中国新聞
| 本 | |||
| 『山本正房追悼録』(中国新聞社、19710815) | |||
| 論文 | |||
| 小池聖一「中国新聞・中国新聞社の戦前と戦後」 | |||
| https://home.hiroshima-u.ac.jp/hua/public/mitsubishi/mitsubishi01.pdf#search=%27%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%AD%A3%E6%88%BF%27 | |||
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
中国新聞
| 本 | |||
| 『山本正房追悼録』(中国新聞社、19710815) | |||
| 論文 | |||
| 小池聖一「中国新聞・中国新聞社の戦前と戦後」 | |||
| https://home.hiroshima-u.ac.jp/hua/public/mitsubishi/mitsubishi01.pdf#search=%27%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%AD%A3%E6%88%BF%27 | |||
閃光を背負って―原爆第一号の足跡(毎日新聞(広島版)連載1989年8月16日~9月6日
| 回 | 掲載月日 | 見出し1 | 見出し2 |
| 1 | 0816 | 署名運動 | 救済求め手を組もう |
| 2 | 0817 | 請願書 | 最初は”外注”友人に依頼 |
| 3 | 0818 | 被爆者の叫び1 | 「このケロイドを見よ」 |
| 4 | 0819 | 被爆者の叫び2 | 東京でも体験語る |
| 5 | 0822 | 被爆者の叫び3 | 被害者の会を脱退 |
| 6 | 0823 | 八・六友の会 | すべてと仲良く |
| 7 | 0824 | 抗議 | 広島の人間として |
| 8 | 0826 | あがき | 自分が手がけたのに |
| 9 | 0830 | 吉川清の思い | この”肩書”ずしりと |
| 10 | 0831 | 歩み・上 | 権利の主体へと |
| 11 | 0902 | 歩み・中 | 土産物店など経営 |
| 12 | 0902 | 歩み・下 | ぐち口にせず往生 |
東京朝日の原爆批判キャンペーン(1945年8月~9月)
朝日新聞は、広島に原爆が投下された翌日から連日、原爆に関する報道を行った。1945年8月7日~9月18日の43日間で、原爆関係の記事が掲載されなかったのは、8月22日、同月26日、9月13日の3日のみである。また、この間の関係記事数は115件におよぶ。当時の新聞が表裏2面のみという限られた紙面であることを考えれば、当時、原爆問題がいかに重視されていたかがうかがえる。
同新聞は、占領軍当局により、原爆批判キャンペーンの「先頭にたっ」ていると目され、1945年9月18日、48時間の発刊停止処分を受けた。この発停が直接の契機となり、翌19日には、プレスコードが指令される。
プレスコードを契機に原爆関係の記事は激減し、原爆投下を非難する記事は一切無くなった。次表は、朝日新聞の記事数を、プレスコード(ps)の前(b)と後(a)で比較したものである。
| 社説 | 外電 | 報道 (含コラム) |
計 | 一日平均 記事数 |
|
| ps-b | 8 | 30 | 77 | 115 | 2.7 |
| ps-a | 3 | 66 | 30 | 99 | 0.3 |
注:ps-b=1945年8月7日~9月18日(43日) 注:ps-a=1945年8月21日~1946年8月6日
(322日)
社史が語る原爆・ヒロシマ(『赤旗(中国四国版)』連載 2002.1.6~8.9)
広島電鉄
| 01 | 0106 | あの日の姿 | 路面電車も被爆した |
| 02 | 0108 | 女学生の体験 | 黄色い炎が顔をなめ |
| 03 | 0109 | 1945年「あの日」 | 4000度の熱線あびる |
| 04 | 0110 | 広電本社崩れる | 鬼哭啾々 朝の惨状 |
| 05 | 0111 | 電車の被爆(上) | 女性車掌が「助けて」 |
| 06 | 0114 | 電車の被爆(下) | 運転手は黒焦げに |
| 07 | 0115 | 復旧への努力 | 「おっ、電車が動くんか」 |
| 08 | 0116 | 運転手の証言 | 行方不明の同僚を捜して |
| 09 | 0117 | 平和のとりくみ | 会社あげて被爆体験継承 |
| 10 | 0118 | 幻の卒業生 | 学業のかたわら運転も |
中国電力
| 01 | 0128 | 暗黒の一夜 | 惨状は前後を絶する |
| 02 | 0129 | 戦時下の電力事業 | 国策会社として出発 |
| 03 | 0130 | 被爆直前 | 動員学徒らと仕事に |
| 04 | 0131 | 壊滅のとき(上) | 一瞬、真っ暗になって |
| 05 | 0201 | 壊滅のとき(下) | サッシが背中貫いて |
| 06 | 0204 | 動員学徒の死 | お母さん!痛いよう |
| 07 | 0205 | 原爆第一報 | 血みどろになりながら |
| 08 | 0206 | 希望の灯 | 復興はまず電気から |
| 09 | 0207 | 戦後復興担った人 | 点灯に無上の喜び |
| 10 | 0228 | 元社員の思い | 私たちが見た被爆の怖さ |
中国新聞
| 01 | 0225 | 被爆カメラマン(上) | ファインダーは涙で |
| 02 | 0226 | 被爆カメラマン(下) | 「あの日」は数枚だけ |
| 03 | 0227 | 本社壊滅 | 従業員三分の一が犠牲に |
| 04 | 0228 | 社員の伝言 | 戦争は再びあってはならぬ |
| 05 | 0301 | 記者の追憶(上) | 中国新聞も終わりか |
| 06 | 0304 | 記者の追憶(下) | 焼け跡に赤いかんざし |
| 07 | 0305 | 8月9日付発行 | 代行印刷を指示、奔走 |
| 08 | 0306 | プレス・コード | 原爆写真掲載に呼び出し |
| 09 | 0307 | 消えたペン | 遺族訪ねた告発と鎮魂の書 |
| 10 | 0308 | 不戦の誓い | 戦争のためのペン持たず |
日赤病院
| 01 | 0325 | 塔のある病院 | 廃虚の中のオアシス |
| 02 | 0326 | 不眠不休の救護 | 押し寄せる被爆者 |
| 03 | 0327 | 元看護婦の証言(上) | 変わり果てた街で |
| 04 | 0328 | 元看護婦の証言(下) | 遺体見送る被爆者の目 |
| 05 | 0329 | 生きる希望 | 全身を焼かれても |
| 06 | 0401 | 奇跡の生還 | 6年間の入院生活 |
| 07 | 0402 | 原爆患者一号 | 今に生きる被爆体験 |
| 08 | 0403 | ジュノー博士 | 遺志を引き継いで |
| 09 | 0404 | 「保存運動」 | 追体験の場残して |
| 10 | 0405 | 「いのちの塔」 | 生へのたたかい記録 |
福屋百貨店
| 01 | 0513 | 白亜の殿堂 | 骨組み、外郭残し全焼 |
| 02 | 0514 | 国民統制の時代 | ”雑炊食堂”に行列 |
| 03 | 0515 | 火事嵐 | 道を隔て移る猛火 |
| 04 | 0516 | 動員学徒の「脱出記」 | 指一本の明かり頼りに |
| 05 | 0517 | 燃え盛る市内 | 避難先から見た惨状 |
| 06 | 0520 | 被爆後の混乱 | 自然鎮火を待つだけ |
| 07 | 0522 | 再興を誓う人々 | 手がかりは福屋から |
| 08 | 0523 | 酒の立ち飲み | うっ積を晴らす憩い |
| 09 | 0524 | 弾圧のもと平和集会 | 原爆使用に危機感 |
| 10 | 0525 | 現在これから | 地元に根ざし続けて |
金正堂書店
| 01 | 0603 | 星野村 火 | 57年後も燃え続ける |
| 02 | 0604 | 星野村 碑 | 平和への思い内外に |
| 03 | 0605 | 創業のころ | 本屋の「のれん分け」 |
| 04 | 0606 | 発展と衰退 | 文京都市の文化ささえて |
| 05 | 0607 | 革屋町壊滅 | 涙の中から復興へ |
| 06 | 0610 | おいの体験(上) | 宇品への車中で被爆 |
| 07 | 0611 | おいの体験(中) | 叔父求め歩き続ける |
| 08 | 0612 | おいの体験(下) | 灰を吹きつけると炎が・・・ |
| 09 | 0613 | 23年の管理 | 惨状知る火、絶やしてはならぬ |
| 10 | 0614 | 恒久平和願う「火」 | 全国9ヵ所に「分火」 |
旧国鉄
| 01 | 0624 | 苦い記憶 | 57年前の「あの日」今も |
| 02 | 0625 | 長い腕 | 貨物列車に回れ右 |
| 03 | 0626 | ガラスの嵐 | 壁になった友人・・・ |
| 04 | 0627 | 広島駅の被爆 | 「バケツ」一杯ノ水デモト |
| 05 | 0628 | 無言の語り部 | 父は「ピカドンで死んだ」 |
| 06 | 0701 | 脱線転覆 | ”大事故を起こしたか” |
| 07 | 0702 | 山陽本線の復旧 | ”死体の川”の上で |
| 08 | 0703 | 救援隊の涙 | 紙で作った人形が・・・ |
| 09 | 0704 | 救援列車 | トマトが食べたい |
| 10 | 0705 | この怒りを | 国鉄労働者289人の碑 |
島病院
| 01 | 0729 | 爆心直下 | 瞬時に命を奪われた |
| 02 | 0730 | 一枚の写真 | 再び顔そろうことはない |
| 03 | 0731 | 黒焦げの遺体 | 「これは婦長さんです」 |
| 04 | 0801 | 救護活動 | 助け求める声、声、声 |
| 05 | 0802 | 病院のある街で | 肉親の死 遺骨もなく |
| 06 | 0805 | 35枚の絵 | 鉛筆画に残すわが町 |
| 07 | 0806 | 旧天神町住民の証言(上) | これが「死の世界」か |
| 08 | 0807 | 旧天神町住民の証言(下) | 「いとこの死」が原点 |
| 09 | 0808 | 再建 | 平和と貧しきものにささぐ |
| 10 | 0809 | 連載終了にあたって | 充実した原爆報道へ |
************************
宇吹 暁(うぶき さとる)「被爆体験の継承をめざして」(「しんぶん赤旗」中国四国総局、新日本出版社、2003年1月20日)pp133-141
原爆報道
被爆体験は、被爆後直後からこれまで、報道・手記・文学・映画・演劇などさまざまな形で継承されてきた。中でも、多数の人々の被爆体験を伝えてきたのは、報道と手記である。
朝日新聞(東京本社版)は、一九四五年八月一〇日付の紙面に「閃光 熱い痛い感じ」との見出しで体験者の談話を掲載、同月一二日には、浅井・松尾・岸田特派員発の現地報告「一瞬に広島変貌」を載せた。また、三〇日には「海底のやうな光-原子爆弾の空襲に遭って」との見出しで、広島で被爆した作家大田洋子の体験記を掲載している。新聞だけでなくラジオやテレビも、多くの被爆者の声を紹介してきた。NHKラジオ(広島県域)では、四九年八月九日の「原爆一号[吉川清]に聞く」、同テレビでは、五八年二月二八日の「原爆被災者は訴う」が、記録(広島放送局放送部資料班『広島ハンドブック(八三年作成)』)で確認できる早期のものである。
講和条約の発効以後、毎年八月前後には新聞各紙が、数回から十数回の企画・連載を組むようになった。一九五二年には、朝日新聞(広島版)が「原爆白書」(七月二九日から五回)を掲載するが、これは条約発効前後に広島で胎動を始めた被爆者の組織作りや平和運動などを取り上げたものであった。原爆関連の企画・連載には、「原爆症」や「復興」といった単一のテーマを取り上げたもの以外に、その年の原爆問題をめぐるさまざまな動きを紹介する「原爆問題年報」的なものがあるが、朝日のこの「原爆白書」企画は、確認できるこうした形式の最も早い例である。また、中国新聞が、「原爆モニュメント遍歴」(五二年七月二九日から八回)を掲載している。これは、「原爆で断ち切られた人間の生命を永久に結び付ける象徴」として原爆慰霊碑を紹介したものであった。
中国新聞は、この後、原爆問題をテーマとした大型連載を精力的におこなった。中には、「原爆十年-広島市政秘話」(一九五五年七月一五日から七四回)、「フェニックス広島号の冒険」(第一部・第二部、六一年一〇月一〇日から一三四回)という大型のものもあった。また、同社は、被爆二〇周年を迎えた一九六五年には、七月八日から「ヒロシマ二十年 世界にこの声を」(三〇回)、「あの日と私」(二〇回)、「炎の系譜」(三〇回)、「広島の記録」(九〇回)、「廃墟からの道 広島復興裏面史」(夕刊、三〇回)の連載を開始した。この年には、他社も積極的に原爆問題を取り上げたが、中国新聞社の力の入れようは群を抜くもので、高い評価を受け、同年の日本新聞協会賞を受賞した。
一九七〇年代に入ると、原爆企画は、マスコミ各社が当然のこととして取り上げ、その内容をめぐって競争するという活況を呈した。被爆者を対象とした本格的な世論調査が、六八年の中国新聞社を皮切りに、中国放送、NHK中国本部などで行われた。また、七四年五月にはNHK中国本部が市民に、「絵による証言」の提供を呼びかけ、大きな反響を呼んだ。手記の募集もしばしばおこなわれた。『被爆体験・私の訴えたいこと』(NHK中国本部、七七年)、『いつまでも絶えることなく』(NHK広島放送局、八六年)、『手記・被爆者たちの四〇年』(朝日新聞大阪社会部、八六年)は、マスコミの呼びかけに応じた被爆者の手記を特集したものである。これらは、マスコミが、被爆者の実態解明や被爆体験継承の担い手として大きな役割を果たしたことを示すものである。こうした原爆報道の歩みは、規模こそ広島に比べれば小さいものの、長崎においても見ることができる。中でも、長崎新聞の記事『私の被爆ノート』は、九六年二月一六日から二〇〇二年七月一一日まで連載された三〇〇回に及ぶ大型連載であった。
日本共産党の機関紙「赤旗」も毎年八月の原爆記念日前後に被爆体験継承をテーマとした連載を掲載している。一九六三年の「ここに生きる 一八度目の“あの日”を迎えた被爆者」(八月五日~八日、三回)が、同紙の縮刷版で確認できる初めてのものである。以後、「被爆者はたたかっている 被爆二十周年を迎える広島と長崎」(六五年七月~八月、一〇回)、「被爆者は訴える」(六六年七月、六回)、「広島からの手紙」(六七年七月、五回)、「被爆者は訴える」(六八年七月~八月、七回)、「被爆者とともに 援護運動この一年の歩みから」(六九年七月~八月、七回)、「“原爆”から二五年 この人をたずねて」(七〇年七月~八月、六回)と続き、今日に至っている。
新聞・ラジオ・テレビで紹介された被爆者の証言は、膨大な量になることは明らかである。これまでにも、原爆被災資料広島研究会(一九六八年結成)などにより整理が、試みられたことはあったが、中断したままである。
原爆手記
現在でも、報道機関による被爆体験継承の試みは存在している。しかし、各紙が競うように行ったのは、一九七〇年代までである。原爆手記の出版が、これと入れ替わるように活発になった。原爆手記は、九五年までの出版物に限っても、三万七七九三件の手記を掲載する三五四二点が存在するが、これらの大半は、七〇年代以降に現れたものである。これらを出版主体別にまとめれば、第1表のようになる。
第1表 原爆手記掲載書誌及び手記の分類別件数
| 分類 | 書誌数 | 手記数 | 割合(%) | |
| 1被爆当時の組織 | 348 | 6836 | 18.1 | |
| 2被爆者団体 | 462 | 15312 | 40.5 | |
| 3被爆者関係施設・団体 | 339 | 4100 | 10.9 | |
| 4平和教育関係団体 | 287 | 3386 | 9.1 | |
| 5原水爆禁止・反核団体 | 207 | 962 | 2.6 | |
| 6社会団体 | 323 | 2085 | 5.6 | |
| 7その他 | 1576 | 5112 | 13.5 |
注)割合=全手記数に占める割合
分類別では、「被爆者団体」によるものが最も多く、手記数は全体の四〇%に及んでいる。このほか、原爆被爆者養護施設(分類「被爆者関係施設・団体」)、平和教育の一環として学校や公民館(「平和教育関係団体」)、原水禁団体(「原水爆禁止・反核団体」)、婦人団体(「社会団体」)などによっても出版された。これらのほとんどは、広く読まれることを期待して出版されたものであり、日本の反核運動の高揚に大きな役割を果たしてきた。しかし、広島の社会的な被害実態の解明に役立つものは少ない。これらの手記では、官公庁・学校、工場など個別の名称が省かれているものが多いからである。
米国戦略爆撃調査団の調査によれば、広島には、中国地方総監府・中国海運局・広島控訴院・広島鉄道管理部・広島逓信局・広島財務局などの官公署をはじめ、広島中央放送局・日銀・勧銀・日通などの支店が置かれていた。また、市内およびその近郊には、三菱重工業・東洋工業・日本製鋼などの大企業をはじめ、六千をこえる工場が存在していたという。また、職種別の被雇用者の状況は第2表のようなものであった。
第2表 広島地域の職種別被雇用者数
| 職 種 |
平均被雇用者(人) |
比率(%) |
| 工場 | 83671 | 64.1 |
| 官公庁 | 13049 | 10.0 |
| 運輸 | 12288 | 9.3 |
| 商業 | 9141 | 7.0 |
| 専門職 | 3252 | 2.5 |
| その他 | 9425 | 7.2 |
| 合計 | 130826 | 100.0 |
出典:合衆国戦略爆撃調査団「広島市に対する空襲の効果」
第1表の分類の「その他」の多くは私家版である。「被爆当時に存在した組織」と合わせた手記数は、全体のほぼ四分の一に及んでいる。これらは、限られた関係者に配布されたものがほとんどであり、反核運動に及ぼした影響は被爆者団体などによる手記ほどではなかったと思われる。しかし、分類「被爆当時に存在した組織」に含まれる「官公庁」、「学校」、「事業所」関連の手記は、いずれも社会的な被害実態を明らかにするための貴重な素材である。
「被爆当時に存在した組織」の分類に属し、広島の手記を含むものは全部で二五六点存在する。この内、最も早い例は、被爆から一年後の一九四六年八月一日に出版された『泉第1集-みたまの前に捧ぐる』(広島興産文化部編、広島興産株式会社)である。この書は、広島興産の前身である広島航空機に動員され犠牲となった広島一中や県立第一高女の生徒への追悼文集であり、一五人の手記を収録している。この後、『広島貯金支局戦災復旧事務史』・『東洋工業株式会社三十年史』・『原爆記-千代紙の小箱』(星野春雄、広島女子高等師範学校物理学教室原爆五周年刊行会)・『中国菓業名鑑-広島県之巻』・『追悼法会』(広島車掌区)が、占領期間中に発行された。また、独立後には、学校・官公庁関係のものや、被爆者の救護のあたった広島県内の医師会や三菱重工業株式会社広島造船所関係のものが多数出版されている(拙著『原爆手記掲載図書・雑誌総目録』、日外アソシエーツ、一九九九年)。
「社史が語る戦争・原爆」
本書に収録された新聞連載は、交通(広島電鉄・旧国鉄)・エネルギー(中国電力)・商業(福屋百貨店)・情報(中国新聞)・医療(日赤病院)の各分野の広島における基幹組織と「島病院」・「金正堂書店」の八社を取り上げている。前の六社が報道で紹介されるのは、今回が初めてではなく、これまでにもしばしば新聞報道や出版物で紹介されてきた。本連載では、「社史」という埋もれがちな文献を手がかりとし、それに現存する被爆者の証言を加え、被爆状況と関係者の平和への取り組みを簡潔にまとめているところにその特色がある。「当時のことを鮮明に証言できる被爆者が数少なくなってきていることを痛感」しながらも、これらの記事は、なお、現在でも被爆者からの聞き取りが可能であることを証明した。日本で生まれ、反核運動に大きな役割を果たしてきた「原爆報道」の伝統を受け継ぐ企画ということができよう。
「島病院」と「金正堂書店」では、遺稿集や県外資料を使用し、要領よくまとめられている。これらは、前者が、広島の原爆爆心地、後者が福岡県星野村に戦後燃え続けていた「広島原爆の火」が採火された場所という特異な存在ではある。しかし、両者は、ともに、被爆当時の広島に存在した多数の病院・商店などの一つである。この記事は、こうした組織の被害状況とその戦後の歩みが、見落としがちな資料をもとに明らかになる可能性を示してくれた。
被爆体験は、日本における反核運動のエネルギーの源泉であった。一九六〇年代半ばには、原爆被災白書作製が提唱された。この時期から、原爆被災資料広島研究会による原爆被災資料の所在確認作業、広島・長崎両市の原爆資料館をはじめとする公共機関による資料の収集・保存事業、一〇フィート運動による原爆映画の製作、マスコミ各社の原爆企画報道、被爆者団体を中心とした原爆手記の出版など、被爆体験継承の試みがさまざまな形でなされている。また、八〇年代以降、被爆体験の証言活動を中心とした被爆者運動が、日本の平和運動の中心的役割を果たしている。しかし、現在なお、原爆被災白書はまとめられておらず、また、核兵器の廃絶は実現されていない。
被爆体験の直接の担い手である被爆者は年々確実に減少している。また、当時の記憶が次第に不鮮明になることも、避けることはできない。さらに、われわれ残された原爆報道や被爆手記などに含まれる証言は、間接的であり、被爆者の生の証言にかわることはできない。今後も被爆体験を継承し続けるためには、多くの労力と英知を必要とするであろう。「中国四国版」という、限定された紙面で展開された今回の試みが、まずは長崎に、次いで全国に広がり、更には他社へも広がってゆくことが期待される。
国際平和シンポジウム(朝日新聞社・広島市)
平成7 年(1995 年)度から、核兵器廃絶をテーマに市民の平和意識啓発を図ることを目的として、広島市、広島平和文化センター、朝日新聞社の共催により広島で開催。平成18年(2006 年)度からは広島・長崎の交互開催に改める。
| 開催年月日 | テーマ | 会場 | 回 | 備考 |
| 19950718 | 核兵器廃絶への道を探る―ジャーナリストは何がいきるのか | 広島 | 1 | |
| 19960802 | 核兵器ゼロの世界を目指して | |||
| 19970729 | 北東アジアの非核化と日本の役割 | |||
| 1998 | 1998年8月4日(第4回)国際シンポジウム・講演会「核廃絶へ今、私たちは何をすべきか」 | |||
| 1999 | 1999年8月5日(第5回)「語ろう、核兵器廃絶を!~ヒロシマから21世紀に向けて」 | |||
| 2000 | 2000年8月4日(第6回) 「非核の傘を広げよう!核のない21世紀めざして」 | |||
| 2001 | 2001年8月3日(第7回)「核廃絶の流れを確かなものに~地球市民としてなにをなすべきか」(原爆資料館蔵) | |||
| 2002 | 2002年8月3日(第8回)「呼び戻そう核廃絶の流れを-報復から対話へ」(原爆資料館蔵) | |||
| 2003 | 2003年8月3日(第9回)「語り続けよう核廃絶の道を-力の論理に抗して」 | |||
| 2004 | 2004年8月1日(第10回)「再び築こう核廃絶の流を-強めよう都市と市民の連携」(原爆資料館蔵) | |||
| 2005 | 2005年月日(第回)2006年7月29日(第12回)<会場:長崎> 「核なき世界へ~61年目のナガサキから」 |
|||
| 2006 | ||||
| 2007 | 2007年8月4日(第13回) 「再び核廃絶のうねりを~ヒロシマから世界へ」 | |||
| 2008 | 2008年7月27日(第回)<会場:長崎> 「核兵器廃絶への道~NGOとミドルパワーの可能性」 |
|||
| 2009 | 2009年8月1日(第15回) 「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」2009年8月1日(土)広島国際会議場 国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」 |
|||
| 2010 | 2010年8月7日(第回)<会場:長崎> 「核兵器廃絶への道~2010年ナガサキ」 |
|||
| 2011 | ||||
| 2012 | ||||
| 2013 | 2013年7月27日(第19回) 「核兵器廃絶への道~核兵器の非人道性と被爆体験の伝承~」(原爆資料館蔵) |
|||
| 2014 | ||||
| 2015 | 2015年7 月25 日第回) 「核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~」 |
|||
| 2015年7 月25 日(土)午後1 時~午後5 時 広島国際会議場「ヒマワリ」 テーマ:核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~ 内 容:①オープニング:広島女学院高校音楽部による「リメンバー」合唱 ②被爆体験を語り継ぐ:山本 定男(被爆体験証言者) ③特別講演:為末大(世界陸上競技選手権メダリスト) ④基調講演:モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長) ⑤パネル討論: 〔パネリスト〕モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長) |
||||
| 2016 | ||||
| 20170729 | 核兵器廃絶への道~この世界の分断を越えて | 広島国際会議場 | ||
| ▽特別対談「映画『この世界の片隅に』を語ろう」 片渕須直、蔵本順子 ▽基調講演「トランプ時代における挑戦」 ジョン・ウォルフスタール(オバマ政権で特別担当補佐官) ▽パネル討論 ジョン・ウォルフスタール、ニーナ・タネンウォルド、小溝泰義氏、林田光弘 |
||||
| 20180728 | 核兵器廃絶への道~持続平和な平和のために~ | 長崎原爆資料館 | ||
| 2019 | ||||
| 20200801 | 核兵器廃絶への道~世界の危機に、歩みをとめない~ | 長崎原爆資料館ホール | ||
| 一般傍聴者は募らず、海外の登壇者とはオンラインでつなぎ、その模様をライブ配信 | ||||
| 20210731 | 核兵器廃絶への道~『希望の条約』が照らす新しい世界~ | |||
| 会場での参加者は募らず、広島国際会議場から無料ライブ配信 | ||||
| 20220730 | 核兵器廃絶への道~世界を『終わり』にさせないために~ | 長崎原爆資料館ホール | ||
| 20230729 | 核兵器廃絶への道~被爆地が核戦争の「歯止め」となるために | 広島国際会議場 | ||
| ライブ配信の視聴も可能 | ||||
止
単行本となった放送番組(NHK)

単行本となった新聞連載(朝日新聞)
単行本となった新聞連載(中国新聞)
中条一雄(Kazuo Chujo)著書(発行所:朝日新聞社)
| 書名 | 出版年 | 備考 |
| 私のヒロシマ原爆 | 1983/3/25 | = The nuclear holocaust |
| 原爆乙女 | 1984/3/25 | =Hiroshima Maidens |
| 原爆と差別 | 1986/7/25 | =1985年夏(8月3日~8月27日)連載第3部作として朝日新聞に掲載。原文に大幅に加筆。 |
NHK
| NHK原爆関連番組(1947~49年分) | |
| NHK原爆関連番組(1951~53年分) | |
| 放送はヒロシマをどう伝えてきたか(1998年7月17日~18日) | |
| NHK関連出版物 | |
| 年月日 | 書名 | 編著者 | 発行所 |
| 20030730 | ヒロシマはどう記録されたか-NHKと中国新聞の原爆報道 | NHK出版編 | NHK出版 |
原爆報道(研究書)
| 書名 | 編著者 | 発行年月日 | 備考 | |
| 資料’82反核―単行本・雑誌・教科書・新聞 | 「ひろしまをよむ」会 | 溪水社 | 19830715 | |
| ヒロシマはどう伝えられているか―ジャーナリストと教師が追いかけた45年目の「原爆」 | 90原爆の会 | 日本評論社 | 19920725 | |
NHK関連出版物
| 年月日 | 書名 | 編著者 | 発行所 | メモ |
| 60080901 | テレビダイアル・みなさんの窓・改正された原爆医療法 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和35年8月9日午後1:40-2:05(中国5県管中)放送。 |
| 63021801 | あすへの歩み・私の記録・原爆の子らとともに-中野清一 | NHK(制作) | NHK | 昭和38年2月18日午後11:00-11:40放送。 |
| 66032201 | 原爆被災誌-NHK原爆の碑完成記念 | 〔NHK〕広島中央放送局(編) | 昭和41年3月22日除幕。「11.原爆之碑」におさめられた犠牲者の方々」 | |
| 66080604 | 教養特集・原爆白書と原爆症(打合せ稿) | NHK(制作) | NHK | 1966年8月6日20:00-21:00(ETV全中)放送。 |
| 67080401 | 報道特集-被爆原点の空白 | NHK広島中央放送局 | ||
| 67080801 | 社会福祉の時間・被爆者援護のあゆみ-戦後の社会福祉シリーズ② | NHK(制作) | NHK | 1967年8月8日11:20-11:50(全中)放送。 |
| 68070401 | 県民の話題・あいつぐ被爆資料の発見 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和43年7月4日午前7:22-7:35放送。 |
| 68080402 | 報道特集GTV被爆原点の空白-ヒロシマ一九六八年夏(放送用) | NHK報道局政経番組部・NHK広島中央放送局報道課(共同制作) | NHK報道局政経番組部(等) | 昭和43年8月4日午後10:20-11:00放送。 |
| 68081001 | [県民の話題]特集“よみがえる爆心”最終回-爆心復元運動の今後 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和43年8月10日午前7:20-7:35放送。 |
| 68121101 | 県民の話題・特集被爆地図復元をめざして-第2回被爆総合調査への手がかり | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和43年12月11日午前7:20-7:35(総合・県中)放送。 |
| 69012101 | 県民の話題・はじまった爆心直下の復元調査(広極・大手町地区) | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和44年1月21日午前7:20-7:35放送。 |
| 69040501 | 県民の話題・動きだした被爆地図復元運動 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和44年4月5日午前7:20-7:35放送。 |
| 69071201 | 県民の話題・被爆者援護の訴え-参議院公聴会出席者に聞く | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和44年7月12日午前7:20-7:35(総合・県中)放送。 |
| 69071701 | 奥さんリポート・広島原爆病院 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和44年7月17日13:05-13:25(総合県中)放送。 |
| 69072001 | 原爆爆心地 | 志水清(編) | 日本放送出版協会 | 別冊付録:広島市原爆爆心地復元市街図 |
| 69081001 | 報道特集・鎮魂への条件・ヒロシマ一九六九[NHK-TV放送台本] | NHK報道局政経番組班・NHK広島中央放送局報道課(共同制作) | 昭和44年8月10日午後8:45-9:30放送 | |
| 70020501 | 県民の話題・国家事業になった爆心復元調査[JOFK-TV放送台本] | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和45年2月5日午前7:20-7:35放送。 |
| 70071401 | ひろしま’70・わからない外国人被爆者の実態 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和45年7月14日午前7:20-7:35放送。 |
| 70090201 | ひろしま’70・韓国人被爆者の実態-「広島折り鶴の会」の報告から | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和45年9月2日午前7:20-7:35(総合テレビ)放送。 |
| 71091701 | ひろしまリポート・26年目に実現する韓国被爆者診療 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和46年9月17日午前7:20-7:35放送。 |
| 71101901 | ひろしまリポート・救援を待つ韓国被爆者 | NHK広島中央放送局(制作) | NHK広島中央放送局 | 昭和46年10月19日午前7:20-7:35放送。 |
| 71123303 | ナガサキ原爆ノート | NHK長崎放送局(編) | ||
| 72023301 | 長崎市民の原爆意識-昭和47年2月 | NHK長崎放送局・福岡放送局(編) | ||
| 72063301 | 広島市民の原爆についての意識調査-1975年6月 | NHK中国本部(編) | ||
| 75033303 | 長崎原爆ハンドブック | NHK長崎放送局(編) | ||
| 75063302 | 原爆についての世論調査結果報告書-1975年6月 | NHK中国本部・長崎放送局(編) | ||
| 75063303 | 広島市の結果の要約と概要 | NHK | NHKが「被爆30周年:広島・長崎の原爆に関する住民意識調査」のテーマで実施した世論調査の結果。 | |
| 75071001 | 劫火を見た-市民の手で原爆の絵を | NHK(編) | 日本放送出版協会 | |
| 75133318 | 広島市の結果の要約と概要 | NHK中国本部(編) | NHK中国本部と同長崎放送局が1975年6月に共同で実施した「被爆30周年広島・長崎の原爆に関する住民意識調査」の報告書『原爆についての世論調査結果報告書1975年6月』から、前半の広島市分のみ抜粋. | |
| 77083301 | 被爆体験・私の訴えたいこと(上) | NHK中国本部 | ||
| 77083302 | 被爆体験・私の訴えたいこと(下) | NHK中国本部 | NHK中国本部 | |
| 80063301 | 原爆についての世論調査結果の概要 | NHK広島放送局・NHK放送世論調査所(編) | ||
| 80073306 | ドキュメンタリー爆心地のジャーナリスト-ロケ資料[台本] | NHK中国放送 | ||
| 80080103 | 長崎原爆の歌 | NHK長崎放送局(編) | ニシキ印刷 | |
| 82110101 | きみはヒロシマを見たか-広島原爆資料館 | 高橋昭博・NHK取材班(文)・土田ヒロミ(写真) | 日本放送出版協会 | |
| 83133314 | 広島原爆ハンドブック(1983年作成)部内用 | NHK広島放送局放送部資料班(編) | ||
| 84070102 | 極秘プロジェクトICHIBAN-問い直されるヒロシマの放射線 | 小林孝雄 | 日本放送出版協会 | |
| 85080110 | 被爆体験の継承を模索-広島・長崎市民意識調査 | NHK広島放送局,NHK長崎放送局,NHK放送文化調査研究所世論調査部(共編) | NHK広島放送局(等) | 1985年6月15-16日に広島、長崎両市の有権者各900人を対象に「被爆意識調査」等の調査を実施. |
| 85133301 | 広島・長崎市民の意識調査 | (NHK) | 昭和60年6月15日・16日調査。 | |
| 86033302 | いつまでも絶えることなく-被爆40年ヒロシマの手記 | NHK広島放送局(編) | ぎょうせい中国支社 | NHK広島放送局は被爆40年の1985年に、被爆体験の継承をテ-マにした特集を企画。応募手記の中から、49名(広島被爆者45名、広島被爆者の家族4名)の手記を収録. |
| 86072004 | ヒロシマ爆心地-生と死の40年 | NHK広島局・原爆プロジェクトチーム、庄野直美、鎌田七男(共著) | 日本放送出版協会 | 広島原爆の爆心地被爆生存 |
| 8702250 | 絆―高校生とヒロシマ | 川良浩和 | 径書房 | |
| 88073001 | ヒロシマ・残留放射能の四十二年-「原爆救援隊の軌跡」 | NHK広島局・原爆プロジェクト・チーム(著) | 日本放送出版協会 | |
| 88073304 | NHK広島放送局60年史 | [NHK]広島放送局60年史編集委員会(編) | NHK広島放送局 | |
| 88093001 | アメリカ国防総省SDI局-スターウォーズの内幕 | NHK取材班 | 角川書店 | |
| 89072004 | 戦争を知っていますか-語り継ぐ女性たちの体験 | NHKおはようジャーナル製作班(編) | 日本放送出版協会 | |
| 89082002 | NHK・戦争を知っていますか―語り継ぐ女性たちの体験2 | NHKおはようジャーナル制作班編 | 日本放送出版協会 | |
| 90073311 | 戦中戦後をめぐる自分史-三十周年記念 | NHK広島婦人学級 | NHK広島放送局婦人学級 | |
| 90080614 | 原爆搭載機「射程内ニ在リ」 | NHK広島放送局原爆取材班(久保安夫・中村雅人・岩堀政則) | 立風書房 | 平成元年8月3日NHK広島がローカルに放送した「広島が消えた日」を元に編纂。 |
| 94080501 | 旧ソ連・戦慄の核実験 | NHK(モスクワ・広島)取材班 | 日本放送出版協会 | [腰巻き]極秘資料と証言から隠された旧ソ連の核実験の「真実」を追う。 |
| 95011001 | 「井伏鱒二の世界」展-NHK広島放送センターオープン記念 | NHK広島放送局放送センター・福山市教育委員会社会教育部文化課 | NHK広島放送局・NHKちゅうごくソフトプラン | 「黒い雨」PP30-31。 |
| 95083001 | NHKスペシャル・長崎よみがえる原爆写真 | NHK取材班・(写真)山端庸介 | 日本放送出版協会 | |
| 96021601 | アメリカの中の原爆論争 | NHK取材班 | ダイヤモンド社 | |
| 96042001 | 地球核汚染ーヒロシマからの警告 | NHK「原爆プロジェクト」 | NHK出版 | |
| 960630 | NHKスペシャル 新・日本の条件2-失われた時間 | NHK新・日本の条件プロジェクト | 日本放送出版協会 | |
| 97072501 | 核兵器裁判 | NHK広島・核平和プロジェクト | NHK出版 | |
| 99072501 | 原爆投下・10秒の衝撃 | NHK広島「核・平和」プロジェクト編 | NHK出版 | |
| a00730 | サダコ-「原爆の子の像」の物語 | NHK広島「核・平和」プロジェクト | NHK出版 | |
放送はヒロシマをどう伝えてきたか
<NHK広島放送局制作、総合(広島県内)テレビ1998年7月17日~18日>紹介された番組一覧
| 第1回 被爆と向きあう | |||
| time | 年月日 | 局 | 番組名 |
| 0 | 460811 | NHK | 広島平和復興祭(ラジオ) |
| 480806 | NHK | 平和祭(ラジオ全国中継) | |
| 6008 | NHK | 日本の素顔「黄色い手帳」 | |
| 11 | 651128 | NHK | ドキュメンタリー「耳鳴り~ある被爆者の生涯」 |
| 21 | 691009 | HTV | 「碑(~広島二中一年生全滅の記録)」 |
| 29 | 910806 | RCC | 「おとう・・・小頭児の45年」 |
| 38 | 670804 | NHK | 現代の映像「軒先の閃光 よみがえった爆心の町」 |
| NHK | 原爆の絵 | ||
| 48 | 96 | NHK | 「昭和20年 被爆の言葉」 |
| 53 | (解説)大牟田稔 | ||
| 104 | 840805 | NHK | NHK特集「世界の科学者は予見する 核戦争後の地球」 |
| 122 | 950806 | NHK | NHKスペシャル「調査報告 地球核汚染 ヒロシマからの報告」 |
| 129 | 960806 | NHK | NHKスペシャル「核兵器はこうして裁かれた 攻防・国際司法裁判所」 |
| 138 | 950611 | NHK | NHKスペシャル「アメリカの中の原爆論争-スミソニアン展示の波紋」 |
| 147 | 970804 | NHK | 「インターネット核討論-地球法廷・広島からの訴え」 |
| 149 | (解説)明石康 | ||
NHK原爆関連番組(1947~49年分)<全てラジオ番組>
| 月日 | 番組名 | 番組内容 |
| 1947年 08.05 |
原子爆弾症のその後 逓信病院 蜂矢道彦 | |
| 同 | 平和祭特輯番組 広島放送合唱団他 広島復興の歌他 | |
| 08.06 | 平和祭式典実況(平和広場より) | |
| 同 | ひろしまの時間 | 8月6日平和祭より |
| 08.07 | 平和祭のスケッチ 末長忠一 | |
| 1948年 08.02 |
ひろしまの時間 | 広島を繰返すな 上流川教会牧師 谷本清 |
| 08.05 | 街頭録音 広島市の復興について | |
| 08.06 | 平和祭実況(広島市平和祭会場より) | |
| 同 | 平和祭 | |
| 同 | 世界の音楽 | 広島市平和祭会場児童文化会館より 平和の歌他 |
| 同 | 広島県の夕べ | 平和祭特輯番組 1.ひろしまの歌、2.座談会「20年後の広島を語る」 |
| 08.09 | ひろしまの時間 | 戦災孤児の幸福のために 山下偵子 |
| 08.15 | 放送討論会「世界平和の達成は可能か」 | |
| 08.27 | 広島県の夕べ | 復興と住宅(八丁堀東洋座より中継) 広島市復興局住宅課長二村四郎 |
| 1949年 08.05 |
広島県の夕べ | 住宅復興~平和祭特集 第4回平和祭を迎えて |
| 08.06 | 朝の歌 | 広島平和祭にちなみ ヒロシマ他 広島放送合唱団 三並惇子 |
| 同 | 広島平和祭式典実況(広島市民広場から) | |
| 同 | 街頭録音「その後の未亡人」 広島市基町母子寮及び授産場にて | |
| 同 | 平和音楽祭 追悼の曲他(広島児童文化会館) | |
| 同 | ひろしまの時間 | 今週の話題~平和祭に拾う~ |
| 08.09 | 「原爆1号にきく」吉川清、中村アナ | |
| 08.10 | 住宅の復興について 広島県住宅課長 曽根田彰 | |
| 08.12 | 音楽だより | ひろしまの歌 山田廸孝 |
| 08.14 | 平和祭記念邦楽大演奏会 杵屋土峰他 |
出典:広島放送局放送部資料班『広島原爆ハンドブック』
新聞連載1948
・年月日は連載の開始の日付を示す。
・版は地方版を示す。
| 48 | 07 | 29 | 7 | 25年後の完成ヒロシマ | ひろしま | 夕刊 |
| 48 | 07 | 31 | 5 | 1年目と3年目-ヒロシマの姿 | ひろしま | 夕刊 |
| 48 | 08 | 02 | 3 | ヒロシマさかりば歩き | 中国 |
新聞連載1947
・年月日は連載の開始の日付を示す。
・版は地方版を示す。
| 47 | 08 | 03 | 2 | 世界の書ヒロシマ後日物語 | 中国 | |
| 47 | 08 | 05 | 5 | 広島の再建を語る-座談会 | 中国 |
新聞連載1946
・年月日は連載の開始の日付を示す。
・版は地方版を示す。
| 46 | 07 | 13 | 21 | ひろしま新「旧蹟」-ムカシの姿と比べてみませう | ひろしま | 夕刊 |
| 46 | 08 | 01 | 7 | 新生一年-原子沙漠に灯は点る | 中国 | |
| 46 | 08 | 02 | 9 | ユートピア広島の建設 | 中国 | |
| 46 | 08 | 09 | 4 | 新生第二年へ-本社編輯局同人座談会 | 中国 |
新聞連載1945
・年月日は連載の開始の日付を示す。
・版は地方版を示す。
| 年 | 月 | 日 | 回 | タイトル | 紙名 | 版 |
| 45 | 08 | 20 | 7 | 原子爆弾-浅田博士に聴く | 朝日 | 大阪 |
| 45 | 09 | 11 | 3 | 原子爆弾の解剖-都築博士を囲む座談会 | 中国 | |
| 45 | 09 | 14 | 5 | 原子爆弾報告書 | 朝日 | 大阪版 |
| 45 | 11 | 10 | 20 | 復興する町内会 | 中国 |
毎日新聞広島支局編『原爆25年』(毎日新聞広島支局、19701201)
目次
| 序章 聖域への挑戦 | |||
| 恩讐を越えて | 田坂博子 | ||
| 「何の平和」 | さかもとひさし | ||
| 「解決ずみ?」 | 藤本千万太 | ||
| ある参加 | |||
| 第1章 悲願のうねり-廃虚の中から | |||
| 朝鮮の暗雲 | |||
| 手を組む被爆者 | |||
| ビキニ署名 | |||
| 世界に響けこの声 | |||
| 政治とヒューマニズム | |||
| 多様性と統一 | |||
| 怒れるダルマ | |||
| 幻の国民運動 | |||
| 挑戦する反戦 | |||
| 接着剤 | |||
| 世界平和巡礼 | |||
| B29とB52 | |||
| 権利の意識 | |||
| 朝鮮人被爆者 | |||
| 第2章 手探りの医療-油と赤チン | |||
| プレス・コード | |||
| 原爆乙女 | |||
| 後障害研究会 | |||
| ABCC | |||
| 原爆病院 | |||
| 広大原医研 | |||
| 健康診断 | |||
| 認定のヒズミ | |||
| 期待の人体病理学 | |||
| 基礎と臨床 | |||
| 第3章 悪魔のツメ跡-白血病 | |||
| ケロイド | |||
| 原爆白内障 | |||
| ガン | |||
| おりおうた貧血 | |||
| ブラブラ病 | |||
| 胎内被爆小頭症 | |||
| 治りにくい病気 | |||
| 染色体異常 | |||
| 被爆二世 | |||
| 第4章 こたえよ政治 平和式典 | |||
| 手帳のゆがみ | |||
| 拝啓自治体殿 | |||
| 保障から補償へ | |||
| 殉職の代償 | |||
| 差別生む二つの原爆症 | |||
| 被爆の全体像 | |||
| 第二の原爆 | |||
| 仮面のヒロシマ | |||
| ハコの中の原点 | |||
| 平和行政のカクレミノ | |||
| 原爆スラム | |||
| 世界連邦市長 | |||
| 被爆国の行方 | |||
| 第5章 未来のために 教室での継承 | |||
| 高校教育 | |||
| 物による証言 | |||
| この傷を見よ | |||
| 原爆文学? | |||
| フィルムは語る | |||
| くりごとの原点 | |||
| 折鶴の少女 | |||
| 被爆者の血 | |||
| ●資料 原爆カルテ | |||
| 原爆意識調査 | |||
| あとがき |
原爆ジャーナリスト一覧
| ジョン・ハーシー | ||
| エドガー・スノー | ||
| ノーマン・カズンズ | ||
| ロベルト・ユンク | ||
| 金井利博 | 「「原爆は威力として知られたか、人間的悲惨として知られたか」」 | |
| 水原肇 | ||
| 伊藤明彦 | 伊藤明彦 『未来からの遺言-ある被爆者体験の伝記』(青木書店、19800430)。 | |
| 日常的に被爆者取材を続けても「1時間録音してニュースに使うのは3分。残ったテープは破棄される」「被爆者がいなくなる時代でも、被爆体験という歴史的事実が肉声で伝わるように、まるごと残さねば」(出典:「ひと:伊藤明彦さん―国立長崎平和祈念館に被爆者の証言テープを贈る」、『赤旗』2002.3.34) | ||
| 中村敏(リンク:10月忌一覧) | 中国新聞記者、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部幹事、広島マスコミ9条の会運営委員など歴任。『中村敏遺稿集』。「中村敏さんを偲ぶ会」(20171118、会場:広島市文化交流会館) |