広島平和記念資料館平和データベースの中の「原爆ドーム」 検索年月日:2020年1月7日http://www.pcf.city.hiroshima.jp/database
分類 | 件数 |
被爆資料 | 403件 |
写真 | 60件 |
原爆の絵 | 86件 |
美術品 | 17件 |
本【単行本】 | 551件 |
本【雑誌】 | 125件 |
音楽・音声 | 1件 |
動画 | 17件 |
被爆者証言ビデオ | 4件 |
広島平和記念資料館平和データベースの中の「原爆ドーム」 検索年月日:2020年1月7日http://www.pcf.city.hiroshima.jp/database
分類 | 件数 |
被爆資料 | 403件 |
写真 | 60件 |
原爆の絵 | 86件 |
美術品 | 17件 |
本【単行本】 | 551件 |
本【雑誌】 | 125件 |
音楽・音声 | 1件 |
動画 | 17件 |
被爆者証言ビデオ | 4件 |
広島県産業奨励館(原爆ドーム)
現在* | 原爆ドーム |
竣工時 | 広島県物産陳列館 |
*出典『ヒロシマの被爆建造物は語る』 | |
爆心地からの距離 | 0.16キロメートル |
所在地 | 中区大手町11丁目10(猿楽町) |
竣工時期 | 1915(大正4)年4月 |
構造/階数 | レンガ造/3階建 |
設計者/施工者 | ヤン・レツル/椋田組 |
被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(被爆建物等継承方策検討委員会、平成4年[1992年]8月)目次
平成4年8月20日 委員長 庄野直美 ➡ 広島市長 平岡敬 | ||
Ⅰ | まえがき | |
Ⅱ | ||
Ⅲ | 本委員会の審議経過と意見 | |
参考 | 被爆建物等継承方策検討委員会 | |
1 | 被爆建物等継承方策検討委員会開催状況 | |
2 | 被爆建物等継承方策検討委員会設置要綱 | |
3 | 被爆建物等継承方策検討委員会委員名簿 |
被爆建物等継承方策検討委員会 設置:1991年7月24日
Y | M | D | 事項 |
91 | 06 | 19 | 浜井広島市長室長、市議会総務委員会で、「被爆建物等継承方策検討委員会」(仮称)を7月中旬に設置することを発表。 |
91 | 07 | 24 | 広島市「被爆建物等継承方策検討委員会」を設置。委員=石丸紀興・宇吹暁・小原誠・河合護郎・庄野直美・空辰男・田中茂・葉佐井博巳・平川浩子・平松スエノ・松重美人・横田工・浜井澄人・佐伯邦昭・鍋岡聖剛。 |
91 | 08 | 21 | 広島市、被爆建物等継承方策検討委員会の初会合を開催。庄野直美を委員長に選ぶ。 |
91 | 10 | 04 | 「被爆建物等継承方策検討委員会」、第2回会合を広島市役所で開催。「キリンフォーラム」の被爆外壁タイルの保存を要請することを申し合わせ、マツダ宇品工場内の被爆建造物などを、調査対象リストに追加。 |
91 | 10 | 29 | 広島市の「被爆建物等継承方策検討委員会」の第3回委員会、市役所で開催。原爆遺跡保存運動懇談会の意見を聴取。 |
91 | 12 | 04 | 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会、第4回の会合を開催。広島赤十字・原爆病院の一部を現地保存するよう市が病院と協議するよう求める。 |
92 | 02 | 04 | 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会の委員8人、市内の被爆建物9か所を視察。視察した被爆建物=広島市役所、広島大学理学部、広島赤十字・原爆病院、広電変電所、旧陸軍被服支廠、広島銀行銀山支店、旧陸軍司令部通信室、本川小学校、レストハウス(予定)。 |
92 | 02 | 14 | 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会、5回目の会合を開催。公有の被爆建物の保存策を検討。 |
92 | 04 | 21 | 広島市、被爆建物等継承方策検討委員会の6回目の会合を開催。広島逓信病院、文理科大学、広島高等学校、日銀、兵器支廠、兵器学校、などの継承方策について検討。 |
92 | 05 | 26 | 広島市、第7回被爆建物等継承方策検討委員会を開催。民有の被爆建物の継承方策の検討など。 |
92 | 07 | 15 | 広島市、第8回(最終)被爆建物等継承方策検討委員会を開催。取りまとめ案の検討。 |
92 | 07 | 16 | 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会、最終会合を開催。平岡市長に提出する答申案を固める。 |
92 | 08 | 20 | 庄野直美広島市被爆建物継承方策検討委員会委員長、平岡市長に被爆建物の保存・継承方法についての報告書を提出。 |
被爆建造物を考える会
設立:1989(平成元)年7月16日
目的:「本会は、広島の街から次第に姿を消そうとしている被爆建造物をとおして、歴史的な意味を持つ広島の体験をどう次代に伝えていくか多面的に検討し、市民に被爆体験の継承について考える機会を提供することを目的とする。」(会則第2条)
事業(会則第3条)
本会は、前条の目的を達成するために以下の事業を行う。
①被爆建造物の存在を広く市民に認識してもらうために、フィールドワークやスケッチ大会、シンポジウムなどを開催する。
②他都市における歴史的建造物保存の試みなどについて調査する。
③広島に残る被爆建造物について、専門家による多角的な調査・研究活動を行う。
④調査・研究活動の成果をまとめ、報告書として出版する。また、市民、子ども向けの被爆建造物マップ、解説書などの出版活動を行う。
⑤その他、会報発行など目的達成に必要な事業を行う。
動向
年月日 | 事項 | |
1989 | ||
07 16 | 「原爆遺跡を考える会」、広島市で発足。呼びかけ人に飯島宗一・新藤兼人・庄野直美ら。原爆遺跡への関心を高め、被爆建造物の調査などを計画。事務局を広島平和教育研究所に設置。 | |
07 25 | 「被爆建造物を考える会」主催原爆遺跡をめぐるフィールドワーク、広島市で実施(約60人参加)。広島赤十字・原爆病院・広大理学部などを見学。 | |
07 30 | 「被爆建造物を考える会」、広島市内各所で、被爆建造物を描くスケッチ大会を開催(約30人参加)。 | |
0925 | 「被爆建造物を考える会」。於教育会館<宇吹メモ> | |
12 24? | 「被爆建造物を考える会」による本格的な調査活動、開始。同会社会部会、原医研資料センターの資料で被爆建造物について調査。 | |
1990 | ||
08 02 | 「被爆建造物を考える会」、広島信用金庫横川支店で現地調査。その他の建造物についても調査中。 | |
11 25? | 「被爆建造物を考える会」の葉佐井博巳広大教授ら、広島市内の被爆建造物の残留放射能を測定し、各地点の中性子量を算出。それによると、日米合同委員会による被曝線量推定方式DS86とは大差。 | |
12 03 | 「被爆建造物を考える会」、調査結果をまとめた「広島の被爆建造物-被爆45周年調査報告書」(監修者:庄野直美、発行者:被爆建造物を考える会、発行所:朝日新聞広島支局、発行日:1990年12月1日)を作成。 | |
12 08 | 「被爆建造物を考える会」、広島市で、記念シンポジウムを開催(約300人参加)。大江健三郎による講演「壊れものとしての人間と文化」など。 | |
広島市庁舎被爆石等譲与
★旧庁舎解体時期 1985年10月~1986年2月
旧庁舎の敷石等の譲与譲与状況(1988.01.01)
区分 | 譲与 団体数 |
譲与物件 | ||
敷石 | 側壁石 | その他 | ||
地方公共団体 | 32 | 83 | 27 | 35 |
被爆者団体 | 4 | 4 | 1 | 7 |
学校関係 | 8 | 5 | 1 | 22 |
市公共施設 | 4 | 188 | 1 | 13 |
姉妹都市等 | 1 | 1 | – | – |
その他 | 5 | 8 | 2 | 2 |
計 | 54 | 289 | 32 | 79 |
【被爆石残数調】(1988.01現在)
*敷石 60枚
*側壁石 50枚
*その他 200個(小片を含む)
☆依頼の一番早い都市
北海道深川市(1985年5月1日)
☆譲渡のの一番早い都市
鳥取県西伯郡名和町(1985年11月15日)
☆最北端の都市
北海道深川市
☆最南端の都市
大分県北海部郡佐賀関町
☆外国の都市
ソ連邦ボルゴグラード市
原爆遺跡一覧(広島市内)
名称(被爆時) | 距離(km) | 所在地(旧町名) | no. | ||
広島県産業奨励館 (原爆ドーム) |
0.16 | 中区大手町11丁目10 (猿楽町) |
006 | ||
燃料会館 (レストハウス) |
0.17 | 中区中島町1-1 (中島本町) |
007 | ||
帝国銀行広島支店 (アンデルセン) |
0.36 | 中区本通7-1 (革屋町) |
022 | ||
日本銀行広島支店 | 0.38 | 中区袋町5-16 (袋町) |
023 | ||
頼山陽史跡資料館 | 中区袋町5-15 | ||||
本川国民学校校舎 | 0.41 | 中区本川町1丁目5-39 (鍛治屋町) |
026 | ||
袋町国民学校 | 0.46 | 中区袋町6-36 (袋町) |
029 | ||
大林組広島支店 | 0.49 | 中区本通3-10 (平田屋町) |
032 | ||
福屋百貨店 | 0.71 | 中区胡町6-26 (胡町) |
043 | ||
中国軍管区司令部防空作戦室 | 0.79 | 中区基町21 (基町) |
049 | ||
広島城跡 | 0.98 | 中区基町21-1 (基町) |
|||
広島市役所 (旧庁舎資料展示室) |
1.02 | 中区国泰寺町1丁目6-34(国泰寺町) | 062 | ||
広島中央電話局西分局(NTT広島西営業所) | 1.08 | 中区西十日市町10-15 (北榎町) |
063 | ||
縮景園 | 1.20 | 中区上幟町2-11 | |||
広島陸軍幼年学校 炊事室 |
1.34 | 中区白島町19-8 (基町) |
077 | ||
広島逓信病院 | 1.37 | 中区東白島町19-16(基町) | 079 | ||
広島文理科大学本館 | 中区東千田町1丁目1-89(東千田町) | ||||
広島赤十字病院 | 中区千田町1丁目9-6 | ||||
千田国民学校講堂 | 中区東千田町2丁目1-34(千田町2丁目) | ||||
多聞院 | 南区比治山町7-10 | ||||
電気試験所 広島出張所 |
西区三篠町1丁目15-3(三篠本町1丁目) | ||||
山陽文徳殿 | 南区比治山町7-1 (段原町) |
||||
住友銀行 東松原支店 |
南区猿猴橋町3-7 (猿猴橋町) |
||||
広島電鉄千田町変電所 | 中区東千田町2丁目9-29(千田町3丁目) | ||||
東照宮 | 東区二葉の里2丁目1-18 | ||||
久永金紙押紙工場 | 西区三篠町3丁目20-4(三篠本町2丁目) | ||||
己斐調整場 送水ポンプ室 |
西区己斐東1丁目9-2(己斐町) | ||||
桐原容器工業所 | 中区舟入南4丁目1-11(舟入川口町) | ||||
第一国民学校 | 南区段原山崎町4-42(段原山崎町) | ||||
広島陸軍被服支廠 | 南区出汐2丁目4-60 (出汐町) |
||||
光徳寺・納骨堂 | 南区皆実町6丁目15-21(皆実町3丁目) | ||||
広島高等学校講堂 | 南区翠1丁目1-1 (皆実町3丁目) |
||||
広島陸軍兵器補給廠 第11兵器庫 |
南区霞1丁目2-3 (霞町) |
||||
牛田水源地濾過池 濾過調整機上屋 |
東区牛田新町1丁目8-1(牛田町) | ||||
牛田水源地送水ポンプ室(広島市水道資料館) | 東区牛田新町1丁目8-1(牛田町) | ||||
牛田水源地量水室 | 東区牛田新町1丁目8-1(牛田町) | ||||
日本麻紡績給水塔 | 西区己斐本町3丁目12(己斐町) | ||||
陸軍兵器学校 広島分教所 |
中区舟入南6丁目7-11(江波町) | ||||
日本特殊グリース倉庫 | 南区大洲1丁目9 (大洲町) |
||||
広島陸軍糧秣支廠 食肉処理場 |
南区宇品御幸1丁目 12-23 (宇品町) |
||||
広島陸軍糧秣支廠 缶詰工場(広島市郷土資料館) |
南区宇品御幸2丁目6-20(宇品町) | ||||
不動院 | 東区牛田新町3-4-9 | ||||
広島地方気象台(広島市江波山気象館) | 中区江波南1丁目40-1(江波町) | ||||
中国配電南部変電所 | 南区宇品御幸3丁目17-1(宇品町) | ||||
麒麟麦酒広島工場 | 安芸郡府中町大須2丁目1 (安芸郡府中町) |
||||
官立広島師範学校 講堂・職員室 |
南区東雲3丁目1-33 (東雲町) |
||||
陸軍船舶練習部 | 南区宇品東5丁目3 (宇品町) |
||||
広島鉄道局 広島工機部 |
東区矢賀5丁目1 (矢賀町) |
||||
広島陸軍糧秣支廠 倉庫 |
南区宇品海岸3丁目11 (宇品町) |
||||
慈仙寺境内の墓石平和公園内
出典:広島市『ヒロシマの被爆建造物は語る』(1996年3月)
原爆ドーム(世界遺産)Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)
The Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome) was the only structure left standing in the area where the first atomic bomb exploded on 6 August 1945. Through the efforts of many people, including those of the city of Hiroshima, it has been preserved in the same state as immediately after the bombing. Not only is it a stark and powerful symbol of the most destructive force ever created by humankind; it also expresses the hope for world peace and the ultimate elimination of all nuclear weapons.
Date of Inscription: 1996 Criteria: (vi)
『資料調査通信』(広島大学付属原爆放射能医学研究所資料調査室、第1号(1981年8月号)-第94号(1991年5・6月号)
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (1)1945年10月~12月 | 1 | 2 | |
1 | 8 | 被爆問題年表 | 1981年8月 | 3 | 10 | |
1 | 8 | 文献・図書資料 | 1981年8月受け入れ分 | 11 | 15 | |
2 | 9 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (2)1946年 | 1 | 5 | |
2 | 9 | メモ | ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」とビキニ原爆実験 | 5 | 0 | |
2 | 9 | 被爆問題年表 | 1981年9月 | 6 | 9 | |
2 | 9 | 文献・図書資料 | 1981年9月受け入れ分 | 10 | 14 | |
3 | 1 | 10 | 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 | 収集資料一覧 単行本の部 | 3 | 12 |
3 | 1 | 10 | 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 | 収集資料一覧 逐次刊行物の部 | 12 | 22 |
3 | 10 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (3)1947-1953年 | 1 | 9 | |
3 | 10 | メモ | パールハーバーとヒロシマ | 9 | 0 | |
3 | 10 | 被爆問題年表 | 1981年10月 | 10 | 15 | |
3 | 10 | トピック | 国連軍縮週間 | 15 | 16 | |
3 | 10 | 文献・図書資料 | 1981年10月受け入れ分 | 17 | 20 | |
4 | 11 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (4)1954-1958年6月 | 1 | 8 | |
4 | 11 | 被爆問題年表 | 1981年11月 | 9 | 14 | |
4 | 11 | 文献・図書資料 | 1981年11月受け入れ分 | 15 | 18 | |
5 | 12 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(1)「まどうてくれ」 | 1 | 8 | |
5 | 12 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (5)1958年7月-1959年 | 9 | 11 | |
5 | 12 | メモ | 原爆被爆者の死亡発表 | 11 | 11 | |
5 | 12 | 被爆問題年表 | 1981年12月 | 12 | 18 | |
5 | 12 | トピック | ―「老人保健法」案と原爆医療法― | 18 | 19 | |
5 | 12 | 文献・図書資料 | 1981年12月受け入れ分 | 20 | 22 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
6 | 1 | 1 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(2)原水爆禁止大会 | 1 | 21 |
6 | 1 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (6)1960年 | 1 | 2 | |
6 | 1 | 被爆問題年表 | 1982年1月 | 3 | 8 | |
6 | 1 | 連載記事一覧 | 1981年 | 9 | 12 | |
6 | 1 | 文献・図書資料 | 1982年1月受け入れ分 | 13 | 22 | |
7 | 3 | 2 | まどうてくれ | 藤居メモ(1)1955年11月ー1956年3月 | 1 | 21 |
7 | B | 2 | 原爆障害症研究文献目録 | ―渡辺 漸氏より借用分― | 1 | 21 |
7 | 1 | 2 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(3)原爆被害者の救援と組織 | 1 | 17 |
7 | 2 | 2 | まどうてくれ | 資料 | 18 | 40 |
7 | 2 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (7)1961-1964年 | 1 | 4 | |
7 | 2 | 被爆問題年表 | 1982年2月 | 5 | 12 | |
7 | 2 | 文献・図書資料 | 1982年2月受け入れ分 | 13 | 16 | |
8 | 1 | 3 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(4)広島県被団協 | 1 | 14 |
8 | 2 | 3 | まどうてくれ | 資料 | 14 | 58 |
8 | 3 | 3 | まどうてくれ | 藤居メモ (2)1956年3月~7月 | 1 | 31 |
8 | 3 | 被爆問題年表 | 1982年3月 | 1 | 13 | |
8 | 3 | 被爆問題年表 | 1982年4月 | 14 | 25 | |
8 | 3 | 「反核・軍縮の決議・意見書・宣言を採択した地方議会一覧」 | 26 | 33 | ||
8 | 3 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (8)1965-1971年 | 34 | 43 | |
8 | 3 | 文献・図書資料 | 1982年3・4月受け入れ分 | 44 | 52 | |
9 | 1 | 5 | まどうてくれ | 資料特集 1956年8月6日 第3回原水爆禁止広島大会,他 | 1 | 21 |
9 | 2 | 5 | まどうてくれ | 資料特集 くずれぬ平和を 8.6広島大会被害者大会議事録[抄] | 1 | 19 |
9 | 3 | 5 | まどうてくれ | 資料特集 第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | 1 | 19 |
9 | 5 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (9)1972-1976年(連載終わり) | 1 | 5 | |
9 | 5 | 被爆問題年表 | 1982年5月 | 6 | 21 | |
9 | 5 | トピック | 5月13日の宮沢官房長官の衆院外務委での答弁について | 21 | 21 | |
9 | 5 | 文献・図書資料 | 1982年5月受け入れ分 | 22 | 24 | |
10 | 6 | 国会論議の中の原爆被害 | (1)第55回特別国会 1967年2月15日~7月21日 | 1 | 5 | |
10 | 6 | 被爆問題年表 | 1982年6月 | 6 | 21 | |
10 | 6 | 連載記事一覧 | 1982年上半期 | 22 | 25 | |
10 | 6 | 文献・図書資料 | 1982年6月受け入れ分 | 26 | 34 | |
11 | 7 | 国会論議の中の原爆被害 | (2)第56回~第60回国会 1967年7月12日~1968年12月21日 | 1 | 8 | |
11 | 7 | 被爆問題年表 | 1982年7月 | 9 | 20 | |
11 | 7 | 文献・図書資料 | 1982年7月受け入れ分 | 21 | 26 | |
12 | 8 | 国会論議の中の原爆被害 | (3)第61・62第国会 1968年12月27日~1969年12月2日 | 1 | 8 | |
12 | 8 | 被爆問題年表 | 1982年8月 | 9 | 25 | |
12 | 8 | 文献・図書資料 | 1982年8月受け入れ分 | 26 | 37 | |
13 | 9 | 国会論議の中の原爆被害 | (4)第63・64回国会 1970年1月14日~12月18日 | 1 | 5 | |
13 | 9 | 被爆問題年表 | 1982年9月 | 6 | 11 | |
13 | 9 | トピック | ―「週間明星」の“事実誤認記事”について― | 12 | 13 | |
13 | 9 | 文献・図書資料 | 1982年9月受け入れ分 | 14 | 24 | |
14 | 10 | 国会論議の中の原爆被害 | (5)第65-67回国会 1970年12月26日~1971年12月17日 | 1 | 6 | |
14 | 10 | メモ | ―「被爆二世の遺族から体験を聞く会」とは? | 16 | 16 | |
14 | 10 | 被爆問題年表 | 1982年10月 | 7 | 16 | |
14 | 10 | 文献・図書資料 | 1982年10月受け入れ分 | 17 | 21 | |
15 | 11 | 国会論議の中の原爆被害 | (6)第68-70回国会 1971年12月29日~1972年11月13日 | 1 | 6 | |
15 | 11 | 被爆問題年表 | 1982年11月 | 7 | 14 | |
15 | 11 | 文献・図書資料 | 1982年11月受け入れ分 | 15 | 22 | |
16 | 12 | 国会論議の中の原爆被害 | (7)第71-74回国会 1972年12月22日~1974年12月25日 | 1 | 10 | |
16 | 12 | トピック | ―「被爆者対策予算」について― | 17 | 17 | |
16 | 12 | 被爆問題年表 | 1982年12月 | 11 | 17 | |
16 | 12 | 連載記事一覧 | 1982年下半期 | 18 | 20 | |
16 | 12 | 文献・図書資料 | 1982年12月受け入れ分 | 21 | 29 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
17 | 1 | 国会論議の中の原爆被害 | (8)第75-78回国会 1974年12月27日~1976年11月4日 | 1 | 9 | |
17 | 1 | トピック | ―「広島・長崎訪問者について」― | 14 | 14 | |
17 | 1 | 被爆問題年表 | 1983年1月 | 10 | 13 | |
17 | 1 | 1982年新聞報道による「広島・長崎訪問者一覧」(外国人のみ) | 14 | 15 | ||
17 | 1 | 文献・図書資料 | 1983年1月受け入れ分 | 16 | 22 | |
18 | 2 | 国会論議の中の原爆被害 | (9)第79-83回国会 1976年12月24日~1977年12月10日 | 1 | 6 | |
18 | 2 | 被爆問題年表 | 1983年2月 | 7 | 13 | |
18 | 2 | 文献・図書資料 | 1983年2月受け入れ分 | 14 | 18 | |
19 | 3 | 国会論議の中の原爆被害 | (10)第84-86回国会 1977年12月19日~1978年12月12日 | 1 | 9 | |
19 | 3 | 被爆問題年表 | 1983年3月 | 10 | 17 | |
19 | 3 | 文献・図書資料 | 1983年3月受け入れ分 | 18 | 28 | |
20 | 4 | 国会論議の中の原爆被害 | (補)第54回国会以前 | 1 | 11 | |
20 | 4 | トピック | ―ひろしまフラワーフェスティバルと自衛隊パレード― | 18 | 18 | |
20 | 4 | 被爆問題年表 | 1984年4月 | 12 | 17 | |
20 | 4 | 文献・図書資料 | 1983年4月受け入れ分 | 19 | 26 | |
21 | 5 | 特集: | 被爆後1年間の広島~慰霊行事表 | 1 | 9 | |
21 | 5 | 新聞によるミニ原爆映画史 | No.1映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1967.5~1968.1 | 10 | 14 | |
21 | 5 | 被爆問題年表 | 1983年5月 | 15 | 22 | |
21 | 5 | 文献・図書資料 | 1983年5月受け入れ分 | 23 | 40 | |
22 | 6 | 新聞によるミニ原爆映画史 | No.2 映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1968年 | 8 | 11 | |
22 | 6 | 特集: | 報道・原爆被爆者の死 | 1 | 7 | |
22 | 6 | 被爆問題年表 | 1983年6月 | 12 | 22 | |
22 | 6 | 文献・図書資料 | 1983年6月受け入れ分 | 23 | 34 | |
23 | 7 | 国会論議の中の原爆被害 | (11)第25-41回国会 1956年11月12日~1962年9月2日 | 1 | 12 | |
23 | 7 | 被爆問題年表 | 11983年7月 | 13 | 29 | |
23 | 7 | 文献・図書資料 | 1983年7月受け入れ分 | 30 | 40 | |
24 | 8 | 国会論議の中の原爆被害 | (12)第42-54回国会 1962年12月8日~1966年12月27日(連載終わり) | 1 | 13 | |
24 | 8 | 文献・図書資料 | 1983年8月受け入れ分 | 14 | 31 | |
24 | 8 | 新聞によるミニ原爆映画史 | No.3 1969年2月~1982年10月 | 32 | 39 | |
24 | 8 | 被爆問題年表 | 1983年8月 | 40 | 65 | |
25 | 2 | 9 | まどうてくれ | 資料特集 1956年8~9月 | 1 | 27 |
25 | 1 | 9 | まどうてくれ | 藤居メモ(3)1956年8~9月 | 1 | 27 |
25 | 9 | 被爆問題年表 | 1983年9月 | 1 | 9 | |
25 | 9 | 文献・図書資料 | 1983年9月受け入れ分 | 10 | 24 | |
26 | 1 | 10 | まどうてくれ | 資料特集 1956年10~12月 | 1 | 57 |
26 | 10 | 被爆問題年表 | 1983年10月 | 1 | 10 | |
26 | 10 | トピック | ―「レーガン招請運動」 反核で盛り上がる西欧の裏側で― | 11 | 15 | |
26 | 10 | 文献・図書資料 | 1983年10月受け入れ分 | 16 | 26 | |
27 | 1 | 11 | まどうてくれ | 藤居メモ(4)1957年1~2月 | 1 | 24 |
27 | 2 | 11 | まどうてくれ | (4)1957年1月~2月 資料つづき | 25 | 54 |
27 | 11 | 被爆問題年表 | 1983年11月 | 1 | 9 | |
27 | 11 | 文献・図書資料 | 1983年11月受け入れ分 | 10 | 21 | |
28 | 12 | 被爆問題年表 | 1983年12月 | 1 | 7 | |
28 | 12 | 連載記事一覧 | 1983年 | 8 | 14 | |
28 | 12 | 文献・図書資料 | 1983年12月受け入れ分 | 15 | 27 | |
28 | 1 | 12 | まどうてくれ | 藤居メモ及び関連資料(5)1957年3~5月 | 1 | 30 |
28 | 2 | 12 | まどうてくれ | 藤井メモ及び関連資料 「「(5)1957年3月~5月 | 30 | 65 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
29 | 1 | 1 | まどうてくれ | 資料特集 第3回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | 1 | 34 |
29 | 1 | 被爆問題年表 | 1984年1月 | 1 | 5 | |
29 | 1 | 文献・図書資料 | 1984年1月受け入れ分 | 6 | 18 | |
30 | 2 | 被爆問題年表 | 1984年2月 | 1 | 8 | |
30 | 2 | 文献・図書資料 | 1984年2月受け入れ分 | 9 | 18 | |
31 | 3 | 文献・図書資料 | 1984年3月受け入れ分 | 1 | 3 | |
31 | 3 | 被爆問題年表 | 1984年3月 | 4 | 12 | |
31 | 3 | ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 | ①1955~1964年 | 13 | 19 | |
32 | 1 | 4 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (1)1945~1953年 | 1 | 15 |
32 | 4 | 文献・図書資料 | 1984年4月受け入れ分 | 1 | 11 | |
32 | 4 | 被爆問題年表 | 1984年4月 | 12 | 20 | |
32 | 4 | ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 | ②1965~1974年 | 21 | 25 | |
33 | 5 | 文献・図書資料 | 1984年4月受け入れ分 | 1 | 5 | |
33 | 5 | 被爆問題年表 | 1984年5月 | 6 | 17 | |
33 | 5 | ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 | ③1975~1984年(連載終り) | 18 | 26 | |
34 | 6 | 被爆問題年表 | 1984年6月 | 1 | 12 | |
34 | 6 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (2)1954~1956年 | 13 | 24 | |
35 | 1 | 7 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (3)1957~1962年 | 1 | 22 |
35 | 7 | 文献・図書資料 | 1984年6月受け入れ分 | 1 | 19 | |
35 | 7 | 被爆問題年表 | 1984年7月 | 20 | 35 | |
36 | 1 | 8 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (4)1963~1965年 | 1 | 22 |
36 | 8 | 被爆問題年表 | 1984年8月 | 1 | 22 | |
37 | 1 | 10 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (5)1966~1969年 | 1 | 22 |
37 | 9 | 被爆問題年表 | 1984年9月 | 1 | 8 | |
37 | 9 | 被爆問題年表 | 1984年10月 | 9 | 18 | |
38 | 1 | 11 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (6)1970~1971年 | 1 | 26 |
38 | 2 | 11 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (7)1972~1974年 | 1 | 29 |
38 | 11 | 被爆問題年表 | 1984年11月 | 1 | 9 | |
38 | 11 | ―新聞報道による「全国平和教育シンポジウム」の歩み | 10 | 11 | ||
38 | 11 | 「「新聞報道による「全国平和教育シンポジウム」一覧 | 第1回(1973年)~第12回(1984年) | 12 | 16 | |
39 | 1 | 12 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (8)1975~1976年 | 1 | 27 |
39 | 12 | 被爆問題年表 | 1984年12月 | 1 | 10 | |
39 | 12 | 連載記事一覧 | 1984年 | 11 | 32 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
40 | 1 | 2 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (9)1977~1978年 | 1 | 22 |
40 | 1 | 被爆問題年表 | 1985年1月 | 1 | 7 | |
40 | 1 | 被爆問題年表 | 1985年2月 | 8 | 15 | |
41 | 3 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (10)1979~1980年 | 1 | 23 | |
41 | 3 | 被爆問題年表 | 1985年3月 | 1 | 11 | |
42 | 1 | 4 | 文献・図書資料 | 1984年7月~12月受け入れ分 図書の部 | 3 | 37 |
42 | 2 | 4 | 文献・図書資料 | 1984年7月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 | 38 | 69 |
42 | 3 | 4 | 被爆問題年表 | 1985年4月 | 70 | 81 |
42 | 3 | 4 | トピック | ―「被爆証人捜し」1972(昭和47年)~ (「被爆証人捜し」一覧 P.84~) | 82 | 86 |
43 | 1 | 5 | 資料:原爆報道 社説一覧 | 中国新聞(1945年~1984年) | 1 | 28 |
43 | 2 | 5 | 資料:原爆報道 社説一覧 | 朝日・毎日・読売(1945~1984年) | 1 | 50 |
43 | 3 | 5 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (11)補遺 (1945ー1984年) | 1 | 19 |
43 | 5 | 被爆問題年表 | 1985年5月 | 1 | 12 | |
44 | 6 | 被爆問題年表 | 1985年6月 | 1 | 16 | |
45 | 6 | 被爆問題年表 | 1985年7月 | 1 | 20 | |
46 | 8 | 被爆問題年表 | 1985年8月 | 1 | 32 | |
46 | 8 | 被爆問題年表 | 1985年7月補遺 | 33 | 33 | |
46 | 8 | 被爆40年 原爆報道 | ローカル紙の8・6社説 | 34 | 35 | |
46 | 8 | 被爆40年 原爆報道 | ローカル紙の8・6連載 | 36 | 39 | |
46 | 8 | トピック | 反核意見広告(掲載紙・掲載日・頁・広告主) | 40 | 40 | |
47 | 9 | 被爆問題年表 | 1985年9月 | 1 | 9 | |
47 | 9 | 資料:原爆報道 | 政党紙連載一覧 | 10 | 21 | |
48 | 10 | 被爆問題年表 | 1985年10月 | 1 | 14 | |
49 | 1 | 11 | 被爆問題年表 | 1985年11月 | 1 | 8 |
49 | 1 | 11 | 被爆問題年表 | 1985年12月 | 9 | 16 |
49 | 2 | 11 | 連載記事一覧 | 1985年 | 17 | 57 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
50 | 1 | 1 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | 長崎編(1945ー1984) | 1 | 48 |
50 | 1 | 被爆問題年表 | 1986年1月 | 1 | 7 | |
50 | 1 | 資料調査通信索引 | (1~50号) (別紙リーフレット) | 1 | 2 | |
50 | 1 | 原爆関連テレビ番組一覧 | 1985年 | 8 | 18 | |
51 | 2 | 被爆問題年表 | 1986年2月 | 1 | 6 | |
51 | 2 | 被爆問題年表 | 1986年3月 | 7 | 14 | |
51 | 2 | 原爆関係新聞社説・投書一覧 | 「「中国・朝日・毎日・読売・長崎「「1985年 | 15 | 24 | |
52 | 4 | 被爆問題年表 | 1986年4月 | 1 | 8 | |
52 | 4 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (9)1977-1983年 | 9 | 13 | |
52 | 4 | 原爆関連テレビ番組一覧 | (1982-1984年) 原医研ビデオ所蔵分 | 14 | 18 | |
53 | 5 | 被爆問題年表 | 1986年5月 | 1 | 10 | |
53 | 5 | トピック | 原爆供養塔の遺骨をめぐって | 11 | 11 | |
53 | 5 | トピック | 新聞による年表―原爆供養塔の遺骨引き渡し(1968ー1985年) | 12 | 16 | |
54 | 6 | 被爆問題年表 | 1986年6月 | 1 | 9 | |
54 | 6 | 被爆後1年間の長崎-慰霊行事表 | 10 | 12 | ||
54 | 6 | 被爆後1年間の長崎-慰霊行事表 | 弔辞と1945-1952年の関係記事 | 13 | 23 | |
55 | 7 | 被爆問題年表 | 1986年7月 | 1 | 15 | |
55 | 7 | 被爆者対策史 | 年表 1945(昭和20)年 | 16 | 22 | |
56 | 8 | 被爆問題年表 | 1986年8月 | 1 | 25 | |
57 | 9 | 被爆問題年表 | 1986年9月 | 1 | 6 | |
57 | 9 | 被爆者対策史 | 年表 (2)1946-1948年 | 7 | 18 | |
58 | 10 | 被爆問題年表 | 1986年10月 | 1 | 8 | |
58 | 10 | 被爆者対策史 | 年表 (3)1949-1950年 | 9 | 16 | |
59 | 11 | 被爆問題年表 | 1986年11月 | 1 | 7 | |
59 | 11 | 被爆問題年表 | 1986年12月 | 8 | 13 | |
59 | 11 | 連載記事一覧 | 1986年 | 14 | 29 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
60 | 1 | 被爆問題年表 | 1987年1月 | 1 | 5 | |
60 | 1 | 被爆問題年表 | 1987年2月 | 6 | 11 | |
60 | 1 | 被爆者対策史 | 年表 (4)1951-1952年 | 12 | 20 | |
61 | 3 | 被爆問題年表 | 1987年3月 | 1 | 7 | |
61 | 3 | トピック | 新聞報道による「広島長崎訪問者一覧」 (1983ー1986年) | 8 | 18 | |
62 | 4 | 被爆問題年表 | 1987年4月 | 1 | 6 | |
62 | 4 | 原爆関係新聞社説・投書一覧 | 「「中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞「「1986年 | 7 | 13 | |
62 | 4 | ローカル紙の8.6社説 | 1986年 | 14 | 15 | |
63 | 5 | 被爆問題年表 | 1987年5月 | 1 | 9 | |
63 | 5 | 被爆問題年表 | 1987年6月 | 10 | 19 | |
63 | 5 | トピック | 厚生省の被爆者実態調査結果の報道(1965・1975・1985年調査分) | 20 | 23 | |
64 | 7 | 被爆問題年表 | 1987年7月 | 1 | 14 | |
65 | 8 | 被爆問題年表 | 1987年8月 | 1 | 20 | |
65 | 8 | ローカル紙の8.6社説 | 1987年 | 21 | 22 | |
66 | 9 | 被爆問題年表 | 1987年9月 | 1 | 5 | |
66 | 9 | 被爆者対策史 | 年表 (5)1953年 | 6 | 14 | |
66 | 9 | 被爆者対策史 | 年表 掲載号一覧 | 15 | 15 | |
66 | 1 | 9 | 文献・図書資料 | 1985年1月~12月受入れ分 図書の部 | 1 | 41 |
66 | 2 | 9 | 文献・図書資料 | 1985年1月~12月受け入れ分 図書の部 | 42 | 65 |
66 | 3 | 9 | 文献・図書資料 | 1985年1月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 | 66 | 86 |
67 | 10 | 被爆問題年表 | 1987年10月 | 1 | 8 | |
67 | 10 | 被爆問題年表 | 1987年11月 | 9 | 14 | |
67 | 10 | 被爆者対策史 | 資料(1)八者協に見る被爆者研究への要望 | 15 | 25 | |
68 | 12 | 被爆問題年表 | 1987年12月 | 1 | 7 | |
68 | 12 | 連載記事一覧 | 1987年 Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 | 8 | 14 | |
68 | 12 | 連載記事一覧 | 1987年 Ⅱ.ローカル紙 | 15 | 17 | |
68 | 12 | 連載記事一覧 | 1987年 Ⅲ.政党紙 | 18 | 20 | |
68 | 1 | 12 | 被爆者対策史 | 資料 (2)原爆症研究の再開 A.予研年報にみるABCC略史 | 1 | 31 |
68 | 2 | 12 | 被爆者対策史 | 資料(2) B.都築正男資料にみる文部省原子爆弾災害調査研究班の発足 | 32 | 50 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
69 | 1 | 被爆問題年表 | 1988年1月 | 1 | 4 | |
69 | 1 | 被爆問題年表 | 1988年2月 | 5 | 10 | |
69 | 1 | 原爆関係社説・投書一覧 | ―中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞―1987年 | 11 | 17 | |
70 | 3 | 被爆者対策史 | 年表 (6)1954年 | 1 | 16 | |
70 | 3 | 被爆者対策史 | 年表 掲載号一覧 | 16 | 16 | |
70 | 3 | 被爆問題年表 | 1988年3月 | 17 | 23 | |
71 | 4 | 被爆問題年表 | 1988年4月 | 1 | 8 | |
71 | 4 | 被爆問題年表 | 1988年5月 | 9 | 17 | |
71 | 1 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受入れ分 | 1 | 39 |
71 | 2 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受け入れ分 図書の部 | 40 | 75 |
71 | 3 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受け入れ分 図書の部 | 76 | 115 |
71 | 4 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 | 16 | 145 |
72 | 6 | 被爆問題年表 | 1988年6月 | 1 | 10 | |
72 | 6 | 被爆問題年表 | 1988年7月 | 11 | 21 | |
73 | 8 | 被爆者対策史 | 年表 (7)1955年 | 1 | 14 | |
73 | 8 | 被爆問題年表 | 1988年8月 | 15 | 35 | |
74 | 9 | 被爆問題年表 | 1988年9月 | 1 | 6 | |
74 | 9 | 被爆問題年表 | 1988年10月 | 7 | 13 | |
74 | 1 | 9 | 被爆者対策史 | -資料(3)- 「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向 1978~1988 | 1 | 42 |
75 | 11 | 被爆問題年表 | 1988年11月 | 1 | 7 | |
75 | 11 | 被爆問題年表 | 1988年12月 | 8 | 15 | |
75 | 11 | 連載記事一覧 | ―中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞―1988年 | 16 | 27 | |
75 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅱ.ローカル紙 1987年 | 25 | 31 | |
75 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅲ.政党紙 1987年 | 32 | 37 | |
75 | 11 | 訂正 | 資料調査通信1988年9・10月号分 | 38 | 38 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
76 | 1 | 被爆問題年表 | 1989年1月 | 1 | 6 | |
76 | 1 | 原爆関係新聞社説一覧 | 1988年 Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞― | 7 | 8 | |
77 | 2 | 原爆関係社説一覧 | 1988年 Ⅱ.ローカル紙 | 9 | 9 | |
76 | 1 | 原爆関係新聞投書一覧 | 1988年 中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 | 10 | 15 | |
77 | 2 | 被爆問題年表 | 1989年2月 | 1 | 8 | |
77 | 3 | 被爆問題年表 | 1989年3月 | 9 | 17 | |
78 | 4 | 被爆者対策史 | 年表 (8)1956年 | 1 | 30 | |
78 | 4 | 被爆者対策史 | 年表 掲載号一覧 | 31 | 31 | |
78 | 4 | 被爆問題年表 | 1989年4月 | 32 | 37 | |
79 | 5 | 被爆問題年表 | 1989年5月 | 1 | 11 | |
79 | 1 | 5 | 文献・図書資料 | 1987年1月~12月受入れ分 図書の部 | 1 | 40 |
79 | 2 | 5 | 文献・図書資料 | 1987年1月~12月受入れ分 図書の部 | 41 | 87 |
79 | 3 | 5 | 文献・図書資料 | 1987年1月~12月受入れ分 逐次刊行物の部 | 88 | 117 |
80 | 6 | 被爆問題年表 | 1989年 6月 | 1 | 9 | |
80 | 1 | 6 | 文献・図書資料 | 1988年1月~12月受入れ分 図書の部 | 1 | 52 |
80 | 2 | 6 | 文献・図書資料 | 1988年1月~12月受入れ分 逐次刊行物の部 | 53 | 76 |
81 | 7 | 被爆問題年表 | 1989年7月 | 1 | 13 | |
81 | 8 | 被爆問題年表 | 1989年8月 | 14 | 34 | |
82 | 9 | 被爆問題年表 | 1989年9月 | 1 | 7 | |
82 | 10 | 被爆問題年表 | 1989年10月 | 8 | 17 | |
82 | 10 | トピック | 第9回核戦争防止国際医師会議(IPPNW)世界大会 ―特集記事一覧― | 18 | 22 | |
82 | 1 | 10 | 原爆手記掲載書・誌目録 | 1946(昭和21年)~1974(昭和49年) | 1 | 36 |
82 | 2 | 10 | 原爆手記掲載書・誌目録 | 1975(昭和50年)~1984(昭和59年) | 37 | 77 |
82 | 3 | 10 | 原爆手記掲載書・誌目録 | 1985(昭和60年)~1989(平成 1年) | 78 | 104 |
83 | 11 | 被爆問題年表 | 1989年11月 | 1 | 8 | |
83 | 11 | 被爆問題年表 | 1989年12月 | 9 | 15 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 1989年 | 16 | 38 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅱ.ローカル紙 1989年 | 39 | 43 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅱ.ローカル紙 補遺(1986~1988) | 44 | 45 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅲ.政党紙 1989年 | 46 | 49 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
84 | 1 | 被爆問題年表 | 1990年1月 | 1 | 6 | |
84 | 1 | 原爆関係新聞社説・投書一覧 | 1989年 | 7 | 14 | |
85 | 2 | 被爆問題年表 | 1990年2月 | 1 | 5 | |
85 | 2 | 被爆問題年表 | 1990年3月 | 6 | 12 | |
85 | 2 | 被爆問題年表 | 1990年4月 | 13 | 19 | |
85 | 2 | 特集 | 新聞記事による被爆韓国人・被爆問題年表 (1)1989年 | 20 | 24 | |
86 | 5 | 被爆問題年表 | 1990年5月 | 1 | 8 | |
86 | 5 | 被爆問題年表 | 1990年6月 | 9 | 18 | |
86 | 5 | 特集 | 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(2)1988年 | 19 | 21 | |
87 | 7 | 被爆問題年表 | 1990年7月 | 1 | 14 | |
87 | 7 | 特集 | 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(3)1982年-1987年 | 15 | 28 | |
88 | 8 | 被爆問題年表 | 1990年8月 | 1 | 25 | |
88 | 9 | 被爆問題年表 | 1990年9月 | 26 | 31 | |
89 | 10 | 被爆問題年表 | 1990年10月 | 1 | 9 | |
89 | 11 | 被爆問題年表 | 1990年11月 | 10 | 17 | |
90 | 12 | 被爆問題年表 | 1990年12月 | 1 | 7 | |
90 | 12 | 被爆問題年表 | 1990年補遺 | 8 | 10 | |
90 | 12 | 1990年連載記事一覧 | 11 | 34 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
91 | 1 | 被爆問題年表 | 1991年1月 | 1 | 7 | |
91 | 1 | 1990年原爆関係新聞社説・投書一覧 | 8 | 18 | ||
92 | 2 | 被爆問題年表 | 1991年2月 | 1 | 8 | |
92 | 3 | 被爆問題年表 | 1991年3月 | 9 | 15 | |
92 | 3 | トピック | 新聞報道による「広島・長崎訪問者一覧」 | 16 | 30 | |
93 | 4 | 被爆問題年表 | 1991年4月 | 1 | 10 | |
93 | 4 | トピック | ソ連大統領の長崎訪問 | 11 | 15 | |
94 | 5 | 被爆問題年表 | 1991年5月 | 1 | 10 | |
94 | 6 | 被爆問題年表 | 1991年6月 | 11 | 19 |
Y.SCOTT Matsumoto,Ph.D.「原爆の被爆者に及ぼした社会的影響 広島・長崎」(『原爆傷害調査委員会 業績報告書』 TECHNICAL REPORT 12-69)April 1969承認
(以下抜粋)
本報告は、1967年1月18-21日、New Jersey 州 Princeton 市において開かれたニューヨーク科学アカデミー主催の会議 ”Interdisciplinary Communication Program” に発表するために準備した覚え書きをまとめたもの。
緒言
*過去年間にわたって継続している両市におけるマスコミの影響と効果
*1946年以来の両市のおもなできごと<継続的に絶えず大きく報道され、その結果、被爆者の不安をいっそう増大>を簡単にのべてみる
1945-67年のおもなできごと
年 | できごと |
1945 | 70年間一切の生物の棲息不可能。都築の診察開始。米国陸海軍合同調査団結成 |
1946 | Henshaw, Brues, Block, Neel, Ullrichからなる調査団の広島。長崎訪問 |
1947 | 3月、Neelが広島赤十字病院に事務所を開設、ABCCの活動が実際に始まる。12月、天皇の広島訪問。 |
1948 | 特記すべきことなし。 |
1949 | |
1966 | 映画「ヒロシマ1966」 |
1967 | 映画「愛と死の記録」、映画「千曲川絶唱」(3月封切) |
解説および考察
表 | ||
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5 | 成人健康調査における医療社会ケースワーク:被爆区分・都市別、第3診察周期、1962-64 | |
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要約
**健康・寿命・結婚・転住、その他の社会的要因に関する統計を提示したが、これらの統計資料は、一般にいわれている被爆者の自殺、結婚における傾向についての概念を裏づけず、時には否定する結果を示した。