「長崎」新年号(寺本界雄、長崎発行所<長崎新聞東京支社内、 長崎発行所>、19620101)
内容
頁 | |||
04 | 桑原用二郎 | 新聞十年の回顧 | |
20 | 寸暇拝借 親和銀行会長 北村徳太郎氏の巻 | ||
32 | 奥村秀子(述) | 燐光—原爆被爆の記②- | |
防火用水が臨終の水/死んだ愛児に涙の頬ずり/長崎駅の方向に大火災/火傷にうごめく被災者/ | |||
止
「長崎」新年号(寺本界雄、長崎発行所<長崎新聞東京支社内、 長崎発行所>、19620101)
内容
頁 | |||
04 | 桑原用二郎 | 新聞十年の回顧 | |
20 | 寸暇拝借 親和銀行会長 北村徳太郎氏の巻 | ||
32 | 奥村秀子(述) | 燐光—原爆被爆の記②- | |
防火用水が臨終の水/死んだ愛児に涙の頬ずり/長崎駅の方向に大火災/火傷にうごめく被災者/ | |||
止
原爆被爆地の復元運動
出典:『ナガサキ原爆ノート』(NHK長崎放送局、19711201)
内容
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|||
1970(昭和45)年8月7日 「旧松山町町民のつどい」には湯崎広大原医研助手らも出席 | |||
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1971(昭和45)年7月9日 広島大の湯崎稔氏を迎え「復元の会」関係者が初めて一堂に会し懇談。 | |||
止
放送資料
出典:『ナガサキ原爆ノート』(NHK長崎放送局、19711201)
内容
はじめに | ||
1 | 被爆の実態 4 | |
2 | 核兵器の開発・軍縮をめぐる世界の動き 21 | |
3 | 原爆被爆地の復元運動 57 | |
4 | (1)援護関係用語 62(2)核に関する用語 69 | |
5 | 原爆関係団体(付・人物)87 | |
6 | 放送資料 114 | |
番組 |
6 放送資料 114
番組
昭和年月日 | 番組名 | 番組内容 | |
3904 | 時の表情 | 番組 | |
390803 | 九州に生きる | あれから19年①~⑦ | |
400805~09 | 時の動き | 原爆 | |
400809 | 原爆特集 | ||
41 | <4件略> | ||
420823 | 長崎の青春 | 長崎8月折り鶴の会 | |
431206 | (管中特集) | 原爆孤老 | |
430808 | 原爆特集 | ケースワーカーの記録1,2,3 | |
440809 | 管中 時の話題 | 被爆対策24年 | |
450627 | 話題の窓 | 爆心地復元 | |
450716 | スタジオ102 | 復元運動はじまる | |
450806 | ローカル特集 長崎被爆25年 | 原爆公園の一日 | |
450807 | “ | ふれられざる被爆 | |
450809 | “ | 被爆老人 | |
450807 | 時の動き | 爆心地復元 | |
450809 | 管中 式典中継 | ||
451002 | 時の話題 | 拡がる復元運動 | |
451114 | 話題の窓 | 25年目の青年団 | |
460109 | 管中 正月特集 九州人と話題 | 爆心地復元にかける | |
460224 | (管中特集) ある九州人 | 復元にかける執念 | |
460515 | スタジオ102 | 掘り出された天主堂ドーム | |
460525 | 管中 話題の窓 | 26年目の天主堂ドーム | |
460713 | ローカル特集 原爆意識調査 | 長崎市民の核意識 | |
460714 | ” | 被爆者の26年 | |
460715 | ” | 爆心地復元 | |
460806 | 管中 話題の窓 | 被爆体験をこの子らに | |
460807 | ” | 26年目の被爆記録 | |
460809 | 管中 特集 | 爆心の空白 | |
460809 | 全中 ここに生きる | 爆心地復元にかける~内田伯氏 | |
460809 | スタジオ102 | 原爆平和教育 | |
ニュース
年月日 | 放送時刻 | 番組内容 | |
1961 | |||
0424 | 12全中 | 両陛下原爆病院へ | |
0602 | 19 | すずらんの花束原爆病院へ | |
0623 | 19 | 原爆殉難記録近く出版 | |
0626 | 19 | 長崎、広島の原爆慰霊祭開く | |
0627 | 14 | 原爆殉難記録近く出版 | |
0630 | 19 | 被爆者の展示会 | |
0701 | 19 | 原爆被災者協議会総会 | |
0704 | 14 | 被爆者の展示会 | |
0711 | 14 | 平和行進長崎を出発 | |
0711 | 14 | 原爆病院へTVの贈り物 | |
0712 | 19 | 佐世保からの平和行進団出発 | |
0721 | 19 | 原爆被爆者の一斉検診 | |
0808 | 15 | 原爆の句碑完成 | |
0808 | 19 | 原爆殉難者の慰霊祭 | |
0809 | 10全中 | 原爆特集ニュース | |
12 | 原爆特集ニュース | ||
19 | 原爆特集ニュース | ||
21 | 原爆特集ニュース | ||
0810 | 19 | 原水爆世界平和大会 長崎から出発 | |
0912 | 19 | 核実験反対の街頭署名 | |
0920 | 14 | 核実験反対の街頭署名 | |
以下 <作業中> | |||
1962 | |||
0309 | 19:10 | 中学生がアメリカの核実験に反対し抗議集会 | |
0809 | 10全中 | 今日原爆記念日 | |
全中12 | 今日原爆記念日 | ||
管中12 | 原爆の日の今日 浦上天主堂で追悼ミサ | ||
今日原爆の日 | |||
全中19 | 原水爆禁止長崎大会 | ||
全中21 | 原爆記念日 | ||
1963 | |||
1964 | |||
1965 | |||
1966 | |||
1967 | |||
1968 | |||
1969 | |||
1970 | |||
1971 | |||
0809 | 06 | 今日原爆祈念日 | k |
08 | 浦上天主堂の追悼ミサ | ||
12 | 平和祈念式典 | ||
原爆教育の日 | |||
浦上天主堂のミサ | |||
城山小の平和祈念式典 | |||
17 | 原水禁大会終る | ||
アメリカ代表ハノイへ | |||
浦上天主堂の追悼ミサ | |||
城山小の祈念式典 | |||
復元地図新たに50世帯 | |||
21 | とうろう流し | ||
復元地図新たに50世帯 | |||
止
『ナガサキ原爆ノート』(NHK長崎放送局、19711201)
内容
頁 | |||
はじめに | |||
1 | 被爆の実態 4 | ||
(1)長崎の原爆被災状況 5 イ.警報発令 5 ロ.B29進入状況 5 ハ.爆心 5 ニ.被災状況 6 ホ.人、建物の被害 10 |
|||
(2)被爆者分布状況 19 イ.全国分布 19 ロ.長崎の被害者 20 |
|||
2 | 核兵器の開発・軍縮をめぐる世界の動き 21 | ||
イ.年表 23 ロ.核の威力(ウ・タント報告から)33 ハ.米ソの核拡散防止条約 38 ニ.部分核停条約・核拡散防止条約 38 ホ.ヒロシマ会議 48 |
|||
3 | 原爆被爆地の復元運動 57 | ||
4 | (1)援護関係用語 62 (2)核に関する用語 69 |
||
5 | 原爆関係団体(付・人物)87 | ||
団体 88 | |||
長崎市原爆被爆者対策課 | |||
国際文化会館原爆資料室 | |||
長崎市原爆被災復元調査室 | |||
原爆被災復元調査協議会 | |||
原爆被災復元の会 | |||
長崎市民生委員総務協議会 | |||
長崎市立原子爆弾被爆者健康管理所 | |||
長崎市原爆被爆者検査センター(原爆被爆者中央健診所) | |||
原爆被爆者温泉保養所”大和荘<ダイワ>” | |||
厚生省国立予防衛生研究所・ABCC | |||
財団法人長崎原子爆弾被爆者対策協議会(原対協) | |||
被爆者3団体連絡協議会(被災協、遺族会、手帳友の会) | |||
財団法人長崎原子爆弾被爆者対策協議会 | |||
長崎原爆資料協議会 | |||
長崎原爆遺族会 | |||
長崎県被爆者手帳友の会・長崎県動員学徒犠牲者の会 | |||
原水爆禁止長崎県民会議(社会党総評系の原水禁) | |||
原水爆禁止長崎県協議会(共産党系の原水協) | |||
原水爆禁止・平和建設国民会議長崎県民会議(核禁会議) | |||
長崎県被爆教師の会 | |||
原爆青年乙女の会 | |||
「長崎の証言」刊行委員会 | |||
原水爆被災白書をすすめる長崎市民の会(新左翼系) | |||
長崎平和折り鶴の会 | |||
ラッセル平和財団日本資料センター | |||
ともしび会 | |||
長崎大学医学部 | |||
旧長崎医科大学原爆犠牲者遺族会 | |||
恵の丘長崎原爆ホーム | |||
聖フランシスコ病院 | |||
三菱製鋼長崎製鉄所 | |||
三菱重工業長崎造船所 | |||
国労原爆被爆者対策協議会長崎支部 | |||
全電通長崎県支部被爆者の会 | |||
純心女子学園 | |||
城山小学校 | |||
山里小学校 | |||
日赤長崎原爆病院 | |||
人物 90 | |||
永井隆 | |||
渡辺千恵子 | |||
橋口幸子(当時 山口幸子) | |||
池松経興 | |||
寺田秋蔵 | |||
上林靱夫 | |||
相原秀次 | |||
荒川秀男 | |||
江頭千代子 | |||
6 | 放送資料 114 | ||
止
『月刊中国』(中国新聞社刊)
創刊号 1946年5月1日 |
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原子爆弾記念号 1946年5月1日 |
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『ヒロシマあの時、原爆投下は止められた いま、明らかになる悲劇の真実』(TBSテレビ「ヒロシマ」制作スタッフ編、毎日新聞社、20060730)
内容
頁 | |||
001 | はじめに 筑紫哲也 | ||
002 | 綾瀬はるか 祖母に原爆の話をきく | ||
012 | プロローグ セーラー服の少女 | ||
014 | 原爆はなぜつくられたのか | ||
014 | マンハッタン計画 | ||
原子爆弾のしくみ 放射能と放射線 第三帝国 | |||
018 | 日本はどんな時代だったのか? | ||
年表 | |||
025 | あの時原爆投下は止められた 原爆投下への分かれ道 画・つぼいこう | ||
026 | 運命の2人 | ||
分かれ道1 力への誘惑 031 分かれ道2 中心科学者の反対 035 分かれ道3 推進派vs反対派 039 分かれ道4 和平工作の誤算 043 分かれ道5 幻の12条 051 |
|||
057 | 1945年夏あの日広島で | ||
058 | 1945年8月6日 | ||
なぜ広島は選ばれたか 太平洋戦争のころのヒロシマ | |||
060 | エノラ・ゲイ | ||
062 | あのとき せん光が | ||
065 | 爆心の街 | ||
爆心の街を再現 | |||
068 | その時地下で | ||
077 | 手記『ヒロシマ・ナガサキ 死と生の証言』より 黒い雨 |
||
手記『ヒロシマ・ナガサキ 死と生の証言』より ヒロシマ被爆地図 078 |
|||
079 | 消えた夢 学徒たちの遺品 | ||
080 | 遺品は語る | ||
085 | 日記 | ||
086 | 戦争終結へ | ||
088 | 原爆症、原爆後遺症 | ||
090 | いまも続く核の恐怖 | ||
092 | 原爆をめぐる日本の意識、アメリカの意識 | ||
きのこ雲を撮影したハロルド・アグニュー博士が広島を訪れた | |||
094 | アグニュー博士と被爆者との対面 | ||
096 | アグニュー博士ヒロシマ行取材記 萩原豊 | ||
098 | 対談 原爆をめぐる過去、現在、未来 筑紫哲也×藤原帰一 | ||
嶌暢大 | マンハッタン計画同窓会取材記 | ||
110 | あとがき 「ヒロシマ」取材班 萩原豊 | ||
111 | 参照文献 | ||
参考資料
2005年8月5日放送 | ||||||||||||||||||||
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被爆60年特別番組「戦後60年特別企画 ヒロシマ …あの時原爆投下は止められた …いま、明らかになる悲劇の真実」 (rcc.co.jp) | ||||||||||||||||||||
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『もう一つのヒロシマ』(御田重宝著、中国新聞社、19850706)
内容
章 | |||
はじめに(山本朗<中国新聞社社長>)1985年7月 | |||
1 | 長い一日 1 | ||
7時9分B29接近/朝は静かになったが/疎開作業へ社員出動/3ヵ所へ天候観測機/B29、福山湾へ向かう/運命分けた朝の行動/警報発令に参謀迷う/落下傘目撃後に閃光/ニジとともに原子雲/瞬間、1万度の高熱が/信じられぬ現象続々/飛散物を伴い“黒い雨”/火球、中国新聞を襲う/惨状にわが目を疑う/郊外へ続く半裸の列/義勇隊員の大半即死/古材の下敷きで焼死/炎の中で同僚と握手/一瞬周囲が暗やみに/ぼう然と火災見送る/わが子は家の下敷き/社員の連絡所へ急ぐ/火炎くぐり 社目指す/社はすでに火だるま/3人、肩抱き合い避難/自宅は被爆者で満員/荷車に二人乗せ歩く/警報の度に軍指令部へ/写真を…報道班員直感/撮影に20分ためらう/3枚目は涙で撮れず/マッチ爆弾かと疑う/世界初の”原爆写真”/高熱…社内に入れず/「音のない世界」体験/京橋川船上で黒い雨/一挙に社員113人失う/市内に入り直後に大雨/単身 炎の街突っ切る/やけど押し 社へ走る/1枚の布団で命拾い/中央放送局も犠牲に/勤務交代前、警報ベル/警報を放送中に爆風 | |||
2 | 原爆第一報 63 | ||
現在も なおあいまい/焼却された軍機課類/「8時30分」には疑問/呉鎖守府から調査隊/特殊爆弾の疑念わく/全滅・・・指揮能力失う/暗号打電 翻訳遅れる/新聞発表は7日午後/四国・九州・福山に連絡/9時過ぎ「全滅」の連絡/自転車で広島へ急ぐ/入市やめ原放送所へ/岡山の局と連絡つく/「死者およそ17万人/「大げさでは」疑う軍部/船を雇い広島市入り/両岸、救援叫ぶ被爆者/日発「搬送電話」を利用/出張で被爆、惨状報告/軍管区指令部も壊滅/縮景園に火勢広がる/8時20分過ぎに発信/7日未明に新聞発表 | |||
3 | 再建への鼓動 95 | ||
「社員と家族を救え」/トップの苦しさ自覚/代行印刷依頼に奔走/総監府通じ代行依頼/船舶司令部通じ連絡/印刷機能壊滅を確認/軍通じ代行印刷打電/臨時県庁で情報収集/人材喪失、印刷に痛手/応召の編集局長 不明/カギを握る朝礼時刻/つかめぬ中尉の行動/緊張の作戦室で徹夜/当直済ませて自室へ?/庁舎で仮眠中、被爆か/夫人先頭に市中捜索/悲壮感漂う“再建本部”/社員の容体を案じる/幹部、相次ぎ被爆死/支社局から次々応援/尾道港で「壊滅」聞く/救援トラックに便乗/尾道に戻り救援活動/トラック“徴発”救援へ/被爆者に乾パン配る/被爆者乗せ救護所へ/「知事布告を報道せよ」/「布告」が報道第1号に/焼け残った部屋発見/民心の安定へ口伝隊/道路わきに死体の山/被爆米兵捕虜を目撃/避難阻まれ被爆死も/即死まぬがれたが…/切れた新聞社専用線/電話線ほとんど壊滅/陸軍主導で原爆隠し/「ピカドン」呼称広まる/軍部に「硫酸爆弾」説も/「爆心は護国神社上空」/ラジオ・ゾンデ発見/陸軍・大本営も調査隊/「ト声明」に仁科氏衝撃/「原爆」と正式に認める | |||
4 | 原爆の投下責任 151 | ||
ポツダム宣言を“黙殺”/ソ連参戦の報届かず/アイクは使用に反対/ソ連参戦防止を狙う?/「東西冷戦」絡み?作戦/宣言受諾条件で紛糾/海相、外相は降伏主張/閣議に長崎被爆の報/ポ宣言の受諾決まる/スイスなど通じ公電/軍主戦派と押し問答/10日夜に「受諾」放送/海外へは受諾流れる/陸相布告 掲載を強要/和平派殺害の計画も/「国体護持」を米が論議/米回答文、12日に通達/米回答の翻訳で粉糾/米ソ対立が引き金/終戦引き延ばしが致命/御前会議で終戦決定/天皇自ら詔書ご加筆/14日、全国へ「内密電」/録音盤から天皇の声/使節団、マ司令部へ/米側、厚木入りを通告/マ元帥迎える星条旗/占領軍批判はタブー | |||
5 | 輪転機を回せ 189 | ||
9日、代行印刷紙届く/疎開機器の整備急ぐ/川手牧場と疎開交渉/「一県一紙」で重い責任/増加部数印刷に苦慮/温品移転やっと軌道/社員自ら組み立ても/新聞資材も分散疎開/20日ごろ工場へ送電?/20~30人集まり再出発/突貫工事、工場建てる/9月3日付から印刷/壁新聞用紙は軍提供/地下ごうの紙 役立つ/温品ではテント生活/代行紙、2駅で仕分け/「新聞復興に死力注ぐ」/「あの日」胸に社員連帯/各紙に「70年不毛説」/不毛説を医学者否定/悪戦苦闘…損紙の山/新聞見て社員“出社”/調子上がらぬ試運転/苦労した「紙型」取り/太陽光線で写真製版/活字は捨てず再使用/社報でも原爆の特集/再建へ意欲みなぎる/復員姿で社屋に直行/復員の日、温品印刷成功/分担超え紙面に情熱/米人記者と一問一答/原爆症に医学界混乱/医学論文の公表禁止/社の動き「日誌」に克明/10月26日に採用試験/「米兵の犯罪」を報道/「同盟」に業務停止命令/「同盟」が自主解散通告/検閲受け送信再開へ/声高に「平等」を否定/厳しい事前検閲開始/客観報道促す一面も/GHQ、混乱する路線/23年12月に検閲全廃 | |||
6 | またも試練が 251 | ||
枕崎台風が広島直撃/「不毛説」弱めた台風/“温品版”最後の報道に/輪転機は被害免れる/温品工場の機能マヒ/流川での再建を決意/代行印刷、朝日へ依頼/自力再生を迫られる/全社一丸で題字守る/代行印刷、西部毎日も/京大の調査班も被災/訃報、3日後に京都へ/被爆調査資料も失う/100人が本社ビル清掃/温品の輪転機を解体/東洋工業菜が技術協力/「復興資材部」を設置/資材払い下げに奔走/移転の前日に慰霊祭/撤回された発禁処分/天皇会見で特報発行/「戦争責任」で陛下回答/本社員214人でスタート/ガス会社に鋳造機搬入/バタンコで活字運ぶ/復興財団に資材依頼/「特報中国新聞」に改題/巻き取り紙捨てられる/米軍駐留のとばっちり/社員総出で搬入作業/巻き取り紙に無情の雨/進駐軍用に慰安施設/用紙収容に米軍脇力/マツタケ狩りで一息/「共販制」16年末に発足/連盟に情報局が圧力/一県一紙体制を強行/「相互援助」で発行継続/25年まで共販制存続 | |||
7 | うなる輪転機 303 | ||
東洋工の技師が視察/社長同士で移設契約/社長が訪れ運搬依頼/人使いのよさ見込まれ/運搬方法に知恵絞る/馬車使い本社へ運搬/難題だった定盤輸送/まくら木で道直し運搬/悪路のうえ雨までも/横転防止へ24人“伴走”/午前4時に本社到着/組み立て班、泊まり込み/11月5日「流川第1号」/東洋工業に1200円謝札/本社体制作りも着々/11月1日、新体制発足/進駐軍検閲係が来社/進駐軍の検閲を報道/板張り編集局に熱気/自力発行に緊張・興奮/裸電球の下鉛版セット/労苦報われ社員歓声/復興ぶり克明に報告/衣食住の補給訴える/建設目標は1日100戸/苦難超え原爆報道貫く | |||
[年表]新開・言論関係/原子爆弾関係/国内、戦争関係 339 | |||
[人名索引] 346 | |||
あとがき (尾形幸雄<編集局長>)1985年7月 | |||
(カット絵:金崎是) | |||
注: 中国新聞社被爆40周年企画「もう一つのヒロシマ」(連載259回、期間:1984年7月1日~85年3月23日) |
止
『ヒロシマを生きて 被爆記者の回想』(山野上純夫、20201031)
内容<作業中>
頁 | 見出し | 備考 |
003 | 序にかえて(山野上純夫〈毎日新聞終身名誉職員〉) | |
011 | 本紙記者の体験記 ようやく掲載実現(戸田栄(編集委員)) | |
授業中の被爆 校舎倒壊 同級生が即死 12 被爆直後のこと 自宅燃えたが、家族は無事 14 世界最初の原爆 科学学級で”予言” 16 原子砂漠を脱出 被爆免れた友を訪ねて 18 級友・加藤君の死 安らかな姿 父は「果報者」 20 60年後の証言 友を助け、逃げた地獄 22 学業と世情 軍の学校避けた友の死 24 妹同士 涙の交流 独に慰霊碑建てた友 26 25年の途中下車 父 広島での仕事誘われ 28 戦後、広島工専進学 「機械 またつくればよい」 30 原子力研究の是非 平和利用の美名に異議 32 広大の再出発 学長に元文相の森戸氏 34 森戸学長の信条 「人生の地平線」大切に 36 文系へ転身 あゆみグループと交流 38 毎日新聞に入社 自分に向き合う原爆取材 40 浜井市長落選 道路の舗装 後回し 42 貫いた都市計画 揺るがぬ建設局長 44 慰霊碑の碑文 親鷲の教えに通じる 46 原爆孤児の”父” 私費で育成所開設 48 僧になった孤児 真宗大谷派の要職に 50 7年間の菩薩行 家族とバラックへ 52 被爆記者の後輩 「一言を惜しむな」 54 同じ悩みを抱く 「悲惨さ忘れず告発」 56 同郷の先輩記者 ラジオ用速報指導 58 争い嫌う大原知事 目立たず復興に尽力 60 ABCCへの批判 「地元医師会への配慮」 62 サダコの周辺(1) 「小さなお墓を」 64 サダコの周辺(2) 全犠牲児童の碑に 66 サダコの周辺(3) 像は教育界の事業に 68 サダコの周辺(4) 同級生は疎外感 70 サダコの周辺(5) 治療費工面の苦労 72 サダコの周辺(6) 那須氏が徹底取材 74 ヒロシマの煩悩(1) わだかまる遺族感情 76 ヒロシマの煩悩(2) 同級生の生と死詠む 78 ヒロシマの煩悩(3) 町になじむ前に被爆 80 ヒロシマの煩悩(4) 中学生に救われた命 82 友の消息求め(1) 同期会で69年後再会 84 友の消息求め(2) 母 執念で息子見つける 86 友の消息求め(3) 全国紙に手がかり 88 友の消息求め(4) 出身校の垣根越え判明 90 恩師の短歌 特攻へ期待の寄せ書き 92 戦友別盃の歌 恩師しのび今も胸に 94 友は神父に(1) 「軍都」壊滅 衝撃受け 96 友は神父に(2) カトリックに親近感 98 靖国合祀 学徒も「まつってもらえる」 100 学徒の靖国合祀 「犠牲者の会」結成し陳情 102 記者仲間(1) 地元紙から協力要請 104 記者仲間(2) 「特ダネを書かない」 106 記者仲間(3) 原爆小頭症に「手当」 108 記者仲間(4) 在韓被爆者の実態追う 110 証言者(1) 核なき世界の実現を 112 証言者(2) 対等な語り 生徒ら感動 114 証言者(3) 平和願う心 次世代へ 116 友を襲う病(1) 抜群の秀才 宗教者に 118 友を襲う病(2) 50代までにがん続発 120 友を襲う病(3) 共に見上げた”長寿の星” 122 信仰と職務 「医師は罪深い職業」 124 竹西寛子さん(1) ”ささやかに”書き続け 126 竹西寛子さん(2) 敵も味方も被害者 128 学制改革(1) 伝統校もご破算に 130 学制改革(2) 断絶超えて慰霊行事 132 景福宮の芝(1) 関妃暗殺 広島と深い関係 134 景福宮の芝(2) 「閲妃」語らない広島 136 戦後の基町 知的な面の復興支える 138 母校・済美の廃校 校舎焼失 門柱だけ残る 140 カーブと私 草創期 有力選手少なく 142 |
||
144 | 結びを前に 「原爆は人間の行為」(戸田栄) | |
146 | 75回目の夏迎え 語り継ぐことが道 | |
149 | 私への有明の月 | |
止
NHK平和アーカイブズ
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『朝日新聞よ、変わりなさい!』(朝日新聞労働組合新聞研究委員会編、葉文館出版、20000413)<作業中>
内容
章 | ||
まえがき | ||
1 | 朝日新聞よ、変わりなさい! | |
1 テリー伊藤の「私が社長だったらこう変える」 | ||
2 討論会「テリー伊藤VS朝日新聞」 | ||
2 | ジャーナリズムよ、変わりなさい | |
斎藤茂男の「世紀末日本を歩いて」 | ||
斎藤茂男の「世紀末日本を歩いて」 | ||
有山輝雄の「報道機関と言論機関」 | ||
辻元清美の「お互い因果な商売や」 | ||
目加田説子の「市民の力が世界を変える」 | ||
杉山隆男の「メディア・ビッグバン」 | ||
宮崎学の「アウトローからみたジャーナリズム」 | ||
3 | ニッポンよ、変わりなさい | |
1 講演録 戦後沖縄の挑戦 大田昌秀 | ||
2 討論会 響け、われらの声 –沖縄・アイヌ・在日から | ||
3 インタビュー だから変だよ、ニッポン人 | ||
萱野 茂の「言葉こそ民族のあかし」(前半) | ||
貝澤裕子の「二つの文化を学ぶ」(後半) | ||
大田昌秀の「ニッポンに異議あり」(前半) | ||
又吉栄喜の「眠っているパワーを探れ」(後半) | ||
藤本英夫の「違いを認め合うことから」(前半) | ||
辛 淑玉の「言論のタブーをなくそう」(後半) | ||
服部孝司の「見えない国境を見る」(前半) | ||
外岡秀俊の「多文化社会の可能性」(後半) | ||
あとがき |
止