『世界平和への提言-ユネスコ語録』(民間ユネスコ活動推進連絡協議会編、日本ユネスコ協会連盟、19720601)
内容
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民間ユネスコ運動25周年記念出版 |
007 |
数納清(社団法人日本ユネスコ協会連盟会長) |
はじめに |
009 |
ユネスコ設立のためのロンドン会議 |
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各国代表の演説 |
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010 |
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ロンドン会議の背景 |
013 |
C・Rアトリー(会議議長、イギリス首相) |
歓迎の辞 |
017 |
エレン・ウィルキンソン(イギリス文相) |
開会のあいさつ |
022 |
レオン・ブルム(共同議長、フランス主席代表) |
あいさつ |
028 |
A・ミヒェルセン ほか |
演説抜すい |
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A・ミヒェルセン、ファタン・アミル・パシャ、ルネ・カッサン、ラジクマリ・アムリト・カウル・トレス・ボデー、ヴァン・デル・レーウ、A・E・キャンプベル、ニルス・ヒエルムトヴェイト、マキシモ・M・カラウ、クゼラフ・ウィセク、バーナード・ドルセウィエスキー、サン・アリ・ユーセル、アーチボルド・マックリーシュ、ルジュポ・レオンティク |
035 |
ウイリアム・ベントン(国務次官補) |
国務長官へ宛てた伝達書 |
037 |
アーチボルト・マックリーシュ |
アメリカ代表団主席より国務長官へ宛てた報告書 |
047 |
ジュリアン・ハックスレー |
ユネスコの目的と哲学 |
075 |
ジュリアン・ハックスレー |
世界各国民の自己探求 |
085 |
ハイメ・トレス・ボデー |
戦争との戦い |
097 |
ハイメ・トレス・ボデー |
ユネスコ、軍服をつけぬ人々の要塞 |
105 |
ジャン=ポール・サルトル |
作家の責任 |
131 |
八人の科学者による共同声明 |
139 |
平和問題に関する日本の科学者の声明 |
147 |
ゴールドン・W・オルポルト |
期待の役割 |
187 |
箕輪三郎 |
ユネスコと日本 |
204 |
鮎沢 巌 |
歴史の現段階とユネスコの使命 |
218 |
前田多門 |
日本のユネスコ加盟に際して |
222 |
仁科芳雄 |
平和問題と科学者の態度 |
227 |
安倍能成 |
平和宣言 |
235 |
谷川徹三 |
ユネスコと世界政府運動 |
240 |
森戸辰男 |
独立と平和主義 |
245 |
大原総一郎 |
ユネスコ運動にのぞむもの |
249 |
喜多村 浩 |
平和をになう経済 |
255 |
横田喜三郎 |
ユネスコ活動のあり方―重点を大衆の国際理解に |
259 |
関口 泰 |
戦力不保持に誇を持って |
264 |
勝本清一郎 |
ユネスコ運動の民主的公共性 |
271 |
抄録 |
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273 |
アーノルド・トインビー |
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273 |
アルベエル・カミユ |
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<以下日本人のみ> |
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285 |
安倍能成 |
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伊原宇三郎 |
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上田康一 |
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尾高朝雄 |
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勝沼精蔵 |
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勝本清一郎 |
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桑原武夫 |
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矢内原伊作 |
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ユネスコ憲章(前文・第一条) |
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筆者紹介 |
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原典紹介 |
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編集後記 |
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『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』(WCOTP・日教組報告書編集委員会編、勁草書房、19830710)
目次
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刊行のことば |
槙枝元文 |
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世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム |
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序章 |
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広島アピール 19821029 |
軍縮教育国際シンポジウム |
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第1部 |
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第1章 |
シンポジウムの意義と課題-全体会議挨拶・報告 |
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沈黙を守らずに声をあげて語ろう |
ジェームス・キリーン |
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被爆国の国際的責務を自覚して |
槇枝元文 |
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国際教育分野におけるユネスコの活動 |
ヤハイル・カバチェンコ |
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第2回国連軍縮特別総会後の国連と軍縮教育 |
ヤン・モーテンソン |
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勝利は必ずや私たちのものに |
ヴィクター・シュー |
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第2章 |
全大陸から |
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戦争をさばく良心を |
アルフレッド・バッド |
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平和を望むのなら平和を準備せよ |
ギー・ジョルジュ |
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資源を飢えと無知の克服のために |
シー・アビブーラエ |
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平和・軍縮のために勇気を |
サミュエル・ベロ |
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子どもたちに何を語るべきか |
ウィラード・マックガイヤー |
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核時代に人類の生存をかけて |
橋口和子 |
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近・現代史教育を強化しよう |
ワー・スト |
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真実の軍縮と世界平和のために(メッセージ) |
中国教育工会全国委員会 |
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軍縮教育-ソ連の経験から- |
ユーリ・ニキホロフ |
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第3章 |
国際組織から |
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今こそ人権と平和の教育を |
ジャン・ドバール |
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今日の世界における軍縮教育 |
アンドレ・ドルベー |
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IFFTU第13回世界大会決議の意義 |
フレッド・ヴァン・ルーウェン |
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平和・軍縮のための教育者の国際的協議を |
ダニエル・ルトロー |
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第4章 |
二つの学会から |
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平和・軍縮教育-3つの視点 |
大田堯 |
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国家主義をのりこえて |
福島新吾 |
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第5章 |
ヒロシマの心を世界に |
荒木武 |
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世界の恒久平和実現を |
竹下虎之助 |
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ヒロシマからの提言 |
栗野鳳 |
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長崎の平和教育を省みて |
坂口便 |
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人類が生きのびるために |
岸槌和夫 |
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ヒロシマからの証言(メッセージ) |
石田明 |
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世界の先生たちへ(メッセージ) |
広島女学院高校3年生 |
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第6章 |
二つの提言-招待者発言- |
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勇気と忍耐を-平和・軍縮をめざして- |
宇都宮徳馬 |
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人類の平和と真の発展を求めて |
永井道雄 |
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第2部 |
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第1章 |
平和・軍縮教育をめぐって〈第1分科会〉 |
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〔基調報告〕 |
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この分科会の課題-ユネスコ80年「軍縮教育十原則」の追求を- |
アンドレ・ドルベー |
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〔討論〕 |
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平和・軍縮教育と教材選択の自由を |
ギー・ジョルジュ |
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“国防論信仰”の克服を-憲法教育の意義- |
太田一男 |
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軍縮をすべての子どもに |
テリー・ハーンドン |
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貧困・人種差別をなくすとりくみを |
デビッド・トンキン |
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原爆を原点に-日本の平和教育の展開と課題- |
梶村晃 |
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父母とともに原爆の学習と継承を |
山川剛 |
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教育学上の問題として-残酷さの教育、戦争史学習の意義- |
ロバート・バーカー |
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子どもたちに平和な世界を-第3世界の直面する課題- |
ワジュデイ |
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世論の喚起でカリキュラムに |
S・エスワラン |
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子どもの心に偏見ではなく連帯を-超大国の支配の中で- |
シュー・チャラン |
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〔分科会報告(草案)をうけて〕 |
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軍縮教育の機は熟した-核凍結の市民の運動と学習を土台に- |
ウィラード・マッガイヤー |
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重ねて残酷さを教えることについて |
ロバート・バーカー |
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残酷さを教えねばならない-だが分析的考察へ向けて- |
デービッド・トンキン |
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核戦争の危機の認識を-軍縮教育十原則を自覚的に- |
庄野直美 |
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平和と民族の自決の教育を-日本人と連帯し、教訓に学ぶ- |
朴光沢 |
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軍事基地の撤去の課題を-非核地帯設定とともに- |
大田昌季 |
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第2章 |
平和・軍縮教育の教材開発をめぐって〈第2分科会〉 |
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〔基調報告〕 |
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日本の平和教育の具体的とりくみ 福島昭男 |
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〔討論〕 |
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教職員・学生の交流を深めよう |
ウォーターハウス・ワイワイ |
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世界の三分の一の文盲がいる |
アバニ・ボラル |
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どうして非暴力のエレメントを教えるか |
ジャック・スミス |
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二度と戦争を繰返すな |
コンラッド・バクヤク |
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たとえ命を賭しても平和を |
ホアン・アンブロシオ・サビオ |
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軍備拡大の最大の被害者は途上国 |
トッサ・クペソー・カングニ |
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軍隊のない国から訴える |
マルコ・アントニオ・バランテス・ヴェガ |
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弾圧をはねのけ教師を再教育 |
マットス・トッタ・ザヒヤ |
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考え方のプロセスに参加する教え方 |
ホアン・ルイ・フェンテス |
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急がれる教材開発 |
サーロン・せつ子 |
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先生が変わらなければ生徒を変えることはできない |
栗原貞子 |
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教材の開発は教師・親の手で |
フレッド・ヴァン・ルーウェン |
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広島の三つの顔を教材に |
空辰男 |
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近・現代史の教育を強化すること |
プン・ティン・チー |
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軍人にも一般教養を |
ギー・ジョルジュ |
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安全保障は軍備撤廃によってのみ |
森滝市郎 |
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あらゆる教材の活用と開発をすすめよう |
キャシー・ブロック |
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第3章 |
平和・軍縮教育を自覚的に〈分科会報告と総括発言〉 |
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〔第一分科会報告〕 |
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平和・平和軍縮教育の原則をめぐって-教員団体の責務- |
ジョージ・リース |
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〔第二分科会報告〕 |
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平和・軍縮教育の教材・方法の創造的開発を |
マットス・トッタ・ザヒヤ |
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〔総括発言〕 |
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平和と人類の道を選ぶ意志を-教職員の責務- |
ノーマン・ゴーブル |
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資料 |
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日程および参加者名簿 |
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あとがき |
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ビキニ環礁核実験場 Bikini Atoll Nuclear Test Site
https://whc.unesco.org/en/list/1339
マーシャル諸島共和国初の世界遺産。第2次世界大戦後にはじまった冷戦に伴い、アメリカ合衆国は、太平洋沖マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験再開を決定した。周辺住民を移住させ、1946年から1958年まで、初の水素爆弾実験(1952年)を含む67回の核実験を実施した。その威力を示す重要で明白な証拠が、1946年の実験で礁湖に沈んだ船と、水素爆弾「ブラボー」の実験でできた巨大なブラボー・クレーターである。一連の実験は広島型原爆の7000回分に匹敵し、環礁の地質や自然環境、人びとの健康などに重大な影響を及ぼした。これによりビキニ環礁は、「核の時代」の幕開けの象徴となった。
Date of Inscription: 2010 Criteria: (iv)(vi)
資料
本 |
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隠るべき所なし ビキニ環礁原爆実験記録(ブラッドリー著、佐藤亮一訳、講談社、19490830) |
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