原水爆禁止世界大会広島大会全体集会 8月6日 午後5時~<作業中>
出典:『第18回原水爆禁止世界大会の記録2』(原水爆禁止日本協議会)
止
原水爆禁止世界大会広島大会全体集会 8月6日 午後5時~<作業中>
出典:『第18回原水爆禁止世界大会の記録2』(原水爆禁止日本協議会)
止
原水爆禁止世界大会広島大会(6・9行動と4つの分科会)1972年8月6日<作業中>
出典:『第18回原水爆禁止世界大会の記録2』(原水爆禁止日本協議会)
6・9行動 |
4つの分科会 |
止
『原水爆禁止1984年世界大会の記録』(原水爆禁止1984年世界年大会準備委員会、19841015)〈作業中〉
内容
頁 | 事項 |
止
『原水爆禁止1983年世界大会の記録』(原水爆禁止1983年世界年大会準備委員会、19831024)〈作業中〉
内容
頁 | 事項 |
止
『原水爆禁止1982年世界大会の記録』(原水爆禁止1982年世界年大会準備委員会、19821020)〈作業中〉
内容
頁 | 事項 |
1 | 大会写真 |
4 | 世界大会を開催するにあたって |
5 | 大会の課題 |
6 | 大会諸文書 |
6 | 東京宣言(原水爆禁止1982年世界大会・東京国際会議 1982年8月2日) |
8 | ヒロシマ・アピール(原水爆禁止1982年世界大会・広島 1982年8月5日) |
9 | 長崎から心をこめて―1982年長崎アピール(原水爆禁止1982年世界大会 長崎のひろば 1982年8月8日) |
11 | 原水爆禁止1982年世界大会国際会議 |
14 | 開会総会〈1981年8月1日 日本教育会館〉 |
54 | 原水爆禁止1982年世界大会東京集会 閉会集会・各分科会報告 |
国際会議閉会総会 | |
各分科会まとめ報告 | |
68 | 原水爆禁止1982年世界大会・広島〈8月5日 中央公園〉 |
85 | 分科会及びひろば等の報告 |
110 | 長崎のひろば〈8月8日 長崎市公会堂〉 |
127 | 内外のメッセージ |
129 | 海外からのメッセージ・リスト |
130 | 海外代表リスト34カ国 13国際組織 102名〉 |
133 | 大会準備委員会・役員名簿 |
134 | 抗議電・宣言文・要請書 |
136 | 大会準備委員会日誌(1982年2月12日~9月20日) |
140 | |
140 | あとがき(久保文) |
止
『原水爆禁止1981年世界大会の記録』(原水爆禁止1981年世界大会準備委員会、19811030)〈作業中〉
内容
頁 | 事項 |
5 | 大会諸文書 |
10 | 原水爆禁止1981年世界大会〈1981年8月3日・4日 日本教育会館〉 |
68 | 原水爆禁止1981年世界大会東京集会〈1981年8月4日 日比谷野外音楽堂〉 |
75 | 原水爆禁止1981年世界大会本大会 <1981年8月8日~9日> |
105 | 原水爆禁止1981年世界大会・ヒロシマ集会〈1981年8月6日〉 |
109 | 原水爆禁止1981年世界大会参加の国際・海外代表名簿〈33カ国 14国際組織 147名〉 |
113 | 海外からのメッセージ |
118 | 原水爆禁止1981年世界大会準備委員会・役員名簿 |
120 | 日誌(1981年1月23日~10月24日) |
126 | 編集あとがき(1981年10月27日 久保文) |
止
『原水爆禁止1980世界大会の記録』(原水爆禁止1980世界大会準備委員会、19801010)〈作業中〉
内容
頁 | 事項 | 備考 |
6 | 大会文書 | |
16 | 東京・国際会議 8月2日・3日 | |
57 | 広島 8月5日・6日 | |
74 | 長崎 8月9日 | |
100 | 目次 |
止
シンポジウム「核兵器と人類の生存」〈8月4日午前10時過ぎ~ 広島YMCAホール〉
内容〈作業中〉
シンポジウム呼びかけ人 |
代表:J・サマヴィル、庄野直美、湯川和夫 |
秋月辰一郎・今堀誠二・伊東壮・岩崎允胤・江口朴郎・鎌田定夫・北西允・具島兼三郎・斉藤孝・芝田進午・新村猛・関寛治・服部学・フレージャー・松井正樹・壬生照順・三宅泰雄 |
出典『’79年広島・長崎報告-原水爆禁止1979年世界大会から』( 広島・長崎報告編集共同デスク著、原水爆禁止日本協議会刊)
止
『’79年広島・長崎報告-原水爆禁止1979年世界大会から』( 広島・長崎報告編集共同デスク著、原水爆禁止日本協議会刊)
内容〈作業中〉
頁 | 内容 |
第1分冊 | |
2 | 国際会議 7月31日 日本青年館 |
2 | 一般報告 |
6 | 開会集会 7月31日 |
10 | 国際会議分科会・討論集会 |
第一分科会 10/第二分科会 12/第三分科 14/討論集会 17 | |
20 | 詩・鎮魂歌”慟哭” |
22 | 資料 世界大会の歩み |
30 | 国際会議参加海外代表名簿 |
第2分冊 | |
2 | 原水爆禁止世界大会・広島・全体集会 〈8月6日午後1時~ 広島県立体育館〉 |
5 | 開会あいさつ(森滝市郎 原水禁国民会議代表委員) |
5 | 主催者あいさつ(西井勇 日青協会長) |
7 | 来ひんあいさつ(ロルフ・ビョルナーシュテット 国連軍縮センター所長) |
8 | 海外代表あいさつ |
アメリカ代表(ジョン・サマヴィル) | |
オーストラリア代表(ヘレン・コルディコット夫人) | |
10 | 閉会あいさつ |
広島県原水協理事長(佐久間澄) | |
11 | ヒロシマからのうったえ 〈8月6日 広島県立体育館〉 |
13 | 広島市・平和式典 〈8月6日〉〈7年ぶりの雨の式典〉 |
14 | 原水爆禁止1979年世界大会によせて(チャン・ラム ベトナム平和委員会代表) |
17 | 被爆者を囲むつどい 〈8月6日 見真講堂〉〈石田忠氏らの呼びかけ〉 |
18 | 海外代表との連帯・交流のつどい〈8月6日 市内3会場〉 |
20 | 8月4日 広島 |
20 | 国民平和大行進に6000人 4コースから平和公園へ集中行進 〈8月4日〉 |
21 | 炎天のもとで終結集会 |
22 | 「2000万署名」確かに 広範な参加に感銘(国連軍縮センター所長) |
23 | ベトナム作家の詩が合唱曲に〈8月4日午後6時半、広島YMCA内の教会で合唱曲「ヒロシマの歌」発表会。20数人〉 |
23 | 「平和と文化のタベ 」〈8月4日午後6時半、幟町中学校校庭、5000余名〉 |
24 | ボニージャックスにインタビュー 若い世代の参加 頼もしさを感じます |
26 | シンポジウム「核兵器と人類の生存」〈8月4日午前10時過ぎ 広島YMCAホール〉〈別掲〉 |
30 | ヒロシマでの海外代表 |
原爆慰霊碑/原爆資料館/原爆病院/被爆者との懇談 | |
20 | 8月5日 広島 |
34 | 核兵器完全禁止・核基地撤去岩国行動 |
36 | 原水爆禁止少年少女のつどい 〈似島〉 |
38 | オルドリッジ夫妻歓迎集会 〈8月5日午前 見真講堂〉 |
ミサイル設計技師から核廃絶のたたかいに | |
41 | 実行委員会に結集して 大きな大会になった〈ペギー・ダフ ICDP書記長〉 |
42 | 8・6全国高校生集会 受けつぐ平和からつくる平和へ |
44 | 16歳で被爆―黒川万千代さん 被爆の実相を訴える 核兵器廃絶へ全力投球 |
46 | 被爆者家庭訪問〈8月5日午前中、1世帯約千人参加〉 |
48 | 被爆者家庭訪問感想文から |
49 | 25回目の参加 苦労は買っても・・・と櫛田ふきさん |
50 | 折り鶴平和行進と結集集会 〈8月5日午前 合計6千人参加〉 |
52 | 課題別集会 課題・名称・会場 |
53 | |
53 | 課題別集会のレポート |
第一会場~第20会場…67 | |
68 | 原水爆禁止一九七九年世界大会・長崎 |
68 | 八月八日の集会 |
69 | 被爆者援護法の実現のために国氏の訴え |
70 | 全体総会に9000人が結集 |
71 | 長崎からのアピール |
72 | 分科会・分散会のまとめ |
第一分科会…72/第二分科会…72/第三分科会…73/第四分科会…73/第五分科会…74/第六分科会…75/第七分科会…75/第八分散会…75 | |
74 | 被爆者として想う・谷口稜曄 |
世界大会国際会議第二日 76 | |
第一分科会…76/第二分科会…77/第三分科会…78/討議集会…81/ | |
81 | 閉会総会… |
83 | 中森謹重さん |
84 | 世界大会国際会議・東京宣言 |
86 | 世界大会国際会議分科会・討論集会まとめ |
第一分科会まとめ…86/第二分科会まとめ…90/第三分科会まとめ…91 | |
93 | 討論集会まとめ |
97 | 資料 米・ソ核実験で日本原水協声明 |
98 | 第五福竜丸と海外代表 |
99 | 東京『都民のつどい』の発言から |
100 | 世界大会の成功をめざす活動から |
100 | 広島へ く岡山県下一〇日間の平和行進 |
102 | 北海道一七五五キロの平和行進 |
103 | 京都・原爆写真展の教訓から |
104 | 世界大会に寄せられた海外メッセージリスト |
105 | 世界大会実行委員会・代表委員・運営委員名簿 |
107 | 編集を了えて(金子徳好 ) |
止
原水爆禁止1979世界大会・広島
出典:『原水爆禁止’79世界大会の記録 被爆者援護・核兵器廃絶・人類生存のために』(’79世界大会の記録編集委員会(編)、原水爆禁止1979年世界大会実行委員会、197911)〈作業中〉
内容
頁 | 事項 | 備考 |
72 | 海外代表・資料館原爆病院等訪問<8月4日> | |
73 | 原水爆禁止1979世界大会・広島 折り鶴平和行進<8月5日> | |
74 | 折り鶴平和行進結集集会における世界大会実行委員会代表あいさつ(中林定男) | |
76 | 課題別集会 8月5日 14:30~18:30 | |
77 | 世界大会・広島 広島県立体育館 13:00~ | |
〈議長団〉大友よふ()・草野信男()、中林定男()・藤井日達()・槙枝元文()・今田正義()・庄野直美()・高浜清子()・三宅登()・村上忠敬()・(アメリカ)・(オーストラリア)・(ソ連)・(ルーマニア)・(世界労連)・(ベトナム)・(ジンバブエ) | ||
79 | 主催者代表あいさつ(西井勇 日本青年団協議会会長) | |
80 | 来賓あいさつ (ロルフ・ビョルナーシュテット 国連軍縮センター所長) | |
81 | 海外代表あいさつ(ヘレン・コルディコット アメリカ生存のための動員・ボストン小児科病院医療センター医師) | |
82 | 海外代表あいさつ(ジョン・サマービル 核虐殺に反対する米日科学者連合アメリカセクション会長・哲学者) | |
83 | メッセージ(宮沢弘 広島県知事) | |
84 | あいさつ(荒木武 広島市長) | |
84 | 4つの部門の訴えと報告 | |
84 | 医療器材のカンパ活動の報告(前田毅子 広島地方同盟) | |
85 | ふたたび原水禁運動に参加して(並木良 東京都地婦連) | |
85 | 6・9行動からの報告(足立恭子 京都教組婦人部) | |
86 | 核実験抗議の坐り込みの報告(今野吉一 山形原水協) | |
87 | 被爆の実相を世界へ(下江武介 広島県被団協) | |
87 | 今、被爆者は遺族は(安永美恵子 長崎県被団協) | |
88 | 被爆者援護について(中村美代子 広島県被団協) | |
88 | 被爆二世から(大久保定 大阪被爆二世の会) | |
88 | 平和教育の報告(野村凱一 静岡県教組三島支部) | |
89 | 生徒の立場から(1)(*木尚 東京・ヒロシマを結ぶ会) | |
89 | 生徒の立場から(2)(*野*紀子 呉・豊栄生徒) | |
90 | 小さな平和への願いから(妹尾カオリ・スタンバトラー ワールド・フレンドシップ・センター) | |
91 | 平和人形(竹内千代) | |
91 | 閉会のことば (佐久間澄 広島県原水協理事長) | |
原水爆禁止1979世界大会・長崎 <8月7日> | ||
1’79年広島・長崎報告-原水爆禁止1979年世界大会から 1広島・長崎報告編集共同デスク原水爆禁止日本協議会1979/01/01T0319.832H020 | ||
2’79年広島・長崎報告-原水爆禁止1979年世界大会から 2広島・長崎報告編集共同デスク原水爆禁止日本協議会1979/01/01T0319.832H021 | ||
3核兵器全面禁止の日まで 岩手県原水協30年の歩み | ||
4原水爆禁止1979年世界大会、10月第二回国連軍縮行動週間の成功をめざして平和と軍縮をめざす全国連絡会 編平和と軍縮をめざす全国連絡会1979/08/01T0319.832H023 | ||
5原水爆禁止1979年世界大会 被爆者援護・核兵器廃絶・人類生存のために 国際会議参考資料原水爆禁止1979年世界大会実行委員会原水爆禁止1979年世界大会実行委員会1979/01/01T0319.832G053 | ||
6原水爆禁止一九七九年世界大会への参加のための討議資料原水爆禁止日本協議会原水爆禁止日本協議会1979/01/01T0319.832G051 | ||
7高校生のヒロシマ・アピール 原水爆禁止1979年世界大会関連行事・第6回8・6全国高校生集会総括集8・6全国高校生集会現地実行委員会、広島県高校生平和ゼミナール実行委員会編8・6全国高校生集会現地実行委員会、広島県高校生平和ゼミナール実行委員会1979/11/03T0319.81H008 |
止