「原爆報道(各社)」カテゴリーアーカイブ

爆心復元運動とヒロシマの思想

『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)

目次

章節
序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午)
人間の復権を目指して(湯崎稔)
Ⅰ-1 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔)
Ⅰ-2 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔)
Ⅰ-3 広島における被爆の実相
『歴史評論 NO.336』(197804)
爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人)
はじめに
Ⅱ-1 被爆原点の空白
Ⅱ-2 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃
Ⅱ-3 「爆心復元」アイデアの源泉
Ⅱ-4 爆心復元の論理と構想
Ⅱ-5 キャンペーン始動
Ⅱ-6 爆心復元運動の展開
爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉)
はじめに
Ⅲ-1 日本現代史の縮図としての広島
Ⅲ-2 ヒロシマの視点
Ⅲ-3 ヒロシマと現代
Ⅲ-4 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ
座談会「爆心調査」からヒロシマを考える
出席者
青木豊子(爆心地復元調査協力者)
鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員)
高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者)
長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター)
渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員)
児玉克哉(三重大学人文学部助教授)
太田武男([中国新聞]編集部)
あとがき(児玉克哉)

生きて(中国新聞連載)

生きて(中国新聞連載)

氏名 見出し 掲載日・担当記者
葉佐井博巳 核物理学者 西本雅実
1 原爆 放射線測定で実態追う
15 顧みて 戦争なき世界つくろう
石丸紀興 都市・建築研究者 林淳一郎
1 復興史研究 被爆地広島の軌跡追う 20161206
15 提案 地域見つめて研究継続 20161227
鎌田七男 <医師・広島大名誉教授(1937年~)> 西本雅実
1 顧みて 被爆者に教えられ歩む 20170725
15止 継承 広島だからこその務め 20170815
サーロー節子 <被爆者(1932年~)> 金崎由美
1 新たな決意 廃絶へ仕事はこれから 20180803
20止 核兵器 終わりの始まり 20180901

広島国際文化財団

広島国際文化財団

1977年、中国新聞社と中国放送が広島の文化振興を目的に設立した財団法人

主な事業

年月日
197807 街づくりシンポジウム(丹下健三、平山郁夫など)
197811 デザイン会議1978広島
197904 ガウディ展
198008 増田勉ヒロシマシリーズ作品展
米国記者招請計画(アキバ・プロジェクト)

中国新聞

中国新聞

『山本正房追悼録』(中国新聞社、19710815)
論文
小池聖一「中国新聞・中国新聞社の戦前と戦後」
https://home.hiroshima-u.ac.jp/hua/public/mitsubishi/mitsubishi01.pdf#search=%27%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%AD%A3%E6%88%BF%27

閃光を背負って―原爆第一号の足跡

閃光を背負って―原爆第一号の足跡(毎日新聞(広島版)連載1989年8月16日~9月6日

 掲載月日  見出し1   見出し2
1  0816  署名運動  救済求め手を組もう
2 0817   請願書  最初は”外注”友人に依頼
3  0818  被爆者の叫び1  「このケロイドを見よ」
4  0819   被爆者の叫び2  東京でも体験語る
5  0822   被爆者の叫び3  被害者の会を脱退
6  0823  八・六友の会  すべてと仲良く
7  0824  抗議  広島の人間として
8  0826  あがき  自分が手がけたのに
9  0830  吉川清の思い  この”肩書”ずしりと
10  0831  歩み・上  権利の主体へと
11  0902  歩み・中  土産物店など経営
12 0902 歩み・下 ぐち口にせず往生

東京朝日の原爆批判キャンペーン(1945年8月~9月)

東京朝日の原爆批判キャンペーン(1945年8月~9月)
朝日新聞は、広島に原爆が投下された翌日から連日、原爆に関する報道を行った。1945年8月7日~9月18日の43日間で、原爆関係の記事が掲載されなかったのは、8月22日、同月26日、9月13日の3日のみである。また、この間の関係記事数は115件におよぶ。当時の新聞が表裏2面のみという限られた紙面であることを考えれば、当時、原爆問題がいかに重視されていたかがうかがえる。
同新聞は、占領軍当局により、原爆批判キャンペーンの「先頭にたっ」ていると目され、1945年9月18日、48時間の発刊停止処分を受けた。この発停が直接の契機となり、翌19日には、プレスコードが指令される。
プレスコードを契機に原爆関係の記事は激減し、原爆投下を非難する記事は一切無くなった。次表は、朝日新聞の記事数を、プレスコード(ps)の前(b)と後(a)で比較したものである。

社説 外電 報道
(含コラム)
一日平均
記事数
ps-b 8 30 77 115 2.7
ps-a 3 66 30 99 0.3

注:ps-b=1945年8月7日~9月18日(43日)  注:ps-a=1945年8月21日~1946年8月6日
(322日)

国際平和シンポジウム(朝日新聞社・広島市)

国際平和シンポジウム(朝日新聞社・広島市)

平成7 年(1995 年)度から、核兵器廃絶をテーマに市民の平和意識啓発を図ることを目的として、広島市、広島平和文化センター、朝日新聞社の共催により広島で開催。平成18年(2006 年)度からは広島・長崎の交互開催に改める。

開催年月日 テーマ 会場 備考
19950718 核兵器廃絶への道を探る―ジャーナリストは何がいきるのか 広島 1
19960802 核兵器ゼロの世界を目指して
19970729 北東アジアの非核化と日本の役割
1998 1998年8月4日(第4回)国際シンポジウム・講演会「核廃絶へ今、私たちは何をすべきか」
1999 1999年8月5日(第5回)「語ろう、核兵器廃絶を!~ヒロシマから21世紀に向けて」
2000 2000年8月4日(第6回) 「非核の傘を広げよう!核のない21世紀めざして」
2001 2001年8月3日(第7回)「核廃絶の流れを確かなものに~地球市民としてなにをなすべきか」(原爆資料館蔵)
2002 2002年8月3日(第8回)「呼び戻そう核廃絶の流れを-報復から対話へ」(原爆資料館蔵)
2003 2003年8月3日(第9回)「語り続けよう核廃絶の道を-力の論理に抗して」
2004 2004年8月1日(第10回)「再び築こう核廃絶の流を-強めよう都市と市民の連携」(原爆資料館蔵)
2005 2005年月日(第回)2006年7月29日(第12回)<会場:長崎>
「核なき世界へ~61年目のナガサキから」
2006
2007 2007年8月4日(第13回) 「再び核廃絶のうねりを~ヒロシマから世界へ」
2008 2008年7月27日(第回)<会場:長崎>
「核兵器廃絶への道~NGOとミドルパワーの可能性」
2009 2009年8月1日(第15回)
「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」2009年8月1日(土)広島国際会議場
国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」
2010 2010年8月7日(第回)<会場:長崎>
「核兵器廃絶への道~2010年ナガサキ」
2011
2012
2013 2013年7月27日(第19回)
「核兵器廃絶への道~核兵器の非人道性と被爆体験の伝承~」(原爆資料館蔵)
2014
2015 2015年7 月25 日第回)
「核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~」
2015年7 月25 日(土)午後1 時~午後5 時 広島国際会議場「ヒマワリ」
テーマ:核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~
内 容:①オープニング:広島女学院高校音楽部による「リメンバー」合唱
②被爆体験を語り継ぐ:山本 定男(被爆体験証言者)
③特別講演:為末大(世界陸上競技選手権メダリスト)
④基調講演:モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長)
⑤パネル討論:
〔パネリスト〕モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長)
2016
20170729 核兵器廃絶への道~この世界の分断を越えて 広島国際会議場
▽特別対談「映画『この世界の片隅に』を語ろう」 片渕須直、蔵本順子
▽基調講演「トランプ時代における挑戦」 ジョン・ウォルフスタール(オバマ政権で特別担当補佐官)
▽パネル討論 ジョン・ウォルフスタール、ニーナ・タネンウォルド、小溝泰義氏、林田光弘
20180728 核兵器廃絶への道~持続平和な平和のために~ 長崎原爆資料館
2019
20200801 核兵器廃絶への道~世界の危機に、歩みをとめない~ 長崎原爆資料館ホール
一般傍聴者は募らず、海外の登壇者とはオンラインでつなぎ、その模様をライブ配信
20210731 核兵器廃絶への道~『希望の条約』が照らす新しい世界~
会場での参加者は募らず、広島国際会議場から無料ライブ配信
20220730 核兵器廃絶への道~世界を『終わり』にさせないために~ 長崎原爆資料館ホール
20230729 核兵器廃絶への道~被爆地が核戦争の「歯止め」となるために 広島国際会議場
ライブ配信の視聴も可能