NHK平和アーカイブズ
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『NHK広島放送局60年史』( NHK広島放送局60年史編集委員会編、NHK広島放送局刊、1988/07/01)
内容
章節 | ||
開局60周年にあたって | ||
Ⅰ | 広島放送局の誕生 1 | |
1 | 日本放送協会中国支部設立 | |
ラジオの幕開け 1 日本放送協会中国支部設立 2 JOFK・こちらは広島放送局 4 総動員の郷土芸能人-開局記念番組- 7 |
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2 | 初期の放送番組 | |
放送番組の編成 9 とぎれとぎれの放送時間 10 報道放送 13 ニュース 臨時ニュース 産業ニュース 職業紹介 時報 生繭相場 局報 日用品値段 気象通報 経済市況 教養放送 17 講演講座 料理献立 青年の時間と農家の時間 学校放送 子供の時間 慰安放送 20 演芸 演劇 邦楽 洋楽 スタジオ外放送 23 |
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3 | 初期の放送設備 | |
放送機 電源 空中線 演奏室 マイクロホン 音声増幅器 連絡線・中継線・非常時連絡装置 有線中継と無線中継 | ||
4 | 強まるラジオへの関心 | |
全国初めての聴取者嗜好調査 30 受信者普及運動 31 文書宣伝 映画講演会 放送実演・放送実験つき子供大会 ラジオ体操の会 講習会 ラジオ商組合・供電業者 特殊サービス 伸びる受信契約者数 35 地方局と出張所 37 中国支部が広島中央放送局に 38 |
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Ⅱ | 戦争と放送 | |
1 戦争体制へ 日中戦争と放送統制 41 戦時色に変わる放送番組 42 ひろがる放送網 45 岡山・鳥取放送局は、大阪から広島中央放送局管内に 46 |
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2 太平洋戦争 きびしい電波管制 48 戦時中の放送番組 49 原放送所に三角塔型空中線建設 53 妨害放送 53 受信者の動き(昭和10年代)55 司令部地下壕からの空襲警報放送 56 番組表・加入者原簿の疎開 57 |
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Ⅲ | 原爆と広島中央放送局 | |
昭和20年(1945)8月6日、広島に原爆投下 59 原爆投下8月6日午前8時15分 61 被爆直後の広島中央放送局 63 広島中央放送局職員の被爆状況 65 原放送所での救急活動と生活 77 惨禍の中での単独放送開始 78 昭和20年8月21日以降の放送部事務日誌から 81 |
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Ⅳ | 混乱から復興へ | |
1 占領下の放送 第二放送、第三放送開始 89 ラジオコードの指令 90 復旧した流川演奏所 92 再生第一歩の初放送 94 ゼロからの出発 95 2 開放された放送 ローカル放送番組始まる 97 戦後のJOFKかいわい 99 マイク街頭へ 101 放送ストライキと放送国家管理 102 放送記者誕生 104 天皇ご巡幸と報道 105 平和記念式典の変遷 106 公開番組あれこれ 107 広島県放送文化普及委員会の発足 109 |
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Ⅴ | 発展するラジオ文化 | |
1 新しい放送制度 電波三法の施行 111 特殊法人日本放送協会の発足 111 中国地方の民間放送 112 2 ラジオ全盛期へ 多彩なラジオ番組 115 戦後の番組編成から- FKのスタジオ事情 農事放送とRFD全局をあげての仕事 スポーツ放送(昭和20年代)全国版に躍り出たローカル番組 芸能番組と部外放送関連団体 報道課誕生(昭和26年から現在まで)134 ラジオ・ドラマ花ざかり 151 FK芸能団体の活躍 156 広島放送管弦楽団 広島放送交響楽団 広島放送合唱団 広島放送劇団 広島放送児童合唱団 広島放送児童劇団 円盤録音からテープ録音へ 167 ラジオ放送網の建設 168 活発な周知活動 171 瀬戸内海文化船・文化バス 巡回ラジオ列車 NHKたすけあい夏・期移動相談 ラジオの集い NHK全国学校音楽コンクール 受信者の動き(昭和20年代)176 受信障害対策の変遷 178 |
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Ⅵ | テレビ時代の到来 | |
1 広島テレビジョン局開局 テレビの始まり 181 比治山テレビ放送所 182 昭和31年3月21日JOFK-TV開局 185 |
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2 初期のテレビ番組と放送制作 テレビローカル定時番組開始 189 平和記念式典初のテレビ中継 190 ローカルテレビニュース放送開始 192 待望のテレビ中継車配備 196 テレビ中継車でスタジオ番組を制作 199 8ミリによるローカル番組 200 テレビ特集、特別番組(昭和30年代)202 スポーツ放送(昭和30年代)205 FK制作テレビドラマの系譜 207 広島放送会館落成 213 テレビジョン放送局建設ラッシュ 217 中国地方放送番組審議会の発足 221 FM放送の開始と運行業務 222 |
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3 放送利用運動と視聴者サービス 放送教育研究会全国大会の開催 225 NHK婦人学級・放送利用農業集団の開設 228 あいつぐ海外演奏家・海外著名人の来広 228 番組公開 230 NHKサービスステーションの開設 231 テレビ受信対策 232 福山テレビ開局対策 大崎テレビ局UHF転換対策 受信者の動き(昭和30年代)234 |
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Ⅶ | カラー放送の時代 | |
1 テレビ、カラー化進む カラー放送の開始 237 ローカル番組もカラー化 238 爆心地図復元運動 240 ローカル30分番組の移り変わり 246 市民の手で原爆の絵を運動 249 特集・特別番組(昭和40年代)256 スポーツ放送(昭和40年代)と昭和50年のカープ初優勝 258 |
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2 視聴者とともに 視聴者サービス月間実施 261 生涯学習と放送 262 NHK交響楽団公演 266 番組公開 267 難視解消への取り組み 268 広島中央放送局ロビーに原爆之碑建立 272 受信者の動き(昭和40年代)275 |
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Ⅷ | 地域放送の拡充 | |
1 多様化するテレビ番組 ローカルワイドニュースの新設 277 特集番組の拡充 284 瀬戸内海企画シリーズ(昭和15年から現在まで)285 番組素材の宝庫「厳島」 288 昭和50年代の特集番組 290 地域とともに「まちかど号」 293 スポーツ番組(昭和50年代)296 昭和50~60年代の主なラジオ番組 297 |
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2 新しい技術 ニュース・番組制作全面ビデオ化 298 ニュースメディアの幕開け 300 衛星放送 文字放送 テレビ音声多重放送 緊急警報放送 ハイビジョン放送 |
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3 放送文化の発展を願って 視聴者センターの設置 304 テレビ放送開始30周年キャンペイン 305 中国地方テレビ映像祭 306 地域総合イベント 307 受信者の動き(昭和50年代)311 |
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4 ニューメディア時代を迎えて 各地で衛星放送公開・BSコンサート 315 中国地方文字放送フェア 315 広島放送局のきょうとあす 317 |
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原爆放送史 | ||
原爆放送の概観 321 | ||
NHKの原爆放送と私 327 | ||
原爆関連放送番組表(昭和21年~昭和63年)330 | ||
広島放送局制作原爆関連番組出版図書一覧 364 | ||
資料 | ||
昭和63年度地域放送番組一覧 367 広島放送局制作受賞番組一覧 368 ラジオ受信契約数の推移 371 テレビ受信契約数の推移 373 中国管内・県別受信契約数 376 中国管内ラジオ放送局一覧 377 中国管内テレビジョン・FM放送局一覧 378 広島県内の辺地共同受信施設一覧 393 広島放送局在籍者名簿[管理職 昭和2年度~61年度] 399 〃 [全職員 昭和30年度~61年度] 413 〃 [全職員 昭和62年度] 426 |
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年表 429 |
備考
『原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと』(NHKスペシャル取材班、岩波書店、20170725 )
目次
章 | ||
1 | きのこ雲の下の二枚の写真 | |
原爆投下三時間後の写真 | ||
「涙でファインダーがくもった」 | ||
御幸橋は壊滅地帯の出口だった | ||
コラム① 「地獄の再現」は、証言者がいたからこそ実現した | ||
2 | 橋の上には凄惨な光景が広がっていた | |
少女は動かなくなった赤ちゃんを抱いていた | ||
「どこに逃げればいいのか」それだけを考えていた | ||
瀕死の重傷を負って | ||
あれは「死の前の光景」だった | ||
コラム② 私たちは八月六日、御幸橋を通った | ||
3 | 写真にはどのような”痛み”が写し出されているか | |
「科学の力」で原爆の実相を浮かび上がらせる | ||
人間が感じる最大の痛み、”フラッシュ・バーン” | ||
写真は”原爆の非人道性”を物語る | ||
放射線による影響は出ていたか | ||
コラム③ 対談 熱傷の専門家×原子核物理学者 | ||
4 | 橋の上は、命を救う最前線だった | |
御幸橋は、救護の拠点となっていた | ||
広島に入った特攻兵を皮肉な運命が待っていた | ||
命の選別が行われた | ||
似島に運ばれて | ||
コラム④ 水をあげるか、あげないか。それは究極の選択だった | ||
5 | 私は友を置いて橋へと逃げた | |
がれきの下で校歌の合唱が始まった | ||
橋の上にいたのは、一〇代の少年少女たち | ||
最大の犠牲者は中学生だった | ||
悔いを抱えて | ||
コラム⑤ 写真が写し出す”悲しき物語” | ||
終章 | 原爆は市民の上に落とされた | |
公表になぜ七年もかかったのか | ||
世界で唯一の写真は、訴え続ける | ||
「被爆の真実」は伝わっているか | ||
コラム⑥ 差別を超えて | ||
あとがき | ||
『NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真』(NHK取材班編、日本放送出版協会、19950830)
目次
章 | ||
序文 | ||
序章 | アメリカでよみがえる長崎 | |
写真修復計画「長崎・ジャーニー」 | ||
1945年8月10日、川端庸介の「長崎・ジャーニー」 | ||
山端写真と最新技術との出会い/クリスとジュディ | ||
第1章 | 長崎を記録した男 | |
ヒロシマとナガサキ | ||
原爆を記録したカメラマンたち | ||
写真家・山端庸介の戦争 | ||
西部軍報道部と火野葦平 | ||
新たに発見された山端写真 | ||
PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー | ||
第2章 | 長崎・ジャーニー1 ラッキーガール、おにぎりを持った親子 | |
偶然の「浦上工場」/八月十日「悲劇の谷」到着/早朝の憲兵隊本部 | ||
少女の微笑み/「ラッキーガール」の悲劇/「さまよう兄弟」との出会い | ||
炊き出しのおにぎり/「おにぎりを持った親子」/優しかった母の面影 | ||
第3章 | 長崎・ジャーニー2 爆心地・傷つき焼かれた人々 | |
モンペの柄から/トラックの上の炎熱地獄/爆心地の悲惨/立ちすくむ少女 平和を祈る龍さんの五十年/路面電車、生と死のドラマ 謎の「浦上天主堂」写真 |
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第4章 | 長崎・ジャーニー3 救援・逃げ延びた人々 | |
爆心地から北へ/市役所職員奮闘す/「これは私の家だ」 道ノ尾駅の幻の看護婦/日赤第七一三救護班/胸に滲むチンク油の匂い 語ってくれた[お乳をあげる母]/二人の子を失って/写真が説明している |
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〇〇 | PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー | |
終章 | 長崎の映像は語る | |
クリスとジュディの長崎再訪/アメリカ・原爆写真展の衝撃 | ||
あとがき | ||
『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)
目次
章節 | ||
序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午) | ||
Ⅰ | 人間の復権を目指して(湯崎稔) | |
Ⅰ-1 | 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔) | |
Ⅰ-2 | 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔) | |
Ⅰ-3 | 広島における被爆の実相 | |
『歴史評論 NO.336』(197804) | ||
Ⅱ | 爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人) | |
はじめに | ||
Ⅱ-1 | 被爆原点の空白 | |
Ⅱ-2 | 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃 | |
Ⅱ-3 | 「爆心復元」アイデアの源泉 | |
Ⅱ-4 | 爆心復元の論理と構想 | |
Ⅱ-5 | キャンペーン始動 | |
Ⅱ-6 | 爆心復元運動の展開 | |
Ⅲ | 爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉) | |
はじめに | ||
Ⅲ-1 | 日本現代史の縮図としての広島 | |
Ⅲ-2 | ヒロシマの視点 | |
Ⅲ-3 | ヒロシマと現代 | |
Ⅲ-4 | 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ | |
Ⅳ | 座談会「爆心調査」からヒロシマを考える | |
出席者 | ||
青木豊子(爆心地復元調査協力者) | ||
鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員) | ||
高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者) | ||
長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター) | ||
渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員) | ||
児玉克哉(三重大学人文学部助教授) | ||
太田武男([中国新聞]編集部) | ||
あとがき(児玉克哉) |
単行本となった放送番組(NHK)
NHK
NHK原爆関連番組(1947~49年分) | |
NHK原爆関連番組(1951~53年分) | |
放送はヒロシマをどう伝えてきたか(1998年7月17日~18日) | |
NHK関連出版物 | |
年月日 | 書名 | 編著者 | 発行所 |
20030730 | ヒロシマはどう記録されたか-NHKと中国新聞の原爆報道 | NHK出版編 | NHK出版 |
NHK関連出版物
年月日 | 書名 | 編著者 | 発行所 | メモ |
60080901 | テレビダイアル・みなさんの窓・改正された原爆医療法 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和35年8月9日午後1:40-2:05(中国5県管中)放送。 |
63021801 | あすへの歩み・私の記録・原爆の子らとともに-中野清一 | NHK(制作) | NHK | 昭和38年2月18日午後11:00-11:40放送。 |
66032201 | 原爆被災誌-NHK原爆の碑完成記念 | 〔NHK〕広島中央放送局(編) | 昭和41年3月22日除幕。「11.原爆之碑」におさめられた犠牲者の方々」 | |
66080604 | 教養特集・原爆白書と原爆症(打合せ稿) | NHK(制作) | NHK | 1966年8月6日20:00-21:00(ETV全中)放送。 |
67080401 | 報道特集-被爆原点の空白 | NHK広島中央放送局 | ||
67080801 | 社会福祉の時間・被爆者援護のあゆみ-戦後の社会福祉シリーズ② | NHK(制作) | NHK | 1967年8月8日11:20-11:50(全中)放送。 |
68070401 | 県民の話題・あいつぐ被爆資料の発見 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和43年7月4日午前7:22-7:35放送。 |
68080402 | 報道特集GTV被爆原点の空白-ヒロシマ一九六八年夏(放送用) | NHK報道局政経番組部・NHK広島中央放送局報道課(共同制作) | NHK報道局政経番組部(等) | 昭和43年8月4日午後10:20-11:00放送。 |
68081001 | [県民の話題]特集“よみがえる爆心”最終回-爆心復元運動の今後 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和43年8月10日午前7:20-7:35放送。 |
68121101 | 県民の話題・特集被爆地図復元をめざして-第2回被爆総合調査への手がかり | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和43年12月11日午前7:20-7:35(総合・県中)放送。 |
69012101 | 県民の話題・はじまった爆心直下の復元調査(広極・大手町地区) | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和44年1月21日午前7:20-7:35放送。 |
69040501 | 県民の話題・動きだした被爆地図復元運動 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和44年4月5日午前7:20-7:35放送。 |
69071201 | 県民の話題・被爆者援護の訴え-参議院公聴会出席者に聞く | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和44年7月12日午前7:20-7:35(総合・県中)放送。 |
69071701 | 奥さんリポート・広島原爆病院 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和44年7月17日13:05-13:25(総合県中)放送。 |
69072001 | 原爆爆心地 | 志水清(編) | 日本放送出版協会 | 別冊付録:広島市原爆爆心地復元市街図 |
69081001 | 報道特集・鎮魂への条件・ヒロシマ一九六九[NHK-TV放送台本] | NHK報道局政経番組班・NHK広島中央放送局報道課(共同制作) | 昭和44年8月10日午後8:45-9:30放送 | |
70020501 | 県民の話題・国家事業になった爆心復元調査[JOFK-TV放送台本] | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和45年2月5日午前7:20-7:35放送。 |
70071401 | ひろしま’70・わからない外国人被爆者の実態 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和45年7月14日午前7:20-7:35放送。 |
70090201 | ひろしま’70・韓国人被爆者の実態-「広島折り鶴の会」の報告から | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和45年9月2日午前7:20-7:35(総合テレビ)放送。 |
71091701 | ひろしまリポート・26年目に実現する韓国被爆者診療 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和46年9月17日午前7:20-7:35放送。 |
71101901 | ひろしまリポート・救援を待つ韓国被爆者 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和46年10月19日午前7:20-7:35放送。 |
71123303 | ナガサキ原爆ノート | NHK長崎放送局(編) | ||
72023301 | 長崎市民の原爆意識-昭和47年2月 | NHK長崎放送局・福岡放送局(編) | ||
72063301 | 広島市民の原爆についての意識調査-1975年6月 | NHK中国本部(編) | ||
75033303 | 長崎原爆ハンドブック | NHK長崎放送局(編) | ||
75063302 | 原爆についての世論調査結果報告書-1975年6月 | NHK中国本部・長崎放送局(編) | ||
75063303 | 広島市の結果の要約と概要 | NHK | NHKが「被爆30周年:広島・長崎の原爆に関する住民意識調査」のテーマで実施した世論調査の結果。 | |
75071001 | 劫火を見た-市民の手で原爆の絵を | NHK(編) | 日本放送出版協会 | |
75133318 | 広島市の結果の要約と概要 | NHK中国本部(編) | NHK中国本部と同長崎放送局が1975年6月に共同で実施した「被爆30周年広島・長崎の原爆に関する住民意識調査」の報告書『原爆についての世論調査結果報告書1975年6月』から、前半の広島市分のみ抜粋. | |
77083301 | 被爆体験・私の訴えたいこと(上) | NHK中国本部 | ||
77083302 | 被爆体験・私の訴えたいこと(下) | NHK中国本部 | NHK中国本部 | |
80063301 | 原爆についての世論調査結果の概要 | NHK広島放送局・NHK放送世論調査所(編) | ||
80073306 | ドキュメンタリー爆心地のジャーナリスト-ロケ資料[台本] | NHK中国放送 | ||
80080103 | 長崎原爆の歌 | NHK長崎放送局(編) | ニシキ印刷 | |
82110101 | きみはヒロシマを見たか-広島原爆資料館 | 高橋昭博・NHK取材班(文)・土田ヒロミ(写真) | 日本放送出版協会 | |
83133314 | 広島原爆ハンドブック(1983年作成)部内用 | NHK広島放送局放送部資料班(編) | ||
84070102 | 極秘プロジェクトICHIBAN-問い直されるヒロシマの放射線 | 小林孝雄 | 日本放送出版協会 | |
85080110 | 被爆体験の継承を模索-広島・長崎市民意識調査 | NHK広島放送局,NHK長崎放送局,NHK放送文化調査研究所世論調査部(共編) | NHK広島放送局(等) | 1985年6月15-16日に広島、長崎両市の有権者各900人を対象に「被爆意識調査」等の調査を実施. |
85133301 | 広島・長崎市民の意識調査 | (NHK) | 昭和60年6月15日・16日調査。 | |
86033302 | いつまでも絶えることなく-被爆40年ヒロシマの手記 | NHK広島放送局(編) | ぎょうせい中国支社 | NHK広島放送局は被爆40年の1985年に、被爆体験の継承をテ-マにした特集を企画。応募手記の中から、49名(広島被爆者45名、広島被爆者の家族4名)の手記を収録. |
86072004 | ヒロシマ爆心地-生と死の40年 | NHK広島局・原爆プロジェクトチーム、庄野直美、鎌田七男(共著) | 日本放送出版協会 | 広島原爆の爆心地被爆生存 |
8702250 | 絆―高校生とヒロシマ | 川良浩和 | 径書房 | |
88073001 | ヒロシマ・残留放射能の四十二年-「原爆救援隊の軌跡」 | NHK広島局・原爆プロジェクト・チーム(著) | 日本放送出版協会 | |
88073304 | NHK広島放送局60年史 | [NHK]広島放送局60年史編集委員会(編) | NHK広島放送局 | |
88093001 | アメリカ国防総省SDI局-スターウォーズの内幕 | NHK取材班 | 角川書店 | |
89072004 | 戦争を知っていますか-語り継ぐ女性たちの体験 | NHKおはようジャーナル製作班(編) | 日本放送出版協会 | |
89082002 | NHK・戦争を知っていますか―語り継ぐ女性たちの体験2 | NHKおはようジャーナル制作班編 | 日本放送出版協会 | |
90073311 | 戦中戦後をめぐる自分史-三十周年記念 | NHK広島婦人学級 | NHK広島放送局婦人学級 | |
90080614 | 原爆搭載機「射程内ニ在リ」 | NHK広島放送局原爆取材班(久保安夫・中村雅人・岩堀政則) | 立風書房 | 平成元年8月3日NHK広島がローカルに放送した「広島が消えた日」を元に編纂。 |
94080501 | 旧ソ連・戦慄の核実験 | NHK(モスクワ・広島)取材班 | 日本放送出版協会 | [腰巻き]極秘資料と証言から隠された旧ソ連の核実験の「真実」を追う。 |
95011001 | 「井伏鱒二の世界」展-NHK広島放送センターオープン記念 | NHK広島放送局放送センター・福山市教育委員会社会教育部文化課 | NHK広島放送局・NHKちゅうごくソフトプラン | 「黒い雨」PP30-31。 |
95083001 | NHKスペシャル・長崎よみがえる原爆写真 | NHK取材班・(写真)山端庸介 | 日本放送出版協会 | |
96021601 | アメリカの中の原爆論争 | NHK取材班 | ダイヤモンド社 | |
96042001 | 地球核汚染ーヒロシマからの警告 | NHK「原爆プロジェクト」 | NHK出版 | |
960630 | NHKスペシャル 新・日本の条件2-失われた時間 | NHK新・日本の条件プロジェクト | 日本放送出版協会 | |
97072501 | 核兵器裁判 | NHK広島・核平和プロジェクト | NHK出版 | |
99072501 | 原爆投下・10秒の衝撃 | NHK広島「核・平和」プロジェクト編 | NHK出版 | |
a00730 | サダコ-「原爆の子の像」の物語 | NHK広島「核・平和」プロジェクト | NHK出版 |
NHK原爆関連番組(1947~49年分)<全てラジオ番組>
月日 | 番組名 | 番組内容 |
1947年 08.05 |
原子爆弾症のその後 逓信病院 蜂矢道彦 | |
同 | 平和祭特輯番組 広島放送合唱団他 広島復興の歌他 | |
08.06 | 平和祭式典実況(平和広場より) | |
同 | ひろしまの時間 | 8月6日平和祭より |
08.07 | 平和祭のスケッチ 末長忠一 | |
1948年 08.02 |
ひろしまの時間 | 広島を繰返すな 上流川教会牧師 谷本清 |
08.05 | 街頭録音 広島市の復興について | |
08.06 | 平和祭実況(広島市平和祭会場より) | |
同 | 平和祭 | |
同 | 世界の音楽 | 広島市平和祭会場児童文化会館より 平和の歌他 |
同 | 広島県の夕べ | 平和祭特輯番組 1.ひろしまの歌、2.座談会「20年後の広島を語る」 |
08.09 | ひろしまの時間 | 戦災孤児の幸福のために 山下偵子 |
08.15 | 放送討論会「世界平和の達成は可能か」 | |
08.27 | 広島県の夕べ | 復興と住宅(八丁堀東洋座より中継) 広島市復興局住宅課長二村四郎 |
1949年 08.05 |
広島県の夕べ | 住宅復興~平和祭特集 第4回平和祭を迎えて |
08.06 | 朝の歌 | 広島平和祭にちなみ ヒロシマ他 広島放送合唱団 三並惇子 |
同 | 広島平和祭式典実況(広島市民広場から) | |
同 | 街頭録音「その後の未亡人」 広島市基町母子寮及び授産場にて | |
同 | 平和音楽祭 追悼の曲他(広島児童文化会館) | |
同 | ひろしまの時間 | 今週の話題~平和祭に拾う~ |
08.09 | 「原爆1号にきく」吉川清、中村アナ | |
08.10 | 住宅の復興について 広島県住宅課長 曽根田彰 | |
08.12 | 音楽だより | ひろしまの歌 山田廸孝 |
08.14 | 平和祭記念邦楽大演奏会 杵屋土峰他 |
出典:広島放送局放送部資料班『広島原爆ハンドブック』