教研速報(広教組広島地区支部教文部)No.2(19710622)
平和教育を力強くおしすすめよう |
第1回支部教研組織委員会(6・16) |
*学級づくり・集団づくりの学習会 |
6月26日(土)(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) |
青年部教育実践入門講座―青年部以外でもどうぞ |
講師:市岡正憲(三原付属教頭・三原市生研)先生 |
止
教研速報(広教組広島地区支部教文部)No.2(19710622)
平和教育を力強くおしすすめよう |
第1回支部教研組織委員会(6・16) |
*学級づくり・集団づくりの学習会 |
6月26日(土)(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) |
青年部教育実践入門講座―青年部以外でもどうぞ |
講師:市岡正憲(三原付属教頭・三原市生研)先生 |
止
『被爆二世として生きる』(広島県教職員組合・広島県教職員組合被爆二世の会編、平和教育研究所、19951015)
目次
頁 | ||
001 | 発刊によせて | |
石田明(全国原爆被爆教職員の会) | ||
109 | 被爆二世問題とは何か | |
横田秀明(広島県教職員組合被爆二世の会) | ||
115 | 被爆二世運動年表 | |
『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』(WCOTP・日教組報告書編集委員会編、勁草書房、19830710)
目次
刊行のことば | 槙枝元文 | ||
世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム | |||
序章 | |||
広島アピール 19821029 | 軍縮教育国際シンポジウム | ||
第1部 | |||
第1章 | シンポジウムの意義と課題-全体会議挨拶・報告 | ||
沈黙を守らずに声をあげて語ろう | ジェームス・キリーン | ||
被爆国の国際的責務を自覚して | 槇枝元文 | ||
国際教育分野におけるユネスコの活動 | ヤハイル・カバチェンコ | ||
第2回国連軍縮特別総会後の国連と軍縮教育 | ヤン・モーテンソン | ||
勝利は必ずや私たちのものに | ヴィクター・シュー | ||
第2章 | 全大陸から | ||
戦争をさばく良心を | アルフレッド・バッド | ||
平和を望むのなら平和を準備せよ | ギー・ジョルジュ | ||
資源を飢えと無知の克服のために | シー・アビブーラエ | ||
平和・軍縮のために勇気を | サミュエル・ベロ | ||
子どもたちに何を語るべきか | ウィラード・マックガイヤー | ||
核時代に人類の生存をかけて | 橋口和子 | ||
近・現代史教育を強化しよう | ワー・スト | ||
真実の軍縮と世界平和のために(メッセージ) | 中国教育工会全国委員会 | ||
軍縮教育-ソ連の経験から- | ユーリ・ニキホロフ | ||
第3章 | 国際組織から | ||
今こそ人権と平和の教育を | ジャン・ドバール | ||
今日の世界における軍縮教育 | アンドレ・ドルベー | ||
IFFTU第13回世界大会決議の意義 | フレッド・ヴァン・ルーウェン | ||
平和・軍縮のための教育者の国際的協議を | ダニエル・ルトロー | ||
第4章 | 二つの学会から | ||
平和・軍縮教育-3つの視点 | 大田堯 | ||
国家主義をのりこえて | 福島新吾 | ||
第5章 | ヒロシマの心を世界に | 荒木武 | |
世界の恒久平和実現を | 竹下虎之助 | ||
ヒロシマからの提言 | 栗野鳳 | ||
長崎の平和教育を省みて | 坂口便 | ||
人類が生きのびるために | 岸槌和夫 | ||
ヒロシマからの証言(メッセージ) | 石田明 | ||
世界の先生たちへ(メッセージ) | 広島女学院高校3年生 | ||
第6章 | 二つの提言-招待者発言- | ||
勇気と忍耐を-平和・軍縮をめざして- | 宇都宮徳馬 | ||
人類の平和と真の発展を求めて | 永井道雄 | ||
第2部 | |||
第1章 | 平和・軍縮教育をめぐって〈第1分科会〉 | ||
〔基調報告〕 | |||
この分科会の課題-ユネスコ80年「軍縮教育十原則」の追求を- | アンドレ・ドルベー | ||
〔討論〕 | |||
平和・軍縮教育と教材選択の自由を | ギー・ジョルジュ | ||
“国防論信仰”の克服を-憲法教育の意義- | 太田一男 | ||
軍縮をすべての子どもに | テリー・ハーンドン | ||
貧困・人種差別をなくすとりくみを | デビッド・トンキン | ||
原爆を原点に-日本の平和教育の展開と課題- | 梶村晃 | ||
父母とともに原爆の学習と継承を | 山川剛 | ||
教育学上の問題として-残酷さの教育、戦争史学習の意義- | ロバート・バーカー | ||
子どもたちに平和な世界を-第3世界の直面する課題- | ワジュデイ | ||
世論の喚起でカリキュラムに | S・エスワラン | ||
子どもの心に偏見ではなく連帯を-超大国の支配の中で- | シュー・チャラン | ||
〔分科会報告(草案)をうけて〕 | |||
軍縮教育の機は熟した-核凍結の市民の運動と学習を土台に- | ウィラード・マッガイヤー | ||
重ねて残酷さを教えることについて | ロバート・バーカー | ||
残酷さを教えねばならない-だが分析的考察へ向けて- | デービッド・トンキン | ||
核戦争の危機の認識を-軍縮教育十原則を自覚的に- | 庄野直美 | ||
平和と民族の自決の教育を-日本人と連帯し、教訓に学ぶ- | 朴光沢 | ||
軍事基地の撤去の課題を-非核地帯設定とともに- | 大田昌季 | ||
第2章 | 平和・軍縮教育の教材開発をめぐって〈第2分科会〉 | ||
〔基調報告〕 | |||
日本の平和教育の具体的とりくみ 福島昭男 | |||
〔討論〕 | |||
教職員・学生の交流を深めよう | ウォーターハウス・ワイワイ | ||
世界の三分の一の文盲がいる | アバニ・ボラル | ||
どうして非暴力のエレメントを教えるか | ジャック・スミス | ||
二度と戦争を繰返すな | コンラッド・バクヤク | ||
たとえ命を賭しても平和を | ホアン・アンブロシオ・サビオ | ||
軍備拡大の最大の被害者は途上国 | トッサ・クペソー・カングニ | ||
軍隊のない国から訴える | マルコ・アントニオ・バランテス・ヴェガ | ||
弾圧をはねのけ教師を再教育 | マットス・トッタ・ザヒヤ | ||
考え方のプロセスに参加する教え方 | ホアン・ルイ・フェンテス | ||
急がれる教材開発 | サーロン・せつ子 | ||
先生が変わらなければ生徒を変えることはできない | 栗原貞子 | ||
教材の開発は教師・親の手で | フレッド・ヴァン・ルーウェン | ||
広島の三つの顔を教材に | 空辰男 | ||
近・現代史の教育を強化すること | プン・ティン・チー | ||
軍人にも一般教養を | ギー・ジョルジュ | ||
安全保障は軍備撤廃によってのみ | 森滝市郎 | ||
あらゆる教材の活用と開発をすすめよう | キャシー・ブロック | ||
第3章 | 平和・軍縮教育を自覚的に〈分科会報告と総括発言〉 | ||
〔第一分科会報告〕 | |||
平和・平和軍縮教育の原則をめぐって-教員団体の責務- | ジョージ・リース | ||
〔第二分科会報告〕 | |||
平和・軍縮教育の教材・方法の創造的開発を | マットス・トッタ・ザヒヤ | ||
〔総括発言〕 | |||
平和と人類の道を選ぶ意志を-教職員の責務- | ノーマン・ゴーブル | ||
資料 | |||
日程および参加者名簿 | |||
あとがき | |||
『失った日から-原爆・引揚・教育・戦中の暮し体験記 』(広島県退職婦人教職員の会戦争体験記編集委員会、19861022)
内容
発刊に寄せて | 空辰男(広島県教職員組合 執行委員長) | |
はじめに | 森本喜代子(広島県退職婦人教職員の会 会長) | |
Ⅰ | 抑留そして引揚げ-敗戦の混乱の中で- | |
失った日から 高松キヌヨ /夫は現地召集で北満の戦場へ 藤本ツヤ子 /満州の修羅場に病癒えず 阪田セツエ / 引揚者の姉 久保井ミツル / 飢えと乾きと恐怖と 江口昌子 / 三十八度線を越えて 永井安子 / 国語教師として四年半 樋田美和 / 海岸線を引潮にそって 金子雪美 / 出産前零下二十度の海辺を 村上愛美 / 行きます の一言を残して 中岡梅代 / 別離の悲しみ 亀山芳枝 / 身も心も朽ち果てて 浜岡千代子 | ||
Ⅱ | 火傷の熱き教え子なりき-被爆体験・救援活動の記録- | |
番号になってしまった骨たち 樫木静子 /青春を襲ったケロイドに死を 半田孝江 /かぼちゃ の味 藤野美奈子 /ひとりだけの火葬 吉川哲子 /4 瞼に焼けつく郊外での体験 吉川昌子 /うじが連なって出てきた 藤川トシ子 /教室内は生地獄 吉宗英子 /火傷の熱き教え子なりき 八尾井弘子 /何処で命つきたか 甲斐美重子 /祖母から孫へ 下岡好枝 /一滴の涙もこぼれなかった 井岡清子 76 / なにひとつ語らず 渡辺ツユ子 | ||
Ⅲ | 君を縊ったその綱の端を-戦時下の学校教育- | |
負けないと信じて 小林恵美子 / 栄養補給を山羊乳で 宮本イズミ / 東の空が真っ赤だ 森本喜代子 / 厳寒も素足で-教師一年生 山口妙子 / 養護教諭として 平林艶子 / 教師として出征兵士の妻として 奥とわ / 空襲のあいまを縫って学校へ 岡野聖子 / 前線もなく銃後もなく 秦三枝 /戦争と増産作業と疎開児と 立石ハルエ /右向け右! 豊獄満起子 / 一堂に会して竹槍訓練 広沢綾子 /戦争さ中を教員生活 長岡キヨコ /毒ガス島へ教え子を 奥田澄江 / 砂にしみ込む水のように 阿川智子 /騙されていた教育 前田典子 /戦中のこと 久保美智子 /勝つことを神国を信じ込まされ 宮崎瞳 / 青春のすべてを費やして知った 野曽原登美恵 /戦時下の生活 三上末美 /奉安殿は未婚の女子の守る所 佐伯静子 124 / 戦争まっただ中の学生生活 高垣ミエ子 /ススメススメヘイタイススメ 高橋郁子 / | ||
Ⅳ | 楽しかるべき日々を失って-学童集団疎開- | |
飲まず食わずで七十余軒 | 井岡清子 | |
Ⅴ | 欲しがりません勝つまでは-戦時下の暮し- | |
Ⅵ | お父さん!帰って来て!-家族の想い- | |
Ⅶ | 降りそそぐ焼夷弾の下で-空襲の日々- | |
呉市大空襲の夜 | 渡辺美智子 | |
Ⅷ | わが青春死線を越えて-従軍看護婦の軌跡- | |
あとがき |
『続・ひろしまたたかう婦人教職員』(ひろしまたたかう婦人教職員編集委員会、ヒロシマ平和教育研究所出版部、19830701)
目次
1章 | 平和のにないてとして |
1-Ⅰ | 生命の尊厳を基調に |
私の被爆体験と生きる道/平和教育にとりくむ婦人教職員 | |
1-Ⅱ | オキナワで学ぶ |
交流団六日間のうごき/沖縄の婦人教職員たちのたたかい/子どもたちもまきこんだ沖縄戦/基地の中の沖縄と子どもたち/沖縄の歴史と離島問題 | |
1-Ⅲ | 平和・教育・文化交流で訪朝 |
平和と友好にみちた共和国での十日間/民族の統一をねがって | |
1-Ⅳ | 平和・友好と反核にむけて |
世界平和友好祭に婦人代表として参加/国連軍縮特別総会百万人集会に参加 | |
2章 | 民主教育を守るために |
2-Ⅰ | 74年国民春闘にとりくむ |
74年春闘の要求と婦人教職員のたたかい/政府・警察が一体となって不当弾圧/不当弾圧と処分に抗して | |
2-Ⅱ | 主任制度反対のたたかい |
学校管理規則改悪阻止にむけて/したたかさを学んだ2年間/手当支給・主任制拡大阻止のとりくみ/福山地区支部養護教員部のたたかい | |
2-Ⅲ | 定数法抜本改正のたたかい |
広島でのたたかい・婦人教職員を中心に/四〇人学級は子どもの願い | |
3章 | 自主教研などへのとりくみ |
3-Ⅰ | 婦人教職員の自主教研運動 |
3-Ⅱ | 女子教育問題へのとりくみ |
婦人部教研で女子教育をとりあげる/自主教研に女子教育が位置づく | |
3-Ⅲ | 公害学習とリジンなどの不使用運動 |
リジン不使用運動のとりくみ/臭素酸カリウム禁止のとりくみ | |
3-Ⅳ | 母と女教師の会の運動 |
中ブロ母と女教師の会活動/広島県母と女教師の会活動 | |
4章 | 婦人の労働権確立のために |
4-Ⅰ | 国際婦人年とそのとりくみ |
中国ブロック国際婦人年学習会/「行動計画」に対する県内のとりくみ/婦人差別撤廃条約の批准にむけて | |
4-Ⅱ | 諸権利を守るとりくみ |
産前・産後休暇などのとりくみ/婦人労働学級のとりくみ | |
4-Ⅲ | 社会保障拡大のとりくみ |
共済組合の保障拡大のとりくみ/互助組合の保障拡大のとりくみ | |
5章 | これからも歩み続けるために |
5-1 | 養護教員部のとりくみと課題 |
養護教諭の本務をめぐって/保健主事廃止と子どもの健康を守るとりくみ | |
5-2 | 事務職員部のとりくみと課題 |
母性保護をめぐって/賃金・職務内容・研修権をめぐって | |
5-3 | 栄養職員部のとりくみと課題 |
賃金・研修権・母性保護をめぐって/学校給食抜本改善のとりくみ | |
付章 | 婦人活動のおもなうごき―略年表 |
資料編 |
『ひろしまたたかう婦人教師』(広島教育会館、19720310)
目次
1章 | 軍国主義下の婦人教師 | ||
1-1 | 運命の日 | ||
校舎の下敷からぬけだして/泥と血とウジと/生きているのがすまない/教壇に立って | |||
1-2 | 生命を守るたたかい | ||
おかわり/疎開地での婦人教師 | |||
2 | 新憲法下の婦人教師 | ||
2-1 | 戦後を生きぬいて | ||
男女同一賃金のたたかい/定員・教育予算増のたたかい/母性保護の権利確#、のたたかい/一教師の死に献ぐ/産休代員完全配置のたたかい | |||
2-2 | 人権を守るたたかい | ||
日直廃止・警備員制度確立のたたかい/婦人教師への差別人事/へき辺地での婦人教師 | |||
2-3 | 組織確立のたたかい | ||
たちあがる婦人教師/婦人の役員専従者を確保/組織攻撃とのたたかい | |||
3 | 平和と独立・民主教育を進める婦人教師 | ||
3-1 | 平和を守るにないてとして | ||
軍事某地をめぐって/平和を守り原水爆を禁止する運動/安保阻止のたたかい/沖縄と広島の交流 | |||
3-2 | 民主教育を守るために | ||
勤評反対のたたかい/学テ反対のたたかい/実力行使のたたかいの中で | |||
3-3 | 自主的教研活動へのとりくみ | ||
平和教育の創造を/人権を守り育てる教育/自主的な家庭科教育の研究 | |||
3-4 | 団結してすすむ母親運動 | ||
母親運動のあゆみ/母親運動の意義と婦人教師の果たす役割/広島県の母親運動/県下各地での母親運動 | |||
4 | これからも歩みつづけるために | ||
4-1 | 諸権利を守る運動と組織化 | ||
婦人の働く権利を守る/退職婦人教職員の組織化/婦人労働者とともに | |||
4-2 | たたかいをふりかえって | ||
終戦後の教育と教師集団/婦人解放と諸権利の拡大/養護・幼稚園部をめぐって/地域の嘆求とともに | |||
付章 | 婦人部のおもなうごきき | ||
一九四五~一九七〇年までの年表/関係諸法の抜粋/教職員の諸権利とその一覧表 |
『高校生の原水爆・平和等意識調査』(広高教組平和教育推進委員会、広島県高等学校教職員組合、19850701 )
目次
第1部 | 〔第一部〕高校生の原水爆等に関する意識および知識の調査一その推移と平和教育一 | ||
■1985.1.調査 | |||
■15年間の推移(1971~85) | |||
Ⅰ ヒロシマに関する意識 | |||
Ⅱ 被爆者の人権に関する意識 | |||
Ⅲ 核に関する意識 | |||
Ⅳ 戦争・平和に関する意識 | |||
Ⅴ 平和教育に関する意識 | |||
補 核などに関する意識 | |||
付 ’83,教師,保護者との比較 | |||
第2部 | 広島・高校生平和意識調査-1985.1 悉皆調査 | ||
Ⅰ 平和教育に関する意識 | |||
Ⅱ 8.6体験に関する意識 | |||
Ⅲ 平和(情勢)に関する意識 | |||
Ⅳ 学年別・地区別分析 |
『原爆を中心とした平和教育教材(小・中学校) 資料No.2』(編集 「平和教育」資料編集委員会(仮称) 発行 広島県教職員組合、19681101) 所蔵:ピカ研
『”ひろしま”-原爆をかんがえる(試案)=そのとり扱いと若干の留意点について=』(広島県原爆被爆教師の会・広島県平和教育教材編集委員会・広島県教職員組合、19690701)
所蔵:ピカ研 形態:紙1枚 | ||
はじめに(1969年7月1日) | ||
平和教育教材「ひろしま」について | ||
1 | 8月6日8時15分 | |
2 | 被爆の苦しみと怒り | |
3 | 第2次世界大戦のありさま | |
4 | 戦争をすすめた人びとのうごき | |
5 | 原爆投下の目的 | |
6 | 原子爆弾の破壊力 | |
7 | 死の科学 | |
8 | 原爆症 | |
9 | プレスコード | |
10 | ストックホルム・アピール | |
11 | 映画「ひろしま」 | |
12 | 第五福竜丸と原水爆禁止運動の高まり | |
13 | ひろしまの子どもたちのさけび | |
14 | いまなお続く被爆者の苦しみ | |
15 | 被爆者の苦しみ、その責任はどこに | |
16 | 日本人としておもうこと | |
第22次教育研究広島県集会報告書4 第1分科会[1972年]
氏名 | 所属 | タイトル |
仁田 | 甲山支区 中央小 | 「あるハンノキの話-6年生でのとりくみ」 |
砂畠 | 三原地区支部 中之町小学校 | 国語教育を通しての人間形成はどのようにすればよいか |
神原 | 三原地区支部 尾道支区 吉和中学校 | 平和教育共通教材のとりくみ「ヒロシマのうた」 |
今西祐行 | ヒロシマのうた | |