議会訳 | |||
1997/05/10 | PEACE WAVE-核兵器のない21世紀のために | G | |
2003/05/09 | Peace 2003 核兵器も戦争もない世界を 平和の声と行動で地球をつつもう 原水爆禁止2003年世界大会 | G | |
2005/09/19 | ドキュメント 核兵器のない世界へ | G | |
2007/07/30 | 帝国と核兵器 | G | |
ジョゼフ・ガーソン著 原水爆禁止日本協議会訳 ・新日本出版社刊 | |||
2013/05/02 | 原水爆禁止2013年世界大会 核兵器のない平和で公正な世界を | G | |
「日本原水協報告」討論資料 | G | ||
日本原水協とソ連平和擁護委員会との関係正常化 | G | ||
国連軍縮特別総会の開催と原水爆禁止運動の歴史的成果 | G | ||
『核兵器全面禁止の日まで 岩手県原水協30年の歩み』(上田伸雄著、原水爆禁止岩手県協議会刊、19850120 )
目次
章 | 節 | ||
序文 岩手大学学長原田三郎 | |||
発刊のことば 「核兵器全面禁止の日まで-岩手県原水協30年の歩み」刊行委員会委員長 岩手大学教授高橋伊三郎 | |||
1 | 岩手原水協の発足と発展 | ||
1 | 原水爆禁止運動の旗上げ | ||
2 | 岩手県原水爆禁止運動の発展 | ||
3 | 原水爆禁止運動の拡大 | ||
2 | 大陸間弾道弾、人工衛星の出現と原水爆禁止運動の変化 | ||
1 | 原水爆禁止運動の大きな変化 | ||
2 | 原水爆禁止運動と新らしい情勢 | ||
3 | 安保闘争の新段階に対応する県原水協の一大県民運動 | ||
3 | 軍備全廃への道をひらく運動を展開 | ||
1 | 軍備全廃署名運動 | ||
2 | 国民平和大行進・県北を行く | ||
3 | 第7回原水爆禁止世界大会 | ||
4 | 軍備全廃について岩手県民への訴え | ||
5 | 第7回定期総会と運動の2つの柱 | ||
4 | 分裂策動の嵐をこえて県原水協再建、統一をかちとる | ||
1 | 第8回世界大会後、2・21までの経過 | ||
2 | 原水爆禁止運動の団結と統一のための日本原水協、県原水協の奮闘 | ||
3 | 日本原水協第60回常任理事会と第9回世界大会 | ||
4 | 第9回世界大会後、県原水協の統一と団結のための努力 | ||
5 | 県原水協の再編と行動開始 | ||
6 | 第10回世界大会の成果を上げた要因は何か | ||
5 | 岩手原水協の組織再編と活動の活発化 | ||
1 | 国際共同行動6・25岩手県中央集会 | ||
2 | 県原水協の組織強化 | ||
3 | 闘うベトナム人民との連帯で運動の一層の前進 | ||
4 | “平和行進は国民の敵だ”-自衛隊一本木集会での暴言 | ||
5 | 第12回世界大会と日本原水協声明 | ||
6 | 高倉山温泉被爆者療養センター第1期工事竣工す | ||
1 | 被爆者療養センター問題 | ||
2 | センター建設運動進む | ||
3 | 第13回原水爆禁止世界大会 | ||
4 | 被爆者療養センター第1期工事竣工 | ||
7 | 沖縄返還問題と原水爆禁止運動 | ||
1 | 第5福竜丸保存運動始まる | ||
2 | 核兵器もちこみ禁止運動と第14回世界大会 | ||
3 | 沖縄問題の緊急化 | ||
4 | 第15回原水爆禁止世界大会 | ||
第15回世界大会後の県原水協の活動 | |||
8 | 核署名運動の推進と沖縄返還闘争 | ||
1 | 沖縄返還闘争と原水爆禁止運動 | ||
2 | 第16回原水爆禁止世界大会 | ||
3 | 日本原水協アピール | ||
4 | 第17回原水爆禁止世界大会へのとりくみと大会の特徴 | ||
5 | 秋の大統一行動 | ||
9 | ベトナム問題と原水爆禁止運動 | ||
1 | ベトナム人民支援の急務 | ||
2 | 第18回原水爆禁止世界大会 | ||
3 | ハノイ市長からの訴え | ||
4 | ベトナム情勢の重大化 | ||
5 | 第19回原水爆禁止世界大会と岩手原水協のとりくみ | ||
10 | 長崎アピールにこたえる核兵器完全禁止の国際協定締結の運動 305 | ||
1 | 第19回世界大会の決議の実践 | ||
2 | 4党共同提案(被爆者援護)と日本原水協の協力 | ||
3 | 原水爆禁止運動の国民的統一を訴える日本原水協のアピール | ||
4 | 核兵器完全禁止の国際協定締結をめざす第20回世界大会 | ||
5 | 核兵器完全禁止国際共同行動週間 | ||
6 | 被災21周年3・1ビキニ・デーのアピール | ||
7 | 第21回原水爆禁止世界大会 | ||
11 | 原水爆禁止運動を国民運動へと発展させるために | ||
1 | ヒロシマ・アピールの意義とその普及のための行動 | ||
2 | 国民運動としての3・1ビキニ・デーにとりくむ県原水協の活動 | ||
3 | 第22回原水爆禁止世界大会とその成果 | ||
4 | 原水爆禁止運動の国民的統一への始動 | ||
5 | 原水協、「原水禁」の間に「統一合意」成立 | ||
6 | 1977年統一世界大会 | ||
12 | 国連に核兵器禁止と被爆者援護を訴える運動 | ||
1 | 国連に核兵器禁止を要請する署名運動 | ||
2 | 国連への代表派遣運動の意義と代表団の活躍 | ||
3 | 1978年世界大会と被爆者援護・連帯運動 | ||
13 | 原水爆禁止運動の統一への道をきりひらくために | ||
1 | 原水爆禁止運動の国民的統一実現のための方針 | ||
2 | 1979年世界大会と岩手県原水協の6大運動 | ||
3 | 統一へ一歩前進 | ||
4 | 1980年世界大会成功裡におわる | ||
5 | 80年世界大会後の県原水協の活動 | ||
14 | 日本を、世界の核戦場にするな | ||
1 | 太平洋非核化運動の歩み | ||
2 | 岩手県原水協の活動方針と組織強化 | ||
3 | 1981年原水爆禁止世界大会 | ||
4 | 1981年世界大会で日本原水協の果した役割と岩手県原水協の活動 | ||
5 | 1982年の情勢と岩手県原水協の方針と活動 | ||
6 | 第2回国連軍縮特別総会 | ||
7 | 1982年原水爆禁止世界大会 | ||
15 | ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ総行動 | ||
1 | 総行動の一環として岩手県民法廷・盛岡でひらかれる | ||
2 | 原水爆禁止運動の量から質への転換 | ||
3 | 1983年世界大会成功のための岩手原水協の方針と行動 | ||
4 | 1983年原水爆禁止世界大会、その成果と問題点 | ||
5 | “トマホークくるな、F16核攻撃機くるな”運動と1984年世界大会 | ||
岩手県原水協30年の歩み(年表) | |||
むすびのことば 上田仲雄 | |||
『われら水爆の海へ<俊鶻丸ビキニ報告>』(駒野鎌吉、日本織物出版社 、19540801 )
目次
部 | |||
口絵 | |||
序(谷口利雄) | |||
1 | だれもビキニへ行きたくなかった 航海日誌 | ||
1 | 出航 | ||
2 | 船酔 | ||
3 | 七日目の初調査 | ||
4 | 電報「米人乗船せず」 | ||
5 | ウエーキ島(1) | ||
6 | ウエーキ島(2) | ||
7 | 「餓死日記」 | ||
2 | われら水爆の海に入れり | ||
8 | 船長物語 | ||
9 | 海水が汚れていた | ||
10 | 魚も汚れていた | ||
11 | 赤道祭 | ||
12 | 爆心地ビキニ | ||
13 | ガイガーS.O.S | ||
14 | プランクトン | ||
15 | 30日目の結論 | ||
3 | 9000マイルの航跡 | ||
16 | 南の海の珊瑚採り | ||
17 | 最後のハエ縄 | ||
18 | 船長の独白 | ||
19 | 俊鶻丸の叛乱? | ||
20 | アナタハン海域 | ||
21 | インピンジャー | ||
22 | 黒潮と放射能 | ||
23 | 食事事件 | ||
24 | 一路故国へ | ||
4 | 俊鶻丸ビキニ調査資料一覧 | ||
A | 俊鶻丸の航跡と調査点 | ||
B | 空気・アメの放射能 | ||
C | 海水の放射能 | ||
D | プランクトンの放射能 | ||
E | 魚の放射能 | ||
F | 空気・船体の汚染 | ||
G | シンチレーションカウンター | ||
『第五福龍丸事件』(焼津市、19761101 )
目次
章 | 見出し | 備考 | |
挨拶(焼津市長 服部毅―) | |||
発刊によせて(焼津漁業協同組合長 滝ロ佐々ヱ門) | |||
序(編集委員長 北山宏明) | |||
1 | 事件の概要 | ||
乗組員名簿 | |||
第五福竜丸事件年譜 | |||
2 | 被災時の諸問題 | ||
1 | 被災時の位置 | ||
その時の状況について乗組員談 | |||
2 | 帰港後の様子と被災時の諸問題 | ||
3 | 乗組員の被害について | ||
1 | 焼津市対策本部日誌3月14日より3月28日まで | ||
2 | 衛生課の事件日誌 | ||
3 | 初診時所見とその経過(焼津病院外科医長 大井俊亮) | ||
4 | 被災患者上京入院及び退院帰省につき打合せ事項 | ||
通達と譲渡証 | |||
患者との意見交換 | |||
4 | 乗組員の病状 | ||
1 | 3月1日より9月23日まで | ||
2 | 故久保山愛吉氏の臨床経過 | ||
3 | 各医師の発表 | ||
東邦医大教授(森田久男博士の発表) | |||
主治医の立場から (東大病院沖中内科教室医博 三好和男) | |||
東大名誉教授都築博士 米国務省訪問見解表明 | |||
5 | 船体と管理 | ||
1 | 生いたちと概要 | ||
2 | 帰港直後の状況 | ||
3 | 船体等の管理と補償問題 | ||
4 | 船体の監視と売買 | ||
監視日誌 | |||
5 | 船体の移動と東京への回航 | ||
6 | 魚への影響及び補償(第五福竜丸関係) | ||
1 | 主として直接的被害について | ||
2 | ビキニ事件の補償問題 | ||
3 | 久保山愛吉氏慰謝料問題について | ||
4 | 乗組員の慰謝料問題について | ||
7 | 事件と漁業対策(一般補償関係) | ||
1 | 対策本部設置 | ||
2 | 組合長会議 | ||
3 | 日かつ連、要望書手交 | ||
日かつ運が総額20億円の補償要求 | |||
片付かぬビキニ補償 | |||
交渉妥結とその後の対策 | |||
ビキニ被災―年補償金決らず | |||
補償問題の対米折衝経緯 | |||
ビキニ問題その後 | |||
8 | 手記及び追悼文 | ||
1 | 久保山愛吉氏の手記 | ||
2 | 愛吉氏と家族との交信 | ||
未亡人すゞさんの手記 | |||
3 | 患者の手記 | ||
4 | 久保山さんの死に思う 熊取敏之博士 | ||
5 | 故久保山愛吉君を悼む | ||
9 | “死の灰”について | ||
調査団 | |||
死の灰の分析と第1回発表 | |||
筧博士の報告書 | |||
第2、第3回の分析発表 | |||
相つぐ漁船の被害 | |||
マーシャル水域における漁船等の被害対策 | |||
最終結果の分析発表 | |||
静岡大、大阪大、金沢大の分析結果 | |||
日本全土を掩う放射能 | |||
調査船〃俊鶴丸〃 | |||
附 | |||
a | その後の乗組員の様子 | ||
b | 当時を顧みて(近藤久一郎) | ||
c | 第五福竜丸の思い出 (宮崎作次) | ||
d | 回想(見崎吉男) | ||
参考文献 | |||
編集委員名簿 | |||
資料写真 |
『原水協通信』(2020年)(原水爆禁止日本協議会機関紙)
宇吹所蔵分
号 | 発行年月 | 備考 |
910 | 2019 | |
911 | 20200106 | |
広島版 | 年末見舞金を届けました | |
「旧陸軍被服支廠」の全面保存・活用を申入れ | ||
緊急企画 旧陸軍被服支廠を見て学ぶ会 | ||
西区で訪問署名 | ||
2020年・ヒバク75年 核兵器廃絶へ大きなうねりを! | ||
912 | 20200206 | |
913 | 20200306 | |
914 | 20200406 | |
915 | 20200506 | |
916 | 20200606 | |
917 | 20200706 | |
918 | 20200806 | |
919 | 20200906 | |
920 | 20201006 | |
921 | 20201106 | |
922 | 20201206 | |
923 | ||
924 | ||
925 | ||
『原水爆禁止運動』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
目次
第*回大会 | タイトル<初出掲載誌紙> |
プロローグ | |
原水禁運動の発足 | |
杉並アピール | |
見殺しにされた被爆者 | |
被爆者救援運動の発足 | |
1 | 三千二百万人の国民運動の進展 |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』187号(195509)> | |
八月六日の回想 | |
発言の本音 | |
被爆者の生活と意見 | |
科学者の責任 | |
救援運動の出発 | |
基地闘争への賛否 | |
ヒロシマ・アピール | |
歴史学研究会の問題点 | |
歴史をになうもの | |
2 | 被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』200号(195610)> | |
世界を動かしたヒロシマ | |
世界の連帯 | |
進む戦争準備 | |
沖縄問題 | |
再軍備への告発 | |
被爆者救援運動との結合 | |
原子力の平和利用と大衆 | |
大衆運動の進め方への反省 | |
3 | 地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』211号(195709)> | |
台所までもち込まれた運動 | |
専門家の告発 | |
歴史家は何をすべきか | |
六大陸にひろがった原水禁運動 | |
原水爆戦争体制との対決をうち出す | |
会議は空転する | |
全学連の誤謬 | |
大会決定の成果と不安 | |
問題点のかずかず | |
組織と理論に重大な欠陥 | |
4 | 日本の非核武装化にたちむかうために |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』223号(195709)> | |
岸内閣を助けた原水協 | |
ICBMの評価を誤る | |
欧米で核兵器反対運動高まる | |
平和行進 | |
原爆の加害国化する日本 | |
統一戦線 | |
日本の核武装 | |
空転する討論 | |
中国・朝鮮への差別 | |
運動の進め方への反省 | |
難航した国際会議 | |
実験禁止から核武装反対へ | |
原水協を全国民のものに | |
5 | 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 |
<初出掲載誌紙:『歴史評論』110号(195910)> | |
原水禁運動のマニフェスト | |
一千万人の平和行進 | |
自民党の妨害工作 | |
安保改定と原水禁運動 | |
大会からの脱退者 | |
左右の日和見主義者 | |
6 | 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』246号(196010)> | |
二千二百万人の平和行進 | |
平和の敵は誰か | |
平和運動における二大潮流 | |
人類の導きの星 | |
日本と沖縄での戦いの報告 | |
大会の混乱と成果 | |
軍備全廃か冷戦終結か | |
7 | 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』257号(196109)> | |
謀略工作 | |
平和運動における西欧方式とAA方式 | |
AA地域別会議流れる | |
本会議でのかけひき | |
大会決議のおもてうら | |
原水爆時代の平和理論 | |
大衆の平和運動 | |
両派の自己批判と運動の進展 | |
8 | 社・共両党の激突と大衆の統一への願い |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』269号(196210)> | |
矛盾の中で | |
総評まかり通る | |
あらゆる核実験に抗議する問題 | |
核戦争の元凶は誰か | |
幅広い運動か、反帝政治闘争か | |
原水協の「内乱」と統一のエネルギー | |
9 | 国民運動の崩壊と再生への四つの芽 |
<『思想の科学』19号(196310)> | |
宗平協―国民運動をはぐくむもの | |
地方原水協の活動 | |
原水協、国民を無視 | |
大会準備のなかでー国民運動にそむくもの | |
大会のうらおもて―国民運動の崩壊劇 | |
大会懇談会の諸報告―国民運動の新しい芽 | |
すべての地域と職場に原水協をつくろう | |
10 | 毛沢東理論からみた日本原水協批判 |
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』299号(196504)> | |
原水禁運動と私 | |
毛沢東の平和理論の問題点 | |
中ソ対立と原水禁運動 | |
民族解放運動との接点 | |
資本主義国の平和運動の意義 | |
統一戦線への整風運動 | |
日本の平和運動の性格 | |
広島の平和運動の性格 | |
原水協はその基本原則で再統一を | |
核兵器のない世界をめざして | |
<『聖教新聞』1973年2月21日~28日> | |
日本の安全はどうして守るのか | |
平和運動のゆくえ | |
新しい平和の条件 | |
国際連合の将来 | |
あとがき | |
『たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史』(亀井文夫著 谷川義雄編、岩波書店、19890821 )
目次
頁 | ||
Ⅰ | ドキュメンタリーをめざして | 001 |
わんぱく時代/ソビエト留学/上海事変の記録/戦う兵隊/記録映画を考える/記録映画と真実と/ | ||
Ⅱ | わが戦争と平和 | 073 |
信濃風土記 /シナリオ小林一茶/コミンテルンと雑魚一匹/日本の悲劇/来なかったのは軍艦だけ/ | ||
Ⅲ | 戦後を記録する | 137 |
軍事基地日本 | 138 | |
原爆への視線 | 146 | |
世界は恐怖する | 155 | |
部落差別は生きている | 176 | |
Ⅳ | 生物みなトモダチ | 185 |
ギャラリー東洋人にて | 186 | |
みんな生きなければならない | 197 | |
編者あとがき(谷川義雄) | 215 | |
亀井文夫監督作品目録 | 225 |
第14回原爆禁止世界大会(1968年)日本代表団の決議
被爆者救援活動を強化するための決議
アメリカの広島・長崎への原爆投下は、一瞬にして30数万の人命をうばい、その後23年、被爆者は今なお、死の不安に脅かされ、生活と医療に苦しみつづけています。
原爆の生きた証人である被爆者をまもり、その切実な要求を実現することは、原水爆禁止運動の重要な課題です。
アメリカと日本政府が、核アレルギーからの脱却などといって、核兵器への警戒をゆるめ、核軍事同盟強化に公然とのりだしている今日、被爆者救援活動を強化することは、ますます必要となっています。
この1年間に、被爆者救援活動は飛躍的に強まり、被爆者の身近な諸要求に対する施策を自治体からかちとる活動も大きく前進しました。さらに、援護法制定の運動に多数の地方自治体を動かし、原水爆禁止運動の発展と被爆者自身の積極的な行動によって多くの成果をかちとりました。
このような高まりにおされ、佐藤内閣は、「原子爆弾被爆者の特別措置に関する法律」を本年9月から実施しようとしています。この法律は、医療法を援護法へと発展させるかのごとき形をよそおいながら、認定患者を中心とするきわめて限られた一部の被爆者に適用されるにすぎず、わたしたちが要求してきた被爆者援護法とは全くほど遠いものです。
わたしたちは、この特別措置法のゴマかしの本質を広く国民の前に明らかにし、国家補償の責任にもとづく生活と医療の全面的保障を内容とする真の被爆者援護法制定のために、いっそう奮闘しなければなりません。同時に、特別措置法が少しでも被爆者に有利に施行されるよう、原爆医療審議会の公開と民主的運営などのためにたたかう必要があります。
また、被爆二世に対する調査と健康管理が行なわれることがとくに重要です。
わたしたちは、日本国民の力で被爆者救援をおこなうために、1500万円募金とともに、被爆者の大衆的世話活動、地方自治体自身に救援の施策を実施させることなどにとりくみ、各都道府県ごとに6・9行動をはじめとする諸活動を強化してきました。こうして集められた救援金は、被爆者にたいするあたたかい励ましとなっていますが、被爆者のおかれているきわめて困難な状態からみるならぱ、なお不十分であり、自治体の救援施策もなお、被爆者の要求とはほど遠いものです。
わたしたちは、救援行動の新らしい目標に向かって一段と活動を強化しなければなりません。当面、6・9行動推進特別月間の成功のために全力をあげてがんばりましょう。
加害者が被害者を調査し、核戦争準備に役立てているABCCの撤去と資料の公開のためのたたかいを、ベトナム人民との連帯の実感のなかで、さらに強めましょう。
被爆の実相を国民に明らかにするうえで、貴重な資料である原爆映画について、政府はプライバシー尊重という欺まん的な口実のもとに、もっとも重要な人体にたいする影響の部分をカットし、原爆投下の犯罪を国民の目からおおいかくそうとしています。ただちに広範な抗議行動をおこし、全面公開をかちとるとともに、フィルムのすべてを米軍没収以前の所有者に返還させることが重要です。
こうした活動をおしすすめるなかで、原水爆禁止運動の正しい路線のうえにさらに広範な被爆者を結集し、都道府県の被爆者組織を民主的に強化し、被爆者運動と原水爆禁止運動との団結をいっそう固めて前進しましょう。
右決議します。
1968年8月5日・東京にて