『広島県史-現代(通史Ⅶ)』(広島県、1983/03/25)
内容
Ⅰ
戦時体制の解体と「民主化」の進展
一
連合軍の占領と旧軍の解体 2
小谷朋浩
1 広島県進駐前夜 2
2 連合軍の進駐 7
3 占領軍と県民 14
4 在広部隊の解体 18
5 在外部隊の解体 23
二
政治体制の「民主化」 30
甲斐英男
1 公職追放の進展 30
2 新憲法の制定と県民 38
3 選挙制度と地方制度の改革 45
4 警察制度の改革 53
三
地方自治体制の確立 63
児玉正昭
1 県民の民主化 63
2 戦後復興期の県財政 81
四
政党の結成 93
1
政党の動向 93
安藤福平
2 自由党 98
3 民主党 109
4 国民協同党 115
林立雄
5 日本社会党広島県支部連合会の結成 119
6 日本共産党広島地方委員会の結成 127
7 社共両党のその後の動向 132
北西允
Ⅱ
経済の「民主化」と産業の復興
有元正雄
一
農地改革の実施 138
1 農地改革の推進 138
2 農地改革の成果 148
3 農地改革をめぐる諸対抗 155
二
軍需産業の転換と企憲業の再編成 169
田中利憲・高橋衛
1 軍需産業の停止と「戦時遺産」の継承 169
2 主要工場の賠償指定と生産のと停滞 179
3 集中排除法による企業の再編成 186
三
インフレーションの高進と県民生活 193
高橋衛・田中明和
1 悪性インフレーションの高進 193
2 県民生活の困窮化 202
3 ドッジ不況と企業倒産 211
四
朝鮮戦争と資本蓄積 217
高橋衛
1 朝鮮戦争ブームと経済復興 217
2 計画造船の本格化 226
3 三輪トラック生産の展開 229
4 昭和20年代後半の経済的発展 233
五
都市計画の推進と都市の復興 248
千田武志
1 都市計画の概要 248
2 被爆直後の広島市の都市計画 257
3 広島平和記念都市建設法の制定とその後の都市計画 266
4 呉市の戦災復興 277
5 福山市の戦災復興 285
六
軍港都市呉の展開 293
千田武志
1 呉港の開港と企業の進出 293
2 旧軍港市転換法の制定とその後の企業誘致対策 299
3 旧軍港市転換法制定後の企業誘致 310
4 国連軍引揚対策と企業誘致 321
5 旧海軍施設転換の成果と課題 325
七
生産県構想の推進 331
千田武志
1 生産県構想の進展 331
2 生産県構想第2次計画 342
Ⅲ
戦後の社会と文化
一
労働組合の結成と労働運動の高揚 352
竹内常善
1 労働運動の再生 352
2 2・1スト前後の動向 366
3 占領期労働運動の到達点 376
二
平和運動の発展 385
宇吹暁
1 占領下の原爆問題 385
2 朝鮮戦争下の平和運動 392
3 国民諸階層と原爆問題 397
三
新教育制度の発足 407
藤原浩修
1 教育基本法の制定と教育改革 407
2 6・3・3・4制の実施 414
3 広島県教職員組合の結成と活動 433
4 社会教育 440
四
文化活動の新展開
八木佐市
1
文化活動の背景と状況 448
2
各分野の活動 456
藤原浩修
3
マスコミの発達 469
藤原浩修
五
社会運動の新展開 473
1
戦後部落解放運動の成立 473
天野卓郎
2
在日朝鮮人の活動 493
上原敏子
3
婦人運動 503
鈴木裕子
4
占領期の青年運動 514
藤原浩修
Ⅳ
新県政の確立
一
県政の進展 526
甲斐英男
1 県政の推移と県会の動向 526
2 県政機構の拡充 552
3 広島県警察の誕生とその推移 560
二
地方自治制度の再編成 569
児玉正昭
1 市町村合併 569
2 市町村行政の近代化と広域行政 584
3 市町村財政の推移 603
三
各政党の動向 613
1
保守政党の動向 613
林立雄
2
革新・中道諸政党の動向 633
北西允
Ⅴ
経済の高度成長
一
高度経済成長の展開 654
佐藤正志
1高度経済成長の諸相 654
2 県の経済政策と高度成長の終息 664
二
臨海工業地帯の創成 672
千田武志
1 大竹臨海工業地帯の形成 672
2 石油科学コンビナート形成への歩み 681
3 日本鋼管の誘致と備後工特地域の指定 694
三
重化学工業の発展 717
田中明和
1 造船工業の発展 717
2 自動車工業の発展 730
3 鉄鋼業の発展 741
4 石油科学工業の発展 748
5 低成長下の重化学工業 755
四
農業の近代化 771
小野茂樹
1 広島県の農業の特徴 771
2 農業構造の変貌 774
3 兼業の深化 786
4 農業の機械化 7945 戦後の農政と農業の協同か 799
6 作目の推移とその変化 807
五
在来産業の動向 819
児玉正昭・藤田正司
1 特産工業の概況と推移 819
2 中小企業施策の推移と地場産業 836
六
高度経済成長の基盤整備 849
高橋衛・ 千田武志・ 藤原浩修
1 金融 849
2 芸北特定地域指定と電源開発 862
3 交通 871
Ⅵ
高度成長下の社会と文化
一
経済成長と社会問題 900
1
公害・環境問題とその対策 900
桧和田祥起
2
過疎化の進展 924
藤原浩修
二
労働運動の動向 950
竹内常善
1 労働組合運動の体制的整備 950
2 春闘体制の定着 961
3 労働運動の分野別諸相 975
三
平和運動の展開 985
宇吹暁
1 原水爆禁止世界大会 985
2 被爆体験と平和運動 995
四
社会運動の展開 1008
1
住民運動 1008
桧和田祥起・湯浅良之輔
2
婦人運動 1022
鈴木裕子
3
広島県青年連合会の活動 1033
藤原浩修
五
部落解放運動の展開 1044
天野卓郎
1 差別の現実と大衆化路線 1044
2 共同闘争の発展 1057
六
教育の拡充 1077
藤原浩修
1 教育の再編と教育運動 1077
2 学校教育の動向 1087
七
新生活運動と文化活動の展開 1105
八木佐市
1 新生活運動の推進 1105
2 文化活動の進展と文化施策の充実 1116
終章
県民生活の展望
序
1128
高橋衛
一
新生学園の歩み 1132
今堀誠二
1原爆孤児と引揚孤児のために 1132
2引揚民孤児収容所 1138
3 新生学園 1155
二
昭和30年代の山村 1171
今堀誠二
1 専業農家への道 1171
2 農業自立の挫折 1188
図・表一覧
あとがき
止
『京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難 「記念碑建立・慰霊の集い」のあゆみ』(芝蘭会広島支部・京都大学 1993/09/01)
内容
章
Ⅰ
遭難の状況、回想、報道
大野陸軍病院に於ける京大原爆災害綜合研究調査班の山津浪による遭難の状況
(私の日記から) 菊池武彦 1
再生 木村毅一 8
京大原爆災害綜合研究調査班の遭難 木村毅一 10
原水爆被害調査の体験と現在 清水榮 11
木村毅一先生の死去を悼む 清水榮 13
広島への想い-原子爆弾被害調査団の遭難- 中野進 14
広島県大野陸軍病院にて-枕崎台風災害に遭難した思い出- 品川武久 16
弟の思い出 原佳之 18
当時の報道記事 京都新聞 昭和20年9月22日、25日、27日 20
回顧報道記事
京都新聞 昭和28年8月8日 21
中国新聞 昭和60年1月25日、26日 23
京都民報 昭和62年9月13日 25
Ⅱ
記念碑
碑文 27
記念碑設立当時の事情 菊池武彦 28
記念碑除幕式に列席して 木村廉 31
Ⅲ
慰霊の集い
慰霊の言葉、挨拶、辞、偶感
・昭和60年 杉本茂憲、菅原努、阪田数年 33
・昭和61年 西島安則、杉本茂憲 36
・昭和62年 杉本茂憲 38
・昭和63年 杉本茂憲、内野治人、長谷川博一、杉本茂憲 39
・平成元年 杉本茂憲、西島安則、西島安則、井村裕夫、日高敏隆、杉本茂憲、西島安則 42
・平成2年 土井憲策、井村裕夫、日高敏隆、杉本茂憲 47
・平成3年 井村裕夫、丸山和博、土井憲策 49
・平成4年 佐々木和夫、佐藤文隆、小田順一、土井憲策 51
報道記事
中国新聞 平成元年9月16日 53
読売新聞 平成4年9月16日 53
Ⅳ
関連記録
爆発後数日間に行える広島市の放射能学的調査に関する報告
原子爆弾災害調査報告集(第一分冊) 55
広島市における原子爆弾傷に関する研究(臨床編)
原子爆弾災害調査報告集(第二分冊) 59
EFFECTS OF ATOMIC RADIATION ON THE BRAIN IN MAN JOINT REPORT 62
広島の原爆症-京大調査班の運命- 64
止
原爆ドームの世界遺産化活動<作業中 >
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第8節
1
「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」結成…683
原爆ドームの概要
2
請願運動、署名の重み…684
原爆ドームの世界遺産化に関する請願
3
被爆50周年記念に実現を期す…685
平和の象徴・広島原爆ドーム西岸の全会一致にむけた要請
4
世界遺産化早期実現ヒロシマの集い…686
原爆ドーム世界遺産化早期実現を求めるアピール
5
「原爆ドーム」の世界遺産、登録決定…687
ヒロシマからのアピール
止
広島大学原爆放射能医学研究所創立30周年記念講演会記録
止
序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長)
『原爆関係蔵書目録Ⅲ 1984年1月~1988年12月』(広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センター資料調査室 編・刊、19900731)所収
内容
序
昨年末,全米研究評議会(NRC)は低レベル電離放射線の生物学的影響についてBEIR (Biological Effect ofIonizing Radiation)の報告書Vを発表して注目されている。現在,放射線許容量などの基礎ともなっている
BEIR一報告書Ⅲ(Chairman: A, C, Upton, 1980), I CRP (国際放射線防禦委員会)や, UNSCEAR (国連科学委員会)からのデータが,この10年間の広島,長崎での調査研究成果から,大幅な改訂を迫られたというoとくに白血病や,発癌リスクについては従来の甘さが指摘され,また被爆胎児の知能発育,被爆者の子供への遺伝的影響,被爆者年令(ATB)の影響などの見直し,未解決の問題を指摘している。
本資料センターは,原爆被災に関する資料の保存を目的として1974年(昭和49年)4月,日本学術会議の政府勧告,地元広島,長崎市民の要望,研究者,関係財団の熱意と努力の結果,当研究所に併設された。その当時の関係者の卓見とこれを実現された熱意とエネルギーに襟を正す思いである。
以来,営々と資料の収集と整理に努力が重ねられ,すでに「原水爆関係資料目録I」は1974~78年の5年分を1980年に,「原爆関係蔵書目録U」は, 1979~1983年の5年分を1985年に発刊してきた。今回は特に直接被爆者本人からしか聞きとれない,かけがえのない原爆被爆体験に関わる資料を一義的に収集する方針から被爆記録,体験記,手記に重点をおいた。そして個人体験のみならず,原爆当時の組織,機関,団体ごとの手記や記録が主要なものとなっている。45年を経過し,生き証人となる方々が,年々少なくなってこれら貴重な資料が埋れ,散逸することが懸念されている。今回の成果は市民の方々の深い理解と暖かい協力の賜であることを強調して感謝したい。
本センターは,これら「資料調査室」の活動とともに,「医学資料室」,「人口資料室」が各々の作業を進めて,原医研年報に成果を報告している。今後は上記のごとく,広島,長崎のデータが,これからの人類の命運に関わる放射線の人体に及ぼす影響について,原子力の平和利用,宇宙開発に伴う健康管理についてのかけがえのない情報を提供することにより,世界平和にも貢献できる貴重な資料であることを改めて確認する必要があろう。またそうならなくてはならない責任が,この資料センターには嫁せられ,また期待されていることを認識しなければならない。4年を経過したチェルノブイル原発事故後の放射能汚染問題を解決するため,ソ連政府からの依頼でIAEA (国際原子力機関)が調査を開始している。今回も広島,長崎からの参加,研究協力がソ連政府からも,国際機関からもそして現地の官民,医療機関からも強く要望されていることを,身をもって体験し覚悟を新たにしている。
目録刊行にあたり資料の御寄贈御協力頂いた方々に感謝すると共に,目録の作成に尽力された資料調査室の皆様に敬意を表します。今後共,各位の御理解と御指導を切にお願い致します。
1990年5月
広島大学原爆放射能医学研究所長
附属原爆被災学術資料センター長
藏本 淳
止
『原爆関係蔵書目録Ⅲ 1984年1月~1988年12月』(広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センター資料調査室 編・刊、19900731)
内容
序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長)
凡例
原爆被災学術資料センター原爆関係出版物分類表
目次 1
図書の部(大分類)
0
総記 3
1
原爆開発投下・核・軍事問題 10
2
原爆被災記録・体験記・手記 13
3
原爆被害の実態・影響(調査・研究)79
4
被爆者問題(被爆者対策・被爆者運動)96
5
原爆関係文学・芸術 115
6
平和問題(平和研究・原水禁運動・原爆教育)122
7
原子力問題(開発・利用・原子力災害)139
8
戦争関係資料(戦争の記録・戦争災害・戦争研究)140
逐次刊行物の部
書名索引 巻末
止
原爆と広島大学 「生死の火」学術篇 人文科学の部<作業中 >
章
Ⅰ
人文科学関係(横田輝俊、磯貝英夫、松元寛)257
Ⅱ
社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)260
はしがき 260
1
被爆の実態および調査 260
2
平和運動をめぐって 263
3
ヒロシマの戦後と世界の中のヒロシマ 266
Ⅲ
平和教育関係(大槻和夫)269
はじめに 269
1
長田新の平和教育論とその実践 269
2
教育学部附属中学校「原爆と平和」 271
3
教育学部社会科教室を中心とする調査研究 272
4
教育学部附属中・高校国語科の試み 273
5
教育学部附属小学校の『子どもと父母と教師が書いた、原爆の記憶』3部作 273
6
平和教育の発展の中で 274
おわりに 276
『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会、19770910 )所収
止
ヒロシマ国際アマチュア映画祭 1975年~
年月日
事項
1975
0629
第一回ヒロシマ国際アマチュア映画祭、ヒロシマ・グランプリにドキュメンタリー「ふたりぼっち」(迫田佳伸作品)が選ばれる。出品:国内140点、海外59点。
0806
第1回ヒロシマ国際アマチュア映画祭(同実行委員会、中国放送、中国小型映画連盟、日本ユネスコ協会共催)、広島県医師会館ホールで開催。
1976
0804
「ヒロシマを記録する8ミリ映画の会」、広島平和記念館で開催。
1977
0109
第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭募集規定掲載。(PRのページ)
0327?
このほど第2回「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」の締め切り近づき、応募作品と問い合わせ増加。
0417
ヒロシマ国際アマチュア映画祭に現在まで84編の応募作到着。
0608?
このほど「第二回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」の第1次審査終了。
0613
「第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」入賞作発表。グランプリにドキュメンタリー「江青丸」。
0804
第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭、ヒロシマグランプリなど表彰、一般公開。
0807
原爆の日特別番組「死者への便り」「第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」など放送.
0924
第2回ヒロシマ国際アマチュア映画祭鑑賞会、於三次市。
1978
0122?
このほど、第3回ヒロシマ国際アマチュア映画祭参加呼びかけ開始。
0628?
ヒロシマ国際アマチュア映画祭(中国放送など主催)参加作品募集中。
1979
0409
第3回国際アマチュア映画祭の入賞作品発表。
0728
第3回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の受賞作品発表上映会、広島市で開催。
1028
第3回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入賞作品、広島市の公民館で上映会。
1980
0215?
第4回「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」の作品公募始まる。
0608?
第4回「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」への応募作品の募集。
0801
ヒロシマ国際アマチュア映画祭入選作品上映会、広島市で開催。
0925
広島市祇園町の公民館で、ヒロシマ国際アマチュア映画祭入賞作品上映会開催。
1025
「ヒロシマ国際アマチュア映画祭入賞作品上映会」、広島市の公民館で開催。
1981
0413
第四回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の受賞作品、決定。
0719
「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」受賞作品発表上映会、開催。
0724
第四回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品発表上映会、東京で開催。(大阪・長崎でも。)
1982
0304
第5回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の応募規定、発表される。
0424
「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」優秀作品上映会、沖縄・那覇市で開催。
0606?
第5回ヒロシマ国際アマチュア映画祭、参加作品募集。
1983
0425
第5回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入賞作品決定。
0710
第5回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品発表上映会、広島市で開催。
0719
ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品を大阪市で上映。
1985
0303
ヒロシマ国際アマチュア映画祭、日本映画復興会議の第2回山本薩夫記念、日本映画復興奨励賞を受賞。
0422
第6回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品発表。戦争をテーマにした米の学生の作品「敵・味方に分かれて」、グランプリ受賞。特別賞に広島エイト倶楽部の「ちちをかえせははをかえせ」。
0707
第6回ヒロシマ国際アマチュア映画祭(同映画祭実行委など主催)の受賞作品発表上映会、広島市で開催。
1986
0220
第 7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭(同映画祭実行委、中国放送など共催)の募集要綱、決定。
0605?
第 7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭への応募作品募集。
1987
0427
第7会ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入賞作13点決定。
0504?
第7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入賞作決定。
0705
第7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品発表上映会・表彰式、広島市で開催。
0714?
第7回ヒロシマ国際アマチュア映画祭で長崎市長賞を受けた米のビデオ作家、来広し、原爆資料館など見学。
1988
0221?
「第8回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」の作品募集、開始。
1989
0424
第8回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入選作品24点、決定。
0716
第8回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の表彰式と受賞作品上映会、広島市で開催。
1990
0323
ヒロシマ国際アマチュア映画祭実行委、第9回映画祭の作品募集要綱を発表。
1218
広島市の 「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」と米の「バーモント・アースピース映画祭」が、姉妹縁組をむすぶことが決定される。
1991
0415
ヒロシマ国際アマチュア映画祭の受賞作品、決定。
0623
第9回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の受賞作品発表上映会・受賞式、広島市内で開催。米のアーズ・ピース国際映画祭からの提供作「サダコと千羽鶴」を上映。
0810
第9回ヒロシマ国際アマチュア映画祭受賞作品の上映会(長崎8ミリクラブなど主催)、長崎市で開催。
1993
0412
第10回国際アマチュア映画祭の審査結果が公表される。23か国206本の応募作品の中から三次市の教員の「平和を生きる-47年目の夏に」がグランプリ・内閣総理大臣賞に決定。
1997
0726
「第12回ヒロシマ国際アマチュア映画祭」受賞作品上映会、広島市内で開催。同映画祭はこれで打ち切り。
止
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