年表・国連大学
80 12 08 広島大学平和科学研究センター・国連大学、広島市で合同研究会開催。テーマ「平和と開発」(9日まで)
81 02 25 広島市長、国連大学学長らと懇談、「平和問題検討委員会」の設置を提案。
81 12 04 、パルメ委員会を東京・国連大学で開催(~6日).
81 12 07 国連大学・広島大学など共催軍縮と国際安全保障に関する研究討論集会の東京集会、開催。パルメ委のメンバーら、参加。
81 12 08 広島市・広島大学・国連大学、「軍縮と安全保障に関する独立委員会(通称:パルメ委員会)を平和記念館講堂で開催。
82 10 29 国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」、東京で開催。(31日まで)。広島・長崎両市長、特別講演。
84 03 26 シンポジウム「アジア・太平洋地域における平和と変革」(国連大学など主催)、横浜市で開催。(29日まで)。
84 04 17 広島・長崎市長、国連大学主催の第三回東京セミナー(於東京)に出席、講演。広島市長、軍縮・平和のための首脳会議を広島で開催すベきだと提案。
84 05 99 国連大学の第1回・2回「東京セミナー」(1981・1982年)の報告書「核時代の平和をもとめて」刊行。長崎市長、被爆者らの発言も収録。(B6、236P)
85 02 04 「核の危機に関する東京セミナー広島セッション」(国連大学・広島市共催)、広島市で開催(6日まで)。海国から11カ国28人が参加、原爆資料館など見学。
85 03 25 ミンポジウム「アジア・太平洋地域におれる平和と自立」(神奈川県、国連大学など共催)、横浜市で開催。
85 06 03 「世界平和を考える大阪会議」(大阪府主催、七月開催予定)の顧問に、国連大学学長スジャトモコが内定。
86 10 24 「国際平和年世界会議」(国連大学主催)、大阪市で開催(26日まで)。25日、記念シンポジウム開催。
92 11 14 長崎総合科学大学長崎平和文化研究所、平和文化講演会を開催。武者小路公秀前国連大学副学長が「アジア・太平洋の平和と変革」と題して講演。
92 12 04 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学で開催。14人が出席。1993年8月に開催予定の第3回平和連帯都市市長会議の進め方や被爆50周年の取り組みなどについて意見を聴取。
93 12 02 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学本部で開催。委員18人が出席。
98 10 27 「軍縮問題を考えるエコノミストの会」(ECAAR)日本支部、「どうなるアジアの安全保障と経済」を東京・国連大学で開催。インド・パキスタンの核実験を取り上げる。マクナマラ元米国防長官とグジュラル前インド首相が講演。
国連大学広島誘致期成同盟会
年月日
事項
1969年
ウ・タント国連事務総長、年次総会で、「真に国際的な性格を有し、国連憲章が定める平和と進歩のための諸目的に合致した国際連合大学」の設立を提案。国連総会はこのような大学の実現可能性を検討するため、ユネスコと緊密に協力して調査を行う専門家委員会を任命。https://jp.unu.edu/
19720818
山田広島市長、ベルギー・ブリュッセル大学で開催された第15回先生会連邦大会の最終日本会議で「国連大学の広島設置」を提案。23か国代表の全員賛成で決議。
19720916
広島県・広島市・広島大・経済界が広島商工会議所で「国連大学広島誘致期成同盟会」結成大会。永野厳雄県知事を会長に選ぶ。
19720726
広島市議会、国連大学誘致に関し決議。(「平和の推進」)
197209
国連大学の設立を検討する委員会、国連経済社会理事会に報告書を提出。https://jp.unu.edu/
197212
国連総会、国連大学の設立を認める。https://jp.unu.edu/
197312
国連総会、国連大学の設立委員会が提出した大学憲章と決議案を採択。https://jp.unu.edu/
19750120
初代国連大学理事会および学長のジェイムス・M・ヘスター博士の就任式、東京の暫定本部施設で開催。https://jp.unu.edu/
197509
東京の本部施設および 寄付基金設立に向けて寄付金1億ドルが日本政府の好意により提供され、国連大学の研究活動スタート。https://jp.unu.edu/
19780605?
国連大学広島誘致期成同盟会、誘致の構想まとまらず運動中断。
国際連合訪問の経緯(1975~76年 )
出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(広島市・長崎市編 ・刊、19770331 )
概要
昭和50年、ちょうど原爆投下後30年目の記念にあたり、広島と長崎両市は、姉妹都市の提携を結び、しっかり手を組んで核兵器のもたらす悲劇を進んで世界に知らせることを誓い合った。
その第一歩として昭和51年度に、まず現存する国際機構のもっとも確立されている国際連合に、核兵器の廃絶と全面軍縮を訴えることを決意した。
両市とも広く市民の賛同を得、市議会の賛同を得て、国連事務総長に会う準備を始めたが、この事業を進めるに当って考えなくてはならないことは、国連という場へ地方自治体が臨めるかどうかという点であった。
もともと国際連合は、世界146力国が加盟している組織で、日本もその加盟組織の一単位に過ぎない。各都市は、国連に対しては直接的には関係がない存在である。
そこで両市は、まず外務省の国連局を通じて手続きを始めるのが順序となる。そのためには十分な根まわしが必要で、外務省の指導と自治省の了解を求める必要があった。
つぎに国連側の事務局との連絡は、東京の出先機関として東京に駐在している国際連合広報センターと折衝した。
幸いなことに国連事務次長で、事務総長の下で広報活動をする部の長である赤谷源一氏(外務省から出向している大使級で、国連広報センターの直接上司)が、たまたま、神戸に帰国した機会をとらえて、ワルトハイム事務総長との連絡を依頼した。
赤谷氏の好意的な尽力により、事務総長との会見日が12月1日と決定されたのは8月23日であった。
この段階で、訪問の今一つの大きな内容である主要国代表部の大使との会見、すなわち核保有国、核保有の可能性のある国および核反対を表明している国の大使こ直接訴えることが考えられた。そこで、会見の希望を伝える書簡を14カ国に送った。また、現地での日時設定は、ニューヨークの日本政府国連代表部に依頼した。
1975(昭和50年)8月1日
国際連合に対するアピールについて審議
荒木市長は昭和50年度第2回平和文化推進審議会(広島市平和文化センター所管)で「平和宣言の精神を基調として具体的行動を考えたい。それにはまずヒロシマを世界に広めるため、国連にアピールすることを思っている
が、これについて各委員の意見を伺いたい。」と発言した。
同審議会は小委員会を設置して検討を始めることとなった。
小委員会の委員はつぎの通りである。
今堀誠二(広島大学総合科学部長)
岡崎怒一(弁護士)[岡咲恕一]
小谷鶴次(広島大学教授)
坂田修一(元広島市助役)
原田東岷(原田外科病院院長)
丸山益輝(広臭大学教授)
森脇幸次(中国地方経済連合会専務理事)
1975(昭和50年)9月2日
平和文化推進審議会小委員会の各委員に対し、ヒロシマ・アピールに関する意見書の提出を依頼した。
各委員の意見の要点はつぎのとおりである<以下未入力>
1975(昭和50年)9月9日
平和文化推進審議会小委員会の開催
協議要旨は、つぎのとおりである。
<以下未入力>
1975(昭和50年)10月31日
1976(昭和51年)2月4日
1976(昭和51年)2月19日
1976(昭和51年)2月27日
1976(昭和51年)3月8日
1976(昭和51年)3月17日
1976(昭和51年)3月30日
1976(昭和51年)4月1日
広島市平和文化センター局、財団法人広島平和文化センターとして発足する。
1976(昭和51年)4月16日
1976(昭和51年)4月26日
1976(昭和51年)4月28日
1976(昭和51年)5月8日
1976(昭和51年)5月10日
1976(昭和51年)5月11日
1976(昭和51年)5月12日
国連訪問支持決議<内容未入力>
広島憩いの家原爆被災者の会一同(代表 田辺耕一郎)
1976(昭和51年)5月10日
1976(昭和51年)5月13日
1976(昭和51年)5月15日
1976(昭和51年)5月21日
1976(昭和51年)5月27日
1976(昭和51年)5月29日
1976(昭和51年)5月31日
国連訪問支持決議<内容未入力>
広島県原爆被害者団体協議会 理事長 森滝市郎
1976(昭和51年)6月1日
1976(昭和51年)6月9日
1976(昭和51年)6月14日
1976(昭和51年)6月16日
1976(昭和51年)6月17日
1976(昭和51年)6月24日
国連訪問支持決議<内容未入力>
明るい釈迦づくり広島県民大会 宮沢弘
1976(昭和51年)6月25日
第5回6月定例長崎市議会において、ナガサキーヒロシマ国連アピール準備委員会に対する負担金220万円を予算計上する。
1976(昭和51年)6月26日
林田国際文化会館館長 広島市へ出張する。 (広島市側国連アピール資料編集専門委員会委員選定の件、広島市長国連訪問支持決議の件)
1976(昭和51年)6月29日
佐野外務省事務次官、同政治課長らに国連訪問の主旨および折衝経過等を説明し、協力を要請する。(荒木市長、諸谷市長、広島・長崎両東京事務所長ほか)
1976(昭和51年)6月30日
第1回国連アピール市民懇談会の開催(世話人=岡咲恕一、小谷鶴次、原田東岷、広瀬ハマコ、丸山益輝、森脇幸次の在広各氏)
市長への要望事項
1、核兵器と戦争廃絶のために世論の流れを変える努力をして来てほしい。
2、核兵器を過少評価する動きがある。広島の生の声をぶっつけて来てほしい。
3、在米市民運動団体にも働きかけてほしい。
1976(昭和51年)7月1日
長崎市国連アピール資料編集専門委員会委員を選任する。
1976(昭和51年)7月3日
国連アピール資料編集専門委員会初会合協議内容
アピール内容は、事務総長へ要請する事項と被害資料とする。被害資料は物理的破壊、身体的障害、社会的破壊および今後の課題の4部とし、すべて歴史的事実に基づいて執筆することを申し合わせた。
構成メンバーは、つぎのとおりである。
顧問 飯島宗一 広島大学学長
貝島兼三郎 長崎大学学長委員長 今堀誠二 広島大学総合科学部長
〔広島側〕
副委員長 原田東岷 原田外科病院々長
委員 石田定 広島原爆病院内科部長
岡本直正 広島大学原爆放射能医学研究所長
庄野直美 広島女学院大学教授
湯崎稔 広島大学原爆放射能医学研究所助教授
〔長崎側〕
副委員長 秋月辰一郎 聖フランシスコ病院医長
委員 市丸道人 長崎大学医学部教授
岡島俊三 長崎大学医学部教授
島内八郎 長崎原爆資料協議会副会長
西森一正 長崎大学医学部教授
宮城重信 長崎原子爆弾被爆者対策協議会医療部会長
国連訪問医師 大内五良広島県医師会長
参考資料:『ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請』(広島市・長崎市 1976年10月)』
<上記の抄録> 専門委員会は,今年7月上旬に発足以来,今回の問題に関心ある諸方面と連絡をとりながら、熱心な討議を重ね短期日の間にこの要請書並びに資料編を作成し。国連事務総長への要請項目の起草は、当初から,広島・長崎の被爆者を中心とする市民とくに被爆者団体と平和運動団体の代表者の意見を受けてまとめられた。またこれには財団法人・
広島平和文化センター」の理事会の意見も反映されている。
特にその資科編『原爆被害の実態-広島・長崎』の作成にあたっては、「原爆による物理的破壊」および「原爆による身体的障害に閔する原案を、庄野直美氏が石田田定氏の協力で起草し、また、「原爆による社会的破壊」の原案は湯崎稔氏が起草し宇吹暁氏(広島大学助手)の協力を得た。これらの原案に基づき.専門委員全体で検討を加えて資料編が完成された。
この要請書並びに責料編の英文翻訳にあたっては、「財団法人・放射線影響研究所(旧ABCC)の協力を得た。
1976(昭和51年)8月24日(宇吹メモ)
1976(昭和51年)7月5日
国連訪問支持決議<内容未入力>
日本原水爆被害者団体協議会 代表委員 行宗一
1976(昭和51年)7月13日
1976(昭和51年)7月19日
1976(昭和51年)7月16日
1976(昭和51年)7月22日
1976(昭和51年)8月2日
外務省政治課長と打ち合せる。(広島市東京事務所長)
国連広報センターと打ち合せる。(同)
1976(昭和51年)8月3日
広島市側国連アピール資料編集専門委員会第一回会合の資料の送付を受け、長崎市国連アピール資料編集専門委員に配布する
1976(昭和51年)8月6日
広島三十一年目の「原爆記念日」
参拝した三木内閣総理大臣に対し、「国際連合訪問に関する要望書」を提出(荒木市長)
提出した要望書の全内容
人類史上初の被爆体験をした広島市民は、この凄惨な体験をみつめながら、ひとたび核戦争がはじまれば人類の滅亡と文明の終えんは明らかであることを予見し、一切の悲しみと憎しみを越えて、ヒロシマを再び繰り返さないよう、全世界に訴え続けてきました。
しかしながら、世界における核軍備の情勢は、全人類をせん滅して余りある巨大な量の核兵器が蓄積されつつあり、人類の安全にとって危険な兆候にあります。
広島市民は、こうした危険な事態を憂慮し、このうえは国際連合に対し、核兵器の廃絶を訴えなければならないとする機運が盛りあがってまいりました。
もちろん、国際連合および政府における核軍縮へのご努力は、広島市民としてまことに喜ばしいことではありますが、この際、ヒロシマーナガサキの立場において、国際連合総会が議決した核兵器の使用禁止・核拡散防止・核実験停止に関する諸決議の目ざす核兵器廃絶への具体的措置が早急に実現されるよう要請いたしたく、広島市民の総意と支持のもとに、長崎市長と共に、今秋国際連合に赴くことを決意した次第であります。
国際連合訪問計画および要請事項等については、現在、外務省当局のご指導を得ながら進めておりますが、政府におかれても、非核三原則の国是に立脚され、別添の要望事項について絶大なご指導とご協力を賜わりたく、お願い申しあげます。
昭和五十一年八月六日
広島市長 荒木武
内閣総理大臣 三木武夫殿
(別紙)国際連合訪問に関する要望事項(未入力)
1976(昭和51年)8月9日
長崎三十一回目の「原爆記念日」
参拝した三木総理大臣に対し、広島市長が提出したように「国際連合訪問に関する要望書」を提出する。(諸谷市長)
内容は広島市とほぼ同一のため省略
1976(昭和51年)8月10日
1976(昭和51年)8月11日
1976(昭和51年)8月13日
1976(昭和51年)8月16日
1976(昭和51年)8月18日
1976(昭和51年)8月21日
1976(昭和51年)8月23日
1976(昭和51年)8月24日
1976(昭和51年)8月26日
1976(昭和51年)8月27日
1976(昭和51年)8月31日
1976(昭和51年)9月3日
1976(昭和51年)9月4日
1976(昭和51年)9月6日
1976(昭和51年)9月8日
1976(昭和51年)9月10日
1976(昭和51年)9月13日
1976(昭和51年)9月14日
1976(昭和51年)9月15日
1976(昭和51年)9月16日
国連訪問支持決議<内容未入力>
日本ペンクラブ会長 石川達三
1976(昭和51年)9月18日
1976(昭和51年)9月24日
1976(昭和51年)9月27日
1976(昭和51年)9月29日
1976(昭和51年)9月30日
1976(昭和51年)10月1日
1976(昭和51年)10月2日
1976(昭和51年)10月4日
1976(昭和51年)10月5日
1976(昭和51年)10月7日
1976(昭和51年)10月15日
国連訪問支持決議<内容未入力>
財団法人広島市連合母子会長 栗栖ミツヨ、財団法人安佐連合未亡人会長 西山春子
1976(昭和51年)10月24日
国連訪問支持決議<内容未入力>
第25回広島市民生委員・児童委員大会会長 宮本福松
1976(昭和51年)10月25日
国連訪問支持決議<内容未入力>
広島市地域婦人団体連絡協議会会長 藤野考子
1976(昭和51年)10月30日
1976(昭和51年)11月1日
国連訪問支持決議<内容未入力>
日本自動車産業労働組合連合会日産プリンス販売労働組合(中国・四国地区長沖実)
1976(昭和51年)11月4日
1976(昭和51年)11月5日
1976(昭和51年)11月8日
1976(昭和51年)11月9日
1976(昭和51年)11月10日
1976(昭和51年)11月13日
国連訪問支持決議<内容未入力>
(長崎)世界平和祈念旬間行事実行委員会
1976(昭和51年)11月14日
1976(昭和51年)11月15日
1976(昭和51年)11月17日
国連訪問支持決議<内容未入力>
広島ユネスコ協会総会
1976(昭和51年)11月19日
広島市渉外課長先発する。
同日
外務省および国連広報センターに渡米あいさつ回りをする。(広島市渉外課長)
同日
外人記者クラブに英文資料を提供する。(同)
1976(昭和51年)11月23日
荒木市長、大内県医師会長は渡米報告のため慰霊碑に参拝。同日夕刻、荒木市長広島を新幹線で出発。出発に先立ち、広島駅で壮行会を開催する。
511123(昭和51年11月23日)
諸谷市長一行は、杉本長崎原爆遺族会長、宮城原対協医療部会長、江角原爆老人ホーム理事長ら関係者多数の見送りと激励を受けこれに対し市長は「核廃絶の声が、国際世論となるよう全力を挙げて来たい」と決意をひ歴し、出発する。
1976(昭和51年)11月24日
1976(昭和51年)11月25日
両市長は、「スタジオ102」に出演したのち、東京を発ち、ニューヨーク経由でワシントンに到着した。
511125(昭和51年11月25日)
ブリュセルで開かれた第六回国際自由労連執行委員会は、両市長の国連に対するアピールをとりあげ、これを支持することを決定し、つぎのようにワルトハイム事務総長に打電した。
止
第1部 国際連合訪問の状況(日程順)
1976年11月
25日
ワシントン到着
26日
日本大使館を表敬訪問
米国務省軍縮局を訪問
国立公文書館を訪問
ウイリアム・ペン・ハウスで平和の集いを開催
27日
アーリントン墓地参拝
米国科学者連盟事務所を訪問
ウイルミントン到着
ウイルミントン大学学長主催夕食会に出席
28日
ウイルミントン市長主催朝食会に出席
ヒロシマ・ナガサキ記念文庫を訪問
ニューヨーク到着
29日
日本代表部を訪問
国連広報担当事務次長補を訪問
クリスチャン・センターを訪問
オーストラリア代表部を訪問
30日
カナダ代表部を訪問
フランス代表部を訪問
アメリカ代表部を訪問
1976年12月
1日
ワルトハイム国連事務総長と会見
イギリス代表部を訪問
内外新聞記者団と会見
イスラエル代表部を訪問
アメラシンゲ国連総会議長と会見
ニューヨーク市長を表敬訪問
赤谷次長補主催のレセプションに出席
ノーマン・カズンズ氏と懇談
2日
ソビエト代表部を訪問
インド代表部を訪問
東ドイツ代表部を訪問
西ドイツ代表部を訪問
日本協会主催のレセプションに出席
3日
ニュージーランド代表部を訪問
ノルウェー代表部を訪問
国連第1委員会(軍縮)を傍聴
4日
訪問10日目に休養日
5日
ロサンゼルス空港到着
広島・長崎両県人会主祭歓迎夕食会に出席、在米被爆者と懇談
6日
ロサンゼルス市長を訪問
大内会長ら、被爆者と医療相談
ロサンゼルス市議会を訪問
日本総領事官を訪問
シティー・ビュー病院を訪問
ロス郡医師会の昼食会に出席
日系老人ホームを視察
7日
ロサンゼルス郡参事会で発言
内外記者会見で両市長共同声明
トーマス・野口事務所を訪問
ロサンゼルス発
サンフランシスコ着
広島・長崎両県人会主催歓迎会に出席
8日
サンフランシスコ市長を訪問
オークランド=ベイ地区を見学広島・長崎両市長主催夕食会開催
9日
サンフランシスコ発、東京へ
10日
東京羽田着
12日
荒木広島市長、慰霊碑に帰国報告
13日
諸谷長崎市長、記念像に帰国報告
出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(著者:広島市・長崎市編、 刊 19770331 )
『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』広島市・長崎市編 、刊、19770331)
部
事項
国連訪問を終えて
1
国際連合訪問の状況(日程順)<詳細リンク >
2
国連事務総長への要請・要望事項および原爆被害の実態に関する資料
3
国際連合訪問の経緯
概要
1975年8月1日~1976年11月25日
編集後記
ビキニ環礁核実験場 Bikini Atoll Nuclear Test Site
https://whc.unesco.org/en/list/1339
マーシャル諸島共和国初の世界遺産。第2次世界大戦後にはじまった冷戦に伴い、アメリカ合衆国は、太平洋沖マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験再開を決定した。周辺住民を移住させ、1946年から1958年まで、初の水素爆弾実験(1952年)を含む67回の核実験を実施した。その威力を示す重要で明白な証拠が、1946年の実験で礁湖に沈んだ船と、水素爆弾「ブラボー」の実験でできた巨大なブラボー・クレーターである。一連の実験は広島型原爆の7000回分に匹敵し、環礁の地質や自然環境、人びとの健康などに重大な影響を及ぼした。これによりビキニ環礁は、「核の時代」の幕開けの象徴となった。
Date of Inscription: 2010 Criteria: (iv)(vi)
資料
本
隠るべき所なし ビキニ環礁原爆実験記録(ブラッドリー著、佐藤亮一訳、講談社、19490830)
核兵器禁止条約・平和式典参加状況表
STATE
国名
国連加盟年月日
核兵器禁止条約*1
2005広式*2
2010広式*3
2015広式*4
VOTE
SIGNED
RATIFIED
TOTAL
120
69
19
17
?
?
Afghanistan
アフガニスタン・イスラム共和国
1946年11月19日
〇
–
–
〇
Albania
アルバニア共和国
1955年12月14日
–
–
Algeria
アルジェリア民主人民共和国
1962年10月08日
〇
20-Sep-17
–
Andorra
アンドラ公国
1993年07月28日
–
–
Angola
アンゴラ共和国
1976年12月01日
〇
27 Sep 2018
–
〇
〇
Antigua & Barbuda
アンティグア・バーブーダ
1981年11月11日
〇
26 Sep 2018
25 Nov 2019
Argentina
アルゼンチン共和国
1945年10月24日
〇
–
–
〇
〇
Armenia
アルメニア共和国
1992年03月02日
–
–
〇
Australia
オーストラリア連邦
1945年11月01日
〇
–
–
〇
〇
〇
Austria
オーストリア共和国
1955年12月14日
20-Sep-17
8 May 2018
〇
〇
Azerbaijan
アゼルバイジャン共和国
1992年03月02日
〇
–
–
〇
Bahamas
バハマ国
1973年08月18日
〇
–
–
Bahrain
バーレーン王国
1971年09月21日
〇
–
–
Bangladesh
バングラデシュ人民共和国
1974年09月17日
〇
20-Sep-17
–
〇
〇
Barbados
バルバドス
1966年12月09日
–
–
Belarus
ベラルーシ共和国
1945年10月24日
–
–
〇
Belgium
ベルギー王国
1945年12月27日
–
–
〇
〇
Belize
ベリーズ
1981年09月25日
〇
6 Feb 2020
19 May 2020
Benin
ベナン共和国
1960年09月20日
〇
26 Sep 2018
–
Bhutan
ブータン王国
1971年09月21日
〇
–
–
Bolivia
ボリビア多民族国
1945年11月14日
〇
16 Apr 2018
6 Aug 2019
〇
Bosnia & Herzegovina
ボスニア・ヘルツェゴビナ
1992年05月22日
–
–
〇
〇
Botswana
ボツワナ共和国
1966年10月17日
〇
26 Sep 2019
15 Jul 2020
Brazil
ブラジル連邦共和国
1945年10月24日
〇
20-Sep-17
–
〇
〇
Brunei Darussalam
ブルネイ・ダルサラーム国
1984年09月21日
〇
26 Sep 2018
–
〇
Bulgaria
ブルガリア共和国
1955年12月14日
–
–
Burkina Faso
ブルキナファソ
1960年09月20日
〇
–
–
〇
Burundi
ブルンジ共和国
1962年09月18日
〇
–
–
Cabo Verde
カーボヴェルデ共和国
1975年09月16日
〇
20-Sep-17
–
Cambodia
カンボジア王国
1955年12月14日
〇
9 Jan 2019
–
Cameroon
カメルーン共和国
1960年09月20日
–
–
〇
Canada
カナダ
1945年11月09日
–
–
〇
〇
〇
Central African Republic
中央アフリカ共和国
1960年09月20日
20-Sep-17
–
Chad
チャド共和国
1960年09月20日
〇
–
–
Chile
チリ共和国
1945年10月24日
〇
20-Sep-17
–
〇
China
中華人民共和国
1945年10月24日
–
–
Colombia
コロンビア共和国
1945年11月05日
〇
3 Aug 2018
–
Comoros
コモロ連合
1975年11月12日
20-Sep-17
–
Congo
コンゴ共和国
1960年09月20日
〇
20-Sep-17
–
Cook Islands
4 Sep 2018 a
Costa Rica
コスタリカ共和国
1945年11月02日
〇
20-Sep-17
5 Jul 2018
〇
〇
Cote d’Ivoire
コートジボワール共和国
1960年09月20日
〇
20-Sep-17
–
〇
Croatia
クロアチア共和国
1992年05月22日
–
–
〇
〇
Cuba
キューバ共和国
1945年10月24日
〇
20-Sep-17
30-Jan-18
〇
Cyprus
キプロス共和国
1960年09月20日
〇
–
–
〇
Czech Republic
チェコ共和国
1993年01月19日
–
–
〇
〇
〇
Democratic Republic of the Congo
コンゴ民主共和国
1960年09月20日
〇
20-Sep-17
–
〇
Denmark
デンマーク王国
1945年10月24日
–
–
〇
〇
Djibouti
ジブチ共和国
1977年09月20日
〇
–
–
Dominica
ドミニカ国
1978年12月18日
26 Sep 2019
18 Oct 2019
〇
Dominican Republic
ドミニカ共和国
1945年10月24日
〇
7 Jun 2018
–
Ecuador
エクアドル共和国
1945年12月21日
〇
20-Sep-2017
25 Sep 2019
〇
Egypt
エジプト・アラブ共和国
1945年10月24日
〇
–
–
〇
〇
〇
El Salvador
エルサルバドル共和国
1945年10月24日
〇
20-Sep-17
30 Jan 2019
〇
〇
Equatorial Guinea
ギニア共和国
1968年11月12日
〇
–
–
Eritrea
エリトリア国
1993年05月28日
〇
–
–
〇
Estonia
エストニア共和国
1991年09月17日
–
–
〇
Ethiopia
エチオピア連邦民主共和国
1945年11月13日
〇
–
–
〇
〇
Fiji
フィジー共和国
1970年10月13日
〇
20-Sep-17
7 Jul 2020
Finland
フィンランド共和国
1955年12月14日
–
–
〇
〇
France
フランス共和国
1945年10月24日
–
–
〇
〇
Gabon
ガボン共和国
1960年09月20日
〇
–
–
Gambia
ガンビア共和国
1965年09月21日
〇
20-Sep-17
26 Sep 2018
Georgia
ジョージア
1992年07月31日
–
–
Germany
ドイツ連邦共和国
1973年09月18日
–
–
〇
〇
Ghana
ガーナ共和国
1957年03月8日
〇
20-Sep-17
–
〇
Greece
ギリシャ共和国
1945年10月25日
–
–
〇
Grenada
グレナダ
1974年09月17日
〇
26 Sep 2019
–
Guatemala
グアテマラ共和国
1945年11月21日
〇
20-Sep-17
–
〇
Guinea
赤道ギニア共和国
1958年12月12日
–
–
Guinea-Bissau
ギニアビサウ共和国
1974年09月17日
〇
26 Sep 2018
–
Guyana
ガイアナ共和国
1966年09月20日
〇
20-Sep-17
20-Sep-17
Haiti
ハイチ共和国
1945年10月24日
〇
–
–
〇
〇
Holy See
バチカン市国
〇
20-Sep-17
20-Sep-17
〇
〇
Honduras
ホンジュラス共和国
1945年12月17日
〇
20-Sep-17
24 Oct 2020
Hungary
ハンガリー
1955年12月14日
–
–
〇
Iceland
アイスランド共和国
1946年11月19日
–
–
India
インド
1945年10月30日
–
–
〇
Indonesia
インドネシア共和国
1950年09月28日
〇
20-Sep-17
–
〇
Iran
イラン・イスラム共和国
1945年10月24日
〇
–
–
〇
〇
Iraq
イラク共和国
1945年12月21日
〇
–
–
〇
Ireland
アイルランド
1955年12月14日
〇
20-Sep-17
6 Aug 2020
〇
〇
Israel
イスラエル国
1949年05月11日
–
–
〇
〇
Italy
イタリア共和国
1955年12月14日
–
–
〇
〇
Jamaica
ジャマイカ
1962年09月18日
〇
8-Dec-17
23 Oct 2020
〇
Japan
日本
1956年12月18日
–
–
Jordan
ヨルダン・ハシェミット王国
1955年12月14日
〇
–
–
〇
〇
Kazakhstan
カザフスタン共和国
1992年03月02日
〇
2 Mar 2018
29 Aug 2019
〇
〇
Kenya
ケニア共和国
1963年12月16日
〇
–
–
〇
〇
Kiribati
キリバス共和国
1999年09月14日
〇
20-Sep-17
26 Sep 2019
Kuwait
クウェート国
1963年05月14日
〇
–
–
〇
Kyrgyzstan
キルギス共和国
1992年03月02日
–
–
Lao People’s Democratic Republic
ラオス人民民主共和国
1955年12月14日
〇
21-Sep-17
26 Sep 2019
〇
Latvia
ラトビア共和国
1991年09月17日
–
–
〇
〇
Lebanon
レバノン共和国
1945年10月24日
〇
–
–
〇
Lesotho
レソト王国
1966年10月17日
〇
26 Sep 2019
6 Jun 2020
〇
〇
Liberia
リベリア共和国
1945年11月02日
〇
–
–
〇
Libya
リビア
1955年12月14日
20-Sep-17
–
〇
Liechtenstein
リヒテンシュタイン公国
1990年09月18日
〇
20-Sep-17
–
Lithuania
リトアニア共和国
1991年09月17日
–
–
〇
〇
Luxembourg
ルクセンブルク大公国
1945年10月24日
–
–
〇
〇
Macedonia
マケドニア旧ユーゴスラビア共和国
1993年04月08日
–
–
Madagascar
マダガスカル共和国
1960年09月20日
〇
20-Sep-17
–
〇
〇
Malawi
マラウイ共和国
1964年12月01日
〇
20-Sep-17
–
〇
Malaysia
マレーシア
1957年09月17日
〇
20-Sep-17
30 Sep 2020
Maldives
モルディブ共和国
1965年09月21日
26 Sep 2019
26 Sep 2019
〇
Mali
マリ共和国
1960年09月28日
–
–
Malta
マルタ共和国
1964年12月01日
〇
25 Aug 2020
21 Sep 2020
Marshall Islands
マーシャル諸島共和国
1991年09月17日
〇
–
–
〇
〇
Mauritania
モーリタニア・イスラム共和国
1961年10月27日
〇
–
–
〇
Mauritius
モーリシャス共和国
1968年04月24日
〇
–
–
Mexico
メキシコ合衆国
1945年11月07日
〇
20-Sep-17
16-Jan-2018
〇
〇
〇
Micronesia (FSM)
ミクロネシア連邦
1991年09月17日
–
–
〇
Moldova
モルドバ共和国
1992年03月02日
〇
–
–
Monaco
モナコ公国
1993年05月28日
–
–
〇
Mongolia
モンゴル国
1961年10月27日
〇
–
–
Montenegro
モンテネグロ
2006年06月28日
–
–
Morocco
モロッコ王国
1956年11月12日
〇
–
–
〇
〇
Mozambique
モザンビーク共和国
1975年09月16日
〇
–
–
〇
Myanmar
ミャンマー連邦共和国
1948年04月19日
〇
–
–
Namibia
ナミビア共和国
1990年04月23日
〇
8-Dec-17
20 Mar 2020
〇
Nauru
ナウル共和国
1999年09月14日
22 Nov 2019
23 Oct 2020
Nepal
ネパール連邦民主共和国
1955年12月14日
〇
20-Sep-17
–
〇
Netherlands
オランダ王国
1945年12月10日
〇
–
–
〇
〇
〇
New Zealand
ニュージーランド
1945年10月24日
〇
20-Sep-17
31 Jul 2018
〇
〇
Nicaragua
ニカラグア共和国
1945年10月24日
22-Sep-17
19 Jul 2018
〇
Niger
ニジェール共和国
1960年09月20日
–
–
Nigeria
ナイジェリア連邦共和国
1960年10月07日
〇
20-Sep-17
6 Aug 2020
〇
Norway
ノルウェー王国
1945年11月27日
–
–
〇
〇
North Korea
北朝鮮
–
–
Democratic People’s Republic of Korea
朝鮮民主主義人民共和国
1991年09月17日
Oman
オマーン国
1971年10月07日
〇
–
–
〇
Pakistan
パキスタン・イスラム共和国
1947年09月30日
–
–
〇
〇
Palau
パラオ共和国
1994年12月15日
〇
20-Sep-17
3-May-18
〇
〇
State of Palestine
パレスチナ
〇
20-Sep-17
22-Mar-18
Panama
パナマ共和国
1945年11月13日
〇
20-Sep-17
11 Apr 2019
〇
〇
Papua New Guinea
パプアニューギニア独立国
1975年10月10日
〇
–
–
〇
Paraguay
パラグアイ共和国
1945年10月24日
〇
20-Sep-17
23 Jan 2020
Peru
ペルー共和国
1945年10月31日
〇
20-Sep-17
–
〇
Philippines
フィリピン共和国
1945年10月24日
〇
20-Sep-17
–
〇
Poland
ポーランド共和国
1945年10月24日
–
–
〇
〇
〇
Portugal
ポルトガル共和国
1955年12月14日
–
–
〇
Qatar
カタール国
1971年09月21日
〇
–
–
Romania
ルーマニア
1955年12月14日
–
–
Russia
ロシア連邦
1945年10月24日
〇
–
–
〇
〇
〇
Rwanda
ルワンダ共和国
1962年09月18日
–
–
〇
〇
St Kitts & Nevis
セントクリストファー・ネーヴィス
1983年09月23日
〇
26 Sep 2019
9 Aug 2020
St Lucia
セントルシア
1979年09月18日
〇
26 Sep 2018
23 Jan 2019
St Vincent & Grenadines
セントビンセント及びグレナディーン諸島
1980年09月16日
〇
8-Dec-17
31 Jul 2019
Samoa
サモア独立国
1976年12月15日
〇
20-Sep-17
26 Sep 2018
〇
〇
San Marino
サンマリノ共和国
1992年03月02日
〇
20-Sep-17
26 Sep 2018
Sao Tome & Principe
サントメ・プリンシペ民主共和国
1975年09月16日
〇
20-Sep-17
–
Saudi Arabia
サウジアラビア王国
1945年10月24日
〇
–
–
〇
Senegal
セネガル共和国
1960年09月28日
〇
–
–
〇
〇
Serbia
セルビア共和国
2000年11月01日
–
–
〇
Seychelles
セーシェル共和国
1976年09月21日
〇
26 Sep 2018
–
Sierra Leone
シエラレオネ共和国
1961年09月27日
〇
–
–
Singapore
シンガポール共和国
1965年09月21日
–
–
〇
〇
Slovakia
スロバキア共和国
1993年01月19日
–
–
〇
Slovenia
スロベニア共和国
1992年05月22日
–
–
〇
Solomon Islands
ソロモン諸島
1978年09月19日
〇
–
–
Somalia
ソマリア連邦共和国
1960年09月20日
–
–
South Africa
南アフリカ共和国
1945年11月07日
〇
20-Sep-17
25 Feb 2019
〇
〇
Republic of Korea
韓国
〇
〇
South Korea
大韓民国
1991年09月17日
–
–
South Sudan
南スーダン共和国
2011年07月14日
〇
–
–
Spain
スペイン
1955年12月14日
–
–
〇
Sri Lanka
スリランカ民主社会主義共和国
1955年12月14日
〇
–
–
〇
Sudan
スーダン共和国
1956年11月12日
–
–
Suriname
スリナム共和国
1975年12月04日
〇
–
–
Swaziland
スワジランド王国
1968年09月24日
–
–
Sweden
スウェーデン王国
1946年11月19日
〇
–
–
〇
〇
〇
Switzerland
スイス連邦
2002年09月10日
〇
–
–
Syria
シリア・アラブ共和国
1945年10月24日
–
–
〇
Tajikistan
タジキスタン共和国
1992年03月02日
–
–
〇
〇
Tanzania
タンザニア連合共和国
1961年12月14日
〇
26 Sep 2019
–
〇
Thailand
タイ王国
1946年12月16日
〇
20-Sep-17
20-Sep-17
〇
Timor-Leste
東ティモール民主共和国
2002年09月27日
〇
26 Sep 2018
–
Togo
トーゴ共和国
1960年09月20日
〇
20-Sep-17
–
〇
Tonga
トンガ王国
1999年09月14日
〇
–
–
〇
Trinidad & Tobago
トリニダード・トバゴ共和国
1962年09月18日
〇
26 Sep 2019
26 Sep 2019
Tunisia
チュニジア共和国
1956年11月12日
〇
–
–
〇
〇
Turkey
トルコ共和国
1945年10月24日
–
–
Turkmenistan
トルクメニスタン
1992年03月02日
–
–
〇
Tuvalu
ツバル
2000年09月05日
20-Sep-17
12 Oct 2020
Uganda
ウガンダ共和国
1962年10月25日
〇
–
–
〇
〇
Ukraine
ウクライナ
1945年10月24日
–
–
〇
〇
United Arab Emirates
アラブ首長国連邦
1971年12月09日
〇
–
–
United Kingdom
英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)
1945年10月24日
–
–
〇
〇
United States
アメリカ合衆国
1945年10月24日
–
–
〇
〇
Uruguay
ウルグアイ東方共和国
1945年12月18日
〇
20-Sep-17
25 Jul 2018
〇
〇
Uzbekistan
ウズベキスタン共和国
1992年03月02日
–
–
〇
Vanuatu
バヌアツ共和国
1981年09月15日
〇
20-Sep-2017
26 Sep 2018
Venezuela(Bolivarian Republic of)
ベネズエラ・ボリバル共和国
1945年11月15日
〇
20-Sep-2017
27-Mar-18
〇
〇
Vietnam
ベトナム社会主義共和国
1977年09月20日
〇
22-Sep-17
17-May-18
〇
〇
Yemen
イエメン共和国
1947年09月30日
〇
–
–
〇
〇
Zambia
ザンビア共和国
1964年12月01日
26 Sep 2019
–
〇
〇
Zimbabwe
ジンバブエ共和国
1980年08月25日
〇
–
–
TOTAL
120
56
50
17
Cook Islands
クック諸島
Republic of Kosovo
コソボ共和国
〇
Niue
ニウエ
6 Aug 2020 a
Taiwan
台湾
Hong Kong
香港
Macau
マカオ
北極
南極
Europian Union
欧州連合代表部
〇
*1)出典:https://treaties.un.org/pages/ViewDetails.aspx?src=TREATY&mtdsg_no=XXVI-9&chapter=26&clang=_en
STATUS AS AT : 12-07-2020 07:15:45 EDT
*2)広島市企画総務局記者発表資料(1007年7月23日)「平成19年平和記念式典の挙行について」。同資料では、1005年17各国、2006年35か国、2007年42か国となっている。
*3)、4*)平和記念式典会場で配布された式次第に挿入された名簿「参列国一覧」による。この資料が配布されたのは確認できた限りでは2010以降。
2020年NPT運用検討会議
会議名
開催年月日
開催場所
第1回準備委員会
20170502
オーストリア・ウィーン
第2回準備委員会
20180424~0504
スイス・ジュネーブ
児玉三智子(日本被団協事務局次長)・土田弥生(日本原水協事務局次長)
NPT再検討会議(2005年)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2006/html/framefiles/honbun.html
日本は、核兵器のない平和で安全な世界の実現のために、NPTを礎とする国際的な核軍縮・不拡散体制の維持・強化を極めて重視しているが、5月の2005年NPT運用検討会議では、中東諸国を中心とする非同盟諸国と西側諸国との意見対立等により、会議時間の約3分の2が手続き事項の採択に費やされ、最終的に実質的事項に関する合意文書を作成することができなかった。9月の国連首脳会合で採択された成果文書についても、核軍縮と不拡散のバランスを巡る意見対立等の結果、軍縮・不拡散に関する記述が盛り込まれなかった。これらの結果は、アナン国連事務総長が「本年2回失敗した」と述べたとおり、大変遺憾な結果であった。
核兵器不拡散条約(NPT)
2010年5月にニューヨークで開催された2010年NPT運用検討会議では、NPTへの求心力を高め、NPTを基礎とする国際的な核軍縮・不拡散体制を強化することが重要な課題となった。会議では個々の争点を巡り、全ての締約国が全会一致で決定することができるか予断を許さない状況が続いたが、NPT体制を支える三本柱(①核軍縮、②核不拡散、③原子力の平和的利用)に関し、将来に向けた具体的な行動計画を含む最終文書を採択することができた。行動計画は、全ての締約国が協力してこの三本柱を推進していくための共通の基盤を提供した点で大きな意義があり、各国が今後この行動計画を着実に実施していくことが重要である。日本は、日豪両政府による核軍縮・不拡散についての具体的措置に関する作業文書に加え、軍縮・不拡散教育、国際原子力機関(IAEA)保障措置(12)の強化、原子力の平和的利用のためのIAEA技術協力に関する作業文書を提出した。日本の提案は、多くの国から幅広い支持を得て、広く最終文書に反映されるなど、会議の成功に貢献することができた。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2011/html/chapter3/chapter3_01_03.html#h02
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