『原爆瓦-世界史をつくる十代たち』
(山口勇子著,出版元:平和文化、発売元:汐文社、1982/07/07)
頁 |
タイトル |
備考 |
12 |
瓦が再現してみせた原爆 |
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実験-原爆を再現する 12
瓦が気体になった 12
ぼくたちの原爆 16
ヒロシマナガサキを「体験」する 17
熱量計算-三・〇×一〇の一二乗カロリー 19
核兵器廃絶の若い仲間 20
にのしま |
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25 |
「その日はいつか」の詩にあるように |
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ヒロシマの風景 27
そしてわたしのヒロシマ 29
ほんとうのところを見極めて欲しい |
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34 |
高枚生集会の高まり |
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原爆瓦までの道のり 34
歩み始めた高校生たち 35
高まり見せた高校生集会 37
「史樹ちゃんはわたしたちです」 |
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46 |
平和ゼミナールで育つ高校生たち |
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無名戦士の碑 46
平和ゼミナールの授業 48
その日にこそ平和と民主主義を学ぶ 52
ヒロシマに生きる |
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56 |
ヒロシマの子どもたち |
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拠点 56
八木満喜男のこと |
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62 |
初めて瓦を掘りあてたとき |
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片手落ちの広島 62
「あった!」 63
頭と心と体で学ぶフィールドワーク 66
突然の新聞記事 |
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71 |
瓦のように溶かされたくない |
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アピール・ヒロシマの川を考えよう 71
初めての対市交渉 71
みんなの手で一枚でも多く 75
瓦のように溶かされたくない |
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79 |
各地に旅立つ原爆瓦 |
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輪の広がり 79
世界につながる瓦発堀 81
「この瓦でヒロシマの願いを広めてください!」 82
瓦を守れ |
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93 |
はがき作戦 |
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荒木広島市長殿 93
再び瓦発掘ヘ 95
市の計画 97
急速に盛り上がる瓦保存運動 |
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100 |
ボタンを見つけた |
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四種のボタンが語る戦争と原爆 100
「だからなくさなければ、わたしらがやらなくては……」 102
「原爆さえなかったら……」 104
自分の手でつかみとったもの |
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108 |
「昭和の歴史」研究グループ |
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特別講座-学習から自分の生き方を考える 108
ヒロシマのもう一面 110
青春のひとみを支えるもの 113
米軍機ファントム墜落 114
安保によって米兵は裁かれない! 115
女性である前に人間であれ |
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120 |
受ける平和からつくりだす平和へ |
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ヒロシマ-一九八一・八・六 120
ええことばかりいって 121
“新天地”長崎ヘ 122
第八回八・六高校生集会 123
受ける平和からつくりだす平和ヘ 124
白いチョゴリの被爆者 126
吸収したものの重さ 127
「ぼくの弟も食べ物がなくなって死にました」 128
ずっと続く道 |
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131 |
長崎研修旅行で得たもの |
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平和ヘの初旅 131
この怖さをいっぱいに広げよう 133
ヒロシマナガサキの瓦で友情と平和を 135
平和ゼミの感覚だけで考えてはいけない 137
若者は若者らしい方法で |
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141 |
ノエルベーカーの手紙運動 |
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ノエルベーカー卿との再会 141
ノエルベーカーの手紙 142
ノエルベーカー卿に瓦を渡した |
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156 |
原爆の証を消してはいけない |
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第三回対市交渉 156
こっちの力を大きくすることだ |
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163 |
げんばくがわらをほりました |
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すすむ発掘作業と交流 P63
現実と理想が一体化されない不安 164
げんばくがわらをほりました 166
一〇フィートフィルムカンパ 170
お供養して下さい |
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174 |
平和への願いが市を動かした |
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「ぼくはかわらをすててはいけないと思います」 174
平和への願いが市を動かした 176
最後の原爆瓦発掘 |
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182 |
原爆瓦モニュメントの土台の重さ |
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かわらおばさん 182
あの平和公園はきれいすぎる 183
安田女子高校社会科学研究部の場合 185
出会いのすばらしさ 190
原爆瓦前史-故田辺勝さんのこと |
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196 |
アリス・ハーズ賞受賞 196
アリス・ハーズ賞 196
生にむかって先頭に立ってください 197
生命が未来をもつように 199
実践を通じて学ぶこと 201
高校生平和ゼミの意義深さ |
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206 |
原爆瓦のモニュメント建設へ |
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建設募金一番乗り 206
原爆の子の像 207
第二の原爆の子の像建設にむけて 209
平和のためのモニュメント 214
街頭行動ヘ 216
世界の歩みの中の原爆瓦発掘 218 |
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220 |
各地の高校生平和ゼミ“出航” |
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被爆体験継承の役目を担って 220
神奈川でも 221
長崎でも 223
呉でも 223
埼玉でも |
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236 |
平和の記念碑を |
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相つぐ募金と手紙 236
小学生たちの奮闘 238
ヒロシマの心を世界に 244
第五回平和ゼミナール 5
別れと出発の季節 247
もどらぬ風 249
平和教育“戦士”の新しい門出 251
平和は待つものではない、つくりだすものだ |
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254 |
あとがき 1982年5月23日・東京行動の日に |
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『加害基地宇品-新しいヒロシマ学習』
空辰男著 汐文社 1994 /07/10
目次
章 |
見出し |
備考 |
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はじめに |
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1 |
原爆につながっていた軍港宇品 |
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金輪島で見た火の玉
似島で叫ぶ母の呼び声
凱旋湯の子、日出子さんはまだ
若き海上特攻隊の被爆者救出
「軍港・宇品」の終結とヒロシマ |
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2 |
「臨戦地宇品」とはなんだったのか |
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日清戦争と軍港のはじまり
その頃の世界勢力と富国強兵
臨時首都(帝都)広島と神話
木口小平と正岡子規
軍港と陸軍検疫所似島のあゆみ
凱旋碑が平和碑になり得るか |
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3 |
宇品築港の本当の目的はなんだったのか |
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千田貞暁と願いと苦難
漁場を失う地元漁民の反対運動
人造石と服部長七と功労
「呉鎮」と「海兵」と「字品」
無用の長物と士族授産の行彼
西方をみつめる千田銅像 |
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4 |
“うじな”にそろっていた自然条件 |
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仁保姫神社の伝説と港
宇品島観音寺伝説と港
三代十郎兵衛物語りと大河のり
“うじな”の名の由来と港 |
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5 |
軍港と陸軍墓地と歴史的責任 |
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離散家族・三百万人の責任
平頂山事件と撫順戦犯管理所の教え
陸軍墓地の兵士の骨と被爆者の骨
「港」唱歌とヒロシマの心 |
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6 |
古代から年表が語る「港・宇品」 |
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『日本の科学者』 日本科学者会議機関誌
年Vol.No. |
著者 |
論文名 |
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1995 |
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30-8 |
特集:被爆50年とこれからの課題 |
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宇吹暁 |
被爆50周年とヒロシマの動き |
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斎藤紀 |
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田村和之 |
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1999 |
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34-8 |
特集:広島平和記念都市法の50年 |
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石丸紀興 |
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河瀬正利 |
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舟橋喜恵 |
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韓国・歴史と平和の旅
主催:平和国際教育研究会
参加者:89人(内、高校生20人、大学生2人、大学院生1人)。
1998年8月17日(月)-21日(金)
平和・国際教育研究会全国集会の軌跡(抄)
出典:
http://www.chichibu.ne.jp/~sekine-kz56/heikokuken/zenkoku.html
回数 |
開催地 |
開催年 |
おもな内容 |
1 |
埼 玉 |
198603 |
全国集会は、「平和教育研究・森田塾」として、埼玉県秩父市で開催。当時の明治政府を震撼させた秩父事件の学習とフィールドワーク実施。地学で有名な秩父のフズリナ化石にも親しんだ。研究会の方針討議など |
5 |
広島・山口 |
198912 |
24日は横路謙次郎さんの講義「核戦争阻止と核兵器廃絶の課題」。25日は岩国基地の踏査と研究会(外山英昭さんの講義「山口における平和教育」、渡辺久丸さんの講義「日米安保条約と日本国憲法」、山根勝さんの講義「戦前山口県の民主主義と平和を求めるたたかい」と森田俊男さんの講演「安保条約と自衛隊をどう教えるか」) |
9 |
広島 |
199404 |
4月1日は横山英さんの講義「侵略戦争とアジア」とドゥジョンファンさんの特別報告「全教組運動の新しい展開方向」。2日は加藤西郷さんの講義「宗教と教育」、宇吹暁さんの講義「被爆体験の戦後50年」、江種祐司さんの被爆体験。3日は原爆フィールドワーク後、公開講座として、映画「渡り川」の上映、キムクワンミンさんの講演、森田俊男さんの講演「新学力観の創造的な克服を」が行われた。 |
12 |
韓国 |
199803 |
8月17日から21日までソウル市と光州市を会場として開催された韓国集会は、「日韓平和教育シンポジュウム」として4つの分科会を設けて、日韓の平和教育・歴史教育の実践を交流した。高麗大学の姜萬吉教授が「21世紀 東アジアの平和のために」と題して講演。同時に開催した、日韓高校生交流の旅で、高校生とともに「ナヌムの家」を訪問した。 |
14 |
広島 |
2002 |
月31日と4月1日、広島市の東区民文化センターを会場にして、広島集会を開催した。FWは、平和公園にある原爆ドームの中に入るなど、充実した内容であった。 |
16 |
広島 |
2006 |
3月31日と4月1日、広島市中区の原爆資料館を会場にして、平和教育の実践交流を行った。広島市立大学平和研究所の浅井基文所長が、「広島1年生の『平和』についての所感」と題して講演。4月1日には岩国米軍基地のFWを実施した。 |
27 |
東京 |
201711 |
11月26日に『秋の研究集会』を開催。第1部:実践報告『中学生が憲法をどう学んだか』井田佐恵子さん/第2部『社会とつながる、社会を変える若者の活動』 ①奥田愛基さん②林田光弘さん/まとめ『平和教育の今日的課題』佐貫浩さん。平和・国際教育研究会(主催)・東京高校生平和ゼミナール世話人会(共催)・全国民主主義教育研究会東京支部(後援)。参加者44名。 |
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出典:
http://www.chichibu.ne.jp/~sekine-kz56/heikokuken/zenkoku.html
平和・国際教育研究会会報
号 |
発行年月日 |
記事など |
1 |
20020101 |
わたしたちの教育の改革=平和と民主主義の教育を!(会長 森田俊男) |
2 |
20020407 |
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36 |
201110 |
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広教組70年のあゆみ(抄)出典:http://www.hirokyouso.jp/siryou/history.pdf
年月日 |
事項 |
194602 |
広教組設立準備会 |
194605 |
広教組結成(郡市教組の連合体)(船越国民学校) |
194701 |
広教組単一結成大会(小・中合同) |
194707 |
広教組婦人部・青年部結成 |
194707 |
広教組合同結成大会 |
194803 |
「広島教育時報」創刊 |
194804 |
広島県学校生活協同組合(学校生協)設立 |
|
機関誌「芸備教育」を「広島教育」に改称発刊 |
194806 |
広教組単一結成大会(小・中・高の完全単一となる) |
194807 |
教育委員会法(公選制)公布 |
195111 |
第1回広島県教育研究集会(広島・進徳学園) |
|
広島教育会館落成(広島・旧雑魚場町) |
195303 |
第10回広教組定期大会で高教組分離・幼小中大の単一体となり、広島県教職員組合協議会」(広教協)発足 |
195310 |
映画「ひろしま」完成 |
195410 |
養護教員部結成 |
195506 |
第1回広島県同和教育研究大会(広島・青崎小) |
196811 |
第18次教研に「平和教育」特別分科会を設置 |
196903 |
「広島県原爆被爆教師の会」結成 |
196907 |
平和教育教材編集委員会、副読本「ひろしま」発刊。「未来を語りつづけて」発刊。 |
197009 |
広島県退職婦人教職員の会結成 |
197108 |
「原爆犠牲国民学校教師と子供の碑」構成詩によって除幕(11教育団体募金運動の成果) |
197206 |
広島平和教育研究所発足 |
197305 |
「」提訴、同すすめる会結成 |
197310 |
第1回全国平和教育シンポジウム(広島・女学院中) |
197606 |
日教組第49回定期大会、広島県立体育館で開催 |
197607 |
「石田原爆訴訟」広島地裁で完全勝利判決 |
197805 |
新広島教育会館落成(広島・東区光町) |
198103 |
広島県退職教職員協議会結成 |
198108 |
広平研、「平和教育実践辞典」出版 |
198201 |
日教組第31次教育研究全国集会を広島で開催(広島県立体育館・見真講堂他) |
198208 |
「原爆犠牲ヒロシマの碑」除幕式 |
198304 |
石田明、県議選で初当選(安佐北区) |
198903 |
広教組40年史発行 |
198912 |
広島・海田支部執行部、分裂組織「全教」の結成に参加 |
199202 |
婦人部、「女性部」と名称変更 |
199307 |
広平研、「アジアふれあいブック」発刊 |
199308 |
エコード広島竣工、広教組書記局移転 |
199505 |
「続・未来を語りつづけて」発刊 |
199508 |
8・4「ありがとう平和、こんにちわ未来」1万人子ども集会開催(広島・グリンアリーナ) |
199902 |
世羅高校校長「自死」 |
199908 |
国旗・国歌法成立 |
200005 |
県教委主導の「広島県学校教育研究団体連絡協議会」設立 |
200401 |
県内で平和カレンダー展始まる |
200605 |
広教組50年史発刊 |
201208 |
第15代高校生平和大使2人を広島県から選出 |
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ユネスコ特定実験報告書(昭和30年1月30日)
実験題目『原爆と平和』
広島大学教育学部 付属東千田中学校
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Ⅰ |
序説 |
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1 |
学校の環境条件および生徒の特性、教育方針などについての概略 |
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ロ |
国際理解のための全般的な指導計画および指導状況の概略 |
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ハ |
国際理解テスト等実施の結果と指導上問題とすべき諸点の指摘 |
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ニ |
特定実験テーマ設定の理由 |
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ホ |
実験のための組織 |
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運営委員会 |
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森戸辰男(顧問:広島大学長) |
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皇至道(顧問:広島大学長教育学部長) |
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森岡文策(委員長:広島大学長教育学教授兼附属東千田高・中学校長) |
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(委員:)<22人氏名等未入力> |
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へ |
実験学級の生徒についての一般的諸テストとその結果 |
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Ⅱ |
短期実験経過の大要 |
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Ⅲ |
集団討議・感想文・面接等の結果の処理及びその解釈 |
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イ |
2年生の場合 |
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A |
感想文 |
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|
生徒の作品の一例 |
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B |
集団討議及び面接の結果 |
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ロ |
1年生の場合 |
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Ⅳ |
実験教育指導に関する評価 |
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Ⅴ |
総括的結論 |
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資料:戦争並びに原爆に関する調査用問題 |
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国際平和教育研究会(広島大学教育学部付属小学校内、1974年組織)
資料
本 |
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子どもと父母と教師が書いた原爆の記録 |
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1=国際平和教育研究会編、2・3=小川利雄編
教育出版センター刊 |
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1 |
ヒロシマの雨はドームの涙 |
1975/08/06 |
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2 |
地獄からの汽車 |
1975/08/17 |
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3 |
悪魔の銀のサイコロ |
1975/08/15 |
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『折り鶴の子どもたち 原爆症とたたかった佐々木禎子と級友たち』(那須正幹作・高田三郎絵、PHP研究所 1984/07/02 )
目次<未完>
部章 |
|
登場人物・組織・団体(抄) |
第1部 |
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第1章 |
運動会 |
広島市立幟町小学校、野村剛(担任) |
第2章 |
きらめきの日々 |
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第3章 |
悪魔の爪あと |
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第4章 |
死の予感 |
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第5章 |
飛べない鶴 |
|
第2部 |
|
|
第1章 |
残された人たち |
|
第2章 |
悲しみをこえて |
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第3章 |
平和へのさけび |
|
第4章 |
友よ やすらかに |
|
第5章 |
折り鶴の系譜 |
|
あとがき |
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|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。