平和記念資料館メルマガ第98号(2011/ 9/ 1)
最近、研究過程で作成した過去の資料を整理中、「広島大学原医研新聞切抜きの分類別枚数(1975~81年分)」とのタイトルのデジタルデータを見つけた。そして二つのことを思い出した。
その一つは、私の提案が原因で、「原発」関係の記事の収集が1982年から取りやめとなったことである。1975~81年分の切り抜き枚数総計は、12507枚、うち「核軍事」(3221枚)と「核平和利用」(3083枚)に分類されている枚数の合計は6304枚で全体のほぼ半数を占めている。原爆放射能医学研究所では、原爆被害に関する資料を収集対象としていたので、私には、限りある予算・人員を考えれば、この二つの分類に属する記事収集を中止するのはやむを得ないと主張した。
もう一つは、広島の眼科医・杉本茂憲先生(故人)との出会いである。チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)から2ヶ月あまり後に先生が原医研に来所、この事故関連の新聞記事の閲覧を希望された。要望された資料は収集対象としていないことを伝えると、非常に残念がられた。そして、ヒロシマの蓄積をこの被災者に生かすことはヒロシマの医師の使命と力説されたのである。被爆者医療に情熱を注ぐと同時に、世界にも目を向ける医師の存在に直接触れる ことのできた貴重な体験であった。
元広島大学原爆放射能医学研究所 宇吹 暁(うぶき さとる)
原爆参考資料陳列室(原爆記念館)
開設:1949(昭和24)年9月25日
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広島市、市内中央公民館内に暫定的に
原爆参考資料陳列室(原爆記念館)を開設。
長岡省吾が中心となり収集した
被爆岩石・瓦・コンクリート・植物類などを
机や椅子の上に並べた。 |
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写真:中央公民館横に開設された原爆資料館。
出典:「広島市勢要覧」1951年版 |
参考資料
文沢隆一「平和記念資料館物語」(『季刊平和教育1』、明治図書、1976.5.15)
広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)
1955年8月24日開館
所在地:広島市中区中島町1-2
TEL:082-241-4004
書名・資料名 |
著者・発行者 |
発行年月日 |
備考 |
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広島原爆被害の概要 |
広島平和記念資料館 |
197011 |
197803改訂 |
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広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)
1955年8月24日開館
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前史 |
平和都市建設と原爆資料==広島市勢要覧にみる「観光都市広島」 |
原爆参考資料陳列室(原爆記念館) |
原爆資料保存会 |
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年表 |
1951~69年、1970~77年、1978~79年、1980~81年、1982~83年1984~87年、 1988~90年、1991~93年、1994~95年、1996~97年、1998年 |
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関連文献 |
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入館者数の変遷 |
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*1998年4月、広島平和文化センターに委託。
*被爆資料約1万2000点。165項目の分類。
*1999年、図録を作成。
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。