広島新史編修手帖

『広島新史編修手帖』(広島市史編修委員会専門部会編・刊)

目次

No.
No.1 19770801刊
表紙絵 四国五郎
1 創刊にあたって 荒木武(広島市長 )
2 未来への燈台-広島新史の概念 今堀誠二
3 各巻のあらまし 各巻担当者
4 座談会 戦後史に何を望むか
司会 今堀誠二(広大教授、市史編修委員)
語る人(順不同)
木山茂(労働問題研究科)
増田勉(画家、元観音中学校校長)
浜井順三(会社役員)
宮崎朋子(広島女子大生)
佐藤洋子(広島女子大生)
記録 永田守男(中国新聞論説委員、市史編集委員)
5 ヒロシマ・戦後史の証言:写真家・佐々木雄一郎氏に聞く
6 随筆3題
その1  ジュノー博士の資料 大佐古一郎
その2  ワシントン国立公文書館の資料について 中川剛
その3  原爆慰霊碑・碑文の陰に 小堺吉光
7 広島新史編修の概要 編さん室
8 あとがき
No.2 19780806刊
表紙の絵 大手町舗道で 四国五郎
1 広島新史各編の中間報告
[経済編] 中国電力創設事情周辺 高橋衛
[文化編I] 広島市コミュニティ調査 大森元吉・丸山孝一
2 広島・戦後史の証言
広島市の復興計画 小野勝
戦後の食糧事情と中央卸売市場の設立 伴谷勇
広島平和記念都市建設法公布までの歩み 村上幸彦
3 広島新史に期待する 宇吹暁
4 戦前の広島の想い出 佐々木雄一郎
5 公文書館だより 資料収集メモ
6 あとがき
No.3 19790110刊
表紙の絵 流川通り 四国五郎
1 広島新史各編の中間報告
[財政編] 戦後広島市財政の展開 舟場正富
2 ヒロシマ・戦後史の証言
広島市本通りの復興 高田ジュンさんと林正夫さんに聞く
本通り復興と中山良一氏 遺稿二編
平和都市法を動かしたもの 藤本千万太
戦後はじめてのメーデーのころ 竹内多一
3 広島新史に思うこと 金子秀司
4 写真と活字のスケッチ広島 佐々木雄一郎
5 編さん室だより-新聞切抜資料について
6 資料紹介-戸坂村の『戦災者調査票』から
あとがき
No.4 19790806刊
表紙の絵 宇品港 四国五郎
1 広島新史各編の中間報告
[文化編]新聞に報道された戦後の食生活 永田守男
2  ヒロシマ・戦後史の証言
原爆直後の芸備線安芸矢口駅  前田嘉一
被爆翌年の平和復興祭のいきさつ 佐伯武範
3  広島新史に期待する 大西五己
4  写真と活字の指標 佐々木雄一郎
5 広島市の行政資料室 西田貞允
6 <資料紹介> 広島市の戦後復興と町内会 松林俊一
7 公文書館だより 近藤憲男
あとがき

 

原爆三十年-広島県の戦後史目次

『原爆三十年-広島県の戦後史』(広島県編・刊、19760331 )

目次

章節  タイトル 執筆者
発刊にあたって  宮沢弘
 序説
1 人類の生存と平和の課題  熊田重邦
1-1 生存の問題
1-2 平和の問題
2 地域と生活の課題  天野卓郎
2-1 地域の問題
2-2 生活の問題
戦争と広島  児玉正昭
1 軍都広島
1-1 日清・日露戦争と広島
1-2 第二次世界大戦下の広島
2 県下の戦災
2-1 被害の概況
2-2 呉空襲
2-3 福山空襲
原子爆弾の被害
1 原爆被災  小堺吉光
1-1  被爆者の諸相
1-2  救護班の活動
1-3 調査・研究
1-4  原爆被災の概要  庄野直美
2 原爆と終戦
2-1 政府・軍部と原爆   小堺吉光
2-2 日本の原爆報道  宇吹暁
2-3 海外の原爆批判  宇吹暁
再建への道
1 一 戦後改革  井上洋
1-1  経済改革と労働者・農民
1-2 政治改革と市民運動
1-3 教育改革
1-4 女性解放
2 戦後の混乱と生活  永田守男
2-1 食糧危機
2-2 市民生活
2-3 犯罪
3  都市の復興  永田守男
3-1 広島市の復興
3-2 呉市の復興
3-3  福山市の復興
3-4 産業の復興
4 文化活動   永田守男
4-1  文化運動の台頭
4-2 原爆作品
平和意識の高揚  宇吹暁
1 朝鮮戦争と原爆問題
1-1  広島市の平和への努力
1-2  ストックホルム・アピール
1-3 朝鮮戦争下の平和の声
2 国民諸階層と原爆問題
2-1 原爆の子
2-2  映画「原爆の子」・「ヒロシマ」
2-3  広島の平和運動の前進
被爆者の援護
1  原爆医療
1-1  原爆症   庄野直美
1-2  アメリカ調査団とABCC  湯崎稔
1-3 被爆者治療対策と原対協   湯崎稔
2 被爆者の問題
2-1 原爆孤児と原爆乙女   湯崎稔
2-2  被爆者対策の発展   湯崎稔
2-3 被爆者の連帯   庄野直美
原水爆禁止運動  今堀誠二
1  原水協の成立 6
1-1  ビキニ被災
1-2 一〇〇万人署名運動
1-3  杉並アピール
1-4  原水爆禁止世界大会
2 原水禁運動と平和問題
2-1 被爆者の援護
2-2 原水禁運動と国際政治
2-3 原水禁運動と安保問題
3  国民運動の意味
3-1  分裂と統一
3-2  被爆国日本
3-3 ヒロシマ=平和のメッカ
ヒロシマの思想
1  核戦略と日本の立場  岸田純之助
1-1  ヒロシマへの回帰
1-2  核時代の現況
1-3 非核政策の堅持
2  慰霊碑・体験記の思想  宇吹暁
2-1 慰霊碑
2-2 体験記
3 被爆体験の継承
3-1  原爆ドームと原爆資料   小堺吉光
3-2 原爆被災白書運動と復元調査  湯崎稔
3-3 平和研究   庄野直美
3-4  平和教育  天野卓郎
未来への志向  天野卓郎
1  原爆問題と行政
1-1 被爆者の援護と平和
1-2 県・市町村議会と原水爆問題
1-3  県・市町村の被爆者対策
2 平和への道
2-1 ヒロシマをめぐる世論
2-2  ヒロシマを世界へ
2-3  ヒロシマを未来へ
資料
写真目次
参考文献
年表  宇吹暁
あとがき  熊田重邦
協力者(執筆者を除く):小都勇二(高田郡吉田町郷土資料館長、佐々木雄一郎(写真家)、城戸禅(県史編さん室嘱託)、松本栄一(朝日タウンズ)

広島市公文書館紀要記事目録(抄)

広島市公文書館紀要記事目録(抄)

号(年月日) 著者 タイトル  
所蔵:U=宇吹
1(19780331) 今堀誠二 中国の原爆観の推移とヒロシマ 1975~1955  U
渡辺則文・ 堤正信 市町村史の編纂と歴史地理学の課題-広島市高陽町調査ノート-
-資料- 公文書館関係文献資料目録
2(19790331 ) 大牟田稔 外国人の見たヒロシマ-その文芸作品に表われた思想-  U
宇吹暁 原爆と市民-米国戦略爆撃調査の再検討-
史資料の保存に関する諸問題-「史料協」第IV回総会参加によせて-小堺吉光
高亀保正・松林俊一・要田豊 広島市公文書館の現状と展望<鼎談>
3(19800301) 島津邦弘 東京裁判とヒロシマ-原爆投下責任論をめぐって- U
4(19810331) 沖本博司 「山田節男文庫目録」解説-欧文資料を中心として-
近藤憲男 「広島今昔展」を終えて
5(19820331 ) 有田嘉伸 新藤兼人の人と作品  U
宇野正三 「正法眼蔵」と平和
小林正典 広島の文化の創造のための試論-産業との関連において都市の文化と住みよさについて考える
石丸紀興 <史料紹介とインタビュー>被爆の広島と復興過程の状況
都築資料目録
新藤兼人資料目録
あとがき
6(19830331) 岩崎清一郎 「原爆文学」史論-”原爆文学論争”前後-  U
7(19840331 ) 小堺吉光 広島破滅前後の資料を見る U
堤正信 広島をえがいた地図
近藤憲男 <資料紹介>厳重をきわめた防諜関係文書
8(19850331) -被爆四十周年記念特集-  U
近藤憲男 <口絵>
宇吹暁 原爆報道の軌跡-新聞記事の量的側面の検討-
近藤憲男 <資料紹介>移動演劇団桜隊隊長丸山定夫の死
上田佳弘 <資料紹介>合併町村役場文書に見る原爆被害
近藤憲男 <資料紹介>危機突破を図った食糧関係文書
備考 防空計画による避難先指定町村の記載あり。P110-112
9(19860331) 甲斐英男 軍都広島の都市経営と宇品-広島市会の論議を中心に- U
10(19870331) 今堀誠二 図書館と文書館  U
檜山幸夫 日清戦争下の臨戦地広島-旧安芸郡戸坂村を中心に-
今中比呂志 広島市公会堂の成立
吉田文五 広島戦後芸能略史私考
広島市の情報公開と公文書保存
<展示会報告>「広島市公会堂の歩み展」を開催して
11(19880331) 石丸紀興 「広島平和記念都市建設法」の制定過程とその特質  U
高井正文 広島児童文化会館
<資料紹介> 広島平和記念都市建設法関係資料
1寺光忠資料目録
2藤本千万太資料目録
3広島市文書目録
矢吹憲道資料目録
12(19890331) 渡辺則文 甲斐英男運営委員の逝去を悼む  U
13(19900331) 石丸紀興 都市形成と都市景観の変貌-広島の歩んだ一世紀  U
<展示会報告> 「街と暮らしのミュージアム」展を開催して
14(19910331) 中川剛 政令指定都市広島の過去・現在・未来  U
北西英子 近・現代広島女性の歩み
物産陳列館から原爆ドームへ-七五年の歴史
〈展示会報告〉 特別展示を開催して
15(19920331) 西川加 戦後広島住宅小史  U
小笠喜徳 公文書保存と地域公文書館への期待-中国地方の文書保管施設を取材して
<展示会報告>「あさきた今昔」展を開催して
16(19930331) 竹内常善 近・現代広島経済の経営史的分析-現状と課題-  U
尾津訓三 占領下における広島県内の文芸活動と検閲
雨野忍 空間の重層-広島県物産陳列館のデザイン構想
渡辺則文 <今堀誠二を偲ぶ> 今堀誠二運営委員長の逝去を悼む
瀬戸内寂聴
17(19940331) 佐竹昭 地誌編さんと民衆の歴史意識-広島周辺地域を中心に-  U
18(19950331) 石丸紀興 写真で見る広島駅前ヤミ市の変遷 広島駅前ヤミ市の変遷とその特徴 U
ウルシュラ・スティチェック 原民喜の不安文学-戦前の作品を中心とするカフカとの比較文学的考察-
19(19960331) 大里巖 戦災遺跡としてのフラウエン教会 U
杉本俊多 三十四銀行広島支店と建築家辰野金吾-建築形態の復元研究を通して-
尾津訓三 〈研究ノート〉戦後復興と広島の演劇
〈展示会報告〉「あの日あのころ ひろしま50年展」を開催して
20(19970331 ) 舟橋喜惠 広島の中のヒロシマの継承-広島の平和教育-  U
小野布久美 和教育- 舟橋喜惠 1
原民喜『幼年画』の重要性
石田宜子 過ちは 繰返しませぬから -碑文論争の歩み
橋本秀夫 〈研究ノート〉広島城修築史の一考察
〈展示会報告〉特別展示を開催して
『街と暮らしの50年』の刊行をふりかえって
21(19980331) 中村若生 「歴史」と「記憶」-スミソニアン論争を通して-
江崎一博 〈現場レポート〉文化財の保存と原爆ドーム
〈史料紹介〉広島戦後演劇資料(高野泉・輝本親孝寄贈資料)
〈展示会報告〉「さえき区今昔」展を終えて
22(19990331 ) 熊田重邦 神仏分離令から教院制へ-明治初期の法令からみた政教関係の一側面
森本和子 占領下の翻訳絵本と教育-広島図書について
23(19990228 ) 広島平和記念都市建設法案
石丸紀興 広島平和記念都市建設法の成立過程とそれに関わる新聞報道内容についての考察…
藤森照信 〈講演会〉広島計画を展開した意図.その後の丹下氏の活動
〈展示会等報告〉「広島平和記念都市建設法制定50周年記念イベント」について
〈資料紹介〉広島平和記念都市建設法関係資料
24(20010131 )
25(20120601) 菊楽忍 ヤン・レツル再考-書簡集から建築活動をたどる
石田浩子 「畑耕一文学資料展」を開催して
26(20130601) 山形政昭 日本メソヂスト広島中央教会建築図面について…
瀬戸武彦 第一次大戦時の似島俘虜収容所
(語り)錦織亮雄 (編)石丸紀興 広島の戦後復興における建築活動-地域の建築家の設計活動を通して(前)…
三好史久 〈研究ノート〉LPコード「HIROSHIMA」-ヴィルヘルム・ケンプからの音楽の捧げもの
27(20140601) (語り)錦織亮雄(編) 広島の戦後復興における建築活動
地域の建築家の設計活動を通して(後)
竹下可奈子 河合太郎軍楽長時代の呉海兵団軍楽隊における奏楽実態
新聞資料を中心に
〈翻刻〉「丹下健三書簡綴」 (広島市公文書館所蔵 藤本千万太資料)
中川利國 〈資料解説〉「丹下健三書簡綴」(藤本千万太資料)について
広島市公文書館所蔵資料との関係を中心として
28(20150601) 能登原由美 機関紙にみる広島労音 発足から十年の歩み
光平有希 広島流川協会における復興と音楽の歩み、及びその原点 谷本清・太田司朗を中心として
中川利國 〈研究ノート〉占領軍資料を中心とする広島市復興顧問と復興計画への一考察
西本雅実 「平和記念都市ひろしま」知られざる記録映画
29(20160601 ) 石丸紀興、千葉桂司、矢野正和、山下和也 研究報告
基町/相生通り(通称「原爆スラム」)調査を回想する〈前編〉
中川利國 占領期におけるABCC広島原爆傷害研究所の整備と広島の復興について
30(20180301) 石丸紀興、千葉桂司、矢野正和、山下和也 研究報告 基町/相生通り(通称「原爆スラム」)調査を回想する〈後編〉
中川利國 研究ノート 世界へ訴える占領下の広島復興(その1)
―占領期における広島発信の試み~映画『平和記念都市ひろしま』―
展示会報告 文書と写真でたどる旧広島市民球場 ―旧広島市民球場開場60年記念展示―
濱保 仁志 所蔵資料紹介 カープ関係寄贈資料

 

 

 

核権力ーヒロシマの告発

『核権力ーヒロシマの告発』(金井利博、三省堂、19700615 )

目次

章節
核権力下の日本
1 広島はなぜ“ヒロシマ”か
広島と沖縄
広島の顔
核権力からの脱出
2 「核権力」下の日本
日本をとりまく「核」
エンタープライズ入港時の国内反応
「核戦力」と「核権力」
3 日本の「核権力」
核軍縮と日本政府
ソ連の単独核実験停止
キューバ事件の意味
部分核停と不拡散条約
日本の「核権力」
アメリカの日本への期待
アメリカ軍の伝統思想
4 「核」軍事論の誤算
抑止論の弱点
偶発戦争のトリック
「抱き締め」戦法と「突き放し」戦法
5 核廃棄の政治学-「人質」論をめぐって
戦略から政略へ
「人質」は一枚岩か
人質の「まだら」化
人質を犠牲にすること
「核権力」を無意味化する道
「人質」と「核は張り子の虎」
全人類が「人質」
6
核権力と軍事
1 「軍都」広島の体験
人民と「軍都」
「軍都」広島
原爆投下と「一枚岩」態勢
日本に非戦闘員なし
原爆投下までの核権力構造
「軍事」をこえる三つの問題
2 「無差別爆撃」の歴史
日本軍の無差別爆撃
イギリス・アメリカが始めた無差別爆撃
変質低下の技術
「火攻め」の新戦略から原爆へ
原爆投下前後の日本
3 「戦時」と「平時」の境界なき攻撃
外国との戦争と民衆の被害の歴史
「平時」に及ぶ緩慢殺人
「人災」と「天災」
ビキニ実験とその被害
過剰殺人と緩慢殺人
4 「未知」効果に無責任な攻撃
原爆投下作戦の実態
実験室となった広島・長崎
後回しの人体効果
日本医学者の努力
アメリカの資料略奪
「未知兵器」への無責任
核権力と自由
1 「あいまいさ」の恐怖
原爆投下の戦略上、政略上の「あいまいさ」
ベトナム戦争の中の「あいまいさ」
2 人種差別は「敵意」を増幅するか
人種差別と戦争
日本の中の差別体系
民族自決と人権の確立
3 被爆者ヘの差別
生活上の差別
補償上の差別
意識上の差別
4 官尊民卑の戦災補償
軍人優先の思想
切り捨てられる非戦闘員
救貧措置としての被爆者対策
原爆体験抜きの原子力産業
反核権力論
1 原水禁運動の断層
意識のずれの問題
基本的な問題
2 核権力の「君臨」
核権力の神格化
「制服」と「私服」の原爆体験
3 原爆被害の実態調査
「人的被害」の追跡
今もって未整理の被爆人口
4 広島の「怨念」と「自由」
広島の「怨念」と権力者
差別の垣
被爆地図復元運動-原爆体験を社会体験に
貴重な原爆映画
拡大する資料収集運動
核権力“神話”の破壊
〈資料〉原水爆被害白書を国連へ提出の件
1.原爆は「威力」としてだけ知られた
2.原水爆は人間的悲惨の極としてはいまだ知られていない
(1964年8月5日・中国新聞社論説委員・金井利博記)
あとがき(抄)
この本は安田武氏、また中国新聞社の平岡敬、大牟田稔両氏の三年前の強い勧めによって生まれた。間接には原爆犠牲者と亡母金井時子の無言の励ましを感じながら書き続けた。

広島県史研究記事目録(抄)

『広島県史研究記事目録(抄)』(広島県史編さん室、広島県、19760331)

号(発行年月日) タイトル 著者 備考
創刊(19760331)
創刊にあたって 宮沢弘
発刊によせて 熊田重邦
県史の窓 広島県史刊行への期待 石垣重信
広島県における近代現代史研究の課題 今堀誠二
近代現代資料の収集状況(1)
2(19770331)
県史編さんに想う 熊田重邦
戦後外交文書の中の”原爆” 古川博
広島県史に求めるもの―私の戦争体験にふれながら 滝尾英二
市町村史編さんの問題点 一色征忠
3(19780331)
初心に立ちかえって 土井忠生
米国戦略爆撃調査団について 宇吹暁
<書評>『広島県史 近代現代資料編Ⅲ(社会文化編)』 佐々木隆爾
4(19790331)
県史編さんについて 竹下虎之助
市町村史編さんの実際と県史 橋本昭子
広島県史に期待すること 川島孝郎
近代現代資料の収集状況(2)
5(19800331)
広島県史の完結に向って 今堀誠二
戦後広島県の労働者文化運動 藤原浩修
全国文書館設立運動の問題と現状 広田暢久
資料保存運動の方向について-『広島県労働運動史』の観光と関連して 山下優
6(19810331)
史料調査・序説」 桑山浩然
「県立文書館」設立に向って
芸備地方史研究会
神辺郷土史研究会
甲奴郡文化財研究会
赤木勇夫
阿川静明
今中保子
太田雅慶
岡崎環
来栖義典
阪田靖正
下野岩太
末永栄
平井隆夫
資料は史料として創造の世界にまで及ぶ 深川宗俊
7(19820331)
広島県史の完成を願って 田中稔
戦後広島県の教育改革 藤原浩修
地元以外での県市町村史利用について 小野寺逸也
町村役場文書の利用と保存 松林俊一
史料の活用 有田吉之
地域史としての「おはなし歴史風土記」 松木鶴美
空襲・戦災を記録する運動と資料保存 岡田智晶
市町村史編さんの現状と課題
県立文書館建設調査研究協議会委員名簿
広島県立文書館建設基本構想について
8(19830331)
地域史の可能性 熊田重邦
原水爆禁止世界大会に関する覚書 宇吹暁
編集後記 あまの
<1~7号の編集後記の執筆者も「あまの」>

爆心復元運動とヒロシマの思想

『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)

目次

章節
序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午)
人間の復権を目指して(湯崎稔)
Ⅰ-1 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔)
Ⅰ-2 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔)
Ⅰ-3 広島における被爆の実相
『歴史評論 NO.336』(197804)
爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人)
はじめに
Ⅱ-1 被爆原点の空白
Ⅱ-2 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃
Ⅱ-3 「爆心復元」アイデアの源泉
Ⅱ-4 爆心復元の論理と構想
Ⅱ-5 キャンペーン始動
Ⅱ-6 爆心復元運動の展開
爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉)
はじめに
Ⅲ-1 日本現代史の縮図としての広島
Ⅲ-2 ヒロシマの視点
Ⅲ-3 ヒロシマと現代
Ⅲ-4 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ
座談会「爆心調査」からヒロシマを考える
出席者
青木豊子(爆心地復元調査協力者)
鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員)
高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者)
長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター)
渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員)
児玉克哉(三重大学人文学部助教授)
太田武男([中国新聞]編集部)
あとがき(児玉克哉)

広島県総務部地方課特別調査一件

広島県総務部地方課『特別調査一件』(1951年7・8月(平和祭関係))

広島県総務部地方課『特別調査一件』(1951年7・8月(平和祭関係))
番号 件名 発元又は宛名
1 平和擁護運動並全面講和愛国運動の概況
2 広島平和擁護委員会の動向について 特審調査部長宛
3 平和擁護運動について 特審中国支局長宛
4 平和擁護委員会等の動向について 特審調査部長宛
5 平和擁護委員会等の動向について 特審調査部長宛
6 平和擁護委員会等の動向について 復命書
7 平和擁護委員会等の動向について 特審調査部長宛
8 広島平和祭に併う(共)主流派の平和講演会開催について 特審調査部長宛
9 日共関係者の動行について 安芸地方事務所発
10 団体動行調査について 甲奴地方事務所発
11 平和芸能祭の状況について 復命書
12 反戦同盟準備会について 特審調査部長宛
13 平和祭をめぐる諸団体の動向について 特審調査部長宛
14 全国平和会議の状況について 特審調査部長宛
15 平和運動に関する資料送付について 特審調査部長発
   広島県総務部地方課『特別調査一件』(1951年8月~12月)
番号 件名 発元又は宛名
1
2 人形劇団クラルテ「人形劇教室」公演について 特審調査部長宛
3 平和擁護委員会の届出について 特審調査部長宛
4 平和擁護委員会の団体等規正令による届出の勧奨について 平擁委会宛
5
6
7
8
9
10 松本治一郎民主陣営復帰歓迎大会について 特審調査部長宛
『民政新報No.4』(民政新報社、19510910)[印刷・編集・発行人=小堺吉光]
『人間に光あれ 部落問題研究資料』(土岡喜代一著、民政新報社編集・発行)
11 日本社会党広島県連合会並びにこれと提携せる団体の動向について 特審中国支局長宛
第6回国民体育大会際しての行幸啓に伴う広島自由労働者組合の動向について(報告) 特審中国支局長宛
(別記1)『天皇陛下に訴える』(広島自由労働者組合)
(別記2)『 』(広島の一貧乏人より)
(別記3)『ハズカシメを忘れるな 天皇から遠ざける市役所』(広島自由労働者組合)
(別紙4)『大砲かめしかNo.4』(日本共産党自由労働者細胞、19511101)
12
13
14
15
16 劇団「ぶどうの会」の公演状況について 特審調査部長宛
17 県下における日雇自由労働組合の動向について 特審調査部長宛
「(写し)抗議文 広島市長浜井信三・広島市議会議長秋田正之・市幹部40名・市議会議員あて」(広島日雇自由労働組合協議会・広島自由労働組合・広島日雇労働者労働組合・広島失業対策自由労働組合、19511220)
18
19
20
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23
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27 (共)外郭団体現況表送付について CIC宛
28 県下における愛善苑の現況について

 

ひろしまの原爆の木たち

『ひろしま原爆の木たち 歩いて見てほしい 写真・マップ・証言 』(大川悦生、たかの書房、19950720)

目次

005 詩・ひろしまの木の声
008 平和記念公園のアオギリ
015 本川小学校のニワウルシ
021 広島城のユーカリ
025 報専坊のイチョウ
030 基町小学校の子どもたちと枯死したエノキ
037 天満小学校のプラタナス
044 観音小学校のクロガネモチ
050 千田小学校のクスノキ、エノキ、マツ、フジほか
056 鶴見橋のヤナギ
061 縮景園のイチョウとケヤキ
066 幟町中学校のエノキ
073 安楽寺の大イチョウ
076 あやめ幼稚園の大クス
078 ピカドンたけやぶ
085 大芝小学校のヤナギ
091 伝説『地獄極楽の木』
095 その他の被爆した木
099 木の素顔
103 今、なぜ被爆樹にこだわるか?
106 碑についてのメモから
109 あとがき

ヒロシマ散歩 原爆遺跡・戦跡をたずねて

『ヒロシマ散歩 原爆遺跡・戦跡をたずねて』(植野浩、汐文社、19970720)

目次

004 はじめに
006 宇品地域
007 宇品地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
008 軍用鉄道宇品線ホーム跡 侵略戦争としての運命をたどった
010 船舶司令部旧蹟と凱旋館碑 海外出兵の基地にされた宇品にある二つの碑
012 宇品の軍港桟橋跡
014 旧港湾事務所
016 廣島陸軍糧秣支廠(現郷土資料館)
018 旧広島高等学校と日清戦争凱旋碑
020 千田地域
021 千田地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
022 御幸橋上の惨状
024 路面電車と広電変電所
026 広島赤十字病院
028 旧広大理学部1号館
030 国泰寺・袋町地域
031 国泰寺・袋町地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
032 市役所旧庁舎資料展示室
034 萬代橋
036 旧県立一中
038 白神社
040 旧日本銀行広島支店
042 頼山陽史跡資料館
044 袋町国民学校
046 広島中央電話局
048 アンデルセンと山口銀行
050 比治山地域
051 比治山地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
052 多聞院
054 頼山陽九輪の塔
056 旧ABCC
058 比治山旧陸軍墓地
060 旧陸軍被服支廠
062 八丁堀地域
063 八丁堀地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
064 福屋百貨店
066 広島中央放送局
068 東警察署
070 京橋と猿猴橋
072 基町地域
073 基町地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
074 歩兵第11連隊跡
076 陸軍幼年学校跡
078 広島大本営跡
080 師団司令部半地下式通信室跡
082 被爆石垣とユーカリ
084 陸軍病院跡の被爆エノキ
086 基町地域にあるその他の跡碑など
088 白島地域
089 白島地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
090  通信病院の旧外来病棟
 092  広島逓信局
094  円光寺など
 096  禿翁寺の六地蔵
 098  宝勝院と碇神社
100  牛田地域
101 牛田地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
102 工兵橋
104 牛田水源地の送水ポンプ室
106 牛田の不動院
108 二葉の里地域
109 二葉の里地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
 110 国前寺
112 広島東照宮
114 騎兵第5連隊跡
116 鶴羽神社と明星院
118 饒津神社
120 本川地域
121 本川地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
122 本川国民学校
124 清住寺
126 空鞘神社
128 寺町・横川地域 
129 寺町・横川地域 の原爆遺跡・戦跡をたずねる
130 報専坊
132 広島別院
134 市信用組合本店
136 電気試験所と光隆寺
138 広瀬・天満地域
140 広瀬神社
142 広島電話局西分局
144 天満国民学校
146 天満宮
148 江波地域
149 江波地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
150 広島地方気象台
152 慈仙寺
154 県立広島商業の本館
156  似島地域
 158  似島地域の原爆遺跡・戦跡をたずねる
 陸軍弾薬庫と見張り台
  160  横穴防空壕
 160  検疫所桟橋跡と暁部隊碑
 160  馬匹検疫所焼却炉
  162  将校宿舎と馬匹検疫所跡
 162  似島原爆慰霊碑
 164  その他の原爆遺跡
 164  愛宕こ線橋
  164  明泉寺の山門
 166  元陸軍兵器廠
 166  興禅寺
 167  鳥居の脚部
 168  西應寺峠家の墓
 168  原爆無縁墓
 168  三滝寺の参道
 170  軍都廣島を中心とした略年表
174  あとがき

ヒロシマの声を聞こう

『ヒロシマの声を聞こう-原爆の碑と遺跡が語るもの』(「原爆碑・遺跡案内」編集委員会編・刊、19900801 )

目次

碑・遺跡
発刊にあたって
04 (序)広島の碑や遺跡がわたしたちに語りかけるもの
08 原爆ドームと爆心地 核兵器廃絶のシンボル
10 原爆の子の像 子どもたちの建てたモニュメント
12 原爆供養塔 7万人の遺骨が眠る
14 慈仙寺跡の墓石 爆風の威力示す
16 平和乃観音像と復元地図 消された街への思慕
18 広島平和都市記念碑 平和公園の中心
20 天神町北組と材木町の碑 名のない死者への思い
22 峠三吉の詩碑 にんげんをかえせ
24 全損保労組の記念碑 あの日を問い続ける
26 ジュノー博士記念碑 医薬品15トンで救援
28 広島市立高女の慰霊碑 「校歌」を歌いながら死んだ少女たち
30 嵐の中の母子像 核兵器から子供を守って
32 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑 私たちの死をむだにしないで
34 県立二中と広島市商の慰霊碑 可憐なる学徒はいとし
36 義勇隊の碑 一瞬に消えた部落中の働き手
38 韓国人原爆犠牲者慰霊碑 祖国を奪われ異郷の地で被爆
40 本川小学校 爆心地にいちばん近い学校
42 原爆犠牲ヒロシマの碑 原爆瓦に託す高校生の誓い
44 原民喜詩碑 生きのびてこのありさまを
46 広島城跡の地下壕・大本営・ユーカリ 広島全滅の第1報は13歳の少女
48 陸軍病院跡の被爆榎 子どもたちに守られてきた
50 縮景園 遺骨を抱いた傷だらけの名園
52 昔のおもかげを残す京橋 被爆者が殺到した橋
54 比治山陸軍基地と放射能線影響研究所 戦争・被爆の惨状を語り続ける
56 陸軍被服支廠の倉庫跡 爆風にひん曲がった鉄扉
58 さくら隊原爆殉難の碑 全滅した劇団
60 広島赤十字・原爆病院 その日1万人を治療した
62 似島 被爆者の眠る島
 64 (案内地図)
表紙・カット 四国五郎
写真 池上利秋
校閲・編集 金子一士・高橋信雄・武田寛・村中好穂

 

 

 

年表:原爆瓦

年表:原爆瓦

年月日 記事 備考
1948
0609? 広島市商工課観光係、原爆参考資料を収集、市民から資料となる石・瓦・木など募集(7月15日締切)。
1949
0929? 広島市、市内中央公民館内に、暫定的に原爆参考資料陳列室を開設。長岡省吾が中心となり、被爆岩石・瓦・コンクリートなど収集。
1950
0910? 広島原爆記念会、「被爆のカワラ」を講和会議の記念事業として発売し、その益金を原爆犠牲者の慰霊や復興資金に寄付することを計画。
1951
0910? 広島原爆記念会、「被爆のカワラ」の販売を計画。
0928? 長崎の浦上文化振興会、原爆瓦の売り出しを計画。
1978
0622? 終戦直後長崎で土産品として売られていた“原爆瓦”、京都市で保管。
0828 元安川東岸で被爆カワラが大量に見つかり、原爆資料館調査開始。
0829? 広島市観光協会、被爆カワラの破片を観光客に配布。
0922 広島市原爆資料館、元安川の被爆カワラについて、土産品扱いは困るので川から拾わないよう指示。
1979
1125 広島市の観音公民館で、「わたしの文化財展」開かれ、原爆カワラなど展示される。
1981
0213 広島県高校平和ゼミナール代表、広島市の元安河床美化事業に対し、河床の被爆ガワラの保存を申し入れ。
0601? 広島県平和ゼミナールのメンバー、元安川河床で被爆カワラ・ガラスなどを発掘。(週2時間)
0627 広島県高校生平和ゼミナール、元安川の被爆カワラ保存を訴え、広島市に河床工事の延期を要請。
0704 広島県高校生ゼミナール、元安川で「原爆カワラ発掘フィールドワーク」を実施。
0710 広島県原爆被爆教職員の会、元安川河床の被爆かわらの保存などを広島市に申し入れ。
0718 原爆瓦を守る若者の会など、原爆遺物発掘のため広島市に元安川河床美化工事延期を申し入れ。
0912 「第三回ひろしま自治体学校」開催。被爆ガワラの保存運動などについて報告(13日まで)。
0913 広島県高校生平和ゼミナールの呼びかけで、市内の小学生ら、元安川河原で被爆ガワラを収集。
1013 広島県原爆被爆教職員の会など6団体、元安川河床の被爆ガワラ保存問題で広島市と合意。(被爆ガワラでモニュメント建設)
1025 広島県高校生平和ゼミナール、元安川で「原爆かわら掘り」実施。
1030? 広島県高校生平和ゼミナール、被爆がわらのモニュメント建設のためのカンパ活動開始。
1031 広島市の安田女子高校文化祭で、平和学習の成果を報告(被爆かわらなどを展示し原爆コーナー設置)。
1101 広島市の鈴峯女子高文化祭で被爆がわらについての調査など展示発表。
1212 原爆ガワラ発掘を契機にした爆心直下の犠牲者のための慰霊碑「ヒロシマの碑」(仮称)の原形、発表される。
1982
0112 広島市立基町小学校生徒、被爆がわらモニュメント「ヒロシマの碑」建設資金募金活動を開始。
0128 広島市の城北学園で、生徒ら、「ヒロシマの碑」(原爆がわらモニュメント)建立募金を呼びかけ。
0328 長崎高校生平和ゼミナールのメンバー、長崎市の平和公園で原爆がわらを展示、反原爆を訴え。
0407? ヒロシマの碑建設委員会、被爆がわらによるモニュメント「ヒロシマの碑」の碑文を募集。
0417 呉市の高校生ら、呉市で、原爆がわらモニュメント「ヒロシマの碑」建立のための募金を呼びかけ。
0418 長崎高校生平和ゼミナール、爆心地周辺で被爆かわら発堀作業。
0501? 長崎高校生平和ゼミナール、平和を訴える手紙、原爆がわらなどをSSDⅡ参加者に託すことを決定。
0527 長崎高校生平和ゼミナール、SSDⅡに参加する長崎市長らに原爆がわらを寄託。
0602 10フィート運動・原爆記録映画欧米上映班、フィリップ・ノエルベーカー卿を訪ね、被爆カワラを寄贈。
0605 広島市の爆心地付近の川で掘り出した被爆がわら、平和記念公園内で一般公開(11日まで)。希望者へは配布。
0623 岡山県知事、同県議会で、寄贈された「『原爆かわら』は平和のための力にはならない」と答弁。
0703 広島県高校生平和ゼミナールの呼びかけで、「高校生と小学生の原爆かわらを掘るつどい」開催。
0708 原爆ガワラのモニュメント「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会、広島市で同碑の起工式。(8月5日除幕予定。)
0710 原爆がわら発掘運動を続けている広島県高校生ゼミナールの歩みをまとめた「原爆瓦‐世界史をつくる十代たち」、刊行。
0804 原爆ガワラ保存運動を推進した広島県高校生ゼミナール、第6回「子どもの文化賞」を受賞。
0815 特別番組「生命の讃歌~原爆瓦は語りつづける」(ラジオ)、放送。
0816 第6回アジア仏教徒平和会議、モンゴルで開催。広島市の小学校教諭、原爆がわらを持参。
0908? 広島市の小・中・高校の約6割が“原爆がわら”を教材として使用するとを決定。
0918 広島平和教育研究所、平和教育推進のため原爆がわらを全国の教組に配布する準備を開始。
1007 和歌山県立日高高校生徒、原爆がわらなど展示した学校祭で生徒・市民らが折った千羽ヅルを広島県高校生平和ゼミナールに送付。
1031 長崎高校生平和ゼミナール、浦上川沿いで原爆かわらなどを採掘。
1983
0217 原爆かわら発掘についての記録集、「原爆瓦は語りつづける」刊行。
0219 「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会、募金協力のお礼に全国の学校などに原爆がわらを寄贈。
0219 広島市の段原公民館、被爆がわらを展示、発掘した高校生らの体験発表会開催。(23日まで展示)
0403 長崎高校生平和ゼミナール、長崎市で被爆がわら発掘の集い、開催。
0529 京都市の立命館中学の生徒ら、修学旅行で長崎市訪れ、平和学習。被爆かわらを発掘。
07 広島平和教育研究所が全国各都道府県に贈った“原爆がわら”各地で反響を呼び、追加注文相次ぐ。
0805 広島市立江波小学校で、原爆がわらを使って児童らが作った平和の碑、完成除幕式。
12 北海道宗谷郡の浅茅野小中学校に原爆かわらを使ったモニュメント「願いの碑」完成し、除幕式。
1984
0106 「長崎高校生平和ゼミナール」が贈った、長崎の被爆ガワラ、ポーランドのアウシュビッツ国立博物館に展示
0325 長崎高校生平和ゼミナール、長崎市で原爆かわら堀り実施。約70人参加。
0421 倉敷市立中央図書館で原爆がわら展示(岡山県内では岡山市の県立図書館に次いで二番目)。
04 長崎市の民家で被爆かわら約1,800枚が使用されているのを発見。
0915 竹内武との話合いで所蔵の原爆瓦を広島市に寄贈することを決める。
1113 長崎市の爆心地近くの河川で、被爆かわらなどの原爆遺跡見つかる。
1119 原爆瓦など193点を原爆資料館に寄贈。
12 広島市の婦人、仏像の描かれた被爆がわらを広島市に寄贈。
1985
0401 広島県被爆教職員の会、来広した神奈川県議会の社会党議員団に原爆がわらを寄贈。
0406 「長崎高校生平和ゼミナール」、長崎市内で原爆かわら発掘を実施(約20人参加)(市民へも参加呼びかけ)。
0425 広島県高校生平和ゼミナールの集めた被爆がわら米ニューヨークの国連本部に寄贈されることが決定。(浄士真宗本願寺派安芸教区平和運動特別委が額にして作製。)
04 平和プロダクション、被爆かわらをテーマにした映画の製作を計画、脚本を依頼。
0706? 長崎国際会館への被爆資料の寄贈相次ぐ(昨年3月以来、原爆がわら・被爆者の衣類など、 224点)。
0828 長崎県原水協、長崎市平和公園で、観光客・修学旅行生らに、被爆がわらを配布。
0908? 呉市の平和プロダクション、原爆瓦をテーマにした映画の製作を準備中( 来年、クランクイン予定)
1009 長崎市のビル建設工事現場で、被爆したガラス瓶・カワラなど約 200点を発見。
1986
0729 「広島原爆病院の一日」写真展(写真家浜岡収撮影・灘神戸生協主催)、神戸市で開催( 8月 4日まで) 。被爆かわらなども展示。
0912? 呉市の映画プロデューサーら、被爆瓦を描いた映画製作支援のため、被爆瓦を使って一輪差しを制作。
1987
0122 ニュージーランドの女子高校生(2名)、来広し、広島市立国泰寺中学校生徒らと交歓。同校生徒から、「原爆がわら」を贈られる。
0725 長崎高校生平和ゼミナール、爆心地公園に建設する灯火台にはめ込む原爆がわらの整理作業を実施(8日に点灯式)。
0726 北海道の「ヒバクシャと共に行くヒロシマ平和の旅」の一行(10人)、来広し、原爆かわらの発掘など実施。
1988
0120 長崎県の布津町長、バチカンのローマ法王を訪問、長崎市長より託された被爆がわらを寄贈。
0210? 広島大学原医研など、黒い雨降雨地域解明のため、屋根がわらの残留放射能調査に着手。かわらの提供を呼びかけ。
0315 広島県立ろう学校生徒、ピース・ガーデン造りを進めている米のろう学校に贈るため、元安橋下で被爆がわらを収集し、平和学習。
0326 米での第3回国連軍縮特別総会に届ける「長崎原爆の火」、長崎市の平和公園で採火 式。被爆がわらにドリルで穴を開けて採火(約200人参加)。
0508 広島市立本川小学校(爆心から約350メ-トル)の被爆校舎の一部を補修し、「平和資料室」として開館。原爆がわらなど被爆資料約100点を展示。
0731 舞鶴市の寺院に、長崎市の被爆がわらと原爆後遺症で死亡した少女の遺髪を納めた禅堂が建立され、落慶法要。
0803? 広島市の白神社(爆心から約600メ-トル)の建て替え工事現場で、被爆したかわら など(約30点)発堀。広大工学部、被爆放射線量の測定を計画。
1105? 広島県双三郡三良坂町の「第11回ふるさとまつり」で、「第3回平和・戦争・原爆資料展」(「町平和を願う会」主催)、開催(6日まで)。原爆かわらなど約300点を展示。
1989
0715 米コネチカット州の高校教諭ジェラルド・ブルーカー、来広し、米高校生らが折った千羽づるを原爆の子の像にささげる。16日、元安川で原爆がわら発掘。
1990
0420? 広島市の特別名誉市民フロイド・シュモー、米シアトル市に平和公園を建設中。被爆かわらなどを配置することを計画。
0428 「広島・長崎の火を灯す会」メンバ-(10人)、長崎市を訪れ、被爆かわらを発掘、収集。8月に東京で点火する「長崎の火」の採火に使用することを計画。
1991
0706 廿日市市立宮園小学校、平和集会を開催。原爆がわらの実験などを実施。昨年に続いて2回目。
1992
0805 六角彰(福岡県直方市在住)、長崎市内で長崎の被爆瓦と原爆投下予定地であった小倉市の土で製作した横笛で鎮魂曲を演奏。「ピース・ウィーク」の行事の一環。
1993
0424 「日独平和フォーラム」の訪独団一行14人、被爆瓦や本島長崎市長のメッセージなどを携えて出発。
1994
0419 京都市立修学院小学校6年の166人、修学旅行で広島を訪れ、アジアからの南方特別留学生が寄宿していた「興南寮跡」で集会を開催。広島市内の教師から自宅の被爆瓦を贈られる。
0815 広島県佐伯町の佐藤亨、一家の消息を炭で書いた被爆かわらを広島市の原爆資料館へ寄贈。
1995
1025 広島高校生平和ゼミナールの生徒、井上ひさしの戯曲「父と暮らせば」の広島公演に出演した俳優に原爆かわらをプレゼント。
1996
0411 長崎市の平和公園爆心地地区の護岸工事で、被爆瓦やガラス瓶などが大量に出土していたことが判明。12日、長崎市、整備工事を一時中断することを明らかにする。
0509 長崎市、遺骨や被爆かわらが出土した爆心地公園の護岸工事を、被爆資料を現地保存して公開するため計画変更することを決める。
0509? 建設省による広島市の原爆ドームの護岸整備工事現場で表面の焼けたかわらや学生服の陶製ボタンなど100キロ以上の遺物が出る。
0615 長崎市、市営ラグビー・サッカー場改築工事に伴う試掘調査で被爆がわらなど約40点を見つける。
0617 原爆ドーム対岸の親水護岸工事を行っている中国地建と工事関係者ら、工事中に見つかった被爆がわら約4000点の慰霊式を実施。18日、原爆資料館に寄贈。22日、完成式を挙行。
1997
0505? 愛媛県菊間町に開館予定の「かわら館」に広島原爆資料館から同町で作られた被爆瓦が永久貸与されるこことなる。22日、引き渡される。
1998
0815 広島市内在住の被爆者・船井洋治、被爆した「唐獅子瓦」を広島市の原爆資料館に寄贈。

 

 

原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録

『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』
「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会(編・刊)1983/02/21

目次
◆『八月六日』 峠三吉 1
◆『あの時…』 小林岩吉 2
◆『水ヲ下サイ』 原民喜 4
◆建立除幕によせて 5
石田明/河野浩樹/荒木武 7
若者の願いはばたけ 森下弘 11
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 森滝市郎 12
原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13
君たちは知ったのです 宮崎安男 14
ヒロシマの碑建立に思う 藤本幸作 15
『高校生の平和アピール』の意味するもの 松崎徹 16
高校生の平和アピール・行動提起 17
原爆瓦の叫び今こそ 大亀信行 18
小さなともしびから大きな炎へ 吉川徹忍 19
青春のエネルギーに囲まれて 土肥穣治 20
◆ちかいのことば 21
小学生のちかい・斉藤力(福山市立旭丘小学校 児童会代表)23
中学生のちかい・林文子(広島市立翠町中学校 生徒会代表)24
若者のちかい・山口小百合(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール)25
◆碑・制作を終えて 27
『ヒロシマの碑』の思想 横山英 28
モニュマンの空高く 芥川永 30
平和を願う心の目を 吉田正浪 31
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して 深川宗俊 34
『原爆瓦』を追う映画を 田辺昭太郎 38
◆建設のあしどり 山下希昭 39
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし 41
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 62
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌)63
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 69
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで 71
平和学習のシンボルとして 沢野重男 72
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 73
◆ヒロシマの碑プロフィール 77
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り 91
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 123
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 深川宗俊 131
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 丸山亜季 146
◆附属資料 147
1 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英)149
2 除幕式関係・各社報道記事(紙面)151
3 ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり 157
4 広島市長『平和宣言』 166
5 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 188
6 平和の歌 歌曲集 232

 

広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会陳情運動日誌

「原爆放射能医学研究所設置」・「原爆医療法中二粁の制限拡大」・「戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒・女子挺身隊・義勇隊等の時限法改正」に関する陳情運動日誌
(広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会 1962年2月)

はしがき
昭和三十四年九月原爆医療法の一部改正を目的とする政治運動展開を企図して構成された本対策委員会は、同年、画期的な同法改正に成功、翌三十五年原爆放射能医学研究所設置運動に乗り出し、僅々一カ月の短期間において同所究所創設にかかる予算獲得・法律改正を奇蹟的に果し、引続き三十六年には、特別被爆者の二粁制限撤廃に立ち上り、遂にその制限を三粁に拡大する予算獲得に成功し、ここに原爆問題の当面する重要案件を殆んど処理し終えたものである。
本委員会が斯る華々しい成果を収め得たのは、自民党幹部を始めとする関係各位の強力は御支援・御協力によるところであるが、特に運動の推進役を担当して貰った自民党広島県支部連合会被爆者対策委員長・広島市被爆者対策委員長任都栗司君の献身的努力に負うところ極めて多く、ここに改めて深甚なる敬意と謝意を表明するものである。
本委員会は、運動の当初より事務局をして運動の詳細を記録せしめていたものであるが、原爆問題の重要案件を殆んど処理完了した今日、ここにこれが運動日誌を公にし、格別の御協力を賜わった関係各位に対し心からの謝意を表すとともに、将来の参考とすることとした。
各位の御高覧を御願いして止まない。
昭和三十七年二月
広島長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会
常任委員 参議院議員 岩沢 忠恭

目次(其の一)

年月日
昭35(1960)
0922~1210
1.原爆医療法中2粁の制限拡大問題に関し、主として厚生省当局の意向を打診
1212-1213 1.原爆被害者医学総合研究機関の設置に関し関係各方面と基礎的打合わせ(特に所管省問題)をなす。
2.本対策委員会、昭和35年運動目標を原爆被害者医学総合研究機関の設置に置くことに決定。
1214-1221 1.広島市及び長崎市の原爆問題関係機関と打合せの結果、原爆医学研究機関の設置について地元の意識統一成る。
2.原爆医学研究機関設置にかかる陳情書作成
1223-1227 1.原爆医学研究機関設置に関し、関係各方面、特に自民党政調会文教部会に対し、陳情書提出の上、強力に陳情。
2.文部省当局に対し、原爆医学研究機関設置に関し、陳情運動展開中の旨連絡、表面化した場合引受け方陳情
1227 1.原爆医学研究機関設置の案件、広島大学に附置することとし、自民党政調会文教部会において満場一致をもって採択に決定
1228-0105昭36(1961) 広島大学当局に対し、原爆医学綜合研究機関設置に要する必要予算を至急追加要求方要請
2.広島大学との協同陳情書(要求予算を含む)作成
昭36(1961)
0106~0107
1.広島大学より広島原爆放射能医学研究所にかかる追加要求予算書を文部省当局に提出
2.広島大学より文部省に対し、提出の追加要求予算内容一部訂正の上、必要陳情書作成
0106~0107 1.自民党役員、同政調会役員、文教部会役員に対し、訂正陳情書を提示の上原爆放射能医学研究所問題の採択方について強力に陳情
2.自民党政調会文教部会は、政調役員会に対し原爆放射能医学研究所予算四億六百万円を要求することに決定
0107-0109 1.自民党政調役員会において原爆放射能医学研究所関係予算満場一致をもって採択に決定
0109-0111 1.自民党政調会副会長並びに各部会長合同会議において原爆放射能医学研究所関係予算採択に決定
2.大蔵省に対し、関係有力者を通じ、協力に陳情
0111-0115 文部省は、大蔵省当局に対し、新規追加要求予算として原爆放射能医学研究所予算四億六千六百万円を提出
0116-0117 1.広島原爆放射能医学研究所設置に要する関係予算、大蔵省第三次査定に於いて二カ年継続事業として遂に承認を受く
2.本件に関し格段の協力を賜った自民党役員、同政調会役員、その他関係各位に対し、御礼挨拶廻りをなす。

 

目次(其の二)

年月日
昭36(1961)
00403~1003
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法中、学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関し、運動の基本的打合せ、陳情書の作成、国会に対する請願書の提出並びに同請願の衆議院社会労働委員会において採択に至るまでの陳情
2.、原爆医療法中二軒の制限拡大に関し、運動の基本的打合せ、拡大の必要性を裏付ける資料の蒐集並
びに二粁制限拡大に伴う経費の昭和三十七年度厚生省要求予算に計上に至るまでの陳情
3.昭和三十六年度原爆医療法一般疾病医療費予算の不足に伴う予備費補充に関する陳情
4.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度予算要求に関する陳情
1004-1116 1.原爆医療法中二粁の制限拡大にかかる経費について、昭和三十七年度厚生省要求予算に計上決定に伴い、関係各方面に対し、これが予算獲得に関する基礎的陳情運動
1128-1211 1.原爆問題陳情運動の一元化、漸くにして決定
2.二粁制限拡大の必要性を裏付ける資料蒐集、漸く完成し、陳情書作成
1212-1216 1.原爆医療法中二粁の制限拡大の必要性について、関係各方面、主として自民党政調会、社会部会並びに大蔵省に対し、陳情書を提出の上、強力に陳情
2.二粁制限拡大の案件、自民党政調会社会部会を満場一致をもって通過
3.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度事業並びに長崎支所設置の明年度予算獲得について関係方面に強力に陳情
1217-1219 1.二粁の制限拡大に関し、自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、関係有力者を通じ、強力に陳情
1220-1221 1.明年度予算にかかる大蔵省第一次査定の結果、二粁制限拡大に要する予算全額ゼロ査定を受く
1222-1223 1.二粁軒制限拡大関係要求予算、大蔵省第一次査定に於いて全額不承認の結果に基き、これが復活要求について自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、引続き強力に陳情
2.広島原爆放射能医学研究所残事業にかかる要求予算、大蔵省第一次査定において不承認の結果に基き、自民党政調会関係役員にこれが復活要求について陳情
1224-0105昭37(1962) 1.二粁制限拡大関係要求予算、大蔵省第二次査定において三粁に拡大することとする基本線に基き、遂に承認を受く。
2.、戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関する予算、厚生大臣、大蔵大臣の大臣接渉において、昭和三十八年度予算に計上することに確約を得る。
2.本件に関し、格段の協力を願った自民党役員、同政調会役員その他関係各位に対し、御礼の挨拶廻りをなす。

 

 

 

原爆瓦は語りつづける

『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」維持委員会編・刊、19830221 )

目次

◆『八月六日』 峠三吉
◆『あの時…』 小林岩吉
◆『水ヲ下サイ』 原民喜
◆建立除幕によせて
ごあいさつ 石田明
ごあいさつ 河野浩樹
 ごあいさつ 荒木武
若者の願いはばたけ 森下弘
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 森滝市郎
原爆瓦が語るもの 佐久間澄
君たちは知ったのです 宮崎安男
ヒロシマの碑建立に思う 藤本幸作
『高校生の平和アピール』の意味するもの 松崎徹
高校生の平和アピール・行動提起
原爆瓦の叫び今こそ 大亀信行
小さなともしびから大きな炎へ 吉川徹忍
青春のエネルギーに囲まれて 土肥穣治
◆ちかいのことば
小学生のちかい (福山市立旭丘小学校 児童会代表) 斉藤力
中学生のちかい(広島市立翠町中学校 生徒会代表) 林文子
若者のちかい(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール) 山口小百合
◆碑・制作を終えて
『ヒロシマの碑』の思想 横山英
モニュマンの空高く 芥川永
平和を願う心の目を 吉田正浪
『ヒロシマの碑』に思う 林重男
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して 深川宗俊
『原爆瓦』を追う映画を 田辺昭太郎
◆建設のあしどり
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌)
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで
平和学習のシンボルとして 沢野重男
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点
◆ヒロシマの碑プロフィール
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 深川宗俊
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 丸山亜季
◆附属資料
1  原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英)
2  除幕式関係・各社報道記事(紙面)
3 ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり
4  広島市長『平和宣言』
5  一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』
6 平和の歌 歌曲集

広島平和記念資料館メールマガジン

広島平和記念資料館メールマガジン
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多くの人々に広島平和記念資料館に関心を持ってもらうため、資料館に関する最新情報(コラム、資料館トピックス、企画記事、図書紹介等)を配信
●配信日 毎月1日
●配信形式  テキスト形式
●発行者 広島平和記念資料館啓発担当

 

 号 発行年
月日
 記事  著者等
2003
創刊準備 0718 メールマガジンの創刊にあたって 畑口實(広島平和記念資料館長)
「コラムは、広島平和記念資料館の運営をしている( 財 )広島平和文化センター齊藤忠臣理事長を中心に、私を含めた資料館のスタッフが執筆していきます。このコラムでは、ヒロシマにまつわるいろいろな話題や資料館に来られた方とのエピソード等を読みやすい文章でお伝えする予定です。ご期待ください。」
創刊 0801 コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
資料館
ニュース
 平成15年度第一回企画展「原子爆弾ナリト認ム」―原爆投下後に行われた被爆調査の軌跡を追う― の概要をご覧いただけます。
2  0901  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
3  1001  コラム
ヒロシマの風
 畑口實
4  1101  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
5  1201  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
6  1226 コラム
ヒロシマの風
  畑口實
対話ノートから
「対話ノートは、1970年10月17日から、当館西館北側ロビー出口付近に設置しており、館内展示を観覧された方々に、
記名匿名にかかわらず、自由に感想を書いていただいてい
ます。来館者同志、あるいは来館者と資料館職員との対話
のためのノートです。
対話ノートの冊数は、今年12月26日現在で879冊。今月は
対話ノートに残された海外から来館された方の感想をごく
一部ですが、紹介いたします。」
 2004
7 0130 コラム
ヒロシマの風
広島平和記念資料館 副館長(啓発担当)山本靖彦
「昨年10月、市民の方から「啓発という言葉は不遜ではな
いか」という趣旨の投書をいただいた。私どもの職場の名
称である『啓発』という言葉には、「役人が市民を教育す
るというようなニュアンスが感じられる。この役所的なネ
ーミングを変えるつもりはないか。」
これに対し、私ども啓発担当として、「『啓発』という言
葉には、“知識をひらきおこし理解を深めること(広辞苑
新村出編第四版)”という意味があり、『啓発担当』のネ
ーミングは、原爆による広島の被害状況や平和への取り組
みについて普及し、理解を深めたいとの思いから付けられ
たものであり、(中略)教育しよう、ということでこの名前
になったものではない」と、その市民の方には回答申し上
げた。もちろん、今後、組織改正の際などに検討していき
たい旨の一文も添えた。」
資料館
ニュース
ヒロシマを知る講座(第二回)
「復興資料を読み解く」講師 松林俊一(広島市文化財団文化財課普及担当課長)
8  0301  コラム
ヒロシマの風
 広島平和記念資料館 副館長(学芸担当) 高野和彦
9  0401  コラム
ヒロシマの風
 齊藤忠臣
広島市内の学校における平和への取組み(1) 平和学習のため、全国から多くの学校が、広島、長崎そして沖縄などの地を修学旅行で訪れます。
もちろん、広島においても、多くの学校が被爆体験を正しく伝え、平和について考え、平和を創造していくための様々な取り組みや活動を行っています。
千羽鶴で有名な佐々木禎子さんの母校・広島市立幟町中学校では、かつて「原爆の子の像」建立の原動力となる行動を起こしました。平成12年には校内に「折り鶴の碑」を設立。平成13年には、サダコの物語を漫画化した「わたしからのメッ
セージ」を刊行。現在も「平和委員会」を中心に「原爆の子の像」碑前祭、県内外の学校との平和交流など、平和に関する様々な行事を行っています。(詳しくは↓の学校のホームページをご覧ください)
http://www.noborichou-j.edu.city.hiroshima.jp/これからも、随時、特徴的な具体例を取り上げて紹介したいと考えています。みなさんの学校での平和学習や平和への取組みの参考になれば幸いです。
  読んでみたい―この一冊 吉田守男 『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日新聞社(朝日文庫) 本体640円 ISBN-02-261353-X C0121
「第二次世界大戦末期、京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都が米軍の空襲を免れたのは、日本の文化・芸術をこよなく愛し、それを戦禍から守ろうと政府に働きかけた米国人学者の努力のお蔭である」
こんな逸話に聞き覚えがありませんか?
この本の著者は、この「伝説」の拠り所になった事柄を精緻に考察し、伝説が創られた過程を検証しています。つまり、戦争中、京都の文化財保護のために尽力したといわれるウォーナー博士の「伝説」は、終戦直後の情報不足からくる噂話を利用して、GHQ民間情報教育局(CIE)が作り上げた
ものではないだろうかと。そして、京都が空襲を免れたのは、「原爆投下候補地に指定されていた」ためであるといいます。
未知の兵器である原爆の威力を正確に測定するため、原爆の投下目標になった都市(広島・新潟など)は『爆撃禁止都市』に指定されていました。8月15日の終戦がなければ、京都に3発目の原爆が投下されていた可能性もあったのです。
著者が示した原爆と京都の関係は、あまり声高に語られてきませんでした。未だに古都の景観保存運動では、「米国人が残してくれた町並みを日本人が壊すのか」という話をよく聞きます。この本を読みながら、あなたも「伝説」の謎解きに参加してみませんか。
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12  0701  コラム
ヒロシマの風
 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
館長 前田耕一郎
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臨時  0430  広島平和記念資料館メールマガジンの休刊について  当館では、資料館東館・本館のリニューアルオープン(平成30年夏予定)に合わせて、メールマガジンを一新するよう検討しています。
このため、しばらくの間、メールマガジンを休刊しますので、ご理解いただきますよう、よろしくお願いします。
生まれ変わるメールマガジンを、どうぞご期待ください。

 

 

ヒロシマの被爆建造物は語る(目次)

ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録(被爆建造物調査研究会編、広島平和記念資料館、19960331)

部章節
序章
第1部 図説編
1-1 被爆建造物の被害の概要
1-2 被爆建造物の全体像
1-3 図説
1-3-1 平和記念公園・周辺地区
1-3-2 紙屋町・本通地区
1-3-3 銀山・幟地区
1-3-4 基町・白島地区
1-3-5 国泰寺・千田地区
1-3-6 十日市・中広地区
1-3-7 牛田・広島駅周辺地区
1-3-8 比治山・仁保地区
1-3-9 皆実・宇品地区
1-3-10 吉島・舟入・観音地区
1-3-11 己斐・草津地区
1-3-12 三篠・祇園地区
第2部 概説編
2-1-1 原爆とその物理的影響
2-1-2 被爆建造物の保存の意義を考える
2-1-3 被爆建造物と都市
2-1-4 被爆前の広島の建築文化
2-1-5 被爆建造物の保存・継承のあゆみ
2-1-6 被爆者の医学的検討
2-1-7 国民学校と被爆
2-1-8 橋と被爆者
2-1-9 日本の戦争遺跡
2-1-10 ヨーロッパの戦争遺跡
第3部 資料編
年表
被爆建物の変遷
被爆建造物リスト
原爆被災説明板の一覧

帝国銀行広島支店

帝国銀行広島支店

現在* アンデルセン
竣工時 帝国銀行広島支店
*出典『ヒロシマの被爆建造物は語る』
爆心地からの距離 0.36キロメートル
所在地 中区本通7-1(革屋町)
竣工時期 1925(大正14)年2月
構造/階数 RC造/2階建
設計者/施工者 大倉土木

 

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2009年8月19日撮影

 

 

 

原爆ドーム保存運動

原爆ドーム保存運動

1964(昭和39)年12月22日、広島の3つの原水禁団体(原水協・原水禁・核禁会議)を含む11の平和団体代表は、浜井信三広島市長に原爆ドームの永久保存を要請した。この要請は、原水禁運動が分裂して以来はじめての3団体の共同行動であった。

原爆ドームの存廃については、48年ごろから市民の間で繰り返し論議が起こっていた。1949年10月、広島市調査課が実施した「広島原爆体験者についての産業奨励館保存の是非と平和祭への批判と希望に関する世論調査」によると428人の回答者のうち、「保存を望む」が62%、「取り払いたい」は35%であった。また、浜井市長自身、1951年8月、座談会で「私は保存のしようがないのではないかと思う。石の人影、ガスタンクとも消えつつあるし、いま問題になっているドームにしても金をかけさせてまで残すべきではないと思っています」と保存にたいし消極的な発言していた。

しかし、市長は、11団体の要請に対し、「来年度予算案に調査研究費を計上して、専門家に保存方法を研究させる」と、初めて保存の意志を明らかにした(『中国新聞』1964年12月23日)。さらに、1966年7月11日には、広島市議会が原爆ドーム保存を全会一致で決議、同年8月6日には、浜井市長が改めてドーム保存の意志表示をおこなうとともに、工事費4000万円を国内外の募金によって賄う方針を示した。

1966年11月1日から開始された広島市の募金活動の呼びかけには、原水禁国民会議・社会党・総評・原水協・世界アピール7人委員会などが支持を表明した。しかし、当初募金活動ははかばかしい成果をみせなかった。募金が進展したのは、マスコミが全国的なキャンペーンに乗り出した翌67年2月以降のことである。3月13日には、目標の4000万円の突破が明らかになった。募金は、翌14日の市長の打ち切り声明にもかかわらず、以後も続いた。

原爆ドームの存廃については、48年ごろから市民の間で繰り返し論議が起こっていた。1949年10月、広島市調査課が実施した「広島原爆体験者についての産業奨励館保存の是非と平和祭への批判と希望に関する世論調査」によると428人の回答者のうち、「保存を望む」が62%、「取り払いたい」は35%であった。また、浜井市長自身、1951年8月、座談会で「私は保存のしようがないのではないかと思う。石の人影、ガスタンクとも消えつつあるし、いま問題になっているドームにしても金をかけさせてまで残すべきではないと思っています」と保存にたいし消極的な発言していた。

しかし、市長は、11団体の要請に対し、「来年度予算案に調査研究費を計上して、専門家に保存方法を研究させる」と、初めて保存の意志を明らかにした(『中国新聞』1964年12月23日)。さらに、1966年7月11日には、広島市議会が原爆ドーム保存を全会一致で決議、同年8月6日には、浜井市長が改めてドーム保存の意志表示をおこなうとともに、工事費4000万円を国内外の募金によって賄う方針を示した。

1966年11月1日から開始された広島市の募金活動の呼びかけには、原水禁国民会議・社会党・総評・原水協・世界アピール7人委員会などが支持を表明した。しかし、当初募金活動ははかばかしい成果をみせなかった。募金が進展したのは、マスコミが全国的なキャンペーンに乗り出した翌67年2月以降のことである。3月13日には、目標の4000万円の突破が明らかになった。募金は、翌14日の市長の打ち切り声明にもかかわらず、以後も続いた。

表1.原爆ドーム保存募金月別寄金状況

区 分 件数 金額(円)
1966年11月 238 3374473
12月 334 2031332
1967年1月 258 1857547
2月 1546 8143103
3月 6386 34115718
4月 2214 9578308
5月 105 4725862
6月 66 1925639
7月 12 405639
11159 66197816

出典:『ドームは呼びかける-原爆ドーム保存記念誌』

 募金総件数11,159件約6620万円のうち、8,728件(78.2%)約3664万円(55.4%)は、広島県内を除く日本全国各地からの寄金であり、募金運動へののべ参加人数は130万人を超えている。

 

浜井広島市長の談話
被爆者の中にも、原爆ドームには両論ありましてねえ。早く忘れたい、あれがあると町に出るのが苦痛だという人もあったんです。まあ、最近、あの建物を解いて組み直す必要があるという専門家の意見もあるんですが、私らはそんなことは必要ない、あのままでいいという気持ちなんですが、置いておいても十年ぐらいはなくなるものでなし、終局的には次の世代の人が決めればいいんですねえ(注=保存調査のために今年度、市は百万円の予算を計上)。私の原則論は、当時のものはとり去り、資料的なものは資料館の中にいれたい、そして政府が”白書運動”を取りあげれば、それは結構なことで、ぜひ手をつけてもらいたいということです。
出典:『週刊新潮』1965年6月5日号