核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)
被爆40周年の1985年2月、日本原水協をはじめ世界12力国の反核・平和運動組織(アメリカ、イギリス、オランダ、スウェーデン、東ドイツ、イタリア、キューバ、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、アルジェリア、日本)が、広島につどい協議し、「核兵器全面禁止・廃絶のためにヒロシマ・ナガサキからのアピール」を発表しました。
日本原水協は、「アピール」支持署名の日本国民の過半数を目標にとりくみました。
さらに、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実相をつたえ、核戦争の阻止、核兵器廃絶の世論をたかめ「アピール」支持署名を広げるために、世界各地に被爆者を含む遊説代表団を送る活動をすすめました。
遊説団の訪問先は、1985年4月にフィリピン、6月オランダ、7~8月イギリス、アイスランド、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、10月スイス、11月イタリア、そして86年1月にオランダ、ベルギー、2月にラオスとのべ12力国におよびました。
遊説代表団員の総数は、121名。25班にわかれて訪れた都市は約250、大小集会に約300回参加し、のべ1000回近くマスコミで報道されました。 |
出典:『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録 Hibakusha Peace Tour(原水爆禁止日本協議会、19860806)』 |
被爆者国際遊説団名簿
遊説先 |
氏名 |
所属 |
●フィリピン 19850406~15 |
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大久保忠一 |
埼玉県熊谷原水協・埼玉民医連 |
|
岡広 |
三重県・日本AALA連帯委員会 |
|
緒方義孝 |
全港建労働組合神戸地本 |
|
河原直孝 |
国公労連 |
|
久保美津子 |
被爆者(広島)広島新婦人 |
|
児玉三智子 |
被爆者(広島)千葉県船橋市南診療所 |
|
斉藤君子 |
新婦人神奈川県本部 |
|
津川計子 |
日本民医連東神戸病院 |
|
土居賢一 |
全司法労組 |
|
浜島勇 |
原水協担当常任理事・日高教 |
|
宮田昌幸 |
全商連・宮田印刷 |
|
酒井伊津子 |
通訳 |
|
辻山昭三 |
事務局 |
|
安田和也 |
|
草地康子 |
●オランダ 19850625~0708 |
A班 |
|
|
小島光雄 |
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|
中谷恒男 |
|
|
村上経行 |
被爆者(広島) |
|
萩原信宏 |
|
|
和田美昭 |
|
|
篠原敏美 |
|
|
酒井伊津子 |
|
B班 |
|
|
林正道 |
|
|
伊谷周一 |
被爆者(広島丿鳥取県原水協 |
|
津田光男 |
|
|
坂入博子 |
|
|
秋元恵子 |
|
|
宮沢彰一 |
|
|
高草木博 |
|
●イギリス・アイスランド 19850801~11 |
|
佐藤裕 |
|
|
本間三郎 |
|
|
木村昭六 |
|
|
栗栖主税 |
被爆者(広島) |
|
大森幹男 |
広島原水協 |
|
信政ちえ子 |
広島原水協 |
|
有光登一 |
被爆者(広島)愛媛県原爆被害者の会 |
|
仁木義雄 |
|
|
長谷部栄祐 |
|
|
渡辺孝三 |
被爆者(広島)奈良県原爆被害者の会 |
|
中島宏 |
被爆者(広島)香川県被爆者の会 |
|
出島艶子 |
被爆者(広島)東友会 |
|
中沢憲一 |
|
|
柏木文代 |
|
|
柏木文代 |
|
|
岡村利男 |
被爆者(広島)高知県被爆者の会 |
|
渡辺政成 |
|
|
田中重光 |
被爆者(長崎)全動労長崎支部 |
|
深町君江 |
|
|
志賀さゆり |
通訳 |
|
トモヨ・マクドナルド |
|
辻光枝 |
●アメリカ合衆国 19850724~0813 |
中西部◆ |
|
|
浅野哲人 |
被爆者(広島)大阪しろきた市民生協 |
|
安藤広司 |
被爆者(広島)長野県原水爆被災者の会 |
|
佐藤岑夫 |
三重県原水協 |
|
大山済世 |
通訳 |
南東部◆ |
|
|
三輪博志 |
被爆者(長崎) |
|
福本宏支 |
被爆者(長崎)徳島県原爆被害者の会 |
|
藤岡忠治 |
|
|
藤野雅美 |
通訳 |
中部大西洋岸◆ |
|
|
丸岡文麿 |
被爆者(広島)京都原水協 |
|
森本テル |
被爆者(長崎) |
|
石黒三沙子 |
|
|
朝戸理恵子 |
事務局 |
北東部◆ |
|
|
栗栖洋 |
被爆者(広島)高校教諭 |
|
高井栄 |
被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会 |
|
中田鉄太郎 |
|
|
酒井伊津子 |
|
ニューヨーク◆ |
|
|
土田康 |
被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会 |
|
伊藤吉紀 |
|
|
セッコ・サーロー |
在米被爆者(広島) |
|
ハラシマ・トシコ |
通訳 |
|
|
|
西海岸◆ 19850724~0812 |
|
奥野栄 |
被爆者(長崎) |
|
堀田シズエ |
被爆者(広島)・埼玉 |
|
桜木早苗 |
|
|
堀田義裕 |
|
南西部◆ |
|
吉崎幸恵 |
被爆者(長崎)福岡市原爆被害者の会 |
|
田邊俊三郎 |
被爆者(広島)東友会 |
|
門倉武則 |
|
|
|
谷捷子通訳 |
●スイス・西ドイツ 19851019~31 |
|
山口勇子 |
被爆者(広島)日本原水協代表理事 |
|
早川耐子 |
被爆者(広島) |
|
花井透 |
|
|
中尾元重 |
|
|
高草木博 |
事務局 |
|
下田文子 |
通訳 |
●NGO会議・ベルギー・オランダ 19860118~30 |
|
佐藤裕 |
|
|
浜島勇 |
|
|
渡辺千恵子 |
被爆者(長崎) |
|
渡辺順子 |
(渡辺同行者) |
|
村田忠彦 |
被爆者(広島) |
|
堀口士郎 |
|
|
米田実 |
|
|
山川新一郎 |
|
|
炭谷巴之助 |
|
|
松下賢次 |
|
|
川添政彦 |
|
|
升井登女尾 |
|
|
城ゆき |
|
|
高草木博 |
事務局 |
|
下田文子 |
|
キエ・ホアン |
通訳 |
●イタリア 19851012~19 |
中南部◆ |
|
|
石井あや子 |
|
|
市岡正憲 |
被爆者(広島) |
|
熊久保朝正 |
|
|
辻山昭三 |
|
北部◆ |
|
|
米沢進 |
被爆者(広島)広島県原水協 |
|
世良豊子 |
被爆者(広島) |
|
皆川恵史 |
広島市原水協 |
|
上野幸子 |
通訳 |
●オーストラリア 19850801~06、ニュージーランド 19850807~13 |
A班◆ |
|
|
鶴岡正雄 |
|
|
屋敷一字 |
広島医療生協 |
|
佐々木優秋 |
呉原水協 |
|
安賀昇 |
|
|
川后宏 |
|
|
堺谷一郎 |
|
|
反納清史 |
被爆者(長崎) |
|
高橋マサ子 |
被爆者(広島)埼玉県原爆被害者協議会 |
|
亀井和子 |
通訳 |
B班◆ |
|
|
寺本敏夫 |
|
|
高倉金一郎 |
|
|
嶺本治代 |
|
|
村井明美 |
|
|
住田哲 |
|
|
溝浦勝 |
被爆者(長崎) |
|
米田進 |
被爆者(広島) |
|
菅頭康夫 |
|
|
土田弥生 |
通訳 |
●ラオス |
|
|
片桐隆三 |
被爆者(広島) |
|
辻山昭三 |
事務局 |
『世界連邦運動ヒロシマ25年史 第2回世界連邦平和促進宗教者大会記念』(世界連邦広島宗教者協議会・世界連邦建設同盟広島県協議会発行、19720625)
目次
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発刊のことば 桑原英昭 |
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序文 山田節男 |
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第2回世界連邦平和促進宗教大会 |
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満堂の県立体育館
武邑・谷川両氏の基調講演
あいさつ(大谷光照大会長)
宗教大会プログラム |
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宗教代表者大会開く |
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代表者会議出席者
共同コミュニケ採択
分科会の白熱的討議
第1分科会
第2分科会
第3分科会
アインシュタイン博士教訓 |
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|
宣言決議を採択 |
|
|
大会宣言
大会決議
各界名士メッセージ |
|
|
大会基調講演(要旨) |
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「仏教者の平和への提言」 |
武邑尚邦 |
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「世界の平和と宗教者の役割。東西の平和的競争」 |
谷川徹三 |
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大会役員表 |
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大会実行委員会名簿 |
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世界運動ヒロシマ25年史 |
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世界連邦思想の系譜(前史)
欧米の初期世連運動
日本初期の世連思想
原爆禍と世連運動 |
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世界連邦建設同盟 |
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初期広島の世連運動 |
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平和と10万名署名
賀川豊彦の世連講演
世界大会へメッセージ
アジア会議らん腸 |
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先駆的世連広島協議会 |
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協議会主要活動史
アジア会議の準備体制進む
世連宣言運動の推進
第3回都市協議会
広島県の世連宣言 |
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新しい人類史の夜明け、第1回アジア会議 |
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会議第1日
劇的な開会式
会議第2日
原爆乙女は叫ぶ
会議第3日
会議第4日と閉会式
広島よ、サヨナラ |
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広島宣言 |
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各国政府と国連への勧告
会議参加協議員の名簿 |
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第2回アジア会議開く |
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|
会議第1日
会議第2日
分科会の討議
本会議と閉会
ヒロシマ宣言
原水爆禁止決議 |
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|
世界連邦と原水爆禁止運動 |
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|
原水爆禁止運動の分裂
原水禁から世界運動へ |
|
|
昭和30年 |
|
|
広島に世界連邦母の会
結成大会前後の日程
「広島に行く」 柳原白蓮
鞆町の世連宣言
8月6日に世連デー |
|
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昭和31年 |
|
|
呉市婦人の世連活動
初期の世連宣言運動
河佐村の世連宣言 |
|
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昭和32年 |
|
|
広島で三大平和会議
総領町の世連宣言 |
|
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昭和33年 |
|
|
呉市が世界連邦宣言
広島県協議会の結成
庄原市も宣言
原爆の日、三原市宣言 |
|
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昭和34年 |
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|
広島県が世連宣言、県下11全市も決議
西支部結成の記念講演
国会請願署名運動
賀川豊彦の功績
学生の夏期遊説 |
|
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昭和35年 |
|
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松本呉市長の活躍
中国地区同盟支部
広島駅頭に世連塔 |
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昭和36年 |
|
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都市協で宮島研修会
高亀さん表彰、喜寿の祝賀会 |
|
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昭和37年 |
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|
浜井広島市長、アクラ軍縮会議へ
高陽町が宣言
世界連邦テーマ、高校生討論会 |
|
|
昭和38年 |
|
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呉市で第2回世連日本大会
大会宣言を決議
広島市に世連旗、米代表団が贈る
東京で世界大会
竹原で科学者会議
竹原に世連支部 |
|
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昭和39年 |
|
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広島市議会議員が同盟入会
学生連合が発足
カズンズ氏に名誉市民章
県宣言5周年講演
広島市宣言10周年大会
山陽協議会が新発足
世連講演会、湯川、ハビヒト氏
中国地区の宣言を推進
世界平和巡礼団、県協から3氏
オルグに桑原、岡本氏 |
|
|
昭和40年 |
|
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桑港大会へ広島代表の参加
世界大会壮行会
同盟新副会長に山田氏
学生セミナー、6大学40名参加
沼隈町に支部
広島市の宣言11周年記念講演
中国新聞の世連啓蒙
湯川会長福山などで講演 |
|
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昭和41年 |
|
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広島で西日本大会開く
カトリック教会世連行事
世連のお爺さん、高亀翁逝く
原爆ドーム保存運動
都市協会長に浜井広島市長 |
|
|
昭和42年 |
|
|
ベトナムの孤児救援活動
山田同盟副会長、広島市長に当選
世界協会副会長に山田市長
オスロ世界大会代表の壮行会
山田市長のオスロ演説
各国で平和アピール、広島班12カ国歴訪
県宣言8周年講演
福山で自治体協研修会
世連宗教者協、広島で発足す
広島世連学生部 |
|
|
昭和43年 |
|
|
広島市に平和文化センター局を新設
第1回世連市民講座
神辺、加茂町が宣言
世連中・中国協議会発足
広島県協議会が発足
呉市で県協研修会
福山支部が再発足
広島に世界本部(都市協事務局)
広島宣言13周年大会
エスペラント支部発足 |
|
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昭和44年 |
|
|
第9回世連日本大会開く
功労者6氏を表彰
基調講演と分科会、大会宣言
世界連邦政党を(カズンズ会長)
世連ひろしまの歌、一等に梶原さん
黒瀬町の世連宣言
第4回世連市民講座
竹原支部総会と講演会
市民講座とパネル討論
広島日ポ協会発会
三次市で県協研修会
地球人友の会
クラーク総長来広 |
|
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昭和46年 |
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訪ポ使節団の成果
アウシュビッツ町と黒瀬町縁組
デンマークで原爆映画
高野山研修会に参加
チョプラ女史を迎う。ホノルル世連研究会
東南アに世連使節団
第6回世連市民講座
オスロ、高野研修会へ提唱
広島地区活動報告。世連教育者会議参加 |
|
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昭和47年 |
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自治体協が出雲で研修会。広島支部新春宴
世連訪印使節団の成果
世界大会へ提案
アウシュビッツ展開幕
地球市民登録、山田市長を先頭
ラッセル記念第9回市民講座 |
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論叢篇 |
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ヒロシマ以後の新世界 |
ノーマン・カズンズ |
|
平和創造の原理 |
日高一輝 |
|
世界連邦と宗教 |
出口伊佐男 |
|
国際法から世界法へ |
小谷鶴次 |
|
人類を分断する二大障壁 |
伊藤栄蔵 |
|
国際経済と世界連邦 |
佐藤和男 |
|
「あとがき」 |
加藤新一 |
|
『世界連邦アジア会議報告書』(世界連邦アジア会議広島準備委員会事務局 19530201)
目次
|
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挨拶 |
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|
広島宣言 |
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|
世界連邦アジア会議広島決議 |
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|
世界連邦アジア会議日程議題 |
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|
出席者名簿 |
|
|
世界連邦アジア会議開かる |
|
|
広島到着 |
|
|
開会式 |
|
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総会議 |
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歓迎晩餐会 |
|
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第二日総会議 |
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宮島観光 |
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各委員会開催 |
|
|
第四日総会議 |
|
|
市中見物 |
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離広 |
|
|
広島へ感謝 |
|
|
アジア会議開催の経緯 |
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|
と広島準備委員会経過 |
|
|
アジア会議を顧みて |
|
1
2
ビキニ水爆被災資料集(監修:三宅泰雄・檜山義夫・草野信男、編集:第五福竜丸平和協会、発行:東京大学出版会、19760331刊)
目次
編章 |
節項 |
見出し |
備考 |
|
|
序にかえて(美濃部亮吉) |
|
|
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第五福龍丸のおしえ(三宅泰雄) |
|
1 |
|
1954年3月1日ビキニ水爆実験 |
|
1-1 |
|
ビキニ水爆実験とその背景 |
|
|
1 |
オぺレーション・キャスルとビキニ水爆実験 |
|
|
1-1 |
米原子力委員会発表(実験開始と終了) |
|
|
1-2 |
オペレーション・キャスルの日時と実験内容 |
|
|
1-3 |
ビキニ水爆は超ウラン爆弾 |
|
|
1-4 |
ビキニ灰の分析 |
|
|
2 |
実験の背景とニュールック |
|
1-2 |
|
水爆実験の影響(その1) |
|
|
1 |
米政府原子力委員会報告 |
|
1-3 |
|
水爆実験の影響(その2) |
|
1-4 |
|
水爆実験の影響(その3) |
|
1-5 |
|
水爆実験の影響(その4) |
|
|
1 |
第五福龍丸以外の被災船リスト |
|
|
2 |
被災がひきおこした深刻な波紋 |
|
2 |
|
第五福龍丸と乗組員の被災をめぐって |
|
2-1 |
|
被災状況 |
|
|
1 |
被災状況 |
|
|
2 |
船体各部、積荷の汚染 |
|
2-2 |
|
船体各部、積荷の汚染 |
|
|
1 |
乗組員の症状経過 |
|
|
2 |
久保山氏の死亡をめぐって |
|
2-3 |
|
乗組員および国内外の人びとの手記・手紙 |
|
2-4 |
|
焼津市の状況 |
|
|
|
|
|
2-5 |
|
被災問題に対するアメリカの態度 |
|
2-6 |
|
日本政府の被災対策 |
|
|
|
|
|
3 |
|
ビキニ・水爆実験に対する内外の反響 |
|
3-1 |
|
国民世論 |
|
3-2 |
|
原水爆禁止運動のもりあがり |
|
3-3 |
|
文学・芸術・評論 |
|
4 |
|
海外の反響 |
|
|
|
|
|
|
付録 |
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|
第五福龍丸保存運動 |
|
|
|
第五福龍丸関係保存物品目 |
|
|
|
年表 |
|
|
|
文献目録 |
|
|
|
|
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|
|
資料収集にあたって(林茂夫) |
|
|
|
編集後記(第五福竜丸平和協会) |
|
広島県母親連絡会 19600110設立
略年表:広島の母親運動
年月日 |
集会名 |
会場 |
記念講演者「演題」 |
19550607 |
<日本母親大会(第1回)> |
東京 |
<6月7日~9日> |
19550710 |
<世界母親大会> |
スイス |
|
|
|
|
|
19560122 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
中野清一「母親と女教師のみなさまへ」 |
19560825 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
帯刀貞代「日本の女性運動史をめぐって」 |
19570728 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
|
19580727 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
|
19591126 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
|
19600110 |
広島県母親連絡会 |
広島市 |
結成 |
19600421 |
国際婦人会議 |
デンマーク |
宇根内良子(代表団長) |
19600724 |
広島県母と女教師の会 |
広島市 |
宇根内良子「国際婦人会議に出席して」 |
19610730 |
広島県母と女教師の会 |
福山市 |
|
19620624 |
広島県母親の集い |
広島市 |
|
19630728 |
広島県母親の集い |
広島市 |
|
19640607 |
|
広島市 |
|
19640726 |
広島県母親大会 |
広島市 |
|
19640718 |
広島県母親大会 |
広島市 |
|
|
—-<未入力> |
|
|
19750720 |
広島県母親大会 |
広島市 |
宅和純「平和の灯を求めて」 |
|
以上の出典:『ひろしまの母親たち』(広島県母親連絡会、19750720) |
|
—-<未入力> |
|
|
|
|
|
|
2019 |
広島県母親大会 |
呉市 |
八法亭みややつこ(弁護士・噺家)「落語で語る暮らしに活きる憲法」
|
『原水爆被害白書-かくされた真実』 原水爆禁止日本協議会専門委員会(編)、日本評論新社、19610731
目次
章 |
|
|
序< 湯川秀樹> |
|
序<安井郁> |
Ⅰ |
1945年8月6日< 石井金一郎、田沼肇> |
Ⅱ |
原水爆被害の実態 その1<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫> |
1 |
原爆投下の瞬間 |
2 |
原爆による死亡者と傷害者 |
|
(1)広島原爆でどれだけの人が死んだか |
|
(2)長崎原爆でどれだけの人が死んだか |
|
(3)原爆による傷害者 |
3 |
恐るべき放射線障害 |
|
(1)放射能とはなにか |
|
(2)瞬間放射線による被害 |
|
(3)残留放射線による被害 |
|
(4)被爆放射線量についての総括 |
Ⅲ |
原水爆被害の実態 その2<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫> |
1 |
いつまでつづく放射能害 |
|
(1)急性期症状-急性原爆症 |
|
(2)慢性原爆症-原爆症とはなにか |
|
(3)原爆症問題の変遷と原爆症の拡大 |
|
(4)慢性原爆症の現況 |
|
(5)被爆者の体内に残されている変化 |
2 |
放射線と遺伝 |
3 |
もし原子戦争がおこったら |
|
(1)アメリカ議会公聴会の記録 |
|
(2)すでに人類は原水爆の被害者になっている |
Ⅳ |
被爆者の意識<山手茂> |
1 |
被爆者問題をどうとらえるか |
2 |
被爆者の社会意識 |
|
(1)被爆者の生活意識 |
|
(2)原水爆禁止の意識と行動 |
|
(3)被爆者の政治意識 |
Ⅴ |
被爆者の生活<山手茂> |
1 |
被爆者の家庭生活 |
|
(1)破壊された被爆者の家庭 |
|
(2)原爆孤児 |
|
(3)被爆母子家庭 |
|
(4)原爆孤老 |
|
(5)被爆した主婦 |
|
(6)結婚問題 |
2 |
被爆者の職業生活 |
|
(1)職業生活の悪条件 |
|
(2)被爆者の就職問題 |
|
(3)被爆被保護世帯 |
|
(4)失業対策事業に働らく被爆者 |
|
(5)被爆労働者 |
|
(6)被爆零細自営業者 |
|
(7)被爆農民 |
|
(8)未解放部落の被爆者 |
|
写真ページ |
|
写真/東松照明 |
|
レイアウト/杉浦康平 |
Ⅵ |
被爆者と社会保障< 伊東壮、大江志乃夫> |
1 |
政府の援護対策 |
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(1)被爆者はなにを望んでいるか |
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(2)政府の援護対策とその特徴 |
2 |
被爆者医療法の成立 |
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(1)被爆者医療法案の国会提出 |
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(2)被爆者医療法案の国会審議 |
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(3)被爆者医療法の欠陥 |
3 |
新被爆者医療法とその問題点 |
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(1)被爆者医療法の「改正」 |
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(2)新被爆者医療法の内容 |
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(3)新被爆者医療法の問題点 |
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(4)「被爆者援護法」の要求と社会保障 |
Ⅶ |
原水爆禁止と被爆者救援運動< 石井金一郎、吉田嘉清> |
1 |
被爆者の要求と原水爆禁止 |
2 |
被爆者と日本の社会 |
3 |
原水爆禁止と被爆者救援運動 |
附録< 杉原芳夫、佐久間澄> |
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原爆被爆者の放射線照射による遅発性影響についてABCCに反論し,あわせて原爆症対策の科学的基礎を考察する |
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1/被爆線量について |
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2/調査標本について |
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3/遺伝について |
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4/白内障について |
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5/白血病について |
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6/ガンについて |
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7/児童の成長と発育について |
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8/胎内被爆児童における小頭症について |
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9/加齢の促進について |
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10/成人における一般医学的見地からみた影響について |
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11/その他の影響について、 |
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むすび |
資料 原水爆禁止世界大会の宣言・決議・勧告 |
あとがき<要旨> |
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*出発点となったのは,第4回原水爆禁止世界大会―1958年―で被爆者救援問題をとりあげた分科会の満場一致の決議 |
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*決議にもとづき原水爆禁止日本協議会は,原水爆被害者調査をおこなうことを決定。 |
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*調査委員会のもとに調査団をつくり,物理的・医学的被害の調査,被爆者の意識調査,被爆者組織の調査の3分野にわたり実施。 |
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調査概要
*調査票による調査
***広島・長崎両県下で,爆心からの距離別と地域区分別に,市内は町単位,町村では町村単位に典型地域を抽出し,約500例を被爆者健康手帳交付台帳から無差別抽出して,被爆放射線量と意識の調査を実施
*被爆者の生活史の個別調査
*被爆者組識の調査 |
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*調査の中間報告
* 原水爆禁止日本協議会“Atomic Bomb Damage in Hiroshima and Nagasaki” 1958年8月,
*日本原水爆被害者団体協議会『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』1958年8月,
*石井金一郎「厂生きていてよかった」か』『中央公論』1958年8月号 |
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調査委員長 森滝市郎(日本原水協代表委員)
調査団長 石井金一郎(日本原水協専門委員)
調査団員
広島の研究者グループ:佐久間澄・杉原芳夫・庄野直美・北西允・大江志乃夫・山手茂,
長崎の研究者グループ:中西市郎.川崎文治・茂木六郎・林重太・前田豊昭・天野卓郎
第1稿の執筆者名
第1章 石井金一郎,田沼 肇
第2章・第3章 佐久間澄,庄野直美,杉原芳夫
第4章・第5章 山手茂
第6章 伊東壮,大江志乃夫
第7章 石井金一郎,吉田嘉清
附録論文 杉原芳夫,佐久間澄 |
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謝辞(個人)黒田秀俊,藤居平一,小佐々八郎,伊藤満,草野信男,石井森太郎,山村茂雄,市村志郎,板倉静夫,竹内武志,日本評論新社:林勝郎,飯岡邦輔 |
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謝辞(団体)日本原水協,日本被団協。「最後に,中国人民保衛世界平和委員会など中華人民共和国7団体による被爆者救援の国際的なあたたかい援助が,この事業を成功させるために,大きな力添えになったことを報告し,中国人民の厚い友情に改めて謝意を表します」 |
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編集責任者:石井金一郎(日本原水協専門委員),吉田嘉清(日本原水協事務局次長),田沼肇(日本原水協専門委員会幹事) |
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事項索引 |
図表索引 |
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日本原水協国連要請代表団 1974年12月4日、国連事務次長・軍縮部長と会見。
代表団員
氏名 |
所属など |
小佐々八郎 |
日本原水協代表理事、長崎県被災協会長、被爆者 |
佐久間澄 |
日本原水協代表理事、広島県原水協理事長、被爆者、広島大学名誉教授 |
田辺勝 |
日本原水協常任理事、広島県被団協理事長、被爆者 |
藤井敬三 |
北海道原水協理事長、札幌病院院長 |
小島光雄 |
東京都原水協副理事長、被爆者 |
田中道宣 |
福岡県原水協副会長・日本基督教団九州教区議長 |
久保文 |
日本原水協常任理事・日本AA連帯常任理事 |
芳沢弘明 |
沖縄県原水協理事長・弁護士 |
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止
ヨーク・フォーラム=軍拡競争の終結と軍縮のための国際フォーラム 1976年3月28日~4月1日 場所:イギリス・ヨーク大学
出典:『ヨーク宣言と原水爆禁止運動の新たな局面-「軍拡競争の終結と軍縮の為の国際フォーラム」の報告』(ヨーク・フォーラム日本代表団、1976?)
目次
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はしがき |
田沼肇(日本代表団代表委員) |
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1 |
ヨーク宣言・宣言付属文書 |
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2 |
日本代表団総括 |
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3 |
ヨーク・フォーラムに対する日本代表団報告 |
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4 |
分科会のまとめ |
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5 |
軍縮分野におけるGO・NGO関係の樹立について ―核廃絶への具体的第一歩 |
佐藤行通(日本原水協担当常任理事) |
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6 |
代表団活動日誌 |
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7 |
ヨーク・フォーラム、ユーゴ、ルーマニアの旅-日本代表団の報告と感想 |
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8 |
日本原水協 日本平和委員会 ユーゴ友好親善訪問代表団報告 |
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9 |
日本原水協 日本平和委員会 ルーマニア友好親善訪問代表団報告 |
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10 |
日本代表団名簿 |
[広島関係者なし] |
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原水爆禁止科学者会議
回 |
開催年月日 |
会場 |
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第1回 |
1966 |
広島 |
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第2回 |
1967 |
東京 |
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第3回 |
1968 |
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第4回 |
1969 |
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第5回 |
1970 |
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第6回 |
1971 |
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第7回 |
1972 |
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第8回 |
1973 |
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第9回 |
19740730~31
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東京・区民文化センター |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。