『わたしたちの広島市』(広島市小学校社会科研究会(編集・執筆、金子廉(監修)、19600401)
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初版19600415 | 19720401発行 | 19750401発行 |
中国書店発行 | 児童図書出版社(取扱) | |
宇吹蔵 | ピカ研蔵 |
『わたしたちの広島市』(広島市小学校社会科研究会(編集・執筆、金子廉(監修)、19600401)
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初版19600415 | 19720401発行 | 19750401発行 |
中国書店発行 | 児童図書出版社(取扱) | |
宇吹蔵 | ピカ研蔵 |
『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』
「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会(編・刊)1983/02/21
目次
◆『八月六日』 峠三吉 1
◆『あの時…』 小林岩吉 2
◆『水ヲ下サイ』 原民喜 4
◆建立除幕によせて 5
石田明/河野浩樹/荒木武 7
若者の願いはばたけ 森下弘 11
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 森滝市郎 12
原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13
君たちは知ったのです 宮崎安男 14
ヒロシマの碑建立に思う 藤本幸作 15
『高校生の平和アピール』の意味するもの 松崎徹 16
高校生の平和アピール・行動提起 17
原爆瓦の叫び今こそ 大亀信行 18
小さなともしびから大きな炎へ 吉川徹忍 19
青春のエネルギーに囲まれて 土肥穣治 20
◆ちかいのことば 21
小学生のちかい・斉藤力(福山市立旭丘小学校 児童会代表)23
中学生のちかい・林文子(広島市立翠町中学校 生徒会代表)24
若者のちかい・山口小百合(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール)25
◆碑・制作を終えて 27
『ヒロシマの碑』の思想 横山英 28
モニュマンの空高く 芥川永 30
平和を願う心の目を 吉田正浪 31
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して 深川宗俊 34
『原爆瓦』を追う映画を 田辺昭太郎 38
◆建設のあしどり 山下希昭 39
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし 41
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 62
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌)63
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 69
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで 71
平和学習のシンボルとして 沢野重男 72
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 73
◆ヒロシマの碑プロフィール 77
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り 91
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 123
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 深川宗俊 131
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 丸山亜季 146
◆附属資料 147
1 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英)149
2 除幕式関係・各社報道記事(紙面)151
3 ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり 157
4 広島市長『平和宣言』 166
5 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 188
6 平和の歌 歌曲集 232
『原爆瓦-世界史をつくる十代たち』
(山口勇子著,出版元:平和文化、発売元:汐文社、1982/07/07)
頁 | タイトル | 備考 |
12 | 瓦が再現してみせた原爆 | |
実験-原爆を再現する 12 瓦が気体になった 12 ぼくたちの原爆 16 ヒロシマナガサキを「体験」する 17 熱量計算-三・〇×一〇の一二乗カロリー 19 核兵器廃絶の若い仲間 20 にのしま |
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25 | 「その日はいつか」の詩にあるように | |
ヒロシマの風景 27 そしてわたしのヒロシマ 29 ほんとうのところを見極めて欲しい |
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34 | 高枚生集会の高まり | |
原爆瓦までの道のり 34 歩み始めた高校生たち 35 高まり見せた高校生集会 37 「史樹ちゃんはわたしたちです」 |
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46 | 平和ゼミナールで育つ高校生たち | |
無名戦士の碑 46 平和ゼミナールの授業 48 その日にこそ平和と民主主義を学ぶ 52 ヒロシマに生きる |
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56 | ヒロシマの子どもたち | |
拠点 56 八木満喜男のこと |
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62 | 初めて瓦を掘りあてたとき | |
片手落ちの広島 62 「あった!」 63 頭と心と体で学ぶフィールドワーク 66 突然の新聞記事 |
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71 | 瓦のように溶かされたくない | |
アピール・ヒロシマの川を考えよう 71 初めての対市交渉 71 みんなの手で一枚でも多く 75 瓦のように溶かされたくない |
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79 | 各地に旅立つ原爆瓦 | |
輪の広がり 79 世界につながる瓦発堀 81 「この瓦でヒロシマの願いを広めてください!」 82 瓦を守れ |
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93 | はがき作戦 | |
荒木広島市長殿 93 再び瓦発掘ヘ 95 市の計画 97 急速に盛り上がる瓦保存運動 |
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100 | ボタンを見つけた | |
四種のボタンが語る戦争と原爆 100 「だからなくさなければ、わたしらがやらなくては……」 102 「原爆さえなかったら……」 104 自分の手でつかみとったもの |
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108 | 「昭和の歴史」研究グループ | |
特別講座-学習から自分の生き方を考える 108 ヒロシマのもう一面 110 青春のひとみを支えるもの 113 米軍機ファントム墜落 114 安保によって米兵は裁かれない! 115 女性である前に人間であれ |
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120 | 受ける平和からつくりだす平和へ | |
ヒロシマ-一九八一・八・六 120 ええことばかりいって 121 “新天地”長崎ヘ 122 第八回八・六高校生集会 123 受ける平和からつくりだす平和ヘ 124 白いチョゴリの被爆者 126 吸収したものの重さ 127 「ぼくの弟も食べ物がなくなって死にました」 128 ずっと続く道 |
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131 | 長崎研修旅行で得たもの | |
平和ヘの初旅 131 この怖さをいっぱいに広げよう 133 ヒロシマナガサキの瓦で友情と平和を 135 平和ゼミの感覚だけで考えてはいけない 137 若者は若者らしい方法で |
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141 | ノエルベーカーの手紙運動 | |
ノエルベーカー卿との再会 141 ノエルベーカーの手紙 142 ノエルベーカー卿に瓦を渡した |
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156 | 原爆の証を消してはいけない | |
第三回対市交渉 156 こっちの力を大きくすることだ |
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163 | げんばくがわらをほりました | |
すすむ発掘作業と交流 P63 現実と理想が一体化されない不安 164 げんばくがわらをほりました 166 一〇フィートフィルムカンパ 170 お供養して下さい |
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174 | 平和への願いが市を動かした | |
「ぼくはかわらをすててはいけないと思います」 174 平和への願いが市を動かした 176 最後の原爆瓦発掘 |
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182 | 原爆瓦モニュメントの土台の重さ | |
かわらおばさん 182 あの平和公園はきれいすぎる 183 安田女子高校社会科学研究部の場合 185 出会いのすばらしさ 190 原爆瓦前史-故田辺勝さんのこと |
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196 | アリス・ハーズ賞受賞 196 アリス・ハーズ賞 196 生にむかって先頭に立ってください 197 生命が未来をもつように 199 実践を通じて学ぶこと 201 高校生平和ゼミの意義深さ |
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206 | 原爆瓦のモニュメント建設へ | |
建設募金一番乗り 206 原爆の子の像 207 第二の原爆の子の像建設にむけて 209 平和のためのモニュメント 214 街頭行動ヘ 216 世界の歩みの中の原爆瓦発掘 218 |
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220 | 各地の高校生平和ゼミ“出航” | |
被爆体験継承の役目を担って 220 神奈川でも 221 長崎でも 223 呉でも 223 埼玉でも |
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236 | 平和の記念碑を | |
相つぐ募金と手紙 236 小学生たちの奮闘 238 ヒロシマの心を世界に 244 第五回平和ゼミナール 5 別れと出発の季節 247 もどらぬ風 249 平和教育“戦士”の新しい門出 251 平和は待つものではない、つくりだすものだ |
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254 | あとがき 1982年5月23日・東京行動の日に | |
『加害基地宇品-新しいヒロシマ学習』
空辰男著 汐文社 1994 /07/10
目次
章 | 見出し | 備考 |
はじめに | ||
1 | 原爆につながっていた軍港宇品 | |
金輪島で見た火の玉 似島で叫ぶ母の呼び声 凱旋湯の子、日出子さんはまだ 若き海上特攻隊の被爆者救出 「軍港・宇品」の終結とヒロシマ |
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2 | 「臨戦地宇品」とはなんだったのか | |
日清戦争と軍港のはじまり その頃の世界勢力と富国強兵 臨時首都(帝都)広島と神話 木口小平と正岡子規 軍港と陸軍検疫所似島のあゆみ 凱旋碑が平和碑になり得るか |
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3 | 宇品築港の本当の目的はなんだったのか | |
千田貞暁と願いと苦難 漁場を失う地元漁民の反対運動 人造石と服部長七と功労 「呉鎮」と「海兵」と「字品」 無用の長物と士族授産の行彼 西方をみつめる千田銅像 |
||
4 | “うじな”にそろっていた自然条件 | |
仁保姫神社の伝説と港 宇品島観音寺伝説と港 三代十郎兵衛物語りと大河のり “うじな”の名の由来と港 |
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5 | 軍港と陸軍墓地と歴史的責任 | |
離散家族・三百万人の責任 平頂山事件と撫順戦犯管理所の教え 陸軍墓地の兵士の骨と被爆者の骨 「港」唱歌とヒロシマの心 |
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6 | 古代から年表が語る「港・宇品」 | |
『日本の科学者』 日本科学者会議機関誌
年Vol.No. | 著者 | 論文名 |
1995 | ||
30-8 | 特集:被爆50年とこれからの課題 | |
宇吹暁 | 被爆50周年とヒロシマの動き | |
斎藤紀 | ||
田村和之 | ||
1999 | ||
34-8 | 特集:広島平和記念都市法の50年 | |
石丸紀興 | ||
河瀬正利 | ||
舟橋喜恵 | ||
主催:平和国際教育研究会
参加者:89人(内、高校生20人、大学生2人、大学院生1人)。
1998年8月17日(月)-21日(金)
日 | 地名 | 訪問施設 | メモ |
17 | ソウル | 景福宮 | |
李朝の王宮。1395年創建。 | |||
明成皇后(閔妃)遭難の地 | |||
景福宮境内 | |||
パゴタ公園 | |||
正式名称:塔洞公園。 | |||
西大門独立公園 | |||
延世大学 | |||
18 | 漢陽大学 (韓日平和教育シンポジウム) |
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ハンギョレ新聞(当日夕刊)が、シンポジウムの模様を大きく取り上げる。 大半は、シンポジウムに出席したが、1人が板門店へ、8人(私を含む)が市内観光。 観光組は、ロッテワールド内の免税店と民族博物館で大半の時間を費やす。 |
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安重根義士記念館 | |||
19 | 広州郡 | ナヌムの家 | |
水原市 | レストラン | ||
昼食。「堤岩里教会」(水原の虐殺事件現場=1919年4月15日)の近くだったが、日程の都合か、寄らなかった。 | |||
天安市 | 独立記念館 | ||
20 | 柳寛順(ユガンスン)記念堂 | ||
柳寛順の生家と梅峰教会 | |||
光州市 | 5・18メモリアルパーク | ||
光州学生独立運動記念館 | |||
レストラン | |||
光州の民主化運動関係者・犠牲者遺族との懇談会。 |
平和・国際教育研究会全国集会の軌跡(抄)
出典:
http://www.chichibu.ne.jp/~sekine-kz56/heikokuken/zenkoku.html
回数 | 開催地 | 開催年 | おもな内容 |
1 | 埼 玉 | 198603 | 全国集会は、「平和教育研究・森田塾」として、埼玉県秩父市で開催。当時の明治政府を震撼させた秩父事件の学習とフィールドワーク実施。地学で有名な秩父のフズリナ化石にも親しんだ。研究会の方針討議など |
5 | 広島・山口 | 198912 | 24日は横路謙次郎さんの講義「核戦争阻止と核兵器廃絶の課題」。25日は岩国基地の踏査と研究会(外山英昭さんの講義「山口における平和教育」、渡辺久丸さんの講義「日米安保条約と日本国憲法」、山根勝さんの講義「戦前山口県の民主主義と平和を求めるたたかい」と森田俊男さんの講演「安保条約と自衛隊をどう教えるか」) |
9 | 広島 | 199404 | 4月1日は横山英さんの講義「侵略戦争とアジア」とドゥジョンファンさんの特別報告「全教組運動の新しい展開方向」。2日は加藤西郷さんの講義「宗教と教育」、宇吹暁さんの講義「被爆体験の戦後50年」、江種祐司さんの被爆体験。3日は原爆フィールドワーク後、公開講座として、映画「渡り川」の上映、キムクワンミンさんの講演、森田俊男さんの講演「新学力観の創造的な克服を」が行われた。 |
12 | 韓国 | 199803 | 8月17日から21日までソウル市と光州市を会場として開催された韓国集会は、「日韓平和教育シンポジュウム」として4つの分科会を設けて、日韓の平和教育・歴史教育の実践を交流した。高麗大学の姜萬吉教授が「21世紀 東アジアの平和のために」と題して講演。同時に開催した、日韓高校生交流の旅で、高校生とともに「ナヌムの家」を訪問した。 |
14 | 広島 | 2002 | 月31日と4月1日、広島市の東区民文化センターを会場にして、広島集会を開催した。FWは、平和公園にある原爆ドームの中に入るなど、充実した内容であった。 |
16 | 広島 | 2006 | 3月31日と4月1日、広島市中区の原爆資料館を会場にして、平和教育の実践交流を行った。広島市立大学平和研究所の浅井基文所長が、「広島1年生の『平和』についての所感」と題して講演。4月1日には岩国米軍基地のFWを実施した。 |
27 | 東京 | 201711 | 11月26日に『秋の研究集会』を開催。第1部:実践報告『中学生が憲法をどう学んだか』井田佐恵子さん/第2部『社会とつながる、社会を変える若者の活動』 ①奥田愛基さん②林田光弘さん/まとめ『平和教育の今日的課題』佐貫浩さん。平和・国際教育研究会(主催)・東京高校生平和ゼミナール世話人会(共催)・全国民主主義教育研究会東京支部(後援)。参加者44名。 |
出典:
http://www.chichibu.ne.jp/~sekine-kz56/heikokuken/zenkoku.html
平和・国際教育研究会会報
号 | 発行年月日 | 記事など |
1 | 20020101 | わたしたちの教育の改革=平和と民主主義の教育を!(会長 森田俊男) |
2 | 20020407 | |
36 | 201110 |
広教組70年のあゆみ(抄)出典:http://www.hirokyouso.jp/siryou/history.pdf
年月日 | 事項 |
194602 | 広教組設立準備会 |
194605 | 広教組結成(郡市教組の連合体)(船越国民学校) |
194701 | 広教組単一結成大会(小・中合同) |
194707 | 広教組婦人部・青年部結成 |
194707 | 広教組合同結成大会 |
194803 | 「広島教育時報」創刊 |
194804 | 広島県学校生活協同組合(学校生協)設立 |
機関誌「芸備教育」を「広島教育」に改称発刊 | |
194806 | 広教組単一結成大会(小・中・高の完全単一となる) |
194807 | 教育委員会法(公選制)公布 |
195111 | 第1回広島県教育研究集会(広島・進徳学園) |
広島教育会館落成(広島・旧雑魚場町) | |
195303 | 第10回広教組定期大会で高教組分離・幼小中大の単一体となり、広島県教職員組合協議会」(広教協)発足 |
195310 | 映画「ひろしま」完成 |
195410 | 養護教員部結成 |
195506 | 第1回広島県同和教育研究大会(広島・青崎小) |
196811 | 第18次教研に「平和教育」特別分科会を設置 |
196903 | 「広島県原爆被爆教師の会」結成 |
196907 | 平和教育教材編集委員会、副読本「ひろしま」発刊。「未来を語りつづけて」発刊。 |
197009 | 広島県退職婦人教職員の会結成 |
197108 | 「原爆犠牲国民学校教師と子供の碑」構成詩によって除幕(11教育団体募金運動の成果) |
197206 | 広島平和教育研究所発足 |
197305 | 「」提訴、同すすめる会結成 |
197310 | 第1回全国平和教育シンポジウム(広島・女学院中) |
197606 | 日教組第49回定期大会、広島県立体育館で開催 |
197607 | 「石田原爆訴訟」広島地裁で完全勝利判決 |
197805 | 新広島教育会館落成(広島・東区光町) |
198103 | 広島県退職教職員協議会結成 |
198108 | 広平研、「平和教育実践辞典」出版 |
198201 | 日教組第31次教育研究全国集会を広島で開催(広島県立体育館・見真講堂他) |
198208 | 「原爆犠牲ヒロシマの碑」除幕式 |
198304 | 石田明、県議選で初当選(安佐北区) |
198903 | 広教組40年史発行 |
198912 | 広島・海田支部執行部、分裂組織「全教」の結成に参加 |
199202 | 婦人部、「女性部」と名称変更 |
199307 | 広平研、「アジアふれあいブック」発刊 |
199308 | エコード広島竣工、広教組書記局移転 |
199505 | 「続・未来を語りつづけて」発刊 |
199508 | 8・4「ありがとう平和、こんにちわ未来」1万人子ども集会開催(広島・グリンアリーナ) |
199902 | 世羅高校校長「自死」 |
199908 | 国旗・国歌法成立 |
200005 | 県教委主導の「広島県学校教育研究団体連絡協議会」設立 |
200401 | 県内で平和カレンダー展始まる |
200605 | 広教組50年史発刊 |
201208 | 第15代高校生平和大使2人を広島県から選出 |
ユネスコ特定実験報告書(昭和30年1月30日)
実験題目『原爆と平和』
広島大学教育学部 付属東千田中学校
Ⅰ | 序説 | ||
1 | 学校の環境条件および生徒の特性、教育方針などについての概略 | ||
ロ | 国際理解のための全般的な指導計画および指導状況の概略 | ||
ハ | 国際理解テスト等実施の結果と指導上問題とすべき諸点の指摘 | ||
ニ | 特定実験テーマ設定の理由 | ||
ホ | 実験のための組織 | ||
運営委員会 | |||
森戸辰男(顧問:広島大学長) | |||
皇至道(顧問:広島大学長教育学部長) | |||
森岡文策(委員長:広島大学長教育学教授兼附属東千田高・中学校長) | |||
(委員:)<22人氏名等未入力> | |||
へ | 実験学級の生徒についての一般的諸テストとその結果 | ||
Ⅱ | 短期実験経過の大要 | ||
Ⅲ | 集団討議・感想文・面接等の結果の処理及びその解釈 | ||
イ | 2年生の場合 | ||
A | 感想文 | ||
生徒の作品の一例 | |||
B | 集団討議及び面接の結果 | ||
ロ | 1年生の場合 | ||
Ⅳ | 実験教育指導に関する評価 | ||
Ⅴ | 総括的結論 | ||
資料:戦争並びに原爆に関する調査用問題 |