「05 原爆被災資料」カテゴリーアーカイブ

年表:原爆瓦

年表:原爆瓦

年月日 記事 備考
1948
0609? 広島市商工課観光係、原爆参考資料を収集、市民から資料となる石・瓦・木など募集(7月15日締切)。
1949
0929? 広島市、市内中央公民館内に、暫定的に原爆参考資料陳列室を開設。長岡省吾が中心となり、被爆岩石・瓦・コンクリートなど収集。
1950
0910? 広島原爆記念会、「被爆のカワラ」を講和会議の記念事業として発売し、その益金を原爆犠牲者の慰霊や復興資金に寄付することを計画。
1951
0910? 広島原爆記念会、「被爆のカワラ」の販売を計画。
0928? 長崎の浦上文化振興会、原爆瓦の売り出しを計画。
1978
0622? 終戦直後長崎で土産品として売られていた“原爆瓦”、京都市で保管。
0828 元安川東岸で被爆カワラが大量に見つかり、原爆資料館調査開始。
0829? 広島市観光協会、被爆カワラの破片を観光客に配布。
0922 広島市原爆資料館、元安川の被爆カワラについて、土産品扱いは困るので川から拾わないよう指示。
1979
1125 広島市の観音公民館で、「わたしの文化財展」開かれ、原爆カワラなど展示される。
1981
0213 広島県高校平和ゼミナール代表、広島市の元安河床美化事業に対し、河床の被爆ガワラの保存を申し入れ。
0601? 広島県平和ゼミナールのメンバー、元安川河床で被爆カワラ・ガラスなどを発掘。(週2時間)
0627 広島県高校生平和ゼミナール、元安川の被爆カワラ保存を訴え、広島市に河床工事の延期を要請。
0704 広島県高校生ゼミナール、元安川で「原爆カワラ発掘フィールドワーク」を実施。
0710 広島県原爆被爆教職員の会、元安川河床の被爆かわらの保存などを広島市に申し入れ。
0718 原爆瓦を守る若者の会など、原爆遺物発掘のため広島市に元安川河床美化工事延期を申し入れ。
0912 「第三回ひろしま自治体学校」開催。被爆ガワラの保存運動などについて報告(13日まで)。
0913 広島県高校生平和ゼミナールの呼びかけで、市内の小学生ら、元安川河原で被爆ガワラを収集。
1013 広島県原爆被爆教職員の会など6団体、元安川河床の被爆ガワラ保存問題で広島市と合意。(被爆ガワラでモニュメント建設)
1025 広島県高校生平和ゼミナール、元安川で「原爆かわら掘り」実施。
1030? 広島県高校生平和ゼミナール、被爆がわらのモニュメント建設のためのカンパ活動開始。
1031 広島市の安田女子高校文化祭で、平和学習の成果を報告(被爆かわらなどを展示し原爆コーナー設置)。
1101 広島市の鈴峯女子高文化祭で被爆がわらについての調査など展示発表。
1212 原爆ガワラ発掘を契機にした爆心直下の犠牲者のための慰霊碑「ヒロシマの碑」(仮称)の原形、発表される。
1982
0112 広島市立基町小学校生徒、被爆がわらモニュメント「ヒロシマの碑」建設資金募金活動を開始。
0128 広島市の城北学園で、生徒ら、「ヒロシマの碑」(原爆がわらモニュメント)建立募金を呼びかけ。
0328 長崎高校生平和ゼミナールのメンバー、長崎市の平和公園で原爆がわらを展示、反原爆を訴え。
0407? ヒロシマの碑建設委員会、被爆がわらによるモニュメント「ヒロシマの碑」の碑文を募集。
0417 呉市の高校生ら、呉市で、原爆がわらモニュメント「ヒロシマの碑」建立のための募金を呼びかけ。
0418 長崎高校生平和ゼミナール、爆心地周辺で被爆かわら発堀作業。
0501? 長崎高校生平和ゼミナール、平和を訴える手紙、原爆がわらなどをSSDⅡ参加者に託すことを決定。
0527 長崎高校生平和ゼミナール、SSDⅡに参加する長崎市長らに原爆がわらを寄託。
0602 10フィート運動・原爆記録映画欧米上映班、フィリップ・ノエルベーカー卿を訪ね、被爆カワラを寄贈。
0605 広島市の爆心地付近の川で掘り出した被爆がわら、平和記念公園内で一般公開(11日まで)。希望者へは配布。
0623 岡山県知事、同県議会で、寄贈された「『原爆かわら』は平和のための力にはならない」と答弁。
0703 広島県高校生平和ゼミナールの呼びかけで、「高校生と小学生の原爆かわらを掘るつどい」開催。
0708 原爆ガワラのモニュメント「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会、広島市で同碑の起工式。(8月5日除幕予定。)
0710 原爆がわら発掘運動を続けている広島県高校生ゼミナールの歩みをまとめた「原爆瓦‐世界史をつくる十代たち」、刊行。
0804 原爆ガワラ保存運動を推進した広島県高校生ゼミナール、第6回「子どもの文化賞」を受賞。
0815 特別番組「生命の讃歌~原爆瓦は語りつづける」(ラジオ)、放送。
0816 第6回アジア仏教徒平和会議、モンゴルで開催。広島市の小学校教諭、原爆がわらを持参。
0908? 広島市の小・中・高校の約6割が“原爆がわら”を教材として使用するとを決定。
0918 広島平和教育研究所、平和教育推進のため原爆がわらを全国の教組に配布する準備を開始。
1007 和歌山県立日高高校生徒、原爆がわらなど展示した学校祭で生徒・市民らが折った千羽ヅルを広島県高校生平和ゼミナールに送付。
1031 長崎高校生平和ゼミナール、浦上川沿いで原爆かわらなどを採掘。
1983
0217 原爆かわら発掘についての記録集、「原爆瓦は語りつづける」刊行。
0219 「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会、募金協力のお礼に全国の学校などに原爆がわらを寄贈。
0219 広島市の段原公民館、被爆がわらを展示、発掘した高校生らの体験発表会開催。(23日まで展示)
0403 長崎高校生平和ゼミナール、長崎市で被爆がわら発掘の集い、開催。
0529 京都市の立命館中学の生徒ら、修学旅行で長崎市訪れ、平和学習。被爆かわらを発掘。
07 広島平和教育研究所が全国各都道府県に贈った“原爆がわら”各地で反響を呼び、追加注文相次ぐ。
0805 広島市立江波小学校で、原爆がわらを使って児童らが作った平和の碑、完成除幕式。
12 北海道宗谷郡の浅茅野小中学校に原爆かわらを使ったモニュメント「願いの碑」完成し、除幕式。
1984
0106 「長崎高校生平和ゼミナール」が贈った、長崎の被爆ガワラ、ポーランドのアウシュビッツ国立博物館に展示
0325 長崎高校生平和ゼミナール、長崎市で原爆かわら堀り実施。約70人参加。
0421 倉敷市立中央図書館で原爆がわら展示(岡山県内では岡山市の県立図書館に次いで二番目)。
04 長崎市の民家で被爆かわら約1,800枚が使用されているのを発見。
0915 竹内武との話合いで所蔵の原爆瓦を広島市に寄贈することを決める。
1113 長崎市の爆心地近くの河川で、被爆かわらなどの原爆遺跡見つかる。
1119 原爆瓦など193点を原爆資料館に寄贈。
12 広島市の婦人、仏像の描かれた被爆がわらを広島市に寄贈。
1985
0401 広島県被爆教職員の会、来広した神奈川県議会の社会党議員団に原爆がわらを寄贈。
0406 「長崎高校生平和ゼミナール」、長崎市内で原爆かわら発掘を実施(約20人参加)(市民へも参加呼びかけ)。
0425 広島県高校生平和ゼミナールの集めた被爆がわら米ニューヨークの国連本部に寄贈されることが決定。(浄士真宗本願寺派安芸教区平和運動特別委が額にして作製。)
04 平和プロダクション、被爆かわらをテーマにした映画の製作を計画、脚本を依頼。
0706? 長崎国際会館への被爆資料の寄贈相次ぐ(昨年3月以来、原爆がわら・被爆者の衣類など、 224点)。
0828 長崎県原水協、長崎市平和公園で、観光客・修学旅行生らに、被爆がわらを配布。
0908? 呉市の平和プロダクション、原爆瓦をテーマにした映画の製作を準備中( 来年、クランクイン予定)
1009 長崎市のビル建設工事現場で、被爆したガラス瓶・カワラなど約 200点を発見。
1986
0729 「広島原爆病院の一日」写真展(写真家浜岡収撮影・灘神戸生協主催)、神戸市で開催( 8月 4日まで) 。被爆かわらなども展示。
0912? 呉市の映画プロデューサーら、被爆瓦を描いた映画製作支援のため、被爆瓦を使って一輪差しを制作。
1987
0122 ニュージーランドの女子高校生(2名)、来広し、広島市立国泰寺中学校生徒らと交歓。同校生徒から、「原爆がわら」を贈られる。
0725 長崎高校生平和ゼミナール、爆心地公園に建設する灯火台にはめ込む原爆がわらの整理作業を実施(8日に点灯式)。
0726 北海道の「ヒバクシャと共に行くヒロシマ平和の旅」の一行(10人)、来広し、原爆かわらの発掘など実施。
1988
0120 長崎県の布津町長、バチカンのローマ法王を訪問、長崎市長より託された被爆がわらを寄贈。
0210? 広島大学原医研など、黒い雨降雨地域解明のため、屋根がわらの残留放射能調査に着手。かわらの提供を呼びかけ。
0315 広島県立ろう学校生徒、ピース・ガーデン造りを進めている米のろう学校に贈るため、元安橋下で被爆がわらを収集し、平和学習。
0326 米での第3回国連軍縮特別総会に届ける「長崎原爆の火」、長崎市の平和公園で採火 式。被爆がわらにドリルで穴を開けて採火(約200人参加)。
0508 広島市立本川小学校(爆心から約350メ-トル)の被爆校舎の一部を補修し、「平和資料室」として開館。原爆がわらなど被爆資料約100点を展示。
0731 舞鶴市の寺院に、長崎市の被爆がわらと原爆後遺症で死亡した少女の遺髪を納めた禅堂が建立され、落慶法要。
0803? 広島市の白神社(爆心から約600メ-トル)の建て替え工事現場で、被爆したかわら など(約30点)発堀。広大工学部、被爆放射線量の測定を計画。
1105? 広島県双三郡三良坂町の「第11回ふるさとまつり」で、「第3回平和・戦争・原爆資料展」(「町平和を願う会」主催)、開催(6日まで)。原爆かわらなど約300点を展示。
1989
0715 米コネチカット州の高校教諭ジェラルド・ブルーカー、来広し、米高校生らが折った千羽づるを原爆の子の像にささげる。16日、元安川で原爆がわら発掘。
1990
0420? 広島市の特別名誉市民フロイド・シュモー、米シアトル市に平和公園を建設中。被爆かわらなどを配置することを計画。
0428 「広島・長崎の火を灯す会」メンバ-(10人)、長崎市を訪れ、被爆かわらを発掘、収集。8月に東京で点火する「長崎の火」の採火に使用することを計画。
1991
0706 廿日市市立宮園小学校、平和集会を開催。原爆がわらの実験などを実施。昨年に続いて2回目。
1992
0805 六角彰(福岡県直方市在住)、長崎市内で長崎の被爆瓦と原爆投下予定地であった小倉市の土で製作した横笛で鎮魂曲を演奏。「ピース・ウィーク」の行事の一環。
1993
0424 「日独平和フォーラム」の訪独団一行14人、被爆瓦や本島長崎市長のメッセージなどを携えて出発。
1994
0419 京都市立修学院小学校6年の166人、修学旅行で広島を訪れ、アジアからの南方特別留学生が寄宿していた「興南寮跡」で集会を開催。広島市内の教師から自宅の被爆瓦を贈られる。
0815 広島県佐伯町の佐藤亨、一家の消息を炭で書いた被爆かわらを広島市の原爆資料館へ寄贈。
1995
1025 広島高校生平和ゼミナールの生徒、井上ひさしの戯曲「父と暮らせば」の広島公演に出演した俳優に原爆かわらをプレゼント。
1996
0411 長崎市の平和公園爆心地地区の護岸工事で、被爆瓦やガラス瓶などが大量に出土していたことが判明。12日、長崎市、整備工事を一時中断することを明らかにする。
0509 長崎市、遺骨や被爆かわらが出土した爆心地公園の護岸工事を、被爆資料を現地保存して公開するため計画変更することを決める。
0509? 建設省による広島市の原爆ドームの護岸整備工事現場で表面の焼けたかわらや学生服の陶製ボタンなど100キロ以上の遺物が出る。
0615 長崎市、市営ラグビー・サッカー場改築工事に伴う試掘調査で被爆がわらなど約40点を見つける。
0617 原爆ドーム対岸の親水護岸工事を行っている中国地建と工事関係者ら、工事中に見つかった被爆がわら約4000点の慰霊式を実施。18日、原爆資料館に寄贈。22日、完成式を挙行。
1997
0505? 愛媛県菊間町に開館予定の「かわら館」に広島原爆資料館から同町で作られた被爆瓦が永久貸与されるこことなる。22日、引き渡される。
1998
0815 広島市内在住の被爆者・船井洋治、被爆した「唐獅子瓦」を広島市の原爆資料館に寄贈。

 

 

原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録

『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』
「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会(編・刊)1983/02/21

目次
◆『八月六日』 峠三吉 1
◆『あの時…』 小林岩吉 2
◆『水ヲ下サイ』 原民喜 4
◆建立除幕によせて 5
石田明/河野浩樹/荒木武 7
若者の願いはばたけ 森下弘 11
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 森滝市郎 12
原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13
君たちは知ったのです 宮崎安男 14
ヒロシマの碑建立に思う 藤本幸作 15
『高校生の平和アピール』の意味するもの 松崎徹 16
高校生の平和アピール・行動提起 17
原爆瓦の叫び今こそ 大亀信行 18
小さなともしびから大きな炎へ 吉川徹忍 19
青春のエネルギーに囲まれて 土肥穣治 20
◆ちかいのことば 21
小学生のちかい・斉藤力(福山市立旭丘小学校 児童会代表)23
中学生のちかい・林文子(広島市立翠町中学校 生徒会代表)24
若者のちかい・山口小百合(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール)25
◆碑・制作を終えて 27
『ヒロシマの碑』の思想 横山英 28
モニュマンの空高く 芥川永 30
平和を願う心の目を 吉田正浪 31
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して 深川宗俊 34
『原爆瓦』を追う映画を 田辺昭太郎 38
◆建設のあしどり 山下希昭 39
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし 41
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 62
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌)63
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 69
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで 71
平和学習のシンボルとして 沢野重男 72
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 73
◆ヒロシマの碑プロフィール 77
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り 91
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 123
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 深川宗俊 131
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 丸山亜季 146
◆附属資料 147
1 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英)149
2 除幕式関係・各社報道記事(紙面)151
3 ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり 157
4 広島市長『平和宣言』 166
5 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 188
6 平和の歌 歌曲集 232

 

広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会陳情運動日誌

「原爆放射能医学研究所設置」・「原爆医療法中二粁の制限拡大」・「戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒・女子挺身隊・義勇隊等の時限法改正」に関する陳情運動日誌
(広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会 1962年2月)

はしがき
昭和三十四年九月原爆医療法の一部改正を目的とする政治運動展開を企図して構成された本対策委員会は、同年、画期的な同法改正に成功、翌三十五年原爆放射能医学研究所設置運動に乗り出し、僅々一カ月の短期間において同所究所創設にかかる予算獲得・法律改正を奇蹟的に果し、引続き三十六年には、特別被爆者の二粁制限撤廃に立ち上り、遂にその制限を三粁に拡大する予算獲得に成功し、ここに原爆問題の当面する重要案件を殆んど処理し終えたものである。
本委員会が斯る華々しい成果を収め得たのは、自民党幹部を始めとする関係各位の強力は御支援・御協力によるところであるが、特に運動の推進役を担当して貰った自民党広島県支部連合会被爆者対策委員長・広島市被爆者対策委員長任都栗司君の献身的努力に負うところ極めて多く、ここに改めて深甚なる敬意と謝意を表明するものである。
本委員会は、運動の当初より事務局をして運動の詳細を記録せしめていたものであるが、原爆問題の重要案件を殆んど処理完了した今日、ここにこれが運動日誌を公にし、格別の御協力を賜わった関係各位に対し心からの謝意を表すとともに、将来の参考とすることとした。
各位の御高覧を御願いして止まない。
昭和三十七年二月
広島長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会
常任委員 参議院議員 岩沢 忠恭

目次(其の一)

年月日
昭35(1960)
0922~1210
1.原爆医療法中2粁の制限拡大問題に関し、主として厚生省当局の意向を打診
1212-1213 1.原爆被害者医学総合研究機関の設置に関し関係各方面と基礎的打合わせ(特に所管省問題)をなす。
2.本対策委員会、昭和35年運動目標を原爆被害者医学総合研究機関の設置に置くことに決定。
1214-1221 1.広島市及び長崎市の原爆問題関係機関と打合せの結果、原爆医学研究機関の設置について地元の意識統一成る。
2.原爆医学研究機関設置にかかる陳情書作成
1223-1227 1.原爆医学研究機関設置に関し、関係各方面、特に自民党政調会文教部会に対し、陳情書提出の上、強力に陳情。
2.文部省当局に対し、原爆医学研究機関設置に関し、陳情運動展開中の旨連絡、表面化した場合引受け方陳情
1227 1.原爆医学研究機関設置の案件、広島大学に附置することとし、自民党政調会文教部会において満場一致をもって採択に決定
1228-0105昭36(1961) 広島大学当局に対し、原爆医学綜合研究機関設置に要する必要予算を至急追加要求方要請
2.広島大学との協同陳情書(要求予算を含む)作成
昭36(1961)
0106~0107
1.広島大学より広島原爆放射能医学研究所にかかる追加要求予算書を文部省当局に提出
2.広島大学より文部省に対し、提出の追加要求予算内容一部訂正の上、必要陳情書作成
0106~0107 1.自民党役員、同政調会役員、文教部会役員に対し、訂正陳情書を提示の上原爆放射能医学研究所問題の採択方について強力に陳情
2.自民党政調会文教部会は、政調役員会に対し原爆放射能医学研究所予算四億六百万円を要求することに決定
0107-0109 1.自民党政調役員会において原爆放射能医学研究所関係予算満場一致をもって採択に決定
0109-0111 1.自民党政調会副会長並びに各部会長合同会議において原爆放射能医学研究所関係予算採択に決定
2.大蔵省に対し、関係有力者を通じ、協力に陳情
0111-0115 文部省は、大蔵省当局に対し、新規追加要求予算として原爆放射能医学研究所予算四億六千六百万円を提出
0116-0117 1.広島原爆放射能医学研究所設置に要する関係予算、大蔵省第三次査定に於いて二カ年継続事業として遂に承認を受く
2.本件に関し格段の協力を賜った自民党役員、同政調会役員、その他関係各位に対し、御礼挨拶廻りをなす。

 

目次(其の二)

年月日
昭36(1961)
00403~1003
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法中、学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関し、運動の基本的打合せ、陳情書の作成、国会に対する請願書の提出並びに同請願の衆議院社会労働委員会において採択に至るまでの陳情
2.、原爆医療法中二軒の制限拡大に関し、運動の基本的打合せ、拡大の必要性を裏付ける資料の蒐集並
びに二粁制限拡大に伴う経費の昭和三十七年度厚生省要求予算に計上に至るまでの陳情
3.昭和三十六年度原爆医療法一般疾病医療費予算の不足に伴う予備費補充に関する陳情
4.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度予算要求に関する陳情
1004-1116 1.原爆医療法中二粁の制限拡大にかかる経費について、昭和三十七年度厚生省要求予算に計上決定に伴い、関係各方面に対し、これが予算獲得に関する基礎的陳情運動
1128-1211 1.原爆問題陳情運動の一元化、漸くにして決定
2.二粁制限拡大の必要性を裏付ける資料蒐集、漸く完成し、陳情書作成
1212-1216 1.原爆医療法中二粁の制限拡大の必要性について、関係各方面、主として自民党政調会、社会部会並びに大蔵省に対し、陳情書を提出の上、強力に陳情
2.二粁制限拡大の案件、自民党政調会社会部会を満場一致をもって通過
3.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度事業並びに長崎支所設置の明年度予算獲得について関係方面に強力に陳情
1217-1219 1.二粁の制限拡大に関し、自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、関係有力者を通じ、強力に陳情
1220-1221 1.明年度予算にかかる大蔵省第一次査定の結果、二粁制限拡大に要する予算全額ゼロ査定を受く
1222-1223 1.二粁軒制限拡大関係要求予算、大蔵省第一次査定に於いて全額不承認の結果に基き、これが復活要求について自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、引続き強力に陳情
2.広島原爆放射能医学研究所残事業にかかる要求予算、大蔵省第一次査定において不承認の結果に基き、自民党政調会関係役員にこれが復活要求について陳情
1224-0105昭37(1962) 1.二粁制限拡大関係要求予算、大蔵省第二次査定において三粁に拡大することとする基本線に基き、遂に承認を受く。
2.、戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関する予算、厚生大臣、大蔵大臣の大臣接渉において、昭和三十八年度予算に計上することに確約を得る。
2.本件に関し、格段の協力を願った自民党役員、同政調会役員その他関係各位に対し、御礼の挨拶廻りをなす。

 

 

 

原爆瓦は語りつづける

『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」維持委員会編・刊、19830221 )

目次

◆『八月六日』 峠三吉
◆『あの時…』 小林岩吉
◆『水ヲ下サイ』 原民喜
◆建立除幕によせて
ごあいさつ 石田明
ごあいさつ 河野浩樹
 ごあいさつ 荒木武
若者の願いはばたけ 森下弘
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 森滝市郎
原爆瓦が語るもの 佐久間澄
君たちは知ったのです 宮崎安男
ヒロシマの碑建立に思う 藤本幸作
『高校生の平和アピール』の意味するもの 松崎徹
高校生の平和アピール・行動提起
原爆瓦の叫び今こそ 大亀信行
小さなともしびから大きな炎へ 吉川徹忍
青春のエネルギーに囲まれて 土肥穣治
◆ちかいのことば
小学生のちかい (福山市立旭丘小学校 児童会代表) 斉藤力
中学生のちかい(広島市立翠町中学校 生徒会代表) 林文子
若者のちかい(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール) 山口小百合
◆碑・制作を終えて
『ヒロシマの碑』の思想 横山英
モニュマンの空高く 芥川永
平和を願う心の目を 吉田正浪
『ヒロシマの碑』に思う 林重男
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して 深川宗俊
『原爆瓦』を追う映画を 田辺昭太郎
◆建設のあしどり
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌)
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで
平和学習のシンボルとして 沢野重男
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点
◆ヒロシマの碑プロフィール
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 深川宗俊
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 丸山亜季
◆附属資料
1  原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英)
2  除幕式関係・各社報道記事(紙面)
3 ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり
4  広島市長『平和宣言』
5  一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』
6 平和の歌 歌曲集

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●発行者 広島平和記念資料館啓発担当

 

 号 発行年
月日
 記事  著者等
2003
創刊準備 0718 メールマガジンの創刊にあたって 畑口實(広島平和記念資料館長)
「コラムは、広島平和記念資料館の運営をしている( 財 )広島平和文化センター齊藤忠臣理事長を中心に、私を含めた資料館のスタッフが執筆していきます。このコラムでは、ヒロシマにまつわるいろいろな話題や資料館に来られた方とのエピソード等を読みやすい文章でお伝えする予定です。ご期待ください。」
創刊 0801 コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
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 平成15年度第一回企画展「原子爆弾ナリト認ム」―原爆投下後に行われた被爆調査の軌跡を追う― の概要をご覧いただけます。
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ヒロシマの風
 斎藤忠臣
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ヒロシマの風
 畑口實
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ヒロシマの風
 斎藤忠臣
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ヒロシマの風
 斎藤忠臣
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ヒロシマの風
  畑口實
対話ノートから
「対話ノートは、1970年10月17日から、当館西館北側ロビー出口付近に設置しており、館内展示を観覧された方々に、
記名匿名にかかわらず、自由に感想を書いていただいてい
ます。来館者同志、あるいは来館者と資料館職員との対話
のためのノートです。
対話ノートの冊数は、今年12月26日現在で879冊。今月は
対話ノートに残された海外から来館された方の感想をごく
一部ですが、紹介いたします。」
 2004
7 0130 コラム
ヒロシマの風
広島平和記念資料館 副館長(啓発担当)山本靖彦
「昨年10月、市民の方から「啓発という言葉は不遜ではな
いか」という趣旨の投書をいただいた。私どもの職場の名
称である『啓発』という言葉には、「役人が市民を教育す
るというようなニュアンスが感じられる。この役所的なネ
ーミングを変えるつもりはないか。」
これに対し、私ども啓発担当として、「『啓発』という言
葉には、“知識をひらきおこし理解を深めること(広辞苑
新村出編第四版)”という意味があり、『啓発担当』のネ
ーミングは、原爆による広島の被害状況や平和への取り組
みについて普及し、理解を深めたいとの思いから付けられ
たものであり、(中略)教育しよう、ということでこの名前
になったものではない」と、その市民の方には回答申し上
げた。もちろん、今後、組織改正の際などに検討していき
たい旨の一文も添えた。」
資料館
ニュース
ヒロシマを知る講座(第二回)
「復興資料を読み解く」講師 松林俊一(広島市文化財団文化財課普及担当課長)
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ヒロシマの風
 広島平和記念資料館 副館長(学芸担当) 高野和彦
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ヒロシマの風
 齊藤忠臣
広島市内の学校における平和への取組み(1) 平和学習のため、全国から多くの学校が、広島、長崎そして沖縄などの地を修学旅行で訪れます。
もちろん、広島においても、多くの学校が被爆体験を正しく伝え、平和について考え、平和を創造していくための様々な取り組みや活動を行っています。
千羽鶴で有名な佐々木禎子さんの母校・広島市立幟町中学校では、かつて「原爆の子の像」建立の原動力となる行動を起こしました。平成12年には校内に「折り鶴の碑」を設立。平成13年には、サダコの物語を漫画化した「わたしからのメッ
セージ」を刊行。現在も「平和委員会」を中心に「原爆の子の像」碑前祭、県内外の学校との平和交流など、平和に関する様々な行事を行っています。(詳しくは↓の学校のホームページをご覧ください)
http://www.noborichou-j.edu.city.hiroshima.jp/これからも、随時、特徴的な具体例を取り上げて紹介したいと考えています。みなさんの学校での平和学習や平和への取組みの参考になれば幸いです。
  読んでみたい―この一冊 吉田守男 『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日新聞社(朝日文庫) 本体640円 ISBN-02-261353-X C0121
「第二次世界大戦末期、京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都が米軍の空襲を免れたのは、日本の文化・芸術をこよなく愛し、それを戦禍から守ろうと政府に働きかけた米国人学者の努力のお蔭である」
こんな逸話に聞き覚えがありませんか?
この本の著者は、この「伝説」の拠り所になった事柄を精緻に考察し、伝説が創られた過程を検証しています。つまり、戦争中、京都の文化財保護のために尽力したといわれるウォーナー博士の「伝説」は、終戦直後の情報不足からくる噂話を利用して、GHQ民間情報教育局(CIE)が作り上げた
ものではないだろうかと。そして、京都が空襲を免れたのは、「原爆投下候補地に指定されていた」ためであるといいます。
未知の兵器である原爆の威力を正確に測定するため、原爆の投下目標になった都市(広島・新潟など)は『爆撃禁止都市』に指定されていました。8月15日の終戦がなければ、京都に3発目の原爆が投下されていた可能性もあったのです。
著者が示した原爆と京都の関係は、あまり声高に語られてきませんでした。未だに古都の景観保存運動では、「米国人が残してくれた町並みを日本人が壊すのか」という話をよく聞きます。この本を読みながら、あなたも「伝説」の謎解きに参加してみませんか。
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ヒロシマの風
 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
館長 前田耕一郎
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臨時  0430  広島平和記念資料館メールマガジンの休刊について  当館では、資料館東館・本館のリニューアルオープン(平成30年夏予定)に合わせて、メールマガジンを一新するよう検討しています。
このため、しばらくの間、メールマガジンを休刊しますので、ご理解いただきますよう、よろしくお願いします。
生まれ変わるメールマガジンを、どうぞご期待ください。

 

 

ヒロシマの被爆建造物は語る(目次)

ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録(被爆建造物調査研究会編、広島平和記念資料館、19960331)

部章節
序章
第1部 図説編
1-1 被爆建造物の被害の概要
1-2 被爆建造物の全体像
1-3 図説
1-3-1 平和記念公園・周辺地区
1-3-2 紙屋町・本通地区
1-3-3 銀山・幟地区
1-3-4 基町・白島地区
1-3-5 国泰寺・千田地区
1-3-6 十日市・中広地区
1-3-7 牛田・広島駅周辺地区
1-3-8 比治山・仁保地区
1-3-9 皆実・宇品地区
1-3-10 吉島・舟入・観音地区
1-3-11 己斐・草津地区
1-3-12 三篠・祇園地区
第2部 概説編
2-1-1 原爆とその物理的影響
2-1-2 被爆建造物の保存の意義を考える
2-1-3 被爆建造物と都市
2-1-4 被爆前の広島の建築文化
2-1-5 被爆建造物の保存・継承のあゆみ
2-1-6 被爆者の医学的検討
2-1-7 国民学校と被爆
2-1-8 橋と被爆者
2-1-9 日本の戦争遺跡
2-1-10 ヨーロッパの戦争遺跡
第3部 資料編
年表
被爆建物の変遷
被爆建造物リスト
原爆被災説明板の一覧

帝国銀行広島支店

帝国銀行広島支店

現在* アンデルセン
竣工時 帝国銀行広島支店
*出典『ヒロシマの被爆建造物は語る』
爆心地からの距離 0.36キロメートル
所在地 中区本通7-1(革屋町)
竣工時期 1925(大正14)年2月
構造/階数 RC造/2階建
設計者/施工者 大倉土木

 

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2009年8月19日撮影

 

 

 

原爆ドーム保存運動

原爆ドーム保存運動

1964(昭和39)年12月22日、広島の3つの原水禁団体(原水協・原水禁・核禁会議)を含む11の平和団体代表は、浜井信三広島市長に原爆ドームの永久保存を要請した。この要請は、原水禁運動が分裂して以来はじめての3団体の共同行動であった。

原爆ドームの存廃については、48年ごろから市民の間で繰り返し論議が起こっていた。1949年10月、広島市調査課が実施した「広島原爆体験者についての産業奨励館保存の是非と平和祭への批判と希望に関する世論調査」によると428人の回答者のうち、「保存を望む」が62%、「取り払いたい」は35%であった。また、浜井市長自身、1951年8月、座談会で「私は保存のしようがないのではないかと思う。石の人影、ガスタンクとも消えつつあるし、いま問題になっているドームにしても金をかけさせてまで残すべきではないと思っています」と保存にたいし消極的な発言していた。

しかし、市長は、11団体の要請に対し、「来年度予算案に調査研究費を計上して、専門家に保存方法を研究させる」と、初めて保存の意志を明らかにした(『中国新聞』1964年12月23日)。さらに、1966年7月11日には、広島市議会が原爆ドーム保存を全会一致で決議、同年8月6日には、浜井市長が改めてドーム保存の意志表示をおこなうとともに、工事費4000万円を国内外の募金によって賄う方針を示した。

1966年11月1日から開始された広島市の募金活動の呼びかけには、原水禁国民会議・社会党・総評・原水協・世界アピール7人委員会などが支持を表明した。しかし、当初募金活動ははかばかしい成果をみせなかった。募金が進展したのは、マスコミが全国的なキャンペーンに乗り出した翌67年2月以降のことである。3月13日には、目標の4000万円の突破が明らかになった。募金は、翌14日の市長の打ち切り声明にもかかわらず、以後も続いた。

原爆ドームの存廃については、48年ごろから市民の間で繰り返し論議が起こっていた。1949年10月、広島市調査課が実施した「広島原爆体験者についての産業奨励館保存の是非と平和祭への批判と希望に関する世論調査」によると428人の回答者のうち、「保存を望む」が62%、「取り払いたい」は35%であった。また、浜井市長自身、1951年8月、座談会で「私は保存のしようがないのではないかと思う。石の人影、ガスタンクとも消えつつあるし、いま問題になっているドームにしても金をかけさせてまで残すべきではないと思っています」と保存にたいし消極的な発言していた。

しかし、市長は、11団体の要請に対し、「来年度予算案に調査研究費を計上して、専門家に保存方法を研究させる」と、初めて保存の意志を明らかにした(『中国新聞』1964年12月23日)。さらに、1966年7月11日には、広島市議会が原爆ドーム保存を全会一致で決議、同年8月6日には、浜井市長が改めてドーム保存の意志表示をおこなうとともに、工事費4000万円を国内外の募金によって賄う方針を示した。

1966年11月1日から開始された広島市の募金活動の呼びかけには、原水禁国民会議・社会党・総評・原水協・世界アピール7人委員会などが支持を表明した。しかし、当初募金活動ははかばかしい成果をみせなかった。募金が進展したのは、マスコミが全国的なキャンペーンに乗り出した翌67年2月以降のことである。3月13日には、目標の4000万円の突破が明らかになった。募金は、翌14日の市長の打ち切り声明にもかかわらず、以後も続いた。

表1.原爆ドーム保存募金月別寄金状況

区 分 件数 金額(円)
1966年11月 238 3374473
12月 334 2031332
1967年1月 258 1857547
2月 1546 8143103
3月 6386 34115718
4月 2214 9578308
5月 105 4725862
6月 66 1925639
7月 12 405639
11159 66197816

出典:『ドームは呼びかける-原爆ドーム保存記念誌』

 募金総件数11,159件約6620万円のうち、8,728件(78.2%)約3664万円(55.4%)は、広島県内を除く日本全国各地からの寄金であり、募金運動へののべ参加人数は130万人を超えている。

 

浜井広島市長の談話
被爆者の中にも、原爆ドームには両論ありましてねえ。早く忘れたい、あれがあると町に出るのが苦痛だという人もあったんです。まあ、最近、あの建物を解いて組み直す必要があるという専門家の意見もあるんですが、私らはそんなことは必要ない、あのままでいいという気持ちなんですが、置いておいても十年ぐらいはなくなるものでなし、終局的には次の世代の人が決めればいいんですねえ(注=保存調査のために今年度、市は百万円の予算を計上)。私の原則論は、当時のものはとり去り、資料的なものは資料館の中にいれたい、そして政府が”白書運動”を取りあげれば、それは結構なことで、ぜひ手をつけてもらいたいということです。
出典:『週刊新潮』1965年6月5日号