「05 原爆被災資料」カテゴリーアーカイブ

原爆被害調査概要(直後)

原爆被害調査概要(直後)

出典:宇吹暁「原爆医療法制定前の被爆者問題」( 『広島大学公開講座・被爆50年-放射線が人体に与えた影響』(広島大学、19951001)

原爆被害調査
 広島に駐屯していた軍の機関は直後から原爆の被害状況の調査をおこなった。8月8日以降、技術院調査団・大本営調査団・陸軍省広島災害調査班など、中央あるいは他地域の軍機関が、つぎつぎに広島に調査団を送った。これらの調査団の中には、原爆かどうかの確認をえるため、日本の原爆開発に関与していた理化学研究所の仁科芳雄、京都帝国大学の荒勝文策、大阪帝国大学の浅田常三郎らが参加していた。大本営調査団は、10日在広の陸海軍および来広中の各調査団を兵器補給廠(現在の広島大学医学部)に参集させ、陸海軍合同の研究会を開催した。研究会は、レントゲンフィルムを感光させる放射線の存在などを理由として新型爆弾を原子爆弾と判定した。8月15日までの調査の第一義的目的は、弾種の決定と対策樹立にあったが、同行した原子物理学者による放射能の測定や陸軍軍医学校・臨時東京第一陸軍病院関係者による人体への新型爆弾の影響調査は、のちの原爆被害研究の端緒となった。
 8月末からは東京帝国大学医学部の都築正男を加えた陸軍軍医学校の広島戦災再調査班が広島で調査を開始した。9月1日、広島第一陸軍病院宇品分院で開かれた調査班の研究打合会では、それまでの患者の発生状況、傷害の経過観察にもとづく所見が発表され、安静休養・栄養補給などを内容とする当面の治療方針が決定された。また、地元の中国軍管区司令部の要請により、京都帝国大学に調査団が組織され、9月5日から大野陸軍病院を拠点として調査を開始した。さらに、9月14日には、文部省学術研究会議が、原子爆弾災害調査研究特別委員会を設置した。これにより、それまでの日本側の各学術機関による調査が、統一的に実施されることになった。この委員会は、物理学・化学・地学、生物学、機械金属学、電力通信、土木・建築、医学、農学・水産学、林学、獣医学・畜産学の九科会で構成され、研究員約150人、助手約1000人が配置された大規模なものであった。
アメリカ軍の調査
 アメリカの原爆開発組織マンハッタン・プロジェクトの指揮官グローブスは、1945年8月11日、ファーレル(太平洋地域における原爆投下業務の責任者)に原爆調査隊を日本へ送るよう指示した。ファーレルは、この指示にもとづき、広島班・長崎班、「日本の原爆開発に関する総合的な情報収集」を任務とする東京班の3班を組織した。
 いっぽう、GHQ内部でも、原爆被害調査の動きが見られた。マッカーサーの軍医顧問オーターソン大佐は、8月28日付で、「原子爆弾が傷害を引き起こす効果に関する調査について」と題するメモランダムを起草した。オーターソンは、軍医総監デニット准将のメモランダムへの承認を得ると、日本政府(9月3日)やマンハッタン・プロジェクトのファーレル(同月4日)との接触を持ち、調査に取りかかった。
 9月8日、マンハッタン・プロジェクトのファーレル、GHQのオーターソン、国際赤十字社のジュノー、東京帝国大学の都築正男らが、空路岩国に来着、翌9日から都築の案内で広島市内での調査を開始した。物理学的分野では、爆心地付近の放射能調査を行い、医学的分野では、第一国民学校・日赤病院・宇品陸軍病院の収容患者を視察した。
 アメリカ側の原爆被害調査は、このほかに、海軍・戦略爆撃調査団によってもなされた。とくに医学分野では、GHQのオーターソンを責任者とし、マンハッタン・プロジェクト、海軍、日本側科学者などからなる合同調査団が組織された。この調査団は、9月下旬から12月まで調査を実施し、1946年9月に、「日本における原子爆弾の効果研究のための合同調査団医学報告」をまとめた。
原爆検閲とABCC
 アメリカは、原爆開発を超秘密裡におこなった。原爆投下により、その秘密の一部は解除されるが、研究・開発の内部情報の多くは、戦後も極秘扱いとされた。1945(昭和20)年9月19日、GHQ(連合軍最高司令部)が「新聞準則」(プレス・コード)を指令するが、これは、日本における原爆被害情報の公表を阻止するために大きな役割を演じた。原爆被害に関する報道や文学などが、GHQの検閲や日本のマスコミの自主規制により姿を消した。
 アメリカのこうした政策は調査・研究面にも見られた。11月30日の学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会の第1回報告会の席上、GHQ経済科学局の担当官は、日本人による原爆被害研究はGHQの許可を必要とすること、またその結果の公表を禁止する旨を通達した。こうした制約は、日本における原爆症調査・研究・治療の進展を妨げる結果をもたらした。学術研究会議による調査研究は、約3年間で終息し、以後日本の科学者による組織的研究は途絶えた。
 いっぽう、アメリカは、医学的立場から長期にわたる調査研究を計画し、1946年11月26日のトルーマン大統領指令にもとづいてABCC(Atomic Bomb Casuality Commission)を組織した。日本におけるABCCの本格的調査活動は、1948年2月に遺伝学的調査から着手され、広島・長崎両市の全妊産婦の登録が試みられた。当時、妊婦には政府による食糧の特別配給が認められていたので、その増配申請がおこなわれる機会に、職員による面接調査を実施し、1953年12月までに77,000名(全妊婦の93%)の登録を完了している。また、1949-50年には、48年の広島市米穀配給台帳に被爆者として記入されている全員の家庭訪問を実施し、181,000名の被爆歴を入手した。さらに、1950年10月1日に実施された国勢調査に際し、ABCCは、その付帯調査として、被爆者の所在調査を全国的規模でおこない、284,000名の被爆者を把握した。

大田洋子文学碑建立記念誌

『大田洋子文学碑建立記念誌 1978・9』(岩崎清一郎編、[大田洋子文学碑]建立委員会事務局、19780925)

口絵<いしぶみと大田洋子関係>
01 お礼 建立代表 斎木寿夫・栗原貞子
02 追憶・大田洋子 ―文学碑建立に際して 佐多稲子
08 大田洋子文学碑について 大原富枝
11 記録・資料
11 碑文の由来
12 爆風の中の碑 四国五郎
14 大田洋子略年譜
18 記録・資料
18 大田洋子文学碑建立についてのお願い 安芸文学内 建立委員会事務局
20 協賛者
23 マスコミ関係のご協力
25 経過報告 事務局・岩崎清一郎
29 除幕式に寄せられた祝電
30 通信のなかから
34 募金協賛・御芳名録
47 会計報告
48 楽譜”少女たちは”
除幕式<於・中央公園/昭53・7・30>

内容

 

 

ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録

『ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録』(被爆建造物調査研究会編、広島平和記念資料館、19960331)

目次

部章節 項目 備考
序章
Ⅰ部 図説編
1 被爆建造物の被害の概要
2 被爆建造物の全体像
3 図説
1. 平和記念公園・周辺地区
2. 紙屋町・本通地区
3. 銀山・幟地区
4. 基町・白島地区
5. 国泰寺・千田地区
6. 十日市・中広地区
7. 牛田・広島駅周辺地区
8. 比治山・仁保地区
9. 皆実・宇品地区
10. 吉島・舟入・観音地区
11. 己斐・草津地区
12. 三篠・祇園地区
 2部 概説編
1 原爆とその物理的影響
 2  被爆建造物の保存の意義を考える
 3  被爆建造物と都市
 4  被爆前の広島の建築文化
 5  被爆建造物の保存・継承のあゆみ
6  被爆建物と被爆者の医学的検討
 7  国民学校と被爆
 8  橋と被爆者
9  日本の戦争遺跡
 10  ヨーロッパの戦争遺跡
 3部 資料編
 年表
 被爆建物の変遷
 被爆建造物リスト
 原爆被災説明板の一覧

 

年表:原爆ドーム保存募金(第2回)

年表:原爆ドーム保存募金(第2回)

1987年  
事項
1 22 広島市、原爆ドームの保存調査(10月から約4カ月)を20年ぶりに実施することを決定。
7 11 「原爆ドーム保存調査技術検討委員会」によるドームの保存調査、開始(1967年保存工事以来初の調査)。
8 18 広島市原爆ドーム保存調査技術検討委員会、同市で第2回会合を開催。9月から調査を実施することを決定。
9 18 広島市の原爆ドーム保存調査で、エックス線撮影によるドーム上空の検査開始。
11 4 広島市の原爆ドーム保存調査技術検討委員会、調査結果を発表。それによると、本体に重大な傷みはなく、一部に補修が必要。
11 16 原爆ドームの保存調査技術検討委員会の第4回会合、 広島市で開催。次回会合で、ドーム補修工事の時期・工法を決めることを決定。
12 9 広島市原爆ドーム保存調査技術検討委員会、ドームの補修箇所(約80カ所)を決定。(昭和63年度に工事予定。)
1988年   
事項
1 20 広島市原爆ドーム保存調査技術検討委員会、第6回会合開催。ドームの補修工法などを決定。
2 24 広島市原爆ドーム保存調査技術検定委員会の最終委員会、開催。ドーム保存についての最終報告書を作成することなどを確認。
2 29 広島市議会本会議で、原爆ドーム補修工事費などについて協議。社会党議員、工事費を全国からの募金でまかなうことを提案。
4 9 広島市原爆ドーム保存調査技術検討委員会、原爆ドーム保存についての最終報告書を広島市に提出。それによると、ドーム全体の大規模補修は必要なしと報告。
10 6 広島市、来年秋に原爆ドームの補修工事を実施することを発表(1967年に次いで2度目)。補修費の全国募金を検討していることを表明。
12 8 広島市、来秋からの原爆ドーム補修工事の費用を一般会計で賄うか、募金にするかを来年1月中旬に決定すると発表。
1989年   
事項
1 24 広島市、平和記念公園周辺の川に遊覧船を就航させるため、第三セクターの会社を設立。船上からは原爆ドーム・原爆慰霊碑などが眺望でき、7月から就航の計画。
1 25 広島県原水禁、原爆ドーム保存のため、国内外で募金活動を展開するよう広島市に申し入れ。
2 1 広島市、原爆ドーム保存工事費(2億円)を「募金」と「市費」で半額ずつ賄うことを決定。募金期間は5月から約8カ月間とし、内外に呼びかけ。
2 1 広島国際文化財団、広島市の原爆ドーム保存募金活動への全面協力を決定。
2 8 奈良・東大寺、広島市の原爆ドーム補修にと約24万円を寄付。広島市での同寺管長自筆色紙などの即売会の収益金。
2 10 広島県労会議・広島県原水禁、原爆ドームと被爆建物保存のための募金を3月から全国に呼びかけることを決定。
2 12 「広島県高校生平和ゼミナール」、広島市で開催(約200人参加)。英語・国語などの授業形式で平和学習。原爆ドーム保存などを求める緊急アピールを採択。
2 20 広島市、平成元年度当初予算案を発表。新規事業として原爆ドーム保存工事費・原爆養護ホーム建設費などを計上。美術を通じ平和に貢献した画家に贈る「ヒロシマ賞」(賞金500万円と被爆石)を創設。
2 28 原水禁、静岡市で全国委員会を開催。原爆ドーム保存募金・「脱原発法」制定運動を展開することなどを決定。
2 04? 原爆ドーム補修工事費募金について、問い合わせ・協力の申し出など相次ぐ。2日間で80件以上。
2 28? 広島市、原爆ドーム保存の補修費募金活動開始を繰り上げることを検討中。募金についての問い合わせが全国各地から相次いだため。
3 2 広島市議会本会議で、留学生への原爆資料館などの無料解放・原爆ドーム保存募金などについて論議。
3 3 広島市議会の全議員63人、原爆ドーム保存のために寄金(1人1万円ずつ計63万円)。
3 4 広島テレビ、「広島土曜ジャーナル」で「モニュメントは2つはいらない!」を放送。原爆ドーム保存と「ひろしまピースタワー」建設について考察。
3 6 広島市の局長級職員(37人)、原爆ドーム保存のために寄金(1人1万円ずつ、計37万円)。
3 9 広島市、原爆ドームの保存募金を訴える「原爆ドーム保存募金趣意書」作成。B4判に募金名称・趣旨・ドームの歴史などを記載。
3 9 広島県教組、東京での日教組臨時大会で、原爆ドーム保存募金運動に取り組むよう提案。
3 9 広島県選管、広島市議会議員の原爆ドーム保存募金に対して、「公職選挙法で禁止している「寄付」行為に当たると、市選管に善後策を検討するよう指導。
3 15? 広島市の吉島東小学校で、児童ら、原爆ドーム保存のための一円玉募金運動に取り組み(1月中旬開始)。
4 3 広島国際文化財団など、中国新聞紙上で、原爆ドーム永久保存募金への協力呼びかけを開始。
4 3 原水爆禁止日本国民会議中国ブロック会議の原水禁学校、鳥取県東伯郡で開催(約75人参加、4日まで)。脱原発法制定署名運動・原爆ドーム永久保存募金運動への取り組みなどを確認。
4 20 広島市、5月1日からの原爆ドーム保存のための街頭募金活動に、同市長が参加することを決定。
4 20 日教組と全国原爆被爆教職員の会、生徒・教職員を対象にした原爆ドーム保存募金運動の内容を発表。募金運動による新たな平和の展開を企図。
4 22 広島市の歌謡教室講師小川智道(被爆者)、「ドーム募金支援のカラオケ・チャリティー・レッスン」を実施(28日まで)。レッスン料を原爆ドーム永久保存募金に寄付。
4 23 「国連軍縮京都会議」に出席したベネゼエラ・ソ連代表、原爆ドーム募金に寄金。(海外からの第1号。)
4 24 「国連軍縮京都会議」に参加したカナダ代表、来広し、原爆ドーム保存募金に寄金。
4 26 広島市、5月1日からの原爆ドーム保存募金の概要を発表。それによると、1日には広島市長・被爆者ら、街頭で募金活動開始のPR。ポスター6千枚、募金趣意書1万枚を準備。全国からの送金相次ぎ約1250万円。
4 27 広島市の寺尾正而(妻・娘ら身内6人が被爆死)、原爆ドーム保存に寄金(200万円)。これまでのドーム募金の最高額。
4 28 東京都品川区、広島市の原爆ドーム保存募金運動を開始。同区では、募金のための予算として百万円を計上。
4 05? 旧広島県産業奨励館(原爆ドーム)の設計者故ヤン・レツルのめいから、「広島折鶴の会」メンバーに、ドーム保存への協力を訴えた手紙(1988年夏に送付)に対する返書が届く。
4 07? 福岡県の会社員古賀英毅、原爆ドーム保存に寄金。
5 1 広島市の原爆ドーム保存募金、正式スタート(12月25日まで)。すでに約450件、1500万円を超す寄付。目標額1億円。市役所・各区役所・原爆資料館などに募金箱を設置。
5 6 日本原水協、東京で全国理事会開催(150人参加、7日まで)。運動方針を決定。「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動の継続・拡大などを確認。原爆ドーム保存運動に協力することなどを決定。
5 11 福山市立蔵王小学校児童会、原爆ドーム保存募金(約4万円)を県教組福山支区に寄託。
5 11 広島市長、訪米。サクラメント市を訪れ、世界連帯都市市長会議・原爆ドーム保存募金への協力を呼びかけ。
5 12 広島市地域婦人団体連絡協議会、原爆ドーム保存募金に協力することを決定。目標額300万円。
5 13 広島県原水禁、広島市内街頭で原爆ドーム保存募金(約20人参加)。初の街頭活動。8月まで毎月2回実施。被爆橋元安橋保存なども訴え。
5 15 広島そごう・NTT中国支社、原爆ドーム保存募金へ寄付(16万円)。
5 15 東京都品川区、原爆ドーム保存募金活動を開始。区役所などにポスター・募金箱を設置。同区では、区予算としても募金100万円を計上。
5 16 広島修道大学で学生・教職員らが発起人となり、原爆ドーム保存募金への取り組みを開始。学内13ヵ所に募金箱を設置。
5 17 大阪市立淡路中学校生徒、修学旅行で来広。平和記念館を訪れ、昨年持参した韓国人被爆者資料を展示するよう要請。原爆ドーム保存募金に寄付(10万円余)。
5 18 ベルギーの駐日大使、新任のあいさつなどで来広し、原爆ドーム保存募金に寄金(2万円)。
5 19 映画「千羽づる」(神山征二郎監督)、完成し、広島市で試写会開催。監督ら来広し、記者会見。製作協力券の販売で集めた原爆ドーム保存募金(30万円)を広島市に寄贈。
5 20 東京都品川区の武蔵小山商店街第2ブロック、原爆ドーム保存募金に協力してチャリティーセールを実施。
5 23 広島県佐伯中央農業共同組合、原爆ドーム保存募金運動を開始。支所など22ヵ所に募金入れを設置。
5 28 広島市による原爆ドーム保存募金、3000万円を突破(28日現在)。個人からの募金879件、団体からの募金66件、小・中・高校114校など。
5 30 三井不動産相談役江戸英雄、原爆ドーム保存募金に寄付。
5 05? 広島市の大衆演劇場「清水劇場」で、原爆ドーム保存募金を実施。出演者の協力で色紙・ブロマイドの販売収益などを募金。
5 20? 広島市の原爆資料館に置かれた原爆ドーム保存募金箱に、修学旅行生らの募金相次ぐ(17日現在、114万円)。
5 21? 広島市の七宝作家田中稔子のグループ、作品展の収益を原爆ドーム募金に寄付(10万円)。
5 29? 広島県山県郡安野中学校生徒、広島の原爆ドーム保存募金の趣意書を作り、各家庭に協力を呼びかけ。
6 2 広島折鶴の会と電気通信共済会中国支部、原爆ドーム保存募金協賛のテレホンカードを作成し、販売を開始。1枚1000円で、うち200円を募金に。
6 5 広島国税局、開局40周年を記念して、原爆ドーム保存募金に職員の浄財約143万円を寄付。
6 7 広島県立安西高校生徒、平和公園で「ヒロシマを語る会」メンバーから、被爆体験などを聞く。原爆ドーム募金に寄金(約4万9千円)。
6 7 第16回広島平和音楽祭のゴールデン・メープル賞、決定。原爆ドーム保存をテーマに、広島市の森下義数が作詞した「生きてよかった  ありがとう」が受賞。
6 8 カナダ出身の広島女学院中・高校教諭ビル・ランドリー、カナダの国際使節団代表らから託された原爆ドーム保存募金を広島市に寄贈。
6 17 大衆演劇の俳優里見要次郎(広島出身)、出身校の宮島工業高校生徒と、広島市内で原爆ドーム保存の街頭募金を実施。
6 18 天理教広誠少年会、広島市で、原爆ドーム保存募金協賛バザーを開催。会員ら30人がパンフレットを配布し、協力を呼び掛け。
6 19 広島市の原爆ドーム保存募金、5000万円を超える(目標額1億円)。募金件数2021件、総額5085万円。
6 26 原爆小頭児と親のグループ「きのこ会」、広島市の原爆ドーム保存募金に寄金(10万円)。
6 29 京都府天田郡夜久野町の「平和の旅」の一行(21人)、来広し、被爆体験などを聞き平和学習。原爆ドーム保存募金に寄付(町費10万円)。
6 30 原爆ドーム保存募金のチャリティーコンサート、広島市で開催(エリザベト音楽大など後援)。
6 04? 原爆ドーム保存募金、開始約1ヶ月で3200万円を達成。目標額の約三分の一。
6 21? 北海道札幌郡広島町、町として原爆ドーム保存募金に協力することを決定。7月1日から呼びかけを開始。
7 4 広島市のスーパーマーケットの共同仕入れグループ、買い物客からの募金などを原爆ドーム保存募金に寄付(100万円)。この他、企業の広島支店長のグループから10万円。
7 6 カナダ・バンクーバー市のテレビ局、広島の原爆投下をテーマにした番組を製作し、放送。併せて原爆ドーム保存募金キャンペーンを開始。目標額約300万円。海外でのキャンペーン取り組みは初。
7 14 広島市の合唱グループ「コーロ・エレガンテ」、同市で演奏会を開催。収益の一部を原爆ドーム保存募金に寄付。
7 15 東京都品川区で、5月からの原爆ドーム保存募金が178万円に達する。
7 16 広島平和文化センター、広島市での海と島の博覧会のスペースアイランド自治体館に、原爆ドーム保存募金箱を設置。
7 17 大竹市立大竹中学校の生徒会有志(20人)、JR大竹駅前で、原爆ドーム保存の街頭募金を実施。この他、県立千代田高校生徒会も実施。
7 17 米の小学生から、広島市の原爆ドーム保存募金に1万円が届く。
7 18 広島県安芸郡熊野町原爆被爆者の会、同町内会被爆者からの原爆ドーム保存募金を広島市に寄付。
7 19 広島市安芸区畑賀小学校の児童会、原爆ドーム保存募金に寄付(1万2000円余)。
7 19 広島市の尾立峯雄、原爆ドーム保存募金に250万円を寄付。個人としてはこれまでの最高額。
7 20 広島市の原爆ドーム保存募金への寄付が相次ぐ。エリザベト音大山岸靖助教授のチャリティーコンサート収益金85万円余、五日市中学校生徒会8万円余、矢野小学校児童会3万円余、合唱グループ「コーロ・エレガンテ」のコンサート収益金2万円余。
7 25 中米ベリーズから、原爆ドーム保存募金に寄付(10万円)。同国首相が日本からの資料でドーム保存募金を知り、寄付を指示。
7 26 中国新聞社、原爆ドーム保存募金に寄付(50万円)。
7 27 旧産業奨励館を設計したヤン・レツルの設計事務所に勤めていた建築家の遺族、原爆ドーム保存募金に寄付(10万円)。
7 28 枚方市がチャーターした「平和の船」、広島港に入港。同市長・市議・市民ら約600人が参加。原爆資料館の見学、慰霊碑巡りなど実施。原爆ドーム保存募金に寄付(約20万円)。
7 30 大津市の市民グループによる「ひろしまへ  いのちに出会うたび」の平和バスツアーで、市民48人、来広。原爆資料館の見学、被爆体験の聴取など(31日まで)。原爆ドーム保存募金に寄付(3万6000円)。
7 31 広島市の原爆ドーム保存募金、約8100万円に達する。
7 31 東京都港区の区役所で、原爆写真展を開催。同展で原爆ドーム保存募金を実施。
7 08? 米カンザス大学演劇科学生、原爆劇「広島」を公演。同劇の作者堀田清美(広島県出身)に舞台写真・公演料などが届く。(公演料は原爆ドーム保存募金として広島市に寄贈。)
7 09? 広島文化財団、広島市の原爆ドーム保存募金運動に協力して募金箱・ポスターを作成し、県内の飲食店などに配布。
7 25? 広島県高田郡高宮町立高宮中学校の全校生徒(149人)、広島市で平和学習会開催。原爆ドーム保存募金に寄付(約3万3000円)。
8 1 中国5県の中国新聞販売店、原爆ドーム保存募金に寄付(60万円)。
8 1 財団法人多山報恩会、広島市の原爆ドーム保存募金に寄付(100万円)。
8 1 立正佼成会、広島市の原爆ドーム保存募金に寄付(500万円)。これまでの最高額。
8 2 広島県信用組合職員、原爆ドーム保存募金に寄付(100万円)。
8 3 広島県豊田郡川尻町の小学生ら、同町民が折った折りづる(4万7000羽)を「原爆の子の像」などにささげる。今年6回目。原爆ドーム保存募金に寄付(約30万円)。
8 3 広島市の中学生ら、原爆ドームをかたどったソーラーバルーン(太陽気球)を作り、掲揚し、ドーム保存募金への協力を呼びかけ。
8 4 広島市江波中学校第4期同窓生、原爆ドーム保存募金に寄付(24万3000円)。
8 4 西独ベルリン市のベルリン州大蔵大臣、来広し、帰国後に原爆ドーム保存募金をベルリン市民に呼びかけたいとの意向表明。(世界平和連帯都市市長会議出席のため来日。)
8 4 旧陸軍省の広島災害調査班長だった岸英夫、原爆ドーム保存募金に応じ、広島市を再訪。
8 4 広島市の原爆ドーム保存募金、目標額の1億円を突破し、1億3千万円に。原水禁国民会議1千万円、東京都品川区270万円など大口寄付が相次ぐ。
8 5 原爆ドーム保存募金のためのチャリティーダンスパーティー、広島市で開催。
8 5 日本生活協同組合連合会、原爆ドーム保存募金に寄付(100万円)。
8 5 北海道札幌郡広島町代表、来広し、広島市の原爆ドーム保存募金に寄付(174万円)。
8 6 呉市の音楽愛好家ら、「愛と平和の歌を聞く会」を結成し、チャリティーコンサートを開催。収益金は原爆ドーム保存募金に寄付。
8 6 テレビ番組「託す~広島へのメッセージ」(新広島テレビ)、放送。原爆ドーム保存募金をテーマに。
8 6 イスラエルの平和活動家の所有するFMラジオ局「ボイス・オブ・ピース」、原爆記念日の特別音楽番組を放送。原爆ドーム保存募金を呼び掛け。
8 6 テレビ番組「サンデーリポートひろしま『みんなで残そう原爆ドーム』」(広島テレビ)、放送。
8 7 安芸郡海田町商工会青年部、原爆ドーム保存募金として広島市に寄付(10万3500円)。
8 9 広島県職員退職者会、原爆ドーム保存募金に寄付(約40万4000円)。
8 11 女優吉永小百合、原爆ドーム保存募金に寄付(テレビ番組「託す~広島へのメッセージ」の出演料100万円)。
8 15 広島県柔道連盟常任理事中谷雄英、原爆ドーム保存募金に寄付(10万円)。
8 06? 東京都の品川区長、来広し、区民らによる原爆ドーム保存募金を広島市に寄付(約280万円)。
9 8 広島市の原爆ドーム保存募金、2億円を突破。5月1日開始以来、募金件数5800件、総額2億517万684円。
9 13 全国珠算教育連盟広島県支部、原爆ドーム保存募金に寄付(21万円)。
9 15 原爆ドーム保存募金に協力するガレージセール(不用品などの売買)、広島市西区で実施(17日まで、売上金の5%をドーム募金に寄付)。
9 26 主婦連・都被団協など6団体、原爆ドーム保存募金1200万円余を寄付。
9 26 東京・有楽町で、講演会「みんなで残そう原爆ドーム」、開催(広島市原爆ドーム保存募金事務局・朝日新聞社主催)。作家上坂冬子・映画監督新藤兼人による講演。
9 26 広島市地域婦人団体連絡協議会、原爆ドーム保存募金620万円余を寄付。
9 27 原爆ドーム保存募金のためのチャリティー展示即売会、広島市で開催(10月2日まで)。画家奥田元宋・平山郁夫らの作品を販売。
9 27 広島市母子寡婦福祉連合会、原爆ドーム保存募金67万円余を広島市に寄付。
9 28 西独プロテニスのプレーヤー、シュティフィ・グラフ、来広し、原爆ドーム保存募金50万円を寄付。
9 12? 広島市出身の指物師木村正(被爆者)、同市内デパートでの職人芸展の収益金を原爆ドーム保存基金に寄付。
9 15? 広島市で被爆した兵庫県の会社役員、いわき市の小学生から託された原爆ドーム保存募金を中国新聞社に届ける。
10 3 長崎県被爆教職員の会など、広島原爆ドーム保存募金への協力を校長会などに呼びかけるよう長崎市・市教委に要請。
10 7 東京大学付属高校生徒、文化祭で、広島研修旅行の報告と原爆ドーム保存募金バザーを実施。
10 9 中国電力、中電コンサートでの募金(15万円余)を原爆ドーム保存募金に寄付。
10 16 東京都新宿区とヒロシマ原爆ドーム保存募金新宿区協力会、原爆ドーム保存募金約80万円を広島市に寄付。
10 28 広島市、原爆ドーム保存募金で全国から寄せられた手紙を本にまとめる構想を発表(1990年出版予定)。
10 29 広島市安芸区矢野婦人会(伊藤サカエ会長)、原爆ドームをテーマにした劇「原爆の母」を同区福祉センターで上演。
10 31 広島市、原爆ドームの保存工事を開始(1990年3月終了予定)。安全祈願式開催(約30人出席)。広島市長、ドーム保存募金が2億6千万円余に達したことを報告。
11 1 広島国際文化財団、原爆ドーム保存募金運動の一助に、原爆ドームをデザインしたプリペイドカードを販売。
11 6 全国解放保育連絡会、広島市に原爆ドーム募金を寄付(40万円)。
11 10 西日本旅客鉄道労働組合、広島市に原爆ドーム保存募金を寄贈(194万円)。
11 14 広島市の原爆ドーム保存工事で、ドーム内部への足場組み立て作業、開始。
11 14 広島県立海田高校生徒会、原爆ドーム保存募金(約8万円)を安芸区役所に寄託。
11 15 カナダの平和団体の招きで被爆体験を訴えた広島県被団協(佐久間澄理事長)の村田忠彦、カナダでの原爆ドーム保存募金(約3万円)を広島市に寄付。
11 15 版画家長谷川富三郎、原爆ドームなどを描いた版画を広島県立美術館などに寄贈。
11 18 英の画家グラハム・クラーク、原爆ドーム募金にと自作の版画をチャリティー頒布(20日まで)。自作の絵画「ダンス・フォア・ピース」を広島市に寄贈。
11 20 広島市の原爆ドーム保存募金、国際バレーボール連盟からの募金(約286万円)で、三億円を突破。内訳は、個人募金約1億5千万円など。
11 20 広島市、国際バレーボール連盟会長ルーベン・アコスタ・ヘルナンデスに、特別名誉市長の称号を贈呈。広島市でのピースセレモニー開催・原爆ドーム保存募金への寄付などの功績による。
11 21 原爆ドーム保存工事を請け負った清水建設、ドーム保存募金246万円余を広島市に寄付。
11 21 呉市の元教師中森明、自費出版した「ヒロシマの鎮魂のために」の中で呼びかけた原爆ドーム保存募金50万円を広島市に寄付。
11 25 京都府八幡市長ら、来広し、原爆ドーム保存募金に50万円寄付。同市は、原爆ドームをあしらったシールを作成し、販売した収益金を寄付。
11 01? 原爆ドームの設計者ヤン・レツルのめいから、読売新聞広島支局に、ドーム保存を願う手紙が届く。
12 7 広島市の原爆ドーム保存工事で、工事用足場が完成し、鋼材補強などの作業開始。
12 8 広島県被団協(森滝市郎理事長)、原爆ドーム保存募金532万円余を広島市に寄付。
12 8 浄土真宗本願寺派安芸教区、原爆ドーム保存募金231万円余を広島市に寄付。
12 11 広島県原水禁、原爆ドーム保存募金500万円を広島市に寄付。
12 11 原爆ドーム補修などに協力するチャリティー展、広島市で開催(広島職場美術協会主催、19日まで)。
12 14 広島市の大下学園祇園高校校友会、文化祭のバザー売上金22万円余を原爆ドーム保存募金に寄付。
12 14 広島市議会で、原爆ドーム保存募金の運用をめぐり論議。広島市長、1億円を超えた額については、保存募金として積み立てると答弁。
12 21 22年前に広島市の原爆ドーム保存工事に携った技術者ら、ドームの工事現場で再会。
12 22 富士通労組、原爆ドーム保存募金765万円余を広島市に寄付。このほか、広島司法書士会から308万円余。募金合計は3億5千万円を突破。
12 22 中国電力・中国新聞社、原爆ドーム保存募金130万円余を広島市に寄付。
12 25 広島市が呼びかけていた原爆ドーム保存募金の受け付け、締め切り。総額3億7085万円、総件数7774件、うち広島市内分は約2億1700万円、2808件。
12 26 広島市、原爆ドーム保存募金に添えて寄せられた各地からの手紙(約3000通)をまとめて出版することを決定。
12 28 広島市の原爆ドーム保存工事の年内作業、終了。

 

広島大学と「被災資料センター」

湯崎稔「原爆被災資料の問題をめぐって-広島大学と『被災資料センター』」(『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』、広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会、19770910 )

1. はじめに
2. 被災資料収集活動のはじまり
その先駆的活動
長岡省吾と原爆資料館
3. 「原爆白書」運動の胎動
『原水爆白書』
地元紙による白書キャンペーン
金井の「被害白書」提案
4. 原爆被災白書運動と「資料センター」問題
「談和会」運動
原医研の「標本保存センター」計画
「7人委員会」の白書運動支援
佐藤首相会見と要望書提出
原医研の「原爆被災学術標本センター」の設置要求
「原爆被災学術標本センター」の構想内容
「センター構想」に対する市民の反応
原医研「原爆医学標本センターの開設」
「白書推進委員会」と「市民の会」の発足
「白書推進委員会」の活動
5. 学術会議と「資料センター」設置運動
学術会議の取り組み
「原災研」の発足と資料収集の高まり
資料センターをめぐる研究班活動
学術会議の資料センター設置勧告
センター設立推進運動の展開
センター設立推進組織の発足
全国推進組織の発足と「センター案」の具体化
学術会議の「合同会議」と「被災資料小委員会」
学術会議の政府申入れ
AFIPからの資料返還と世論の高まり
6. 「原爆被災学術資料センター」の発足
7. 結びにかえて-今後の課題

 

 

原爆と広島大学 「生死の火」学術篇

『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会、19770910 )

目次

章節
自然科学の部
はじめに 竹山晴夫(広島大学長)
第I章  理・工学関係
第1節  物理学及び化学分野(竹山晴夫、禰宜田久男)
1.広島文理科大学物理学教室員による残存放射能測定 5
2.広島文理科大学化学教室員による残存放射能測定 8
3.平原英治による残存放射能測定 8
4.庄野直美の諸研究 8
5.藤原武夫の爆心の位置推定 8
第2節 動物学分野-原子爆弾災害の動物学的調査
1.情報収集から判断される被爆直後の動物相 9
2.第一次調査における動物相の状況 9
3.放射能による動物への影響を調べるための観察と実験 10
4.第二次調査の動物相の状況 11
第3節  植物学分野(藤田哲夫、安藤久次、田中隆荘)
1.原子爆弾の植物に対する影響調査のこと 12
2.被爆後爆心地附近に生じた雑草の調査と標本展示 16
3.被爆後広島市に残存または出現した蘚苔類の研究 16
4.原子爆弾による被害植物の解剖学的研究 17
第4節 地学分野-原子爆弾による岩石等の表面の剥離現象と溶解現象-(小島丈児)
まえがき 27
1.カコウ岩表面の剥離現象 27
2.岩石等の表面の溶融現象 28
3.熱線と爆風と剥離現象の前後関係 28
4.広島と長崎の比較 30
第5節  建築学分野(佐藤重夫、葛西重男)
1.広島原爆ドーム保存工事 31
2.原爆による広島市内建築物の破壊調査 37
第Ⅱ章 医学関係
第1節  原子爆弾被爆と医学研究-病理学を中心に-(飯島宗一)49
1.被爆影響の医学研究史概観 49
2.広島大学と病理学的寄与 52
3.ABCCと放射線影響研究所 53
4.被爆による医学的障害 55
第2節 医学部における初期の研究と原爆放射能医学研究所の設立(渡辺漸)
第3節  原爆放射能医学研究所の設立前後(志水清)
第4節 原爆放射能医学研究所における将来計画と協同研究への歩み(岡本直正)
第5節 ヒロシマと原爆(西丸和義)
1.私とその周辺 62
2.県立医専から医学部の周辺 63
第6節  原爆症の病理学的争点 体験からの考察-(杉原芳夫)65
1.原爆ケロイド 66
2.慢性原爆症-原爆の遅発性影響 68
3.被爆二世 76
おわりに 78
第7節 原爆の放射線量測定(竹下健児)
1.広島原爆と物理的調査 79
2.瞬間放射線 81
3.残存放射能 83
4.考察 87
第8節 原子爆弾被爆直後の罹災者の白血球数について(西丸和義)89
緒言 89
1.調査方法 89
2.調査成績 90
3.考察と総括 91
結語 95
第9節 原爆症ならびにその後遺症と神経精神医学的(小沼十寸穂)98
はしがき
1.原爆症亜急性期に関するもの 97
2.原爆症後遺症と神経精神医学的知見 98
3.その他の関連的知見 101
まとめ 102
第10節 原爆白内障(百々次夫、調枝寛治)105
1.原爆白内障の臨床的観察 105
2.原爆白内障の診断に関して 109
3.実験的研究の概要 110
4.まとめ 111
第11節  原爆被爆婦人の晩発障害と被爆後出産児の異常について
(田渕昭)
1.被爆婦人の晩発障害 112
2.被爆後出産児の異常 117
まとめ 121
第12節  広島における胎内原爆被爆児の障害-とくに発育障害について-
(藤原篤、平位剛)121
はじめに 121
1.流早死産と出産後の早期死亡 122
2.胎内被爆児の発育障害 122
まとめ 126
おわりに 127
第13節 原爆被爆者の内科的障害(蔵本淳)128
第13節 原爆被爆者の内科的障害(蔵本淳)128
1.急性障害の概要と初期の対策活動 128
2.広大原医研内科の診療状況と研究活動 129
第14節 回想 (上村良一)
第15節 原爆症と外科(江崎治夫)
第16節 原爆放射能医学研究所臨床第二(外科)部門研究概況(岩森茂)143
第17節 被爆者における衛生学的研究(奥田久範)145
第18節 悪性新生物の死亡統計(栗原登)147
第19節  広島の原爆被爆者白血病(大北威、高橋宏)151
1.序にかえて:白血病とはどういう病気か 151
2.原爆被爆者の白血病についての研究 152
3.広島における被爆者白血病疫学の概要と近況 155
第20節 広島被爆児より発生せる悪性新生物(大谷敏夫)160
第21節 原爆被爆者の甲状腺疾患(江崎治夫)165
1.はじめに 165
2.予備調査 167
3.研成績 167
付言 173
第22節 被爆者の胃がん、乳がん(服部孝雄、大屋正章、山県司政、名草幸博)174
はじめに 174
1.胃がんについて 175
2.乳がんについて 181
第23節  被爆者の肺癌(徳岡昭治)183
第24節 原爆と皮膚悪性腫瘍(矢村卓也)186
まえがき 186
まとめ 188
第25節  原爆被爆者と尿路性器疾患(石部知行、仁平寛巳、加藤篤二)189
第26節  原爆と唾液腺腫瘍(広瀬文男、武市宜雄)191
1.原爆被曝者に発生した唾液腺腫瘍 194
2.X線照射による唾液腺腫瘍の誘発 196
3.原爆被曝者の剖検例における唾液腺の組織変化 198
4.考察並びに将来の研究方向 199
第27節  放射線発癌-胃、直腸および前立腺における実験癌の誘発-(広瀬文男)
1.実験胃癌の誘発 201
2.実験直腸癌の誘発 207
3.実験前立腺癌の誘発 209
4.結語 210
第28節  速中性子照射による生物学的効果の側面-特に心臓異常発生の実験
奇形学的立場から-(岡本直正、佐藤幸男、日高惟登、秋本向孝、宮原晋一)211
はじめに
1.速中性子と、その生物学的効果について 212
2.心臓異常発生の催奇形源としての速中性子による実験 212
3.速中性子照射後の胚葉細胞の変化いわゆる急性期の症状について 213
4.染色体の変化について 214
5.照射後5日目以降の変化、特に心ループの変化について 214
6.心球部にみられる細胞死について
7.完全大血管の成り立ち方について 216
おわりに 218
第29節 中性子線の生物作用-原医研障害基礎研究師門-(安徳重敏)219
第29節 中性子線の生物作用-原医研障害基礎研究師門-(安徳重敏)219
1.緒言ん 219
2.中性子線およびγ線の物理的性質 219
3.急性致死のRBE 220
4.器管の細胞に対するRBE 221
5.中性子線障害の修飾因子 221
6.原爆放射線の特異性 222
7.結語 224
第30節 放射線の生物学的影響について(澤田昭正)225
1.中性子の影響 225
2.瞬間大線量照射の影響 232
3.DNAに対する放射線の影響 233
第31節 核酸と蛋白質にたいする電」放射線の影響-特にクロスリンクについて-(山本修)226
1.序 236
2.放射線による蛋白質の変性 237
3.含イオウアミノ酸と芳香族アミノ酸の特異的反応性 237
4.蛋白質-蛋白質クロスリンクの機構 238
5.蛋白質-核酸クロスリンクの機構 240
6.核酸-核酸クロスリンクの機構 241
7.生体内で得られた結果 242
8.非共有結合によるクロスリンク 212
9.結語 243
第32節 被爆者をめぐる社会医学的研究の動向(務中昌己)245
はじめに 245
1.研究部門開設の背景とその経過 245
2.研究対象とその学問的意義 245
3.研究の方法とその体制 245
4.研究の経過 246
5.被爆者をめぐる社会医学的研究の概要 217
6.被爆者をめぐる社会医学的研究上の問題点 218
7.被爆者をめぐる社会医学的研究の今後の方向と主たるテーマ 248
おわリに 249
第33節  原爆被災のシミュレーション(渡辺嶺男)249
1.シミュレーション 219
2.構造モデルと過去モデル 250
3.原爆被災の過去モデル 251
4.原爆被災包括モデル 251
第34節 被爆者医療(志水清)252
人文科学の部
第I章 人文科学関係(横田輝俊、磯貝英夫、松元寛)257
第Ⅱ章  社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)260
はしがき 260
1.被爆の実態および調査 260
2.平和運動をめぐって 263
3.ヒロシマの戦後と世界の中のヒロシマ 266
第Ⅲ章 平和教育関係(大槻和夫)269
はじめに 269
1.長田新の平和教育論とその実践 269
2.教育学部附属中学校「原爆と平和」 271
3.教育学部社会科教室を中心とする調査研究 272
4.教育学部附属中・高校国語科の試み 273
5.教育学部附属小学校の『子どもと父母と教師が書いた、原爆の記憶』3部作 273
6. 平和教育の発展の中で 274
おわりに 276
原爆被災資料の問題をめぐって-広島大学と「披災資料センター」-(湯崎稔)279
1.はじめに 279
2.被災資料収集活動のはじまり 280
3.「原爆白書」運動の胎動 282
4.原爆被災白書運動と「資料センター」問題 281
5.学術会議と「資料センター」設置運動 291
6.「原爆被災学術資料セター」の発足 311
7.結びにかえて-今後の課題 312
あとがき 横田輝俊 314

 

 

ひろしま今昔-’80広島市政指定都市記念

『ひろしま今昔-’80広島市政指定都市記念』(広島市公文書館編、広島市、19800904)

目次

項目 備考
ごあいさつ(荒木武)
ポスター・公文書・写真にみる広島90年
1 明治の広島と市制誕生
2  軍都のはじまり
 3 都市の発達
4  教育の発展
5  不況の波と大戦の足音
6  戦時体制の進展
7 国民精神総動員
8 大戦の勃発
9 敗戦への道
10  広島の昭和20年
11 被爆後の市民生活
12  ヒロシマの声
13  復興にむかって
14  建設のひびき
15 広島の発展
市民による広島市の新しい美の発見
選者評
広島のあゆみ(年表)
広島市の行政区画
160 あとがき(小堺吉光)

 

ひろしま 市制90周年記念

『ひろしま 市制90周年記念』(広島市長室広報課、1979/04/01)

目次

項目 備考
03 市制90年を迎えて 荒木武(広島市長)
04 平和のあゆみ
06 座談会-あすの広島を考える 荒木武・今堀誠二・大牟田稔
10 市民50人の提言
14 市制90周年・広島のあゆみ
21 間近にせまる政令指定都市広島
23 広島の都市像-国際平和文化都市
24 計画の基本的な考え方 人口・市民所得
25 土地利用構想 施策体系
26 世界平和をめざすまちづくり
自然を守り、生かすまちづくり 27
安全で、快適なまちづくり 28
健康で、幸せに暮らせるまちづくり 33
36 広島案内図
豊かな人間性をはぐくむまちづくり 38
安定した生活のできるまちづくり 43
市民の連帯感と強度愛にささえられたまちづくり 47
48 平和・姉妹都市
育て広島っ子たち 50
広島とスポーツ 52
スポーツ施設 53
広島の祭りと行事 54
広島の文化財・工芸品 55
広島の特産・味 56
広島の伝承-広島の民話 57
広島人気質・広島の民族 59
60 対談-広島人とは 松元寛・小久保均
広島の方言 62
広島のおもな観光地 64
66 【資料】市の木=クスノキ、市の花=キョウチクトウ
67 【資料】広島市歌、ひろしま平和の歌

 

街と暮らしの50年

『街と暮らしの50年-被爆50周年 図説戦後広島市史』(高橋衛監修 被爆50年記念史編修研究会、広島市総務局公文書館、19960331 )

 

 

 

執筆等
刊行によせて (高橋衛)
第1部  写真でみる50年
003 1995年 平和宣言 (平岡敬)
006 広島の戦後は8月6日に始まった
017 被災調査と放射線障害
019 占領軍と広島
027 お母さん僕はここに立っています
029 槌音が響き、街はよみがえる
033 家が建ち、笑顔がもどる
035 活気みなぎる駅前ヤミ市
041 空から見た復興、昭和22年
043 広島 2年目の夏
048 街並みがよみがえる
051 街を考える
053 街並みを変える
059  一人もれなく投票だ
061  平和をデザインする
065  太田川改修工事
069 市民の暮らしと住宅の戦後史
073 復興した街
075 郊外の都市化
077 変わり行く都市空間
079 新しい住・商空間
081 戦後史のなかのランドマーク建築
083 市民の台所をささえる
085   届かなかったはしご車
089 都市圏の拡大と水道事業
091 ごみ非常事態宣言をこえて
095 市財政やりくりの記録
097 政令指定都市への移行
099 産業の復興
101 朝鮮戦争特需から造船ブームへ
103 復興を実感した広島博
105 自動車工業の戦後
107 あこがれのマイカー
109 高速経済成長と特産工業
111 造船不況から航空機生産へ
113 統計でみる生活の一面
115 農村のくらし
119 海辺のくらし
121 まちのくらし
139 原爆ドームのある風景
141 祭りと市民
145 子どもの笑顔に未来が見えた
157 狭められた子どもの空間
159 ぼくらのまいにち
165 戦後スポーツのスタート
167 たのしい運動会
169 東京五輪から市民スポーツへ
171 輝かしき学校運動部
173 カープを見つめるひとびと
177 広島アジ競技大会
181 原爆を描く
183 美術館
185 美術展と美術賞
187 原子雲の下の文学
191 演劇半世紀のドラマ
195 市民と音楽
199 チケット50年
203 地域のなかの公民館
205 映像のなかの広島
207 姉妹都市の歴史
209 カメラ少年の8・6
211 原爆犠牲者の追悼
213 被爆者援護
217 もえあがる反核運動
219 広がる反核の波
221 広島を訪れた外国人
223 被爆体験を知らせる
225 体験を伝える
227 継承運動が広がる
229 被爆建物さまざまなその後
231 新聞社会面のヒロシマ
233 切手の中の原爆
235 町の中の「平和」
239 平和記念式典のあゆみ
241 50年目の8月6日
第2部  50年おもなできごと  247~
 1945 8月6日のカメラマンたち/戦禍につづく冷風禍一枕崎台風/被爆直後の新聞報道 <残っていた戦時中の防火水槽 >
1946  復興審議会の設立と役割/本通商店街のあのころ一中山良一の遺稿から/食糧メーデー <雑草を食べて飢えをしのぐ >
1947 町内会・部落会・隣組の廃止一政令15号と市民生活一/初の公選市長・浜井市政の発足/「原爆十景」の選定 < 机がほしい、窓ガラスがほしい! >
1948  児童文化会館の建設/サマータイム/広島で生まれたエスキーテニス  <戦後初のプロ野球試合 >
1949 フロイド・シュモーと「ヒロシマ・ハウス」の建設/ノーマン・カズンズと国際精神 養子連動/海外布住者からの復興援助 <市民を悩ませた衛生害虫 >
1950 天気図がはじめて新聞に掲載される/開かれなかった平和祭/評判が悪かった平和祭/原爆ドームの史跡指定決議  <紙しばいが免許制になる >
1951  文化行事が盛んになる/第6回国民体育大会の開催 < 盗まれた平和の鐘>
1952 原爆死没者慰霊碑と碑文/戦後広島の演劇と広島民衆劇場 <バタンコの登場 >
1953 原爆文学論争  <ラ・パンセ像の出現>
1954 ビキニ事件と原水爆禁止運動/被爆体験記の刊行が活発化  <中国大動物園の盛況>
1955 文化施設の落成/戸坂・中由・井口3村の編入合併  <本通りのオーニング倒壊>
1956 「原爆の子の像」の建立/原爆乙女の渡米治療  <テレビ劇場の登場>
1957  百メートル道路と供木運動/交通事故の激増とノークラクション運動/バスセンターの開業  <第1回春季赤ちゃんコンテスト >
1958 広島復興大博覧会の開催  <平和公園でホタル狩り >
1959  ごみ焼却場の建設が始まる/ホノルル市との姉妹都市縁組 < 放水路工事で魚ピチピチ >
1960 原爆ドームの存廃論議/フェニックス号、広島に帰る <ユースホステルの開所 >
1961 広島空港の開港/「20歳の直言」募集始まる/戦後最大規模のメーデー  <レジャーブーム到来>
1962  「交通地獄から「交通戦争」へ/「二都物語」の波紋 <広島市の動物園 >
1963 38年豪雪と過疎化の波/失業対策事業の45年 <ヘルスセンターの隆盛 >
 1964 山陽本線の電化/原水禁運動の分裂と新しい展開 <東京オリンピックの聖火リレー>
1965 -66 三篠川の氾濫/陸上自衛隊の観閲行進/広島民衆駅の落成と開業/的場町河岸の強制立ち退き執行 <しぐさの社会史>
1967 -68 「原爆スラム」の火災と再開発/原爆ドームの保存工事完成/「原爆白書」運動と原爆被災資料広島研究会 <ミニスカートの大流行>
1969 -70 大学紛争と広大統合移転/原爆記録映画を市民の手で <大阪万博の大盛況 >
1971 -72 昭和40年代の広島市の公害/安佐動物公園の開園 <ポケベルの登場>
1973 -74 広域合併の推進/米国からの被爆資料の返還  <歩行者天国}
1975 -76 ごみ非常事態宣言/広島市植物公園の開園 <マンガブーム再び>
1977 -78 ひろしまフラワーフェスティバル/広島市西部開発事業の展開 <市民菜園が大人気 >
1979 文化行政の展開 <アメリカの「船上デパート」寄港>
1980 -81 政令指定都市広島の区名の決定/反核運動の新しい波10フィート連動/被爆瓦の発掘と「ヒロシマの碑」建立運動 <ドルトムント路面電車が広島に >
1982 -83 反核20万人集会/相生橋の架けかえ工事/段原再開発の工事が始まる <週休2日制始まる>
1984 -85 原爆死没者慰霊碑の改築/第1回ワールドカップ・マラソン広島大会/第1回国際アニメーションフェスティバル広島大会  <ハレー彗星を観る>
1986 -87 旧国鉄宇品線の廃止/アストラムラインの建設 < 平和記念ポストが平和記念公園に>
1988 -89 築城400年を迎えた広島城/海と島の博覧会開幕  <広島市現代美術館の開館 >
1990 -91 アニメと反核/台風19号の襲来 <「カラオケ花見」の自粛を >
1992 -93 米スミソニアン原爆展問題/新広島空港の開港毎 <サメ騒動 >
1994 広島アジア競技大会の開催/広島市立大学の開学 <カラカラ天気に泣く>
1995  広島市の被爆50周年記念事業 <ヒロシマエバヤマザクラ>
特論
323 1.占領下の広島 中川剛
325 2.プレス・コードとヒロシマ 好村富士彦
327 3.講和条約と広島 宇吹暁
329 4.広島の復興をどうみるか 石丸紀興
331 5.60年安保と広島 宇吹暁
333 6.戦後建築の変遷過程 杉本俊多
335 7.生活者からの都市づくり 阪神大震災から被爆後50年を考える 船場正富
337 8.戦後市政の特質 中川剛
339 9.高度経済成長と市民生活 高橋衛
341 10.広島の美術50年 金田晋
343 11.広島と音楽 広島と音楽
345 12.市民の活動にみる 広島のアイデンティティ 嶋陸奥彦
347 13.教室不足のなかの戦後教育 菅井直也
349 14.戦後の社会教育 新見豊
351 15.レジャーとスポーツの現在 新井貞光
353 16.被爆者援護とこの50年 宇吹暁
355 17.次の半世紀へ継承を考える 石田信夫
357 グラビア・50年目の広島
379 写真図版リスト
382 あとがき (松林俊一)
再版(20010731) ヒロシマの音楽「一本の鉛筆があれば…」CD付