広島新史に期待する(宇吹暁)
出典:『広島新史編修手帖 No.1』 |
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広島新史に期待する(宇吹暁)
出典:『広島新史編修手帖 No.1』 |
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原爆ドームの世界遺産化活動<作業中>
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第8節
1 | 「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」結成…683 | |
原爆ドームの概要 | ||
2 | 請願運動、署名の重み…684 | |
原爆ドームの世界遺産化に関する請願 | ||
3 | 被爆50周年記念に実現を期す…685 | |
平和の象徴・広島原爆ドーム西岸の全会一致にむけた要請 | ||
4 | 世界遺産化早期実現ヒロシマの集い…686 | |
原爆ドーム世界遺産化早期実現を求めるアピール | ||
5 | 「原爆ドーム」の世界遺産、登録決定…687 | |
ヒロシマからのアピール | ||
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広島大学原爆放射能医学研究所創立30周年記念講演会記録
1991年11月2日 |
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序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長)
『原爆関係蔵書目録Ⅲ 1984年1月~1988年12月』(広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センター資料調査室 編・刊、19900731)所収
内容
序 昨年末,全米研究評議会(NRC)は低レベル電離放射線の生物学的影響についてBEIR (Biological Effect ofIonizing Radiation)の報告書Vを発表して注目されている。現在,放射線許容量などの基礎ともなっている BEIR一報告書Ⅲ(Chairman: A, C, Upton, 1980), I CRP (国際放射線防禦委員会)や, UNSCEAR (国連科学委員会)からのデータが,この10年間の広島,長崎での調査研究成果から,大幅な改訂を迫られたというoとくに白血病や,発癌リスクについては従来の甘さが指摘され,また被爆胎児の知能発育,被爆者の子供への遺伝的影響,被爆者年令(ATB)の影響などの見直し,未解決の問題を指摘している。 本資料センターは,原爆被災に関する資料の保存を目的として1974年(昭和49年)4月,日本学術会議の政府勧告,地元広島,長崎市民の要望,研究者,関係財団の熱意と努力の結果,当研究所に併設された。その当時の関係者の卓見とこれを実現された熱意とエネルギーに襟を正す思いである。 以来,営々と資料の収集と整理に努力が重ねられ,すでに「原水爆関係資料目録I」は1974~78年の5年分を1980年に,「原爆関係蔵書目録U」は, 1979~1983年の5年分を1985年に発刊してきた。今回は特に直接被爆者本人からしか聞きとれない,かけがえのない原爆被爆体験に関わる資料を一義的に収集する方針から被爆記録,体験記,手記に重点をおいた。そして個人体験のみならず,原爆当時の組織,機関,団体ごとの手記や記録が主要なものとなっている。45年を経過し,生き証人となる方々が,年々少なくなってこれら貴重な資料が埋れ,散逸することが懸念されている。今回の成果は市民の方々の深い理解と暖かい協力の賜であることを強調して感謝したい。 本センターは,これら「資料調査室」の活動とともに,「医学資料室」,「人口資料室」が各々の作業を進めて,原医研年報に成果を報告している。今後は上記のごとく,広島,長崎のデータが,これからの人類の命運に関わる放射線の人体に及ぼす影響について,原子力の平和利用,宇宙開発に伴う健康管理についてのかけがえのない情報を提供することにより,世界平和にも貢献できる貴重な資料であることを改めて確認する必要があろう。またそうならなくてはならない責任が,この資料センターには嫁せられ,また期待されていることを認識しなければならない。4年を経過したチェルノブイル原発事故後の放射能汚染問題を解決するため,ソ連政府からの依頼でIAEA (国際原子力機関)が調査を開始している。今回も広島,長崎からの参加,研究協力がソ連政府からも,国際機関からもそして現地の官民,医療機関からも強く要望されていることを,身をもって体験し覚悟を新たにしている。 目録刊行にあたり資料の御寄贈御協力頂いた方々に感謝すると共に,目録の作成に尽力された資料調査室の皆様に敬意を表します。今後共,各位の御理解と御指導を切にお願い致します。 1990年5月 広島大学原爆放射能医学研究所長 附属原爆被災学術資料センター長 藏本 淳 |
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『原爆関係蔵書目録Ⅲ 1984年1月~1988年12月』(広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センター資料調査室 編・刊、19900731)
内容
序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長) | |
凡例 | |
原爆被災学術資料センター原爆関係出版物分類表 | |
目次 1 | |
図書の部(大分類) | |
0 | 総記 3 |
1 | 原爆開発投下・核・軍事問題 10 |
2 | 原爆被災記録・体験記・手記 13 |
3 | 原爆被害の実態・影響(調査・研究)79 |
4 | 被爆者問題(被爆者対策・被爆者運動)96 |
5 | 原爆関係文学・芸術 115 |
6 | 平和問題(平和研究・原水禁運動・原爆教育)122 |
7 | 原子力問題(開発・利用・原子力災害)139 |
8 | 戦争関係資料(戦争の記録・戦争災害・戦争研究)140 |
逐次刊行物の部 | |
書名索引 巻末 |
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平和運動をめぐって―社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)
『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会、19770910 )所収 |
263 |
263 |
264 |
265 |
265 |
266 |
出典:
原爆と広島大学 「生死の火」学術篇 人文科学の部<作業中>
章 | ||
Ⅰ | 人文科学関係(横田輝俊、磯貝英夫、松元寛)257 | |
Ⅱ | 社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)260 | |
はしがき 260 | ||
1 | 被爆の実態および調査 260 | |
2 | 平和運動をめぐって 263 | |
3 | ヒロシマの戦後と世界の中のヒロシマ 266 | |
Ⅲ | 平和教育関係(大槻和夫)269 | |
はじめに 269 | ||
1 | 長田新の平和教育論とその実践 269 | |
2 | 教育学部附属中学校「原爆と平和」 271 | |
3 | 教育学部社会科教室を中心とする調査研究 272 | |
4 | 教育学部附属中・高校国語科の試み 273 | |
5 | 教育学部附属小学校の『子どもと父母と教師が書いた、原爆の記憶』3部作 273 | |
6 | 平和教育の発展の中で 274 | |
おわりに 276 |
『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会、19770910 )所収
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ヒロシマ国際アマチュア映画祭 1975年~
年月日 | 事項 |
1975 | |
0629 | 第一回ヒロシマ国際アマチュア映画祭、ヒロシマ・グランプリにドキュメンタリー「ふたりぼっち」(迫田佳伸作品)が選ばれる。出品:国内140点、海外59点。 |
0806 | 第1回ヒロシマ国際アマチュア映画祭(同実行委員会、中国放送、中国小型映画連盟、日本ユネスコ協会共催)、広島県医師会館ホールで開催。 |
1976 | |
0804 | 「ヒロシマを記録する8ミリ映画の会」、広島平和記念館で開催。 |
1977 | |
0109 | 第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭募集規定掲載。(PRのページ) |
0327? | このほど第2回「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」の締め切り近づき、応募作品と問い合わせ増加。 |
0417 | ヒロシマ国際アマチュア映画祭に現在まで84編の応募作到着。 |
0608? | このほど「第二回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」の第1次審査終了。 |
0613 | 「第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」入賞作発表。グランプリにドキュメンタリー「江青丸」。 |
0804 | 第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭、ヒロシマグランプリなど表彰、一般公開。 |
0807 | 原爆の日特別番組「死者への便り」「第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」など放送. |
0924 | 第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭鑑賞会、於三次市。 |
1978 | |
0122? | このほど、第3回ヒロシマ国際アマチュア映画祭参加呼びかけ開始。 |
0628? | ヒロシマ国際アマチュア映画祭(中国放送など主催)参加作品募集中。 |
1979 | |
0409 | 第3回国際アマチュア映画祭の入賞作品発表。 |
0728 | 第3回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の受賞作品発表上映会、広島市で開催。 |
1028 | 第3回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入賞作品、広島市の公民館で上映会。 |
1980 | |
0215? | 第4回「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」の作品公募始まる。 |
0608? | 第4回「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」への応募作品の募集。 |
0801 | ヒロシマ国際アマチュア映画祭入選作品上映会、広島市で開催。 |
0925 | 広島市祇園町の公民館で、ヒロシマ国際アマチュア映画祭入賞作品上映会開催。 |
1025 | 「ヒロシマ国際アマチュア映画祭入賞作品上映会」、広島市の公民館で開催。 |
1981 | |
0413 | 第四回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の受賞作品、決定。 |
0719 | 「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」受賞作品発表上映会、開催。 |
0724 | 第四回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品発表上映会、東京で開催。(大阪・長崎でも。) |
1982 | |
0304 | 第5回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の応募規定、発表される。 |
0424 | 「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」優秀作品上映会、沖縄・那覇市で開催。 |
0606? | 第5回ヒロシマ国際アマチュア映画祭、参加作品募集。 |
1983 | |
0425 | 第5回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入賞作品決定。 |
0710 | 第5回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品発表上映会、広島市で開催。 |
0719 | ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品を大阪市で上映。 |
1985 | |
0303 | ヒロシマ国際アマチュア映画祭、日本映画復興会議の第2回山本薩夫記念、日本映画復興奨励賞を受賞。 |
0422 | 第6回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品発表。戦争をテーマにした米の学生の作品「敵・味方に分かれて」、グランプリ受賞。特別賞に広島エイト倶楽部の「ちちをかえせははをかえせ」。 |
0707 | 第6回ヒロシマ国際アマチュア映画祭(同映画祭実行委など主催)の受賞作品発表上映会、広島市で開催。 |
1986 | |
0220 | 第 7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭(同映画祭実行委、中国放送など共催)の募集要綱、決定。 |
0605? | 第 7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭への応募作品募集。 |
1987 | |
0427 | 第7会ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入賞作13点決定。 |
0504? | 第7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入賞作決定。 |
0705 | 第7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品発表上映会・表彰式、広島市で開催。 |
0714? | 第7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭で長崎市長賞を受けた米のビデオ作家、来広し、原爆資料館など見学。 |
1988 | |
0221? | 「第8回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」の作品募集、開始。 |
1989 | |
0424 | 第8回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入選作品24点、決定。 |
0716 | 第8回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の表彰式と受賞作品上映会、広島市で開催。 |
1990 | |
0323 | ヒロシマ国際アマチュア映画祭実行委、第9回映画祭の作品募集要綱を発表。 |
1218 | 広島市の 「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」と米の「バーモント・アースピース映画祭」が、姉妹縁組をむすぶことが決定される。 |
1991 | |
0415 | ヒロシマ国際アマチュア映画祭の受賞作品、決定。 |
0623 | 第9回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の受賞作品発表上映会・受賞式、広島市内で開催。米のアーズ・ピース国際映画祭からの提供作「サダコと千羽鶴」を上映。 |
0810 | 第9回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品の上映会(長崎8ミリクラブなど主催)、長崎市で開催。 |
1993 | |
0412 | 第10回国際アマチュア映画祭の審査結果が公表される。23か国206本の応募作品の中から三次市の教員の「平和を生きる-47年目の夏に」がグランプリ・内閣総理大臣賞に決定。 |
1997 | |
0726 | 「第12回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」受賞作品上映会、広島市内で開催。同映画祭はこれで打ち切り。 |
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『731免責の系譜-細菌戦部隊と秘蔵のファイル』(太田昌克、日本評論社、19990731)<作業中>
章 | 見出し | 備考 |
序 | 秘蔵ファイル | |
1 | 終戦と証拠隠滅 | |
イントロダクション | ||
広島から市ヶ谷へ | ||
新妻清一中佐、「大本営調査団」、有末精一中将 | ||
マルタ404本の処理焼却 | ||
*** | ||
2 | 米軍調査と戦犯免責付与 | |
3 | 調査継続と情報操作 | |
4 | 隠された事実 | |
5 | 免責の系譜 | |
資料編 | ||
あとがき |
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戦争記念館 戦争展 読売新聞大阪本社社会部 <作業中>
回 | 会期 | 会場 | 備考 |
1 | 1977 | ||
2 | |||
『戦争記念館第1回・第2回〈戦争〉展全記録 別冊 記者が語り継ぐ戦争』(読売新聞大阪本社社会部編、読売新聞社刊、19790515) | |||
3 | |||
4 | |||
『戦争記念館第3回・第4回〈戦争〉展全記録 別冊 記者が語り継ぐ戦争』(読売新聞大阪本社社会部編、読売新聞社刊、19800807) | |||
5 | |||
6 | 19820805~16 | 大丸心大阪店 | |
7 | 19830804~15 | 大丸心斎橋店 | |
『真夏の戦争記念館 〈戦争〉展全記録 (第6回・第7回)』(読売新聞大阪本社社会部編・刊、19830801) | |||
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