「原爆被害調査(直後)」カテゴリーアーカイブ

原子爆弾―広島・長崎の写真と記録

『原子爆弾 広島・長崎の写真と記録』(仁科記念財団編纂、光風社書店、19730806)

目次

章節
序文 朝永振一郎
発端
「新型高性能爆弾」
広島・その日 私はそこにいた 監視哨報告 最初の報道
火災・旋風・黒い雨 宇田道隆
初期救護活動・広島 緊急非常事態 宇品船舶司令部 船舶練習部第10教育隊 南大橋付近 斎藤部隊本部 東練兵場付近 爆心周辺避難路と救護所 夜があけて 救護部隊の到着
似島臨時救護所
宇品船舶練習部
大和人絹広島工場 8月6日野戦病院の設営 陸軍軍医学校派遣調査斑
焼け残った病院 陸軍共済病院 広島第一陸病・江波分院 三菱・広島造船所構内病院 広島逓信病院
広島赤十字病院(回想)重藤文夫
初期調査はじまる 呉鎮守府調査団 海軍広島調査団 技術院調査団の派遣 大本営,有末調査団を派遣 陸軍省災害調査班(当時をかえりみて)山科清 京都大学調査団大阪 大学調査団
「判決」 「広島爆弾調査報告」 レントゲンフィルムの感光
最初の新聞発表
放射能を追って 仁科博士の西下 「観測するモルモット」玉木英彦 放射能の測定
未知の原爆症
「原子爆弾症の恐怖」 現地医師の体験 ある新劇女優の死 「医学も揺らぐ原子爆弾の惨」 都築博士一行の西下原子爆弾症講演会 「所謂原子爆弾傷の医療方針」都築正男 〔解説〕「広島と長崎の原爆」
長崎被災
爆発の瞬間 香焼島監視哨 大村からの観察針 尾海兵団からの観察 長崎測候所での観測
「長崎地区憲兵隊報告」
長崎医科大学 「長崎医大の壊滅」調来助
長崎・避難と救護 その日の旧市内 救護組織の壊滅 勝山国民学校臨時救護所 飽ノ浦三菱病院 浦上-爆心周辺 浦上工場群の被爆 その後の浦上 大橋以北救援列車
諌早大村海軍病院 諌早海軍病院 大村海軍病院他
新興善救護病院
仁科博士長崎へ
学術調査
原爆調査特別委員会 長崎における調査活動 不可解な事件 「r原爆災害調査報告書」
原爆調査回顧 菅義夫
枕崎台風による遭難回想 木村毅一
日米合同調査団の経緯
災害調査のいくつかの課題 被曝線量の問題 「仁科博士のメモ」より遮蔽効果について 死亡統計について
「仁科報告」
Ⅶ1 原爆記録映画
映画採録 131
「広島篇」 132
一般被害
物理-影について熱放射能
Ⅶ2
資料
終章
消えた都市・消された人間 加納竜一
原爆記録写真について 相原秀次
後記 山崎文男・田島英三

文部省学術研究会議原子爆弾災害調査特別委員会

文部省学術研究会議原子爆弾災害調査特別委員会

1945年9月14日設置(文部大臣名の発令は10月24日)

委員長:林春雄(学術研究会議会長、東京帝国大学名誉教授)

    9科会(科会長はすべて東大教授)

科会名 科会長
1.物理学化学地学 西川正治
2.生物学 岡田要
3.機械金属学 真島正市
4.電力通信 瀬藤象二
5.土木・建築 田中豊
6.医学 都築正男
7.農学水産学 雨宮育作
8.林学 三浦伊八郎
9.獣医学畜産学 増井清

第1回報告会。

1945年11月30日、於東京帝国大学。

山崎匡輔科学教育局長挨拶「今回原子爆弾の災害調査につきまして、各般の権威の有る方々に御調査をお願い致すことを決定致しましたところが、学研の方でこの問題を喜んでお取上げ下さいました。いま少し小規模な御研究を願いたいと思いましたのでございますが、皆様の非常な御熱誠の結果非常に完璧な研究団ができまして、私ども非常に衷心より感謝致している次第であります。」

第2回報告会。

1946年2月28日、於東京帝国大学。

「昭和22年度末まで3カ年にわたって作業を継続したが、主要な調査研究は昭和20年度(昭和21年3月まで)に行われた。」

日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編『原子爆弾災害調査報告書』

        (日本学術振興会、1953年5月5日)

理工学編 38編
生物学編 6編
医学編 130編

「医学科会は特別委員会中最大の科会であり、約30名の委員、150名の研究員、1,000名の助手から成り、日本の全ての主要な医学部、研究所及び病院を代表している。」

都築正男メモ

医学科会への最初の協力者

都築正男(科会長)、中泉正徳(東京大学)、菊池武彦(京都大学)、大野省三(九州大学)、井深健次(日本陸軍軍医総監)、福井信立、石黒茂夫、横倉誠次郎、金井泉(海軍軍医)、勝俣稔、古屋芳雄(厚生省公衆衛生官)、高折茂(鉄道医官)

1945年10月任命

田宮猛雄、都築正男、佐々貫之、中泉正徳、三宅仁(東京大学)、木村廉、船岡省吾、真下俊一、菊池武彦、森茂樹(京都大学)、高木耕三、木下良順、布施信義、福島寛四(大阪大学)神中正一、中島良貞、小野興作、沢田藤一郎(九州大学)、林道倫(岡山医大)、古屋野宏平(長崎医大)、井深健次、平井正民(陸軍軍医)、横倉誠次郎、金井泉(海軍軍医)、勝俣稔、古屋芳雄(厚生省公衆衛生官)、高折茂(鉄道医官)

主たる参加機関

東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部、大阪帝国大学医学部、九州帝国大学医学部、長崎医科大学、岡山医科大学、熊本医科大学、金沢医科大学、京都府立医科大学、山口医学専門学校、陸軍軍医学校、海軍軍医学校、広島陸軍病院、大野陸軍病院、呉海軍病院、岩国海軍病院、佐世保海軍病院、大村海軍病院、東京帝国大学伝染病研究所、厚生研究所。

1945年の調査対象

1.被害の統計学的調査、2.有害エネルギーの医学的調査

3.被災者の臨床的調査、4.人体に及ぼす残存エネルギーの影響調査

1946年度の調査の主要テーマ

1.死傷者の統計的調査、2.被災者の臨床的調査、3.病理解剖的調査

4.残存放射能の影響調査、5.人間の遺伝調査

合同調査団の設置と日本側の研究調査の成果の吸収

都築の公職追放

1946年8月15日、公職追放(理由:6年間海軍軍医であったこと)

1947年3月24日、半年間の公職追放規定の免除の覚書(ウィットニィ軍政局長)

1947年7月16日、3月24日の覚書の取り消しの覚書(ウィットニィ軍政局長)

    ***1957年まで日本側の原爆症研究は中断

1947年4月、第12回日本医学会総会演説

菊池武彦(京都帝国大学教授)・木本誠二(東京帝国大学助教授)「原子爆弾症の臨床」

参考文献

日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編『原子爆弾災害調査報告書』(日本学術振興会、1953年5月5日) B5版 1642頁

広島市役所編『広島原爆戦災誌 第5巻 資料編』(1971年)

広島県編『広島県史 原爆資料編』(1972年)

仁科記念財団編『原子爆弾-広島・長崎の写真と記録』(光風社書店、1973年)

広島市編『広島新史 資料編1 都築資料編』(1981年)

核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会編『医師たちのヒロシマ-原爆災害調査の記録』(機関紙共同出版、1991年)

マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(1946年)

[解題]

 マンハッタン・プロジェクトは、1942年8月13日、原子爆弾製造を目的として米合衆国陸軍の管下に作られた組織である。47年1月1日、米国原子力委員会(46年1月24日設置)に吸収移転されることにより、4年有余の特異な歴史を閉じた。

 その歴史は、同プロジェクト自身によって『マンハッタン・プロジェクト-公的歴史とその諸資料』(MANHATTAN PROJECT – Official History and Documents)としてまとめられている。

 ここに紹介する資料は、この中に含まれていたプレス・リリーズ(報道向け発表、計712ページ)の目次である。

 101点のメモと6点の参考資料(番号にAまたはBを付記)からなるこの資料は、時期的には、広島原爆攻撃直後から同プロジェクト廃止までのもので、発表源は、ホワイト・ハウス、国務省などのものが若干あるが、ほとんどは陸軍省である。

 内容は、原爆開発を推進した立場からの公式見解として、あるいは原爆情報統制下の公式発表として、いずれも重要な資料である。

1946年

番号 月日 資料タイトル メモ
047 02.04 New College Organized for High Ranking Officers of Armed Services and State Department 軍および国務省の高官向けに新しく学校を開設(陸海軍省合同発表)
048 02.14 Statement by Secretary of War before the Senate Special Committee on Atomic Energy 上院原子力特別委に際し陸軍長官の声明
049 02.20 Statement by General Groves Regarding Prevalence of Loose Talk about Atomic Bomb Project 原子爆弾プロジェクトをめぐる流言に関してグローブズ将軍の声明
050 03.04 Awards Presented to Scientists for Work on Atomic Bomb 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(陸軍長官が8人へ)
051 03.09 Radio Adress by Secretary of War on Atomic Energy   コロンビア放送における原子力に関する陸軍長官の発言
052 03.13 Awards Presented to Atomic Bomb Scientists 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(グローブズ将軍が2人へ)
053 03.15 Summary of Press Conference Conducted by Secretary of War on Atomic Energy 記者会見における原子力に関する陸軍長官の発言要旨
054 04.09 Medal for Merit Award to Dr. G. B. Kistiakowsky 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(グローブズ将軍がハーバ一ドの学者に)
055 04.09 Reference to Report on the International Control of Atomic Energy and to Possibility of Denaturing Atomic Explosives 国務省が3月28日、原子力国際管理に関する報告を刊行したことを発表(国務省発表)
055A 04.09 Report on the International Control of Atomic Energy )原子力管理に関する報告(通称アチソン・リリエンソール報告)
056 04.30 Soldier’s Medal Awarded to Technician Third Grade J. D. Hoffman マンハッタン管区の3級技師にに功労章が贈られる。
057 05.13 Publicity Proposed to be Given to Atomic Bomb Tests 原子爆弾実験に関する公表(陸海軍合同発表)
058 05.15 Army and Navy Munitions Board Survey of Underground Storage Sites 陸海軍軍需局、地下貯蔵所について研究(陸海軍合同発表)
059 05.21 Last Shipment Enroute for Atom Test at Bikini 最後の船荷がビキニの原子実験地点に向け出発
060 05.28 General LeMay Plans Pittsburgh Address on Atomic Bomb and Future Air Development 7月1日ピッツバーグにおけるC.E.ルメイ少将の演説「原子爆弾と将来の空軍の発展」の予告
061 06.12 Aberdeen Studies Regarding Effect of Shock Waves on Underground Installations 地下施設に及ばす原爆衝撃波の影響に関するアバディーン実験場(メリーランド州)の研究
062 06.14 Peacetime Application of Atomic Research Possible under Army Program 陸軍の計画下で実施されることになった原子研究の平和時適用
063 06.14 Operations Crossroads to Test Ordnance Material 軍需物資に及ばす影響を実験する十字路作戦
064 06.26 Manhattan Project Reports on Atom Bombing of Hiroshima and Nagasaki to be Released 29 June 六月二九日に公表される広島長崎原爆攻撃に関するマンハッタンプロジェクト報告
064A 06.26 Report: The Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki 広島・長崎への原爆攻撃
064B 06.26 Photographs of the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki 広島・長崎への原爆攻撃の写真(図表5枚、写真99葉)
065 06.28 Radioactive Uranium Isotopes Open up Unexplored Processes of Life 放射性ウラニウム同位元素の生命への適用が未知の歩みをはじめる。
066 06.30 Resume of Manhattan Project Reports on Atom Bombing of Hiroshima and Nagasaki 広島・長崎原爆攻撃に関するマンハッタンプロジェクト報告の要約
067 07.22 Remarks by Secretary of War on Radio Program “You and the Atom” ラジオ番組「あなたと原子」における陸軍長官の演説
068 07.22 AAF(Army Air Forces) Seeking Atomic Propulsion for Aircraft 航空機用原子動力に関する陸軍航空隊の研究
069 08.02 Announcement of First Shipment of Radioisotopes from Clinton Laboratories クリントン研究所からの初の放射性同位元素の出荷
070 08.02 Production of Radioactive Isotopes in the Pile パイルにおける放射性同位元素の生産に関する解説
071 08.02 Background Material for Town Oak Ridge オークリッジの町の解説
072 08.02 Background Material for Clinton Laboratories クリントン研究所の解説
073 08.02 Camp Upton to be Site of New Atomic Research Center アプトン整地(ニューヨーク州)が新たに原子研究センターの一つになる。
074 08.15 Atomic Energy Lectures to Open in War Development 陸軍省幹部向けに実施される原子力講義
075 08.19 AAF Begins New Study of Upper Air Regions 陸軍航空隊が始めた上空における宇宙線研究
076 08.27 Remarks by Secretary of War at Opening of Atomic Energy Lecture Series 原子力講演会開会式における陸軍長官の講演
077 09.01 Unfamilier “Mesons” Studies by AAF Technicians 陸軍航空隊技師によるめずらしい「メイソン」研究
078 09.03 New National War College Opens 新たに開設された国立の軍事学校(陸海軍合同発表)
079 09.09 Address by Under Secretary of War at Wrightsville ライツビルにおけるローヤル一陸軍次官の講演
080 09.24 Atomic Lectures Begin at Ft. Belvoir フォートペルボアで始まった陸軍高級将校向け原子力講義
081 10.03 Address by General Ridgway at San Francisco, Cal. サンフランシスコにおけるリッジウエイ中将の演説
082 10.07 Secretary of War Denies Stories that Atomic Bombs were Shipped to Great Britain 米国が英国に原子爆弾を送ったという噂を陸軍長官が否定
083 10.09 Remarks by General Groves before National Safety Congress at Chicago シカゴの国家安全会議におけるグローブズ将軍の演説
084 10.25 Genaral Groves Urges 2 December as Birthday of Atomic Energy 12月2日を原子力の誕生日とするグローブズ将軍の提言(1942年12月2日に最初の連鎖反応に成功)
085 10.28 Statement by General Groves in Regard to the Appointment of the Atomic Energy Commission 原子力委員会任命に関するグローブズ将軍の声明
086 10.28 Statement by Secretary of War Regarding Transfer of Responsibility from U.S. Army to Atomic Energy Commission 原子力開発責任の合衆国陸軍から原子力委員会への移転に関する陸軍長官の声明
087 10.30 Calender of Important Events in Development of Atomic Energy 原子力開発主要年表
088 11.07 Progress Made in Declassification of Atomic Energy Information 原子力情報解禁に進展
089 11.10 Atomic Laboratory to be Built at Schnectady, N.Y シユネクタディに建設する原子研究所
090 11.12 Atomic Energy Commission Visiting Principal Atomic Energy Facilities 主要な原子力施設を視察する原子力委員会
091 11.22 Development of Atomic Power No Simple Problem 難事業の原子力開発(グローブス、原子力平和利用に関する報告書を公表)
092 11.26 Chicago Pile Fouth Anniversary Meeting to be Held at Chicago シカゴで開催されるシカゴ・パイル4周年記念祭
093 11.29 Ceremonies to Mark Atomic Anniversary 原子力記念日の主な行事
094 11.29 Announcement of Award of Construction Contract for Dayton Project デイトンプロジェクトの建設請負契約に関する発表
095 12.01 Backgound Material for Observance of Anniversary of Development of Atomic Energy 原子力開発記念祭の解説
096 12.10 Announcement of Award of Contract for Brookhaven National Laboratory ブルックヘブン国立研究所の建設請負契約に関する発表
097 12.11 Atomic Energy Commision to Absorb Manhattan Engineer District 1 January 原子力委、1月1日よりマンハッタン技術管区を吸収
098 12.31 Statement of Secretary of War on Transfer of Manhattan District マンハッタン技術管区転換に関する陸軍長官声明
099 12.31 Background Information on Development of Atomic Energy Under Manhattan Project マンハッタンプロジェクトのもとで実施された原子力開発に関する解説
100 12.31 Joint Announcement by Atomic Energy Commission and Secretary of War on Transfer of Manhattan District マンハッタンプロジェクト転換に関する原子力委・陸軍長官の共同声明
101 12.31 Statement of Members of Atomic Energy Commission on Transfer of Manhattan District マンハッタンプロジェクト転換に関する原子力委員会委員の声明

 

マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(1945年)

[解題]

 マンハッタン・プロジェクトは、1942年8月13日、原子爆弾製造を目的として米合衆国陸軍の管下に作られた組織である。47年1月1日、米国原子力委員会(46年1月24日設置)に吸収移転されることにより、4年有余の特異な歴史を閉じた。

 その歴史は、同プロジェクト自身によって『マンハッタン・プロジェクト-公的歴史とその諸資料』(MANHATTAN PROJECT – Official History and Documents)としてまとめられている。

 ここに紹介する資料は、この中に含まれていたプレス・リリーズ(報道向け発表、計712ページ)の目次である。

 101点のメモと6点の参考資料(番号にAまたはBを付記)からなるこの資料は、時期的には、広島原爆攻撃直後から同プロジェクト廃止までのもので、発表源は、ホワイト・ハウス、国務省などのものが若干あるが、ほとんどは陸軍省である。

 内容は、原爆開発を推進した立場からの公式見解として、あるいは原爆情報統制下の公式発表として、いずれも重要な資料である。

1945年

番号 月日 資料タイトル メモ
001 08.06 Statement by the President of the United States トルーマン合衆国大大統領声明(ホワイトハウス発表)
002 08.06 Statement by the Secretary of War スチムソン陸軍長官声明(陸軍省発表)
002A 08.06 British Statement Relating to the Atomic Bomb 原子爆弾に関する英国声明
002B 08.06 Canadian Statement カナダの声明
003 08.06 Memorandum Regarding Report on Damage at Hiroshima 広島の被害報告に関するメモランダム(偵察機は、雲が目標地域を覆っていると報告。結果が明らかになり次第、陸軍省から公表する)
004 08.06 First Test Conducted in New Mexico ニューメキシコで行われた最初の実験(ニューメキシコ地域に発表)
005 08.06 Atomic Energy Source of Inexhaustible Power 無限の力としての原子力資源
006 08.06 Atomic Power Usage Once Thought Impossible 一旦は不可能とみられていた原子力使用
007 08.06 Labor Plays Vital Role in Activity of Manhattan District 労働者は、マンハッタン管区の活動において重要な役割を演じた
008 08.06 Atomic Energy Harnessed 利用された原子力
009 08.06 MED Projects Lead to Townsite Growth マンハッタン技術管区プロジェクトは、都市の発展をもたらした。(テネシー地域に発表。オークリッジの解説)
010 08.06 Security Message and General Information to the Press プレスに対する情報防衛上の注意および取材に有益な一般情報(ニコルス大佐署名の一般情報および防衛注意の2通。オークリッジおよびクリントン工場の解説)
011 08.06 Background Information on Electromagnetic Plant 電磁工場の解説
012 08.06 Background Information on Gaseous Diffusion 気体拡散工場の解説
013 08.06 Background Information on Thermal Diffusion 熱拡散工場の解説
014 08.06 Background Information on H.E.W ハンフォード工場の解説(ワシントン州に発表)
015 08.06 Background Information on Los Alamos Townsite ロスアラモスの解説
016 08.06 Hiroshima 広島の解説
017 08.06 Major General L. R. Groves L.R.グローブズ少将の紹介
018 08.06 Brigadier General T. F. Farrell T.F.ファーレル准将の紹介
019 08.06 Colonel K. D. Nichols K.D.ニコルズ大佐の紹介
020 08.06 Colonel F. T. Matthias F.T.マチアス大佐の紹介
021 08.06 Colonel S. L. Warren S.L.ワレン大佐の紹介
022 08.06 Manhattan District Officers マンハッタン管区の職員(グローブズが40名について紹介)
023 08.06 Manhattan District Officers マンハッタン管区の職員(ニコルズが44名について紹介)
024 08.06 Dr. J. B. Conant J.B.コナント博士の紹介
025 08.06 Dr. R. C. Tolman R.C.トルマン博士の紹介
026 08.06 Scientists Associated with Manhattan District マンハッタン管区に協力した科学者たち(H.C.ユーレイ、V.B.ブッシュ、A.H.コンプトン、E.O.ローレンスの紹介)
027 08.06 Dr. J. R. Oppenheimer J.R.オッペンハイマー博士の紹介J.R.オッペンハイマー博士の紹介
028 08.08 Comment Regarding Dr. Jacobson’s Speculation Concerning Radioactivity ジェイコブソン氏の放射能に関する推測に対するコメント(放射能の持続的存在の否定)
029 08.09 Comment by Security of War on Use of Atomic Bomb 陸軍長官の原子爆弾使用についてのコメント
030 08.11 Elaborate Security Measures Protected Secret of Atomic Bomb 原子爆弾の秘密を守った十全の防衛手段
031 08.11 Release of Smyth Report スマイス報告の公表
031A 08.11 A General Account of the Development of Methods of Using Atomic Energy for Military Purposes under the Auspies of the United States Government (Smyth Report) 合衆国政府の監督下1940年から1945年にかけて行われた軍事目的に原子力を使用する方法の開発に関する概括約説明(通称スマイス報告)
032 08.13 WACS ( Women’s Army Corps ) Assigned to Manhattan Project マンハッタンプロジェクトに従事した陸軍婦人部隊
033 08.15 Security to be Uneffected by Cessation of Hostilities 終戦は、原爆情報防衛政策を何ら変更ぜず
034 09.09 Eye Witness Account of Atomic Mission over Nagasaki 原爆調査隊の長崎上空における目撃談(8月9日打電したニューヨークタイムズ科学記者W.L.ローレンスの記事が一カ月後に陸軍省から公表されている)
035 09.12 General Groves Awarded DSM ( Distributed Service Medal ) グローブズ将軍に殊功章が贈られる(殊功章=Distinguished Service Medal)
036 09.14 President’s Request that Unreleased Information be Withheld from Publication 未発表情報を公表することを差控えるよう大統領要請(「秘・・・公表禁止・・・編集者への注意」との注意書が初めにある)
037 09.19 Final News Conference of Secretary Stimson スチムソン陸軍長官の最終記者会見
038 09.29 Remarks by Secretary of War at Army-Navy “E” Ceremonies at Oak Ridge 陸海軍E記念式におけるパターソン陸軍長官の演説
039 10.09 Statement of General Groves before the House Military Affairs Committee 下院軍事委に際しグロ-ブス将軍の声明
040 10.09 Statement of Secretary of War before the House Military Affairs Committee 下院軍事委に際しパターソン陸軍長宮の声明
041 10.18 Statement of Dr. J. R. Oppenheimer before the House Military Affairs 下院軍事委に際しオッペンハイマー博士の声明
042 10.20 Secretary of War Welcomes Public Discussion of Atomic Science if Continued to Subject Matter of Smyth Report 陸軍長官、スマイス報告の内容に限定された原子科学の公開議論は歓迎されると言明
043 10.30 General Farrell Awarded DSM ファーレル将軍に殊功章が送られる
044 11.14 Statement to the Press by Secretary of War Concerning May-Johnson Bill メイ・ジョンソン法に関する陸軍長官声明
045 11.26 Awards to Officers of Manhattan District マンハッタン管区の職員に功労章が送られる(52人に対し3種の功労章)
046 12.10 Announcement of Contemplated Joint Test of Atomic Bombs 陸海合同原子爆弾実験に関する発表。

文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会

1945年9月14日設置(文部大臣名の発令は10月24日)

委員長:林春雄(学術研究会議会長、東京帝国大学名誉教授)

9科会(科会長はすべて東大教授)

科会名

科会長
1.物理学化学地学 西川正治
2.生物学 岡田要
3.機械金属学 真島正市
4.電力通信 瀬藤象二
5.土木・建築 田中豊
6.医学 都築正男
7.農学水産学 雨宮育作
8.林学 三浦伊八郎
9.獣医学畜産学 増井清

第1回報告会。 1945年11月30日、於東京帝国大学。

山崎匡輔科学教育局長挨拶「今回原子爆弾の災害調査につきまして、各般の権威の有る方々に御調査をお願い致すことを決定致しましたところが、学研の方でこの問題を喜んでお取上げ下さいました。いま少し小規模な御研究を願いたいと思いましたのでございますが、皆様の非常な御熱誠の結果非常に完璧な研究団ができまして、私ども非常に衷心より感謝致している次第であります。」

第2回報告会。1946年2月28日、於東京帝国大学。
「昭和22年度末まで3カ年にわたって作業を継続したが、主要な調査研究は昭和20年度(昭和21年3月まで)に行われた。」

日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編『原子爆弾災害調査報告書』

(日本学術振興会、1953年5月5日)

理工学編 38編
生物学編 6編
医学編 130編

「医学科会は特別委員会中最大の科会であり、約30名の委員、150名の研究員、1,000名の助手から成り、日本の全ての主要な医学部、研究所及び病院を代表している。」

都築正男メモ

医学科会への最初の協力者都築正男(科会長)、中泉正徳(東京大学)、菊池武彦(京都大学)、大野省三(九州大学)、井深健次(日本陸軍軍医総監)、福井信立、石黒茂夫、横倉誠次郎、金井泉(海軍軍医)、勝俣稔、古屋芳雄(厚生省公衆衛生官)、高折茂(鉄道医官)

1945年10月任命

田宮猛雄、都築正男、佐々貫之、中泉正徳、三宅仁(東京大学)、木村廉、船岡省吾、真下俊一、菊池武彦、森茂樹(京都大学)、高木耕三、木下良順、布施信義、福島寛四(大阪大学)神中正一、中島良貞、小野興作、沢田藤一郎(九州大学)、林道倫(岡山医大)、古屋野宏平(長崎医大)、井深健次、平井正民(陸軍軍医)、横倉誠次郎、金井泉(海軍軍医)、勝俣稔、古屋芳雄(厚生省公衆衛生官)、高折茂(鉄道医官)

主たる参加機関

東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部、大阪帝国大学医学部、九州帝国大学医学部、長崎医科大学、岡山医科大学、熊本医科大学、金沢医科大学、京都府立医科大学、山口医学専門学校、陸軍軍医学校、海軍軍医学校、広島陸軍病院、大野陸軍病院、呉海軍病院、岩国海軍病院、佐世保海軍病院、大村海軍病院、東京帝国大学伝染病研究所、厚生研究所。

1945年の調査対象

1.被害の統計学的調査、2.有害エネルギーの医学的調査

3.被災者の臨床的調査、4.人体に及ぼす残存エネルギーの影響調査

1946年度の調査の主要テーマ

1.死傷者の統計的調査、2.被災者の臨床的調査、

3.病理解剖的調査4.残存放射能の影響調査、

5.人間の遺伝調査

合同調査団の設置と日本側の研究調査の成果の吸収

都築の公職追放

1946年8月15日、公職追放(理由:6年間海軍軍医であったこと)

1947年3月24日、半年間の公職追放規定の免除の覚書(ウィットニィ軍政局長)

1947年7月16日、3月24日の覚書の取り消しの覚書(ウィットニィ軍政局長)

***1957年まで日本側の原爆症研究は中断

1947年4月、第12回日本医学会総会演説

菊池武彦(京都帝国大学教授)木本誠二(東京帝国大学助教授)「原子爆弾症の臨床」

参考文献

日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編『原子爆弾災害調査報告書』(日本学術振興会、1953年5月5日) B5版 1642頁

広島市役所編『広島原爆戦災誌 第5巻 資料編』(1971年)

広島県編『広島県史 原爆資料編』(1972年)

仁科記念財団編『原子爆弾-広島・長崎の写真と記録』(光風社書店、1973年)

広島市編『広島新史 資料編1 都築資料編』(1981年)

核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会編『医師たちのヒロシマ-原爆災害調査の記録』(機関紙共同出版、1991年)