『文学教材をどうとられどう教えるか―自主教材「ヒロシマのうた」をめぐって』(児玉晴子 国語教育研究サークル・ニ土会 段原中学校)
日教組第21次・日高教第18次教育研究全国集会報告書 34
第5分科会
注:『ヒロシマのうた』=今西祐行の小説。1970年刊。
『文学教材をどうとられどう教えるか―自主教材「ヒロシマのうた」をめぐって』(児玉晴子 国語教育研究サークル・ニ土会 段原中学校)
日教組第21次・日高教第18次教育研究全国集会報告書 34
第5分科会
注:『ヒロシマのうた』=今西祐行の小説。1970年刊。
広教組70年のあゆみ(抄)出典:http://www.hirokyouso.jp/siryou/history.pdf
年月日 | 事項 |
194602 | 広教組設立準備会 |
194605 | 広教組結成(郡市教組の連合体)(船越国民学校) |
194701 | 広教組単一結成大会(小・中合同) |
194707 | 広教組婦人部・青年部結成 |
194707 | 広教組合同結成大会 |
194803 | 「広島教育時報」創刊 |
194804 | 広島県学校生活協同組合(学校生協)設立 |
機関誌「芸備教育」を「広島教育」に改称発刊 | |
194806 | 広教組単一結成大会(小・中・高の完全単一となる) |
194807 | 教育委員会法(公選制)公布 |
195111 | 第1回広島県教育研究集会(広島・進徳学園) |
広島教育会館落成(広島・旧雑魚場町) | |
195303 | 第10回広教組定期大会で高教組分離・幼小中大の単一体となり、広島県教職員組合協議会」(広教協)発足 |
195310 | 映画「ひろしま」完成 |
195410 | 養護教員部結成 |
195506 | 第1回広島県同和教育研究大会(広島・青崎小) |
196811 | 第18次教研に「平和教育」特別分科会を設置 |
196903 | 「広島県原爆被爆教師の会」結成 |
196907 | 平和教育教材編集委員会、副読本「ひろしま」発刊。「未来を語りつづけて」発刊。 |
197009 | 広島県退職婦人教職員の会結成 |
197108 | 「原爆犠牲国民学校教師と子供の碑」構成詩によって除幕(11教育団体募金運動の成果) |
197206 | 広島平和教育研究所発足 |
197305 | 「」提訴、同すすめる会結成 |
197310 | 第1回全国平和教育シンポジウム(広島・女学院中) |
197606 | 日教組第49回定期大会、広島県立体育館で開催 |
197607 | 「石田原爆訴訟」広島地裁で完全勝利判決 |
197805 | 新広島教育会館落成(広島・東区光町) |
198103 | 広島県退職教職員協議会結成 |
198108 | 広平研、「平和教育実践辞典」出版 |
198201 | 日教組第31次教育研究全国集会を広島で開催(広島県立体育館・見真講堂他) |
198208 | 「原爆犠牲ヒロシマの碑」除幕式 |
198304 | 石田明、県議選で初当選(安佐北区) |
198903 | 広教組40年史発行 |
198912 | 広島・海田支部執行部、分裂組織「全教」の結成に参加 |
199202 | 婦人部、「女性部」と名称変更 |
199307 | 広平研、「アジアふれあいブック」発刊 |
199308 | エコード広島竣工、広教組書記局移転 |
199505 | 「続・未来を語りつづけて」発刊 |
199508 | 8・4「ありがとう平和、こんにちわ未来」1万人子ども集会開催(広島・グリンアリーナ) |
199902 | 世羅高校校長「自死」 |
199908 | 国旗・国歌法成立 |
200005 | 県教委主導の「広島県学校教育研究団体連絡協議会」設立 |
200401 | 県内で平和カレンダー展始まる |
200605 | 広教組50年史発刊 |
201208 | 第15代高校生平和大使2人を広島県から選出 |
『ひろしまの平和教育』(第2輯)
章節(頁) | 見出し | 備考 |
1 | (平和教育へのあゆみ)広島県における「平和教育」第二十次教研までのあゆみ | |
1-1 | 第18次県教研での問題提起とその討議 | |
1-2 | 第18次日教組全国教研へ問題提起 | |
1-3 | 第19次県教研での取組みとその内容 | |
1-4 | 県被爆教師の会の結成とその活動 | |
会の活動方針とその動き | ||
「ひろしま」「ながさき」を教えつづけることの誓いと訴え | ||
さらに活動を強化発展させるために | ||
1-5 | 平和教育教材づくり | |
2 | (第20次県教研の実践報告より 1)人権と民族平和への課題-平和教育の土台づくり | |
なぜ平和教育が必要か(23)/平和教育をいつどのように行うか(27)/研究体制づくりと研究の経過(28)/教材の自主編成によって平和を認識させる(31)/ | ||
3 | (第20次県教研の実践報告より 2)平和教育の実践でかわりつつあるその実態 | |
平和教材「ひろしま」を使って(40)/8月6日を学校行事にして(49)/今後の課題(55 | ||
4 | (第20次県教研の実践報告より3)大久野島-毒ガスをどう教えるか | |
大久野島を教える意義(56)/大久野島の地理と歴史(57)/毒ガスの島(60)/基地の島(71)/レジャーの島の中に(71)/従業員のくらしと運動(74)/今日の生物化学兵器(85)/大久野島をどう教えたかの実践例(88) | ||
5 | (平和教育への認識と展望)ひろしまの教師はなぜ平和教育を実践するのか | |
平和教育への阻害条件 | ||
“ひろしま”で何をどう教えるのか | ||
平和教育は最高の倫理を教える教育 | ||
■ | 平和教育教材“ひろしま”指導資料(全) |
『ひろしまの平和教育』
輯 | 発行年月日 | 備考 | 所蔵 |
G=原爆資料館。U=宇吹。 | |||
1 | 19700315 | 県平和教育専門委、教材編集委、被爆教師の会編 | GU |
19700701 | 『広島教育』別冊 No.218。第19次広島県教研集会平和部門専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県原爆被爆教師の会編 | GU
|
|
2 | 19710720 | 広島県平和教育専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県被爆教師の会編 | GU |
3 | 19730330 | 広島県平和教育専門委員会、広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所 | GU |
4 | 19760110 | 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 | GU |
5 | 19780325 | 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 | GU |
6 | 19800315 | 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 | GU |
『広島教育』広島県教職員組合(1946年5月15日結成)機関誌。1948年4月=『芸備教育』を『広島教育』と改称して発行。
年月日 | No. | 著者 | タイトル | 所蔵 |
G=広島平和記念資料館。P=ピカ研、U=宇吹 | ||||
1948 | ||||
04 | 創刊? | 1949年1月19日第3種郵便物認可 | ||
1949 | ||||
0115 | 15 | G | ||
0415 | 17 | 平和声明 | G | |
平和のために | ||||
下村 仁一 | 世界平和と労働組合 | |||
11 | 20 | 柿手春三 | 表紙 | G |
峠三吉 | 詩 繪本 | |||
和佐田芳雄 | 部落問題のゆくえ─解放運動史─ | |||
1952 | ||||
0625 | 31 | 特集 | G | |
モスクワ国際経済会議の全貌 | ||||
フランス教員平和の会 | 世界平和のために | |||
菅井準一 | 平和問題の焦点と平和運動について | |||
市岡正憲 | 家庭憲法第一条 | |||
鈴木正道 | 「山びこ学校」や「原爆の子」の映画化のことについて | |||
大原亨 | 危ない国連協力運動 | |||
南木洋太郎 | 画集「原爆の図」をすすめる | |||
0825 | 32 | 特集 我等は「平和と独立」の旗をひるがえして前進する | G | |
1001 | 34 | 特集号・アンケート 20 1、あなたは日本の再軍備に賛成ですか反対ですか。 及びその理由について 2、あなたは祖国の「平和と独立」をいかにして斗い とろうとお考えですか。 |
G | |
平和の呼びごえ | ||||
11 | 35 | G | ||
1953 | ||||
01 | 36 | G | ||
07 | 38 | G | ||
09 | 39 | G | ||
1954 | ||||
05 | 45 | G | ||
1955 | ||||
03 | 49 | G | ||
55 | 石田明 | 死は招く日々―死刑囚以上の運命 | P | |
安佐郡高陽中 | ||||
11 | 58 | G | ||
1956 | ||||
06 | 65 | G | ||
70 | <呉市立図書館> | |||
1957 | ||||
05 | 75 | G | ||
07 | 78 | G | ||
0801 | 79 | 特集:平和運動・平和教育 | PG | |
09 | 80 | G | ||
11 | 82 | G | ||
1201 | 83 | 特集:科学技術教育・勤務評定問題 | P | |
83 | 付録:シナリオ「千羽鶴」 | P | ||
1958 | ||||
07 | 89 | |||
0801 | 90 | 諸井条次 | 原爆の子の像建設に学ぶ―その根幹にあった歴史的教訓(2) | PG |
豊田清史 | 創作:飢え―ヒロシマの序章(2) | |||
広島幟町中 | ||||
09 | 91 | G | ||
11 | 92 | G | ||
1959 | ||||
0805 | 97 | 特集:平和と教育の接点 | PG | |
1960 | ||||
04 | 100 | G | ||
07 | 104 | G | ||
0905 | 105 | 特集:校区教研 | PG | |
1966 | ||||
08 | 175 | 空辰男 | 生き生きした学級づくり | G |
石田明 | 曖光二十年 | |||
西原忠 | ある被爆者の日誌 | |||
広教組結成20周年回顧座談会 | ||||
1967 | ||||
183 | 特集:教育研究の方向をさぐる | P | ||
06 | 185 | 特集:憲法20周年とヒロシマの教育 | G | |
大西典茂 | 講演・恵庭判決と今後の護憲運動の課題について | |||
今中比呂志 | 講演・第三次防の問題点と軍国主義思想の復活について | |||
編集部 | 卒業式「答辞」文カットをめぐって公教育支配思想をさぐる | |||
編集部 | ヒロシマのこどもをめぐる軍国主義化の状況 | |||
川島孝郎 | 「日の丸」問題をどう考えるか | |||
川島孝郎 | 「君が代」と教育の現実 | |||
編集部 | 「建国記念の日」の思想とその背景 | |||
福山支部 | 資料・「建国記念の日」と日本の進路 | |||
理科教育専門委員 | 第17次教研活動をすすめるために(案) | |||
1968 | ||||
12 | 202 | 広教組教文部 | 第18次教研重点課題 | G |
住田哲博 | 平和運動への取り組み | |||
<概要報告・各研究分野> | ||||
平和教育専門委員 | 平和教育をどうすすめるか | |||
1970 | ||||
05 | 221 | 石田明 | 民主的学校行事の創造を | G |
森下弘 | 資料・沖縄と広島の高校生の原爆(被爆)等に関する意識 | |||
06 | 222 | 特集:平和教育をどうすすめるか | GU | |
石田明 | 巻頭言・「ひろしま」を教えつづけよう | |||
教文部 | 第20次教研推進方針 | |||
米田進 | 実践記録・わたしの平和教育 | |||
空辰男 | 全生研がとりあげる「平和教育」とその実践にあたって | |||
安田逸男・中谷玉江 | 実践記録・“第二次世界大戦と日本” | |||
福山市西小学校教師集団 | わが校の平和教育 | |||
報告・被爆教師の会 | ||||
1971 | ||||
03 | 231 | U | ||
1974 | ||||
05 | 273 | 特集:警察権力の弾圧に抗して | ||
07 | 275 | 星野安三郎 | 講演・憲法と平和教育(二) | G |
溝口武 | 実践記録・平和について考える | |||
平和教育をどうすすめるか 付:折鶴の会あての領収書2枚 :手紙と第6回「広島を考える旅」参加ノート |
||||
1975 | ||||
06 | 287 | 特集:地域にねざす教育実践 | ||
1980 | ||||
06 | 347 | 1981年版中学校教科書の「原爆問題」記述についての公開質問状と各社の回答 | G | |
原爆を中心とした教科書記述の分析と検討― | ||||
石田明 | 人類のより確かな生存の道は教育の力に | |||
1987 | ||||
409 | 特集:被爆体験を語る | U | ||
1998 | ||||
0401 | 537 | G | ||
坂本 健 | 廣島ヒロシマ広島 | |||
広教組執行委員 | ||||
特集 シンポジュウム「平和教育のこれから」―平和教育の歩みと今後のあり方を聞く― | ||||
パネリスト | ||||
石田明 | 全国原爆被爆教職員の会会長 | |||
山川剛 | 長崎県原爆被爆教職員の会副会長 | |||
梶村晃 | 九州・沖縄平和教育研究所事務局長 | |||
―進行― | ||||
永井俊作 | 日教組「平和教育」共同研究所 | |||