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原爆被災資料総目録 第一集 発刊に寄せて

原爆被災資料総目録 第一集 発刊に寄せて

(五十音順・敬称略)

相原和光(広島YMCA総主事)

月に人が降り立つ新時代に、地上の平和と世界市民の意識を築いて二度と核兵器が使用されないことを万人が銘記するためにこの総目録の活用されることを祈ってやみません。

伊東 壮 (東友会=東京都原爆被害者団体協議会=事務局長)

被爆二十五周年、安保再改定期に当たって、人類の最初に受けた災禍の資料の散失しないうちに、その調査・収集に努めて広く公開し、平和の問題を原点から鋭く考え合うことは、被爆者と国民との断絶を埋ずめて、被爆者援護法制定の緒を開くことになる。

糸川成辰(原水爆被災白書をすすめる市民の会会長)

この総目録刊行は「原水爆被災白書」をすすめる広島市民の活動の第一歩である。

大江健三郎(作家)

広島を忘れ、核兵器の破滅的な実質から眼をそむけようとする者を、問いつめる本質的な目録。それは広島を記憶しつづけようとする者にもまた、総合的な問いかけを発する目録である。

梶山季之(作家)

広島の文学青年時代のぼくは、原爆被災問題についても、まじめな追究者の一人であった。その後広島を離れているが、罪ほろぼしをしたい気持ちは大いにある。この被災総目録の続刊に協力したい。

河本一郎 (広島折鶴の会世話人代表)

資料を調べ集めてゆくことは、目に見える原爆の証拠を一つでも多く残して原爆体験を心のなかから消さないため大切なことです。文学なり、写真なりの一つ一つが被爆者ひとりひとりの心の「塚」です。この総目録がその事実をつかむきっかけとして活用されるよう念願します。

熊田重邦(広島県史編さん室長)

広島県史のうえで七、原爆は世界史と広島県民との接点として大切なので、この目録の続刊を期待します。

桑田駒夫(広島県PTA連合会事務局長)             一

子供の幸福を願うPTA会員として、世の親御と先生方がこの総目録を平和教育資料に利用され、億万人が平和な地上を築く呼び水とされることを望みます。

桑原英昭(世界連邦建設同盟広島県協議会会長)

私たちは六年前からポーランドのアウシュヴィッツと広島との被災資料の交換を続け、この八月、同国の招きで渡欧するが、この総目録第一集を貴重な交換資料として持参したい。ユダヤ人虐殺についてはすでに約四百万人分の詳細な名簿ができており、これに比べて広島の実態把握の立ち遅れに市民として共同責任を感じている。

栗原貞子(詩人)

この目録は 故人となった原民喜・峠三吉・大田洋子・正田篠枝をはじめ、被占領の弾圧下で書きつづられてきた原爆の非人間的な残虐の告発と平和への祈りの二十五年にわたる総量を示す。核時代に生きる人々、特に核保有諸国の首脳にも読んでほしい諸記録の案内書である。

小堺吉光(広島市戦災誌編集主査)

この目録は広島の惨禍から世界の平和へいたる道しるべであり、民間有志の熱情の賜物です。

佐久間澄(日本原水爆禁止団体協議会代表理事)

歴史は未来を築く大切な資料です。過ちが再びくり返されないために広島の被爆の事実の徹底的な追跡こそ、もっとも重要な人類将来への基盤となるでしょう。

志水清(広島大学原爆放射能医学研究所長)

原爆被災の全体像をとらえ、原点の空白を埋ずめるために、被災資料の収集保存は重要な役割りをもつので、今後ともこの目録が充実されるよう期待します。

庄野直美(広島女学院大学教授)

繰り返してはならないヒロシマのために、ここに繰り返し後世に残す。

宅和純(広島県教職員組合執行委員長)

広島の原点に立つ平和教育推進にとって貴重な資料だと思う。

永積安明(日本学術会議原爆被災資料小委員会前委員長)

この仕事は、原爆絶滅の拠点、学術会議の期待した事業の先駆けです。

任都栗司(日本原爆被爆者協議会会長)

原爆被災の実態とその影響についての、こういうまとまった手引書は、真の平和を訴えるとともに、被爆者救済・援護の目的を達する上に大切な励ましになる。この総目録の刊行に協力したい。

長谷川鉦三(広島県教育長)

平和教育とは何かについて、まず基礎資料を客観的にとらえるため、この総目録はよい手がかりだ。

林寿彦 (国際青少年協会総主事)

今世紀の人間がつくった世界史の傷を二十一世紀へ再び持ちこまないためにも、その「傷」についての体験と認識を語り伝えることは、新しい世代に対する今世紀の人間の義務だと思う。

原田東岷(広島市医師会元会長)

全世界はより精密なヒロシマの実態を知る必要があり、また欲しているのに日本政府はこれについてまことに冷淡である。広島市民の努力によるこの総目録刊行は、国際的規模において貴重な資料研究の手がかりであり、今後もこの刊行事業の継続を期待する。

藤本千万太(広島平和文化センター次長)

時の経過は世界の人々に原爆の惨禍を忘れさせ、恐怖の感覚さえ失わせようとしている。この資料刊行が、被爆体験の継承に大きく役立つことを期待する。

松元寛(広島大学文学部助教授)

原爆被災資料の調査に、日本全体の戦災についての時期を失しない調査研究の突破口となり、戦争白書のつくられるきっかけとなってほしい。また過去の記録だけでなく、現在の公害など、文明災害の問題について、国民の目を開かせる警鐘になってほしい。

村上忠敬(核兵器禁止平和建設広島県民会議議長)

核兵器の恐ろしさを知るためには広島原爆をもっともリアルに知る必要がある。悲しくても、苦しくても、再びその事実をはっきりとらえるために、これは貴重な資料となるであろう。

森滝市郎(日本原爆被害者団体協議会理事長)

ここ数年来願い続けてきた原爆被災資料調査の第一着が広島から始まって喜ばしい。これによって被爆者の声を消さず、その実態を後世に伝える手がかりを得た。

山代巴(作家)

人権の目覚めの足あとをふりかえるために、またその欠落は、あとに続く人々が補うために。

山手光 (広島市立浅野図書館長)

この総目録は原爆被災研究の第一の手がかりです。

 

被災資料総目録 第一集

発行日  昭和四十四年八月六日

体裁   B5版 横組一三〇頁 上質紙

内容

原爆慰霊碑(六七ヵ所)原爆遺跡(九五ヵ所)物品資料(原爆資料館所蔵一七九七点)遺品(原爆資料保存会所蔵一九二一点)放送番組(昭和二二年-四三年末まで二〇年間のNHK広島中央放送局ラジオーテレビ放送記録)美術(絵画の部一二九点)文学(長崎を含み小説・詩・俳句・短歌・児童文学の五部門で約一五〇〇点)

配布方法 会員制度による。会員資格は個人加入を主とし、団体加入も可。

会員   一口五〇〇円として何口でも可。一口につき一冊、送料当会負担)

会員登録

個人・団体とも会費の振替払いこみをもって代用させていただきます(同封振替用紙をご利用ください。一枚の振替用紙で団体としてでなく個人お二人以上の共同申し込みのばあいは用紙「通信欄」にお名前を列記してください)。

第二集の刊行予定

昭和四五年上半期を目標に、被爆手記(広島・長崎・ビキニ)各種団体原爆戦災誌芸能(映画・演劇・音楽・バレー)の台本・レコード・テープ・楽譜など民間放送番組(ラジオ・テレビ)写真集各種の計五部門と第一集の各部門の長崎および昭和四四年以降の追加分を企画中です。

第三集以降予想

医学ほか自然科学、社会科学、評論、観光庁資料、民間団体資料、戦災復興誌資料、報道資料などを昭和四五年下半期以降続刊の検討を進めております。

 

なお当会のスタッフは左記の通りです。お気付きの点は、どうぞご連絡ください。

委員長  田淵実夫(前広島文化センター局長)

副委員長 今堀誠二(広島大学教授)

同    横田工(原爆資料保存会会長)

財務委員 山崎与三郎

事務局長 田原伯

原爆被災資料広島研究会(原災研)

1968年2月15日発足

あゆみ

1967.10.02  ピカ資料研究所(ピカ研)が「原爆資料の調査・研究」について提言。全井利博賛同して、「ピカ研を母体」で合意、以後具体化をめぐって七回会談。
1968.01.16 結成準備会五回開く。出席、今堀誠二、金井、山崎与三郎、ピカ研。
1968.02.15 『原爆被災資科広島研究会』発足。
1968.07.30  役員会 人事、企画、運営方針を決定。
1968.12.06 金井利博事務所開設。所内に原災研「編集部室」設置。(1970.3.28閉所)
1969.08.06 原爆被災資料総目録第一集を発刊。
1970.03.04 ピカ研 原災研「編集部室」を長崎に移設。
1970.08.06 総目録第二集を発刊。
1970.11.24 編集部会文沢隆一、ピカ研が第三集専任。
1972.10.25  総目録第三集を発刊。
1974.06.16 金井利博死去。
1975.04.30 ピカ研・長崎「第一~三集」の作成による累積債務で一時閉鎖。
1977.12.17 役員会 企画、運営をめぐり討議。分裂決定。
1980.08.25   編集部会 編集企画会議。
1982.07.23 ピカ研・長崎書庫冠水害
 続刊=第五集以降企画編集進行占領下の文献解説・占領下の新聞・著作選集録・原爆史詳細年表・写真、映像・長崎の手記・広島の手記・教育児童文学・社会科学評論…(順不同)

出典:原爆被災資料広島研究会『原爆被災資料総目録』第4集