平和シンポジウム感想歌集
参考資料 |
『人間の心ヒロシマの心』(秋葉忠利、三友社出版、19881223) |
止
資料年表:平岡敬(ひらおか・たかし)
年月日 | 事項 | メモ |
1927 | ||
**** | 大阪市生まれ | |
1952 | ||
**** | 早稲田大学文学部卒業 | |
1966 | ||
0401 | 『世界 第245号』(岩波書店) | |
平岡敬「韓国の原爆被災者を訪ねて」 229 | ||
0801 | 『放送RCC 第59号 Vol. 6 No.7-8』(ラジオ中国) | |
文沢隆一・原田東岷・平岡敬「忘れられた被爆者」18 | ||
1967 | ||
0401 | 『世界 第257号』(岩波書店) | |
原爆被害者・二十二年後の要求 平岡敬「戦後は終わったか-被爆者の生活と感情」178 |
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1208 | 『社会福祉ひろしま(号外)』(広島県社会福祉協議会) | |
原爆被爆者と社会福祉 平岡敬「被爆者の生活と感情」 7 |
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1968 | ||
0301 | 『世界 第268号』(岩波書店) | |
平岡敬「青年と広島-「市民対話のつどい」から-」 198 | ||
0801 | 『未来 No.23』(未来社) | |
小特集=ヒロシマ・一九六八年 平岡敬「告発する被爆朝鮮人」 2 |
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1969 | ||
0325 | 『アンチヒューマン (ドキュメント日本人 8)』(谷川健一 [ほか] 責任編集、学藝書林) | |
平岡敬「被爆朝鮮人の怒りと悲しみ」 48 | ||
0801 | 『未来 No.35』(未来社) | |
平岡敬「ヒロシマからの報告②終わりと始まり」 6 | ||
1970 | ||
0801 | 『未来 No.47』(未来社) | |
特集=二五年目のヒロシマ① 平岡敬「被爆者の「目」」 19 |
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1031 | 『見捨てられた在韓被爆者 日・韓両政府は彼らを見殺しにするのか』(竹中労 編著、日新報道) | |
被爆朝鮮人の怒りと悲しみ(平岡敬)/97 | ||
1971 | ||
0120 | 『辺境 第3号』(辺境社) | |
辺境レポート 苦いスチェビ 平岡敬…143 |
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1972 | ||
0401 | 『広島通信 No.32』(「広島通信」の会) | |
平岡敬「被爆朝鮮人救援の動き」 | ||
0806 | 『偏見と差別 ヒロシマそして被爆朝鮮人』(平岡敬著、未来社) | |
1973 | ||
0830 | 『廣島高等学校創立五十年記念誌』(廣島高等学校創立五十年記念事業準備委員会記念誌部編、廣島高等学校同窓会) | |
平岡敬「イキ違いの記者」…439 | ||
1974 | ||
0801 | 『世界 第345号』(岩波書店) | |
平岡敬「黙殺との戦い-被爆朝鮮人・孫振斗さんの訴え-」 235 | ||
<以下作業中> | ||
止
年表:灯ろう流し
年 月日 | ||
1947 | ||
0714 | 広島市内の日蓮門下寺院8ケ寺の僧侶13人と広島立正婦人協会員1、000人が中 島本町慈仙寺鼻の供養塔で臨川大施我鬼法要を執行。供養塔での読経終了後、3隻 の発動機船に分乗し、本川の三篠橋から播磨橋の間を往復、原爆犠牲者の戒名・ 俗名などをしたためた経木を川に流して、水供養をおこなう。48年7月31日、51年 7月11日にも執行。 | |
47年8月5日、広島県宗教連盟が、慈仙寺鼻河畔から慰霊船を元安川に出して、川供養。 | ||
1948 | ||
0806 | 広島市的場大通商店街が的場町太陽館前広場に「法界万霊戦死者供養塔」を 建て、法要を執行、午後7時から猿こう川で川施我鬼を催し、とうろう流し。 | |
1950 | ||
0806 | 中国商店街連合会、とうろう流し。以後毎年実施(「中国新聞」56年8月5日) | |
1952 | ひろしま川祭委員会 | |
広島市・市教委・市観光協会・広島商工会議所・FK・国際文化協会・中国新聞社が、「原爆犠牲者の霊を慰めるとともに大衆への慰安をも併せ行い、春の広島まつりとともに広島の二大年中行事」にしようと結成(「中国新聞」1952年7月23日) | ||
第1回52年8月9-10日。 9日、供養塔前と本川橋側水上で花火大会 相生橋河畔で9日夜の満潮時に2、000燈のとうろう流し 10日、原爆ドーム前元安川で水上音楽会 |
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0806 | 午後9時から、本川青年団が今年も相生橋下でとうろう400個を流す。 | |
1953 | ひろしま川祭委員会 | |
第2回53年8月8日。 6-8日夜の満潮時に元安川と本川で2、000燈のとうろう流し 8日、水上音楽会と花火 |
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1954 | ひろしま川祭委員会 | |
第3回54年8月7-8日。7つの川で午後7時半からとうろう流し。2万個。 中部地区=6-8日、大仏殿前元安川河畔、2、000灯 横川地区=7-8日、横川橋下、700灯 己斐地区=6-7日、己斐橋、1、000灯 十日市地区=6日、本川小学校横河畔、300灯 鷹野橋地区=6日、明治橋下、700灯 駅前地区=6-7日、駅前橋下北側、800灯 段原地区=7日、大正橋下、300灯 6日、5、000個のとうろう 8日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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0806 | 午後8時から、世界平和広島仏舎利塔建設会・広島大仏奉賛会が元安川原爆ドー ム前で5000個のとうろう流し。 | |
0806 | 本願寺広島別院、水上法要と流灯会を行う。56年も。 | |
1955 | ひろしま川祭委員会 | |
第4回55年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。1万個。 6日、8、000個のとうろう 7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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1956 | ひろしま川祭委員会 | |
第5回56年8月6-7日。7つの川(10か所)で午後8時からとうろう流し。1万2,000個。 6日、10、000個のとうろう 7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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1957 | ひろしま川祭委員会 | |
第6回57年8月6-7日。7つの川で午後8時からとうろう流し。 6日、15、000個のとうろう 相生橋・広島駅前橋・荒神橋・稲荷橋・大正橋西詰・京橋・明治橋・横川橋・己 斐橋・本川小学校裏 7日、平和記念公園で慰霊花火大会 |
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1959 | ひろしま川祭委員会 | |
第9回60年8月6-7日。7つの川(11か所)で午後9時40分満潮時からとうろう流し。 6日、1万個のとうろう 広島駅前橋・稲荷橋・大正橋・京橋・元安橋・本川小学校・横川橋・観音橋・明 治橋・己斐橋・県貯木場(吉島) 7日、平和記念公園・市公会堂南側で慰霊花火大会 |
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1960 | ひろしま川祭委員会 | |
第10回61年8月6-7日。 6日、6つの川でとうろう流し。 |
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0806 | 広島県宗教連盟が、初めて本川で2、000個のとうろう流し | |
1962 | ひろしま川祭委員会 | |
第11回62年8月6-7日。 6日、6つの川(11か所)で1万個のとうろう流し。 7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会 11-12日、市民球場で盆おどり大会 |
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1963 | ひろしま川祭委員会 | |
第12回63年8月6-7日。 6日、6つの川(11か所)で1万2、000個のとうろう流し。 7日、平和記念公園・市公会堂南側で原爆死没者慰霊花火大会 |
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1964 | ひろしま川祭委員会 | |
第13回64年8月6日。 6日、川(10か所)で1万1、000個のとうろう流し。 |
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1965 | ||
0807 | 広島市・中国新聞社など共催とうろう流し (雨のため6日の予定を延期)市内10か所。約1万1、000個 |
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0814 | 広島広島悲願の会とうろう流し (雨のため6日の予定を延期)元安川と本川。約1万個 太田川夏祭=盆踊大会と花火大会 |
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1973 | ||
0806 | 5か所、広島祭委員会は12,000個を用意。後始末が大変なため、この年は本川など3 つの川で姿を消す。 | |
1976 | ||
0806 | とうろう流し。花火大会。市政と市民では初紹介。 | |
環境問題で流す数を制限され、昨年より5,000個少ない1万個を用意 | ||
止
とうろう流し(8月6日、とうろう流し実行委員会主催)
実施状況 場所:原爆ドーム対岸 元安川浸水テラス
年 | ||
1973 | とうろう流し。約1万2000個。 | |
2005 | とうろう流し。 | |
2009 | とうろう流し。約9000個。 | |
2010 | とうろう流し。約1万個。 | |
2012 | とうろう流し。約1万個。 | |
2013 | とうろう流し。約1万個。 | |
2014 | とうろう流し。約9000個。 | |
2015 | ||
市民約70人、「広島 愛の川」合唱(初回) | ||
2016 | ピースメッセージとうろう流し | |
2017 | とうろう流し。約1万個。 | |
2018 | ピースメッセージとうろう流し | |
2019 | 原爆ドーム前の元安川などで「とうろう流し」。約7000個の灯籠。 | |
2020 | 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠17個を川に浮かべる。 | |
2021 | 新型コロナウイルス感染拡大のため「とうろう流し」中止。「流灯式」=実行委員会メンバ―灯籠12個を川に浮かべる。 | |
止
平和記念式典総括表(1947年~2013年)
年 | 広島市長 | 長崎市長 | 総理大臣(代理) | 備考 | 広島市議会議長 | 広島県知事 | 衆議院議長 | 参議院議長 |
1947(昭和22) | 浜井信三 | [片山哲](森戸文部大臣) | マッカーサーのメッセージ | 楠瀬常猪 | ||||
1948(昭和23) | 浜井信三 | [市 民 代 表] | [芦田均] | ロバートソンのメッセージ | 楠瀬常猪 | |||
1949(昭和24) | 浜井信三 | 大 橋 博 | [吉田茂] | 楠瀬常猪 | ||||
1950(昭和25) | [中止] | [中止] | [中止] | [中止] | 楠瀬常猪 | [中止] | [中止] | |
1951(昭和26) | 浜井信三 | [平和推進市民大会] | [吉田茂] | 大原博夫 | ||||
1952(昭和27) | 浜井信三 | 田 川 務 | [吉田茂] | 広島県知事、県・市議会議長の式辞。広島平和都市記念碑除幕 | 大原博夫 | [岩本信行(副議長)] | [佐藤尚武] | |
1953(昭和28) | 浜井信三 | 田 川 務 | [吉田茂] | 広島県知事、県・市議会議長の式辞 | 大原博夫 | [堤康次郎] | [河井弥八] | |
1954(昭和29) | 浜井信三 | 田 川 務 | [吉田茂] | 高松宮夫妻 | 大原博夫 | |||
1955(昭和30) | 渡辺忠雄 | 田 川 務 | [鳩山一郎] | 大原博夫 | ||||
1956(昭和31) | 渡辺忠雄 | 田 川 務 | [鳩山一郎] | 大原博夫 | ||||
1957(昭和32) | 渡辺忠雄 | 田 川 務 | [岸信介] | 三笠宮夫妻 | 大原博夫 | |||
1958(昭和33) | 渡辺忠雄 | 田 川 務 | [岸信介] | 高松宮夫妻、灘尾文部大臣 | 大原博夫 | |||
1959(昭和34) | 浜井信三 | 田 川 務 | [岸信介]内閣総理大臣臨時代理<挨拶原文>。 | 広島県議会議長平塩五男<挨拶原文> | 木野藤雄<挨拶原文> | 大原博夫<挨拶原文> | 松野鶴平<挨拶原文> | |
1960(昭和35) | 浜井信三 | 田 川 務 | 池田勇人(中山マサ厚生大臣) | 名簿奉納(広島県知事・市長)、あいさつ:内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、広島県議会議長(平塩五男)、広島市議会議長(宮本正夫) | 宮本正夫<挨拶原文> | 大原博夫 | 清瀬一郎(議長)<挨拶原文> | 松野鶴平参議院議長(代理:平井副議長)<挨拶原文> |
1960(昭和35) | 皇太子参列「お言葉」 | |||||||
1961(昭和36) | 浜井信三 | 田 川 務 | [池田勇人] | 大原博夫 | 清瀬一郎(代理) | 松野議長(代理) | ||
1962(昭和37) | 浜井信三 | 田 川 務 | [池田勇人] | あいさつ真田県議会議長 | 永野嚴雄 | 清瀬一郎(代理) | 議長(代理) | |
1963(昭和38) | 浜井信三 | 田 川 務 | [池田勇人]<挨拶原文> | 灘尾文部大臣**全国戦没者追悼式(第1回) | 永野嚴雄 | |||
1964(昭和39) | 浜井信三 | 田 川 務 | [池田勇人]<中国新聞は掲載せず> | 永野県知事 | 永野嚴雄 | 船田中(議長) | 重宗 | |
1965(昭和40) | 浜井信三 | 田 川 務 | [佐藤栄作](橋本登美三郎内閣官房長官)<挨拶原文> | 永野嚴雄 | 船田 | 重宗 | ||
1966(昭和41) | 浜井信三 | 田 川 務 | [佐藤栄作]古屋亨(総理府総務副長官)<挨拶原文> | 長崎式典:代読 | 永野嚴雄 | 灘尾幸吉(代理) | 藤田進(代理) | |
1967(昭和42) | 山田節男 | 諸谷義武 | [佐藤栄作]堀総務長官?<挨拶原文> | 永野嚴雄 | ||||
1968(昭和43) | 山田節男 | 諸谷義武 | [佐藤栄作]亀岡官房副長官 | 1968.6.24山田市長、記者会見=原水禁3団体と平和アピール7人委員会、世界連邦圏背宇同盟などに招待状を出す方針を明らかにする。(6.25『中国新聞』)。ローマ法王メッセージ。長崎式典:原爆被爆者対策課の主管となる。. | 永野嚴雄 | |||
1969(昭和44) | 山田節男 | 諸谷義武 | [佐藤栄作]床次総務長官<挨拶原文> | 永野嚴雄 | ||||
1970(昭和45) | 山田節男 | 諸谷義武 | [佐藤栄作]内田厚生大臣<挨拶原文> | 永野嚴雄 | 荒船清十郎(副議長) | 安井謙(副議長) | ||
1971(昭和46) | 山田節男 | 諸谷義武 | 佐藤栄作(総理大臣)<挨拶原文> | 長崎式典: | 永野嚴雄 | 船田中(議長) | 森八三一(副議長) | |
1972(昭和47) | 山田節男 | 諸谷義武 | [田中角栄]二階堂進(内閣官房長官)<挨拶原文> | 長崎式典: | 永野嚴雄 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
1973(昭和48) | 山田節男 | 諸谷義武 | [田中角栄]二階堂進(内閣官房長官)<挨拶原文> | 広島・長崎の式典相互参列(初)。長崎式典:二階堂進 | 永野嚴雄 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
1974(昭和49) | 山田節男 | 諸谷義武 | 斉藤邦吉(厚生大臣) | 厚相の代理は初。長崎式典:二階堂進? | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
1975(昭和50) | 荒木 武 | 諸谷義武 | [三木武夫<訪米中>]田中正己(厚生大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:植木総務長官 | 宮澤弘 | 秋田大助(副議長) | (メッセージのみ) | |
1976(昭和51) | 荒木 武 | 諸谷義武 | 三木武夫(総理大臣)<挨拶原文> | 田中厚相。被爆者団体代表との会見。長崎式典:三木武夫 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
1977(昭和52) | 荒木 武 | 諸谷義武 | [福田赳夫]藤田正明(総務長官)<挨拶原文> | アメラシンゲ国連総会議長参列。長崎式典:渡辺厚相。アメラシンゲ国連総会議長参列 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | 加瀬完(副議長) | |
1978(昭和53) | 荒木 武 | 諸谷義武 | [福田赳夫]安倍晋太郎(官房長官)<挨拶原文> | 長崎式典:小沢厚相 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
1979(昭和54) | 荒木 武 | 本 島 等 | [大平正芳]橋本龍太郎(厚生大臣)<挨拶原文> | 長崎式典: | 宮澤弘 | 灘尾弘吉(議長) | (メッセージのみ) | |
1980(昭和55) | 荒木 武 | 本 島 等 | [鈴木善幸]宮沢喜一(官房長官)<挨拶原文> | 長崎式典:斎藤厚相。徳永正利 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | 徳永正利(議長) | |
1981(昭和56) | 荒木 武 | 本 島 等 | 鈴木善幸(総理大臣)<挨拶原文> | 原爆死没者。全国都道府県遺族代表(初)。国際軍縮促進議員連盟代表。長崎式典:村山厚相。徳永参院議長。原爆死没者全国都道府県遺族代表(初)。国際軍縮促進議員連盟 | 宮澤弘 | (メッセージのみ) | 秋山長造(副議長) | |
1982(昭和57) | 荒木 武 | 本 島 等 | [鈴木善幸]森下元晴(厚生大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:鈴木善幸総理大臣。初村滝一郎労相。7月23日、長崎大水害死没者。(71名)の名簿も奉安。 | 竹下虎之助 | (メッセージのみ) | 徳永正利(議長) | |
1983(昭和58) | 荒木 武 | 本 島 等 | 中曽根康弘(総理大臣)<挨拶原文> | 谷川防衛庁長官。長崎式典:林厚相 | 竹下虎之助 | (メッセージのみ) | 木村睦男(議長) | |
1984(昭和59) | 荒木 武 | 本 島 等 | [中曽根康弘]渡部恒三(厚生大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:中曽根康弘総理大臣 | 竹下虎之助 | (メッセージのみ) | (メッセージのみ) | |
1985(昭和60) | 荒木 武 | 本 島 等 | 中曽根康弘(総理大臣) | 増岡厚相。被爆者援護功労者厚生大臣表彰。被表彰者。第1回世界平和連帯都市市長会議。長崎式典:増岡厚相 | 竹下虎之助 | 坂田道太(議長) | 木村睦男(議長) | |
1986(昭和61) | 荒木 武 | 本 島 等 | [中曽根康弘]斉藤十朗(厚生大臣)<挨拶原文> | デクエヤル国連事務総長(メッセージ)。長崎式典:中曽根康弘総理大臣。**全国戦没者追悼式に原爆死没者遺族を国費で公式招待(初)。 | 竹下虎之助 | 原健三郎(議長) | 藤田正明(議長) | |
1987(昭和62) | 荒木 武 | 本 島 等 | 中曽根康弘(総理大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:斎藤厚相 | 竹下虎之助 | 多賀谷真稔(副議長) | 藤田正明(議長) | |
1988(昭和63) | 荒木 武 | 本 島 等 | [竹下登]藤本孝雄(厚生大臣)<挨拶原文> | 三木武夫国際軍縮促進議員連盟会長。長崎式典:小渕恵三官房長官。藤本孝雄厚相。原健三郎(衆院議長)?田村? | 竹下虎之助 | 多賀谷真稔(副議長) | 藤田正明(議長) | |
1989(平成元) | 荒木 武 | 本 島 等 | 宇野宗佑(総理大臣)<挨拶原文> | 長崎式典:デクエヤル国連事務総長。メッセージ(明石事務次長代読) | 竹下虎之助 | 安井吉典(副議長) | 瀬谷英行(副議長) | |
1990(平成2) | 荒木 武 | 本 島 等 | 海部俊樹(総理大臣)<挨拶原文> | 津島厚相 | 竹下虎之助 | 桜内義雄(議長) | 小山一平(副議長) | |
長崎式典:海部俊樹(両式典への参列は1976年以来2人目) | 竹下虎之助 | |||||||
沖縄全戦没者追悼式に初参列?? | 竹下虎之助 | |||||||
1991(平成3) | 平岡 敬 | 本 島 等 | 海部俊樹(総理大臣)<挨拶原文> | 挨拶:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:下条厚相 | 竹下虎之助 | 桜内義雄(議長) | 土屋義彦(議長) | |
1992(平成4) | 平岡 敬 | 本 島 等 | 山下徳夫(厚生大臣)<挨拶原文> | 挨拶:衆議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:宮沢喜一総理大臣 | 竹下虎之助 | 桜内義雄(議長) | ||
1993(平成5) | 平岡 敬 | 本 島 等 | <挨拶原文>[閣僚の出席なし]文田久雄総理府次長 | ストヤン・ガーネフ国連総会議長。長崎式典:古川貞二郎厚生省事務次官。**8月9日細川内閣発足。 | 竹下虎之助 | |||
1994(平成6) | 平岡 敬 | 本 島 等 | <挨拶原文>村山富市(総理大臣) | 井出厚相。長崎式典:村山富市 | 藤田雄山 | 土井たか子(議長) | 原文兵衛(議長) | |
1995(平成7) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | <挨拶原文>村山富市(総理大臣) | 井出厚相。長崎式典:村山富市。草場良八最高裁判所長官。三権の長全員が参列(初)。長崎式典:村山富市。三権の長全員が参列(初) | 藤田雄山 | 土井たか子(議長) | 斉藤十朗(議長) | |
1996(平成8) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | 橋本龍太郎(総理大臣) | 菅直人厚相。長崎式典:橋本龍太郎。土井たか子(議長) | 藤田雄山 | 鯨岡(副議長) | 斉藤十朗(議長) | |
1997(平成9) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | 橋本龍太郎(総理大臣) | 第4回世界平和連帯都市市長会議。長崎式典:小泉純一郎厚相 | 藤田雄山 | 伊藤(議長) | 松尾(副議長) | |
1998(平成10) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | 小渕恵三(総理大臣) | 宮下創平厚相。あいさつ:衆議院副議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小渕恵三。宮下創平厚相 | 藤田雄山 | 渡部恒三(副議長) | 菅野(副議長) | |
1999(平成11) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小渕恵三(総理大臣) | 宮下創平厚相。長崎式典:宮下創平厚相。伊藤宗一郎(衆議院議長) | 藤田雄山 | 渡部恒三(副議長) | ||
2000(平成12) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 森喜朗(総理大臣) | あいさつ:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:森喜朗。渡部恒三衆議院副議長、菅野久光参院副議長。 | 藤田雄山 | |||
2001(平成13) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | 第5回世界平和連帯都市市長会議。あいさつ:広島県知事、アナン国連事務総長メッセージ。長崎式典:小泉純一郎。坂口力厚労相。衆参両院議長が代理も含め欠席するのは1989年以来。今年から両議長の来賓あいさつを取りやめ、献花だけをしてもらうことに決めていた。 | 藤田雄山 | |||
2002(平成14) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎(今年は被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず、帰京)、坂口厚生労働大臣。倉田寛之参院議長、約五千五百人。 | 藤田雄山 | |||
2003(平成15) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | 長崎式典:小泉純一郎、(被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず)。倉田寛之参院議長、坂口力厚労相 | 藤田雄山 | |||
2004(平成16) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、扇千景参院議長、坂口力厚労相。約五千四百人。 | 藤田雄山 | |||
2005(平成17) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | あいさつ:衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、国連事務総長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小泉純一郎、尾辻厚労相。町田顕最高裁判所長官。長崎市は今年、核保有五カ国を含む計十一カ国に参列を求める招請状を送付。ガルージン代理大使とウクライナのユーリー・コステンコ駐日特命全権大使だけが参列 | 藤田雄山 | |||
2006(平成18) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、川崎二郎厚生労働大臣。河野洋平(議長)、角田(副議長)。核保有国のロシアを含む七カ国の駐日大使ら約四千八百人が参列。 | 藤田雄山 | 横路(副議長) | 扇千景(議長) | |
2007(平成19) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、潘基文国連事務総長(代読)。長崎式典:安倍晋三、柳沢伯夫厚生労働大臣。横路(副議長)、江田五月(議長)。核保有国ロシアを含む十五カ国の政府代表らが参列。 | 藤田雄山 | |||
2008(平成20) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 福田康夫(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長(代読)。舛添要一厚労相。55カ国の大使や参事官。長崎式典:福田康夫、舛添要一厚労相。河野洋平(議長)、山東(副議長)。核保有国のロシア、今回が初めてのスペインなど八カ国の駐日大使ら・ | 藤田博之 | 藤田雄山 | 河野洋平(議長) | 江田五月(議長) |
2009(平成21) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 麻生太郎(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。舛添要一厚労相。59カ国の代表。長崎式典:麻生太郎。舛添要一厚労相。江田五月(議長)。保有国のロシアを含め過去最多となる海外29カ国の代表。約5800人(市発表)。ミゲル・デスコト・ブロックマン国連議長。国際連合総会議長潘基文(バンキムン)国連事務総長(代読)、 | 藤田博之 | 藤田雄山 | 江田五月(議長) | |
2010(平成22) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 菅直人(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長妻厚生労働大臣。潘基文(バンキムン)国連事務総長、米・英・仏(初)など74カ国の代表。長崎式典:菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。デスコト国連議長。西岡(議長)江田五月(議長) 。核保有国の英、仏、ロシア、パキスタン、実質的核保有国のイスラエルなど32カ国。約5600人。 | 藤田博之 | 湯崎英彦 | 横路孝弘(議長)? | 江田五月(議長) |
2011(平成23) | 松井一實 | 田上富久 | 菅直人(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。細川律夫厚生労働大臣。長崎式典: 菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。44カ国の政府代表 | 木島 丘 | 湯崎英彦 | 西岡(議長) | |
2012(平成24) | 松井一實 | 田上富久 | 野田佳彦(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連事務総長。中野外務大臣政務官。小宮山厚生労働大臣。国連事務総長代理;アンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表。米・英・仏(初)など71カ国の代表。長崎式典:野田佳彦。外務大臣政務官。厚生労働大臣。42カ国の代表。 | 種清和夫 | 湯崎英彦 | 平田 健二(議長) | |
2013(平成25) | 松井一實 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) | あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。外務大臣 厚生労働大臣。ブーク・イェレミッチ国際連合総会議長。潘基文国際連合事務総長(代読)、 | 碓井法明 | 湯崎英彦 | 衆議院副議長 | 参議院議長 |
止
広島県原爆被害者団体協議会陳情書(市長宛、1970年6月16日)
昭和四十五年六月十六日
広島市長
山田 節男 殿
広島市大手町四丁目五番六号
広島県原爆被害者団体協議会
理事長 滝滝 市郎
事務局長 檜垣 益人
陳情書
人類史上空前の原爆悲劇からはやくも四半世紀の歳月をけみし、被爆二十五周年の八月六日を迎えようとしています。
毎年の八・六式典についての市民の声、特には生存被爆者や遺家族のつぶやきに耳を傾けて下さいまして、今年の被爆二十五周年の式典に於てこそは、被爆生存者や遺家族が生きてゆく勇気と希望を与えられ、被爆死没者の犠牲が人類の救いとして決してむだとならぬために、少くとも次の事項につき改善乃至新企画をして下さいますよう要請いたします。
一、平和宣言の内容には、原爆死没者の犠牲が少くともこの二十五年間の原爆不使用の大きな因であり、日本の平和と繁栄もこの犠牲の上になりたっていることも、更めて確認され、戦争なきひとつの世界へ向かっての大いなる警鐘と不動の礎石として、決してむだにしないことを誓うという内容がもりこまれること。
一、右と関連して広島市当局自ら原爆死没者遺家族の援護に尽すとともに、政府・国会に対しては、原爆遺家族援護や原爆傷害者に対する補償的援護施策が行なわれるよう、先頭に立って促進することを誓う旨をもりこむこと。
但し、この頂は平和宣言の内容としてでなくても、市長の別の八・六声明としてでも行われたいこと。
一、平和式典の祝辞の代読はこれを止め、出席本人が読むもののみに限られたいこと。形式的代読の空しさは多年の市民のつぶやきであり、今年こそは勇断をもって、このつぶやきを聞きいれていただきたいこと。
一、平和宣言が市長によって読みあげられるだけに止らず、これに応えて市民代表が決意表明を行なうように企画されたいこと。(この場合、市民代表は青年又は被爆者が望ましい。)
このための時間は代読廃止等によってセイブされる時間が充てられるならば式典に一層真実がこもって来るものと思われます。
一、会場の被爆者席には市内在住の認定被爆者だけが招待されるのでなく、被爆者並びに遺家族なら誰でも先着順に坐れるように改善されたいこと。
一、平和の歌は会場の全員が合唱できるようにあらかじめ普及・練習の方途を講ぜられたいこと。
一、尚、八月六日~九日を国際停戦デーとすることの提唱。八月六日八時十五分の一分間黙祷が全国的・全世界的に行なわれることの提唱、これと関連して八時十五分を中心とする式典がテレビ宇宙中継されるようにとの要望などは、私たちの団体も深く賛意を表し、その実現を強く望むものであります。
右、被爆二十五周年にふさわしい画期的意義ある式典となりますよう切に陳情申し上げるものであります。
『平和記念式典の歩み』と「ヒロシマ遺文」投稿の対照表
章節 | 見出し | 「ヒロシマ遺文」投稿名、<メモ> |
まえがき | 平和式典の歩み(表紙) | |
第1章 平和祭 | ||
1 | 原爆被爆 | |
2 | 原爆死者の慰霊 | |
3 | 平和復興祭 | 平和復興祭(1946年) |
4 | 第1回平和祭 | 平和祭(第1回、1947年) |
5 | 第2回平和祭 | 平和祭(第2回、1948年) |
5 | 広島県史 近代現代資料編Ⅲ | |
6 | 第3回平和祭 | 平和祭(第3回、1949年) |
6 | 広島県史 近代現代資料編Ⅲ | |
7 | 平和祭の挫折 | |
-1 | 第4回平和祭の中止 | 幻の平和祭(第4回、1950年) |
-2 | 慰霊式・平和記念式典の開催 | 慰霊式(1951年) |
第2章 平和式典の変遷 | ||
1 | 平和式典の原型 | 1952年式典(平和式典の原型) |
慰霊と平和(平和式典の原型) | ||
2 | 平和式典の主催者 | 平和式典の主催者 |
<協会・市・県> | ||
3 | 平和式典の準備 | |
-1 | 平和式典の会場-平和記念公園 | 平和式典の会場-平和記念公園<原爆慰霊碑、平和の灯> |
-2 | 設営 | 平和式典の会場-平和記念公園(設営) |
平和式典パネル(平和記念資料館南壁面) | ||
幟と横断幕 | ||
-3 | 市民の奉仕活動 | 平和式典の会場-平和記念公園(市民の奉仕活動) |
<清掃・パンフレット配布・献花・放鳩> | ||
-4 | 式典にともなう規制と警備 | |
平和式典にともなう規制と警備 | ||
式典にともなう規制と警備2021(平和式典の準備) | ||
4 | 平和式典の式次第 | |
-1 | 式次第 | 式次第 |
平和式典(1947・52・91年)の式次第 | ||
鳩魂碑(靖国神社) | ||
-2 | 原爆死没者名簿の奉納 | 原爆死没者名簿の奉納(式次第) |
原爆死没者名簿奉納数<1952年57902人> | ||
-3 | 献花 | 献花(式次第) |
-4 | 平和の鐘と黙とう | 平和の鐘と黙とう(式次第) |
<ベル⇒鐘> | ||
-5 | 演奏と合唱 | 演奏と合唱(式次第) |
合唱団の構成(1991年) | ||
5 | 平和宣言 | |
平和記念式典の変遷と平和宣言(広島新史歴史編) | ||
宣言内容の変遷(平和宣言) | ||
-1 | 宣言の主体、対象、形式 | 宣言の主体、対象、形式(平和宣言) |
-2 | 原爆被害観 | 原爆被害観(平和宣言) |
-3 | 原水爆禁止 | 原水爆禁止(平和宣言) |
-4 | 国連への期待 | 国連(平和宣言) |
-5 | 国際動向への憂慮 | 国際動向への憂慮(平和宣言) |
-6 | 被爆者援護対策への要望 | 被爆者援護対策への要望(平和宣言) |
-7 | 世論への期待 | 世論への期待(平和宣言) |
-8 | 被爆体験の継承 | 被爆体験の継承(平和宣言) |
-9 | ヒロシマの動向と決意 | ヒロシマの動向と決意(平和宣言) |
-10 | 宣言内容の変遷 | 宣言内容の変遷(平和宣言) |
-11 | 平和宣言の普及 | 平和宣言の普及(平和宣言) |
6 | 平和式典の参列者 | |
-1 | 参列者数 | 参列者数(平和式典の参列者) |
-2 | 来賓 | 来賓(平和式典の参列者) |
特別来賓の案内数(1991年) | ||
-3 | 政府、議会関係者 | 政府、議会関係者(平和式典の参列者) |
総理大臣・衆参両院議長の参列状況(1971-91年) | ||
-4 | 長崎市など他都市からの参列者 | 長崎市など他都市からの参列者(平和式典の参列者) |
-5 | 海外からの参列者 | 海外からの参列者(平和式典の参列者) |
外国人参列者の概要(1991年) | ||
-6 | 遺族、被爆者、市民、平和団体代表 | 遺族、被爆者、市民、平和団体代表(平和式典の参列者) |
-7 | 一般参列者 | 一般参列者(平和式典の参列者) |
広島市平和記念式典案内状(2005年) | ||
7 | 平和式典への関心 | |
-1 | 市民の関心 | 市民の関心(平和式典への関心) |
広島市民の「8月6日の過ごし方」(NHK世論調査の結果) | ||
-2 | 黙とうのひろがり | 黙とうのひろがり(平和式典への関心) |
-3 | 日本政府の関心 | 日本政府の関心(平和式典への関心) |
-4 | マスコミの関心 | マスコミの関心(平和式典への関心) |
原爆記念日に関する社説(1991年、ローカル紙) | ||
-5 | 海外での関心 | 海外での関心(平和式典への関心) |
海外からの広島市長あて書簡数(1947-51年) | ||
8平和式典の関連行事 | ||
-1 | 原爆供養塔合同慰霊祭 | 原爆供養塔合同慰霊祭(平和式典の関連行事) |
原爆死没者慰霊行事(2021年) | ||
-2 | 原爆罹災者名簿の公開 | 原爆罹災者名簿等の公開(平和式典の関連行事) |
-3 | とうろう流し | 灯ろう流し(平和式典の関連行事) |
-4 | 平和集会・シンポジウム | 平和集会・シンポジウム(平和式典の関連行事) |
女子大反戦会議ビラ(シリーズNo.1 19710705) | ||
おわりに | ||
平和式典略年表 | 平和式典略年表 | |
索引 | 索引(平和記念式典の歩み) | |
1991(平成3)年広島市平和記念式典資料 | ||
写真一覧(平和記念式典の歩み) | ||
表一覧(平和記念式典の歩み) | ||
参考資料・文献(平和記念式典の歩み) | ||
カテゴリー | 「ヒロシマ遺文」投稿名、<メモ> |
1991~平岡敬市長 | 平和式典実況中継1996年8月6日 |
1999~秋葉忠利市長 | 秋葉忠利広島市長平和宣言(1999~2010年) |
長崎市 | 長崎市都市公園条例 |
長崎市民平和憲章 | |
被爆70周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典式次第 | |
広島県 | 広島市平和記念式典での挨拶(広島県知事)2016~2021年 |
平和記念都市 | 広島市平和式典広島県知事、県・市議会議長の式辞(1952年) |
広島市平和式典広島県知事、県・市議会議長の式辞(1953年) | |
広島市平和推進基本条例 | 広島市役所事務休停日条例 |
広島市平和推進基本条例 |
式典にともなう規制(宇吹メモ)
年月日 | 事項 | 備考 |
~1956 | 空からの取材の規制(1956年まではあり) | |
19630806 | 前夜の世界大会で踏みにじられた平和公園。 慰霊碑前の式典列席者の席はボーイスカウト広島県連盟・広島市消防局員など150人を動員して警備。 |
|
19640605 | 広島市は8月5・6・7日の3日間、平和記念公園の原爆慰霊碑前広場を一般団体の集会に使わせない方針を決定。 | |
1965年も。 | ||
196704 | 山田節男、市長となる。平和公園の聖域化構想を打ち出す。 | |
196902 | 公園内で市の許可を受け営業をしていた7業者の営業許可中止を決定。 | |
19690805 | 広島県公安委員会、「8・6広島反戦集会実行委員会」から出されていた6日午後6時からのデモ行進の申請を、「コース変更」の条件付きで許可。理由は、とうろう流しに支障があるため。県公安条例に基づくデモ申請でコース変更という条件付きで許可されたのは、67年11月15日の羽田不当弾圧反対闘争(広大教養部学友会主催)のデモに次いで2度目。 | |
1971 | 警備本部を設置し、式場内外の警備を強力に行うようになる。 | |
19710804 | 広島県警察本部、「八・六平和祈念式典警備本部」を広島西署に設置。5・6両日は広島県警の1,800人のほか、大阪・兵庫・京都の3府県、広島以外の中国4県から応援を求め、計2,700人を動員。 | |
1972 | 広島県警察本部、「八・六県警備本部」と「八・六現地警備本部」を広島西署に設置。1,000人動員。 | |
1972 | 平和公園一帯の交通規制(「市政と市民」ではこの年から) | |
19730803 | 広島県警察本部、「八・六警備本部」を広島西署に設置。1,200人動員。 | |
19740804 | 広島県警察本部、「八・六警備本部」を設置。1,300人動員。 | |
19740805 | 23人逮捕 | |
1975 | 県警、1,500人を動員。 | |
1975 | 百米道路(NHK前-西平和大橋)900メートルを式典前後(午前7時から10時までの3時間)に車両の通行止めを行い、「静かな祈りの日」とする。 | |
1976 | 県警、2,000人を動員。(他県から応援を求める) | |
1976 | 百米道路の車両通行止を平年度化。 | |
1977 | 県警、1,500人を動員。(他県からの応援なし) | |
1978 | 県警、1,300人を動員。 | |
19790804 | 広島県警察本部、「八・六警備本部」を設置。 | |
19790804 | 1,500人動員。 | |
19810804 | 広島県警察本部、「警備本部」を設置。4-6日に延べ4,500人動員。中国・近畿の両管区から500人応援。 | |
19820804 | 広島県警察本部、「警備本部」を設置。4-7日に延べ5,100人動員。5日1,800人、6日2,000人。 | |
19830804 | 広島県警察本部、「総合警備本部」を設置。岡山・山口など4県警の応援200人を含め、4-6日に延べ6,000人動員。6日は2,500人。過去最高の動員。 | |
19840804 | 広島県警察本部、「警備本部」を設置。4-6日延べ4,000人動員。 | |
19850803 | 広島県警察本部、「警備本部」を設置。3-6日最高2,700人動員。 | |
1986 | 広島県警察本部、「警備本部」を設置。6日1,800人動員。 | |
19870803 | 広島県警察本部、「警備本部」を設置。3-6日延べ8,200人動員。 | |
19880803 | 広島県警察本部、「警備本部」を設置。3-6日延べ8,500人動員。 | |
19890803 | 広島県警察本部、「警備本部」を設置。3-6日延べ8,300人動員。 | |
20210716 | <バッハIOC(国際オリンピック委員会)会長、広島平和公園訪問。警備費379万円余は広島県・市が折半負担。> | |
20210806 | 広島県警、平和公園周辺で交通規制。 | |
平和復興祭(1946年)
1946年(昭和21年)4月、広島市町会連盟は、原爆1周年を記念して平和復興祭を開くことを計画し、広島市にその旨を申し入れた(佐伯武範「被爆翌年の平和復興祭のいきさつ」)。また、6月28日には広島県商工経済会が広島市本通商店街復興協議会とともに、世界平和記念祭のプログラムを作成し、広島市に建議している。広島市は、こうした市民の声に呼応して、7月初め、8月6日を中心に平和復興祭を開催することを計画した。その意図は「8月6日を戦争放棄世界平和の記念日として後世に伝えるとともに文化的平和都市として再建に努力する市民に希望を与える」ことにあった(「中国新聞」1946年7月6日)。
プレス・コード(1945年9月19日指令)以後、原爆報道は鳴りを潜めていたが、被爆1周年前後には、原爆についての記事がセンセーショナルな形で出現した。
中国新聞には、「恩讐越ゆ’‘世界の都”」(7月31日)、「原子爆弾落ちて一年 特攻基地の捉へた爆発の瞬間 天降る¨平和の序曲’」(8月1日)、「けふぞ巡り来ぬ平和の閃光」(8月6日)といった見出しが踊っている。
8月5日午前7時半から護国神社跡で、広島市町会連盟主催の平和復興市民大会が、つぎのような式次で開催された。
開会挨拶 (仁都栗司町内会連盟理事長)
挨拶 木原七郎市長。市議会議長
来賓挨拶 ハービー・サテン少佐(広島市復興顧問)、楠瀬 常猪知事、水野呉市長、糸川中国新聞社編集局長(大会後援者代表)、戦災孤児(広島戦災児育成所)
宣言・決議(大内町内会連盟事務局長)
閉会の辞 (小坂商工経済会理事長)
戦災礼拝堂参拝(慈仙寺鼻)(「中国新聞」1946年8月6日)
この大会には。市民約7.000人が参加したと報じられている。翌6日には、戦災死没者1周年追悼会が、午前6時半から中島本町の慈仙寺鼻に新築された礼拝堂で、神道。仏教、キリスト教、教派神道の順序により約6時間にわたり執行された。これは、広島市、宗教連盟広島県支部、広島市戦災死没者供養会が共同で閧催したもので、数千の市民が参列した。また。広島市は、6日の午
前8時15分に、黙とうをするよう市民に呼びかけていたが、その時の模様を、新聞はつぎのように報じている。
(前略)刻々と迫るあのピカリの一瞬、定刻8時15分に全市のサイレンが「平和の祈り」を市民に伝えた。それを合図に電車、自動車などの乗物、道行く人々も立ち止まり、オフィスでもペンを置いて、それぞれ静かにあの日の追憶と復興の決意を強固にする一分間の黙疇が捧げられた。この日この時の「平和の祈り」は戦争放棄を世界に宣言し、平和国家として再建するわが国で子孫永劫に続けられ民族の記念行事になることであらう。
(「中国新聞」1946年8月7日)
復興市民大会や慰霊祭のほかにも、経済、宗教、運動、教育、文化、報道、町内会などの各界により、つぎのような行事が繰り広げられた。
3~7日 復興美術展覧会、華道展(広島美術家連盟主催 於市役所議事堂)
4日 郷上楽人音楽会(於旭映画劇場)
5~6日 音楽会(於旭映画劇場)
5~7日 児童作品天覧会(於幟町国民学校)
5~7日 原子爆弾症医療無料医療相談所開設(於市内の学校、病院)、復興展示即売会(於広島県商工経済会)、農村感謝運動、廉売会(於商店街、公設市場)
6日 高田郡横田神楽団「追悼神楽」、戦災死没者1周年追悼法会(中島供養会主催 於中島本町供養塔前)、広島市復興事業起工式(広島市主催 於播磨屋町 広島ホテル跡)、短歌会(広島市主催 於市役所)
6~7日 映画会(於舟人旭劇場を除く市内劇映画館)
7日 戦災供養盆踊大会((11国新聞社主催 於基町護国神社跡)、英豪軍軍楽隊演奏(於旭劇場)
7~9日 子供デー(於旭劇場、比治山国民学校、福屋名画劇場)
11日 広島市体育大会(広島市体育協会主催 於県総合運動場など)
平成3(1991)年平和記念式典資料(広島市)
頁 | 資料名 | 備考 |
001 | 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式実施要綱 | |
002 | 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式式次第説明 | |
003 | 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式進行表 | |
004 | 広島市原爆死没者名簿奉安箱の清掃及び原爆死没者名簿への搭載実施について | |
006 | 広島市原爆死没者名簿記帳者 | |
008 | 広島市原爆死没者名簿(平成元年)の追加奉納数 | |
009 | 広島市原爆死没者名簿奉納数 | |
010 | 平成2年に登戟する主な原爆死没者 | |
011 | 広島市原爆死没者名簿奉納の要領 | |
012 | 式辞・平和宣言要領 | |
014 | 献花の要領 | |
015 | 流れ献花要領 | |
017 | 平和の鐘打鐘要領 | |
018 | あいさつの要領 | |
019 | 平成3年の平和記念式典に関する参考事項 | |
020 | 平和記念式典への同時通訳の導入等について | |
025 | 原爆死没者の慰霊並びに平和祈念の黙とうについて | |
027 | 原爆死没者の慰霊並びに平和祈念の黙とう並びに平和祈念の黙とうの実施状況調(平成2年度) | |
028 | 平成2年度の地方別黙とうの実施状況 | |
034 | 海部内閣総理大臣来広日程 | |
038 | 桜内衆議院議長来広日程 | |
040 | 土屋参議院議長来広 | |
042 | 池田防衛庁長官来広 | |
043 | 越智経済企画庁長官来広 | |
044 | 長崎市一行来広日程 | |
048 | 平成3年広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式参列代表者名簿 | |
049 | 平成3年遺族代表及び被爆者代表推薦要領(衛生局依頼文) | |
051 | 遺族代表、被爆者代表 | |
057 | 全国原爆死没者都道府県遺族代表の概要 | |
062 | 参列市民代表(流れ献花者) | |
063 | 流れ献花者の選定方法 | |
064 | 特別来賓案内数総括表 | |
065 | 特別来賓案内者名簿 | |
072 | 外国人参列者名簿(来賓席) | |
073 | 外国人参列者名簿(団体席) | |
074 | 過去5年間の外国人参列者数一覧 | |
075 | ボランティア通訳配置計画 | |
076 | 献水要領 | |
077 | 黙とう依頼の周知方のサイレン吹鳴・鐘の打鐘の協力依頼 | |
077 | 吹奏楽団・合唱団 | |
079 | 放鳩行事に対する協力 | |
079 | 流れ献花用花束及び「花一輪運動」用切花の寄附 | |
080 | ボーイスカウトの奉仕 | |
080 | 参列者に対する湯茶の接待 | |
081 | 式典会場の設営状況 | |
083 | 式典会場見取図 | |
084 | 交通規制図 | |
085 | 業務分担表 | |
088 | 式典参列者数調べ(45年~) | |
089 | 式典開催一覧 | |
094 | 式典内容の変更調 | |
099 | 海部内閣総理大臣への質問事項(地元記者) | |
099 | 記者会見質問要旨案(同行記者) | |
100 | 海部内閣総理大臣への重点要望項目 | |
110 | 被爆者代表から要望を聞く会 | |
117 | 平和記念式典電話番号簿 | |
118 | 警備本部設置要領 | |
123 | 警備班長・副班長名簿 | |
127 | 内閣総理大臣等の来広日程表(8月6日) | |
128 | 当日警備スケジュール | |
130 | 通行禁止等開始時間 | |
131 | 警備内容 | |
133 | 参列者数の推移(市側発表者数) | |
134 | 配席表 | |
135 | あいさつ文集 | |
148 | 第7回テレビ映像祭・国際平和シンポジウム・平和コンサートの夕べ | |
157 | 総理大臣出席状況 | |
159 | 式典配席要望について |