ヒロシマ案内・平和教育関係図書一覧
書名 | 著者 | 出版社 | 発行年月日 | 備考 |
ヒロシマ・ナガサキ | 現代出版 | 現代出版 | 19820815 | U |
被爆者からの伝言 原爆の実相を語りつぐ | 日本原水爆被害者団体協議会 | あけび書房 | 19950601 | U |
原子爆弾―開発から投下まで | 翔泳社 | 翔泳社 | 19950720 | U |
ヒロシマ案内・平和教育関係図書一覧
書名 | 著者 | 出版社 | 発行年月日 | 備考 |
ヒロシマ・ナガサキ | 現代出版 | 現代出版 | 19820815 | U |
被爆者からの伝言 原爆の実相を語りつぐ | 日本原水爆被害者団体協議会 | あけび書房 | 19950601 | U |
原子爆弾―開発から投下まで | 翔泳社 | 翔泳社 | 19950720 | U |
核―半減期(広島・長崎の写真)
19950921-19951110 主催・会場:東京都写真美術館
図録
頁 | ||
005 | ごあいさつ | 東京都写真美術館 |
008 | 平和のための写真映像資料館を | 岩倉務(平和博物館を創る会専務理事) |
松重美人氏写真をコンピュータで修復 NECが協力/CD-ROMで永久保存 | ||
015 | 核―半減期 ヒロシマ・ナガサキの写真 | 金子隆一(東京都写真美術館専門調査員) |
025 | 第1部 1945 広島・長崎 | |
026 | 松重美人 | |
028 | 深田敏夫 | |
030 | 岸田貢宜 | |
041 | 菊池俊吉 | |
047 | 山端庸介 | |
062 | 林重男 | |
068 | 松本栄一 | |
073 | 第2部 戦後史の中のヒロシマ・ナガサキ | |
074 | 福島菊次郎 | |
080 | 土門拳 | |
092 | 石黒健治 | |
098 | 土田ヒロミ | |
113 | 東松照明 | |
138 | 作者解説 | |
石黒健治・菊池俊吉・岸田貢宜・土田ヒロミ・東松照明・土門拳・林重男・深田敏夫・福島菊次郎・松重美人・松本栄一・山端庸介 | ||
140 | 出品作品リスト | |
『太陽(平凡社)』
目次
号 | 発行年 | 記事 | ||
009 | 19640212 | 特集1 長崎 | ||
長崎・ある被爆者の系図 | ||||
長崎の原子爆弾 | 井上光晴 | G | ||
030 | 19651112 | 特集:原爆ドームの見えるキムチの町 | 小沢信男 | G |
087 | 19700812 | 特集:沖縄 | G | |
335 | 19890712 | U | ||
005 | 土門拳 | 針が吹き飛ばされたウェルサムの時計 1968撮影 | ||
特集:昭和の記憶 | 松本徳彦(構成) | |||
昭和モダニズム | 木村伊兵衛・土門拳・名取洋之助・浜谷浩 | |||
戦争 | 菊池俊吉・木村伊兵衛・土門拳 | |||
原爆 | 菊池俊吉・土門拳・福島菊次郎 | |||
原爆に終止符は永遠になし | 中沢啓治 | |||
焼け跡 | 菊池俊吉・木村伊兵衛・林忠彦 | |||
占領 | 石川文洋・菊池俊吉・土門拳・林忠彦 | |||
安保闘争 | 浜谷浩 | |||
高度成長 | 土門拳・富山治夫・長野重一 | |||
公害 | 桑原史成 | |||
学園闘争 | 富山治夫・福島菊次郎 | |||
豊かな社会 | 秋山亮二・倉田精二・田辺順一・深瀬昌久 | |||
『写真家100人 顔と作品 カメラ毎日創刊20周年記念別冊』(1973)
内容
094 | 木村伊兵衛 | |
098 | 長野重一 | |
102 | 浜口タカシ | |
114 | 福島菊次郎 | |
変身のきっかけは「原爆」 | 羽生晴久 | |
146 | 土門拳 | |
212 | 土田ヒロミ | |
216 | 東松照明 | |
『カール・マイダンス 激動日本の目撃者1941~1951』(三木淳監修 、ニッコールクラブ、19830301)
内容
頁 | ||
002 | フォトジャーナリスト<カール・マイダンス> ライフ写真家の経歴より | |
004 | 写真家カール・マイダンス 妻である立場を離れて彼の写真が歴史の中でしめる位置を考える | シェリー・マイダンス |
原爆投下跡を空から見る | 長崎 | |
2年後のヒロシマ | ||
戦後最初に生産された三輪自動車 1947年 広島にて | ||
被爆した墓地の壊れた水道から水を汲む老婦人 | ||
広島から2年後の広島の人たち | ||
背中のケロイドが原爆の恐怖を如実に示す[吉川清] | ||
ヒロシマの被爆者1号といわれる吉川清さん 1947年 現在も入院中 | ||
122 | インタビュー:マイダンス夫妻 写真、戦争、そして家庭を語る | (聞き手および写真・三木淳) |
127 | あとがき | 三木淳(ニッコールクラブ会長) |
『浜口タカシ写真展 ドキュメント日本 激動の日々35年』(浜口タカシ著、浜口タカシ写真展実行委員会、19870526)
1987年横浜市民ギャラリーで開催された展覧会の図録
構成
撮影日 | ||
ごあいさつ | (横浜市教育長) | |
浜口タカシ写真展に寄せて | 三木淳(日本写真家協会会長) | |
人類初の惨禍 | ||
広島原爆ドーム | 19830806 | |
福田須磨子 | 19660808 | |
片岡津代 | 19830809 | |
ミッチーブームに湧く日まで | ||
黄金の60年代・光と影 | ||
レジャーブーム到来 | ||
遅れた終戦 | ||
大学紛争 | ||
成田闘争 | ||
70年安保闘争 | ||
日本・人災列島 | ||
政界異変 | ||
北海に生きる | ||
二つの祖国 | ||
同時代人としての浜口タカシ | 青木雨彦 | コラムニスト |
執情の人の涙の塔 | 岡井耀毅 | 評論家 |
あとがき | 奥村泰宏 | 神奈川県写真作家協会会長 |
『写真でみる原爆の記録』(手塚毅、原水爆資料保存会、19570601)
目次
記事編 | ||
◎爆発当時の広島の状況と原爆被害の実態 | ||
爆発当時の状況 被爆による人的被害 死亡者と死亡率 爆心地からの距離と死亡率 被爆生存一覧表(府県別) 原爆によって何人の人が死んでいるか 動員学徒死亡数 義勇隊死亡数 広島、長崎の被害比較表 |
||
◎被爆者の声 | ||
緒言 ○三人の幼児を抱へ夫に去られたケロイドの婦人が歩む苦難の人生 多田まき子さんは語る ○原爆症と闘いついに死亡せる 恵原吉郎さん生前の手記 ○ケロイドの妻のかなしい日日の生活 A夫人の手記より 於 広島 |
||
◎原水爆禁止世界大会 | ||
大会宣言 議長団代表 浜井信三氏 日本準備会事務総長 安井 郁氏 各国代表の声 アメリカ代表 ミルドレッド・スコット・オルムステツト女史 イタリー代表 ポブレア・デジー氏 インド代表 パリチウドル女史 インド代表 アチアリア氏 ポーランド代表 レオナルド・ソフノフスキー氏 オーストラリヤ代表 ウイリアムゴラン氏 アメリカ代表 アーム・ストロンク氏 フランス代表 ジヤキエ氏 世界民青連代表 バハルジン氏 ポーランド国会議員 ゾフイ・ヤワジルコウスカ夫人 インド代表 アニブ・シン博士 |
||
◎被害者の叫び | ||
被害者(広島) 高橋明究氏 長崎原爆乙女の会々長 山口みさ子氏 福竜丸対策委員 山崎林太郎氏 ビキニ水爆の犠牲者 久保山すず未亡人 長崎の被害者(29才の婦人) 原爆症で愛児を失った 岩本夫人 原爆ドームの下の 吉川 清氏 10年してまた原爆症に 岩手代表 ビキニ被災者について 焼津代 |
||
◎被害者の救援問題について | ||
◎原水爆の恐るべき影響について | ||
長崎に於ける当時の状況 | ||
◎原爆被害者の治療及び剖検の経験 | ||
塩月正雄(現メデカルセンター設立発起人) | ||
写真編 | ||
広島編 | ||
広島に投下された原子爆弾 原爆はかくして投下された 原爆と水爆の種々 広島の原爆前原爆後の対照 原爆で吹っ飛んだ広島 原爆が物体に及ぼした影響 樹木・橋梁・木造建物 鉄筋建物・電車とレール・竹 墓石・屋根 放射熱線ののこした影の数々 放射熱線が物体に及ぼした焼痕 原爆の衝撃波 原爆直後の被爆者の診察 各収容所の状況 放射熱線に焼けただれた人々 熱線によるケロイド症状 原爆症 原爆患者死亡直後の写真 原爆の被害はまだ続いている 脱毛症・馬の原爆症 最近の患者の診療と手術 救はれざる人々 原爆未亡人・原爆乙女 原爆孤児・悲惨生活 原爆投下当時の新聞の報道 肉親や知人を探す人々 熱線と黒いもの白いもの 10年後爆心地付近で出るムクロ |
||
長崎編 山端庸三氏撮影 | ||
最も完全に残された世界に唯一の原爆記録写真集 原爆後1年して撮った写真 水爆の恐怖 ビキニ水爆の実録 医師の記録 塩月正雄氏 平和運動世界にみなぎる 世界平和大会に於ける安井郁氏 ワルシャワの世界学生平和大会に於ける日本代表 世界に拡がる原水爆禁止署名運動 原爆10周年を期して広島で催された原水爆禁止世界大会 大会々場・渡辺広島市長 前市長浜井信三氏・大山郁夫氏 多大の感銘をあたえた長崎の山口さん 久保山未亡人 各国代表者たち・参集する群衆 その日の原爆ドームを中心とする市街 原爆犠牲者の霊をともらう人々 |
||
原子力の平和利用 | ||
ラジオアイソトープとその平和利用 古い年代を計る・医学への平和利用 工業への利用・農業への利用 気象観測へ・未来の交通機関 汽車・自動車・商船 原子力発電所・原子力バッテリー 食糧の耐久性へ・原子炉の種々 未来の原子力航空機・原子砲 放射能の処理・原爆避難壕 ジュネーブ原子力展示会 |
||
『被爆45年広島の声なき証言者たち』(福島明博、日本機関紙出版センター、19900710 )
目次
部 | ||
はじめに | ||
1 | 訴える建築物 | |
2 | 生きのびた樹木 | |
3 | 川と橋は見ていた | |
4 | 寺社に残る爪跡 | |
5 | 崩壊した軍都 | |
6 | 広島はいま | |
取材日誌 | ||
被爆遺跡地図 表紙裏 | ||
おわりに | ||
『きみはヒロシマを見たか 広島原爆資料館』(高橋昭博・NHK取材班・土田ヒロミ、日本放送出版協会、19821101)
目次
章 | 節 | ||
口絵 | |||
Ⅰ | ヒロシマの語り部 | 高橋昭博 (広島平和記念資料館長) |
|
1 | 真夜中の館内にて | ||
2 | 8月6日の私 | ||
3 | ひとりからの出発 | ||
4 | たったひとりの修学旅行 | ||
5 | 語り継がれるヒロシマ | ||
Ⅱ | 平和な日々 | ||
1 | 材木町の朝 | ||
2 | 中島本町 | ||
3 | マンハッタン計画 | ||
4 | 軍都広島 | ||
5 | リトル・ボーイ | ||
6 | 建物疎開 | ||
Ⅲ | 最後の別れ | ||
1 | 時間の止まった部屋 | ||
2 | 三位一体の遺品 | ||
3 | 広島市立中学校 | ||
4 | 軍国少年の日々 | ||
Ⅳ | 8時15分!! | ||
1 | 空襲警報発令 | ||
2 | 炸裂の瞬間 | ||
3 | 放送断絶 | ||
4 | 被爆第1報 | ||
5 | 燃える中島 | ||
6 | 少女たちの被爆 | ||
7 | 広島2中隊の全滅 | ||
8 | 生皮と生爪 | ||
9 | 熱線と爆風 | ||
10 | 人影の石 | ||
11 | 石段の形見 | ||
Ⅴ | その日8月6日 | ||
1 | 5枚の写真 | ||
2 | 父と娘 | ||
3 | 御幸橋 | ||
4 | セーラー服の少女 | ||
5 | 死者の山 | ||
6 | うしろ姿の少年 | ||
7 | 警察官 | ||
8 | 市立高女隊の悲劇 | ||
9 | 被爆直後の録音テープ | ||
10 | 少女の下駄 | ||
11 | 37年目の再会 | ||
Ⅵ | あとに遺されたもの | ||
1 | 2次被爆 | ||
2 | 放射線 | ||
3 | 脱毛 | ||
4 | ケロイド | ||
5 | ガラス片 | ||
6 | 被爆ピアノ | ||
7 | 黒い爪 | ||
8 | もうひとつの黒い爪 | ||
Ⅶ | 歴史のなかのヒロシマ | ||
1 | 被爆全数 | ||
2 | 動員学徒被爆全数 | ||
3 | 消えた学校 | ||
4 | 30年目の卒業アルバム | ||
5 | 37年目の被爆タイル | ||
6 | 37年目の訪問 | ||
7 | ヒロシマの語り部たち | ||
あとがき |
『遺品は語る』(深沢一夫 (文)、森下一徹 (写真)、汐文社、19820806)
目次
章 | 見出し | 備考(著者、寄贈者など) |
巻頭言 被爆資料から声なき声が聞こえる | 高橋昭博 | |
1 | 無言の語部 | |
2 | 消せない記憶 | |
溶けた瓦に埋まった人骨 | ||
学生服上衣の一部 | (寄贈者・河野寿) | |
罹災証明書 | (寄贈者・) | |
学生服上衣 | (寄贈者・) | |
原爆瓦 | ||
陸軍将校の軍服 | (寄贈者・) | |
軍刀 | (寄贈者・) | |
学徒の地下足袋 | (寄贈者・) | |
学徒隊女学生の下駄 | (寄贈者・) | |
象牙製の印鑑 | (寄贈者・) | |
炭化した象牙のパイプ | (寄贈者・) | |
眼鏡のレンズ・ハサミ等 | (寄贈者・) | |
文字の焼け抜けたポスター片 | (寄贈者・) | |
焼跡のついた竹 | (寄贈者・) | |
硬貨の溶融塊 | (寄贈者・) | |
懐中時計 | (寄贈者・) | |
2 | 消せない記憶 | |
八丁堀付近のガラス瓶 | (寄贈者・) | |
23年後の爆発 | (文・深沢一夫) | |
中学生の弁当箱、水筒、財布 | (寄贈者・) | |
わが子の遺体に呼び寄せられて | (文・深沢一夫) | |
学徒が残した生爪と生皮 | (寄贈者・) | |
おもかげ | (文・深沢一夫) | |
皮ベルト | (寄贈者・) | |
母もあびた放射能 | (文・深沢一夫) | |
陶製の学生服ボタン | ||
剛武と名づけた父 | (文・深沢一夫) | |
ガラス小瓶の集塊 | (寄贈者・) | |
死者へのいとおしさ | (文・深沢一夫) | |
女学生の弁当箱 | (寄贈者・) | |
遺体すらかえらずに | (文・深沢一夫) | |
妻のモンペ | (寄贈者・) | |
永遠に妻の形見を | (文・深沢一夫) | |
生死不明のままに | (文・深沢一夫) | |
〈轟沈〉をうたいつつわが子は | (文・深沢一夫) | |
おくれた後遺症対策におびえて | (文・深沢一夫) | |
うす墨の空に黒い雨が | (文・深沢一夫) | |
夫との最後の一夜 | (文・深沢一夫) | |
いつかこの声がとどかぬ日が | (文・深沢一夫) | |
遠ざかるヒロシマの記憶 | (文・深沢一夫) | |
落果した青い果実 | (文・深沢一夫) | |
兵隊がくれた金米糖 | (文・深沢一夫) | |
シカゴにも落としてやったぞ! | (文・深沢一夫) | |
いのち断つ炎の街が…… | (文・深沢一夫) | |
不運の中の幸福 | (文・深沢一夫) | |
忘れたい記憶をいま語り継ぐ | (文・深沢一夫) | |
穿たれた青春 | (文・深沢一夫) | |
穿たれた青春 | (文・深沢一夫) | |
大義の末 | (文・深沢一夫) | |
広島の惨劇 | (文・深沢一夫) | |
資料館で胸に迫った兄の最期 | (文・深沢一夫) | |
米軍の警告ビラ | ||
ポツダム宣言ビラ | (寄贈者・) | |
船舶司令官告諭 | ||
原爆投下が意味するもの | (文・深沢一夫) | |
3 | 平和記念資料館の歴史 | |
あとがき | 高橋昭博(広島平和資料館館長) | |
取材後記 | 深沢一夫(作家) | |
撮影後記 | 森下一徹(写真家) | |